日暮らし通信:プレイバック=1/2=

吉田 惠吉

無題(90/02/17)
 Cが留守の週末なんてあっただろうか、とMacを立ち上げたいま思っています。N君がコピーさせてくれたワープロソフトのテストを兼ねて入力を開始。変換のスピードの速さに驚いています。このZeroByWord(ソフトの名前)はいける、という感じです。入院中のCには関係のない話ですね。でも、紙と鉛筆でできそうにないことをしてくれそうなMacだから、こんなことをやり始めました。

 Macの隣りのDoDeCaHornではスタン・ゲッツのテナーが快調です。依頼テープのリプレイのB面です。小学生に聴かせるジャズ・テナーなんて、なんじゃらホイと一瞬迷ったりしていたら、なんで村上春樹があんなにジャズやロックを引用するのか見当がついたような気がしました。

 Aはたぶん、“ねるとん‥‥‥”を見始めたころでしょう。明日の朝、テープと雇用願を届けてくれるなんて言っていましたが。

 A面は予想どうりソニー・ロリンズ、ただし内容は“ウエイ・アウト・ウエスト”のB面の三曲です。ゲッツは迷ったすえ“フォーカス”からの四曲にしました。

 ダビング後も“オペラ・ハウスのエラ・フィッツジェラルド”にまで手が伸びたり、一杯のつもりのワイルド・ターキーが三杯になったりして?

 ジャズとは縁遠くなっていたはずなのに。隣りにCが居ないからか?

 六週間の別居なんてお互いの結婚前の二十四年間と、二十八年間に比べたら短い、短い、なんていえませんか。死が二人を分かつとき、などと考えることはあっても、ケガで引き離されるなんて予想も立ちません、でしたね。

 暖かい二月の土曜の午後、スキー日和というよりサイクリグ日和という感じに反して、若葉台の先生にお礼と支払を済ませ(図書館の本の借用を頼まれ)たり、夕食後はAに「週刊ベースボールマガジン」を買いに走らされ(おかげで探し求めていた『マッキントッシュバイブル』日本語版と『ロバート・メイプルソープ』写真集まで入手できてゴキゲンになれ)たりした。

まっくるしーと第三号(90/02/18)
 昨日に続いて、ワープロ・ソフトのテスト中‥‥‥
 それにしても今日は疲れてしまった。休日の講習会なんて二時間が精一杯。午後の二科目はほとんど寝ていた。昼食時間の買物と、休憩時間の結婚式のやらされショウの見物が唯一の息抜きだったね。講師の話がつまらない。LDで見たローリー・アンダーソンの“トーク・ノーマル”や昨年の長岡での『講座・吉本隆明農業論Pt.2」みたいだったら、一日でも我慢できるのに。でも、Aが二時間もかけて作ってくれた夕食はうまくて、疲れも消えてしまった。

 「ヒロセ・スポーツ」の姉さんは、なんでうちの客にケガが多いんだろう、お祓いしなきゃね、などと叫びながら、なんと、スエット・タイプのトレーナーをお見舞代わりに半額にしてしまった。Cの事故を話して儲けてしまった。新製品の発表前で在庫処分だろうけど見立てを気に入ってくれるといいんだが。お店の親父さんも、お大事になんていってくれてましたよ。

 なんか、まるでパソコン通信気分で(やってもいないのに)書き込んでいるみたいだ。今までMac付属の簡易ワープロTeachTextしか知らなかったから、このZeroByWordの変換スピードは実に快適だ。MacPlusにこんな速度があるなんて知らなかったね。ベッドの中にポータブル・マックを(十万円くらいで)持ち込めたら、好きな時にフロッピー・ディスクを使ったスニーカー・ネットワークで言葉を交わしたり、ゲームも楽しめるのに!六週間もMacとつきあえばAに太刀打ちできるようになるかも。

 でもこの日本語ワープロは縦書きができないみたいようだ。詩には使えないね。前に、「まっくるしーと」第二号として、おまけソフトの旧版EgBook(縦書き可能)で、八十年代に書いた十数編を私家版詩集として作ってみたけどあまりのひどさ(器も中味も)にあきれて、放り出してしまった。それで、八十八年の誕生日に作ったのが初号、昨日の通信が二号。そして、これが三号としました。幻に終った詩集のなかのひとつを横書きで読んでくれますか


   風のあとさき

 家中の窓を開け放つ
 触ってくれていいんだよ
 手垢で磨きあげた自転車のように
 走りすぎていくんなら
 記憶の渦の縁に沿って
 みんなもではらってしまった

 柔らかい風のなかの河原がいい
 ゆらぐビルの街の谷間からの月見としゃれて
 騒音にさらされる水の中
 河口まで走れ思いっきり
 誰もいない空っぽの駐車場
 すてられたウォークマンも唄ってる
 光と闇が踊る
 はじめての展望台はたまらない
 飛び越す足が凄いのだ

 言葉に頼っていいのだよ
 持てるものなど少しもなくて
 つかまるところもないのなら
              (1989/9)



まっくるしーと第四号(90/02/19)
 春一番が吹き荒れたあとのきさらぎ選挙も終って静まりかえった街に、ときおり名残の風が渦巻いていた。自民党の安定多数ということで、大衆は「現状維持」を選択したのだ。高かった投票率が野党第一党としての社会党の得票をてこいれしたかたちになったが、これとて「現状維持」の枠を一歩もでるものではない。「消費税」が象徴するアジアの一角の〈現在化〉革命はその一歩を標したのだといえる。この十年、「中流意識」は経済社会的な主役を演じさせられているだけで、まだ物質的な豊かさを相対化するだけの内蔵を持てないでいる。わが大衆が、ほんとうの脳とほんとうの臓器を健やかに働かせて暮らせる日はまだ遠い。

 わが家の影武者がいないと晩酌を分かつあいてにもこまって、夕食もさっさとすんでしまう。おふくろがバテないように、とねがうばかり。まだ月曜の夜だというのに、なんとなく家族全員調子がでないようだ。腰がつるくらい、よく寝て、食べて、しっかり回復なんてあるのだろうか。見舞金かき集めて病院抜けだして、パーアッと派手にやったらみんなノリがよくなるかも?

 [スキャン画像略]


まっくるしーと第五号(90/02/21)
 今朝もでおくれたAが追いかけてきて「今ソ連や東ヨーロッパでやられていること、なんていうの?」と尋ねてきた。てっきりトンチ問答と思ったが、機知ある返答ができかねて「ソ連はペレストロイカ、他は民主化要求」と窮してしまった。お互い、通学・通勤途上なのに、駅に着くまでマジな話になったのだ。新聞・TVに代表されるジャーナリズムの報道だけでは、どうも分からないことが多すぎる。ルーマニアのチャウシェスク大統領が孤児を徴兵した軍隊を私有していたこと自体が不可解なのに、その私兵をさし向けてデモ隊を殺させたとなると何おか言わんやである。その後、捕えられた大統領はといえば、納得のゆく裁判を受けた様子もなくあっさり殺されてしまった。中国の天安門広場の出来事とは毛色の違った得たいのしれないイメージが東欧の一角から繰り出されているというのに、いままでのところ、どこからも説得力のあるフォローがなされていない。『新潮』三月号誌上での、西武のボス辻井喬との対談における吉本隆明の発言も事態の核心までは衝いていなかった。

 戦後四十数年間の大衆の生活が「国家社会主義圏」でとくに遅れをとったことのツケをゴルバチョフに代表される為政者たちが支払わされているんだといってみたって、娘に通じる訳はない。モスクワにパソコンを持っている人は十人といない、ポーランドじゃ私的コピー機なんて夢だった、等というと、「ウッソー」とはねかえされる。両機器とも自宅でお好み次第で使っている当人にしてみれば無理もないが、一方では、母親がパートタイマーの分際でアキレス腱を切ると即刻クビになってしまう「社会国家主義圏」の現実も受けとめざるをえない。フルタイマーの父親にしたって家族全員が週休二日制を享受するだけの賃金を獲得していない。あるがままの自分なんてチャンチャラおかしくなってしまった今、本来の自分にも、役割としての自分にもゆきあえず、ただやみくもにおいたてられるのが関の山なのだ。

 なんにもなりたくなかったのに、何かをさせられ、生きさせられているという点においては(たぶん)共有するところがある二人だったから、これからも平凡を目立たないように、積み重ねるいがいにない。観念して、つかの間の静養をつくりだして、愉しんでおくこと。

 「脱」主婦、「脱」パート、「脱」母親、「脱」妻、「脱」女、「脱」思いつくもの何でもかんでも、しっかり味わっておいてください。


まっくるしーと第六号(90/02/21)

     あなたがスポーツをすることができないのは、ほんとうに残念に思います。それこそ、あなたにぜひ必要なことでしょうに。ご両親になっとくしていただけるよう、一そう努力してごらんなさい。せめて、山々をたのしく歩きまわることだけでも禁止されないようにねがっています。山へ行ったら、わたしのかわりに山によろしく言ってください。
 工場にきて、わたしも気がついたことですが、体力や、敏捷さや、目のつけどころの確かさにおいて欠けた点があると何もかもががたがたとくずれてしまいそうな、うちひしがれた気持ちになります。この点においては、あわれなことに、二十歳より前に身につけておかなかったため、今となってはもうなにひとつ取り返しがつきません。あなたはできるだけ、筋肉や、手や目をきたえておいてください。このことはどんなに言っておいても、言いすぎはないはずです。こういう訓練をしておかないと、自分にはどこか不完全なところがあるような気がするものです。(シモーヌ・ヴェイユ「ある女生徒への手紙」1935年)



 スポーツ少年団のバドミントンで子供たちの相手をはじめてから、こういう言葉にであって思わず内心で、唸ったことがあった。今まで、スポーツについて語られた言葉としては、最上の部類に入るのではないかと思っていた。五年前と、先週の日曜と、二度のスポーツ指導者講習会で幾人かの講師の話を聴いたが、通り一遍で過ぎ行く話ばかりだった。まったくスポーツにかかわりないような人が、えてして名言を吐いている。


 手足を動かすことが機敏であるか不器用であるか、身体が動作によって体得するかしないかは、〈知〉の系列とはまったく異う別の秩序や系列を構成できるものだ。心は屈辱を感じなくても、身体がそれを感じ、心がそれに追従することはありうる。これもまたヴェイユがはじめて体認したことだった。知識が冒険を忌むのに、肉体は冒険家であることも、逆に知識は冒険家であるのに、肉体は臆病で冒険を忌むということも、一個の人間の中では起こりうる。
 ヴェイユはこのことをはじめて発見した。ヴェイユの女生徒への手紙は、とてもいいものだ。スポーツをして、機敏な身のこなし[下線部傍点]や、筋肉の動きや、体力を獲得すべきだ。若い男女たちよ。それで健全で明るくなったり、他人を残酷に扱ったり、圧伏したりするためではなくて、そんなことはほんとは身体の不器用さや、体力の弱さにくらべて、誇るべきものでも何でもないことを体得するためにだ。またもし若い男女たちよ。じぶんが学生だったら、また生涯の生活が学生の延長だと思っているのなら、知識を飽くことなく獲得すべきだ。それで他人や、知的不器用や知的でない大衆を圧伏したり、侮蔑したりするためではなく、知識は〈富〉とおなじようにあっても決して耻ではないが、誇るべきほどのものではないことを、ほんとに体得するためにだ。(吉本隆明「シモーヌ・ヴェイユについてのメモ」1986年)



 これまでとは違って、一人で校下のバドミントン・クラブの練習に出かけたらいろいろ思うところがあって引用の多い通信になってしまった。最小の筋肉の動きと、強度の神経の緊張を強いられつつある端末作業に直面しつつあるわれわれにとって、スポーツはまた新たな局面を展開してきている。ということを指摘して、裏面にはみだしてしまったが、終わりとしよう。まったく一方通行の通信ですが、もし言いたいことがあったら余白に書いて返してください。


まっくるしーと第七号(90/02/22)
 [スキャン画像略]

 帰りがけに医薬大の病院の花屋さんを覗いた時の気持ちをイラストにしました。このワープロ・ソフトは絵も文字と同じように扱えそうです。何号か前にブルース・ブラザースのイラストを入れようとしたのですが、失敗しました。

 ベッドサイドにいつも花や絵があったら、同室者のいびきなんかも緩和されるのにとおもったんですが、このような代物でガマンしてください。


 昨日の夜の富山テレビで、チャウシェスクの処刑にまつわる報道番組をオン・エアしていたんだけど、疲れて寝てしまって見損ないました。たぶん、「文藝春秋」三月号のルーマニア関係の記事のビデオ版といった中味ではなかったか、と見当をつけているんですが、チョット残念でした。雑誌の記事はコピーできたら見せてあげます。辻井、吉本の対談コピーも一緒に読めばいいかもしれませんね。

 読む気にならないで、持って帰った文庫本は、日記体のリズムとでもいうような文体ですね。これじゃ病室で読めなくてアッタリマエダノクラッカーを齧るようなものです。スポーツでも、読み物でも、映画(ビデオ)でも、つかの間の脱出感覚、我を忘れさせてくれるものが、おいしくて、カッコいいと思います。そんな〈現在〉的な評価の基準をクリアしている本を届けてあげたい。


 食後に、Aと久しぶりにテトリスをやりました。二人ともまったくだめだめおよびじゃない、のワンパターンでした。つかずはなれずといった、微妙なレベルでの反復が好結果をもたらす。パソコン・ゲームの教訓ここにあり。お粗末さまでした。


まっくるしーと第八号(90/02/24)
 二月の雨の狂い咲き、夜を濡らしてなまめかし、春二番の後のやけに暖かい毎日をくるむように週末の雨が降る。凍える思いで待った通勤バス、弾む感触の新雪を舞い上げたゲレンデ。なんと落差のある如月。

 テトリスに誘っても、一度しか乗ってこないくらいAはがんばっている。三月から大学受験ラジオ講座にのりかえるといって予約を済ませ、「高校コース」を止めてしまった。軽くて中味の重そうなTimeも届きはじめてパソコンどころじゃないといった顔をしている。たった一回でもカルーく一万点をクリアしてしまい、中味で勝負といったところなんだろう。五百点以上の差をつけられてしまった。今夜は、午前様にならないように寝るらしい。孫に負けないくらい、おふくろもやってくれています。

 鍋物をつつきながらの夕食の話題に、二人が離婚してこんなんだったらどうだろうなどと、今どきゴッコで戯れました。学校で覧てきた液晶テレビ画面の内蔵の映像からウンコ話になり、若葉台の先生用に持ち帰った「人体解剖カラーアトラス」を眺めて、食後は幕となりました。

 [イラスト略]

 きょうはスーパーペイントからの、イラストのペーストがうまく生きました。昨日駄目だったのが、嘘みたい。マックデツクルルンルンシートのリズムで踊っているのは、ダン・マックロイドとジョン・プラースでした?

まっくるしーと第九号(90/02/25)
 二月の終わりを降り込めるような小雨が糸を紡ぐ日曜、姉さん一家が訪ねてくれて賑やかでした。お昼は松の寿司(モチ、出前だけど美味かった)、晩は差し入れの煮物があったりして、おふくろは大助かり。みんなでTV観戦した“横浜国際女子駅伝”では、大笑い。第四区間だったか、首位に肉薄していた中国選手のブラジャーがランニング・シャツの上にはみだしてスピードが鈍ったり、四区の松野明美のトップをひきついだ大和撫子はハイレグにすればいいものを、ランニング・パンツの裾にパンティを覗かせて力走していた。とどめは五区の中継点のソ連のリレー。トップの日本にくっつくようにとびこんだのに、タスキを渡す第五走者がいない。キョロキョロする傍らで、あせってたたらを踏む片方の足首からトレーナーを脱がせようと役員が引っ張っていた。十秒以上のロス・タイムだったね。駅伝役員の不手際だったんだろうけど、ソ連のアンカーのがんばりからみて、あのハプニングがなかったら日本女子選抜チームの初優勝は危うかった。それにしても、日本の女子ランナーの肢体は良くなったものだ。雨中を疾走する姿に色気さえ漂う。

 まさか毎晩歯をくいしばって机に向かっている訳でもないだろうに、Aに親不知が生えてきたようだ。昨晩からじゃんじゃんかかってくる数学コールにすらすら対応したり、ひょっとして知恵も生えてきたらいいのに。松苗あけみ(先生)の「山田君と佐藤さんハイスクール編」みたいなかわいげを秘めた高校生活とも縁があるのだろうか。少女マンガがクリアしてしまった世界なんて、中年女性たちはどこに置いてきてしまったんだろう。がさつさだけが化粧となって、成熟の魅力、珠玉の気柄を秘めた肢体は、たとえば大島弓子の漫画のなかにというわけだ。男たちはといえば、あいかわらずアジア的な感性のニヒリズムの泥沼であがいているだけなのかもしれない。少年漫画のつまらなさがクリアされないわけだ。

 [スキャン画像略]


まっくるしーと第十号(90/02/26)
 あゆちゃんの簡易ソバージュ、なんて学校で呼ばれるくらい、おふくろの三つ編みもうまくなってきています。高二最後の期末テストも好スタートを切ったようで、今夜はしきりに漢字の読みを聞いてきました。察するところ、漱石の「こころ」あたりがテスト範囲みたいだ。「お嬢さん」をめぐる「K」と「私」とのきつい人間関係の原型を授業でやってテストするなんて凄いね。いまどきの高校生は、どんな消化のしかたを見せているのかな。とくに「K」の絶対的な受身の姿勢なんかを。想像もつかない。にっちもさっちもいかない壁を前にして、おのれの影を踏むようにして、人間はひとつの放棄の構造をくぐりぬけるとはどういうことか。人倫とは何かという、きついけれど、それゆえの問いに値する答えを探し求めて、漱石はバッタリ倒れてしまった。以来、漱石的な主題の継承は、どんなふうに究められてきているのだろう。きっと教える先生だって、大変だと思う。

 [スキャン画像略]

 病室を通過してゆく入居者だけが病んでいるわけではない。〈現在〉という世界自体が、病なのだ。症状の露出の度合はますます激しくなってきている。視える人と、視えない人、ふた色の存在がいっそう色濃くなってきている。そして、対症療法を説く言葉は巷に溢れかえり、根源的な治癒の言葉を探すものは、命が現在と遭遇する時空にいたる地図をまず作らねばなるまい。〈現在〉の「漱石」はいま、どこで、何を書いているのか?

 休めるときには、テッテ的に休んでおくこと!


まっくる通信 第11号(90/02/27)

 [イラスト'90Jan.-Jun.カレンダー略]

 第十一号から装いも新たに、カレンダーをお届けします。たったこれだけですが、糊もはさみも鉛筆も定規も、もちろんコピー機も使っていません。狭い机の上を、使いようによっては、パソコン・ソフトがけっこう拡げてくれます。

 もうすぐ三月、風邪などひかないよう、リハビリもしっかりネ!


まっくる通信 第12号(90/02/28)
 やっと陽射しののぞいた二月最後の半日、マツイでLDの支払を済ませてから、新富山から市電で西町まで来なかったことをAともども惜しみました。二人とも市内の乗り物では一番気に入っていることを中旬以来再確認し、日中に病院から帰るときの視点の置き所にしようと決めていたのに。小金を取り戻し損なっていささかがっくりきていたのかもしれない。思いがけず富山市に住むようになって十七年にもなるというのに、いまだに愛着の場所に出逢えない。家族が生活を営んでおり、稼ぎ場所があるところという以上の意味は希薄だ。自転車でいったことのある、岩瀬、水橋あたりの民家のたたずまいが記憶に残っている。

 先々週の土曜に買ったロバート・メイプルソープの写真集以外に、たいした映像には出逢っていない。ブロンズのような黒人像、トルソのような女性像、生命を抜き取ったばかりの切り花、そして自画像。遠いエジプト期の側面絵画を現在の都市に蘇らせた手応え。マーク・コスタビ画集以後、最もおりをみて開いている。

 [スキャン画像略]

 先月の書評紙でその死を知って以来、ドコカココロノカタスミデコロガシテイタ、菅谷規矩雄への追悼文や、弔辞を雑誌で立ち読みした。遠峰の時のような納得のゆくイメージにはほど遠い。詩人としての菅谷は、日本のボビー・マクファーリンだったといえます。実験的な到達点の凄さが先に立って、愛聴盤にはなりません。それにしても死者を前にしてはなむけの言葉をとどかせるときの、吉本隆明のたたずまいには、いつもながら打たれます。

 十二号にはメモ・カレンダーのおまけがつきます。ご利用ください。


まっくる通信 第13号(90/03/01)
 音を出してダビングしたら、と言い残して下へ降りたAは、居間のテーブルでテスト勉強。愛用のシャーペンで書き進む時の、あのコツコツ音立てるリズムが気に入っているのだ。本番のときも、まわりがプレッシャーになるくらい、ひときわ冴えたリズムに乗っているのだろうか。風邪気味の期末中休みも、マリエのスギマサに出かけ(注文の糸はなかったようだ)、貯金をして帰ったり、息抜きリズムの一日でやっている。おかげでこちらも、オーティスが楽しめる。いま The Match Game にノリノリだ。マイク・タイソンもこんなハートをもったチャンプだったら、ダグラスなんぞに‥‥‥、わかる奴にしか分からない。ここで、曲目紹介。テープA面、1.You Don't Miss Your Warter 2.Satisfaction 3.Ole Man Trouble 4.Down in the Valley 5.I Can't Turn You Loose 6.Just One More Day 7.Papa's Got a Brand New Bag 8.Good to Me、そしてB面1.Merry Christmas Baby 2.White Christmas 3.Love Man 4.Free Me 5.Look at the Girl 6.The Match Game 7.Tell the Truth 8.(Sittin' on) The Dock of the Bay 以上文句なしの十六曲。ウオーレン・ジボンやルー・リードのおじさんパワー、そしてジョン・ルーリーのトカゲ・ジャズなどに、躍らせられたとはいえ、身丈にぴったりきたのが昨年の長岡の講座吉本ライブと今年になってやっとLDでライブ化されたローリー姉御の『トーク・ノーマル」だけというのは、いかにも淋しい。ピュアな泣きのパンチにいまひとつ、肉がついてこないブルーハーツ、都はるみの復活宣言にしたって、欠けた日本の御三家の一人の美空ひばりの穴埋め以上は望めない。のこる矢野顕子、中島みゆきも定食フルコースにちかい。ユーミンはゲレンデのBGMどまり。入院BGMカセット第二弾は、リクエストでエラかオーティスか?と踏んでいたが、見事あたり!吉本隆明版、“YOU” ライブ・テープと抱き合わせて届けよう。

 [イラスト略]

 我が家に復帰するころは春たけなわ、せいぜい足もとのオシャレを楽しもう。ところでこのイラストはどんな映画だったか当ててごらん。アメリカにはなぜ少女漫画がないのか。ジョン・ヒューズの作品に代表される素敵な青春物がマンガ。


まっくる通信 第14号(90/03/02)
 ここ数年三月ともなれば、やれ退職退官記念と称したセレモニーが、すっかり定着してしまった。心あるものが、ないないで集まって、やりたいようにやれば済むことではないか。形式や型だけが先行する、あの忌まわしいアジア的な習性で塗りこめられたなかで、いったいどんな面をして飲み食いかつ喋っていられよう。早々に抜けだして病院に立ち寄ってホッとした。抑圧を他へ転化することではけ口を見出しているのがアジア的な社会の悪しき構図なのだが、いったん組織の中に閉じられたとなると、逆にその習性が式典や行事における式主義の一点張りとなって勢いづく。いずこも同じ、暮れ行くアジアの年度末の官僚儀式。

 期末テストの最終二科目の一つに苦手の基礎解析を残してAは不景気なため息を漏らしている。満点を目指して今朝まで頑張った日本史も、夕食後二人で問題をおさらいした感じでは、七割五分の出来だろう。名前だけでひもといたこともない原典についてのテストじゃあやふやなのがあたりまえ。風邪気味の体調でよくもちこたえたほうだ。もともと試験期間を、全力で完投できるタイプじゃないし、どこかでヘバリがでる。そして、息つく間もなく部活と、とりだめしたラジオ講座のテープが待っている週末のひな祭り。

 [イラスト略]

 Cの手料理とうまい酒に与れないのがチョット残念。おふくろのおてなみに、乞う御期待というところです。

 [イラスト略]

            淋しい我が家のお雛様
       帰りも待たず
            一年先の天袋


まっくる通信 第15号(90/03/03)
 冷やした梅雨もどきの雨模様を温めるように、雛段に、床の間に灯りをともし、Aのセブンティーンの節句を祝いました。もちろん夜のバドミントンはパス。おふくろが腕に撚りをかけた“ちらし寿司”と、蛤の“お吸い物”、そして生蛸の“お刺身”までついていた。久しぶりのお銚子が一本。デザートはもちろんパウンド・ハウスのケーキ。五個も並べば、今夜の主賓も文句なし。

 ケーキ屋に入ろうとした時、停車中のバンの運転席から声がした。「大虎」あたりで一杯ひっかけようとしていた“直さん”だった。呑まないから、と失礼しようとすると、久し振りだから話しながら送らせろと待っててくれた。世間話をしながら草島線にでたあたりで、いま連れ合いと別居中でタイヘンなんだ、と言ってみた。かえす言葉もない、オドロキの一瞬が流れた。雨脚が強くなった家の前で僕を下ろすと、オダイジニの声を残してユーターンしていった。レンタル・ビデオや洗濯物で膨らんだバッグや大事なケーキを抱えていた折から、とても助かった一幕でした。赤ちょうちんへとリターンしてくれただろうか?

 知人との遭遇もひさしぶりだったが、娘と一緒のビデオ(映画)も何週間ぶりだったろう!いかにも求心的な邦題の「LA大捜査線 狼たちの街」よりも拡散的な原題の“To Live and Die in L.A.”がピッタリくる。相棒の復讐の鬼と化して、画家くずれの偽札作りを追い求めるシークレット・サービスの活劇という筋立てにからんで展開されるいくつかの見せ場、そのどれもこれもがどんどんどうでもよくなってしまうという、とにかくたたみかけて見せることだけに徹して後味になんにも残らないという、小粒だが、ツボをおさえ出来映えだった。反対車線を逆行して逃げるカーチェイスのシーンがこれほど効果を発揮した映画は他に知らない。

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 ビデオやレコードも元気な復帰を待っている。AVルームも磨いておきます。


まっくる通信 第16号(90/03/04)
 マラソン中継画面の名古屋市内の陽光に誘われたように、午後から早春の陽射しがのぞいたので、1990名古屋国際女子マラソンのゴールを観ずに、ペダルを踏んで昨日の運動不足を解消してきた。10キロ手前でリサ・マーチンがリタイアしたとき、今大会の魅力は半減してしまった。かってクリスチャンセンがパワーを持ち込んだ女子マラソン界に、今度はファッションを引き入れたのがリサ・マーチンだった。大会の目玉というべき走飾兼備のランナーがブラウン管から消えたとき、映像の焦点はファッション性から京セラや資生堂といった企業名のはいったゼッケンを胸にして走るフツーの女の子の魅力に溢れた日本選手対外国選手という構図に移ってしまっていた。市内じゃ最も品揃えに魅力がある「Books なかだ」本店ですっかり時間をつぶしてしまって、帰りはいささか風が身にしみた。収穫の一部を予告するイラスト

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 読み物では退屈させません!

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 乞う御期待。

 夕食はAの手作り!ハートまで満腹。食べられなくてザンネンですね。


(「日暮らし通信:プレイバック=2/2=」に続く)


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「日暮らし通信:プレイバック=1/2=」 kyoshi@tym.fitweb.or.jp  ファイル作成:2012.09.22 更新:2012.10.08