(泉丘高校学校新聞依頼の原稿)
百周年記念名簿編纂委員 O A 委員 中川恒雄(泉丘18期) 「いややー!。ほんながーっ!」 新制泉丘初期の女性大学教授である。往時のPTA名簿の保護者をコンピュータに入力していったところ父親を同じくする不詳者(4期違い)が判明し電話したところである。余程お気に召さない御兄弟なのか? 「言うさけ関係なんか載せんといて!」 今、出来上がった名簿を前に様々な思い・想い出が頭をよぎる。思えばまだ先帝陛下在位、昭和62〜63年のことである。名簿委員の初顔合せ(?)では「泉丘の方を頼む」との事であった。新制泉丘委員は取り敢えず1人。「ンムー?」。
名簿委員会もさることながら「記念名簿は遅くとも1年ぐらい前までには発行できないかねー?」とは松村同窓会副会長。各記念事業遂行にあたり記念日の1〜2年前には様々な角度・方面の卒業生の発掘・接触の用に供せねばとのこと。 この頃、我が18期の名簿は不詳者を残すところ卒業生ベースで8名、中西一夫女子短大教授(当時)がd−BASEVに入力、原価1冊 100円の名簿を 1,000円で配付し他期に比し活動資金は比較的潤沢であった。フォーマットは「おはこ(18番=おはこに因み)会」のものをベースに 100%追跡可能を期す。主要項目は期・姓・名・旧姓・旧名・各よみ(索引作りに必須)・現住所・勤務先・実家・各電話・出身中学(小学校)・進学先・同窓親族・他期との重複の是非・所属クラブなどとし、採用ソフトは管理工学の「桐」とする。印刷業者にはMS−DOSのフロッピー渡し。
「今度の校長は久々の同窓だ。心強いな」と一中卒委員。「生徒にデータを入力させて貰えるよう頼んでこよう」と新たに泉丘卒委員に加わった福田太睦氏(8期)。
先の同窓会常任委員会での私の提案(同席を願った中西君を紹介。同窓会にとり無償の頭脳を・・)を受け、渋谷会長・松村副会長との話でOA委員会・同好会の設置が決定。コンピュータの指南役はプログラムでは前述・中西一夫君、メカは上坂寿治氏(17期)。私のサラリーマン時代の先輩でもあり、その後コンピュータでは苦しい時の上坂頼みとなる。両氏それぞれ「各期フロッピーで提出させてコンバート、吸い上げよう。然し一中はアルバイトに名前だけ打って貰って読み込もう。あとはそれからだ・・」。
平成2年、先発の名簿・記念誌両委員会に続き、他の委員会が漸く決まりだし百周年事務局との最初の大仕事は募金の依頼・二大出版物の需要予測・名簿調査・同窓親族の申告を兼ねてのダイレクトメールの発送となった。
案の定、大量の転居先不明。ワーストワンは××期、その次は矢っ張り。○○期は口程じゃないな。兎に角、届かない住所は消す。項目値をヌル(ドイツ語でゼロ)とし不詳者リストを可能にする。各期幹事宛ての返信葉書の回収・手書きデータの全文字チェック・データベースへの訂正・追加。
PTA名簿を基に親の当時の勤務先へ問い合せ。農林省関係は石川参議院議員(一中53期)にFAX。農林大臣官房からの調査。労働大臣官房からの回答もあった。PTA名簿で公務員・会社員は問合せ先を特定できない。冒頭の保護者からの兄弟調査。 従来、期という横糸の寄集めだった同窓会に縦糸をとおす意味からも幾つかのクラブの名簿調査に協力。今後、クラブや職場・企業別という縦糸の強化が期待される。 コンピュータによる調査の支障となったのは誤字(治と次や二の書き違い)・新字旧字の混用(斉と斎や齋・辺と邊や邉・沢と澤・国と國・条と條)・類字(竜と龍・滝と瀧・籠と篭・島と嶋や嶌)のほか、與(与)と興、慶と廣(広)の見間違いなども。
資料調査で発見し吃驚した例としては「志鷹憲太郎」氏が何時のまにか「志鷹慶太郎」となり「広朝外茂治」氏の如きは「広瀬登茂次」となっていた。これではどんなに調べても判るはずがない。 物故者の内、戦没者については11期・長谷先生から石川護国神社の鏑木宮司(一中57期)を紹介され、先方の「桐V4」データとコンピュータで同姓同名を選択、折から独自に調査されていた永井正三氏(一中38期)に纏めて頂いた。その後、「国事殉難者名簿」として別刷。ただ、他の都道府県の護国神社までは及ぶべくもなかった。
平成3年度の関東一泉同窓会当番幹事期(12期)の村上姉よりTEL。案内状の発送に協力を得たいとのこと。まだフロッピーディスクを送るしか能がない。然し、幹事期の努力の甲斐もあり、予定の会場に収容不能、急遽会場変更とのこと。然し、その後のデータチェックは旧態依然。「次回は特製往復葉書に宛名、返信部分に把握データを同時に打出し、朱書訂正加筆部分だけチェックしよう」
いよいよ本番の平成5年、このデータチェックの為、百周年事務局と協同、二万三千余のダイレクトメールを敢行。この実現に関する紆余曲折は割愛するが、実に百周年事業の成功の鍵となったと関係者共々自負する次第である。約3%の転居先不明への再送。返信葉書(約4割)による訂正。 その間、実に多くの方々と出会い或いは知己を得、或いは電話・郵便・ファックスだけで失礼している。またここに紹介しきれなかった多くの方々とのエピソードは後日の機会とさせて頂く。 剣道部・吉野デモ先生との一瞥に始る20数年の名簿との付きあいだが、今回はコンピュータを中心に記念名簿編纂の思い出の一端を述べさせて頂いた。期せずして同窓会運営のQC的、フルコスト的旗振りを演じて了ったようにも思う。今後、折角のデータベースを如何にメインテナンスしていくか。生業を持つOBがヴォロンティエ(フランス語で喜んで)とヴォランティアできる場(多額の電話代に関係する)の確保。何日れはバトンタッチするかも知れない現役諸君にも宿題としたい。また、卒業されては住所等の変更は一報をお願いしたいが、少なくとも郵便局には絶対に転送の手続きを忘れないでもらいたい。
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