吉本隆明2011年著作リスト


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刊行形態 Magazine Article
著者 吉本隆明
刊行年月 1101
標題 おいしく愉しく食べてこそ(40)梅色吐息
掲載誌(紙・書)名 dancyu 
巻 21
号 2
掲載頁 3
掲載年月日 2011.1.6
区分 エッセイ
見出し・語録
「食べるということは、おいしいかまずいかではなく、豪華か粗末かでもない。胃や腹、そのほか食欲に
関係する身体の内部の仕組みが、食べることを欲する状態か否かの問題だ。生理もあり、心理もあり、そ
れを左右する風俗、習慣、遺伝子といった数えきれない要因がある。私がこの連載の途中で感じたものは
自身のその変化だった。」
「どうやら、味というものは成分の総和ではなく、また成分の強弱で決まるものでもないということが、
われながら怪しいけれど、ぼんやりと未解決の宿題として残っていて、食べものの色、味、状態には単純
な因果関係を強調すべきではないという疑問が、私の食べ物に対する考察を一歩進めるかもしれないとい
う希望を抱いている。」
注記等 撮影/中島博美

刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1101 標題 年始インタビュー:吉本隆明さんに聞く 掲載誌(紙・書)名 沖縄タイムス  出版地 那覇 掲載頁 掲載年月日 2011.1.6 区分 インタビュー 見出し・語録 小さく小さくと考える 漱石が手本/一番の問題 「青年や少年だけじゃないですよ。僕自身、今をどう切り抜けるかということを強いられている。ここ数 年は、社会から受ける圧迫感がものすごい。反発して、押し返して、なおかつ生きていくということは、 ほとんど至難の技です。  孤独感、孤立感というのは、将来も含めて自分の筋道を考えた時に出てくる。それに、子どもも大人も 直面しています。」 「歴史的に大きく見ても、収縮するという事態は、めったにあるものではありません。でも、必ずどこか で直面する。  小さく小さく。悪いことじゃないです。僕はそう思います。」
刊行形態 Audiovisual Material 著者 吉本隆明 刊行年月 1101 標題 ラジオ版 学問のススメ:吉本隆明(思想家) 出版社 JFNonline 出版地 (その1)http://www.jfn.co.jp/susume/#01(その2)http://www.jfn.co.jp/susume/#02 掲載年月日 2011.1.4、11 形式 MP3 区分 インタビュー キーワード 『15歳の寺子屋 ひとり』/青年期/文学/猫/芸術 見出し・語録 吉本隆明 (思想家)[2011/01/02放送] http://podcast.jfn.co.jp/poddata/susume/susume_vol249.mp3 吉本隆明 (思想家)[2011/01/09放送] http://podcast.jfn.co.jp/poddata/susume/susume_vol250.mp3 注記等 聞き手:蒲田健 ポッドキャスト:(その1)2011.01.04配信(その2)2011.01.11配信
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1102 標題 新・書物の解体学3 叢書名 吉本隆明資料集 102 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 書評 キーワード 見出し・語録 新・書物の解体学32ジャン=ピエール・シャンジュー 新谷昌宏訳『ニューロン人間』(『マリ・ク レール』1989年8月号) 新・書物の解体学33ルネ・ジラール 小池健男訳『邪な人々の昔の道』(『マリ・クレール』1989 年9月号) 新・書物の解体学34江藤淳『昭和の文人』(『マリ・クレール』1989年10月号) 新・書物の解体学35『三島由紀夫評論全集』(『マリ・クレール』1989年11月号) 新・書物の解体学36モーリス・メルロ=ポンティ 滝浦静雄・木田元訳『見えるものと見えないも の』(『マリ・クレール』1989年12月号) 新・書物の解体学37古井由吉『仮往生伝試文』(『マリ・クレール』1990年1月号) 新・書物の解体学38西郷信綱『古事記注釈』(『マリ・クレール』1990年2月号) 新・書物の解体学39前田英樹編・訳・著『沈黙するソシュール](『マリ・クレール』1990年3 月号) 新・書物の解体学40高田爾郎訳『トロツキー自伝』(『マリ・クレール』1990年4月号) 新・書物の解体学41ユルゲン・ハーバーマス 三島憲一ほか訳[近代の哲学的ディスクルス』 (『マリ・クレール』1990年5月号) 新・書物の解体学42ジャック・デリダ 飯吉光夫・小林康夫・守中高明訳『シボレート パウル・ ツェランのために』(『マリ・クレール』1990年6月号) 新・書物の解体学43H・S・サリヴァン 中井久夫・宮崎隆吉・鑪幹八郎訳『精神医学は対人関係論 である』(『マリ・クレール』1990年7月号) 新・書物の解体学44盛田隆二『ストリート・チルドレン』(『マリ・クレール』1990年8月号) 新・書物の解体学45藤田博史『精神病の構造 シニフィアンの精神病理学』(『マリ・クレール』 1990年9月号) 新・書物の解体学46家庭総合研究会編『昭和家庭史年表』(『マリ・クレール』1990年10月号) 新・書物の解体学47水村美苗『續 明暗』(『マリ・クレール』1990年11月号) 新・書物の解体学48飯島洋一『光のドラマトゥルギー 20世紀の建築』(『マリ・クレール』19 90年12月号) 新・書物の解体学49フェリックス・ガタリ 富岡幸一訳『機械状無意識』(『マリ・クレール』1 991年1月号) 新・書物の解体学50伊藤隆/広瀬順皓篇『牧野伸顕日記』(『マリ・クレール』1991年2月号) 新・書物の解体学51ダニエル・パウル・シュレーバー 渡辺哲夫訳『ある神経病者の回想録』 (『マリ・クレール』1991年3月号) 日本農業論(1989年7月9日「修羅」同人主催・新潟県長岡市での講演)[『吉本隆明全講演ライブ 集』第5巻2002年12月25日刊所収] 消息(『和樂路会誌 第3巻』昭和18年8月23日――【「編集後記」の日付】) 編集ノート 注記 挿画 ハルノ宵子
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1102 標題 戦争と平和 叢書名 文芸社文庫 出版社 文芸社 出版地 東京 区分 講演 キーワード 戦争/平和/国家/リコール権/トルストイ『戦争と平和』/自衛隊/生活主権/ボランティア 見出し・語録 戦争と平和 近代文学の宿命――横光利一について [付録] 吉本隆明の日常――愛と怒りと反逆  川端要壽 あとがき(川端要壽) 「“戦争と平和”の文庫化について  十五年ほど前、某出版社の企画で、“吉本隆明・私の半生”についての対談が神楽坂の料亭で行われた。 その対談は二日間、七、八時間にわたり、ゲラ刷りで四百字詰め約七〇〇枚程度のものだった。  吉本はもちろん、編集者、私ともども大喜び、その出版に期待した。  しかし、いざ版下という際に、急に吉本は「こいつは止めにしよう」と言い出した。  呆気にとられた私が、  「なぜだ」と憤然とすると、吉本は  「女性問題の項が気にいらねんだ」  「おかしいじゃねえか。対談の際には、楽しそうに喋っていたのに‥‥‥」  よくよく聞いてみると、どうやら横槍を入れたのは、女房の和子だったのである。  「俺はお前のように作家じゃなくて、評論家だよ。なんでもかんでも晒すわけにはいかないんだ」  結局、そういうわけで、この出版は流れてしまったのである。  今年の春先のこと、私はふとこの対談のことを想い出し、吉本を訪ねた。年月が彼の思考を変えていれば いい、と思ったのだ。  「オイオイ、ずいぶん昔のことじゃねえか。あんなもの、もうとっくに処分しちゃったよ。それよりな、 “戦争と平和”という講演があったろう。あいつは、現代でも立派に通用するもんだ。あいつをなんとか文 庫にできねえもんかなあ」  なるほど、いかにも思想家らしい発想だ。私はそう思いながら、今井鎮夫氏の顔をチラリと想い浮かべた。  万事、うまくいったのだ。  二〇一〇年一〇月    川端要壽記」 注記等 「本書は、2004年8月、小社から発行された単行本『戦争と平和』を文庫化したものです。」(巻末注記) 戦争と平和[「戦後五十周年」記念講演。1995年3月10日 於・東京都立化学工業高校講堂] 近代文学の宿命――横光利一について[全作家全国大会講演。1979年5月20日 於・新宿厚生年金会館] ISBN978-4-286-10274-0
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1103 標題 ハイ・イメージ論(初出)7 叢書名 吉本隆明資料集 103 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 ハイ・イメージ論 キーワード 見出し・語録 ハイ・イメージ論7 エコノミー論(1)(『海燕』1989年10月号) エコノミー論(2)(『海燕』1989年11月号) エコノミー論(3)(『海燕』1989年12月号) エコノミー論(4)(『海燕』1990年1月号) 幼童論(1)(『海燕』1990年2月号) 幼童論(2)(『海燕』1990年3月号) 幼童論(3)(『海燕』1990年4月号) 消費論(1)(『海燕』1990年5月号) 消費論(2)(『海燕』1990年6月号) 消費論(3)(『海燕』1990年7月号) ポエム インタビュー(『詩芸術』1990年1月号) 委細面談(『熊本日日新聞』1990年7月1日付) 編集ノート 注記 挿画 ハルノ宵子
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1103 標題 「面倒くさいから寝転んでいますが、政治指導者になれと言われたら実現させたい考えはあります」 掲載誌(紙・書)名 kotoba:コトバ 号 3[2011年春季号] 掲載頁 36-41 掲載年月日 2011.3.5 区分 インタビュー 見出し・語録 「つい最近まで、自分が老人だと思いはしなかったんです。本音を吐くと、老人だと思うことが自分でも 嫌だったのもありますが、それまでは、糖尿による副作用が自分を年寄りくさくしてているいちばんの問 題だ、と思っていた。これはちょっと病気の副作用だけの問題ではないぞ、老い自体による不自由さが一 緒に入ってきているぞと感じたのは、つい二、三年前のことですね。最近はようやく、年寄りとしてのい ろんな感覚の変化が意識にのぼってくるようになりました。」 「僕のいまの考えを極端に単純化していえば、銀河系の中にある太陽系、その第三惑星である地球にいる 人間の寿命は、いまに銀河系の消滅と同じくらいまで行くぞ、と思っています。銀河系の星が永続的に近 く輝くのに対し、地球上にいる我々はどう頑張ったって、百歳足らずで一生を終えることになっている。 この二つの時間には大変な隔たりがあるけれど、いまに見てろって僕は思うんですよ(笑)。何億年後の ことになるかわかりませんけど、その頃の人間は、宇宙の中の星と同じぐらい生きるようになるだろう。 これは論理的に考えて、そう言えるんです。」 「そのことを自覚させてくれたのは宮沢賢治です。あの人は、自分は陸中・花巻の住人だ、というローカ ルな意識が強かった。その一方で自分はたまたま花巻に生まれたけれど、この銀河系の住人であるとも考 えていた。そういうときの宮沢さんは宗教家なんですよ。最後には自分は詩人じゃない、インドへ行って 布教してくると言い放った。そういう言い方をするときの彼は、この銀河系がある限り、自分も生きるは ずだと考えていた。  宮沢賢治は、ただの文学者じゃありません。僕の言葉でいえば、「科学的文学者」です。あの人の詩の いちばんの特徴は、速いということなんですよ。雑誌などに詩を書くときも、普通の詩人が考えるより、 はるかに速く詩を書く。時間的にも速いし、空間的にも速い。詩の評論家は、それは天才的な才能があっ たからだというけど、そんな馬鹿なことはない。彼は人一倍、速く書けるように自ら修練をしたんです。 」 「ごろんと寝転んで、役にも立たないことを、とりとめもなく考えています。それは非常に抽象的なレベ ルで考えます。もう何年も考え続けていますから、自分なりの構想があります。ただ、いちばんの本音は 誰にも言いません。いま俺はこういうふうに困っている、どういう対策がいちばんいいですか、と普通の 人に聞かれれば答えますよ。お前が政治指導者をやれと言われれば、これを真っ先にやる、という自分な りの考えもあります。けれどもそれは別に自分から言うべきことではないし、お前の言うことを役に立て てやるという奇特なやつもいないから沈黙しています。」 注記等 仲俣暁生=インタビュー 河合昌英=写真
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1103 標題 on reading 本を開けば:吉本隆明さん(1)本の世界 貸本屋で学んだ 掲載誌(紙・書)名 朝日新聞  出版地 東京 掲載頁 11 掲載年月日 2011.3.6 区分 談話 見出し・語録 「いまは目が悪いので本や文章は拡大機にかけて読んでいます。目の具合で視界に人影のようなものが 見えることもあって、それで思い出したのが、昔ずいぶん熱心に読んだ木々高太郎という推理小説家の 作品『網膜脈視症』です。精神分析によって犯罪を暴くものですが、目の見え方の異常が事件を解く鍵 になります。これはあの小説世界かも知れないと思うと、なかなか愉快です。  僕の読書の出発点をいえば、子供のころ通った私塾の先生だった今氏乙治さんとの出会いということ になります。僕は小学校を卒業したら、当時日本に一校だけあった化学の工業学校を受験することにな っていました。その学校を卒業後に米沢の高等工業学校、それから東京工業大学に入りました。一見、 学校ばかりの人生ですが、実はちっとも勉強しない子供でした。  面談でおやじが学校に呼ばれて先生から様子を聞いたら、「おまえの息子は遊んでばかりいる。上の 学校に行くなんて、あれでは無理だ」と。うちは小さな造船所で貸しボート屋も営んでいましたが、そ こに舟をつないでいたご隠居さんに相談したら「うちの子供が塾をやってる」という。それでおやじは すぐ頼みに行ったようです。     ◇  その先生は早稲田大学で英文学を学んだ人で、小説や詩を書いていました。尾崎一雄の随筆に「仲間 に今氏というのがいる」という記述があって、そのくらいには活動していた人です。また、後に僕が同 じ同人誌で活動する鮎川信夫や田村隆一が、詩の話を聞くために今氏さんの所に集まっていたそうです。 当時は地域ごとに専門的な感じのある知識人がぽつぽつといて、そこに人が集まって文学者になったり 同人誌をつくったりという文化がありました。  その先生のもとで僕は受験勉強をしていたわけですが、まじめに勉強して成果が上がったと思ったら しく、あるとき先生が「その戸をあけてみろ」と言うので部屋の奥の戸をあけると、そこに本がぎっし りと詰まっていて、「好きなもの読んでいいぞ」と言うんです。  それまでも「少年倶楽部」や「譚海(たんかい)」などを読んでいましたが、本当の読書の始まりは、 改造社版の「現代日本文学全集」や海外の翻訳小説などが詰まったこの書棚の本です。中でもファーブ ルの『昆虫記』は熱心に読みました。昆虫の生態などを初めて知ると同時に、昆虫の観察なんてものに 一生を費やしたファーブルという人の孤独な姿の、えもいわれぬ迫力に、引きつけられたんだと思いま す。  当時は貸本屋が隆盛期で、借りたい本を安い金で借りられました。娯楽本から時代劇、それから芸術 的価値を問われる文学などの本まであって、仲間うちで「あの貸本屋を総なめにしたぞ」と自慢しあっ たこともあります。そうやって貸本屋を転々として様々な本を読む中で、よい本の感じとか好きな本の 感じなどをつかみ、「本の世界」とはこういうものだという感覚を学んだように思います。  みんな親が知識人とは限らないわけで、おやじが船をつくっていた僕のような人間にとっては、雑な 知識が身につく格好の場所でした。僕はそういう雑な知識から、徐々に文学への関心を養われていきま した。(談)」 注記 [写真]「ちっとも勉強しない子供でした」=東京都内、鈴木好之撮影 「扉」浜田奈美[取材] 「思想家・吉本隆明さん〈1〉 本の世界、貸本屋で学んだ」 http://book.asahi.com/reading/TKY201103080322.html
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1103 標題 寝っころんでます。自分の能力は示せたから:余命18日どう過ごしますか? 掲載誌(紙・書)名 サンデー毎日 巻 90 号 11 掲載頁 160 掲載年月日 2011.3.13 区分 談話 見出し・語録 「人類の平均寿命が短くなったってことは僕は聞いたことがない。こりゃあ、減るもんじゃねえんじゃね えか、このままいくと銀河系までいくんじゃないかと思ってるんです。ということは、生と死をことさら 区切って考えるってのが意味がない。生きることに気持ちを向けることがいいんではないでしょうか。」 「いま一番関心を持っていることですか?僕は男の子だから、あの、女の人のことを考えてます。死ぬま で性欲がなくなることはないんじゃないですか。どんな人でも異性に関心が全然なくなっちゃうことはあ りえない。」 注記等 「緩和医療や終末期ケアで有名なある病院のホスピス病棟の平均入院日数は18日だという。もし 「余命18日」と告げられたら、あなたは何を思い、何を望み、何をしますか。」という問いへの返事。
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1103 標題 on reading 本を開けば:吉本隆明さん(2)絶えずいつでも考えています 掲載誌(紙・書)名 朝日新聞  出版地 東京 掲載頁 9 掲載年月日 2011.3.20 区分 談話 見出し・語録 「未曽有の災害の状況が進行中ですが、お前は考えているのかと問われれば、絶えず考えています。いく ら考えてもわかんねえってこともありますが、自分なりに、ずっと考えています。  戦争が終わったとき、僕はとても落胆しましたが、思い返せば軍国主義だけはよく学んだけれど、それ 以外のことは学んでこなかったじゃないかと思い、本を読みました。『新約聖書』も読んだし、マルクス の『資本論』も古典経済学のアダム・スミスも、自分なりの読み分けができるまで読みました。これから 自分は何を警戒し、何を戒めとしたらいいのか。読みながらそれを考え続けました。  そして考えたことの中に、レーニンとスターリンの対決で結末がついた問題もありました。切実な私事 と公、どちらを選ぶべきか、という問題です。  レーニンは、ロシアに本当の意味でマルクス主義の社会が成立するなら、その時は共産党は解散しよう と『国家と革命』の中で言っています。共産主義の相互扶助、それが成就したら党を解散しようというの がレーニンの考えでした。そして年をとったレーニンが病に伏し、妻が看病しますが、スターリンはレー ニンに対し、おまえの妻は党の公事をないがしろにしていると批判します。そこから二人の対決が始まり ます。  家族の看病や家族の死といった切実な私事と、公の職務が重なってしまったとき、どっちを選択するこ とが正しいのか。東洋的、スターリン的マルクス主義者であれば公を選ぶのが正しいというでしょう。と ころがマルクスは、そうではないことを示しています。  マルクスは、唯物論でなんでも白黒つけちまえという論者たちとは異なり、肉親が死んだときの寂しさ、 闘病のつらさといった切実なことは、公の利益のよさといったことと別のものだということを「芸術論」 で言っています。この「私」をとるのがマルクス思想の本流であり、それは比較や善悪の問題でもなく人 間の問題なんだ、というのがレーニンの立場です。真理に近いのはどっちだ、ぎりぎりの時にどっちを選 ぶんだとなれば、レーニンの立場を選ばざるを得ないでしょう。     ◇  日本でこれと似た問題提起をした人物といえば、親鸞がいます。弟子から「死んだら極楽浄土に行くそ うですが、私は少しも極楽浄土に行きたいと思えないのです」と打ち明けられ、親鸞は「現実社会という ものは煩悩のふるさとだから、ふるさとを離れがたいのと同じように人間は煩悩から離れられないものな のだ」と答え、オレもおまえと同じだと伝えます。  しかし親鸞は「人間には往(い)きと還(かえ)りがある」と言っています。「往き」の時には、道ば たに病気や貧乏で困っている人がいても、自分のなすべきことをするために歩みを進めればいい。しかし それを終えて帰ってくる「還り」には、どんな種類の問題でも、すべてを包括して処理して生きるべきだ と。悪でも何でも、全部含めて救済するために頑張るんだと。  この考え方にはあいまいさがありません。かわいそうだから助ける、あれは違うから助けない、といっ たことではなく「還り」は全部、助ける。しきりがはっきりしているのが親鸞の考え方です。(談)」 注記 [写真]「『私』を選ぶことは人間の問題です」=鈴木好之撮影 「思想家・吉本隆明さん〈2〉 絶えずいつでも考えています」 http://book.asahi.com/reading/TKY201103220218.html
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1103 標題 on reading 本を開けば:吉本隆明さん(3)忘れ得ぬ 太宰治の独演会 掲載誌(紙・書)名 朝日新聞  出版地 東京 掲載頁 9 掲載年月日 2011.3.27 区分 談話 見出し・語録 「 このごろうちに声楽科を出た人が掃除に来るものだから、僕の歌を聞いてもらっています。うちは家 族がみんな年取って、家の中が馬鹿に寂しい。それで少しは声を出して鼻歌でも歌ってやろうと思ったわ けです。  音楽も文学も、創作や鑑賞の環境がどんどん便利になっています。手元のボタン一つで「一級品」と呼 ばれるものが手に入る。すると人間は「これを読まなきゃおられない」といった衝動的な感覚が薄れてい くことになります。せめてそうありたくないと思うなら、例えば紙と鉛筆とがあるならそこに何か、自分 の手を使って「あいうえお」でもいいから書いてみる。その「あいうえお」は確かに残ります。手を動か して詩を作る。歌ってみる。そういう根底を失わずにおれば、何とかなるよってことは言えるでしょう。  特に便利な世の中では、真の芸術とそれ以外との区別はできた方がいい。自分が心の中で手放せないも のがはっきりすれば、わりと楽に区別できます。文学にみる芸術性をどう見るかですが、作家その人に時 代がどう映り、それが時代の真理に近いかどうか、近いほどいいってことになります。近代日本の作家で いえば漱石と鴎外。そして太宰治。時代の勘どころを芯に近い所でつかんでいる人だと思います。あの人 が死んだ時、奥野健男と、大学近くの居酒屋で追悼会だといって「あの人を本当に分かっているのはオレ たちだけだ」と気炎を上げたものです。     ◇  生前の太宰にも会いました。彼の戯曲を自分たちでやろうということになり、三鷹の家まで断りに行き ました。訪ねると、奥さんが「出張中」だと言うので場所を聞くと言葉を濁す。うるさい文学青年に追い かけられちゃたまんねえって心得ていたんですね。がっかりして帰ろうとしたら、お手伝いのおばあさん が追いかけて来て、駅近くの屋台の飲み屋にいつでもいるから、そこへ行ったら会えると教えてくれまし た。  行くと焼き鳥屋みたいなお店で腰掛けて外を見ている人が居ました。店の前を行ったり来たりしてから、 心を決めて入り、「太宰さんですか」と聞くと、そうだと。わけを話すと「飲め」と酒を注いでくれて、 ぽつぽつ話をしてくれました。今の文学は自分も含めてつまんない作品が多いと言うから、僕らもそうい う感じを持っていると答えると、話がのってきました。よしもう1軒行こうとなって、2軒目では、文学 的な考えが真ん中から響く話になりました。常連客と楽しそうに話す様子から僕が「太宰さんはつらいと か苦しいとか、ないですか」と聞いたんです。すると「俺はいつだって苦しいし、キツイんだ」と。その 辺りから口がほぐれて、今の状況にどういう当たり方をすれば真理に突き当たるかという本質的な話を、 本気で話してくれました。  気持ちに響いてくる太宰の話を、僕はじっと聴いていました。徐々に太宰の独演会になり、こっちもあ っちも酔っ払ってハイサヨウナラとなったわけです。戯曲の件は「断りなんていらない。そんなもの勝手 にやっちゃえばいいんだよ」ってことで、僕らは招待状を送りますと言って帰りました。  あの時のことは忘れがたく、今も鮮やかに浮かびます。あれから僕は、本気で太宰の作品を考えるよう になりました。(談)」 注記 [写真]「鼻歌でも歌ってやろうと思って」=鈴木好之撮影
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1104 標題 理念がないからダメになる 掲載誌(紙・書)名 文藝春秋 巻 89 号 4 掲載頁 312-313 掲載年月日 2011.4.1 区分 見出し・語録 注記等 「超大型企画 これが私たちの望んだ日本なのか:この国を変える警世の紙つぶて25個」
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 1104 標題 吉本隆明が語る「逆説の親鸞」 掲載誌(紙・書)名 親鸞の歩き方:歩く、識る、触れる、親鸞を体感する 京都&西本願寺ガイドブック 叢書名 ダイヤモンドMOOK 編集 らくたび 出版社 ダイヤモンド社 出版地 東京 掲載頁 122-125 区分 インタビュー キーワード 親鸞 見出し・語録 「ぼくが親鸞の最終の言葉は何だろうかと思いめぐらすとき、『教行信証』の終わり近くに独白されてい る名利と愛欲についての悲しみと哀れみの言葉がすぐに浮かんできます。自分は名利の大きな山に踏み迷 って、人に教えを施す師であるかのように振る舞い、また愛欲の広い海に沈みこんで、浄土の信仰を守護 する者のつとめを外れて往生の道を行くことを怠って終わってしまった。これは哀れであり、嘆かわしい ことだ、と親鸞は述懐しています。言葉の面からは、自分に向けられた《ざんげ》なのか、法然をはじめ 浄土の先師たちに向けられたのか、天に対してつぶやいたものなのか判断できません。  しかし、ぼくには人間という存在そのもの、人間性が天然自然、あるいは自然に向かって述懐している 《ざんげ》であるように思えるのです。なぜ、そういう印象を受けるのかといいますと、『教行信証』の 終末近くの《ざんげ》の述懐には、安直な善悪感へのこだわりもなく、人間の個人的な性格や生まれた環 境や育ちや個人的な差異に対するこだわりも感じられません。自然の一部分である人間が、自然に背反す る言葉や振る舞いや考え方をしたり、それを善か悪かに片寄せてしまったりする。人間そのものの自然に 対する《ざんげ》のような巨きさを感じさせます。言い換えますと、ここで親鸞は《人間代表》として自 然に対して《ざんげ》しているかのように感ぜられるのです。また、親鸞が淡々と落ちついた文脈で天に 向かって魂を放っているようにも感じられてくるのです。じつに大きな人です。」 注記等 吉本氏近影7葉あり。
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1104 標題 猫の話 そのほかの話 叢書名 吉本隆明資料集 104 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 インタビュー集 キーワード 見出し・語録 midnight INTERVIEW 吉本隆明氏に聞く 「ほんとうの詩、うその詩」など 聞き手 岡田幸文(『詩の新聞 ミッドナイト・プレス』第4号19 89年10月) 連載インタヴュー 猫の話 そのほかの話(1〜9) 聞き手 岡田幸文・山本かずこ(『詩の新聞 ミッドナイト・プレス』第 6〜14号1990年5月〜1993年12月) midnight INTERVIEW 某日、吉本隆明氏に三つのことを尋ねる 三浦知義、科学の現在、そして詩の 聞き手 岡田幸文(『詩の新聞 ミッドナイト・プレス』第16号 1994年10月) midnight INTERVIEW 某日、吉本隆明氏に三つのことを尋ねる 阪神大震災、いじめ、大江健三郎 聞き手 岡田幸文(『詩の新聞 ミッドナイト・プレス』第17号1 995年5月) midnight INTERVIEW  未知の普遍的な言語へ 聞き手 岡田幸文(『詩の新聞 ミッドナイト・プレス』第19号1996年5月) 猫の肉球に関する考察(『猫びより』2005年7月号) 大きい猫と小さい子供の話(『猫びより』2008年3月号) 遊々ライフ 吉本隆明さんとフランシス子(文・宮晶子)(『中日新聞』2009年4月13日) 編集ノート 注記 挿画 ハルノ宵子
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1104 標題 老いの幸福論 叢書名 青春新書 出版社 青春出版社 出版地 東京 見出し・語録 1章 こきざみの幸福にきづく―超・老齢化社会への心構え 老いてから「幸福」を考えるときに/孤独感、わびしさをどうするか/ちい さく刻んで考える/「悩みの専門家」利用のすすめ/死の恐怖はあっていい /大きな目標など、たててはいけない/幸・不幸を自分で決める/不安にさ せる人と出会っても/いくつになっても達成感は得られる 2章 知識より叡智が大事―吉本隆明流・老年からの勉強法 「勉強」への期待を捨てよう/人生で役立つ「知」を見極める/知識と叡智、 その違いを知れ/「情報」を拒否せず、おどらされず/ふたつの感性が人生 を豊にする/「永遠なる知」という幻想について/無理して「学問」なんて することはない/吉本流・連鎖式勉強法/人が一生に読める本の量は平等に 少ない/人生を変える「知」との出会いを 3章 家庭内離婚もいいかもしれない―変容しつづける家族を生きる 不倫についての実感的意見/罪悪感を抱えても幸せになるほうがいい/家庭 内別居はありますが/夫婦ふたりで生き死ぬ、という美/「超・老齢期」 からの夫婦生活/死ぬときは一人、という覚悟も 4章 我が子の罪の償い方―親の責任について考える 吉本家の受験対策/親がちゃんと見てると、子は動く/子どもの才能に救わ れるとき/親のにぶさに子が我慢すると/「しつけ」を考えている大人 を疑う/我が子の罪を償うならば/子どもを殺されたら、僕はどうするか/ 子育ての責任を社会に負わせる愚/親として、究極の責任のとり方/母親の 心身の健康を気遣うこと/いくつになっても親の責任 5章 老親問題も育児問題も一緒―制度としての介護、実感としての介護 老いて子どもをあてにするべからず/老人ホーム・託児所にまかせたつもり になるな/家族に看取られて死ぬことの幸福/定年の延長と、十分な年金を /老人は、みな心身症であると心得よ 6章 ガタがきた体とつきあう―老齢期に入ってからの健康法 余分に動く、無駄に動く、その効用/「創意工夫」で病後を楽しむ/「ほど ほど運動」のススメ/自分の体の主治医は自分/医者がだめだといってもめ げなくていい/僕はこうして「栄養の調和」をとる 7章 死を迎える心の準備なんてない―死を語ることの無駄について 肉親を看取るとき、自分を知る/死は自分に起こる事件ではない/これで終 わりだ、と思う瞬間はある/彼岸というのはあるのかもしれない/「生死は 不定である」という心構えを/この世への執着が絶てなくてもいい/人は何 を負うことなく生まれ、死んでゆく/先人に学ぶ死後の後始末 あとがき 新書化にあたってのあとがき 「宮沢賢治は、自分は銀河系の一員であり、銀河にある太陽系のなかの地球 にある陸中、イーハートーブである、というようなことを言っています。と なりの人や家族、社会といった人間同士の横の関係よりも、真っ先に天の星 と関係していると考えていたように思います。そして、宮沢さんの考えを突 き詰めて行くと、人は銀河の寿命と同じだけ生きていける、という考え方に 行き着くと思います。宮沢さんははっきりとそうは言っていませんが、そう いうことになると僕は思うんです。  宗教家であり、科学者でもあった宮沢さんは、死とはどういうこととか、 死ぬのが怖いのはどうしてなのかといったことを、考えに考え抜いたんだと 思います。そして、宗教とはその区切り目をつけないこと。つまり、銀河が ある限り自分もある。永遠に生きる。死との区別をしないで、みんな生の延 長だという考え方に宮沢さんは至ったと、僕は思っているんです。そして、 それはもはや幸福とか不幸とかの定義を超えたところにあるのだと思います。」 注記等 ISBN978-4-413-04313-7 本書は、2001年3月、小社[青春出版社]から発行された単行本『幸福論』 を新書化したものです。年齢や数値などは、基本的に当時のものです。
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1105 標題 僕は無知だから反省なぞしない:小林秀雄、座談会での発言、昭和21年(1946) 掲載誌(紙・書)名 中央公論 巻 26 号 6 掲載頁 173 掲載年月日 2011.5.10 区分 談話 見出し・語録 注記等 特集 私が選ぶ「昭和の言葉」
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1105 標題 加速する変容/宮沢賢治を語る 叢書名 吉本隆明資料集 105 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 キーワード 見出し・語録 高次産業社会の構図(1989年10月5日、石川文化事業団/主婦の友社主催。於、お茶の水スクエア・ヴォー リズホール。『吉本隆明全講演ライブ集』第12巻2006年3月15日刊所収) 一 日本の高次産業社会のイメージ  現在を象徴するもの/第一次産業の問題 二 何が問題なのか  問題点のデータ/第二次産業、第三次産業、第四次産業/第三次産業の本質/高次産業社会はいい社会か 三 私の立場――「脱」という立場 加速する変容 栗本慎一郎・吉本隆明(栗本慎一郎対談集『加速する変容』1991年1月24日刊所収、『産 經新聞』1990年1月1日、8日〜12日付に一部掲載。) I ソ連・東欧がつきさすもの  社会主義国の敗戦処理・人々の生理的熱狂が起きる時/真の社会主義と隆盛期を過ぎた資本主義/体制の 違いではなく偶然の問題/制度への処理の仕方の違い/「制度」を議論することの不毛さ加減 II ポストモダンをめぐって  構造主義の限界と制度で抑えこめない欲望/論理の本質と建て前の解放/モラルにむかうサブカルチャー /文明思想としてのエコロジーに対する疑問/人を殺さないおたく族/両村上、吉本ばななの「自由」/村 上春樹と村上龍の表現世界 III 縄文と弥生  アジア的からアフリカ的段階へ/多くの人口を維持するための農耕社会/産業の高次化あるいは複雑化/ 産業構造の変化では捉えきれない人口増/工業社会から脱工業社会への転換点/弥生的問題と東北の不利/ 中間に制度を作れなかった東北/農業に決着をつけられなかった東北/技術への高次な認識/マルクス主義 をも抱えこむ天皇制/異なる価値体系を持たない中国と韓国/技術は社会に必ず採り入れられるか/情報を 処理しえないシステム IV 九〇年代の日本  「ニッポンの終焉」と日本人/自分なりの考え方を持つという立場/システム的思考と科学的理論の実践 対談を終わって 吉本隆明 川端要壽『春日野清隆と昭和大相撲』(川端要壽『春日野清隆と昭和大相撲』1990年2月1日刊、 序文) 写真術のはじまり(『FROG』1990年1月号) 魔術師のうしろから(『FROG』1990年2月号) 魔術師からおくれて(『FROG』1990年3月号) 宮沢賢治を語る(1990年2月10日朝日カルチャーセンター主催、於・津田ホール。『吉本隆明全講 演ライブ集』第8巻2004年12月10日刊所収) 賢治の科学・自然観/輪廻転生観/最良のエコロジーの考え方/賢治の文学と宗教/『銀河鉄道の夜』 ――現世と来世/『銀河鉄道の夜』――現実と幻想/生者の夢と死者の見るもの/『マリヴロンと少 女』――芸術と宗教の一致点/芸術と宗教の違い/本当の考えとうその考え/『黒ぶどう』――倫理 の中性点/『虔十公園林』『四又の百合』――倫理の中性点の分離/宗教の中和の仕方――ヴェーユ との類似点 編集ノート 注記 挿画 ハルノ宵子
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 1105 標題 梶木剛 追悼 掲載誌(紙・書)名 文学的視線の構図:梶木剛遺稿集 編集 出版社 深夜叢書社 出版地 東京 掲載頁 472 区分 追悼文 キーワード 梶木剛 見出し・語録 注記等 後半部分をオビの「推薦文」として収録。
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1105 標題 <この国はどこへ行こうとしているのか>科学技術に退歩はない:特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本 よ! 文芸評論家・吉本隆明さん 掲載誌(紙・書)名 毎日新聞(東京夕刊)  出版地 東京 掲載頁 http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110527dde012040005000c.html 掲載年月日 2011.5.27 区分 取材談話 見出し・語録  雨がポツリポツリと降るなか、路地奥の行き止まりに自宅はあった。案内されて和室で座布団に座ると、 隣には白い猫が1匹。吉本さんは四つんばいで現れた。糖尿病や前立腺肥大、足腰の衰えなどで、体が不自 由な状態にある。日本の言論界を長年リードした「戦後最大の思想家」は、そのまま頭が床につくくらい丁 寧なお辞儀をした。白内障の目はこちらをまっすぐ見つめていた。  東日本大震災の取材で歩いた現場を「焼け野原にも似た光景でした」と伝えると、聞こえにくくなったと いう耳に神経を集中させていた吉本さんは静かに語り出した。「おっしゃったような光景から東京大空襲を 思い出します。友達を捜すために焼け野原を歩きました。煙に目をやられた人々がトボトボ歩き、周囲には 遺体が転がっているだけでどうにもならない。逃げた方向によって全滅に近い地区もあったと思います」。 何かを訴えるように両手を動かす。  東京・月島生まれの詩人であり、文芸評論家。政治、経済、宗教、哲学、カルチャー……あらゆる分野に わたり、出した本は300冊以上。1960〜70年代には多くの若者の支持を集め、今も言論界で活躍す る。「知の巨人」とも呼ばれる。  吉本さんは大震災について「僕は現場まで行くことができない。戦争では戦闘の近くまで出かけていき実 感しているけれど、今回は距離の隔たりがある。避難民がもっとごった返している場面を想像していたんだ が、ポツンポツンとして静かな感じがする……」。  ふと、04年に出版された吉本さんの著書「人生とは何か」の一節を思い出した。  <(体は)ボロボロの状態です。「老いる」ことと「衰える」ことは意味が違いますが、こんな状況にな ったときには、死にたくなっちゃうんですよ。年を取って、精神状態がある軌道に入ると、なかなか抜け出 せないのです。僕は死のうとか、自殺しようとまではいきませんでしたが、「これは生きている意味がない んじゃないか」ということは、ものすごく考えましたね。(略)結局は、その状態を自分自身で承認するほ かないのです……>  まずは現実を受け入れ、そこから始めるしかない。今の東北の被災者に似ている、と思った。  吉本さんは1982年、文学者らによる反核運動を批判する「『反核』異論」も出版している。その中で 核エネルギーについてこう記した。<その「本質」は自然の解明が、分子・原子(エネルギイ源についてい えば石油・石炭)次元から一次元ちがったところへ進展したことを意味する。この「本質」は政治や倫理の 党派とも、体制・反体制とも無関係な自然の「本質」に属している。(略)自然科学的な「本質」からいえ ば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得 したと同義である>  東京工業大出身の「知の巨人」には、科学技術に対する信頼が底流にあるようだ。「原子力は核分裂の時、 莫大(ばくだい)なエネルギーを放出する。原理は実に簡単で、問題点はいかに放射性物質を遮断するかに 尽きる。ただ今回は放射性物質を防ぐ装置が、私に言わせれば最小限しかなかった。防御装置は本来、原発 装置と同じくらい金をかけて、多様で完全なものにしないといけない。原子炉が緻密で高度になれば、同じ レベルの防御装置が必要で、防御装置を発達させないといけない」  目線はぶれることなく、記者を向いている。こちらは専門的な内容を頭の中で必死に整理し、質問する。  「福島の土地に多くの放射性物質が降り注ぎました。2万人以上もの人々が住んでいた場所から避難して いますが」と問うと、吉本さんは「ひどい事故で、もう核エネルギーはダメだという考えは広がるかもしれ ない。専門ではない人が怒るのもごもっともだが……」と理解を示しつつも、ゆっくり続けた。「動物にな い人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退 歩することはあり得ない。原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のと ころ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います」  吉本さんの考えは30年前と変わっていない。「『反核』異論」にはこんな記述がある。<知識や科学技 術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに退廃的であろうが否定はできないん ですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです>  話し始めて1時間半、卓上の緑茶をすすると、ぬるかった。家の人が熱いお茶をいれ直してくれた。吉本 さんは手ぶりがつい大きくなり、湯のみをひっくり返した。記者がティッシュで机をふいた。  「人間が自分の肉体よりもはるかに小さいもの(原子)を動力に使うことを余儀なくされてしまったとい いましょうか。歴史はそう発達してしまった。時代には科学的な能力がある人、支配力がある人たちが考え た結果が多く作用している。そういう時代になったことについて、私は倫理的な善悪の理屈はつけない。核 燃料が肉体には危険なことを承知で、少量でも大きなエネルギーを得られるようになった。一方、否定的な 人にとっては、人間の生存を第一に考えれば、肉体を通過し健康被害を与える核燃料を使うことが、すでに 人間性を逸脱しているということでしょう」  いつの間にかいなくなっていた白い猫が、再び部屋に入って座布団に寝転んだ。吉本さんは気づいていな いかのように続けた。「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争で はたくさんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの限度を持 ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」  気づくと2時間半が過ぎていた。吉本さんは疲れるどころかますますさえている。自らの思想を「伝えた い」という思いのみが衰えた体を突き動かしているのだと感じた。  「ただ」と続けた。「人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には多数決 になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断できない部分も残っています」  話を終えると吉本さんは玄関口まで送り出してくれた。言葉だけではなく「全身思想家」に思えた。 注記 [取材]宍戸護 [写真]「文芸評論家の吉本隆明さん」=梅田麻衣子撮影
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 1105 標題 [吉本隆明氏評] 掲載誌(紙・書)名 編集者=小川哲生の本:わたしはこんな本を作ってきた 編集 村瀬学 出版社 東京 出版地 言視舍 掲載頁 帯 区分 推薦文 キーワード 小川哲生 見出し・語録 注記等
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1106 標題 匂いを讀む 叢書名 吉本隆明資料集 106 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 キーワード 匂い 見出し・語録 匂いを讀む1「匂ひ」という古語 匂いを讀む2いい匂いと嫌な匂い 匂いを讀む3香を聞く 匂いを讀む4匂いの病気 匂いを讀む5匂いの本性(1) 匂いを讀む6匂いの本性(2) 匂いを讀む7匂いの本性(3) 匂いを讀む8匂いの本性(4) 匂いを讀む9転移する匂い 匂いを讀む10匂いの起源 匂いを讀む11古歌の匂い 匂いを讀む12古歌の匂い(續) 匂いを讀む13正徹の場合 匂いを讀む14正徹の場合(續) 匂いを讀む15『おもろさうし』の場合 匂いを讀む16『おもろさうし』の場合(続) 匂いを讀む17芥川龍之介のばあい 匂いを讀む18宗教の匂い 匂いを讀む19匂いの原義 匂いを讀む20漱石の証拠 匂いを讀む21西行歌の場合 匂いを讀む22随筆の匂い 匂いを讀む23折口万葉のばあい 匂いを讀む24匂いと人種 (季刊・香りの専門誌『パルファム』第76号1990年12月〜第100号1996年12月) 匂いを讀む 現代における匂いとは何か 平田幸子・吉本隆明(『パルファム』第105号1998年10月〜第 109号1999年3月)  匂いの強さと幻嗅/漱石山脈の作家たち/匂いの多面性について/匂いの感覚と言葉/匂いの宗教性につ いて/香水調合の知られざる世界/匂いに対する地域差と無臭性/匂いと香りの違い/好きな匂いとは?/ 男性用の香水と女性用の香水/香水とワイン/日本人好みの匂いとは?/エロスと匂い/匂いを消す(199 7年10月16日) 芥川・堀・立原の話 (1978年10月19日京都精華大学講演・『磁場』第18号1979年4月10日刊所収) 編集ノート 注記 挿画 ハルノ宵子
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 1106 標題 これから人類は危ない橋をとぼとぼ渡っていくことになる 掲載誌(紙・書)名 思想としての3・11 編集 河出書房新社編集部 出版社 河出書房新社 出版地 東京 掲載頁 34-42 区分 インタビュー キーワード 東日本大震災/原子力発電 見出し・語録 「人間は滅亡が近いよなと悲観したくなる中で、一つだけ奇妙に希望を持てる確かなことがあるとすれば、 それは人間の平均寿命についてのことだと思います。人間の寿命は今後短くなることはないんです。不思議 なことだと思いますが、人殺しの武器も発達させ、危険極まりないものを作っても、平均寿命の伸びが止ま る兆候はないんです。人間の生物としての生命や寿命が衰える兆しはどこにもなくて、極端なことを言えば、 宮澤賢治の言うように、いつかは宇宙と同じ長さの現象を生きることになるよ、という文句の方が通りがい いかもしれません。遠からず平均寿命が百歳以上になるのは自明の理だと思います。人間や人類はどこで終 わるかを考えれば、宇宙が壊れたら終わりです。そのことをきちっと考えてゆけば、そんなに悲観すること もないよということになると思います。個人的には、いいことは一つもないよと言いたいところですが、そ の中で希望があるとすればそのことだと思います。果たして文明や科学が発達して社会がよくなったのかと 言えば、どうかなと感じますし、僕も関わってきた文学や芸術にしても、例えば今の短歌や詩より『万葉集』 の歌の方が強い生命力が表現されていてうったえる力が強く、そういう逆行はなぜなのか考える余地はあり ますが、総じて人間の生命の体験だけは奥深く複雑なところまでゆくと思います。そんなことを考えて自ら を慰めています。」 注記等 聞き手・大日向公男 2011年4月22日
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1107 標題 風の変わり目――世界認識としての宮澤賢治 掲載誌(紙・書)名 ユリイカ 巻 43 号 8 掲載頁 62-69 掲載年月日 2011.7.1 区分 インタビュー キーワード 宮澤賢治/自然現象/震災/幼児性 見出し・語録 「日本が中国的な考え方を部分的に借用しながら歴史を作ってきて、ようやく日本語で自分たちの見解を述 べられるようになった万葉の終わりごろ、つまりもともと女流から始まった日本の詩歌が古今と新古今の時 代に迎えた変化というものは重大なものだったわけですが、いまはちょうどそれに匹敵する機会だと思いま す。それだけの変化に直面しているのに何も新たな考え方が出てこなかったら嘘ですよ。そういう気持ちを 失わずにやっていくしかないんですね。これからを生きていくみなさんはなおさら切実な問題を抱えていく ことになるわけでしょうけど、考え方を中断させずに自然現象の転変の核心に迫るところまで行ってほしい というのがぼくらの唯一の願いであるし、自分のやれることだと思っています。どなたがどういう観点から そこへ近づいても構わないですが、ぜひともこの機会を何とかものにしていただければ本当にこれ以上の達 成はないように思いますね。」 注記等 聞き手=編集部 5月30日、駒込・吉本宅にて収録。
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 聞き手:津森和治+編集部 刊行年月 1107 標題 資本主義の新たな経済現象と価値論の射程:贈与・被贈与、そして相互扶助をめぐって 掲載誌(紙・書)名 別冊Niche[ニッチ] 巻 3 掲載頁 5-33 掲載年月日 2011.7.10 区分 インタビュー キーワード 資本主義/経済現象/価値論/交換/贈与/相互扶助 見出し・語録 先進国と途上国、後進国との経済的格差/先進国は後進国の空き間に目をつけて収奪する/贈与・被贈与の 経済政策の空想性と可能性/資本主義の経済法則を変革することは可能か/経済現象総体としての資本主義 と経済学/贈与の経済現象とその意味/根本的な関係は天然自然と人間との関係/労働日・労働時間と貧富 の格差/戦後体験の中で体験した相互扶助の様相/天然自然物と人間との交換関係の変容/戦後改革の中の 贈与政策のある例/敗戦革命の遺産を今に生かすことの意味/遠山啓の講義再開という機会+就職難の時代 に得た教訓/集合意識としての機会の考察/三浦つとむの政治思想と理想社会の経済関係/レーニンの民営 化と郵政民営化という名の会社組織化/日本とヨーロッパの固有性としての相互扶助精神の違い/善悪不行 の信仰という日本人の固有性 注記等 2010年6月1日、吉本隆明さんのお宅にて収録
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1107 標題 真贋 出版社 講談社 叢書名 講談社文庫 出版地 東京 区分 聞き書き キーワード 見出し・語録 まえがき 1 善悪二元論の限界  明るさは滅びの姿  人間の精神は発達しない  いいことばかりを言う人が増えている  「豊かさ」に隠されたもの  あらゆるものに利と毒がある  自分の毒に責任を持つ  運命に従う以外、いい生き方はない  埴谷さんの誤解  いいことをさりげなく、悪いことは大げさに  悪人正機  親鸞の未来性  善・悪どちらを優先して考えるか  一方的な視点で見る危険性 2 批評眼について  「いいもの」は好き嫌いで判断できない何かを持っている  シンプルな判断基準  身のまわりの感じを大事にする  批評眼を磨く  自己評価より低い評価を歓迎する  起源を見れば本質がわかる  日本人の精神活動の起源は神道  現在は成長する過程と深く関係している  悪妻か良妻かは見方次第  戦争だけはすべて悪と断言する 3 本物と贋物  いい人と悪い人  正確は変えられるか  田中角栄の魅力  人の器の代償  敵対心は劣等感の裏返し  人を見るときは生きるモチーフを見る  一芸に秀でた人に人格者は少ない  日常のスピードと円熟のスピードがちぐはぐになっている  虚業と実業  善意の押し売り  人間らしい嘘は許す  困ったらインチキでもやるしかない 4 生き方は顔に出る  見た目を気にするのは動物性の名残  老人はより人間らしい人間  人の魅力は三十代半ばから  老人だからこそわかることがある  利害関係を第一義に考えない  育ちのよし悪し  子育ては千差万別  甘えが強くてどこが悪い  ヨーロッパ人と日本人  目に見える苦労はあまり問題にならない  子どもは親を映す鏡 5 才能とコンプレックス  三島由紀夫の「暗い一生」  引っ込み思案の苦しみ  コンプレックスは生きるテーマになる  人間にとって一番大切なこと  進路に迷ったら両方やる 6 今の見方、未来の見方  極めて倫理的だった戦争中の社会  倫理や健康が極端に走るとき  正義の戦争はない  戦中、戦後を経て人はどう変わったか  僕が戦後に軟化したわけ  いまも戦中、戦後の延長線で日本を追求している  喧嘩で覚えた人との距離感  人間の本性  すべてが逆な方向へと進んでいる  人間のなかの普遍性と革新性 あとがき 注記等 本書は2007年2月に講談社インターナショナルより単行本として刊行されました。 ISBN978-4-06-277005-7 インタビューととりまとめ:辻本充子
刊行形態 Electronic Material 著者 吉本隆明 刊行年月 1107 標題 吉本隆明、性を語る。 掲載誌(紙・書)名 VOBO:ECSTACY WEB MAGAZINE 巻 号 掲載頁 http://vobo.jp/takaaki_yoshimoto.html 掲載年月日 出版社 coremagazine 出版地 形式 html 区分 インタビュー キーワード 性 見出し・語録 吉本 どうぞ、お楽に…。今日はわざわざご足労頂いてありがとうございます。 ―恐縮です。本日はどうぞ宜しくお願い致します。 吉本 こちらこそ宜しくお願い致します。今日は…、「性について」という風に話を聞いておりますが。 ―はい。吉本さんのエロス論、性愛論をお伺いしたいと思っております。 吉本 なるほど…、まずどこから入っていけばいいのか…。 ―そうですね。お伺いしたいことは山ほどあるのですが、まずは吉本さんのヰタ・セクスアリスと言います か、性遍歴についてお聞きしたいと思っています。 吉本 ええ、結構ですよ。 ―ありがとうございます。ではまず、吉本さんの性の目覚めについてから、お聞きしていってもてもよろし いでしょうか… 僕 の 青 年 期 の 頃 に お い て は 、 玄 人 の 女 の 人 、 つ ま り 性 愛 を 職 業 と し て い る 人 達 と の  交 渉 も あ り ま し た 。 吉本 振り返ってみますと…、僕は工業学校の出身なんですが、中学部に入る頃になると、なんとなく性的 な実感が表立ってくるようになってきた記憶があります。これは男女の性愛の特徴の一つですけど、離れた いっていう気持ちと親しくなりたいっていう気持ちが両価的に出てくる。はじめは僕もそうでした。なんと なく、女性に惹かれるんだけど、「惹かれている」ことが他人から見えたら変な風に見えるんじゃないかと いう反発も一方で起こっていました。 その後、少年期から青年期に差し掛かるころ、やはり性愛のことを友人などとの間でまともに話し合うよう になっていきました。また実際問題としても、生理としてのあらわれが出てくる。感情面でも「あの子が好 きだ」とか「好きじゃない」とかが生じてきますし。一挙にそういうことが物凄く発展していきましたね。 ―順当に成長されていったわけですね。 吉本 極めて平凡かつ正常だったと自分で思ってます。性に対する反発する感情と、一緒にいたいという思 いが両価的に大きくなっていって、その内に、自慰や自?を覚え、自分の性器を自分でいじって快感を感ず るようになる。やがて、それが嵩じていくと、自分で自分の性器をいじることも本格的になるし、それでも って精液が出尽くすまで、そういう行為を自分でやってく。そういった行為を行う中で、家族、親族、血縁 集団といったものと、社会集団との区別が自覚的になっていったように思います。 ―血縁集団と社会集団の区別、と言いますと? 吉本 エロスとかそういう問題というのは、大雑把に言いますと、二つに分けられるんです。この二つとい うのが何かと言いますと、家内的、家庭的要素、そしてもう一つが家庭の外側にある社会的な要素です。そ れは同視できるものでもないし、重ね合わせるものでもない、と僕はそう考えているわけです。自慰行為に はある種の不健全さというものがあると思うんですが、不健全であると考えるからこそ、好きな女性を見つ け、実際に性的結合を行い、子を産み、家庭を築くという経路を辿る。僕も大体はそうだったと思いますね。 ―吉本さんの少年期、青年期においては、性に関するイメージや情報というのは、どういったものから得ら れていたんですか? 吉本 はっきりしたことは覚えていませんし、これは個々の人によっても違うんでしょうが、やはり本であ ったように思います。性的なことに関する本ですね。そういった本を読み、また自慰行為を行うことで、異 性との交渉に対する反発的要素が徐々に解消されていったように思います。もっと詳しく言いますと、性に ついてはなんとなく気恥ずかしさが付きまといますし、家庭的な禁止や戒めなどとも相まり、非常に複雑な 形を成しているわけです。快楽としては、赤ん坊や幼児の時代になんらかのきっかけで性器をいじりそれが 気持ちよかったとなったかもしれない。それを一つの大きな経験としつつ、やがて男女の性的な親愛感を覚 えていく。 ―童貞を喪失されたのはいつ頃でしたか? 吉本 異性との肉体的な経験は、僕はかなり遅かったと思います。正確な時期というのは覚えていませんが、 僕の青年期の頃においては、玄人の女の人、つまり性愛を職業としている人達との交渉もありました。これ は人によって相当違うんじゃないかなとは思うんですけど、それこそ表通りの日向道だけを通ってきたよう に、規則正しい正常な状態を保ち、結婚まで性愛的なものを心理的要素のみにとどめていたような人もいる でしょう。僕個人の話をしますと、玄人の人との交渉が先だったか後だったかは非常に曖昧なところですが、 そういう遊びもやってきました。 ―当時ですといわゆる赤線の時代ですね。 吉本 その頃…、ちょうど僕らが青年期から成人期に移る頃でしたが、加藤シヅエ(※1)などの女性代議 士を中心に、性風俗を禁止する法律が議会で提案(※2)されたんです。性愛を商売にする女性、また、そ れに関わる男性を取り締まるべきだって、公に言い出した初めですね。 ※1 加藤シヅエ…婦人解放運動家・政治家。48年の優生保護法成立に深く関わる。婦人代義士第一号。01 年没。 ※2 売春等処罰法案…1948年の第2回国会において提出された法案。売春防止法の元祖と言われる。その後、 処罰が厳格すぎるとして、審議未了、廃案。 これは大賛成する人と、大反対する人、両方あって、しばらく新聞などにも陰をとどめるほどの大きな論争 となったんです。それが僕らの性的な関心が非常に深い時期にあったもんですから、我が身を考えても、こ れは一体どちらが妥当なのか、と考えたわけですよ。本当にこれを禁制にすべきなのだろうか、と。属性で いえば家族制を重要だと考えている家庭の男女は、それは禁止すべきだと傾いて、逆に奔放に育ち、家庭的 な制約をあまり受けずに育ったような人達は禁制に反対していました。 ―吉本さんはどのようにお考えだったんですか? 吉本 僕はこの法律はおかしいと考えました。なるほど、いかにも規則性で言えば、これは禁止すべきかも しれません。こういう遊びは良くない、良くない傾向に人間を導く、と。それが加藤シヅエらの考えだった わけです。そこから僕の人生最初の実在問題、性に関する考察が始まっていったと思います。 僕は禁止すべきじゃない、と考えました。それは良い悪いの問題で区別するのは非常に難しい問題なんです。 倫理的には、商売として性行為をやるという女性も良くないですし、お金を払う男性も良くない。しかし、 それを禁止するのはなおさら良くない、という考え方ですね。結婚までそういう行為をせずに、結婚しては じめて性的な卑猥感を太らしていくというほうが良いというのは分かってるんです。しかし「お前もそうし ろ」と言われてしまうと困る、返答のしようがなくなってしまう。これを悪いことだとか、これは堕落なん だと考えられたり、言われたりすると、「それは待ってくれ」「それは困る、自分はそれを犯してるから」、 と(笑) ―(笑) 吉本 一面では堕落しつつあるんだ、と思いましたし、新しい意味での性の考え方が善悪を含め、自分の中 で複雑になっていった。ただし、一概に善悪をもってこの問題を捉えるというのは非常におかしいと感じま した。これらの遊びは、いわゆる悪所通いと言われてましたけど、堕落していると言われることが、悪所通 いという傾向が自分の中でも結婚するまでに増大していった原因だと思います。考えれば考えるほど、これ は自己矛盾だなぁとは思うんですが、その自己矛盾を解消するために禁止する、罰するという行為は肯定で きない。女性尊重論者から言えば、男がそういう遊びを節するようにすれば、純潔な婚姻の風習が出来上が るはずだから、悪いことは悪いと決めるべきであって、それでも悪所通いを平気でするって言うんだったら 罰せられるべきだとなる。しかし、誰がどういう風に論じてたりしても、これは禁止にすべきではないし、 制約にもならないし、これを制約とする法律が当たり前とも思えない。これは人間のもつ本質的な問題で、 また本質的な欠陥に由来するものなので、これを法律で決めることはできないと思います。 ―昨今の性表現に対する規制にも通じる話のように思います。 吉本 善悪で決めることもできないし、正義で決めるもできない。少なくとも善悪の問題からは外すべきだ という風に考えていましたし、それが堕落だというなれば、堕落だと思ってください、と。善悪や堕落とい うところから外れたところで考えるべきだし、これは生存の全方向にとって自由の一点に関わる問題です。 自由であるか、自由でないか、という問題。それは良い、悪い、よりも先にあるべきで、どういう矛盾であ れ、悪であれ、これは禁止すべき問題とは質が違うように思います。悪所通いというのも、天然自然と同じ ように人間の自然性の範囲である限り、これは禁止すべきではないし、「俺はこんなのしねぇよ」って言う 人がいても、それは嘘だ、と。嘘じゃないとしても、その考え自体が虚偽だ、と思います。 ―なるほど。ところで、そういった「遊び」の中で、何か特別に記憶に残っている思い出などはありますか? 吉本 僕は自分より身分が上の知り合いの方に連れられ、何度か東京ではない土地の遊郭へ行ったことがあ るのですが、非常に悔しい思いをしたことがあります。というのは、これは京都の遊郭に招待して頂いた時 の話なんですが、招待してくれた知人の方は、遊郭の席においても堂々とされており、女性の方も非常に丁 重に振る舞っているんですが、招待された僕がなぜか女性にむちゃくちゃに苛められたんです。遊郭に行っ た経験はありますか? ―いえ、ないです(笑) 吉本 では一度行ってご覧なさい。僕は京都の遊郭で、ほとんど聞くに耐えないような悪口雑言、しかも性 が関与したような言葉を浴びせられたわけです。びっくりしましたよ。その嫌味たらしさ、言い方といい、 もし紹介してくださった人がその場にいなかったら、ただじゃおかねぇぞって、横っ面引っぱたいてやりた くなるような思いでしたね。招待した主人も「お前、出過ぎだ、そういうことを言うな」とでも言ってくれ ればいいんだけど、言わない。お腹の中で怒りが爆発しそうになる。多分そうさせるのが目的だとは思うん だけど「ひでぇもんじゃねぇか」と。それを我慢して、後は酒を飲んでも上手くないし、口聞きもしねぇや っていうような体験はありました。 ―それは解せない話ですね。なぜむこうはそんな態度を取ったんです? 吉本 僕にもよくは分かりませんが、僕の態度にも問題があるのかもしれません。しかし、「お前の態度は 癪に触る」と客に対して感じても、本来ならば言うべきではないんです。しかし、そういうものもある種の 儀式化をしていくと、ああいう態度も生じるんだろうなぁと。それが僕のざっとした解釈です。そうじゃな いかもしれません(笑) ち ょ っ と や そ っ と で 片 付 け る こ と が で き な い と 感 じ た の は 、 バ タ イ ユ で す 。 ―吉本さんには何か個人的なフェチのようなものはありますか? 吉本 それは自分では意識したことはないですね。ないわけではないと思いますが、強く意識したというこ とはありません。 ―なるほど。では質問を変えます。吉本さんにとってエロティシズムとはどういうものでしょう? 吉本 エロティシズム…。僕には考察の主題にしているものが幾つかあるんですが、正直に言いまして、エ ロティシズムはその中には入ってこないんですね。これはエロティシズムが重要ではない、ということでは ないんです。しかし、エロティシズムと聞かれても、自分がこれまでに演じたエロティシズムと、それから 先程お話したような、そういう座に招いてくれた人との思い出が蘇ってくるだけで、それ以上のエロティシ ズムというのは僕の中にはないと思います。 これは自分で自分に対して考えていることなんですが、僕はそういう関心がわりあい薄い方じゃないかなぁ と思うんです。良い悪いとかの問題ではなく、性格の問題だと思うんですが。友人なんかにもやっぱり、僕 のエロティシズムに対する関心の薄さを指摘する人もいます。自分でもそう思います。 ーそれは一個人としてだけではなく、思想家としても、ということですか? 吉本 そうだと思います。共に薄いんじゃないかな、と。「吉本さんに近寄ってくる女の人が性的感情が入 るように近付いている気がしてしょうがない」って言う風に友人に言われることがありますけど、僕自身は 全くそういうのに気付かないんです。少しそういうところが抜けてるんじゃないか、って思います。だから エロティシズムの問題は自分の中でうまく決着がつかないところではあるんです。 ー女性やセックスに対する執着が余り強くないということでしょうか? 吉本 こういうこともしたし、ああいうこともしたし、悪所通いも随分した、と自分の中ではそれなりにし てきたつもりではいるんですが、他人に言わせれば、僕は全然薄いとなるんですね。 ―なるほど。例えば文学の世界にはエロティックな主題の文学作品というのも多くあると思うんですが、そ ういった表現としてのエロティシズムについてはいかがですか? この作品の官能性に惹かれたなど、そうい う作品はあります? 吉本 それは滅多にありませんでしたね。しかし、性について書かれた文学で、やはりこれは名実共に大変 立派で、ちょっとやそっとで片付けることはできないと感じたのはバタイユ(※)です。バタイユはやはり、 性っていうものを本源としながら、そこを飛び抜けて、思想全般のところまで近付けたんじゃないかと思う んです。バタイユには僕も関心がありましたが、これも快か不快かということで言えば、快ではないんです ね。バタイユの作品は、言ってみれば、エロスと人間、自己の洞察といったもの、それらを混ぜ合わせて水 で薄めて、文学にしたという印象です。そこに、僕は深くは入っていけなかった。 それに、先程、僕は自分の中にエロスが薄いということを言いましたが、そもそも僕は日本人にはエロスが 薄いんじゃないか、と思ってます。民族性か種族性か、どう呼んでもいいんですけど、この種族がエロス的 にどうなのかと言えば、全体として物凄く関心が薄いんじゃないかと思います。日本人の中からサドとかバ タイユのような、そういう作家を求めようとしても難しい。みんな何かにすり替わっている。エロスをエロ スとしてそのまま、サドのような作品を書けるのか。書けば書けるのかもしれない。しかし文学だけで言い ましても、数えるほどもそういう作家はいない気がします。 ※ジョルジュ・バタイユ…フランスの思想家(1897-1962)。エロティシズムの大家。大著『エロティシ ズム』の冒頭を飾った「エロティシズムとは死に至る生の称揚である」という言葉は余りにも有名。 ―それは宗教的なものも関係しているんでしょうか? サドもバタイユも、そのベースにキリスト教的な土 壌があるという点において、日本とは環境が異なると思えるんですが。 吉本 本当にそう思いますか? 僕はそこに疑いをもちます。日本においては何かがエロスに入れ替わってし まっている。エロスが全開にならぬところで、反らされてしまっている。特にそれが外に現れる時に非常に 貧弱な気がします。自分の内面において自分自身と話をしていると、すごいエロティックな男のように自分 では思えるんですが、それが表れとして外側には出てこない。そこには日本の家族制や血縁性の強固さとい うものが、ヨーロッパなどに比べると非常に大きく作用していて、その問題じゃないのかなっていう気が僕 はします。 家 族 制 度 の 強 固 さ に 性 の 問 題 が 食 わ れ て し ま っ て い る 。 こ れ は 僕 の 中 に 今 も 残 っ て い る エ ロ ス の 問 題 で す 。 ―その点について、もう少し詳しくご説明頂けますか? 吉本 関心が薄い、強いというのは表層的な部分です。つまりエロティックなものが外に向かって表象され ないということなんです。同種族間の結合力の方にエロティックな問題が回収されてしまっている、血縁の 男女間の繋がりが非常に強固であるのが妨げになって、エロスの問題が語られづらくなっているように思い ます。そこでエロスが何かにすり替えられてしまうんですね。しかし、これは一歩間違えれば近親相姦の領 域に入ってゆきかねない。 ―日本の家庭内における母子関係の強固さについては以前からご指摘されてらっしゃいましたね。 吉本 そこが一番大きいんじゃないかなと思ってます。皆さんが東北の人だったらちょっと困ってしまいま すけど、僕は東北の人達と五年程前から付き合いをもっているんですが、東北地方の一部の地域においては、 この同族意識、家族意識が、他の地域と比べても強固に社会化されていて、エロスの問題が明確にそこに回 収されてしまっている気がするんです。僕はその問題に5年間悩まされています。 ―と、言いますと? 吉本 最初にも言いましたが、エロスというのは家庭的要素と社会的要素に大別されるもので、これは同視 できるものではないんですが、それが混合されている節があるんですね。性的な男女関係というのは元々は 異族の男女が、親愛感をもつことに始まり、一緒に同居して暮らし、家を作り、その家が拡大すると親戚の 集団となっていくというものです。一方、社会集団、政治集団、趣味の集団など、親族の集団の外にはたく さんの集団がありますが、これらは飽くまでも社会的なものであって、家族集団や親族集団とは全く違う。 つまり、血縁の男女間の問題と、結婚して所帯を持っていい男女間の混合がある気がするんです。それが一 緒くたにされてしまうのは間違いなんです。なぜ間違いかと言えば、それを累代重ねていきますと、精神的 な障害者、肉体的な障害者が生まれやすくなってしまう。そのおおよそのところは医学的に明らかになって いる。同族男女の結合は禁制とまでは言いませんが、一応は遠慮すべき事柄なんです。 ―日本的な家族関係の強固さが、過度に内向したエロスを生ぜしめかねないということでしょうか? 吉本 近親関係、家族関係の結合の仕方の中でエロスが過剰に内密的に扱われてしまっている。さらに、そ れを余り問題にしてはいけないという気風がある。これは日本全体においても言えることです。例えばある 学校で、学校の先生が生徒も交えたところにいる場面で、話題がエロスになったとします。僕がエロスと家 族制度について話をしていたりすると、学校の先生は、「そういうことを余りしゃべらないでください」と 手の信号で合図してくるんですね。おおっぴらに語ることが許されない。家族制度の強固さに性の問題が食 われてしまっているんです。 異なる血縁集団に属する他者との性的結合が、外へ外へと拡大してゆく運動なのに対し、近親相姦は、内へ 内へと向かう運動であり、これは社会を縮小させてしまいます。家族集団と社会集団の相互侵犯の関係とい うのは、これまでは悩まなくていい問題だったんですが、現在は物凄く大きな負担として僕にのしかかって います。 ―近年、親族間における殺人事件などの増加が取沙汰されていますが、それは同じ問題の別の表れであるよ うにも思えます。 吉本 そう考えることもできるんじゃないかと思います。非常に閉じられたところで血縁同士がエロス的に 結合してゆくというのは混淆も甚だしい。お前達は変態じゃないか、と言いたくなる時があります。 ―この状況を変えるために、吉本さんに何かお考えはありますか? 吉本 日本人という人種にとって一つ抜け道があるとすれば、血縁の結合感を少し緩くしたほうがいいぜ、 ということですね。「なにがだめなんだ、やることはやっている」、となるかもしれないけど、心理的にも 生理的にも、また社会的にも、変な方向にいくよ、と言いたいです。あるいは歴史の中では、そういう子供 が誕生した時に、人間とも言えないような小さい内に密殺してしまったというような話もあったのかもしれ ません。はっきりさせるべきことは、はっきりさせないといけない。家族集団と社会集団は明らかに違う。 これは言わなければいけないし、追求していかなければいけない。これは僕の中に今も残っているエロスの 問題です。 ―なるほど。非常に勉強になりました。……お聞きしたいことはまだまだあるのですが、お時間も遅くなっ て参りましたし、本日はここで終了とさせて頂きたいと思います。今日はどうもありがとうございました。 吉本 いえ、こちらこそ、ありがとうございました。 注記等 インタビュー/辻陽介 写真/鈴木淳 2011年7月5日、東京・駒込、吉本隆明邸にて。
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1107 標題 都市、時代そして自然 叢書名 吉本隆明資料集 107 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 キーワード 見出し・語録 イメージとしての都市(『正論』1990年4月号) 1アジア的都市と西洋的都市/2人口都市とは何か/3都市と脱イデオロギー/4都市の実験/5 イメージの力(1989年12月2日兵庫県尼崎市「つかしん」での公演・「ことばをひらく会」主催) 都市、時代そして自然 笠原芳光・吉本隆明(『正論』1990年4月号) 1天然よりもいい自然/2どこに行く日本の都市(1989年12月2日兵庫県尼崎市「つかしん」で の公開討論・「ことばをひらく会」主催) ポストモダンとは何か 笠原芳光・吉本隆明(『正論』1990年5月号) 1近代を超えて/2最終段階のマルクシズム/3国家は死滅するか/4ヒューマニズムを超えて/5 「内蔵感覚」ということ(1989年12月2日兵庫県尼崎市「つかしん」での公開討論の続き・「こ とばをひらく会」主催) 熱中TV討論 清野徹・吉本隆明(清野徹『おしゃべりな天才(タレント)たち』1990年4月刊所 収) 現在テレビが象徴するものは/テレビの言葉と批評の言葉/映像批評のないテレビ批評はあり得ない /本当の“言葉”話されていない/精一杯のビートたけし/テレビインテリとインテリの差異/面白 いか面白くないかの基準/基準ラインの低下/テレビ界最大のタレントは誰か/現在一番輝くタレン トは/歌番組の衰退はなにを語っているのか/テレビは何処へ/テレビ批評の可能性 小栗康平監督『死の刺』(『マリ・クレール』1990年6月号) 戦時中の恋愛心理ドラマ――『暖流』について(『洋画・邦画ラブシーン ベスト150』1990年6 月10日刊所収) 稀有なつよい生活の意志力(永瀬清子『すぎ去ればすべてなつかしい日々』1990年6月15日刊帯文) 変容する都市空間(上、中、下)(『山梨日日新聞』1990年7月20、24日、8月1日) 永遠なる、究極なるもの:大衆消費社会における倫理の課題(『アーガマ』1990年9月号) 解放された一般大衆/欠乏感による倫理から過剰感による倫理へ/消費社会最大公害としての精神障 害/過剰に対する倫理はどうつくれるか/霊性の究極から現在を照射する精神の働き/現在に切実な 課題と永遠の課題との同在(1990年6月22日。聞き手・編集部) 対話について(『吉本隆明 五つの対話』1990年10月25日刊序文) 編集ノート 注記 挿画 ハルノ宵子
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1108 標題 思い描いていた大人に僕はなりきれていない:87歳は考えつづける;インタビュー 掲載誌(紙・書)名 BIG tomorrow 巻 32 号 2 掲載頁 124-128 掲載年月日 2011.8.1 区分 インタビュー キーワード 見出し・語録 87年間生きてきて、何もない自分に不安になる、/19歳で自分の人生は終わるという覚悟を持った/大人 とは信念を持って周囲のためを思い、行動できる人 「自然と一緒に生きるという意味で、一番バランス感覚があるのは庶民です。今度の震災を経験して、専門 家や政治家はそれぞれの立場で知的なことを言うでしょう。こうしたら解決するよ、この方向に向かえば大 丈夫だよ、と。しかし、専門家も間違うということを前提に、僕らは自分の生活に照らし合わせて考える必 要があります。  結局は、個人個人が当面している、最も大切なことを大切にしていきなさいという、それだけのことです。 公にどんなことがあろうと、自分や自分の近辺の人に役立つと思えることをやる。大人とは、信念を持って それができる人なのかも知れません。そして、個人個人の小さな大切なことを拾い集め、積み重ねていくこ とが早い復興へとつながっていくのです。いま、僕が確実に言えるのは、そのようなことで、今後もう少し の年月を生きるとしたら、その辺のことを考え続ける役目を背負っていこうと思っています。」 注記等 取材・文/佐口賢作 撮影/富本真之
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1108 標題 科学に後戻りはない:原発 完璧な安全装置を;8・15からの眼差し――震災5ヵ月 3 掲載誌(紙・書)名 日本経済新聞  出版地 東京 掲載頁 40 掲載年月日 2011.8.5 区分 インタビュー 見出し・語録 ――3月11日は、どうしていたか。  「自宅のこの部屋で書き物をしていたと思う。足腰が不自由で、自宅周辺のことしか分からないが、地震の 後は、不気味なほど、静かだった」 ――戦中と比べると。 「あのころの東京は、人々も町中の印象も、どこか明るくて単純だった。戦争で気分が高揚していたせいもあ ったろうが、空襲で町がやられた後でも、皆が慌ただしく動き回っていた。  今度の震災の後は、何か暗くて、このまま沈没して無くなってしまうんではないか、という気がした。元気 もないし、もう、やりようがないよ、という人々が黙々と歩いている感じです。東北の沿岸の被害や原子力発 電所の事故の影響も合わせれば、打撃から回復するのは、容易ではない」 ――復興への道は。 「労働力、技術力をうまく組織化することが鍵を握る。規模の拡大を追求せず、小さな形で緻密に組織化され た産業の復興をめざすべきだ。疲れずに能率よく働くシステムをどうつくっていくか、が問われるだろう。  それには、技術力のある中小企業を大企業がしっかり取り込む必要がある。外注して使い捨てるのではなく、 組織内で生かす知恵が問われている。この震災を、発想転換のまたとない機会ととらえれば、希望はある」 ――事故によって原発廃絶論が出ているか。 「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬いものを透過する 放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いに安いが、 そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を後戻りさせるという選 択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。  だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッ フの知恵を集め、お金をかけて完璧な防禦装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、 とか安全面で不注意があるというのは論外です」 ――明るさは戻るか。 「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、 飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過ごしている。公の問題に押しつぶされず、 それぞれが関わる身近なものを、いちばん大切に生きることだろう」 注記
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1108 標題 吉本隆明「東北」を想う 掲載誌(紙・書)名 飢餓陣営 巻 36 号 2011夏号 掲載頁 6-29 掲載年月日 2011.8.25 区分 インタビュー キーワード 東日本大震災/東北/宮沢賢治 見出し・語録 1「3・11」をどう受け止めたか 2「東北」の風土とはなにか 3宮沢賢治の文学・思想の世界 4宮沢賢治の他界観 5東北の風景と宮沢賢治の詩の方法 注記等 2011.4.19、26、東京、吉本氏自宅にて収録 聞き手・編集・佐藤幹夫 編集・校閲協力・小川哲生
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1109 標題 ニッポンの現在 叢書名 吉本隆明資料集 108 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 キーワード 時評/漱石論/賢治論/久保栄/地名 見出し・語録 ニッポンの現在(『熊本日日新聞』) 1イラク軍侵攻後の世界情勢(1990年8月21日) 2動機なき犯罪の時代(1990年9月13日) 3戦争放棄の「憲法第九条」(1990年10月18日) 4プロ野球日本シリーズ(1990年11月15日) 5「象徴」の即位礼と大嘗祭(1990年12月13日 6中東の切迫(1991年1月15日) 7気球の夢(1991年2月12日) 8戦争は終わった(1991年3月19日) 9海老原博幸の死(1991年4月27日) 10渡り鳥、東都を去る(1991年5月23日) 11芸能人の話(1991年6月20日) 12土井社会党の功罪(1991年7月11日) 13真夏の挿話(1991年8月20日) 14老齢ということ(1991年9月19日) 15溜飲が下がる話(1991年10月17日) 16ハーンにかかわる話(1991年11月26日) 17〈最終回〉小さな熊本論(1991年12月17日) 宮沢賢治は文学者なのか 聞き手 松岡祥男(『鳩よ!』1990年11月号) 宗教家か文学者か?/賢治が背負いつづけた宿命 渦巻ける漱石(1)――『我輩は猫である』――(『ちくま』1990年11月号) 渦巻ける漱石(2)――『夢十夜』――(『ちくま』1990年12月号) 渦巻ける漱石(3)――『それから』――(『ちくま』1991年1月号) (1990年7月31日よみうりホールでの講演(日本近代文学館主催)「近代文学館◆夏の文学教室  明治の文学・作家と作品」 文学の現在的課題《質疑応答》(『吉本隆明講演録 文学の現在的課題』立命館大学日本文学研究 会1975年9月12日刊所収) (1974年11月6日)なお、講演「文学の現在的課題」は『知の岸辺へ』(1976年9月刊)に収 録されています。 『林檎園日記』の頃など(『久保栄研究』第11号1988年11月1日発行、所収) 《私の地名考》 わたしの地名挿話(『角川日本地名大辞典第48巻『熊本県』1987年12月9日刊行、月報37所収) 編集ノート 注記 挿画 ハルノ宵子
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1109 標題 全学連主流派に共感:昭和時代第1部30年代[20]安保と知識人 掲載誌(紙・書)名 読売新聞  出版地 東京 掲載頁 17 掲載年月日 2011.9.10 区分 取材談話 見出し・語録 健在だった「知」の力;消えゆく「インテリ」 「復初の説」丸山真男/教授を辞した竹内好/「思想的鎖国の完成」江藤淳/「いまこそ国会へ」清水幾太郎  それでも、このころの吉本は、丸山に一定の敬意を払っていた。  現在86歳の吉本は、最近の読売新聞の取材に次のように語っている。  「思想的な問題とか、日本のことを論じると、これだけできる人はこの人ぐらいのものかという評価でした。 元気もあるし、勇気もあるし」  分岐点は、68〜69年の東大紛争だった。全共闘の学生による研究室封鎖に、丸山が「軍国主義もナチスもし なかった暴挙」と批判したことが決定的だった。  その少し前、丸山が吉本とも受け止められる「純粋主義」の評論家を揶揄[やゆ]していたことも大きかっ た。  「(知識人)の傍流で主流になれない、そういう鬱屈[うっくつ]があったというような言い方を丸山さん はしたんですよ‥‥‥。そこで丸山さん的な考えと明瞭に分かれた」と語る。 注記 連載特集中の、丸山真男、竹内好、江藤淳、清水幾太郎に並ぶ囲み記事(論説委員 天日隆彦、文化部  山田恵美)
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1110 標題 三島由紀夫の思想と行動/詩的な喩の問題 叢書名 吉本隆明資料集 109 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 対談 キーワード 見出し・語録 檄のあとさき(『新潮』1990年12月号) 三島由紀夫の思想と行動 西部 邁・吉本隆明(『文藝春秋』1990年12月号) 左翼的発想と右翼的発想/三島由紀夫の「仮面」の論理/「言葉のほうが先にあった」という悲劇/ 「知行合一」をどう考えるか/イメージとしての庶民・大衆/「後生畏るべし」と思うべし 「超近代」という時代 中沢新一・吉本隆明(『マリ・クレール』1991年2月号) 濃密な圧力感を生命力とする映画――『牢獄』(『マリ・クレール CLASSICS THEATER 3』パン フレット1991年2月1日) 些事を読みとる:クリエートのヒント 私の場合(『文藝春秋』1991年3月号ほか) ニーチェ『偶像の黄昏・アンチクリスト』――思想を初源と根底とから否定する(ニーチェ『偶像 の黄昏・アンチクリスト』1991年3月2日刊解説) 鶴見さんのこと(『鶴見俊輔集5』月報2 1991年5月 所収) 俳句表現のアポリア――俳句は言葉の家庭内暴力だ 夏石番矢・吉本隆明(『俳句空間』第17号 1991年6月15日発行) 日本語自体の分からなさが俳句の問題/言葉の家庭内暴力/言葉以前の言葉/和歌の延長でも詩の 類推でもダメ! 詩的な喩の問題(『「フェスタ・イン・なごや」記録集』1991年6月30日刊所収) (一)素朴な疑問から(二)擬音と乳児語について(1)擬音の世界(2)乳児語の世界(三)音韻のリ ズム化(韻律化)の世界(四)音喩を含んだ短歌(詩的喩) 宮沢賢治の文学と宗教[1989年11月2日東京・文京区鴎外記念本郷図書館にて](『愛する作家 たち』1994年12月25日刊所収) 編集ノート 注記 挿画 ハルノ宵子
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 著者 聞き手・大日向公男 刊行年月 1110 標題 江藤さんについて 掲載誌(紙・書)名 中央公論特別編集 江藤淳1960 編集 中央公論編集部 出版社 中央公論新社 出版地 東京 掲載頁 170-177 区分 インタビュー キーワード 江藤淳 見出し・語録 対立者だと思ったことはない/『作家は行動する』と小林秀雄との距離/文学の問題として国家を論じた/ サブカルチャーへの異和/対幻想と『成熟と喪失』/喪失感と戦後 注記等 2011年9月9日 撮影・薈田純一
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 著者 江藤 淳 刊行年 1110 標題 文学と非文学の倫理 出版社 中央公論新社 出版地 東京 区分 対談 キーワード 見出し・語録 文学と思想[1966年11月10日] 外側から見た日本/資料の選択/幻想の共同性/反秩序の思想/『ヒロシマ・ノート』批判/個人的倫 理と政治の論理/思想の根源にあるもの/共生感への渇望/人間存在のしかた/日本文学の指標 文学と思想の原点[1970年6月18日] 漱石と登世をめぐって/退路のない状態/「もの」の手触り/プロとアマについて――価値観の原点/ 禁忌の是非――レーニンと西郷隆盛/集団・国家・政治権力/自分が死ねば世界は終わる/先住民族 と統一国家 勝海舟をめぐって[1970年] “総理大臣”勝海舟・つかみどころのない存在/勝海舟と日本の近代/維新、構造の謎/江戸っ子勝海舟 現代文学の倫理[1982年2月13日] 知識人の役割とは何か/六〇年代という時代と文学/戦後派の文体はいかにして生み出されたか/新憲法 の成立過程/占領軍は日本を解放したのか抑圧したのか/知的・創造的空間の再建は可能か/川端康成と 三島由紀夫の死が意味するもの 文学と非文学の倫理[1988年9月8日] 転換する八〇年代文学/〈歴史〉は存在するか/〈現在〉と彼方からの視線/文学に露出する倫理/〈戦 中〉、〈戦後〉を同時に批評する場所/進歩主義と〈日本〉という問題/近代の終焉とどうむきあうか 編集付記 索引 注記等 ISBN 978-4-12-004295-9
刊行形態 電子書籍 著者 吉本隆明 刊行年 1110 標題 吉本隆明初期詩集 叢書名 講談社文芸文庫 出版社 講談社 出版地 東京 区分 詩集 キーワード 初期詩篇 見出し・語録 初期43篇/固有時との対話/転位のための十篇/解説=吉本隆明/作 家案内=川上春雄/著者目録=月村敏行 注記等 「詩は近代詩から現代詩への経路をかんがえると、長い年月のあいだ詩の表現 をつづけることは、すべての現実にたいする不適性と不利得と自己破滅へと書くもの を追いこんでゆくようにつくられてきた。またそうでない詩法は興味をひかないし、 ほとんどすべての詩は中途の妥協から成りたっているとおもえる。わたしが何をかん がえ何を言いたいのかは、はっきりしている。詩はたぶん間違った表現なのだという ことだ。いいかえれば詩は詩を書くものの生の表現と無関係でもなければ関係でもな い仕方で書かれてきている。生の多角性と無関係であり同時に全き関係であるような 詩は可能か。この課題をまえにして『転位のための十篇』はおわっている。」 ISBN:9784061962019
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 1111 標題 完本 情況への発言 出版社 洋泉社 出版地 東京 区分 情況論 キーワード 情況/試行 見出し・語録 情況への発言(一九六二年十月)「終焉」以後 情況への発言(一九六三年二月)「対偶」的原理について 情況への発言(一九六五年六月)頽廃の名簿 情況への発言(一九六六年五月)ひとつの死 情況への発言(一九六六年八月)ポンチ絵のなかの思想 情況への発言(一九六七年三月)中共の「文化革命」についての往復書簡 情況への発言(一九六八年四月)幻想としての人間 情況への発言(一九六九年三月)二つの書簡 情況への発言(一九六九年八月)書簡体での感想 情況への発言(一九七〇年十月)恣意的感想 情況への発言(一九七一年二月)暫定的メモ 情況への発言(一九七一年十月)きれぎれの批判 情況への発言(一九七二年二月)きれぎれの批判 情況への発言(一九七二年六月)きれぎれの批判 情況への発言(一九七二年十一月)きれぎれの感想 情況への発言(一九七三年六月)切れ切れの感想 情況への発言(一九七三年九月)切れ切れの感想 情況への発言(一九七三年九月)若い世代のある遺文 情況への発言(一九七四年三月)切れ切れの感想 情況への発言(一九七四年九月)切れ切れの感想 情況への発言(一九七五年二月)切れ切れの批判 情況への発言(1)(一九七五年六月)きれぎれの挿話 情況への発言(2)(一九七五年六月)きれぎれの批判 情況への発言(3)(一九七五年六月)きれぎれの返信 情況への発言(一九七五年十一月)きれぎれの批判 情況への発言(一九七六年四月)きれぎれの批判 情況への発言(一九七六年九月)きれぎれの感想 情況への発言(一九七七年二月)きれぎれの批判 情況への発言(一九七七年七月)きれぎれの感想 情況への発言(一九七八年一月)きれぎれの批判 情況への発言(一九七八年六月)竹内好について 情況への発言(一九七九年一月) 情況への発言(一九七九年六月) 情況への発言(一九七九年十二月)ひとつの死に関連して 情況への発言(一九八〇年五月)アジア的ということ 情況への発言(一九八〇年十一月)アジア的ということ(2) 情況への発言(一九八一年四月)アジア的ということ(3) 情況への発言(一九八一年十月)アジア的ということ(4) 情況への発言(一九八二年三月)アジア的ということ(5) 情況への発言(一九八二年九月)「反核」問題をめぐつて 情況への発言(一九八三年三月)アジア的ということ(6) 情況への発言(一九八三年九月)アジア的ということ(7) 情況への発言(一九八四年五月)中休みのうちに 情況への発言(一九八四年十一月)中休みをのばせ 情況への発言(一九八五年七月)中休みの自己増殖 情況への発言(一九八六年二月)雑多な音響批判 情況への発言(一九八六年十一月)海路の日和 情況への発言(一九八七年十二月)ひとの死、思想の死 情況への発言(一九八九年二月)《エチカの闘争》 情況への発言(一九九〇年三月)さまざまな応答 情況への発言(一九九一年五月)〈切実なもの〉とは何か 情況への発言(一九九二年五月)さまざまな死 情況への発言(一九九三年十二月)ひそかな経済工学 情況への発言(I)(一九九五年五月)徒党的発言の批判 情況への発言(II)(一九九五年五月)東北語と西南語の脱音現象について 情況への発言(一九九七年十二月) 直接購読者諸氏へ(一九九七年十二月) 新書版のためのあとがき1 新書版のためのあとがき2 新書版のためのあとがき3 解説 松岡祥男 注記等 ISBN 978-4862488251 洋泉社から2008年に刊行された『「情況への発言」全集成1:1962〜1975』、『「情況への発言」全集成2: 1976〜1983』、および『「情況への発言」全集成3:1984〜1997』の三巻を一冊に収録。
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1111 標題 吉本隆明「反原発」異論 掲載誌(紙・書)名 撃論 巻 3 号 OAKMOOK 398 掲載頁 30-37 掲載年月日 2011.11.18 区分 インタビュー キーワード 東日本大震災/福島第一原発/反・反原発論 見出し・語録 「原発が危険だからやめる」という考え方にはどう頭を捻っても同意できない。人類と動物を隔てるものこそ技術で あり、その進歩を放棄するならば、われわれ人類とは一体何者なのか。 反原発は文明の放棄だ/思想と技術は切り離すべき/原発で取り返した自信/放射能不安と経済不安を煽る脅迫者/ 技術の進歩とは?/自然エネ礼賛は反動思考/原子力行政のあり方 注記等 2011年8月末、東京、吉本氏自宅にて収録 聞き手:野中ツトム・清談社 「本駒込のお宅の玄関で、呼び鈴を押すと奥様が出てこられ、茶の間に案内された。しばらくして吉本先生が、「足 を楽にして下さい」と、私の慣れない正座を気遣いながら、静かに座椅子にに腰を下ろし、3・11以後の日本で 「脱原発」が、外敵の占領者然として、わがもの顔に世論と国策を牛耳る異様な事態について、とつとつと語り始め た。」 「インタビューから数日が経ち、私は文字の読めない吉本先生に原稿を確認してもらうため、再度本駒込の吉本邸を 訪ねた。原稿を朗読する私を眼光鋭くみつめる吉本先生の姿は鬼気迫るものだった。  吉本先生は私の原稿に対し、深々と謝意を述べ、「論壇誌をあなたが今後も続けていくならこれは覚えておきなさ い」と、自身がいかにエセ共産主義者と戦ってきたかを教えてくれた。」(編集後記)
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1111 標題 消費のなかの芸(初出)・上 叢書名 吉本隆明資料集 110 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 書評集 キーワード 大衆/情況 見出し・語録 消費のなかの芸・上 1かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』論。(『Cut』1991年3月号) 2「芸」としてみた中東戦争(『Cut』1991年5月号) 3黒澤明『夢』『八月の狂詩曲[ラプソディー]』など。(『Cut』1991年7月号) 4大川隆法『太陽の法』論。(『Cut』1991年9月号) 5Mr.ホーキング、出番です。(『Cut』1991年11月号) 6つげ義春『無能の人』その他。(『Cut』1992年1月号) 7『日本語の真相』って何?(『Cut』1992年3月号) 8『生死を超える』は面白い(『Cut』1992年5月号) 9『男流文学論』は女流ワイ談でしょ(『Cut』1992年7月号) 10上田紀行『スリランカの悪魔祓い』『トランスフォーメーション・ワークブック』(『Cut』1992年9月号) 11テレビ的事件(1)―『原理講論』の世界―(『Cut』1992年11月号) 12『国境の南、太陽の西』の眺め(『Cut』1993年1月号) 13テレビ的事件(2)―象徴になった婚約―(『Cut』1993年3月号) 14『磯野家の謎」東京サザエさん学会/編(『Cut』1993年5月号) 15大友克洋『AKIRA』1〜6(『Cut』1993年7月号) 16『マディソン郡の橋』はどうか(『Cut』1993年9月号) 17岩井克人『貨幣論』筑摩書房(『Cut』1993年11月号) 18筒井康隆『断筆宣言への軌跡』光文社―この本にかこつけて―(『Cut』1994年1月号) 19松浦理英子『親指Pの修業時代』上・下河出書房新社の読み方。(『Cut』1994年3月号) 20奥泉光『石の来歴』から『滝』へ。(『Cut』1994年5月号) 旧来の知識世界は壊滅状態にある(『あぐれ』1991年11月号) 編集ノート 注記 挿画 ハルノ宵子
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1111 標題 固有値としての自分のために 第1回 掲載誌(紙・書)名 Kototoi 号 1 掲載頁 24-45 掲載年月日 2011.11.30 区分 インタビュー キーワード 「荒地」/詩/詩作 見出し・語録 「荒地」との出会い/戦争体験の感受性/「荒地」と日本の詩の歴史/最近の詩作について/「戦後の第 四期」/現在の詩作の問題/固有値としての自分 注記 [収録日:2011.6.24]
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 1112 標題 吉本隆明氏ロングインタビュー:持続する思考、生きた言葉;『試行』創刊五十年、『完本 情況へ の発言』(洋泉社)刊行を機に 掲載誌(紙・書)名 週刊読書人 出版地 東京 掲載頁 1-2 掲載年月日 2011.12.9 区分 インタビュー 見出し・語録 安保闘争敗北のなかで:居場所を失った三人が集まる/物書きが天職/生きた雑誌とは/村上一郎さんの こと/今の情況への発言 「最近思うことがあるんですけれども、時代情況やその時の趨勢について、あるいは戦争について、一番 深く考えているのは、自分たちじゃないかと、若いときは思っていました。時代にどう対応するかという ことも考えていました。そういう諸々のことについて、もっとも考えをめぐらせているのは、自分たちだ と思っていたけれど、今考えると、反省点もあります。自己批判も含めて申しあげますと、若いときは、 駄目ですね。若いあいだに考えている問題は、架空の問題だというふうに言ったほうがいいと思います。 自分が歳をとってきたからいうわけじゃないですが、若さの主張というのは、一番深く考えていると思っ ていても、そうじゃないことがわかります。こういう申しあげ方でいっていること自体が、もしかしたら 間違っているかもしれない。でも、たとえ間違っていたとしても、大間違いすることはないと思っていま す。そういうことはしょっちゅう頭の中で考えていますから、そんなにひどい間違いはしない。それは自 分が体験したこととして、最後に申し上げておきたいと思います。」 注記
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 1112 標題 ハイ・イメージ論(『母型論』)8 叢書名 吉本隆明資料集 111 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 ハイ・イメージ論 キーワード 見出し・語録 ハイ・イメージ論8 ハイ・イメージ論1(通算62回)母型論(『マリ・クレール』1991年5月号) ハイ・イメージ論2(通算63回)連環論(『マリ・クレール』1991年6月号) ハイ・イメージ論3(通算64回)大洋論(『マリ・クレール』1991年7月号) ハイ・イメージ論4(通算65回)異常論(『マリ・クレール』1991年8月号) ハイ・イメージ論5(通算66回)病気論(I)(『マリ・クレール』1991年9月号) ハイ・イメージ論6(通算67回)病気論(II)(『マリ・クレール』1991年10月号) ハイ・イメージ論7(通算68回)語母論(『マリ・クレール』1991年11月号) 農業から見た現在(『修羅』同人主催・1991年11月10日中越高等学校会議室での講演・吉田惠吉主宰『高屋敷 の十字路』より) 孤独で華のある軌道を歩み、知識の生きるべき帯域を示す(『清水幾太郎著作集』講談社内容見本1992年春) 究極の左翼性とは何か――吉本批判への反批判(1987年9月13日「いま、吉本隆明25時」での講演) 編集ノート 注記 挿画 ハルノ宵子

「吉本隆明2011年著作リスト」/kyoshi@tym.fitweb.or.jp 2012.08.12