吉本隆明2018年著[遺]作リスト


*ページ内を検索する(Firefox1.5〜、Netscape Navigator4.0/4.0.6〜)



刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1801 標題 秋山清と〈戦後〉という場所/『最後の親鸞』からはじまりの宗教へ 叢書名 吉本隆明資料集 171 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 キーワード 見出し・語録 秋山清と〈戦後〉という場所 聞き手 久保隆(『現代詩手帖』2007年10月号) 「詩文化」という場所/秋山清との出会い/清岡卓行と戦争責任論/六月行動委員会/卑怯者でいき ましょうよ/空疎な言葉たち/超えていくこと(2007年6月5日) 漱石と私(『朝日新聞』2007年10月9日) 僕たちの親鸞体験 糸井重里・吉本隆明(『ジッポウ』第3号2007年10月) 「朝(あした)には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」/田舎の書店で出会った『最後の親鸞』 に驚嘆/浄土の疑問を正直に語りあった親鸞と唯円は「すごい坊さん」/どんな思想もせいぜい寿命は 二世紀、だが、親鸞は今も生きている/浄土教のほうから大衆に近づく、それが親鸞の真宗/無所有を 貫いた一遍は、ある種のエリート主義/社会主義と称する国は宗教の扱いに失敗/見えない力の関係、 幻想の暴力を解体した親鸞/「面々のはからい」は、道ばたの知性/生意気な知性を粉砕する自然法爾 老人は死を前提とした絶対的な寂しさを持つ:そのことを考えないことが一番の予防(『ロング・ター ム・ケア』第55号2007年7月発行) 衰えていく一方だという通説的な考え方を打ち破る「超人間」という言葉/カロリーチェックなどが少 なくなり年取ったことを自覚/医療者と老人との隙間が大きな圧力になる/老人は絶対的な寂しさを持 っている それを防ぐためには考えないこと/老人の心情をよく理解していた親鸞 死は個人の物では なく共通の思い/偉いお坊さんでも普通のおかみさんより劣ることもある 私と仏教[25]思想家としての親鸞に向き合う 吉本隆明[1](『週刊 仏教新発見』第25号2007 年12月9日号) 「おっかねえ文章だな」/『最後の親鸞』までに要した時間 私と仏教[26]親鸞にとっての浄土と死 吉本隆明[2](『週刊 仏教新発見』第26号2007年12月 16日号) 浄土や死は実態でなく比喩/臨終時の念仏も意味がない 私の人生と読書:「理想」という精神的な脱出口(『日刊ゲンダイ』2007年12月13日号) 『最後の親鸞』からはじまりの宗教へ 中沢新一・吉本隆明(『中央公論:特別編集『吉本隆明の世界』 』2008年1月号) 唯物論と宗教の衰退/浄土系の教えとは何か/浄土教の解体者・親鸞/「アフリカ的段階」の射程/親鸞 教の精髄/思想文化の底にあるもの/日本文化と「もののあはれ」/芸術、名づけようのないもの 私の三作 上 『マス・イメージ論』サブカルを批評し反響呼ぶ(『毎日新聞』2007年12月3日) [大井浩一] 私の三作 中 『最後の親鸞』思想の転回へ端緒求める(『毎日新聞』2007年12月17日) [大井浩一] 私の三作 下 『悲劇の解読』近代の矛盾に直面した人々(『毎日新聞』2007年12月24日) [大井浩一] サブカルチャーと文学 笠井潔・川村湊・吉本隆明(『文藝』1985年3月号) 『マス・イメージ論』の意味/大衆の課題との対立/全体的問題としての大衆文化/地の宗教と大衆/大 衆の原像と現在/親鸞とアジア的他界の構造/アジア的制度と大衆/アジア的なものと日本/大衆文化状 況における文学 (資料集註ー傍点個所は太字にしました) 編集ノート      注記等 挿画 ハルノ宵子

「吉本隆明2018年著[遺]作リスト」/kyoshi@tym.fitweb.or.jp 2017.12.11