農業から見た現在2/3

***講座「吉本隆明・農業論」***

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吉本 隆明「農 業 か ら み た 現 在」(その二)

    一九九一年十一月十日 中越高等学校会議室


 まあなんていいますか、日本国ってのはなんていいますか、憲法九条ってのがあったもんですから、そのなんか武力的に、こう武力でもって国際協力もできなかったっていうふうな嘆く人達と、それからそうじゃなくてこの憲法九条は平和憲法なんだからそのこんな戦費を協力というんだってそりゃおかしなことだっていうそういう論拠、その極端に言えばその二つがあって、その中間にはさまざまなニュアンスの論議っていうようなものが行われたわけです。

 で、あの僕なんかが基本的にこれを、この中東湾岸戦争っていうのを見てみましてあのー感じたことっていうのはどういうことかっていったら、やっぱり僕らはその戦争の年代だからすぐにそう感じたんだけど、アメリカっていうのは半世紀経ってもやることは変わらんぜということなわけです。

 つまりあのなんていいますか日本もかって半世紀前に、そのウン、なんていいますかえーと日本軍隊はその大陸から撤兵しろと、それで撤兵しろっていうことをアメリカから提起されまして、それでアメリカはやっぱり東洋というか極東にその植民地を持ってたフランス、イギリス、オランダっていうのを語らってその日本を海上封鎖した。で、主に燃料封鎖なんですけど石油封鎖なんです。石油封鎖しまして、そしてもし、このなんていいますか、日本が大陸から兵を退かなければその、この石油封鎖はいつまでも続くし、続けるぞっていうふうな、そういうふうになっていきましてだいたいエーと日本国の天皇その政府は当時は、天皇と、総理大臣ってのは東条英機だったんですけども、それはイラクのフセインとおんなじでこれはもうやるよりしょうがねぇってふうなところに追い詰められた感じで、それで戦争を始めたっていうことなんです。

 それで、そうするとあのその言いぐさまでわり に似てまして、日本はその頃天皇とその東条の内閣とそういうあれでもってアメリカとかイギリスとかを鬼畜米英っていうふうに、つまり鬼畜米英だっていうふうに、つまり鬼か獣だっていうふうに呼んだんです。で、イラクのフセインてのはおあつらえ向きでおんなじように悪魔、フセインってのはアメリカって悪魔だっていうふうに呼んでやってましたよ。

 それであの、ところで僕らが見たのは、つまり僕らはどういうふうに姿を見たかと言うと、アメリカというのは半世紀経ってもおんなじことしかしないじゃないか。つまりおんなじように武力で、武力の威嚇、それから経済封鎖による威嚇っていうのをやるわけだし、やってその脅しでもってつまり力でもって圧伏できるみたいなことを半世紀前とおんなじようにやるわけだし、イラクってのはその半世紀前の日本とまったくおんなじことをやるだけになるし、やったじゃないのっていうのが僕らがだいたい中東湾岸戦争に対して感じてた基本的な感じ方はそうでした。

 だからようするにこれは、つまり僕らはそれから半世紀、その当時の軍国少年軍国青年はその半世紀の間に少し、まぁ少し進歩したのかも知れませんけども、あの進歩したかどうかしてるわけですから、つまりこりゃ両方とも駄目だよってふうに思ってました。つまり、両方ともこりゃもう否定する以外に無いよっていうなふうに、僕はそう思っていました。それから、まあそう書きましたし、そう思ってました。

 それからもう一つは、やっぱりあのーそれじゃどうするんだって。それじゃ憲法第九条にその戦争放棄と平和を、武力に訴えないということをうたってんだからって、うたってんだから、これをこれだからその戦争に反対だっていうふうなことをゆっている人達には、僕は反対でした。

 僕はそうじゃないと思ってました。つまり憲法九条ってのは、あの憲法九条ってのはようするに、社会主義国の憲法それから軍隊規定、これは今も言いましたけども、軍隊規定、それから資本主義国の軍隊規定、そのどちらに比べてもこれはだいたい一オクターブはあの良い、あの良い項目なんですよ。つまり日本国憲法九条ってのは一オクターブ良いんですよ。だけどもオクターブが一オクターブ高いもんだからキイキイ声なんですよね。つまり(笑い)あの通用しないんですよ。これは世界にこんなこと言ったって通用しないですよ。

 社会主義国もあの軍隊を持って、何時でも動かせる軍隊を持ってますし、それから資本主義国も持ってますし。だから何時でもやりたきゃ戦争するしっていうふうな、これでもって日本国が平和憲法だからあの戦争反対で、そんなことゆったって誰も言うこと聴く奴なんかいやしないです。そういう言い方をした。そうじゃなくて、それはどうしてかと言うと、オクターブが高いからなんですよ。つまりあのもう理想憲法なんですけど、つまり未来性をはらんでいるんです。理想憲法なんですけれどもオクターブが高いってことをしらない奴がいくら言ったって駄目なんですよ。それはもうナンセンスになっちゃうんですよ。

 だから僕は言うんならば、あのもっと積極的に言わないといけないというので、ようするに、あのまあさしあたってアメリカとイラクだから、まあそんなこと出来るかどうか太田さんにでも聞かなきゃわかんないんだけど(笑い)、つまりわかんないんだけど、つまり理屈だけから言いますと日本国っていうのはそれに反して経済的な実力、特に対外経済、対外援助額っていうのと、対外資産っていうのと、それはだいたい世界一ですから、あのそれだけの経済大国ですからね、この経済大国たるあれをです、使いましてね、それであの、まあ僕、総理大臣になることないですけど(爆笑)、ないですけど僕だったらあのちゃんとこうイラクとアメリカへ行って、それであのまあ、まあまずイラクへ行って、おまえそのクエートへ入ってその得られる利益ぐらいのことは、つまり我々はその無償でそれを貸与するから、つまりそれだけの金は貸与するから、おまえクエートから撤退した方がいいぞっていうふうな説得をするとおもいますね。あの、その説得が唯一、日本が持っている実力なんですよ。それで、しかしこの実力は決して馬鹿にできない実力で、つまりあのこれは世界第一の、あの対外的にいえばですね、対内的にいえばそうでもないんですけど、対外的にいえば世界第一の経済実力を持っているわけです。それから世界第一の、あの実績を持っているわけで、対外援助の実績を持っているわけです。ですからこれだけのあれを持っているあれだからね、それだけは言えるんですよ。つまりそれだけを我々は貸与するから、あのつまりあの返済は無期限に延ばしてもいいから、とにかく貸与するからようするにあのクエートから撤退しろっていう、僕だったらそういう説得をすると思いますね。

 それから、あのそれさえ、撤退さえすればアメリカには戦争する理由はないわけですから、それだからあのないだろうと、だからやめるべきだっていうそういうあの役割をするだろうなっていうふうに、僕だったらそう思います。

 つまりそれだけのことぐらいはして欲しかったねっていうふうにあの思うわけです。それでそれはちゃんとした方がいいよ、そうやってそれで両方とも俺はいやだ、例えばフセインは俺はそんな金だけでもって言っているんじゃないっていう、そのシリアなんかみんなやっている、イスラエルもやっていることを俺もやっているだけ。で、これはやっぱり一種の大義名分あるんだっていう。だから俺は絶体しないって言うんならそれは勝手にすればいいんじゃないかっていう。(笑い)そしたらアメリカに対してだって、イラクから、イラクが撤退すればいいんだろうクエートは、それでだから戦争しない止めてくれっていうのに、いやだねそれでもやるっていうこの威信にかかわるとかっていうんだったらそれはもうそれじゃもう勝手にしてくれっていうふうにしてすればいいわけね、勝手に、つまりわれわれ調停したけれどもあの言うこと聞かなかったって、だからわれわれも戦争に対しては関知しないっていう声明を発してあのそれで手ひけばいいわけです。

 つまりそれだけのことは保守政府でもあの出来るはずなんです。つまりそれだけのことはまたやるべきなはずなんですけど、残念ですけどそれだけの腕力がない。実力がないんですよ、あの見識もないし実力もないんですよ。社会党にいたってはもっとないんですよ。(笑い)なんかただうろうろうろうろ、なんかしなけりゃいけないってんでうろうろ委員長が行ったんだけど何にもしねえで帰ってきた。(爆笑)帰ってきたっていう、そんなことはないんです。

 つまりね、そりゃ九条ってのはねやっぱりあの理想なんですよ。やっぱりソ連においていまソ連邦って国家がねやっぱり一種の調整役に変わったという、それはもうあの人類の進歩に寄与しているんですよ。それだけはソ連問題でねソ連ってのは人類に寄与しているんです、今度は。だからそれとおんなじように日本国憲法九条ってのはね、それだけですよ、それだけはね、これ人類の未来に対してね一つの突破口を開いているんですよ。

 だからこれはね、だからまぁこれに従わなきゃ嘘だぞっていうふうに言えば良いんです、あとは。つまり九条に従わないってのはようするにおかしいんだ。だから武器、核はもちろんそうだけれど、武器はだんだんおまえ減らしてけっていうふうに、そりゃもう積極的に、そうだいたい九条に、憲法九条はだいたい今のところ世界で一番理想的な条項だから皆これに従うべきだっていうふうに主張すべきなんですよ。

 つまりそういう主張しなければ、これ平和憲法だからあるいは武力放棄したんです、そんなこといってる奴はどうしょうもないんでね、そうじゃないんですよ、これに従うべきだっていう主張をすべきだって。そこまではやっぱりこんどは進歩党って、進歩的な政党、社共ってのはそこまではやれる、言えるはずなんです。だけど言ったことはないですね。そういうこといいたきゃ、平和憲法だから護れとかそいつはそんなことばっかりいってるんですよ。そんなの駄目ですよ。つまりオクターブが違うんだから、おまえ現実を見てるかっていうね、社会主義国見てるかって、つまりあのもっと言いますとねソ連というのはあれなんですよ、その武器をそのイラクにね、イラクに一番武器を輸出してるのはねソ連なんですよ。で、あるいはソ連、イラクだけでなく世界に対して一番目か二番目くらいにね、あの武器を輸出しているのはソ連なんですよ。つまりそれから、ソ連の輸出品目のなかで多分一位はね兵器なんですよ。だからつまり何を言っているのかっていうことになるんですよ。

 つまり日本のなんか進歩派ってのは何を言ってるのおまえはってことになっちゃうんですよね。つまりそれでそういうのに対して一度も文句をいったことはないんですよね。そのおまえら武器を一番売っているじゃないかっていうことをいう、文句をいったことはない。そういう進歩派ばかりですからね、どうしようもないわけです。だからあのようするに、あのこれはしようがないんだけど、だけどこれは積極的に、やっぱり未来性がある、日本がもっている未来性ってのはね、で、唯一とりえがあるのはね、その憲法九条だけなんです。ただ、もう皆さんがよくご承知のように、であるように、その、ようするにこれはオクターブが高いんですよね。だからこんなことをすっといったって、どこにも通用するわけがなくて、鼻で笑われちゃうわけです。(笑い)[聴き取り不能 ]みたいな(笑い)いうふうに決まっているわけですよ。

 だからそれは覚悟の上で、覚悟の上で、これは未来なんだからこれに従うべきだよって説得をすべきなんだけれども、それはしたことがないんです。つまりこれはやっぱり中東湾岸戦争に対する、日本のつまりだらしなさっていうか、駄目さっていう、これは自民党がこんど内閣が変わってどうなるかわかりませんけど、やっぱりそれほど変わらないだろうなと思います。少し良くなるのかもしれませんけど、変わらないだろうなと思いますし、またこの社会党が政権取ったらなおさら駄目だろうなと思いますね。(笑い)だろうと思いますが、そこいらへんがもうどうしようもないです。つまりもうなんといいますか、民衆次元でっていうか、一般次元でもっと、なんていいますか積極的になっていくとか、一般次元でその自主的になっていくっていう以外に、それを待つ以外に方法はないっていうことだと思います。

 で、さて、それがあのアメリカ問題、もう一つあるんです、それからもう一つ重要なことがあるんです。それは日米構造協議っていうのは日本とアメリカとにあるわけですけども、そんなかでもってあのアメリカのようするに日本改造案というのはね、アメリカが出している日本改造案っていうのがあるわけです。その日本改造案っていうのはね、まあ全部ご覧になると、皆さんがすぐにおわかりになるんですけど、これはもうものすごいです。つまりものすごいあの経済分析なんです。つまり、その日本の経済問題それから経済構造、社会構造、経済構造、どこに問題点があるかっていうのをもうあの逐一、もうなんていいますか、つまりもうレントゲンで写し取るようにちゃんと見事に、見事に正確にみんな全部分析しつくされています。つまりアメリカに全部もう分析しつくし、はらわたの底まで分析しつくされているっていっていいくらいやられています。

 それで、これあの全部あれしてもいいんですけど、ここでは二つ、つまり農業問題について、農業関係のアメリカの日本構造改造案っていうのを、その農業関係の問題と、それからもう一つは一種の、これはもう最近だから皆さんおわかりですけど、つまりバブル経済っていうふうにいわれて、つまり証券会社がそのなんか大手顧客のそのなんていいますか損害、株式の損害保証ってのをその証券会社がやって、それで勝手にやっちゃって癒着しているっていうやつで、ようするにバブル経済だっていわれている問題があるでしょう。つまりその問題と二つに、そのアメリカ案の日本改造法案と二つに限ってあの申し上げますと、だいたい農業問題について日米構造協議のアメリカ案っていうのは、アメリカの日本改造案っていうのの中にどういうことがいわれているかというと、第一にその農業や地方公共事業に対するその援助っていうのは少なくして、少なくしてそれはもう都市とか国際問題とか、[聴き取り不能]あるいは情報ネットワークとか、そういうふうなことにその資金を振り向けろっていうこと、振り向けるべきだってことを第一にいっています。

 それから第二に、その農地とそれ以外の土地っていうのの評価が違うわけですけども、評価のかえりっていうことを都市部では少なくしろっていうことをいっています。つまりどういうことかっていうのは皆さんのほうが御存知、専門家だから御存知だと思いますけど、つまり都市周辺の農地で、農地だっていうと、農地はまあなんていいますか、えーとその税金が、その農地は遊閑地と比べると税金が安いんですよね。だからつまりその点を、ようするにいろんな土地評価の格差っていうのを、とにかく都市部あるいは都市部周辺ではでは少なくしろっていうふうにいっている。つまりようするに都市周辺部の農地っていうのは安くしろっていうふうにいっているわけです。ようするにそうだと思います。それからまた税金もあの、つまり都市部の農地に対する免税を廃止しろって、免税じゃないと思うんだけど、僕はよく知らないんだけど免税じゃなくて減税だと思うんですけども、それは廃止しろ、おんなじだけ税金取れっていうふうに、取るべきだっていうふうにいってるわけです。

 それからあとはまあ不動産なんかの、そのなんていいますか移転に関するその制限を撤廃しろって、だからそのなんていいますか、もし譲渡したい土地があったら自由に譲渡できるようにして、それからまあ税率も、譲渡する場合の税率も低くしろっていうようなこともいっています。で、がいしてそれは何を、どういうことを意味するかっていうと、ようするに、あの都市、都市周辺における農地っていうのは、ようするにあのいつでもあの自由に農民にその売り払ってもいいように、つまり宅地化してもいいように、売り払ってもいいように、そういうふうに都合がいいようにしてやりなさいっていうこと。つまり農民に対しても税金を少なくするとか、所得税を縮めて、あのなんていいますか、取らないように免税にするとか、まあいろいろ農民に対してもそれから買う方に対してもそのなんかやりやすいようにしなさいってゆってるわけです。つまりあの都市周辺の農地っていうのは、あのもう農地として意味をなさないから、それはもういつでもその処分できるように自由にやりたいときにできるような形に直した方がいいぜっていうふうに、アメリカ案はいっているわけです。

 それで、あの日本の農業っていうのは現在、その農業人口でいえば全労働人口の九パーセントはあの農業に関連して存在しています。で、九パーセントのうち専業農家はまたその十四パーセントぐらい。だからあとは兼業農家です。つまりこれが日本における農業あるいは第一次産業っていうようなもものあの現状です。あの非常にシビアーなっていいますか、何も幻想を設けない現状、幻想とか希望とか、希望的観測を設けないでいえば、ようするに労働人口の九パーセントしか農業に携わっている人はおりません。それからそのうちの九パーセントのうちに専業農家は十四パーセントぐらいしかいません。つまりそれ以外の農家ってのは全部兼業農家です。つまりこれでもってこの農業っていうのはどうするんだって、日本の農業というのはどうするんだっていうことは非常にシビアーな問題であるし、こんなものにその希望的観測とか、そうじゃなくてリアルな観測をしないかぎりはどうしようもないっていうことがいえると思います。

 これは僕はあの前、前回でもそういうことを言ってきました。その頃はまだ今よりももっと何かエコロジカルな主張が今よりもっと盛んな時でしたけど、僕はそういう希望的観測は嘘だよっていうふうにあの思ってましたから、あの大変シビアーなことをいってきたつもりです。それはシビアーな現状です。  それでこれはいったいどうなったらいいんだっていうことはものすごく大きな問題なんです。ものすごく大きな問題だけに、ものすごく大きな問題だけど、ただ非常にはっきりわかっていることは、先進諸国においてはようするに農業、もっといいますと第一次産業、あるいはもっといいますと自然を相手にする、して生産するその産業てのは減少する一方だということです。この減少する速度というのはそれぞれですけど、これは減少するっていうことは多分、ようするに歴史の必然、文明の必然であってこれを変えることはできないっていうふうに僕は思っています。だからそれは基本的にはできないのです。で、これを遅くしたりあるいはその止めたりということは、これは政策如何によってできないことはありませんけれども、しかしそれにもかかわらずあの文明の発達は第一次産業、つまり自然産業を、自然を相手にする、そういう産業っていうのを減少させていくだろうっていうことはきわめてこれ自然必然って、あるいは歴史必然といってもいいんですけど、だろうということ、基本的にはそうだろうっていうことは間違いないことです。

 ですから、これはアメリカ案っていうのを、これを肯定しても否定してもそれはどちらでもいいわけですけども、しかしこれはどちらにもかかわらずやっぱり農業の問題ってのはいずれにしろ残りますよとか、あるいは農業が減少していくっていうことは残りますよ、こりゃ必然的に残りますよっていうことは、つまりそれを頭から払うことはできませんよっていうこと、それはよくよくやっぱりリアルな認識として持っておられた方がよろしいように僕には思います。僕には思われます。

 で、今度はそれと日米問題で、あるいはアメリカ問題でもう一つ関連があるのはそのいわゆるバブル経済っていう問題なんです。で、いま現在新聞種になってんのはようするに銀行のなんていいますか低利子における融資っていうこと、それから[聴き取り不能]と、もう一つは証券会社がその大手のっていいますか、大口の、つまり株売買っていうことをやっているその大口のその業者に対してその損害、たとえば株価が下がった場合に損害みたいなものはひとりでに保障、内緒で保障してたみたいなそういうことがあからさまになったっていうことを、そしてバブル経済で、ようするに証券会社とそれから産業との癒着だとか、銀行とそれから産業との癒着だとかいうふうにいわれて騒がれているあの問題です。

 で、この問題はつとに日米構造協議において、アメリカからつとに指摘されています。それでアメリカ側はそれでもって、日本の公正取引委員会っていうのはちっともやらねえじゃないか、つまりそれに対してそのメスを入れないじゃないか、つまりメスを入れて、ようするにこの株式問題についてのその前近代的な癒着っていうのに対してメスを入れない。で、系列会社とか自分の得意先だけに対して有利であるとか、企業グループが自分達だけでその社長会みたいなのを開いてそれで勝手にそのいろんなことを決めちゃって、そして外からとか外国からのその競争を申し入れっていいますか、それに対してそれを排他的に排除していくというそういうそのやり方っていうのに対して公正、日本の公正取引委員会というのは何もその厳格なメスを入れていないっていうことは、アメリカからつとに指摘されてしまっているわけです。つまりその問題がいまあの出てきているわけです。それからこの闇カルテル、あのサランラップみたいなので闇カルテルをつくっているみたいなことも最近指摘されて、そして公正取引委員会のほうの注意、検査、立入り検査を招いているっていうようなことがありますけど、その手のことっていうのはなんていいますか、あの資本主義の経済関係っていうのを透明にしろとか、近代的にしろとか、合理的にしろっていうような要求としてつとに日米構造協議でアメリカから、つとに指摘しつくされている問題です。

 で、それが今あからさまになってきたっていうわけです。あの表に出てきちゃったっていうことなわけです。で、誰が最初にあからさまにしたのかってのは、なかなか問題だと僕は思っています。誰が、誰がそのあからさまにしろっていうふうに、すべきだって誰が最初に言ったのかってのはたいへん問題だっていうふうに僕は思っていますし、えー、あの決して新聞社が先じゃないと僕は思っていますけど、それは日米構造協議でアメリカ、アメリカがもう日本の経済構造に対してあらゆるところにもうめちゃくちゃに正確なメスを入れちゃっていますから、それでやられているなっていうふうに、僕はそういうふうに理解しております。

 それならば逆に、そこらへんは今度はあまり声を大きくすることはできないのですけれども、それならば日本だって、えーと日本の経済関係のその学者、研究者、官庁っていうのはそのなんていいますかアメリカの経済のそのなんていいますかレントゲンで写すがごとく透明に分析、正確に分析しつくして、おまえとこの経済っていうのはここは駄目だよ、ここ駄目だよって、こんなことでおまえ戦争なんかやる気になるのはおかしいぞ、とかっていうようなことが言えるほど日本のなんていいますか、経済関係の研究者、学者それから官僚といいましょうかね、そういうのなのが政府の責任において、それだけの日本に実力がありましたら、たぶんその面からだけでもアメリカの中東戦争、つまりあの中東戦争への介入っていうのは、それだけでもあの充分阻止力があるはずなんです。つまり、あったはずなんです。つまり、おまえこんなんで戦争するつもりかっていうふうな、その指摘の仕方っていうのは充分できるはずなんですけど、残念なことにその日本のそのなんていいますか経済学者から、そのなんていいますかね経済関係官庁から、その実力がそれだけないんですよ。

 つまり日本がめちゃくちゃにやられ、もう分析しつくされているんだけど、アメリカを日本が分析しつくしているっていうことは、そういう経済関係だけでもないわけです。つまり、ありえなかった。つまり、完全に、それはちょっとね、あの、僕らはそうなんですけど、僕らはそう感じたんですけれど、この日米構造協議のアメリカの日本改造案っていうのが出た時、僕はもう、僕らなんかはものすごいショックを受けたんです。つまり、アッまた負けたのか!っていう、あの太平洋戦争で負けたけどまた負けたのかっていうくらいにショックを受けました。(笑い)つまり、それくらいもう重要なことなんです。で、これはもうほんとうに対等の実力で、アメリカの経済関係っていうのはどこに欠陥があり、どうなればこれ参るぞとかっていうふうなことを、どこを変えなきゃ参るぞってなことが指摘できていたら、そりゃやっぱり、それだって、それだけだってあのアメリカの戦争介入力っていうのをその抑制することができるのですよ。

 つまり、それくらい重要なことな訳ですけど 、残念なことに、全部そりゃもう逆なんですね。日本の方はあのとことんまでそういうアイデアも分析しつくされてやられてるんだけど、残念ながら日本にはそれにお返しするだけ、対等にお返しするだけの力が、っていうのは無いんです。これはあのようするに怠惰だっていえば怠惰であって、そういうふうなことに対しては僕らはもうあのたいへん衝撃的で、つまり、なんかやっぱり戦後、僕、ナショナリストじゃないんですけどネ、あの戦後やっぱり一生懸命になって、軍国主義少年時代の、青少年時代の自分を反省して、それでどこが駄目だったのかというので自分は一生懸命その勉強して、一生懸命、あの負けないぞどこにも負けないぞっていうように、一生懸命やってきたつもりなんですけど、まあこういうのが出てきてみると、もう衝撃を受けてしまいますね。つまり、こりゃ駄目だよっていうふうになってしまいましたね。大衝撃でしたね。だからこのことをとてもあのアメリカ問題、今後のまあ日米問題にとって重要だと思います。

 だから、このバブル経済問題でもって日本資本主義が駄目になるなんていうふうには、そういうふうな希望的観測なんか一切持たない方がいいですよ。だいたい資本主義が駄目になってどこへ行くつもりですかって、これよりもソ連よりもいい行き方ってのがやれる人なんか一人も、日本に一人も、日本の進歩主義者、社会主義者に一人もいないですからね。だからこれ駄目だっていったってどうするんだい、それじゃっていったってどこにも行きようがないわけですよ。それでいて前にも行きようがない。それじゃこのバブル経済ってのいうのはどうしておこっちやったかって、そしたらこのだいたいこれはアメリカに指摘されちゃってっていって、お前の方はアメリカに指摘できたかって言ったら、そしたら、できてない。これじゃ前にも行けない、後ろにも行けない、っていうのが日本の今の現状だと、僕には思われます。

 つまりこんなことを希望的な観測で、これだから日本主義が潰れるみたいに思ったらとんでもない間違いですよ。そんなことをまた新聞の中に巣くっているそのなんかそういうおかしな奴らがそういうことを、そういう記事を書きたがるんだけど、そんなのは絶体駄目、嘘ですよ。そんなことはアメリカがとうに言ってるわけですよ、こんなバブル経済の問題なんて言ってるのは。だからそんなことに、なんかこれでもって日本資本主義がどうなるなんて思わない方がいいですよ。あの希望的観測だなんて絶体ならないんですよ。だからようするに、これだけ駄目なんだよって、まあそして日本資本主義ってのはその退くことも駄目だし、先へ行くことも出来ないっていう、そういう状態に現在あるんだっていうことを、この現状認識だけはもう非常にリアルに把握した方が僕はいいと思います。そうじゃなければね、いけませんよ。どっかに希望がある、あるみたいなことをふりまいてる連中はたくさんいますけど、そんなのは駄目だし、それからここに従っていけば、アメリカに従っていけばいいみたいに思っている人もいます。しかし、しかしアメリカに従って、まあ従っていったっていいでしょうけど、あの悪く、悪いとは決して言いませんけどね、だけどこれでいいのかって、おまえこれで、あのね、こんだけやられておまえいいかいっていうようにやられて、やっぱりじゃあ、やられても何でもまあいいよっていう(爆笑)、あの繁栄すればっていうふうにいう人も居るでしょうけど、そりゃなかなかできない、やっぱり人格的にっていうか、言えばなかなか困難なことで、やっぱり悔しいなあとか、何とかならねえのかって、何とかならないのかって人にも頼むわけにはいかないけど、せめて自分のあれして分野で、分野くらいは何とかなるんだよって、どこにも負けやしないんだよっていうところまでやっぱり行こうじゃないのっていうそういう、そういうあれっていうのは、気力っていうのは出して欲しいみたいなふうに、希望的には僕はそう思いますね。

 つまり、それだけの問題はもう確実に出てきちゃっている。つまり、前にも行けないし後ろにも行けないっていうふうになっているっていう、まあ、だから結構なあなあのところでお茶を濁していこうじゃないかっていうのが、まあ日本の今の現状だと思いますけど。そういうところに日本っていうのは入っているっていうこと、それはやっぱりきちっとしとかなきゃいけないんじゃないかっていうふうに、僕にはそう思われます。

 で、さてそういう日本の問題に入っていきます。

 日本の問題です。で、日本の問題って、あの過去二回、日本の問題、農業の問題って、言ってきたつもりですけど、おんなじことは言いたくないですから、違うことを言ってみたいと思います。

 ここに、今、非常にリアルに問題になっている日本、米の自由化問題っていうようなものが起こっています。それで自由化反対論から自由化賛成論議までさまざま起こっているし、また米市場、日本の米市場内部ではいろんなことがまたそれぞれ起こっている。皆さんのところにもきっと起こっているだろうっていうふに思います。で、あの米の自由化問題っていうのが起こっていると。で、どうしたらいいのかっていう、どうしたらいいのっていうのは政府が決めれば、あの現在政権を担当している連中が自分達の責任上決めればいいので、我々はそんなことに責任を感じることは何もないわけです。ないわけですけれども、まあ、あのそのないという範囲を逸脱しない限界内で、いろいろ申し上げてみたい。

 で、ここにその米の自由化が、米が自由化された場合にどういう影響をようするかということを試みに試算したあのパンフレットがあります。で、それは東大の森島賢っていう先生達がつくっている米政策研究会っていうのがあるそうです。で、僕は知りません。ただそのパンフレットを読んだだけです。で、そのパンフレットで、その先生達が、あの米政策、米の自由化が現状でなされた場合にどういうことになるか、どういうことが起こるかっていう計算をしています。

 で、それでまずコストの問題、値段の問題です。現在の日本の米のコストっていうのはだいたいアメリカと比べますと、だいたい七倍、六倍から七倍だいたい高いです、日本の米は。つまり品質を仮に同じくらいだというふうに考えて、日本のお米っていうのは七倍から六倍高いわけです。ところでこれは、自由化されるとしますと、自由化されれば日本の米はもちろん現状から下がるほかないわけですよね、アメリカの方が安いわけだし、ほぼ同じような品質でも安いわけだから、それが自由に入ってきたら日本の米のコストは下がるだろうっていうことは誰でも予想できるわけです。仮にその試算したので、仮に五十パーセント下がったとします。そうすると五十パーセント下がったとしますと、その五十パーセントのコストの低下、米のコストの低下に耐えられる農家は三・一パーセントであってあとは耐えられないっていう計算をしています。それから仮に六十パーセント値段が低下したとする。そうするとそれに耐えられる日本の農家は、だいたい農家の戸数は、全体の0・三パーセントだ。つまり大部分はそのコスト低下に耐えられないだろうっていう計算をしています。

 それから今度は技術、つまり農耕技術っていうか農業技術ですけれど、農業技術の進歩によって、進歩だけによって現状の容認をする農家として、そういう形でもいいし、現状の農業技術でもって、それでそのコストっていうのをどれくらい下げられるか。紀元二千年に六・五パーセントなら下げられるだろう。それから紀元二千七年に九・五パーセントなら下げられる。それから紀元二千十年には十・八パーセントなら下げられるわけです。つまり技術だけに依存したとき、現状の技術だけに依存したとして、それくらいまでなら下げられる。だけれども半分下げるなんてもうとても技術だけでは夢のまた夢だっていうふうなことになるわけでしょう。

 それで今度は作付の規模、つまり農耕地、農地の規模ですけど、規模は現在を0・九ヘクタールと仮定して、それでだいたい二千年になってだいたい十九・三一、十九パーセント。それから二千七年になって十四、あっ、いや十九・三ヘクタール。今、現在を0・九ヘクタールとして、で、二千年に十九・三ヘクタール。それから二千七年に十四・二ヘクタール。それから二千十年に十二・五ヘクタール。エーと、そのくらいの規模に大きくすればっていうことでしょうね。だから十二パーセントから二十パーセントぐらいまで現状よりも作付規模をあの大きくすれば、つまり大規模経営にすればっていうことなんでしょうけど、そうすればだいたい四十パーセントのコスト低下に耐えられるっていう計算をしています。

 そのほかの計算もしているんですけれども、主なことはそのくらいなところです。それで結局何を、何をこのなんていいますか、米政策研究会っていうのは何をいいたいんだっていうことになるわけです。何をいいたいんだろうなっていうことになりまして、その時に確実にいえることは、技術的な進歩っていいますか、農業技術の進歩っていうのと農業の大規模化っていうことは、お米の自由化っていうことを前提とすれば不可欠だろうっていうふうなことだけは言っていると思います。つまり技術、技術っていうのはいろんな意味があると思いますけど、技術を発達させるっていうこととそれから大規模、農場を大規模化する、何らかの意味で大規模化する、そういうことをするっていうことはまず承認できる、誰もが承認できる不可欠なことではないかっていうことはこれでいっていると思います。

 それで、さてそのほかのことはあの人さまざまですけれども、そのほかのことは、僕は、言えてないだろうなっていうふうに思います。たいへんあの悲観的な観測をしていますけれども、僕はそのほかのことは言えてないなっていうふうに、いろんな意味でいえてないなっていう、だからそのほかのこれだけ読むと、もうこりゃ明日っから地獄だっていうふうになるし、あの自由化したらもう地獄だっていうふうになりますけれども、僕はそう思いません。つまり、その一番大きな要因ってのは何かと、これは農家の、こういう統計っていうのはいつもそうですけど、その方の主体っていうのがどうなるかっていうことを何も勘定に入れていない訳です。つまりこっちの農家自身がもうロボットなんだっていうことを仮定しないとこういうことはいえないんで、それに、人間ですからね、そのどう対応するかっていうのが必ず一方であるわけなんです。あるいはどういう工夫をして、この競争に耐えるかみたいなことってあるわけですよ。つまりそのことはちっともここには入ってないですから、あのこれだけ読んでこれらを普遍化することはできないっていうのが僕の考え方です。あの考え方で、でも確実に、ここに言っていることで確実なのは技術的進歩っていうのと農業、農耕地の大規模化っていうようなことが、いずれにしろどうしても誰が考えてもこれからのあの大きな課題になるだろうなっていうことだけは確実にあのいえそうに思います。

 で、この手のことっていうのに対しては、反対のデータっていうのも、出せるんですよ。なんていいますか、一方でこういうことがあるんです。つまり、こういうことも言えるわけなんです。つまり、あの貧困、貧困から離脱するためにはどうしたらいいのか、農業を止めればいいっていうこと、そういう一種の行為っていうのがあるわけです、行為、経済学、経済的な行為っていうものなんです。つまり農業やって、日本の農業やってれば貧乏しますよっていう、その貧乏から解放されるには農業止めた方がいい、止めた方がいいっていうのが一つの行為なんです。つまりそこが問題になってくるわけなんです。それが問題になってくる。だからいうんですけど、この米政策研究会の、これ真に受けて、それじゃっていうので、やろうやろうっていうふうにいったら、それいいかっていったら、僕はそうはいいませんね。あの、僕、あの公だったらまだ多少、あのいろんなこうなんて言いますか、こう婉曲な言い方っていうのをするだろうけど、例えば僕の親類が、親戚が、農業をやってそれでこういうので、こういうのになちゃって、うまくいかねぇんだいっていったら、まぁやめちゃえやめちゃえって、こういうふうに(爆笑)[聴き取り不能]親戚だったらいうと思います。親戚じゃなかったら、そんなことをいったら責任問題になるから言わないけれど、それくらい自然を相手にする産業っていうのは、とおりいっぺんのあれをすれば、それで貧困から離脱するときには、自然を相手にする産業から離脱するっていうのは一番、あるいは離脱資料がないというデータっていうのはまた一方では軽いのですよ。それでただ要するに、農業っていうのは必ずしも自然を相手にする産業かっていう、天然自然を相手にする産業かって、そうとも限らないんです。

 つまり、農業っていうのをハイテク化することもできますし、製造工業化することもできるのです。つまり、いくらでもできるのです。だからそれはここでいう技術的進歩っていうのに入っていくと思いますけど、問題が入っていくと思いますけど。あの農業だからいつまでも、こう何かそこから魚が泳いでくるのをこう待ってて捕まえるんだって、いつまでも漁業ってのは、いつまでも魚が入ってくるのを捕まえるんだとかで公海上へいって、イヤだぜ、ここから入るな入るなっていわれているのをまあ内緒で入って、その魚が泳いでいるのを捕ってきて、それが漁業なんだなんて思ってたらとんでもない間違いで、そんなものはいずれにせよ、ちゃんと、つまりこういう魚、つまり何とかの、鮪の習性はこうで、鯛の習性はこうでっていうのは判ってきているわけだから、だからそういうのを作っちゃうっていう、その回遊を作っちゃうっていうことはできる、つまりそう漁業だってそういうのになっていくっていうのは決まってるわけですよ。それから人工孵化しちゃうとか、それから回遊、回遊路をちゃんと作っちゃうっていう、それで別に人の国の公海だって、イヤだイヤだっていうとこ入っていく必要ねえっていうふに、なっていくに違いない。それでいつまでも魚が泳いでるの、こう見つけて捕ってって、そんな馬鹿なこと(笑い)[聴き取り不能]大間違いだから、あの必ずしも自然を相手、天然を相手にする産業だからいつまでもそうだっていうことはないので、それは高次化することはできるわけです。

 それは技術の問題で、それは例えば非常に簡単なことをいえば、例えば昔の、つまり十九世紀末のその経済学によれば、その空気とか水とかっていうのは使用価値がある、つまり有用なものだけどこれはタダだ。つまり交換価値っていいますか、それはないんだっていうのが一種の原則としてあったんだけど、今はそうじゃないでしょう。皆さんだって、あのなんか長岡の銘水とか何とかといって(笑い)、売り出したりしているわけでしょう。つまり天然の水だってちゃんと商品になっちゃうわけです。その場合にはなにかと、天然の水っていうのは使用価値、つまり使うときに有効なもんなんだけど、これは交換価値、つまり価値、あるいは価格っていうものはないんだっていうのが、あの旧来の、旧資本論の、もう基礎的な常識なんですけど、今では、それはやっぱり商品として交換価値があるわけなんです。つまりそれは何を意味するかっていうと、天然を相手にする産業がつまり高次化したって、一次元高次化したっていうことを意味するわけです。おんなじです、魚だって、あの何か、その何か泳いでいるのを捕ってくれ、きたらいつまでもいいと思っていたらそりゃ大間違いなんです。そしたら減っていくだけだから。そんなことやんなくて、人工孵化もするし、魚の性質っていうのはよくよくその水産学で判ってくる、きているわけだから、だから回遊を作るなんかどうしたらいいんかっていうのは判っているわけですから、それをやってそれで魚を捕るってようになるに決まっているわけです。そしたらほら、必ずしもその天然を相手にする産業だっていうふうに必ずしもいえないわけです。そりゃ技術の進歩によるわけですけども、旧来的な意味でのあれでしたら、要するに貧困から離脱するっていう唯一のあれっていうのは、要するに産業を高次化するっていうことなんだっていう、高次産業に従うことなんだっていうのは、もうそれは経済学上の一つの公理みたいなふうにしておさえます。


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