1960〜 [A001]FreeArchive 芸術と疎外 講演日時:1964年1月18日 主催:国際基督教大学ICU祭実行委員会 場所:国際基督教大学 DMH講堂 収載書誌:未発表 芸術をつくる者と、創造された芸術のあいだには、 眼に見えない〈橋〉があります。 それを僕の言葉では〈自己表出〉といいます。 〈自己表出〉の構造は、眼に見えるものではありません。 その眼に見えない構造が、芸術が現在の社会に対して 何を与えるか、何を与えないかという問題の 非常に重要な契機になっていきます。 「現実に対して自己が自己たりえない」という 自己疎外の問題に対して、芸術が何を果たしうるかは、 そういう問題点をつかまえていかないと はっきり出てこないのです。 [A002]FreeArchive 自立の思想的拠点 講演日時:1966年10月29日 主催:関西学院大学 場所:関西学院大学 収載書誌:徳間書店『状況への発言』1968年 おそらくみなさんは、自分自身を 知識人じゃないと考えているかもしれませんし、 知識人と考えたって、「お前とおれは違う」と 思っているかもしれません。 けれど、僕のいう知識人という本質概念からすれば、 みなさんは明らかに知識人なんです。 なぜならば、日常食って生活して、 また労働力を再生産してというだけじゃなくて、 余計なことを考えているわけですから。 みなさんがどういう政治イデオロギーを有し、 どういう政治的潮流に属し、 あるいは政治的無関心であろうとも、 そんなことに関わりなく、否応なしに 現実の諸問題というものが自分のところに 覆いかぶさってくるという位相を、 避けて欲しくないと思います。 そういうことを避けることができない者こそ、 本来の知識人である、それが知識人の思想的課題であると 僕はいいたいわけです。 [A003]FreeArchive 国家・家・大衆・知識人 講演日時:1966年10月31日 主催:大阪市立大学社会思想研究会/大阪市立大学新聞会 場所:大阪市立大学 収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年) 〈大衆の原型〉というのは、 自己の生活の繰り返しの範囲でしか 自分の考えを動かさないということです。 大衆はどういう歴史のくぐり方をしてきたかを 考えてみますと、たとえば中野重治の 「村の家」という作品に出てくるような おやじさんというのは、一面でいうと 赤紙がくれば即座に応じて兵隊となって戦争へいき、 自分の命がなくなっても戦争をやる。 そしてある場合には戦争をやり過ぎて、 軍部上層の意図を超えて残虐行為もやってしまう。 つまり、〈大衆の原型〉は、国家から支配されれば 支配のままに揺れ動くとともに、本当の意味では 国家と接触さえもしていない存在として考えられます。 そのことは、大衆が近代的意識を 乗り越えてしまう基盤を持つひとつの契機を なすのではないか、という考え方も成り立ちえます。 知識人であることの意味は、 いかにして〈大衆の原型〉が本質的にはらむ問題を、 自己の思想の問題として組み込むことができるか という問題を避けない、ということです。 [A004]FreeArchive 現代とマルクス 講演日時:1967年10月12日 主催:中央大学 学生会館 場所:中央大学 学生会館 602号室 収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年) 私がマルクスにおいてもっとも衝撃を受けたのは、 国家哲学なんです。われわれは戦争体験から、 市民社会における個人や家族よりも、 国家に重点がかけられるべきだという出発点を 持っていたわけです。しかしその国家が本当は 共同性を装った幻想に過ぎないというマルクスの考えに 衝撃を受けたんです。 マルクスの〈疎外論〉は、 幻想性の問題??国家、法律、宗教、それから芸術という 問題を考察する根底になるとても重要な概念です。 人間というものは、他の人間、あるいは自然に対する、 対象的な行為なしには存在しえません。 ところで人間が生存、存在の必須条件である 対象的な行為をしますと、自己自身がそれにつれて 本来的な自己から疎外される、 つまり自分自身も影響を受けます。 あるいは影響を受けることなしには 対象的な行為というのはなしえないというのが、 マルクスの考えている〈疎外論〉の 根底にある自然哲学です。 [A005]FreeArchive ナショナリズムーー国家論 講演日時:1967年10月21日 場所:新宿・観音寺 収載書誌:未発表 ボクシングでいいますと、やっぱり 世界タイトルというのは思想的に 奪取しなきゃいけないんです。 たとえばサルトルという人が、 日本という国家的土壌にいたとすれば、 大した人じゃないと思うんです。 しかし、ヨーロッパの土壌にのっかっている人ですから、 いい加減なやつだなぁと思うけれど、 みっちりやったら日本人である僕が 必ず負けるということはやはりわかるんです。 しかし、「それでもやる、必ず勝つ」という問題は、 どうしても持たざるをえないことがあるんです。 本当の意味の世界普遍性というものを 獲得していくためには、非常に困難な道を 歩まなければならない。 一民族、一種族、一部族の共同性というものに 固執するわけでもなんでもないけど、 それが制約している問題と、 経済的範疇としての世界性の矛盾というのは どこにあろうと絶えず持たざるをえないということは 必ずあると思っています。 [A006]FreeArchive 詩人としての高村光太郎と夏目漱石 講演日時:1967年10月24日 主催:東京大学三鷹寮委員会 場所:東京大学三鷹寮 収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年) 文学芸術に関する限り、問題の本質は 手仕事をやるかやらないかということで決まるのです。 手仕事というのは、毎日のように机の前に 原稿用紙をおいて、ペンを持って、机の前に坐って、 なんかやるということです。 何も書くことがなく、気分ものらなくても、 やっぱり原稿用紙を前において、ペンをとって、 そこに坐って、「さて」ということで やろうということです。 そういうことを持続できるかできないかということが、 文学の創造の中心を決定していくんです。 それをやらなければ、文学芸術、つまり 観念のつくるものが、具体的な現実に よく拮抗することができないんです。 それに耐えたうえで、文学芸術における思想の問題、 あるいは資質の問題というものが はじめてあらわれてくるのです。 明治以降の近代文学、芸術のなかで、 確かにそういうことをしたといいうる人は、 わずかに作家としての漱石、それから 詩人・彫刻家としての高村光太郎だけです。 [A007]FreeArchive 自立的思想の形成について 講演日時:1967年10月30日 主催:岐阜大学 場所:岐阜大学 収載書誌:勁草書房『吉本隆明著作集14』(1972年) 私どもの考えでは、〈経済的範疇〉、 いいかえれば〈自然的範疇〉というものは 必ず〈幻想的な範疇〉を生み出していきます。 人間が外部の〈自然〉に関わると、 必ず〈幻想性〉を発生させるわけです。 人間の意識にやってくる〈自然的範疇〉は 必ず〈幻想性〉を伴うから、〈国家の経済的範疇〉は、 必ず〈共同幻想としての国家〉を生み出します。 そういう国家の共同幻想性と本質的に対決しうる 唯一のものは、個人幻想です。 文学芸術に属する個人幻想というものだけが、 本質的な意味で、国家の共同幻想性というものに 対峙することができるわけです。 知識人が、「法的言語に対して〈沈黙の意味性〉でもって 服従している大衆」を、 自分の思想のなかに組み込むという問題が可能であるとき、 かろうじて知識人の共同性としての集団というものが 反体制的でありうるわけです。 [A008]FreeArchive 調和への告発 講演日時:1967年11月1日 主催:明治大学 場所:明治大学 収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年) 現在、ベトナムには戦争があり、日本には平和がある、 そういう区別の仕方があります。 しかし、ベトナムのなかには戦争もありますけれど、 同時に平和もあるのです。 人間は戦争のさなかでも極めて平和に 恋人とデートすることもできますし、 また一家団欒の食事をすることもできる、 そういうようにしか戦争というものは存在していません。 現実というものはさまざまな次元の場面を許すのです。 逆に、「日本は平和だ」といっても、 ある視点でもって眺めれば、 ちっとも平和ではないわけです。 そこには声をあげずに倒れていく人間もいますし、また、 何の声も発せずに老いさらばえて死んでいく人間もいます。 一見すると無事平穏のごとく見える 日本の国家権力のもとにおける現実のなかに、 さまざまな鋭い裂け目があり、 それをどういうふうにすくい取っていくか、 思想の問題として繰り込んでいくかということのなかに、 情況があると考えております。 [A009]FreeArchive 戦後詩とは何か 講演日時:1967年11月5日 主催:早稲田大学 早稲田祭実行委員会 場所:早稲田大学 大隈講堂 収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年) 戦後詩というものは、 ひとたび再建された戦後資本主義社会という軌道に 戦後詩人が乗ったとき、自ら終結してしまったと 僕は考えています。そしてそれ以降、 「いかにしてどこに詩を創造する凝縮力の核を求めるか」 という問題についてのモチーフを喪失したのです。 現在、詩人が自らの創造の核というものを どこに求めるかを考えると、 〈原型として考えられる大衆〉、あるいは 〈沈黙の意味として存在している大衆〉との 対話によってしか、詩の創造の核は 回復することができないと思います。 詩というものが、戦後すぐの無権力状態における混乱と 無秩序のなかから手探りで見つけた創造の核を、 きわめて秩序を回復しているかに見える 現在の資本制社会のもとで獲得していく唯一の根拠と、 現在における詩人の存在理由は そういうところにあるだろうと考えます。 [A010]FreeArchive 幻想ーーその打破と主体性 講演日時:1967年11月11日 主催:愛知大学 第21回愛大祭本部 場所:愛知大学 豊橋校舎9号館 収載書誌:勁草書房『吉本隆明全著作集14』(1975年) 氏族的な社会における共同幻想性は、どういうふうにして 部族統一国家における共同幻想性に転化するのでしょうか。 血縁集団を基盤にする氏族的な社会における 共同幻想というものは、もしなんらかの契機で 部族的な統一国家の共同幻想性へ転化していく場合には、 必ず個々における共同幻想性というものを、 慣行律、習慣、習慣的宗教というものの段階へ 蹴落とすことによって、統一国家の段階へ転化するのです。 [A011]FreeArchive 人間にとって思想とは何か 講演日時:1967年11月21日 主催:國學院大学文芸部 共催・國學院大学文化団体連合 場所:国学院大学412教室 収載書誌:勁草書房『吉本隆明全著作集14』(1975年) 氏族的な社会における共同幻想性は、どういうふうにして 部族統一国家における共同幻想性に転化するのでしょうか。 血縁集団を基盤にする氏族的な社会における 共同幻想というものは、もしなんらかの契機で 部族的な統一国家の共同幻想性へ転化していく場合には、 必ず個々における共同幻想性というものを、 慣行律、習慣、習慣的宗教というものの段階へ 蹴落とすことによって、統一国家の段階へ転化するのです。 [A012]FreeArchive 幻想としての国家 講演日:1967年11月26日 主催:関西大学千里祭 場所:関西大学 収載書誌:中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年)、徳間書店『情況への発言』(1968年) 幻想としての国家というのは何かといいますと、 国家の本質ということを意味しています。 もちろん国家には、幻想としての国家というものが、 たとえば法なら法というものによって維持されていくという 法機関、法権力機関というものはあるわけですけれども、 機関としての国家ではなく、 幻想としての国家ということで何を意味するかということ、 国家の本質ということのお話をしていきたいと思います。 [A013]FreeArchive 高村光太郎についてーー鴎外をめぐる人々 講演日:1968年3月7日 主催:文京区立鴎外記念本郷図書館 場所:文京区立鴎外記念本郷図書館 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年) 高村光太郎という詩人は、複雑な思想を、 複雑に表現するというようなことはしていません。 しかし、本来的にはたいへん 気味の悪い芸術家だと思います。 気味の悪いといっていいのか、 得体が知れないといっていいのかわかりませんけれども、 とにかくそうとうなしろものだと思います。 そうとうな人だということを、 『道程』とか『智恵子抄』のような作品の背後に、 つかんでいかないと、 高村光太郎という人の総体的な人間像は、 うまくつかまえてこれないんじゃないかと思います。 [A014]FreeArchive 思想としての身体 講演日時:1968年10月29日 主催:日本医科大学 第12回千駄木祭常任委員会 場所:日本医科大学 4階大ホール 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 〈わたしの身体〉というものは、皆さんの側から 客観的に見て観察することができます。 そして、自分が自分の身体を どう思っているかという意味で、 内からも直接に見ることができます。 この種の特異性を持っている存在は この世には〈人間の身体〉、いいかえれば 〈わたしの身体〉というもの以外にありません。 それ以外のものは客観的に観察することができるか、 あるいは主観的に検討することができるか、いずれかです。 自分自身として内側からこれを見ることもできるし、 外側からも客観的に見ることができるという 二重性を持っているのは、 〈人間の身体〉というものしか存在しません。 そのことが身体というものを 特異な存在にさせていると思います。 [A015]FreeArchive 実朝論 講演日:1969年6月5日/12日 主催:筑摩書房 場所:新宿・紀伊國屋ホール 収載書誌:中公文庫『語りの海2 古典とはなにか』(1995年)、弓立社『敗北の構造』(1972年) 文学にとって重要なことは、 どういう死に方をするかということだと思います。 なぜ文学にとって死に方が重要かといいますと、 死に方は、偶然には依存しないわけです。 ほとんど全面的に、作家あるいは詩人の思想、 資質そのものに依存するからです。 死に方が本質的でないと、 文学としてよみがえることができない、ということが いえると思います。 実朝という詩人は、中世では誰もが 西行と実朝というふうに数えざるをえない、 最大の詩人のひとりです。 実朝は鎌倉幕府の創始者であった源頼朝の次男で、 12世紀末から13世紀の初めにかけて生きた人ですが、 28歳で暗殺されています。 実朝が、本質的に生きたかどうかは、 そう簡単には決められませんが、 本質的に死にえた詩人だということは確かです。 1970〜 [A016]FreeArchive 宗教としての天皇制 講演日:1970年5月16日 主催:学習院大学土曜講座 場所:学習院大学 教室 収載書誌:中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年)、春秋社『〈信〉の構造 PART2』(2004年) 講演より 歴史を考えてみても、天皇がじかに政治権力を掌握し かつ行政的にも手腕を発揮したというような事例は、 おそらく数えるほどしかないので、 大部分は間接的に、一種の宗教性として、あるいは 宗教的な司祭といいましょうか神主といいましょうか、 そういうような集団として存在してきたのです。 しかし依然としてそこにあるタブーは、 基本的なもの、本質的なものであるために、 そのタブーに手をつけない限り、 直接に政治権力を掌握していなくても、 あるいは単なる神主に過ぎなくても、 天皇制は存続してきたと思われます。 これは裁判沙汰の問題でもなければ、 「首がころり」というような問題でもないと思います。 天皇制にまつわるタブーが現在でも存在するわけです。 [A017]FreeArchive 言葉の根源について 講演日時:1970年5月 主催:桐朋学園 場所:桐朋学園 収載書誌:中公文庫『語りの海3』(1995年) 沈黙というと「ぼんやりしている状態」と 思われがちですが、沈黙も言語表現なのです。 ある人が何もしゃべっていなくても、 その人の意識の内部には何かがある、ということです。 黙っていても、その人の 主観的あるいは意識的な状態がわかるとか、 表現されているとか、感じる場合があるでしょう。 それは、沈黙の言語が、内的意識の時間性、空間性に 解体して存在しているからなのです。 外からは憶測するよりしかたがないのですが、 まったく無意味なのではなく、 その人の主観や意識の内部はたいへん満たされていて、 何かしゃべられているのかもしれない、 というようなしゃべり方がありうるわけです。 [A018]FreeArchive 敗北の構造 講演日時:1970年6月10日 主催:社会主義学生同盟/南部反帝戦線明学大班 場所:明治学院大学100番教室 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 日本に統一国家というものが成立した千数百年前以前に、 この小さな島に人間がいなかったかというと、 そんなことはありません。 日本民族という場合には、 統一国家成立以降の文化的、言語的に 統一性をもったものを想定しているわけですけれども、 それは日本人とはまるで違います。 日本人という場合には、日本国家成立以前に、 すでに郡立した多数の国家が存在していたと 考えることができます。 僕のいう「敗北」は、そういう たいへん大昔の敗北ということです。 何が敗北したかというと、 天皇制権力によって統一国家が成立する以前に存在した、 日本の全大衆が総敗北したということです。 [A019]FreeArchive 「擬制の終焉」以後十年ーー政治思想の所在をめぐって 講演日時:1970年7月17日 主催:共産主義者同盟叛旗派編集委員会 場所:中野公会堂 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 社会は、日々働き生産し食べていく 経済社会的な過程さえあれば、 永遠の昔から永遠の未来まで続きます。 しかしそのうえにのっかる法的・政治的国家、 あるいはそこから導入される国家権力というのは、 必ずしもそれと対応せず、因果関係になくとも、 あるいは部族、民族を異にしても、 横合いからいきなりやってきてさらってしまうことは いくらでもありうるわけです。 「経済社会構成の変化なしに 上部構造の変化はありえない」とか、 「基幹産業における組織労働者の立ち上がりなしには 政治革命がありえない」という考え方は、 迷信だと思います。 [A020]FreeArchive 宗教と自立 講演日時:1970年7月25日 主催:止揚の会,西荻南教会 場所:新宿区信濃町・真生会館 収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART2』(2004年)、弓立社『敗北の構造』 (1972年) けっきょくどう考えたかというと、 何が価値かという場合に、 ぜんぶひっくり返せばいいじゃないかと考えたわけです。 つまり人々が偉大な思想家であるとか、 偉大な政治家であるとか、偉大な宗教者だとか いっている奴は、いちばんだめな奴だというふうに 考えればいいということです。 人間は「いかに生くべきか」と考えた場合に、 もっとも価値ある生き方というものは、 とても架空なんですけれども、 自分の生活のところで 具体的に眼に見えるような当面している問題とか、 自分の家族とか兄弟のことならば考えたりするけど、 ベトナム戦争がどうだとか、 あんまり遠くのほうにあることは考えないという生き方が、 いちばん価値のある生き方なんじゃないかと 考えたわけなんです。 [A021]FreeArchive 南島論 講演日:1970年9月3日/10日 主催:筑摩書房 場所:新宿・紀伊國屋ホール 収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART3』(2004年)、中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年) 〈南島〉は、日本の民俗学あるいは文化人類学にとって 宝庫だといわれているところで、 さまざまな古い遺習が残っていますが、 われわれは、それとはまったく違う理論的視点を 前提としています。 たとえば、ニューギニアの奥地にはまだ 石器時代の生活をしている種族がいるとか、 サハラ砂漠の近辺に行くと 太古の遊牧民さながらの生活をしている種族がいるという いわれ方があります。 しかし、そういう未開の種族もまた 世界史的現在のなかに存在しています。 その意味をどうとらえたらいいのでしょうか。 そういう種族や日本の〈南島〉を扱うとして、 ただ古き良き時代の名残がなんらかのかたちで残っている、 という扱い方ではなく、 世界的同時代性、現代性というものの視点を包括しながら それを扱うにはどうしたらいいか、ということは 依然として問うに値する問題であると思われます。 [A022]FreeArchive 文学における初期・夢・記憶・資質 講演日時:1970年11月2日 主催:東京女子大学短期大学部 場所:東京女子大学短期大学部 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 僕は、12、3歳の頃でしょうか、当時の市電に乗って、 切符を買おうと慣れないために緊張してお金を出すと、 車掌が素知らぬ顔で自分の前を さっさと通り過ぎて行ってしまうということがありました。 「どうしておれの前だけ止まってくれないのだろう」 という行き違いのようなことが とても引っかかった時期があります。 そのことから導いたのは、 「タイミングがあわない」ということは 自分の資質ではないかということでした。 この社会にいながら、成長し、そして 老いていく過程のなかで、 なぜ自分のところにだけ こんなことが降りかかるのだろうとか、 なぜ自分のときだけ行き違いが起こるんだろうか という体験は、みなさんも記憶の片隅や気持ちのどこかに とどめていることがあると思います。 そういうことは、掘り下げるに値する 問題ではないでしょうか。 [A023]FreeArchive 詩的喩の起源について 講演日時:1971年5月2日 主催:日本現代詩人会 場所:新宿・紀伊国屋ホール 収載書誌:中公文庫『語りの海3』(1995年) 日本の詩が発生の起源に近いところで 保存しているものから、 詩的な喩の起源として考えられることは、 一篇の詩形式のすべてを使って 主観的な感情をあらわすというふうには 詩の表現は可能ではなかった、ということです。 日本では、詩の問題は 「詩のなかに意味を込める」ことには なかったんじゃないか、ということです。 一般的に風景の描写とか 日本的な自然美といわれていることは、 本当はまったくの錯覚であって、 詩の起源に近いところで 「景物」が表現にあらわれている場合、 その「景物」は決して写実的な意味での 「景物」あるいは「自然」ということを意味せず、 むしろ宗教的あるいは自然信仰の段階において 個人の観念でなく 共同体の観念が象徴的に寄り集まるところとして 「自然」というものが詩の表現のなかに存在していた、 ということが考えられるのです。 [A024]FreeArchive 政治と文学について 講演日時:1971年5月8日 主催:三田文学 場所:慶應義塾大学 三田校舎 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 去年の暮れ、三島由紀夫さんが、政治と文学について、 非常にショッキングなあり方を提供してくれました。 「芸術家が実行家に拮抗しうるとすれば、 死を描写するだけでなくて 自分が死んで見せなくちゃだめじゃないか」 というのが三島由紀夫さんの考え方のように思われます。 三島さんは自らその考えを実行されたわけですから、 そこのところで何もいいたくない気持ちですが、 考え方としては たいへん古い考え方というほかないと思います。 そして三島さんは、文学芸術の創造ということと、 それが書物として流布される過程とを、 うまく区別できていなかったのではないでしょうか。 創造の行為と、それが書物となって流布されることとは、 違うということを、本当の意味ではあまり 考えられなかったと思われるのです。 そのことは、ただ実感的に知っているだけでなく、 想像力を突き詰めていかなければならないことが あるように思うんです。 [A025]FreeArchive 共同体論について 講演日時:1971年5月9日 主催:止揚の会/西荻南教会 場所:文京区民センター 収載書誌:中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年) 日本の場合、共同体は ふたつに類型づけすることができます。 ひとつは、首長が政治的な権力と同時に 祭祀権を持っている共同体というのが考えられます。 もうひとつは、共同体の首長が祭祀権だけを 持っているタイプです。 その場合、宗教権力を持つのはたいてい女性で、 その肉親の男性が 政治権力を所有しているというかたちです。 日本の古い時代を想定しますと、 そのふたつの形態が複合して存在しています。 根本的に問題にしなくてはならないのは、 政治権力というものと 宗教的権力というものとの移行のしかたということで、 それがいかに共同体の権力構成に影響を及ぼすか、 また経済・社会構成、自然・経済構成に対し どういう影響を与えるか、ということです。 [A026]FreeArchive 自己とは何かーーキルケゴールに関連して 講演日時:1971年5月30日 主催:大学セミナーハウス 場所:新宿・紀伊国屋ホール 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 結婚して子どもを生み、そして子どもに背かれ、 老いてくたばって死ぬ、そういう生活者を もしも想定できるならば、 そういう生活のしかたをして生涯を終える者が、 いちばん価値がある存在なんだ??人間存在の 価値観の規準はそこにおくことができると、 僕は考えました。 だから、もっとも価値ある生き方とは何かと問われたとき、 日々繰り返される生活の問題以外には あまり関心を持たないで、生まれて老いて死ぬという 生き方がもっとも価値ある生き方だ、 というほかはありません。 どんな人間でも、大なり小なりその規準からの逸脱として、 食い違いとして、生きていくわけですが、 キルケゴールなんかには ぜんぜん関心がないという生き方は、 もっとも価値ある生き方だということができます。 [A027]FreeArchive 鴎外と漱石 講演日:1971年10月14日 主催:文京区立鴎外記念本郷図書館 場所:文京区立鴎外記念本郷図書館 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 当時の文学者でいえば、鴎外と漱石は、 格段に学があって、格段に見識があって、 相互に意識して、はりあっているみたいな要素が ほのかに見えます。 たとえば鴎外の『ヰタ・セクスアリス』という小説を 読みますと、漱石の『吾輩は猫である』を読んで、 おれも書きたくなったというような個所があります。 そういう意味で、少なくとも 「おれと同じくらいな奴は、あいつだけだ」 というふうには意識していたかもしれません。 それ以外に、個人的に交渉があったとか、 親しかったとかいう痕跡はありません。 そういう意味では共通性も関係性も それほどないといえます。 それでも、無理にあげようとすると、共通性はあります。 両者とも、当時の日本の文学の主流であった 自然主義文学に対して、何らかの意味で別の道を、 方法上でも、仲間意識でも持ちました。 それからもうひとつ、 これも大きな共通点だと思いますけれども、 ?外も漱石も奥さんが悪妻だったということです。 そういうふうにいわれています。 [A028]FreeArchive 宮沢賢治の童話について 講演日時:1971年12月4日 主催:日本女子大学児童文学研究室/同人誌「海賊」 場所:日本女子大学成瀬記念講堂 収載書誌:猫々堂「吉本隆明資料集51」(2005年) 宮沢賢治の童話の世界を初期から晩期に至るまで とても奥底のほうで規定しているのは、 山人の入眠幻覚や白日夢の世界、 あるいは民話・伝承に対する異常な関心です。 彼がイーハトーヴと呼んだ岩手県には、 さまざまな伝承や民話があります。 山のなかで白日夢に襲われ、 ハっと気がついたときには 自分がぐるぐる同じ道を回っていたとか、 とてつもないところへ行っていたという 山人の民話のなかでも、 入眠幻覚の問題が宮沢賢治の童話の奥底にある 性格を規定していると思います。 それは『銀河鉄道の夜』のような作品にも、 とてもよく象徴されています。 [A029]FreeArchive 親鸞について 講演日時:1972年11月12日 主催:大谷大学 学園祭実行委員会 場所:大谷大学 収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART1』(2004年) 親鸞は、「絶対他力」の思想を根底におく、 日本ではたいへん珍しいタイプの思想家だと思います。 僕は、家が浄土真宗だということを除いては、 宗教もイデオロギーも信じていないし、 「自立」ということばかりいうまことに不肖の者ですが、 若いときから親鸞は好きで、 まったく反対なことをいっているとは ちっとも感じられないところがあります。 それはおそらく、親鸞の自己解体の過程が、 「絶対他力が同時に絶対自力というものを包括する」 というところを指し示しているからではないかと 考えられるんです。 [A030]FreeArchive 文芸批評の立場から見た人間理解の仕方 講演日時:1973年11月17日 主催:東京都立精神医学総合研究所 場所:東京都立松沢病院 4階大会議室 収載書誌:弓立社『知の岸辺へ』(1989年) 文学の立場というのは、一言でいいますと 「言葉で表現する立場」ということです。 その本筋は、大昔にさかのぼれば〈歌〉にあります。 〈歌〉というのは、2千年とか3千年とか、 そうとう古い時代からあった、韻文??リズムの入った 言葉の表現です。 この〈リズム〉というのは、いまでいえば 神がかりの状況に入ったときに出てくるものです。 文学者というのは、さかのぼってゆけば 神がかりの状況の人間にいきつくわけです。 そうすると、神がかりの状態というのが、 文学者にとって根本的な立場ということになると思います。 [A031]FreeArchive 〈戦後〉経済の思想的批判 講演日時:1974年6月18日 主催:共産主義者同盟 場所:日比谷公会堂ホール 収載書誌:蒼氓社「自立と日常」(1974年) 戦後の日本の政治支配者は、 近代化して落ちこぼれてきた農業を、 高度成長政策による重工業の方に転化していくことで 問題が解決されるかのごとく 経済問題を考えてきたと思います。 しかし、農業が全面的に依存している土地というものの 〈自然性〉と〈人為性〉の矛盾という問題が よく解かれない限りは、農業問題は決して 解決されないということが本当はいえるのです。 そして、第一次高度成長を経た60年安保闘争後、 政治国家は変わっても 〈経済共同体としての国家〉は 資本主義であろうと社会主義であろうと不変である という〈経済共同体〉的な考え方が出てきました。 この両極端??さまよえる農業問題と 経済共同体的な経済現象??に、 現在の経済思想的問題は集約されると 考えることができます。 [A032]FreeArchive 太宰治と森鴎外ーー文芸雑話 講演日:1975年7月18日 主催:文京区立鴎外記念本郷図書館 場所:文京区立鴎外記念本郷図書館 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年) 太宰治というのは短編の名手なのですが、 太宰治の短編小説に 非常に大きな影響を及ぼしたと考えられるものは、 作家とばかりはいえないのですがふたつあると思います。 ひとつは落語で、 近代落語の伝統は三遊亭円朝から はじまるわけですけれども、 落語の影響は非常に大きいと思います。 落語の影響というのは、たとえば どういうふうにあらわれてるかというと、 太宰治の短編のなかでは、 落語の落ちが非常によく使われていて、 太宰治が一生懸命まともに落語をよく読んで 話したと考えられます。 もうひとつは、鴎外の短編、 といいたいところですけれども、 鴎外の訳した短編小説があります。 [A033]FreeArchive フロイトおよびユングの人間把握の問題点 講演日時:1975年10月11日 主催:山王教育研究所 場所:山王会館(国電大森駅ビル4階) 収載書誌:弓立社『知の岸辺へ』(1976年) ユングは自伝のなかで、 フロイトとの決別の場面を象徴的に語っています。 それはばからしいといえばばからしいし、 たいへんなことだといえばたいへんなことです。 あるとき、フロイトとユングが超心理学の話をしていて、 いまの言葉でいえば超能力についてどう思うか、 とユングがフロイトにいうわけです。 それに対してフロイトは、それはお話にならないから、 まじめに相手にしない、みたいな感じで応対します。 そうしているうちにふたりがしゃべっているそばの本棚が ガタガタと揺れ出す。 ユングにいわせれば超能力的に そういうことが起こったんだけれども、 フロイトはそれを承認しない。 その現象は、テレビの茶番劇にもなりうるわけですけども、 それが人間の精神の解析について、 すぐれたふたりの巨匠を別れさせるきっかけにも なりうるという意味あいで、 決して無視することはできないことじゃないかと思います。 [A034]FreeArchive 文学の現在 講演日時:1975年10月16日 主催:京都精華短期大学 学生部 場所:京都精華短期大学 収載書誌:白地社「而シテ」5号(1976年) 文学が幸福になるときがあるのかもしれないけれど、 少なくとも歴史を省みる限りは、 文学が幸福だったということはまずないわけです。 文学が本質を目指すならば、 それはしかたがないと思うんです。 ただ、文学にもし影響力というものがあるとすれば、 「人を揺すぶる」ことが本質的には できることじゃないかと思います。 「文学というのはアルファからオメガまでやるんだよ」 ということを現在的に指し示すことによって、 「政治だって経済学だって ここからここまでやればいいんじゃないんだよ、 はじめから終わりまでやんなきゃだめですよ」 というふうに、揺すぶらなくてはしかたがないと思います。 それは、文学だけしかできないんじゃないかという 気がします。 その課題は、すぐれて現在的な課題だと思われます。 [A035]FreeArchive 『死霊』についてーー東北大学にて 講演日時:1976年5月11日 主催:東北大学学友会文芸部/「濫觴」同人/現代イデオロギー研究会 後援:東北大学教養部、学生自治会臨時執行部 場所:東北大学 川内記念講堂 収載書誌:未発表 太平洋戦争と現在では呼ばれている戦争を、 何らかの意味で否定する考え方を、 文学か思想によって完結しようとした 本当にまじめな人間がいたとしたら、 その人は絶対に 戦後に生きては存在することができなかったと思います。 にも関わらず生きてしまったとすれば、 それはどこかで矛盾を抱え込んだということです。 そしていまもなお、矛盾を抱え込んで、 何らかのかたちでそれを解き明かしながら、 また矛盾を呼び込むということに悪戦苦闘している、 そういう文学者は少数ですけれどもいるわけです。 その象徴となりえる人が埴谷雄高という文学者だと、 僕には思われます。 [A036]FreeArchive 『死霊』についてーー京都大学にて 講演日時:1976年5月15日 主催:京都無尽 共催:京都大学新聞社・清華短大基礎ゼミ連合・西部講堂連絡協議会・花園大学新聞部・立命館大学一部学芸総部 場所:京都大学 時計台ホール 収載書誌:未発表 埴谷雄高さんの『死霊』の世界は、 登場してくる人物が少しも肉体というものを感じさせず、 いずれも観念の権化であるということを 徹底的に体現しています。 なぜこういう作品が成立したかというと、 埴谷さんは、かつて日本の革命運動に 徹頭徹尾政治的に関わり、戦争をくぐって、 徹頭徹尾文学的に再出発するというかたちで 戦後を生きてこられた人です。 革命と戦争をくぐったときに、 肉体は権力のために制圧されるかもしれないけれども 観念だけは自由だ、 観念だけは誰にも奪われることがなかった??そういう 体験が『死霊』という作品の登場人物の 特徴として出てきているのだと思います。 [A037]FreeArchive 情況の根源から 講演日時:1976年6月18日 主催:三上治 場所:品川公会堂 収載書誌:三上治「乾坤」創刊号(1976年) 私たちが当面している情況を考えてみますと、 ひとりの人間としても、職場の組織のなかにおいても、 政治運動のなかにおいても、 当事者にとっては重要で切実な事柄が、 当事者以外の者にとっては切実でもないし 何でもないと思えるという分裂が とても極端だということが、あげられると思います。 この問題は夫婦的な規模で申し上げることも、 国家的な規模で申しあげることもできます。 なぜこういう問題に当面しているのかというと、 古典的な政治・国家像、社会像が崩壊しつつあることが 考えられます。経済的・社会的権力が国家的に組織され、 政治的国家権力自体に対しても、大衆に対しても、 大きな力を及ぼすように変貌しつつあるということは 情況的でもあり、かつ本質的な問題ではないかと 僕には思われます。 [A038]FreeArchive 宮沢賢治の世界 講演日時:1976年10月21日 主催:京都精華短期大学 学生部 場所:京都精華短期大学 収載書誌:白地社「而シテ」7号(1977年) 宮沢賢治は、挫折もあり苦悩もあり失敗もありという 生き方をしています。 口でいろいろいうけれど、 あるいは言葉でいろいろなことを書いたけれど、 けっきょくは何もできないで 終わってしまったではないかといえるところで、 宮沢賢治は死んだと思います。 しかし、もしも人間の行為・表現の概念を、 現実的な表現行為に限定しないで、 幻想的な表現もある、死への表現もある、 死後の世界への表現もあるというふうに 拡張していくとすれば、 宮沢賢治は近代日本の文学者として、 人間として、最大限に行けるところまで 行ったように思われます。 [A039]FreeArchive 枕詞の空間 講演日時:1977年7月6日 主催:詩誌「無限」事業部 場所:明治神宮外苑絵画館文化教室 収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年) 宮沢賢治に「林と思想」という詩があります。 この詩の根源的情緒は、昔の人のいい方でいえば、 霧をいう場合に「ほのゆける霧」、あるいは 「いさらなみ霧」と表現されたものだと思います。 大昔においては、現在では意味がつかめない言葉を、 枕詞として上につける習慣が詩に限ってあったのです。 この「いさらなみ霧」の情緒と、 宮沢賢治の詩の情緒というのはまったく同じです。 ただ古代人たちが自明の理として考えた 眼に見えないポエジーの空間ーーふたつの言葉を 並べることによってそのあいだに 想定したポエジーの空間ーーだけを再現し、 再現の結果としての「ほのゆける霧」あるいは 「いさらなみ霧」という表現を拒否しているのが 現代の詩だとみなしますと、 現代詩に対するひとつの一貫した考えに なるのではないかと思います。 [A040]FreeArchive 『最後の親鸞』以後 講演日時:1977年8月5日 主催:真宗大谷派関係学校宗教教育研究会 場所:新潟県妙高市・東本願寺池ノ平青少年センター 収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART1』(2004年)『最後の親鸞』もそうでしたけれど、 僕は親鸞の思想に重点をおいてとりあげようと思います。 信仰ということと思想ということはどこが違うかというと、 信仰の場合にはあくまでも内部の側にあって 語ることになっていくと思います。 けれども思想は、内部から語るというよりも、 内部と外部の境界に踏石をおいて、 ひとりの宗教家であった思想家をとりあげる、 ということです。 内部にも行くかもしれませんけれども、 外部にも行ってしまう、そういうところが 思想ということと信仰ということの違いといえます。 すぐれた宗教家であると同時に、 思想の立場からとらえても対象として充分に耐えうる 日本ではたいへんめずらしい思想家である親鸞を、 思想としてさらに問題にしたいと思っています。 [A041]FreeArchive 喩としての聖書 ─ マルコ伝 講演日時:1977年8月31日 主催:日本YMCA同盟学生部 場所:御殿場YMCA東山荘 収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART2』 (2004年)、中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』 (1995年) 聖書のなかの奇跡を、 まったきフィクションとして読む読み方もありうるし、 また、本当の信仰者の信心として 読む読み方もあるでしょう。 しかし、そのどちらでもない読み方もあります。 それは「言葉」に対するまったき信仰があるとすれば、 結びつかないようなふたつの対象を結びつけて、 ひとつの「暗喩(メタフアー)」とすることができる ということです。 聖書のなかの奇跡の話は、暗喩の一種、 しかもそれはまったく結びつけることができないような ふたつの対象を結びつけようとしている暗喩だという 読み方もあることを、申し上げたいのです。 [A042]FreeArchive 竹内好の生涯 講演日時:1977年10月1日 主催:山口県内吉本さんを呼ぶ会 場所:山口県立図書館レクチャールーム 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 僕はある時期から、竹内好さんと、 理念的には同じからざる道を歩んだように思います。 けれど、竹内さんの「思想の肉体」はたいへん好きでした。 そういう意味では自分と本当は よく似たところがあるのではないかと思います。 ひとりの思想家が、生涯において成しうることは たいしたことはありません。 しかし何がためにひとりの思想家は ある時代に存在し続けるかと考えてみますと、 「自分が一刻も頭から去らないほど 労苦して考えに考え抜いてやっとつかまえたもの」 が、後の世代の人たちにとって、 何となく自然に身につけている、 その地点に出会うためです。 それが、ひとりの思想家が生涯にわたって 存在し続けることの意味だと思います。 竹内好さんの思想は、そういう徒労に値するものとして、 今後本格的に検討されることを信じて疑いません。 [A043]FreeArchive 戦後詩における修辞論 講演日時:1977年10月20日 主催:京都精華短期大学 学生部 場所:京都精華短期大学 収載書誌:京都精華短期大学「木野評論」第九号(1978年) 歌謡曲やフォークソングの詞と現代詩を比較する場合、 直喩と暗喩を取り出す場合にだけ、 同じものとして扱うことができます。 ところが戦後の詩が突っ込んでしまっている 迷路ともいうべきものは、 無定形な喩、つまり直喩でも暗喩でもない 喩の使い方にあります。 それは曲に乗せることもできなければ 歌うこともできないものです。 これを理解するすべを考えると、 言葉というものは、発音や記号ではなくて、 それが思想だという全体的な見方を とっていく必要があります。 このことは現代詩の詩人だけでなく、 フォークソングの作詞者たちが落ち込んでいる問題を 理解する為にも必要だと思われます。 それをつかまえることで現代詩が フォークの作詞と共通に落ち込んでいるところから 抜け出す道が開けていくんじゃないかと思います。 [A044]FreeArchive 共同幻想論のゆくえ 講演日:1978年5月28日 主催:同志社大学文学哲学研究会「翌檜」 場所:京都教育文化センター 収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年) 『言語にとって美とはなにか』と『心的現象論序説』、 それから『共同幻想論』というのは 僕のなかでは別のものではないみたいな 場所があるわけです。 その3つを統一的なところからうまく関連づけられて、 しかも現在の問題点というのが明示できるかというのが テーマなわけです。 うまく関連づけられるかどうかは やってみないとわからないんですけれど、 ここからいけば3つの関連性を ひとつの鎖でつないでいけるんじゃないか、 そうしながらそれが同時に現在の問題点を はっきりさせることができるんじゃないかと思うんです。 [A045]FreeArchive 良寛詩の思想 講演日:1978年9月16日 主催:雑誌「修羅」同人 場所:長岡市中越婦人会館 収載書誌:春秋社『良寛』(2004年) 良寛にはとてもむずかしいところがあります。 この人は童心を持っていたから、子どもと一日中 毬ついて遊んでいて、 つい本来の用事を忘れて平気だったといえば、簡単です。 しかし、そう考えるべきものじゃないかもしれないのです。 われわれが、一日中子どもと毬ついて遊んでいたとか、 何か用事があるんだけど、 そんな用事のことなどはもう忘れて、 途中で子どもと会ったら遊んでしまったと 考えてみたらわかります。 それはちょっとね、「おれうかうかしちゃったよ」では 済まされない何かであります。 行為自体が何かを意味しています。 良寛は童心を持っていたからだと理解したら、 何も理解していないと同じことです。 [A046]FreeArchive 南方的要素 講演日時:1978年10月7日 主催:部落青年文化会 場所:新宮市・春日隣保館 収載書誌:未発表 最初に国家が成立して以降の問題は、 歴史の問題になります。 歴史の問題ということは、記述したりすることが 可能だった時代以降を意味します。 しかし、人間が日本列島に住んでからは それとは比べものにならない長い時間を経ています。 国家が成立する以前に、さまざまな制度的な移り変わりや 集団の組み替えをしてきたことも確かだと思います。 その骨格が現在でもどれだけ残っているか、 残っていないかという問題は、依然として現在の問題です。 国家発生以前の人間の集団や親族集団の組み方を 考えていく必要は、そういうところにあります。 それは決して過ぎ去った歴史以前の問題でもなければ、 もう考える必要のない問題でもない。 現在も依然として考えなければならない問題です。 [A047]FreeArchive 芥川・堀・立原の話 講演日時:1978年10月19日 主催:京都精華短期大学 学生部 場所:京都精華短期大学 収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年) 芥川龍之介、堀辰雄、立原道造は、いずれも 大正から昭和にかけての東京の下町出身の文学者、 詩人です。そして、彼らはいずれも貧困な人たちです。 芥川の父親はミドルクラスの下の出身ですし、 堀辰雄の父親は彫金の職人です。 立原道造は立川屋という商家の出身です。 彼らの文学を、仮に〈弱さ〉ということで 括ってみたいと思います。 〈弱さ〉ということは 身体的な〈弱さ〉と精神的な〈弱さ〉の両方があります。 ふつうの意味の〈弱さ〉とニュアンスが違って、 〈弱さ〉の逆に強さみたいなもの、 しなやかさのようなものも考えられる 〈弱さ〉だと思います。 彼らには、ひとつ共通な〈弱さ〉の美の象徴があります。 それは〈匂い〉ということです。 〈匂い〉の感性が過敏で特異だというのが、 芥川龍之介、堀辰雄、それから立原道造の 作品に共通した要素です。 彼らが本質的に執着している〈匂い〉に対する敏感さに、 それぞれの感性の資質があります。 [A048]FreeArchive 現代詩の思想 講演日時:1979年3月7日 主催:詩誌「無限」事業部 場所:明治神宮外苑絵画館文化教室 収載書誌:未発表 詩を書くこと自体に倫理的な意味をつけるより、 「詩を書くこと自体が詩なんだ」という問題が、 詩というものの思想的な意味なのではないかと思います。 詩の思想の問題は、徹頭徹尾、言葉の問題です。 言葉として「やっているな」というものが打ち出せれば、 それは詩であり、 打ち出すこと自体が思想であるというところに、 現代詩の思想のかなり大きな部分が入っています。 言葉は思想の手段であるか、 思想の倫理であるかということではなくて、 言葉自体が思想です。 そういうところで現代詩が書かれている。 その問題が枢要と思われます。 [A049]FreeArchive 障害者問題と心的現象論 講演日時:1979年3月17日 主催:富士学園 労働組合 場所:小金井公会堂 収載書誌:弓立社『心とは何か』(2001年) 身体とは何か、身体の障害とは何か、精神異常とは何か、 それはどうすればいいのかということは、 人間の歴史が最後まで解決を残すだろう問題です。 〈肉体としての身体〉は、何十万年後になっても、 「どこが進化した、どこが退化した」と 変わることはそんなにないと思います。 しかし〈身体の像〉は時代によって 刻々と変わっていきます。 身体に関する障害や精神障害には、 神様に近いと崇められた古代から、 働けないから人間以下だと蔑まれた 近代社会に至るまでの、 目もくらむような価値観の変遷というものがあります。 けれども現代、精神障害、身体障害は 「神でもなければ人間以下でもない、それは人間なんだ」 という概念が少しずつ闘いとられてきつつある ということが、 唯一の解決の糸口なんじゃないかと思われます。 [A050]FreeArchive シモーヌ・ヴェイユの意味 講演日時:1979年7月14日 主催:梅光女学院大学 場所:梅光女学院大学 収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART2』 (2004年)、中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』 (1995年) シモーヌ・ヴェイユは、ヨーロッパの文化が、 世界の文化というのと同じだというほどの 勢いを持っていた時代の、 もっとも正統的な文化の、しかも、もっとも固い、 困難なところにみずからぶつかって、 粉々になって砕け散ったような思想家です。 僕たちが現在当面しているのは、 いわばカウンターカルチャーです。 ヴェイユのように正面きって ヨーロッパが達成した根本的な問題に ぶち当たるということは、すでに不可能であるし、 正面きった課題ではないかもしれません。 しかしこういう課題に正面からぶつかって 飛び散った文化と人間の思想の軌跡を認知することは、 決して悪いことではないと思います。 僕たちに何かをいわせて やまないものがそこにあるからです。 [A051]FreeArchive 〈アジア的〉ということーーそして日本 講演日:1979年7月15日 主催:北九州市小倉・金榮堂 場所:北九州市小倉・毎日会館ホール 収載書誌:弓立社『document 吉本隆明 1号』(2002年) アジア的地域では、極端にいいますと、 村落共同体が世界の広さであり、 地球が世界の広さではないのです。 自分の利害の関係のないところで どんなことが行われようと、 自分のところに響いてこなければ関係ないよという 考え方は、みなさんのなかにもあるでしょう。 アジア人はぜんぶ思い当たるはずです。 それは一見すると、超近代的なかたちで 若い人たちのあいだでも 出てくるかもしれませんけれども、 それには二重性がある、 それは〈アジア的〉心性かもしれないと 疑ったほうがいいと思います。 個々の人間の意識の働かせ方のなかに、 やはり〈アジア的〉な村落共同体的な要素は残っています。 それはどのようにしたらいいほうに働くのか、 どうしたらよくないように働くのか、 どうしたら自然に亡びてしまうものなのか。 それを考えることが僕らに課せられているのです。 [A052]FreeArchive ホーフマンスタールの視線 講演日時:1979年11月15日 主催:京都精華短期大学 学生部 場所:京都精華短期大学 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第16巻』(2006年) ホーフマンスタールの考え方は、 日本の浪漫的な考え方の詩人、 文学者たちがよく受け入れた考え方です。 無意識のうちに受け入れ、 そして無意識のうちに実現していた考え方です。 堀辰雄でも立原道造でも、また芥川龍之介でも、 文学が文学である本質的なものが含まれているとすれば、 それはたぶんホーフマンスタールが 〈深淵〉としてとらえた、意識のある空白性の状態を、 作品のなかに形象化できていることだと思います。 ホーフマンスタールが〈深淵〉という概念でいうのは、 一種の歴史概念に近いものです。 歴史概念であり、神話概念であり、 同時に神話概念のいわば否定の瞬間になっているものです。 あるいはそれが無化される瞬間、 あるいは伝統性というものが無化される瞬間としての 意識の空白、それを〈深淵〉と ホーフマンスタールは名づけていると理解されます。 このことはホーフマンスタールの 浪漫的な概念のうちで重要な問題です。 1980〜 [A053]FreeArchive 過去の詩・現在の詩 講演日時:1980年2月6日 主催:詩誌「無限」事業部 場所:明治神宮外苑絵画館文化教室 収載書誌:未発表 現在の詩のあり方ということと同じ意味あいで、 過去の詩のあり方を問い直そうとするならば、 その再現はたいへん複雑な陰影の立て方を しないとできません。 ある詩が日付として新しいか、 同時代であるかということは、 詩の新しさ、古さと少しも 関係のないことだといえると思います。 同じ時代に書かれていたとしても、 片方がまるで古代的な形式の様相を たくさん保存して書かれていながら、 もう一方でまったく フォルム自体がわからない詩が書かれているということも ありえるわけです。 これらを等しく、過去の同時代の詩と 理解しなければいけないということの複雑さ?? 詩の言葉の空間の複雑さ??がありえるとともに、 日付としては現在の詩が、現在の詩として考えたら 考え違いをしてしまうということが ありえるのだということも、 かなり複雑な陰影を過去の詩と現在の詩のなかに 提起すると思います。 [A054]FreeArchive 親鸞の教理について 講演日時:1980年5月24日 主催:上智大学東洋宗教研究所/上智大学キリスト教文化研究所 場所:上智大学 521番教室 収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART1』(2004年) もし、知識を〈本当の知識〉として 獲得できるとすれば、 知識を獲得することが同時に 反知識、非知識、あるいは不知識というものを 包括していくことなんです。 知識を〈往きの姿〉でとらえれば、 学問のない人が修行をして知識を 獲得していく過程になります。 往きの過程にある限り、人間の〈本当の知識〉が 獲得されることはない。 知識に対して〈還りの姿〉になっていったときにはじめて、 知識が獲得されたということになります。 それは、知識を獲得すればするほど 知識でないものを包括していくということです。 包括できなければならないということです。 この〈往きの姿〉と〈還りの姿〉というものの 考え方を通して、親鸞はわれわれの思惟のしかたのなかに 普遍的にある問題を提出しているということが いえるのです。 [A055]FreeArchive 「生きること」について 講演日:1980年6月21日 主催:近代文学研究会(雑誌「城」の研究会) 後援・角川書店,佐賀新聞社,佐賀県立図書館 場所:佐賀市民会館 収載書誌:春秋社『新・死の位相学』(1997年)、中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年) 「生きていくこと」は、 一般に片道切符だと考えられています。 つまり、15歳の者が5歳になることはできないし、 60歳の者が40歳に戻ることはできないと理解しています。 この理解に対して、もし60歳の人が40歳のことを、 あるいは15歳のことをよく知りたくて 振り返りたい場合には、ふたつの方法があります。 記憶の思い出に頼るというのがひとつ、 それからもうひとつは、 人類の歴史的な遺産としてある記述、 つまり文学や芸術の助けを借りて、 60歳の人間が20歳の人間を理解するとか、あるいは、 20歳の自分というものを 内在的に理解する助けとする方法です。 しかし、もうひとつの方法が考えられるとすれば、 それは「死」というものから逆に 「生」の姿を照らし出し、そして透視することです。 [A056]FreeArchive 文学の原型について 講演日時:1980年8月15日 主催:高知県教育委員会/高知新聞社/高知放送 後援・NHK高知放送局/高知県教職員組合/高知県文教協会 場所:高知市立中央公民館 収載書誌:未発表 文学の原型、あるいは物語のはじめは、 人間の生死と関わりがあります。 人間の生と死についての考え方が どうなっているかということと、 物語あるいは文学の原型がどうなっているかということとは パラレルな関係にあるということです。 人間が生きて、死んでいく、そして 死んだあとにどうなるんだという考え方のなかに、 物語あるいは文学を成立せしめている基本的な構造が あると思います。 現代の文学でそういうことを 典型的に見ることのできる作家は、たとえば堀辰雄です。 堀辰雄の死についての考え方は、ハイデッガー的でもなく、 サルトル的でもなく、単独に、 文学作品の構造と死に対する考え方の構造を 追い詰めています。 [A057]FreeArchive 戦後文学の発生 講演日時:1980年11月29日 主催:宮城学院女子大学 日本文学会 場所:宮城学院女子大学 収載書誌:未発表 〈発生〉というのは非常に不安定な状態です。 いつ消えてしまうかもわからない不安定な状態ですが、 同時に何とでも結びつくことができる活性力を持っている。 何かと強力に結びついて持続するかもしれないけれども、 結びつくものがなければ そのまま消えてしまうかもしれない。 不安定さと活性を持った〈発生〉の状態の戦後文学のなかに 何があったのか。 何かに結びついていまも持続している要素は何か。 もはや跡形もなく消えてしまった要素は何か。 敗戦を迎えた1945年の8月から、 ほんの数年のあいだに出てきた 日本文学の作品のさまざまな要素を 〈発生〉ということで取り上げれば、 大きく分けてふたつのことを 象徴させることができると思います。 [A058]FreeArchive ドストエフスキーのアジア 講演日:1981年2月7日 主催:ロシア手帖の会 協賛・新潮社 場所:渋谷・東京山手教会 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) ドストエフスキー的な主人公である 『白痴』のムイシュキン公爵のような性格は、 一見すると現代的です。 そしてこれを現代的と解する限り、 病的あるいは異常という類型にあたります。 病的、異常であるがゆえに、 自分の振る舞いや自分の招き寄せてしまう悲劇に 無意識なのだと解されるのです。 けれどそう解したとき、 なぜかドストエフスキーが これらの主人公たちに抱いている親愛感や、 それに応えるような主人公たちの 何ともいえない規模の大きさのようなものが、 見落とされてしまうような差異感を覚えます。 僕たちはどうしても、 ドストエフスキーが自分の作品世界に、 眼に見えないロシアのアジア古代的な感性や 思想性の枠組みを施しているという 仮定に導かれるのです。 [A059]FreeArchive 現代文学の条件 講演日時:1981年7月3日 主催:梅光女学院大学 場所:梅光女学院大学 収載書誌:未発表 現代文学が強いているのは、 「物語性の喪失」ということです。 作品の緊張度を保とうとすると、 物語というものを喪失せざるをえないというジレンマが、 現代文学が当面している大きな条件でもあります。 そういう条件のなかで、 若い作家が無意識のうちにとっている ひとつの解決のしかたがあります。 それはイメージの氾濫ということです。 そのイメージには意味をつけようがなく、 泡のようにはかないもので、 ただイメージだけが氾濫しています。 しかし現在の若い作家は、そのことによって 現在の文学が当面している大きなジレンマを 無意識に解こうとしているように思われるのです。 [A060]FreeArchive 〈アジア的〉ということ ─ そして日本 講演日時:1981年7月4日 主催:北九州市小倉・金榮堂 場所:北九州市小倉・NRCCホール 収載書誌:弓立社『document吉本隆明』1号(2001年) 現在、なぜ〈アジア的〉ということが ことさら問題でありうるのでしょうか。 現在の世界を把握していく場合、 何がかつての時代と違うかを考えてみると、 ふたつのことがあると思います。 ひとつは、欧米の高度な資本主義社会の文明が、 どこへどう行きつつあるのか、 はっきりとつかまなくては、ということがあります。 もうひとつは、かつては〈西欧的〉ということが 世界を考えたと同じだといえたのですが、 現在、世界が高度になってきますと、 世界の最先端をきっている 高度な資本主義社会の文明だけを考えれば 世界を考えたというふうにいかなくなりました。 世界という水平線上に、アジアも、アフリカも、 それから未開あるいは原始にある地域の問題も 並んできたのです。 世界史的な意味で〈アジア的なもの〉を把握することが、 はじめて世界水平線上にあらわれてきた大きな問題です。 [A061]FreeArchive 僧としての良寛 講演日時:1981年7月4日 主催:北九州市小倉・金榮堂 場所:北九州市小倉・NRCCホール 収載書誌:弓立社『document吉本隆明』1号(2001年) 「僧侶とは何か」を考えていく場合、 いちばん根本的なことがあります。僧侶というのは、 「頭を丸めて何した」ということではありません。 仏教の思想も含めて、東洋における思想が生み出された 当初の社会の状態に返したところで 「僧侶とは何か」を考えなくてはいけないのです。 数千年前に生み出されたアジア的な社会では、 農業が根本でした。 農業を営む村落共同体に対して、 僧侶が自分をどういうふうに位置づけているか ということが、非常に重要なことです。 そこで良寛がどういうふうに 僧侶として振る舞っているか、 あるいは良寛の思想が僧侶というものを どう位置づけているかということが、根本的な問題です。 良寛の表現したもの、振る舞いを そういうところから考えてみますと、 それはいかようにも考えることができます。 [A062]FreeArchive 日本資本主義のすがた 講演日時:1981年11月7日 主催:自治労山口県職員労働組合下関支部 場所:下関市水産会館 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 私たちは日頃、冷え込んだ不況を感じています。 物価高とか不況とか、給料や収益が思ったほどあがらない。 それはいったいどういうことで そうなっているのかということは、 ひしひしと感じることのひとつだと思います。 日々あくせくと時間に終われ、 焦燥感とか不安感みたいなものが残っていく感じが 私たちの内部にあります。 この焦燥感・不安感は いったいどこからくるんだろうかということが、 切実な疑問のように感じられるわけです。 その疑問の根底にあるものは何なのかを 基礎づけることができるかどうか、 そんな実感にできるだけ近づけるかどうかが、 この種の社会や国家の構造論の課題の本命だと思います。 [A063]FreeArchive 物語の現象論 講演日時:1981年11月21日 主催:早稲田大学文学部 文芸専攻 場所:早稲田大学文学部 453教室 収載書誌:未発表 現在、イメージの生活世界が膨大になってきています。 私たちは、実質的な生活世界からイメージの世界へ行き、 またそこから降りてきて眠るということを 絶えずやらなくてはいけなくなっています。 どうしてもそこを通過していかなくてはいけない 必然の通路みたいに、イメージの世界は存在しています。 そういう世界を膨らませているのが、 物質的な価値にイメージの価値をつけ加えたい、 イメージの価値で競争したいという衝動であることは 非常に明瞭です。 文学作品が、価値のある世界を実現したいと考えるならば、 「イメージの世界の厚みをくぐり抜けてその果てに出る」 ということがどうしても必須条件になります。 それが、文学にとっての本質的な衝動です。 どうやってそれが実現可能なのかということが、 批評にとっても創造にとっても 最後に出てくる問題だと思います。 [A064]FreeArchive 文学の新しさ 演日時:1982年1月21日 主催:京都精華大学 学生部 場所:京都精華大学 収載書誌:未発表 現在の文学や芸術、芸能では、 実際の現実的な価値、物質的な価値に対して、 イメージの価値が大なり小なり付加されていて、 その全体を指してある価値様式を考えているというのが、 われわれがおかれている環境です。 このイメージの世界が大規模になると考えると、 誰にとっても管理されている時間帯は 増えていくだろうということが、 現在の「新しさ」の根底にある問題だと思います。 その問題をどう考えるかが、 現在の文学の根底にある問題だと思います。 [A065]FreeArchive 若い現代詩ーー詩の現在と喩法 講演日時:1982年9月26日 主催:思潮社 場所:渋谷・西武劇場 収載書誌:思潮社『戦後詩史論』(2005年) 現在書かれているさまざまな詩を 〈現在〉ということに集約したらどういう問題がでるか。 現代詩という定義とも、現代詩の歴史とも関係がない 「現代詩」がはたしてありうるのかを考えてみますと、 ありうる可能性が どこかに出てきたんじゃないのかという考え方を 僕は持つようになりました。 そういう道をつけた詩人のひとつに、 「中島みゆきから谷川俊太郎へ」 という鉱脈を考えてみたいんです。 「中島みゆきから谷川俊太郎へ」 という通路を考えることができるということが、 〈若い現代詩〉が直面している大きな特徴のように 思えるんです。 [A066]FreeArchive ポーランド問題とは何か 講演日:1982年11月5日 主催:岩手大学新聞社 場所:岩手大学人文社会科学部4号館41大教室 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 国家が社会に対して100%関与している、 ソ連とかポーランドみたいな社会主義「国」もありますし、 アメリカとかヨーロッパのように、 だいたい40%から50%近くまで 関与するところまでいっている 先進資本主義「国」というのもあります。 日本の場合はどうでしょうか。 正確にはわかりませんが、だいたい30%を 前後するのではないかと思います。 しかし、イメージとしていわせれば、 日本の国家と社会との関係も、 国家の関与率というようなものは、 だいたい40%、つまりアメリカとかヨーロッパとかに 近づいていくだろうと考えられます。 [A067]FreeArchive 個の想像力と世界への架橋 講演日時:1982年11月13日 主催:現代短歌シンポジウム実行委員会 場所:千代田区一ツ橋・一橋講堂 収載書誌:雁書館『'82現代短歌シンポジウムin東京・全記録』(1983年) 高橋源一郎さんの『さようなら、ギャングたち』という 作品が問題にしていることは、 現在の詩歌が当面している問題そのものであるといえます。 この作品では、ラディカルな詩の概念というものが、 伝統的な言葉の様式からは出てこないで、 何もかもむなしくされてしまい、 現在の原初的な刺激を 無意識の底から受け入れたときに生まれる言葉から 出てくるかもしれないという考え方が 成り立っているのです。 現在、詩的な表出のすべてが 直面している物語性の解体というところで、 短歌の領域でも同じような問題が 本格的に出てきているんじゃないかと 思われてならないのです。 [A068]FreeArchive 〈若い現代詩〉について 講演日時:1982年12月8日 主催:詩誌「無限」事業部 場所:明治神宮外苑絵画館文化教室 収載書誌:未発表 街頭で瞬間的に飛び交っていく言葉には、 話し言葉という意味あいと、もうひとつ 「発声状態の言葉」という意味あいがあるような 気がします。 取り交わされた瞬間にとらえられた 「発声状態の言葉」という意味あいで、 街頭で飛び交う言葉を瞬間的にとらえることができれば、 それはそうとうラディカルな言葉になるのではないかと 思います。 このラディカルな状態の言葉をとらえるということは、 現在の詩が当面している とても大きな問題のように思えます。 そのことは、街頭で取り交わされている言葉を、 高度な詩にまで適用できる通路ができてきたということの 証拠なのではないかという気がします。 [A069]FreeArchive 共同幻想とジェンダー 講演日時:1983年2月12日 主催:フォーラム・人類の希望/新評論 場所:四谷公会堂 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 19世紀以降、資本主義社会の興隆期に入ってから、 なぜ男女の特性が生産労働過程で無視できると 考えられたのでしょうか。 マルクスの考え方は、労働時間の問題が重要なので、 どういう生産物をつくったか、 どういう質の労働を加えたかという差異は、 あったとしても大したことではないというものです。 イリイチの考え方からいうと、 こんな状態を許しておいたからこそ、 男女の賃金格差は拡がり、 女性は影の仕事に追い込まれるという事態が 生じてしまったことになります。 資本主義の一種の停滞成長期である現在、 どうして改めて生産労働過程における性という問題が とりあげられなければならないのか??それが イバン・イリイチという思想家の 根本的な問題意識だと思います。 [A070]FreeArchive 『源氏物語』と現代ーー作者の無意識 講演日:1983年3月5日 主催:山梨県石和町教育委員会 場所:石和町中央公民館 収載書:思潮社『白熱化した言葉』(1986年) 『源氏物語』の作者の無意識までも こちらに移ってくるように、微細な部分まで 作品を読むことができるようになったときにはじめて 『源氏物語』を現代風に読むことができた ということになります。 本来的には原文を抜きにして そういう微妙さが伝わる読み方が できるわけはないといういい方もできそうですけれども、 僕の考え方では、現代語訳でも十分です。 作者と語り手と、登場人物の言動とは みなそれぞれ違うものなんですよという区別をしたうえで 作品を読まれることによって、 『源氏物語』の現代的な読み方の基本点を つかまえることができると思います。 [A071]FreeArchive 小林秀雄と古典 講演日:1983年5月26日 主催:神奈川県高等学校教科研究会国語部会 場所:神奈川県政総合センター 収載書誌:中公文庫『語りの海2 古典とはなにか』(1995年)、弓立社『超西欧的まで』(1987年) 僕らが小林秀雄にかすかに違和感を感じたのは、 敗戦の後でありました。 戦後、こちらは急に戦争から放り出されて、 どうしたらいいかわからないし、また、 どんな思想を真と認めればいいのかわからないで、 たいへん落ち込んだ時期がありました。 そういうときに、小林秀雄が 何か発言をしてくれたらいいな、 そうしたらそこから何か得られるのにという感じで、 ずいぶん待っていたわけですけれども、 小林秀雄は戦争から放り出された青年の心のなかに もぐりこんでくる発言をしてくれなかった というように思います。 それでもう、自分でもって自分の落ち込んだところは つかんでいく以外ないと思いつめて、 そのあたりから自分は違う道を行っているんだな という感じ方をとったのを覚えています。 [A072]FreeArchive 親鸞の転換 講演日時:1983年8月21日 主催:鹿児島県出水市泉城山・西照寺 場所:鹿児島県出水市泉城山・西照寺 収載書誌:春秋社『未来の親鸞』 (1990年) 親鸞がたどった変容の過程は、中世の仏教、 あるいは現在の仏教の常識からいっても、 僧侶の概念から外れていくことでした。 修行を積むこともお経を読むこともぜんぶやめてしまい、 ただ名号を称えることだけが残ります。 「魚や肉を食っちゃいけない」とか 「女人と交わってはいけない」という戒律も いっさいやめてしまいます。 外側から見たら堕落してだめな坊さんになったとしか 見えないはずです。 しかしいちばん大切なことは、 見かけ上の坊さんとしてだめになっていく、 そんな転換のなかに、精神の問題からも 仏教そのものの教えからも 重要な転換が含まれていたことです。 その転換は外側からは決して見えません。 本当に堕落した坊さんになってゆき、 坊さんとしての資格もないというかたちに 親鸞は自分自身を引っぱっていくわけです。 [A073]FreeArchive 宮沢賢治の陰ーー倫理の中性点 講演日時:1983年10月23日 主催:吉本隆明文芸講演実行委員会 場所:盛岡市福祉総合センター 収載書誌:思潮社『白熱化した言葉』(1986年) 宮沢賢治の作品は、 詩の作品のなかにも童話の作品のなかにも、 至るところに「陰の言葉」というものが 挟まれていることがあります。 それは小括弧やふつうの鍵括弧でくくられていたり、 二重の小括弧にくくられていることもあります。 宮沢賢治にとって最後の問題というのは、 この「陰の言葉」が どういう運命をたどったかということがひとつあり、 もうひとつは 宮沢賢治の倫理の世界がどういうふうに展開され、 意味づけられるべきものなのだろうか、ということです。 [A074]FreeArchive 宮沢賢治の幼児性と大人性 講演日時:1983年10月26日 主催:詩誌「無限」事業部 場所:明治神宮外苑絵画館文化教室 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第8巻』(2004年) 宮沢賢治の詩は、 自然の景観や自然現象とのさまざまな交感を、 「語りの言葉」で語っていきます。 しかしその途中で、突然違う位相からの言葉が 括弧のなかに入ってきます。 そうかと思うとまた違う言葉が 二重括弧になって入ってきます。 こうした言葉を「否定性の言葉」として考えてみると、 それは童話作品のなかでは キーワードとして出てきていることがわかります。 宮沢賢治という人の世界には、 幼児性を象徴するキーワードが一方にあり、 もう一方には得体のしれない 混濁した大人の独語としてしか存在できない 言葉があります。 そのような幼児性と、得体のしれない大人性という 両者の差異が、終始一貫宮沢賢治を葛藤せしめた 根本にあることではないかと思われるのです。 [A075]FreeArchive 漱石をめぐってーー白熱化した自己 講演日時:1983年11月12日 主催:日本近代文学会 場所:武蔵大学 収載書誌:思潮社『白熱化した言葉』(1986年) 漱石の作品でいちばん魅力的なのは、 作品の登場人物を自分なりに設定しながら、 ある個所に来ると作者自身が作品のなかに乗り出して 登場人物に感情移入して白熱するところだと思います。 そこでは作品の登場人物と作者が融合してしまい、 その個所が作品でいちばん白熱してしまうのです。 もちろん物語ですから巧みに設定されておりますが、 主人物には作家・漱石のもっと根底にある、 人間・漱石みたいなものの自己移入が 必ずあるように思います。 そこのところが漱石文学の いちばんの魅力であると思います。 [A076]FreeArchive 小林秀雄を読むーー自意識の過剰 講演日時:1984年3月16日 主催:寺小屋教室 場所:新宿・紀伊國屋ホール 収載書誌:思潮社『白熱化した言葉』(1986年) 小林秀雄はわが国の近代批評の祖のような批評家です。 小林秀雄が文学批評のなかに「自意識」という起源を 定めたとき、はじめて日本の近代批評が はじまったといえます。 それ以前の批評では、 「他者を批評することは自分を批評することと同じだ」 という意味で成り立っている批評文は 存在しなかったといっていいくらいです。 この人を無視して日本の近代批評は語れないわけです。 僕らも繰り返しそこに立ち戻っていかなければ いけませんし、みなさんも文学批評というものに 関心を持たれたなら、 この人のものを読めばあとは要らないというほど 重要だと思います。 a href="http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a077.html">[A077]FreeArchive隠遁者としての良寛 講演日時:1984年4月1日 主催:雑誌「修羅」同人 場所:新潟県三島郡出雲崎町・光照寺 収載書誌:春秋社『良寛』(2004年) 〈隠遁者としての良寛〉ということは、 僕がいちばんむずかしいと思って 残してきたイメージです。 〈隠遁〉ということは、良寛という名前に 最初につきまとうイメージだと思うけれども、 僕にとっては逆なんです。 詩でいいますと山川草木、花鳥風月に託して 自分の内面性を述べた詩、 そういう詩に託された良寛というのが 〈隠遁者としての良寛〉ということです。 その内面性に入り込む糸口を どこに持っていったらいいのかということを、 考えてはやめ、考えてはやめてきました。 この、いちばんむずかしい良寛の詩というものを つかまえるには、「自然」というのが 隠遁者としての良寛の大きな枠組みを決めている、 と考えればいちばんいいのではないかと思います。 [A078]FreeArchive 親鸞の声について 講演日時:1984年6月17日 主催:武蔵野女子学院 場所:武蔵野女子学院・紅雲台大広間 収載書誌:春秋社『未来の親鸞』 (1990年) 親鸞の声はこういう声だったといって、 音声を再現しようということではないのです。 親鸞の語った言葉が、仏教で考えられている「声」として、 どんな意味を持っていたのだろうか、 できるだけお話ししてみたいのです。 東洋の思想とか宗教の最後の到達点は、どうも、 自然に対してどこまで近寄ることができるか、 あるいは心を研ぎ澄ましたとき、 「自然の声」や自然がしゃべっている言葉が どこまで聞き取れるかが、 どこまで修行を積んだかの大きな眼目に なっていると思われます。 これに対して、親鸞の声はどういう 「声」なんでしょうか。 根本的にいいますと、親鸞という人は、 「天地自然の声」を聞き、 そしてそのなかに心を同化させることができるようになる ことが修行の眼目だという考え方を、 否定してしまったと思います。 [A079]FreeArchive 漱石のなかの良寛 講演日時:1984年9月13日 主催:本郷青色申告会/本郷青色大学 場所:本郷青色申告会館 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 明治以降の文学者のなかで、 漱石のように〈坐る〉ということ、〈禅〉ということ、 もっと広くいえば仏教の修練ということに関心を持った 文学者は少ないように思います。 ましてそれを作品に結晶させた文学者は稀で、 漱石はたいへんめずらしい作家といえるでしょう。 漱石は、修善寺で胃病にかかり 吐血して生死の境をさまよって以降、 「則天去私」という境地に入ったとされます。 この境地は、禅宗の坊さんがいう 悟りの境地ではありません。 でも禅家がいう悟りの境地が、 本当の意味があるかどうかは いろいろ疑問のあるところです。 漱石のように、悟りの境地に関心がありながら その「門」のなかには入れなかった、 かといってその「門」を立ち去ることもできなかった?? そんな心のあり方が本当の〈悟り〉に 近かったのかもしれないのです。 そこが漱石がたどりついた〈坐〉の境地を あらわしています。 、[A080]FreeArchive 経済の記述と立場ーースミス・リカード・マルクス 講演日時:1984年11月2日 主催:日本大学三崎祭実行委員会 場所:日本大学経済学部7F大講堂 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 現在の経済学的な範疇、あるいは概念は、 たぶん〈物語〉も〈ドラマ〉も なくなっているんじゃないかと思われます。 そこではさまざまな考え方がありうるわけですが、 かつてスミスが自然の〈歌〉から緻密に経済学的な範疇、 あるいは概念をつくりあげていったというような 過程を見ることができません。 そういう過程にある、強固さとか、 道具を積み重ねる厳密さとかは まずまず見ることができないのです。 いまはどうなっているのか、いまをどうするのかとか、 いまの状態から 経済学的な範疇をつくるとすればどうなるか、 という問題だけではじまりそして終わるほか ないんだということです。 そこでは、どんな〈物語〉も〈ドラマ〉も、 もうつくることができません。 そこに、現在の経済学的な考え方が ぶつかっていると思います。 [A081]FreeArchive 古い日本語のむずかしさ 講演日:1984年12月1日 主催:千駄ヶ谷日本語教育研究所 場所:千駄ヶ谷日本語教育研究所 収載書誌:未発表 古い日本語についての理解というのは どこから攻めていっていいかよくわからないんですが、 近世以降の国文学者はどうやってきたかというと、 経験的にたくさんの古典を読みたくさんの方言を聞き、 当てずっぽうでそれらを取りさばいてきたのです。 現在でもほとんど変わらないんですが、 もとをただせばぜんぶ当てずっぽうだというところから きているともいえます。 そういうふうにしながら、わかったもの、 わからないものというところに到達していて、 まだとうていわからない言葉、 わからない問題がたくさん出てきます。 そのわからなさと日本語の系統のわからなさ、 日本語というのはどこから来たのか、 どういうふうにできたのかが いまだにわからないということとは 関係があることであって、 それがどういうふうにできて、 どういう言葉なんだというところへ 手探りでもなんでもどんどんさかのぼっていかなくては いけない、というようなことがあります。 [A082]FreeArchive 「現在」ということ 講演日:1985年3月30日 主催:山梨県石和町教育委員会 場所:石和町中央公民館 収載書誌:思潮社「現代詩手帖 7月号」(1985年) テレビにおける萩本欽一みたいな 偉大なタレントがもうくたびれちゃったから 番組をちょっと降りさせて休ませてもらうよっていったり、 五木寛之がかつて少し小説を書かないで 休んでいたいよっていったりしましたが、 これは彼らが芸術や文学として 絶えず新しさを求めて競争をする世界で 活動をしてきたからだと思います。 絶えず新しさを生み出すという衝動を何年も続けてきて、 やっぱりくたびれたというところにきたということだと 思います。「 もう降りる以外に自分は存立できない」という危機感を 覚えたときに、偉大なる萩本さんは 番組からちょっと降りて考えたいとか、 休みたいと考えるわけです。 「どうやって登るのか」が問題になる芸能家、 芸術家がいるのと同じように、そこでは 「どうやって降りるか」という、贅沢な悩みですけど、 それはそうとうきわどい悩みなんです。 それは「現在」というものの本質につながる悩みです。 あまり関係のないタレントの問題だよ、 というふうに思わないほうがよろしいと思います。 [A083]FreeArchive マス・イメージをめぐって 講演日時:1985年7月1日 主催:前橋市・煥乎堂 場所:前橋市民文化会館 小ホール 収載書誌:未発表 黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』と マルクスの『資本論』を、 片方の場合に程度を下げるのではなく、 同じ言葉で論ずるということは、 カルチャーとサブカルチャーの違いが あまり明瞭でなくなった現在に対する批評のあり方として、 きわめて重要なことではないかと思います。 批評というものが 作品の本質をいい当てるということならば、 CMや漫画といった サブカルチャーにこだわっていかざるをえないという 問題が、どうしてもあると僕は考えます。 こういうものを、純文学でもないし 純芸術でもないということで排除しておいたら、 批評という概念が成り立つかどうか、 僕は疑問とするわけです。 [A084]FreeArchive アジア的と西欧的 講演日時:1985年7月10日 主催:リブロ 西武池袋本店 場所:西武百貨店 池袋店 スタジオ200 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 日本は現在、西欧型の先進的社会に突入しています。 ただ、複雑なことは、〈アジア的〉という概念が 一枚加わらないと、日本社会の完全なイメージが 描けないということです。 日本の現在の社会のなかに〈アジア的〉意識が どんなふうに〈手段〉の分野で存在しているか、 どういうふうに産業・芸術・文学の分野で 存在しているかという問題が残されているのです。 日本の社会は、西欧における 「西欧的思考の解体作業」にも参加せざるをえないし、 ある場合にはそれを推進せざるをえないというところに おかれています。しかし同時に 〈アジア的〉意識というもののあり方を、 二重性として勘定に入れなければなりません。 こんなことは西欧社会では不要なことでしょうし、 西欧社会が日本の社会を見る場合に 誤解しているところかもしれません。 また、そこに、日本の社会が西欧の社会にとって、 大きな意味をもって浮かび上がってくるように 見える理由があるのかもしれません。 [A085]FreeArchiv 文芸雑感 講演日時:1985年9月7日 主催:梅光女学院大学 場所:梅光女学院大学 収載書誌:未発表 僕は、『言語にとって美とはなにか』で、 文学作品を言語の表現として見た場合に、 どういう問題があるかという文章を書いたことがあります。 それは「言語表現としての文学」という観点で 文学の作品を理論化していったということだと思います。 僕がいましたいことは、 「イメージの美としての文学とはなにか」ということです。 イメージの普遍的な理論のなかに、 文学作品についての評価の仕方も含めてしまいたい。 それが文芸批評の当面しているひとつの 課題であると思います。 [A086]FreeArchive 資本主義はどこまでいったかーー経済現象から見た現在 講演日時:1985年9月8日 主催:北九州市小倉・金榮堂 場所:北九州市立商工貿易会館2階ホール 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 現在の日本の資本主義に先進的な資本主義を 象徴させるとすれば、 たいへんな構造変化を体験しつつあることは 確からしく思われます。 マルクスがいったように、水車や風車が封建時代を象徴し、 蒸気機関が資本主義時代を象徴するものだとすれば、 電子情報産業時代は、実体は 未知な超資本主義を象徴しつつあるということは 確かだと思います。 そういうところに日本も含めて 先進的な資本主義がだんだん入りつつあると いえそうな気がします。 その具体的なあり方が、経済現象としては いまの情報化産業あるいは 技術革新というようなものを中心とした 産業構造の変化の仕方に帰着するだろうと思われます。 [A087]FreeArchive 心的現象論をめぐって 講演日:1985年10月18日 主催:紀伊國屋書店 場所:新宿・紀伊國屋ホール 収載書誌:弓立社『心とは何か』(2001年) あるとき、未知の読者だという人から電話がかかってきて、 「自分は1ヵ月ぐらい前に交通事故で 手をひじの下から落としてしまった。 しかし落としてしまったそのこと自体がよくわからない」 というのです。 「それを教えてくれないか」という電話を いただいたことがありました。 「いやおれもわからない」と答えました。 だけどその人がわからないという意味は とても深刻なように聞こえました。 つまり、手を交通事故で偶然落としちゃったということを、 以降1か月ぐらいたっているけれども、 そのこと自体がどうしても自分でのみ込めない。 そののみ込めないということが、 かなり深刻な意味で問われていました。 僕はまったくそれに対して答えることができませんでした。 これは少しこの問題をやってみよう、と思いました。 [A088]FreeArchive 都市を語る 講演日時:1985年10月22日 主催:慶應義塾大学 学生部 場所:慶應義塾大学 日吉キャンパス 33番教室 収載書誌:弓立社『像としての都市』(1989年) 東京は現代的な都市のなかで もっとも複雑でもっとも興味深く、 もっとも無秩序な町だと思います。 この都市がどこに行くのかを追求していくことは、 単に都市がどうなるのかということだけでなく、 日本の社会あるいは日本の社会を典型とする 高度な資本主義社会というものが こへ行くのかを追求することになると思います。 そして、東京は高度な資本主義社会にも関わらず、 成り立ちからいうと東洋的な都市の起源を 含んでいるわけですから、 これがどこへ行ってしまうのかを示唆するという意味でも、 とても重要な問題のような気がします。 [A089]FreeArchive 鴎外と漱石の見た東京 講演日時:1986年1月31日 主催:東京都文化振興会 場所:安田生命ホール 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年) 鴎外の文学作品における東京への関心は、 「紅灯の巷」的なものへの関心です。 そうした情緒へのエロス的な傾斜と、 軍医総監あるいは衛生学の専門家としての 近代都市東京に対する見識が 総合的に統一されたということは、 鴎外のなかでなかったと思います。 衛生学による都市論と、彼の小説に現れた東京には 一種の空隙があります。 漱石のなかにも、文明苦としての東京というものと、 自然としての東京というものとのあいだに、 やはり空隙があるということができると思います。 漱石がそれを何で埋めたのかはよくわかりません。 たぶんそこの空隙を埋めたいというモチーフを 最後まで持ち続けながら、 しかしそれを埋めることができないで、 『明暗』という作品を書いている途中で 死んだというのが漱石の文学的生涯だと思われます。 [A090]FreeArchive 「受け身」の精神病理について 講演日:1986年4月12日 主催:宮崎市・一ツ瀬病院・精神医療を考える会 場所:宮崎市中央公民館 収載書誌:弓立社『心とは何か』(2001年) 精神医学についてはまったく門外漢です。 ただ素人というだけで済ましておられないのは、 ここ20年ぐらいのあいだ、 やはり「この人は少し違うんじゃないか」という人から 電話がかかってきたりということは 絶えず3人とか4人とかおられました?? 電話を介したりして受けた印象を、 ひとつの言葉で要約してしまいますと、 どうしても「受け身」じゃないのかということでした。 「受け身」ということを、もう少しつけ加えると、 善意であり過ぎるとか、優し過ぎるとか、 度外れに依頼心が強いんじゃないかとか、いずれにせよ 「受け身」ということのなかに さまざまな属性としてあるもののように思えました。 僕が20年ぐらいつきあってる人で、 攻撃的な人はひとりだけで、 「おまえぶっ殺すぞ」などと、 しょっちゅういう人がいるんですが、 そういっても本当はどうもそうじゃないんじゃないか、 やっぱり「受け身」なんじゃないか、 いい人過ぎるんじゃないかという感じを受けるのです。 a href="http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a091.html">[A091]FreeArchive 「かっこいい」ということーー岡田有希子の死をめぐって 講演日時:1986年5月4日 主催:マガジンハウス 場所:新宿・紀伊國屋ホール 収載書誌:弓立社『サクリファイス』(白倉由美著:1989年) 「かっこいい」という言葉が 普遍性を持つようになったのは、 たかだか10年ぐらいのことだろうと思います。 なぜ「かっこいいか悪いか」という評価の基準が 発生したかというと、 僕の考えでは「離脱」ということが 現代の大きな問題になってきたからだと思います。 それまでは芸能人は芸能人の場所から、 主婦は主婦の場所からというように それぞれの立場から社会現象を評価すれば 済んでいたわけですが、 現在はそれでは済まされなくなっています。 それぞれが役割を演じている閉じられた場所から、 本来的な場所を 探し求めなければならないという課題??つまり 「離脱」という課題が少なくともここ 10数年来出てきたということじゃないかと思います。 だから、「かっこよさ」には、 少なくともふたつの条件があると思います。 ひとつは、自分が役割として持っている 場所は危なっかしいものだぜ、ということを とにかくまずわかるということです。 もうひとつは、本来的な場所を自分なりにつかむ という課題を、自分が果たし続けることです。 [A092]FreeArchive イメージ論 講演日:1986年5月29日 主催:京都精華大学学生部 場所:京都精華大学大教室 収載書誌:未発表 僕は、文学の理論的な考察として 『言語にとって美とはなにか』という仕事を したことがあります。 言葉というものが基本にあって、 あらゆる芸術の分野の表現が 行われているという考え方をとると、 言葉は人間に付随したものだから 理論的な考察ができると考えてきました。 いま、少しその考え方を変えて、 音楽や映画、デザインから映像に至る さまざまな分野の芸術表現のひとつとして、 文学を言葉の芸術ではなく イメージの芸術として扱ったら どうなるだろうかということを、やってみたいと思います。 [A093]FreeArchive 柳田国男の周辺ーー共同幻想の時間と空間 講演日:1986年6月8日 主催:吉本隆明を読む会 場所:盛岡市上田公民館 収載書誌:洋泉社『定本 柳田国男論』(1995年) 僕自身も柳田国男について 論じたりしてきましたけれども、 同時に柳田国男が『明治大正史』でやったように 現在のイメージをどうつくるのかということも やってきました。 その場合、柳田国男の方法は 無意識に僕らのなかに入ってきていて、 それをもとにして自分の分析をやってきました。 柳田国男が『海上の道』などでたどった、 稲作が南島から日本の島に渡ってきたという考え方は、 実証史学でいえば危ういところがあるのかもしれません。 しかし柳田国男の方法的な優位は、 実証でくつがえしえるというものではありません。 柳田国男の地勢のイメージのつくり方、 過去のイメージのつくり方、 民衆のイメージのつくり方の根本的なところは、 共同幻想の過去・現在・未来を考えていくとき、 現在でも有効だと考えています。 [A094]FreeArchive 時代はどう変わろうとしているのか 講演日時:1986年7月12日 主催:群馬県庁労働組合 場所:群馬会館ホール 収載書誌:未発表 時計は「時を計る」という目的のためにありますが、 現在、1000円か1500円出せば ひと月に何十秒の狂いしかないデジタル時計を たやすく手に入れることができます。 「時を計る」という機能でいえば、 これ以上のものはいらないわけです。 これは、究極時計というものが できてしまっているということだと僕は思います。 現在のいくつかの兆候をよく考えてみると、 「これはほとんど究極に近いんじゃないか」 というような商品とか分野とか発達度というものが ポツポツと存在することがわかります。 これはとても重要なことだと僕には思われます。 もし機会がありましたら、 「このことは究極までいっているのかな」とか 「こうやったら究極になるんじゃないか」ということを、 ぜひ考えてご覧になるとよろしいと思います。 [A095]FreeArchive 日本人の死生観 講演日時:1986年11月16日 主催:日本看護境会 北海道支部北空知地区支部 場所:滝川市総合福祉センター 収載書誌:未発表 昔のご老人たちは、年老いて姥捨て山に捨てられるという 伝承もあるくらいだし、ぜんぶ他動的です。 歳をとると、自覚的でなく否応なしに 子どもの世話になっていってしまうということが 代々のしきたりで、 そこで悲劇が起こったりしてきたわけです。 現在、「子どもたちには世話になるまい」と思う人たちが 出てきたということは、 日本人が死の問題をちゃんと解決する基盤を 獲得してきたということを意味していると僕は考えます。 大昔からある懐かしい、古く美しいものが 消えていくことは残念ですが、 残念だというばかりではなくて、 一方では「死は自分の問題である」という たくましい考え方の人たちがどんどん増えていることは、 希望なのだということができると思います。 [A096]FreeArchive 続・日本人の死生観 講演日時:1986年11月17日 主催:北海道滝川市 月曜談話会 場所:滝川市・ホテル三浦華園 収載書誌:未発表 「人間は必ず死ぬ」といういい方と、 「私は必ず死ぬ」といういい方とは、 同じように見えて違います。 「人間は死ぬ」ということは 大雑把にはいえそうに思えるけれども、 「私は死ぬ」ということは私にはよくわからないはずです。 そういうことに関連して僕はいま、 「死に瀕したときからはじまる文学」をやっています。 死に瀕した人が快復して治ったという 体験を集めてみたのです。 死に瀕して生き返った人の体験談には、 「お医者さんが人工呼吸をしてみたり、 看護婦さんが慌ただしく出入りしたり、 近親の人が悲しそうに叫んでいるとかいうのが 部屋の2メートルぐらいの高さのところから見えた」 ということがほとんど例外なしにあります。 それはいったい何なのだろうか、 という問題があるわけです。 [A097]FreeArchive 詩魂の起源 講演日時:1986年11月23日 主催:思潮社 場所:新宿・紀伊国屋ホール 収載書誌:思潮社『詩とはなにか──世界を凍らせる言葉』(2006年) 詩が発生するときにまでさかのぼった過去に、 詩はどう考えられていたかというと、 「魂の気配を察知すること」自体が詩であると 思われていました。 言葉に表現する以前の段階で、 ただ気配のようなものがあったとき、 それを察知できるということが 「詩の行為」だと考えられていたということです。 ここから始まって、言葉を使って 他人や対象に魂の在り処をつけてしまうことが、 言葉が介入した以後の詩の表現でした。 平安朝の末期頃まで、たとえば恋愛の場合には、 「相聞」というかたちで詩が存在したわけです。 相聞というのは言葉を使って、 相手に自分を無理矢理にでもくっつけてしまうことです。 ここらへんまでがたぶん、われわれの歴史のなかで、 仏教みたいなものが入る以前における、 詩的な行為の上限と下限だと考えられます。 [A098]FreeArchive ぼくの見た東京 講演日時:1987年1月17日 主催:中央区立京橋図書館 場所:中央区役所 8階大会議室 収載書誌:弓立社『像としての都市』(1989年) 東京に住んでいる人が東京を見る見方というのは、 ひとりひとり違うと思います。 その人の住んでいる町ないし都会に対する見方を 決定するものは、ふたつあると思います。 ひとつは、幼児期あるいは少年期の町の体験です。 もうひとつは、青春期に入ってから体験した 他の町のことです。そのふたつのことが、 都市を見る見方を大きく決めるんじゃないかと思われます。 僕の場合それは、新佃島というところにいたことと、 青春期に東京を離れたという体験になります。 そうした体験から、ご承知の通り 子どものときとは比べものにならないくらい 大都市になった現在の東京を、 僕がどう見るかという見方の場所に 出て行きたいと思います。 [A099]FreeArchive ハイ・イメージを語る 講演日時:1987年5月16日 主催:京都書院 場所:京都書院ヴァージョンB 4F ヴァージョンG 収載書誌:未発表 現在、僕がイメージについて考えていることが ふたつあります。 ひとつは〈イメージの交換〉がたやすくなっている ということです。 もうひとつは、〈限界というイメージ〉が 可能になってきたということです。 たとえば、空間がたくさん重なったところでは、 実際にはひとつの視野で 現実のビル街の光景を見ているのに、 現実のビル街を見ているのではなくて イメージを見ているように錯覚されるところがあります。 それは、イメージと現実が転倒してしまうということです。 また、あそこは山だ、丘だ、あそこが限界だと思って 宅地開発していくと、限界が見えているのに、 近づいていくとまた遠のいていくということがあります。 どこに限界を定めていいのか イメージが明瞭に浮かんでいながら、 いざそこへ近づくと限界は遠のいてしまう。 この問題は、制度の問題、産業の問題など すべてを象徴するに足るふたつの流れだと思います。 [A100]FreeArchive わが歴史論ーー柳田国男と日本人をめぐって 講演日時:1987年7月5日 主催:我孫子市教育委員会 場所:我孫子市民会館 収載書誌:JICC出版局『柳田国男論集成』(1990年) 柳田国男の民俗学は、稲を持ってきた人以前に 日本列島に住んで、山のなかで狩猟をしたり、 木こりをしたり、製鉄に携わったりしていた、 農業民以外の人たちに対する関心からはじまっています。 柳田国男の民俗学を突きつめていきますと、 一見まるで孤立した民族のように見える アイヌの人たちが、祖先は縄文の人たちとして 一緒に含まれてくるわけです。 柳田国男は、アイヌの人たちの祖先が 日本の縄文時代の人たちの直系に近い残りだとは あからさまにいっていませんが、 そう考えていたということはとてもよく理解できます。 僕らが柳田国男のいうところを推測して 普遍化していくと、 どうしてもそういうところに突き当たるような気がします。 [A101]FreeArchive マス・イメージからハイ・イメージへ 講演日時:1987年7月16日 主催:河合塾 場所:河合塾 名駅キャンパス16号館 収載書誌:河合文化教育研究所『幻の王朝から現代都市へ──ハイ・イメージの横断』(1987年) ランドサット映像のいいところは、 ひとつの地図というものが さまざまな歴史的時間を包括することができる ということです。 たとえば神話時代の視線は、 村落の外れにある低い山や丘の頂から村落を俯瞰する、 500?600メートルくらいの高さからの 視線であったことがわかります。 この視線は歴史が発展するとともに 高度を増して現在に至っています。 現在、イデアルにいえば、 無限遠の高さからの視線を考えることができるわけです。 ごくふつうの人たちが 無限遠の高さからの視線を獲得できたとき、 現在900?200キロメートルの視線を 独占するかどうかで争っている、 ふたつの世界権力の視線を超えたことを 象徴すると思います。 [A102]FreeArchive 都市論 Iーー都市問題から見た天皇制 講演日時:1987年9月12日 主催:中上健次/三上治/吉本隆明 場所:品川・寺田倉庫 T-33号館 4F 収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』(1988年) 民間の一資本が、皇族の土地を手に入れて、 とうとう天皇家の土地よりも 大きな土地所有者になったということは、 東洋的な君主という意味での天皇家の大きな柱を すでに崩してしまったことを意味していると思います。 それは、歴史のある必然を象徴しているように思えて、 たいへん興味深いことだと考えます。 都市の収縮がこれから更に過剰になって、 ビル街が皇居周辺を囲んでしまったという場合を 想定しますと、皇居を売るときは いつか来るじゃないかと思えてならないんです。 売っちゃって、京都御所なら京都御所に 引っ込もうと考えるときが、 ないとはいえないんじゃないかと思うのです。 僕の理解のしかたでは、それが、 都市問題から見た天皇制の問題です。 [A103]FreeArchive 文学論ーー文学はいま 講演日時:1987年9月12日 主催:中上健次/三上治/吉本隆明 場所:品川・寺田倉庫 T-33号館 4F 収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』1988年 もし現在の文学が、さびれている感じがしたり、 隣接するほかの世界に 活性が吸収されていってしまうと感じることが あるとすれば、それは「毒性のなさ」が 大きな要素になるのではないかと思います。 「毒性」ということにはふたつの意味があります。 ひとつは、とても醒めていることです。 もうひとつは、否定性だと思います。 そうした意味でいえば、 村上龍さんの作品も山田詠美さんの作品も、 刺激的な毒性を持っているのです。 [A104]FreeArchive 都市論 IIーー日本人はどこから来たか 講演日:1987年9月13日 主催:中上健次/三上治/吉本隆明 場所:品川・寺田倉庫 T33号館4F 収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』(1988年) 柳田国男のような、歩く民俗学者というか、 日本のぜんぶとはいわないまでも、 半分か3分の2ぐらいはとにかく自分の足で歩いて、 そのあげくに考えられた 「日本人はどこから来たか」みたいなこととは、 もちろん違います。 4畳半というか6畳というか、 そういうところでごろごろしながら考えた、 つまり歩いたことはあんまりない、 そういう人間の描く「日本人はどこから来たか」を 一度やってみたいのです。 [A105]FreeArchive 究極の左翼性とは何かーー吉本批判への反批判 講演日時:1987年9月13日 主催:中上健次/三上治/吉本隆明 場所:品川・寺田倉庫 T-33号館 4F 収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』(1988年) はっきりさせておきたいのは、 国家と資本が対立した場面では、 資本につくっていうのがいいんです。 国鉄が民営化分割されるっていうんだったら、 原則としてはそのほうが正しいんです。 次に、資本と組織労働者とが対立するときには、 労働者につかなければいけないわけです。 その先に、もうひとつあります。 組織労働者と一般大衆のあいだに 利害の激しい対立が生じた場面では、 一般大衆につくのが、左翼思想の究極の姿なんです。 [A106]FreeArchive 農村の終焉 講演日:1987年11月8日 主催:雑誌「修羅」同人 場所:長岡市北越銀行ホール 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第5巻』(2002年) 農村を守るという論議のなかには、 非常に切実な問題が含まれているのです。 一種の文明の必然、文化の必然、科学の必然というもの、 そういう必然はいかようにも止めようがないんだけど、 それにも関わらず、 理不尽な絶滅のしかたはしたくないとか、 理不尽な交代のしかたはしたくない、 そこにどういう活路を求めたらいいのかという問題は、 ものすごく切実な問題だし、 当事者だったらなおさらそうなのです。 だからその問題は、もう完全に問題としてあるので、 それは大いに論議されるべきだけど、 「都市の野郎があんなこというのは むちゃくちゃじゃないか」 「とんでもねえ野郎だ」とか 「農村を知らないんだ」とか、 そういういい方での対立のしかた、 論議のしかたはあまり意味はないと思います。 [A107]FreeArchive 恋愛について 講演日時:1988年3月4日 主催:日仏学院 後援:フランス大使館 場所:東京日仏学院ホール 収載書誌:弓立社『人生とは何か』(2004年) 恋愛には、3つの段階と3つの種類があると思います。 ひとつは正常な恋愛です。 1対1で、ひとりの男性とひとりの女性が出会って、 両者のあいだに恋愛感情が起こる。 そういう恋愛を正常な恋愛としますと、 それがいちばん根底的な 恋愛といえるんじゃないかと思います。 その次の段階にくる恋愛は、三角関係の恋愛です。 恋愛というのは対幻想であって、1対1のあいだにしか 起こりえないのですけど、 三角関係というのは3者のあいだに起こるので、 これは矛盾なわけです。 つまり、恋愛における矛盾、あるいは 矛盾としての恋愛です。 3人というのは、共同性のいちばん原型にある関係で、 恋愛感情とか男女の恋愛という対幻想とは、 本来ならば違うはずなんです。 これに対して、さらに段階が進んだ恋愛を 想定するとすれば、直接の接触や関係を いつも回避されている恋愛というものが それに当たると思います。 それは、もう少し進んだ高次な段階の恋愛として 存在するんじゃないかというのが、 僕のお話ししてみたいことです。 [A108]FreeArchive 日本経済を考える 講演日時:1988年3月12日 主催:墨田区立寺島図書館 場所:寺島図書館3階読書室 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第12巻』(2006年) 露骨にいってしまえば、経済学は支配の学です。 そうじゃなければ指導者の学です。 反体制的な指導者にも、大づかみにすると、 経済学は非常に役に立つわけです。 みなさんのなかにはこれから指導者になるとか、 支配者になるという人もおられるかもしれませんし、 また、そういう可能性もあるかもしれません。 けれどもいまのところ大多数の人は、 何でもない人だと思います。 僕も支配者になる気もなければ、 指導者になる気もまったくないわけです。 ですから、僕がやるとすれば、 もちろん素人だということもありますけど、 一般大衆の立場からどういうふうに見たらいいか ということが根底にあると思います。 僕の理解のしかたでは、それはたいへん重要なことです。 [A109]FreeArchive シンポジウム・太宰治論 講演日時:1988年5月14日 主催:弘前大学教育学部 近代文学研究会 後援:弘前大学生協/東奥日報社/RAB青森放送/大和書房 場所:第1部・弘前大学教養部17番教室/第2部・スペース・デネガ 収載書誌:大和書房『吉本隆明「太宰治」を語る──シンポジウム津軽・弘前'88の記録』(1988年) 太宰治の作品は、物語の流れだけ読めば、 たいへん明瞭な物語を持っている完成された作品です。 ところが実験的な作品となっていきますと、 物語性としてのドラマとは別な、 人称のドラマ??目に見えない、 筋の起こらないドラマというのもたくさんあって、 太宰治の作品はこのふたつのドラマから 成り立っているように思います。 そこのところがつかまえどころじゃないかと思われます。 このことはどこで資質として形成されたのかを考えますと、 太宰治の乳幼児から青春の入り口のところまでにある体験が 大きな役割を演じているだろうと僕は推察します。 [A110]FreeArchive 普遍映像論 講演日時:1988年6月3日 主催:京都精華大学 学生部 場所:京都精華大学 収載書誌:未発表 言葉の表現者であり、 同時に死の経験者である??そのふたつのことを 兼ねている文学者がいます。 日本では島尾敏雄という作家です。 もうひとりは、ドストエフスキーです。 この人たちの体験と表現のなかには、 死の体験のイメージと、 死の体験から生きて帰ってきたイメージと、 文学作品としての言葉の芸術が 一身に兼ねられているのです。 そのなかのイメージの構造と作品の構造との関わりあいを 取り出すことができるならば、 いっぺんに解けてしまう問題があるわけです。 [A111]FreeArchive 荒地派について 講演日時:1988年8月3日 主催:関東学院大学文学部/関東ポエトリ・センター 場所:関東学院大学葉山セミナーハウス 収載書誌:未発表 三好達治の詩でも立原道造の詩でも、中原中也の詩でも、 半ば無意識的に最初の言葉さえぶつけられれば、 そこから意識の持続がある限り詩は成り立って、 持続が終わったときは詩が終わる。 そういうものが一般的に詩と考えられるとすれば、 荒地派の詩人たちが日本の詩のなかにもたらした 方法というのは、 「推敲可能な詩が書ける」ということです。 流れを止めて考え込む、 立ち止まって自分が書いた詩の一行を 自分でじっと検討してみる??そういう詩の書き方が 可能だということをはじめて教えてくれたのが、 荒地派の詩だと思います。 [A112]FreeArchive 親鸞から見た未来 講演日時:1988年10月13日 主催:大谷大学 場所:大谷大学 収載書誌:東京糸井重里事務所『吉本隆明が語る親鸞』(2012年) 現在起こっている社会現象に特徴があるとすれば、 一見すると「緊急な事柄」のように見えるもののなかに、 本当は「永続的な問題」が混ざって、 一緒に出てきていることだと思います。 こういう考え方にたいへん示唆を与えてくれたのは、 親鸞の「再び還ってきて、自在なる慈悲を発揮すべきだ」 という考え方です。 ある社会的な事件があったら、 親鸞的ないい方をすれば??時間的にいえば 未来から??「浄土や死からの光線で 照らしだしてみなければわからない」 という永続的な課題が、 あらゆる社会現象のなかに見られるようになったことが、 とても重要なことではないかと思われるのです。 [A113]FreeArchive 親鸞の還相について 講演日:1988年11月1日 主催:真宗大谷派東京教区教化委員会 場所:真宗大谷派東京教区会館 収載書誌:春秋社『未来の親鸞』(1990年) 僕は死んだ後に実体として浄土があって、 そこに自分たちが行くんだというふうに 少しも信ずることができません。 不信な一般大衆といいましょうか、 煩悩のさかんな凡夫という場所にいる現在の人間は誰も、 たぶん至心に信仰して念仏を唱えれば 浄土へ行けるとは信じていないだろうと思います。 それは、大乗教の世界的思想家である天親とか曇鸞とか 親鸞が一生懸命、末法の時代でも 信仰のうえでわかりやすく説いてくれた教え方を、 僕らはまるごとつかむということが できなくなっているということがいえるわけです。 そうしますと、いまどういうことが 起こっているかといいますと、 比喩としてしかわからなくなっているのが 実情じゃないかと思えます。 〈還相〉、還りの姿とは何なのか、 浄土とは、人間の「死」とは何なのか、 ぜんぶ比喩としてしかわからなくなっているんです。 [A114]FreeArchive 子供の哲学 講演日時:1988年11月10日 主催:本郷青色申告会 場所:本郷青色申告会館 収載書誌:未発表 子どもというのは、単独ではまったく意味がなく、 定義することのできない存在です。 少なくとも母親、もっといえば父親も交えて、 「親というものと込み」でしか、 定義することができません。 だからいったん児童期、思春期になって、 おかしくなってしまったときには、半分はもう遅いんです。 はじめに決定論的なものが半分あって、 「まだ半分はさかのぼる余地もあるよ」 ということになると思います。 子どもというのは、親と2世代の込みで考えると、 いろんな問題が自ずから解けていくということが あると思います。 僕らがこういうことをよくよくわかることができたら、 またフランクに話すことができたら、 子どもにとっても親にとっても幸いなことだと思います。 [A115]FreeArchive 異常の分散ーー母の物語 講演日時:1988年11月12日 主催:宮崎市・一ツ瀬病院・精神医療を考える会 場所:宮崎市中央公民館 収載書誌:弓立社『心とは何か』 (2001年) 何が重要かというと、まず母親の物語というのが重要です。 母親の物語とは何かというと、 子どもとのあいだの物語です。 それは、簡単な要素からできあがっています。 イメージを考えますと、抱く、授乳する、 オッパイをやるということ、 それからとにかく眠らせるということです。 睡眠のはっきりしたパターンを ちゃんとつくりあげることです。 それから排泄の世話をする。後始末をするということです。 これは動物だったら、 母親はお尻をなめてやったりしますけど、同じことです。 これが母親の物語を構成する基本的な要素です。 つまり、母親と子どもの物語の構成要素というのは、 抱くとか授乳とか眠らせるとか排泄の世話をするという、 これだけの要素からできあがっています。 この要素が、どうして物語になるのでしょうか。 [A116]FreeArchive 良寛について 講演日時:1988年11月19日 主催:埼玉県日高町武蔵台自治会 収載書誌:未発表 良寛というと「托鉢を忘れて一日中子どもと遊んでいた」 というイメージを誰でも持っているのではないでしょうか。 だから良寛を子どものように邪気もない人だったと 理解するのは、僕の理解のしかたでは 少し間違いであるような気がします。 たとえばみなさんが、何か用事があって出かけて、 その用事を忘れて映画を見てしまった、 子どもと遊んでしまったとすると、 そういうふうに心が動くということは、 なかなか一筋縄ではないことだと思われるからです。 「いろいろなことを忘れて子どもと遊んで その日が終わってしまった」 という良寛の遊び方は、楽しくて遊ぶということが ひとつ確実にあるわけですけれども、 もう少し考えると「子どもと遊ぶということと、 托鉢をして食べ物をもらうということが、 良寛にとっては同じだけの重さであった」 ということがいえそうな気がします。 [A117]FreeArchive 岡本かの子 講演日時:1989年3月10日 主催:川崎市民ミュージアム 場所:川崎市民ミュージアム 収載書誌:中央公論社「マリクレール」1989年8月号 岡本かの子の作品には、 「意味」なんかそんなにないんです。 ただ、〈生命〉があるんです。 本来ならば言葉の概念のなかには、 ぐるぐる巻きになったかたちでしか 〈生命の糸〉は含まれていないんですけれど、 高速度写真的な描写によって、その糸を伸ばしてみせる。 その描写から、読む人は〈生命〉を 感ずることができるのです。 〈生命の糸〉というものをスーッと伸ばして、 川の流れに布をさらすように、さらしてみせる。 〈生命の糸〉をこれだけ感じさせた作家はほかにいません。 この作家は、明治以降の近代文学の女流作家のなかで、 女流という言葉を入れなくても 済んでしまう最高の作家だと思います。 この人を最高の作家というためには、 〈生命の糸〉を感じられないといけないように思います。 [A118]FreeArchive 未来に生きる親鸞 講演日時:1989年6月7日 主催:東京北区青年サミット 協力:春秋社 企画:玄 場所:東京都北区・昭和町区民センター 収載書誌:東京糸井重里事務所『吉本隆明が語る親鸞』(2012年) 思想というものがどう生きるかどう死ぬか。 そして、一見生きているように見えてどう死んでいるか、 一見死んでいるように見えてどう生きているか。 偉大だというけれど、どこかに滅びるものも もちろんあるわけです。 「自ずからとなったら、光につつまれるようになって、 名号を称えたらもう あの世に往生できる」??そういうのは 僕は信じていないんです。 そこはたぶん親鸞の思想のなかで、 時代が隔たったために滅びたところです。 しかし親鸞の思想のうち滅びてないところがあります。 それが偉大ということのしるしだと思います。 それがなければ思想というのは生きられないのです。 [A119]FreeArchive 日本農業論 講演日時:1989年7月9日 主催:雑誌「修羅」同人 場所:長岡短期大学 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2002年) 日本の農業が当面している問題から、 日本の農業の歴史的問題と、それから 一般に農業はどうあれば理想的な状態なのかということを、 いかに浮かび上がらせることができるでしょうか。 農業問題に関する限り、エンゲルスもマルクスも、 個人の欲望や私有という問題をどうするんだと いうところまで浸透していくだけの理論が ありませんでした。 それがいま、矛盾をきたして あらわれているのだと思います。 マルクス主義者や進歩派というのは、 「農業はどうあったら理想なのか」ということが いえないのです。僕は、 「小さな自作農がそれほどの格差もなく一面に並んで、 農業を自営している」 かたちというのは、かなり理想に近いと思っています。 日本の農業は国有化されればいいとはちっとも思いません。 自立農業にとって利益がある限り、 国有化・共有化したほうがよろしいと思います。 [A120]FreeArchive 高次産業社会の構図 講演日時:1989年10月5日 主催:石川文化事業財団 主婦の友社 場所:お茶の水スクエア・ヴォーリズホール 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第12巻』(2006年) サービス業が、これ以上いくら競争しても サービスして安くしても、 ここが経営が成り立つ限度だよというところまで あらゆる分野で発達してしまったら、そこは頭が打たれる。 そしたらどこへいくんだ。 それは第四次産業、モノから精神へ、 目に見えるものから目に見えないものの産業へ 移る以外に方法はないわけです。 [A121]FreeArchive 宮沢賢治の文学と宗教 講演日時:1989年11月2日 主催:文京区立?外記念本郷図書館 場所:文京区立?外記念本郷図書館 収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年) 宗教家としての宮沢賢治と、 芸術家・詩人あるいは童話作家としての宮沢賢治と どちらを偉大だと思うかといえば、 僕は詩人・童話作家・芸術家としての宮沢賢治のほうを 偉大だと思いたいところです。 しかし宮沢賢治自身は、宗教家としての自分、 法華経の信者としての自分というものを いちばん重要だと考えていたのではないかという 気がします。 法華経では、文学芸術を真っ向から否定しています。 「文学芸術のようなものに近づくならば 法華経の信者にはなれない」 といっています。 宮沢賢治は、思春期に法華経を はじめて読んだときにこのことにぶつかり、 また死ぬまで文学芸術をやめられなかったわけですから、 何らかの意味でこれに対する考え方がなくてはなりません。 [A122]FreeArchive 宮沢賢治の実験 講演日時:1989年11月12日 主催:森集会 場所:芦屋市民センター 収載書誌:春秋社『本当の考え・うその考え』(1997年) 科学的にいって、死んだ後の世界があって、 そこに魂がいくという考え方を是認することは どうしてもむずかしい。 もし「本当の考え」と「うその考え」とを 分けることができる実験の方法さえ決まれば 解決するでしょうが、 それはどうしたらいいのかわからない。 糸口は自分なりにつけてはみたんだけど、 そこで完全に解けたといえないところで、 宮沢賢治は終わったと思います。 「その実験の方法さえ決まれば」 という言葉はとても重要で、 それは日蓮もいわなかったし、 もちろん最澄も智ギもいわなかったことで、 宮沢賢治だけがいった言葉です。 [A123]FreeArchive イメージとしての都市 講演日時:1989年11月12日 主催:ことばをひらく会 場所:尼崎市 つかしん 収載書誌:産経新聞社「正論」90年4月号・5月号 イメージは、かつては力でなく 空想に過ぎませんでした。 「金もないのにそんなこと思ったってしかたないじゃないか」 ということでした。 政府がやれば、自治体がやれば、大資本がやれば、 それでペチャンコじゃないかと思われていました。 かつてはそうでしたが、われわれの段階では そうではないのです。 「完結したイメージを持つことができる」 ということは、それだけで 実現可能性を持った力だという段階に 現在は達しているんです。 都市を構想することはできる、ということなんです。 逆に、都市をつくるものは、 万人が持っているイメージを無視することはできないと 思います。実際には、大資本でも、国家でも、 地方自治体でも、誰がやってもいいんです。ただし 「あんたたちのイデオロギーを、理想の人工都市のなかで 自己主張してもらっては困りますよ」 というチェックを、それぞれがやればいいと思うんです。 大事なことは、それぞれの人が、 理想の人工都市を自分のイメージで ちゃんとこしらえることです。 自分なりに完成したイメージを われわれが持っているならば、 誰もそれを無視することはできないと僕は思います。 [A124]FreeArcive 言葉以前のことーー内的コミュニケーションをめぐって 講演日時:1993年10月 主催:メタローグ社創作学校 収載書誌:メタローグ『詩人・評論家・作家のための言語論』(1999年) 言葉以前の内的コミュニケーション?? 言葉を発しないで相手にわかる、 そのわかり方の言葉っていうのは どういうふうにしてできているのでしょうか。 誰でも、相手の表情を読んだら 何を考えているかわかるということはあるわけです。 特に恋愛状態みたいになれば、会って、動作ひとつ、 言葉ひとつで相手が何を考えているか わかっちゃうことがありうるわけです。 そうした「内的コミュニケーション」というのは、 受胎して10ヵ月して出産されて、 1年未満の乳児までのあいだに、 その原型ができてしまうというふうに 理解すればいいと思います。 言葉なき言葉??言葉以前の言葉みたいなもので わかってしまうという能力というのは、 そこで形成されると考えるのが いちばんよろしいと僕は思います。 1990〜 [A125]FreeArchive 宮沢賢治を語る 講演日時:1990年2月10日 主催:朝日カルチャーセンター 協賛:コニカ生涯学習セミナー 場所:津田ホール 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第8巻』(2004年) 宮沢賢治はたいへんな農業科学者ですが、 「来世が存在するということを 科学者として信じることができたのか」 ということが問題です。宮沢賢治という人は、 そこで思い悩んだと思います。 自分の抱いている宗教観と、 科学者として身につけている 自然認識や物質についての認識、農業についての知識が どこかで一致する点はないか、 どこかで一致させることができないだろうかと 本気になって考え、本気になって悩んだと思います。 そこの問題が、宮沢賢治の文学や芸術と、 宗教思想との関わり方を決めていく 大きな問題になったと思われます。 [A126]FreeArchive つくば、都市への課題 講演日時:1990年5月18日 主催:筑波西武リブロブックセンター 場所:エキスポセンター コズミックホール 収載書誌:未発表 都市というのは、非常に嫌らしい本質を持っています。 都市は、産業が高次化して農業や漁業のような 第一次産業が衰退していけばいくほど成長します。 次に、第二次産業、製造業が 大きくなればなるほど成長します。 しかし第三次産業に重点が移っていったとき、 都市はなお成長します。 これは感情論でもなければ倫理の問題でもありません。 数学の定理のように、産業が高次化するほど 都市は成長するということです。 それが歴史の発展する方向であることは 疑いないと思います。 産業の高次化と都市の成長が比例関係にあるという定理を 冷静に見つめて分析し、 さまざまな条件をとりだしたうえで、 これを理想の状態に近づけるには どういう考慮が必要なのかを問題にすべきだと思います。 [A127]FreeArchive 渦巻ける漱石ーー『吾輩は猫である』『夢十夜』『それから』 講演日時:1990年7月31日 主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社 場所:有楽町・よみうりホール 収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年) 漱石はどう生きようとしたかということと、 どう生きざるをえなかったかということと、 その両方から「宿命」と「反宿命」が せめぎ合うわけですが、漱石が選んだのは 「宿命」から逃れ、自然な道筋から遠ざかろうという道を、 どんどんたどっていくことでありました。 これほど典型的に、宿命が自分を吸い寄せていく 力の大きさと強さをとてもよく心得ていて、 なおかつそれに逆らうということが 生きていくことだというところで、 力瘤をたくわえて、力瘤を発揮していってという かたちをとりながら倒れちゃうというような、 そういう生き方をせざるをえなかったというのも、 たぶんこの宿命の大きさと、 宿命に逆らうことの重要さということを、 作家としてのはじまりの時期にどんどん純化して、 そこの問題をはっきりと打ち出して、 自分の作家としての軌道を定めるということに なりえたからだ、というふうに思われます。 [A128]FreeArchive 『遠野物語』の意味 講演日時:1990年8月26日 主催:『遠野物語』発刊80周年記念事業実行委員会/遠野常民大学 共催:岩手県/遠野市/遠野市教育委員会 後援:岩手民俗の会/NHK盛岡放送局/岩手日報/岩手放送/テレビ岩手/エフエム岩手/朝日新聞社/毎日新聞社/読売新聞社/河北新報社/岩手東海新聞社/遠野商工会/遠野市観光協会 場所:岩手県遠野市・水光園 収載書誌:至文堂「国文学 解釈と教材」56巻3号(1991年)/新潮文庫『遠野物語』(1992年) 植物と動物のあいだ、動物と人間のあいだには 境界線がないーー「中間はいつでも連続しているんだ」と いうことをひとりでにいっていることは、 柳田国男のとても大きな特徴だと思います。 柳田国男にとって、稲を持って来た人たち(平地人)と、 それ以前に住んでいた人たち(山人)の区分は、 はじめから終わりまで関心の的になっていました。 ここでたぶん「中間は連続する」という考え方のスタイルは 生まれてきたと推測することができます。 『遠野物語』の中核に理念を与えるとすれば、この 「中間は連続している」という論理だと思います。 この中間についての論理は、柳田国男の場合は 論理というよりも、文体の実質の力で ひとりでにやってしまったと思います。 これは、他の古典物語と比べて比類のないほど長い 多様な時間を包括していることとともに、 『遠野物語』が問いかけてくる問題に違いありません。 [A129]FreeArchive 都市論としての福岡 講演日:1990年9月30日 主催:「パラダイスへの道」出版委員会 場所:福岡市早良区市民センター 収載書誌:パラダイス企画『パラダイスへの道' 91』(1991年) 都市論ということは、さまざまな観点と視点を 持つでしょうけれども、僕らの視点からいえば、 都市論は国家論と同じことなんです。 また、九州一円についての都市について論ずることは、 世界全体について論ずることと一向に変わりなく、 同じことなわけです。 都市と都市を比較するということは、 先進国と後進国を比較するというのと同じ意味を持ちます。 たとえば福岡市と鹿児島市、 あるいは福岡市と熊本市のデータを比べて、 さまざまな観点から比較をしますと、 世界における先進国と後進国、 あるいは先進地域と後進地域との格差が どのように縮まるかとか、 いや格差は縮まらないんだとか、 そういうことについての判断のモデルになりうるのです。 [A130]FreeArchive 柳田国男と田山花袋 講演日時:1990年9月8日 主催:柳田国男研究会/遠山常民大学/浜松磐田常民文化談話会/ふじみ柳田国男を学ぶ会/飯田歴史大学/鎌倉柳田国男研究会/遠野常民大学/鎌倉市民学舍/於波良岐常民学舍 後援:邑楽町/邑楽町教育委員会 場所:群馬県邑楽郡邑楽町・長柄公民館 収載書誌:至文堂「国文学 解釈と教材」57巻2号(1992年) 田山花袋と柳田国男は、若い頃から 和歌や新体詩の仲間として 相互に影響しあっているのですが、 両者がそれぞれの道へ進んでしまった後も、 ふたりのあいだにはたくさんの類縁性を たどることができます。 そこで考えますと、花袋や自然主義の文学潮流と、 柳田国男の民俗学の方法を支えたスタイルとは、 それほど分離してしまったといえない気がします。 初期の叙情時代のふたりは、 同じ文語体のスタイルの圏内にあり、 柳田はそれを延長して『遠野物語』へ、 花袋はそこから脱出して自然主義へ向かった、 という経路も考えられます。 ふたりが自分では語らなかった 無意識の影響を含めて追求することができると、 柳田国男だけでなく、 日本の自然主義文学に対する追求に 入っていくことになるのではないでしょうか。 [A131]FreeArchive 死を哲学する 講演日時:1986年9月11日 主催:本郷青色申告会 場所:本郷青色申告会館 収載書誌:弓立社『人生とは何か』 (2004年) 「人間は必ず死ぬ」といういい方と 「私は必ず死ぬ」といういい方のなかには ぜんぜん違うところがあります。 その違うところが誰にとっても あいまいになっているわけで、 もちろん宗教にとってもあいまいになっている。 そのあいまいになっている部分に、 「死とは何か」という問題の精神が関わる部分が 該当するだろうといえます。 物質的あるいは生活的な意味で死の問題が解けたとしても なおかつ精神的な意味での死の問題は 解けないということが残るとすれば、 「人間は必ず死ぬ」といういい方と 「私は必ず死ぬ」といういい方のあいだにある隙間から、 「死とは何か」という問題がいつでもむくむくと 頭をもたげてくるといえるのではないでしょうか。 [A132]FreeArchive いまの社会と言葉 講演日:1990年12月12日 主催:白梅学園短期大学 場所:白梅学園短期大学 収載書誌:弓立社『大情況論』(1992年) 今日の言葉と明日の言葉とは ちっとも変わっていないように見えるんですが、 1年なら1年、2年なら2年たつと、 いつの間にか変わっているという変わり方を することになります。 もちろん断絶的に新語が勝手にできたということも 自由自在です。 しかしそうではなくて、1ヵ月や2ヵ月では ぜんぜん変わっているとは思えないんだけど、 「候べし」と昔いってたのが、 500年もたつと、「そうだぞ」という言葉に 変わっています。 ところが501年、500年、499年前と連続的にとったら、 ちっとも変わり方がわからない。 それが蓄積すると変わっている。 言葉というのはそういう変わり方をする面があります。 言葉の断続性、新語とか流行語と同時に、 日本語は日本語じゃないかという連続性、 そのふたつの面をつくって、時代とともに 移っていくのです。 これが言葉の持っている生理・心理に属するわけで、 その背景の社会はそれぞれいろいろ 変わっていくことになります。 [A133]FreeArchive 家族の問題とはとういうことか 講演日時:1991年2月17日 主催:東京メンタルヘルスアカデミー 場所:六本木・交通安全センター 収載書誌:弓立社『人生とは何か』 (2004年) 人間が生きるということのなかにはいくつもの層があって、 どこに重点を置けばいいかということは それぞれでありえます。 表面層で解決してもいいし、中間層で解決してもいいし、 もうやむをえず、これをやる以外に 方法はないのだというふうになれば、 やっぱり核の問題まで入っていって 家族内の精神障害なら精神障害の問題を解いていく ということをやる以外にないと思います。 僕の考え方は、心の仕組みの問題でいちばん重要なのは、 胎児、乳児のところにあり、 特に母親と乳児との関係のあいだにある。 それが第1位だという考え方をとります。 そこを省みないで、非常にピンチに陥ったときの 家族の問題を解くことは なかなかできがたいだろうと思われます。 [A134]FreeArchive 資質をめぐる漱石ーー『こころ』『道草』『明暗』 講演日時:1991年7月30日 主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社 場所:有楽町・よみうりホール 収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年) 『こころ』という作品が、 いまでもたくさん読まれているのは、 先生の遺書のクライマックスで、 ひとりの女性をめぐる親友同士の ふたりのあいだの葛藤のしかたと結末のつけかたが たいへんな迫真力を持っている、 その真実らしさに理由があるのじゃないかと思うのです。 これは、作家漱石の資質の悲劇が絡み合った生涯の いちばん重要なテーマだったといえそうです。 漱石がこのテーマに固執した根本の理由は、 資質としての悲劇にあると思われます。 文学が、この資質の問題に何かいえるとしたら、それは 「生い立ちの物語」として出てきた場合です。 そして、『こころ』の次に書かれた 『道草』という作品で、漱石は 乳幼児体験としての自分の資質形成のあり方というのを、 生涯で初めて詳細にえぐりだしていくのです。 [A135]FreeArchive 現代を読む 講演日時:1991年10月20日 主催:前橋市・煥乎堂 場所:煥乎堂音楽センター3階ホール 収載書誌:弓立社『大情況論』(1992年) 「現代を読む」という場合の、 「現代」と「現在」とを区別してみることは、 僕の考え方ではたいへん重要だと思います。 僕の理解のしかたでは、日本の社会が 「現在」に入った兆候を見せたのは、 1973(昭和48)年頃です。 わかりやすい象徴をいいますと、 そのとき札幌ビールが「天然水No.1」を発売しました。 いわゆる名水、水をはじめて売り出したのが この73年です。 マルクスのように興隆期の資本主義を 分析した人がいうところでは、 水とか空気はたいへんな使用価値があるが、 交換価値はないということになります。 ところが天然水を売るというのは、 水に交換価値が出てきたことを意味します。 それは、経済の段階で資本主義が 一段階上にいったということです。 初期の興隆してゆく資本主義分析の 基礎になっている考え方が、 やや通用しがたくなった兆候が、 日本社会では1973年前後にさまざまなところであらわれ、 そのとき以降日本社会は 「現在」に入っていったと考えられます。 それは、社会が未知の段階に入っていったということです。 [A136]FreeArchive 農業から見た現在 講演日:1991年11月10日 主催:雑誌「修羅」同人 後援・弓立社 場所:長岡市・中越高等学校会議室 収載書誌:未発表 はっきりわかっていることは、 先進諸国においては農業、もっといいますと第一次産業、 あるいはもっといいますと 自然を相手にして生産する産業は、 減少する一方だということです。 減少する速度はそれぞれですが、 減少することは歴史の必然、文明の必然であって、 これを変えることはできないと僕は思っています。 これを遅くしたり、あるいは止めたりということは 政策いかんによってできないことはありませんが、 文明の発達が第一次産業を減少させていくことは きわめて自然必然、歴史必然だろうということは 間違いないことです。 [A137]FreeArchive 現代社会と青年 講演日時:1991年11月16日 主催:千葉県立佐倉高校PTA 場所:千葉県立佐倉高校 収載書誌:佐倉高校PTA「会報」38号 (1992年) 家庭内暴力や登校拒否、いじめというのは、 乳幼児期、もっとさかのぼりますと 胎児のときの母親との関わり方の失敗が 根本的な問題だというのが僕の考え方です。 胎児のとき、乳児のときに、 うまく子どもを扱えなかったことの代償だと 僕は思っています。 乳児、胎児に対する扱い方をそうとう失敗したというのが、 僕の理論であり考え方です。 そこへいかない限りは、家庭内暴力とか、 登校拒否という問題は、 根本的には解けないだろうなと思います。 高校生になってしまったら、本当はもう遅いんです。 人間の心の形成としていちばんたいへんだった時期は、 すでに終わっています。 だから、自分の心に問題があれば、 自分でそれを克服しようと努力をするより しかたがありません。 人間というのは自分を超えていく存在なのです。 [A138]FreeArchive 像としての都市 講演日:1992年1月21日 主催:NKK都市総合研究所 場所:大手町・日本鋼管本社ビル 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第11巻』(2005年) ひとつのビルがどうなっていくのが理想なのかを 追究することと、 都市がどうなっていくのが理想なのかを追究することと、 国家社会がどうなっていくのが理想なのかを 追究することはぜんぶパラレルで対応する、 そういう考え方を僕はしてきました。 どんな国家社会が理想的な社会かというのを弾き出す場合、 主観的に、あるいは知的に 「これが理想なんだ」といっても、 そんなことはちっとも当てになりません。 理想の設計という場合、他者というのが必要です。 理想というのは先端的であればいいか、新しければいいか、 間違っていないやつを選べばいいかといったら そんなことはないので、いつでも一般人的なもの、 平均人的なもの、あるいはそのときの平均都市的なものを 絶えず他者としてこっちに持っていなければ、 どんな先端的な試みも危ういでしょう、と 僕は考えています。 [A139]FreeArchive 言葉以前の心について 講演日時:1992年2月8日 主催:宮崎市・一ツ瀬病院・精神医療を考える会 場所:宮崎科学技術館多目的ホール 収載書誌:弓立社『心とは何か』 (2001年) 人間の心の世界のもとになっているのは、 大別すればふたつあります。 ひとつは、内臓の動きが心の世界の動きを決めていく面と、 もうひとつは、動物性の神経に動かされて起こってくる 心の動きです。 人間の身体器官を起源とする考え方は、 まったく三木成夫さんの考え方によるわけですけど、 僕はこれを人間の心の動きと結びつけたのです。 これを僕の言語理論と結びつけたくて、 植物性の器官からくる心の動きは自己表出であり、 それから動物性の神経、つまり感覚からくる心の動きは 言葉になる前の言葉の指示表出である。 そのふたつがあって、それが心の動きなんだと、 結びつけてきたわけです。 [A140]FreeArchive 芥川における反復概念 講演日時:1992年4月16日 主催:神奈川近代文学館/神奈川文学振興会 後援:日本近代文学館 場所:神奈川県立音楽堂 収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年) 芥川の作品を読み返して改めて感じたことは、 芥川が漱石の影響を被っている度合いは とても大きいんだなあということでした。 変ないい方をしますと、芥川という人は 「漱石に魅せられた生涯と文学」だなということを 強く感じました。 乳幼児期の不幸な生い立ちという点で、漱石と芥川は たいへんよく似ていて、 たいへんよく似た気にしかたをしています。 芥川は閲歴についても、作品についても、 漱石という偉大な師を生涯の反復概念の手本にすることを いつでも意識していたと思えてしかたないのです。 そう意識しながら、 そこからどうやって出て行こうかということが、 芥川にとってとても重要な問題になったんだと 思われてならないところがあります。 [A141]FreeArcive 宮沢賢治 講演日:1992年7月29日 主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社 場所:有楽町・よみうりホール 収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年) 宮沢賢治の詩を考えると、いつでも岐路に立たされます。 何を詩と考えるかについて、 ヨーロッパも含めて近代詩以降の考え方を持ってきますと、 宮沢賢治の世界はまるで違うとか、 まるで無駄なことをしていることになるのかもしれません。 しかし、そうじゃなくて、 仏教的な世界観をもとにして、 現象と現象とが溶け合った世界を どうやってスケッチするかが詩なんだという観点に立てば、 これほどの天才的な世界を突きつめていった詩人は いないんだということになっていきます。 [A142]FreeArcive 現代文学のゆくえ 講演日時:1992年10月5日 主催:東急文化村/ドゥマゴ文学賞事務局 場所:渋谷・シアターコクーン 収載書誌:未発表 現在、高度な先進的社会で流行っている イメージのつくり方が文学のなかにあります。 「自分の姿が自分で客観的に見えてしまって、 やっている行為自体がぜんぶしらけてしまう」 という描かれ方です。この問題は、引き延ばしてみると 現在の先進的な社会が当面している問題の大きな部分と 共通のところを占めていると思います。 先進的な社会のひとつである日本でアンケートをとると、 89%の人は「自分は中流の生活をしている」という 結果が出てきます。 これはある意味で不気味な数字だし、 たいへんなものだと思います。 世界の先進的な社会で、9割9分の人が 「自分は中流の生活をしている」 という社会がやってくることは、 わりあいに近未来だといったほうがいいような気がします。 それはたいへんな社会です。 どこかでカタストロフィ、破局をつくらないと 文学にはならないでしょう。 「しらけ方」も、破局をもたらすような 描き方を必要とすることになりそうな感じがします。 [A143]FreeArcive 青春としての漱石ーー『坊っちゃん』『虞美人草』『三四郎』 講演日時:1992年10月11日 主催:紀伊國屋書店 協賛・筑摩書房 場所:新宿・紀伊國屋ホール 収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年) 文学は架空のもので、言葉であって、 いくらやってもつくりもので、 実際に恋愛真っ最中の人を 恋愛小説でいくら釣ろうとしてもそれは無理で、 絶対にかなわないのです。 しかし、男女が恋愛の真っ盛りで、 両方とも無我夢中になって、 いま別れても次の瞬間には もう会いたくてしょうがないぐらいになっている。 そういう心躍りを文字のなかに、 言葉の表現のなかに持っているとしたら、 それは文学の初源性です。 『虞美人草』のある場面が持っているこの感じ、 もとをただせば文学はこういうものだったんだ、 どんなに表現のしかたが発達しても、 もとをただせばこれだったんだということは、 漱石の作品のなかでも『虞美人草』だけが 感じさせるものです。 [A144]FreeArcive わが月島 講演日時:1992年10月31日 主催:中央区立月島図書館 場所:中央区立月島図書館 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 わが月島』(2004年) 月島の歴史をひもといて見ていくと、 日本の明治以降の近代の、 封建時代から超現代的なところまで 駆け足で通り過ぎてしまった歴史を、 非常によく象徴的にあらわしていると思います。 僕も子どものときの町で懐かしいですから、 初期の月島のイメージと思い出に浸ることも たくさんあるんですが、実際問題としていいますと、 月島というのはそういうところを通り過ぎていて、 途方もないところに入って、それを背負っているんだよ、 ということを考えたほうがよろしいんじゃないでしょうか。 かつての初期の月島、佃島を振り返ると 懐かしさもひとしおですし、 否定性もひとしおだとなると思いますが、 それがいちばんよろしいんじゃないかと思えます。 [A145]FreeArcive 文芸のイメージ 講演日時:1992年11月3日 主催:梅光女学院大学 場所:梅光女学院大学 収載書誌:未発表 日本でアンケートをとると、国民のうち8割9分の人が 「自分たちは中流だ」という意識を持っているという 結果が出てきています。 「明日食べるためのお米がない」ということが なくなってしまっていることは、まったく新しい時代です。 そういう人たちが何を悩みとするかと考えると、 だいたいにおいて精神的に正常であるか 異常であるかという、眼に見えない境界線を 行ったり来たりしている状態になりつつあり、 そういう人たちが増えつつあるという現状があります。 それを文学作品として感受しているというのが、 現在書かれている純文学の状態ではないかと思われます。 [A146]FreeArcive 鴎外と東京 講演日時:1992年11月8日 主催:文京区立?外記念本郷図書館 場所:東京大学 安田講堂 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年) 鴎外は、文学者、軍人、医学者と 3つぐらい面倒くさい衣を着て、 たいへん我慢に我慢を重ねた生涯を送った人だと思います。 そして最後に、「えいっ」と、 「東京もいらない、官庁もいらない、軍人もいらない」 というふうになって、 「岩見の人、森林太郎というのだけでたくさんだ」 という遺言をして亡くなる。 どれをとっても一流の3つの衣が、 もう重たくてやりきれないということになって、 ぜんぶほっぽり出しちゃったというイメージで理解すると、 たいへん理解しやすいような気がします。 ここらへんの交錯し錯綜するところが?外の全体像であり、 また東京に対する?外の私的な好みと 公的な見解とのありどころだったんじゃないかというふうに 思われます。 [A147]FreeArcive 新・書物の解体学 講演日時:1992年11月24日 主催:前橋市・煥乎堂 場所:前橋テルサ 8F けやきの間 収載書誌:未発表 〈健康な文学〉と〈健康でない文学〉ということで いまの文学を分けてしまったら、 いったいどういうことになるかというと、 本当の健康な文学というのも、 本当に病的な文学というのも、 両方とも描かれていないというのが 現状ではないかと思います。 やかましい書評をしてみれば、 そういうことになってしまうのではないかと思います。 「本を読むこと」は、必ずしも すぐれた作品にぶつかることであるとも限らないのです。 しかし、そのなかから何か搾り取ることが、 本の読み方で、さしあたっていちばんいい 読み方なのだとすれば、 見かけ上の健康さと不健康さの後ろに真実らしさとか、 真実の甘美さというものを見つけることが、 読むほうとしても大切なことなのではないかと 思えてなりません。 そこらへんのところまで行けたら、 さしあたって本の読み方としては いい読み方ということができるのではないかと思います。 [A148]FreeArcive 甦るヴェイユ 講演日時:1992年12月19日/20日 主催:デゼスポワァル 場所:渋谷ジァンジァン 収載書誌:未発表 ヴェイユの思想のなかに未来性があるとすれば、 革命思想に関する部分と宗教思想に関する部分は、 これから非常に生々しいかたちで 生き返ってくると思います。 先進国では既成の革命概念が 無効に近づいていきつつあるわけですが、 そういうことを超えてヴェイユの考え方は、 宗教思想と革命思想の両方の点で、 近未来に光を増すときがやってくるに違いないと 僕には思えます。 [A149]FreeArcive シモーヌ・ヴェイユの神 講演日時:1993年1月23日 主催:森集会 場所:芦屋市民センター 収載書誌:春秋社『ほんとうの考え・うその考え』(1997年) 「どこから見ても、そこが 普遍的真理の場所だというものを、 私たちが考えている領域のはるか向こうに 設定できるのだ」 というヴェイユの最後の到達点は、 たいへん私たちに希望を抱かせます。 そこはどこから行っても目指すことができる 領域のように思えるし、 党派、宗派独特の習慣儀礼に従わなくても、 「ただいかに真理に近づくか」 という考えだけがあればそこへ到達できる。 不可能だとしても到達可能性がいつでもある。 キリスト教的でもなければ、仏教的でもない、 あるいはどちらにも似ているといえば似ているし、 イデオロギー的であるようで 革命思想的でもあるように見える。 そういうことを介して どこからでも行けるはずだという場所を とにかく指差して見せてくれたことが、 ヴェイユの宗教としての 現代性のいちばん大きな場所じゃないかと考えます。 [A150]FreeArcive 不安な漱石ーー『門』『彼岸過迄』『行人』 講演日時:1993年2月7日 主催:紀伊國屋書店 協賛・筑摩書房 場所:新宿・紀伊國屋ホール 収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年) 『門』の後にくる『彼岸過迄』『行人』という作品は、 作品としては破綻のほうが多いといっていいのです。 漱石が持っている資質、それから実生活上、 作品上の関心に、なんとかして 解決や自分なりの納得を与えたいという モチーフの強烈さが、漱石をその後まで どんどん引っ張っていったということになると思います。 明治以降の文学者で、射程の長い、息の長い偉大な作家は 何人もいますが、漱石は少なくとも 作品のなかでは決して休まなかった、 いいか悪いかは別にして遊ばなかった。 漱石は自分の資質をもとにした自分の考えを展開しながら、 最後まで弛むことのない作品を書いたという点では、 息が長いだけではなくて、たぶん、 もっとも偉大だといえる作家だと思います。 [A151]FreeArcive 社会現象としての宗教 講演日時:1993年3月13日 主催:川崎市立麻生図書館/麻生選挙管理委員会 場所:川崎市立麻生図書館 収載書誌:未発表 精神的な存在としての人間は、無限に愚かであると同時に 無限に賢くもなれるというたいへん矛盾の多い存在です。 ひとりの賢い人間がぜんぶ賢いかというと 決してそうではなくて、 ある事柄について賢いということだけであって、 違う事柄については愚かであるかもしれないわけです。 また、ある事柄について愚かである人というのは、 違う事柄においては賢くて、 また能力があるかもしれないというふうに、 人間の存在はできていると思います。 そこのところで、宗教が社会現象として 人々の心に入ってくる根拠があるわけです。 新興宗教の教祖の人たちは、それぞれの自信を持っていて、 自信のもとになる体験も持っている。 賢いところもあり、それが感じられると、 非常にいい宗教だというふうに なっていくのではないかと思います。 [A152]FreeArcive 寺山修司を語るーー物語性のなかのメタファー 講演日時:1993年4月10日 主催:風馬の会 場所:早稲田奉仕園 レセプションホール 収載書誌:情況出版『寺山修司の世界』(1993年) 僕は自分のことも そういうふうに思うことがあるのですが、 寺山さんというのはたいへん孤独な人だったと思うのです。 たとえばインディアンに囲まれたアメリカの騎兵隊とか、 騎兵隊に囲まれて砦にこもったインディアン、 比喩でいうとそうなると思います。 砦のなかに本当はひとりしかいないのに、 こっちの銃眼から鉄砲を撃ったかと思うと、 また違う窓から鉄砲を撃つ。 そうやって、たくさんいるかのごとく 見せ掛けなくてはならなかったのです。 寺山さんは、短歌や俳句から、詩、散文、小説や戯曲まで、 あらゆることに手を出しています。 砦にこもった単独者のとても大きな特色だと思います。 色々なことに手をつけて、色々なところで 色々な弾を撃たなければならないというところは、 寺山さんのいちばんいいところだという気がします。 [A153]FreeArcive 現代に生きる親鸞 講演日時:1993年5月3日 主催:奈良吉野・瀧上寺 場所:奈良吉野・瀧上寺 収載書誌:東京糸井重里事務所『吉本隆明が語る親鸞』(2012年) もし親鸞の浄土真宗の信仰を、 信仰じゃなくて思想なんだよといういい方をすれば、 たぶん浄土真宗は信・不信に関わらず ぜんぶの人を覆うことができると思います。 どれが善いのかどれが悪いのか、 あるいはどれが真理で、どれが真理じゃないのか、 どれがやるべきことか、 どれがやるべきことでないのかということに、 じつに見事な解答を、 現代でも与えることができるものだと思います。 [A154]FreeArcive 斎藤茂吉の歌の調べ 講演日時:1993年5月14日 主催:斎藤茂吉記念館 場所:山形・上山市民会館 収載書誌:コスモの本『余裕のない日本を考える』(1995年) 緊張した詩を書いたまま、若くして死んじゃったという 詩人はいるんですけれども、 茂吉のように長生きした人で 最後まで衰えを知らない作品をまっとうした詩人は ほかにいないように思います。 斎藤茂吉という人の初期の作品を評価するにせよ、 後期の作品を評価するにせよ、 大変な歌人で、日本の詩歌というものの伝統を 文学全般のなかに導き入れるということを初めてやり、 また最後まで衰えなかったという意味あいで、 明治以降のなんともいえない高嶺なんだなあと思います。 [A155]FreeArcive 中上健次私論 講演日時:1993年6月5日 主催:昭和文学会 場所:国学院大学常磐松2号館2階中講堂 収載書誌:未発表 〈都会に出た熊野人〉、 〈熊野という場所で育った熊野の子どもたち〉 というふたつの問題が、 中上さんの文学のふたつの足だと思います。 都会に出てきたアジア的田舎の人といえば、 ごくふつうになってしまいますが、 中上さんの作品のおもしろいところは、 都会に出てきたアジア以前の人、 つまりアフリカ的段階の人ということです。 それが中上さんの文学のひとつの特色です。 もうひとつの特色は、アフリカ的段階の自然、 つまり自然にまみれている自然人の子どもたちの特色を、 中上さんが非常によく描写していることです。 これが中上文学のふたつの足である、と思います。 [A156]FreeArcive 新新宗教は明日を生き延びられるか 講演日時:1993年6月17日 主催:京都精華大学 学生部 場所:京都精華大学 収載書誌:春秋社『親鸞復興』(1995年) 「霊感商法はインチキだ」と ジャーナリズムは批判しますが、それは違います。 宗教とか理念というものは、 いつも霊感商法に類することを行っています。 マルクス主義もむろんのこと、 自由主義的な思想や政党政派も、 「自分たちがいると企業はよくなるぞ」 みたいなことをいって、企業からお金を吸い上げています。 その意味ではみなが「霊感商法」をやっているわけです。 だから「霊感商法だからインチキだ」というようないい方で 僕は納得しません。 やはり教義の中心を追求して、そこで得るところ、 これは得難いところとか、 これはちょっと違うぞということを、 よくよく検討しなければいけないと思います。 [A157]FreeArcive 太宰治 講演日:1993年7月28日 主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社 場所:有楽町・よみうりホール 収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年) 太宰治という人は、僕がお会いしたときには、 まことに見事に、常識でいう社会的な善と悪が、 ちゃんとひっくり返っている人になっていました。 一般的に人がいいことだと思っていることは ぜんぶ悪いことで、 悪いことだと思っていることは ぜんぶいいことだというふうに、 揺るぎない自信で完全にひっくり返っていました。 学生時代でしたが、ああ、 すごい人がいるんだなと思ったのを覚えています。 [A158]FreeArcive 私と生涯学習 講演日時:1993年10月3日 主催:文京区教育委員会 場所:文京区女性センター 収載書誌:弓立社『人生とは何か』(2004年) 古くから叡智という言葉があります。 一生勉強するのは、叡智を持つことが いちばん大きな目的になるのかもしれません。 それは一生学習するに値するのではないかという 感じを持ちます。 叡智は学識・経験とは違うものです。 ものごとが具体的に起こったときに、 本で判断するとか、学識があるなしでなく、 叡智があるなしでずいぶん違う。 叡智を養うということは、 学校で生まれることではありません。 制度的な学校というものは叡智を養うには そんなに役に立たないものだと、僕は考えます。 それは生涯の問題だといってもいいのです。 学校を出てから、 本格的になってくる問題だという気がします。 [A159]FreeArcive 社会党あるいは社会党的なるもののゆくえ 講演日時:1993年11月26日 主催:社会党 場所:社会文化会館5階ホール 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第9巻』(2005年) 自衛隊問題と憲法とを矛盾なしに整合するには、 小沢一郎のいい方がいちばん妥当なわけです。 僕は、ソフトであってかつ温和な社会党の考え方は、 そのなかにじゅうぶん含まれうると思います。 また、社会党の別のラディカルな部分にとっては、 それはやっぱり名目的に認められない、 ということになると思います。 社会党は、そのどちらをも選ぶ領域があるんだと思います。 もしそれが社会党内部で矛盾だったら、 「さよなら」すればいいわけです。 僕はどちらだっていいんじゃないかと思います。 [A160]FreeArcive 現代を読む PART2 講演日時:1993年12月20日 主催:前橋市・煥乎堂 収載書誌:未発表 いまの不況だったら、生活水準は落とさなくていいんです。 まずいおかずにするとか、 おやじさんやおふくろさんが電気をパチパチ消して、 「おまえ電気無駄にしているよ」とかうるさくやると、 心が冷えちゃうんです。 その効果のほうがもっと悪いですから、 そこは減らす必要はないんです。 旅行を2回行くところを1回にするというような、 選んで使えるところを減らしていれば、 生活水準は落とさなくていいわけです。 どんな企業よりも、個人の方が強いんです。 どんなに企業が潰れても、 みなさんのほうは潰れないんです。 それは本当に重要なことで、 資本主義が新たな段階に入った、 ということのいちばん大きな様相はそこにあるんです。 [A161]FreeArcive 倫理と自然のなかの透谷 講演日時:1994年6月4日 主催:北村透谷研究会 場所:上智大学9階図書館 収載書誌:未発表 透谷の思想といえるものは、 恋愛、男女の関係ということに尽きると思います。 『厭世詩家と女性』に表現された思想は、 透谷の本格的な、独特な思想だということが できると思います。 「文学も恋愛だったし、倫理も恋愛だし、 生きるか死ぬかということもやっぱり恋愛なのだ。 恋愛というのはそういう意味でいちばん重要なのだ」 ということを透谷ほど強調し、 理念化して立派につくりあげた人はいません。 あらゆる枝葉とかほかの人の影響とかを ぜんぶ取っ払ってしまって、 透谷の文学理念、あるいはイデオロギーとしての理念を 最後に持ってくるとすれば、 恋愛ということに 最上の価値と重さをおいたというところに、 透谷の本領があると思われます。 そこが透谷らしい思想の本筋だと思います。 [A162]FreeArcive 物語について 講演日時:1994年6月12日 主催:リブロ 西武池袋本店 場所:西武百貨店 池袋本店 収載書誌:未発表 物語とは何かということを考えると、 たとえば『今昔物語』では、いちばんはじめに 「いまは昔」といいます。 そして、終わりに「何々であるとかや」というのが くっつきます。 これが、文学作品にあらわれた物語の形態認識のひとつで、 いちばん重要なものです。 日本の明治以降の近代小説では、たとえば漱石が、 もっとも遠くまで形態認識を展開させた人です。 そこでは、独立した自我というものの意識があって、 他者と考えられた自分以外のぜんぶのものとの葛藤が 物語になっていきます。 漱石は、「人間の存在感とはかかるものか」という 実存的な領域まで、 とことん形態認識をやったことになります。 僕が欲張りをいえば、現在では、 近代的自我の確立とか、 その高度化は現在では自慢にも課題にもならないけど、 依然としてそれが課題になってしまっていたり、 安堵感になっているというのが、 いまの物語ではないでしょうか。 [A163]FreeArcive 芥川龍之介 講演日:1994年7月28日 主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社 場所:有楽町・よみうりホール 収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年) 僕らは若いとき、芥川の死に いろんな意味をつけたいと思いました。 「自分は近所の駄菓子屋で駄菓子を買って それを食べながら道で歩くみたいな 下町の下層の中流というようなところで育った。 そして自分は文学的な試みとして、 西欧的なものを取り入れようとしたり、 場所をいろいろ移動してみたりしたけれど、 ついに自伝的に自分の情緒が帰するところは、 本所あたりの駄菓子屋で、駄菓子を買って食べながら 遊んでいた子ども時代、そういう街の雰囲気の懐かしさが 本来的な自分なんだ」 ということを、晩年の自伝のなかではじめて 芥川はいっています。 僕はそれがいちばん好きな感じ方だったので、 芥川はなぜ死んだかという理由づけにしました。 文学的に無理をし過ぎてその無理がたたって、 死ぬ以外になかった、大川端情緒にひたるぐらい もっと自然になれればよかったのにな、 というのが芥川論を最初に書いたときの 僕の考え方の基底でした。 [A164]FreeArcive 心について 講演日時:1994年9月11日 主催:リブロ 西武池袋本店 場所:西武百貨店 池袋本店 収載書誌:筑摩書房「ちくま」1995年1月号、2月号 心の病というのは、人間の心の世界の大きさを 最大限に大きく見積もって考えれば、 病気じゃないといえばいえてしまうところがあります。 病気なんてもともとない、 人間の精神、意識の働き方の世界の可能性のなかの、 あるところに偏った意識の 偏り方の場所を閉めているのが病気だといってみたり、 異常だといったに過ぎないんだよ、 ということになると思います。 ただ、病気だといわれている状態は、 現在の日常生活にとっては 不自由な状態に違いないということになります。 「この境界を超すと正常だしこの境界を超すと異常だ」 という境界線に対しては、 さまざまな局面で自覚的で意識的になるというやり方が いいんじゃないかと思います。 そういうことで、古典的な「心の病」の区別は 少なくなると思います。 それに代わるものとして、 ヒステリー症による人格転換ということと、 同性愛の問題は、 心の世界の問題をとりあげる場合に 欠くことができない問題になっていくと思います。 [A165]FreeArcive 顔の文学 講演日時:1994年11月24日 主催:本郷青色申告会 場所:本郷青色申告会館 収載書誌:未発表 人間の声というのは、 音で識別する顔の表情だということができます。 本当の顔の表情は目で見て識別するわけですけれど、 人間の声というのもやはりひとつの顔の表情なのです。 その場合の顔というのは比喩ですが、 声というのは音で識別する顔の表情だと いうこともできるわけです。 顔という言葉をそういう使い方をすると、 もっと極端な使い方ができます。 たとえば「おれの顔を立ててくれ」というでしょう。 文学と関係が深いのは、主として比喩としての顔、 あるいは顔の表情です。 日本の古典文学というのは、 「もののあはれ」を主題にした物語か、 そうでなければ「顔を立てる」物語かの ふたつに大別することができます。 いかに顔を立てるか、立てないかという問題、 つまり「顔の文学」というものは、 「もののあはれ」の文学と同じように民族の深層、 無意識の奥深くまで届いている問題なのです [A166]FreeArcive 生命について 講演日:1994年12月4日 主催:リブロ 池袋本店 場所:西武百貨店 池袋本店 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第7巻』(2004年) ここ数年のあいだに起こってきている 宗教とか理念とか科学というところからくる生命論は、 いままであった生命論とは違う場所なんです。 超能力とか、死後の世界とか、生前の世界という問題は、 それを考えたら気分が せいせいするということはないんですが、 たいへん興味深い場所なのです。 僕が唯一こうしたらいいんじゃないかなと思うことは、 科学的であれ、宗教的であれ、早急に決めないで、 まだ残っている問題があるんだと考えて、 それをなんとかして解決しようと考えるのが 妥当じゃないかということです。 その考え方に差し向かうということは、 いいかえれば生命論以外の、倫理の問題や、 社会的な問題、政治的な問題に 差し向かうということとも 広がりを関連させることができるのです。 [A167]FreeArcive 25年目の全共闘論ーー『全共闘白書』を読んで 講演日時:1995年1月18日 主催:プロジェクト猪/『全共闘白書』編集委員会 場所:永田町・星陵会館 収載書誌:プロジェクト猪『いのししブックレット2 25年目の全共闘論『全共闘白書』を読んで』(1995年)、弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第9巻』(2005年) 『全共闘白書』の最初のところに 72項目のアンケートがあります。 僕が読んでいちばん関心を持ったのは このアンケートでした。 こういうアンケートの設問のしかたは、 「社会的なこととか公共的なことは重要で、 個人的なことが最重要課題だということは 情けないことなんだ」 というような観点が、 無意識のうちにあるような気がします。 僕はそれは絶対にやめたほうがよいと思います。 そういう発想をしている限り、 「おれは大衆の前衛であって、みんなついて来い、 おれが啓蒙してやる」 みたいな勢力にかなわないんです。 そうじゃなくて私のこと、自分のこと、 それから子どものこと、家庭のことが大切なんだ、 それが最緊急課題なんだという観点を根本に据え、 それを基盤に政治的なこと、 社会的公共的なことを考える考え方に 転倒しないとだめなんです。 [A168]FreeArcive 「知」の流通ーー「試行」刊行から34年……現在 講演日時:1995年2月10日 主催:地方・小出版流通センター 場所:幕張プリンスホテル 収載書誌:未発表 流通のやり方を決めていく決め手というのはもちろん 上のほうから決まっていくのが常道ですが、 消費資本主義、現在の高度な資本主義が突入した段階から いいますと、逆が成り立つということです。 つまり「価格破壊」が成り立つのであって、 それは別の言葉でいえば、 「消費者第一主義」ということを意味します。 消費資本主義の段階で誰が価格を決めるのかというと、 消費者が決めるわけです。 それにいちばん近いかたち、いちばん便利で安いかたちで 提供を受ける権力というのはどこなんだとか、 やり方はあるのかというのは、 僕が「試行」という雑誌をはじめてから 一生懸命考えてきたことです。 その原則、原理だけはいまでも通用すると思いますし、 いまのほうがある意味ではかえって 通用する段階になっているのかもしれません。 [A169]FreeArcive ボードリヤール×吉本隆明世紀末を語るーーあるいは消費社会のゆくえについて 講演日時:1995年2月19日 主催:紀伊國屋書店 場所:新宿・紀伊國屋ホール 収載書誌:紀伊國屋書店『ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る』(1995年) ボードリヤールさんは、日本というのを 褒め過ぎではないかと思います。 「日本は起源というのを担保にしていないから、 何でも自在に受け入れていけるし、 自在に展開することもできる、 それは日本の利点じゃないか」 といっておられると思うんです。 僕の考え方は、ボードリヤールさんが見ておられる 日本というのとは逆のことで、 「日本の起源はどう突っついていけば不明でないか」 を課題にしています。 僕らが見ようとしている日本は、アジア的でない、 アフリカ的なんです。 究極的には、ヘーゲル歴史哲学がいう 「アフリカ的段階の日本」というものを はっきりさせたいのです。 それは、日本の消費資本主義社会を 「死」のほうへ向かって明確にしていくことと、 同じ方向だという方法にあたります。 [A170]FreeArcive ヘーゲルについて 講演日:1995年4月9日 主催:リブロ 池袋本店 場所:西武百貨店 池袋本店 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第7巻』(2004年) 法を哲学にまで突きつめたヘーゲル、マルクス流の考えと、 われわれの理解とのギャップを埋めるためには、 「法的な言語というものを、 実証的な言葉じゃなく本質的な言葉として理解することは、 いざとなったらいつだってやれるぜ」 というところまで突きつめておけば、 調節はつくだろうなというのが 僕の考えているところです。 日本が西欧的になればいいという人たちもいますが、 僕はそれに賛同しないのです。 そんなところはちっとも問題になりません。 西欧近代の法理解と道徳倫理の区別がつかない われわれの伝統と実感を 「どういうふうにつき合わせれば解決したことになるのか」 が、とても重要だと思います。 [A171]FreeArcive 『神の仕事場』をめぐって 講演日時:1995年6月14日 主催:砂子屋書房/岡井隆『神の仕事場』を読む会 収載書誌:砂子屋書房『『神の仕事場』を読む』(1996年) 岡井隆さんが、『神の仕事場』のなかでやっておられる 新しい試みがあります。 短歌を「意味」でつくらないで、 「音」でつくってしまう、ということです。 岡井さんには、 「短歌というものを〈音の言葉〉にするということが、 短歌を構成するために非常に重要なんだ」 という考え方があると思います。 短歌の本質は、どうしたら解けるか 本当はよくわからないんですが、 岡井さんは、1歳未満の乳児の「あわわ言葉」を 意味ある言葉だと受け取れるとしたら、 短歌はどうなるか、という試みをしているように 思うんです。 これは、岡井さんの『神の仕事場』のなかで とても大きな、新しい、現代的な試みだと思います。 [A172]FreeArcive フーコーについて 講演日:1995年7月9日 主催:リブロ 池袋本店 場所:西武百貨店 池袋本店 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第7巻』(2004年) フーコーには重要な意味があるなと最初に思ったのは、 この人がマルクス主義的な方法とまったく違ったやり方で、 権力の問題とか国家の問題を扱っているところでした。 最初にフーコーの『言葉と物』を読んだときに驚いたのは、 マルクス主義あるいはマルクスの考え方の 枠組みのなかにない方法で、 だいたいマルクス主義が手を伸ばしている あらゆる分野に適用できる「知の考古学」という まったく独立した方法がここにあると思えたところです。 フーコーとは自分にとってなんであるかというとすれば、 けっきょくそこが中心になってきます。 [A173]FreeArcive 文学の戦後と現在ーー三島由紀夫から村上春樹、村上龍まで 講演日:1995年7月24日 主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社 場所:有楽町・よみうりホール 収載書誌:朝日出版社『埴谷雄高・吉本隆明の世界』(1996年) 文学作品はいつもある時代の作品です。 『源氏物語』は別な面から見ると ものすごいジャーナリズム小説なんです。 当時の誰それが失恋して失踪したとか、 そういう風俗的な事件がとてもよく入っているんです。 いま読むとその面が沈んで 僕らもよくわからなくなっているけど、 よくよく見れば当時あった人が騒いだ事件は ことごとく作品のなかにおさめられています。 そのように、ある作品が長生きするかどうかということは 偶然性にもよりますが、いずれにせよ時代の風俗性と、 永続性みたいなものが両方ないと、 長生きはしないということがいえそうな気がします。 [A174]FreeArcive 現在をどう生きるか 講演日時:1995年9月3日 主催:教育研究会/山梨日々新聞社 場所:山梨県立文学館講堂 後援:新潮社 収載書誌:ボーダーインク『現在をどう生きるか』(1999年) 「現在」ということをいうのに、 一般に、「価値の多様化」ということを 人々がいっているわけですけど、 僕はそういうふうに考えていません。 もともと生活における価値観が多様だというのは 当然のことです。 僕は、「価値の浮遊性」というように考えています。 「価値が浮かんで価値の本体から 離れてどこへでも行ってしまう」 ということです。 価値ということはひとつの問題に過ぎません。 「浮遊性」??つまり、ある事柄が 本体のところから離れてどこへでも行ってしまうという そのことが、「現在」の特徴として いえるのではないでしょうか。 「浮遊性」を共通の理解事項とすれば、 「現在」ということがいえるのではないかと考えています。 [A175]FreeArcive 親鸞の造悪論 講演日:1995年11月19日 主催:東洋大学二部印度哲学科学生/東洋大学全学学園祭実行委員会 場所:東洋大学白山キャンパス 収載書誌:春秋社『宗教の最終のすがた』(1996年) オウム・サリン事件で僕なりに いろんなことを考えました。 親鸞が「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と いっているのは一種の逆説で、 逆説のほうが通りやすいといいますか、 持続しやすいということがあって、 どんどん突き進んでいったというふうに 僕は考えてきていました。 ところが、親鸞はもしかすると、 いまのオウム・サリン事件みたいな問題に現実に直面して、 これを肯定していいんだろうか、よくないんだろうか、 と本気になって考えさせられたあげくに、 「造悪」、悪を進んで造る「極悪深重の輩」を 自分の「善悪」観のなかに包括できるという確信を 持てるようになるまで考え抜いて、 それで「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と いうことをいったんだ、と僕は考えてみました。 [A176]FreeArchive 苦難を超えるーー『ヨブ記』をめぐって 講演日時:1996年1月13日 主催:森集会 場所:芦屋市民センター 収載書誌:春秋社『本当の考え・うその考え』(1997年) 旧約聖書には神話を交えた ユダヤ民族の歴史の書である面と、 神の予言の書である面と、 個人の信仰とか体験とか苦難とかを介して、 神と対面する信仰の書という面とがあります。 『ヨブ記』はそのなかのひとつだというだけの知識から、 先入見なしに、直接読んだらどういうことを感じるか、 というところからお話ししたいと思います。 [A177]FreeArchive いじめと宮沢賢治 講演日時:1996年5月11日 主催:高崎哲学堂 場所:群馬県高崎市 高崎ビューホテル 収載書誌:未発表 子どものいじめの世界は、 宮沢賢治の童話が描いているなかに ぜんぶ入ってしまうと思います。 その範囲を出てしまういじめというのは ちょっと考えられないのではないかというくらい 用意周到に描かれています。 これは宮沢賢治の宗教意識にもよりますし、 いじめた経験はないけれどもいじめられた経験はある、 ということにもとづいていると思います。 宮沢賢治のなかでは、僕らが考えているよりも ひと回り大きく精神の範囲がとられていて、 そのなかで考えているから、 救いが出てくるということになるのではないかと思います。 [A178]FreeArchive 賢治の世界 講演日時:1996年6月28日 主催:千葉県高等学校教育研究会国語部会 場所:千葉県立銚子高校 収載書誌:千葉原稿等学校教育研究会国語部会『国語部会誌』(第34号)『宮沢賢治の世界』(筑摩選書) 宮沢賢治の作品は、 「初期の段階から中期に行って、後期はこうだった」 という考え方をとると はぐらかされてしまうところがあります。 あくまで現在にいるのですが、 以前の自分の感性や体験したことが、 一種の考古学的な層として 基礎の方に横たわっているのです。 以前の考え方や書かれたものは、 下の層になってなかなかあらわれてはこないけれども、 層としてはちゃんとある。 そして、そういうものが重なったのが現在です。 だから、未開の時代の人類が考えたことを 自分のなかに再現することもできるし、 現在のことも再現することができると、 宮沢賢治は考えているのです。 [A179]FreeArchive 中原中也・立原道造ーー自然と恋愛 講演日:1996年7月24日 主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社 場所:有楽町・よみうりホール 収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第16巻』(2007年) 僕らが中原中也と立原道造、 両者を古典として保存するのはなぜかというと、 決して大詩人であるとか、 大ロマンを持っている人だというのではありません。 そういう意味ではマイナーな人ですが、 しかし、天才としてのどん詰まりを持っています。 天才としての道を、行き詰まったところまで、 とことん行ったということは、 詩の作品のなかにちゃんとあります。 自分はできなくても、 しかしこういう人がいるということは、 われわれの希望をどんなに助けるかしれないことなのです。 天才ということを、少なくとも僕らが文学、 芸術において保存して、 なかなか滅ぼさないのは、そのことなのです。 [A180]FreeArchive 作品に見る女性像の変遷 講演日時:1997年7月21日 主催:日本近代文学館 後援:読売新聞社 場所:有楽町・よみうりホール 収載書誌:未発表 鴎外や漱石ほどの、西欧近代もよく知っていて、 抜群の知識・教養を持っている男性が、 どういう女性を理想とするのかというと、 ?外をとっても、漱石をとっても、 近代的な女性ではないのです。 教養ある女性でもないのです。 なんと古めかしく、男性に対して献身的で、控えめで、 根性がよくてという女性が やっぱりいいということになってしまうわけです。 いずれもしかたないというか、 理想の社会像と、理想の女性像と、 理想の人間像は本来的にいえば それぞれみんな違うわけです。矛盾することは当然です。 それがふつうですが、 そこを一致させるという考え方でいけば、 鴎外、漱石といえども、少しも一致していない。 理想の社会像と理想の男女像も一致していないし、 理想の男女像と理想の個人像も一致しないのです。 僕の考えかたを極端にいえば、 一致していないのが本当であって当然なのだ、 といういい方ももちろんできるわけです。 [A181]FreeArchive 日本アンソロジーについて 講演日時:1998年9月25日 主催:文京区立?外記念本郷図書館 場所:文京区立?外記念本郷図書館 収載書誌:未発表 僕は、歳を食って、 締め切りに追われる仕事から免除されて、 なおかつ経済的ゆとりがあったら、 のんびりしたかたちでやろうと思ったことがありました。 ひとつは、日本の詩歌の 古代から現代までのアンソロジーを 自分の好き勝手な選び方をしてつくりたい。 もうひとつは、古代から現在までの 思想のアンソロジーをつくって、 のんびりと必要な個所を掲げて、 古い時代ならそれに口語訳の訳文もつける。 あとは自分勝手な注釈をつける。 そういう、ふたつのアンソロジーを つくってみようという望みを持っていました。 理屈っぽい思想のアンソロジーと詩のアンソロジーと、 両方を自分勝手にやりたいというのが願望です。 願望はうかうかしているとだめだぜ、という感じですから、 暇を見てはちょこちょこやりかけています。 終わるにはなかなか時間がかかりますが、 やりかけています。 2000〜 [A182]FreeArchive ふつうに生きるということ 講演日時:2003年9月13日 主催:ほぼ日刊イトイ新聞 場所:東京国際フォーラム ホールC 収載書誌:ぴあ『智慧の実を食べよう。』(2003年) 僕は、ふつうに生きている人、 あるいはそういう生き方を すでにやっている人の生き方が、 いちばん価値ある生き方だと、理想としています。 何かを膝にかけて、一日黙りこくって細工物をしている、 何かのデザインを描いたり、 染織物をしたりして、一日終わる。 日常いつでもありふれたことなんですけど、 そういうことで一日を送っているような人が テレビなんかに出てくると、 これは偉い人だよ、たいしたもんだよと思って、 おれもまねしたいもんだなと思うわけです。 [A183]FreeArchive 芸術言語論ーー沈黙から芸術まで 講演日時:2008年7月19日 主催:ほぼ日刊イトイ新聞 場所:昭和女子大学人見記念講堂 収載書誌:未発表 僕が芸術言語論ということで第一に考えたことは、 言語の本当の幹と根になるものは、 沈黙なんだということです。 コミュニケーションとしての言語は、 植物にたとえますと 樹木の枝のところに花が咲いたり実をつけたり、 葉をつけたりして、季節ごとに変わったり、 落っこちてしまったりするもので、 言語の本当に重要なところではないというのが、 僕の芸術言語論の大きな主張です。 沈黙に近い言語、 自分が自分に対して問いかけたりする言葉を、 僕は「自己表出」といっています。 そして、コミュニケーション用に、 もっぱら花を咲かせ、葉っぱを風に吹かせる、 そういう部分を「指示表出」と名づけました。 言語は、そのふたつに分けることができますよ、 ということが、芸術言語論の特色として 強調しておきたいことです。