民主主義の学校である「税」と

地方分権そして選挙



 ある私学の給与明細書に雇用保険手当がついていないことが話題になった。永いこと気がつかなかったとのこと。大変な経営者があったものだと思ったが、この業界ではそう特別なことでもないことが判ると同時に、いかに給与生活者が明細書の「手取り」だけにしか関心がないか、源泉徴収部分も含めて自分の給料だとの意識が薄いかを思い知った。省みて自分のサラリーマン時代も同様であった。そして欧米先進諸国の納税方法との違いが気になりだした。なぜなら「税は民主主義の学校である」という言葉を思いだしたからであり、我が国では税が民主主義の学校になっていないと感じたからである。

 他の諸国との比較については今後の宿題ではあるが、スイスからきた高校の先生の話では、スイスでは税を含めて一旦全てを受け取り毎月、本人が納税していた。それが面倒だという人は源泉徴収を選択することもできるとのこと。「行政が市民の財布に勝手に手を突っ込み税を巻上げていくのか」と日本のシステムには頗る驚いたようである。そして企業の総務・経理の仕事のかなりの部分にこの代行業務が課せられている。日本人には「お上意識が抜けない。近代市民としての意識が形成されていない」と言われる。その「待ち」「たかり」「逃げ」を助長しているものは担税意識の低さであり源泉徴収による納税制度ではないだろうか。税の一極集中が東京一極集中(官僚集権・過密過疎・東大を頂点とする受験戦争)から教育の歪み、地価その他の諸問題をもたらしている。石川県にあっては金沢への一極集中をもたらしている。

 政治とは住民・市民が「いかに社会的費用を負担し」、それを「どこに集め」「どのように配分するか」に帰結する。費用をヴォランティアとして労務の提供に替えることもあるだろう。民主主義とは、それを住民・市民がみずから決めることにほかならない。勿論、多くの場合、個別の案件は選挙を通じて代議制で決することになるが、ここに納得して納税や労務の提供などに応じて貰える政治が求められるわけである。また脱税などのルール違反、税の無駄遣いや汚職を許さない住民意識が強まることになる。

 戦後の高度成長経済のもとでは税の自然増収があり、「どのように配分するか」というか税収入に拘らず「どれだけ分捕ってくるか」だけに関心が集まっていたのではないだろうか。しかし安定成長またはゼロ成長、場合によってはマイナス成長の経済にあっては連邦制への移行などによるイノヴェーション効果を求めつつ、「いかに社会的費用を負担」するか、「どこに集め」そして「どのように配分するか」をあらためて考えなおさねばならなくなっている。もはや肥大して金銭感覚の麻痺した中央集権体制のもとに税を集中管理させるわけにはいかない。

 各自治体政府の財政は自給自足が原則であるが、中央依存に馴れ切った多くの自治体には職場も人も、従って税収も少なく財政調整をする必要がある。これまでの調整は税の約6割を国庫に集め地方交付金として分配し、更には財政投融資資金で中央官僚による統制の道具となってきた。地方分権=地方主権を実効あるものとするには、従来のものを垂直的調整とすれば、これからの地方財政は中央を通さない水平的調整−horizontaler Finanzausgleich−(連邦制の国々の調整方法)によるべきである。

 市会議員は国会議員や県会議員の下であってよいのか。もしそうならば住民市民は市会議員以下の存在である。今の多くの立候補者は無所属を名のる者さえ相も変らぬ税配分の流れの中に身を置こうとし、系列選挙を行ってはいないか。議員は地域利益や、企業利益の代表だけでよいのか。従来の候補者名を書く議員を半分にし、残り半数は近視眼的な一部の利益を代表するものではなく、世界と将来に向合う地方政党に投票して政策の順序を争うべきではないか。地方議会選挙への比例制導入を問いたい。

「ドイツと日本」では「およそ財政権に関する決定は、同時に国内における権力の配分をも決定する」という言葉を引用しております。

文中の「スイスからきた高校の先生」は、ジュネーヴの高校へ、家賃の安い、車で15分ほどの隣町・フランスのジェックスから国境を越えて、通勤していたそうです。
スイスとイタリアの二重国籍で、EU域内ではイタリアのパスポートの方が何かと便利なのだそうです。
今までの議論に未だ加わっていなかった渡辺氏からの意見

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お寄せ頂いたメール
Date: Sat, 19 Jul 1997 00:49:14
From: fujita akihiro

徴収されている税は、個人の人格を無視しているのではなかろうか。特に、会社と言うがんじがらめの無性格な社会では、ほんとうの意味での個性は、隅に押しやられむしろ、差別の温床になつている。特に、セクハラ等はその証明と言える。
自分で税の申告ができる、将に、民主主義の基本ですね。もつともつと、この問題を「学校」として、色々な意見を累積していきたいですネ!!!
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