一泉同窓会百周年

 「コンピュータ、ソフトが無ければ、ただの箱」というCMがあったがデータ無ければ 、矢張りただの箱である。それもコンピュータで処理可能な電磁化されたデータでなけれ ばならない。

 今、百周年のイベントが了わり四種類の出版物を前にしている。厚さの順では百年史・会員名簿・人材マップ・国事殉難者名簿となる。前の一種類を除き後の三冊は大なり小なり、この作文のコンピータを経由してデータを収集し印刷に付された。

 人より3年遅れの2度目の大学3年の時、伝統ある我が剣道部に確たるOB会(我々の時代、剣道部は女人禁制の様な状況であった)がない事に奇意を憶え、在京の先輩同期と語らい、相談の電話をしたのが衆議院会館坂本三十次(一中47期)事務所。電話の相手は当時、白バッジの中川外司(泉丘8期)前金沢市議会副議長であった。「吉野のデモ先生に会って来い」との事。
 当時、茗荷谷の学生寮においでたデモ先生にお目にかかったのはこの時が最初で最後だった。「君たちはまだ若い。今のままでは一中の先輩にブラ下がってオコボレに預ろうと疑われる。先ず泉丘のOB会をしっかりさせて一中という御神輿を担げるように」。いきなり面をとられた様なものだった。私の名簿とのかかわりは、それからの剣道部OB名簿の調査に始った。


百周年記念名簿編纂によせて