■6月3日
何と言う美しい曲だろうか。何と情感にあふれた素晴らしい音楽だろうか。
CDを聞く度にラクリモーサのメロディーの美しさを感じていたが、ディエス イッレの激しさとかっこ良さの方がずっと印象的だった。
レッスンに入って1音ずつ階名と長さを確認しながらフレーズを歌いパートを歌う。テナーと合わせ4声で合唱することでラクリモーサの素晴らしさを改めて実感できたように思う。
ラクリモーサの8小節までを書き上げたところでモーツァルトは病に倒れ35歳で没した。
ラクリモーサもレクイエムも未完の曲であり、その後に弟子のジュスマイヤーが補筆して完成させたとホームページに書かれている。
これまではディエス イッレがレクイエムの中心のように感じていた。
その激しさとかっこ良さと華やかさからのイメージであったが、ここにきて考えが変わりつつある。
ラクリモーサこそが、このレクイエムのクライマックスであり本質であると思う。
ラクリモーサで強く心をひかれるのは、溜息とも、むせびとも、嘆きとも言える音である。
8小節で絶筆と言っても、それは譜面上でのこと。彼の頭には既にラクリモーサは仕上がっていた。
レクイエムの構想が出来上がっていたと思いたい。
病の床にあった彼は死をも認識していたのかもしれない。
そんな中で、自分のためにレクイエムを書いたと思いたい。
悲しみ、不安、恐れ、怒り、そして絶望…と言った複雑な心の動きが譜面からフレーズから伝わってくる。
8小節で絶筆と聞いては、その思いがより強くなるのは必然であろう。
まさに「涙の日」であり、涙なくして聞けない、涙なくしては歌えない曲である。
♪ラクリモーサ ディエス イッラ クワ レスルジェトゥ エクス ファヴィッラ ユディカンドゥス オモ レウス
罪ある人が裁かれるために灰からよみがえるその日こそ、涙の日。
5小節目の一言ずつを短く切るような歌い方は、まるでモーツァルトの溜息ともむせびとも聞こえる。
さらに、9小節からは高音と低音をオクターブ切り替えながら半音ずつ上がってゆくメロディーとなっていて音楽が強調されている。
この、半音ずつ徐々に上がってゆく音を正確に歌うところが非常に難しく、美しいメロディーであるが故に重要なポイントであり魅力的な箇所である。
半音の幅は僅かばかりと認識していたが、実際に声を出してみると以外と音の幅が大きいことに気付かされる。
このように、音階が徐々に上がってゆくメロディーはキリストが地上に降りることを意味し、逆に音階が徐々に下がるメロディーは、キリストが天に昇る事を意味していると以前に聞いたことがある。
♪ウイク エルゴ パルチェ レウス ピエ イエズ ドミネ
ラクリモーサではフォルテとピアノが交互に出てくる。
ピアノのフレーズは弱くなりがちだが、声が途切れないように緊張感を保ちながら歌わなければならない。
とても悲しく辛いところではあるが、正確に、そして特に大切に歌いたいフレーズである。