三味線ざんまい

画像: 熱帯魚

2005年9月、縁あって加藤訓若先生に師事。藤秋会に入会させて頂きました。


2011年12月17日(土) 三町公民館にて家元総見に出席。約30名が集まりました。六段・あいや・ひびき・を中心に基本的な動作を教わりました。 頭では理解できているつもりですが、思うように手が動かないと言うのが正直なところです。

2011年4月。 Super津軽あいや節を教えていただきました。 "Super"とあるだけに、難しいです。 どうしても、左手が動かないフレーズが2箇所あります。

2011年2月 秋田舟方節・津軽甚句を教えて頂きました。

2011年1月15・16日。 富山県高岡文化ホールの、第23回新春フェスティバルに出演。15日はロビーで、16日は舞台で演奏しました。

2010年12月 秋田荷方メドレー(仙北荷方・本庄追分・秋田荷方)を教えていただきました。

2010年12月11日(土) 三町公民館に於いて家元総見。高岡・氷見の各教室から約30名が参加しました。

2010年11月14日(日) 中田の福祉センター祭りで演奏。

2010年11月06日(土) ふれあい福祉センターのボランティア祭りで演奏

2010年10月31日(日) 訓若会おさらい会 米島公民館

2010年10月06日(水) 三町公民館に於いて 家元稽古に参加。 教室の先輩と共に家元の直接指導を受けました。 少し緊張しました。

2010年8月 津軽じょんから・(中節)を教えて頂きました。
また、、(旧節)をCDから音取して採譜しました。
旧節・中節ともに津軽の味があり、新節よりも魅力的な三味線です。

2010年7月 道南口説を教えていただきました。

2010年6月6日(日) 高岡市民会館にてサロンコンサート。 津軽六段・弦奏・三下がりメドレー・おはら・あいや・響き・などを合奏しました。

2010年5月 本庄追分を教えていただきました。

2010年2月 [Super よされ]を教えて頂きました。 約1週間で覚えましたが、これまた、ハイレベル・ハイテクニックの素晴らしい曲です。弾きこなすまでには相当の月日がかかりそうです。

2009年11月14日(土) 訓若会・演奏会 高岡市ふれあい福祉センター

2009年9月。 壽楽 "JURAKU"(喜代節・とらじょさま・鹿角おやまこ・メドレー)を教えて頂きました。

2009年8月22日 日中交流演奏会 市民会館
2009年7月12日(日) 家元稽古 三町公民館。 家元の個別指導を受けました。初めての体験で、とても緊張しました。 (津軽の響き)を指導して頂きましたが指が動きませんでした。
2009年6月 津軽音頭。 これで、三下がりメドレー(弥三郎節・津軽音頭・津軽三下がり)を修得しました。

2008年12月20日 家元稽古総見が3町公民館で行なわれ、昨年に続いて2回目の出席。
懇切丁寧な指導で、日頃から訓若先生から指摘を受けている事柄でしたが、家元の言葉の重みというか、少し理解が深まったような気持ち!
2008年11月7日。またしても表皮張り替え(涙) 今回は3ヶ月の保険付きにしました。
2008年10月 氷見民謡連盟発表会
2008年10月 津軽三下がり。 これで、津軽5大民謡を修得しました。
2008年8月 表皮張り替え。破れました!痛!!
2008年8月 「弦奏・津軽」
2008年6月 訓若会食事会 in 砺波ロイヤルホテル
2008年4月「新たんと節」(あんこ入り:真室川音頭・ソーラン節・おこさ節)
2008年4月 表皮張り替え。よ〜く鳴ります!
2008年3月 前田民謡会おさらい会。氷見いきいき元気館氷見市
2008年2月 津軽おはら節

2007年11月 藤秋会発表会 in HIMIHIMI shimin kaikan
2007年11月 加藤 訓・家元来県! 稽古総見
2007年11月 氷見民謡連盟発表会
2007年10月 前田民謡会演奏会
2007年10月 定期演奏会 in 文化ホール Pm 5:00
2007年9月 弥三郎節
2007年6月 津軽タント節
2007年3月 小町の調べ(秋田甚句・お山こ三里・正調生保内節・田植え踊り唄・人形甚句)
2007年1月 津軽よされ節


2006年11月 氷見民謡連盟発表会
2006年11月 黒石よされ節
2006年10月 日中交流演奏会 in 高岡市民会館
2006年10月 津軽願人節
2006年9月 十三の砂山
2006年6月 外山節
2006年5月 ソーラン節
2006年4月 花笠音頭
2006年3月 新春演奏会 in 高岡
2006年3月 津軽あいや節
2006年1月 津軽じょんから曲弾き (津軽の響き)
2006年1月 新年演奏会 in TOYAMAKEN TAKAOKA BUNKA HALL

2005年11月 氷見民謡連盟発表会
2005年11月 りんご節
2005年10月 南部俵積み唄
2005年9月 嘉瀬の奴踊り
2005年9月 津軽六段

最初に津軽三味線を耳にしたのは、高橋竹山(たかはし ちくざん)のカセットテープだった。

光を失い、病院のベッドで失意のどん底にいた私に友人が買ってきてくれたものである。

高橋竹山の三味線は、柔らかく穏やかで、とても繊細な音として耳に入ってくる。独特の節と響きがあり、一つの世界を作っているように思える。

今でこそ、民俗音楽としてテレビなどのマスコミにも取り上げられ、若者たちにも人気となっている津軽三味線だが、高橋竹山の時代には、私達の創造をはるかに越える厳しい生活があったようだ。

門付け芸人として蔑まれながらも、津軽の厳しい風土と風雪に耐えながら、その日の糧を得るため、生きるために三味線を弾き歩いたと聞いている。

そのような竹山の生きざまが、あのように激しくもせつない音として心に響くのだろう。

今にして思えば、(目が見えなくとも生きる世界がある)というのが友の気持ちだったに違いない。

私が初めて三味線を手にしたのは、1982年、光を失って1年ほど過ぎた頃だった。

それは、5万円ほどの稽古三味線だったが、妙に胸の高まる思いだったのを覚えている。

暗闇の中で、一筋の光を見い出したような思いだったのかもしれない。

津軽民謡の稽古初日にM先生のじょんがら節の生音を耳にしたとき、(ぞくぞく)としたものが全身に走る感覚があった。

津軽で言うところの、(じゃわめく)?とか言うものだったのかも知れない。

前田民謡会にお世話になったのも、偶然と言えば偶然な出会いからであった。

実は、兄が以前から他の民謡会で唄を習っていたのだが、私が三味線を習いたいと言い出した時、なぜだか兄は、自分の行っていた民謡会ではなくて、彼の知人から聞いた前田民謡会を紹介してくれたのだった。

まことに、人との出会いと言うか、縁とは不思議なものである。

あの時、兄の紹介が違っていたら、私の三味線に対する考えも変わっていたのだから。

更に丁度その頃から、先生も富山梅若会(うめわか)で、梅若梅清(うめわか・ばいせい)先生の直接指導を受けるために、富山市まで通い始めたところだった。


こうして、梅若会で習ってこられたプロの三味線を先生から教えていただく事になったのである。

その年の5月から、週末の土曜日に兄の送迎で稽古に通い始めた。

当初は、三味線が自分に合うのか続ける事が出来るのかも見当すらつかず、とりあえず、稽古三味線を持って始めたのだが、 最初に聴いた竹山の音や本場のじょんから節の感動が、今日まで継続して来られた原点だったように思う。


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