吉本隆明1994年著作リスト


刊行形態 Book
著者 吉本隆明
刊行年 1994
標題 背景の記憶
出版社 宝島社
出版地 東京
区分 随想
キーワード 自伝/回想/身辺雑記
見出し・語録 
T過去についての自註/背景の記憶/
U佃んべえ/佃ことばの喧嘩は職業になるうるか/別れ/小学生の看護婦さん/少年の日の界隈/
月島の思い出/元祖モラトリアム人間/本を読まなかった/
「父の像」/国語の教科書/水辺の記憶:洲崎(遊廓)の方と大川(隅田川)の方/
n個の性を持った女性へ/百人一首の遊び/「笑い」はどこへ行った。/
Vなにに向かって読むのか/ある履歴/思い出の本/わが読書/桜について/米沢の生活/
戦争の夏の日/泥酔の思い出/軍国青年の五十年/戦争と世代/十四年目の八月十五日/
昭和十七年から十九年のこと/思い出の劇場:海辺の劇場/
W30人への3つの質問/なぜ書くか/ボクの二十代/鮎川信夫との交渉史/たった一つの黄金風景/
わたしが料理を作るとき/「パチンコ」考/ほんの5gの賭け/読書について/書物の評価/思い出メモ/思想的不毛の子/
X縮んだ街/こだわり住んだ町/私の町:谷中・団子坂・駒込・吉祥寺/
谷中―わたしの散歩道/東京に住む/隅田川有情/わが東京/うえの挿話
/現在の東京/室内楽/狂人/一枚の絵:カンジンスキイ・バラ色の諧調/
ニューヨーク・ニューヨーク/わが子は何をする人ぞ/スケベの発生源/上野公園の冬/タクシーに乗る/
一眼レフのカメラ/写真修行/表現機械としてのワープロ/衝撃の影像/老人の意識調査/
老い/入れ歯の不安/健康への関心/病院のこと/わたしの現況/
「批評」を書く難しさ/詠むことの愉しみ/あとがき/初出一覧
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 国際問題の一年:情況との対話 第十回 掲載誌名 サンサーラ 卷5 号 1 掲載頁 124-129 区分 情況論 キーワード アメリカ/ロシア/国連/国連PKO/EC(欧州共同体)/世界経済/国家 見出し・語録 「わが国の当面している問題は、まったくECと逆だといっていい。本来の経済的な規模からいえば、とうにちちこまとした国家主義や
民族主義を越えて国家を開くべき段階にあるのに、逆流は農産物や文化の鎖国現象にあらわれて悩まされているのではないだろうか。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 梅原 猛 著者 中沢新一 刊行年 1994 標題 〈座談会〉日本人は思想したか 第一回 日本人の「思想」の土台 掲載誌名 新潮 卷91 号 1 掲載頁 254-285 区分 座談会 キーワード 日本/思想 見出し・語録 「日本思想」という言葉の意味/ヘーゲル的な国家観への抵抗/アイヌ・沖縄・本土を繋ぐもの/近代主義の限界点/技術の本質と自然/
この世とあの世から見る目/日本語という遺伝子 注記等 (次回は三月号に掲載の予定)
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 筒井康隆『断筆宣言への軌跡』光文社―この本にかこつけて―:消費のなかの芸(18) 掲載誌名 Cut 卷5 号 1 掲載頁 112-113 区分 書評
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 あかるい太宰、くらい太宰(1)―『お伽草紙』 掲載誌名 ちくま 号 274 掲載頁 18-25 区分 作品論 キーワード 太宰治/『お伽草紙』 見出し・語録 「つまり、表面の健康さというのは、かならずしもほんとうの健康ということを意味しないんだということを、とてもよく『お伽草紙』は
表象しているとおもいます。健康な風潮のなかで、しかし、太宰さんなりに精いっぱいの不健康さといったらいいのでしょうか、
人間の精神の可能性といいましょうか、人間の精神が不健康なほうにも健康なほうにもどんどん浸透し、また炸裂していく有様を、
たいへんよく描いている作品だとおもいます。戦争中に、これほど見事に作品を書いた人は類例がないといえばないんで、
普通のもの書きは、作家も批評家も、もっと白痴的な健康さを臆面もなくいいふらしている風潮を作ってつくっていったわけです。
そういうなかで、精いっぱい、どれだけ萎縮しないでといいましょうか、自己規制しないで人間の精神の働きは発揮できるのか、
精いっぱいの想像力をめぐらし、また心理主義的な性格づけをやって『お伽草紙』が書かれたとおもいます。」 注記等 (本稿は、日本近代文学館主催、読売新聞者後援により、読売ホールで開催された「昭和の文学〈戦後〉・作家と作品」における
一九九三年七月二十八日の講演「太宰治―「お伽草紙」「斜陽」「人間失格」―」テープ・リライトを整理・加筆したもので、
四回に分載の予定です。―――編集部)文末注記
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 コメの話もう一度:情況との対話 第十一回 掲載誌名 サンサーラ 卷5 号 2 掲載頁 164-169 区分 情況論 キーワード コメ市場/自由化/第二次農業革命 見出し・語録 「農業への執着心が農家から奪えないのは、土地所有への執着心にちがいない。しかし無意識や本能的な性向までを含めていえば、
土地所有への執着心は、本質的にはじぶんの私有する土地から得られた生産物を、じぶんの自由な裁量によって、誰からも制肘されずに生産し、
処分できる自由への執着心に帰せられることは疑いない。それが貧困に耐えてもなお成就されるべき農業革命の最終目的だといえる。
誰がこの終着点を踏まえたうえでコメ問題を論議し、方向づけているのだろうか?わたしにはコメの部分自由化の肯定派も否定派も、
まるで過ぎてしまった過去の貧困にまみれた農業の栄光を蒸し返し、懐しんでいるだけのようにおもえてならない。
世界農業の行手は、あなたがたの考えていることとまるで違っていると言うほかはないのだ。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 イメージ論1994―(十)伝記的ということ 掲載誌名 新潮 卷91 号 2 掲載頁 356-365 区分 イメージ論 キーワード 伝記的/大岡昇平/文体/比較文体/欧文脈/和文脈/中勘助/幼童症 見出し・語録 「伝記的というのはこのばあい、作家論(つまり作家であるところのその作者の人間論)ということよりも、作品からじかに一個の
人物の論をやっているという意味になる。作品がありそれを書いた作者がおり、作品を書いたときだけ作者であるが、
生活全体からみれば一個の人間(生活人)が、ある時間だけ作者(作家)であるという関係が、記述を構成しているのではない。
作品からじかに作品を書いた人間に関心を集中しているばあいが、ここでいう伝記的ということの特徴になる。
著者たちは一様に関心ぶかい作品があったとき、その関心の重点を人間にもとめていて、
作品を書いたものとしての作者(という時間)に関心がうすいためだということができる。
どうしてそんな共通点が生まれるかといえば、著者たちが何れも実作者的な資質の持主で、
批評家的でも研究者的でもないからだということになる。
これは書かれている内容が批評家的でもあり、研究者的でもあることとは違う次元でいえることだといっていい。
また一方で論じられている作家や作品が、じかにその人間に関心を強いるのだというべきかもしれない。」 「これら(梶井基次郎、牧野信一、富永太郎、堀辰雄、そして立原道造の詩の系譜のこと=リスト作成者注記)を近代詩以後の日本語の詩とみなしたいなら、
わたしたちは近代詩の概念を拡張することが必要だとおもえる。
つまり和文脈の中に不可避であるよりも過剰に意図的に欧文脈を導入することは、それ自体が詩である、という概念をくわえることだ。
ついでにいえば宮沢賢冶が単独で成し遂げたといっていいのだが、言葉を表出する意識の段階の差異を意図的に記号によって区分したものは、
それ自体が詩であるという概念もくわえるべきだとおもえる。」 注記等 樋口覚『一九四六年の大岡昇平』/富岡多惠子『中勘助の恋』
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 社会風景論:冷え込みを溶かす「暖炉」;1994年初詣の感想 掲載誌名 産経新聞 出版地 大阪 掲載頁 15 掲載年月日 1994年1月14日 区分 時評 キーワード 不況/世界認識/愉しいズレ/経済政策/先進地域国家 見出し・語録 「じつをいえばこの疑問こそが世界の先進地域国家を軒並みに訪れている経済沈下としての不況のいちばん根本の問題だと思える。
それは為政者たちの世界認識の仕方がすでにずれはじめているのに、それに気付いていないことに原因があるといっていいとおもう。
それと一緒にほんとは眠れる獅子の姿をしているのに、自分を写す鏡をもっていないために穏和な猫のように振る舞っている世界の
先進地域国家の市民や庶民の愉しいズレもまた原因であるような気がする。ズレはズレでもなぜ愉しいかといえば、
本当の意味での精神のゆとり、いいかえれば国民のひとりひとりがあくせくとせき込んでも、
わざとらしくゆったり構えても、そんなことにかかわりのない本当の精神のゆとりは、この愉しいズレからしかやってこないからだ。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 あかるい太宰、くらい太宰(2)―『お伽草紙』 掲載誌名 ちくま 号 275 掲載頁 25-31 区分 作品論 キーワード 太宰治/『お伽草紙』/「舌切雀」/『黄金風景』/『津軽』/母親の欠如 見出し・語録 「人間と動物との恋愛がとても見事に描かれています。つまりこの『舌切雀』は人間と動物のあいだにも恋愛が成り立ち、どういうかたちと、
心理状態になるのかということをそれらしく描いたものだというモチーフにおき直しています。」 「母親の欠如が太宰治が『お伽草紙』をこれだけ熱を入れてといいますか、力をこめて戦争中に書いた理由じゃないかと思うわけです。」 「母親から切り離して乳母にある時期まで育てられてというのはコンプレックスになって、無意識のいちばん奥に全部突きささっていきます。
公と私となると、私というのをどんなときでももちだせない人間になってしまって、人間的にいえばかたわなわけですけど、
支配者とか、旧家の主とかというのは、そうでなくちゃおさまりがつかないところがあるんだとおもいます。」 「そういう育てられかたにおいて、太宰治は、少し変わった人だとおもいます。つまり悪くすれば精神異常というところにいつでも行きかねないような場所にいた人ですから、
自分の無意識のところに閉じ込められているものを、ある程度表現や生活状態で、解放したとおもいます。そうするとでてくるのは母親の欠如であり、
意識できるようになってからの女中さんが母親のように浮かびあがってくるというかたちになったとおもいます。」 「その心中のほんとうのモチーフは、母親の不在あるいは欠如だったとおもいます。それを無意識のところで全部おさえ切ることができれば、
人の上に立って公の顔だけをすることが得意な人になり得るんでしょうが、太宰治のばあいには、たぶん、よくいえば柔軟性ですけど、
悪くいえば神経的に過敏なところがあって、ほんとうは無意識におさえられるべきものが、ことごとに危機になるとでてきてしまって、生涯の生きかたを支配したんだとおもいます。」
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 社会党あるいは社会党的なるものの行方 掲載誌名 社会新報ブックレット 16 出版社 日本社会党機関紙局 出版地 東京 区分 講演 キーワード 政治/社会党/政治思想 見出し・語録 はじめに(長谷ゆり子)/社会党の負けた理由/高次産業資本主義/日本経済の処方箋/小沢流「国の開き方」/政治党派のやること 注記等 (一九九三年十一月二十六日、社会党主催の講演会)
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 安原顯『し・つ・こ・く ふざけんな!』を読む:ジャズ風の心のリズム;瞬時に憤慨をぶちまける 掲載誌名 図書新聞 出版地 東京 掲載頁 1 掲載年月日 1994.2.5 区分 書評 キーワード 出版/取次/物書き 見出し・語録 「この種の差別、弱小だから蒙る理不盡のなかには、世界が全体平等にならなければ無くならない差別と、現状でも見識があれば無くせる差別と両方が含まれている。
そして世界が全体平等にならなければ無くならない差別のほうは、無差別の主張を短絡するとかえって間違いだということがありうる。」 「どんな職業もそれぞれだいたい編集者と似たりよったりですぜ、といえるところがあるということだ。そしてそれはまだ解明されてない社会や人間の謎の部分と関連していて、
安原顯やわたしや諸々の人は、さらなる解明の義務があるとおもう。この義務を怠って短絡すれば、心理に違反するばあいがある。」
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 ハイ・イメージ論T 叢書名 福武文庫 出版社 福武書店 出版地 東京 区分 ハイ・イメージ論 キーワード 未知な現在/イメージ/言葉 見出し・語録 映像の終りから/ファッション論/像としての文学/映像都市論/多空間論/地図論/人工都市論/像としての音階/連結論/走行論/形態論/単行本あとがき/解説 芹沢俊介
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 ハイ・イメージ論U 叢書名 福武文庫 出版社 福武書店 出版地 東京 区分 ハイ・イメージ論 キーワード 未知な現在/イメージ/言葉 見出し・語録 拡張論/幾何論/自然論/分散論/パラ・イメージ論/段階論/普遍喩論/視線論/表音転移論/単行本あとがき/解説 芹沢俊介
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 社会風景論:相撲見物記 掲載誌名 産経新聞 出版地 東京 掲載年月日 94.02.06 区分 時評 キーワード 相撲
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 松浦理英子『親指Pの修業時代』上・下 河出書房新社の読み方;消費のなかの芸(19) 掲載誌名 Cut 卷5 号 3 掲載頁 114-115 区分 書評
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 あかるい太宰、くらい太宰(3)―『斜陽』 掲載誌名 ちくま 号 276 掲載頁 12-21 区分 作品論 キーワード 太宰治/『斜陽』/『花火』/『父』/『新郎』 見出し・語録 「とくに太宰治は、だいそれたことを本気で考えた人です。たとえば新訳聖書のなかに、汝を愛するがごとく隣人を愛せよというような
ことが戒律として述べられていますが、太宰治という人は本気になって、じぶんを愛するように、隣人を愛せるかかんがえて
いた人です。いまぼくらがここでこういうことをいうと、恥ずかしいというか、みっともないというふうになるわけですが、太宰治という人は、
じぶんを愛するようにおまえの隣人を愛せるかということを本気にかんがえて、やっぱりできないなというようなことで、
おもい悩んだりした人です。そういう意味で、実に作家として、古典的かつ本格的な人です。つまり、こういう人は、それ以前にはいたことが
あるんですがその後はいないわけです。」 「この本格さは、大転換期の時代にはたいへん問題になることで、そういうときになると、検討に値するものとして浮かび上がってくるとおもいます。」 「つまり、心づくしという意味は、大転換期における読者とは何者なのかということをおれは本気でかんがえているんだよといっているのではないかとおもうのです。」 「世界の思想や読者のイメージが変わっているときでも、それをかんがえようともしないで、つまんない作品を高級ぶって書いているけど、
実はちっとも高級ではない。転換期にたいして無自覚だから、純文学の名目で風俗作品を書いちゃうんです。
そうじゃなくて、太宰治の場合は、読者のイメージについて、疑いをじぶんがもっているから、
風俗めかしているけど、純文学なんです。」 (メジャー作家としての照れ臭さと作品の秘め事のモチーフがあらわになっている。)
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 イメージ論1994―(十一)自然と死の物語 掲載誌名 新潮 卷91 号 4 掲載頁 289-299 区分 イメージ論 キーワード 生活/自然/消滅 見出し・語録 「わたしたちはこの『悲しみの港』の文体的な特徴が、この「生活」の眼であるべきものが「自然」の眼で、また「自然」の眼で
あるべきものが、「生活」の眼に交換できたり、振幅してその中間の描写であったりするところにあることがわかってくる。
そしてこういう個処では人間が、自然物と人間の中間をみる眼で描写されたり、自然物が人間の皮膚のように触れられたりしている。
これは小川国夫という小説家の文体的な特徴だといっていい。」 「この鳥の『消滅』の描写はこの作品のなかの『消滅』の全部を象徴するにたりるほど整っている。もしかすると作品全体を占うにたりる優れた描写だ。
この『消滅』は何かの寓喩のようにおもえるし、また暗喩のようにも受けとれるが、作品の全体を読んでも『消滅』が
何かの寓喩だったり暗喩だったりすることはない。もし『事実』にたいして『超事実』というのがあるとすれば、この『消滅』の核心にあるのは、
ありそうもない『超事実』を『事実』とおなじように起るものとして設定し、描くことができていることだ。
もしかすると作者のこの態度がこの作品の要だといっていいかも知れない。波立てたり偏奇したりせずに淡々と冷静に、まるで、
『事実』であるかのように『超事実』をディテールを落着いて描きだしている。そして『超事実』にたいしてもディテールが細密に
落着いて描かれていることは『超事実』と『事実』との連結を、まるで継ぎ目のないようにスムーズにしており、
この作品をいいものにしている最大の要素のようにおもえる。」 注記等 小川国夫『悲しみの港』/小川洋子『密やかな結晶』
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 梅原 猛 著者 中沢新一 刊行年 1994 標題 〈座談会〉日本人の「思想」の形成―日本人は思想したか 第二回  掲載誌名 新潮 卷91 号 3 掲載頁 220-248 区分 座談会 キーワード 日本/思想 見出し・語録 ギリシャ思想と日本思想のはじまり/行基の重要な役割/「天つ罪」と「国つ罪」/「十七条憲法」の背景/「山の仏教」の精神/
稲作は城壁を作る思想に似合わない/本居宣長の国学について/古代の怨霊を見失った近世合理主義 注記等 (第二回・了 次回は五月号に掲載の予定)
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 吉本隆明が選ぶ[東京の本100冊]:東京の共同幻想を読み解く! 掲載誌名 クレア 卷6 号 4 掲載頁 88-93 区分 インタビュー キーワード 東京/江戸/東京論/超都市 見出し・語録 「一人の人間がじぶんの住んだ町や都市をどうみるか、その見方を決定しているものは二つあると思うんです。ひとつはその人が赤ん坊、あるいは少年少女期に親たちと
一緒に住み、学校へ通ったり遊んだりした界隈の印象です。もうひとつは思春期から青春の時代にかけて、その人がどこに住み、何をしていたかということです。」
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 時代という現場:またけむ人;古典語のなかの太古の言葉;戦中の思いにつながる 掲載誌名 共同通信配信 掲載年月日 1994.2.25 区分 時評 キーワード 言葉/またけむ/古典語
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 社会風景論:ほんとうの自然保護;環境をつくり変えること 掲載誌名 産経新聞 出版地 大阪 掲載頁 17 掲載年月日 1994.3.11 区分 時評 キーワード 科学技術/藍藻類/人工培養/反物質/光合成蛋白/天然自然/自然保護 見出し・語録 科学技術への関心/急速な変化の徴候/極微と極大の宇宙
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 なぜ働くのか:情況との対話 第十二回 掲載誌名 サンサーラ 卷5 号 3 掲載頁 104-109 区分 情況論 キーワード 労働者/消費生活/労働組合/賃上げ/個人消費/社会不況/先進地域国家/教育費/老齢化社会/定年制/「老齢会社」 見出し・語録 「わたしはなんべんでも強調することになるが、所得賃金の半分以上を消費に回すような社会の段階で、賃金を得るために働いたり、
企業体を運営したりするのは、なぜなのか?そして何のためなのかが解明され、認識されなければならないところに、世界の先進
地域国家はやってきてしまっている。そしてわたしたちは現在までのところ、確かな回答をまったくもっていないといっていい。」 「資本制の興隆期をすぎた現在、六十五歳以上の定年過ぎの老齢者に、盆栽をいじったり、孫の世話をしたりして悠々自適せよといっても、
そんな気分になる余地がないほど、現在の老齢者は活動する意思をもっている。また経済時間の循環がどんな経済力のある
老齢者でも悠々自適の生活を持続することを許しはしない。いわば加速されながら循環している社会の経済時間のなかで、
じぶんで時に応じ悠々自適の時間を創出して憩い、またこの先進地域国家の老熟した条件に対応する方法を見つけるほかない。
いわば六十五才以上の定年以後を、新しく創り出すことが老齢者の必須の課題なのだといっていい。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 わが「転向」:小沢ファシスト論の雷同者こそファシストだ 掲載誌名 文芸春秋 卷72 号 5 掲載頁 322-331 区分 転向論 キーワード 六〇年安保/左翼性/大衆/新人類/第三次産業/大衆文化/超都市/中流意識/体制―反体制/国連主義 見出し・語録 「挫折の季節」に/一九七二年の大転換/僕は「新・新左翼」/「左翼」という言葉も要らない/小沢のどこがファシズムか
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 税と景気のはなし:情況との対話 第十三回 掲載誌名 サンサーラ 卷5 号 4 掲載頁 108-113 区分 情況論 キーワード 真性の民主主義/一般大衆/税金政策/高齢化社会/不況脱出 見出し・語録 「いまは税と景気との相関の論議をしているわけだから、それに沿って言うが、現在あるべき妥当な税制の原型は、税全体の中で消費税を
六割から七割に、所得税を四割から三割の比に改定することだという原則が、わたしの考え方の延長線から当然のように出てくる。
そして税の理想的な最終形態は所得税ゼロ、消費税十割となることは論をまたない。この原則と理想を、創り出されるべき税制度の無意識の
原型として踏まえたうえで、所得税を限りなくゼロに近づくように大幅に激減させながら、消費税に徐々に切り換えてゆく
というのなら、わたしはそれが最良の税政策だとかんがえている。」
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 社会風景論:「科学離れ」の真因;反文明的言説への無力 掲載誌名 産経新聞 出版地 大阪 掲載頁 19 掲載年月日 1994.4.8 区分 時評 キーワード 理工系/科学技術/おたく族 見出し・語録 教師までおたく族/高度な教育は無用/すべて見識の問題
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 平成の米騒動:情況との対話 第十四回 掲載誌名 サンサーラ 卷5 号 5 掲載頁 108-113 区分 情況論 キーワード 米騒動/米自由化/食糧庁/食管制 見出し・語録 「ただわたしには食糧庁の方策もふくめて、これらの騒ぎをつくりだしている消費者、農協、卸・流通業、米販売店、農家などが、
一様に事態の重さを勘ちがいしていることに、真っ先に気づくべきだとおもえる。現在の日本の経済の段階で、消費者民衆が米不足で
飢えることなど絶対にありえないし、農業が七%以上の重さで日本の民衆の経済生活に関与してくることもありえない。
また食糧庁や農協や食管法が、これ以上農家や都市消費者への食い物を通じての支配を強化できる事態も、今後絶対におこってはならない
と考えるべきだ。誰が米問題についていちばん正当なことを言ったりやったりしているのかは、おのずから明瞭なことだ。
それは富山県婦負郡の米販売業者・川崎磯信さんだということになる。そしてもし川崎さんが米作りの農業もやっている仮定したら、
農業にとって最後のユートピアを具現していることになる。現在の段階で個人的にはそこまでやることはできそうにもない。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 梅原 猛 著者 中沢新一 刊行年 1994 標題 〈座談会〉歌と物語による「思想」―日本人は思想したか 第三回 掲載誌名 新潮 卷91 号 5 掲載頁 182-208 区分 座談会 キーワード 日本/思想 見出し・語録 和歌の発生について/『古事記』は歌物語/国家神話のつくり方/ファルス『竹取物語』/非政治的文学はいつ成立したか/
『源氏物語』の四季感が桂離宮の美学/「幽玄」の持続と解体/『今昔物語』以降のアモルフな世界 注記等 (第三回・了 次回は七月号に掲載の予定)
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 奥泉光の『石の来歴』から『滝』へ;消費のなかの芸(20) 掲載誌名 Cut 卷5 号 5 掲載頁 116-117 区分 書評
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 私の好きな文庫本ベスト5 掲載誌名 リテレール別冊 号 7 掲載頁 70 区分 書評 キーワード 文庫本/選書 見出し・語録 『記紀歌謡集』/『法然上人集』/『法華経現代語訳』/萩原朔太郎『虚妄の正義』/太宰治『富嶽百景・走れメロス』
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 あかるい太宰、くらい太宰(4)―『人間失格』 掲載誌名 ちくま 号 277 掲載頁 22-27 区分 作家論 キーワード 太宰治/『人間失格』 見出し・語録 「罪ということばの反対語はなんなのかというのに対して、おぼろげにはなんとなくわかりそうにおもえても、ほんとうはなんだか
よくいえないんだという、そこらへんのところに、太宰治の大それたかんがえかたの勘所がある気がするのです。太宰治はじぶんを
愛するように人を愛せるかということを本気で考えて、本気で悩んでいました。そこに食い込んでいくのですが、罪の反対語に対して、
十分な解答がどうしても見つからないみたいなことが書かれているあたりは『人間失格』のなかでも、おおまじめなところで、
またとても重要なところのような気がいたします。そこは太宰治という作家のいちばん根本的なところにあるような大問題で、生涯、
それは解きにくかったんだとおもえるのです。」 「じぶんはだめなやつで、罪を重ねてきたために、人間からはずされてしまったと、一方ではそうかんがえているのですが、
一方ではじぶんは人間を信じすぎたことで、いつのまにか人間からはずされてしまったというおもいがあって、それも失格ということの
なかに含ませているとおもいます。」 「一切は過ぎていくということが人間にとっての唯一の救いなんだということが、たぶん『人間失格』という作品の全体をおおう
モチーフということになりそうにおもいます。太宰治という作家は、そのあたりまでむきだしにしていくと、たいへんまともな、
生まじめな作家です。いってみれば大それたことをかんがえていることがおかしくない文学者です。
聞くほうも自分自身も照れ臭くないというだけの心ばえをもっていた人は、現代作家では、太宰治ぐらいなものです。」
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 論争腺の話 掲載誌名 達人の論争術:”論争なき時代”に論争を楽しむ本 編集 石井慎二 出版社 宝島社 出版地 東京 掲載頁 132-139 区分 論争 キーワード 論争/花田清輝/戦争文学/埴谷雄高/夏目漱石 見出し・語録 花田清輝との論争の前段/抵抗文学を選択するのか、戦争文学を選択するのか/戦争をくぐり抜ける思想なくして民衆の命運は語れない/
現在に連なるモチーフ/埴谷雄高の見地の致命的弱点 「恰好がいいふりをして描写してきて、すこし恥ずかしいが、ほんとうの意味で死守すべきだとかんがえて
いる事柄について、眼にもみえないし耳にもきこえない存在と、いまも論争はつづいているとおもっている。」
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 著者 芹沢俊介 刊行年 1994 標題 論争の流儀と決着の仕方:ロングインタビュー▼吉本隆明 掲載誌名 達人の論争術:”論争なき時代”に論争を楽しむ本 編集 石井慎二 出版社 宝島社 出版地 東京 掲載頁 155-175 区分 インタビュー キーワード 論争 見出し・語録 論争がしにくい情況的根拠とは何か/なあなあ社会日本の特殊性/吉本隆明にみる戦争体験と論争の姿勢/論争をすることと
やめることのプラス・マイナス/党派生からの批判には必ず反撃する/言いにくい課題には降りずに発言する/花田清輝と埴谷雄高/
「思想的弁護論」の背景/敗北の姿を普遍化することの意味/「現在」というイメージの解体の根拠/新しい形態の論争はどうあるべきか/
知識の課題の岐れ道/知識主義という通俗性 「それから原則みたいなものがひとつあって、情況的に言って誰が考えたって、ここでは言いにくいよな、という時には言わないと駄目だということですね。
たいていの人は、言いやすいときは景気よく言うんだけど、言いにくい時は、それこそ降りちゃって、言いよくなったら上がってくるということなんです。
ぼくは降りてることもありますが、でも、一番言いにくい時には、やっぱり言わんならんぞという感じはあるんですね。それは、そうとう大きな原則で、
自分では戦争だと思ってるんです。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 政治過程の病理:情況との対話 第十五回 掲載誌名 サンサーラ 卷5 号 6 掲載頁 70-75 区分 情況論 キーワード 政治過程 見出し・語録 「世界史の現在の段階で、政治過程の経済的な基礎は金輪際完全な清潔主義にはなりえない。これは社会主義国家でもおなじことだ。
現在の段階で完全な清潔主義を政治基準にすれば、建て前だけご立派で、裏側は汚濁に満ちたスターリニズムやファシズムの政治
過程に追いこまれることになるにきまっている。金銭関係や女性関係の不当さを政治責任追及の一環に結びつけるだけなら、
決して悪いとは言えないだろうが、追及の真正面に据えることになれば、追及する側の倫理悪という問題を喚起してしまうほかない。
何故ならばそれは見掛け上の成人君子が頂点にいて、民衆を虐殺したり弾圧したりする政治に帰結してゆくからだ。
ありていにいえば、資本主義下に発生したすべての反抗思想は、先進地域では終わってしまった。終わっていないとおもっている保守反動は、
金銭と女性問題を正面に据えるほか、反抗の手段を失くしてしまったのだ。何度でもいうが、生きられるし、意味がありうるのは、
超資本主義にたいする反抗の構想をつくり出すことだけなのだ。それは既存の左翼性などとまるで違う。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 イメージ論1994―(十二)詩の順序 掲載誌名 新潮 卷91 号 6 掲載頁 398-406 区分 イメージ論 キーワード 詩/順序
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 時代という現場:戦闘場面に「現在」描く;興味深い両村上の作品 掲載誌名 新潟日報 出版地 新潟 掲載頁 14 掲載年月日 1994.5.9 区分 時評 キーワード 村上龍『五分後の世界』/村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』/現在 見出し・語録 「この世代の優れた文学の旗手が、『現在』の政治や社会を覆ううそっぽい皮膜をどこかで破りたいという願望が戦闘場面への過剰な固執の仕方のあらわれではないだろうか。」
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 社会風景論:春はほんわか気分;私の景況判断 掲載誌名 産経新聞 出版地 大阪 掲載頁 14 掲載年月日 1994.5.13 区分 時評 キーワード 不況/景気/個人消費/選択消費/公共投資 見出し・語録 季節感も関係して/百貨店の売上高は/微かにいい感じが
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 戦争中の短い散文と、敗戦直後の詩:『巡礼歌』『雲と花との訣別』 掲載誌名 リテレール 卷9 掲載頁 22-23 区分 作品論 キーワード 自作/代表作 見出し・語録 「わたし自身でも、さらにその時期ごとにじぶんだけ愛着の深い作品(詩、批評)を数えることができる。だがそんな数え方しかできないのは、じぶんがまだ
代表作と呼べるものをもたないからだとおもう。いつかはと思うこころと、そんなこと考えるな、『いま』に立ち向かえという思いとふたつある。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 政治的な閑話:情況との対話 第十六回 掲載誌名 サンサーラ 卷5 号 7 掲載頁 104-109 区分 情況論 キーワード 連立政権/社会党/超資本主義 見出し・語録 「はっきり言えば資本主義と社会主義の対立の時代は終ったのだ。超資本主義とその弱点を乗り越える理念を構築し、潜在的な対立の
構想を作りあげるべき時代に移ってしまっている。それが政治的な動きとしてどうなるかを、一般の国民大衆の場所から逐一覗き
こんで知ることはできないし、無意味なことだ。だが仮に自民党が日本資本主義の与党として存在してきたとおなじように、
社共が日本の国家社会主義の与党として存在してきたとすれば、このふたつが解体再編されて、超資本主義の与党とまだ形のわからない
超社会主義の与党が作りだされることが、政治過程の課題となることは必至だとおもえる。」
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 社会風景論:迷走する政治劇;「有事」におびえる必要ない 掲載誌名 産経新聞 出版地 大阪 掲載頁 22 掲載年月日 1994.6.10 区分 時評 キーワード 政治/連立与党/小沢一郎『日本改造計画』/核兵器 見出し・語録 判りやすい「比喩」/第九条に迷う社会党/核兵器廃棄に向けて
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第1部・第2部 新潮社;消費のなかの芸(21) 掲載誌名 Cut 卷 5 号 6 掲載頁 112-113 区分 書評 キーワード 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』 見出し・語録 「文学作品は意味論としては何も語らないで、腹話術のようにたくさんのことを語れる器だといっていい。わたしはこの作家はまだやれるとおもった。
その条件は創造のモチーフに含まれている〈自足〉をやぶることで、言葉の無意識の井戸に、重鉛を下ろすことだとおもえる。」
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 初期歌謡論[ちくま学芸文庫版] 叢書名 ちくま学芸文庫 出版社 筑摩書房 出版地 東京 区分 歌謡論 キーワード 歌謡/古事記/日本書記/賀茂真淵/折口信夫/枕詞 見出し・語録 歌の発生/歌謡の祖形/枕詞論/続枕詞論/歌体論/続歌体論/和歌成立論/あとがき/文庫版のためのあとがき
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 私の好きな映画・ベスト5 掲載誌名 私の好きな映画・ベスト5 編集 安原顯 出版社 メタローグ 出版地 東京 通号 4 掲載頁 204-205 キーワード 映画 見出し・語録 「古典といっていい映画を挙げるとこのほかの作品になりそうだが、ここではほんとに好きで、ひんぱんに映画館に通い、
だれにも影響を受けず、自分の鑑賞眼だけを信じていた時代に観た映画で、すぐに印象に浮かんでくるものを挙げてみた。」 注記等 1羅門光三郎主演のチャンバラ映画、2『海を渡る祭礼』[稲垣浩](1941年)、3『いまひとたびの』[五所平之介](1947年)、
4『獣の宿』[大曽根辰夫](1951年)、5『猿飛左助』[安達伸生]
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 生活大衆がひらく未来―私の「大情況」認識 掲載誌名 産経新聞 出版地 大阪 掲載頁 17 掲載年月日 1994.7.8 区分 時評 キーワード 情況/世界史/世界経済/国家/消費化社会/主権/リコール 見出し・語録 世界を動かす3地域/経済革命の最高段階
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 時代という現場:核疑惑のこと;脱・力の論理の模索こそ;憲法9条を盾に主張を 掲載誌名 共同通信配信 出版地 東京 掲載年月日 1994.6.24 区分 時評 キーワード 核開発/朝鮮民主主義人民共和国/核兵器/核保有国/核縮小/核廃棄
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 北朝鮮共和国の核疑惑:情況との対話 第十七回 掲載誌名 サンサーラ 卷5 号 8 掲載頁 102-107 区分 情況論 キーワード 核兵器保有国/北朝鮮共和国/核問題/核兵器廃絶/核戦争/日本国憲法第九条/国連安保理/アメリカ 見出し・語録 「ようするにアメリカとロシアは、真っ先に核保有量の大小が、国家の国際的な威力の大小を決めるような愚かな力の論理から脱却して
みせるべきだとおもう。もちろん使用価値のまったくないものを、たくさん所有したいという倒錯した欲望は、個々人にも民族国家
にもあるには違いない。またじぶんの手でじぶんを殺害する倒錯の欲望も、個々人や民族国家になくならないのかもしれない。
わたしたちはこの欲望を脱するために、まったく違う非力な形而上学的な価値序列に転移するよりほかないのだ。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 梅原 猛 著者 中沢新一 刊行年 1994 標題 〈座談会〉地下水脈からの日本宗教―日本人は思想したか 第四回 掲載誌名 新潮 卷91 号 7 掲載頁 326-349 区分 座談会 キーワード 日本/思想 見出し・語録 「毛坊主」の系譜/親鸞は聖徳太子の生まれ変わりか/死んで甦える「思想」の展開/法然のデカルト的思考/
多神教と一神教の起源/縄文的な宗教心と踊や芸能/正統派仏教と日本思想としての仏教の臨界点/怨霊鎮護も日本人の宗教 注記等 (第四回・了 次回は九月号に掲載の予定)
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 ハイ・イメージ論V 出版社 福武書店 出版地 東京 区分 ハイ・イメージ論 キーワード 未知な現在/イメージ/言葉 見出し・語録 舞踏論/瞬間論/モジュラス論/エコノミー論/幼童論/消費論
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 イメージ論1994 最終回―経験知の世界 掲載誌名 新潮 卷91 号 8 掲載頁 350-358 区分 イメージ論 キーワード 平成のコメ騒動/川崎磯信/宮路年雄/経験知としての〈革命〉/落合博満 見出し・語録 「わたしにはこういう島宇宙のような存在の群れが考えだす新鮮な芽生えと発想の転倒が、そこここでもたらすものだけが、未来を
とりこんだ現在のようにみえる。わたしたちがこの世紀のはじまりからこの世紀のおわりまで、うさん臭くおもいながらも評価の
格づけを強要されてきた形態感覚に、どんな意味もないことが、ようやく判明しつつあるからだ。」
刊行形態 Unknown 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 倫理と自然の中の透谷 集録年月日 1994.6.4 区分 講演 キーワード 北村透谷 注記等 未見。 「明治の代表的詩人で評論家、北村透谷の没後百年を記念した全国大会(北村透谷研究会主催)が来月四日午前九時半から
東京・紀尾井町の上智大図書館九階で開かれる。」産業経済新聞94.05.16 夕刊  主な講演者は次の通り(敬称略)。尾西康充(広島大大学院)「透谷における『悲劇』の可能性」、古田芳江(広島女子商短大)「透谷における自然の観念」、
山田有策(東京学芸大)「透谷と口語散文」、桶谷秀昭(文芸評論家)「北村透谷と福田徳三−一つの精神史的粗描」、吉本隆明(文芸評論家)「倫理と自然の中の透谷」など。
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 梅原 猛 著者 中沢新一 刊行年 1994 標題 〈座談会〉「近代の超克」から「現代の超克」へ―日本人は思想したか 完結 掲載誌名 新潮 卷91 号 9 掲載頁 270-298 集録年月日 1994.7.15 区分 座談会 キーワード 日本/思想 見出し・語録 京都学派による哲学の誕生/「近代の超克」の影響力/自己愛と分裂性パラノイア/人間中心主義の限界/柳田・折口の対立点/超近代小説の可能性/危ないところで生きる 注記等 (一九九四・七・一五、京都にて)
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 豹変する政治プラン:情況との対話 第十八回 掲載誌名 サンサーラ 卷5 号 9 掲載頁 60-65 区分 状況論 キーワード 村山内閣/小沢一郎/超(消費)資本主義/労働組合 見出し・語録 「存立基盤のない自民党と社会党が連合しても存立基盤のある政府ができるはずがない。自民党が存在できる唯一の道は、
超(消費)資本主義の段階に入った現在、企業体の首脳も政府や政治も、中曽根元首相や石原慎太郎元運輸相のように重々しく
威張って見せても国民大衆のまえでは通用できない段階に入ったことを認識することだ。また社会党はレーニン、
スターリン主義的な概念に水を薄めさえすれば超(消費)資本主義の段階に滑り込めるという虫のいい考えから脱却する以外にない。
またこれはリベラルソフトの護憲派についてもおなじことだ。」
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 1994 標題 まだのまないコーヒーの話 掲載誌(紙・書)名 想い出のカフェ 編集 井上俊子 出版社 Bunkamura 出版地 東京 掲載頁 区分 エッセイ キーワード 見出し・語録 注記等
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 私の「本」整理術:いずれ物書き自身を廃棄処分にする時代がくるだろう 掲載誌名 私の「本」整理術 編集 安原顯 出版社 メタローグ 出版地 東京 通号 8 掲載頁 40-41 キーワード 本/整理 見出し・語録 「ようするにはっきりいえば、物書きの結果である本を賣りとばすのではなく、物書き自身の方を廃棄処分にして
賣りとばす整理法だということになる。いまのところこれくらいしか『私』の本の整理法はおもいうかばない。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 ―ヘア・ヌードのこと―:消費のなかの芸(22) 掲載誌名 Cut 卷5 号 8 掲載頁 114-115 区分 書評 キーワード ヘア・ヌード/アンネ・M・フランク『アンネの日記』/性器/性感/ヌード写真
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 思想の基準をめぐって 編集 松岡祥男 出版社 深夜叢書社 出版地 東京 区分 インタビュー キーワード 思想/対幻想/批評/大衆/知識/現代/青年 見出し・語録 十七歳/観念総体の把握へ/対幻想とはなにか/思想と批評の接点/青年とは何か/大衆・知識・思想―戦後大衆の感性的変化をめぐって/
吉本隆明in高知―1980・8―/現代と若者(聞き手/三浦雅士)/思想の基準をめぐって/生き残る日本の十七歳に向けて―吉本隆明語録1990夏/
あとがき/付録・吉本隆明アンケート
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 人間は、思いがけぬ時間に、おもいがけない場所にいたりする 掲載誌名 リテレール 卷10 掲載頁 48-49 区分 日記 キーワード 季節/身体/映画館/パチンコ屋/百貨店/植物
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 豹変の構造:情況との対話 第十九回 掲載誌名 サンサーラ 卷5 号 10 掲載頁 92-99 区分 情況論 キーワード 社会党/村山内閣/日本国憲法第九条/平和・非戦条項/集団安全保障/国連平和維持活動(PKO)/自衛隊海外派遣 見出し・語録 「わたしのかんがえ方では、自衛隊の存在は、法的に合憲でも違憲でもない。いいかえれば憲法第九条に叶う存在でもなければ、
違反する存在でもない。つまりは第九条に叶うか違反かを問われるべき次元に存在しているわけではない。だが自衛隊の海外派遣は、
自衛隊の存在を自明の前提としているだけに、はっきりと現行の憲法違反であり、これを違反でないという解釈は、小沢一郎の
『日本改造計画』がいう通り、第九条に3項として海外派遣をみとめるという条項をもうけるために、国民の信を問うて賛成を
えないかぎり成り立たない。村山政権は、
憲法の第九条その他の非戦条項は国連による集団安全保障を当然のように前提としていたのだから、合憲だという詭弁としかいい
ようのない解釈をこじつけている。そして、この歴史的に重大な問題を国民大衆は気付くまいと、たかをくくって内緒めかしたまま
やり過ごそうとしている。小沢一郎などと比較を絶した陰険きわまりないファシズム反動への豹変で、とうてい黙視できるものではない。
これがリベラル・ソフトということの正体なのだし、スターリン主義によって歴史的につみ重ねられてきた虚像の実態を語るやり方なのだ。
そういわれたら、かれらはどうするのだ。はっきりと歴史的な責任を問われているのだ。できるなら弁明してみるがいい。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 安原 顯 刊行年 1994 標題 村上春樹[ねじまき鳥クロニクル]は愚作中の愚作か? 掲載誌名 クレア 卷6 号 10 掲載頁 66-69 区分 対談 キーワード 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』 注記等 平成6年七月二十日
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 追悼にならない追悼 掲載誌名 新潮 卷91 号 10 掲載頁 204-205 区分 追悼文 キーワード 吉行淳之介 見出し・語録 「同人雑誌の物書きというのは、詩でも散文でもじぶんの固有のモチーフをできるかぎり持続することのほかに、書く意味を集中できない。
商業雑誌に物を書くというのは時代の風潮と、じぶんの表現の資質がどこで出遇えるかというモチーフに力をあつめるほかに
やりようがない。そのあと、わたしの側からかんがえると、吉行淳之介の作品に注意をあつめる機縁も余裕も、こちらの方にはなかった。わたしもわたしなりに、
イメージと理路の味気ない組みたてと解体に多忙だった。だが物書きとしてのわたしのモチーフが、ひとりでに戦後の文学の表現史に
眼を注ぐときがやってきた。『言語にとって美とはなにか』という長尺の文学の理論をつくろうとおもったときだ。そのとき吉行淳之介の
作品をいわば意識的に読んだ。私縁でもなければ、同時代の文学者は近いようでほんとはいちばん遠いところにいるものだ。
わたしはわだかまりなく読んで「薔薇販売人」と「原色の街」がいい作品だとおもった。これは表現史としての評価だ。同人雑誌時代の
作品だから、文学史としては登板以前ということになる。この種のずれは平安朝の物語のたぐいにもある。文学史のうえの作品と表現史のうえの
おなじ作品の時代特性が前後に転倒しているのだ。吉行淳之介の二つの作品は硬質な文体と資質の欲望とが合致して、
あたらしい表現史のひとコマをつくっていた。」
刊行形態 Unknown 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 近代文学館の夏の文学教室「日本文学の1〇〇年」芥川龍之介 集録年月日 1994.7.28 区分 講演 キーワード 芥川龍之介 注記等  未見。 「近代文学館の夏の文学教室「日本文学の1〇〇年」が7月25日から30日の間、東京・有楽町のよみうりホールで開催される。
▽25日=十川信介「尾崎紅葉」、山崎正和「森鴎外」、俵万智「石川啄木」▽26日=江藤淳「夏目漱石」
▽27日=阿川弘之「志賀直哉」、佐々木幹郎「萩原朔太郎」、古井由吉「徳田秋声」 ▽28日=吉本隆明「芥川竜之介」
▽29日=清水義範「江戸川乱歩」、村田喜代子「尾崎一雄」、佐伯彰一「三島由紀夫」▽30日=シンポジウム「文学は21世紀を生き延びられるか」
後藤明生・三枝和子・島田雅彦・川村湊  
受講料は前売り券が全期間7500円、1日1500円。当日券は各8500円、1700円。
申し込みは日本近代文学館文学教室係=電話03(3468)4181。」             
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 時代という現場:中学教育;生涯の最大の隘路に;教授は大学間で移動を 掲載誌名 共同通信配信 出版地 東京 掲載年月日 94.8.26 区分 時評 キーワード 中学生/塾/内申評価/進学/教育制度/登校拒否/学校制度/教育内容 見出し・語録 「どうすればいのかはわかっている。国公立と市立の区別なく、ひとつの大学の教授はかならず別の大学へ行って四年(卒業までの年数)以上、
学生を引きうける義務があることを、文部省がきめて実施すればいい。そして学生の方はどこの大学に入学しても、じぶんの
好きな教授の大学で、四年でも卒論だけでも自由に出かけて講義単位をとることができ、卒業証書だけ入学した大学で貰うことにする。
そうすれば大学のグレードの軽重はおのずから無化されるだろう。中学校の受験の隘路はたちまちこわれるとおもう。
だれも損しないはずだが、ただ大学の教授たちの価値観は転倒するほかない。」
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 著者 尾崎健一 著者 山下悦子 刊行年 1994 標題 表現者・尾崎豊の真実;限りなく詩人だった君へ 掲載書名 尾崎豊・魂のゆくえ:思想としてのロックン・ロール 出版社 PHP研究所 出版地 東京 掲載頁 11-52 区分 鼎談 キーワード 尾崎豊/中上健次 見出し・語録 尾崎豊について、まだ語られていないこと/父に見せていたもう一つの顔/誤解をする権利と受ける義務/システムに翻弄された「単独者」/中上健次との類似性/
「八〇年代的感性」とのギャップ/亡き母への想い/「尾崎豊」という苦悩/なぜ彼は悩まなければならなかったか/フェミニスト尾崎豊
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 ルール違反の〈記録〉映像を避けるべきではなかった―映画『全身小説家』を見て― 掲載誌名 映画芸術 卷43 号 4 区分 映画批評 キーワード 井上光晴/原一男 見出し・語録 「追悼というのは、いつも死者を〈空無〉として近親、知人、あかの他人というように次第に薄れてゆく生者の思い入れだからだ。
しかし一個の映画監督は、死者にも追悼者にも屈しているわけにはいかない〈眼〉をもっているはずだ。どうして演技なしには
人間は映像の世界で真であり得ないと教えて、その存在にふさわしい演技を登場する人たちに強いなかったのだろう。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 社会党首班政権の批判:情況との対話 第二十回 掲載誌名 サンサーラ 卷5 号 11 掲載頁 140-145 区分 情況論 キーワード 自衛隊/憲法第九条/村山富市/国軍/国連多国籍軍/慰安婦補償問題/被爆者援護問題 見出し・語録 「わたしは村山政府が発足するや否や、実質的には何でもないのに早々と慰安婦補償問題や被爆者援護問題に恰好のいい談話や宣伝
文句を発するのをみて、スターリン主義ソ連が建前の美文と実施事項とが最大限に分裂した結果、国民大衆の破産を導いてリコール
されるにいたった二十世紀最大の悲劇を原因と同じものを、小規模ではあるが、まざまざと見るような気がした。わたしにいわせれば
ルワンダ難民の『人道救援』とおなじに、慰安婦補償の問題も被爆者援護法の問題も、美文調の談話や声明など全くいらないかわりに、
厚生省の管轄で黙々と、だが完全に実施してのけるべき問題だとおもう。この種の他国や自国の戦争被害者に対する補償を、
幾世代かかっても完全にやってのける覚悟と実践力のない政府権力は、またぞろ安易に戦争に同調したり、巻き込まれたりして、
国民大衆に犠牲死を強いながら、自分たちは蛙の顔に小便という比喩がふさわしく、厚顔無惨の美文調で民衆をあざむきはじめるに
きまっているとおもえる。政治的・文化的な知識人もまた。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 思想家吉本隆明直撃インタビュー「高度資本主義社会が、たどりついた場所」:日本における革命の可能性 第1回 掲載誌名 週刊プレイボーイ 卷29 号 41 掲載頁 53-57 区分 インタビュー キーワード 不況対策/第三次産業/選択消費/価格破壊/消費資本主義社会/政府 見出し・語録 個人消費こそ不況回復の鍵である/日本はバブル崩壊で何が変わったのか/いかに消費中心の考え方が重要か/国民の手に政府リコールの権限は移った 注記等 インタビュー・山本勝之
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 千のプラトー:消費の中の芸(23) 掲載誌名 Cut 卷5 号 10 掲載頁 112-113 区分 書評 キーワード 『千のプラトー』
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 思想家吉本隆明直撃インタビュー「憲法第9条は世界に誇る日本の切り札である」:日本における革命の可能性 第2回 掲載誌名 週刊プレイボーイ 卷29 号 42 掲載頁 56-59 区分 インタビュー キーワード 消費税/憲法第9条/自衛隊/従軍慰安婦問題/被爆者援護法/革命 見出し・語録 消すことができなくなった「自衛隊合憲」/国軍を持たないことが理想国家の条件である/国家は民衆にとってそれほど重要ではない 注記等 インタビュー・山本勝之
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 情況へ 出版社 宝島社 出版地 東京 区分 情況論 キーワード 情況/時事/『試行』 見出し・語録 社会風景論(93.4-94.7)/情況への発言(79.1-94.11)
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 思想家吉本隆明直撃インタビュー「9割9分の中流意識と日本の未来」:日本における革命の可能性 最終回 掲載誌名 週刊プレイボーイ 卷29 号 43 掲載頁 60-63 区分 インタビュー キーワード 消費支出/労働/贈与/中流意識/倫理/善悪/欲望/社会システム/第三世界 見出し・語録 消費社会では労働の概念も変わる/日本の中流幻想が崩壊するとき/欲望に忠実な新しい倫理が必要 注記等 インタビュー・山本勝之
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 時代という現場:人間の適応力;善い気分誘った報道;杉原氏、イネ新品種に思う 掲載誌名 共同通信配信 出版地 東京 掲載年月日 1994.10.27 区分 時評 キーワード 杉原千畝/島尾敏雄/スーパーライス/イネ/環境変化 注記等 (最終回)
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 某日、吉本隆明氏に三つのことを尋ねる―三浦和義、科学の現在、そして、詩の・・・ 掲載誌名 ミッドナイトプレス 出版地 東京 掲載頁 12-17 掲載年月日 1994.10.31 区分 インタビュー キーワード 三浦和義/科学技術/詩/欧文脈/和文脈 注記等 インタビュアー:岡田幸文
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 大村英昭ほか 刊行年 1994 標題 蓮如――その限界と可能性 掲載誌名 創造の世界 卷 号 掲載頁 掲載年月日 1994.10 区分 座談 キーワード 見出し・語録 信仰に生きた組織者/死を実体化した蓮如/ペシミスト・蓮如/親鸞と蓮如の到達点/救われる人を限定した 蓮如/御恩報謝の仏/「自然法爾」と「往相還相」 注記等 1993年11月2日、京都市において開催されたシンポジウム「蓮如上人の再発見」(浄土真宗教学研究所 主宰)の記録をもとに作成。(編集部注) その他のシンポジウム参加者:大村英昭、梯實圓、河村邦光、中村生雄、源了圓、山折哲雄、米村竜治。 「吉本隆明資料集27」に収録。
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 二階建ての税制の批判:情況との対話 第二十一回 掲載誌名 サンサーラ 卷 5 号 12 掲載頁 104-109 区分 情況論 キーワード 消費税制/消費資本主義/税制改革 見出し・語録 「いまの『連立与党』ごときから、社会の構成員の負担などと軽々しく言ってもらいたくない気がする。まずはじめに社会の構成員は現在の
国家(政府)を存続させるための費用を公平に分担すべき理由があるのかないのかについて、先験的な理路など何もないというべきだ。
そこに自明の根拠などないことからはじまって、国家担当の責任をあきらかにしてもらいたいものだ。もうひとつ言うべきことがある。
わたしなどの消費税にたいする見解はまるでこれ[税制大綱=引用者注]とちがっている。所得と消費とはバランスなど求めているのではない。
高度な資本制の段階では不可避的に消費支出が所得の半分をこえてしまっている。これは逆の言い方をしてもいい。消費支出が、必然的に所得の半分を
こえてしまってとどめることができない非バランス的な社会を、高度な資本主義の国家と呼び、アメリカ、日本、西欧四カ国はこの段階に入ってしまった。
ここでは消費税に重点をおかざるをえないことも不可避的だから消費課税をもうけるので、バランスなどではない。経済社会の進路はおあつらえ向きではない道を
択びながら不可避的にこの非バランスの経路をすすんでゆくのだ。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 哲人・吉本隆明の世間と世界を透視する1:ビートたけしには、才能ある人に特有の危うさが・・・。 掲載誌名 自由時間 卷5 号 22 掲載頁 34-35 区分 インタビュー キーワード ビートたけし/話芸/萩本欽一/無意識の「自殺」/タモリ/明石家さんま/『3―4×10月』/三島由紀夫/森田芳光 見出し・語録 「ビートたけしはとても才能のある人です。才能のある人に特有な感じなのですが、情念というか感情に、含みがない、湿り気がないんです。
才能のある人の特徴なんですね。ですから、いつも危なっかしい人だと思っていました。話芸でも映画でもとにかく大変な才能です。」 「『フライデー事件』の後も関心を持って見ていたんですが、彼はあれを契機にマイナーな話芸からメジャー相手の話芸へと進んでいった。
それで獲得した芸の幅がいわゆる人気なんです。それが、目一杯のところにきていて行き詰まり状態にあるとも見ていました。
ですから、今度の事故は単なる偶然の事故と、いわば無意識がさせた『自爆』なのではないかという二つの解釈を持っているんです。
それで、これからどうするんだということも課題になってきますよね。」 注記等 聞き手 三上 治
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 猪瀬直樹 刊行年 1994 標題 ミカド、三島由紀夫、そして小沢一郎の「戦後50年」 掲載誌名 週刊ポスト 卷26 号 45 掲載頁 120-124 掲載年月日 平成六年十二月二日号 区分 対談 キーワード 戦後/三島由紀夫/橋川文三/六十年安保/小沢一郎/村山首相/天皇制/ナショナリズム/戦中派/大衆消費社会 見出し・語録 六十年安保はナショナリズムの運動だったのではないか(猪瀬)/小沢一郎は日本社会を覆う「皮膜」を
破ろうとしている(吉本)/大衆消費社会が官僚の管理を超え始めた(猪瀬)
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 単行本・文庫本ベスト3 掲載誌名 リテレール別冊 号 8 掲載頁 129 区分 書評 キーワード 選書 見出し・語録 (1)ニコラ・セギュール『知性の愁い』(大塚幸男訳、岩波文庫)(2)『一遍上人語録』(大橋俊雄校注、岩波文庫)(3)小川国男『悲しみの港』(朝日新聞社)(順不同)
「今まで読んだ書物のすべてのうちから三つ選ぶことも少し考えてみたがとても難しいので、むしろ今年いままで読んだ本に限定した。
いつまでも忘れない本といえば(2)の本に着着する。なぜならすでに数百年、いろいろな人が忘れなかったのだから。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 哲人・吉本隆明の世間と世界を透視する2:村山首相の「自衛隊合憲発言」と軍事力解体への道。 掲載誌名 自由時間 卷5 号 23 掲載頁 34-35 区分 インタビュー キーワード 自衛隊/憲法第九条/合憲発言/村山首相/小沢一郎『日本改造計画』/国家/第三の権力/アメリカ 見出し・語録 「国際間の国家と、国家内の国家の問題と、一見すると矛盾する二つの問題を実は抱えているんだということをはっきりさせないと、高度の資本主義社会に
突入したことの意味が全然出てこなくてなってしまいます。国家が存在する限りいつも二つの問題をもっているということがあります。」 注記等 聞き手 三上 治
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 金杉忠男と中村座の初印象 掲載誌名 グッバイ原っぱ 出版社 春秋社 出版地 東京 掲載頁 1-8 区分 序文 キーワード 中村座/金杉忠男/『舞踏会の手帖』/新劇 見出し・語録 「ところで『舞踏会の手帖』には現在の高度な知的な風俗のシステム感覚といっしょに天才的に再現されたこの子どもの世界感覚の記憶がいたるところにばらまかれ、
堀りおこされて〈追憶〉の現前化ともいうべき詩性が、あらたまった、もったいぶった感覚や文体としてではなく、猥雑で無定型な風俗の断片を野放図に繰りだしながら、
よくよくみると高度な知的なシステム化が潜在しているといった現在の表出として、申し分のないかたちを実現している。」
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 愛する作家たち 出版社 コスモの本 出版地 東京 区分 作家論 キーワード 太宰治/宮沢賢治/芥川龍之介 見出し・語録 太宰 治―社会の転換によりメジャーに『お伽草紙』、『斜陽』、『人間失格』/ 宮沢賢治―真の理念を求め続ける『春と修羅』第一集、『春と修羅』第二集・第三集、
『グスコーブドリの伝記』『銀河鉄道の夜』、『銀河鉄道の夜』の人たち、
宮沢賢治の文学と宗教/ 芥川龍之介―ある問題意識を礎として『地獄変』、『或阿呆の一生』、『玄鶴山房』、芥川における反復概念、あとがき 注記等 『お伽草紙』、『斜陽』、『人間失格』/日本近代文学館主催「昭和文学(戦後)・作家と作品」(一九九三年七月)において講演  『春と修羅/第一集』『春と修羅/第二集・第三集』『グスコーブドリの伝記』『銀河鉄道の夜』/日本近代文学館主催「昭和の文学・作家と作品」(一九九二年七月)において講演  『銀河鉄道の夜』の人たち/『ちくま』(一九八九年九月号) 宮沢賢治の文学と宗教/鴎外記念本郷図書館一九八九年一一月)において講演  『地獄変』『或阿呆の一生』『玄鶴山房』/日本近代文学館主催「日本文学の一〇〇年」(一九九四年七月)において講演 芥川における反復概念/神奈川近代文学館主催「生誕一〇〇年芥川龍之介展記念講演会」(一九九二年四月)において講演
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 大学をよくする方法 掲載誌名 日本の大学どこがダメか 編集 安原 顯 出版社 メタローグ 出版地 東京 掲載頁 6-9 キーワード 大学/教師/学校
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 著者 芹沢俊介 刊行年 1994 標題 [新装増補]対幻想:n個の性をめぐって 出版社 春秋社 出版地 東京 版表示 新装増補 区分 インタビュー キーワード 対幻想/性/家族/フェミニズム/エロティシズム/感覚/身体 見出し・語録 まえがき(吉本隆明)/ 〈性〉〈家族〉の行方 (1)男と女の現在、性意識の解体、理想の子供数がゼロへ向かう意識 (2)なぜ家庭内暴力は生ずるか、脱男性依存後の女性の問題/ フェミニズムからエロティシズムまで (1)主婦はどこへ行くのか、母親の責任はどこまでか、シャドウ・ワークの構造的変化 (2)連合赤軍と〈アジア的〉共同体、〈アジア的〉とフェミニズム、〈アジア的〉共同体のなかのエロスの生きる場所、 (3)化粧・ファッションの根源、鏡を見ながら化粧するということ (4)ふたつの性的器官を持つ女性?、〈対幻想〉の定義の拡張を迫る/ 〈家族〉は消滅するか (1)家族の否定―キブツ共同体の場合、家族成立以前の歴史段階を再現、性的関係における新しい問題 (2)男女間と共同体との水準の同一化―ヤマギシ会のばあい、全部がヤマギシ会になったらそれは理想か (3)身障者という概念は老人問題になる、ヒューマニズムは普遍的倫理でありうるか、現代における〈他界〉〈死〉〈老い〉の対応関係、科学技術が家族形態におよぼす影響力、〈死〉の水準が生誕を規定する (4)「ヴァナキュラーなもの」がイメージするもの、性のシャドウ・ワークとジェンダー (5)〈性〉になれるということ、なれないということ、離婚の増加の背景aun個の性」について/ 【増補】超感覚と身体|全部見えてしまう視線、物質的な現実と感覚的な現実との関係、大衆的無意識の願望、自在に行き来できる霊的存在と肉体的存在、
時代としての新宗教、いま、科学を問うこと}身体の多層性、キング牧師の自己浄化の条件/ 新装増補版あとがき、初版あとがき(芹沢俊介)
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1994 標題 現在はどこにあるか 出版社 新潮社 出版地 東京 区分 文芸時評 キーワード 文学作品/現在 見出し・語録 1現在への追憶―荻野アンナ「背負い水」/小川洋子「完璧な病室」/村上春樹「TVピープル」 2反現在の根拠―古井由吉『楽天記』/丸山健二『千日の瑠璃』/村上龍『イビサ』 3物語のゆらぎ―中上健次『軽蔑』/大江健三郎『僕が本当に若かった頃』 4マス・カルチャーからの認識―新井満「尋ね人の時間」/伊集院静『受け月』/新井素子『おしまいの日』 5私小説は悪に耐えるか―車谷長吉『鹽壷の匙』 6輪郭は作れるのか―多和田葉子「ペルソナ」「犬婿入り」/丸谷才一『女ざかり』 7お伽話の距り―出久根達郎『佃島ふたり書房』/野中柊『チョコレット・オーガズム』/山田詠美『僕は勉強ができない』 8奇妙な世界に行く―中野孝次『清貧の思想』/遠藤周作『深い河』 9ビジネス書の内と外―小沢一郎『日本改造計画』/中上健次『異族』 10擬人化の世界―多田富雄『免疫の意味論』/リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』 11伝記的ということ―樋口覚『一九四六年の大岡昇平』/富岡多恵子『中勘助の恋』 12自然と死の物語―小川国夫『悲しみの港』/小川洋子『密やかな結晶』 13詩の順序―谷川俊太郎『世間知ラズ』/河野道代『spira mirabilis 』/松浦寿輝『鳥の計画』/萩原健次郎『K市民』/川田絢音『球状の種子』/清水昶『詩人の死』/辻征夫『河口眺望』/平田俊子『(お)もろい夫婦』/吉増剛造『唖者の家へ』/田村隆一『七十歳最後の水曜日』 14経験知の世界―宮路年雄『役人といかに喧嘩するか』/落合博満『勝負の方程式』/ あとがき

「吉本隆明1994年著作リスト」/kyoshi@tym.fitweb.or.jp ファイル作成:2008.08.21 ファイル更新:2012.08.20