吉本隆明の183講演:タイトル&キャプション

吉本隆明の183講演:フリーアーカイブ

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1960〜
		[A001]FreeArchive
芸術と疎外
		講演日時:1964年1月18日
		主催:国際基督教大学ICU祭実行委員会
		場所:国際基督教大学 DMH講堂
		収載書誌:未発表
		 芸術をつくる者と、創造された芸術のあいだには、
		眼に見えない〈橋〉があります。
		それを僕の言葉では〈自己表出〉といいます。
		〈自己表出〉の構造は、眼に見えるものではありません。
		その眼に見えない構造が、芸術が現在の社会に対して
		何を与えるか、何を与えないかという問題の
		非常に重要な契機になっていきます。
		「現実に対して自己が自己たりえない」という
		自己疎外の問題に対して、芸術が何を果たしうるかは、
		そういう問題点をつかまえていかないと
		はっきり出てこないのです。
		
		[A002]FreeArchive
自立の思想的拠点
		講演日時:1966年10月29日
		主催:関西学院大学
		場所:関西学院大学
		収載書誌:徳間書店『状況への発言』1968年
		 おそらくみなさんは、自分自身を
		知識人じゃないと考えているかもしれませんし、
		知識人と考えたって、「お前とおれは違う」と
		思っているかもしれません。
		けれど、僕のいう知識人という本質概念からすれば、
		みなさんは明らかに知識人なんです。
		なぜならば、日常食って生活して、
		また労働力を再生産してというだけじゃなくて、
		余計なことを考えているわけですから。
		みなさんがどういう政治イデオロギーを有し、
		どういう政治的潮流に属し、
		あるいは政治的無関心であろうとも、
		そんなことに関わりなく、否応なしに
		現実の諸問題というものが自分のところに
		覆いかぶさってくるという位相を、
		避けて欲しくないと思います。
		そういうことを避けることができない者こそ、
		本来の知識人である、それが知識人の思想的課題であると
		僕はいいたいわけです。
		
		[A003]FreeArchive
国家・家・大衆・知識人
		講演日時:1966年10月31日
		主催:大阪市立大学社会思想研究会/大阪市立大学新聞会
		場所:大阪市立大学
		収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)
		 〈大衆の原型〉というのは、
		自己の生活の繰り返しの範囲でしか
		自分の考えを動かさないということです。
		大衆はどういう歴史のくぐり方をしてきたかを
		考えてみますと、たとえば中野重治の
		「村の家」という作品に出てくるような
		おやじさんというのは、一面でいうと
		赤紙がくれば即座に応じて兵隊となって戦争へいき、
		自分の命がなくなっても戦争をやる。
		そしてある場合には戦争をやり過ぎて、
		軍部上層の意図を超えて残虐行為もやってしまう。
		つまり、〈大衆の原型〉は、国家から支配されれば
		支配のままに揺れ動くとともに、本当の意味では
		国家と接触さえもしていない存在として考えられます。
		そのことは、大衆が近代的意識を
		乗り越えてしまう基盤を持つひとつの契機を
		なすのではないか、という考え方も成り立ちえます。
		知識人であることの意味は、
		いかにして〈大衆の原型〉が本質的にはらむ問題を、
		自己の思想の問題として組み込むことができるか
		という問題を避けない、ということです。
		
		[A004]FreeArchive
現代とマルクス
		講演日時:1967年10月12日
		主催:中央大学 学生会館
		場所:中央大学 学生会館 602号室
		収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)
		 私がマルクスにおいてもっとも衝撃を受けたのは、
		国家哲学なんです。われわれは戦争体験から、
		市民社会における個人や家族よりも、
		国家に重点がかけられるべきだという出発点を
		持っていたわけです。しかしその国家が本当は
		共同性を装った幻想に過ぎないというマルクスの考えに
		衝撃を受けたんです。
		マルクスの〈疎外論〉は、
		幻想性の問題??国家、法律、宗教、それから芸術という
		問題を考察する根底になるとても重要な概念です。
		人間というものは、他の人間、あるいは自然に対する、
		対象的な行為なしには存在しえません。
		ところで人間が生存、存在の必須条件である
		対象的な行為をしますと、自己自身がそれにつれて
		本来的な自己から疎外される、
		つまり自分自身も影響を受けます。
		あるいは影響を受けることなしには
		対象的な行為というのはなしえないというのが、
		マルクスの考えている〈疎外論〉の
		根底にある自然哲学です。
		
		[A005]FreeArchive
ナショナリズムーー国家論
		講演日時:1967年10月21日
		場所:新宿・観音寺
		収載書誌:未発表
		 ボクシングでいいますと、やっぱり
		世界タイトルというのは思想的に
		奪取しなきゃいけないんです。
		たとえばサルトルという人が、
		日本という国家的土壌にいたとすれば、
		大した人じゃないと思うんです。
		しかし、ヨーロッパの土壌にのっかっている人ですから、
		いい加減なやつだなぁと思うけれど、
		みっちりやったら日本人である僕が
		必ず負けるということはやはりわかるんです。
		しかし、「それでもやる、必ず勝つ」という問題は、
		どうしても持たざるをえないことがあるんです。
		本当の意味の世界普遍性というものを
		獲得していくためには、非常に困難な道を
		歩まなければならない。
		一民族、一種族、一部族の共同性というものに
		固執するわけでもなんでもないけど、
		それが制約している問題と、
		経済的範疇としての世界性の矛盾というのは
		どこにあろうと絶えず持たざるをえないということは
		必ずあると思っています。
		
		[A006]FreeArchive
詩人としての高村光太郎と夏目漱石
		講演日時:1967年10月24日
		主催:東京大学三鷹寮委員会
		場所:東京大学三鷹寮
		収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)
		 文学芸術に関する限り、問題の本質は
		手仕事をやるかやらないかということで決まるのです。
		手仕事というのは、毎日のように机の前に
		原稿用紙をおいて、ペンを持って、机の前に坐って、
		なんかやるということです。
		何も書くことがなく、気分ものらなくても、
		やっぱり原稿用紙を前において、ペンをとって、
		そこに坐って、「さて」ということで
		やろうということです。
		そういうことを持続できるかできないかということが、
		文学の創造の中心を決定していくんです。
		それをやらなければ、文学芸術、つまり
		観念のつくるものが、具体的な現実に
		よく拮抗することができないんです。
		それに耐えたうえで、文学芸術における思想の問題、
		あるいは資質の問題というものが
		はじめてあらわれてくるのです。
		明治以降の近代文学、芸術のなかで、
		確かにそういうことをしたといいうる人は、
		わずかに作家としての漱石、それから
		詩人・彫刻家としての高村光太郎だけです。
		
		[A007]FreeArchive
自立的思想の形成について
		講演日時:1967年10月30日
		主催:岐阜大学
		場所:岐阜大学
		収載書誌:勁草書房『吉本隆明著作集14』(1972年)
		 私どもの考えでは、〈経済的範疇〉、
		いいかえれば〈自然的範疇〉というものは
		必ず〈幻想的な範疇〉を生み出していきます。
		人間が外部の〈自然〉に関わると、
		必ず〈幻想性〉を発生させるわけです。
		人間の意識にやってくる〈自然的範疇〉は
		必ず〈幻想性〉を伴うから、〈国家の経済的範疇〉は、
		必ず〈共同幻想としての国家〉を生み出します。
		そういう国家の共同幻想性と本質的に対決しうる
		唯一のものは、個人幻想です。
		文学芸術に属する個人幻想というものだけが、
		本質的な意味で、国家の共同幻想性というものに
		対峙することができるわけです。
		知識人が、「法的言語に対して〈沈黙の意味性〉でもって
		服従している大衆」を、
		自分の思想のなかに組み込むという問題が可能であるとき、
		かろうじて知識人の共同性としての集団というものが
		反体制的でありうるわけです。
		
		[A008]FreeArchive
調和への告発
		講演日時:1967年11月1日
		主催:明治大学
		場所:明治大学
		収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)
		 現在、ベトナムには戦争があり、日本には平和がある、
		そういう区別の仕方があります。
		しかし、ベトナムのなかには戦争もありますけれど、
		同時に平和もあるのです。
		人間は戦争のさなかでも極めて平和に
		恋人とデートすることもできますし、
		また一家団欒の食事をすることもできる、
		そういうようにしか戦争というものは存在していません。
		現実というものはさまざまな次元の場面を許すのです。
		逆に、「日本は平和だ」といっても、
		ある視点でもって眺めれば、
		ちっとも平和ではないわけです。
		そこには声をあげずに倒れていく人間もいますし、また、
		何の声も発せずに老いさらばえて死んでいく人間もいます。
		一見すると無事平穏のごとく見える
		日本の国家権力のもとにおける現実のなかに、
		さまざまな鋭い裂け目があり、
		それをどういうふうにすくい取っていくか、
		思想の問題として繰り込んでいくかということのなかに、
		情況があると考えております。
		
		[A009]FreeArchive
戦後詩とは何か
		講演日時:1967年11月5日
		主催:早稲田大学 早稲田祭実行委員会
		場所:早稲田大学 大隈講堂
		収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)
		 戦後詩というものは、
		ひとたび再建された戦後資本主義社会という軌道に
		戦後詩人が乗ったとき、自ら終結してしまったと
		僕は考えています。そしてそれ以降、
		「いかにしてどこに詩を創造する凝縮力の核を求めるか」
		という問題についてのモチーフを喪失したのです。
		現在、詩人が自らの創造の核というものを
		どこに求めるかを考えると、
		〈原型として考えられる大衆〉、あるいは
		〈沈黙の意味として存在している大衆〉との
		対話によってしか、詩の創造の核は
		回復することができないと思います。
		詩というものが、戦後すぐの無権力状態における混乱と
		無秩序のなかから手探りで見つけた創造の核を、
		きわめて秩序を回復しているかに見える
		現在の資本制社会のもとで獲得していく唯一の根拠と、
		現在における詩人の存在理由は
		そういうところにあるだろうと考えます。
		
		[A010]FreeArchive
幻想ーーその打破と主体性
		講演日時:1967年11月11日
		主催:愛知大学 第21回愛大祭本部
		場所:愛知大学 豊橋校舎9号館
		収載書誌:勁草書房『吉本隆明全著作集14』(1975年)
		 氏族的な社会における共同幻想性は、どういうふうにして
		部族統一国家における共同幻想性に転化するのでしょうか。
		血縁集団を基盤にする氏族的な社会における
		共同幻想というものは、もしなんらかの契機で
		部族的な統一国家の共同幻想性へ転化していく場合には、
		必ず個々における共同幻想性というものを、
		慣行律、習慣、習慣的宗教というものの段階へ
		蹴落とすことによって、統一国家の段階へ転化するのです。
		
		[A011]FreeArchive
人間にとって思想とは何か
		講演日時:1967年11月21日
		主催:國學院大学文芸部 共催・國學院大学文化団体連合
		場所:国学院大学412教室
		収載書誌:勁草書房『吉本隆明全著作集14』(1975年)
		 氏族的な社会における共同幻想性は、どういうふうにして
		部族統一国家における共同幻想性に転化するのでしょうか。
		血縁集団を基盤にする氏族的な社会における
		共同幻想というものは、もしなんらかの契機で
		部族的な統一国家の共同幻想性へ転化していく場合には、
		必ず個々における共同幻想性というものを、
		慣行律、習慣、習慣的宗教というものの段階へ
		蹴落とすことによって、統一国家の段階へ転化するのです。
		
		[A012]FreeArchive
幻想としての国家
		講演日:1967年11月26日
		主催:関西大学千里祭
		場所:関西大学
		収載書誌:中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年)、徳間書店『情況への発言』(1968年)
		 幻想としての国家というのは何かといいますと、
		国家の本質ということを意味しています。
		もちろん国家には、幻想としての国家というものが、
		たとえば法なら法というものによって維持されていくという
		法機関、法権力機関というものはあるわけですけれども、
		機関としての国家ではなく、
		幻想としての国家ということで何を意味するかということ、
		国家の本質ということのお話をしていきたいと思います。
		
		[A013]FreeArchive
高村光太郎についてーー鴎外をめぐる人々
		講演日:1968年3月7日
		主催:文京区立鴎外記念本郷図書館
		場所:文京区立鴎外記念本郷図書館
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年)
		 高村光太郎という詩人は、複雑な思想を、
		複雑に表現するというようなことはしていません。
		しかし、本来的にはたいへん
		気味の悪い芸術家だと思います。
		気味の悪いといっていいのか、
		得体が知れないといっていいのかわかりませんけれども、
		とにかくそうとうなしろものだと思います。
		そうとうな人だということを、
		『道程』とか『智恵子抄』のような作品の背後に、
		つかんでいかないと、
		高村光太郎という人の総体的な人間像は、
		うまくつかまえてこれないんじゃないかと思います。
		
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思想としての身体
		講演日時:1968年10月29日
		主催:日本医科大学 第12回千駄木祭常任委員会
		場所:日本医科大学 4階大ホール
		収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
		 〈わたしの身体〉というものは、皆さんの側から
		客観的に見て観察することができます。
		そして、自分が自分の身体を
		どう思っているかという意味で、
		内からも直接に見ることができます。
		この種の特異性を持っている存在は
		この世には〈人間の身体〉、いいかえれば
		〈わたしの身体〉というもの以外にありません。
		それ以外のものは客観的に観察することができるか、
		あるいは主観的に検討することができるか、いずれかです。
		自分自身として内側からこれを見ることもできるし、
		外側からも客観的に見ることができるという
		二重性を持っているのは、
		〈人間の身体〉というものしか存在しません。
		そのことが身体というものを
		特異な存在にさせていると思います。
		
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実朝論
		講演日:1969年6月5日/12日
		主催:筑摩書房
		場所:新宿・紀伊國屋ホール
		収載書誌:中公文庫『語りの海2 古典とはなにか』(1995年)、弓立社『敗北の構造』(1972年)
		 文学にとって重要なことは、
		どういう死に方をするかということだと思います。
		なぜ文学にとって死に方が重要かといいますと、
		死に方は、偶然には依存しないわけです。
		ほとんど全面的に、作家あるいは詩人の思想、
		資質そのものに依存するからです。
		死に方が本質的でないと、
		文学としてよみがえることができない、ということが
		いえると思います。
		実朝という詩人は、中世では誰もが
		西行と実朝というふうに数えざるをえない、
		最大の詩人のひとりです。
		実朝は鎌倉幕府の創始者であった源頼朝の次男で、
		12世紀末から13世紀の初めにかけて生きた人ですが、
		28歳で暗殺されています。
		実朝が、本質的に生きたかどうかは、
		そう簡単には決められませんが、
		本質的に死にえた詩人だということは確かです。
		
1970〜
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宗教としての天皇制
		講演日:1970年5月16日
		主催:学習院大学土曜講座
		場所:学習院大学 教室
		収載書誌:中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年)、春秋社『〈信〉の構造 PART2』(2004年)
		 講演より
		歴史を考えてみても、天皇がじかに政治権力を掌握し
		かつ行政的にも手腕を発揮したというような事例は、
		おそらく数えるほどしかないので、
		大部分は間接的に、一種の宗教性として、あるいは
		宗教的な司祭といいましょうか神主といいましょうか、
		そういうような集団として存在してきたのです。
		しかし依然としてそこにあるタブーは、
		基本的なもの、本質的なものであるために、
		そのタブーに手をつけない限り、
		直接に政治権力を掌握していなくても、
		あるいは単なる神主に過ぎなくても、
		天皇制は存続してきたと思われます。
		これは裁判沙汰の問題でもなければ、
		「首がころり」というような問題でもないと思います。
		天皇制にまつわるタブーが現在でも存在するわけです。
		
		[A017]FreeArchive
言葉の根源について
		講演日時:1970年5月
		主催:桐朋学園
		場所:桐朋学園
		収載書誌:中公文庫『語りの海3』(1995年)
		 沈黙というと「ぼんやりしている状態」と
		思われがちですが、沈黙も言語表現なのです。
		ある人が何もしゃべっていなくても、
		その人の意識の内部には何かがある、ということです。
		黙っていても、その人の
		主観的あるいは意識的な状態がわかるとか、
		表現されているとか、感じる場合があるでしょう。
		それは、沈黙の言語が、内的意識の時間性、空間性に
		解体して存在しているからなのです。
		外からは憶測するよりしかたがないのですが、
		まったく無意味なのではなく、
		その人の主観や意識の内部はたいへん満たされていて、
		何かしゃべられているのかもしれない、
		というようなしゃべり方がありうるわけです。
		
		[A018]FreeArchive
敗北の構造
		講演日時:1970年6月10日
		主催:社会主義学生同盟/南部反帝戦線明学大班
		場所:明治学院大学100番教室
		収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
		 日本に統一国家というものが成立した千数百年前以前に、
		この小さな島に人間がいなかったかというと、
		そんなことはありません。
		日本民族という場合には、
		統一国家成立以降の文化的、言語的に
		統一性をもったものを想定しているわけですけれども、
		それは日本人とはまるで違います。
		日本人という場合には、日本国家成立以前に、
		すでに郡立した多数の国家が存在していたと
		考えることができます。
		僕のいう「敗北」は、そういう
		たいへん大昔の敗北ということです。
		何が敗北したかというと、
		天皇制権力によって統一国家が成立する以前に存在した、
		日本の全大衆が総敗北したということです。
		
		[A019]FreeArchive
「擬制の終焉」以後十年ーー政治思想の所在をめぐって
		講演日時:1970年7月17日
		主催:共産主義者同盟叛旗派編集委員会
		場所:中野公会堂
		収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
		 社会は、日々働き生産し食べていく
		経済社会的な過程さえあれば、
		永遠の昔から永遠の未来まで続きます。
		しかしそのうえにのっかる法的・政治的国家、
		あるいはそこから導入される国家権力というのは、
		必ずしもそれと対応せず、因果関係になくとも、
		あるいは部族、民族を異にしても、
		横合いからいきなりやってきてさらってしまうことは
		いくらでもありうるわけです。
		「経済社会構成の変化なしに
		上部構造の変化はありえない」とか、
		「基幹産業における組織労働者の立ち上がりなしには
		政治革命がありえない」という考え方は、
		迷信だと思います。
		
		[A020]FreeArchive
宗教と自立
		講演日時:1970年7月25日
		主催:止揚の会,西荻南教会
		場所:新宿区信濃町・真生会館
		収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART2』(2004年)、弓立社『敗北の構造』
		(1972年)
		 けっきょくどう考えたかというと、
		何が価値かという場合に、
		ぜんぶひっくり返せばいいじゃないかと考えたわけです。
		つまり人々が偉大な思想家であるとか、
		偉大な政治家であるとか、偉大な宗教者だとか
		いっている奴は、いちばんだめな奴だというふうに
		考えればいいということです。
		人間は「いかに生くべきか」と考えた場合に、
		もっとも価値ある生き方というものは、
		とても架空なんですけれども、
		自分の生活のところで
		具体的に眼に見えるような当面している問題とか、
		自分の家族とか兄弟のことならば考えたりするけど、
		ベトナム戦争がどうだとか、
		あんまり遠くのほうにあることは考えないという生き方が、
		いちばん価値のある生き方なんじゃないかと
		考えたわけなんです。
		
		[A021]FreeArchive
南島論
		講演日:1970年9月3日/10日
		主催:筑摩書房
		場所:新宿・紀伊國屋ホール
		収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART3』(2004年)、中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年)
		 〈南島〉は、日本の民俗学あるいは文化人類学にとって
		宝庫だといわれているところで、
		さまざまな古い遺習が残っていますが、
		われわれは、それとはまったく違う理論的視点を
		前提としています。
		たとえば、ニューギニアの奥地にはまだ
		石器時代の生活をしている種族がいるとか、
		サハラ砂漠の近辺に行くと
		太古の遊牧民さながらの生活をしている種族がいるという
		いわれ方があります。
		しかし、そういう未開の種族もまた
		世界史的現在のなかに存在しています。
		その意味をどうとらえたらいいのでしょうか。
		そういう種族や日本の〈南島〉を扱うとして、
		ただ古き良き時代の名残がなんらかのかたちで残っている、
		という扱い方ではなく、
		世界的同時代性、現代性というものの視点を包括しながら
		それを扱うにはどうしたらいいか、ということは
		依然として問うに値する問題であると思われます。
		
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文学における初期・夢・記憶・資質
		講演日時:1970年11月2日
		主催:東京女子大学短期大学部
		場所:東京女子大学短期大学部
		収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
		 僕は、12、3歳の頃でしょうか、当時の市電に乗って、
		切符を買おうと慣れないために緊張してお金を出すと、
		車掌が素知らぬ顔で自分の前を
		さっさと通り過ぎて行ってしまうということがありました。
		「どうしておれの前だけ止まってくれないのだろう」
		という行き違いのようなことが
		とても引っかかった時期があります。
		そのことから導いたのは、
		「タイミングがあわない」ということは
		自分の資質ではないかということでした。
		この社会にいながら、成長し、そして
		老いていく過程のなかで、
		なぜ自分のところにだけ
		こんなことが降りかかるのだろうとか、
		なぜ自分のときだけ行き違いが起こるんだろうか
		という体験は、みなさんも記憶の片隅や気持ちのどこかに
		とどめていることがあると思います。
		そういうことは、掘り下げるに値する
		問題ではないでしょうか。
		
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詩的喩の起源について
		講演日時:1971年5月2日
		主催:日本現代詩人会
		場所:新宿・紀伊国屋ホール
		収載書誌:中公文庫『語りの海3』(1995年)
		 日本の詩が発生の起源に近いところで
		保存しているものから、
		詩的な喩の起源として考えられることは、
		一篇の詩形式のすべてを使って
		主観的な感情をあらわすというふうには
		詩の表現は可能ではなかった、ということです。
		日本では、詩の問題は
		「詩のなかに意味を込める」ことには
		なかったんじゃないか、ということです。
		一般的に風景の描写とか
		日本的な自然美といわれていることは、
		本当はまったくの錯覚であって、
		詩の起源に近いところで
		「景物」が表現にあらわれている場合、
		その「景物」は決して写実的な意味での
		「景物」あるいは「自然」ということを意味せず、
		むしろ宗教的あるいは自然信仰の段階において
		個人の観念でなく
		共同体の観念が象徴的に寄り集まるところとして
		「自然」というものが詩の表現のなかに存在していた、
		ということが考えられるのです。
		
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政治と文学について
		講演日時:1971年5月8日
		主催:三田文学
		場所:慶應義塾大学 三田校舎
		収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
		 去年の暮れ、三島由紀夫さんが、政治と文学について、
		非常にショッキングなあり方を提供してくれました。
		「芸術家が実行家に拮抗しうるとすれば、
		死を描写するだけでなくて
		自分が死んで見せなくちゃだめじゃないか」
		というのが三島由紀夫さんの考え方のように思われます。
		三島さんは自らその考えを実行されたわけですから、
		そこのところで何もいいたくない気持ちですが、
		考え方としては
		たいへん古い考え方というほかないと思います。
		そして三島さんは、文学芸術の創造ということと、
		それが書物として流布される過程とを、
		うまく区別できていなかったのではないでしょうか。
		創造の行為と、それが書物となって流布されることとは、
		違うということを、本当の意味ではあまり
		考えられなかったと思われるのです。
		そのことは、ただ実感的に知っているだけでなく、
		想像力を突き詰めていかなければならないことが
		あるように思うんです。
		
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共同体論について
		講演日時:1971年5月9日
		主催:止揚の会/西荻南教会
		場所:文京区民センター
		収載書誌:中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年)
		 日本の場合、共同体は
		ふたつに類型づけすることができます。
		ひとつは、首長が政治的な権力と同時に
		祭祀権を持っている共同体というのが考えられます。
		もうひとつは、共同体の首長が祭祀権だけを
		持っているタイプです。
		その場合、宗教権力を持つのはたいてい女性で、
		その肉親の男性が
		政治権力を所有しているというかたちです。
		日本の古い時代を想定しますと、
		そのふたつの形態が複合して存在しています。
		根本的に問題にしなくてはならないのは、
		政治権力というものと
		宗教的権力というものとの移行のしかたということで、
		それがいかに共同体の権力構成に影響を及ぼすか、
		また経済・社会構成、自然・経済構成に対し
		どういう影響を与えるか、ということです。
		
		[A026]FreeArchive
自己とは何かーーキルケゴールに関連して
		講演日時:1971年5月30日
		主催:大学セミナーハウス
		場所:新宿・紀伊国屋ホール
		収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
		 結婚して子どもを生み、そして子どもに背かれ、
		老いてくたばって死ぬ、そういう生活者を
		もしも想定できるならば、
		そういう生活のしかたをして生涯を終える者が、
		いちばん価値がある存在なんだ??人間存在の
		価値観の規準はそこにおくことができると、
		僕は考えました。
		だから、もっとも価値ある生き方とは何かと問われたとき、
		日々繰り返される生活の問題以外には
		あまり関心を持たないで、生まれて老いて死ぬという
		生き方がもっとも価値ある生き方だ、
		というほかはありません。
		どんな人間でも、大なり小なりその規準からの逸脱として、
		食い違いとして、生きていくわけですが、
		キルケゴールなんかには
		ぜんぜん関心がないという生き方は、
		もっとも価値ある生き方だということができます。
		
		[A027]FreeArchive
鴎外と漱石
		講演日:1971年10月14日
		主催:文京区立鴎外記念本郷図書館
		場所:文京区立鴎外記念本郷図書館
		収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
		 当時の文学者でいえば、鴎外と漱石は、
		格段に学があって、格段に見識があって、
		相互に意識して、はりあっているみたいな要素が
		ほのかに見えます。
		たとえば鴎外の『ヰタ・セクスアリス』という小説を
		読みますと、漱石の『吾輩は猫である』を読んで、
		おれも書きたくなったというような個所があります。
		そういう意味で、少なくとも
		「おれと同じくらいな奴は、あいつだけだ」
		というふうには意識していたかもしれません。
		それ以外に、個人的に交渉があったとか、
		親しかったとかいう痕跡はありません。
		そういう意味では共通性も関係性も
		それほどないといえます。
		それでも、無理にあげようとすると、共通性はあります。
		両者とも、当時の日本の文学の主流であった
		自然主義文学に対して、何らかの意味で別の道を、
		方法上でも、仲間意識でも持ちました。
		それからもうひとつ、
		これも大きな共通点だと思いますけれども、
		?外も漱石も奥さんが悪妻だったということです。
		そういうふうにいわれています。
		
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宮沢賢治の童話について
		講演日時:1971年12月4日
		主催:日本女子大学児童文学研究室/同人誌「海賊」
		場所:日本女子大学成瀬記念講堂
		収載書誌:猫々堂「吉本隆明資料集51」(2005年)
		 宮沢賢治の童話の世界を初期から晩期に至るまで
		とても奥底のほうで規定しているのは、
		山人の入眠幻覚や白日夢の世界、
		あるいは民話・伝承に対する異常な関心です。
		彼がイーハトーヴと呼んだ岩手県には、
		さまざまな伝承や民話があります。
		山のなかで白日夢に襲われ、
		ハっと気がついたときには
		自分がぐるぐる同じ道を回っていたとか、
		とてつもないところへ行っていたという
		山人の民話のなかでも、
		入眠幻覚の問題が宮沢賢治の童話の奥底にある
		性格を規定していると思います。
		それは『銀河鉄道の夜』のような作品にも、
		とてもよく象徴されています。
		
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親鸞について
		講演日時:1972年11月12日
		主催:大谷大学 学園祭実行委員会
		場所:大谷大学
		収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART1』(2004年)
		 親鸞は、「絶対他力」の思想を根底におく、
		日本ではたいへん珍しいタイプの思想家だと思います。
		僕は、家が浄土真宗だということを除いては、
		宗教もイデオロギーも信じていないし、
		「自立」ということばかりいうまことに不肖の者ですが、
		若いときから親鸞は好きで、
		まったく反対なことをいっているとは
		ちっとも感じられないところがあります。
		それはおそらく、親鸞の自己解体の過程が、
		「絶対他力が同時に絶対自力というものを包括する」
		というところを指し示しているからではないかと
		考えられるんです。
		
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文芸批評の立場から見た人間理解の仕方
		講演日時:1973年11月17日
		主催:東京都立精神医学総合研究所
		場所:東京都立松沢病院 4階大会議室
		収載書誌:弓立社『知の岸辺へ』(1989年)
		 文学の立場というのは、一言でいいますと
		「言葉で表現する立場」ということです。
		その本筋は、大昔にさかのぼれば〈歌〉にあります。
		〈歌〉というのは、2千年とか3千年とか、
		そうとう古い時代からあった、韻文??リズムの入った
		言葉の表現です。
		この〈リズム〉というのは、いまでいえば
		神がかりの状況に入ったときに出てくるものです。
		文学者というのは、さかのぼってゆけば
		神がかりの状況の人間にいきつくわけです。
		そうすると、神がかりの状態というのが、
		文学者にとって根本的な立場ということになると思います。
		
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〈戦後〉経済の思想的批判
		講演日時:1974年6月18日
		主催:共産主義者同盟
		場所:日比谷公会堂ホール
		収載書誌:蒼氓社「自立と日常」(1974年)
		 戦後の日本の政治支配者は、
		近代化して落ちこぼれてきた農業を、
		高度成長政策による重工業の方に転化していくことで
		問題が解決されるかのごとく
		経済問題を考えてきたと思います。
		しかし、農業が全面的に依存している土地というものの
		〈自然性〉と〈人為性〉の矛盾という問題が
		よく解かれない限りは、農業問題は決して
		解決されないということが本当はいえるのです。
		そして、第一次高度成長を経た60年安保闘争後、
		政治国家は変わっても
		〈経済共同体としての国家〉は
		資本主義であろうと社会主義であろうと不変である
		という〈経済共同体〉的な考え方が出てきました。
		この両極端??さまよえる農業問題と
		経済共同体的な経済現象??に、
		現在の経済思想的問題は集約されると
		考えることができます。
		
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太宰治と森鴎外ーー文芸雑話
		講演日:1975年7月18日
		主催:文京区立鴎外記念本郷図書館
		場所:文京区立鴎外記念本郷図書館
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年)
		 太宰治というのは短編の名手なのですが、
		太宰治の短編小説に
		非常に大きな影響を及ぼしたと考えられるものは、
		作家とばかりはいえないのですがふたつあると思います。
		ひとつは落語で、
		近代落語の伝統は三遊亭円朝から
		はじまるわけですけれども、
		落語の影響は非常に大きいと思います。
		落語の影響というのは、たとえば
		どういうふうにあらわれてるかというと、
		太宰治の短編のなかでは、
		落語の落ちが非常によく使われていて、
		太宰治が一生懸命まともに落語をよく読んで
		話したと考えられます。
		もうひとつは、鴎外の短編、
		といいたいところですけれども、
		鴎外の訳した短編小説があります。
		
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フロイトおよびユングの人間把握の問題点
		講演日時:1975年10月11日
		主催:山王教育研究所
		場所:山王会館(国電大森駅ビル4階)
		収載書誌:弓立社『知の岸辺へ』(1976年)
		 ユングは自伝のなかで、
		フロイトとの決別の場面を象徴的に語っています。
		それはばからしいといえばばからしいし、
		たいへんなことだといえばたいへんなことです。
		あるとき、フロイトとユングが超心理学の話をしていて、
		いまの言葉でいえば超能力についてどう思うか、
		とユングがフロイトにいうわけです。
		それに対してフロイトは、それはお話にならないから、
		まじめに相手にしない、みたいな感じで応対します。
		そうしているうちにふたりがしゃべっているそばの本棚が
		ガタガタと揺れ出す。
		ユングにいわせれば超能力的に
		そういうことが起こったんだけれども、
		フロイトはそれを承認しない。
		その現象は、テレビの茶番劇にもなりうるわけですけども、
		それが人間の精神の解析について、
		すぐれたふたりの巨匠を別れさせるきっかけにも
		なりうるという意味あいで、
		決して無視することはできないことじゃないかと思います。
		
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文学の現在
		講演日時:1975年10月16日
		主催:京都精華短期大学 学生部
		場所:京都精華短期大学
		収載書誌:白地社「而シテ」5号(1976年)
		 文学が幸福になるときがあるのかもしれないけれど、
		少なくとも歴史を省みる限りは、
		文学が幸福だったということはまずないわけです。
		文学が本質を目指すならば、
		それはしかたがないと思うんです。
		ただ、文学にもし影響力というものがあるとすれば、
		「人を揺すぶる」ことが本質的には
		できることじゃないかと思います。
		「文学というのはアルファからオメガまでやるんだよ」
		ということを現在的に指し示すことによって、
		「政治だって経済学だって
		ここからここまでやればいいんじゃないんだよ、
		はじめから終わりまでやんなきゃだめですよ」
		というふうに、揺すぶらなくてはしかたがないと思います。
		それは、文学だけしかできないんじゃないかという
		気がします。
		その課題は、すぐれて現在的な課題だと思われます。
		
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『死霊』についてーー東北大学にて
		講演日時:1976年5月11日
		主催:東北大学学友会文芸部/「濫觴」同人/現代イデオロギー研究会 後援:東北大学教養部、学生自治会臨時執行部
		場所:東北大学 川内記念講堂
		収載書誌:未発表
		 太平洋戦争と現在では呼ばれている戦争を、
		何らかの意味で否定する考え方を、
		文学か思想によって完結しようとした
		本当にまじめな人間がいたとしたら、
		その人は絶対に
		戦後に生きては存在することができなかったと思います。
		にも関わらず生きてしまったとすれば、
		それはどこかで矛盾を抱え込んだということです。
		そしていまもなお、矛盾を抱え込んで、
		何らかのかたちでそれを解き明かしながら、
		また矛盾を呼び込むということに悪戦苦闘している、
		そういう文学者は少数ですけれどもいるわけです。
		その象徴となりえる人が埴谷雄高という文学者だと、
		僕には思われます。
		
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『死霊』についてーー京都大学にて
		講演日時:1976年5月15日
		主催:京都無尽 共催:京都大学新聞社・清華短大基礎ゼミ連合・西部講堂連絡協議会・花園大学新聞部・立命館大学一部学芸総部
		場所:京都大学 時計台ホール
		収載書誌:未発表
		 埴谷雄高さんの『死霊』の世界は、
		登場してくる人物が少しも肉体というものを感じさせず、
		いずれも観念の権化であるということを
		徹底的に体現しています。
		なぜこういう作品が成立したかというと、
		埴谷さんは、かつて日本の革命運動に
		徹頭徹尾政治的に関わり、戦争をくぐって、
		徹頭徹尾文学的に再出発するというかたちで
		戦後を生きてこられた人です。
		革命と戦争をくぐったときに、
		肉体は権力のために制圧されるかもしれないけれども
		観念だけは自由だ、
		観念だけは誰にも奪われることがなかった??そういう
		体験が『死霊』という作品の登場人物の
		特徴として出てきているのだと思います。
		
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情況の根源から
		講演日時:1976年6月18日
		主催:三上治
		場所:品川公会堂
		収載書誌:三上治「乾坤」創刊号(1976年)
		 私たちが当面している情況を考えてみますと、
		ひとりの人間としても、職場の組織のなかにおいても、
		政治運動のなかにおいても、
		当事者にとっては重要で切実な事柄が、
		当事者以外の者にとっては切実でもないし
		何でもないと思えるという分裂が
		とても極端だということが、あげられると思います。
		この問題は夫婦的な規模で申し上げることも、
		国家的な規模で申しあげることもできます。
		なぜこういう問題に当面しているのかというと、
		古典的な政治・国家像、社会像が崩壊しつつあることが
		考えられます。経済的・社会的権力が国家的に組織され、
		政治的国家権力自体に対しても、大衆に対しても、
		大きな力を及ぼすように変貌しつつあるということは
		情況的でもあり、かつ本質的な問題ではないかと
		僕には思われます。
		
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宮沢賢治の世界
		講演日時:1976年10月21日
		主催:京都精華短期大学 学生部
		場所:京都精華短期大学
		収載書誌:白地社「而シテ」7号(1977年)
		 宮沢賢治は、挫折もあり苦悩もあり失敗もありという
		生き方をしています。
		口でいろいろいうけれど、
		あるいは言葉でいろいろなことを書いたけれど、
		けっきょくは何もできないで
		終わってしまったではないかといえるところで、
		宮沢賢治は死んだと思います。
		しかし、もしも人間の行為・表現の概念を、
		現実的な表現行為に限定しないで、
		幻想的な表現もある、死への表現もある、
		死後の世界への表現もあるというふうに
		拡張していくとすれば、
		宮沢賢治は近代日本の文学者として、
		人間として、最大限に行けるところまで
		行ったように思われます。
		
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枕詞の空間
		講演日時:1977年7月6日
		主催:詩誌「無限」事業部
		場所:明治神宮外苑絵画館文化教室
		収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年)
		 宮沢賢治に「林と思想」という詩があります。
		この詩の根源的情緒は、昔の人のいい方でいえば、
		霧をいう場合に「ほのゆける霧」、あるいは
		「いさらなみ霧」と表現されたものだと思います。
		大昔においては、現在では意味がつかめない言葉を、
		枕詞として上につける習慣が詩に限ってあったのです。
		この「いさらなみ霧」の情緒と、
		宮沢賢治の詩の情緒というのはまったく同じです。
		ただ古代人たちが自明の理として考えた
		眼に見えないポエジーの空間ーーふたつの言葉を
		並べることによってそのあいだに
		想定したポエジーの空間ーーだけを再現し、
		再現の結果としての「ほのゆける霧」あるいは
		「いさらなみ霧」という表現を拒否しているのが
		現代の詩だとみなしますと、
		現代詩に対するひとつの一貫した考えに
		なるのではないかと思います。
		
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『最後の親鸞』以後
		講演日時:1977年8月5日
		主催:真宗大谷派関係学校宗教教育研究会
		場所:新潟県妙高市・東本願寺池ノ平青少年センター
		収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART1』(2004年)『最後の親鸞』もそうでしたけれど、
		 僕は親鸞の思想に重点をおいてとりあげようと思います。
		信仰ということと思想ということはどこが違うかというと、
		信仰の場合にはあくまでも内部の側にあって
		語ることになっていくと思います。
		けれども思想は、内部から語るというよりも、
		内部と外部の境界に踏石をおいて、
		ひとりの宗教家であった思想家をとりあげる、
		ということです。
		内部にも行くかもしれませんけれども、
		外部にも行ってしまう、そういうところが
		思想ということと信仰ということの違いといえます。
		すぐれた宗教家であると同時に、
		思想の立場からとらえても対象として充分に耐えうる
		日本ではたいへんめずらしい思想家である親鸞を、
		思想としてさらに問題にしたいと思っています。
		
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喩としての聖書 ─ マルコ伝
		講演日時:1977年8月31日
		主催:日本YMCA同盟学生部
		場所:御殿場YMCA東山荘 
		収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART2』
		(2004年)、中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』
		(1995年)
		 聖書のなかの奇跡を、
		まったきフィクションとして読む読み方もありうるし、
		また、本当の信仰者の信心として
		読む読み方もあるでしょう。
		しかし、そのどちらでもない読み方もあります。
		それは「言葉」に対するまったき信仰があるとすれば、
		結びつかないようなふたつの対象を結びつけて、
		ひとつの「暗喩(メタフアー)」とすることができる
		ということです。
		聖書のなかの奇跡の話は、暗喩の一種、
		しかもそれはまったく結びつけることができないような
		ふたつの対象を結びつけようとしている暗喩だという
		読み方もあることを、申し上げたいのです。
		
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竹内好の生涯
		講演日時:1977年10月1日
		主催:山口県内吉本さんを呼ぶ会
		場所:山口県立図書館レクチャールーム
		収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
		 僕はある時期から、竹内好さんと、
		理念的には同じからざる道を歩んだように思います。
		けれど、竹内さんの「思想の肉体」はたいへん好きでした。
		そういう意味では自分と本当は
		よく似たところがあるのではないかと思います。
		ひとりの思想家が、生涯において成しうることは
		たいしたことはありません。
		しかし何がためにひとりの思想家は
		ある時代に存在し続けるかと考えてみますと、
		「自分が一刻も頭から去らないほど
		労苦して考えに考え抜いてやっとつかまえたもの」
		が、後の世代の人たちにとって、
		何となく自然に身につけている、
		その地点に出会うためです。
		それが、ひとりの思想家が生涯にわたって
		存在し続けることの意味だと思います。
		竹内好さんの思想は、そういう徒労に値するものとして、
		今後本格的に検討されることを信じて疑いません。
		
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戦後詩における修辞論
		講演日時:1977年10月20日
		主催:京都精華短期大学 学生部
		場所:京都精華短期大学
		収載書誌:京都精華短期大学「木野評論」第九号(1978年)
		 歌謡曲やフォークソングの詞と現代詩を比較する場合、
		直喩と暗喩を取り出す場合にだけ、
		同じものとして扱うことができます。
		ところが戦後の詩が突っ込んでしまっている
		迷路ともいうべきものは、
		無定形な喩、つまり直喩でも暗喩でもない
		喩の使い方にあります。
		それは曲に乗せることもできなければ
		歌うこともできないものです。
		これを理解するすべを考えると、
		言葉というものは、発音や記号ではなくて、
		それが思想だという全体的な見方を
		とっていく必要があります。
		このことは現代詩の詩人だけでなく、
		フォークソングの作詞者たちが落ち込んでいる問題を
		理解する為にも必要だと思われます。
		それをつかまえることで現代詩が
		フォークの作詞と共通に落ち込んでいるところから
		抜け出す道が開けていくんじゃないかと思います。
		
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共同幻想論のゆくえ
		講演日:1978年5月28日
		主催:同志社大学文学哲学研究会「翌檜」
		場所:京都教育文化センター
		収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年)
		 『言語にとって美とはなにか』と『心的現象論序説』、
		それから『共同幻想論』というのは
		僕のなかでは別のものではないみたいな
		場所があるわけです。
		その3つを統一的なところからうまく関連づけられて、
		しかも現在の問題点というのが明示できるかというのが
		テーマなわけです。
		うまく関連づけられるかどうかは
		やってみないとわからないんですけれど、
		ここからいけば3つの関連性を
		ひとつの鎖でつないでいけるんじゃないか、
		そうしながらそれが同時に現在の問題点を
		はっきりさせることができるんじゃないかと思うんです。
		
		[A045]FreeArchive
良寛詩の思想
		講演日:1978年9月16日
		主催:雑誌「修羅」同人
		場所:長岡市中越婦人会館
		収載書誌:春秋社『良寛』(2004年)
		 良寛にはとてもむずかしいところがあります。
		この人は童心を持っていたから、子どもと一日中
		毬ついて遊んでいて、
		つい本来の用事を忘れて平気だったといえば、簡単です。
		しかし、そう考えるべきものじゃないかもしれないのです。
		われわれが、一日中子どもと毬ついて遊んでいたとか、
		何か用事があるんだけど、
		そんな用事のことなどはもう忘れて、
		途中で子どもと会ったら遊んでしまったと
		考えてみたらわかります。
		それはちょっとね、「おれうかうかしちゃったよ」では
		済まされない何かであります。
		行為自体が何かを意味しています。
		良寛は童心を持っていたからだと理解したら、
		何も理解していないと同じことです。
		
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南方的要素
		講演日時:1978年10月7日
		主催:部落青年文化会
		場所:新宮市・春日隣保館
		収載書誌:未発表
		 最初に国家が成立して以降の問題は、
		歴史の問題になります。
		歴史の問題ということは、記述したりすることが
		可能だった時代以降を意味します。
		しかし、人間が日本列島に住んでからは
		それとは比べものにならない長い時間を経ています。
		国家が成立する以前に、さまざまな制度的な移り変わりや
		集団の組み替えをしてきたことも確かだと思います。
		その骨格が現在でもどれだけ残っているか、
		残っていないかという問題は、依然として現在の問題です。
		国家発生以前の人間の集団や親族集団の組み方を
		考えていく必要は、そういうところにあります。
		それは決して過ぎ去った歴史以前の問題でもなければ、
		もう考える必要のない問題でもない。
		現在も依然として考えなければならない問題です。
		
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芥川・堀・立原の話
		講演日時:1978年10月19日
		主催:京都精華短期大学 学生部
		場所:京都精華短期大学
		収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年)
		 芥川龍之介、堀辰雄、立原道造は、いずれも
		大正から昭和にかけての東京の下町出身の文学者、
		詩人です。そして、彼らはいずれも貧困な人たちです。
		芥川の父親はミドルクラスの下の出身ですし、
		堀辰雄の父親は彫金の職人です。
		立原道造は立川屋という商家の出身です。
		彼らの文学を、仮に〈弱さ〉ということで
		括ってみたいと思います。
		〈弱さ〉ということは
		身体的な〈弱さ〉と精神的な〈弱さ〉の両方があります。
		ふつうの意味の〈弱さ〉とニュアンスが違って、
		〈弱さ〉の逆に強さみたいなもの、
		しなやかさのようなものも考えられる
		〈弱さ〉だと思います。
		彼らには、ひとつ共通な〈弱さ〉の美の象徴があります。
		それは〈匂い〉ということです。
		〈匂い〉の感性が過敏で特異だというのが、
		芥川龍之介、堀辰雄、それから立原道造の
		作品に共通した要素です。
		彼らが本質的に執着している〈匂い〉に対する敏感さに、
		それぞれの感性の資質があります。
		
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現代詩の思想
		講演日時:1979年3月7日
		主催:詩誌「無限」事業部
		場所:明治神宮外苑絵画館文化教室
		収載書誌:未発表
		 詩を書くこと自体に倫理的な意味をつけるより、
		「詩を書くこと自体が詩なんだ」という問題が、
		詩というものの思想的な意味なのではないかと思います。
		詩の思想の問題は、徹頭徹尾、言葉の問題です。
		言葉として「やっているな」というものが打ち出せれば、
		それは詩であり、
		打ち出すこと自体が思想であるというところに、
		現代詩の思想のかなり大きな部分が入っています。
		言葉は思想の手段であるか、
		思想の倫理であるかということではなくて、
		言葉自体が思想です。
		そういうところで現代詩が書かれている。
		その問題が枢要と思われます。
		
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障害者問題と心的現象論
		講演日時:1979年3月17日
		主催:富士学園 労働組合
		場所:小金井公会堂
		収載書誌:弓立社『心とは何か』(2001年)
		 身体とは何か、身体の障害とは何か、精神異常とは何か、
		それはどうすればいいのかということは、
		人間の歴史が最後まで解決を残すだろう問題です。
		〈肉体としての身体〉は、何十万年後になっても、
		「どこが進化した、どこが退化した」と
		変わることはそんなにないと思います。
		しかし〈身体の像〉は時代によって
		刻々と変わっていきます。
		身体に関する障害や精神障害には、
		神様に近いと崇められた古代から、
		働けないから人間以下だと蔑まれた
		近代社会に至るまでの、
		目もくらむような価値観の変遷というものがあります。
		けれども現代、精神障害、身体障害は
		「神でもなければ人間以下でもない、それは人間なんだ」
		という概念が少しずつ闘いとられてきつつある
		ということが、
		唯一の解決の糸口なんじゃないかと思われます。
		
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シモーヌ・ヴェイユの意味
		講演日時:1979年7月14日
		主催:梅光女学院大学
		場所:梅光女学院大学
		収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART2』
		(2004年)、中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』
		(1995年)
		 シモーヌ・ヴェイユは、ヨーロッパの文化が、
		世界の文化というのと同じだというほどの
		勢いを持っていた時代の、
		もっとも正統的な文化の、しかも、もっとも固い、
		困難なところにみずからぶつかって、
		粉々になって砕け散ったような思想家です。
		僕たちが現在当面しているのは、
		いわばカウンターカルチャーです。
		ヴェイユのように正面きって
		ヨーロッパが達成した根本的な問題に
		ぶち当たるということは、すでに不可能であるし、
		正面きった課題ではないかもしれません。
		しかしこういう課題に正面からぶつかって
		飛び散った文化と人間の思想の軌跡を認知することは、
		決して悪いことではないと思います。
		僕たちに何かをいわせて
		やまないものがそこにあるからです。
		
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〈アジア的〉ということーーそして日本
		講演日:1979年7月15日
		主催:北九州市小倉・金榮堂
		場所:北九州市小倉・毎日会館ホール
		収載書誌:弓立社『document 吉本隆明 1号』(2002年)
		 アジア的地域では、極端にいいますと、
		村落共同体が世界の広さであり、
		地球が世界の広さではないのです。
		自分の利害の関係のないところで
		どんなことが行われようと、
		自分のところに響いてこなければ関係ないよという
		考え方は、みなさんのなかにもあるでしょう。
		アジア人はぜんぶ思い当たるはずです。
		それは一見すると、超近代的なかたちで
		若い人たちのあいだでも
		出てくるかもしれませんけれども、
		それには二重性がある、
		それは〈アジア的〉心性かもしれないと
		疑ったほうがいいと思います。
		個々の人間の意識の働かせ方のなかに、
		やはり〈アジア的〉な村落共同体的な要素は残っています。
		それはどのようにしたらいいほうに働くのか、
		どうしたらよくないように働くのか、
		どうしたら自然に亡びてしまうものなのか。
		それを考えることが僕らに課せられているのです。
		
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ホーフマンスタールの視線
		講演日時:1979年11月15日
		主催:京都精華短期大学 学生部
		場所:京都精華短期大学
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第16巻』(2006年)
		 ホーフマンスタールの考え方は、
		日本の浪漫的な考え方の詩人、
		文学者たちがよく受け入れた考え方です。
		無意識のうちに受け入れ、
		そして無意識のうちに実現していた考え方です。
		堀辰雄でも立原道造でも、また芥川龍之介でも、
		文学が文学である本質的なものが含まれているとすれば、
		それはたぶんホーフマンスタールが
		〈深淵〉としてとらえた、意識のある空白性の状態を、
		作品のなかに形象化できていることだと思います。
		ホーフマンスタールが〈深淵〉という概念でいうのは、
		一種の歴史概念に近いものです。
		歴史概念であり、神話概念であり、
		同時に神話概念のいわば否定の瞬間になっているものです。
		あるいはそれが無化される瞬間、
		あるいは伝統性というものが無化される瞬間としての
		意識の空白、それを〈深淵〉と
		ホーフマンスタールは名づけていると理解されます。
		このことはホーフマンスタールの
		浪漫的な概念のうちで重要な問題です。
		
1980〜
		[A053]FreeArchive
過去の詩・現在の詩
	  講演日時:1980年2月6日
		主催:詩誌「無限」事業部
		場所:明治神宮外苑絵画館文化教室
		収載書誌:未発表
               現在の詩のあり方ということと同じ意味あいで、
              過去の詩のあり方を問い直そうとするならば、
             その再現はたいへん複雑な陰影の立て方を
             しないとできません。
             ある詩が日付として新しいか、
            同時代であるかということは、
            詩の新しさ、古さと少しも
            関係のないことだといえると思います。
            同じ時代に書かれていたとしても、
            片方がまるで古代的な形式の様相を
            たくさん保存して書かれていながら、
            もう一方でまったく
            フォルム自体がわからない詩が書かれているということも
            ありえるわけです。
            これらを等しく、過去の同時代の詩と
            理解しなければいけないということの複雑さ??
            詩の言葉の空間の複雑さ??がありえるとともに、
            日付としては現在の詩が、現在の詩として考えたら
            考え違いをしてしまうということが
            ありえるのだということも、
            かなり複雑な陰影を過去の詩と現在の詩のなかに
            提起すると思います。

		[A054]FreeArchive
親鸞の教理について
		講演日時:1980年5月24日
主催:上智大学東洋宗教研究所/上智大学キリスト教文化研究所
場所:上智大学 521番教室
収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART1』(2004年)
		 もし、知識を〈本当の知識〉として
		獲得できるとすれば、
		知識を獲得することが同時に
		反知識、非知識、あるいは不知識というものを
		包括していくことなんです。
		知識を〈往きの姿〉でとらえれば、
		学問のない人が修行をして知識を
		獲得していく過程になります。
		往きの過程にある限り、人間の〈本当の知識〉が
		獲得されることはない。
		知識に対して〈還りの姿〉になっていったときにはじめて、
		知識が獲得されたということになります。
		それは、知識を獲得すればするほど
		知識でないものを包括していくということです。
		包括できなければならないということです。
		この〈往きの姿〉と〈還りの姿〉というものの
		考え方を通して、親鸞はわれわれの思惟のしかたのなかに
		普遍的にある問題を提出しているということが
		いえるのです。
		
		[A055]FreeArchive
「生きること」について
		講演日:1980年6月21日
		主催:近代文学研究会(雑誌「城」の研究会) 後援・角川書店,佐賀新聞社,佐賀県立図書館
		場所:佐賀市民会館
		収載書誌:春秋社『新・死の位相学』(1997年)、中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年)
		 「生きていくこと」は、
		一般に片道切符だと考えられています。
		つまり、15歳の者が5歳になることはできないし、
		60歳の者が40歳に戻ることはできないと理解しています。
		この理解に対して、もし60歳の人が40歳のことを、
		あるいは15歳のことをよく知りたくて
		振り返りたい場合には、ふたつの方法があります。
		記憶の思い出に頼るというのがひとつ、
		それからもうひとつは、
		人類の歴史的な遺産としてある記述、
		つまり文学や芸術の助けを借りて、
		60歳の人間が20歳の人間を理解するとか、あるいは、
		20歳の自分というものを
		内在的に理解する助けとする方法です。
		しかし、もうひとつの方法が考えられるとすれば、
		それは「死」というものから逆に
		「生」の姿を照らし出し、そして透視することです。
		
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文学の原型について
		講演日時:1980年8月15日
		主催:高知県教育委員会/高知新聞社/高知放送 後援・NHK高知放送局/高知県教職員組合/高知県文教協会
		場所:高知市立中央公民館
		収載書誌:未発表
		 文学の原型、あるいは物語のはじめは、
		人間の生死と関わりがあります。
		人間の生と死についての考え方が
		どうなっているかということと、
		物語あるいは文学の原型がどうなっているかということとは
		パラレルな関係にあるということです。
		人間が生きて、死んでいく、そして
		死んだあとにどうなるんだという考え方のなかに、
		物語あるいは文学を成立せしめている基本的な構造が
		あると思います。
		現代の文学でそういうことを
		典型的に見ることのできる作家は、たとえば堀辰雄です。
		堀辰雄の死についての考え方は、ハイデッガー的でもなく、
		サルトル的でもなく、単独に、
		文学作品の構造と死に対する考え方の構造を
		追い詰めています。
		
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戦後文学の発生
		講演日時:1980年11月29日
		主催:宮城学院女子大学 日本文学会
		場所:宮城学院女子大学
		収載書誌:未発表
		 〈発生〉というのは非常に不安定な状態です。
		いつ消えてしまうかもわからない不安定な状態ですが、
		同時に何とでも結びつくことができる活性力を持っている。
		何かと強力に結びついて持続するかもしれないけれども、
		結びつくものがなければ
		そのまま消えてしまうかもしれない。
		不安定さと活性を持った〈発生〉の状態の戦後文学のなかに
		何があったのか。
		何かに結びついていまも持続している要素は何か。
		もはや跡形もなく消えてしまった要素は何か。
		敗戦を迎えた1945年の8月から、
		ほんの数年のあいだに出てきた
		日本文学の作品のさまざまな要素を
		〈発生〉ということで取り上げれば、
		大きく分けてふたつのことを
		象徴させることができると思います。
		
		[A058]FreeArchive
ドストエフスキーのアジア
		講演日:1981年2月7日
		主催:ロシア手帖の会 協賛・新潮社
		場所:渋谷・東京山手教会
		収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
		 ドストエフスキー的な主人公である
		『白痴』のムイシュキン公爵のような性格は、
		一見すると現代的です。
		そしてこれを現代的と解する限り、
		病的あるいは異常という類型にあたります。
		病的、異常であるがゆえに、
		自分の振る舞いや自分の招き寄せてしまう悲劇に
		無意識なのだと解されるのです。
		けれどそう解したとき、
		なぜかドストエフスキーが
		これらの主人公たちに抱いている親愛感や、
		それに応えるような主人公たちの
		何ともいえない規模の大きさのようなものが、
		見落とされてしまうような差異感を覚えます。
		僕たちはどうしても、
		ドストエフスキーが自分の作品世界に、
		眼に見えないロシアのアジア古代的な感性や
		思想性の枠組みを施しているという
		仮定に導かれるのです。
		
		[A059]FreeArchive
現代文学の条件
		講演日時:1981年7月3日
		主催:梅光女学院大学
		場所:梅光女学院大学
		収載書誌:未発表
		 現代文学が強いているのは、
		「物語性の喪失」ということです。
		作品の緊張度を保とうとすると、
		物語というものを喪失せざるをえないというジレンマが、
		現代文学が当面している大きな条件でもあります。
		そういう条件のなかで、
		若い作家が無意識のうちにとっている
		ひとつの解決のしかたがあります。
		それはイメージの氾濫ということです。
		そのイメージには意味をつけようがなく、
		泡のようにはかないもので、
		ただイメージだけが氾濫しています。
		しかし現在の若い作家は、そのことによって
		現在の文学が当面している大きなジレンマを
		無意識に解こうとしているように思われるのです。
		
		[A060]FreeArchive
〈アジア的〉ということ ─ そして日本
		講演日時:1981年7月4日
		主催:北九州市小倉・金榮堂
		場所:北九州市小倉・NRCCホール
		収載書誌:弓立社『document吉本隆明』1号(2001年)
		 現在、なぜ〈アジア的〉ということが
		ことさら問題でありうるのでしょうか。
		現在の世界を把握していく場合、
		何がかつての時代と違うかを考えてみると、
		ふたつのことがあると思います。
		ひとつは、欧米の高度な資本主義社会の文明が、
		どこへどう行きつつあるのか、
		はっきりとつかまなくては、ということがあります。
		もうひとつは、かつては〈西欧的〉ということが
		世界を考えたと同じだといえたのですが、
		現在、世界が高度になってきますと、
		世界の最先端をきっている
		高度な資本主義社会の文明だけを考えれば
		世界を考えたというふうにいかなくなりました。
		世界という水平線上に、アジアも、アフリカも、
		それから未開あるいは原始にある地域の問題も
		並んできたのです。
		世界史的な意味で〈アジア的なもの〉を把握することが、
		はじめて世界水平線上にあらわれてきた大きな問題です。
		
		[A061]FreeArchive
僧としての良寛
		講演日時:1981年7月4日
		主催:北九州市小倉・金榮堂
		場所:北九州市小倉・NRCCホール
		収載書誌:弓立社『document吉本隆明』1号(2001年)
		 「僧侶とは何か」を考えていく場合、
		いちばん根本的なことがあります。僧侶というのは、
		「頭を丸めて何した」ということではありません。
		仏教の思想も含めて、東洋における思想が生み出された
		当初の社会の状態に返したところで
		「僧侶とは何か」を考えなくてはいけないのです。
		数千年前に生み出されたアジア的な社会では、
		農業が根本でした。
		農業を営む村落共同体に対して、
		僧侶が自分をどういうふうに位置づけているか
		ということが、非常に重要なことです。
		そこで良寛がどういうふうに
		僧侶として振る舞っているか、
		あるいは良寛の思想が僧侶というものを
		どう位置づけているかということが、根本的な問題です。
		良寛の表現したもの、振る舞いを
		そういうところから考えてみますと、
		それはいかようにも考えることができます。
		
		[A062]FreeArchive
日本資本主義のすがた
		講演日時:1981年11月7日
		主催:自治労山口県職員労働組合下関支部
		場所:下関市水産会館
		収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
		 私たちは日頃、冷え込んだ不況を感じています。
		物価高とか不況とか、給料や収益が思ったほどあがらない。
		それはいったいどういうことで
		そうなっているのかということは、
		ひしひしと感じることのひとつだと思います。
		日々あくせくと時間に終われ、
		焦燥感とか不安感みたいなものが残っていく感じが
		私たちの内部にあります。
		この焦燥感・不安感は
		いったいどこからくるんだろうかということが、
		切実な疑問のように感じられるわけです。
		その疑問の根底にあるものは何なのかを
		基礎づけることができるかどうか、
		そんな実感にできるだけ近づけるかどうかが、
		この種の社会や国家の構造論の課題の本命だと思います。
		
		[A063]FreeArchive
物語の現象論
		講演日時:1981年11月21日
		主催:早稲田大学文学部 文芸専攻
		場所:早稲田大学文学部 453教室
		収載書誌:未発表
		 現在、イメージの生活世界が膨大になってきています。
		私たちは、実質的な生活世界からイメージの世界へ行き、
		またそこから降りてきて眠るということを
		絶えずやらなくてはいけなくなっています。
		どうしてもそこを通過していかなくてはいけない
		必然の通路みたいに、イメージの世界は存在しています。
		そういう世界を膨らませているのが、
		物質的な価値にイメージの価値をつけ加えたい、
		イメージの価値で競争したいという衝動であることは
		非常に明瞭です。
		文学作品が、価値のある世界を実現したいと考えるならば、
		「イメージの世界の厚みをくぐり抜けてその果てに出る」
		ということがどうしても必須条件になります。
		それが、文学にとっての本質的な衝動です。
		どうやってそれが実現可能なのかということが、
		批評にとっても創造にとっても
		最後に出てくる問題だと思います。
		
		[A064]FreeArchive
文学の新しさ
		演日時:1982年1月21日
		主催:京都精華大学 学生部
		場所:京都精華大学
		収載書誌:未発表
		 現在の文学や芸術、芸能では、
		実際の現実的な価値、物質的な価値に対して、
		イメージの価値が大なり小なり付加されていて、
		その全体を指してある価値様式を考えているというのが、
		われわれがおかれている環境です。
		このイメージの世界が大規模になると考えると、
		誰にとっても管理されている時間帯は
		増えていくだろうということが、
		現在の「新しさ」の根底にある問題だと思います。
		その問題をどう考えるかが、
		現在の文学の根底にある問題だと思います。
		
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若い現代詩ーー詩の現在と喩法
		講演日時:1982年9月26日
		主催:思潮社
		場所:渋谷・西武劇場
		収載書誌:思潮社『戦後詩史論』(2005年)
		 現在書かれているさまざまな詩を
		〈現在〉ということに集約したらどういう問題がでるか。
		現代詩という定義とも、現代詩の歴史とも関係がない
		「現代詩」がはたしてありうるのかを考えてみますと、
		ありうる可能性が
		どこかに出てきたんじゃないのかという考え方を
		僕は持つようになりました。
		そういう道をつけた詩人のひとつに、
		「中島みゆきから谷川俊太郎へ」
		という鉱脈を考えてみたいんです。
		「中島みゆきから谷川俊太郎へ」
		という通路を考えることができるということが、
		〈若い現代詩〉が直面している大きな特徴のように
		思えるんです。
		
		[A066]FreeArchive
ポーランド問題とは何か
		講演日:1982年11月5日
		主催:岩手大学新聞社
		場所:岩手大学人文社会科学部4号館41大教室
		収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
		 国家が社会に対して100%関与している、
		ソ連とかポーランドみたいな社会主義「国」もありますし、
		アメリカとかヨーロッパのように、
		だいたい40%から50%近くまで
		関与するところまでいっている
		先進資本主義「国」というのもあります。
		日本の場合はどうでしょうか。
		正確にはわかりませんが、だいたい30%を
		前後するのではないかと思います。
		しかし、イメージとしていわせれば、
		日本の国家と社会との関係も、
		国家の関与率というようなものは、
		だいたい40%、つまりアメリカとかヨーロッパとかに
		近づいていくだろうと考えられます。
		
		[A067]FreeArchive
個の想像力と世界への架橋
		講演日時:1982年11月13日
		主催:現代短歌シンポジウム実行委員会
		場所:千代田区一ツ橋・一橋講堂
		収載書誌:雁書館『'82現代短歌シンポジウムin東京・全記録』(1983年)
		 高橋源一郎さんの『さようなら、ギャングたち』という
		作品が問題にしていることは、
		現在の詩歌が当面している問題そのものであるといえます。
		この作品では、ラディカルな詩の概念というものが、
		伝統的な言葉の様式からは出てこないで、
		何もかもむなしくされてしまい、
		現在の原初的な刺激を
		無意識の底から受け入れたときに生まれる言葉から
		出てくるかもしれないという考え方が
		成り立っているのです。
		現在、詩的な表出のすべてが
		直面している物語性の解体というところで、
		短歌の領域でも同じような問題が
		本格的に出てきているんじゃないかと
		思われてならないのです。
		
		[A068]FreeArchive
〈若い現代詩〉について
		講演日時:1982年12月8日
		主催:詩誌「無限」事業部
		場所:明治神宮外苑絵画館文化教室
		収載書誌:未発表
		 街頭で瞬間的に飛び交っていく言葉には、
		話し言葉という意味あいと、もうひとつ
		「発声状態の言葉」という意味あいがあるような
		気がします。
		取り交わされた瞬間にとらえられた
		「発声状態の言葉」という意味あいで、
		街頭で飛び交う言葉を瞬間的にとらえることができれば、
		それはそうとうラディカルな言葉になるのではないかと
		思います。
		このラディカルな状態の言葉をとらえるということは、
		現在の詩が当面している
		とても大きな問題のように思えます。
		そのことは、街頭で取り交わされている言葉を、
		高度な詩にまで適用できる通路ができてきたということの
		証拠なのではないかという気がします。
		
		[A069]FreeArchive
共同幻想とジェンダー
		講演日時:1983年2月12日
		主催:フォーラム・人類の希望/新評論
		場所:四谷公会堂
		収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
		 19世紀以降、資本主義社会の興隆期に入ってから、
		なぜ男女の特性が生産労働過程で無視できると
		考えられたのでしょうか。
		マルクスの考え方は、労働時間の問題が重要なので、
		どういう生産物をつくったか、
		どういう質の労働を加えたかという差異は、
		あったとしても大したことではないというものです。
		イリイチの考え方からいうと、
		こんな状態を許しておいたからこそ、
		男女の賃金格差は拡がり、
		女性は影の仕事に追い込まれるという事態が
		生じてしまったことになります。
		資本主義の一種の停滞成長期である現在、
		どうして改めて生産労働過程における性という問題が
		とりあげられなければならないのか??それが
		イバン・イリイチという思想家の
		根本的な問題意識だと思います。
		
		[A070]FreeArchive
『源氏物語』と現代ーー作者の無意識
		講演日:1983年3月5日
		主催:山梨県石和町教育委員会
		場所:石和町中央公民館
		収載書:思潮社『白熱化した言葉』(1986年)
		 『源氏物語』の作者の無意識までも
		こちらに移ってくるように、微細な部分まで
		作品を読むことができるようになったときにはじめて
		『源氏物語』を現代風に読むことができた
		ということになります。
		本来的には原文を抜きにして
		そういう微妙さが伝わる読み方が
		できるわけはないといういい方もできそうですけれども、
		僕の考え方では、現代語訳でも十分です。
		作者と語り手と、登場人物の言動とは
		みなそれぞれ違うものなんですよという区別をしたうえで
		作品を読まれることによって、
		『源氏物語』の現代的な読み方の基本点を
		つかまえることができると思います。
		
		[A071]FreeArchive
小林秀雄と古典
		講演日:1983年5月26日
		主催:神奈川県高等学校教科研究会国語部会
		場所:神奈川県政総合センター
		収載書誌:中公文庫『語りの海2 古典とはなにか』(1995年)、弓立社『超西欧的まで』(1987年)
		 僕らが小林秀雄にかすかに違和感を感じたのは、
		敗戦の後でありました。
		戦後、こちらは急に戦争から放り出されて、
		どうしたらいいかわからないし、また、
		どんな思想を真と認めればいいのかわからないで、
		たいへん落ち込んだ時期がありました。
		そういうときに、小林秀雄が
		何か発言をしてくれたらいいな、
		そうしたらそこから何か得られるのにという感じで、
		ずいぶん待っていたわけですけれども、
		小林秀雄は戦争から放り出された青年の心のなかに
		もぐりこんでくる発言をしてくれなかった
		というように思います。
		それでもう、自分でもって自分の落ち込んだところは
		つかんでいく以外ないと思いつめて、
		そのあたりから自分は違う道を行っているんだな
		という感じ方をとったのを覚えています。
		
		[A072]FreeArchive
親鸞の転換
		講演日時:1983年8月21日
		主催:鹿児島県出水市泉城山・西照寺
		場所:鹿児島県出水市泉城山・西照寺
		収載書誌:春秋社『未来の親鸞』
		(1990年)
		 親鸞がたどった変容の過程は、中世の仏教、
		あるいは現在の仏教の常識からいっても、
		僧侶の概念から外れていくことでした。
		修行を積むこともお経を読むこともぜんぶやめてしまい、
		ただ名号を称えることだけが残ります。
		「魚や肉を食っちゃいけない」とか
		「女人と交わってはいけない」という戒律も
		いっさいやめてしまいます。
		外側から見たら堕落してだめな坊さんになったとしか
		見えないはずです。
		しかしいちばん大切なことは、
		見かけ上の坊さんとしてだめになっていく、
		そんな転換のなかに、精神の問題からも
		仏教そのものの教えからも
		重要な転換が含まれていたことです。
		その転換は外側からは決して見えません。
		本当に堕落した坊さんになってゆき、
		坊さんとしての資格もないというかたちに
		親鸞は自分自身を引っぱっていくわけです。
		
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宮沢賢治の陰ーー倫理の中性点
		講演日時:1983年10月23日
		主催:吉本隆明文芸講演実行委員会
		場所:盛岡市福祉総合センター
		収載書誌:思潮社『白熱化した言葉』(1986年)
		 宮沢賢治の作品は、
		詩の作品のなかにも童話の作品のなかにも、
		至るところに「陰の言葉」というものが
		挟まれていることがあります。
		それは小括弧やふつうの鍵括弧でくくられていたり、
		二重の小括弧にくくられていることもあります。
		宮沢賢治にとって最後の問題というのは、
		この「陰の言葉」が
		どういう運命をたどったかということがひとつあり、
		もうひとつは
		宮沢賢治の倫理の世界がどういうふうに展開され、
		意味づけられるべきものなのだろうか、ということです。
		
		[A074]FreeArchive
宮沢賢治の幼児性と大人性
		講演日時:1983年10月26日
		主催:詩誌「無限」事業部
		場所:明治神宮外苑絵画館文化教室
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第8巻』(2004年)
		 宮沢賢治の詩は、
		自然の景観や自然現象とのさまざまな交感を、
		「語りの言葉」で語っていきます。
		しかしその途中で、突然違う位相からの言葉が
		括弧のなかに入ってきます。
		そうかと思うとまた違う言葉が
		二重括弧になって入ってきます。
		こうした言葉を「否定性の言葉」として考えてみると、
		それは童話作品のなかでは
		キーワードとして出てきていることがわかります。
		宮沢賢治という人の世界には、
		幼児性を象徴するキーワードが一方にあり、
		もう一方には得体のしれない
		混濁した大人の独語としてしか存在できない
		言葉があります。
		そのような幼児性と、得体のしれない大人性という
		両者の差異が、終始一貫宮沢賢治を葛藤せしめた
		根本にあることではないかと思われるのです。
		
		[A075]FreeArchive
漱石をめぐってーー白熱化した自己
		講演日時:1983年11月12日
	  主催:日本近代文学会
	  場所:武蔵大学
	  収載書誌:思潮社『白熱化した言葉』(1986年)
		 漱石の作品でいちばん魅力的なのは、
		作品の登場人物を自分なりに設定しながら、
		ある個所に来ると作者自身が作品のなかに乗り出して
		登場人物に感情移入して白熱するところだと思います。
		そこでは作品の登場人物と作者が融合してしまい、
		その個所が作品でいちばん白熱してしまうのです。
		もちろん物語ですから巧みに設定されておりますが、
		主人物には作家・漱石のもっと根底にある、
		人間・漱石みたいなものの自己移入が
		必ずあるように思います。
		そこのところが漱石文学の
		いちばんの魅力であると思います。
		
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小林秀雄を読むーー自意識の過剰
		講演日時:1984年3月16日
	  主催:寺小屋教室
	  場所:新宿・紀伊國屋ホール
	  収載書誌:思潮社『白熱化した言葉』(1986年)
		 小林秀雄はわが国の近代批評の祖のような批評家です。
		小林秀雄が文学批評のなかに「自意識」という起源を
		定めたとき、はじめて日本の近代批評が
		はじまったといえます。
		それ以前の批評では、
		「他者を批評することは自分を批評することと同じだ」
		という意味で成り立っている批評文は
		存在しなかったといっていいくらいです。
		この人を無視して日本の近代批評は語れないわけです。
		僕らも繰り返しそこに立ち戻っていかなければ
		いけませんし、みなさんも文学批評というものに
		関心を持たれたなら、
		この人のものを読めばあとは要らないというほど
		重要だと思います。
		
		a href="http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a077.html">[A077]FreeArchive
隠遁者としての良寛
		講演日時:1984年4月1日
		主催:雑誌「修羅」同人
		場所:新潟県三島郡出雲崎町・光照寺
		収載書誌:春秋社『良寛』(2004年)
		 〈隠遁者としての良寛〉ということは、
		僕がいちばんむずかしいと思って
		残してきたイメージです。
		〈隠遁〉ということは、良寛という名前に
		最初につきまとうイメージだと思うけれども、
		僕にとっては逆なんです。
		詩でいいますと山川草木、花鳥風月に託して
		自分の内面性を述べた詩、
		そういう詩に託された良寛というのが
		〈隠遁者としての良寛〉ということです。
		その内面性に入り込む糸口を
		どこに持っていったらいいのかということを、
		考えてはやめ、考えてはやめてきました。
		この、いちばんむずかしい良寛の詩というものを
		つかまえるには、「自然」というのが
		隠遁者としての良寛の大きな枠組みを決めている、
		と考えればいちばんいいのではないかと思います。
		
		[A078]FreeArchive
親鸞の声について
		講演日時:1984年6月17日
	  主催:武蔵野女子学院
	  場所:武蔵野女子学院・紅雲台大広間
	  収載書誌:春秋社『未来の親鸞』
	(1990年)
		 親鸞の声はこういう声だったといって、
		音声を再現しようということではないのです。
		親鸞の語った言葉が、仏教で考えられている「声」として、
		どんな意味を持っていたのだろうか、
		できるだけお話ししてみたいのです。
		東洋の思想とか宗教の最後の到達点は、どうも、
		自然に対してどこまで近寄ることができるか、
		あるいは心を研ぎ澄ましたとき、
		「自然の声」や自然がしゃべっている言葉が
		どこまで聞き取れるかが、
		どこまで修行を積んだかの大きな眼目に
		なっていると思われます。
		これに対して、親鸞の声はどういう
		「声」なんでしょうか。
		根本的にいいますと、親鸞という人は、
		「天地自然の声」を聞き、
		そしてそのなかに心を同化させることができるようになる
		ことが修行の眼目だという考え方を、
		否定してしまったと思います。
		
		[A079]FreeArchive
漱石のなかの良寛
		講演日時:1984年9月13日
	  主催:本郷青色申告会/本郷青色大学
	  場所:本郷青色申告会館
	  収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
		 明治以降の文学者のなかで、
		漱石のように〈坐る〉ということ、〈禅〉ということ、
		もっと広くいえば仏教の修練ということに関心を持った
		文学者は少ないように思います。
		ましてそれを作品に結晶させた文学者は稀で、
		漱石はたいへんめずらしい作家といえるでしょう。
		漱石は、修善寺で胃病にかかり
		吐血して生死の境をさまよって以降、
		「則天去私」という境地に入ったとされます。
		この境地は、禅宗の坊さんがいう
		悟りの境地ではありません。
		でも禅家がいう悟りの境地が、
		本当の意味があるかどうかは
		いろいろ疑問のあるところです。
		漱石のように、悟りの境地に関心がありながら
		その「門」のなかには入れなかった、
		かといってその「門」を立ち去ることもできなかった??
		そんな心のあり方が本当の〈悟り〉に
		近かったのかもしれないのです。
		そこが漱石がたどりついた〈坐〉の境地を
		あらわしています。
		
		、[A080]FreeArchive
経済の記述と立場ーースミス・リカード・マルクス
		講演日時:1984年11月2日
	  主催:日本大学三崎祭実行委員会
	  場所:日本大学経済学部7F大講堂
	  収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
		 現在の経済学的な範疇、あるいは概念は、
		たぶん〈物語〉も〈ドラマ〉も
		なくなっているんじゃないかと思われます。
		そこではさまざまな考え方がありうるわけですが、
		かつてスミスが自然の〈歌〉から緻密に経済学的な範疇、
		あるいは概念をつくりあげていったというような
		過程を見ることができません。
		そういう過程にある、強固さとか、
		道具を積み重ねる厳密さとかは
		まずまず見ることができないのです。
		いまはどうなっているのか、いまをどうするのかとか、
		いまの状態から
		経済学的な範疇をつくるとすればどうなるか、
		という問題だけではじまりそして終わるほか
		ないんだということです。
		そこでは、どんな〈物語〉も〈ドラマ〉も、
		もうつくることができません。
		そこに、現在の経済学的な考え方が
		ぶつかっていると思います。
		
		[A081]FreeArchive
古い日本語のむずかしさ
		講演日:1984年12月1日
	  主催:千駄ヶ谷日本語教育研究所
	  場所:千駄ヶ谷日本語教育研究所
	  収載書誌:未発表
		 古い日本語についての理解というのは
		どこから攻めていっていいかよくわからないんですが、
		近世以降の国文学者はどうやってきたかというと、
		経験的にたくさんの古典を読みたくさんの方言を聞き、
		当てずっぽうでそれらを取りさばいてきたのです。
		現在でもほとんど変わらないんですが、
		もとをただせばぜんぶ当てずっぽうだというところから
		きているともいえます。
		そういうふうにしながら、わかったもの、
		わからないものというところに到達していて、
		まだとうていわからない言葉、
		わからない問題がたくさん出てきます。
		そのわからなさと日本語の系統のわからなさ、
		日本語というのはどこから来たのか、
		どういうふうにできたのかが
		いまだにわからないということとは
		関係があることであって、
		それがどういうふうにできて、
		どういう言葉なんだというところへ
		手探りでもなんでもどんどんさかのぼっていかなくては
		いけない、というようなことがあります。
		
		[A082]FreeArchive
「現在」ということ
		講演日:1985年3月30日
	  主催:山梨県石和町教育委員会
	  場所:石和町中央公民館
	  収載書誌:思潮社「現代詩手帖 7月号」(1985年)
		 テレビにおける萩本欽一みたいな
		偉大なタレントがもうくたびれちゃったから
		番組をちょっと降りさせて休ませてもらうよっていったり、
		五木寛之がかつて少し小説を書かないで
		休んでいたいよっていったりしましたが、
		これは彼らが芸術や文学として
		絶えず新しさを求めて競争をする世界で
		活動をしてきたからだと思います。
		絶えず新しさを生み出すという衝動を何年も続けてきて、
		やっぱりくたびれたというところにきたということだと
		思います。「
		もう降りる以外に自分は存立できない」という危機感を
		覚えたときに、偉大なる萩本さんは
		番組からちょっと降りて考えたいとか、
		休みたいと考えるわけです。
		「どうやって登るのか」が問題になる芸能家、
		芸術家がいるのと同じように、そこでは
		「どうやって降りるか」という、贅沢な悩みですけど、
		それはそうとうきわどい悩みなんです。
		それは「現在」というものの本質につながる悩みです。
		あまり関係のないタレントの問題だよ、
		というふうに思わないほうがよろしいと思います。
		
		[A083]FreeArchive
マス・イメージをめぐって
		講演日時:1985年7月1日
	  主催:前橋市・煥乎堂
	  場所:前橋市民文化会館 小ホール
	  収載書誌:未発表
		 黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』と
		マルクスの『資本論』を、
		片方の場合に程度を下げるのではなく、
		同じ言葉で論ずるということは、
		カルチャーとサブカルチャーの違いが
		あまり明瞭でなくなった現在に対する批評のあり方として、
		きわめて重要なことではないかと思います。
		批評というものが
		作品の本質をいい当てるということならば、
		CMや漫画といった
		サブカルチャーにこだわっていかざるをえないという
		問題が、どうしてもあると僕は考えます。
		こういうものを、純文学でもないし
		純芸術でもないということで排除しておいたら、
		批評という概念が成り立つかどうか、
		僕は疑問とするわけです。
		
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アジア的と西欧的
		講演日時:1985年7月10日
	  主催:リブロ 西武池袋本店
	  場所:西武百貨店 池袋店 スタジオ200
	  収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
		 日本は現在、西欧型の先進的社会に突入しています。
		ただ、複雑なことは、〈アジア的〉という概念が
		一枚加わらないと、日本社会の完全なイメージが
		描けないということです。
		日本の現在の社会のなかに〈アジア的〉意識が
		どんなふうに〈手段〉の分野で存在しているか、
		どういうふうに産業・芸術・文学の分野で
		存在しているかという問題が残されているのです。
		日本の社会は、西欧における
		「西欧的思考の解体作業」にも参加せざるをえないし、
		ある場合にはそれを推進せざるをえないというところに
		おかれています。しかし同時に
		〈アジア的〉意識というもののあり方を、
		二重性として勘定に入れなければなりません。
		こんなことは西欧社会では不要なことでしょうし、
		西欧社会が日本の社会を見る場合に
		誤解しているところかもしれません。
		また、そこに、日本の社会が西欧の社会にとって、
		大きな意味をもって浮かび上がってくるように
		見える理由があるのかもしれません。
		
		[A085]FreeArchiv
文芸雑感
		講演日時:1985年9月7日
	  主催:梅光女学院大学
	  場所:梅光女学院大学
	  収載書誌:未発表
		 僕は、『言語にとって美とはなにか』で、
		文学作品を言語の表現として見た場合に、
		どういう問題があるかという文章を書いたことがあります。
		それは「言語表現としての文学」という観点で
		文学の作品を理論化していったということだと思います。
		僕がいましたいことは、
		「イメージの美としての文学とはなにか」ということです。
		イメージの普遍的な理論のなかに、
		文学作品についての評価の仕方も含めてしまいたい。
		それが文芸批評の当面しているひとつの
		課題であると思います。
		
		[A086]FreeArchive
資本主義はどこまでいったかーー経済現象から見た現在
		講演日時:1985年9月8日
	  主催:北九州市小倉・金榮堂
	  場所:北九州市立商工貿易会館2階ホール
	  収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
		 現在の日本の資本主義に先進的な資本主義を
		象徴させるとすれば、
		たいへんな構造変化を体験しつつあることは
		確からしく思われます。
		マルクスがいったように、水車や風車が封建時代を象徴し、
		蒸気機関が資本主義時代を象徴するものだとすれば、
		電子情報産業時代は、実体は
		未知な超資本主義を象徴しつつあるということは
		確かだと思います。
		そういうところに日本も含めて
		先進的な資本主義がだんだん入りつつあると
		いえそうな気がします。
		その具体的なあり方が、経済現象としては
		いまの情報化産業あるいは
		技術革新というようなものを中心とした
		産業構造の変化の仕方に帰着するだろうと思われます。
		
		[A087]FreeArchive
心的現象論をめぐって
		講演日:1985年10月18日
	  主催:紀伊國屋書店
	  場所:新宿・紀伊國屋ホール
	  収載書誌:弓立社『心とは何か』(2001年)
		 あるとき、未知の読者だという人から電話がかかってきて、
		「自分は1ヵ月ぐらい前に交通事故で
		手をひじの下から落としてしまった。
		しかし落としてしまったそのこと自体がよくわからない」
		というのです。
		「それを教えてくれないか」という電話を
		いただいたことがありました。
		「いやおれもわからない」と答えました。
		だけどその人がわからないという意味は
		とても深刻なように聞こえました。
		つまり、手を交通事故で偶然落としちゃったということを、
		以降1か月ぐらいたっているけれども、
		そのこと自体がどうしても自分でのみ込めない。
		そののみ込めないということが、
		かなり深刻な意味で問われていました。
		僕はまったくそれに対して答えることができませんでした。
		これは少しこの問題をやってみよう、と思いました。
		
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都市を語る
		講演日時:1985年10月22日
	  主催:慶應義塾大学 学生部
	  場所:慶應義塾大学 日吉キャンパス 33番教室
	  収載書誌:弓立社『像としての都市』(1989年)
		 東京は現代的な都市のなかで
		もっとも複雑でもっとも興味深く、
		もっとも無秩序な町だと思います。
		この都市がどこに行くのかを追求していくことは、
		単に都市がどうなるのかということだけでなく、
		日本の社会あるいは日本の社会を典型とする
		高度な資本主義社会というものが
		こへ行くのかを追求することになると思います。
		そして、東京は高度な資本主義社会にも関わらず、
		成り立ちからいうと東洋的な都市の起源を
		含んでいるわけですから、
		これがどこへ行ってしまうのかを示唆するという意味でも、
		とても重要な問題のような気がします。
		
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鴎外と漱石の見た東京
		講演日時:1986年1月31日
	  主催:東京都文化振興会
	  場所:安田生命ホール
	  収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年)
		 鴎外の文学作品における東京への関心は、
		「紅灯の巷」的なものへの関心です。
		そうした情緒へのエロス的な傾斜と、
		軍医総監あるいは衛生学の専門家としての
		近代都市東京に対する見識が
		総合的に統一されたということは、
		鴎外のなかでなかったと思います。
		衛生学による都市論と、彼の小説に現れた東京には
		一種の空隙があります。
		漱石のなかにも、文明苦としての東京というものと、
		自然としての東京というものとのあいだに、
		やはり空隙があるということができると思います。
		漱石がそれを何で埋めたのかはよくわかりません。
		たぶんそこの空隙を埋めたいというモチーフを
		最後まで持ち続けながら、
		しかしそれを埋めることができないで、
		『明暗』という作品を書いている途中で
		死んだというのが漱石の文学的生涯だと思われます。
		
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「受け身」の精神病理について
		講演日:1986年4月12日
	  主催:宮崎市・一ツ瀬病院・精神医療を考える会
	  場所:宮崎市中央公民館
	  収載書誌:弓立社『心とは何か』(2001年)
		 精神医学についてはまったく門外漢です。
		ただ素人というだけで済ましておられないのは、
		ここ20年ぐらいのあいだ、
		やはり「この人は少し違うんじゃないか」という人から
		電話がかかってきたりということは
		絶えず3人とか4人とかおられました??
		電話を介したりして受けた印象を、
		ひとつの言葉で要約してしまいますと、
		どうしても「受け身」じゃないのかということでした。
		「受け身」ということを、もう少しつけ加えると、
		善意であり過ぎるとか、優し過ぎるとか、
		度外れに依頼心が強いんじゃないかとか、いずれにせよ
		「受け身」ということのなかに
		さまざまな属性としてあるもののように思えました。
		僕が20年ぐらいつきあってる人で、
		攻撃的な人はひとりだけで、
		「おまえぶっ殺すぞ」などと、
		しょっちゅういう人がいるんですが、
		そういっても本当はどうもそうじゃないんじゃないか、
		やっぱり「受け身」なんじゃないか、
		いい人過ぎるんじゃないかという感じを受けるのです。
		
		a href="http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a091.html">[A091]FreeArchive
「かっこいい」ということーー岡田有希子の死をめぐって
		講演日時:1986年5月4日
	  主催:マガジンハウス
	  場所:新宿・紀伊國屋ホール
	  収載書誌:弓立社『サクリファイス』(白倉由美著:1989年)
		 「かっこいい」という言葉が
		普遍性を持つようになったのは、
		たかだか10年ぐらいのことだろうと思います。
		なぜ「かっこいいか悪いか」という評価の基準が
		発生したかというと、
		僕の考えでは「離脱」ということが
		現代の大きな問題になってきたからだと思います。
		それまでは芸能人は芸能人の場所から、
		主婦は主婦の場所からというように
		それぞれの立場から社会現象を評価すれば
		済んでいたわけですが、
		現在はそれでは済まされなくなっています。
		それぞれが役割を演じている閉じられた場所から、
		本来的な場所を
		探し求めなければならないという課題??つまり
		「離脱」という課題が少なくともここ
		10数年来出てきたということじゃないかと思います。
		だから、「かっこよさ」には、
		少なくともふたつの条件があると思います。
		ひとつは、自分が役割として持っている
		場所は危なっかしいものだぜ、ということを
		とにかくまずわかるということです。
		もうひとつは、本来的な場所を自分なりにつかむ
		という課題を、自分が果たし続けることです。
		
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イメージ論
		講演日:1986年5月29日
	  主催:京都精華大学学生部
	  場所:京都精華大学大教室
	  収載書誌:未発表
		 僕は、文学の理論的な考察として
		『言語にとって美とはなにか』という仕事を
		したことがあります。
		言葉というものが基本にあって、
		あらゆる芸術の分野の表現が
		行われているという考え方をとると、
		言葉は人間に付随したものだから
		理論的な考察ができると考えてきました。
		いま、少しその考え方を変えて、
		音楽や映画、デザインから映像に至る
		さまざまな分野の芸術表現のひとつとして、
		文学を言葉の芸術ではなく
		イメージの芸術として扱ったら
		どうなるだろうかということを、やってみたいと思います。
		
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柳田国男の周辺ーー共同幻想の時間と空間
		講演日:1986年6月8日
	  主催:吉本隆明を読む会
	  場所:盛岡市上田公民館
	  収載書誌:洋泉社『定本 柳田国男論』(1995年)
		 僕自身も柳田国男について
		論じたりしてきましたけれども、
		同時に柳田国男が『明治大正史』でやったように
		現在のイメージをどうつくるのかということも
		やってきました。
		その場合、柳田国男の方法は
		無意識に僕らのなかに入ってきていて、
		それをもとにして自分の分析をやってきました。
		柳田国男が『海上の道』などでたどった、
		稲作が南島から日本の島に渡ってきたという考え方は、
		実証史学でいえば危ういところがあるのかもしれません。
		しかし柳田国男の方法的な優位は、
		実証でくつがえしえるというものではありません。
		柳田国男の地勢のイメージのつくり方、
		過去のイメージのつくり方、
		民衆のイメージのつくり方の根本的なところは、
		共同幻想の過去・現在・未来を考えていくとき、
		現在でも有効だと考えています。
		
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時代はどう変わろうとしているのか
		講演日時:1986年7月12日
	  主催:群馬県庁労働組合
	  場所:群馬会館ホール
	  収載書誌:未発表
		 時計は「時を計る」という目的のためにありますが、
		現在、1000円か1500円出せば
		ひと月に何十秒の狂いしかないデジタル時計を
		たやすく手に入れることができます。
		「時を計る」という機能でいえば、
		これ以上のものはいらないわけです。
		これは、究極時計というものが
		できてしまっているということだと僕は思います。
		現在のいくつかの兆候をよく考えてみると、
		「これはほとんど究極に近いんじゃないか」
		というような商品とか分野とか発達度というものが
		ポツポツと存在することがわかります。
		これはとても重要なことだと僕には思われます。
		もし機会がありましたら、
		「このことは究極までいっているのかな」とか
		「こうやったら究極になるんじゃないか」ということを、
		ぜひ考えてご覧になるとよろしいと思います。
		
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日本人の死生観
		講演日時:1986年11月16日
	  主催:日本看護境会 北海道支部北空知地区支部
	  場所:滝川市総合福祉センター
	  収載書誌:未発表
		 昔のご老人たちは、年老いて姥捨て山に捨てられるという
		伝承もあるくらいだし、ぜんぶ他動的です。
		歳をとると、自覚的でなく否応なしに
		子どもの世話になっていってしまうということが
		代々のしきたりで、
		そこで悲劇が起こったりしてきたわけです。
		現在、「子どもたちには世話になるまい」と思う人たちが
		出てきたということは、
		日本人が死の問題をちゃんと解決する基盤を
		獲得してきたということを意味していると僕は考えます。
		大昔からある懐かしい、古く美しいものが
		消えていくことは残念ですが、
		残念だというばかりではなくて、
		一方では「死は自分の問題である」という
		たくましい考え方の人たちがどんどん増えていることは、
		希望なのだということができると思います。
		
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続・日本人の死生観
		講演日時:1986年11月17日
	  主催:北海道滝川市 月曜談話会
	  場所:滝川市・ホテル三浦華園
	  収載書誌:未発表
		 「人間は必ず死ぬ」といういい方と、
		「私は必ず死ぬ」といういい方とは、
		同じように見えて違います。
		「人間は死ぬ」ということは
		大雑把にはいえそうに思えるけれども、
		「私は死ぬ」ということは私にはよくわからないはずです。
		そういうことに関連して僕はいま、
		「死に瀕したときからはじまる文学」をやっています。
		死に瀕した人が快復して治ったという
		体験を集めてみたのです。
		死に瀕して生き返った人の体験談には、
		「お医者さんが人工呼吸をしてみたり、
		看護婦さんが慌ただしく出入りしたり、
		近親の人が悲しそうに叫んでいるとかいうのが
		部屋の2メートルぐらいの高さのところから見えた」
		ということがほとんど例外なしにあります。
		それはいったい何なのだろうか、
		という問題があるわけです。
		
		[A097]FreeArchive
詩魂の起源
		講演日時:1986年11月23日
	  主催:思潮社
	  場所:新宿・紀伊国屋ホール
	  収載書誌:思潮社『詩とはなにか──世界を凍らせる言葉』(2006年)
		 詩が発生するときにまでさかのぼった過去に、
		詩はどう考えられていたかというと、
		「魂の気配を察知すること」自体が詩であると
		思われていました。
		言葉に表現する以前の段階で、
		ただ気配のようなものがあったとき、
		それを察知できるということが
		「詩の行為」だと考えられていたということです。
		ここから始まって、言葉を使って
		他人や対象に魂の在り処をつけてしまうことが、
		言葉が介入した以後の詩の表現でした。
		平安朝の末期頃まで、たとえば恋愛の場合には、
		「相聞」というかたちで詩が存在したわけです。
		相聞というのは言葉を使って、
		相手に自分を無理矢理にでもくっつけてしまうことです。
		ここらへんまでがたぶん、われわれの歴史のなかで、
		仏教みたいなものが入る以前における、
		詩的な行為の上限と下限だと考えられます。
		
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ぼくの見た東京
		講演日時:1987年1月17日
	  主催:中央区立京橋図書館
	  場所:中央区役所 8階大会議室
	  収載書誌:弓立社『像としての都市』(1989年)
		 東京に住んでいる人が東京を見る見方というのは、
		ひとりひとり違うと思います。
		その人の住んでいる町ないし都会に対する見方を
		決定するものは、ふたつあると思います。
		ひとつは、幼児期あるいは少年期の町の体験です。
		もうひとつは、青春期に入ってから体験した
		他の町のことです。そのふたつのことが、
		都市を見る見方を大きく決めるんじゃないかと思われます。
		僕の場合それは、新佃島というところにいたことと、
		青春期に東京を離れたという体験になります。
		そうした体験から、ご承知の通り
		子どものときとは比べものにならないくらい
		大都市になった現在の東京を、
		僕がどう見るかという見方の場所に
		出て行きたいと思います。
		
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ハイ・イメージを語る
		講演日時:1987年5月16日
	  主催:京都書院
	  場所:京都書院ヴァージョンB 4F ヴァージョンG
	  収載書誌:未発表
		 現在、僕がイメージについて考えていることが
		ふたつあります。
		ひとつは〈イメージの交換〉がたやすくなっている
		ということです。
		もうひとつは、〈限界というイメージ〉が
		可能になってきたということです。
		たとえば、空間がたくさん重なったところでは、
		実際にはひとつの視野で
		現実のビル街の光景を見ているのに、
		現実のビル街を見ているのではなくて
		イメージを見ているように錯覚されるところがあります。
		それは、イメージと現実が転倒してしまうということです。
		また、あそこは山だ、丘だ、あそこが限界だと思って
		宅地開発していくと、限界が見えているのに、
		近づいていくとまた遠のいていくということがあります。
		どこに限界を定めていいのか
		イメージが明瞭に浮かんでいながら、
		いざそこへ近づくと限界は遠のいてしまう。
		この問題は、制度の問題、産業の問題など
		すべてを象徴するに足るふたつの流れだと思います。
		
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わが歴史論ーー柳田国男と日本人をめぐって
		講演日時:1987年7月5日
	  主催:我孫子市教育委員会
	  場所:我孫子市民会館
	  収載書誌:JICC出版局『柳田国男論集成』(1990年)
		 柳田国男の民俗学は、稲を持ってきた人以前に
		日本列島に住んで、山のなかで狩猟をしたり、
		木こりをしたり、製鉄に携わったりしていた、
		農業民以外の人たちに対する関心からはじまっています。
		柳田国男の民俗学を突きつめていきますと、
		一見まるで孤立した民族のように見える
		アイヌの人たちが、祖先は縄文の人たちとして
		一緒に含まれてくるわけです。
		柳田国男は、アイヌの人たちの祖先が
		日本の縄文時代の人たちの直系に近い残りだとは
		あからさまにいっていませんが、
		そう考えていたということはとてもよく理解できます。
		僕らが柳田国男のいうところを推測して
		普遍化していくと、
		どうしてもそういうところに突き当たるような気がします。
		
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マス・イメージからハイ・イメージへ
		講演日時:1987年7月16日
		主催:河合塾
		場所:河合塾 名駅キャンパス16号館
		収載書誌:河合文化教育研究所『幻の王朝から現代都市へ──ハイ・イメージの横断』(1987年)
		 ランドサット映像のいいところは、
		ひとつの地図というものが
		さまざまな歴史的時間を包括することができる
		ということです。
		たとえば神話時代の視線は、
		村落の外れにある低い山や丘の頂から村落を俯瞰する、
		500?600メートルくらいの高さからの
		視線であったことがわかります。
		この視線は歴史が発展するとともに
		高度を増して現在に至っています。
		現在、イデアルにいえば、
		無限遠の高さからの視線を考えることができるわけです。
		ごくふつうの人たちが
		無限遠の高さからの視線を獲得できたとき、
		現在900?200キロメートルの視線を
		独占するかどうかで争っている、
		ふたつの世界権力の視線を超えたことを
		象徴すると思います。
		
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都市論 Iーー都市問題から見た天皇制
		講演日時:1987年9月12日
		主催:中上健次/三上治/吉本隆明
		場所:品川・寺田倉庫 T-33号館 4F
		収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』(1988年)
		 民間の一資本が、皇族の土地を手に入れて、
		とうとう天皇家の土地よりも
		大きな土地所有者になったということは、
		東洋的な君主という意味での天皇家の大きな柱を
		すでに崩してしまったことを意味していると思います。
		それは、歴史のある必然を象徴しているように思えて、
		たいへん興味深いことだと考えます。
		都市の収縮がこれから更に過剰になって、
		ビル街が皇居周辺を囲んでしまったという場合を
		想定しますと、皇居を売るときは
		いつか来るじゃないかと思えてならないんです。
		売っちゃって、京都御所なら京都御所に
		引っ込もうと考えるときが、
		ないとはいえないんじゃないかと思うのです。
		僕の理解のしかたでは、それが、
		都市問題から見た天皇制の問題です。
		
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文学論ーー文学はいま
		講演日時:1987年9月12日
		主催:中上健次/三上治/吉本隆明
		場所:品川・寺田倉庫 T-33号館 4F
		収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』1988年
		 もし現在の文学が、さびれている感じがしたり、
		隣接するほかの世界に
		活性が吸収されていってしまうと感じることが
		あるとすれば、それは「毒性のなさ」が
		大きな要素になるのではないかと思います。
		「毒性」ということにはふたつの意味があります。
		ひとつは、とても醒めていることです。
		もうひとつは、否定性だと思います。
		そうした意味でいえば、
		村上龍さんの作品も山田詠美さんの作品も、
		刺激的な毒性を持っているのです。
		
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都市論 IIーー日本人はどこから来たか
		講演日:1987年9月13日
		主催:中上健次/三上治/吉本隆明
		場所:品川・寺田倉庫 T33号館4F
		収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』(1988年)
		 柳田国男のような、歩く民俗学者というか、
		日本のぜんぶとはいわないまでも、
		半分か3分の2ぐらいはとにかく自分の足で歩いて、
		そのあげくに考えられた
		「日本人はどこから来たか」みたいなこととは、
		もちろん違います。
		4畳半というか6畳というか、
		そういうところでごろごろしながら考えた、
		つまり歩いたことはあんまりない、
		そういう人間の描く「日本人はどこから来たか」を
		一度やってみたいのです。
		
		[A105]FreeArchive
究極の左翼性とは何かーー吉本批判への反批判
		講演日時:1987年9月13日
		主催:中上健次/三上治/吉本隆明
		場所:品川・寺田倉庫 T-33号館 4F
		収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』(1988年)
		 はっきりさせておきたいのは、
		国家と資本が対立した場面では、
		資本につくっていうのがいいんです。
		国鉄が民営化分割されるっていうんだったら、
		原則としてはそのほうが正しいんです。
		次に、資本と組織労働者とが対立するときには、
		労働者につかなければいけないわけです。
		その先に、もうひとつあります。
		組織労働者と一般大衆のあいだに
		利害の激しい対立が生じた場面では、
		一般大衆につくのが、左翼思想の究極の姿なんです。
		
		[A106]FreeArchive
農村の終焉
		講演日:1987年11月8日
		主催:雑誌「修羅」同人
		場所:長岡市北越銀行ホール
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第5巻』(2002年)
		 農村を守るという論議のなかには、
		非常に切実な問題が含まれているのです。
		一種の文明の必然、文化の必然、科学の必然というもの、
		そういう必然はいかようにも止めようがないんだけど、
		それにも関わらず、
		理不尽な絶滅のしかたはしたくないとか、
		理不尽な交代のしかたはしたくない、
		そこにどういう活路を求めたらいいのかという問題は、
		ものすごく切実な問題だし、
		当事者だったらなおさらそうなのです。
		だからその問題は、もう完全に問題としてあるので、
		それは大いに論議されるべきだけど、
		「都市の野郎があんなこというのは
		むちゃくちゃじゃないか」
		「とんでもねえ野郎だ」とか
		「農村を知らないんだ」とか、
		そういういい方での対立のしかた、
		論議のしかたはあまり意味はないと思います。
		
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恋愛について
		講演日時:1988年3月4日
		主催:日仏学院 後援:フランス大使館
		場所:東京日仏学院ホール
		収載書誌:弓立社『人生とは何か』(2004年)
		 恋愛には、3つの段階と3つの種類があると思います。
		ひとつは正常な恋愛です。
		1対1で、ひとりの男性とひとりの女性が出会って、
		両者のあいだに恋愛感情が起こる。
		そういう恋愛を正常な恋愛としますと、
		それがいちばん根底的な
		恋愛といえるんじゃないかと思います。
		その次の段階にくる恋愛は、三角関係の恋愛です。
		恋愛というのは対幻想であって、1対1のあいだにしか
		起こりえないのですけど、
		三角関係というのは3者のあいだに起こるので、
		これは矛盾なわけです。
		つまり、恋愛における矛盾、あるいは
		矛盾としての恋愛です。
		3人というのは、共同性のいちばん原型にある関係で、
		恋愛感情とか男女の恋愛という対幻想とは、
		本来ならば違うはずなんです。
		これに対して、さらに段階が進んだ恋愛を
		想定するとすれば、直接の接触や関係を
		いつも回避されている恋愛というものが
		それに当たると思います。
		それは、もう少し進んだ高次な段階の恋愛として
		存在するんじゃないかというのが、
		僕のお話ししてみたいことです。
		
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日本経済を考える
		講演日時:1988年3月12日
		主催:墨田区立寺島図書館
		場所:寺島図書館3階読書室
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第12巻』(2006年)
		 露骨にいってしまえば、経済学は支配の学です。
		そうじゃなければ指導者の学です。
		反体制的な指導者にも、大づかみにすると、
		経済学は非常に役に立つわけです。
		みなさんのなかにはこれから指導者になるとか、
		支配者になるという人もおられるかもしれませんし、
		また、そういう可能性もあるかもしれません。
		けれどもいまのところ大多数の人は、
		何でもない人だと思います。
		僕も支配者になる気もなければ、
		指導者になる気もまったくないわけです。
		ですから、僕がやるとすれば、
		もちろん素人だということもありますけど、
		一般大衆の立場からどういうふうに見たらいいか
		ということが根底にあると思います。
		僕の理解のしかたでは、それはたいへん重要なことです。
		
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シンポジウム・太宰治論
		講演日時:1988年5月14日
		主催:弘前大学教育学部 近代文学研究会
		後援:弘前大学生協/東奥日報社/RAB青森放送/大和書房
		場所:第1部・弘前大学教養部17番教室/第2部・スペース・デネガ
		収載書誌:大和書房『吉本隆明「太宰治」を語る──シンポジウム津軽・弘前'88の記録』(1988年)
		 太宰治の作品は、物語の流れだけ読めば、
		たいへん明瞭な物語を持っている完成された作品です。
		ところが実験的な作品となっていきますと、
		物語性としてのドラマとは別な、
		人称のドラマ??目に見えない、
		筋の起こらないドラマというのもたくさんあって、
		太宰治の作品はこのふたつのドラマから
		成り立っているように思います。
		そこのところがつかまえどころじゃないかと思われます。
		このことはどこで資質として形成されたのかを考えますと、
		太宰治の乳幼児から青春の入り口のところまでにある体験が
		大きな役割を演じているだろうと僕は推察します。
		
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普遍映像論
		講演日時:1988年6月3日
		主催:京都精華大学 学生部
		場所:京都精華大学
		収載書誌:未発表
		 言葉の表現者であり、
		同時に死の経験者である??そのふたつのことを
		兼ねている文学者がいます。
		日本では島尾敏雄という作家です。
		もうひとりは、ドストエフスキーです。
		この人たちの体験と表現のなかには、
		死の体験のイメージと、
		死の体験から生きて帰ってきたイメージと、
		文学作品としての言葉の芸術が
		一身に兼ねられているのです。
		そのなかのイメージの構造と作品の構造との関わりあいを
		取り出すことができるならば、
		いっぺんに解けてしまう問題があるわけです。
		
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荒地派について
		講演日時:1988年8月3日
		主催:関東学院大学文学部/関東ポエトリ・センター
		場所:関東学院大学葉山セミナーハウス
		収載書誌:未発表
		 三好達治の詩でも立原道造の詩でも、中原中也の詩でも、
		半ば無意識的に最初の言葉さえぶつけられれば、
		そこから意識の持続がある限り詩は成り立って、
		持続が終わったときは詩が終わる。
		そういうものが一般的に詩と考えられるとすれば、
		荒地派の詩人たちが日本の詩のなかにもたらした
		方法というのは、
		「推敲可能な詩が書ける」ということです。
		流れを止めて考え込む、
		立ち止まって自分が書いた詩の一行を
		自分でじっと検討してみる??そういう詩の書き方が
		可能だということをはじめて教えてくれたのが、
		荒地派の詩だと思います。
		
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親鸞から見た未来
		講演日時:1988年10月13日
		主催:大谷大学
		場所:大谷大学
		収載書誌:東京糸井重里事務所『吉本隆明が語る親鸞』(2012年)
		 現在起こっている社会現象に特徴があるとすれば、
		一見すると「緊急な事柄」のように見えるもののなかに、
		本当は「永続的な問題」が混ざって、
		一緒に出てきていることだと思います。
		こういう考え方にたいへん示唆を与えてくれたのは、
		親鸞の「再び還ってきて、自在なる慈悲を発揮すべきだ」
		という考え方です。
		ある社会的な事件があったら、
		親鸞的ないい方をすれば??時間的にいえば
		未来から??「浄土や死からの光線で
		照らしだしてみなければわからない」
		という永続的な課題が、
		あらゆる社会現象のなかに見られるようになったことが、
		とても重要なことではないかと思われるのです。
		
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親鸞の還相について
		講演日:1988年11月1日
		主催:真宗大谷派東京教区教化委員会
		場所:真宗大谷派東京教区会館
		収載書誌:春秋社『未来の親鸞』(1990年)
		 僕は死んだ後に実体として浄土があって、
		そこに自分たちが行くんだというふうに
		少しも信ずることができません。
		不信な一般大衆といいましょうか、
		煩悩のさかんな凡夫という場所にいる現在の人間は誰も、
		たぶん至心に信仰して念仏を唱えれば
		浄土へ行けるとは信じていないだろうと思います。
		それは、大乗教の世界的思想家である天親とか曇鸞とか
		親鸞が一生懸命、末法の時代でも
		信仰のうえでわかりやすく説いてくれた教え方を、
		僕らはまるごとつかむということが
		できなくなっているということがいえるわけです。
		そうしますと、いまどういうことが
		起こっているかといいますと、
		比喩としてしかわからなくなっているのが
		実情じゃないかと思えます。
		〈還相〉、還りの姿とは何なのか、
		浄土とは、人間の「死」とは何なのか、
		ぜんぶ比喩としてしかわからなくなっているんです。
		
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子供の哲学
		講演日時:1988年11月10日
		主催:本郷青色申告会
		場所:本郷青色申告会館
		収載書誌:未発表
		 子どもというのは、単独ではまったく意味がなく、
		定義することのできない存在です。
		少なくとも母親、もっといえば父親も交えて、
		「親というものと込み」でしか、
		定義することができません。
		だからいったん児童期、思春期になって、
		おかしくなってしまったときには、半分はもう遅いんです。
		はじめに決定論的なものが半分あって、
		「まだ半分はさかのぼる余地もあるよ」
		ということになると思います。
		子どもというのは、親と2世代の込みで考えると、
		いろんな問題が自ずから解けていくということが
		あると思います。
		僕らがこういうことをよくよくわかることができたら、
		またフランクに話すことができたら、
		子どもにとっても親にとっても幸いなことだと思います。
		
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異常の分散ーー母の物語
		講演日時:1988年11月12日
		主催:宮崎市・一ツ瀬病院・精神医療を考える会
		場所:宮崎市中央公民館
		収載書誌:弓立社『心とは何か』
		(2001年)
		 何が重要かというと、まず母親の物語というのが重要です。
		母親の物語とは何かというと、
		子どもとのあいだの物語です。
		それは、簡単な要素からできあがっています。
		イメージを考えますと、抱く、授乳する、
		オッパイをやるということ、
		それからとにかく眠らせるということです。
		睡眠のはっきりしたパターンを
		ちゃんとつくりあげることです。
		それから排泄の世話をする。後始末をするということです。
		これは動物だったら、
		母親はお尻をなめてやったりしますけど、同じことです。
		これが母親の物語を構成する基本的な要素です。
		つまり、母親と子どもの物語の構成要素というのは、
		抱くとか授乳とか眠らせるとか排泄の世話をするという、
		これだけの要素からできあがっています。
		この要素が、どうして物語になるのでしょうか。
		
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良寛について
		講演日時:1988年11月19日
		主催:埼玉県日高町武蔵台自治会
		収載書誌:未発表
		 良寛というと「托鉢を忘れて一日中子どもと遊んでいた」
		というイメージを誰でも持っているのではないでしょうか。
		だから良寛を子どものように邪気もない人だったと
		理解するのは、僕の理解のしかたでは
		少し間違いであるような気がします。
		たとえばみなさんが、何か用事があって出かけて、
		その用事を忘れて映画を見てしまった、
		子どもと遊んでしまったとすると、
		そういうふうに心が動くということは、
		なかなか一筋縄ではないことだと思われるからです。
		「いろいろなことを忘れて子どもと遊んで
		その日が終わってしまった」
		という良寛の遊び方は、楽しくて遊ぶということが
		ひとつ確実にあるわけですけれども、
		もう少し考えると「子どもと遊ぶということと、
		托鉢をして食べ物をもらうということが、
		良寛にとっては同じだけの重さであった」
		ということがいえそうな気がします。
		
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岡本かの子
		講演日時:1989年3月10日
		主催:川崎市民ミュージアム
		場所:川崎市民ミュージアム
		収載書誌:中央公論社「マリクレール」1989年8月号
		 岡本かの子の作品には、
		「意味」なんかそんなにないんです。
		ただ、〈生命〉があるんです。
		本来ならば言葉の概念のなかには、
		ぐるぐる巻きになったかたちでしか
		〈生命の糸〉は含まれていないんですけれど、
		高速度写真的な描写によって、その糸を伸ばしてみせる。
		その描写から、読む人は〈生命〉を
		感ずることができるのです。
		〈生命の糸〉というものをスーッと伸ばして、
		川の流れに布をさらすように、さらしてみせる。
		〈生命の糸〉をこれだけ感じさせた作家はほかにいません。
		この作家は、明治以降の近代文学の女流作家のなかで、
		女流という言葉を入れなくても
		済んでしまう最高の作家だと思います。
		この人を最高の作家というためには、
		〈生命の糸〉を感じられないといけないように思います。
		
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未来に生きる親鸞
		講演日時:1989年6月7日
		主催:東京北区青年サミット
		協力:春秋社 企画:玄
		場所:東京都北区・昭和町区民センター
		収載書誌:東京糸井重里事務所『吉本隆明が語る親鸞』(2012年)
		 思想というものがどう生きるかどう死ぬか。
		そして、一見生きているように見えてどう死んでいるか、
		一見死んでいるように見えてどう生きているか。
		偉大だというけれど、どこかに滅びるものも
		もちろんあるわけです。
		「自ずからとなったら、光につつまれるようになって、
		名号を称えたらもう
		あの世に往生できる」??そういうのは
		僕は信じていないんです。
		そこはたぶん親鸞の思想のなかで、
		時代が隔たったために滅びたところです。
		しかし親鸞の思想のうち滅びてないところがあります。
		それが偉大ということのしるしだと思います。
		それがなければ思想というのは生きられないのです。
		
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日本農業論
		講演日時:1989年7月9日
		主催:雑誌「修羅」同人
		場所:長岡短期大学
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2002年)
		 日本の農業が当面している問題から、
		日本の農業の歴史的問題と、それから
		一般に農業はどうあれば理想的な状態なのかということを、
		いかに浮かび上がらせることができるでしょうか。
		農業問題に関する限り、エンゲルスもマルクスも、
		個人の欲望や私有という問題をどうするんだと
		いうところまで浸透していくだけの理論が
		ありませんでした。
		それがいま、矛盾をきたして
		あらわれているのだと思います。
		マルクス主義者や進歩派というのは、
		「農業はどうあったら理想なのか」ということが
		いえないのです。僕は、
		「小さな自作農がそれほどの格差もなく一面に並んで、
		農業を自営している」
		かたちというのは、かなり理想に近いと思っています。
		日本の農業は国有化されればいいとはちっとも思いません。
		自立農業にとって利益がある限り、
		国有化・共有化したほうがよろしいと思います。
		
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高次産業社会の構図
		講演日時:1989年10月5日
		主催:石川文化事業財団 主婦の友社
		場所:お茶の水スクエア・ヴォーリズホール
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第12巻』(2006年)
		 サービス業が、これ以上いくら競争しても
		サービスして安くしても、
		ここが経営が成り立つ限度だよというところまで
		あらゆる分野で発達してしまったら、そこは頭が打たれる。
		そしたらどこへいくんだ。
		それは第四次産業、モノから精神へ、
		目に見えるものから目に見えないものの産業へ
		移る以外に方法はないわけです。
		
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宮沢賢治の文学と宗教
		講演日時:1989年11月2日
		主催:文京区立?外記念本郷図書館
		場所:文京区立?外記念本郷図書館
		収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年)
		 宗教家としての宮沢賢治と、
		芸術家・詩人あるいは童話作家としての宮沢賢治と
		どちらを偉大だと思うかといえば、
		僕は詩人・童話作家・芸術家としての宮沢賢治のほうを
		偉大だと思いたいところです。
		しかし宮沢賢治自身は、宗教家としての自分、
		法華経の信者としての自分というものを
		いちばん重要だと考えていたのではないかという
		気がします。
		法華経では、文学芸術を真っ向から否定しています。
		「文学芸術のようなものに近づくならば
		法華経の信者にはなれない」
		といっています。
		宮沢賢治は、思春期に法華経を
		はじめて読んだときにこのことにぶつかり、
		また死ぬまで文学芸術をやめられなかったわけですから、
		何らかの意味でこれに対する考え方がなくてはなりません。
		
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宮沢賢治の実験
		講演日時:1989年11月12日
		主催:森集会
		場所:芦屋市民センター
		収載書誌:春秋社『本当の考え・うその考え』(1997年)
		 科学的にいって、死んだ後の世界があって、
		そこに魂がいくという考え方を是認することは
		どうしてもむずかしい。
		もし「本当の考え」と「うその考え」とを
		分けることができる実験の方法さえ決まれば
		解決するでしょうが、
		それはどうしたらいいのかわからない。
		糸口は自分なりにつけてはみたんだけど、
		そこで完全に解けたといえないところで、
		宮沢賢治は終わったと思います。
		「その実験の方法さえ決まれば」
		という言葉はとても重要で、
		それは日蓮もいわなかったし、
		もちろん最澄も智ギもいわなかったことで、
		宮沢賢治だけがいった言葉です。
		
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イメージとしての都市
		講演日時:1989年11月12日
		主催:ことばをひらく会
		場所:尼崎市 つかしん
		収載書誌:産経新聞社「正論」90年4月号・5月号
		 イメージは、かつては力でなく
		空想に過ぎませんでした。
		「金もないのにそんなこと思ったってしかたないじゃないか」
		ということでした。
		政府がやれば、自治体がやれば、大資本がやれば、
		それでペチャンコじゃないかと思われていました。
		かつてはそうでしたが、われわれの段階では
		そうではないのです。
		「完結したイメージを持つことができる」
		ということは、それだけで
		実現可能性を持った力だという段階に
		現在は達しているんです。
		都市を構想することはできる、ということなんです。
		逆に、都市をつくるものは、
		万人が持っているイメージを無視することはできないと
		思います。実際には、大資本でも、国家でも、
		地方自治体でも、誰がやってもいいんです。ただし
		「あんたたちのイデオロギーを、理想の人工都市のなかで
		自己主張してもらっては困りますよ」
		というチェックを、それぞれがやればいいと思うんです。
		大事なことは、それぞれの人が、
		理想の人工都市を自分のイメージで
		ちゃんとこしらえることです。
		自分なりに完成したイメージを
		われわれが持っているならば、
		誰もそれを無視することはできないと僕は思います。
		
		[A124]FreeArcive
言葉以前のことーー内的コミュニケーションをめぐって
		講演日時:1993年10月
		主催:メタローグ社創作学校
		収載書誌:メタローグ『詩人・評論家・作家のための言語論』(1999年)
		 言葉以前の内的コミュニケーション??
		言葉を発しないで相手にわかる、
		そのわかり方の言葉っていうのは
		どういうふうにしてできているのでしょうか。
		誰でも、相手の表情を読んだら
		何を考えているかわかるということはあるわけです。
		特に恋愛状態みたいになれば、会って、動作ひとつ、
		言葉ひとつで相手が何を考えているか
		わかっちゃうことがありうるわけです。
		そうした「内的コミュニケーション」というのは、
		受胎して10ヵ月して出産されて、
		1年未満の乳児までのあいだに、
		その原型ができてしまうというふうに
		理解すればいいと思います。
		言葉なき言葉??言葉以前の言葉みたいなもので
		わかってしまうという能力というのは、
		そこで形成されると考えるのが
		いちばんよろしいと僕は思います。
		
1990〜
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宮沢賢治を語る
		講演日時:1990年2月10日
		主催:朝日カルチャーセンター
		協賛:コニカ生涯学習セミナー
		場所:津田ホール
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第8巻』(2004年)
		 宮沢賢治はたいへんな農業科学者ですが、
		「来世が存在するということを
		科学者として信じることができたのか」
		ということが問題です。宮沢賢治という人は、
		そこで思い悩んだと思います。
		自分の抱いている宗教観と、
		科学者として身につけている
		自然認識や物質についての認識、農業についての知識が
		どこかで一致する点はないか、
		どこかで一致させることができないだろうかと
		本気になって考え、本気になって悩んだと思います。
		そこの問題が、宮沢賢治の文学や芸術と、
		宗教思想との関わり方を決めていく
		大きな問題になったと思われます。
		
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つくば、都市への課題
		講演日時:1990年5月18日
		主催:筑波西武リブロブックセンター
		場所:エキスポセンター コズミックホール
		収載書誌:未発表
		 都市というのは、非常に嫌らしい本質を持っています。
		都市は、産業が高次化して農業や漁業のような
		第一次産業が衰退していけばいくほど成長します。
		次に、第二次産業、製造業が
		大きくなればなるほど成長します。
		しかし第三次産業に重点が移っていったとき、
		都市はなお成長します。
		これは感情論でもなければ倫理の問題でもありません。
		数学の定理のように、産業が高次化するほど
		都市は成長するということです。
		それが歴史の発展する方向であることは
		疑いないと思います。
		産業の高次化と都市の成長が比例関係にあるという定理を
		冷静に見つめて分析し、
		さまざまな条件をとりだしたうえで、
		これを理想の状態に近づけるには
		どういう考慮が必要なのかを問題にすべきだと思います。
		
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渦巻ける漱石ーー『吾輩は猫である』『夢十夜』『それから』
		講演日時:1990年7月31日
		主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
		場所:有楽町・よみうりホール
		収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年)
		 漱石はどう生きようとしたかということと、
		どう生きざるをえなかったかということと、
		その両方から「宿命」と「反宿命」が
		せめぎ合うわけですが、漱石が選んだのは
		「宿命」から逃れ、自然な道筋から遠ざかろうという道を、
		どんどんたどっていくことでありました。
		これほど典型的に、宿命が自分を吸い寄せていく
		力の大きさと強さをとてもよく心得ていて、
		なおかつそれに逆らうということが
		生きていくことだというところで、
		力瘤をたくわえて、力瘤を発揮していってという
		かたちをとりながら倒れちゃうというような、
		そういう生き方をせざるをえなかったというのも、
		たぶんこの宿命の大きさと、
		宿命に逆らうことの重要さということを、
		作家としてのはじまりの時期にどんどん純化して、
		そこの問題をはっきりと打ち出して、
		自分の作家としての軌道を定めるということに
		なりえたからだ、というふうに思われます。
		
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『遠野物語』の意味
		講演日時:1990年8月26日
		主催:『遠野物語』発刊80周年記念事業実行委員会/遠野常民大学
		共催:岩手県/遠野市/遠野市教育委員会
		後援:岩手民俗の会/NHK盛岡放送局/岩手日報/岩手放送/テレビ岩手/エフエム岩手/朝日新聞社/毎日新聞社/読売新聞社/河北新報社/岩手東海新聞社/遠野商工会/遠野市観光協会
		場所:岩手県遠野市・水光園
		収載書誌:至文堂「国文学 解釈と教材」56巻3号(1991年)/新潮文庫『遠野物語』(1992年)
		 植物と動物のあいだ、動物と人間のあいだには
		境界線がないーー「中間はいつでも連続しているんだ」と
		いうことをひとりでにいっていることは、
		柳田国男のとても大きな特徴だと思います。
		柳田国男にとって、稲を持って来た人たち(平地人)と、
		それ以前に住んでいた人たち(山人)の区分は、
		はじめから終わりまで関心の的になっていました。
		ここでたぶん「中間は連続する」という考え方のスタイルは
		生まれてきたと推測することができます。
		『遠野物語』の中核に理念を与えるとすれば、この
		「中間は連続している」という論理だと思います。
		この中間についての論理は、柳田国男の場合は
		論理というよりも、文体の実質の力で
		ひとりでにやってしまったと思います。
		これは、他の古典物語と比べて比類のないほど長い
		多様な時間を包括していることとともに、
		『遠野物語』が問いかけてくる問題に違いありません。
		
		[A129]FreeArchive
都市論としての福岡
		講演日:1990年9月30日
		主催:「パラダイスへの道」出版委員会
		場所:福岡市早良区市民センター
		収載書誌:パラダイス企画『パラダイスへの道' 91』(1991年)
		 都市論ということは、さまざまな観点と視点を
		持つでしょうけれども、僕らの視点からいえば、
		都市論は国家論と同じことなんです。
		また、九州一円についての都市について論ずることは、
		世界全体について論ずることと一向に変わりなく、
		同じことなわけです。
		都市と都市を比較するということは、
		先進国と後進国を比較するというのと同じ意味を持ちます。
		たとえば福岡市と鹿児島市、
		あるいは福岡市と熊本市のデータを比べて、
		さまざまな観点から比較をしますと、
		世界における先進国と後進国、
		あるいは先進地域と後進地域との格差が
		どのように縮まるかとか、
		いや格差は縮まらないんだとか、
		そういうことについての判断のモデルになりうるのです。
		
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柳田国男と田山花袋
		講演日時:1990年9月8日
		主催:柳田国男研究会/遠山常民大学/浜松磐田常民文化談話会/ふじみ柳田国男を学ぶ会/飯田歴史大学/鎌倉柳田国男研究会/遠野常民大学/鎌倉市民学舍/於波良岐常民学舍
		後援:邑楽町/邑楽町教育委員会
		場所:群馬県邑楽郡邑楽町・長柄公民館
		収載書誌:至文堂「国文学 解釈と教材」57巻2号(1992年)
		 田山花袋と柳田国男は、若い頃から
		和歌や新体詩の仲間として
		相互に影響しあっているのですが、
		両者がそれぞれの道へ進んでしまった後も、
		ふたりのあいだにはたくさんの類縁性を
		たどることができます。
		そこで考えますと、花袋や自然主義の文学潮流と、
		柳田国男の民俗学の方法を支えたスタイルとは、
		それほど分離してしまったといえない気がします。
		初期の叙情時代のふたりは、
		同じ文語体のスタイルの圏内にあり、
		柳田はそれを延長して『遠野物語』へ、
		花袋はそこから脱出して自然主義へ向かった、
		という経路も考えられます。
		ふたりが自分では語らなかった
		無意識の影響を含めて追求することができると、
		柳田国男だけでなく、
		日本の自然主義文学に対する追求に
		入っていくことになるのではないでしょうか。
		
		[A131]FreeArchive
死を哲学する
		講演日時:1986年9月11日
		主催:本郷青色申告会
		場所:本郷青色申告会館
		収載書誌:弓立社『人生とは何か』
		(2004年)
		 「人間は必ず死ぬ」といういい方と
		「私は必ず死ぬ」といういい方のなかには
		ぜんぜん違うところがあります。
		その違うところが誰にとっても
		あいまいになっているわけで、
		もちろん宗教にとってもあいまいになっている。
		そのあいまいになっている部分に、
		「死とは何か」という問題の精神が関わる部分が
		該当するだろうといえます。
		物質的あるいは生活的な意味で死の問題が解けたとしても
		なおかつ精神的な意味での死の問題は
		解けないということが残るとすれば、
		「人間は必ず死ぬ」といういい方と
		「私は必ず死ぬ」といういい方のあいだにある隙間から、
		「死とは何か」という問題がいつでもむくむくと
		頭をもたげてくるといえるのではないでしょうか。
		
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いまの社会と言葉
		講演日:1990年12月12日
		主催:白梅学園短期大学
		場所:白梅学園短期大学
		収載書誌:弓立社『大情況論』(1992年)
		 今日の言葉と明日の言葉とは
		ちっとも変わっていないように見えるんですが、
		1年なら1年、2年なら2年たつと、
		いつの間にか変わっているという変わり方を
		することになります。
		もちろん断絶的に新語が勝手にできたということも
		自由自在です。
		しかしそうではなくて、1ヵ月や2ヵ月では
		ぜんぜん変わっているとは思えないんだけど、
		「候べし」と昔いってたのが、
		500年もたつと、「そうだぞ」という言葉に
		変わっています。
		ところが501年、500年、499年前と連続的にとったら、
		ちっとも変わり方がわからない。
		それが蓄積すると変わっている。
		言葉というのはそういう変わり方をする面があります。
		言葉の断続性、新語とか流行語と同時に、
		日本語は日本語じゃないかという連続性、
		そのふたつの面をつくって、時代とともに
		移っていくのです。
		これが言葉の持っている生理・心理に属するわけで、
		その背景の社会はそれぞれいろいろ
		変わっていくことになります。
		
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家族の問題とはとういうことか
     講演日時:1991年2月17日
		主催:東京メンタルヘルスアカデミー
		場所:六本木・交通安全センター 
		収載書誌:弓立社『人生とは何か』
		(2004年)
		 人間が生きるということのなかにはいくつもの層があって、
		どこに重点を置けばいいかということは
		それぞれでありえます。
		表面層で解決してもいいし、中間層で解決してもいいし、
		もうやむをえず、これをやる以外に
		方法はないのだというふうになれば、
		やっぱり核の問題まで入っていって
		家族内の精神障害なら精神障害の問題を解いていく
		ということをやる以外にないと思います。
		僕の考え方は、心の仕組みの問題でいちばん重要なのは、
		胎児、乳児のところにあり、
		特に母親と乳児との関係のあいだにある。
		それが第1位だという考え方をとります。
		そこを省みないで、非常にピンチに陥ったときの
		家族の問題を解くことは
		なかなかできがたいだろうと思われます。
		
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資質をめぐる漱石ーー『こころ』『道草』『明暗』
		講演日時:1991年7月30日
		主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
		場所:有楽町・よみうりホール
		収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年)
		 『こころ』という作品が、
		いまでもたくさん読まれているのは、
		先生の遺書のクライマックスで、
		ひとりの女性をめぐる親友同士の
		ふたりのあいだの葛藤のしかたと結末のつけかたが
		たいへんな迫真力を持っている、
		その真実らしさに理由があるのじゃないかと思うのです。
		これは、作家漱石の資質の悲劇が絡み合った生涯の
		いちばん重要なテーマだったといえそうです。
		漱石がこのテーマに固執した根本の理由は、
		資質としての悲劇にあると思われます。
		文学が、この資質の問題に何かいえるとしたら、それは
		「生い立ちの物語」として出てきた場合です。
		そして、『こころ』の次に書かれた
		『道草』という作品で、漱石は
		乳幼児体験としての自分の資質形成のあり方というのを、
		生涯で初めて詳細にえぐりだしていくのです。
		
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現代を読む
		講演日時:1991年10月20日
		主催:前橋市・煥乎堂
		場所:煥乎堂音楽センター3階ホール
		収載書誌:弓立社『大情況論』(1992年)
		 「現代を読む」という場合の、
		「現代」と「現在」とを区別してみることは、
		僕の考え方ではたいへん重要だと思います。
		僕の理解のしかたでは、日本の社会が
		「現在」に入った兆候を見せたのは、
		1973(昭和48)年頃です。
		わかりやすい象徴をいいますと、
		そのとき札幌ビールが「天然水No.1」を発売しました。
		いわゆる名水、水をはじめて売り出したのが
		この73年です。
		マルクスのように興隆期の資本主義を
		分析した人がいうところでは、
		水とか空気はたいへんな使用価値があるが、
		交換価値はないということになります。
		ところが天然水を売るというのは、
		水に交換価値が出てきたことを意味します。
		それは、経済の段階で資本主義が
		一段階上にいったということです。
		初期の興隆してゆく資本主義分析の
		基礎になっている考え方が、
		やや通用しがたくなった兆候が、
		日本社会では1973年前後にさまざまなところであらわれ、
		そのとき以降日本社会は
		「現在」に入っていったと考えられます。
		それは、社会が未知の段階に入っていったということです。
		
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農業から見た現在
		講演日:1991年11月10日
		主催:雑誌「修羅」同人 後援・弓立社
		場所:長岡市・中越高等学校会議室
		収載書誌:未発表
		 はっきりわかっていることは、
		先進諸国においては農業、もっといいますと第一次産業、
		あるいはもっといいますと
		自然を相手にして生産する産業は、
		減少する一方だということです。
		減少する速度はそれぞれですが、
		減少することは歴史の必然、文明の必然であって、
		これを変えることはできないと僕は思っています。
		これを遅くしたり、あるいは止めたりということは
		政策いかんによってできないことはありませんが、
		文明の発達が第一次産業を減少させていくことは
		きわめて自然必然、歴史必然だろうということは
		間違いないことです。
		
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現代社会と青年
		講演日時:1991年11月16日
		主催:千葉県立佐倉高校PTA
		場所:千葉県立佐倉高校
		収載書誌:佐倉高校PTA「会報」38号
		(1992年)
		 家庭内暴力や登校拒否、いじめというのは、
		乳幼児期、もっとさかのぼりますと
		胎児のときの母親との関わり方の失敗が
		根本的な問題だというのが僕の考え方です。
		胎児のとき、乳児のときに、
		うまく子どもを扱えなかったことの代償だと
		僕は思っています。
		乳児、胎児に対する扱い方をそうとう失敗したというのが、
		僕の理論であり考え方です。
		そこへいかない限りは、家庭内暴力とか、
		登校拒否という問題は、
		根本的には解けないだろうなと思います。
		高校生になってしまったら、本当はもう遅いんです。
		人間の心の形成としていちばんたいへんだった時期は、
		すでに終わっています。
		だから、自分の心に問題があれば、
		自分でそれを克服しようと努力をするより
		しかたがありません。
		人間というのは自分を超えていく存在なのです。
		
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像としての都市
		講演日:1992年1月21日
		主催:NKK都市総合研究所
		場所:大手町・日本鋼管本社ビル
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第11巻』(2005年)
		 ひとつのビルがどうなっていくのが理想なのかを
		追究することと、
		都市がどうなっていくのが理想なのかを追究することと、
		国家社会がどうなっていくのが理想なのかを
		追究することはぜんぶパラレルで対応する、
		そういう考え方を僕はしてきました。
		どんな国家社会が理想的な社会かというのを弾き出す場合、
		主観的に、あるいは知的に
		「これが理想なんだ」といっても、
		そんなことはちっとも当てになりません。
		理想の設計という場合、他者というのが必要です。
		理想というのは先端的であればいいか、新しければいいか、
		間違っていないやつを選べばいいかといったら
		そんなことはないので、いつでも一般人的なもの、
		平均人的なもの、あるいはそのときの平均都市的なものを
		絶えず他者としてこっちに持っていなければ、
		どんな先端的な試みも危ういでしょう、と
		僕は考えています。
		
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言葉以前の心について
		講演日時:1992年2月8日
		主催:宮崎市・一ツ瀬病院・精神医療を考える会
		場所:宮崎科学技術館多目的ホール
		収載書誌:弓立社『心とは何か』
		(2001年)
		 人間の心の世界のもとになっているのは、
		大別すればふたつあります。
		ひとつは、内臓の動きが心の世界の動きを決めていく面と、
		もうひとつは、動物性の神経に動かされて起こってくる
		心の動きです。
		人間の身体器官を起源とする考え方は、
		まったく三木成夫さんの考え方によるわけですけど、
		僕はこれを人間の心の動きと結びつけたのです。
		これを僕の言語理論と結びつけたくて、
		植物性の器官からくる心の動きは自己表出であり、
		それから動物性の神経、つまり感覚からくる心の動きは
		言葉になる前の言葉の指示表出である。
		そのふたつがあって、それが心の動きなんだと、
		結びつけてきたわけです。
		
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芥川における反復概念
		講演日時:1992年4月16日
		主催:神奈川近代文学館/神奈川文学振興会 後援:日本近代文学館
		場所:神奈川県立音楽堂
		収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年)
		 芥川の作品を読み返して改めて感じたことは、
		芥川が漱石の影響を被っている度合いは
		とても大きいんだなあということでした。
		変ないい方をしますと、芥川という人は
		「漱石に魅せられた生涯と文学」だなということを
		強く感じました。
		乳幼児期の不幸な生い立ちという点で、漱石と芥川は
		たいへんよく似ていて、
		たいへんよく似た気にしかたをしています。
		芥川は閲歴についても、作品についても、
		漱石という偉大な師を生涯の反復概念の手本にすることを
		いつでも意識していたと思えてしかたないのです。
		そう意識しながら、
		そこからどうやって出て行こうかということが、
		芥川にとってとても重要な問題になったんだと
		思われてならないところがあります。
		
		[A141]FreeArcive
宮沢賢治
		講演日:1992年7月29日
		主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
		場所:有楽町・よみうりホール
		収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年)
		 宮沢賢治の詩を考えると、いつでも岐路に立たされます。
		何を詩と考えるかについて、
		ヨーロッパも含めて近代詩以降の考え方を持ってきますと、
		宮沢賢治の世界はまるで違うとか、
		まるで無駄なことをしていることになるのかもしれません。
		しかし、そうじゃなくて、
		仏教的な世界観をもとにして、
		現象と現象とが溶け合った世界を
		どうやってスケッチするかが詩なんだという観点に立てば、
		これほどの天才的な世界を突きつめていった詩人は
		いないんだということになっていきます。
		
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現代文学のゆくえ
		講演日時:1992年10月5日
		主催:東急文化村/ドゥマゴ文学賞事務局
		場所:渋谷・シアターコクーン
		収載書誌:未発表
		 現在、高度な先進的社会で流行っている
		イメージのつくり方が文学のなかにあります。
		「自分の姿が自分で客観的に見えてしまって、
		やっている行為自体がぜんぶしらけてしまう」
		という描かれ方です。この問題は、引き延ばしてみると
		現在の先進的な社会が当面している問題の大きな部分と
		共通のところを占めていると思います。
		先進的な社会のひとつである日本でアンケートをとると、
		89%の人は「自分は中流の生活をしている」という
		結果が出てきます。
		これはある意味で不気味な数字だし、
		たいへんなものだと思います。
		世界の先進的な社会で、9割9分の人が
		「自分は中流の生活をしている」
		という社会がやってくることは、
		わりあいに近未来だといったほうがいいような気がします。
		それはたいへんな社会です。
		どこかでカタストロフィ、破局をつくらないと
		文学にはならないでしょう。
		「しらけ方」も、破局をもたらすような
		描き方を必要とすることになりそうな感じがします。
		
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青春としての漱石ーー『坊っちゃん』『虞美人草』『三四郎』
		講演日時:1992年10月11日
		主催:紀伊國屋書店 協賛・筑摩書房
		場所:新宿・紀伊國屋ホール
		収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年)
		 文学は架空のもので、言葉であって、
		いくらやってもつくりもので、
		実際に恋愛真っ最中の人を
		恋愛小説でいくら釣ろうとしてもそれは無理で、
		絶対にかなわないのです。
		しかし、男女が恋愛の真っ盛りで、
		両方とも無我夢中になって、
		いま別れても次の瞬間には
		もう会いたくてしょうがないぐらいになっている。
		そういう心躍りを文字のなかに、
		言葉の表現のなかに持っているとしたら、
		それは文学の初源性です。
		『虞美人草』のある場面が持っているこの感じ、
		もとをただせば文学はこういうものだったんだ、
		どんなに表現のしかたが発達しても、
		もとをただせばこれだったんだということは、
		漱石の作品のなかでも『虞美人草』だけが
		感じさせるものです。
		
		[A144]FreeArcive
わが月島
		講演日時:1992年10月31日
		主催:中央区立月島図書館
		場所:中央区立月島図書館
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 わが月島』(2004年)
		 月島の歴史をひもといて見ていくと、
		日本の明治以降の近代の、
		封建時代から超現代的なところまで
		駆け足で通り過ぎてしまった歴史を、
		非常によく象徴的にあらわしていると思います。
		僕も子どものときの町で懐かしいですから、
		初期の月島のイメージと思い出に浸ることも
		たくさんあるんですが、実際問題としていいますと、
		月島というのはそういうところを通り過ぎていて、
		途方もないところに入って、それを背負っているんだよ、
		ということを考えたほうがよろしいんじゃないでしょうか。
		かつての初期の月島、佃島を振り返ると
		懐かしさもひとしおですし、
		否定性もひとしおだとなると思いますが、
		それがいちばんよろしいんじゃないかと思えます。
		
		[A145]FreeArcive
文芸のイメージ
		講演日時:1992年11月3日
		主催:梅光女学院大学
		場所:梅光女学院大学
		収載書誌:未発表
		 日本でアンケートをとると、国民のうち8割9分の人が
		「自分たちは中流だ」という意識を持っているという
		結果が出てきています。
		「明日食べるためのお米がない」ということが
		なくなってしまっていることは、まったく新しい時代です。
		そういう人たちが何を悩みとするかと考えると、
		だいたいにおいて精神的に正常であるか
		異常であるかという、眼に見えない境界線を
		行ったり来たりしている状態になりつつあり、
		そういう人たちが増えつつあるという現状があります。
		それを文学作品として感受しているというのが、
		現在書かれている純文学の状態ではないかと思われます。
		
		[A146]FreeArcive
鴎外と東京
		講演日時:1992年11月8日
		主催:文京区立?外記念本郷図書館
		場所:東京大学 安田講堂
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年)
		 鴎外は、文学者、軍人、医学者と
		3つぐらい面倒くさい衣を着て、
		たいへん我慢に我慢を重ねた生涯を送った人だと思います。
		そして最後に、「えいっ」と、
		「東京もいらない、官庁もいらない、軍人もいらない」
		というふうになって、
		「岩見の人、森林太郎というのだけでたくさんだ」
		という遺言をして亡くなる。
		どれをとっても一流の3つの衣が、
		もう重たくてやりきれないということになって、
		ぜんぶほっぽり出しちゃったというイメージで理解すると、
		たいへん理解しやすいような気がします。
		ここらへんの交錯し錯綜するところが?外の全体像であり、
		また東京に対する?外の私的な好みと
		公的な見解とのありどころだったんじゃないかというふうに
		思われます。
		
		[A147]FreeArcive
新・書物の解体学
		講演日時:1992年11月24日
		主催:前橋市・煥乎堂
		場所:前橋テルサ 8F けやきの間
		収載書誌:未発表
		 〈健康な文学〉と〈健康でない文学〉ということで
		いまの文学を分けてしまったら、
		いったいどういうことになるかというと、
		本当の健康な文学というのも、
		本当に病的な文学というのも、
		両方とも描かれていないというのが
		現状ではないかと思います。
		やかましい書評をしてみれば、
		そういうことになってしまうのではないかと思います。
		「本を読むこと」は、必ずしも
		すぐれた作品にぶつかることであるとも限らないのです。
		しかし、そのなかから何か搾り取ることが、
		本の読み方で、さしあたっていちばんいい
		読み方なのだとすれば、
		見かけ上の健康さと不健康さの後ろに真実らしさとか、
		真実の甘美さというものを見つけることが、
		読むほうとしても大切なことなのではないかと
		思えてなりません。
		そこらへんのところまで行けたら、
		さしあたって本の読み方としては
		いい読み方ということができるのではないかと思います。
		
		[A148]FreeArcive
甦るヴェイユ
		講演日時:1992年12月19日/20日
		主催:デゼスポワァル
		場所:渋谷ジァンジァン
		収載書誌:未発表
		 ヴェイユの思想のなかに未来性があるとすれば、
		革命思想に関する部分と宗教思想に関する部分は、
		これから非常に生々しいかたちで
		生き返ってくると思います。
		先進国では既成の革命概念が
		無効に近づいていきつつあるわけですが、
		そういうことを超えてヴェイユの考え方は、
		宗教思想と革命思想の両方の点で、
		近未来に光を増すときがやってくるに違いないと
		僕には思えます。
		
		[A149]FreeArcive
シモーヌ・ヴェイユの神
		講演日時:1993年1月23日
		主催:森集会
		場所:芦屋市民センター
		収載書誌:春秋社『ほんとうの考え・うその考え』(1997年)
		 「どこから見ても、そこが
		普遍的真理の場所だというものを、
		私たちが考えている領域のはるか向こうに
		設定できるのだ」
		というヴェイユの最後の到達点は、
		たいへん私たちに希望を抱かせます。
		そこはどこから行っても目指すことができる
		領域のように思えるし、
		党派、宗派独特の習慣儀礼に従わなくても、
		「ただいかに真理に近づくか」
		という考えだけがあればそこへ到達できる。
		不可能だとしても到達可能性がいつでもある。
		キリスト教的でもなければ、仏教的でもない、
		あるいはどちらにも似ているといえば似ているし、
		イデオロギー的であるようで
		革命思想的でもあるように見える。
		そういうことを介して
		どこからでも行けるはずだという場所を
		とにかく指差して見せてくれたことが、
		ヴェイユの宗教としての
		現代性のいちばん大きな場所じゃないかと考えます。
		
		[A150]FreeArcive
不安な漱石ーー『門』『彼岸過迄』『行人』
		講演日時:1993年2月7日
		主催:紀伊國屋書店 協賛・筑摩書房
		場所:新宿・紀伊國屋ホール
		収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年)
		 『門』の後にくる『彼岸過迄』『行人』という作品は、
		作品としては破綻のほうが多いといっていいのです。
		漱石が持っている資質、それから実生活上、
		作品上の関心に、なんとかして
		解決や自分なりの納得を与えたいという
		モチーフの強烈さが、漱石をその後まで
		どんどん引っ張っていったということになると思います。
		明治以降の文学者で、射程の長い、息の長い偉大な作家は
		何人もいますが、漱石は少なくとも
		作品のなかでは決して休まなかった、
		いいか悪いかは別にして遊ばなかった。
		漱石は自分の資質をもとにした自分の考えを展開しながら、
		最後まで弛むことのない作品を書いたという点では、
		息が長いだけではなくて、たぶん、
		もっとも偉大だといえる作家だと思います。
		
		[A151]FreeArcive
社会現象としての宗教
		講演日時:1993年3月13日
		主催:川崎市立麻生図書館/麻生選挙管理委員会
		場所:川崎市立麻生図書館
		収載書誌:未発表
		 精神的な存在としての人間は、無限に愚かであると同時に
		無限に賢くもなれるというたいへん矛盾の多い存在です。
		ひとりの賢い人間がぜんぶ賢いかというと
		決してそうではなくて、
		ある事柄について賢いということだけであって、
		違う事柄については愚かであるかもしれないわけです。
		また、ある事柄について愚かである人というのは、
		違う事柄においては賢くて、
		また能力があるかもしれないというふうに、
		人間の存在はできていると思います。
		そこのところで、宗教が社会現象として
		人々の心に入ってくる根拠があるわけです。
		新興宗教の教祖の人たちは、それぞれの自信を持っていて、
		自信のもとになる体験も持っている。
		賢いところもあり、それが感じられると、
		非常にいい宗教だというふうに
		なっていくのではないかと思います。
		
		[A152]FreeArcive
寺山修司を語るーー物語性のなかのメタファー
		講演日時:1993年4月10日
		主催:風馬の会
		場所:早稲田奉仕園 レセプションホール
		収載書誌:情況出版『寺山修司の世界』(1993年)
		 僕は自分のことも
		そういうふうに思うことがあるのですが、
		寺山さんというのはたいへん孤独な人だったと思うのです。
		たとえばインディアンに囲まれたアメリカの騎兵隊とか、
		騎兵隊に囲まれて砦にこもったインディアン、
		比喩でいうとそうなると思います。
		砦のなかに本当はひとりしかいないのに、
		こっちの銃眼から鉄砲を撃ったかと思うと、
		また違う窓から鉄砲を撃つ。
		そうやって、たくさんいるかのごとく
		見せ掛けなくてはならなかったのです。
		寺山さんは、短歌や俳句から、詩、散文、小説や戯曲まで、
		あらゆることに手を出しています。
		砦にこもった単独者のとても大きな特色だと思います。
		色々なことに手をつけて、色々なところで
		色々な弾を撃たなければならないというところは、
		寺山さんのいちばんいいところだという気がします。
		
		[A153]FreeArcive
現代に生きる親鸞
		講演日時:1993年5月3日
		主催:奈良吉野・瀧上寺
		場所:奈良吉野・瀧上寺
		収載書誌:東京糸井重里事務所『吉本隆明が語る親鸞』(2012年)
		 もし親鸞の浄土真宗の信仰を、
		信仰じゃなくて思想なんだよといういい方をすれば、
		たぶん浄土真宗は信・不信に関わらず
		ぜんぶの人を覆うことができると思います。
		どれが善いのかどれが悪いのか、
		あるいはどれが真理で、どれが真理じゃないのか、
		どれがやるべきことか、
		どれがやるべきことでないのかということに、
		じつに見事な解答を、
		現代でも与えることができるものだと思います。
		
		[A154]FreeArcive
斎藤茂吉の歌の調べ
		講演日時:1993年5月14日
		主催:斎藤茂吉記念館
		場所:山形・上山市民会館
		収載書誌:コスモの本『余裕のない日本を考える』(1995年)
		 緊張した詩を書いたまま、若くして死んじゃったという
		詩人はいるんですけれども、
		茂吉のように長生きした人で
		最後まで衰えを知らない作品をまっとうした詩人は
		ほかにいないように思います。
		斎藤茂吉という人の初期の作品を評価するにせよ、
		後期の作品を評価するにせよ、
		大変な歌人で、日本の詩歌というものの伝統を
		文学全般のなかに導き入れるということを初めてやり、
		また最後まで衰えなかったという意味あいで、
		明治以降のなんともいえない高嶺なんだなあと思います。
		
		[A155]FreeArcive
中上健次私論
		講演日時:1993年6月5日
		主催:昭和文学会
		場所:国学院大学常磐松2号館2階中講堂
		収載書誌:未発表
		 〈都会に出た熊野人〉、
		〈熊野という場所で育った熊野の子どもたち〉
		というふたつの問題が、
		中上さんの文学のふたつの足だと思います。
		都会に出てきたアジア的田舎の人といえば、
		ごくふつうになってしまいますが、
		中上さんの作品のおもしろいところは、
		都会に出てきたアジア以前の人、
		つまりアフリカ的段階の人ということです。
		それが中上さんの文学のひとつの特色です。
		もうひとつの特色は、アフリカ的段階の自然、
		つまり自然にまみれている自然人の子どもたちの特色を、
		中上さんが非常によく描写していることです。
		これが中上文学のふたつの足である、と思います。
		
		[A156]FreeArcive
新新宗教は明日を生き延びられるか
		講演日時:1993年6月17日
		主催:京都精華大学 学生部
		場所:京都精華大学
		収載書誌:春秋社『親鸞復興』(1995年)
		 「霊感商法はインチキだ」と
		ジャーナリズムは批判しますが、それは違います。
		宗教とか理念というものは、
		いつも霊感商法に類することを行っています。
		マルクス主義もむろんのこと、
		自由主義的な思想や政党政派も、
		「自分たちがいると企業はよくなるぞ」
		みたいなことをいって、企業からお金を吸い上げています。
		その意味ではみなが「霊感商法」をやっているわけです。
		だから「霊感商法だからインチキだ」というようないい方で
		僕は納得しません。
		やはり教義の中心を追求して、そこで得るところ、
		これは得難いところとか、
		これはちょっと違うぞということを、
		よくよく検討しなければいけないと思います。
		
		[A157]FreeArcive
太宰治
		講演日:1993年7月28日
		主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
		場所:有楽町・よみうりホール
		収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年)
		 太宰治という人は、僕がお会いしたときには、
		まことに見事に、常識でいう社会的な善と悪が、
		ちゃんとひっくり返っている人になっていました。
		一般的に人がいいことだと思っていることは
		ぜんぶ悪いことで、
		悪いことだと思っていることは
		ぜんぶいいことだというふうに、
		揺るぎない自信で完全にひっくり返っていました。
		学生時代でしたが、ああ、
		すごい人がいるんだなと思ったのを覚えています。
		
		[A158]FreeArcive
私と生涯学習
		講演日時:1993年10月3日
		主催:文京区教育委員会
		場所:文京区女性センター
		収載書誌:弓立社『人生とは何か』(2004年)
		 古くから叡智という言葉があります。
		一生勉強するのは、叡智を持つことが
		いちばん大きな目的になるのかもしれません。
		それは一生学習するに値するのではないかという
		感じを持ちます。
		叡智は学識・経験とは違うものです。
		ものごとが具体的に起こったときに、
		本で判断するとか、学識があるなしでなく、
		叡智があるなしでずいぶん違う。
		叡智を養うということは、
		学校で生まれることではありません。
		制度的な学校というものは叡智を養うには
		そんなに役に立たないものだと、僕は考えます。
		それは生涯の問題だといってもいいのです。
		学校を出てから、
		本格的になってくる問題だという気がします。
		
		[A159]FreeArcive
社会党あるいは社会党的なるもののゆくえ
		講演日時:1993年11月26日
		主催:社会党
		場所:社会文化会館5階ホール
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第9巻』(2005年)
		 自衛隊問題と憲法とを矛盾なしに整合するには、
		小沢一郎のいい方がいちばん妥当なわけです。
		僕は、ソフトであってかつ温和な社会党の考え方は、
		そのなかにじゅうぶん含まれうると思います。
		また、社会党の別のラディカルな部分にとっては、
		それはやっぱり名目的に認められない、
		ということになると思います。
		社会党は、そのどちらをも選ぶ領域があるんだと思います。
		もしそれが社会党内部で矛盾だったら、
		「さよなら」すればいいわけです。
		僕はどちらだっていいんじゃないかと思います。
		
		[A160]FreeArcive
現代を読む PART2
		講演日時:1993年12月20日
		主催:前橋市・煥乎堂
		収載書誌:未発表
		 いまの不況だったら、生活水準は落とさなくていいんです。
		まずいおかずにするとか、
		おやじさんやおふくろさんが電気をパチパチ消して、
		「おまえ電気無駄にしているよ」とかうるさくやると、
		心が冷えちゃうんです。
		その効果のほうがもっと悪いですから、
		そこは減らす必要はないんです。
		旅行を2回行くところを1回にするというような、
		選んで使えるところを減らしていれば、
		生活水準は落とさなくていいわけです。
		どんな企業よりも、個人の方が強いんです。
		どんなに企業が潰れても、
		みなさんのほうは潰れないんです。
		それは本当に重要なことで、
		資本主義が新たな段階に入った、
		ということのいちばん大きな様相はそこにあるんです。
		
		[A161]FreeArcive
倫理と自然のなかの透谷
		講演日時:1994年6月4日
		主催:北村透谷研究会
		場所:上智大学9階図書館
		収載書誌:未発表
		 透谷の思想といえるものは、
		恋愛、男女の関係ということに尽きると思います。
		『厭世詩家と女性』に表現された思想は、
		透谷の本格的な、独特な思想だということが
		できると思います。
		「文学も恋愛だったし、倫理も恋愛だし、
		生きるか死ぬかということもやっぱり恋愛なのだ。
		恋愛というのはそういう意味でいちばん重要なのだ」
		ということを透谷ほど強調し、
		理念化して立派につくりあげた人はいません。
		あらゆる枝葉とかほかの人の影響とかを
		ぜんぶ取っ払ってしまって、
		透谷の文学理念、あるいはイデオロギーとしての理念を
		最後に持ってくるとすれば、
		恋愛ということに
		最上の価値と重さをおいたというところに、
		透谷の本領があると思われます。
		そこが透谷らしい思想の本筋だと思います。
		
		[A162]FreeArcive
物語について
		講演日時:1994年6月12日
		主催:リブロ 西武池袋本店
		場所:西武百貨店 池袋本店
		収載書誌:未発表
		 物語とは何かということを考えると、
		たとえば『今昔物語』では、いちばんはじめに
		「いまは昔」といいます。
		そして、終わりに「何々であるとかや」というのが
		くっつきます。
		これが、文学作品にあらわれた物語の形態認識のひとつで、
		いちばん重要なものです。
		日本の明治以降の近代小説では、たとえば漱石が、
		もっとも遠くまで形態認識を展開させた人です。
		そこでは、独立した自我というものの意識があって、
		他者と考えられた自分以外のぜんぶのものとの葛藤が
		物語になっていきます。
		漱石は、「人間の存在感とはかかるものか」という
		実存的な領域まで、
		とことん形態認識をやったことになります。
		僕が欲張りをいえば、現在では、
		近代的自我の確立とか、
		その高度化は現在では自慢にも課題にもならないけど、
		依然としてそれが課題になってしまっていたり、
		安堵感になっているというのが、
		いまの物語ではないでしょうか。
		
		[A163]FreeArcive
芥川龍之介
		講演日:1994年7月28日
		主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
		場所:有楽町・よみうりホール
		収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年)
		 僕らは若いとき、芥川の死に
		いろんな意味をつけたいと思いました。
		「自分は近所の駄菓子屋で駄菓子を買って
		それを食べながら道で歩くみたいな
		下町の下層の中流というようなところで育った。
		そして自分は文学的な試みとして、
		西欧的なものを取り入れようとしたり、
		場所をいろいろ移動してみたりしたけれど、
		ついに自伝的に自分の情緒が帰するところは、
		本所あたりの駄菓子屋で、駄菓子を買って食べながら
		遊んでいた子ども時代、そういう街の雰囲気の懐かしさが
		本来的な自分なんだ」
		ということを、晩年の自伝のなかではじめて
		芥川はいっています。
		僕はそれがいちばん好きな感じ方だったので、
		芥川はなぜ死んだかという理由づけにしました。
		文学的に無理をし過ぎてその無理がたたって、
		死ぬ以外になかった、大川端情緒にひたるぐらい
		もっと自然になれればよかったのにな、
		というのが芥川論を最初に書いたときの
		僕の考え方の基底でした。
		
		[A164]FreeArcive
心について
		講演日時:1994年9月11日
		主催:リブロ 西武池袋本店
		場所:西武百貨店 池袋本店
		収載書誌:筑摩書房「ちくま」1995年1月号、2月号
		 心の病というのは、人間の心の世界の大きさを
		最大限に大きく見積もって考えれば、
		病気じゃないといえばいえてしまうところがあります。
		病気なんてもともとない、
		人間の精神、意識の働き方の世界の可能性のなかの、
		あるところに偏った意識の
		偏り方の場所を閉めているのが病気だといってみたり、
		異常だといったに過ぎないんだよ、
		ということになると思います。
		ただ、病気だといわれている状態は、
		現在の日常生活にとっては
		不自由な状態に違いないということになります。
		「この境界を超すと正常だしこの境界を超すと異常だ」
		という境界線に対しては、
		さまざまな局面で自覚的で意識的になるというやり方が
		いいんじゃないかと思います。
		そういうことで、古典的な「心の病」の区別は
		少なくなると思います。
		それに代わるものとして、
		ヒステリー症による人格転換ということと、
		同性愛の問題は、
		心の世界の問題をとりあげる場合に
		欠くことができない問題になっていくと思います。
		
		[A165]FreeArcive
顔の文学
		講演日時:1994年11月24日
		主催:本郷青色申告会
		場所:本郷青色申告会館
		収載書誌:未発表
		 人間の声というのは、
		音で識別する顔の表情だということができます。
		本当の顔の表情は目で見て識別するわけですけれど、
		人間の声というのもやはりひとつの顔の表情なのです。
		その場合の顔というのは比喩ですが、
		声というのは音で識別する顔の表情だと
		いうこともできるわけです。
		顔という言葉をそういう使い方をすると、
		もっと極端な使い方ができます。
		たとえば「おれの顔を立ててくれ」というでしょう。
		文学と関係が深いのは、主として比喩としての顔、
		あるいは顔の表情です。
		日本の古典文学というのは、
		「もののあはれ」を主題にした物語か、
		そうでなければ「顔を立てる」物語かの
		ふたつに大別することができます。
		いかに顔を立てるか、立てないかという問題、
		つまり「顔の文学」というものは、
		「もののあはれ」の文学と同じように民族の深層、
		無意識の奥深くまで届いている問題なのです
		
		[A166]FreeArcive
生命について
		講演日:1994年12月4日
		主催:リブロ 池袋本店
		場所:西武百貨店 池袋本店
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第7巻』(2004年)
		 ここ数年のあいだに起こってきている
		宗教とか理念とか科学というところからくる生命論は、
		いままであった生命論とは違う場所なんです。
		超能力とか、死後の世界とか、生前の世界という問題は、
		それを考えたら気分が
		せいせいするということはないんですが、
		たいへん興味深い場所なのです。
		僕が唯一こうしたらいいんじゃないかなと思うことは、
		科学的であれ、宗教的であれ、早急に決めないで、
		まだ残っている問題があるんだと考えて、
		それをなんとかして解決しようと考えるのが
		妥当じゃないかということです。
		その考え方に差し向かうということは、
		いいかえれば生命論以外の、倫理の問題や、
		社会的な問題、政治的な問題に
		差し向かうということとも
		広がりを関連させることができるのです。
		
		[A167]FreeArcive
25年目の全共闘論ーー『全共闘白書』を読んで
		講演日時:1995年1月18日
		主催:プロジェクト猪/『全共闘白書』編集委員会
		場所:永田町・星陵会館
		収載書誌:プロジェクト猪『いのししブックレット2 25年目の全共闘論『全共闘白書』を読んで』(1995年)、弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第9巻』(2005年)
		 『全共闘白書』の最初のところに
		72項目のアンケートがあります。
		僕が読んでいちばん関心を持ったのは
		このアンケートでした。
		こういうアンケートの設問のしかたは、
		「社会的なこととか公共的なことは重要で、
		個人的なことが最重要課題だということは
		情けないことなんだ」
		というような観点が、
		無意識のうちにあるような気がします。
		僕はそれは絶対にやめたほうがよいと思います。
		そういう発想をしている限り、
		「おれは大衆の前衛であって、みんなついて来い、
		おれが啓蒙してやる」
		みたいな勢力にかなわないんです。
		そうじゃなくて私のこと、自分のこと、
		それから子どものこと、家庭のことが大切なんだ、
		それが最緊急課題なんだという観点を根本に据え、
		それを基盤に政治的なこと、
		社会的公共的なことを考える考え方に
		転倒しないとだめなんです。
		
		[A168]FreeArcive
「知」の流通ーー「試行」刊行から34年……現在
		講演日時:1995年2月10日
		主催:地方・小出版流通センター
		場所:幕張プリンスホテル
		収載書誌:未発表
		 流通のやり方を決めていく決め手というのはもちろん
		上のほうから決まっていくのが常道ですが、
		消費資本主義、現在の高度な資本主義が突入した段階から
		いいますと、逆が成り立つということです。
		つまり「価格破壊」が成り立つのであって、
		それは別の言葉でいえば、
		「消費者第一主義」ということを意味します。
		消費資本主義の段階で誰が価格を決めるのかというと、
		消費者が決めるわけです。
		それにいちばん近いかたち、いちばん便利で安いかたちで
		提供を受ける権力というのはどこなんだとか、
		やり方はあるのかというのは、
		僕が「試行」という雑誌をはじめてから
		一生懸命考えてきたことです。
		その原則、原理だけはいまでも通用すると思いますし、
		いまのほうがある意味ではかえって
		通用する段階になっているのかもしれません。
		
		[A169]FreeArcive
ボードリヤール×吉本隆明世紀末を語るーーあるいは消費社会のゆくえについて
		講演日時:1995年2月19日
		主催:紀伊國屋書店
		場所:新宿・紀伊國屋ホール
		収載書誌:紀伊國屋書店『ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る』(1995年)
		 ボードリヤールさんは、日本というのを
		褒め過ぎではないかと思います。
		「日本は起源というのを担保にしていないから、
		何でも自在に受け入れていけるし、
		自在に展開することもできる、
		それは日本の利点じゃないか」
		といっておられると思うんです。
		僕の考え方は、ボードリヤールさんが見ておられる
		日本というのとは逆のことで、
		「日本の起源はどう突っついていけば不明でないか」
		を課題にしています。
		僕らが見ようとしている日本は、アジア的でない、
		アフリカ的なんです。
		究極的には、ヘーゲル歴史哲学がいう
		「アフリカ的段階の日本」というものを
		はっきりさせたいのです。
		それは、日本の消費資本主義社会を
		「死」のほうへ向かって明確にしていくことと、
		同じ方向だという方法にあたります。
		
		[A170]FreeArcive
ヘーゲルについて
		講演日:1995年4月9日
		主催:リブロ 池袋本店
		場所:西武百貨店 池袋本店
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第7巻』(2004年)
		 法を哲学にまで突きつめたヘーゲル、マルクス流の考えと、
		われわれの理解とのギャップを埋めるためには、
		「法的な言語というものを、
		実証的な言葉じゃなく本質的な言葉として理解することは、
		いざとなったらいつだってやれるぜ」
		というところまで突きつめておけば、
		調節はつくだろうなというのが
		僕の考えているところです。
		日本が西欧的になればいいという人たちもいますが、
		僕はそれに賛同しないのです。
		そんなところはちっとも問題になりません。
		西欧近代の法理解と道徳倫理の区別がつかない
		われわれの伝統と実感を
		「どういうふうにつき合わせれば解決したことになるのか」
		が、とても重要だと思います。
		
		[A171]FreeArcive
『神の仕事場』をめぐって
		講演日時:1995年6月14日
		主催:砂子屋書房/岡井隆『神の仕事場』を読む会
		収載書誌:砂子屋書房『『神の仕事場』を読む』(1996年)
		 岡井隆さんが、『神の仕事場』のなかでやっておられる
		新しい試みがあります。
		短歌を「意味」でつくらないで、
		「音」でつくってしまう、ということです。
		岡井さんには、
		「短歌というものを〈音の言葉〉にするということが、
		短歌を構成するために非常に重要なんだ」
		という考え方があると思います。
		短歌の本質は、どうしたら解けるか
		本当はよくわからないんですが、
		岡井さんは、1歳未満の乳児の「あわわ言葉」を
		意味ある言葉だと受け取れるとしたら、
		短歌はどうなるか、という試みをしているように
		思うんです。
		これは、岡井さんの『神の仕事場』のなかで
		とても大きな、新しい、現代的な試みだと思います。
		
		[A172]FreeArcive
フーコーについて
		講演日:1995年7月9日
		主催:リブロ 池袋本店
		場所:西武百貨店 池袋本店
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第7巻』(2004年)
		 フーコーには重要な意味があるなと最初に思ったのは、
		この人がマルクス主義的な方法とまったく違ったやり方で、
		権力の問題とか国家の問題を扱っているところでした。
		最初にフーコーの『言葉と物』を読んだときに驚いたのは、
		マルクス主義あるいはマルクスの考え方の
		枠組みのなかにない方法で、
		だいたいマルクス主義が手を伸ばしている
		あらゆる分野に適用できる「知の考古学」という
		まったく独立した方法がここにあると思えたところです。
		フーコーとは自分にとってなんであるかというとすれば、
		けっきょくそこが中心になってきます。
		
		[A173]FreeArcive
文学の戦後と現在ーー三島由紀夫から村上春樹、村上龍まで
		講演日:1995年7月24日
		主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
		場所:有楽町・よみうりホール
		収載書誌:朝日出版社『埴谷雄高・吉本隆明の世界』(1996年)
		 文学作品はいつもある時代の作品です。
		『源氏物語』は別な面から見ると
		ものすごいジャーナリズム小説なんです。
		当時の誰それが失恋して失踪したとか、
		そういう風俗的な事件がとてもよく入っているんです。
		いま読むとその面が沈んで
		僕らもよくわからなくなっているけど、
		よくよく見れば当時あった人が騒いだ事件は
		ことごとく作品のなかにおさめられています。
		そのように、ある作品が長生きするかどうかということは
		偶然性にもよりますが、いずれにせよ時代の風俗性と、
		永続性みたいなものが両方ないと、
		長生きはしないということがいえそうな気がします。
		
		[A174]FreeArcive
現在をどう生きるか
		講演日時:1995年9月3日
		主催:教育研究会/山梨日々新聞社
		場所:山梨県立文学館講堂
		後援:新潮社
		収載書誌:ボーダーインク『現在をどう生きるか』(1999年)
		 「現在」ということをいうのに、
		一般に、「価値の多様化」ということを
		人々がいっているわけですけど、
		僕はそういうふうに考えていません。
		もともと生活における価値観が多様だというのは
		当然のことです。
		僕は、「価値の浮遊性」というように考えています。
		「価値が浮かんで価値の本体から
		離れてどこへでも行ってしまう」
		ということです。
		価値ということはひとつの問題に過ぎません。
		「浮遊性」??つまり、ある事柄が
		本体のところから離れてどこへでも行ってしまうという
		そのことが、「現在」の特徴として
		いえるのではないでしょうか。
		「浮遊性」を共通の理解事項とすれば、
		「現在」ということがいえるのではないかと考えています。
		
		[A175]FreeArcive
親鸞の造悪論
		講演日:1995年11月19日
		主催:東洋大学二部印度哲学科学生/東洋大学全学学園祭実行委員会
		場所:東洋大学白山キャンパス
		収載書誌:春秋社『宗教の最終のすがた』(1996年)
		 オウム・サリン事件で僕なりに
		いろんなことを考えました。
		親鸞が「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と
		いっているのは一種の逆説で、
		逆説のほうが通りやすいといいますか、
		持続しやすいということがあって、
		どんどん突き進んでいったというふうに
		僕は考えてきていました。
		ところが、親鸞はもしかすると、
		いまのオウム・サリン事件みたいな問題に現実に直面して、
		これを肯定していいんだろうか、よくないんだろうか、
		と本気になって考えさせられたあげくに、
		「造悪」、悪を進んで造る「極悪深重の輩」を
		自分の「善悪」観のなかに包括できるという確信を
		持てるようになるまで考え抜いて、
		それで「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と
		いうことをいったんだ、と僕は考えてみました。
		
		[A176]FreeArchive
苦難を超えるーー『ヨブ記』をめぐって
		講演日時:1996年1月13日
		主催:森集会
		場所:芦屋市民センター
		収載書誌:春秋社『本当の考え・うその考え』(1997年)
		 旧約聖書には神話を交えた
		ユダヤ民族の歴史の書である面と、
		神の予言の書である面と、
		個人の信仰とか体験とか苦難とかを介して、
		神と対面する信仰の書という面とがあります。
		『ヨブ記』はそのなかのひとつだというだけの知識から、
		先入見なしに、直接読んだらどういうことを感じるか、
		というところからお話ししたいと思います。
		
		[A177]FreeArchive
いじめと宮沢賢治
		講演日時:1996年5月11日
		主催:高崎哲学堂
		場所:群馬県高崎市 高崎ビューホテル
		収載書誌:未発表
		 子どものいじめの世界は、
		宮沢賢治の童話が描いているなかに
		ぜんぶ入ってしまうと思います。
		その範囲を出てしまういじめというのは
		ちょっと考えられないのではないかというくらい
		用意周到に描かれています。
		これは宮沢賢治の宗教意識にもよりますし、
		いじめた経験はないけれどもいじめられた経験はある、
		ということにもとづいていると思います。
		宮沢賢治のなかでは、僕らが考えているよりも
		ひと回り大きく精神の範囲がとられていて、
		そのなかで考えているから、
		救いが出てくるということになるのではないかと思います。
		
		[A178]FreeArchive
賢治の世界
		講演日時:1996年6月28日
		主催:千葉県高等学校教育研究会国語部会
		場所:千葉県立銚子高校
		収載書誌:千葉原稿等学校教育研究会国語部会『国語部会誌』(第34号)『宮沢賢治の世界』(筑摩選書)
		 宮沢賢治の作品は、
		「初期の段階から中期に行って、後期はこうだった」
		という考え方をとると
		はぐらかされてしまうところがあります。
		あくまで現在にいるのですが、
		以前の自分の感性や体験したことが、
		一種の考古学的な層として
		基礎の方に横たわっているのです。
		以前の考え方や書かれたものは、
		下の層になってなかなかあらわれてはこないけれども、
		層としてはちゃんとある。
		そして、そういうものが重なったのが現在です。
		だから、未開の時代の人類が考えたことを
		自分のなかに再現することもできるし、
		現在のことも再現することができると、
		宮沢賢治は考えているのです。
		
		[A179]FreeArchive
中原中也・立原道造ーー自然と恋愛
		講演日:1996年7月24日
		主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
		場所:有楽町・よみうりホール
		収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第16巻』(2007年)
		 僕らが中原中也と立原道造、
		両者を古典として保存するのはなぜかというと、
		決して大詩人であるとか、
		大ロマンを持っている人だというのではありません。
		そういう意味ではマイナーな人ですが、
		しかし、天才としてのどん詰まりを持っています。
		天才としての道を、行き詰まったところまで、
		とことん行ったということは、
		詩の作品のなかにちゃんとあります。
		自分はできなくても、
		しかしこういう人がいるということは、
		われわれの希望をどんなに助けるかしれないことなのです。
		天才ということを、少なくとも僕らが文学、
		芸術において保存して、
		なかなか滅ぼさないのは、そのことなのです。
		
		[A180]FreeArchive
作品に見る女性像の変遷
		講演日時:1997年7月21日
		主催:日本近代文学館 後援:読売新聞社
		場所:有楽町・よみうりホール
		収載書誌:未発表
		 鴎外や漱石ほどの、西欧近代もよく知っていて、
		抜群の知識・教養を持っている男性が、
		どういう女性を理想とするのかというと、
		?外をとっても、漱石をとっても、
		近代的な女性ではないのです。
		教養ある女性でもないのです。
		なんと古めかしく、男性に対して献身的で、控えめで、
		根性がよくてという女性が
		やっぱりいいということになってしまうわけです。
		いずれもしかたないというか、
		理想の社会像と、理想の女性像と、
		理想の人間像は本来的にいえば
		それぞれみんな違うわけです。矛盾することは当然です。
		それがふつうですが、
		そこを一致させるという考え方でいけば、
		鴎外、漱石といえども、少しも一致していない。
		理想の社会像と理想の男女像も一致していないし、
		理想の男女像と理想の個人像も一致しないのです。
		僕の考えかたを極端にいえば、
		一致していないのが本当であって当然なのだ、
		といういい方ももちろんできるわけです。
		
		[A181]FreeArchive
日本アンソロジーについて
		講演日時:1998年9月25日
		主催:文京区立?外記念本郷図書館
		場所:文京区立?外記念本郷図書館
		収載書誌:未発表
		 僕は、歳を食って、
		締め切りに追われる仕事から免除されて、
		なおかつ経済的ゆとりがあったら、
		のんびりしたかたちでやろうと思ったことがありました。
		ひとつは、日本の詩歌の
		古代から現代までのアンソロジーを
		自分の好き勝手な選び方をしてつくりたい。
		もうひとつは、古代から現在までの
		思想のアンソロジーをつくって、
		のんびりと必要な個所を掲げて、
		古い時代ならそれに口語訳の訳文もつける。
		あとは自分勝手な注釈をつける。
		そういう、ふたつのアンソロジーを
		つくってみようという望みを持っていました。
		理屈っぽい思想のアンソロジーと詩のアンソロジーと、
		両方を自分勝手にやりたいというのが願望です。
		願望はうかうかしているとだめだぜ、という感じですから、
		暇を見てはちょこちょこやりかけています。
		終わるにはなかなか時間がかかりますが、
		やりかけています。
		
2000〜
		[A182]FreeArchive
ふつうに生きるということ
		講演日時:2003年9月13日
		主催:ほぼ日刊イトイ新聞
		場所:東京国際フォーラム ホールC
		収載書誌:ぴあ『智慧の実を食べよう。』(2003年)
		 僕は、ふつうに生きている人、
		あるいはそういう生き方を
		すでにやっている人の生き方が、
		いちばん価値ある生き方だと、理想としています。
		何かを膝にかけて、一日黙りこくって細工物をしている、
		何かのデザインを描いたり、
		染織物をしたりして、一日終わる。
		日常いつでもありふれたことなんですけど、
		そういうことで一日を送っているような人が
		テレビなんかに出てくると、
		これは偉い人だよ、たいしたもんだよと思って、
		おれもまねしたいもんだなと思うわけです。
		
		[A183]FreeArchive
芸術言語論ーー沈黙から芸術まで
		講演日時:2008年7月19日
		主催:ほぼ日刊イトイ新聞
		場所:昭和女子大学人見記念講堂
		収載書誌:未発表
		 僕が芸術言語論ということで第一に考えたことは、
		言語の本当の幹と根になるものは、
		沈黙なんだということです。
		コミュニケーションとしての言語は、
		植物にたとえますと
		樹木の枝のところに花が咲いたり実をつけたり、
		葉をつけたりして、季節ごとに変わったり、
		落っこちてしまったりするもので、
		言語の本当に重要なところではないというのが、
		僕の芸術言語論の大きな主張です。
		沈黙に近い言語、
		自分が自分に対して問いかけたりする言葉を、
		僕は「自己表出」といっています。
		そして、コミュニケーション用に、
		もっぱら花を咲かせ、葉っぱを風に吹かせる、
		そういう部分を「指示表出」と名づけました。
		言語は、そのふたつに分けることができますよ、
		ということが、芸術言語論の特色として
		強調しておきたいことです。

*吉本隆明 五十度の講演→183講演 番号対応表 高村光太郎についてーー鴎外をめぐる人々001→A003 実朝論002→A015 宗教としての天皇制003→A016 宗教と自立004→A020 南島論005→A021 鴎外と漱石006→A027 太宰治と森鴎外ーー文芸雑話007→A032 喩としての聖書ーーマルコ伝008→A041 良寛詩の思想009→A045 シモーヌ・ヴェイユの意味010→A050 〈アジア的〉ということ011→A051 「生きること」について012→A055 ドストエフスキーのアジア013→A058 ポーランド問題とは何か014→A066 『源氏物語』と現代ーー作者の無意識015→A070 小林秀雄と古典016→A071 親鸞の声について017→A078 経済の記述と立場ーースミス・リカード・マルクス018→A080 古い日本語のむずかしさ019→A081 「現在」ということ020→A082 心的現象論をめぐって021→A087 「受け身」の精神病理について022→A090 イメージ論023→A092 柳田国男の周辺ーー共同幻想の時間と空間024→A093 都市論IIーー日本人はどこから来たか025→A104 農村の終焉026→A106 日本経済を考える027→A108 親鸞の還相について028→A113 異常の分散ーー母の物語029→A115 高次産業社会の構図030→A120 渦巻ける漱石ーー『吾輩は猫である』『夢十夜』『それから』031→A127 都市論としての福岡032→A129 いまの社会と言葉033→A132 資質をめぐる漱石ーー『こころ』『道草』『明暗』034→A134 農業から見た現在035→A136 像としての都市036→A138 言葉以前の心について037→A139 宮沢賢治038→A141 青春としての漱石ーー『坊っちゃん』『虞美人草』『三四郎』039→A143 不安な漱石ーー『門』『彼岸過迄』『行人』040→A150 現代に生きる親鸞041→A153 太宰治042→A157 芥川龍之介043→A163 生命について044→A166 ヘーゲルについて045→A170 フーコーについて046→A172 文学の戦後と現在ーー三島由紀夫から村上春樹、村上龍まで047→A173 親鸞の造悪論048→A175 苦難を超えるーー『ヨブ記』をめぐって049→A176 中原中也・立原道造ーー自然と恋愛050→A179 幻想としての国家BT1→A012 共同幻想論のゆくえBT2→A044
*参照:吉本隆明の183講演:フリーアーカイブ/全リスト:思想・文学・宗教・情況
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「吉本隆明の183講演:タイトル&キャプション」 ファイル作成:2024.12.16 最終更新日:2024.12.20