8月9日の社説のタイトルがやめたい「内閣の改造劇」と見え「さすがは朝日!」と思ったが早合点であった。
トランプの持ち札を総取っ替えするがごとき内閣改造そのものを何故、阻止しようとしないのか。そして民間からの専門家起用との触れ込みで期待させた新閣僚は元事務次官の官僚OBではないか。
世界中で日本のように内閣改造を年中行事化している国が他にあるだろうか。諸外国で大臣の変更は、特定の大臣の健康上の理由か更迭しかない。参議院選以来のマスコミの報道ぶりは、政局不安を煽り政治の主導権確立を妨害し、結果として官僚主導の中央集権を助けている。官僚主導の非をならし、政治の主導権を求める論陣はどうしたのか。
キャスター連も政治評論家と称する連中も、ただ政局の不安定を誘ってメシのタネにすればよいというのが本音のように思えてくる。これでは政治評論家ではなく政局評論家に過ぎない。地味で受けは悪くても、政局を安定させ個別の政策を論議すべきではないか。それともその能力がないのか。
ジャーナリズムに限らず日本ではどの程度、専門を修めたか判らない大卒が学閥とコネで採用され、終身雇用の年功序列にアグラをかいている。歴史への反省が足りないのは政治家だけではない。日本のジャーナリストも、もっと戦後ドイツに学び理想を語るべきである。健全なジャーナリズムのない国に、健全な政治は生まれない。
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