日本型中央集権への訣別


 中央・地方の別なく蔓延する金権腐敗、未曾有の経済不況、これらに対する私の処方箋は、地方分権を基にした日本政治のリストラである。今、江戸時代の薩摩・長州に代表される雄藩の如き溌剌として個性ゆたかな地方政治・経済が望まれている。しかし、現行制度の下では、幕末の雄藩のような地方政府の出現は不可能である。
 各都道府県政府が主権を持ち、これらの契約により地方政府の主権の一部(外交・軍事・行政監察等)を中央政府に委託する。余剰の国家公務員は整理し地方政府や民間などへの再雇用を計る。
 そして何よりも、税の徴収と配分の流れも逆にする。国税の殆どは廃止し、代って各都道府県政府が徴収し分担金として中央政府の維持費に当てる。各都道府県政府は独自に殖産振興政策や税の徴収方法を企画実行する。農業・教育・土地政策も同様である。
 これにより、国会議員や知事は中央政府から予算を引出す仕事から解放される事になり前者は純粋に世界・国家百年の大計に専念して貰い、汚職の誘惑からも解放される。
 後者は地域の発展と住民生活向上に専念することが唯一の職務となる。本来、知事に中央とのパイプは不要なのである。そして、地方政府首長の任期は1期5年の2期10年のみとし、多選による汚職の構図を断ち切る。これは市町村長(現行政令指定都市区長も含む)も同様とする。以上は多分に現行ドイツの制度を参考にした。
 人事における官・民・学の垣根を取り払い、官における年功序列人事を廃止し、ここでも権限の集中による弊害を予防する。と同時に新旧政権交替要員の扶養の場を設ける意味でもある。これはアメリカの制度を念頭においている。
 小選挙区と比例代表のミックスによる選挙制度が現実味をおびてきた。が、これも過渡的制度に過ぎないのではないだろうか。戦後の日本国憲法はイタリア憲法などの軟性憲法と違い非常に改正しにくい硬性憲法に分類されている。水は凍れば膨張し、ガラス容器は壊れてしまう。壊れる前に、壊れない容器に移し替えねばならない。昭和2年の金解禁、ウォール街の暗黒の木曜日、昭和の大恐慌に続く悲劇を繰り返してはならない。日本国憲法には未だ「容器」を適宜変更する自己変革能力が欠落してはいないだろうか。
 戦後、日本の経済発展は農地解放・財閥解体・憲法改正・ベビーブーム等のイノベーション効果に依ると言っても過言ではない。ベビーブーム以外は政治・経済のリストラであったわけである。戦前の日本経済は極論すれば戦争を唯一のイノベーションとしてきた。戦後50年、新たなイノベーションが求められているようである。戦後GHQも占領政策を円滑たらしめるため、手をつけなかった官を中心にした中央集権。霞ケ関と永田町を中心に利権化された許認可行政・資格制度。これら政界・官界のリストラは各地域・地方の創意工夫・民主的意思がヴィヴィッドに反映される政治と共に、ニュービジネスの創出など日本経済に大きなイノベーション効果をもたらすはずである。


参考文献:PHP研究所刊  佐瀬 昌盛 著
     「西ドイツ・戦う民主主義」 副題 “ワイマールは遠いか”


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