労働市場の中の政治


 平成7年の統一地方選挙が終わり代議制民主主義で最も大事な選挙の形骸化・空しさをツクヅク感じている。それは立候補者の多くの質の悪さと、それを許してしまう立候補者数の少なさである。さらには無投票当選の首長・議員が多出するにいたっては何をかいわんやである。高学力者・高学識者の被選挙権行使を妨げているものを除去すべきではないだろうか。そして我々多くの有権者はイコール被選挙権者なのである。

 「候補者の減少は、選挙という政治の世界での競争が巨大な選挙資金とそれが水泡に帰すという危険を伴うことから生まれているという点である。安全を求める候補者たちの姿勢そのものが、元をただせば、政治家という職業に付随するコストとリスクがあまりに大きくなったことに由来している」と大嶽秀夫京大教授は4月2日付け朝日新聞で述べている。そして「民主主義は、競争、すなわち落選の可能性なしには成立しない。日本のように転職が困難な社会では、落選というコストは極めて大きい」とつづけ「社会、経済全体に、個人レベルの、転職を含めたオープンな競争原理が働くように改革を導入する以外には、政治と社会全体の制度的ミスマッチ(不整合)を解決する方法はない」と結んでいる。

 選挙とは政治家を期間限定の年俸契約で採用する制度である。その期間は概ね任期4年間(参議院では6年)ということになっている。そして期間満了後も引続き採用するか別の人に替って貰うかを決める制度であったはずである。ところが、我が国では政治家の終身雇用化、年功序列、更には世襲すら当然と化している有様である。

 政治家という職業も経済学的には労働市場(Labour Market)の中で位置付けられるはずである。この市場では今のところ需要は定員数によりほぼ一定であるから、品質は倍率により、倍率は供給量すなわち立候補者数によることになる。関数論的には

   品質=F(倍率)=G(候補者数)   とあらわすことができる。

このことから、定数一定を排し、例えば立候補者数の半分を定数とし無投票当選を無くすることも一案であるかもしれない。

 終身雇用は年功序列をもたらし、就職時の学閥や縁故による採用を助長している。これは労働市場の硬直化をもたらすだけでなく、一方で利潤極大化ではなく市場専有率(シェア率)優先主義の経営をもたらし、貿易の大幅黒字から極端な円高の遠因となっている。他方で価格の弾力性ことに下方弾力性を奪い、円高が消費者に還元されない一因ともなっている。またこの終身雇用制を前提に日本特有の職場単位の労働組合が形成され、社会党も旧民社党もそのような組合に依存してきたのである。

 この小論で言いたかったことは「政治家の雇用形態を民主主義の本来あるべき状態に戻すためには、その他の職種の雇用形態も整合性のあるものに改めねばならない」ということである。これには多くの消極論と悲観論、或いは反対論が呈されるかもしれない。しかし、ドイツは二度の敗戦を経てようやく民主主義を確立した。戦う民主主義− Streitbare Demokratie −、それは最も民主的といわれたワイマール憲法がナチスの台頭を許した反省にたつものであり、自由と民主主義を侵すおそれのあるものに対し非常に戦闘的といわれる。日本は未だ一度の敗戦しか経験していない。その一度の敗戦でドイツの二回分を成し遂げねばならない。先ずは官(教員も含め)より始めよ。


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