ドイツ以外のドイツ

−地方分権の一つの帰結−


厳密に言えば「ドイツ連邦共和国以外のドイツ民族の国家(地域)」と言うことになろうか。具体的にはオーストリア、スイスの多くの地域、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、フランスのアルザス・ロレーヌ(ドイツ語ではエルザス・ロートリンゲン)、オランダ語もドイツ語の一方言と言うことからすればオランダ及びベルギーのオランダ語地域も広い意味でのドイツと言うことになる。

アルザス・ロレーヌ地方の代表的な都市にストラスブール(ドイツ語ではシュトラスブルク)があり、この地方の出身でフランス国籍のドイツ人にかの有名なシュヴァイツァー博士の名を見つけることができる。

また、歴史の一時期ノルマンディー公爵家・アンジュー伯爵家などのフランス語を話す勢力の支配を受けたとはいえ、ドイツ語の方言がさらに変化したものが英語とすればイギリスもまた「ドイツ以外のドイツ」なのかも知れない。アングロ族・ザクセン族のルーツに於いても、後世のザクセン・コーブルク・ゴータ朝のジョージ一世(ドイツ人としての名前はゲオルク)や彼の出身地ハノーヴァーとの同君連合を通じての「ドイツ連邦」への関わりに於いても、またオランダ語がドイツ語と英語とがミックスしたような「低地ドイツ語」に分類されることからして、そのような思いがしてならない。

明治維新以後、今日にいたる日本人の民族と国家の関係・イメージをドイツの民族と国家に当てはめると、ドイツという国はイギリスはさておき上に掲げた地域、ひょっとするとデンマークまで含めてベルリン政府の中央集権下になければならないという錯覚に陥るかもしれない。

あの中央集権の強いフランスを中心に、その周辺諸国を見てもアルザス・ロレーヌにドイツ民族を抱えながら、ベルギー王国のフランス語地域・モナコ公国・ジュネーヴやローザンヌなどのスイス連邦に加盟した地域などパリ政府から独立した「フランス以外のフランス」を見いだすことができる。

我々日本人には「1民族=1国家」のイメージが強すぎて、ドイツといえばドイツ連邦共和国しか思い浮ばないかも知れない。明治以後の歴史教育では植民地主義の欧米列強に対する日本やアジアという面が強調されてきた。そして第一次大戦後の「民族自決」の思想が第2次大戦後の旧植民地諸国の独立をもたらしてきたのも事実である。しかし戦後、英語圏わけてもアメリカだけをとらえて世界を語るむきが我が国には多すぎる。米ソ冷戦構造の終焉した今日、そろそろこれまでの19世紀的な国家観から脱却する時期を迎えたのではないだろうか。

 ベルギー・オランダ・ルクセンブルクが「ベネルックス3国」と呼ばれていることは周知のとおりであるが、別に「ザール・ロル・ルクス」と呼ばれる地域がある。ザール、ロレーヌ、ルクセンブルクの3つの地域と国である。戦争のたびに強国ドイツとフランス(と言っても両国とも日本とほぼ同じ程の広さだが)の間にあって戦場となった所である。この「ベネルックス3国」や「ザール・ロル・ルクス」からECSCが生まれEEC、ECそして今日のEUへと発展してきたのである。

ドイツやフランスの民族と国家のありかたを見るとき、日本の「国境」というものが決して絶対のものではないという思いにいたる。今日いわれる中央集権・地方分権・地方主権・連邦制というものを例えば数学的にエックス軸という一つの数直線の上に置くならば、その延長線上には当然に「地方の独立」という考え方が存在する。「ドイツ以外のドイツ」や「フランス以外のフランス」は、ドイツ本体やフランス本体と共に「日本以外の日本」や「中国以外の中国」、さらには「同君連合」という王室や皇室のありかた迄も示唆してくれているのではないだろうか。

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続2

続3

続4


参考:井浦幸雄氏のエッセイ「最後の授業」 私も書こうと思っていたのですが・・・

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