吉本隆明1988年著作リスト


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刊行形態 Magazine Article
著者 吉本隆明
著者 栗原 彬
刊行年月 1988
標題 僧侶--そのあり方を問い直す
掲載誌(紙・書)名 仏教
号 2
掲載頁 14-39
掲載年月日 1988.1
区分 対談
キーワード 僧侶
見出し・語録 僧侶を考える根拠/僧侶を原型で考える/原型に帰るか、知の体系を開くか/民衆的ミス
ティックこそ起爆力/垣根をとっ払って一般社会の課題へ/文明史の必然の核にぶつかれ/反体制を超
え全体制的に考える/インパクトのない生き方こそ理想の僧/非僧、非俗の否定の重層性は可能か/わ
が課題--還相に生きる/思想としての生き方を生きる

「ぼくは全体制的なんですよ。全体制的っておかしいですけど、否定するなら全部否定するわけです。
つまり反体制も否定するわけです。反体制の極致、たとえば社会主義国なら社会主義国でもいいです、
それを否定するんですよ。だから市民社会に対してインパクトを持たなくても、市民社会の人になっ
ちゃってもいい。つまりぼくの理念の基礎には、なんでもない人というのがいつでもいるんです。な
んでもない人になっちゃうということは、人間にとっても知識にとっても理想なんだという観点があ
るわけです。つまりこれは教祖親鸞に学んだのかもしれないし、ぼくはマルクスを別な受け取り方を
して学んだのかもしれないんですが、ぼくの理念の根底にはそれがあるんです。つまりごく普通の人
になっちゃうということはもっとも価値ある生き方だという観点があるんです。しかし人間は大なり
小なり価値がある生き方からそれていかざるを得ない。それが知識になったり反体制になったり、マ
ルクスみたいに革命家になったりするんだけれども、それはやむを得ず、仕方がないからそうなっち
ゃったんで、ほんとうはそうならないのが理想です。ごく普通になっちゃったら、普通の市民とか、
普通の庶民でもいいですけれども、それになっちゃったら一番価値ある生き方なんだというのがぼく
の思想の根底なんですね。だから、インパクトがない人になったら、それこそ理想的な人だ、もし僧
侶がそういうふうになれたら、あるいは人間がそうなれたら、一番理想的な人だとぼくは思っていま
すね。それが原型なんだ。それがぼくの思想の原型なんです。」

「これはもっと、政治用語といいましょうか、そういう社会運動的用語でいえば、労働者、あるいは
労働者階級でもいいんですけども、労働者階級の利益と、それから一般大衆の利益がもしぎりぎりに
相対立するというような場面に現在あったとしたら、どちらを支持するんだといったら、もちろん一
般大衆の利益を支持するという観点がいいと思います。それが現在の課題だと思います。ところが半
分しか開かれていない思想理念というのは、必ず労働者の利益が優先するんだという考え方をとるん
です。その段階はぼくの理解の仕方では、すくなくとも先進社会では終わったと思っているわけです。
もし資本と労働者の対立する場面では労働者を支持するというのは当然なんです。また国家と資本が
対立する場面でどっちを支持するか。資本を支持するのが当然です。それと同じように現在労働者と
一般大衆の利害が相反する場合に当面したらどちらを支持するのかといったら一般大衆の利益を支持
するんだというのが、全体制だ、つまり開かれた反体制だというふうに、ぼく自身はそう思っている
わけです。だからそこの問題で、ひとつは、ぼくはあらゆる人と対立してしまう、ほとんどあらゆる
反体制の人と対立してしまうんですけれども、ぼくの理念の持ち方からすれば、当然そうなってしま
うんですね。そこのところがもうひとつ問題があるような気がするんです。」
注記等 1987年10月10日

刊行形態 Audiovisual Material 著者 刊行年 1988 標題 いま吉本隆明25時より 吉本隆明[講演]文学論 都市論 出版社 弓立社 出版地 東京 形式 録音カセット4巻(334分) 弓立社カセットブック 区分 講演 キーワード 文学/都市 注記等 4-89667-224-0 1987年9月12〜13日東京・品川/寺田倉庫T-33号館で行われた講演
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 吉本隆明全対談集 出版社 青土社 出版地 東京 巻 2 区分 対談 見出し・語録 1970〜1973 1970 傍系について 島尾敏雄 島尾文学の源流/東北と南島/心の構造について/“マヤたちへの偏見”の頃/島尾敏雄論 言語表現としての芸術:詩・評論・小説 清岡卓行 「戦争責任論」をめぐって/文弱者とは何か/第三の新人は変貌した/生活の振幅と遊びの 論理/現実のドラマと表現のバネ/詩が書きにくくなった現実/科学者的発想の詩/自然主 義批判の陥穽/作品における距離のとり方/女性観を決定するもの/音楽的イメージと小説 の構成/演奏家は批評家か、翻訳家か?/詩と小説はどちらが上位か/専門詩人とは何か/ これからの仕事について 文学と思想の原点 江藤淳 漱石と登世をめぐって/退路のない状態/「もの」の手触り」/プロとアマについて――価 値観の原点/禁忌の是非――レーニンと西郷隆盛/集団・国家・政治権力/自分が死ねば世 界は終わる/先住民族と統一国家 勝海舟をめぐって 江藤淳 “総理大臣”勝海舟/つかみどころのない存在/勝海舟と日本の近代/維新、構造の謎/江 戸っ子勝海舟 1971 私はなぜ批評家になったか 柄谷行人 自然過程論/“自然”に拮抗する力/評論と外界の距離感覚/老成という安定について/抽 象的安定の脆弱性/吉本隆明がもたらしたもの/論争、ないしはけんかについて/批評家と は何か 日本的戦後のジレンマ:文学者の死と政治 磯田光一 天皇制体験における断層/反スタ自立論の理念と現実/リアルポリティクスと思想の倫理/ 反米ナショナリズムと大衆意識/「関係の絶対性」の基準はどこに/戦後国家と法秩序の問 題/「マチウ書試論」と原題の構図 都市は変えられるか 磯崎新 権威に求心的な都市/都市開発の矛盾/都市は〈広場〉を持てるか/二十五時間めの仕事/ しかし、都心を離れられない 家・隣人・故郷 小川国夫 次の段階への出発/赦す・赦される/敗戦の谷間にかける橋/人の生き方の原点/故郷の目・ 家の目/近親の問題 1972 下町について 田村隆一 下町の詩人・今氏さんのこと/下町学校『三商』のこと/震災と空襲と――下町の変貌/都 市の〈書店〉はつぶしてよいか?/戦前からの民家はいまや〈古典〉/日本の〈公〉と〈私〉 /〈禁制〉と〈強制〉について 1973 存在への遡行 鮎川信夫 「書物の解体学」への位相/アメリカにおける社会の変質と転位/美醜の問題/欠落とその 心的現象/運・不運の思想/自然彷徨としての欠落/思想的態度の大前提・自存と発語 情況への遡行 鮎川信夫 絶対的正義の終焉/遊びの「場」/平等・不平等の観念――身体論の位相――/詩人の才能/ 中江俊夫『語彙集』/舞踊の体験/女性・その不可解な意匠/女流詩人の場合/ウーマン・ リブ/差別の歴史的構造 あとがき 吉本隆明 初出一覧 注記等 傍系について  「海」1970年5月号 言語表現としての芸術――詩・評論・小説――  「群像」1970年6月号 文学と思想の原点  「文藝」1970年8月号 勝海舟をめぐって 『勝海舟全集14巻』(勁草書房)1970年10月 私はなぜ批評家になったか  「三田文学」1971年2月号 日本的戦後のジレンマ――文学者の死と政治――  「海」1971年7月号 都市は変えられるか  「美術手帖」1971年8月号 家・隣人・故郷  「文藝」1971年10月号 下町について  「日本の底流」1972年 存在への遡行  「現代詩手帖」1973年2月号 情況への遡行  「現代詩手帖」1973年3月号 
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 小川国夫 刊行年 1988 標題 新共同訳「聖書」を読む 掲載誌(紙・書)名 新潮 巻 85 号 2 掲載頁 p186〜203 掲載年月日 1988.2 区分 対談 キーワード 聖書
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1988 標題 いま、吉本隆明25時:1987年9月12〜13日東京・品川/寺田倉庫T-33号館で行われた24時間連続 講演と討論・全記録 出版社 弓立社 出版地 東京 区分 講演 キーワード 文学/都市 見出し・語録 注記等 ISBN4-89667-224-0 著者の肖像あり
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 吉本隆明全対談集 出版社 青土社 出版地 東京 巻 3 区分 対談 見出し・語録 1974 詩は行動する 大岡昇平 地形について/中原中也と宮沢賢治/論争について/中原中也と小林秀雄/漱石の場合/ “近親相姦の禁止”について/“政治と文学”について/“虚無”と“自然”について/ “指示”と“表出”について 現代社会における創造 大岡昇平 自己表出という機軸/マルクスとマルクス主義者/現実意識と可能意識/『歴史小説論』 について/再び自然について/「南島論」と『アンチ・エディプ』/キリスト教について /ドストエフスキーとスタンダール ロールシャッハ・テスト 馬場礼子 たれにもふれえないなにか 馬場礼子 無防備になろうとする防備/自分の衝動を肯定していない/非常に傷つきやすい/女の人 はこわいなと思うエピソード/中間状態がない/たれにもふれえないなにか/女の人は悲 しいなと思うエピソード/女の人は皆目わからない/科学的テストと位置/吉本隆明の女 性観A/吉本隆明の女性観B ぼくが真実を口にすると 馬場礼子 衝動と論理はどこで接するか/吉本隆明における化学の位置/別れの構造/自然な情感の 回復/直接的、実直、真面目、不器用/隠れるようにして詩を書くこと/ぼくが真実を口 にすると‥‥‥/言葉を失う恐怖/内部と外部をどうつなぐか/転位はどのように可能か /ナルチシズムのパラドックス/罪悪感はどこからくるか/「ある抒情」の背景 わが思索のあと 小潟昭夫 言語表現論としての文学理論/発生状態における言葉/言語表出によって明瞭になるもの /実朝の詩的契機/小林秀雄の限界とその超克/〈現在〉の詩と〈永続的位相〉の詩/情 況論の新たな集約点――沖縄/“大衆の原像”が生まれたところ/書くことの位置づけ/ 手仕事としての詩作/身体認識の段階/世界における関係の絶対性/対幻想と家族・社会 /死を納得したあとの生き恥/三島由紀夫への共感と違和感/第一次戦後派と第三の新人 批判/安部公房と大江健三郎について 帰りがけの威力 富岡多恵子 つくられた世界の強さ/帰り道こそ勝負/文化への可能性ない庶民/無性の文体 オカルトの底部にあるもの 藤沢敏雄 生理的現象と“呼び込み”/ある犬神の憑いた学生の場合/親から子に流れるもの/父は 精神的に免責されない/オカルト的未来に憑いて/性抑圧と女性/聖と俗について/日本 人は海のジプシー 小林秀雄の現在 清岡卓行 実朝/本居宣長/ランボー/天才/批評という作品/方法の問題/「本居宣長」をどう見 るか/モーツァルト/文芸批評と芸術批評/骨董/遺書/小林秀雄と吉本隆明/西行 意志と自然 鮎川信夫 のっぺらぼうでない構造/論理がひとりで歩く/漱石の孤独、文学の概念/内閉的な精神 状態/論理的には全部「的」/安保のとき醒めていたこと/ユダヤ的思想家/意志的であ ること/文学の現場、思想の源流/考えたことの価値/重要文化財か千円以下か/死から 逆に「いま」を考える/俗っぽさをゆるがせにしない/禅にはプロセスがない/生理が思 想に勝つ/死、復活、自然/「面面の計らい」/自然への意志的な過程/共同性が究極で 無になる 宗教と幻想 小川国夫 飢餓の記憶/陳和卿の船/化身の論理/イエスはいたか/イデオロギーと宗教/親鸞教と キリスト教/心理のありか/六十年安保のころ/殉死について 性の幻想 大庭みな子 原子爆弾と少女/軍隊ヒエラルキーの魔術/性と文学表現/愛のカタストロフィー/原始 の愛と婚姻制度/意思と幻想/男女の理想形態について/アメリカと人種問題/新世界の 神話/カフカと太宰治 あとがき 初出一覧 注記等 詩は行動する 「文藝」1974年1月号 現代社会における創造 「文藝」1974年3月号 ロールシャッハ・テスト 「ユリイカ」1974年4月号 わが思索のあと 『三田文学」1974年5・6月号 帰りがけの威力 「現代詩手帖」1974年6月号 オカルトの底部にあるもの 「映画芸術」1974年10月号 小林秀雄の現在 「ユリイカ」1974年10月号 意思と自然 「現代思想」1974年10月号 宗教と幻想 「野生時代」1974年11月号 性の幻想 「野生時代」1974年12月号
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 竹田青嗣 刊行年月 1988 標題 エロス・死・権力 掲載誌(紙・書)名 オルガン 号 4 掲載頁 126-149 掲載年月日 1988.3 区分 対談 キーワード 対幻想/エロス 見出し・語録 対幻想という概念をめぐって/エロスの世界へのあこがれ/エロスの世界における不条理性/救済と してのエロス/意味としてのエロス/フェミニズムへの違和感/批判の根拠として 注記等
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 古橋信孝 刊行年月 1988 標題 共同体への視点と文学:対談の試み 掲載誌(紙・書)名 国文学 解釈と教材の研究 巻 33 号 3 掲載頁 p6〜27 掲載年月日 1988.3 区分 対談 キーワード 共同体
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 吉本隆明全対談集 出版社 青土社 出版地 東京 巻 4 区分 対談 見出し・語録 1975 近代的人間とキリスト教:北村透谷の思想と文学をめぐって 笠原芳光 土俗宗教としての天皇制/真のラディカルさとは/文学形式と思想的内面性 透谷の思想と文学 笠原芳光 シャープに入って、シャープに出ていった透谷/内面の問題と価値をとり出した透谷/ 〈わが母とは誰ぞ、我が兄弟とは誰ぞ〉/近代的恋愛と、反近代的“粋”との相剋/ 太宰治とその時代 橋川文三 戦争期の読書/竹内好と太宰治/自虐のエロチシズム/保田与重郎と太宰治/小林秀雄と 太宰治/「近代文学派」の盲点/三島由紀夫と太宰治/軟文学と硬文学/近代文学におけ る日本と中国/文学と天皇制/太宰治の印象 家族とは何か 鮎川信夫 老人問題・老いたること・家族/家族は本来的に公と対立する/近親相姦禁忌と家族の閉 じていく本質/親族との関係について/女の男に対する憎悪/性・婚姻の関係は多元化す るか/男女の現在的な、そして本質的なギャップ/家族の無世界性/血縁・親族の意識に ついて 思想の流儀と原則:敗戦のモチーフから現在へ 鶴見俊輔 最低の了解事項と大学紛争/責任の問題と腕力の問題/きわどい問題に対する流儀/原則 と交叉路/大衆文学の評価の軸/パターンの破壊と形に籠もる感情 古典をどう読んできたか 大岡信 家学、その周辺/断層と架橋/抵抗感が欲しい/“発明”と“再現”/リアルということ /岡倉天心をめぐって 意識・革命・宇宙 埴谷雄高 『死霊』四章について/現実と想像力/魂の渇望型の文学/生死の思想とデモノロギイ/ 自殺と子供を産まぬこと/スパイと内ゲバについて/党派の論理/宗教性について/『死 霊』の歴史的位置づけ/『死霊』の五章以後/戦後派文学と同時代の作家たち/二十五時 間目の問題/三島由紀夫について/現代文学の方向 精神分裂病とは何か 森山公夫 「心的現象論」/有効性の場/性格、気質、体質/鬱/睡眠/夢/分裂病と躁鬱病/治る、 治らない/狂人と家族/医者と患者/狂気と社会/耐える 鏡の国と鉾の国 樋口清之 神話と縄文文学/東征神話の背景/騎馬の民と船の民/大嘗祭と男弟/卑弥呼と男弟/邪 馬台国論と文学/鏡の国と鉾の国/日本語の来し方/枕詞の背景/古代朝鮮海峡文化/日 本人の成り立ち/二つの海人族 生死・浄土・終末 小川国夫 近親の問題/〈殿〉と〈観音の化身〉の二重性/二十四時間の範疇と二十五時間/親鸞の 非僧卑俗/煩悩の海/宗教的規範/禅とはなにか/キリスト教の終末世界とマルクスの理 想社会/観念と現実の転倒/目的意識と善悪の基準について/情況のひきうけかた/死に ついて 新約思想をどうとらえるか 八木誠一 キリストとイエス/幻想/矛盾/歴史/「マチウ書試論」/信仰/観念/言葉/超越/不 可避性 批評・言葉・世界 秋山駿 江藤淳氏と文学の「誠実」/「夢魔の世界」の評価をめぐって/なぜ書くか/こちら側の 世界と向う側の世界/批評の言葉と論理の言葉/日本語と造語について/論理のはしご段 の問題/文学者の生きざま死にざま/批評の極限の姿/小松川女子高校生殺しの少年と在 日朝鮮人問題/いやな世界について――部落問題と差別用語/はしご段の最低点――文学 の直接性/ あとがき 初出一覧 注記等 透谷の思想と文学 『近代キリスト教文学全集』月報 近代的人間とキリスト教 「教団新報」1975年1月25日号 太宰治とその時代 「ユリイカ」1975年3・4月合併号 家族とは何か 「伝統と現代」1975年5月号 思想の流儀と原則 「展望」1975年8月号 古典をどう読んできたか 「國文学」1975年9月号 意識・革命・宇宙 「文藝」1975年9月号 精神分裂病とは何か 「現代思想」1975年9月号 鏡の国と鉾の国 「野生時代」1975年10月臨時増刊号 生死・浄土・終末 「伝統と現代」1975年12月号 新約思想をどうとらえるか 「現代思想」1975年12月号 批評・言葉・世界 「群像」1975年12月号
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 イメージ論 掲載誌(紙・書)名 吉本隆明全集撰 出版社 大和書房 出版地 東京 巻 7 区分 普遍像(学)論 キーワード ハイ・イメージ/マス・イメージ 見出し・語録 ハイ・イメ−ジ論  映像の終りについて  ファッション論  像としての文学I  像としての文学II  映像都市論  多空間論  地図論  人工都市論  像としての音階I  像としての音階II マス・イメ−ジ論  変成論  停滞論  推理論  世界論  差異論  縮合論  解体論  喩法論  詩語論  地勢論  画像論  語相論 あとがき 『全集撰』第7巻のためのあとがき 解題 注記等 「海燕」誌上連載第一回からのスリリングな持続は今なを<現在>を切り開く。  「謹告 小社では、一九八六年より、『吉本隆明全集撰』(全七巻・別巻一)を刊行してまいりました。 現在、第二巻(文学)並に別巻を残しておりますが、著者の判断として刊行を中止して欲しいという希望が あり、小社としましても刊行を中止せざるを得なくなりました。全集撰と銘打ちながら刊行中止のやむなき に至りましたことを深くお詫びするとともに、読者各位におかれましても、何卒ご了承下さいますよう、お 願い申し上げます。 株式会社大和書房 読者各位」なる一文を伴った事故伝票で客注定期購読は一方的に 打ち切られてしまった。(1990/12) 「あんかるわ」終巻号所収の小川哲生編集子の一文を読んで裏が読めてきた。
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 吉本隆明全対談集 出版社 青土社 出版地 東京 巻 5 区分 対談 見出し・語録 1976〜1978 1976 文学における生と死 磯田光一 文壇とアカデミズム/文芸批評の老舗イズム/俗物漱石 鬼伝承 島尾敏雄 南島の鬼ばなし/「島の果て」をめぐって/宮沢賢治の風土/神話のイデオロギー/オニ と鬼/伝統ということ/さかな女房/天翔ける言葉/伝承のしくみ 民話・時間・南島 大山麟五郎 二十三夜の日待ち/島の民話/鍛冶どんの呪力/神の道/民話のなかの時間/古い言葉、 新しい言葉/永遠の時間を‥‥‥/砕かれた小さな児 1977 平和の中の主戦場 島尾敏雄 『死の棘』/修羅場に付き合いきる/宿命のかたちをつかまえる/日々の戦い 1978 戦後詩の危機:石原吉郎の死 鮎川信夫 共同性に対する考察と防備について/日本的美意識への傾斜/歴史意識について/詩の出 発と到達/晩年とその予兆/収容所体験と戦後/若い詩人たちについて/詩の風俗と大衆 化現象について/詩の技術について/受験生詩人たち 戦後詩を読む 鮎川信夫 はじめに/三好豊一郎「囚人」「われらの五月の夜の歌」/田村隆一「十月」/中桐雅夫 「人民のひとり」/黒田三郎「賭け」/北村太郎「地の人」/長谷川龍生「理髪店にて」 /関根弘「女の自尊心にこうして勝つ」/黒田善夫「空想のゲリラ」/谷川雁「商人」 「革命」/清岡卓行「子守唄のための太鼓」/吉岡実「僧侶」/飯島耕一「他人の空」/ 岩田宏「感情的な唄」/吉野弘「I was born」/鈴木志郎康「終電車の風景」/石原吉郎 「足利」/吉本隆明「小虫譜」/鮎川信夫「繋船ホテルの朝の歌」 ダーウィンを超えて 今西錦司 ダーウィン 不稔生と変異性/生活条件と遺伝/生存闘争自然のシステムと人間のシステム/個体間の 差異/自然選択説について/天変地異と斉一説/中間型/すべての生物を襲う大変化/単 元=伝播説/言語の発生に関して/由来と類縁関係/ダーウィニズムの四つの論点 今西進化論 個体の生死と種の維持/大進化と小進化/遺伝的形質と突然変異/遺伝子もシステムの一 環/棲みわけ説/種社会、同位社会/変種と亜種/縄ばりと棲みわけ/単独生活者におけ る種社会/クラインからの亜種または種へ/変わるべくして変わった! マルクスとエンゲルス 動物と人間/動物の“社会”/種の社会のひとつ――人類社会/大脳化現象/胎児化現象 /“論理”というもの/科学の方法論をめぐって/偶然と必然/近代的知性について/自 由と不自由/人類の発生/人類はどこまで変わるか 今西進化論(続) エンゲルスの国家起源説/系列化する方法の誤り/家族の起源/近親相姦のタブー/国家 の起源/生態学的観点/合意と抑制/国家と小集団/国家観念/戦争について/家族から 個人へ 初出一覧 注記等 文学における生と死 「週刊読書人」1976年1月5日・12日・19日号 鬼伝承 「野生時代」1976年3月臨時増刊号 民話・時間・南島 「國文学」1976年11月臨時増刊号 平和の中の主戦場 「波」1977年10月号 戦後詩の危機 「磁場」1978年4月号 戦後詩を読む 「現代詩手帖」1978年10月号 ダーウィンを超えて 『ダーウィンを超えて』1978年12月
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 〈死〉の構造 掲載誌(紙・書)名 人間と死 出版社 春秋社 出版地 東京 掲載頁 7-47 区分 講演 キーワード 死 見出し・語録 死の恐れはなくなるか/〈誕生〉と〈死〉の構造は同じである/じぶんの〈死〉はじぶんでは体験できな い/〈死につつある体験〉の特徴/死はなぜ、じぶんの体験と他人の体験に分裂・矛盾をつくるのか/ 世界の思想家の「死の思想」について:死はいかに可能か-(1)ある思想家の死の追いつめ方[ブランシ ョ]/死の覚悟性-(2)ハイデッガーの死の追いつめ方/死は偶然の事実性である-(3)サルトルの死の追い つめ方/サルトルへの批判/ヨーロッパ社会の死の追いつめ方のすごさ/死は分布する-(4)フーコーの死 の追いつめ方/死は一挙にくるのではない/死の空間的・時間的移行/脳死の問題/「脳死」論議への意 見/死は〈点〉ではなく〈分布〉の問題である 注記等 「本書は、1987年10月7日から11月21日にわたって行なわれた、神奈川県逗子市教育委員会 主催による逗子市民大学講座「人間と死」の連続講演の記録をもとに、各氏の大幅な加筆、訂正を得て 成ったものです。」(編集部)
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 〈死〉に関するアンケート 掲載誌(紙・書)名 人間と死 出版社 春秋社 出版地 東京 掲載頁 221-222 区分 アンケート キーワード 死 見出し・語録 (1)これまでもっとも衝撃をうけた死があったとすれば、どんな死でしたか。→「十代末から二十代は じめの頃に、映像と活字と身近かな人間によって演ぜられた特攻死の記憶。」 (2)これからの死で、どんな死がもっとも重い(恐ろしい)死だとみなされますか。→「死はどんな死 も平等の重さです。だからもっとも重いのは大多数の死(自然死)でしょう。」 (3)死にたい場所(家・病院等)と死に方(自然死、自殺、病死等)から、自分の死をどのようにイメー ジしていますか。→「自然死のイメージを目指したいですね。」 (4)脳死について意見を述べて下さい。→「おしゃべりに触れたとおり。脳死は死が不可逆なところに 入った確証であるとともに、死につつある過程にしかすぎないという矛盾だとおもいます。」 (5)ガンの告知について意見を述べて下さい。→「ガン死の告知は、現在のところ普遍的な課題になり えません。『わたし』にとって告知されるべきかどうかという課題があるだけです。そして『わたし』自 身は、告知して欲しい、あるいは告知してあげようと言えるようになりたいものだと願望していますが、 なれるでしょうか?」 (6)安楽死について意見を述べて下さい。→「死が安楽死を必要とするかそうでないかを決定する要因 は、死のなかには存在しません。このばあいだけは死がげんみつに考えられる必要があります。つまり通 俗的な死の概念は、近似的にも無くなるほうがいいのです。」 (7)宗教ないし俗信として流布されてきた「死後」の存在についてどう思いますか。→「『死後』など あるわけがないでしょう。これに気づいたことを最初に思想化した宗教者は親鸞だとおもいます。」 (8)ありうべき理想の「老人ホーム」が考えられるとすれば、どんな形のものが思い描かれますか。→ 「申すまでもなく、個々の老人自身の経済力と生活様式によって営まれた『老人ホーム』、いいかえれば 普通の『家』そのものです。」 (9)死についての参考文献をあげて下さい。→「おしゃべりに触れたものです。もうひとつ挙げれば、 わたしの、『触れられた死』(『死の位相学潮出版社所収)です。」 注記等 「巻末のアンケートについては、編集部の作成によるものです。」(編集部)
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 吉本隆明全対談集 出版社 青土社 出版地 東京 巻 6 区分 対談 見出し・語録 1979〜1980 1979 漱石的主題 佐藤泰正 道義性と自然/宗教の門、存在の門/夫婦間の対幻想/近代の暗喩としての女/徹底的相 対化、たとえばお延/東洋的エートス/最後の漱石 「歎異抄」の現在性 鮎川信夫 悪人正機説をめぐって/思想の逆説/個人の倫理と集団の倫理/僧侶集団の生活/親鸞の 現代性/親鸞とキリスト教/死と救済/親鸞とマルクス主義/親鸞と日蓮/真宗の論理/ 親鸞と善鸞/不可避性について/思想の運命/誤解と曲解/全体的思想/危機の本質/ヒ ューマニズムについて/スターリニズムについて/ソルジェニツィン問題 文学の戦後 鮎川信夫 第一次戦後派と反体制運動/時代の暗さと感性/埴谷雄高と軌道修正/大岡昇平「俘虜記」 と降伏の概念/江藤淳「もう一つの戦後史」について/戦前・戦後の自由の問題/「荒地」 の詩人たちの変遷/「敗戦」と国家と個人/野間宏「真空地帯」と靖国神社/戦争犯罪と 東京裁判/アジア的ロジックと天皇制/無頼派と「近代文学」の人たち/ソルジェニツィ ンの「収容所群島」/スターリン体制の必然性/現代文学の変質/島尾敏雄「死の棘」と 吉行淳之介「夕暮れまで」/カウンター・カルチャーの時代/現代的な小説/文芸批評の 大衆化/現代文学の行方をめぐって/ヒューマニズムの終焉と近代の超克/「試行」の二 十年/六〇年安保の本質を見る第三の新人のこと 1980 肉体・異国・青春 沢木耕太郎 敗れざる者たち/現実の解剖/三島と肉体 世界認識の方法 M・フーコー 『言葉と物』の周辺/権力の一様態としてのマルクス主義/個人意思の問題/戦略、抗争、 葛藤、事件/歴史の偶然と必然/権力機能の総体の解明/党と個人意思 批評にとって作品とは何か 蓮実重彦 批評の概念はどこで成り立つのか/帰属の連鎖を突きつめる/夏目漱石について/小林秀 雄について/中村光夫は小林秀雄を超えたか/批評とは何か 表現研究は文学研究たりうるか 菅谷規矩雄 言語のとらえ方/日本語表現の特殊性/作品を読むとはどういうことか/批評・研究を書 くとはどういうことか 歌謡の発生をめぐって 藤井貞和 南島歌謡と記紀歌謡/宮古島の氏族共同体の神話的譚詩/祝詞はかなり高度なもの/アジ ア的段階を設定する/グシク時代というもの/「鳥立て神話」と『おもろそうし』/垂直 の概念/万葉集と言葉の呪力の問題 “大小説”の条件:「神聖喜劇」をめぐって 大西巨人 小説の中の「私」/ものを見る角度/思想的モチーフ/東堂二等兵の特異さ/登場人物の 俗物性/いま大小説は可能か 戦後の歴史と文学者 鮎川信夫 コミットする契機/「サルトルは全部間違っていた」/組織というものの在り様/危機意 識と楽天性/全般的な末期症状/状況の怖さ/インテリの諸相/改憲論について/天皇項 をめぐって/知識人と天皇制の問題 あとがき 初出一覧 注記等 漱石的主題 「國文学」1979年5月号 歎異抄の現在性 「現代思想」1979年6月号 文学の戦後 『文学の戦後』1979年10月 肉体・異国・青春 「週刊平凡パンチ」1980年1月14日・21日・28日号 世界認識の方法 『世界認識の方法」1980年6月号 批評にとって作品とは何か 「海」1980年7月号 表現研究は文学研究たりうるか 「解釈と鑑賞」1980年8月号 歌謡の発生をめぐって 「國文学」1980年11月号 大小説の条件 「すばる」1980年12月号 戦後の歴史と文学 「現代詩手帖」1980年12月号
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 吉本隆明全対談集 出版社 青土社 出版地 東京 巻 7 区分 対談 見出し・語録 1981〜1982 1981 思想の生理と原理 鮎川信夫 体系的思想を吸収して独自の思想を打ち出す/思想のブレをシスティマテックに詰める/そ の時々の状況に生きていなければ絶対ブレる 死生観と短歌 寺山修司 劇的な「死」について/前田夕暮の歌をめぐって/「死」を問うことの意味/斎藤茂吉の歌 をめぐって/短歌的リズムと感情移入/類感呪術としての短歌/吉野秀雄の歌をめぐって/ 前衛短歌の内実を問う/理念としての「死」の設定/吉本隆明がもし癌になったら 芥川の問いかけるもの 三好行雄 キリスト教の問題、ひいては西洋の問題/捨てきれなかったもの/金銭の問題/限度を超え た生真面目さ/下町の意味と時代のモチーフ/文子夫人、あるいは永遠に守らんとするもの /自然主義文学寄りの歯止めとして 思想の進化と幻想 鮎川信夫 「反体制のシンボル」という前提条件/「近代的個我」の確立と擁護/「職業革命家」の登 場へ/「同類の中の異類」の対立関係/「思考実験」と「異常」と「正常」/「進歩」とい う名の信仰/信仰と心理の内と外/「イエスの方舟事件」の思想性/コンミューンを支える 吸引力/「家族」の価値観と断絶/共同体に必要な平等の原理/ヘーゲルからマルクスへの 流れ/マルクスの根本モチーフ/マルクスの考え方の失敗した現実 自己表現としての少女マンガ 萩尾望都 SF映画/自己表現としての少女マンガ/同性愛あるいはエロス的な世界/健康な作品『ケー キ ケーキ ケーキ』/作家と作品の関係/マンガは現実逃避/時間の使い方/良い子・悪 い子・普通の子/少女マンガの活性化/世界最後の人間になったら、人に見せられないマン ガをかく 共同幻想について 岸田秀 すべてのことはどうでもいいやという思想/なぜ対幻想という概念が必要なのか/真面目な 思想と不真面目な思想/共同幻想と自己幻想はなぜ逆立するか/国家の発生をどう捉えるか /岸田理論はどこまで有効か/つくる論理とこわす論理/防衛論議と虚妄/国家の概念より 人間の概念のほうが大きい/ヨーロッパの原理としての天皇制 日本近代詩への視点 安東次男 古典解釈の問題/近代詩歌の見え方/「近代日本詩人選」への注文/詩歌批評の水準/安東 『虚子』と吉本『賢治』 詩人の戦争責任と意識 鮎川信夫 言っておきたいこと/詩人の戦争責任/現代詩人の姿勢/詩人の文化政策/戦後の出発 1982 現代文学の倫理 江藤淳 知識人の役割とは何か/六〇年代という時代と文学/戦後派の文体はいかにして生み出され たか/新憲法の成立過程/占領軍は日本を解放したのか抑圧したのか/知的・創造的空間の 再建は可能か/川端康成と三島由紀夫の死が意味するもの 現代と若者 三浦雅士 欽ちゃんの異化効果/ニュースキャスターについて/反核声明異論/組織否定と激烈な戦い 「開かれた国家」の可能性 J=P・ファーユ 日本、今後の展望/日本の状況、フランスの状況/社会主義の不幸/「開かれた国家」への 鍵 仏教者良寛をめぐって 水上勉 農村の中の層/悟後の修行/制度の中の僧/禅門の異端/慈悲の景色 崩壊の検証 鮎川信夫 西脇順三郎の死とその詩的宇宙/西洋との対し方から見た西脇順三郎/何ものかに追いつめ られた現代の状況/反核運動の論理と退行性・欺瞞性/根源的な世界認識の欠如/「核」の 神話をどう解体するか/左・右、正統・異端のシンボルの転換点としての現在 どうしても話しておきたかった日本のこと 松岡正剛 最大のエディターは天皇だった/女にかまわれない男について/古典世界、古代世界への接 近のしかた/天皇制は企業の中に生きている/本来サブカルチャーは危険でラディカルだ/ 『トットちゃん』と『資本論』は同時に語れる 素人の時代 大西巨人 『源氏物語』と『神聖喜劇』/清潔な論理/行く先の見える頃には目がかすみ/文壇と文学 との距離/文学の状況/意思と本質/無意識の変容/素人の時代/未知の段階 あとがき 初出一覧 注記等 思想の生理と原理 『思想と幻想』1981年3月 生死観と短歌 「短歌現代」1981年3月号 芥川の問いかけるもの 「國文学」1981年5月号 思想の進化と幻想 「現代詩手帖」1981年7月号 自己表現としての少女マンガ 「ユリイカ」1981年7月増刊号 共同幻想について 「現代思想」1981年9月号 日本近代詩への視点 「ちくま」1981年10月号 詩人の戦争責任と意識 「現代詩手帖」1981年12月号 現代文学の倫理 「海」1982年4月号 現代と若者 「週刊平凡パンチ」1982年4月12日・19日・26日号 「開かれた国家」の可能性 「海」1982年7月号 仏教者良寛をめぐって 別冊「墨」1982年7月号 崩壊の検証 「現代詩手帖」1982年8月号 どうしても話しておきたかった日本のこと 「遊」1982年9月号 素人の時代 『素人の時代』1982年11月
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 芹沢俊介 著者 山折哲雄 刊行年月 1988 標題 「春秋」300号を振り返って 掲載誌(紙・書)名 春秋 号 300 掲載頁 2-23 掲載年月日 1988年6月15日 区分 鼎談
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1988.7 標題 70年代のアメリカ 掲載誌(紙・書)名 マリ・クレール 巻 号 掲載頁 掲載年月日 1988.7 区分 キーワード 見出し・語録 注記等
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 吉本隆明全対談集 出版社 青土社 出版地 東京 巻 8 区分 対談 見出し・語録 1983 わが思想と親鸞の世界 中村了権 逆説をもって「真」に迫る論理/親鸞の行動に見る自由さの意味/“境地”を砕く姿勢と “契機”の重要性/宿業について/生死を照射する浄土/自力が働く共同社会への通路は 意味がない アニメーション、いま新しい段階へ りんたろう アニメーションの可能性/『幻魔大戦』の独自性/劇映画を超え得るもの/人間の混沌の 表現/映像と人間の心臓との関係/イメージの解放について いま表出するということ 小島信夫 『別れる理由』の現在性/作者と語り手の分離/ロラン・バルトの批評/現在というもの の予感/作家の場所/小林秀雄と批評 歌の祖形ということ 佐佐木幸綱 東歌の位置/たとえば、叙景歌/人麻呂論/祖形の問題/音声の問題/喩の問題/模倣と 享受 教育 学校 思想 山本哲士 教育と学校の位置/学校を“通過”するということ/知識と言葉の無限進行/対幻想・共 同幻想・意思/子供の成長とは何か/学習とシャドウ・ワーク/子供集団の位相/教育知 と使用価値/限界閾値の意味/イリイチの思想をめぐって/自立の思想と親鸞/向うから 強いてくる世界/自然と文化のあり方/共同幻想の死滅/制度的な習慣をどうとらえるか カルチャーの瓦礫の中で 遠藤ミチロウ 絶叫すればするほど醒めていくところがある/サブ・カルチャーには「何がどうなればい いんだ」ということが終始つきまとう/壊していって何が残れるか、そのほうが大事だと 思いますね/イロニーの詩になっているのは僅かにRCとスターリンの二つだけなんです/ カルチャーの雑誌なんてあること自体がおかしいんです 相対幻論 栗本慎一郎 存在=歴史 遡行する視線 〈非市場社会〉とは/マルクスの〈必然力〉/経済人類学の問題/成文法の成立と市場交 換の拡大/〈アジア的〉と経済人類学の接点/システムの優位性は〈非市場社会〉に顕現 浮遊する〈現在〉の岸辺 生命システムと無意識/異種共同体と恐怖の出現/アジア的制度の構造/社会主義国家へ の言及/無意識から流出した意識/経済概念はどこまで拡張できるか/〈幻想〉という言 葉の二つの意味/貨幣へ言及すればソ連が視える/建て前としての都市化 深層から表層へ至る回路 富に偏在する矛盾/明瞭なソ連論の提示を/異種〈間〉を繋ぐもの/共同体は再生可能か/ 『共同幻想論』のモチーフ/いま表現のラジカリズム/『東京漂流』への疑点/椎名誠の 言語表現 コスモリカルなパフォーマー 小林秀雄をめぐって/椎名番長は小林先生を超えたのか/サブカルチャーの基層/蓮見・柄 谷あるいは“トットちゃん”/真に〈公傷〉を負ったものは/橋本治『暗夜』にみる時代 無限装置としての思想 終結部は〈器官なき身体〉へ/ドゥルーズ=リゾーム=蕩尽/不透明なCsO/呪縛された 〈身体〉を離れて/器官を超えて〈神〉に至る/精神分裂とカフカ/志ん生はあるいはド ゥルーズである 未明に飛び交う言葉たち 疾駆するボードリヤール/記号のコード化と革命概念の変貌/糸井・川崎のCMはコード 革命でもある/水平線の彼方に浮かび上がってきたもの 揺動しつつあるトポス フランス構造主義への疑念/「ちゅうふう」に見れるという視点/内部の〈他者〉を視る メッセージなきメディア 欽ちゃんからビートたけしへ/聖子ではなく柏原芳恵のほうが‥‥‥/〈異化〉としての タモリの倒錯性/『戦場のメリークリスマス」をめぐって 現在における差異 古井由吉 解体という概念/エロスと死/固体の微分化差異について/通俗ということ/CMの自己 否定性/資本の論理 詩のラディカリズムの〈現在〉 鮎川信夫 詩を書き続けていく理由とは/〈若い現代詩〉の射程距離/反・歴史としての詩/〈現在〉 による自己解体の表現/いま、言葉の力はどこにあるか あとがき 初出一覧 注記等 わが思想と親鸞の世界 『自分づくりの思想』1983年2月 アニメーション、いま新しい段階へ 「野生時代」1983年4月号 いま表出するということ 「海燕」1983年5月号 歌の祖形ということ  「國文学」1983年5月号 教育 学校 思想 『教育 学校 思想』1983年7月 カルチャーの瓦礫の中で 「MAZAR」1983年9月号 相対幻論 『相対幻論』1983年10月 現在における差異 「海燕」1983年11月号 詩のラディカリズムの〈現在〉 「現代詩手帖」1983年12月号
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 中沢新一 刊行年月 1988.8 標題 消滅に向かう世界の中で、「現在」を読みとく駄目の読書論 掲載誌(紙・書)名 マリ・クレール 巻 号 掲載頁 掲載年月日 1988.8 区分 対談 キーワード 読書 見出し・語録 注記等
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 高橋源一郎 刊行年月 1988 標題 なぜ太宰治は死なないか 掲載誌(紙・書)名 新潮 巻 85 号 9 掲載頁 p178〜196 掲載年月日 1988.9 区分 対談 キーワード 太宰治
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 物語のドラマと人称のドラマ 掲載誌(紙・書)名 吉本隆明[太宰治]を語る:シンポジウム津軽・弘前'88の記録 編集 吉本隆明, 菅谷規矩雄, 村瀬学, 鈴木貞美 and 長野隆 出版社 大和書房 出版地 東京 掲載頁 11-44 区分 講演 キーワード 太宰治/物語/人称/倫理 見出し・語録 「さきほど格子目によって意味の流れを垂直にさまたげる話をしましたが、心の深層は意味の流れをせき とめたり濾過したりする無意識の作用として、言葉の表現のなかに表われると考えるといいとおもます。 太宰治の作品の特徴的なところは、ふつうの物語の進行を司る意味の流れに対して、それをさまたげたり、 濾過したりする心の深層の装置がさきほど申上げました人称のドラマによって成り立っていることだと思 います。そのことをよく考えあわせてみますと、太宰治の乳幼児体験や成長期の第二次の体験が作品とか かわっているかも知れない深層の出会いの領域に、もしかすると鍬をいれることができるかも知れないと 思ったりします。」 注記等 「売文っていうことの最小限度の心構え、最小限度のモラルは、自分が旅芸人だっていう自意識です。つ まんねえことを言って歩いて、それで金もらってるやつなんで、ようするに普通の人の生活からどこかで それちゃったんだ、そこのところが後ろめたいんだっていうのが、たえずどこかにあるのです。だから普 通の人っていうのが何なんだ、普通 の人っていうのはどうなんだっていうっことが、たえず気に掛かって しようがないはずなんです。僕もそうですけどね。普通の大衆から落っこっちゃってるっていう感じがど うしてもつきまとって、それは旅芸人の心だ、っていうふうに僕は思います。」(感想ひとつふたつ) 「ちょっぴり旅のついでにかすめてきたことについていうと、恐山というのは内湾をひかえた形のよい山 を背景にした湖の景観のことだった。それからこの地方の民家(農家)の骨組みの積み上げ方が、わたし には衝撃的だった。この衝撃の意味について、いつか解明してみたい。」(あとがき)
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 吉本隆明全対談集 出版社 青土社 出版地 東京 巻 9 区分 対談 見出し・語録 1984 賢治の言語をめぐって 原子朗 賢治と現代詩人/言語感覚/北方系と南方系/ほうたうの考えと、うその考え/話体と文 学体 「見る」ことの関係をめぐって 伊藤俊治 鏡像の固定化と写真を見る場所/意識の“暗箱”と無意識/写真を論ずることのスタイル /都市の無意識と写真の無意識/自己差異とマス・イメージ/写真の関係の同一化/現実 空間とスタジオ空間/電気装置と夢・記憶・映像/撮る者としての意識の遮断 大衆をどう捉えるか 西部邁 大衆と知識人/マルクスの面白さ/ニヒリズムとスノビズム/大衆を免責されるか/技術 という足場/安楽の追求は悪か 「精神の体重」を持った恐竜はどこへ行く 寺本英 ダーウィンとメンデルとマルサス/マクロな生物学へ/無償の贈与と生物の社会/ソシオ バイオロジーと集団遺伝学/生物の合目的性とは/人間はn個の性をもっているか/器官 なき身体/エネルギーの恐竜は人間の自然力の延長/境界線が見えてくる予感/過去には 戻れない/解決は人間が必ず見つける ロゴスの深海 梅原猛 親鸞にひかれた初め/親鸞の言葉/一遍の嘘/法然と親鸞/向うから来るもの/なぜ親鸞 は常陸へ向かったか/日本の原宗教と浄土教/聖徳太子と親鸞/日本人の信仰/現代と親 鸞 フェミニズムと家族の無意識 上野千鶴子 実感から語り始めるしかない「対幻想」/娼婦性と母性を売る/乳幼児期の育児と母親の 強迫観念/家族はメンテナンスしないともたない/女は母性を捨てないか/「愛の直接性」 が壊れた現代家族/ポリセクシャルとヘテロセクシャル/家族の無意識または家族をつか さどる神々/文化装置としてのヘテロセクシャリティ/再生産は家族関係でしか担えない /「対」幻想は近代概念か 「枠組」の見えてしまった若者たち 川本三郎 〈アングラ〉から〈クラック〉へ/解体というドラマ/同一性の視野/日常の中の〈死〉 /CMによる転換 文学と現在 中上健次 現代の『遠野物語』/『枯木灘』と『地の果て 至上の時』/作家の秘密/アジア的なも の/血縁と共同体/知的好奇心について/批評の中心 批評の言葉はどこまで届くか 浦達也 『マス・イメージ論』をめぐって/啓蒙的な言葉は使わない/現在版の『共同幻想論』/ テレビ制作者は医者と同じか/現在プラスアルファの恐怖/三浦報道は犯罪か/サブカル チャーへの視線/糸井重里と『You』/大衆の原像――たけしと欽ちゃん/サブ・カルチ ャーとアカデミズム/比叡山を下りた栗本慎一郎/現代文明は悪か 〈アジア的ということ〉と〈対幻想〉 山本哲士 アジア的なものとジェンダー/分業と婚姻/女性の労働/歴史における男と女/アジア的 なもの 〈現在〉としての詩 北川透 ブラックホールと解体/なぜ〈現在〉なのか/〈現在〉とどう関わるか/詩史と詩人の批 評軸/アングラとクラックの重層 あとがき 初出一覧 注記等 賢治の言語をめぐって 「國文学」1984年1月号 「見る」ことの関係をめぐって 「写真装置」1984年2月号 大衆をどうとらえるか 「エコノミスト」1984年2月7日・14日号 「精神の体重」を持った恐竜はどこへ行く 「Popular Science」1984年3月号 ロゴスの深海 「歴史と人物」1984年5月号 フェミニズムと家族の無意識 「現代思想」1984年6月号 「枠組」の見えてしまった若者たち 「中央公論」1984年10月号 文学と現在 「海燕」1984年11月号 批評の言葉はどこまで届くか 「潮」1984年11月号 〈アジア的ということ〉と〈対幻想〉 『性・労働・婚姻の噴流』1984年12月 〈現在〉としての詩 「現代詩手帖」1984年12月号
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 江藤淳 刊行年月 1988 標題 文学の現在-4-文学と非文学の倫理 掲載誌(紙・書)名 文芸 巻 27 号 4 掲載頁 p258〜282 掲載年月日 1988.11 区分 対談 キーワード 文学/現在/倫理
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1988 標題 吉本隆明全対談集 出版社 青土社 出版地 東京 巻 10 区分 対談 見出し・語録 1985 対幻想 芹沢俊介 男と女の現在/性意識の解体/理想子供数がゼロへ向かう意識/なぜ家庭内暴力は生ずる か/脱男性依存後の女性問題/主婦はどこへ行くか/母親の責任はどこまでか/シャドウ ・ワークの構造的変化/〈アジア的〉とフェミニズム/〈アジア的〉共同体のなかのエロ スの生きる場所/化粧・ファッションの根源/鏡を見ながら化粧をするということ/ふた つの性的器官を持つ女性?/〈対幻想〉の定義の拡張を迫る/家族の否定――キブツ共同 体のばあい/家族成立以前の歴史段階を再現/男女間との水準の同一化――ヤマギシ会の ばあい/全部がヤマギシ会になったらそれは理想か/身障者という概念は老人問題になる /ヒューマニズムは普遍的倫理でありうるか/現代における〈他界〉〈死〉〈老い〉の対 応関係/科学技術が家族形態におよぼす影響力/〈死〉の水準が生誕を規定する/「ヴァ ナキュラーなもの」がイメージするもの/性のシャドウ・ワークとジェンダー/〈性〉に なれるということ、なれないということ/離婚の増加の背景/「n個の性」について 「いま」という無意識の方途 磯崎新 起承転結の無きがよろしき/キアにもステラにも生命曲線/「いま」という深層の処理法 /デスペレイトでセミヌード/いま、重いのはダメ 親鸞の〈信〉と〈不信〉 佐藤正英 意識の存在の根拠/〈信〉と〈知〉/〈知〉と『教行信証』/正定衆・真仏土・自然/称 名念仏と至心の〈信〉/理路を微細にたどる和讃/『歎異抄』第二条の位相/不可避なる ものとの阿弥陀仏/浄土の慈悲と還相の眼 言葉の現在 高橋源一郎 文芸雑誌/文体の壊れ方 全否定の原理と倫理 鮎川信夫 論争の根底としての反核運動/左翼性と論理/集団の理念と文学の理念/戦後過程とアメ リカ/三浦事件をどうとらえるか/状況と原理の位相/文学者の生涯と思想的課題 ハイパー資本主義と日本の中のアジア 川村湊 概念的アジアと地理的アジア/西欧的アジアのいかがわしさ/アジア的専制と天皇制/マ ス・イメージの終極、映像と現実の交換/無意味なものの氾濫の意味/「転向論」から 「マス・イメージ論」へ/「外」の視点と伴う危険/宣長・折口と国学の論理/方法とし ての重層的非決定 大衆と感覚がズレてきた 川崎徹 勝つためのツボ/エガワの素質/公開番組の秘めた可能性/「川崎徹CM」パターンが飽き られている/CM・映画は文学に走ってはイケナイ/ウケているものが手におえない/RCが 一般大衆とズレ始めた/ローリー・アンダーソンにおけるズレの回復/広告の新たな機能 正常異常の境目が見えない 山崎哲 “三角関係神話”の崩壊/犯罪が象徴する現代人/阪神野球の体質/王貞治の悲劇/江川卓 と「空白の一日」/プロ野球と芝居の交差点/難解なセリフと表現/テレビの抱える問題/ テレビ側の“物語”からハミ出した三浦和義/永野一男の「世界」 TV――何がおもしろいかがおもしろい 横沢彪 フィクションとリアルのごった煮/テレビはだんだん壊れる/ドキュメント化へ進むテレビ /テレビ側と視聴者の関係/ビートたけしととんねるず/漫才がかわってきた/ビートたけ しが強調するテレビのすごさ/ビートたけしと大衆/五十歳の選択/時間のズレとの対決 文学者の課題 安達史人 夏目漱石 鴎外・漱石/漱石と漢詩文/三角関係 大江健三郎 江藤淳と大江健三郎/新しい文体の再生 中上健次 物語祖型の喪失/性の秘話 宗教の現在的課題 安達史人 日本の宗教戦争/比叡山と高野山/浄土と地獄/非知、非俗/新興宗教/『信の構造』の 第三の道 あとがき 初出一覧 注記等 対幻想 『対幻想』1985年1月 「いま」という無意識の方途 「美術手帖」1985年1月号 親鸞の〈信〉と〈不信〉 「現代思想」1985年6月臨時増刊号 言葉の現在 『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』1985年6月 全否定の原理と倫理 「現代詩手帖」1985年8月号 ハイパー資本主義と日本の中のアジア 「文藝」1985年9月号 大衆と感覚がズレてきた 「東京タイムズ」1985年10月7日〜25日 正常異常の境目が見えない 「東京タイムズ」1985年11月7日〜28日 TV―何がおもしろいかがおもしろい 「東京タイムズ」1985年11月29日〜12月18日 文学者の課題 『ヴァリアント』1985年11月 宗教の現在的課題 『ヴァリアント』1985年11月
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1988.12 標題 〈信〉の構造. part 2 吉本隆明全キリスト教論集成 出版社 春秋社 出版地 東京 区分 宗教論 キーワード キリスト教 見出し・語録 注記等 ISBN4-393-33123-0

「吉本隆明1988年著作リスト」/kyoshi@tym.fitweb.or.jp 2009.04.15