農業から見た現在1/3

***講座「吉本隆明・農業論」***

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吉本 隆明「農 業 か ら み た 現 在」(その一)

    一九九一年十一月十日 中越高等学校会議室


 今日は農業からみた現在の社会情勢についてのお話になると思うんです。

 つまり、ただたんに世界情勢というのではなくて、いままで二回にわたって自分なりの農業についての考え方みたいなことをやってきましたので、その続きといいましょうか、農業ということを関心の主体として、現在の世界がどういうことになっているかということについて、やっぱり僕なりの関心のあるところでお話してみたいというふうに思うわけです。

 あの、これ真新しいところから始めていきたいというふうに思うのですが、とくに真新しい日本から始めてもいいわけですけど、真新しい国際情勢っていうか、それもしかも日本と関係があり、日本の農業と関係がある国際情勢の問題から入っていったらいい、というふうに思いまして、そういうふうに考えてきました。

 で、早速入っていきますけども、まずソ連問題っていうのから入っていきたいと思います。つまりソ連問題っていうよりも、現在の社会主義国っていうものが持ってる問題が二つありまして、それは一つは国家の問題です。つまり国家ってのはなんなのかっていう、あるいは国家ってのをどうすればいいんだということが一つの問題。それからもう一つあります。やっぱりこの農業問題、土地問題です。あの土地制度問題です。つまり土地の私有とか公有とか国有とかっていう問題をどういうふうに考えたら考えられ、解決したらいいかっていうことが現在の社会主義圏の、あの解体崩壊現象を含めてでも、現在の最も緊急な問題になっているわけです。

 つまり、その始めに、農業問題にいく前に、始めにさっさとかたずけてしまいたいというように思うんですけども、それでこのソ連問題ですけど、これはみなさんまだ記憶に新しいように八月十九日にソ連でクーデターが起こったわけです。で、クーデターが十九日にどうして起こったかというと、八月二十日にようするに新連邦条約って後に言われましたけど、つまり新連邦条約っていうのが批准される、つまり決定される、調印されるあるいは決定されるというのが八月二十日であったわけです。で、それが決定されたら困るっていう連中がようするに八月十九日にクーデターを起こしたわけです。

 で、何が困るって彼等は考えたかといいいますと、八月二十日に批准される新連邦条約によれば、政治主権その他の国家主権っていうのは各共和国に全部ほとんど全部移される、移管するとすればソ連邦はどうなるかっていえば、各共和国の権限から委譲された権限の範囲内で各共和国間のいってみれば調整役といいましょうか、調整役を演ずるというか、ソ連邦はそういう役割をする。それで政治主権は各共和国に帰する。それで各共和国はそれぞれ自由独立に国際社会でも国内問題でも自分達で自主的に処理してゆく。連邦っていうのはただ調整役を演ずるっていうふうなのが、あの八月二十日に決定される、調印される条約案だったわけです。そうされたらソ連国はもう、ソビエト連邦ってのはおしまいじゃないか、つまり解体であり消滅じゃないかっていうふうな危機感を感じた連中がようするにクーデターを起こしたわけです。それは、そんなことは、どうでもいいわけですけど、どこにでも書いてあってどうでもいいことですけど、ヤナーエフっていう副大統領だった者とそれからルキャノフという最高会議議長ってのが主体になって、それでまずゴルバチョフってのが病気になっちゃったから政治はもう執れないから我々がやるという宣言を出しまして、それで同時に国家非常事態宣言というのを出して、それで自分達がこのソ連邦は掌握したっていう声明を発して、そういう準備を進めたわけです。

 で、あの、ところで、エリツィンなんかを主体とするいわゆる民主改革派といいましょうか、つまりロシア共和国を主体とする連中は、それは憲法違反で非常、クーデターに過ぎないのでこんなものは認められないというので、軍とそれから市民というのは自分達を応援してくれっていう、つまり自分達を守ってくれというような宣言をやっぱり十九日から二十日にかけてそれを発しまして、そこでクーデター派との対立になったわけです。ところでソ連のなんていいますか世論ていうか、つまりなんていいますか世論調査する前からわかっているわけですけど、世論調査によりますと、つまりクーデター派っていうのはいってみればソ連共産党であるわけです。つまり、ソ連共産党がクーデター派であるわけです。それで、あの、ソ連共産党に対する支持率、ソ連民衆の支持率は三パーセントくらいなわけです。それで、エリツィン等に対してはだいたい二十ないし三十パーセントくらい、今の宮沢政権くらいの支持率があったわけです。ですから、あの、いろいろ軍とかその諸官庁とかっていうのは全部クーデター派が掌握しているように見えても、民衆的な基礎っていうのは十分の一しかなかったっていうようなことがあるわけです。そして、このクーデーターは失敗するわけです。

 で、あの何が失敗したかということになるわけです。それは、日本のやっぱり社会主義的なイデオロギーもそうなんですし、世界中の社会主義イデオロギーはみんなそうなんですけども、これらの人達は、国家、つまり、クーデター派の人達、つまりソ連共産党の人達は、あの連中ってのはつまり国家社会主義者であるわけなんです、つまり、国家管理社会主義者であるわけなんです。つまり、だからソ連邦が単なる調整役になってそしてようするに各共和国に主権が移るっていうことはあたかももうソ連邦が終わりになっちゃった、ソ連邦国家ってのが終わりになっちゃうのとおんなじだという感じ方をしたわけです。

 しかし、そうではないのであって、つまり逆な面からいいますと、国家っていうものがようするに単なる調整役になっていくっていうことは、国家にとってはやがてそうなっていく、どこの国家もそうなっていくべきその理想の形態の一つであるわけなんです。つまり国家っていうのは調整役、つまり権力じゃなくて調整役にすぎないっていうふうになっていくことが、だんだん移行していくことが社会主義国であろうと資本主義国であろうとそれは国家の理想なわけなんです。そんなものはちっとも、あのソ連邦自体が調整役になってあの各共和国に政治主権が移るってことはちっとも悪いことでもなんでもないんで、そんなものはもともとそうであるのがあたりまえなんであって、つまり国家は調整役であるかあるいは解体してしまうか、それじゃなければなんていいますか国家を、まあ僕等の言葉でいえば、開いてしまうということなんです。開いてしまうことはどういうことかといいますと、ようするに一般大衆の無記名の直接の投票でもって国家ってのはいつでもリコールできるという、そういうふうになっていれば国家ってのは開かれるわけなんです。いつでも開かれているわけで、それは一種の理想状態なんであって、理想状態に近い状態なんであって、それだからそれは当然なことなんでちっとも何でもないんです。つまり、危機でも何でもないんことであって、それでいいわけなんですけれど、いかんせん、そのロシアの社会主義者もそうですけども、だいたい世界の社会主義者ってのは国家社会主義者ってのが多いですから、なんか国家ってのが物凄い権力を持っててそれで統制していないと治まらないみたいな考え方ってのがあるもんですから、それを危機と感じて非常事態宣言を発してクーデターを起こしたんだけども、だいたいにおいてそうじゃなくって、エリツィンなんかに象徴される民主改革派っていいましょうか、民衆の支持率が多かったわけですけれど、そっちの方が実際上は勝ちを占めてそれでこのクーデターってのは失敗に帰しちゃうわけです。

 失敗に帰したってことは何かっていったらば、ようするにゴルバチョフ、つまりソ連共産党の当時の書記長ですけども、ソ連共産党の書記長を除いたソ連共産党がクーデターに失敗したっていうことを意味します。つまりそうなってきますとようするにどういうことになったかといいますと、ようするにゴルバチョフはようするに俺はもうソ連共産党を辞めたっていうふうに宣言したわけです。それでクーデターは失敗した。そしといて、それでお前達もようするに解散したほうがいい、解体したほうがいいってふうに、ゴルバチョフはそういう声明を発し、それから通牒をソ連共産党に発して、自分はいわば脱党したっていいましょうか、ソ連共産党を辞めてしまって、まあ権限としては今、ソ連邦の大統領ってのだけしかないわけですども、そういうふうにしてつまりクーデター派つまりソ連共産党に対して絶縁状をつきつけたっていうふうなところで一応そのクーデター騒ぎってのは収束したわけです。で、あのー、エリツィン等の方がその軍事力も何もなくて、エリツィン等を支持したのはモスクワ南部の、新聞に出てましたけども、モスクワ南部の戦車部隊と空挺部隊と、それからレニングラードのあの市民それから労働者っていう、それからモスクワの市民労働者っていう、それから炭鉱が、ソ連に大きい炭鉱が二つあるわけですけど、グドゥヴァルっていうのとヴォルタっていう大きな炭鉱です、そこの労働者がエリツィンを支持したっていうこと、それから極東軍、日本に近い、あの日本の北方領土に近いところですけど、サハリンつまり樺太ですけど、それからカムチャッカの軍隊があのエリツィン等を支持した。それからまあエリツィン等は、ようするにアメリカに対してクーデター派のあれを政府として認めないでくれっていうそういう約束をとりつけるみたいなことをした。それが政府としては少数派なんだけれども、民衆の潜在的支持率は多かったということで、十倍くらい多かったということで、だいたいこのクーデターは失敗したというふうになります。 それがまあ結局、何を、どういうことになったかといいますと、ソ連共産党はようするにそのクーデターの失敗を契機にしてついに国家権力を失ったっていうか、つまり国家権力の座からとにかく滑り落ちたっていうことです。それは、後は、つまり日本の共産党と同じで、共産党として存立していくかいかないかは自分達の問題であって、ただ国家権力を掌握する事態から滑り落ちてしまったっていうことを意味します。

 それからもう一つは、これは僕自身の考えかたになりますけど、国家社会主義っていう考え方、社会主義っていうので国家を開かずして社会主義は可能だというふうに考える、国家社会主義の考え方は、考え方ないし思想はここで終わったというふに僕は思っています。あるいは日本の国家社会主義者も多分ここで終わっているので、ただようするに弾圧もなければ、クーデターもしないから残っているように見えますけど、僕は国家社会主義っていう考え方はここでもって終わったっていうふうに思っています。これをどういうふうに克服するかっていうことが考えられない限り、日本の世界のやっぱり進歩派っていうのは、つまり国家社会主義者っていうのは、生きていくメドが立たないだろうっていうふうに、僕は思っています。それができなければ駄目だろうっていうふうに、僕はそういうふうに考えています。つまり国家社会主義的理念っていうのは終わりだ、負けた、敗北したっていうことを意味していると思います。それからもちろんあのソ連邦は一種の調節、調整役になって、それで各共和国がそれぞれ独立して、独立の主権を持つようになったっていうこと自体がクーデターの結果、あの本当ならばある期間がかかるはずなのに、クーデターの失敗の結果、即座にそれがそういうふうになっていったっていうことがいえるっていうふうに思います。つまりこの問題は、一つの重要な柱であります。つまり国家ってのはどういうふうになっていくべきか、あるいはどういうふうなのが理想かっていうことに対する一つの回答、一番新しい回答が、このソ連でもって八月十九日以降実現されていった、ということなんです。これがようするに、確かに僕もそう思いますけども、国家社会主義理念あるいは共産党による国家権力の掌握に、掌握して行なわれたその民衆の解放というのが、高度資本主義社会における民衆の解放というのに、負けたっていうことは歴然としているわけですけども、それじゃどうすればいい、どうなるのが理想なのかってことについて、あのソ連で起こった、起こっていることはまだ、依然として回答を与えていません。

 つまり例えば、エリツィンならエリツィン、ロシア共産党はもちろん一ヶ月後政治政党になったというだけだと思います。それから、じゃあエリツィン等がどうなったかといえば、つまりいちおう資本主義的な市場形成っていう、市場経済に移行するっていうことはうちだしていますけども、それは市場経済に移行するってことは資本主義社会を、あの資本主義を全面的にそのなんていいますか謳歌して、全面的にそこに立ち返るっていう、つまりロシア革命以前の状態の延長線に立ち返るってことを意味するのか、あのそういうふうに考えているのか、あるいはそうじゃなくて新しいことを考えている、事態を考えているのかということについてはまったくわれわれには判っていません。きっと、まあそういうことの模索の途中なんだというふうに考えられると思います。

 ところで、これは社会主義圏で起こった問題の一つの重要な柱であるその国家の問題についてのいちおうのその成行き、つまり収まりにつきるといいましょうか、それが今申し上げたことですけど、もう一つ重要なことは今日の主題であるその農業、それから土地制度っていうのはどういうふうにこうすれば、どういうふうになるのが理想なのかという問題があります。で、それに対して今まで判っているっていいますか、僕等に判っている、つまりということは一般に日本の新聞紙上とか雑誌とかをよくながめていると判っていることをまあ申し上げてみますと、ロシア共和国、つまりロシア共和国ではあのこの所有形態ってのはその農業問題であり土地所有の問題ですけど、それはあの個人所有を認めるってこと、それからもちろん組合所有も認める、ともかくそれはあるいは国家、国家の所有、国有、それから公有っていうそういう土地制度も認めて、しかし私有制度も認めるっていうふうになっていたように、移っていくってことぐらいは打ち出しています。で、それはどういうふうになっていくかっていうのはまずこれからのなんか問題になっていますけれども、だいたいにおいていままでに認めて、三パーセントぐらいしか認められていなかったその個人所有の農地ってのがこんどは全面的に、もしそうしたいならばそれを認める、あるいは終身貸与するとか、譲渡、つまり相続権も含めてその個人のそのなんていいますか借地権っていうのを認めるっていうようなふうに移っていくっていうことはきっと、あのじょじょに行なわれていくだろうというふうに思いますし、いま以上、三パーセントの個人の土地所有しかなかったんですけども、それが現在では、少なくともロシア共和国ではそんなことはないと、それに対して制限はないと、それからあの永代相続権も認める、そのなんか土地貸与っていいましょうか、それも認めるってなふうにいちおうはなって、そういうふうなことが盛んにこの現実に行なわれて、また移行されつつあるっていうふうに推定することができます。

 それからあのカザフの共和国の例ってのも出ています。ここでは、えーと具体的なことでいうと家畜、ここは畜産の盛んなところなんですけども、家畜の私有っていうのは認めるっていうようなことがいわれています。それから農地は相続権付で五十年間、国有の土地でも五十年間貸し与える、それでそれは相続してもいい、そういう形で、そういう相続権を認めるっていう形が出ているってなことが、これは新聞記事なんかよくみてますと、雑誌記事をみていますと、そういうふうになっているのが書かれています。それで、例が引かれているんですけれども、例えばそのカザフ共和国の首都の近くなんですけど、近くのソフォーズだから、国有の農地なんですけれども、そこでは例えば九百四十世帯あって、それで五千三百人がそのソフォーズに属しているっていう、つまり国有の集団農園に属しているっていうようなことですけれど、そのうち十七世帯が自営農業に転化するっていう、なんていいますかつまりこれは書類提出なんでしょうけど、書類を提出してそういうことにかかっている。それでこんどは、それが結構うまくいったりしたので、その何か自営業に転業したい、変わりたいっていうような世帯が十世帯以上新たに出てきているってなことが、新聞記事なんかに情報で出ています。で、具体的に出ているそのなんていいますか農業の問題については、そこらへんの農業と土地所有の問題については、そこらへんが具体的に出ている、つまり僕等に判る情報で出ている問題です。

 ところで、僕が見た書物の範囲内で一番はっきりしてて、はっきりものを言ってて、それではっきりした見解をもっていて、勿論それからはっきりしたその専門的知識も持っていてっていうふうな人の、これはソ連の国民経済研究所の先生している人です。農業問題の専門家ですけど、その人の考え方というのが一番はっきりしている考え方を出していますけど、それを申し上げてみますと、そうするとかなりな程度そのイメージがはっきりしてくるんじゃないかと思います。

 これはチーホノフっていう国民経済研究所の先生をしている農業専門家ですけども、この人が結局ソ連の農業問題について発言しています。で、根本的なことは何かっていったらば、ようするにソ連邦のその農業っていうのは根本的にいってみればレーニン時代の、つまり革命時代の、革命期におけるそのなんていいますか戦時共産主義っていわれていますけど、つまり食料徴発型の、ようするに徴発型のその農業政策っていうのがソ連邦の農業を牛耳ってきたっていうことを、それは非常に根本的な問題なんだっていうことをいっています。それでつまり何かっていいますと、本当はソフォーズつまり国有農場とか、あの公有農場、コルフォーズとか、公有農場ですね、つまりそういうところに、なんか農業の権限があるようにそのみかけじょうはっていいますか、形式上はなっていますけれども本当いうとそうじゃないと、本当いうとただ国家だけが、つまりソ連邦国家だけが農業に対して独占的な、つまりなんていいますか命令権と、独占的な所有権っていうのを、それから独占的な企業権っていうのを全部国家自体が、国家が把握していてる。いってみれば国家独占資本っていうのとおんなじで、国家独占だっていう。けっして各ソフォーズとかコルフォーズとかあるいはもちろん個人ですが、それがなんか自主的に運営しているっていうことは本当はないので、本当はようするにどんな種を蒔くかっていうことも国家が指定するっていうふうな形になっている。それから農産物の価格はもちろん国家が指定した価格にすると。で、またコルフォーズとかソフォーズが使う農機具とかそれから肥料とかっていうのも国家がようするに統制して、国家の命令で値段も決めるし、それから農機具も決めるっていうようなことも全部国家だ。決してコルフォーズやソフォーズが自分達の自主的な運営でもってやっているっていうふうなことはなくて、もう国家徴発型だっていう、国家食料徴発型だっていうふうなのが依然として、形式的にはいろんなこといわれながら、実質的にはそれがようするにソ連農業っていうのは支配してきたっていうふうにいっています。

 そしてこれはもう別のデータでもそうですけども、農産物の、僕なんかの見たデータでは、農産物の三分の一ってのは僅かに三パーセントの私有地でもってソ連では作られているわけです。それで、じゃがいもに至っては六十パーセントっていうのが僅かに三パーセントの私有農地で作られているってのが、つまりクーデターまでの、クーデター以前における、直前におけるソ連邦の農業の現状なんです。だから、つまりウクライナみたいな穀倉地帯を控えているのに、本当はその農産物ってのはもう三分の一以上、三分の一ぐらいはもう、全部三パーセントにしかすぎないない個人の農地で作られたもんだっていうふうになっちゃっていったわけです。

 それくらい停滞して、つまり何が停滞したかっていうと、つまり生産も停滞する、何を蒔くかっていうことも停滞している。それから機械農機具ってのをどういうふうに賄うかっていうことも停滞している。つまり全部がもう停滞していって、それでたった三パーセントの農地で、三分の一のソ連の農産物を作っているっていうそういうありさまにっていたっていうのが、このクーデター直前までにおけるソ連邦の農業実体であるわけです。

 で、これに対してチーホノフっていうひとは、これは結局根本的にはようするに戦時共産主義時代のようするに食料徴発型、つまり国家がもう欲しいと思えば何でも農産物を徴発してきちゃうというふうなその延長線上に本当はあったっていうことが非常に大きな問題だったんだっていうふうにいっています。そしてあらゆることが全部停滞してしまった。で、例えば農業機械を作るところってのはやっぱり、ようするに自分達の技術と設備に合うような農機具なら作るけど別に農民が必要だっていう、あるいはコルフォーズが必要だっていう農機具を作るっていうふうなことは全然しないで、自分達の機械設備によって都合がいいやつだけを作る。そしてそれをまわして、やたらに欲しくもないのにまわしちゃうってな、そういう形をとるってなかたちで、ことごとくそれはもう障害以外のなにものでもなくなってた、というのが根本の問題だっていうふに、このチーホノフっていう人は分析しています。

 それで、これらのなんていいますか歴史的な回顧っていうのも、検討ってのもしているわけですけども、この人はしているわけですけども、だいたい三十年代にスターリンがやっぱり強制的に集団農場を、あるいは農業集団化ってのを強制的にやったっていう、それで強制的にやったその農業集団化っていうのは実質上からいえばこれはやっぱり銃剣とその恐怖でもってそういうふうにさせたというふうなことで、強制収容所に収容された農家っていうのとそれから銃殺された農家っていうのとそれから強制的に移住させられた農家っていうので合わせて、それでだいたい三百万戸っていうのがそういうふうに強制的にその集団移住されたりそれから銃殺されたり、言うこと聴かんかったら銃殺されたりとか、あの強制収容所に送られたっていう。ほぼ二千万人位の死者っていうのをその時だした。結局これは顧みてみればスターリンの最大の犯罪だ。つまり民衆、とくに農民に対してそのやっぱりあの戦争を仕掛け、スターリンが戦争を仕掛けた。それで大体二千万人ぐらい殺しちゃったっていうふうに分析しています。それで、人工的に集団移住させられて農業集団化したっていうこのやり方っていうのが、大体最大の問題、ソ連における最大の農業問題なんだっていうふうにいっています。

 スターリンがそういうふうにやって、飢餓状態に達した農家っていうのとそれから死者をだしたっていう農家っていうのが五万と出た、そのそういう年でも決してウクライナなんかで穀物の、産物ってのは決して少なくはなかった。決して飢えて、なんていいますか飢饉というようなそういうことはなかった。それでも飢餓したというのは、大体百万から千万単位の飢餓死っていいますか、餓死者っていうのをだしたっていう。それはもうまったくスターリンの農民に仕掛けた戦争だっていうふうに、この人はそういう分析の仕方をしています。

 それでこの人が出している、クーデター以降ですけど、出しているその改善案といいますか、農業改革案っていうのを出していますけど、それはどういう部分なことをいっているかといいますと、第一にその土地はやっぱり農民に返した方がいいと、その土地は農民に返した方がいいっていうことをいっています。なんらかの形でもって土地の所有権っていうのを農民に認めた方が、認めるべきだっていうふうに第一にいっています。第二にそのなんていいますか、あのコルフォーズとかソフォーズってのは必ずしも解体させる、解体する必要はないけれども、その中でたとえば知り合いのもの同士が、あるいは気心のあうもの同士が小集団をつくって、そのなんていいますか協同組合的な農場ってのをつくろうじゃないか。それで自分たちで自主的に経営していこうじゃないかっていう、そういうのもやっぱりソフォーズ、コルフォーズの中でそういうのがあっても、それをやっぱり認めていかなくちゃいけない、認めるべきだっていうふうにいっています。もちろん個人の農業、個人で土地を借りて自分が農業をやりたいっていう、そういうのもまた認めるべきだっていうことをいっています。そういう意味合いでは、あらゆる農業の国有、公有の形も含めて、あるいは協同組合経営ってのも含めて、あらゆる農業の経営形態っていうのを認めた方がいいっていうふに、それで認めて、その中でなんていいますか競争も生じるし、赤字のコルフォーズとかソフォーズってのはひとりでに自然消滅していくだろう。だから赤字だったら自然消滅していくだろう。それは自然消滅にまかせた方がいい。それでだいたい想定される、それから予定されるソフォーズ、コルフォーズのなんていいますか赤字で消滅するだろうってのは、だいたい十二パーセントから十五パーセントぐらいはそれでもって赤字のために消滅していくだろうというふうに思うと、そういうふうに考えられると、それからあと三十パーセントから三十五パーセントのコルフォーズってのはある期間内にやっぱり存続しなくなっていくだろうっていうふうにいっています。  そういう形でいってみれば、そのなんか自然ていったらいいのでしょうか、つまり自然に、制約を設けずその農民に土地を貸したり売ったり、それから所有を認めたり相続を認めるような形を取りながらあらゆる形態の農業経営の仕方っていうのを農民に任せるようにすべきだ。つまりそれがソ連邦における農業問題、それから土地問題の一番の眼目にあるもんだっていうふうに、この人はそういう案を提出しています。それはだいたいにおいてロシア共和国とかカザフ共和国でやろうとしていることと、だいたい同じ事であるわけだと思います。つまりそういうのがソ連邦におけるクーデター以降の、あるいはこれを革命というなら八月革命以降のソ連邦で行なわれようとしている農業、土地問題についての改革な訳です。これが、それじゃ自然放置していったら、じゃあ資本主義社会におけるその農業の問題とおんなじ処にいくだろうか、あるいはそうじゃないだろうか、つまりいままでのソフォーズ、コルフォーズ形態をいちおうとってその経験をもっているわけですからそれがなんらかの形でプラスの方に生かされていって、それで資本主義社会における農業とはまたちがう形態をとるだろうかっていうことは今のところはまったくよく判りません。まったく判らないところで、つまりほんとに過度的な問題としてあるから、我々はなんかそういうことはよく注意して、どういうふうになっていくだろうかってのは、よくよく眺めていた方がいいんじゃないかっていうふうに思います。それは、あるいは資本主義社会そのものと同じ農業形態になっていくのかも知れませんし、なっていったらそれほど学ぶことはないでしょうけれども、もしまがりなりにもその過去半世紀に渡る、半世紀以上に渡る、あるいは一世紀近くに渡るその集団農業化の経験をふまえていくことがなんらかの意味でもってプラスに転化された形でその農業が、ソ連邦の農業がなされていくってふうなことだったら、それはたぶん我々、日本みたいなところでもたいへん参考になる。日本の農業なんかにとっても参考になる形態が得られるんじゃないかっていうふうに思います。つまりそれがどちらにいくのかってのは今のところはまったく判りません。今のところはもう、あの集団農業化ってのは悪であるっていうことだけがもう全面に出ていて、それを解体させるってことが、なによりも解体させて停滞を、農産物収穫の停滞ってのを全部とっぱらうって事がたぶん最大の課題になっていますから、どこへそれが行くかっていうのは、あの資本主義そのものの農業形態に帰って行くか、そうじゃないかって事は今のところ判りませんし決めることができません。だから、これはよくよくいろんな新聞雑誌とかに、その都度いろんな情報が載ると思いますので、それはよくよく見てご覧になっていたほうがよろしいかと思います。それの中に参考になるものと、もしかすると参考にもなんにもならんよっていう事になるのかも知れませんし、そこのところはまだ未定であるっていうふうなことが、ソ連における農業、土地問題だって事になると思います。

 がんらい人によってちがいますけど、僕らが考えている社会主義っていうものの基本的な柱っていうのは三つあるわけですよ。そして一つは先ほどいいましたように国家が開かれているっていうことで、つまり国家が開かれているっていう、ほんとはまあなんていいますかロシア革命でも、ロシア革命が成就したらもう即座にそれからその国家を解体していくのが本当なんですけど、それは様々の、つまり周囲の環境とか国際環境とか様々の環境があってそれがそう簡単にいかないとすれば、国家は開かれていなければいけない。つまりいつでも国家ってのは、なんていいますか一般大衆の国民ですけど、つまり国民大衆っていうもののその無記名の直接投票で、べつに代議士を通して投票するっていうんじゃなくて直接投票で、まあ例えばなんでもいいんですけどその規定は、例えば三分の二以上の支持者がなかったらその国家はもう解体する、つまり交替するっていうようなそういう法律自体を、法的処置自体をもっていれば国家はいずれにせよまず開かれている可能性があるわけですけども、それが社会主義っていうふうに考える場合、それは非常に大きな条件の一つ。それからもう一つの条件はやっぱりおんなじ事なんですけども、国家はようするに国軍を持たないっていうことです。国家の軍隊を持たないって事です。つまりそれもおんなじ事なんですよ。どいうことかといいますとやっぱり民衆の、一般大衆のそのなんていいますか無記名の直接投票です。無記名の直接投票で例えば三分の二以上の支持がなかったら軍隊を動かすことができないっていうそういう規定がなければ社会主義にはならんのですよ。で、ならんわけです。それからもうひとつはやっぱり土地、それから農業がそれに付随しますけど、土地所有制度っていう事なんです。で、土地所有制度あるいは生産手段のなんていいますか共有制度あるいは私有制度ってことになるわけですけども、それはようするになんていいますか各農家っていいますか、各農家のプラスになる限りにおいて、ようするに土地の公有とか国有とかあるいは生産手段の公有ってのは、プラスになる限りにおいて認める。それで矛盾するならばそれは止めるっていう事です。つまりそれは社会主義の大きな柱の一つです。

 つまりそうしますとソ連邦で、まずなんていいますか、ソ連邦の現在の、つまりクーデター以降のソ連邦の改革において、現在僕らが見えてるところで、僕らに見えてるところでまずこれが進歩だなっていうように思えるのは、ソ連邦のなんていいますか、ソ連邦がまあ調整役に、単なる調整役に転じてそれで各共和国に政治主権が移ったっていうなこと。移される・・・・で、各共和国はそれぞれ独立にその国際関係も国内関係もとりしきる。そういうふうになったって事だけが、今のところ我々がつまり外から見ていて進歩だと思える点はそこです。そこが進歩だと思います。そのほかの点は依然として駄目です。つまりやっぱり国軍、各共和国は国軍を持とうとしているわけですし、これはもうやっぱり一種の国家社会主義なんですよ。つまりこれは駄目なんです。つまりこれはやっぱり、軍隊というようなものは、国家っていうのは軍隊を動かせるってことはなくて、これは国民の過半数なら過半数がその無記名投票でこの軍隊を動かしていいっていうような投票がない限りは軍隊を動かせないっていうふうな、せめてそういう規程がない限りはそれはもう社会主義とはいえないので単なる国家社会主義にしかすぎないってことです。国家社会主義ってのは何かっていったら、それはファシズムにもなるしスターリン主義にもなるっていうそれだけのことです。つまりそれだけのものにすぎないわけです。つまりそれはべつにどうってことはないわけです。だからどうってことはないというより、それは資本主義つまり先進資本主義よりも民衆の解放が遅れたっていうことが歴然としたっていうだけのことです。だけど社会主義ってのは国家社会主義とは違います。だからこれは依然として、ソ連邦がそういうふうになっていく可能性っていうのはいまのところ良く見えていないと。見えているのはソ連邦っていうものが一種の共和国間の調整役に転じたっていう、ソ連邦国家ってのはいわば機能的な役割だけをするってなところに転じたってことだけが非常に進歩だ。つまりどんな立場から見ても、つまり人類の歴史の立場から見て、進歩だっていうふうにいえるのがその点だと思います。あとの点はちっとも進歩だというふうに見えてきていません。あと、土地制度あるいは農業制度がどうなるかっていうのはたぶん国内へいってみれば、ロシアへいってみればきっとさまざまな形で、さまざまな地域で、さまざまな試みがなされようとしたり、混乱が生じたりっていうふうなことになっていくと思います。それがまたどういうふうになっていくかってことは、これからを見ていかないとわからないというふうに思います。それが現在、ソ連で起こりました問題の中の非常に重要なポイントだと思います。

 つまりその国家がどうなっていくかっていうことと、それからなんていいますか農業問題がどうなっていくかっていうことを、その二つを、ソ連問題については、注目されていかれたらこれからも間違えることはないだろうっていうふうに思います。僕はそう思います。つまりそこへ注目して、それがどうなっていくかだっていうふうに見ていかれれば判断を間違えることはなかろうなっていうふうに思います。あの新聞とか雑誌とかっていうのはその時々の、つまり話題としてその面白かったり華やかだったり、あのこうなんかそういう胸が起こったのか知りませんけども、そういうことが大きく扱われてしまいますから、それにあのこうなんていいますか動かされているとなんか何が問題なのか見失ってしまいますけども、その二つぐらいを軸にソ連の問題っていうのを眺めていかれたら、たぶん判断を間違えることがないと思いますし、あのどんなに周辺の人が、エー周辺のあれとか世論といわれているまあ新聞なんかの、新聞とかテレビとか報道の傾向がどんなことをいっても大体その二つに照らして、間違ったこといっている奴と、合ったこといっている奴はすぐに判りますから、あのそういうことにあんまり惑わさらないだろうなっていうふうに思われます。それは政党、日本の政党についてもおんなじで、その誰がどういうことについて間違ったことを、どの政党が言っているかっていうことはすぐに判断できるだろうっていうふうに、僕には思われます。で、これがおおよそそのソ連問題についてのおおよその問題になっていくと思います。

 で、あの、今度はアメリカ問題ということになっていくと、これの方は少しあの皆さんの方も半分忘れかけられたかも知れないんですけど、これは九十年ですからエーと昨年ですね、平成二年ですね。昨年の八月二日にようするにイラクがクエートに侵攻した。つまりクエートを占領したわけです。それで、それに対してアメリカはすぐになんていいますかだいたい何をしたかといいますと、国連を通じて、あるいは直接にソ連邦のなんていいますか了解を取り付けて、それからフランスとイギリスですから、まあ中近東の地区にかって植民地を持っていた国ですけども、そういう国を主に語らってそれでイラクをすぐに海上封鎖して、海上経済封鎖をしたわけです。すぐに、それも即座に反応したわけです。即座に反応し、また逆に言うと即座に反応できたのはアメリカだけだっていうふうに言ってもいいでしょうけども、アメリカはそのフランス、イギリスを語らってようするに海上封鎖をやって、ソ連に対しては、もう大騒ぎ、自分の国内で大騒ぎしていることもあるわけですけども、あのソ連に対してはとにかく手を出すなっていう、つまり手を出すなという了解を取り付けてそれで海上封鎖をやったということのわけです。その後、海上封鎖のあげくにだいたい平成三年だから今年ですけども、今年のその一月十五日っていうのを期限にして、国連がそれまでにイラクがクエートから撤退しなければようするに武力を行使する、武力を行使するっていうそういう国連決議っていうのをアメリカが促進してそれでやったっていうことです。つまり決議を取ったっていうことです。つまりあの十五日以降は何をするかわからんぞというのは、もし撤退しないんならば、何をするかわからんぞという約束を国際的に国連を通じて取り付けたっていうことです。それでだいたい十五日が過ぎたっていうところで、アメリカはイラクを攻撃しました。そしてだいたい二月の二十七日につまり勝利宣言をしまして、それで停戦をやったわけです。それでだいたい停戦をして、少なくとも最小限イラクがクエートから撤退するっていうことだけは、まあ軍隊もその時に半分以上あの追っ払ってましたから、そういうことだけは実現したっていうところで、あの中東湾岸戦争ってのはいちおうのなんか終息っていうのを見たわけです。それでこれは、つまりこれに対して日本のいろんな反応があるわけですけど、日本国政府ってのは何をしたかっていったら、つまり一種の武力、国連に対して武力協力をするっていうふうな案を出したんですけど、これは国民っていいますか、民衆の大反対にあってこれは撤回した。そして結局何をしたかって、九十億ドルのその戦費を援助するみたいな、そういうところでこの中東戦争というのに対してまあ一種コミットしたっていいますかね。コミットしたっていうか、寄与したっていうか、参戦したっていうか、そういうふうな形になって終ったわけです。それでこれに対してさまざまな保守派それから進歩派、両方のさまざまな反応がありました。たぶん皆さんのほうもおぼえておられるっていうふうに思います。


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