思い出のシーン

自分の記憶に残っているサッカーシーンを書いてみます。サッカー経験者の方なら、似たような経験してるかもしれません。

小学校時代

ふでぞうがサッカーを始めたのは、小学校5年生の夏でした。ふでぞうの小学校は生徒数が1学年20人くらいなので、水泳→野球→サッカー→バスケットボールとそれぞれのスポーツ大会が季節を追うようにやってきていました。
当然、5年〜6年の男子は、各スポーツのレギュラーめざしてがんばるわけですが、ふでぞうは元来そんな運動神経がいいほうではなかったせいもあり、水泳や野球やバスケットはいつも補欠みたいなものでした。
ただ、サッカーだけは5年生から大会に出場しました。ポジションはDFなのですが、当時のサッカーのDFの役割は大きくクリアーすることが最大条件でしたので、その当時から体の大きかった自分には何とかこなせたようです。
自分でも相手との「間合い」がなんとなく自然に判り、「とれる!」と判断した瞬間に、一気にダッシュしてボールをダイレクトにクリアーしていました。それが楽しくって「あれ、もしかして、サッカー向いているのかな?」っと思ったのが最初でした。

中学校時代

正式にサッカーを始めたのは、中学で部活として「サッカー部」に入ってからでした。
ふでぞうの中学校は部活の大変盛んな所で、サッカー部も毎日ボールが見えなくなるまで練習していました。最初の頃は玉拾いが主だったので楽だったのですが、3年生が引退して1年と2年生だけで練習すると、次第にキツクなっていきました。
2年生になって迎えた夏休みの間の練習などは、今思い返しても「過酷だったなあ」と思うほどです。

特に思い出深いのは、こんなエピソードです。
猛暑のなかam8:30から始めていた練習は、終了時刻のam11:30を迎えようとしていました。やれやれやっと終わりかと思った瞬間「がしゃーん」と体育館とグラウンドをつなぐドアの開閉音が響きました。
『きたぞー!』とみんながアイコンタクトをして身構えました。そうです。「がしゃーん」は顧問のT先生が来た音だったのです。T先生はサッカーのみならず授業や生徒指導においても非常に厳しいことで有名な先生でした。
T先生はみんなを集合させると、今から紅白戦をする旨を伝えました。否応無しにゲームは始まり、みんなは背中にさらに塩の縞(注)を作るべく、動き出しました。しかし、ふでぞうの体はもう限界を超えていました。
時計を見るともうpm1:00近くになっていたような気がします。ようやくゲームは終わったらしく挨拶をしているのですが、気付くとグラウンドに倒れていました。何でも試合の途中でも倒れたらしいです。大丈夫といって立ち上がり周りを見まわすと、あたり一面ママレモンの色になっていました。判るのは友達の髪の毛の黒だけであとは全く識別不可能。そしていつどうやって帰ったのかもはっきりしていないままでした。
(注)塩の縞...当時の運動服は水色で、汗をかき、それが暑さで蒸発すると背中に塩分のV字の縞
           模様が出きた。2つ位作らないとサボっているとさえ言われた。

サッカーをして初めて泣いたのも中学時代でした。
3年生のときの選手権大会で下馬評では楽勝に勝てるといわれた相手に後半終了間際に同点にされ、延長戦で逆転されてしまいました。
試合前にねんざしたせいもあり、思いきったプレーができず、最後は技術ではなく、体力で負けた。くやしさとなさけなさが、体の中で溢れ出し、人前ではばかることもなく、号泣した。今も一生忘れることのできない思い出のひとつになっています。

高校時代

恥ずかしい話ですが、高校時代で一番身についたのは技術よりも「体力」だったと思います。練習は中学に比べてそんなにキツくなかったけど、練習の開始は必ず4`のランニングで始まったので、必然的に持久力がついていった気がします。現に高一の冬に用事で歩いていたら、同級生にトロトロした原チャリで抜かれたので、何か腹立たしなっきて、思わず原チャリを走って追いかけました。すると1キロも走らないうちに原チャリに追いつき、最後には追い越してしまいました。(これ本当の話)

さて、感動的だったのは冬の高校選手権の時でした。試合は0-0で延長戦でも決着がつかずPK戦へ。ふでぞうは4番目でした。先攻の相手がはずして、2-2になり、いよいよプレッシャーが。。。と思っていたら不思議と落ち着いていました。実は前日PKの練習をして、決定率が高い「インサイドキックで左下サイドネットをねらう」に自信があったからなのです。
ふでぞうはボールをセットすると、そのまま5歩さがり、ホイッスルと同時に歩きながらボールに近づき、迷わずインサイドキックで左下サイドネットをねらいました。
ホールを蹴った瞬間キーパーが反応してドキっとしたのですが、キーパーの手に触れることなく、左サイドネットの下に吸い込まれていきました。結局これが決勝点となりました。1回戦でしたが、全員抱き合って大喜びしました。(翌日の2回戦はアッサリと負けましたけど)

あと、余談ですが好きだった同級生の女の子にマネージャーになってもらって、さてこれからというときに、あっさり先輩にもっていかれたのも、今となっては楽しい思い出のひとつです。(笑)

社会人になって

高校を卒業後就職して、そこの会社のサッカー部に入りました。
入部当時は練習も盛んで、土曜日の午後練習、日曜日試合というローテで4月から10月頃までやっていました。レベルの高い人も多く、ボディコンタクトも強く、「社会人ってすごいなー」と思いました。
しかし、年々世代交代が進むとともにレベルがダウンしてゆき、週1回の練習にも数人しか集まらず、リーグの入替戦でもついに惨敗して、いよいよモチベーションも低下して、ふでぞうももうサッカーやめよーかな、テニスとか他のスポーツを始めようかなと本気で思い始めていました。

ただ、日曜日の試合の光景は好きでした。
特に家族連れで来て、奥さんや子供がパパを応援する姿はとてもほほえましく、真っ赤な顔をして、少しお腹がでたパパさん選手が一所懸命でも楽しそうにボールを追う姿がまたおかしく。もしかしたらサッカーの、いや原点はここにあるのかなと思ったりします。

強化チームとの出会い

ふでぞうが26才のとき、会社のサッカー部が強化チームとしての新体制となり、人員、環境が一新しました。
選手はよりすぐりが人選されたはずだったのですが、なぜかふでぞうも選ばれてしまいました。はじめは何でオレが選ばれたんだろうという思いから、スネてキツイ練習には真剣に取り組まないこともありましたが、徐々に新しいサッカーしかもレベルの高い指導者から受けるひとつひとつがとても魅力的でした。
仕事を終えてからのナイターでの練習、4バックのラインディフェンスという戦術、体験したことのないサーキットトレーニング、そして遠征試合、そして親もとを離れての合宿所生活というすべてにおいて、初めての経験でした。

思い出としては股関痛を押して2日間4試合出場したことや、筋力トレーニングや持久走はチームのなかでもそこそこにがんばれたこと、38度の熱をガマンして練習したことなど思いだされます。

今だから言えることかもしれませんが、ここでのすべての経験が今の自分のサッカー人としての大きく発展させてくれてことは間違いありません。できることなら、もう2年でいいから早く強化チームが生まれていれば。。。と欲張りに思ってしまいます。

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