レクイエムを終えて

レクイエムの開演を知らせるブザーが長く鳴り響いている。

ついに、その時が来た。いよいよ、私達合唱団の出番である。 ステージの上・下の両サイドから粛々と入場する。

私もMさんのサポートを受けながら歩を進め、彼と並んでベースの第1列に立った。

緊張する瞬間である。拍手が波のように鳴り続いている。 リハーサルで確認済みではあるが、本番では隣の人と話も出来ないし、目障りになるような動作も慎まなければならない。

さりげなく両足でステップを確認し、右手で横との間合いを計り自分のポジションと視線の方向を決めた。

レクイエムを歌うので、男性は黒のスーツに蝶ネクタイ、女性は白のブラウスに黒のロングスカートという正装である。 100人以上のメンバーのライトアップされたステージは、さぞかし荘厳なものではなかったろうか。

続けてオーケストラのメンバーが入場する靴音が聞こえて、拍手が更に大きくなった。 アンサンブル金沢とは第1回からのお付き合いで、今年は約40名のオーケストラ編成のようである。

暫くして、館内の拍手が一段と大きく響いてきた。 指揮者の山下先生の登壇と認識する。

次の瞬間、拍手が鳴り止んで場内には水を打ったような静寂が漂った。 私の緊張感は一段と高まる。

やがて識者のタクトが振られ、オーケストラがレクイエムを奏で始めるはずだ。

私は神経を集中して、その瞬間を待っていた。 唇が乾き、胸の鼓動が徐々に高まり、緊張で全身が小刻みに震えてくるのを止める事が出来なかった。

静寂に包まれた市民会館ホールにレクイエムの前奏が静かにゆったりと流れ始めた。 いよいよ、私達のステージが始まったのだ。

4月の結団式のこと、猛暑や雨の中をレッスンに通ったこと、講師のM先生の言葉やサポートしてくれたメンバーのこと。 様々な思いの中で、このステージに立てた慶びをかみしめていた。

緊張の中で第1曲のイントロイトゥスを歌い終わり第2曲のキリエに入る。 時々、曲の要所で山下先生の声にならない息遣いが感じられたのは気のせいだったろうか。 全身を使って曲を表現し、合唱団にシグナルを送る彼の姿が想像できる。

キリエが歌い終わったときに、場内から大きな拍手を頂いた。 ここで拍手を頂くとは、思いがけないことだった。

私達の合唱が聴衆者に何かしらの感動を届けたのだと思う。 そして、場内からの拍手は私達に安心感と勇気を与えてくれるものだった。

曲は更に続き、ディエス イッレに入る。 激しさとアップテンポの曲を歌いきって、私は軽い疲労感と緊張を感じていた。

第4・第6曲のソリストの素晴らしい独唱に聞き惚れながらも、両足の緊張を癒していた。 膝が突っ張って、足が棒のように感じる。 直立不動で歌い続けることが、これほどまでに疲労感を伴うものとは思わなかった。

私は何故歌っているのだろう。 どうして合唱団に入ったのだろう。 歌うことの楽しさと慶び。 初めて耳にする曲との出会い。 メロディーを覚え歌詞を覚え、少しずつ自分のものに出来る慶び。

仲間たちと一緒に作り上げる合唱の素晴らしさ。 聴衆者と感動を共有できたときの慶び。 そうした、幾つもの感動が、心の温もりが、私の合唱の源流にある様に感じていた。



ラクリモーサ・サンクトゥス・アニュース デイ・と一曲一曲に心をこめて歌い繋げていった。 5年前に初めて歌ったケルビーニのレクイエム、ヘンデル、ベートーヴェン、シューベルトと続いたミサ曲。 そして、今年の春からのレクイエムのレッスンの日々。 この合唱団に入ってからの想い出の一つ一つが脳裏をかすめる。

長いと感じていたレクイエムも、いつのまにか最終曲のルクス・エテルナに入っていた。

春からのレッスンの総決算とも言うべき終演が近づきつつある。

私はレクイエムを歌ったのだ。 私達はモーツァルトを歌ったのである。 最終曲が終わって満場の拍手を耳にしたとき、その思いが胸に沸々と高まって来るのを感じていた。

私は、ふぅっと長い息を一つついた。歌いきった満足感と、歌い終えた安心感と、長い緊張から解放された瞬間だった。 こうして、レクイエムの発表会が終わった。

昨夜のリハーサルと今日のゲネプロを経て、不安と期待の中で始まったステージで50分を歌いきった。

本番と言う事で、やや気負いすぎの感もあったが上々の出来だったと思う。 お客様も多く、最近にない入りだったようで、合唱の評価も高かったようである。

歌い終わったときの拍手は確かに大きく、そのうねりの様な手拍子は今も耳の奥に残っている。

来年も、この音楽祭が続くことを祈りたい。 そして何よりも、私をずっとサポートしていただいたMさんやメンバーの皆さんに感謝するのみである。

2003/12/01


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