父親の子育て(中) 〜北國新聞より〜
<西野泰正選手の父・雅博さん>
泰正がプロの選手になるとは予想もしなかったことで、
親の手の全く届かない、専門的なところまで行ってしまったように感じます。
私はとりたてサッカー選手にするための教育をしたわけでもありませんし、
したことといえば練習や遠征への送り迎えと応援が主でした。
でも、子供たちには”やりたいことには真剣に取り組む実直さを持ってほしい”という願いはありましたので
「今はよくここまでやってくれた」と思います。
『子供の夢』が目標に
小学校の時、当時流行の漫画『キャプテン翼』の影響でしょうか「プロ選手になりたい!」と言ってました。
もっとも当時は『子供の夢』でしかなく、Jリーグも発足していなかったわけですが、
中学生になりユース代表に選ばれるようになったあたりから、本人にとって”夢”が”目標”になってきたのでしょう。
彼自身は本当にサッカーが好きで、上手になりたいということで一貫していました。
小中高と多くの先生やチームメイトに泰正は多くのことを学んできました。
もしも家庭でサポートしたとすれば、気持ちのめんではなかったかと思います。
我が家は7人家族で、泰正も兄姉、祖父母に囲まれて育ちました。兄の貴博はサッカーの先輩でもあったわけで、
小さいときから家族がそばにいてやれたことも、意味があるようにも思えます。
運動選手には必然といいますか、泰正も高校生になると骨盤の病気など、体のあちこちに故障が出てきました。
そうなると試合に出たくても出してもらえません。
体の苦痛も相当なものだったでしょうが、私から見ると、試合に出られなかった時の精神的な落ち込み方は
負けたときよりも大きかったように思います。
あせらせないよう
不安定な泰正を見て何とかしてやりたくても、社会人チームのサッカー選手の貴博はともかく、
私には技術面のことはどうしようもありません。
ですからむやみに励ましたりせず、あせらないように良い病院を探してやったり、
母親は健康な体を作るため、毎日の食事の栄養のバランスに気を付けたり、
体を治すことに専念させるよう心掛けるのが精一杯でした。
幸い大事に至らず治ってくれたのは何よりです。
最終的に今の道を決めたのは悩んだ末の本人の意思ですし、私は口出ししませんでした。
したがって、いまさらとやかく言うことはできません。
でもこの道でも『実直さ』は持ち続けてほしいと思います。
(下へ続く)