1960〜
[A001]FreeArchive
芸術と疎外
講演日時:1964年1月18日
主催:国際基督教大学ICU祭実行委員会
場所:国際基督教大学 DMH講堂
収載書誌:未発表
芸術をつくる者と、創造された芸術のあいだには、
眼に見えない〈橋〉があります。
それを僕の言葉では〈自己表出〉といいます。
〈自己表出〉の構造は、眼に見えるものではありません。
その眼に見えない構造が、芸術が現在の社会に対して
何を与えるか、何を与えないかという問題の
非常に重要な契機になっていきます。
「現実に対して自己が自己たりえない」という
自己疎外の問題に対して、芸術が何を果たしうるかは、
そういう問題点をつかまえていかないと
はっきり出てこないのです。
[A002]FreeArchive
自立の思想的拠点
講演日時:1966年10月29日
主催:関西学院大学
場所:関西学院大学
収載書誌:徳間書店『状況への発言』1968年
おそらくみなさんは、自分自身を
知識人じゃないと考えているかもしれませんし、
知識人と考えたって、「お前とおれは違う」と
思っているかもしれません。
けれど、僕のいう知識人という本質概念からすれば、
みなさんは明らかに知識人なんです。
なぜならば、日常食って生活して、
また労働力を再生産してというだけじゃなくて、
余計なことを考えているわけですから。
みなさんがどういう政治イデオロギーを有し、
どういう政治的潮流に属し、
あるいは政治的無関心であろうとも、
そんなことに関わりなく、否応なしに
現実の諸問題というものが自分のところに
覆いかぶさってくるという位相を、
避けて欲しくないと思います。
そういうことを避けることができない者こそ、
本来の知識人である、それが知識人の思想的課題であると
僕はいいたいわけです。
[A003]FreeArchive
国家・家・大衆・知識人
講演日時:1966年10月31日
主催:大阪市立大学社会思想研究会/大阪市立大学新聞会
場所:大阪市立大学
収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)
〈大衆の原型〉というのは、
自己の生活の繰り返しの範囲でしか
自分の考えを動かさないということです。
大衆はどういう歴史のくぐり方をしてきたかを
考えてみますと、たとえば中野重治の
「村の家」という作品に出てくるような
おやじさんというのは、一面でいうと
赤紙がくれば即座に応じて兵隊となって戦争へいき、
自分の命がなくなっても戦争をやる。
そしてある場合には戦争をやり過ぎて、
軍部上層の意図を超えて残虐行為もやってしまう。
つまり、〈大衆の原型〉は、国家から支配されれば
支配のままに揺れ動くとともに、本当の意味では
国家と接触さえもしていない存在として考えられます。
そのことは、大衆が近代的意識を
乗り越えてしまう基盤を持つひとつの契機を
なすのではないか、という考え方も成り立ちえます。
知識人であることの意味は、
いかにして〈大衆の原型〉が本質的にはらむ問題を、
自己の思想の問題として組み込むことができるか
という問題を避けない、ということです。
[A004]FreeArchive
現代とマルクス
講演日時:1967年10月12日
主催:中央大学 学生会館
場所:中央大学 学生会館 602号室
収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)
私がマルクスにおいてもっとも衝撃を受けたのは、
国家哲学なんです。われわれは戦争体験から、
市民社会における個人や家族よりも、
国家に重点がかけられるべきだという出発点を
持っていたわけです。しかしその国家が本当は
共同性を装った幻想に過ぎないというマルクスの考えに
衝撃を受けたんです。
マルクスの〈疎外論〉は、
幻想性の問題??国家、法律、宗教、それから芸術という
問題を考察する根底になるとても重要な概念です。
人間というものは、他の人間、あるいは自然に対する、
対象的な行為なしには存在しえません。
ところで人間が生存、存在の必須条件である
対象的な行為をしますと、自己自身がそれにつれて
本来的な自己から疎外される、
つまり自分自身も影響を受けます。
あるいは影響を受けることなしには
対象的な行為というのはなしえないというのが、
マルクスの考えている〈疎外論〉の
根底にある自然哲学です。
[A005]FreeArchive
ナショナリズムーー国家論
講演日時:1967年10月21日
場所:新宿・観音寺
収載書誌:未発表
ボクシングでいいますと、やっぱり
世界タイトルというのは思想的に
奪取しなきゃいけないんです。
たとえばサルトルという人が、
日本という国家的土壌にいたとすれば、
大した人じゃないと思うんです。
しかし、ヨーロッパの土壌にのっかっている人ですから、
いい加減なやつだなぁと思うけれど、
みっちりやったら日本人である僕が
必ず負けるということはやはりわかるんです。
しかし、「それでもやる、必ず勝つ」という問題は、
どうしても持たざるをえないことがあるんです。
本当の意味の世界普遍性というものを
獲得していくためには、非常に困難な道を
歩まなければならない。
一民族、一種族、一部族の共同性というものに
固執するわけでもなんでもないけど、
それが制約している問題と、
経済的範疇としての世界性の矛盾というのは
どこにあろうと絶えず持たざるをえないということは
必ずあると思っています。
[A006]FreeArchive
詩人としての高村光太郎と夏目漱石
講演日時:1967年10月24日
主催:東京大学三鷹寮委員会
場所:東京大学三鷹寮
収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)
文学芸術に関する限り、問題の本質は
手仕事をやるかやらないかということで決まるのです。
手仕事というのは、毎日のように机の前に
原稿用紙をおいて、ペンを持って、机の前に坐って、
なんかやるということです。
何も書くことがなく、気分ものらなくても、
やっぱり原稿用紙を前において、ペンをとって、
そこに坐って、「さて」ということで
やろうということです。
そういうことを持続できるかできないかということが、
文学の創造の中心を決定していくんです。
それをやらなければ、文学芸術、つまり
観念のつくるものが、具体的な現実に
よく拮抗することができないんです。
それに耐えたうえで、文学芸術における思想の問題、
あるいは資質の問題というものが
はじめてあらわれてくるのです。
明治以降の近代文学、芸術のなかで、
確かにそういうことをしたといいうる人は、
わずかに作家としての漱石、それから
詩人・彫刻家としての高村光太郎だけです。
[A007]FreeArchive
自立的思想の形成について
講演日時:1967年10月30日
主催:岐阜大学
場所:岐阜大学
収載書誌:勁草書房『吉本隆明著作集14』(1972年)
私どもの考えでは、〈経済的範疇〉、
いいかえれば〈自然的範疇〉というものは
必ず〈幻想的な範疇〉を生み出していきます。
人間が外部の〈自然〉に関わると、
必ず〈幻想性〉を発生させるわけです。
人間の意識にやってくる〈自然的範疇〉は
必ず〈幻想性〉を伴うから、〈国家の経済的範疇〉は、
必ず〈共同幻想としての国家〉を生み出します。
そういう国家の共同幻想性と本質的に対決しうる
唯一のものは、個人幻想です。
文学芸術に属する個人幻想というものだけが、
本質的な意味で、国家の共同幻想性というものに
対峙することができるわけです。
知識人が、「法的言語に対して〈沈黙の意味性〉でもって
服従している大衆」を、
自分の思想のなかに組み込むという問題が可能であるとき、
かろうじて知識人の共同性としての集団というものが
反体制的でありうるわけです。
[A008]FreeArchive
調和への告発
講演日時:1967年11月1日
主催:明治大学
場所:明治大学
収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)
現在、ベトナムには戦争があり、日本には平和がある、
そういう区別の仕方があります。
しかし、ベトナムのなかには戦争もありますけれど、
同時に平和もあるのです。
人間は戦争のさなかでも極めて平和に
恋人とデートすることもできますし、
また一家団欒の食事をすることもできる、
そういうようにしか戦争というものは存在していません。
現実というものはさまざまな次元の場面を許すのです。
逆に、「日本は平和だ」といっても、
ある視点でもって眺めれば、
ちっとも平和ではないわけです。
そこには声をあげずに倒れていく人間もいますし、また、
何の声も発せずに老いさらばえて死んでいく人間もいます。
一見すると無事平穏のごとく見える
日本の国家権力のもとにおける現実のなかに、
さまざまな鋭い裂け目があり、
それをどういうふうにすくい取っていくか、
思想の問題として繰り込んでいくかということのなかに、
情況があると考えております。
[A009]FreeArchive
戦後詩とは何か
講演日時:1967年11月5日
主催:早稲田大学 早稲田祭実行委員会
場所:早稲田大学 大隈講堂
収載書誌:徳間書店『情況への発言』(1968年)
戦後詩というものは、
ひとたび再建された戦後資本主義社会という軌道に
戦後詩人が乗ったとき、自ら終結してしまったと
僕は考えています。そしてそれ以降、
「いかにしてどこに詩を創造する凝縮力の核を求めるか」
という問題についてのモチーフを喪失したのです。
現在、詩人が自らの創造の核というものを
どこに求めるかを考えると、
〈原型として考えられる大衆〉、あるいは
〈沈黙の意味として存在している大衆〉との
対話によってしか、詩の創造の核は
回復することができないと思います。
詩というものが、戦後すぐの無権力状態における混乱と
無秩序のなかから手探りで見つけた創造の核を、
きわめて秩序を回復しているかに見える
現在の資本制社会のもとで獲得していく唯一の根拠と、
現在における詩人の存在理由は
そういうところにあるだろうと考えます。
[A010]FreeArchive
幻想ーーその打破と主体性
講演日時:1967年11月11日
主催:愛知大学 第21回愛大祭本部
場所:愛知大学 豊橋校舎9号館
収載書誌:勁草書房『吉本隆明全著作集14』(1975年)
氏族的な社会における共同幻想性は、どういうふうにして
部族統一国家における共同幻想性に転化するのでしょうか。
血縁集団を基盤にする氏族的な社会における
共同幻想というものは、もしなんらかの契機で
部族的な統一国家の共同幻想性へ転化していく場合には、
必ず個々における共同幻想性というものを、
慣行律、習慣、習慣的宗教というものの段階へ
蹴落とすことによって、統一国家の段階へ転化するのです。
[A011]FreeArchive
人間にとって思想とは何か
講演日時:1967年11月21日
主催:國學院大学文芸部 共催・國學院大学文化団体連合
場所:国学院大学412教室
収載書誌:勁草書房『吉本隆明全著作集14』(1975年)
氏族的な社会における共同幻想性は、どういうふうにして
部族統一国家における共同幻想性に転化するのでしょうか。
血縁集団を基盤にする氏族的な社会における
共同幻想というものは、もしなんらかの契機で
部族的な統一国家の共同幻想性へ転化していく場合には、
必ず個々における共同幻想性というものを、
慣行律、習慣、習慣的宗教というものの段階へ
蹴落とすことによって、統一国家の段階へ転化するのです。
[A012]FreeArchive
幻想としての国家
講演日:1967年11月26日
主催:関西大学千里祭
場所:関西大学
収載書誌:中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年)、徳間書店『情況への発言』(1968年)
幻想としての国家というのは何かといいますと、
国家の本質ということを意味しています。
もちろん国家には、幻想としての国家というものが、
たとえば法なら法というものによって維持されていくという
法機関、法権力機関というものはあるわけですけれども、
機関としての国家ではなく、
幻想としての国家ということで何を意味するかということ、
国家の本質ということのお話をしていきたいと思います。
[A013]FreeArchive
高村光太郎についてーー鴎外をめぐる人々
講演日:1968年3月7日
主催:文京区立鴎外記念本郷図書館
場所:文京区立鴎外記念本郷図書館
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年)
高村光太郎という詩人は、複雑な思想を、
複雑に表現するというようなことはしていません。
しかし、本来的にはたいへん
気味の悪い芸術家だと思います。
気味の悪いといっていいのか、
得体が知れないといっていいのかわかりませんけれども、
とにかくそうとうなしろものだと思います。
そうとうな人だということを、
『道程』とか『智恵子抄』のような作品の背後に、
つかんでいかないと、
高村光太郎という人の総体的な人間像は、
うまくつかまえてこれないんじゃないかと思います。
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思想としての身体
講演日時:1968年10月29日
主催:日本医科大学 第12回千駄木祭常任委員会
場所:日本医科大学 4階大ホール
収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
〈わたしの身体〉というものは、皆さんの側から
客観的に見て観察することができます。
そして、自分が自分の身体を
どう思っているかという意味で、
内からも直接に見ることができます。
この種の特異性を持っている存在は
この世には〈人間の身体〉、いいかえれば
〈わたしの身体〉というもの以外にありません。
それ以外のものは客観的に観察することができるか、
あるいは主観的に検討することができるか、いずれかです。
自分自身として内側からこれを見ることもできるし、
外側からも客観的に見ることができるという
二重性を持っているのは、
〈人間の身体〉というものしか存在しません。
そのことが身体というものを
特異な存在にさせていると思います。
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実朝論
講演日:1969年6月5日/12日
主催:筑摩書房
場所:新宿・紀伊國屋ホール
収載書誌:中公文庫『語りの海2 古典とはなにか』(1995年)、弓立社『敗北の構造』(1972年)
文学にとって重要なことは、
どういう死に方をするかということだと思います。
なぜ文学にとって死に方が重要かといいますと、
死に方は、偶然には依存しないわけです。
ほとんど全面的に、作家あるいは詩人の思想、
資質そのものに依存するからです。
死に方が本質的でないと、
文学としてよみがえることができない、ということが
いえると思います。
実朝という詩人は、中世では誰もが
西行と実朝というふうに数えざるをえない、
最大の詩人のひとりです。
実朝は鎌倉幕府の創始者であった源頼朝の次男で、
12世紀末から13世紀の初めにかけて生きた人ですが、
28歳で暗殺されています。
実朝が、本質的に生きたかどうかは、
そう簡単には決められませんが、
本質的に死にえた詩人だということは確かです。
1970〜
[A016]FreeArchive
宗教としての天皇制
講演日:1970年5月16日
主催:学習院大学土曜講座
場所:学習院大学 教室
収載書誌:中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年)、春秋社『〈信〉の構造 PART2』(2004年)
講演より
歴史を考えてみても、天皇がじかに政治権力を掌握し
かつ行政的にも手腕を発揮したというような事例は、
おそらく数えるほどしかないので、
大部分は間接的に、一種の宗教性として、あるいは
宗教的な司祭といいましょうか神主といいましょうか、
そういうような集団として存在してきたのです。
しかし依然としてそこにあるタブーは、
基本的なもの、本質的なものであるために、
そのタブーに手をつけない限り、
直接に政治権力を掌握していなくても、
あるいは単なる神主に過ぎなくても、
天皇制は存続してきたと思われます。
これは裁判沙汰の問題でもなければ、
「首がころり」というような問題でもないと思います。
天皇制にまつわるタブーが現在でも存在するわけです。
[A017]FreeArchive
言葉の根源について
講演日時:1970年5月
主催:桐朋学園
場所:桐朋学園
収載書誌:中公文庫『語りの海3』(1995年)
沈黙というと「ぼんやりしている状態」と
思われがちですが、沈黙も言語表現なのです。
ある人が何もしゃべっていなくても、
その人の意識の内部には何かがある、ということです。
黙っていても、その人の
主観的あるいは意識的な状態がわかるとか、
表現されているとか、感じる場合があるでしょう。
それは、沈黙の言語が、内的意識の時間性、空間性に
解体して存在しているからなのです。
外からは憶測するよりしかたがないのですが、
まったく無意味なのではなく、
その人の主観や意識の内部はたいへん満たされていて、
何かしゃべられているのかもしれない、
というようなしゃべり方がありうるわけです。
[A018]FreeArchive
敗北の構造
講演日時:1970年6月10日
主催:社会主義学生同盟/南部反帝戦線明学大班
場所:明治学院大学100番教室
収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
日本に統一国家というものが成立した千数百年前以前に、
この小さな島に人間がいなかったかというと、
そんなことはありません。
日本民族という場合には、
統一国家成立以降の文化的、言語的に
統一性をもったものを想定しているわけですけれども、
それは日本人とはまるで違います。
日本人という場合には、日本国家成立以前に、
すでに郡立した多数の国家が存在していたと
考えることができます。
僕のいう「敗北」は、そういう
たいへん大昔の敗北ということです。
何が敗北したかというと、
天皇制権力によって統一国家が成立する以前に存在した、
日本の全大衆が総敗北したということです。
[A019]FreeArchive
「擬制の終焉」以後十年ーー政治思想の所在をめぐって
講演日時:1970年7月17日
主催:共産主義者同盟叛旗派編集委員会
場所:中野公会堂
収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
社会は、日々働き生産し食べていく
経済社会的な過程さえあれば、
永遠の昔から永遠の未来まで続きます。
しかしそのうえにのっかる法的・政治的国家、
あるいはそこから導入される国家権力というのは、
必ずしもそれと対応せず、因果関係になくとも、
あるいは部族、民族を異にしても、
横合いからいきなりやってきてさらってしまうことは
いくらでもありうるわけです。
「経済社会構成の変化なしに
上部構造の変化はありえない」とか、
「基幹産業における組織労働者の立ち上がりなしには
政治革命がありえない」という考え方は、
迷信だと思います。
[A020]FreeArchive
宗教と自立
講演日時:1970年7月25日
主催:止揚の会,西荻南教会
場所:新宿区信濃町・真生会館
収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART2』(2004年)、弓立社『敗北の構造』
(1972年)
けっきょくどう考えたかというと、
何が価値かという場合に、
ぜんぶひっくり返せばいいじゃないかと考えたわけです。
つまり人々が偉大な思想家であるとか、
偉大な政治家であるとか、偉大な宗教者だとか
いっている奴は、いちばんだめな奴だというふうに
考えればいいということです。
人間は「いかに生くべきか」と考えた場合に、
もっとも価値ある生き方というものは、
とても架空なんですけれども、
自分の生活のところで
具体的に眼に見えるような当面している問題とか、
自分の家族とか兄弟のことならば考えたりするけど、
ベトナム戦争がどうだとか、
あんまり遠くのほうにあることは考えないという生き方が、
いちばん価値のある生き方なんじゃないかと
考えたわけなんです。
[A021]FreeArchive
南島論
講演日:1970年9月3日/10日
主催:筑摩書房
場所:新宿・紀伊國屋ホール
収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART3』(2004年)、中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年)
〈南島〉は、日本の民俗学あるいは文化人類学にとって
宝庫だといわれているところで、
さまざまな古い遺習が残っていますが、
われわれは、それとはまったく違う理論的視点を
前提としています。
たとえば、ニューギニアの奥地にはまだ
石器時代の生活をしている種族がいるとか、
サハラ砂漠の近辺に行くと
太古の遊牧民さながらの生活をしている種族がいるという
いわれ方があります。
しかし、そういう未開の種族もまた
世界史的現在のなかに存在しています。
その意味をどうとらえたらいいのでしょうか。
そういう種族や日本の〈南島〉を扱うとして、
ただ古き良き時代の名残がなんらかのかたちで残っている、
という扱い方ではなく、
世界的同時代性、現代性というものの視点を包括しながら
それを扱うにはどうしたらいいか、ということは
依然として問うに値する問題であると思われます。
[A022]FreeArchive
文学における初期・夢・記憶・資質
講演日時:1970年11月2日
主催:東京女子大学短期大学部
場所:東京女子大学短期大学部
収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
僕は、12、3歳の頃でしょうか、当時の市電に乗って、
切符を買おうと慣れないために緊張してお金を出すと、
車掌が素知らぬ顔で自分の前を
さっさと通り過ぎて行ってしまうということがありました。
「どうしておれの前だけ止まってくれないのだろう」
という行き違いのようなことが
とても引っかかった時期があります。
そのことから導いたのは、
「タイミングがあわない」ということは
自分の資質ではないかということでした。
この社会にいながら、成長し、そして
老いていく過程のなかで、
なぜ自分のところにだけ
こんなことが降りかかるのだろうとか、
なぜ自分のときだけ行き違いが起こるんだろうか
という体験は、みなさんも記憶の片隅や気持ちのどこかに
とどめていることがあると思います。
そういうことは、掘り下げるに値する
問題ではないでしょうか。
[A023]FreeArchive
詩的喩の起源について
講演日時:1971年5月2日
主催:日本現代詩人会
場所:新宿・紀伊国屋ホール
収載書誌:中公文庫『語りの海3』(1995年)
日本の詩が発生の起源に近いところで
保存しているものから、
詩的な喩の起源として考えられることは、
一篇の詩形式のすべてを使って
主観的な感情をあらわすというふうには
詩の表現は可能ではなかった、ということです。
日本では、詩の問題は
「詩のなかに意味を込める」ことには
なかったんじゃないか、ということです。
一般的に風景の描写とか
日本的な自然美といわれていることは、
本当はまったくの錯覚であって、
詩の起源に近いところで
「景物」が表現にあらわれている場合、
その「景物」は決して写実的な意味での
「景物」あるいは「自然」ということを意味せず、
むしろ宗教的あるいは自然信仰の段階において
個人の観念でなく
共同体の観念が象徴的に寄り集まるところとして
「自然」というものが詩の表現のなかに存在していた、
ということが考えられるのです。
[A024]FreeArchive
政治と文学について
講演日時:1971年5月8日
主催:三田文学
場所:慶應義塾大学 三田校舎
収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
去年の暮れ、三島由紀夫さんが、政治と文学について、
非常にショッキングなあり方を提供してくれました。
「芸術家が実行家に拮抗しうるとすれば、
死を描写するだけでなくて
自分が死んで見せなくちゃだめじゃないか」
というのが三島由紀夫さんの考え方のように思われます。
三島さんは自らその考えを実行されたわけですから、
そこのところで何もいいたくない気持ちですが、
考え方としては
たいへん古い考え方というほかないと思います。
そして三島さんは、文学芸術の創造ということと、
それが書物として流布される過程とを、
うまく区別できていなかったのではないでしょうか。
創造の行為と、それが書物となって流布されることとは、
違うということを、本当の意味ではあまり
考えられなかったと思われるのです。
そのことは、ただ実感的に知っているだけでなく、
想像力を突き詰めていかなければならないことが
あるように思うんです。
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共同体論について
講演日時:1971年5月9日
主催:止揚の会/西荻南教会
場所:文京区民センター
収載書誌:中公文庫『語りの海1 幻想としての国家』(1995年)
日本の場合、共同体は
ふたつに類型づけすることができます。
ひとつは、首長が政治的な権力と同時に
祭祀権を持っている共同体というのが考えられます。
もうひとつは、共同体の首長が祭祀権だけを
持っているタイプです。
その場合、宗教権力を持つのはたいてい女性で、
その肉親の男性が
政治権力を所有しているというかたちです。
日本の古い時代を想定しますと、
そのふたつの形態が複合して存在しています。
根本的に問題にしなくてはならないのは、
政治権力というものと
宗教的権力というものとの移行のしかたということで、
それがいかに共同体の権力構成に影響を及ぼすか、
また経済・社会構成、自然・経済構成に対し
どういう影響を与えるか、ということです。
[A026]FreeArchive
自己とは何かーーキルケゴールに関連して
講演日時:1971年5月30日
主催:大学セミナーハウス
場所:新宿・紀伊国屋ホール
収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
結婚して子どもを生み、そして子どもに背かれ、
老いてくたばって死ぬ、そういう生活者を
もしも想定できるならば、
そういう生活のしかたをして生涯を終える者が、
いちばん価値がある存在なんだ??人間存在の
価値観の規準はそこにおくことができると、
僕は考えました。
だから、もっとも価値ある生き方とは何かと問われたとき、
日々繰り返される生活の問題以外には
あまり関心を持たないで、生まれて老いて死ぬという
生き方がもっとも価値ある生き方だ、
というほかはありません。
どんな人間でも、大なり小なりその規準からの逸脱として、
食い違いとして、生きていくわけですが、
キルケゴールなんかには
ぜんぜん関心がないという生き方は、
もっとも価値ある生き方だということができます。
[A027]FreeArchive
鴎外と漱石
講演日:1971年10月14日
主催:文京区立鴎外記念本郷図書館
場所:文京区立鴎外記念本郷図書館
収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年)
当時の文学者でいえば、鴎外と漱石は、
格段に学があって、格段に見識があって、
相互に意識して、はりあっているみたいな要素が
ほのかに見えます。
たとえば鴎外の『ヰタ・セクスアリス』という小説を
読みますと、漱石の『吾輩は猫である』を読んで、
おれも書きたくなったというような個所があります。
そういう意味で、少なくとも
「おれと同じくらいな奴は、あいつだけだ」
というふうには意識していたかもしれません。
それ以外に、個人的に交渉があったとか、
親しかったとかいう痕跡はありません。
そういう意味では共通性も関係性も
それほどないといえます。
それでも、無理にあげようとすると、共通性はあります。
両者とも、当時の日本の文学の主流であった
自然主義文学に対して、何らかの意味で別の道を、
方法上でも、仲間意識でも持ちました。
それからもうひとつ、
これも大きな共通点だと思いますけれども、
?外も漱石も奥さんが悪妻だったということです。
そういうふうにいわれています。
[A028]FreeArchive
宮沢賢治の童話について
講演日時:1971年12月4日
主催:日本女子大学児童文学研究室/同人誌「海賊」
場所:日本女子大学成瀬記念講堂
収載書誌:猫々堂「吉本隆明資料集51」(2005年)
宮沢賢治の童話の世界を初期から晩期に至るまで
とても奥底のほうで規定しているのは、
山人の入眠幻覚や白日夢の世界、
あるいは民話・伝承に対する異常な関心です。
彼がイーハトーヴと呼んだ岩手県には、
さまざまな伝承や民話があります。
山のなかで白日夢に襲われ、
ハっと気がついたときには
自分がぐるぐる同じ道を回っていたとか、
とてつもないところへ行っていたという
山人の民話のなかでも、
入眠幻覚の問題が宮沢賢治の童話の奥底にある
性格を規定していると思います。
それは『銀河鉄道の夜』のような作品にも、
とてもよく象徴されています。
[A029]FreeArchive
親鸞について
講演日時:1972年11月12日
主催:大谷大学 学園祭実行委員会
場所:大谷大学
収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART1』(2004年)
親鸞は、「絶対他力」の思想を根底におく、
日本ではたいへん珍しいタイプの思想家だと思います。
僕は、家が浄土真宗だということを除いては、
宗教もイデオロギーも信じていないし、
「自立」ということばかりいうまことに不肖の者ですが、
若いときから親鸞は好きで、
まったく反対なことをいっているとは
ちっとも感じられないところがあります。
それはおそらく、親鸞の自己解体の過程が、
「絶対他力が同時に絶対自力というものを包括する」
というところを指し示しているからではないかと
考えられるんです。
[A030]FreeArchive
文芸批評の立場から見た人間理解の仕方
講演日時:1973年11月17日
主催:東京都立精神医学総合研究所
場所:東京都立松沢病院 4階大会議室
収載書誌:弓立社『知の岸辺へ』(1989年)
文学の立場というのは、一言でいいますと
「言葉で表現する立場」ということです。
その本筋は、大昔にさかのぼれば〈歌〉にあります。
〈歌〉というのは、2千年とか3千年とか、
そうとう古い時代からあった、韻文??リズムの入った
言葉の表現です。
この〈リズム〉というのは、いまでいえば
神がかりの状況に入ったときに出てくるものです。
文学者というのは、さかのぼってゆけば
神がかりの状況の人間にいきつくわけです。
そうすると、神がかりの状態というのが、
文学者にとって根本的な立場ということになると思います。
[A031]FreeArchive
〈戦後〉経済の思想的批判
講演日時:1974年6月18日
主催:共産主義者同盟
場所:日比谷公会堂ホール
収載書誌:蒼氓社「自立と日常」(1974年)
戦後の日本の政治支配者は、
近代化して落ちこぼれてきた農業を、
高度成長政策による重工業の方に転化していくことで
問題が解決されるかのごとく
経済問題を考えてきたと思います。
しかし、農業が全面的に依存している土地というものの
〈自然性〉と〈人為性〉の矛盾という問題が
よく解かれない限りは、農業問題は決して
解決されないということが本当はいえるのです。
そして、第一次高度成長を経た60年安保闘争後、
政治国家は変わっても
〈経済共同体としての国家〉は
資本主義であろうと社会主義であろうと不変である
という〈経済共同体〉的な考え方が出てきました。
この両極端??さまよえる農業問題と
経済共同体的な経済現象??に、
現在の経済思想的問題は集約されると
考えることができます。
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太宰治と森鴎外ーー文芸雑話
講演日:1975年7月18日
主催:文京区立鴎外記念本郷図書館
場所:文京区立鴎外記念本郷図書館
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年)
太宰治というのは短編の名手なのですが、
太宰治の短編小説に
非常に大きな影響を及ぼしたと考えられるものは、
作家とばかりはいえないのですがふたつあると思います。
ひとつは落語で、
近代落語の伝統は三遊亭円朝から
はじまるわけですけれども、
落語の影響は非常に大きいと思います。
落語の影響というのは、たとえば
どういうふうにあらわれてるかというと、
太宰治の短編のなかでは、
落語の落ちが非常によく使われていて、
太宰治が一生懸命まともに落語をよく読んで
話したと考えられます。
もうひとつは、鴎外の短編、
といいたいところですけれども、
鴎外の訳した短編小説があります。
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フロイトおよびユングの人間把握の問題点
講演日時:1975年10月11日
主催:山王教育研究所
場所:山王会館(国電大森駅ビル4階)
収載書誌:弓立社『知の岸辺へ』(1976年)
ユングは自伝のなかで、
フロイトとの決別の場面を象徴的に語っています。
それはばからしいといえばばからしいし、
たいへんなことだといえばたいへんなことです。
あるとき、フロイトとユングが超心理学の話をしていて、
いまの言葉でいえば超能力についてどう思うか、
とユングがフロイトにいうわけです。
それに対してフロイトは、それはお話にならないから、
まじめに相手にしない、みたいな感じで応対します。
そうしているうちにふたりがしゃべっているそばの本棚が
ガタガタと揺れ出す。
ユングにいわせれば超能力的に
そういうことが起こったんだけれども、
フロイトはそれを承認しない。
その現象は、テレビの茶番劇にもなりうるわけですけども、
それが人間の精神の解析について、
すぐれたふたりの巨匠を別れさせるきっかけにも
なりうるという意味あいで、
決して無視することはできないことじゃないかと思います。
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文学の現在
講演日時:1975年10月16日
主催:京都精華短期大学 学生部
場所:京都精華短期大学
収載書誌:白地社「而シテ」5号(1976年)
文学が幸福になるときがあるのかもしれないけれど、
少なくとも歴史を省みる限りは、
文学が幸福だったということはまずないわけです。
文学が本質を目指すならば、
それはしかたがないと思うんです。
ただ、文学にもし影響力というものがあるとすれば、
「人を揺すぶる」ことが本質的には
できることじゃないかと思います。
「文学というのはアルファからオメガまでやるんだよ」
ということを現在的に指し示すことによって、
「政治だって経済学だって
ここからここまでやればいいんじゃないんだよ、
はじめから終わりまでやんなきゃだめですよ」
というふうに、揺すぶらなくてはしかたがないと思います。
それは、文学だけしかできないんじゃないかという
気がします。
その課題は、すぐれて現在的な課題だと思われます。
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『死霊』についてーー東北大学にて
講演日時:1976年5月11日
主催:東北大学学友会文芸部/「濫觴」同人/現代イデオロギー研究会 後援:東北大学教養部、学生自治会臨時執行部
場所:東北大学 川内記念講堂
収載書誌:未発表
太平洋戦争と現在では呼ばれている戦争を、
何らかの意味で否定する考え方を、
文学か思想によって完結しようとした
本当にまじめな人間がいたとしたら、
その人は絶対に
戦後に生きては存在することができなかったと思います。
にも関わらず生きてしまったとすれば、
それはどこかで矛盾を抱え込んだということです。
そしていまもなお、矛盾を抱え込んで、
何らかのかたちでそれを解き明かしながら、
また矛盾を呼び込むということに悪戦苦闘している、
そういう文学者は少数ですけれどもいるわけです。
その象徴となりえる人が埴谷雄高という文学者だと、
僕には思われます。
[A036]FreeArchive
『死霊』についてーー京都大学にて
講演日時:1976年5月15日
主催:京都無尽 共催:京都大学新聞社・清華短大基礎ゼミ連合・西部講堂連絡協議会・花園大学新聞部・立命館大学一部学芸総部
場所:京都大学 時計台ホール
収載書誌:未発表
埴谷雄高さんの『死霊』の世界は、
登場してくる人物が少しも肉体というものを感じさせず、
いずれも観念の権化であるということを
徹底的に体現しています。
なぜこういう作品が成立したかというと、
埴谷さんは、かつて日本の革命運動に
徹頭徹尾政治的に関わり、戦争をくぐって、
徹頭徹尾文学的に再出発するというかたちで
戦後を生きてこられた人です。
革命と戦争をくぐったときに、
肉体は権力のために制圧されるかもしれないけれども
観念だけは自由だ、
観念だけは誰にも奪われることがなかった??そういう
体験が『死霊』という作品の登場人物の
特徴として出てきているのだと思います。
[A037]FreeArchive
情況の根源から
講演日時:1976年6月18日
主催:三上治
場所:品川公会堂
収載書誌:三上治「乾坤」創刊号(1976年)
私たちが当面している情況を考えてみますと、
ひとりの人間としても、職場の組織のなかにおいても、
政治運動のなかにおいても、
当事者にとっては重要で切実な事柄が、
当事者以外の者にとっては切実でもないし
何でもないと思えるという分裂が
とても極端だということが、あげられると思います。
この問題は夫婦的な規模で申し上げることも、
国家的な規模で申しあげることもできます。
なぜこういう問題に当面しているのかというと、
古典的な政治・国家像、社会像が崩壊しつつあることが
考えられます。経済的・社会的権力が国家的に組織され、
政治的国家権力自体に対しても、大衆に対しても、
大きな力を及ぼすように変貌しつつあるということは
情況的でもあり、かつ本質的な問題ではないかと
僕には思われます。
[A038]FreeArchive
宮沢賢治の世界
講演日時:1976年10月21日
主催:京都精華短期大学 学生部
場所:京都精華短期大学
収載書誌:白地社「而シテ」7号(1977年)
宮沢賢治は、挫折もあり苦悩もあり失敗もありという
生き方をしています。
口でいろいろいうけれど、
あるいは言葉でいろいろなことを書いたけれど、
けっきょくは何もできないで
終わってしまったではないかといえるところで、
宮沢賢治は死んだと思います。
しかし、もしも人間の行為・表現の概念を、
現実的な表現行為に限定しないで、
幻想的な表現もある、死への表現もある、
死後の世界への表現もあるというふうに
拡張していくとすれば、
宮沢賢治は近代日本の文学者として、
人間として、最大限に行けるところまで
行ったように思われます。
[A039]FreeArchive
枕詞の空間
講演日時:1977年7月6日
主催:詩誌「無限」事業部
場所:明治神宮外苑絵画館文化教室
収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年)
宮沢賢治に「林と思想」という詩があります。
この詩の根源的情緒は、昔の人のいい方でいえば、
霧をいう場合に「ほのゆける霧」、あるいは
「いさらなみ霧」と表現されたものだと思います。
大昔においては、現在では意味がつかめない言葉を、
枕詞として上につける習慣が詩に限ってあったのです。
この「いさらなみ霧」の情緒と、
宮沢賢治の詩の情緒というのはまったく同じです。
ただ古代人たちが自明の理として考えた
眼に見えないポエジーの空間ーーふたつの言葉を
並べることによってそのあいだに
想定したポエジーの空間ーーだけを再現し、
再現の結果としての「ほのゆける霧」あるいは
「いさらなみ霧」という表現を拒否しているのが
現代の詩だとみなしますと、
現代詩に対するひとつの一貫した考えに
なるのではないかと思います。
[A040]FreeArchive
『最後の親鸞』以後
講演日時:1977年8月5日
主催:真宗大谷派関係学校宗教教育研究会
場所:新潟県妙高市・東本願寺池ノ平青少年センター
収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART1』(2004年)『最後の親鸞』もそうでしたけれど、
僕は親鸞の思想に重点をおいてとりあげようと思います。
信仰ということと思想ということはどこが違うかというと、
信仰の場合にはあくまでも内部の側にあって
語ることになっていくと思います。
けれども思想は、内部から語るというよりも、
内部と外部の境界に踏石をおいて、
ひとりの宗教家であった思想家をとりあげる、
ということです。
内部にも行くかもしれませんけれども、
外部にも行ってしまう、そういうところが
思想ということと信仰ということの違いといえます。
すぐれた宗教家であると同時に、
思想の立場からとらえても対象として充分に耐えうる
日本ではたいへんめずらしい思想家である親鸞を、
思想としてさらに問題にしたいと思っています。
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喩としての聖書 ─ マルコ伝
講演日時:1977年8月31日
主催:日本YMCA同盟学生部
場所:御殿場YMCA東山荘
収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART2』
(2004年)、中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』
(1995年)
聖書のなかの奇跡を、
まったきフィクションとして読む読み方もありうるし、
また、本当の信仰者の信心として
読む読み方もあるでしょう。
しかし、そのどちらでもない読み方もあります。
それは「言葉」に対するまったき信仰があるとすれば、
結びつかないようなふたつの対象を結びつけて、
ひとつの「暗喩(メタフアー)」とすることができる
ということです。
聖書のなかの奇跡の話は、暗喩の一種、
しかもそれはまったく結びつけることができないような
ふたつの対象を結びつけようとしている暗喩だという
読み方もあることを、申し上げたいのです。
[A042]FreeArchive
竹内好の生涯
講演日時:1977年10月1日
主催:山口県内吉本さんを呼ぶ会
場所:山口県立図書館レクチャールーム
収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
僕はある時期から、竹内好さんと、
理念的には同じからざる道を歩んだように思います。
けれど、竹内さんの「思想の肉体」はたいへん好きでした。
そういう意味では自分と本当は
よく似たところがあるのではないかと思います。
ひとりの思想家が、生涯において成しうることは
たいしたことはありません。
しかし何がためにひとりの思想家は
ある時代に存在し続けるかと考えてみますと、
「自分が一刻も頭から去らないほど
労苦して考えに考え抜いてやっとつかまえたもの」
が、後の世代の人たちにとって、
何となく自然に身につけている、
その地点に出会うためです。
それが、ひとりの思想家が生涯にわたって
存在し続けることの意味だと思います。
竹内好さんの思想は、そういう徒労に値するものとして、
今後本格的に検討されることを信じて疑いません。
[A043]FreeArchive
戦後詩における修辞論
講演日時:1977年10月20日
主催:京都精華短期大学 学生部
場所:京都精華短期大学
収載書誌:京都精華短期大学「木野評論」第九号(1978年)
歌謡曲やフォークソングの詞と現代詩を比較する場合、
直喩と暗喩を取り出す場合にだけ、
同じものとして扱うことができます。
ところが戦後の詩が突っ込んでしまっている
迷路ともいうべきものは、
無定形な喩、つまり直喩でも暗喩でもない
喩の使い方にあります。
それは曲に乗せることもできなければ
歌うこともできないものです。
これを理解するすべを考えると、
言葉というものは、発音や記号ではなくて、
それが思想だという全体的な見方を
とっていく必要があります。
このことは現代詩の詩人だけでなく、
フォークソングの作詞者たちが落ち込んでいる問題を
理解する為にも必要だと思われます。
それをつかまえることで現代詩が
フォークの作詞と共通に落ち込んでいるところから
抜け出す道が開けていくんじゃないかと思います。
[A044]FreeArchive
共同幻想論のゆくえ
講演日:1978年5月28日
主催:同志社大学文学哲学研究会「翌檜」
場所:京都教育文化センター
収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年)
『言語にとって美とはなにか』と『心的現象論序説』、
それから『共同幻想論』というのは
僕のなかでは別のものではないみたいな
場所があるわけです。
その3つを統一的なところからうまく関連づけられて、
しかも現在の問題点というのが明示できるかというのが
テーマなわけです。
うまく関連づけられるかどうかは
やってみないとわからないんですけれど、
ここからいけば3つの関連性を
ひとつの鎖でつないでいけるんじゃないか、
そうしながらそれが同時に現在の問題点を
はっきりさせることができるんじゃないかと思うんです。
[A045]FreeArchive
良寛詩の思想
講演日:1978年9月16日
主催:雑誌「修羅」同人
場所:長岡市中越婦人会館
収載書誌:春秋社『良寛』(2004年)
良寛にはとてもむずかしいところがあります。
この人は童心を持っていたから、子どもと一日中
毬ついて遊んでいて、
つい本来の用事を忘れて平気だったといえば、簡単です。
しかし、そう考えるべきものじゃないかもしれないのです。
われわれが、一日中子どもと毬ついて遊んでいたとか、
何か用事があるんだけど、
そんな用事のことなどはもう忘れて、
途中で子どもと会ったら遊んでしまったと
考えてみたらわかります。
それはちょっとね、「おれうかうかしちゃったよ」では
済まされない何かであります。
行為自体が何かを意味しています。
良寛は童心を持っていたからだと理解したら、
何も理解していないと同じことです。
[A046]FreeArchive
南方的要素
講演日時:1978年10月7日
主催:部落青年文化会
場所:新宮市・春日隣保館
収載書誌:未発表
最初に国家が成立して以降の問題は、
歴史の問題になります。
歴史の問題ということは、記述したりすることが
可能だった時代以降を意味します。
しかし、人間が日本列島に住んでからは
それとは比べものにならない長い時間を経ています。
国家が成立する以前に、さまざまな制度的な移り変わりや
集団の組み替えをしてきたことも確かだと思います。
その骨格が現在でもどれだけ残っているか、
残っていないかという問題は、依然として現在の問題です。
国家発生以前の人間の集団や親族集団の組み方を
考えていく必要は、そういうところにあります。
それは決して過ぎ去った歴史以前の問題でもなければ、
もう考える必要のない問題でもない。
現在も依然として考えなければならない問題です。
[A047]FreeArchive
芥川・堀・立原の話
講演日時:1978年10月19日
主催:京都精華短期大学 学生部
場所:京都精華短期大学
収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年)
芥川龍之介、堀辰雄、立原道造は、いずれも
大正から昭和にかけての東京の下町出身の文学者、
詩人です。そして、彼らはいずれも貧困な人たちです。
芥川の父親はミドルクラスの下の出身ですし、
堀辰雄の父親は彫金の職人です。
立原道造は立川屋という商家の出身です。
彼らの文学を、仮に〈弱さ〉ということで
括ってみたいと思います。
〈弱さ〉ということは
身体的な〈弱さ〉と精神的な〈弱さ〉の両方があります。
ふつうの意味の〈弱さ〉とニュアンスが違って、
〈弱さ〉の逆に強さみたいなもの、
しなやかさのようなものも考えられる
〈弱さ〉だと思います。
彼らには、ひとつ共通な〈弱さ〉の美の象徴があります。
それは〈匂い〉ということです。
〈匂い〉の感性が過敏で特異だというのが、
芥川龍之介、堀辰雄、それから立原道造の
作品に共通した要素です。
彼らが本質的に執着している〈匂い〉に対する敏感さに、
それぞれの感性の資質があります。
[A048]FreeArchive
現代詩の思想
講演日時:1979年3月7日
主催:詩誌「無限」事業部
場所:明治神宮外苑絵画館文化教室
収載書誌:未発表
詩を書くこと自体に倫理的な意味をつけるより、
「詩を書くこと自体が詩なんだ」という問題が、
詩というものの思想的な意味なのではないかと思います。
詩の思想の問題は、徹頭徹尾、言葉の問題です。
言葉として「やっているな」というものが打ち出せれば、
それは詩であり、
打ち出すこと自体が思想であるというところに、
現代詩の思想のかなり大きな部分が入っています。
言葉は思想の手段であるか、
思想の倫理であるかということではなくて、
言葉自体が思想です。
そういうところで現代詩が書かれている。
その問題が枢要と思われます。
[A049]FreeArchive
障害者問題と心的現象論
講演日時:1979年3月17日
主催:富士学園 労働組合
場所:小金井公会堂
収載書誌:弓立社『心とは何か』(2001年)
身体とは何か、身体の障害とは何か、精神異常とは何か、
それはどうすればいいのかということは、
人間の歴史が最後まで解決を残すだろう問題です。
〈肉体としての身体〉は、何十万年後になっても、
「どこが進化した、どこが退化した」と
変わることはそんなにないと思います。
しかし〈身体の像〉は時代によって
刻々と変わっていきます。
身体に関する障害や精神障害には、
神様に近いと崇められた古代から、
働けないから人間以下だと蔑まれた
近代社会に至るまでの、
目もくらむような価値観の変遷というものがあります。
けれども現代、精神障害、身体障害は
「神でもなければ人間以下でもない、それは人間なんだ」
という概念が少しずつ闘いとられてきつつある
ということが、
唯一の解決の糸口なんじゃないかと思われます。
[A050]FreeArchive
シモーヌ・ヴェイユの意味
講演日時:1979年7月14日
主催:梅光女学院大学
場所:梅光女学院大学
収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART2』
(2004年)、中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』
(1995年)
シモーヌ・ヴェイユは、ヨーロッパの文化が、
世界の文化というのと同じだというほどの
勢いを持っていた時代の、
もっとも正統的な文化の、しかも、もっとも固い、
困難なところにみずからぶつかって、
粉々になって砕け散ったような思想家です。
僕たちが現在当面しているのは、
いわばカウンターカルチャーです。
ヴェイユのように正面きって
ヨーロッパが達成した根本的な問題に
ぶち当たるということは、すでに不可能であるし、
正面きった課題ではないかもしれません。
しかしこういう課題に正面からぶつかって
飛び散った文化と人間の思想の軌跡を認知することは、
決して悪いことではないと思います。
僕たちに何かをいわせて
やまないものがそこにあるからです。
[A051]FreeArchive
〈アジア的〉ということーーそして日本
講演日:1979年7月15日
主催:北九州市小倉・金榮堂
場所:北九州市小倉・毎日会館ホール
収載書誌:弓立社『document 吉本隆明 1号』(2002年)
アジア的地域では、極端にいいますと、
村落共同体が世界の広さであり、
地球が世界の広さではないのです。
自分の利害の関係のないところで
どんなことが行われようと、
自分のところに響いてこなければ関係ないよという
考え方は、みなさんのなかにもあるでしょう。
アジア人はぜんぶ思い当たるはずです。
それは一見すると、超近代的なかたちで
若い人たちのあいだでも
出てくるかもしれませんけれども、
それには二重性がある、
それは〈アジア的〉心性かもしれないと
疑ったほうがいいと思います。
個々の人間の意識の働かせ方のなかに、
やはり〈アジア的〉な村落共同体的な要素は残っています。
それはどのようにしたらいいほうに働くのか、
どうしたらよくないように働くのか、
どうしたら自然に亡びてしまうものなのか。
それを考えることが僕らに課せられているのです。
[A052]FreeArchive
ホーフマンスタールの視線
講演日時:1979年11月15日
主催:京都精華短期大学 学生部
場所:京都精華短期大学
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第16巻』(2006年)
ホーフマンスタールの考え方は、
日本の浪漫的な考え方の詩人、
文学者たちがよく受け入れた考え方です。
無意識のうちに受け入れ、
そして無意識のうちに実現していた考え方です。
堀辰雄でも立原道造でも、また芥川龍之介でも、
文学が文学である本質的なものが含まれているとすれば、
それはたぶんホーフマンスタールが
〈深淵〉としてとらえた、意識のある空白性の状態を、
作品のなかに形象化できていることだと思います。
ホーフマンスタールが〈深淵〉という概念でいうのは、
一種の歴史概念に近いものです。
歴史概念であり、神話概念であり、
同時に神話概念のいわば否定の瞬間になっているものです。
あるいはそれが無化される瞬間、
あるいは伝統性というものが無化される瞬間としての
意識の空白、それを〈深淵〉と
ホーフマンスタールは名づけていると理解されます。
このことはホーフマンスタールの
浪漫的な概念のうちで重要な問題です。
1980〜
[A053]FreeArchive
過去の詩・現在の詩
講演日時:1980年2月6日
主催:詩誌「無限」事業部
場所:明治神宮外苑絵画館文化教室
収載書誌:未発表
現在の詩のあり方ということと同じ意味あいで、
過去の詩のあり方を問い直そうとするならば、
その再現はたいへん複雑な陰影の立て方を
しないとできません。
ある詩が日付として新しいか、
同時代であるかということは、
詩の新しさ、古さと少しも
関係のないことだといえると思います。
同じ時代に書かれていたとしても、
片方がまるで古代的な形式の様相を
たくさん保存して書かれていながら、
もう一方でまったく
フォルム自体がわからない詩が書かれているということも
ありえるわけです。
これらを等しく、過去の同時代の詩と
理解しなければいけないということの複雑さ??
詩の言葉の空間の複雑さ??がありえるとともに、
日付としては現在の詩が、現在の詩として考えたら
考え違いをしてしまうということが
ありえるのだということも、
かなり複雑な陰影を過去の詩と現在の詩のなかに
提起すると思います。
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親鸞の教理について
講演日時:1980年5月24日
主催:上智大学東洋宗教研究所/上智大学キリスト教文化研究所
場所:上智大学 521番教室
収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART1』(2004年)
もし、知識を〈本当の知識〉として
獲得できるとすれば、
知識を獲得することが同時に
反知識、非知識、あるいは不知識というものを
包括していくことなんです。
知識を〈往きの姿〉でとらえれば、
学問のない人が修行をして知識を
獲得していく過程になります。
往きの過程にある限り、人間の〈本当の知識〉が
獲得されることはない。
知識に対して〈還りの姿〉になっていったときにはじめて、
知識が獲得されたということになります。
それは、知識を獲得すればするほど
知識でないものを包括していくということです。
包括できなければならないということです。
この〈往きの姿〉と〈還りの姿〉というものの
考え方を通して、親鸞はわれわれの思惟のしかたのなかに
普遍的にある問題を提出しているということが
いえるのです。
[A055]FreeArchive
「生きること」について
講演日:1980年6月21日
主催:近代文学研究会(雑誌「城」の研究会) 後援・角川書店,佐賀新聞社,佐賀県立図書館
場所:佐賀市民会館
収載書誌:春秋社『新・死の位相学』(1997年)、中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年)
「生きていくこと」は、
一般に片道切符だと考えられています。
つまり、15歳の者が5歳になることはできないし、
60歳の者が40歳に戻ることはできないと理解しています。
この理解に対して、もし60歳の人が40歳のことを、
あるいは15歳のことをよく知りたくて
振り返りたい場合には、ふたつの方法があります。
記憶の思い出に頼るというのがひとつ、
それからもうひとつは、
人類の歴史的な遺産としてある記述、
つまり文学や芸術の助けを借りて、
60歳の人間が20歳の人間を理解するとか、あるいは、
20歳の自分というものを
内在的に理解する助けとする方法です。
しかし、もうひとつの方法が考えられるとすれば、
それは「死」というものから逆に
「生」の姿を照らし出し、そして透視することです。
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文学の原型について
講演日時:1980年8月15日
主催:高知県教育委員会/高知新聞社/高知放送 後援・NHK高知放送局/高知県教職員組合/高知県文教協会
場所:高知市立中央公民館
収載書誌:未発表
文学の原型、あるいは物語のはじめは、
人間の生死と関わりがあります。
人間の生と死についての考え方が
どうなっているかということと、
物語あるいは文学の原型がどうなっているかということとは
パラレルな関係にあるということです。
人間が生きて、死んでいく、そして
死んだあとにどうなるんだという考え方のなかに、
物語あるいは文学を成立せしめている基本的な構造が
あると思います。
現代の文学でそういうことを
典型的に見ることのできる作家は、たとえば堀辰雄です。
堀辰雄の死についての考え方は、ハイデッガー的でもなく、
サルトル的でもなく、単独に、
文学作品の構造と死に対する考え方の構造を
追い詰めています。
[A057]FreeArchive
戦後文学の発生
講演日時:1980年11月29日
主催:宮城学院女子大学 日本文学会
場所:宮城学院女子大学
収載書誌:未発表
〈発生〉というのは非常に不安定な状態です。
いつ消えてしまうかもわからない不安定な状態ですが、
同時に何とでも結びつくことができる活性力を持っている。
何かと強力に結びついて持続するかもしれないけれども、
結びつくものがなければ
そのまま消えてしまうかもしれない。
不安定さと活性を持った〈発生〉の状態の戦後文学のなかに
何があったのか。
何かに結びついていまも持続している要素は何か。
もはや跡形もなく消えてしまった要素は何か。
敗戦を迎えた1945年の8月から、
ほんの数年のあいだに出てきた
日本文学の作品のさまざまな要素を
〈発生〉ということで取り上げれば、
大きく分けてふたつのことを
象徴させることができると思います。
[A058]FreeArchive
ドストエフスキーのアジア
講演日:1981年2月7日
主催:ロシア手帖の会 協賛・新潮社
場所:渋谷・東京山手教会
収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
ドストエフスキー的な主人公である
『白痴』のムイシュキン公爵のような性格は、
一見すると現代的です。
そしてこれを現代的と解する限り、
病的あるいは異常という類型にあたります。
病的、異常であるがゆえに、
自分の振る舞いや自分の招き寄せてしまう悲劇に
無意識なのだと解されるのです。
けれどそう解したとき、
なぜかドストエフスキーが
これらの主人公たちに抱いている親愛感や、
それに応えるような主人公たちの
何ともいえない規模の大きさのようなものが、
見落とされてしまうような差異感を覚えます。
僕たちはどうしても、
ドストエフスキーが自分の作品世界に、
眼に見えないロシアのアジア古代的な感性や
思想性の枠組みを施しているという
仮定に導かれるのです。
[A059]FreeArchive
現代文学の条件
講演日時:1981年7月3日
主催:梅光女学院大学
場所:梅光女学院大学
収載書誌:未発表
現代文学が強いているのは、
「物語性の喪失」ということです。
作品の緊張度を保とうとすると、
物語というものを喪失せざるをえないというジレンマが、
現代文学が当面している大きな条件でもあります。
そういう条件のなかで、
若い作家が無意識のうちにとっている
ひとつの解決のしかたがあります。
それはイメージの氾濫ということです。
そのイメージには意味をつけようがなく、
泡のようにはかないもので、
ただイメージだけが氾濫しています。
しかし現在の若い作家は、そのことによって
現在の文学が当面している大きなジレンマを
無意識に解こうとしているように思われるのです。
[A060]FreeArchive
〈アジア的〉ということ ─ そして日本
講演日時:1981年7月4日
主催:北九州市小倉・金榮堂
場所:北九州市小倉・NRCCホール
収載書誌:弓立社『document吉本隆明』1号(2001年)
現在、なぜ〈アジア的〉ということが
ことさら問題でありうるのでしょうか。
現在の世界を把握していく場合、
何がかつての時代と違うかを考えてみると、
ふたつのことがあると思います。
ひとつは、欧米の高度な資本主義社会の文明が、
どこへどう行きつつあるのか、
はっきりとつかまなくては、ということがあります。
もうひとつは、かつては〈西欧的〉ということが
世界を考えたと同じだといえたのですが、
現在、世界が高度になってきますと、
世界の最先端をきっている
高度な資本主義社会の文明だけを考えれば
世界を考えたというふうにいかなくなりました。
世界という水平線上に、アジアも、アフリカも、
それから未開あるいは原始にある地域の問題も
並んできたのです。
世界史的な意味で〈アジア的なもの〉を把握することが、
はじめて世界水平線上にあらわれてきた大きな問題です。
[A061]FreeArchive
僧としての良寛
講演日時:1981年7月4日
主催:北九州市小倉・金榮堂
場所:北九州市小倉・NRCCホール
収載書誌:弓立社『document吉本隆明』1号(2001年)
「僧侶とは何か」を考えていく場合、
いちばん根本的なことがあります。僧侶というのは、
「頭を丸めて何した」ということではありません。
仏教の思想も含めて、東洋における思想が生み出された
当初の社会の状態に返したところで
「僧侶とは何か」を考えなくてはいけないのです。
数千年前に生み出されたアジア的な社会では、
農業が根本でした。
農業を営む村落共同体に対して、
僧侶が自分をどういうふうに位置づけているか
ということが、非常に重要なことです。
そこで良寛がどういうふうに
僧侶として振る舞っているか、
あるいは良寛の思想が僧侶というものを
どう位置づけているかということが、根本的な問題です。
良寛の表現したもの、振る舞いを
そういうところから考えてみますと、
それはいかようにも考えることができます。
[A062]FreeArchive
日本資本主義のすがた
講演日時:1981年11月7日
主催:自治労山口県職員労働組合下関支部
場所:下関市水産会館
収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
私たちは日頃、冷え込んだ不況を感じています。
物価高とか不況とか、給料や収益が思ったほどあがらない。
それはいったいどういうことで
そうなっているのかということは、
ひしひしと感じることのひとつだと思います。
日々あくせくと時間に終われ、
焦燥感とか不安感みたいなものが残っていく感じが
私たちの内部にあります。
この焦燥感・不安感は
いったいどこからくるんだろうかということが、
切実な疑問のように感じられるわけです。
その疑問の根底にあるものは何なのかを
基礎づけることができるかどうか、
そんな実感にできるだけ近づけるかどうかが、
この種の社会や国家の構造論の課題の本命だと思います。
[A063]FreeArchive
物語の現象論
講演日時:1981年11月21日
主催:早稲田大学文学部 文芸専攻
場所:早稲田大学文学部 453教室
収載書誌:未発表
現在、イメージの生活世界が膨大になってきています。
私たちは、実質的な生活世界からイメージの世界へ行き、
またそこから降りてきて眠るということを
絶えずやらなくてはいけなくなっています。
どうしてもそこを通過していかなくてはいけない
必然の通路みたいに、イメージの世界は存在しています。
そういう世界を膨らませているのが、
物質的な価値にイメージの価値をつけ加えたい、
イメージの価値で競争したいという衝動であることは
非常に明瞭です。
文学作品が、価値のある世界を実現したいと考えるならば、
「イメージの世界の厚みをくぐり抜けてその果てに出る」
ということがどうしても必須条件になります。
それが、文学にとっての本質的な衝動です。
どうやってそれが実現可能なのかということが、
批評にとっても創造にとっても
最後に出てくる問題だと思います。
[A064]FreeArchive
文学の新しさ
演日時:1982年1月21日
主催:京都精華大学 学生部
場所:京都精華大学
収載書誌:未発表
現在の文学や芸術、芸能では、
実際の現実的な価値、物質的な価値に対して、
イメージの価値が大なり小なり付加されていて、
その全体を指してある価値様式を考えているというのが、
われわれがおかれている環境です。
このイメージの世界が大規模になると考えると、
誰にとっても管理されている時間帯は
増えていくだろうということが、
現在の「新しさ」の根底にある問題だと思います。
その問題をどう考えるかが、
現在の文学の根底にある問題だと思います。
[A065]FreeArchive
若い現代詩ーー詩の現在と喩法
講演日時:1982年9月26日
主催:思潮社
場所:渋谷・西武劇場
収載書誌:思潮社『戦後詩史論』(2005年)
現在書かれているさまざまな詩を
〈現在〉ということに集約したらどういう問題がでるか。
現代詩という定義とも、現代詩の歴史とも関係がない
「現代詩」がはたしてありうるのかを考えてみますと、
ありうる可能性が
どこかに出てきたんじゃないのかという考え方を
僕は持つようになりました。
そういう道をつけた詩人のひとつに、
「中島みゆきから谷川俊太郎へ」
という鉱脈を考えてみたいんです。
「中島みゆきから谷川俊太郎へ」
という通路を考えることができるということが、
〈若い現代詩〉が直面している大きな特徴のように
思えるんです。
[A066]FreeArchive
ポーランド問題とは何か
講演日:1982年11月5日
主催:岩手大学新聞社
場所:岩手大学人文社会科学部4号館41大教室
収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
国家が社会に対して100%関与している、
ソ連とかポーランドみたいな社会主義「国」もありますし、
アメリカとかヨーロッパのように、
だいたい40%から50%近くまで
関与するところまでいっている
先進資本主義「国」というのもあります。
日本の場合はどうでしょうか。
正確にはわかりませんが、だいたい30%を
前後するのではないかと思います。
しかし、イメージとしていわせれば、
日本の国家と社会との関係も、
国家の関与率というようなものは、
だいたい40%、つまりアメリカとかヨーロッパとかに
近づいていくだろうと考えられます。
[A067]FreeArchive
個の想像力と世界への架橋
講演日時:1982年11月13日
主催:現代短歌シンポジウム実行委員会
場所:千代田区一ツ橋・一橋講堂
収載書誌:雁書館『'82現代短歌シンポジウムin東京・全記録』(1983年)
高橋源一郎さんの『さようなら、ギャングたち』という
作品が問題にしていることは、
現在の詩歌が当面している問題そのものであるといえます。
この作品では、ラディカルな詩の概念というものが、
伝統的な言葉の様式からは出てこないで、
何もかもむなしくされてしまい、
現在の原初的な刺激を
無意識の底から受け入れたときに生まれる言葉から
出てくるかもしれないという考え方が
成り立っているのです。
現在、詩的な表出のすべてが
直面している物語性の解体というところで、
短歌の領域でも同じような問題が
本格的に出てきているんじゃないかと
思われてならないのです。
[A068]FreeArchive
〈若い現代詩〉について
講演日時:1982年12月8日
主催:詩誌「無限」事業部
場所:明治神宮外苑絵画館文化教室
収載書誌:未発表
街頭で瞬間的に飛び交っていく言葉には、
話し言葉という意味あいと、もうひとつ
「発声状態の言葉」という意味あいがあるような
気がします。
取り交わされた瞬間にとらえられた
「発声状態の言葉」という意味あいで、
街頭で飛び交う言葉を瞬間的にとらえることができれば、
それはそうとうラディカルな言葉になるのではないかと
思います。
このラディカルな状態の言葉をとらえるということは、
現在の詩が当面している
とても大きな問題のように思えます。
そのことは、街頭で取り交わされている言葉を、
高度な詩にまで適用できる通路ができてきたということの
証拠なのではないかという気がします。
[A069]FreeArchive
共同幻想とジェンダー
講演日時:1983年2月12日
主催:フォーラム・人類の希望/新評論
場所:四谷公会堂
収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
19世紀以降、資本主義社会の興隆期に入ってから、
なぜ男女の特性が生産労働過程で無視できると
考えられたのでしょうか。
マルクスの考え方は、労働時間の問題が重要なので、
どういう生産物をつくったか、
どういう質の労働を加えたかという差異は、
あったとしても大したことではないというものです。
イリイチの考え方からいうと、
こんな状態を許しておいたからこそ、
男女の賃金格差は拡がり、
女性は影の仕事に追い込まれるという事態が
生じてしまったことになります。
資本主義の一種の停滞成長期である現在、
どうして改めて生産労働過程における性という問題が
とりあげられなければならないのか??それが
イバン・イリイチという思想家の
根本的な問題意識だと思います。
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『源氏物語』と現代ーー作者の無意識
講演日:1983年3月5日
主催:山梨県石和町教育委員会
場所:石和町中央公民館
収載書:思潮社『白熱化した言葉』(1986年)
『源氏物語』の作者の無意識までも
こちらに移ってくるように、微細な部分まで
作品を読むことができるようになったときにはじめて
『源氏物語』を現代風に読むことができた
ということになります。
本来的には原文を抜きにして
そういう微妙さが伝わる読み方が
できるわけはないといういい方もできそうですけれども、
僕の考え方では、現代語訳でも十分です。
作者と語り手と、登場人物の言動とは
みなそれぞれ違うものなんですよという区別をしたうえで
作品を読まれることによって、
『源氏物語』の現代的な読み方の基本点を
つかまえることができると思います。
[A071]FreeArchive
小林秀雄と古典
講演日:1983年5月26日
主催:神奈川県高等学校教科研究会国語部会
場所:神奈川県政総合センター
収載書誌:中公文庫『語りの海2 古典とはなにか』(1995年)、弓立社『超西欧的まで』(1987年)
僕らが小林秀雄にかすかに違和感を感じたのは、
敗戦の後でありました。
戦後、こちらは急に戦争から放り出されて、
どうしたらいいかわからないし、また、
どんな思想を真と認めればいいのかわからないで、
たいへん落ち込んだ時期がありました。
そういうときに、小林秀雄が
何か発言をしてくれたらいいな、
そうしたらそこから何か得られるのにという感じで、
ずいぶん待っていたわけですけれども、
小林秀雄は戦争から放り出された青年の心のなかに
もぐりこんでくる発言をしてくれなかった
というように思います。
それでもう、自分でもって自分の落ち込んだところは
つかんでいく以外ないと思いつめて、
そのあたりから自分は違う道を行っているんだな
という感じ方をとったのを覚えています。
[A072]FreeArchive
親鸞の転換
講演日時:1983年8月21日
主催:鹿児島県出水市泉城山・西照寺
場所:鹿児島県出水市泉城山・西照寺
収載書誌:春秋社『未来の親鸞』
(1990年)
親鸞がたどった変容の過程は、中世の仏教、
あるいは現在の仏教の常識からいっても、
僧侶の概念から外れていくことでした。
修行を積むこともお経を読むこともぜんぶやめてしまい、
ただ名号を称えることだけが残ります。
「魚や肉を食っちゃいけない」とか
「女人と交わってはいけない」という戒律も
いっさいやめてしまいます。
外側から見たら堕落してだめな坊さんになったとしか
見えないはずです。
しかしいちばん大切なことは、
見かけ上の坊さんとしてだめになっていく、
そんな転換のなかに、精神の問題からも
仏教そのものの教えからも
重要な転換が含まれていたことです。
その転換は外側からは決して見えません。
本当に堕落した坊さんになってゆき、
坊さんとしての資格もないというかたちに
親鸞は自分自身を引っぱっていくわけです。
[A073]FreeArchive
宮沢賢治の陰ーー倫理の中性点
講演日時:1983年10月23日
主催:吉本隆明文芸講演実行委員会
場所:盛岡市福祉総合センター
収載書誌:思潮社『白熱化した言葉』(1986年)
宮沢賢治の作品は、
詩の作品のなかにも童話の作品のなかにも、
至るところに「陰の言葉」というものが
挟まれていることがあります。
それは小括弧やふつうの鍵括弧でくくられていたり、
二重の小括弧にくくられていることもあります。
宮沢賢治にとって最後の問題というのは、
この「陰の言葉」が
どういう運命をたどったかということがひとつあり、
もうひとつは
宮沢賢治の倫理の世界がどういうふうに展開され、
意味づけられるべきものなのだろうか、ということです。
[A074]FreeArchive
宮沢賢治の幼児性と大人性
講演日時:1983年10月26日
主催:詩誌「無限」事業部
場所:明治神宮外苑絵画館文化教室
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第8巻』(2004年)
宮沢賢治の詩は、
自然の景観や自然現象とのさまざまな交感を、
「語りの言葉」で語っていきます。
しかしその途中で、突然違う位相からの言葉が
括弧のなかに入ってきます。
そうかと思うとまた違う言葉が
二重括弧になって入ってきます。
こうした言葉を「否定性の言葉」として考えてみると、
それは童話作品のなかでは
キーワードとして出てきていることがわかります。
宮沢賢治という人の世界には、
幼児性を象徴するキーワードが一方にあり、
もう一方には得体のしれない
混濁した大人の独語としてしか存在できない
言葉があります。
そのような幼児性と、得体のしれない大人性という
両者の差異が、終始一貫宮沢賢治を葛藤せしめた
根本にあることではないかと思われるのです。
[A075]FreeArchive
漱石をめぐってーー白熱化した自己
講演日時:1983年11月12日
主催:日本近代文学会
場所:武蔵大学
収載書誌:思潮社『白熱化した言葉』(1986年)
漱石の作品でいちばん魅力的なのは、
作品の登場人物を自分なりに設定しながら、
ある個所に来ると作者自身が作品のなかに乗り出して
登場人物に感情移入して白熱するところだと思います。
そこでは作品の登場人物と作者が融合してしまい、
その個所が作品でいちばん白熱してしまうのです。
もちろん物語ですから巧みに設定されておりますが、
主人物には作家・漱石のもっと根底にある、
人間・漱石みたいなものの自己移入が
必ずあるように思います。
そこのところが漱石文学の
いちばんの魅力であると思います。
[A076]FreeArchive
小林秀雄を読むーー自意識の過剰
講演日時:1984年3月16日
主催:寺小屋教室
場所:新宿・紀伊國屋ホール
収載書誌:思潮社『白熱化した言葉』(1986年)
小林秀雄はわが国の近代批評の祖のような批評家です。
小林秀雄が文学批評のなかに「自意識」という起源を
定めたとき、はじめて日本の近代批評が
はじまったといえます。
それ以前の批評では、
「他者を批評することは自分を批評することと同じだ」
という意味で成り立っている批評文は
存在しなかったといっていいくらいです。
この人を無視して日本の近代批評は語れないわけです。
僕らも繰り返しそこに立ち戻っていかなければ
いけませんし、みなさんも文学批評というものに
関心を持たれたなら、
この人のものを読めばあとは要らないというほど
重要だと思います。
a href="http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a077.html">[A077]FreeArchive
隠遁者としての良寛
講演日時:1984年4月1日
主催:雑誌「修羅」同人
場所:新潟県三島郡出雲崎町・光照寺
収載書誌:春秋社『良寛』(2004年)
〈隠遁者としての良寛〉ということは、
僕がいちばんむずかしいと思って
残してきたイメージです。
〈隠遁〉ということは、良寛という名前に
最初につきまとうイメージだと思うけれども、
僕にとっては逆なんです。
詩でいいますと山川草木、花鳥風月に託して
自分の内面性を述べた詩、
そういう詩に託された良寛というのが
〈隠遁者としての良寛〉ということです。
その内面性に入り込む糸口を
どこに持っていったらいいのかということを、
考えてはやめ、考えてはやめてきました。
この、いちばんむずかしい良寛の詩というものを
つかまえるには、「自然」というのが
隠遁者としての良寛の大きな枠組みを決めている、
と考えればいちばんいいのではないかと思います。
[A078]FreeArchive
親鸞の声について
講演日時:1984年6月17日
主催:武蔵野女子学院
場所:武蔵野女子学院・紅雲台大広間
収載書誌:春秋社『未来の親鸞』
(1990年)
親鸞の声はこういう声だったといって、
音声を再現しようということではないのです。
親鸞の語った言葉が、仏教で考えられている「声」として、
どんな意味を持っていたのだろうか、
できるだけお話ししてみたいのです。
東洋の思想とか宗教の最後の到達点は、どうも、
自然に対してどこまで近寄ることができるか、
あるいは心を研ぎ澄ましたとき、
「自然の声」や自然がしゃべっている言葉が
どこまで聞き取れるかが、
どこまで修行を積んだかの大きな眼目に
なっていると思われます。
これに対して、親鸞の声はどういう
「声」なんでしょうか。
根本的にいいますと、親鸞という人は、
「天地自然の声」を聞き、
そしてそのなかに心を同化させることができるようになる
ことが修行の眼目だという考え方を、
否定してしまったと思います。
[A079]FreeArchive
漱石のなかの良寛
講演日時:1984年9月13日
主催:本郷青色申告会/本郷青色大学
場所:本郷青色申告会館
収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
明治以降の文学者のなかで、
漱石のように〈坐る〉ということ、〈禅〉ということ、
もっと広くいえば仏教の修練ということに関心を持った
文学者は少ないように思います。
ましてそれを作品に結晶させた文学者は稀で、
漱石はたいへんめずらしい作家といえるでしょう。
漱石は、修善寺で胃病にかかり
吐血して生死の境をさまよって以降、
「則天去私」という境地に入ったとされます。
この境地は、禅宗の坊さんがいう
悟りの境地ではありません。
でも禅家がいう悟りの境地が、
本当の意味があるかどうかは
いろいろ疑問のあるところです。
漱石のように、悟りの境地に関心がありながら
その「門」のなかには入れなかった、
かといってその「門」を立ち去ることもできなかった??
そんな心のあり方が本当の〈悟り〉に
近かったのかもしれないのです。
そこが漱石がたどりついた〈坐〉の境地を
あらわしています。
、[A080]FreeArchive
経済の記述と立場ーースミス・リカード・マルクス
講演日時:1984年11月2日
主催:日本大学三崎祭実行委員会
場所:日本大学経済学部7F大講堂
収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
現在の経済学的な範疇、あるいは概念は、
たぶん〈物語〉も〈ドラマ〉も
なくなっているんじゃないかと思われます。
そこではさまざまな考え方がありうるわけですが、
かつてスミスが自然の〈歌〉から緻密に経済学的な範疇、
あるいは概念をつくりあげていったというような
過程を見ることができません。
そういう過程にある、強固さとか、
道具を積み重ねる厳密さとかは
まずまず見ることができないのです。
いまはどうなっているのか、いまをどうするのかとか、
いまの状態から
経済学的な範疇をつくるとすればどうなるか、
という問題だけではじまりそして終わるほか
ないんだということです。
そこでは、どんな〈物語〉も〈ドラマ〉も、
もうつくることができません。
そこに、現在の経済学的な考え方が
ぶつかっていると思います。
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古い日本語のむずかしさ
講演日:1984年12月1日
主催:千駄ヶ谷日本語教育研究所
場所:千駄ヶ谷日本語教育研究所
収載書誌:未発表
古い日本語についての理解というのは
どこから攻めていっていいかよくわからないんですが、
近世以降の国文学者はどうやってきたかというと、
経験的にたくさんの古典を読みたくさんの方言を聞き、
当てずっぽうでそれらを取りさばいてきたのです。
現在でもほとんど変わらないんですが、
もとをただせばぜんぶ当てずっぽうだというところから
きているともいえます。
そういうふうにしながら、わかったもの、
わからないものというところに到達していて、
まだとうていわからない言葉、
わからない問題がたくさん出てきます。
そのわからなさと日本語の系統のわからなさ、
日本語というのはどこから来たのか、
どういうふうにできたのかが
いまだにわからないということとは
関係があることであって、
それがどういうふうにできて、
どういう言葉なんだというところへ
手探りでもなんでもどんどんさかのぼっていかなくては
いけない、というようなことがあります。
[A082]FreeArchive
「現在」ということ
講演日:1985年3月30日
主催:山梨県石和町教育委員会
場所:石和町中央公民館
収載書誌:思潮社「現代詩手帖 7月号」(1985年)
テレビにおける萩本欽一みたいな
偉大なタレントがもうくたびれちゃったから
番組をちょっと降りさせて休ませてもらうよっていったり、
五木寛之がかつて少し小説を書かないで
休んでいたいよっていったりしましたが、
これは彼らが芸術や文学として
絶えず新しさを求めて競争をする世界で
活動をしてきたからだと思います。
絶えず新しさを生み出すという衝動を何年も続けてきて、
やっぱりくたびれたというところにきたということだと
思います。「
もう降りる以外に自分は存立できない」という危機感を
覚えたときに、偉大なる萩本さんは
番組からちょっと降りて考えたいとか、
休みたいと考えるわけです。
「どうやって登るのか」が問題になる芸能家、
芸術家がいるのと同じように、そこでは
「どうやって降りるか」という、贅沢な悩みですけど、
それはそうとうきわどい悩みなんです。
それは「現在」というものの本質につながる悩みです。
あまり関係のないタレントの問題だよ、
というふうに思わないほうがよろしいと思います。
[A083]FreeArchive
マス・イメージをめぐって
講演日時:1985年7月1日
主催:前橋市・煥乎堂
場所:前橋市民文化会館 小ホール
収載書誌:未発表
黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』と
マルクスの『資本論』を、
片方の場合に程度を下げるのではなく、
同じ言葉で論ずるということは、
カルチャーとサブカルチャーの違いが
あまり明瞭でなくなった現在に対する批評のあり方として、
きわめて重要なことではないかと思います。
批評というものが
作品の本質をいい当てるということならば、
CMや漫画といった
サブカルチャーにこだわっていかざるをえないという
問題が、どうしてもあると僕は考えます。
こういうものを、純文学でもないし
純芸術でもないということで排除しておいたら、
批評という概念が成り立つかどうか、
僕は疑問とするわけです。
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アジア的と西欧的
講演日時:1985年7月10日
主催:リブロ 西武池袋本店
場所:西武百貨店 池袋店 スタジオ200
収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
日本は現在、西欧型の先進的社会に突入しています。
ただ、複雑なことは、〈アジア的〉という概念が
一枚加わらないと、日本社会の完全なイメージが
描けないということです。
日本の現在の社会のなかに〈アジア的〉意識が
どんなふうに〈手段〉の分野で存在しているか、
どういうふうに産業・芸術・文学の分野で
存在しているかという問題が残されているのです。
日本の社会は、西欧における
「西欧的思考の解体作業」にも参加せざるをえないし、
ある場合にはそれを推進せざるをえないというところに
おかれています。しかし同時に
〈アジア的〉意識というもののあり方を、
二重性として勘定に入れなければなりません。
こんなことは西欧社会では不要なことでしょうし、
西欧社会が日本の社会を見る場合に
誤解しているところかもしれません。
また、そこに、日本の社会が西欧の社会にとって、
大きな意味をもって浮かび上がってくるように
見える理由があるのかもしれません。
[A085]FreeArchiv
文芸雑感
講演日時:1985年9月7日
主催:梅光女学院大学
場所:梅光女学院大学
収載書誌:未発表
僕は、『言語にとって美とはなにか』で、
文学作品を言語の表現として見た場合に、
どういう問題があるかという文章を書いたことがあります。
それは「言語表現としての文学」という観点で
文学の作品を理論化していったということだと思います。
僕がいましたいことは、
「イメージの美としての文学とはなにか」ということです。
イメージの普遍的な理論のなかに、
文学作品についての評価の仕方も含めてしまいたい。
それが文芸批評の当面しているひとつの
課題であると思います。
[A086]FreeArchive
資本主義はどこまでいったかーー経済現象から見た現在
講演日時:1985年9月8日
主催:北九州市小倉・金榮堂
場所:北九州市立商工貿易会館2階ホール
収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年)
現在の日本の資本主義に先進的な資本主義を
象徴させるとすれば、
たいへんな構造変化を体験しつつあることは
確からしく思われます。
マルクスがいったように、水車や風車が封建時代を象徴し、
蒸気機関が資本主義時代を象徴するものだとすれば、
電子情報産業時代は、実体は
未知な超資本主義を象徴しつつあるということは
確かだと思います。
そういうところに日本も含めて
先進的な資本主義がだんだん入りつつあると
いえそうな気がします。
その具体的なあり方が、経済現象としては
いまの情報化産業あるいは
技術革新というようなものを中心とした
産業構造の変化の仕方に帰着するだろうと思われます。
[A087]FreeArchive
心的現象論をめぐって
講演日:1985年10月18日
主催:紀伊國屋書店
場所:新宿・紀伊國屋ホール
収載書誌:弓立社『心とは何か』(2001年)
あるとき、未知の読者だという人から電話がかかってきて、
「自分は1ヵ月ぐらい前に交通事故で
手をひじの下から落としてしまった。
しかし落としてしまったそのこと自体がよくわからない」
というのです。
「それを教えてくれないか」という電話を
いただいたことがありました。
「いやおれもわからない」と答えました。
だけどその人がわからないという意味は
とても深刻なように聞こえました。
つまり、手を交通事故で偶然落としちゃったということを、
以降1か月ぐらいたっているけれども、
そのこと自体がどうしても自分でのみ込めない。
そののみ込めないということが、
かなり深刻な意味で問われていました。
僕はまったくそれに対して答えることができませんでした。
これは少しこの問題をやってみよう、と思いました。
[A088]FreeArchive
都市を語る
講演日時:1985年10月22日
主催:慶應義塾大学 学生部
場所:慶應義塾大学 日吉キャンパス 33番教室
収載書誌:弓立社『像としての都市』(1989年)
東京は現代的な都市のなかで
もっとも複雑でもっとも興味深く、
もっとも無秩序な町だと思います。
この都市がどこに行くのかを追求していくことは、
単に都市がどうなるのかということだけでなく、
日本の社会あるいは日本の社会を典型とする
高度な資本主義社会というものが
こへ行くのかを追求することになると思います。
そして、東京は高度な資本主義社会にも関わらず、
成り立ちからいうと東洋的な都市の起源を
含んでいるわけですから、
これがどこへ行ってしまうのかを示唆するという意味でも、
とても重要な問題のような気がします。
[A089]FreeArchive
鴎外と漱石の見た東京
講演日時:1986年1月31日
主催:東京都文化振興会
場所:安田生命ホール
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年)
鴎外の文学作品における東京への関心は、
「紅灯の巷」的なものへの関心です。
そうした情緒へのエロス的な傾斜と、
軍医総監あるいは衛生学の専門家としての
近代都市東京に対する見識が
総合的に統一されたということは、
鴎外のなかでなかったと思います。
衛生学による都市論と、彼の小説に現れた東京には
一種の空隙があります。
漱石のなかにも、文明苦としての東京というものと、
自然としての東京というものとのあいだに、
やはり空隙があるということができると思います。
漱石がそれを何で埋めたのかはよくわかりません。
たぶんそこの空隙を埋めたいというモチーフを
最後まで持ち続けながら、
しかしそれを埋めることができないで、
『明暗』という作品を書いている途中で
死んだというのが漱石の文学的生涯だと思われます。
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「受け身」の精神病理について
講演日:1986年4月12日
主催:宮崎市・一ツ瀬病院・精神医療を考える会
場所:宮崎市中央公民館
収載書誌:弓立社『心とは何か』(2001年)
精神医学についてはまったく門外漢です。
ただ素人というだけで済ましておられないのは、
ここ20年ぐらいのあいだ、
やはり「この人は少し違うんじゃないか」という人から
電話がかかってきたりということは
絶えず3人とか4人とかおられました??
電話を介したりして受けた印象を、
ひとつの言葉で要約してしまいますと、
どうしても「受け身」じゃないのかということでした。
「受け身」ということを、もう少しつけ加えると、
善意であり過ぎるとか、優し過ぎるとか、
度外れに依頼心が強いんじゃないかとか、いずれにせよ
「受け身」ということのなかに
さまざまな属性としてあるもののように思えました。
僕が20年ぐらいつきあってる人で、
攻撃的な人はひとりだけで、
「おまえぶっ殺すぞ」などと、
しょっちゅういう人がいるんですが、
そういっても本当はどうもそうじゃないんじゃないか、
やっぱり「受け身」なんじゃないか、
いい人過ぎるんじゃないかという感じを受けるのです。
a href="http://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/sound-a091.html">[A091]FreeArchive
「かっこいい」ということーー岡田有希子の死をめぐって
講演日時:1986年5月4日
主催:マガジンハウス
場所:新宿・紀伊國屋ホール
収載書誌:弓立社『サクリファイス』(白倉由美著:1989年)
「かっこいい」という言葉が
普遍性を持つようになったのは、
たかだか10年ぐらいのことだろうと思います。
なぜ「かっこいいか悪いか」という評価の基準が
発生したかというと、
僕の考えでは「離脱」ということが
現代の大きな問題になってきたからだと思います。
それまでは芸能人は芸能人の場所から、
主婦は主婦の場所からというように
それぞれの立場から社会現象を評価すれば
済んでいたわけですが、
現在はそれでは済まされなくなっています。
それぞれが役割を演じている閉じられた場所から、
本来的な場所を
探し求めなければならないという課題??つまり
「離脱」という課題が少なくともここ
10数年来出てきたということじゃないかと思います。
だから、「かっこよさ」には、
少なくともふたつの条件があると思います。
ひとつは、自分が役割として持っている
場所は危なっかしいものだぜ、ということを
とにかくまずわかるということです。
もうひとつは、本来的な場所を自分なりにつかむ
という課題を、自分が果たし続けることです。
[A092]FreeArchive
イメージ論
講演日:1986年5月29日
主催:京都精華大学学生部
場所:京都精華大学大教室
収載書誌:未発表
僕は、文学の理論的な考察として
『言語にとって美とはなにか』という仕事を
したことがあります。
言葉というものが基本にあって、
あらゆる芸術の分野の表現が
行われているという考え方をとると、
言葉は人間に付随したものだから
理論的な考察ができると考えてきました。
いま、少しその考え方を変えて、
音楽や映画、デザインから映像に至る
さまざまな分野の芸術表現のひとつとして、
文学を言葉の芸術ではなく
イメージの芸術として扱ったら
どうなるだろうかということを、やってみたいと思います。
[A093]FreeArchive
柳田国男の周辺ーー共同幻想の時間と空間
講演日:1986年6月8日
主催:吉本隆明を読む会
場所:盛岡市上田公民館
収載書誌:洋泉社『定本 柳田国男論』(1995年)
僕自身も柳田国男について
論じたりしてきましたけれども、
同時に柳田国男が『明治大正史』でやったように
現在のイメージをどうつくるのかということも
やってきました。
その場合、柳田国男の方法は
無意識に僕らのなかに入ってきていて、
それをもとにして自分の分析をやってきました。
柳田国男が『海上の道』などでたどった、
稲作が南島から日本の島に渡ってきたという考え方は、
実証史学でいえば危ういところがあるのかもしれません。
しかし柳田国男の方法的な優位は、
実証でくつがえしえるというものではありません。
柳田国男の地勢のイメージのつくり方、
過去のイメージのつくり方、
民衆のイメージのつくり方の根本的なところは、
共同幻想の過去・現在・未来を考えていくとき、
現在でも有効だと考えています。
[A094]FreeArchive
時代はどう変わろうとしているのか
講演日時:1986年7月12日
主催:群馬県庁労働組合
場所:群馬会館ホール
収載書誌:未発表
時計は「時を計る」という目的のためにありますが、
現在、1000円か1500円出せば
ひと月に何十秒の狂いしかないデジタル時計を
たやすく手に入れることができます。
「時を計る」という機能でいえば、
これ以上のものはいらないわけです。
これは、究極時計というものが
できてしまっているということだと僕は思います。
現在のいくつかの兆候をよく考えてみると、
「これはほとんど究極に近いんじゃないか」
というような商品とか分野とか発達度というものが
ポツポツと存在することがわかります。
これはとても重要なことだと僕には思われます。
もし機会がありましたら、
「このことは究極までいっているのかな」とか
「こうやったら究極になるんじゃないか」ということを、
ぜひ考えてご覧になるとよろしいと思います。
[A095]FreeArchive
日本人の死生観
講演日時:1986年11月16日
主催:日本看護境会 北海道支部北空知地区支部
場所:滝川市総合福祉センター
収載書誌:未発表
昔のご老人たちは、年老いて姥捨て山に捨てられるという
伝承もあるくらいだし、ぜんぶ他動的です。
歳をとると、自覚的でなく否応なしに
子どもの世話になっていってしまうということが
代々のしきたりで、
そこで悲劇が起こったりしてきたわけです。
現在、「子どもたちには世話になるまい」と思う人たちが
出てきたということは、
日本人が死の問題をちゃんと解決する基盤を
獲得してきたということを意味していると僕は考えます。
大昔からある懐かしい、古く美しいものが
消えていくことは残念ですが、
残念だというばかりではなくて、
一方では「死は自分の問題である」という
たくましい考え方の人たちがどんどん増えていることは、
希望なのだということができると思います。
[A096]FreeArchive
続・日本人の死生観
講演日時:1986年11月17日
主催:北海道滝川市 月曜談話会
場所:滝川市・ホテル三浦華園
収載書誌:未発表
「人間は必ず死ぬ」といういい方と、
「私は必ず死ぬ」といういい方とは、
同じように見えて違います。
「人間は死ぬ」ということは
大雑把にはいえそうに思えるけれども、
「私は死ぬ」ということは私にはよくわからないはずです。
そういうことに関連して僕はいま、
「死に瀕したときからはじまる文学」をやっています。
死に瀕した人が快復して治ったという
体験を集めてみたのです。
死に瀕して生き返った人の体験談には、
「お医者さんが人工呼吸をしてみたり、
看護婦さんが慌ただしく出入りしたり、
近親の人が悲しそうに叫んでいるとかいうのが
部屋の2メートルぐらいの高さのところから見えた」
ということがほとんど例外なしにあります。
それはいったい何なのだろうか、
という問題があるわけです。
[A097]FreeArchive
詩魂の起源
講演日時:1986年11月23日
主催:思潮社
場所:新宿・紀伊国屋ホール
収載書誌:思潮社『詩とはなにか──世界を凍らせる言葉』(2006年)
詩が発生するときにまでさかのぼった過去に、
詩はどう考えられていたかというと、
「魂の気配を察知すること」自体が詩であると
思われていました。
言葉に表現する以前の段階で、
ただ気配のようなものがあったとき、
それを察知できるということが
「詩の行為」だと考えられていたということです。
ここから始まって、言葉を使って
他人や対象に魂の在り処をつけてしまうことが、
言葉が介入した以後の詩の表現でした。
平安朝の末期頃まで、たとえば恋愛の場合には、
「相聞」というかたちで詩が存在したわけです。
相聞というのは言葉を使って、
相手に自分を無理矢理にでもくっつけてしまうことです。
ここらへんまでがたぶん、われわれの歴史のなかで、
仏教みたいなものが入る以前における、
詩的な行為の上限と下限だと考えられます。
[A098]FreeArchive
ぼくの見た東京
講演日時:1987年1月17日
主催:中央区立京橋図書館
場所:中央区役所 8階大会議室
収載書誌:弓立社『像としての都市』(1989年)
東京に住んでいる人が東京を見る見方というのは、
ひとりひとり違うと思います。
その人の住んでいる町ないし都会に対する見方を
決定するものは、ふたつあると思います。
ひとつは、幼児期あるいは少年期の町の体験です。
もうひとつは、青春期に入ってから体験した
他の町のことです。そのふたつのことが、
都市を見る見方を大きく決めるんじゃないかと思われます。
僕の場合それは、新佃島というところにいたことと、
青春期に東京を離れたという体験になります。
そうした体験から、ご承知の通り
子どものときとは比べものにならないくらい
大都市になった現在の東京を、
僕がどう見るかという見方の場所に
出て行きたいと思います。
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ハイ・イメージを語る
講演日時:1987年5月16日
主催:京都書院
場所:京都書院ヴァージョンB 4F ヴァージョンG
収載書誌:未発表
現在、僕がイメージについて考えていることが
ふたつあります。
ひとつは〈イメージの交換〉がたやすくなっている
ということです。
もうひとつは、〈限界というイメージ〉が
可能になってきたということです。
たとえば、空間がたくさん重なったところでは、
実際にはひとつの視野で
現実のビル街の光景を見ているのに、
現実のビル街を見ているのではなくて
イメージを見ているように錯覚されるところがあります。
それは、イメージと現実が転倒してしまうということです。
また、あそこは山だ、丘だ、あそこが限界だと思って
宅地開発していくと、限界が見えているのに、
近づいていくとまた遠のいていくということがあります。
どこに限界を定めていいのか
イメージが明瞭に浮かんでいながら、
いざそこへ近づくと限界は遠のいてしまう。
この問題は、制度の問題、産業の問題など
すべてを象徴するに足るふたつの流れだと思います。
[A100]FreeArchive
わが歴史論ーー柳田国男と日本人をめぐって
講演日時:1987年7月5日
主催:我孫子市教育委員会
場所:我孫子市民会館
収載書誌:JICC出版局『柳田国男論集成』(1990年)
柳田国男の民俗学は、稲を持ってきた人以前に
日本列島に住んで、山のなかで狩猟をしたり、
木こりをしたり、製鉄に携わったりしていた、
農業民以外の人たちに対する関心からはじまっています。
柳田国男の民俗学を突きつめていきますと、
一見まるで孤立した民族のように見える
アイヌの人たちが、祖先は縄文の人たちとして
一緒に含まれてくるわけです。
柳田国男は、アイヌの人たちの祖先が
日本の縄文時代の人たちの直系に近い残りだとは
あからさまにいっていませんが、
そう考えていたということはとてもよく理解できます。
僕らが柳田国男のいうところを推測して
普遍化していくと、
どうしてもそういうところに突き当たるような気がします。
[A101]FreeArchive
マス・イメージからハイ・イメージへ
講演日時:1987年7月16日
主催:河合塾
場所:河合塾 名駅キャンパス16号館
収載書誌:河合文化教育研究所『幻の王朝から現代都市へ──ハイ・イメージの横断』(1987年)
ランドサット映像のいいところは、
ひとつの地図というものが
さまざまな歴史的時間を包括することができる
ということです。
たとえば神話時代の視線は、
村落の外れにある低い山や丘の頂から村落を俯瞰する、
500?600メートルくらいの高さからの
視線であったことがわかります。
この視線は歴史が発展するとともに
高度を増して現在に至っています。
現在、イデアルにいえば、
無限遠の高さからの視線を考えることができるわけです。
ごくふつうの人たちが
無限遠の高さからの視線を獲得できたとき、
現在900?200キロメートルの視線を
独占するかどうかで争っている、
ふたつの世界権力の視線を超えたことを
象徴すると思います。
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都市論 Iーー都市問題から見た天皇制
講演日時:1987年9月12日
主催:中上健次/三上治/吉本隆明
場所:品川・寺田倉庫 T-33号館 4F
収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』(1988年)
民間の一資本が、皇族の土地を手に入れて、
とうとう天皇家の土地よりも
大きな土地所有者になったということは、
東洋的な君主という意味での天皇家の大きな柱を
すでに崩してしまったことを意味していると思います。
それは、歴史のある必然を象徴しているように思えて、
たいへん興味深いことだと考えます。
都市の収縮がこれから更に過剰になって、
ビル街が皇居周辺を囲んでしまったという場合を
想定しますと、皇居を売るときは
いつか来るじゃないかと思えてならないんです。
売っちゃって、京都御所なら京都御所に
引っ込もうと考えるときが、
ないとはいえないんじゃないかと思うのです。
僕の理解のしかたでは、それが、
都市問題から見た天皇制の問題です。
[A103]FreeArchive
文学論ーー文学はいま
講演日時:1987年9月12日
主催:中上健次/三上治/吉本隆明
場所:品川・寺田倉庫 T-33号館 4F
収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』1988年
もし現在の文学が、さびれている感じがしたり、
隣接するほかの世界に
活性が吸収されていってしまうと感じることが
あるとすれば、それは「毒性のなさ」が
大きな要素になるのではないかと思います。
「毒性」ということにはふたつの意味があります。
ひとつは、とても醒めていることです。
もうひとつは、否定性だと思います。
そうした意味でいえば、
村上龍さんの作品も山田詠美さんの作品も、
刺激的な毒性を持っているのです。
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都市論 IIーー日本人はどこから来たか
講演日:1987年9月13日
主催:中上健次/三上治/吉本隆明
場所:品川・寺田倉庫 T33号館4F
収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』(1988年)
柳田国男のような、歩く民俗学者というか、
日本のぜんぶとはいわないまでも、
半分か3分の2ぐらいはとにかく自分の足で歩いて、
そのあげくに考えられた
「日本人はどこから来たか」みたいなこととは、
もちろん違います。
4畳半というか6畳というか、
そういうところでごろごろしながら考えた、
つまり歩いたことはあんまりない、
そういう人間の描く「日本人はどこから来たか」を
一度やってみたいのです。
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究極の左翼性とは何かーー吉本批判への反批判
講演日時:1987年9月13日
主催:中上健次/三上治/吉本隆明
場所:品川・寺田倉庫 T-33号館 4F
収載書誌:弓立社『いま、吉本隆明25時』(1988年)
はっきりさせておきたいのは、
国家と資本が対立した場面では、
資本につくっていうのがいいんです。
国鉄が民営化分割されるっていうんだったら、
原則としてはそのほうが正しいんです。
次に、資本と組織労働者とが対立するときには、
労働者につかなければいけないわけです。
その先に、もうひとつあります。
組織労働者と一般大衆のあいだに
利害の激しい対立が生じた場面では、
一般大衆につくのが、左翼思想の究極の姿なんです。
[A106]FreeArchive
農村の終焉
講演日:1987年11月8日
主催:雑誌「修羅」同人
場所:長岡市北越銀行ホール
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第5巻』(2002年)
農村を守るという論議のなかには、
非常に切実な問題が含まれているのです。
一種の文明の必然、文化の必然、科学の必然というもの、
そういう必然はいかようにも止めようがないんだけど、
それにも関わらず、
理不尽な絶滅のしかたはしたくないとか、
理不尽な交代のしかたはしたくない、
そこにどういう活路を求めたらいいのかという問題は、
ものすごく切実な問題だし、
当事者だったらなおさらそうなのです。
だからその問題は、もう完全に問題としてあるので、
それは大いに論議されるべきだけど、
「都市の野郎があんなこというのは
むちゃくちゃじゃないか」
「とんでもねえ野郎だ」とか
「農村を知らないんだ」とか、
そういういい方での対立のしかた、
論議のしかたはあまり意味はないと思います。
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恋愛について
講演日時:1988年3月4日
主催:日仏学院 後援:フランス大使館
場所:東京日仏学院ホール
収載書誌:弓立社『人生とは何か』(2004年)
恋愛には、3つの段階と3つの種類があると思います。
ひとつは正常な恋愛です。
1対1で、ひとりの男性とひとりの女性が出会って、
両者のあいだに恋愛感情が起こる。
そういう恋愛を正常な恋愛としますと、
それがいちばん根底的な
恋愛といえるんじゃないかと思います。
その次の段階にくる恋愛は、三角関係の恋愛です。
恋愛というのは対幻想であって、1対1のあいだにしか
起こりえないのですけど、
三角関係というのは3者のあいだに起こるので、
これは矛盾なわけです。
つまり、恋愛における矛盾、あるいは
矛盾としての恋愛です。
3人というのは、共同性のいちばん原型にある関係で、
恋愛感情とか男女の恋愛という対幻想とは、
本来ならば違うはずなんです。
これに対して、さらに段階が進んだ恋愛を
想定するとすれば、直接の接触や関係を
いつも回避されている恋愛というものが
それに当たると思います。
それは、もう少し進んだ高次な段階の恋愛として
存在するんじゃないかというのが、
僕のお話ししてみたいことです。
[A108]FreeArchive
日本経済を考える
講演日時:1988年3月12日
主催:墨田区立寺島図書館
場所:寺島図書館3階読書室
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第12巻』(2006年)
露骨にいってしまえば、経済学は支配の学です。
そうじゃなければ指導者の学です。
反体制的な指導者にも、大づかみにすると、
経済学は非常に役に立つわけです。
みなさんのなかにはこれから指導者になるとか、
支配者になるという人もおられるかもしれませんし、
また、そういう可能性もあるかもしれません。
けれどもいまのところ大多数の人は、
何でもない人だと思います。
僕も支配者になる気もなければ、
指導者になる気もまったくないわけです。
ですから、僕がやるとすれば、
もちろん素人だということもありますけど、
一般大衆の立場からどういうふうに見たらいいか
ということが根底にあると思います。
僕の理解のしかたでは、それはたいへん重要なことです。
[A109]FreeArchive
シンポジウム・太宰治論
講演日時:1988年5月14日
主催:弘前大学教育学部 近代文学研究会
後援:弘前大学生協/東奥日報社/RAB青森放送/大和書房
場所:第1部・弘前大学教養部17番教室/第2部・スペース・デネガ
収載書誌:大和書房『吉本隆明「太宰治」を語る──シンポジウム津軽・弘前'88の記録』(1988年)
太宰治の作品は、物語の流れだけ読めば、
たいへん明瞭な物語を持っている完成された作品です。
ところが実験的な作品となっていきますと、
物語性としてのドラマとは別な、
人称のドラマ??目に見えない、
筋の起こらないドラマというのもたくさんあって、
太宰治の作品はこのふたつのドラマから
成り立っているように思います。
そこのところがつかまえどころじゃないかと思われます。
このことはどこで資質として形成されたのかを考えますと、
太宰治の乳幼児から青春の入り口のところまでにある体験が
大きな役割を演じているだろうと僕は推察します。
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普遍映像論
講演日時:1988年6月3日
主催:京都精華大学 学生部
場所:京都精華大学
収載書誌:未発表
言葉の表現者であり、
同時に死の経験者である??そのふたつのことを
兼ねている文学者がいます。
日本では島尾敏雄という作家です。
もうひとりは、ドストエフスキーです。
この人たちの体験と表現のなかには、
死の体験のイメージと、
死の体験から生きて帰ってきたイメージと、
文学作品としての言葉の芸術が
一身に兼ねられているのです。
そのなかのイメージの構造と作品の構造との関わりあいを
取り出すことができるならば、
いっぺんに解けてしまう問題があるわけです。
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荒地派について
講演日時:1988年8月3日
主催:関東学院大学文学部/関東ポエトリ・センター
場所:関東学院大学葉山セミナーハウス
収載書誌:未発表
三好達治の詩でも立原道造の詩でも、中原中也の詩でも、
半ば無意識的に最初の言葉さえぶつけられれば、
そこから意識の持続がある限り詩は成り立って、
持続が終わったときは詩が終わる。
そういうものが一般的に詩と考えられるとすれば、
荒地派の詩人たちが日本の詩のなかにもたらした
方法というのは、
「推敲可能な詩が書ける」ということです。
流れを止めて考え込む、
立ち止まって自分が書いた詩の一行を
自分でじっと検討してみる??そういう詩の書き方が
可能だということをはじめて教えてくれたのが、
荒地派の詩だと思います。
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親鸞から見た未来
講演日時:1988年10月13日
主催:大谷大学
場所:大谷大学
収載書誌:東京糸井重里事務所『吉本隆明が語る親鸞』(2012年)
現在起こっている社会現象に特徴があるとすれば、
一見すると「緊急な事柄」のように見えるもののなかに、
本当は「永続的な問題」が混ざって、
一緒に出てきていることだと思います。
こういう考え方にたいへん示唆を与えてくれたのは、
親鸞の「再び還ってきて、自在なる慈悲を発揮すべきだ」
という考え方です。
ある社会的な事件があったら、
親鸞的ないい方をすれば??時間的にいえば
未来から??「浄土や死からの光線で
照らしだしてみなければわからない」
という永続的な課題が、
あらゆる社会現象のなかに見られるようになったことが、
とても重要なことではないかと思われるのです。
[A113]FreeArchive
親鸞の還相について
講演日:1988年11月1日
主催:真宗大谷派東京教区教化委員会
場所:真宗大谷派東京教区会館
収載書誌:春秋社『未来の親鸞』(1990年)
僕は死んだ後に実体として浄土があって、
そこに自分たちが行くんだというふうに
少しも信ずることができません。
不信な一般大衆といいましょうか、
煩悩のさかんな凡夫という場所にいる現在の人間は誰も、
たぶん至心に信仰して念仏を唱えれば
浄土へ行けるとは信じていないだろうと思います。
それは、大乗教の世界的思想家である天親とか曇鸞とか
親鸞が一生懸命、末法の時代でも
信仰のうえでわかりやすく説いてくれた教え方を、
僕らはまるごとつかむということが
できなくなっているということがいえるわけです。
そうしますと、いまどういうことが
起こっているかといいますと、
比喩としてしかわからなくなっているのが
実情じゃないかと思えます。
〈還相〉、還りの姿とは何なのか、
浄土とは、人間の「死」とは何なのか、
ぜんぶ比喩としてしかわからなくなっているんです。
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子供の哲学
講演日時:1988年11月10日
主催:本郷青色申告会
場所:本郷青色申告会館
収載書誌:未発表
子どもというのは、単独ではまったく意味がなく、
定義することのできない存在です。
少なくとも母親、もっといえば父親も交えて、
「親というものと込み」でしか、
定義することができません。
だからいったん児童期、思春期になって、
おかしくなってしまったときには、半分はもう遅いんです。
はじめに決定論的なものが半分あって、
「まだ半分はさかのぼる余地もあるよ」
ということになると思います。
子どもというのは、親と2世代の込みで考えると、
いろんな問題が自ずから解けていくということが
あると思います。
僕らがこういうことをよくよくわかることができたら、
またフランクに話すことができたら、
子どもにとっても親にとっても幸いなことだと思います。
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異常の分散ーー母の物語
講演日時:1988年11月12日
主催:宮崎市・一ツ瀬病院・精神医療を考える会
場所:宮崎市中央公民館
収載書誌:弓立社『心とは何か』
(2001年)
何が重要かというと、まず母親の物語というのが重要です。
母親の物語とは何かというと、
子どもとのあいだの物語です。
それは、簡単な要素からできあがっています。
イメージを考えますと、抱く、授乳する、
オッパイをやるということ、
それからとにかく眠らせるということです。
睡眠のはっきりしたパターンを
ちゃんとつくりあげることです。
それから排泄の世話をする。後始末をするということです。
これは動物だったら、
母親はお尻をなめてやったりしますけど、同じことです。
これが母親の物語を構成する基本的な要素です。
つまり、母親と子どもの物語の構成要素というのは、
抱くとか授乳とか眠らせるとか排泄の世話をするという、
これだけの要素からできあがっています。
この要素が、どうして物語になるのでしょうか。
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良寛について
講演日時:1988年11月19日
主催:埼玉県日高町武蔵台自治会
収載書誌:未発表
良寛というと「托鉢を忘れて一日中子どもと遊んでいた」
というイメージを誰でも持っているのではないでしょうか。
だから良寛を子どものように邪気もない人だったと
理解するのは、僕の理解のしかたでは
少し間違いであるような気がします。
たとえばみなさんが、何か用事があって出かけて、
その用事を忘れて映画を見てしまった、
子どもと遊んでしまったとすると、
そういうふうに心が動くということは、
なかなか一筋縄ではないことだと思われるからです。
「いろいろなことを忘れて子どもと遊んで
その日が終わってしまった」
という良寛の遊び方は、楽しくて遊ぶということが
ひとつ確実にあるわけですけれども、
もう少し考えると「子どもと遊ぶということと、
托鉢をして食べ物をもらうということが、
良寛にとっては同じだけの重さであった」
ということがいえそうな気がします。
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岡本かの子
講演日時:1989年3月10日
主催:川崎市民ミュージアム
場所:川崎市民ミュージアム
収載書誌:中央公論社「マリクレール」1989年8月号
岡本かの子の作品には、
「意味」なんかそんなにないんです。
ただ、〈生命〉があるんです。
本来ならば言葉の概念のなかには、
ぐるぐる巻きになったかたちでしか
〈生命の糸〉は含まれていないんですけれど、
高速度写真的な描写によって、その糸を伸ばしてみせる。
その描写から、読む人は〈生命〉を
感ずることができるのです。
〈生命の糸〉というものをスーッと伸ばして、
川の流れに布をさらすように、さらしてみせる。
〈生命の糸〉をこれだけ感じさせた作家はほかにいません。
この作家は、明治以降の近代文学の女流作家のなかで、
女流という言葉を入れなくても
済んでしまう最高の作家だと思います。
この人を最高の作家というためには、
〈生命の糸〉を感じられないといけないように思います。
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未来に生きる親鸞
講演日時:1989年6月7日
主催:東京北区青年サミット
協力:春秋社 企画:玄
場所:東京都北区・昭和町区民センター
収載書誌:東京糸井重里事務所『吉本隆明が語る親鸞』(2012年)
思想というものがどう生きるかどう死ぬか。
そして、一見生きているように見えてどう死んでいるか、
一見死んでいるように見えてどう生きているか。
偉大だというけれど、どこかに滅びるものも
もちろんあるわけです。
「自ずからとなったら、光につつまれるようになって、
名号を称えたらもう
あの世に往生できる」??そういうのは
僕は信じていないんです。
そこはたぶん親鸞の思想のなかで、
時代が隔たったために滅びたところです。
しかし親鸞の思想のうち滅びてないところがあります。
それが偉大ということのしるしだと思います。
それがなければ思想というのは生きられないのです。
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日本農業論
講演日時:1989年7月9日
主催:雑誌「修羅」同人
場所:長岡短期大学
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2002年)
日本の農業が当面している問題から、
日本の農業の歴史的問題と、それから
一般に農業はどうあれば理想的な状態なのかということを、
いかに浮かび上がらせることができるでしょうか。
農業問題に関する限り、エンゲルスもマルクスも、
個人の欲望や私有という問題をどうするんだと
いうところまで浸透していくだけの理論が
ありませんでした。
それがいま、矛盾をきたして
あらわれているのだと思います。
マルクス主義者や進歩派というのは、
「農業はどうあったら理想なのか」ということが
いえないのです。僕は、
「小さな自作農がそれほどの格差もなく一面に並んで、
農業を自営している」
かたちというのは、かなり理想に近いと思っています。
日本の農業は国有化されればいいとはちっとも思いません。
自立農業にとって利益がある限り、
国有化・共有化したほうがよろしいと思います。
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高次産業社会の構図
講演日時:1989年10月5日
主催:石川文化事業財団 主婦の友社
場所:お茶の水スクエア・ヴォーリズホール
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第12巻』(2006年)
サービス業が、これ以上いくら競争しても
サービスして安くしても、
ここが経営が成り立つ限度だよというところまで
あらゆる分野で発達してしまったら、そこは頭が打たれる。
そしたらどこへいくんだ。
それは第四次産業、モノから精神へ、
目に見えるものから目に見えないものの産業へ
移る以外に方法はないわけです。
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宮沢賢治の文学と宗教
講演日時:1989年11月2日
主催:文京区立?外記念本郷図書館
場所:文京区立?外記念本郷図書館
収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年)
宗教家としての宮沢賢治と、
芸術家・詩人あるいは童話作家としての宮沢賢治と
どちらを偉大だと思うかといえば、
僕は詩人・童話作家・芸術家としての宮沢賢治のほうを
偉大だと思いたいところです。
しかし宮沢賢治自身は、宗教家としての自分、
法華経の信者としての自分というものを
いちばん重要だと考えていたのではないかという
気がします。
法華経では、文学芸術を真っ向から否定しています。
「文学芸術のようなものに近づくならば
法華経の信者にはなれない」
といっています。
宮沢賢治は、思春期に法華経を
はじめて読んだときにこのことにぶつかり、
また死ぬまで文学芸術をやめられなかったわけですから、
何らかの意味でこれに対する考え方がなくてはなりません。
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宮沢賢治の実験
講演日時:1989年11月12日
主催:森集会
場所:芦屋市民センター
収載書誌:春秋社『本当の考え・うその考え』(1997年)
科学的にいって、死んだ後の世界があって、
そこに魂がいくという考え方を是認することは
どうしてもむずかしい。
もし「本当の考え」と「うその考え」とを
分けることができる実験の方法さえ決まれば
解決するでしょうが、
それはどうしたらいいのかわからない。
糸口は自分なりにつけてはみたんだけど、
そこで完全に解けたといえないところで、
宮沢賢治は終わったと思います。
「その実験の方法さえ決まれば」
という言葉はとても重要で、
それは日蓮もいわなかったし、
もちろん最澄も智ギもいわなかったことで、
宮沢賢治だけがいった言葉です。
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イメージとしての都市
講演日時:1989年11月12日
主催:ことばをひらく会
場所:尼崎市 つかしん
収載書誌:産経新聞社「正論」90年4月号・5月号
イメージは、かつては力でなく
空想に過ぎませんでした。
「金もないのにそんなこと思ったってしかたないじゃないか」
ということでした。
政府がやれば、自治体がやれば、大資本がやれば、
それでペチャンコじゃないかと思われていました。
かつてはそうでしたが、われわれの段階では
そうではないのです。
「完結したイメージを持つことができる」
ということは、それだけで
実現可能性を持った力だという段階に
現在は達しているんです。
都市を構想することはできる、ということなんです。
逆に、都市をつくるものは、
万人が持っているイメージを無視することはできないと
思います。実際には、大資本でも、国家でも、
地方自治体でも、誰がやってもいいんです。ただし
「あんたたちのイデオロギーを、理想の人工都市のなかで
自己主張してもらっては困りますよ」
というチェックを、それぞれがやればいいと思うんです。
大事なことは、それぞれの人が、
理想の人工都市を自分のイメージで
ちゃんとこしらえることです。
自分なりに完成したイメージを
われわれが持っているならば、
誰もそれを無視することはできないと僕は思います。
[A124]FreeArcive
言葉以前のことーー内的コミュニケーションをめぐって
講演日時:1993年10月
主催:メタローグ社創作学校
収載書誌:メタローグ『詩人・評論家・作家のための言語論』(1999年)
言葉以前の内的コミュニケーション??
言葉を発しないで相手にわかる、
そのわかり方の言葉っていうのは
どういうふうにしてできているのでしょうか。
誰でも、相手の表情を読んだら
何を考えているかわかるということはあるわけです。
特に恋愛状態みたいになれば、会って、動作ひとつ、
言葉ひとつで相手が何を考えているか
わかっちゃうことがありうるわけです。
そうした「内的コミュニケーション」というのは、
受胎して10ヵ月して出産されて、
1年未満の乳児までのあいだに、
その原型ができてしまうというふうに
理解すればいいと思います。
言葉なき言葉??言葉以前の言葉みたいなもので
わかってしまうという能力というのは、
そこで形成されると考えるのが
いちばんよろしいと僕は思います。
1990〜
[A125]FreeArchive
宮沢賢治を語る
講演日時:1990年2月10日
主催:朝日カルチャーセンター
協賛:コニカ生涯学習セミナー
場所:津田ホール
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第8巻』(2004年)
宮沢賢治はたいへんな農業科学者ですが、
「来世が存在するということを
科学者として信じることができたのか」
ということが問題です。宮沢賢治という人は、
そこで思い悩んだと思います。
自分の抱いている宗教観と、
科学者として身につけている
自然認識や物質についての認識、農業についての知識が
どこかで一致する点はないか、
どこかで一致させることができないだろうかと
本気になって考え、本気になって悩んだと思います。
そこの問題が、宮沢賢治の文学や芸術と、
宗教思想との関わり方を決めていく
大きな問題になったと思われます。
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つくば、都市への課題
講演日時:1990年5月18日
主催:筑波西武リブロブックセンター
場所:エキスポセンター コズミックホール
収載書誌:未発表
都市というのは、非常に嫌らしい本質を持っています。
都市は、産業が高次化して農業や漁業のような
第一次産業が衰退していけばいくほど成長します。
次に、第二次産業、製造業が
大きくなればなるほど成長します。
しかし第三次産業に重点が移っていったとき、
都市はなお成長します。
これは感情論でもなければ倫理の問題でもありません。
数学の定理のように、産業が高次化するほど
都市は成長するということです。
それが歴史の発展する方向であることは
疑いないと思います。
産業の高次化と都市の成長が比例関係にあるという定理を
冷静に見つめて分析し、
さまざまな条件をとりだしたうえで、
これを理想の状態に近づけるには
どういう考慮が必要なのかを問題にすべきだと思います。
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渦巻ける漱石ーー『吾輩は猫である』『夢十夜』『それから』
講演日時:1990年7月31日
主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
場所:有楽町・よみうりホール
収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年)
漱石はどう生きようとしたかということと、
どう生きざるをえなかったかということと、
その両方から「宿命」と「反宿命」が
せめぎ合うわけですが、漱石が選んだのは
「宿命」から逃れ、自然な道筋から遠ざかろうという道を、
どんどんたどっていくことでありました。
これほど典型的に、宿命が自分を吸い寄せていく
力の大きさと強さをとてもよく心得ていて、
なおかつそれに逆らうということが
生きていくことだというところで、
力瘤をたくわえて、力瘤を発揮していってという
かたちをとりながら倒れちゃうというような、
そういう生き方をせざるをえなかったというのも、
たぶんこの宿命の大きさと、
宿命に逆らうことの重要さということを、
作家としてのはじまりの時期にどんどん純化して、
そこの問題をはっきりと打ち出して、
自分の作家としての軌道を定めるということに
なりえたからだ、というふうに思われます。
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『遠野物語』の意味
講演日時:1990年8月26日
主催:『遠野物語』発刊80周年記念事業実行委員会/遠野常民大学
共催:岩手県/遠野市/遠野市教育委員会
後援:岩手民俗の会/NHK盛岡放送局/岩手日報/岩手放送/テレビ岩手/エフエム岩手/朝日新聞社/毎日新聞社/読売新聞社/河北新報社/岩手東海新聞社/遠野商工会/遠野市観光協会
場所:岩手県遠野市・水光園
収載書誌:至文堂「国文学 解釈と教材」56巻3号(1991年)/新潮文庫『遠野物語』(1992年)
植物と動物のあいだ、動物と人間のあいだには
境界線がないーー「中間はいつでも連続しているんだ」と
いうことをひとりでにいっていることは、
柳田国男のとても大きな特徴だと思います。
柳田国男にとって、稲を持って来た人たち(平地人)と、
それ以前に住んでいた人たち(山人)の区分は、
はじめから終わりまで関心の的になっていました。
ここでたぶん「中間は連続する」という考え方のスタイルは
生まれてきたと推測することができます。
『遠野物語』の中核に理念を与えるとすれば、この
「中間は連続している」という論理だと思います。
この中間についての論理は、柳田国男の場合は
論理というよりも、文体の実質の力で
ひとりでにやってしまったと思います。
これは、他の古典物語と比べて比類のないほど長い
多様な時間を包括していることとともに、
『遠野物語』が問いかけてくる問題に違いありません。
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都市論としての福岡
講演日:1990年9月30日
主催:「パラダイスへの道」出版委員会
場所:福岡市早良区市民センター
収載書誌:パラダイス企画『パラダイスへの道' 91』(1991年)
都市論ということは、さまざまな観点と視点を
持つでしょうけれども、僕らの視点からいえば、
都市論は国家論と同じことなんです。
また、九州一円についての都市について論ずることは、
世界全体について論ずることと一向に変わりなく、
同じことなわけです。
都市と都市を比較するということは、
先進国と後進国を比較するというのと同じ意味を持ちます。
たとえば福岡市と鹿児島市、
あるいは福岡市と熊本市のデータを比べて、
さまざまな観点から比較をしますと、
世界における先進国と後進国、
あるいは先進地域と後進地域との格差が
どのように縮まるかとか、
いや格差は縮まらないんだとか、
そういうことについての判断のモデルになりうるのです。
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柳田国男と田山花袋
講演日時:1990年9月8日
主催:柳田国男研究会/遠山常民大学/浜松磐田常民文化談話会/ふじみ柳田国男を学ぶ会/飯田歴史大学/鎌倉柳田国男研究会/遠野常民大学/鎌倉市民学舍/於波良岐常民学舍
後援:邑楽町/邑楽町教育委員会
場所:群馬県邑楽郡邑楽町・長柄公民館
収載書誌:至文堂「国文学 解釈と教材」57巻2号(1992年)
田山花袋と柳田国男は、若い頃から
和歌や新体詩の仲間として
相互に影響しあっているのですが、
両者がそれぞれの道へ進んでしまった後も、
ふたりのあいだにはたくさんの類縁性を
たどることができます。
そこで考えますと、花袋や自然主義の文学潮流と、
柳田国男の民俗学の方法を支えたスタイルとは、
それほど分離してしまったといえない気がします。
初期の叙情時代のふたりは、
同じ文語体のスタイルの圏内にあり、
柳田はそれを延長して『遠野物語』へ、
花袋はそこから脱出して自然主義へ向かった、
という経路も考えられます。
ふたりが自分では語らなかった
無意識の影響を含めて追求することができると、
柳田国男だけでなく、
日本の自然主義文学に対する追求に
入っていくことになるのではないでしょうか。
[A131]FreeArchive
死を哲学する
講演日時:1986年9月11日
主催:本郷青色申告会
場所:本郷青色申告会館
収載書誌:弓立社『人生とは何か』
(2004年)
「人間は必ず死ぬ」といういい方と
「私は必ず死ぬ」といういい方のなかには
ぜんぜん違うところがあります。
その違うところが誰にとっても
あいまいになっているわけで、
もちろん宗教にとってもあいまいになっている。
そのあいまいになっている部分に、
「死とは何か」という問題の精神が関わる部分が
該当するだろうといえます。
物質的あるいは生活的な意味で死の問題が解けたとしても
なおかつ精神的な意味での死の問題は
解けないということが残るとすれば、
「人間は必ず死ぬ」といういい方と
「私は必ず死ぬ」といういい方のあいだにある隙間から、
「死とは何か」という問題がいつでもむくむくと
頭をもたげてくるといえるのではないでしょうか。
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いまの社会と言葉
講演日:1990年12月12日
主催:白梅学園短期大学
場所:白梅学園短期大学
収載書誌:弓立社『大情況論』(1992年)
今日の言葉と明日の言葉とは
ちっとも変わっていないように見えるんですが、
1年なら1年、2年なら2年たつと、
いつの間にか変わっているという変わり方を
することになります。
もちろん断絶的に新語が勝手にできたということも
自由自在です。
しかしそうではなくて、1ヵ月や2ヵ月では
ぜんぜん変わっているとは思えないんだけど、
「候べし」と昔いってたのが、
500年もたつと、「そうだぞ」という言葉に
変わっています。
ところが501年、500年、499年前と連続的にとったら、
ちっとも変わり方がわからない。
それが蓄積すると変わっている。
言葉というのはそういう変わり方をする面があります。
言葉の断続性、新語とか流行語と同時に、
日本語は日本語じゃないかという連続性、
そのふたつの面をつくって、時代とともに
移っていくのです。
これが言葉の持っている生理・心理に属するわけで、
その背景の社会はそれぞれいろいろ
変わっていくことになります。
[A133]FreeArchive
家族の問題とはとういうことか
講演日時:1991年2月17日
主催:東京メンタルヘルスアカデミー
場所:六本木・交通安全センター
収載書誌:弓立社『人生とは何か』
(2004年)
人間が生きるということのなかにはいくつもの層があって、
どこに重点を置けばいいかということは
それぞれでありえます。
表面層で解決してもいいし、中間層で解決してもいいし、
もうやむをえず、これをやる以外に
方法はないのだというふうになれば、
やっぱり核の問題まで入っていって
家族内の精神障害なら精神障害の問題を解いていく
ということをやる以外にないと思います。
僕の考え方は、心の仕組みの問題でいちばん重要なのは、
胎児、乳児のところにあり、
特に母親と乳児との関係のあいだにある。
それが第1位だという考え方をとります。
そこを省みないで、非常にピンチに陥ったときの
家族の問題を解くことは
なかなかできがたいだろうと思われます。
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資質をめぐる漱石ーー『こころ』『道草』『明暗』
講演日時:1991年7月30日
主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
場所:有楽町・よみうりホール
収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年)
『こころ』という作品が、
いまでもたくさん読まれているのは、
先生の遺書のクライマックスで、
ひとりの女性をめぐる親友同士の
ふたりのあいだの葛藤のしかたと結末のつけかたが
たいへんな迫真力を持っている、
その真実らしさに理由があるのじゃないかと思うのです。
これは、作家漱石の資質の悲劇が絡み合った生涯の
いちばん重要なテーマだったといえそうです。
漱石がこのテーマに固執した根本の理由は、
資質としての悲劇にあると思われます。
文学が、この資質の問題に何かいえるとしたら、それは
「生い立ちの物語」として出てきた場合です。
そして、『こころ』の次に書かれた
『道草』という作品で、漱石は
乳幼児体験としての自分の資質形成のあり方というのを、
生涯で初めて詳細にえぐりだしていくのです。
[A135]FreeArchive
現代を読む
講演日時:1991年10月20日
主催:前橋市・煥乎堂
場所:煥乎堂音楽センター3階ホール
収載書誌:弓立社『大情況論』(1992年)
「現代を読む」という場合の、
「現代」と「現在」とを区別してみることは、
僕の考え方ではたいへん重要だと思います。
僕の理解のしかたでは、日本の社会が
「現在」に入った兆候を見せたのは、
1973(昭和48)年頃です。
わかりやすい象徴をいいますと、
そのとき札幌ビールが「天然水No.1」を発売しました。
いわゆる名水、水をはじめて売り出したのが
この73年です。
マルクスのように興隆期の資本主義を
分析した人がいうところでは、
水とか空気はたいへんな使用価値があるが、
交換価値はないということになります。
ところが天然水を売るというのは、
水に交換価値が出てきたことを意味します。
それは、経済の段階で資本主義が
一段階上にいったということです。
初期の興隆してゆく資本主義分析の
基礎になっている考え方が、
やや通用しがたくなった兆候が、
日本社会では1973年前後にさまざまなところであらわれ、
そのとき以降日本社会は
「現在」に入っていったと考えられます。
それは、社会が未知の段階に入っていったということです。
[A136]FreeArchive
農業から見た現在
講演日:1991年11月10日
主催:雑誌「修羅」同人 後援・弓立社
場所:長岡市・中越高等学校会議室
収載書誌:未発表
はっきりわかっていることは、
先進諸国においては農業、もっといいますと第一次産業、
あるいはもっといいますと
自然を相手にして生産する産業は、
減少する一方だということです。
減少する速度はそれぞれですが、
減少することは歴史の必然、文明の必然であって、
これを変えることはできないと僕は思っています。
これを遅くしたり、あるいは止めたりということは
政策いかんによってできないことはありませんが、
文明の発達が第一次産業を減少させていくことは
きわめて自然必然、歴史必然だろうということは
間違いないことです。
[A137]FreeArchive
現代社会と青年
講演日時:1991年11月16日
主催:千葉県立佐倉高校PTA
場所:千葉県立佐倉高校
収載書誌:佐倉高校PTA「会報」38号
(1992年)
家庭内暴力や登校拒否、いじめというのは、
乳幼児期、もっとさかのぼりますと
胎児のときの母親との関わり方の失敗が
根本的な問題だというのが僕の考え方です。
胎児のとき、乳児のときに、
うまく子どもを扱えなかったことの代償だと
僕は思っています。
乳児、胎児に対する扱い方をそうとう失敗したというのが、
僕の理論であり考え方です。
そこへいかない限りは、家庭内暴力とか、
登校拒否という問題は、
根本的には解けないだろうなと思います。
高校生になってしまったら、本当はもう遅いんです。
人間の心の形成としていちばんたいへんだった時期は、
すでに終わっています。
だから、自分の心に問題があれば、
自分でそれを克服しようと努力をするより
しかたがありません。
人間というのは自分を超えていく存在なのです。
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像としての都市
講演日:1992年1月21日
主催:NKK都市総合研究所
場所:大手町・日本鋼管本社ビル
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第11巻』(2005年)
ひとつのビルがどうなっていくのが理想なのかを
追究することと、
都市がどうなっていくのが理想なのかを追究することと、
国家社会がどうなっていくのが理想なのかを
追究することはぜんぶパラレルで対応する、
そういう考え方を僕はしてきました。
どんな国家社会が理想的な社会かというのを弾き出す場合、
主観的に、あるいは知的に
「これが理想なんだ」といっても、
そんなことはちっとも当てになりません。
理想の設計という場合、他者というのが必要です。
理想というのは先端的であればいいか、新しければいいか、
間違っていないやつを選べばいいかといったら
そんなことはないので、いつでも一般人的なもの、
平均人的なもの、あるいはそのときの平均都市的なものを
絶えず他者としてこっちに持っていなければ、
どんな先端的な試みも危ういでしょう、と
僕は考えています。
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言葉以前の心について
講演日時:1992年2月8日
主催:宮崎市・一ツ瀬病院・精神医療を考える会
場所:宮崎科学技術館多目的ホール
収載書誌:弓立社『心とは何か』
(2001年)
人間の心の世界のもとになっているのは、
大別すればふたつあります。
ひとつは、内臓の動きが心の世界の動きを決めていく面と、
もうひとつは、動物性の神経に動かされて起こってくる
心の動きです。
人間の身体器官を起源とする考え方は、
まったく三木成夫さんの考え方によるわけですけど、
僕はこれを人間の心の動きと結びつけたのです。
これを僕の言語理論と結びつけたくて、
植物性の器官からくる心の動きは自己表出であり、
それから動物性の神経、つまり感覚からくる心の動きは
言葉になる前の言葉の指示表出である。
そのふたつがあって、それが心の動きなんだと、
結びつけてきたわけです。
[A140]FreeArchive
芥川における反復概念
講演日時:1992年4月16日
主催:神奈川近代文学館/神奈川文学振興会 後援:日本近代文学館
場所:神奈川県立音楽堂
収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年)
芥川の作品を読み返して改めて感じたことは、
芥川が漱石の影響を被っている度合いは
とても大きいんだなあということでした。
変ないい方をしますと、芥川という人は
「漱石に魅せられた生涯と文学」だなということを
強く感じました。
乳幼児期の不幸な生い立ちという点で、漱石と芥川は
たいへんよく似ていて、
たいへんよく似た気にしかたをしています。
芥川は閲歴についても、作品についても、
漱石という偉大な師を生涯の反復概念の手本にすることを
いつでも意識していたと思えてしかたないのです。
そう意識しながら、
そこからどうやって出て行こうかということが、
芥川にとってとても重要な問題になったんだと
思われてならないところがあります。
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宮沢賢治
講演日:1992年7月29日
主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
場所:有楽町・よみうりホール
収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年)
宮沢賢治の詩を考えると、いつでも岐路に立たされます。
何を詩と考えるかについて、
ヨーロッパも含めて近代詩以降の考え方を持ってきますと、
宮沢賢治の世界はまるで違うとか、
まるで無駄なことをしていることになるのかもしれません。
しかし、そうじゃなくて、
仏教的な世界観をもとにして、
現象と現象とが溶け合った世界を
どうやってスケッチするかが詩なんだという観点に立てば、
これほどの天才的な世界を突きつめていった詩人は
いないんだということになっていきます。
[A142]FreeArcive
現代文学のゆくえ
講演日時:1992年10月5日
主催:東急文化村/ドゥマゴ文学賞事務局
場所:渋谷・シアターコクーン
収載書誌:未発表
現在、高度な先進的社会で流行っている
イメージのつくり方が文学のなかにあります。
「自分の姿が自分で客観的に見えてしまって、
やっている行為自体がぜんぶしらけてしまう」
という描かれ方です。この問題は、引き延ばしてみると
現在の先進的な社会が当面している問題の大きな部分と
共通のところを占めていると思います。
先進的な社会のひとつである日本でアンケートをとると、
89%の人は「自分は中流の生活をしている」という
結果が出てきます。
これはある意味で不気味な数字だし、
たいへんなものだと思います。
世界の先進的な社会で、9割9分の人が
「自分は中流の生活をしている」
という社会がやってくることは、
わりあいに近未来だといったほうがいいような気がします。
それはたいへんな社会です。
どこかでカタストロフィ、破局をつくらないと
文学にはならないでしょう。
「しらけ方」も、破局をもたらすような
描き方を必要とすることになりそうな感じがします。
[A143]FreeArcive
青春としての漱石ーー『坊っちゃん』『虞美人草』『三四郎』
講演日時:1992年10月11日
主催:紀伊國屋書店 協賛・筑摩書房
場所:新宿・紀伊國屋ホール
収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年)
文学は架空のもので、言葉であって、
いくらやってもつくりもので、
実際に恋愛真っ最中の人を
恋愛小説でいくら釣ろうとしてもそれは無理で、
絶対にかなわないのです。
しかし、男女が恋愛の真っ盛りで、
両方とも無我夢中になって、
いま別れても次の瞬間には
もう会いたくてしょうがないぐらいになっている。
そういう心躍りを文字のなかに、
言葉の表現のなかに持っているとしたら、
それは文学の初源性です。
『虞美人草』のある場面が持っているこの感じ、
もとをただせば文学はこういうものだったんだ、
どんなに表現のしかたが発達しても、
もとをただせばこれだったんだということは、
漱石の作品のなかでも『虞美人草』だけが
感じさせるものです。
[A144]FreeArcive
わが月島
講演日時:1992年10月31日
主催:中央区立月島図書館
場所:中央区立月島図書館
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 わが月島』(2004年)
月島の歴史をひもといて見ていくと、
日本の明治以降の近代の、
封建時代から超現代的なところまで
駆け足で通り過ぎてしまった歴史を、
非常によく象徴的にあらわしていると思います。
僕も子どものときの町で懐かしいですから、
初期の月島のイメージと思い出に浸ることも
たくさんあるんですが、実際問題としていいますと、
月島というのはそういうところを通り過ぎていて、
途方もないところに入って、それを背負っているんだよ、
ということを考えたほうがよろしいんじゃないでしょうか。
かつての初期の月島、佃島を振り返ると
懐かしさもひとしおですし、
否定性もひとしおだとなると思いますが、
それがいちばんよろしいんじゃないかと思えます。
[A145]FreeArcive
文芸のイメージ
講演日時:1992年11月3日
主催:梅光女学院大学
場所:梅光女学院大学
収載書誌:未発表
日本でアンケートをとると、国民のうち8割9分の人が
「自分たちは中流だ」という意識を持っているという
結果が出てきています。
「明日食べるためのお米がない」ということが
なくなってしまっていることは、まったく新しい時代です。
そういう人たちが何を悩みとするかと考えると、
だいたいにおいて精神的に正常であるか
異常であるかという、眼に見えない境界線を
行ったり来たりしている状態になりつつあり、
そういう人たちが増えつつあるという現状があります。
それを文学作品として感受しているというのが、
現在書かれている純文学の状態ではないかと思われます。
[A146]FreeArcive
鴎外と東京
講演日時:1992年11月8日
主催:文京区立?外記念本郷図書館
場所:東京大学 安田講堂
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第10巻』(2005年)
鴎外は、文学者、軍人、医学者と
3つぐらい面倒くさい衣を着て、
たいへん我慢に我慢を重ねた生涯を送った人だと思います。
そして最後に、「えいっ」と、
「東京もいらない、官庁もいらない、軍人もいらない」
というふうになって、
「岩見の人、森林太郎というのだけでたくさんだ」
という遺言をして亡くなる。
どれをとっても一流の3つの衣が、
もう重たくてやりきれないということになって、
ぜんぶほっぽり出しちゃったというイメージで理解すると、
たいへん理解しやすいような気がします。
ここらへんの交錯し錯綜するところが?外の全体像であり、
また東京に対する?外の私的な好みと
公的な見解とのありどころだったんじゃないかというふうに
思われます。
[A147]FreeArcive
新・書物の解体学
講演日時:1992年11月24日
主催:前橋市・煥乎堂
場所:前橋テルサ 8F けやきの間
収載書誌:未発表
〈健康な文学〉と〈健康でない文学〉ということで
いまの文学を分けてしまったら、
いったいどういうことになるかというと、
本当の健康な文学というのも、
本当に病的な文学というのも、
両方とも描かれていないというのが
現状ではないかと思います。
やかましい書評をしてみれば、
そういうことになってしまうのではないかと思います。
「本を読むこと」は、必ずしも
すぐれた作品にぶつかることであるとも限らないのです。
しかし、そのなかから何か搾り取ることが、
本の読み方で、さしあたっていちばんいい
読み方なのだとすれば、
見かけ上の健康さと不健康さの後ろに真実らしさとか、
真実の甘美さというものを見つけることが、
読むほうとしても大切なことなのではないかと
思えてなりません。
そこらへんのところまで行けたら、
さしあたって本の読み方としては
いい読み方ということができるのではないかと思います。
[A148]FreeArcive
甦るヴェイユ
講演日時:1992年12月19日/20日
主催:デゼスポワァル
場所:渋谷ジァンジァン
収載書誌:未発表
ヴェイユの思想のなかに未来性があるとすれば、
革命思想に関する部分と宗教思想に関する部分は、
これから非常に生々しいかたちで
生き返ってくると思います。
先進国では既成の革命概念が
無効に近づいていきつつあるわけですが、
そういうことを超えてヴェイユの考え方は、
宗教思想と革命思想の両方の点で、
近未来に光を増すときがやってくるに違いないと
僕には思えます。
[A149]FreeArcive
シモーヌ・ヴェイユの神
講演日時:1993年1月23日
主催:森集会
場所:芦屋市民センター
収載書誌:春秋社『ほんとうの考え・うその考え』(1997年)
「どこから見ても、そこが
普遍的真理の場所だというものを、
私たちが考えている領域のはるか向こうに
設定できるのだ」
というヴェイユの最後の到達点は、
たいへん私たちに希望を抱かせます。
そこはどこから行っても目指すことができる
領域のように思えるし、
党派、宗派独特の習慣儀礼に従わなくても、
「ただいかに真理に近づくか」
という考えだけがあればそこへ到達できる。
不可能だとしても到達可能性がいつでもある。
キリスト教的でもなければ、仏教的でもない、
あるいはどちらにも似ているといえば似ているし、
イデオロギー的であるようで
革命思想的でもあるように見える。
そういうことを介して
どこからでも行けるはずだという場所を
とにかく指差して見せてくれたことが、
ヴェイユの宗教としての
現代性のいちばん大きな場所じゃないかと考えます。
[A150]FreeArcive
不安な漱石ーー『門』『彼岸過迄』『行人』
講演日時:1993年2月7日
主催:紀伊國屋書店 協賛・筑摩書房
場所:新宿・紀伊國屋ホール
収載書誌:筑摩書房『夏目漱石を読む』(2002年)
『門』の後にくる『彼岸過迄』『行人』という作品は、
作品としては破綻のほうが多いといっていいのです。
漱石が持っている資質、それから実生活上、
作品上の関心に、なんとかして
解決や自分なりの納得を与えたいという
モチーフの強烈さが、漱石をその後まで
どんどん引っ張っていったということになると思います。
明治以降の文学者で、射程の長い、息の長い偉大な作家は
何人もいますが、漱石は少なくとも
作品のなかでは決して休まなかった、
いいか悪いかは別にして遊ばなかった。
漱石は自分の資質をもとにした自分の考えを展開しながら、
最後まで弛むことのない作品を書いたという点では、
息が長いだけではなくて、たぶん、
もっとも偉大だといえる作家だと思います。
[A151]FreeArcive
社会現象としての宗教
講演日時:1993年3月13日
主催:川崎市立麻生図書館/麻生選挙管理委員会
場所:川崎市立麻生図書館
収載書誌:未発表
精神的な存在としての人間は、無限に愚かであると同時に
無限に賢くもなれるというたいへん矛盾の多い存在です。
ひとりの賢い人間がぜんぶ賢いかというと
決してそうではなくて、
ある事柄について賢いということだけであって、
違う事柄については愚かであるかもしれないわけです。
また、ある事柄について愚かである人というのは、
違う事柄においては賢くて、
また能力があるかもしれないというふうに、
人間の存在はできていると思います。
そこのところで、宗教が社会現象として
人々の心に入ってくる根拠があるわけです。
新興宗教の教祖の人たちは、それぞれの自信を持っていて、
自信のもとになる体験も持っている。
賢いところもあり、それが感じられると、
非常にいい宗教だというふうに
なっていくのではないかと思います。
[A152]FreeArcive
寺山修司を語るーー物語性のなかのメタファー
講演日時:1993年4月10日
主催:風馬の会
場所:早稲田奉仕園 レセプションホール
収載書誌:情況出版『寺山修司の世界』(1993年)
僕は自分のことも
そういうふうに思うことがあるのですが、
寺山さんというのはたいへん孤独な人だったと思うのです。
たとえばインディアンに囲まれたアメリカの騎兵隊とか、
騎兵隊に囲まれて砦にこもったインディアン、
比喩でいうとそうなると思います。
砦のなかに本当はひとりしかいないのに、
こっちの銃眼から鉄砲を撃ったかと思うと、
また違う窓から鉄砲を撃つ。
そうやって、たくさんいるかのごとく
見せ掛けなくてはならなかったのです。
寺山さんは、短歌や俳句から、詩、散文、小説や戯曲まで、
あらゆることに手を出しています。
砦にこもった単独者のとても大きな特色だと思います。
色々なことに手をつけて、色々なところで
色々な弾を撃たなければならないというところは、
寺山さんのいちばんいいところだという気がします。
[A153]FreeArcive
現代に生きる親鸞
講演日時:1993年5月3日
主催:奈良吉野・瀧上寺
場所:奈良吉野・瀧上寺
収載書誌:東京糸井重里事務所『吉本隆明が語る親鸞』(2012年)
もし親鸞の浄土真宗の信仰を、
信仰じゃなくて思想なんだよといういい方をすれば、
たぶん浄土真宗は信・不信に関わらず
ぜんぶの人を覆うことができると思います。
どれが善いのかどれが悪いのか、
あるいはどれが真理で、どれが真理じゃないのか、
どれがやるべきことか、
どれがやるべきことでないのかということに、
じつに見事な解答を、
現代でも与えることができるものだと思います。
[A154]FreeArcive
斎藤茂吉の歌の調べ
講演日時:1993年5月14日
主催:斎藤茂吉記念館
場所:山形・上山市民会館
収載書誌:コスモの本『余裕のない日本を考える』(1995年)
緊張した詩を書いたまま、若くして死んじゃったという
詩人はいるんですけれども、
茂吉のように長生きした人で
最後まで衰えを知らない作品をまっとうした詩人は
ほかにいないように思います。
斎藤茂吉という人の初期の作品を評価するにせよ、
後期の作品を評価するにせよ、
大変な歌人で、日本の詩歌というものの伝統を
文学全般のなかに導き入れるということを初めてやり、
また最後まで衰えなかったという意味あいで、
明治以降のなんともいえない高嶺なんだなあと思います。
[A155]FreeArcive
中上健次私論
講演日時:1993年6月5日
主催:昭和文学会
場所:国学院大学常磐松2号館2階中講堂
収載書誌:未発表
〈都会に出た熊野人〉、
〈熊野という場所で育った熊野の子どもたち〉
というふたつの問題が、
中上さんの文学のふたつの足だと思います。
都会に出てきたアジア的田舎の人といえば、
ごくふつうになってしまいますが、
中上さんの作品のおもしろいところは、
都会に出てきたアジア以前の人、
つまりアフリカ的段階の人ということです。
それが中上さんの文学のひとつの特色です。
もうひとつの特色は、アフリカ的段階の自然、
つまり自然にまみれている自然人の子どもたちの特色を、
中上さんが非常によく描写していることです。
これが中上文学のふたつの足である、と思います。
[A156]FreeArcive
新新宗教は明日を生き延びられるか
講演日時:1993年6月17日
主催:京都精華大学 学生部
場所:京都精華大学
収載書誌:春秋社『親鸞復興』(1995年)
「霊感商法はインチキだ」と
ジャーナリズムは批判しますが、それは違います。
宗教とか理念というものは、
いつも霊感商法に類することを行っています。
マルクス主義もむろんのこと、
自由主義的な思想や政党政派も、
「自分たちがいると企業はよくなるぞ」
みたいなことをいって、企業からお金を吸い上げています。
その意味ではみなが「霊感商法」をやっているわけです。
だから「霊感商法だからインチキだ」というようないい方で
僕は納得しません。
やはり教義の中心を追求して、そこで得るところ、
これは得難いところとか、
これはちょっと違うぞということを、
よくよく検討しなければいけないと思います。
[A157]FreeArcive
太宰治
講演日:1993年7月28日
主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
場所:有楽町・よみうりホール
収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年)
太宰治という人は、僕がお会いしたときには、
まことに見事に、常識でいう社会的な善と悪が、
ちゃんとひっくり返っている人になっていました。
一般的に人がいいことだと思っていることは
ぜんぶ悪いことで、
悪いことだと思っていることは
ぜんぶいいことだというふうに、
揺るぎない自信で完全にひっくり返っていました。
学生時代でしたが、ああ、
すごい人がいるんだなと思ったのを覚えています。
[A158]FreeArcive
私と生涯学習
講演日時:1993年10月3日
主催:文京区教育委員会
場所:文京区女性センター
収載書誌:弓立社『人生とは何か』(2004年)
古くから叡智という言葉があります。
一生勉強するのは、叡智を持つことが
いちばん大きな目的になるのかもしれません。
それは一生学習するに値するのではないかという
感じを持ちます。
叡智は学識・経験とは違うものです。
ものごとが具体的に起こったときに、
本で判断するとか、学識があるなしでなく、
叡智があるなしでずいぶん違う。
叡智を養うということは、
学校で生まれることではありません。
制度的な学校というものは叡智を養うには
そんなに役に立たないものだと、僕は考えます。
それは生涯の問題だといってもいいのです。
学校を出てから、
本格的になってくる問題だという気がします。
[A159]FreeArcive
社会党あるいは社会党的なるもののゆくえ
講演日時:1993年11月26日
主催:社会党
場所:社会文化会館5階ホール
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第9巻』(2005年)
自衛隊問題と憲法とを矛盾なしに整合するには、
小沢一郎のいい方がいちばん妥当なわけです。
僕は、ソフトであってかつ温和な社会党の考え方は、
そのなかにじゅうぶん含まれうると思います。
また、社会党の別のラディカルな部分にとっては、
それはやっぱり名目的に認められない、
ということになると思います。
社会党は、そのどちらをも選ぶ領域があるんだと思います。
もしそれが社会党内部で矛盾だったら、
「さよなら」すればいいわけです。
僕はどちらだっていいんじゃないかと思います。
[A160]FreeArcive
現代を読む PART2
講演日時:1993年12月20日
主催:前橋市・煥乎堂
収載書誌:未発表
いまの不況だったら、生活水準は落とさなくていいんです。
まずいおかずにするとか、
おやじさんやおふくろさんが電気をパチパチ消して、
「おまえ電気無駄にしているよ」とかうるさくやると、
心が冷えちゃうんです。
その効果のほうがもっと悪いですから、
そこは減らす必要はないんです。
旅行を2回行くところを1回にするというような、
選んで使えるところを減らしていれば、
生活水準は落とさなくていいわけです。
どんな企業よりも、個人の方が強いんです。
どんなに企業が潰れても、
みなさんのほうは潰れないんです。
それは本当に重要なことで、
資本主義が新たな段階に入った、
ということのいちばん大きな様相はそこにあるんです。
[A161]FreeArcive
倫理と自然のなかの透谷
講演日時:1994年6月4日
主催:北村透谷研究会
場所:上智大学9階図書館
収載書誌:未発表
透谷の思想といえるものは、
恋愛、男女の関係ということに尽きると思います。
『厭世詩家と女性』に表現された思想は、
透谷の本格的な、独特な思想だということが
できると思います。
「文学も恋愛だったし、倫理も恋愛だし、
生きるか死ぬかということもやっぱり恋愛なのだ。
恋愛というのはそういう意味でいちばん重要なのだ」
ということを透谷ほど強調し、
理念化して立派につくりあげた人はいません。
あらゆる枝葉とかほかの人の影響とかを
ぜんぶ取っ払ってしまって、
透谷の文学理念、あるいはイデオロギーとしての理念を
最後に持ってくるとすれば、
恋愛ということに
最上の価値と重さをおいたというところに、
透谷の本領があると思われます。
そこが透谷らしい思想の本筋だと思います。
[A162]FreeArcive
物語について
講演日時:1994年6月12日
主催:リブロ 西武池袋本店
場所:西武百貨店 池袋本店
収載書誌:未発表
物語とは何かということを考えると、
たとえば『今昔物語』では、いちばんはじめに
「いまは昔」といいます。
そして、終わりに「何々であるとかや」というのが
くっつきます。
これが、文学作品にあらわれた物語の形態認識のひとつで、
いちばん重要なものです。
日本の明治以降の近代小説では、たとえば漱石が、
もっとも遠くまで形態認識を展開させた人です。
そこでは、独立した自我というものの意識があって、
他者と考えられた自分以外のぜんぶのものとの葛藤が
物語になっていきます。
漱石は、「人間の存在感とはかかるものか」という
実存的な領域まで、
とことん形態認識をやったことになります。
僕が欲張りをいえば、現在では、
近代的自我の確立とか、
その高度化は現在では自慢にも課題にもならないけど、
依然としてそれが課題になってしまっていたり、
安堵感になっているというのが、
いまの物語ではないでしょうか。
[A163]FreeArcive
芥川龍之介
講演日:1994年7月28日
主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
場所:有楽町・よみうりホール
収載書誌:コスモの本『愛する作家たち』(1994年)
僕らは若いとき、芥川の死に
いろんな意味をつけたいと思いました。
「自分は近所の駄菓子屋で駄菓子を買って
それを食べながら道で歩くみたいな
下町の下層の中流というようなところで育った。
そして自分は文学的な試みとして、
西欧的なものを取り入れようとしたり、
場所をいろいろ移動してみたりしたけれど、
ついに自伝的に自分の情緒が帰するところは、
本所あたりの駄菓子屋で、駄菓子を買って食べながら
遊んでいた子ども時代、そういう街の雰囲気の懐かしさが
本来的な自分なんだ」
ということを、晩年の自伝のなかではじめて
芥川はいっています。
僕はそれがいちばん好きな感じ方だったので、
芥川はなぜ死んだかという理由づけにしました。
文学的に無理をし過ぎてその無理がたたって、
死ぬ以外になかった、大川端情緒にひたるぐらい
もっと自然になれればよかったのにな、
というのが芥川論を最初に書いたときの
僕の考え方の基底でした。
[A164]FreeArcive
心について
講演日時:1994年9月11日
主催:リブロ 西武池袋本店
場所:西武百貨店 池袋本店
収載書誌:筑摩書房「ちくま」1995年1月号、2月号
心の病というのは、人間の心の世界の大きさを
最大限に大きく見積もって考えれば、
病気じゃないといえばいえてしまうところがあります。
病気なんてもともとない、
人間の精神、意識の働き方の世界の可能性のなかの、
あるところに偏った意識の
偏り方の場所を閉めているのが病気だといってみたり、
異常だといったに過ぎないんだよ、
ということになると思います。
ただ、病気だといわれている状態は、
現在の日常生活にとっては
不自由な状態に違いないということになります。
「この境界を超すと正常だしこの境界を超すと異常だ」
という境界線に対しては、
さまざまな局面で自覚的で意識的になるというやり方が
いいんじゃないかと思います。
そういうことで、古典的な「心の病」の区別は
少なくなると思います。
それに代わるものとして、
ヒステリー症による人格転換ということと、
同性愛の問題は、
心の世界の問題をとりあげる場合に
欠くことができない問題になっていくと思います。
[A165]FreeArcive
顔の文学
講演日時:1994年11月24日
主催:本郷青色申告会
場所:本郷青色申告会館
収載書誌:未発表
人間の声というのは、
音で識別する顔の表情だということができます。
本当の顔の表情は目で見て識別するわけですけれど、
人間の声というのもやはりひとつの顔の表情なのです。
その場合の顔というのは比喩ですが、
声というのは音で識別する顔の表情だと
いうこともできるわけです。
顔という言葉をそういう使い方をすると、
もっと極端な使い方ができます。
たとえば「おれの顔を立ててくれ」というでしょう。
文学と関係が深いのは、主として比喩としての顔、
あるいは顔の表情です。
日本の古典文学というのは、
「もののあはれ」を主題にした物語か、
そうでなければ「顔を立てる」物語かの
ふたつに大別することができます。
いかに顔を立てるか、立てないかという問題、
つまり「顔の文学」というものは、
「もののあはれ」の文学と同じように民族の深層、
無意識の奥深くまで届いている問題なのです
[A166]FreeArcive
生命について
講演日:1994年12月4日
主催:リブロ 池袋本店
場所:西武百貨店 池袋本店
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第7巻』(2004年)
ここ数年のあいだに起こってきている
宗教とか理念とか科学というところからくる生命論は、
いままであった生命論とは違う場所なんです。
超能力とか、死後の世界とか、生前の世界という問題は、
それを考えたら気分が
せいせいするということはないんですが、
たいへん興味深い場所なのです。
僕が唯一こうしたらいいんじゃないかなと思うことは、
科学的であれ、宗教的であれ、早急に決めないで、
まだ残っている問題があるんだと考えて、
それをなんとかして解決しようと考えるのが
妥当じゃないかということです。
その考え方に差し向かうということは、
いいかえれば生命論以外の、倫理の問題や、
社会的な問題、政治的な問題に
差し向かうということとも
広がりを関連させることができるのです。
[A167]FreeArcive
25年目の全共闘論ーー『全共闘白書』を読んで
講演日時:1995年1月18日
主催:プロジェクト猪/『全共闘白書』編集委員会
場所:永田町・星陵会館
収載書誌:プロジェクト猪『いのししブックレット2 25年目の全共闘論『全共闘白書』を読んで』(1995年)、弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第9巻』(2005年)
『全共闘白書』の最初のところに
72項目のアンケートがあります。
僕が読んでいちばん関心を持ったのは
このアンケートでした。
こういうアンケートの設問のしかたは、
「社会的なこととか公共的なことは重要で、
個人的なことが最重要課題だということは
情けないことなんだ」
というような観点が、
無意識のうちにあるような気がします。
僕はそれは絶対にやめたほうがよいと思います。
そういう発想をしている限り、
「おれは大衆の前衛であって、みんなついて来い、
おれが啓蒙してやる」
みたいな勢力にかなわないんです。
そうじゃなくて私のこと、自分のこと、
それから子どものこと、家庭のことが大切なんだ、
それが最緊急課題なんだという観点を根本に据え、
それを基盤に政治的なこと、
社会的公共的なことを考える考え方に
転倒しないとだめなんです。
[A168]FreeArcive
「知」の流通ーー「試行」刊行から34年……現在
講演日時:1995年2月10日
主催:地方・小出版流通センター
場所:幕張プリンスホテル
収載書誌:未発表
流通のやり方を決めていく決め手というのはもちろん
上のほうから決まっていくのが常道ですが、
消費資本主義、現在の高度な資本主義が突入した段階から
いいますと、逆が成り立つということです。
つまり「価格破壊」が成り立つのであって、
それは別の言葉でいえば、
「消費者第一主義」ということを意味します。
消費資本主義の段階で誰が価格を決めるのかというと、
消費者が決めるわけです。
それにいちばん近いかたち、いちばん便利で安いかたちで
提供を受ける権力というのはどこなんだとか、
やり方はあるのかというのは、
僕が「試行」という雑誌をはじめてから
一生懸命考えてきたことです。
その原則、原理だけはいまでも通用すると思いますし、
いまのほうがある意味ではかえって
通用する段階になっているのかもしれません。
[A169]FreeArcive
ボードリヤール×吉本隆明世紀末を語るーーあるいは消費社会のゆくえについて
講演日時:1995年2月19日
主催:紀伊國屋書店
場所:新宿・紀伊國屋ホール
収載書誌:紀伊國屋書店『ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る』(1995年)
ボードリヤールさんは、日本というのを
褒め過ぎではないかと思います。
「日本は起源というのを担保にしていないから、
何でも自在に受け入れていけるし、
自在に展開することもできる、
それは日本の利点じゃないか」
といっておられると思うんです。
僕の考え方は、ボードリヤールさんが見ておられる
日本というのとは逆のことで、
「日本の起源はどう突っついていけば不明でないか」
を課題にしています。
僕らが見ようとしている日本は、アジア的でない、
アフリカ的なんです。
究極的には、ヘーゲル歴史哲学がいう
「アフリカ的段階の日本」というものを
はっきりさせたいのです。
それは、日本の消費資本主義社会を
「死」のほうへ向かって明確にしていくことと、
同じ方向だという方法にあたります。
[A170]FreeArcive
ヘーゲルについて
講演日:1995年4月9日
主催:リブロ 池袋本店
場所:西武百貨店 池袋本店
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第7巻』(2004年)
法を哲学にまで突きつめたヘーゲル、マルクス流の考えと、
われわれの理解とのギャップを埋めるためには、
「法的な言語というものを、
実証的な言葉じゃなく本質的な言葉として理解することは、
いざとなったらいつだってやれるぜ」
というところまで突きつめておけば、
調節はつくだろうなというのが
僕の考えているところです。
日本が西欧的になればいいという人たちもいますが、
僕はそれに賛同しないのです。
そんなところはちっとも問題になりません。
西欧近代の法理解と道徳倫理の区別がつかない
われわれの伝統と実感を
「どういうふうにつき合わせれば解決したことになるのか」
が、とても重要だと思います。
[A171]FreeArcive
『神の仕事場』をめぐって
講演日時:1995年6月14日
主催:砂子屋書房/岡井隆『神の仕事場』を読む会
収載書誌:砂子屋書房『『神の仕事場』を読む』(1996年)
岡井隆さんが、『神の仕事場』のなかでやっておられる
新しい試みがあります。
短歌を「意味」でつくらないで、
「音」でつくってしまう、ということです。
岡井さんには、
「短歌というものを〈音の言葉〉にするということが、
短歌を構成するために非常に重要なんだ」
という考え方があると思います。
短歌の本質は、どうしたら解けるか
本当はよくわからないんですが、
岡井さんは、1歳未満の乳児の「あわわ言葉」を
意味ある言葉だと受け取れるとしたら、
短歌はどうなるか、という試みをしているように
思うんです。
これは、岡井さんの『神の仕事場』のなかで
とても大きな、新しい、現代的な試みだと思います。
[A172]FreeArcive
フーコーについて
講演日:1995年7月9日
主催:リブロ 池袋本店
場所:西武百貨店 池袋本店
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第7巻』(2004年)
フーコーには重要な意味があるなと最初に思ったのは、
この人がマルクス主義的な方法とまったく違ったやり方で、
権力の問題とか国家の問題を扱っているところでした。
最初にフーコーの『言葉と物』を読んだときに驚いたのは、
マルクス主義あるいはマルクスの考え方の
枠組みのなかにない方法で、
だいたいマルクス主義が手を伸ばしている
あらゆる分野に適用できる「知の考古学」という
まったく独立した方法がここにあると思えたところです。
フーコーとは自分にとってなんであるかというとすれば、
けっきょくそこが中心になってきます。
[A173]FreeArcive
文学の戦後と現在ーー三島由紀夫から村上春樹、村上龍まで
講演日:1995年7月24日
主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
場所:有楽町・よみうりホール
収載書誌:朝日出版社『埴谷雄高・吉本隆明の世界』(1996年)
文学作品はいつもある時代の作品です。
『源氏物語』は別な面から見ると
ものすごいジャーナリズム小説なんです。
当時の誰それが失恋して失踪したとか、
そういう風俗的な事件がとてもよく入っているんです。
いま読むとその面が沈んで
僕らもよくわからなくなっているけど、
よくよく見れば当時あった人が騒いだ事件は
ことごとく作品のなかにおさめられています。
そのように、ある作品が長生きするかどうかということは
偶然性にもよりますが、いずれにせよ時代の風俗性と、
永続性みたいなものが両方ないと、
長生きはしないということがいえそうな気がします。
[A174]FreeArcive
現在をどう生きるか
講演日時:1995年9月3日
主催:教育研究会/山梨日々新聞社
場所:山梨県立文学館講堂
後援:新潮社
収載書誌:ボーダーインク『現在をどう生きるか』(1999年)
「現在」ということをいうのに、
一般に、「価値の多様化」ということを
人々がいっているわけですけど、
僕はそういうふうに考えていません。
もともと生活における価値観が多様だというのは
当然のことです。
僕は、「価値の浮遊性」というように考えています。
「価値が浮かんで価値の本体から
離れてどこへでも行ってしまう」
ということです。
価値ということはひとつの問題に過ぎません。
「浮遊性」??つまり、ある事柄が
本体のところから離れてどこへでも行ってしまうという
そのことが、「現在」の特徴として
いえるのではないでしょうか。
「浮遊性」を共通の理解事項とすれば、
「現在」ということがいえるのではないかと考えています。
[A175]FreeArcive
親鸞の造悪論
講演日:1995年11月19日
主催:東洋大学二部印度哲学科学生/東洋大学全学学園祭実行委員会
場所:東洋大学白山キャンパス
収載書誌:春秋社『宗教の最終のすがた』(1996年)
オウム・サリン事件で僕なりに
いろんなことを考えました。
親鸞が「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と
いっているのは一種の逆説で、
逆説のほうが通りやすいといいますか、
持続しやすいということがあって、
どんどん突き進んでいったというふうに
僕は考えてきていました。
ところが、親鸞はもしかすると、
いまのオウム・サリン事件みたいな問題に現実に直面して、
これを肯定していいんだろうか、よくないんだろうか、
と本気になって考えさせられたあげくに、
「造悪」、悪を進んで造る「極悪深重の輩」を
自分の「善悪」観のなかに包括できるという確信を
持てるようになるまで考え抜いて、
それで「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と
いうことをいったんだ、と僕は考えてみました。
[A176]FreeArchive
苦難を超えるーー『ヨブ記』をめぐって
講演日時:1996年1月13日
主催:森集会
場所:芦屋市民センター
収載書誌:春秋社『本当の考え・うその考え』(1997年)
旧約聖書には神話を交えた
ユダヤ民族の歴史の書である面と、
神の予言の書である面と、
個人の信仰とか体験とか苦難とかを介して、
神と対面する信仰の書という面とがあります。
『ヨブ記』はそのなかのひとつだというだけの知識から、
先入見なしに、直接読んだらどういうことを感じるか、
というところからお話ししたいと思います。
[A177]FreeArchive
いじめと宮沢賢治
講演日時:1996年5月11日
主催:高崎哲学堂
場所:群馬県高崎市 高崎ビューホテル
収載書誌:未発表
子どものいじめの世界は、
宮沢賢治の童話が描いているなかに
ぜんぶ入ってしまうと思います。
その範囲を出てしまういじめというのは
ちょっと考えられないのではないかというくらい
用意周到に描かれています。
これは宮沢賢治の宗教意識にもよりますし、
いじめた経験はないけれどもいじめられた経験はある、
ということにもとづいていると思います。
宮沢賢治のなかでは、僕らが考えているよりも
ひと回り大きく精神の範囲がとられていて、
そのなかで考えているから、
救いが出てくるということになるのではないかと思います。
[A178]FreeArchive
賢治の世界
講演日時:1996年6月28日
主催:千葉県高等学校教育研究会国語部会
場所:千葉県立銚子高校
収載書誌:千葉原稿等学校教育研究会国語部会『国語部会誌』(第34号)『宮沢賢治の世界』(筑摩選書)
宮沢賢治の作品は、
「初期の段階から中期に行って、後期はこうだった」
という考え方をとると
はぐらかされてしまうところがあります。
あくまで現在にいるのですが、
以前の自分の感性や体験したことが、
一種の考古学的な層として
基礎の方に横たわっているのです。
以前の考え方や書かれたものは、
下の層になってなかなかあらわれてはこないけれども、
層としてはちゃんとある。
そして、そういうものが重なったのが現在です。
だから、未開の時代の人類が考えたことを
自分のなかに再現することもできるし、
現在のことも再現することができると、
宮沢賢治は考えているのです。
[A179]FreeArchive
中原中也・立原道造ーー自然と恋愛
講演日:1996年7月24日
主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社
場所:有楽町・よみうりホール
収載書誌:弓立社『吉本隆明全講演ライブ集 第16巻』(2007年)
僕らが中原中也と立原道造、
両者を古典として保存するのはなぜかというと、
決して大詩人であるとか、
大ロマンを持っている人だというのではありません。
そういう意味ではマイナーな人ですが、
しかし、天才としてのどん詰まりを持っています。
天才としての道を、行き詰まったところまで、
とことん行ったということは、
詩の作品のなかにちゃんとあります。
自分はできなくても、
しかしこういう人がいるということは、
われわれの希望をどんなに助けるかしれないことなのです。
天才ということを、少なくとも僕らが文学、
芸術において保存して、
なかなか滅ぼさないのは、そのことなのです。
[A180]FreeArchive
作品に見る女性像の変遷
講演日時:1997年7月21日
主催:日本近代文学館 後援:読売新聞社
場所:有楽町・よみうりホール
収載書誌:未発表
鴎外や漱石ほどの、西欧近代もよく知っていて、
抜群の知識・教養を持っている男性が、
どういう女性を理想とするのかというと、
?外をとっても、漱石をとっても、
近代的な女性ではないのです。
教養ある女性でもないのです。
なんと古めかしく、男性に対して献身的で、控えめで、
根性がよくてという女性が
やっぱりいいということになってしまうわけです。
いずれもしかたないというか、
理想の社会像と、理想の女性像と、
理想の人間像は本来的にいえば
それぞれみんな違うわけです。矛盾することは当然です。
それがふつうですが、
そこを一致させるという考え方でいけば、
鴎外、漱石といえども、少しも一致していない。
理想の社会像と理想の男女像も一致していないし、
理想の男女像と理想の個人像も一致しないのです。
僕の考えかたを極端にいえば、
一致していないのが本当であって当然なのだ、
といういい方ももちろんできるわけです。
[A181]FreeArchive
日本アンソロジーについて
講演日時:1998年9月25日
主催:文京区立?外記念本郷図書館
場所:文京区立?外記念本郷図書館
収載書誌:未発表
僕は、歳を食って、
締め切りに追われる仕事から免除されて、
なおかつ経済的ゆとりがあったら、
のんびりしたかたちでやろうと思ったことがありました。
ひとつは、日本の詩歌の
古代から現代までのアンソロジーを
自分の好き勝手な選び方をしてつくりたい。
もうひとつは、古代から現在までの
思想のアンソロジーをつくって、
のんびりと必要な個所を掲げて、
古い時代ならそれに口語訳の訳文もつける。
あとは自分勝手な注釈をつける。
そういう、ふたつのアンソロジーを
つくってみようという望みを持っていました。
理屈っぽい思想のアンソロジーと詩のアンソロジーと、
両方を自分勝手にやりたいというのが願望です。
願望はうかうかしているとだめだぜ、という感じですから、
暇を見てはちょこちょこやりかけています。
終わるにはなかなか時間がかかりますが、
やりかけています。
2000〜
[A182]FreeArchive
ふつうに生きるということ
講演日時:2003年9月13日
主催:ほぼ日刊イトイ新聞
場所:東京国際フォーラム ホールC
収載書誌:ぴあ『智慧の実を食べよう。』(2003年)
僕は、ふつうに生きている人、
あるいはそういう生き方を
すでにやっている人の生き方が、
いちばん価値ある生き方だと、理想としています。
何かを膝にかけて、一日黙りこくって細工物をしている、
何かのデザインを描いたり、
染織物をしたりして、一日終わる。
日常いつでもありふれたことなんですけど、
そういうことで一日を送っているような人が
テレビなんかに出てくると、
これは偉い人だよ、たいしたもんだよと思って、
おれもまねしたいもんだなと思うわけです。
[A183]FreeArchive
芸術言語論ーー沈黙から芸術まで
講演日時:2008年7月19日
主催:ほぼ日刊イトイ新聞
場所:昭和女子大学人見記念講堂
収載書誌:未発表
僕が芸術言語論ということで第一に考えたことは、
言語の本当の幹と根になるものは、
沈黙なんだということです。
コミュニケーションとしての言語は、
植物にたとえますと
樹木の枝のところに花が咲いたり実をつけたり、
葉をつけたりして、季節ごとに変わったり、
落っこちてしまったりするもので、
言語の本当に重要なところではないというのが、
僕の芸術言語論の大きな主張です。
沈黙に近い言語、
自分が自分に対して問いかけたりする言葉を、
僕は「自己表出」といっています。
そして、コミュニケーション用に、
もっぱら花を咲かせ、葉っぱを風に吹かせる、
そういう部分を「指示表出」と名づけました。
言語は、そのふたつに分けることができますよ、
ということが、芸術言語論の特色として
強調しておきたいことです。