吉本隆明2006年著作リスト


*ページ内を検索する(Firefox1.5〜、Netscape Navigator4.0/4.0.6〜)


刊行形態 Magazine Article
著者 吉本隆明
刊行年月 0601
標題 自作を語る 第6回『言語にとって美とはなにか』
掲載誌(紙・書)名 SIGHT(「ロッキング・オン・ジャパン」1月増刊号、第20巻第1号 
通巻第289号)
巻 26
号 Winter
掲載頁 148-153
掲載年月日 2006.1.4
区分 インタビュー
見出し・語録 小林秀雄と江藤淳/『資本論』からえた着想/言語論から言語表現論へ/“還相”か
らの文芸批評
「どうせ文芸批評をやるなら小林秀雄を超えたいという願望があった。――そこで、言語論から言
語表現論へ行く以外ないだろうって僕は考えたんです」
「マルクスの『資本論』をもとにしてやろうってところから『言語にとって美とはなにか』は始ま
ったんです」
「本音を言えば、詩の挫折感の延長線という消極的な意味合いが消えない」
注記等 インタビュー・撮影=渋谷陽一

刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0601 標題 書物の解体学【中】(初出) 掲載誌(紙・書)名 吉本隆明資料集 52 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 作家論 キーワード ミシェル・レリス/ヘンリー・ミラー/バシュラール 見出し・語録 書物の解体学【中】 第9回 ミシェル・レリスと性・母・資質 第10回 ミシェル・レリスと〈聖〉の概念 第11回 ヘンリー・ミラーと〈初期〉 第12回 ヘンリー・ミラーと〈虚無〉 第13回 ヘンリー・ミラーと〈社会〉 第14回 ヘンリー・ミラーと〈論理〉 第15回 バシュラールと〈物質〉 第16回 バシュラールと〈想像力〉 詩のゆくえ(『現代史手帖』1972年5月号) 編集ノート 注記等 「書物の解体学【中】」は、雑誌「海」の1972年9月号から1973年4月号に掲載されたも のです。 装画 ハルノ宵子
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0601 標題 詩学叙説 出版社 思潮社 出版地 東京 区分 詩論 キーワード 近代詩/現代詩/表現様式/価値 見出し・語録 I 詩学叙説――七・五調の喪失と日本近代詩の百年 詩学叙説・続――初期象徴詩の問題 II 新体詩まで 日本近代詩の源流 表現転位論 I ――詩人論序説4 表現転位論 II ――詩人論序説5 現代詩の問題 「四季」派の本質――三好達治を中心に 戦争中の現代詩――ある典型たち 近代精神の詩的展開 あとがき 注記等 初出一覧 I 詩学叙説――七・五調の喪失と日本近代詩の百年(「文学界」2001年2月号) 詩学叙説・続――初期象徴詩の問題(「現代詩手帖」2004年2月号) II 新体詩まで(「季刊藝術」5号1968年4月号) 日本近代詩の源流(「現代詩」1957年9月号〜1958年2月号) 表現転位論 I ――詩人論序説4(「現代詩手帖」1960年5月号) 表現転位論 II ――詩人論序説5(「現代詩手帖」1960年11月号) 現代詩の問題(「講座現代詩第1巻」1956年11月15日 飯塚書店) 「四季」派の本質――三好達治を中心に(「文学」1958年4月号) 戦争中の現代詩――ある典型たち(「国文学解釈と鑑賞」1959年7月特集増大号) 近代精神の詩的展開(「近代文学鑑賞講座第23巻 近代詩」1962年4月5日 角川書店) ISBN4-7837-1630-7
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 0601 標題 秋山清賛 掲載誌(紙・書)名 「秋山清著作集」内容見本 出版社 ぱる出版 出版地 東京 区分 推薦文 見出し・語録  木材新聞を発行していた戦後の秋山清が木材のエキスパートであることは、よく承知していた。だ が、年少のわたしなどとの会話では草花の話とか竹久夢二の風俗画の話とかが、よく語られた。いづ れも日本国と日本の詩人や作家の豹変ぶりのずる賢さに絶望感をみなぎらせていた戦中派くずれの若 者には優しすぎる話題だった。だが、たしか、長谷川龍生が最初に東京にもたらした秋山清の詩「白 い花」を讀んで、ああこんな嘘のない真っ当な抵抗詩を戦争期に書き記していた詩人がいたんだと知 って、大げさにいえば、生きて行けると納得された。その詩のなかのヒメエゾコザクラという極北の 島に咲いていたと秋山清が記している草花と、その詩人の名は、誰がどう言おうと、わたしのなかで 不朽のものになった。  今度秋山清の全貌をうかがえる機会がやって来たと知って、真っ先にもと、取るものも取りあえず 馳せ参じた次第だ。
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 0601 標題 わたしの毛利ユリ 掲載誌(紙・書)名 黒色●虚彩:anachro anarchy;’55毛利ユリ〜’05榑松栄次 出版社 ひくまの出版 出版地 浜松 掲載頁 5 区分 献辞 キーワード 毛利ユリ/「批評運動」/花田清輝/鶴岡政男
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0602 標題 『もう一度』はだめ、暗たんたる状況 掲載誌(紙・書)名 京都新聞(夕刊) 出版地 京都 掲載頁 7 掲載年月日 2006.2.4 区分 コメント キーワード 全共闘運動 見出し・語録  「全共闘運動は、もともと教育改革の欲求から始まったと思います。  敗戦後、大学の教授たちは、軍隊での体験や、教育についてどう考えたのかということを何も明ら かにせず、戦前とちっとも変わらず教壇に立っていた。それが日本の戦後の問題、そこをはっきりさ せようじゃないかというのが始まりだった。  東大安田講堂のバリケードに対して、進歩的といわれている先生たちが「(全共闘のやり方は)ナ チスと同じだ」と警官を導入した時、運動の意味がはっきりしましたね。そこで教育改革という目標 を明瞭(めいりょう)に定めれば、それなりの勝ち目があったかもしれない。  だが、党派的なものも入って、漫然たる学生政治運動になり、闘志だった人たちはこれ以上拡散し ようがないくらい、社会そのものの中に散らばっちゃった。いい意味でいえば、戦前からある狭い党 派性や転向概念をみんな壊したわけです。  「夢よもう一度」という発想は全然だめです。徒党を組んで世の中は変わるわけがないし、今は、 一人一人が人間社会にとっての理想を考え、構想をもち続ける以外に道がないくらい、暗たんたる状 況だと思います。」 注記等 取材に関わる書誌的な付記が無く、新聞社の単独取材か通信社の配信記事かは不明。
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0603 標題 詞人と詩人 掲載誌(紙・書)名 広告批評 号 302 掲載頁 66-69 掲載年月日 2006.3.1 区分 詩論 キーワード 詩人/宮沢賢治/詞人/一青窈/原田郁子/サンボマスター 見出し・語録 「いいかえれば、これらの詞人たちは、、いつでも言葉と音符のあいだで、たえず相互転換を試みて いるにちがいない。「詩人」に慣れているわたしには、このことが驚きだった。  「詩人」たちだって日本の言葉と中国語や欧米の言葉との相互転換の試みならやっている。」
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0603 標題 家族のゆくえ 出版社 光文社 出版地 東京 区分 家族論 見出し・語録 序 章 家族論の場所  「家庭の幸福は諸悪のもと」  〈対幻想〉としての家族  家族の基本的な構図  思い出のなかの家族  「生涯出生率の低下」を読み解く     第1章 母と子の親和力[乳幼児期]  母親のこころが刷り込まれる  漱石、太宰、三島の「こころの傷」  日本的育児の大切さ  性格形成の大部分は幼児期までに終わる  内省的な「自己慰安」が芸術の本源  考える人が過半数を占めれば、世界は変わる  胎児・早期教育は大きな間違い          第2章 「遊び」が生活のすべてである[少年少女期]  柳田国男の設定した「軒遊び」の時期  遊びが生活のすべてである  子供といっしょに楽しむ  良い幼稚園の条件  子育ての勘どころは二か所のみ  少年少女の事件は親の問題  徹底的に付きあうほか道はない  「プロ教師」には「人格」が見えない  「いい先生」である必要はない          第3章 性の情操が入ってくる[前思春期・思春期]  前思春期と性の芽ばえ  倭建命と折口信夫の関係  漱石の『こころ』をどう読むか  「怖い親父」が登場してももう遅い  父のゲンコツ・母のコツン  「子育ての節約」はありうる  ルソーの「性の躓き」  「性」が本格的に身心に入り込む  性教育などしないこと          第4章 変容する男女関係[成人期]  いつでも「親の世代」に変わりうる時期  広がってきた「性の領域」  フーコーの同性愛理念  マルクスとシュンペーターの考え  家庭内暴力・家族犯罪の凶悪化  森鴎外の作品「半日」の主題  漱石夫人に「殺意」はあったか  いまよりも「女性優位」だった時代  女性はほんとうに解放されたか  「二児制」と絵馬  「性愛」と「家族愛」の矛盾  「民営化」問題など簡単な話  わが家は後進的かもしれない  地域の差は種族の差を超える          第5章 老いとはなにか[老年期]  身体への本格的な関心  老齢は「衰退」を意味するだけではない  西欧の偉人たち嘆き  「考えていること」と「じっさいの運動」の距離  七十九歳以降の老齢実感  生涯の本質          補 註 対幻想論(「共同幻想論」改訂新版より転載) あとがき 注記等 ISBN4-334-97495-3
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0603 標題 詩とはなにか:世界を凍らせる言葉 叢書名 詩の森文庫C06 出版社 思潮社 出版地 東京 区分 詩論 キーワード 詩/現代詩/音律/韻律/喩/言葉 見出し・語録 詩とはなにか 現代詩のむつかしさ 音律と韻律――詩人論序説2 喩法論――詩人論序説3 なぜ書くか 言葉の根源について 詩魂の起源 詩について 解説 “なぜ書くか”――鳴動しつづける表現論  添田馨 吉本隆明詩論ガイド――読書案内 注記等 ISBN4-7837-1706-0 初出一覧 詩とはなにか(「詩学」1961年7月号) 現代詩のむつかしさ(「新刊ニュース」1959年9月) 音律と韻律――詩人論序説2(「現代詩手帖」1960年1月号) 喩法論――詩人論序説3(「現代詩手帖」1960年3月号) なぜ書くか(『われらの文学22 江藤淳 吉本隆明』1966年11月15日 講談社) 言葉の根源について(「海」1971年1月号) 詩魂の起源(「現代詩手帖」1987年1月号) 詩について(「無限ポエトリー」3号 1978年8月1日)
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0603 標題 書物の解体学【下】(初出) 叢書名 吉本隆明資料集 53 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 作家論 キーワード ユング/ヘルダーリン/バタイユ 見出し・語録 書物の解体学【下】 第17回 ユングの〈夢〉はあたるか 第18回 ユングの〈夢〉はあたるか(続) 第19回 ユングと〈神話〉 第20回 ユングと〈神話〉(続) 第21回 ヘルダーリンと〈神話〉〈自然〉〈愛〉     第22回 ヘルダーリンと〈頌〉 第23回 バタイユへの〈序〉 第24回 バタイユと〈近親相姦〉 遠い国・遙かな人(「新刊ニュース」1975年6月号) 編集ノート 注記等 「書物の解体学【下】」は、雑誌「海」の1973年5月号から1973年12月号に掲載されたも のです。 装画 ハルノ宵子
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0603 標題 カール・マルクス 叢書名 光文社文庫 出版社 光文社 出版地 東京 区分 思想家論 キーワード カール・マルクス 見出し・語録  二十一世紀のマルクス:文庫版のための序文 カール・マルクス  マルクス紀行  マルクス伝   プロローグ   1 デモクリットの哲学とエピクールの哲学   2 マルクス思想の形成   3 マルクス思想の体験と転回   4 晩節について  マルクス年譜ノート  ある感想 カール・マルクス小影 ラムボオ若しくはカール・マルクスの方法についての諸註  解説 マルクスの「三位一体」 中沢新一 注記等 ISBN4-334-74042-1 初出一覧 「マルクス紀行」『図書新聞』(1964年7月18日号〜8月29日号)に「マルクス紀行――幻想性の 考察から『詩的』と『非詩的』の逆立」の題で7回連載。以後、『カール・マルクス』(1966年、試 行出版部刊)、『吉本隆明全著作集12 思想家論』(1969年、勁草書房刊)、『吉本隆明全集撰4  思想家』(1987年、大和書房刊)に収録 「マルクス伝」『20世紀を動かした人々1 世界の知識人』(1964年、講談社刊)の「カール・マル クス」の項を書き下ろし。以後、『カール・マルクス』(1966年、試行出版部刊)に「マルクス伝」 と改題して収録。『吉本隆明全著作集12 思想家論』、『吉本隆明全集撰4 思想家』にも収録。 「マルクス年譜ノート」上の書下ろし論考「カール・マルクス」の執筆補助用に「伝記執筆のための年 譜ノート」を作成。試行出版部からの『カール・マルクス』単行本化にあたり、年譜部分のみ抜粋して 掲載。以後、『吉本隆明全著作集12 思想家論』、『吉本隆明全集撰4 思想家』にも収録。 「ある感想」『カール・マルクス』(試行出版部刊)に「あとがき」として執筆。 「カール・マルクス小影」初期作品集『初期ノート』(1964年、試行出版部刊)の「箴言I」に収録。 「箴言I」は「覚書I」「箴言II」とともに、東京工業大学特別研究生2年目の1950年3〜4月頃に執筆。 「ラムボオ若しくはカール・マルクスの方法についての諸註」大阪の詩誌『詩文化』13号(1949年8 月、不二書房刊)に発表。以後、『擬制の終焉』(1962年、現代思潮社刊)、『吉本隆明全著作集5  文学論II』(1970年、勁草書房刊)に収録。箴言
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 著者 辺見 庸 刊行年月 0603 標題 夜と女と毛沢東 叢書名 光文社文庫 出版社 光文社 出版地 東京 区分 対談 キーワード 見出し・語録 序にかえて 辺見 庸 毛沢東/夜/女/身体と言語 対談を終えて 吉本隆明 解説 低く、深く、強いこと 勢古浩爾 注記等 ISBN4-334-74043-X 初出一覧 毛沢東   本の話(文藝春秋発行) 1995年7月号  夜    サントリークォータリー(サントリー株式会社発行) 1995年冬号  女    クレア(文藝春秋発行) 1996年4月号 身体と言語 文学界(文藝春秋発行) 1997年3月号 単行本 1997年6月 文藝春秋刊 文庫本 2000年7月 文春文庫
刊行形態 Audiovisual Material 著者 吉本隆明 刊行年月 0603 標題 吉本隆明全講演ライブ集 第12巻  ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る、その他 出版社 弓立社 出版地 東京 形式 CD 区分 講演 キーワード 消費資本主義社会/高次産業社会/日本経済 見出し・語録 CD−067 ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る I 71:30  ボードリヤール講演:世紀末のカウント・ダウン  司会/カウントダウン 現実の過剰とユートピアの喪失 (1)11:16  欲望の充足と現実世界からの追放 (2)3:13  アクティング・アウト (3)6:54  「歴史の終わり」という幻想 (4)7:27  〈悪〉の透明化 (5)8:56  〈他者性〉の喪失 (6)6:01  人工的な〈他者〉の生産 (7)5:48  他者をもたない主体 (8)3:03  吉本隆明講演:消費が問いかけるもの  司会/消費資本主義社会とは (9)6:32  潜在的な権力は大衆の手に (10)4:15  リコール権を明文化する (11)1:51  レーニンができなかったこと (12)3:22  憲法第9条 (13)2:45 CD−068 ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る II 74:09  日本の社会の特徴 (1)2:14  「死」にいたる三つの条件 (2)3:59  「死後」の社会をイメージする (3)3:29  消費がいまの社会を解く鍵 (4)5:00  好景気と不況を測るものさし (5)4:53  親鸞の「死」の見方 (6)3:24  「死」の場所から見えるもの (7)6:00  対論 ボードリヤール×吉本隆明  消費者会の〈死〉と「死後の世界」 (8)14:58  経済的リコール権の行使 (9)15:09  日本の〈特異性〉をめぐって (10)14:59 CD−069 ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る III       高次産業社会の構図              67:33  日本の〈特異性〉をめぐって 続き (1)5:27  会場からの質問に応えて (2)6:18  美の問題 (3)5:07  高次産業社会の構図 I  司会・挨拶 (4)8:25  一 日本の高次産業社会のイメージ (5)9:30     現在を象徴するもの (6)14:29     第一次産業の問題 (7)7:43  二 何が問題なのか (8)10:30 CD−070 高次産業社会の構図 II 60:40     問題点のデータ(1)7:52     第二次産業、第三次産業、第四次産業 (2)10:26     第三次産業の本質 (3) 13:52     高次産業社会はいい社会か (4)8:53  三 私の立場−−「脱」という立場 (5)19:34 CD−071 日本の経済を考える I  1 経済学は支配の学 (1)4:29  2 円高ドル安の問題 (2)9:49  3 大多数は景気がよくない (3)8:51  4 知ることが重要 (4)7:10  5 農業問題 (5)8:57  6 農業問題の本当に重要なこと (6)17:02 CD−072 日本の経済を考える II 67:15  7 問題は何か (1)12:02  8 質疑応答 (2)19:36  9 質疑応答 (3)10:11  9 質疑応答 (4)24:26  9 質疑応答 (5)0:58 添付冊子「12ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る、その他」目次  ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る:あるいは消費者会の行方について(1995年2月19日 (日)、紀伊国屋書店主催、於、新宿・紀伊国屋ホール、第75回紀伊国屋セミナー「ジャン・ボー ドリヤール来日記念講演会」での講演と対論。司会・通訳=塚原史。紀伊国屋書店刊『ボードリヤー ル×吉本隆明 世紀末を語る』(1995・6・30刊)所収。テープと本よりの再録を許可されたボー ドリヤール氏・塚原史氏と紀伊国屋書店に感謝いたします。) ●ボードリヤール講演:世紀末のカウント・ダウン ●吉本隆明講演:消費が問いかけるもの ●対論 ボードリヤール×吉本隆明 ●会場からの質問に応えて――――ボードリヤール 高次産業社会の構図(1989年10月5日、石川文化事業財団/主婦の友社主催、ヴォーリズフォー ラム '89「1990年代のパラダイム 成熟社会のターニングポイント」での講演、於、お茶の水ス クエア・ヴォーリズホール、未発表、文責、弓立社) 日本経済を考える(1988年3月12日、東京都墨田区立寺島図書館主催、於、同図書館視聴覚室。 未発表、文責、弓立社) [連載] 吉田純が撮った吉本隆明 NO12/口絵 1986.11.23(表紙共に) ボードリヤール×吉本隆明対論秘話 塚原 史 訂正 現状報告 全巻目次 アンケートのお願い 注記等 ISBN4-8123-0704-X 「訂正 『第11卷 都市論としての福岡、その他』に収録した「像としての都市」を未収録としまし たが、既収録でした。『感性都市への予感――8つのパラダイム』NKK都市総合研究所編、発行ぎ ょうせい(1992・6・8)所収の「像としての都市――四つの都市イメージをめぐって」が初出です。 8人の連続講演会「アーバンコンファレンス21」のひとつで、他は藤森照信、荒俣宏、中村桂子など。 場所は東京・大手町のNKK本社ビル。  主催も日本鋼管ではなくNKK都市総合研究所です。これは参加したし本も出たときに入手した記 憶があるのですが、すっかり忘れていました。刊行後、ほんのチラシが出てきて気がつきました。  また、ご指摘をいただいた久保田仁さんに感謝します。久保田さんは、独力で、1960年代からの 見事な「吉本隆明講演リスト」を作っています。いくつも知らない講演を発見し、後を追いかけるよ うに探したりしています。吉本さんの〈永井荷風論〉を見つけたりして、刺激的です。(以下略)」 (宮下和夫)
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0604 標題 自作を語る 第7回『共同幻想論』 掲載誌(紙・書)名 SIGHT(「ロッキング・オン・ジャパン」4月増刊号、第20巻第6号  通巻第294号) 巻 27 号 Spring 掲載頁 142-147 掲載年月日 2006.4.4 区分 インタビュー 見出し・語録 “国家”という共同幻想/“死”という共同幻想/呪縛からの解放/対幻想の独創性 「戦中派として、僕は国家というものに一度挫折していますから。どこかに屈折を設けないと国家 や民族の問題は扱えないんです」 「伝説や神話だけからではなく、いろんな角度から天皇制をはっきりさせなくてはという気持ちが あった」 「家族という対幻想には、国家や個人と同等の重さがある」 注記等 インタビュー・撮影=渋谷陽一
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0604 標題 聞書・親鸞(初出) 叢書名 吉本隆明資料集 54 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 親鸞論 キーワード 親鸞 見出し・語録 聞書・親鸞11 最後の親鸞1(『春秋』1974年1月号) 聞書・親鸞12 最後の親鸞2(『春秋』1974年2・3月合併号) 聞書・親鸞13 和讃 その源流 I(『春秋』1974年7・8月合併号) 聞書・親鸞14 和讃 その源流 II(『春秋』1974年11月号) 聞書・親鸞15 和讃 親鸞和讃の特異性(『春秋』1975年8・9月合併号) 聞書・親鸞16 親鸞伝説(『春秋』1976年5月号) ある親鸞(『伝統と現代』第39号・1976年5月) ジャパネスク(『遊』秋の臨時増刊号1981年11月4日発行) 親鸞の十八願(『エッセイで楽しむ日本の歴史 上』1993年11月1日所収) 現代語訳親鸞著作(抄) 吉本隆明訳(『思想読本 親鸞』1982年4月所収) 編集ノート 注記等 装画 ハルノ宵子
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 0604 標題 「理想」の可能性 掲載誌(紙・書)名 人生へんろ:「いま」を生きる30の知恵 編集 講談社『週刊 四国遍路の旅』編集部 出版社 講談社 出版地 東京 掲載頁 62-69 区分 インタビュー キーワード 自由/死生観/人間力 見出し・語録 西伊豆の海岸で死に損なった。死は「ポツン」としたものだった/60年僕は少なくとも 学生と一緒に最前線にいた/才能なんて意味がない。人間力で判断したい 注記等 初出 『週刊 四国遍路の旅』(2005年8月4日号 講談社)
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 大山誠一(聞き手) 刊行年月 0604 標題 歴史の「事実」をめぐって 掲載誌(紙・書)名 アリーナ2006 号 3 掲載頁 11-21 掲載年月日 2006.4.18 区分 インタビュー キーワード 歴史 見出し・語録 「学問を積むために盛んに書物を読んだり、考えたり、論証したりっていうのは要するに親鸞のいう往相 還相の往相に該当するんだっていうのが僕の考えです。」 「古事記や日本書紀は、初期の天皇のことはあんまりいいたくないから、はじめっから神武天皇って男が いて、っていうふうになってるけど、本当はあとからつくったもんですね。」 「日本人を構成していく人種っていうのは三つか二つぐらいだとおもいます。曖昧にしか言わないほうが いいかも知れませんけれど、そうだと思いますね。」 「大体、親鸞というのは、世親の親と曇鸞の鸞を一字ずつとっているわけでしょう。大いに自信があるこ とを意味していますよ。」 「あまり人は言わないけど、要するに、何かをやろうと意識する、それと身体を動かしてやるということ の間に分離ができるというのが人間なんですよ。」 注記等 2005年3月7日、吉本隆明氏宅にて 「実は、ここで活字にしたのは、インタビューの前半にあたる部分で、本当は、まだ長く続いたのである が、残念ながらテープの不調で復元することはできなかった。そこでは、ホリエモンの話や雅子妃を中心 とする皇室について、あるいは吉本さんが考案したという『人間力』という言葉など興味深い話が続いた のであるが、記憶だけでは復元は難しく、誠に残念なことであった。」(大山誠一「吉本隆明邸訪問記」 より)
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 著者 芹沢俊介 著者 菅瀬融爾 著者 今津芳文 刊行年月 0605 標題 還りのことば:吉本隆明と親鸞という主題 出版社 雲母書房 出版地 東京 区分 宗教論 キーワード 親鸞 見出し・語録 まえがき 吉本隆明 I 吉本隆明に聞く (1)還相の視座から 聞き手・菅瀬融爾 今津芳文(2003年12月 吉本隆明宅にて) 中沢新一の〈宗教考古学〉と吉本隆明の〈アフリカ的段階〉/学問としての宗教体験/手でかんがえる/ 気功のこと/客観性を排除した親鸞/聖地の観光化と精神の依存症/自然信仰の理論化/宗教とは何か/ 未開野蛮の時代と〈死〉/法律や国家の危うさ/欧米的「世界はひとつ」ということの傲慢さ/世界性の あり方/自分の〈内〉の問題、〈外〉の問題/〈存在倫理〉の設定/フランスのナショナリズム/親鸞の 布教姿勢 (2)〈空隙〉より出づる言葉 聞き手・芹沢俊介 菅瀬融爾 今津芳文(2005年1月 吉本隆明宅にて) 山崎龍明の吉本批判/宗教と倫理/犯罪の思想的必然性/法律家への懐疑/親鸞教徒の使命/時代の加速 /思考の放棄=動物生への回帰/消費資本主義社会の高度化/シュンペーターのマルクス批判と〈人間力〉 /価値浮遊と個人化の時代/〈人間力〉について/〈自己としての自己〉と〈社会的自己〉/フーコーの 〈自己への配慮〉/否定の連鎖/最後の問題としての〈存在倫理〉/〈存在倫理〉とウィニコットの〈being〉 II 論考 吉本隆明〈存在倫理〉をめぐって 芹沢俊介 「正定義」をめぐる断章〜主に吉本隆明の親鸞論から 今津芳文 已然形の親鸞 菅瀬融爾 あとがき 今津芳文 注記等 ISBN4-87672-194-7
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0605 標題 読書の方法:なにを、どう読むか 叢書名 知恵の森文庫 出版社 光文社 出版地 東京 区分 読書論 キーワード 読書/本/書物 見出し・語録 第1章 なにに向って読むのか “読書原論” なにに向かって読むのか(「文京区立図書館報」50号 1972/3/30) 読書について(「新刊ニュース」1960/4 トーハン) 読むことの愉しみ(「八重洲LETTER」第12号 1993/9/15 八重洲ブックセンター) 本に向かって(いつもそばに、本が「朝日新聞」 1999/11/7) <インタビュー>いま活字は衰退しているか(「サピオ」文・高橋肇 1992/12/10 小学館) 書物の評価(「出版ダイジェスト」 1997/11/1 出版梓会) 「書評」を書く難しさ(「リテレール3」 1992/1 メタローグ) <インタビュー>戦後思想界の巨人の頭脳が映し出された書棚(『本棚の本』 1987/12 アスペクト) いずれ物書き自身を廃棄処分にする時代がくるだろう(『私の「本」整理術』 1994/8/10 メタローグ) <対談>吉本隆明・中沢新一 消滅に向かう世界のなかで、「現在」を読みとくための読書論(「マリ・ク レール」 1988/8 中央公論社) 第2章 どう読んできたか “読書体験論” 本を読まなかった(「思想の科学」 1979/4 思想の科学社)  読書とは、書物からの知識を得ることより、一種の精神病理だ・・・わが生涯の愛読書(「リテレール3」  1992/12/1 メタローグ) 思い出の本(「週刊文春」 1992/9/10 文芸春秋) 国語の教科書(「月刊国語教育」 1986/10 東京法令出版) 百人一首の遊び(「短歌研究」 1993/1 短歌研究社) 書くことで自意識の拡がりを充たした日々(「リテレール8」 1994/3/1 メタローグ) <インタビュー>詩について(『なぜ「作家」なのか』インタビュー・安原顕 1994/3/1 講談社) 近代詩の歩み(『現代詩文庫』近代詩人篇・パンフレット 思潮社) <インタビュー>東京の本100冊(「クレア」構成・谷津晶子 1994/4 文藝春秋) ある履歴(「日本読書新聞」 1960/8/15 日本出版協会) <インタビュー>批評と学問=西欧近代化をどうとらえるか(『学問のすすめ』聞き手・三浦雅士 1981/6/8  青土社) 第3章 なにを読んだか、なにを読むか “読書対象論” ノン・ジャンル ベスト120(『読書の快楽』 1985/12/10 角川書店) わが古典 太宰治「黄金風景」(「リテレール5」 1993/6/1 メタローグ) 短編小説ベスト3 作者の資質の根をあらわにした短編(「リテレール7」 1993/12/1 メタローグ) 思想書ベスト10 人に読んでもらいたいオーソドックスな十冊(「リテレール2」 1992/9/1 メタローグ) 思想書(日本)ベスト50 絶望的かつ楽天的な、日本の思想書(「リテレール別冊」 1993/4/1 メタローグ) 「ナショナリズム」の書(現代日本思想大系・第四巻「ナショナリズム」編集・解説 1964/6/15 筑摩書房) 「国家の思想」の書(戦後日本思想大系・第5巻「国家の思想」編集・解説 1969/9/10 筑摩書房) 文学者への言葉(全集・選集、パンフレット推薦文) 「太宰治全集(1975年、筑摩書房)」「横光利一全集(1981年、河出書房新社)」「山室静著作集(1972年、 冬樹社)」「奥野健男文学論集(1976年、泰流社)」「鮎川信夫著作集(1973年、思潮社)」「高村光太郎選集 (1981年、春秋社)」『埴谷雄高評論集(未来社)」「島尾敏雄全集(1980年、晶文社)」「大原富枝全集(1 995年、小沢書店)」 わたしの好きな文庫本ベスト5(「リテレール別冊7」 1994/3/25 メタローグ) ’93単行本・ベスト3(「リテレール別冊4」 1993/12/1 メタローグ) ’94単行本・ベスト3(「リテレール別冊7」 1994/12/1 メタローグ) 「戦後詩を読む」(「現代詩手帖」 1978/10 思潮社) 30人への3つの質問(『われらの文学』内容見本 1965/11 講談社) <対談>吉本隆明・荒俣宏 恋愛小説の新しい効用(「マリ・クレール」 1990/2 中央公論社) あとがき 本文に登場する主要な著作、著作者索引 初出一覧 解説 還相の方位 齋藤愼爾 注記等 ISBN4-334-78421-6
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0605 標題 〈戦後〉経済の思想的批判・初期歌謡 叢書名 吉本隆明資料集 55 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 見出し・語録 詩について(*『京浜詩』第59号(昭和41年12月10日)より、本書のために加筆訂正し、収録。『宮城賢詩集』 国文社 1972年5月) 〈戦後〉経済の思想的批判(『自立と日常』共産主義社同盟叛旗編集委員会発行 1974年6月)  I 強インフレの世界的背景  II 高度成長と経済共同体概念  III 構革論とさまよえる農業問題  IV 市民的消費者運動の陥穽 おびえながら放たれてくる微光(『小川国夫作品集』河出書房新社 内容見本 1974年10月) 初期歌謡(『和歌の本質と展開』桜楓社 1975年5月15日発行、所収)  I、前提  II、手続きについて  III、初期歌謡の類別  IV、〈初期歌謡〉の祖形  V、初期短歌謡 吉本隆明“謎の私生活”その全貌 赤ん坊を背負って台所に立つ意外な素顔(『平凡パンチ』1971年2月8日号) 編集ノート 注記等 装画 ハルノ宵子
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0605 標題 老いの超え方 出版社 朝日新聞社 出版地 東京 区分 老体論 キーワード 老い/老齢/身体/死 見出し・語録 吉本隆明 日々の体操と道具 第一部 身体 一問一答 その一 身体篇 身体について/身体をとりまく嗜好 〈第一章〉 身体 生きた心地がしない感じがする・・・/老人というのは「超人間」と言ったほうがいい・・・/自己としての自己 と社会的な自己は分離しないと駄目だと思う/ホルモンのバランスが崩れた場合に人間はどうなっていくか/性欲 は精神的な要素と身体的な要素の両方を統合したもの/意識することと行動することを自分の中で分離してあれば いい 〈第二章〉 精神 不断の持続性が欠けているとやはり衰える/自分で腰をあげる必要がなければ、なかなか腰を上げるまでにはいか ない/定年後三十年も生きるかもしれないので、何かしなくてはいけない/反省力というのが若い時より増大して いる 〈第三章〉 生活 いざ歩き出すには、歩こうと意識してから時間的にも大きな隔たりがある/片方を多く食べたら片方を遠慮すると いうのは、全然意味がない/これはまいったというところから始まる/そこまで行くべきだろうし、そこまで行っ たらたいしたもの/目が覚めてしまうとどうするかというのが問題/腰が痛いというのは、半分は精神的な要素で はないか 〈第四章〉 環境 自宅は、気を遣うことはほとんどないという精神的自由さがある/そのことが一番重要なら、そのことに一番近い ことで解決すればいい/病院は一般社会の中にある真空の場所みたいなもの/言うことはないほど理想的ないいも のだと思う 語録集 その一…身体篇 第二部 社会 一問一答 その二 社会篇 人生を語る 〈第一章〉 仕事 どんなつまらないことでも張り合いがあればいい/老人の精神は非常に忙しく動いている 〈第二章〉 社会 一番いいのは余計なことは言わなくてもいいから、金だけ出してくれるというものです/代償を求めずに金をだす。 そこまできたら、民族国家を超えられる/いいことをしているという意識が加わったら、これは嫌ですよ。むしろ 構わないでくれと言いたくなる/可能意識をもつことは、社会的人間としては非常に重要なこと 語録集 その二…社会篇 第三部 思想 一問一答 その三 思想篇 癒しの事物/人物/書物 〈第一章〉 宗教 宗教的なものというのは、非常に大きな考察の場だと思っています/日本では、宗教より孫子三代同居のほうが救 いになる/寂しさ、衰えと死は別問題 〈第二章〉 文学 老人というのは何なんだ。言い尽くしたいけれど、言い尽くせない/徹底してやらなければ、老人問題の全部を覆 うことはできない 〈第三章〉 政治 何か制約があって、老人の自由度が抑圧に代わってしまう/生態学的に考えてうまく処理できることが科学の役目 だと思っていたら、それはちょっと違う 語録集 その三…思想篇 第四部 死 一問一答 その四 死篇 いろいろな死 〈第一章〉 見方 生まれてから死ぬまで全部を照らして見ることができる場所に死がある/医学的な死と肉親の情感の温度差が、死 の判定のずれになっていく/どんなことを言っても、死については野次馬的にしか言えない 〈第二章〉 対処 同行二人、一人で喜ぶは二人と思え/死後のことは考えなくてもいい/科学というのは一番新しい宗教 語録集 その四…死篇 あとがき 吉本隆明略年譜 注記等 ISBN4-02-250188-X 「一問一答」および章立ての部分はインタビューで、聞き手は佐藤信也(ライフサポート社)。 「語録集」は『老いの流儀』、『薪・死の位相学』、『幸福論』、『中学生のための社会科』、『悪人正機』、 『時代病』、『吉本隆明「食」を語る』などの過去の著作からの引用文。
刊行形態 Audiovisual Material 刊行形態 吉本隆明 刊行年月 0606 標題 吉本隆明全講演ライブ集 第13巻 古典論 出版社 弓立社 出版地 東京 形式 CD 区分 講演 キーワード 源実朝/源氏物語 見出し・語録 CD−073 実朝論 I 77:34  一  文学としての生き方・死に方 (1)19:21  なぜ古典詩人論に固執するのか (2)14:32  古典が蘇った (3)23:54  二  幕府の棟梁としての実朝 (4)4:45  鎌倉幕府と王権の関係 (5)15:01 CD−074 実朝論 II 68:25  日本独特な政治的権力のあり方 (1)18:11  実朝が象徴している問題 (2)35:47  実朝の公的な意味あい (3)14:26 CD−075 実朝論 III 70:38  三  詩人としての実朝 (1)12:33  実朝の詩の基盤 (2)20:22  藤原定家が教えたこと (3)20:18  四  実朝の短歌は何から影響を受けたか (4)17:24 CD−076 実朝論 IV 60:38  影響を受けた時代性 (1)3:59  実朝の自然詠 (2)13:02  すぐれた作品の例 (3)14:39  実朝の詩の最後の問題 (4)28:56 CD−077 実朝論 V/『源氏物語』と現代 I 71:34  実朝論  五  実朝の晩年 (1)22:39  『源氏物語』と現代 I  一 どの訳本を読むか (2)11:34    具体的に訳本を比べる (3)8:40    微細な心理の匂いをどう訳すか (4)10:37    与謝野晶子訳がいい (5)12:33  二 どう読むか (6)5:28 CD−078 『源氏物語』と現代 II 74:26    物語の書き方 (1)11:37    作者と作品のなかの語り手の分離 (2)4:24    『源氏物語』を現代風に読む (3)10:51  三 作中の人々(4)3:38    内面描写の例 (5)8:53    『源氏物語』の背景 (6)11:13    女性文化の興隆期 (7)9:05    よく涙を流す登場人物 (8)14:43 添付冊子「13古典論」目次 実朝論――詩人の生と死をめぐって(1969年6月5日・12日、筑摩書房主催、筑摩総合大学公開講座、 場所、新宿・紀伊國屋ホール、「展望」1969年9月号掲載、『敗北の構造』(弓立社、1972年12月 15日刊)所収)/詩的年譜 『源氏物語」と現代――作者の無意識(1983年3月5日、山梨県石和町教育委員会主催、石和町婦人 教室、『白熱化した言葉』(思潮社、1986年10月1日刊)所収) [連載] 吉田純が撮った吉本隆明 NO13/口絵 1968年9月10日(表紙・口絵共に。千駄木の自宅にて) 吉本さんからの宿題 石川九楊 現状報告 全巻リスト 注記等 ISBN4-8123-0705-8
刊行形態 Book Section 刊行形態 吉本隆明 刊行年月 0606 標題 あの行動力の背後 掲載誌(紙・書)名 戦後戦記:中内ダイエーと高度経済成長の時代 編集 佐野眞一 出版社 平凡社 出版地 東京 掲載頁 220-226 区分 談話 キーワード 中内功/阪神淡路大震災/バブル経済/人工都市/戦争体験 見出し・語録 「中内さんの商売の仕方には、できるだけ政府の目から離れたところで行動するという姿勢 がありました。政府が大企業を超えて、中小企業に手を差し伸べることなどあり得ないわけですから、中 内さんのように、負けるかもしれないけども、見識を持ち、独自の立場で商売をするというのは正しいと 僕は思います。考えてみれば、この政府から距離を置いてものごとを捉えるという発想は、戦争体験から きていると思えるのです。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0606 標題 言語論要綱――芸としての言語 掲載誌(紙・書)名 SIGHT(「ロッキング・オン・ジャパン」7月増刊号、第20巻第10号通巻第298号) 巻 28 号 Summer 掲載頁 192-211 掲載年月日 2006.6.30 区分 言語論 見出し・語録 「母音とは、発音が自己回帰する語音を持つものである。  子音とは、冒頭音素と母音を組み合わせた語音である。但し、「や行音と「わ行音」は母音の二重の復音である。  「ん」は音素自体である。」
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 森 繁哉 刊行年月 0606 標題 移行する身体――歌や言葉のこと―― 掲載誌(紙・書)名 舞台評論 巻 3 掲載頁 4-12 掲載年月日 2006.6.30 区分 対談 見出し・語録 米沢時代を語る/歌詞と詩の距離/移行期とは何か/移行する身体/移行期を展開する
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0607 標題 吉本隆明、大病からの復活:老い見つめ未踏を思索 掲載誌(紙・書)名 日本經済新聞 出版地 東京 掲載頁 40 掲載年月日 2006.7.1 区分 インタビュー キーワード 老い/思索/著作 見出し・語録 体系的な意欲作 長大な謎に挑む 「正直たまらん」/精神の歴史問う/大家の余生拒む 「発達心理学では身体の運動機能が向上していく青年期までについては、青年期までについては、人間の精神の 成長を論じていますが、壮年期から老年期、つまり身体の運動性が衰えていく時期の精神の活動については扱お うとしない。それなら自分が老年期まで延ばしてやってみよう、という考えです。今は、それをやっておく必要 があると思っています」 「人間がお猿さんと分かれてから数百万年になるんでしょうか、言葉がそれぞれの民族語に分かれてからも数十 万年がたちますが、その間の精神活動の歴史について、真正面から考えているものがない。西洋の哲学や心理学 は、近代以降については詳しくやっていますが、それは文明史以降であって、人類史ではない。そういう状態は、 はなはだ不服である、ということで、お猿さんから分かれて以来の歴史をぶっ続けでやってしまいたい、という のが夢です。夢のまた夢ですが、前に出した『アフリカ的段階について』で民族語に分かれた後のことは、なん とか入り口だけはつけたと思います」 「それは、食っていかなければいけませんから。それに、現代は流れる時間の速さが違う。谷崎潤一郎や川端康 成や志賀直哉といった古典時代の鬱然たる大家のような生き方は、高度に産業が発達した現代の物書きには、も う無理なのではないか」 注記等 写真あり、記事=宮川匡司(文化部)
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0607 標題 心的現象論:眼の知覚論・身体論 叢書名 吉本隆明資料集 56 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 見出し・語録 心的現象論(第十五回) 眼の知覚論 『試行』第29号(1970年1月1日)  眼の構造I〜V/〈変形〉の構造 心的現象論(第十六回) 身体論I 『試行』第30号(1970年5月5日)  1古典ドイツの身体論について/2二、三の現代的身体論について 心的現象論(第十七回) 身体論II 『試行』第31号(1970年10月20日)  2二、三の現代的身体論について(続)/3フロイドの身体論/4フッサール・ヤスペルス・ビンスワンガーの身体論 心的現象論(第十八回) 身体論III 『試行』第32号(1971年2月15日)  5手と足/6肉体/7年令/8性器 心的現象論(第十九回) 身体論IV 『試行』第33号(1971年7月25日)  9了解系の形成/10関係づけの形成/11身体という了解―関係系 心的現象論(第二十回) 身体論V 『試行』第34号(1971年10月20日)  12〜17不具・傷害・病気(I)〜(VI) 心的現象論(第二十一回) 身体論VI 『試行』第35号(1972年2月15日)  18〜20不具・傷害・病気・その心的世界(I)〜(III) 心的現象論(第二十二回) 身体論VII 『試行』第36号(1972年6月25日)  21〜22身体像の起源(I)〜(II)/頭部像手足像の起源 編集ノート 注記等 装画 ハルノ宵子
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0607 標題 もう一山、当てたいって人も 掲載誌(紙・書)名 毎日新聞(札幌夕刊) 出版地 札幌 掲載頁 2 掲載年月日 2006.7.10 区分 談話 キーワード 世代/団塊/全共闘/無党派 見出し・語録  団塊っていうと、全共闘世代のことですか。身近なところでは、僕が原稿料をもらえるようになったころに仕事につき、 そろそろ定年になる人たちですね。僕に言わせりゃ、勤勉でまじめでおとなしい人たちです。村上春樹がその象徴じゃな いですか。意欲はあるけど、自分を押し出す点で消極的ですね。戦中戦後派のような退廃、デカダンスを知らないからだ と思いますけど。温厚な世代という印象ですが、一方で遊びなんかも熱心にやる人たちですね。  で、彼らのこの先です。よく、自分たちの運動を記録に残したい、本にしたいなんてことを言う人もいますが、僕は 「やめた方がいいぞ」と言うんです。昔の話は精神の底に沈めればいいんで、表に出せば古典的左翼みたいに停滞します から。今は時代の変わり目ですから、先のことを考えた方がいい。  団塊は、この先、止まったままかもしれない。けれど、退職後にもう一山当てたいって人も多いんじゃないですか。 完全に引退して、農業だとか、地域のことに取り組むってのはどうですかね。むしろ企業にとどまったり、会社を作った り、これまでやってきたことをやり続けると思いますよ。もう一つ の職業を持ったりね。  老齢とか余生って言葉は錯覚されていますね。年取れば手足や腰が利かなくなりますが、頭はしっかりしてますから。 「脳を鍛える」っていうのが流行ですが、この老齢の脳を若い体に入れ込むなんて便利なものができればいいと思うんで すよ。僕はためらわず賛成します。  僕なんか人生50年だなんて言われてたけど、冗談じゃねえぞって今は思うね。いま男は80歳ぐらい、女は80代後 半までしっかりしてるでしょ。これが団塊世代の場合、男は90、女は100歳までいくんじゃないですか。だから60 歳で隠居ったって、まだ30年もあります。彼らがこれから身をもって「老後」を知れば、定年だとか老人といった年齢 に対する社会の考え方も大きく変わっていくと思いますよ。  僕が考えるに、団塊の特徴は無党派性ですね。古典的左翼の党派性をぶっ壊したのは大きな功績です。それまでは党派 やイデオロギーで人を分けてましたが、彼らはそれに反抗した。良いことでしたよ。  「団塊は体制に組み込まれた」なんて言いますが、そうじゃない。彼らは「体制−反体制」「善玉−悪玉」という古い 考えを壊そうとしてきたから、はなから「体制に入った」って意識はないでしょ。私の専門の文学に限っていえば、老齢 を迎えるこれからの内省期に、宗教や天皇制など、一番根源的な問題について新たな考えを打ち出してくるかもしれませ んね。  ただ、村上春樹はオウム真理教の被害者の話を丁寧に書いたけど、教団については(信者との会見記はあるが)真っ向 から取り組んでいない。宗教を避けてますね。このまま触れなければ、後世の人は「ああこの人も停滞した」と見る。団 塊の一般の人も同じで、この先、天皇制など日本の本質的な問題をどれだけ考え、社会に還元できるかにかかってくると 思いますね。 注記等 毎日新聞 2006年7月10日 札幌夕刊 「夕刊とっておき」特集ワールド・ちょっと待った!:団塊へのあふれる期待 肖像・写真有り
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0607 標題 もう一山、当てたいって人も 掲載誌(紙・書)名 毎日新聞(東京夕刊Web版) 出版地 東京 掲載頁 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060710dde012040012000c.html 掲載年月日 2006.7.10 区分 談話 キーワード 世代/団塊/全共闘/無党派 見出し・語録  団塊っていうと、全共闘世代のことですか。身近なところでは、僕が原稿料をもらえるようになったころに仕事につき、 そろそろ定年になる人たちですね。僕に言わせりゃ、勤勉でまじめでおとなしい人たちです。村上春樹がその象徴じゃな いですか。意欲はあるけど、自分を押し出す点で消極的ですね。戦中戦後派のような退廃、デカダンスを知らないからだ と思いますけど。温厚な世代という印象ですが、一方で遊びなんかも熱心にやる人たちですね。  で、彼らのこの先です。よく、自分たちの運動を記録に残したい、本にしたいなんてことを言う人もいますが、僕は 「やめた方がいいぞ」と言うんです。昔の話は精神の底に沈めればいいんで、表に出せば古典的左翼みたいに停滞します から。今は時代の変わり目ですから、先のことを考えた方がいい。  団塊は、この先、止まったままかもしれない。けれど、退職後にもう一山当てたいって人も多いんじゃないですか。 完全に引退して、農業だとか、地域のことに取り組むってのはどうですかね。むしろ企業にとどまったり、会社を作った り、これまでやってきたことをやり続けると思いますよ。もう一つ の職業を持ったりね。  老齢とか余生って言葉は錯覚されていますね。年取れば手足や腰が利かなくなりますが、頭はしっかりしてますから。 「脳を鍛える」っていうのが流行ですが、この老齢の脳を若い体に入れ込むなんて便利なものができればいいと思うんで すよ。僕はためらわず賛成します。  僕なんか人生50年だなんて言われてたけど、冗談じゃねえぞって今は思うね。いま男は80歳ぐらい、女は80代後 半までしっかりしてるでしょ。これが団塊世代の場合、男は90、女は100歳までいくんじゃないですか。だから60 歳で隠居ったって、まだ30年もあります。彼らがこれから身をもって「老後」を知れば、定年だとか老人といった年齢 に対する社会の考え方も大きく変わっていくと思いますよ。  僕が考えるに、団塊の特徴は無党派性ですね。古典的左翼の党派性をぶっ壊したのは大きな功績です。それまでは党派 やイデオロギーで人を分けてましたが、彼らはそれに反抗した。良いことでしたよ。  「団塊は体制に組み込まれた」なんて言いますが、そうじゃない。彼らは「体制−反体制」「善玉−悪玉」という古い 考えを壊そうとしてきたから、はなから「体制に入った」って意識はないでしょ。私の専門の文学に限っていえば、老齢 を迎えるこれからの内省期に、宗教や天皇制など、一番根源的な問題について新たな考えを打ち出してくるかもしれませ んね。  ただ、村上春樹はオウム真理教の被害者の話を丁寧に書いたけど、教団については(信者との会見記はあるが)真っ向 から取り組んでいない。宗教を避けてますね。このまま触れなければ、後世の人は「ああこの人も停滞した」と見る。団 塊の一般の人も同じで、この先、天皇制など日本の本質的な問題をどれだけ考え、社会に還元できるかにかかってくると 思いますね。 注記等 毎日新聞 2006年7月10日 東京夕刊 「夕刊とっておき」特集ワールド・ちょっと待った!:団塊へのあふれる期待 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060710dde012040012000c.html
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0607 標題 初期ノート 叢書名 光文社文庫 出版社 光文社 出版地 東京 見出し・語録 第I部 戦後篇 1姉の死など  姉の死など 2覚書I  1944年晩夏  夕ぐれと夜との独白(1950年I) 3箴言I  序章  エリアンの感想の断片  〈建築についてのノート〉  風の章  形而上学ニツイテノNOTE  下町  〈少年と少女へのノート〉  〈老人と少女のゐた説話〉の構想I  〈夕暮れと夜との言葉〉  〈春の嵐〉  原理の照明  〈夕暮れと夜の言葉〉  中世との共在  〈夕暮れと夜の言葉〉  〈夕暮れと夜との言葉〉  〈老人と少女のゐる説話〉II  〈老人と少女のゐる説話〉III  秩序の構造  方法的制覇  〈老人と少女のゐる説話〉IV  カール・マルクス小影  〈老人と少女のゐる説話〉V  忘却の価値について  〈思考の体操の基本的な型について〉  芸術家について  〈老人と少女のゐる説話〉VI  〈夕暮れと夜との言葉〉 4箴言II  断想I  〈僕の歴史的な現実に対するいら立ちの解析〉  断想II  〈不幸の形而上学的註〉  〈虚無について〉  断想III  断想IV  断想V  〈方法について〉  断想VI  〈詩集序文のためのノート〉  断想VII  〈批評の原則についての註〉  〈現代の倫理的構造についての考察〉  〈寂寥についての註〉  断想VIII  第二詩集の序詞(草案) 5宮沢賢治論  詩碑を訪れて   詩碑を訪れて   イギリス海岸の歌   雲の信号   「宮沢賢治と女性」雑考   セロ弾きのゴーシュ   やまなし   ざしき童子のはなし   よだかの星   雁の童子   風の又三郎   農民芸術概論綱要評   [科学者の道]  宮沢賢治序叙草稿第四   孤独と風童   宮沢賢治童話論   四 地人時代後期  宮沢賢治序叙草稿第五   続四雑録  宮沢賢治論   宮沢賢治の倫理について   宮沢賢治の系譜について   異常感覚感の由来について   宮沢詩学の解析について   深淵の思ひ   或る孤高の生涯   創造と宿命   孤独と神秘とユーモア   再び宮沢賢治の系譜について   宮沢賢治の散文について 6無門関研究  無門関研究 7短歌  短歌四首 8「時祷」詩篇  思索における事象の取扱について   習作四(宝塔) 習作五(風笛) 習作七(餓葵地域) 習作九(挽歌)  習作十四(所感)  習作十五(夕日と夕雲の詩)  習作廿四(米沢市)  童子像  習作四十三(愛歓)  習作五十(河原)  習作五十一(松川幻想)  序跋一束 9詩篇  詩三章   老白 観花 哀辞  巡礼歌  幻想的習作  エリアンの詩  倒錯  一九四九年冬  青い帽子の詩  暁の死者  現代への発言 第II部 戦中篇 1少年期   随想(其の一)     (其の二)     (其の三)   相対性原理漫談   孔丘と老■   「哲」の歌   くものいと   うら盆   冬 2米沢時代   巻頭言   無方針     ○女の人 ○比較 ○汽車の中 ○利己主義 ○白い花   朝貌   郷愁   山の挿話   序詞   詩集『草莽』     序詞 謹悼義靖院衝天武烈居士 原子番号0番 原子番号一番 原子番号二番 原子番号三番 機械 秋の花      かぶと山と虚妄列車 銀河と東北 撩乱と春 無神論 続呼子 親鸞和讃 背棄 雲と風と鳶 明暗 草ふかき祈り     帰命 3哀しき人々  哀しき人々  雲と花との告別     * 過去についての自註   過去についての自註   増補版のための覚書   光文社文庫版のためのあとがき     * 初出一覧 注記等 ISBN4-334-74102 初出一覧 第I部 戦後篇 姉の死など 「龍」3月号1948年3月1日 覚書I (未発表)1950年稿 箴言I (未発表)1950年稿 箴言II (未発表)1950〜52年稿 詩碑を訪れて (未発表)1943年稿 宮沢賢治序叙草稿第四 (未発表)1945年稿 宮沢賢治序叙草稿第五 (未発表)1945年10月稿 宮沢賢治論 (未発表)1945年稿 無門関研究 (未発表)1945年稿 短歌四首 (未発表)1945年稿 思索における事象の取扱について(習作四、五、七、九) 「時祷」創刊号1946年11月20日 習作十四、十五、廿四 「時祷」第2号1946年12月20日 童子像、習作四十三、五十、五十一 「時祷」第3号1947年3月31日 序跋一束   創刊の辞 「時祷」創刊号1946年11月20日   後記 「時祷」第2号1946年12月20日   後記 「時祷」第3号1947年3月31日   創刊に、編輯後記 「季節」(東京工業大学電化会発行)創刊号1947年3月 詩三章 「大岡山文学」(東京工業大学文芸部発行)復刊第1号1946年12月1日 巡礼歌 「季節」第1輯1947年 幻想的習作 「詩文化」第7輯1948年12月25日 エリアンの詩 「詩文化」第9号1949年3月20日 倒錯 「詩文化」第11号1949年5月20日 一九四九年冬 「詩文化」第17号1950年4月1日 青い帽子の詩 「詩文化」第21号1950年11月1日 暁の死者 「聖家族」第2号1949年3月1日 現代への発言 詩 「大岡山文学」第88号1952年6月1日 第II部 戦中篇 随想、「哲」の歌 「和楽路」(東京府立化学工業学校和楽路会文芸部)第1巻5月号1941年5月 相対性原理漫談 「和楽路」7月号1941年7月 孔丘と老■ 「和楽路」10月号1941年10月 くものいと、うら盆、冬 「和楽路」第1巻最終号、卒業記念号1941年11月 巻頭言、無方針、朝貌、郷愁 「からす」(米沢高等工業学校同期回覧誌)第1号1943年 山の挿話 「団誌」(米沢高等工業学校校友会誌)1943年12月28日 序詞 「卒業記念アルバム」(米沢高等工業学校)1944年 「草莽」 (私家版詩集)1944年5月 哀しき人々 (未発表)1945年稿 雲と花との告別 (発表誌不明)1945年   * 過去についての自註 『初期ノート』1964年6月 増補版のための覚書 『初期ノート増補版』1970年8月 光文社文庫版のためのあとがき 書下ろし 2006年6月稿
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 0607 標題 ぼくのしょうらいのゆめ 掲載誌(紙・書)名 ぼくのしょうらいのゆめ 編集 高野麻結子 出版社 プチグラパブリッシング 出版地 東京 掲載頁 129-139 区分 談話 キーワード 夢 見出し・語録  「僕はなんとなく自分の意志で、「こうなろう」って思って「なった」ことは、どうも無いような気がします。 もう、「仕方がないからそうなっちゃったんだ」っていう、すごく受身の生き方をしてきた気がします。よくテ レビを見ても、「夢を持たないといけない」とか先生方がいってますけど、持つことは大変結構なことだと僕は 思います。だけど、夢なんて持ったって持たなくたって、そんなの全然関係ないよって一方では思いますね。い くら夢を持ったって持たなくたって、実現なんてできるかどうかわからない。全然予言もできないし予想もでき ない。何が明日および未来に自分に覆いかぶさってくるか、まったく予想できる問題ではないからです。予測し たって、その通りに実現するのは滅多にない。だから大抵、「仕方なしにこういう風に生きて来ちゃったよ」と いうところで落ち着くと思います。  夢は全部敗れた、全部駄目だった。そういうけれど、全部駄目だってことは人間にはめったにないんですよね。 どっかに抜けるところがある。どこかに自分の夢の重点を置くとすれば、やっぱり共同の夢というか、つまり社 会のためとか国のためとか、政治のいろんな為って何でもあると思うんですけど、国連の為でも何でもいいんで すけど。そういうような夢。それでなければ、つまりペアでなければ実現できない夢っていう風にいえば、理想 の家庭や家族というものを自分が作れればいい、とする夢と、それから後は、そうじゃなければ個人として、こ ういう風になりたいっていうのがありえますよね。どうしてそんなことを言うかというと、夢のことを積極的に 考えるなら、三つのうちのどこかに重点を置く以外にないけどそのひとつに置いたら、あとの二つっていうのは それに比べれば、あんまり重点をおけなくなるのが人間はそうだと思いますけど。でも一つだめでもあと二つあ る、ということはいつでも考えていたほうがいいですね。できるかできないかはまったく別問題で、努力すれば できるってもんでもないですよ、努力しなきゃできないって問題でもないんですが。」 注記等 ISBN4-903267-33-4 自筆署名題字、府立化学工業学校5年生時の集合写真、最近の書斎机上撮影写真および略年譜あり。
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0608 標題 詩歌のゆくえ:聞き書き―詩歌の潮流 第8回 掲載誌(紙・書)名 俳壇 巻 23 号 9 掲載頁 116-125 掲載年月日 2006.8.1 区分 インタビュー キーワード 詩歌/俳句/詩 見出し・語録 小学生のころ、「将来、技術工になる」と/私塾の今氏乙治先生/「荒地」の詩人たち/なぜ俳句がおこったのか/芭蕉 はどう詠んだか/「俳句が一行の詩」なら、詩を書いたほうがいい/自立性を保てば他ジャンルとの交流ができる/素人 と専門家の違い 注記等 聞き手◎田中利夫 写真◎曽根雄司
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0608 標題 清岡卓行を悼む 掲載誌(紙・書)名 群像 巻 61 号 8 掲載頁 360-361 掲載年月日 2006.8.1 区分 追悼文 キーワード 清岡卓行
著者 吉本隆明 刊行年月 0608 標題 マネー 格差は資本主義の必然:この先の日本 戦後61年・夏 第1部 原点はどこに(4) 掲載誌(紙・書)名 高知新聞 出版地 高知 掲載頁 掲載年月日 2006.8.5 区分 談話 見出し・語録 抑制は不可能/横長から縦長へ/自分がどうしたいか 「格差が広がり、カネさえあればという風潮がまん延する。私たちはこの状況下、どう行動したらいいのか。 できることは一つしかなくて、自分自信が本当はどうしたらいいのかということを一人一人が考え、実行す る以外にない。  自分の住んでいる世界とまったく関係ないところから社会がめちゃくちゃに変わってしまうことがある。 バブルの時の実感のない世間の高揚。『失われた十年』の度が過ぎた自信喪失。自分はそれほど変わってい ないのに、周囲の価値観が大きく変化する。その時、ろうばいしてはいけない。無関心を決め込んでもいけ ない。」 注記等 著者の写真あり
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0608 標題 遠い自註(連作詩篇) 叢書名 吉本隆明資料集 57 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 詩 見出し・語録 幻と鳥 雲へ約束した 夢の手 続母子像 最後の場所 すくなくとも 夢の位置 海 追憶のいま 投影 樹の睡り 夏の図鑑 窓の耳 モザイク 広大な沈黙 ゆるやかな街 陽のけむり 「空ニ釘」 音にならない小節 欅の説話 風の村 寓話 海におくられてくる風 三郎が死んだあと 空の出来ごと 絵本 長い朝 小さな宿駅 はしる鳥 踏み絵 天の河原ゆき 旅の終り 夢は枯野 水の絵本 融けた鏡 掌の旅 木の説話 坂の曲がり 追憶 葉の魚 空は閉じられる クイナの話 言葉は 好きな眼 水の泡 霽れた衣 雨という帽子 「欅」という船 「鶇」という駅 地名がくずれ堕ちる 「鳥」にむかって出発 絵本のうしろ 『衣河』見に 冬が繙く 楡という木 木の行方 鳥について 橋という字 紡錘形に 「無口」という茶店 嬰児の旅 祖母の字 祖先の話 メッセージ 風文字 「さよなら」の椅子 編集ノート 注記等 装画 ハルノ宵子
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 小山雅史(構成) 刊行年月 0608 標題 「最速本探し」イモヅル式と目次分析法:吉本隆明、田中里沙らが実践する所望の一冊の検索法 掲載誌(紙・書)名 プレジデント 巻 44 号 17 掲載頁 84-85 掲載年月日 2006.8.14 区分 インタビュー キーワード 読書 見出し・語録 たまには「老人小説」も読んでみる 吉本流小説、古典の選び方/経済学も古典も難しくても本物を読む 吉本流本選びのポイント3 1「この気持ちは俺にしかわからない」と思わせる描写がある 2楽しみのためだけに読んでも学びがある 3経済学も古典も解説書は読んではいけない 注記等 著者近影写真
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 浜田奈美(談話取材) 刊行年月 0608 標題 辺見庸は沈黙せず:ひとり、地をはう抵抗 掲載誌(紙・書)名 AERA:アエラ 巻 19 号 37 掲載頁 34-36 掲載年月日 2006.8.7 区分 談話 キーワード 辺見庸 見出し・語録 「辺見君の復活で、少しは言論界がにぎやかになるんじゃねぇかな。ああいうはっきりした物言いが出来る人は、 減っているんだから」(記事挿入コメント) 「以前は考えなかったことなんだけれど、老いというものは、本当に思いもよらなかった実感で迫ってくる。で すからどうしたって身体の変化に伴う精神の変化を、考えざるを得ないんです」(記事挿入コメント) 「共産党にせよ学生運動にせよ左派的なものの動向が注目されない時代になった。そういう時に彼のようなエネ ルギッシュな発言者は、稀少価値ですよ」(写真添付コメント)
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0608 標題 アフリカ的段階について:史観の拡張[新装版] 出版社 春秋社 出版地 東京 区分 段階論 キーワード アフリカ的 見出し・語録 新装版によせて 序 アフリカ的段階について 1〜5 引用文献 あとがき 私家版あとがき 注記等 ISBN4-393-33263-6 本書は、1997年に「試行」の予約購読者に著者の署名入りで配布された、私家版『アフリカ的段階について― 史観の拡張―』(1998年1月20日発行、非売品、試行社)に「序」、「あとがき」、及び若干の訂正を加えた 市販版(1998年、春秋社刊)に、著者の「新装版によせて」を巻頭に置き、カバーや帯のデザインを変えた一冊。
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 著者 中沢新一 刊行年月 0609 標題 超人間、超言語 掲載誌(紙・書)名 群像 巻 61 号 9 掲載頁 142-161 掲載年月日 2006.9.1 区分 対談 見出し・語録 潜在的な人間の本質/親切が奪う二つの自由度/仏語より自由度の高い英語/芸術百遍、自ずから‥‥‥/少女 巫女の不思議さ/神話と古謡の関係/成熟のない長寿時代/言語の構造改革を/「精神」と「霊」 注記等 2006.6.7
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0609 標題 靖国論争にとらわれては日本は変わらない 掲載誌(紙・書)名 サンデー毎日 巻 85 号 38 掲載頁 25-26 掲載年月日 2006.9.3 区分 談話 キーワード 靖国問題/天皇制 見出し・語録 「戦争当時を振り返ると、僕らは戦争に反対したわけではなかった。青春時代、大学在学中に一生懸命、政府の 言う通り、勤労奉仕に動員されていた。僕は第二次大戦の当事者です。大まじめに、戦争に協力した人間ですよ。 東条(英機)元首相らを、『あいつはけしからんことを言っている』なとど思ったことは一度もない。僕らみた いな戦中派で、今どきリベラリストみたいなことを言うやつがいるが、当時はリベラルなことを言った奴なんか 一人もいない。みんな戦争賛成、国民もみんな賛成としか思えないような情勢だった。  そうした戦争とは、日本にとって何だったのか。それは、日本の軍国主義の終わりではなく、日本の近代史の 終わりなのです。10年か20年ごとに戦争をして、ようやく近代国家になってきた明治以降の日本が、敗戦によ って終わったのです。戦後というのは、何かをやらなきゃいけない。従来の『近代日本』ではダメなんだという ことを確認して出発しなければいけない。その意味において、敗戦とその犠牲者の問題は非常に重大なのです。 僕らは、日本の近代史は終わったんだな、何かやんなきゃいけない、何か新しい考え方を出せなければ生きては いけないんだよ、と思いました。  軍国少年の僕は戦争で死んでもいいと思った。(戦後を生き延びることということは)生き恥をさらしたとい うことになる。どうすれば、生き恥をさらした代償を得られるか、必死に考えてきました。僕らは天皇制とは何 か、日本国とは何か、考えに考え抜いてきた。『日本国とはどんな国だ』『どこに特長があって弱点がどこにあ るか』と、自分なりの答えを探してきたのです。」
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 著者 ミシェル・フーコー 刊行年月 0609 標題 世界認識の方法――マルクス主義をどう始末するか 掲載誌(紙・書)名 フーコー・コレクション5:性・真理 編集 小林康夫・石田英敬・松浦寿輝 叢書名 ちくま学芸文庫 出版社 筑摩書房 出版地 東京 掲載頁 64-115 区分 対談 注記等 1978年4月25日 「海」1978年7月号に掲載、『世界認識の方法』、中公文庫、1984年所収
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0609 標題 島尾敏雄の世界 叢書名 吉本隆明資料集 58 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 作家論 キーワード 島尾敏雄 見出し・語録 島尾敏雄の原像(『われらの文学 8 島尾敏雄』1967年4月15日発行 解説) 島尾敏雄の世界―戦争小説論―(『群像』1968年2月号) 家族小説論(『吉本隆明全著作集9』1975年12月25日発行) 島尾文学の源流(『國文学』1973年10月号) 難しい潔くない道:吉本隆明さんが語る作家・島尾敏雄;文人往来(『琉球新法』2004年12月7日号) 編集ノート 注記等 装画 ハルノ宵子
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0609 標題 自作を語る 第8回「花田清輝との論争」 掲載誌(紙・書)名 SIGHT(「ロッキング・オン・ジャパン」10月増刊号、第20巻第15号  通巻第303号) 巻 29 号 Autumn 掲載頁 126-133 掲載年月日 2006.9.30 区分 インタビュー 見出し・語録 不意打ち的な論争の始まり/吉本隆明の「花田清輝論」/よりエモーショナルな糾弾へ 「花田清輝との論争も、 戦争責任の問題もどんどん 広がっていくんです。 自分がやらなきゃ ならない課題が 終わりにならないんですね」 注記等 インタビュー・撮影=渋谷陽一
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年 0609 標題 甦えるヴェイユ 叢書名 洋泉社MC新書 出版社 洋泉社 出版地 東京 区分 思想家論 キーワード シモーヌ・ヴェイユ/思想 見出し・語録 I初期ヴェイユ  1ドイツの光景  2ドイツの三つの党派  3社会国家主義と国家社会主義 II革命と戦争について III工場体験論 IV痛みの神学・心理・病理 V労働・死・神 VI最後のヴェイユ あとがき 新書版のためのあとがき 注記等 ISBN4-86248-069-1 本書の原本は、1992年、JICC出版局から刊行された。(巻末注記)
刊行形態 Audiovisual Material 刊行形態 吉本隆明 刊行年月 0609 標題 吉本隆明全講演ライブ集 第14巻 西欧の文学と思想 出版社 吉本隆明全講演CD化計画 出版地 東京 形式 CD 区分 講演 キーワード ドストエフスキー/ホーフマンスタール/スミス/リカード/マルクス/ポーランド問題 見出し・語録 CD-079 ドストエフスキーのアジア 72:58  一  ドストエフスキーの現在性 (1)23:53  イ 内面の幼児性  ロ 内面の拡張 (2)15:25  ハ 作品の無類の白熱性 (3)11:45  二  〈アジア的〉とドストエフスキー (4)14:07  イ ロシアのアジア的古代性  ロ 〈アジア的〉という真理 (5)7:45 CD-080 ホーフマンスタールの視線 I 74:22  浪漫主義的な詩人、作家 (1)24:35  物語の原型 (2)6:21  古典悲劇の改変の仕方 (3)16:13  内面の悲劇性 (4)10:33  内面性の拡大 (5)16:37 CD-081 ホーフマンスタールの視線 II 72:32  悲劇は内面性の原型 (1)15:16  〈距離〉の本質 (2)8:13  〈とりかえばや〉の物語性 (3)16:07  古典悲劇への志向 (4)10:42  古典古代性 (5)22:12 CD-082 経済の記述と立場――スミス・リカード・マルクス I 76:58  I スミスの〈歌〉 (1)23:52   i スミスの思考法   ii 牧歌の豊かさ (2)16:23  II リカードの〈物語〉 (3)7:12   i 〈歌〉の喪失   ii 正しい経済学的〈物語〉  III マルクスの〈ドラマ〉 (5)12:49   i 対立の〈ドラマ〉   ii マルクスの達成とマルクス批判 (6)11:02 CD-083 経済の記述と立場――スミス・リカード・マルクス II 74:50  IV 古典経済学の可能性 (1)8:36  ポーランド問題とは何か――「連帯」の社会主義構想 I   I 現代国家と社会の間 (2)27:37   II ポーランドの問題 (3)2:28     i 二十一項要求 (4)9:58     ii 農村・労働組合の構成と改革要求の意味 (5)9:10   III 連帯の構想 (6)2:02     i ワレサの構想 (7)9:37     ii クーロンの構想 (8)5:18 CD-084 ポーランド問題とは何か――「連帯」の社会主義構想 II 73:56     iii ビビフ、シェライフェルの構想 (1)16:11     iv 「連帯」の最盛期の基本綱領 (2)10:46     v 社会主義のモデル(3)20:36       質疑応答 (4)14:08       質疑応答 (5)12:12 添付冊子「14西欧の文学と思想」目次 ドストエフスキーのアジア(81.2.7 ロシア手帖の会主催) ホーフマンスタールの視線(79.11.15 京都精華大学主催) 経済の記述と立場(84.11.2 日本大学・三崎祭実行委員会主催) ポーランド問題とは何か(82.11.5 盛岡市・岩手大学) [連載]吉田純が撮った吉本隆明 NO14/表紙・口絵共に 1978年8月3日(土肥海岸にて) 『敗北の構造』を読みながら「敗北」しようとしていたあの頃 夏目房之介 現状報告――切実なお願い 全巻リスト 注記等 ISBN4-8123-0705-8
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0609 標題 吉本隆明さんと考える現代の「老い」:漂流する風景の中で 掲載誌(紙・書)名 朝日新聞 出版地 東京 掲載頁 11 掲載年月日 2006.9.19 区分 談話 キーワード 老い/老人医療/超人間/自己への配慮/権力 見出し・語録 患者の個人差と向き合え/政治家次第で国民は変化 注記等 著者近影および自宅書斎で文字拡大システムを使って読書中の写真あり。 (聞き手・松本一弥)  「ほぼ週刊イケヤ新聞・編集長日記ブログ」に「吉本流明の老人を写経したので掲載する。」とある。 (http://blog.goo.ne.jp/hoboike_diary/e/e4827179c383b93cfd5180f979b44934)
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 0609 標題 現代詩最後の古典 掲載誌(紙・書)名 立原道造全集【全5巻】新装版内容見本 出版社 筑摩書房 出版地 東京 区分 推薦文 見出し・語録 「詩人や詩を愛好した人士で、前思春期から青春期にかけて立原道造の詩の世界を通らなかったものは、 たぶん皆無に近いとおもう。そのことで現代詩最後の古典だった。朔太郎も「風」、ドイツ浪漫派の巨 匠ヘルダーリンもノヴァリスも「風」というこの詩人にあやかって言えば、立原道造の詩もまた「風」 のように自在に、しかも地面に触れずに物象や事象に滲みとおってゆく距離感を手に入れていた。この 距離感は、日本古典詩形の円熟期のアンソロジー『新古今集』からえたものだと思う。  立原には新古今時代の才女式子内親王の「ほととぎすそのかみやまの旅枕ほの語らひし空ぞ忘れぬ」 のNachdichtung(後追い歌、つまり本歌取り歌)と副題された詩があるが、これは『新古今集』第一 の歌人西行の「ほととぎすそののち越えん山路にも語らふ声はかはらざらなん」のNachdichtungに違 いない。冒頭の句「ほととぎす」が第二句「そのかみやま」で「以前に行った神山もうで」に二重化さ れ、第四句から最終句にかけて、ほととぎすとの語らいが作者自身の恋人とのひそかな語らいの意味 に二重化されて終わる。この含みと距離感が、朔太郎以後の現代詩と古典詩形とを架橋させた立原道造 の詩の、もう一つの古典としての意義だと思える。」
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0610 標題 心的現象論 関係論 叢書名 吉本隆明資料集 59 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 心的現象論 キーワード 関係論 見出し・語録 心的現象論(第二十三回) 関係論1 『試行』第37号(1972年11月5日)  24〈関係〉とはなにか  25〈関係〉としてみられた自己・他者・世界  26〈身体〉に表出される〈関係〉 心的現象論(第二十四回) 関係論2 『試行』第38号(1973年6月1日)  27〜28作られた幻覚に於ける〈関係〉(1)〜(2) 心的現象論(第二十五回) 関係論3 『試行』第39号(1973年9月10日)  29作られた幻覚における〈関係〉(3)  30形式論的な〈関係〉 心的現象論(第二十六回) 関係論4 『試行』第40号(1974年3月20日)  31〈うつ〉という関係I 心的現象論(第二十七回) 関係論5 『試行』第41号(1974年9月5日)  32〈うつ〉という関係II  33〈うつ〉という関係III 心的現象論(第二十八回) 関係論6 『試行』第42号(1975年2月25日)  34〈うつ〉関係の拡張I  35〈うつ〉関係の拡張II 心的現象論(第二十九回) 関係論7 『試行』第43号(1975年6月25日)  36〈うつ〉関係の拡張III  37〈うつ〉関係の拡張IV 心的現象論(第三十回) 関係論8 『試行』第44号(1975年1月15日)  38〈うつ〉関係の拡張V  39〈うつ〉関係の拡張VI 心的現象論(第三十一回) 関係論9 『試行』第45号(1976年4月10日)  40〈うつ〉関係の拡張VII  41〈うつ〉関係の拡張VIII  42〈うつ〉関係の拡張IX 編集ノート 注記等 装画 ハルノ宵子
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 0610 標題 吉本隆明:悪人正機頁 掲載誌(紙・書)名 プレイボーイの人生相談:1966−2006 編集 出版社 集英社 出版地 東京 掲載頁 175-192 区分 人生相談 キーワード 人生相談 注記等 初出は「週刊プレイボーイ」(集英社)1999年5月11・18日合併号〜2000年1月1日・11日合併号。
刊行形態 広告 著者 吉本隆明 刊行年月 [0610?] 標題 [吉本隆明(聞き手)笠原芳光『思想とはなにか』]刊行広告文 掲載誌(紙・書)名 チラシ 出版社 春秋社 出版地 東京 区分 宣伝文 見出し・語録 「仮に人類の歴史を「大」歴史と「小」歴史にわけるとする。未明の時代から現在までの政治・社会や 文明文化・科学産業など従来考えられてきた人類の歴史は「大」なる外在史であり、身体性から見られ た個々人は内在的な「小」人類史と見ることができよう。そしてこの「大」「小」の人類史を媒介する ものは「種としての遺伝子」「世界の地域ごとの言語」「それぞれ異なった風俗・習慣」「自然への精 神と身体による働きかけの運動性」と見做すことができよう。私たちは壮年になったころ、政治と文学 という粗雑な文学(芸術)理念に不満で「思想」と「文学(芸術)」と考え方を改めたことがあった。 この場合の「思想」という概念はここでいう媒介概念を意味している。笠原氏と試みた対話は、その思 想解明の糸口の一つになればという考えで願望されたものだった。これが読者になんらかのあたらしい 刺激をもたらすことができたら、この上ない喜びだとおもっている。」(全文 太字は、原稿部分) 注記等 B6版コーティング紙・カラー印刷
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 著者 笠原芳光 刊行年 0610 標題 思想とは何か 出版社 春秋社 出版地 東京 区分 対談 キーワード 思想/詩歌/近代文学/精神/宗教 見出し・語録 序  吉本隆明 第一章 思想とは何か 理念と感性のあいだ  人生「感」?/思想とイデオロギー/感性から理念へ/「思想の科学」は可能か 思想家の条件  手で考えること、足で考えること/言語の価値とはなにか 思想家としての柳田国男  ナショナルなものに根ざす思想/折口・柳田の世界性 「無思想」という思想  「東京下町」の思想/アジア的な無思想 第二章 詩歌のなかの思想――文学における思想 I 詩歌に始まる文学  「記紀歌謡」の好きな歌/古語からわかる起源 現代短歌――古典との照応  七五調以前/以後/近代詩がめざしたこと/日本語のユニークさ/音符が鳴っている詩 短歌・俳句の思想  ロラン・バルトの解釈/芸術性ということ/俳句・短歌の近代性/表現と自由 戦後の詩人たち  戦争体験の思想化/吉岡実・谷川俊太郎・吉増剛造/岡井隆の自在さ 第三章 近代文学の体験――文学における思想 II 自殺者の系譜  思想としての女性問題/芥川龍之介の死/北村透谷――近代思想の始まり/小林秀雄――近代批評の始ま  り/親鸞と「往生要集」/思想の生き死に 太宰治の戦後  戦中派の伴走者/幼年期の影響 三島文学の問題圏  三島由紀夫への違和感/三島の神秘性 宗教者・宮沢賢治 第四章 人間精神の始源性――宗教における思想 I 精神の始まりとしての宗教  宗教の原因/マルクス主義の失敗 根源としての宗教性  宗教性とはなにか/脳が先か宇宙が先か なぜ、信仰はなくならないか?  日本人の信仰/「遊び」として受けとめる 自然宗教について  土地=神/「日本人」の起源/「交換」する共同体/「交換」する天皇と民衆/物語の伝承と天皇の神話 第五章 イエスから良寛まで――宗教における思想 II イエスは「キリスト」ではない  「無名の思想家」イエス/文学作品としての聖書/キリスト教を超えて/キルケゴールによる批判 宗教の二つの形態  「脱の人」イエス/三つの幻想 親鸞の思想  「還り」の視線/自己への配慮/「信」について/〈知〉から〈非知〉へ/「反戦」ではなく「非戦」 「三世の諸仏に仏性なし」――良寛  法然・親鸞・道元 第六章 思想の未来――社会・政治における思想 民主主義について  ホイットマンの疑問/「片道」としての戦後民主主義/吉本流・労使関係論/職業的組合の欠点/レーニン  哲学の弱点/政治制度と風土/文化を継承する天皇 ナショナリズムの問題点  「くに」を愛すること/後進性としてのナショナリズム/ヨーロッパの「普遍性」/ふるさとの感情 近代の超克とポストモダン  資本主義の超克/「未来の思想」というものはない/思想の“徴候” ヒューマニズムを超えて  フーコーの批判/自然をめぐる思想 転向について  変わらない思想はない 日常の中の思想  人生の三段階/小林秀雄と正宗白鳥の論争/日常に還る思想 あとがきに代えて  吉本隆明 跋  笠原芳光 注記等 ISBN4-393-33260-1
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0611 標題 心身健康な時代の太宰治:『富嶽百景』太宰治 新潮社 掲載誌(紙・書)名 小説現代 巻 44 号 13 掲載頁 260-261 掲載年月日 2006.11.1 区分 作品論 キーワード 太宰治/富嶽百景/満願 見出し・語録 「だが健康さが心身に満ち溢れていた時期の太宰治にはたぶん、裾野の町から見えた富士山は生涯にはじめてで 最後のすばらしい風景の一つだったのだろう。私は自分のために泣かないが、太宰治のためには若年の時と同じ ように泣く。」 注記等 大特集:私の心の一冊
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 著者 今野哲男(聞き手) 刊行年 0611 標題 生涯現役 叢書名 洋泉社新書 出版社 洋泉社 出版地 東京 区分 インタビュー キーワード 老い/老人/介護 見出し・語録 まえがき 吉本隆明 序章 老いとの対話――自然と和解する意欲をめぐって  若い人へ/老いて一億円あったら、急速に歳をとっちゃうなという感じがします  隠居  人間は自然に老いません。放っとくと、自然以上のスピードで老化するんです  加齢  自然に老いるところまでいくには、自分で粘るほかありません  老いの意欲  いざやるという段になると、途端に愚図っちゃうというのもあるわけです  老いの鈍さ  いつも触ったり擦ったりしとけばいいっていう、ただそれだけのことなんです  老いの自律 第一章 老いのからだ――肉体の衰えをめぐって  顔色がいいなんて冗談じゃない。こっちは順調に歳をとっています  外から見える老い  人間の精神活動にかんする限り、新しいことはないという感じがします  老いと精神  科学的には判断できねぇな、でもあり得るよって思います  リラックス  老いで商売するのならまともにやってくれといいたいところです  老いの商売  泌尿器科、眼科、耳鼻咽喉科、内科、外科、全部いかなければとなるんです  老いと病院  マスターベーションを変なことだと思っていたら、老人問題は間違えます  老人の性  嫌らしいと思っているのがわかったら、ご老人はもうそこにはいる気がしません  介護と性  近所に住んでいる少しでも身近な人がいいと思う  介護の仕組み  ボランティアがだいたいよくない  介護の理念  他人は自分で思っているほど自分のことを考えてくれているわけじゃない  老いの淋しさ  老人はつまんないと思ったことはやりません  医師との食い違い  若い人たちと同じ教育をしようと思ったってそうはいかない  生涯教育  無理なことはやっぱり無理で、いまだってときどき違反しています  食事制限  内緒で漢方薬を飲んだりしてるんだと思います。その点ではぼくらと変わらない  医師  原則は賃労働、からだの消耗に対しては対価を払うのが当り前  ホスピス  かかりつけでやってもらってたことを、このごろは大病院にいくんです  嫌なこと  一日に百五十メートルくらい歩いてます  在宅のリハビリ 第二章 老いのことば――日本語と歴史の考え方をめぐって  ローマ字が不服です。平仮名だけで作るとか、いつも考えていますけども  祖日本語感覚  ある種の照れ臭さも含めて、「ぼくら」といっているんじゃないでしょうか  地域語の理念  地域言語と老人問題には、偏った普遍性という共通点がある  老いとことば  ぼくらは日本語をローマ字やアルファベットにして使いたくありません  日本語とワープロ  小学校から英会話なんてよしてくれという感じです  外国語  いいことするなら、まずさりげなくやれよと、思います  吉本的日本語の倫理  批判ばかりいわんでくれよ、ちゃんともとはとったじゃないか  戦争体験  勝者の言い草だなといわれ、まことにごもっともという感じがしましたね  生活感覚  老いて反省することが多くなったんじゃないかと感じます  進歩派と変化  観念論と唯物論は、そもそも敵対関係になり得ないものなんです  党派性というもの 第三章 老いと「いま」――格差社会をめぐって  ここ数年の日本の移り変わりはすごいもんだと思います  日本的構造  パーティで料理人になったら光栄極まりない。冗談じゃねえぞって思います。  変化の予兆  日本社会が西欧型の資本主義社会に崩れていく  崩壊の予兆  老人の幸福なんて、俺には関心がない  「幸福老人」  景気回復なんて書かれても、ご冗談でしょうという以外に手がない  回復  ひょっとして気分の格差社会ということになるのかもしれません  老人の現在  老人は、これだけは考えに入れておこうという経験をしていない  老人と若者  転向も思考転換のうち  転向のいま  いいことをいいこととして口走るなんて、そんなの駄目だと思うのが正当です  転入  死者と同じで、ご老人も平等だということです  ボーヴォワール  あまりいいことじゃないということが、いまに明らかになると思います  差別とホスピス  つまり、死ぬことは考えていないんです  姥捨ては日本のホスピスか 終章 老いの思想――親鸞とマルクスをめぐって  自分と自分の交換がどれだけできるか  障害者としての老人  一人を助けることが全部を助けることと同じ助け方  老いのシミュレーション装置  老人は死と生との間で、死と生の両方を見ている  親鸞の還り道  マルクスの自然哲学が身体論として一番ではないか  マルクス あとがき――インタビューを終えて 今野哲男 注記等 ISBN4-86248-086-1
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0611 標題 色材論・初期化学論文 叢書名 吉本隆明資料集 60 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 色材論/化学論文 キーワード 色/知覚/色材 見出し・語録 色材論 I(『磁場』第7号1976年1月10日発行)  色の概念 色材論 II(『磁場』第8号1976年4月10日発行)  眼の構造  (i)色の知覚の生理  (ii)色の知覚の精神現象  色の物性論  分子状態と色 色材論 III(『磁場』第9号1976年7月10日発行)  原理的な関心を与える色材  水準の問題  課題の課題 Phenomenon of Bronze in Surface Coatings(『色材協会誌』第24巻4号1951年8月) 一酸化鉛結晶の生成過程における色の問題(『色材協会誌』第26巻1号1953年2月) 編集ノート 注記等 装画 ハルノ宵子
刊行形態 Audiovisual Material 著者 吉本隆明 刊行年月 0611 標題 吉本隆明全講演ライブ集 第15巻 シンポジウム 太宰治論 出版社 吉本隆明全講演CD化計画 出版地 東京 形式 DVD 区分 講演 キーワード 太宰治 見出し・語録 DVD-085 第 I 部 吉本隆明講演  3時間14分21秒           物語のドラマと人称のドラマ (1)11:03           I 生と死の境を越え易い資質 (2)45:11           II 人称のドラマ (3)21:53           III文学・芸術イコール倫理ということ (4)41:36       第II部 講演・質議           菅谷規矩雄 「いたたまれなさ」の世界 (5)20:16           村瀬 学  現代における太宰治の位置 (6)12:53           鈴木 貞美 太宰治の基本形 (7) 14:00           感想ひとつふたつ 吉本隆明 (8)26:37 DVD-086 第III部 討議  3時間12分26秒           シンポジウム いま、なぜ太宰治なのか            吉本隆明・菅谷規矩雄・村瀬 学・鈴木貞美・長野 隆(司会)           時代の中の死 (1)17:32           映像の問題はローカルな問題である (2)8:10           津軽というトポス (3)18:59           人を信頼することは悪なりや? (4)20:38           再び、文学すなわち倫理ということ (5)6:50           津軽・津軽人とはなにか (6)15:41           『人間失格』は文学的生涯の総決算か? (7)18:38           芸と倫理 (8)14:20           母が、世界が、もてないということ (9)7:11           詩人的資質と作家的資質 (10)22:39           政治と文学 (11)16:32           『人間失格』には生涯が見える (12)4:55           表現史のなかの太宰治 (13)7:12           いま、批評はどう可能か? (14)5:16           イマジナリィナンバーとしての太宰治 (15)6:53 添付冊子「シンポジウム 太宰治」目次  会場スナップ 原題・シンポジウム 津軽・弘前 '88 太宰治論 第1部 吉本隆明講演     物語のドラマと人称のドラマ       I 生と死の境を越え易い資質       II 人称のドラマ       III文学・芸術イコール倫理ということ      出席者紹介 第2部 講演・質議       菅谷規矩雄 「いたたまれなさ」の世界        村瀬 学  現代における太宰治の位置       鈴木 貞美 太宰治の基本形       感想ひとつふたつ 吉本隆明         ユニークな〈話体〉の作家         太宰治のサービス精神         売文の最小限のモラル――旅芸人の精神 第3部 討議     シンポジウム いま、なぜ太宰治なのか       吉本隆明・菅谷規矩雄・村瀬 学・鈴木貞美・長野 隆(司会)       単行本『吉本隆明[太宰治]を語る』のあとがき 吉本隆明       シンポジウム前後のこと 弘前大学教育学部近代文学研究会 全巻リスト 注記等 ISBN4-8123-0707-4
刊行形態 Magazine Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0611 標題 吉本隆明・講演『表現論』――'66コンミューン・春の講座 掲載誌(紙・書)名 アナキズム 号 8 掲載頁 180-197 掲載年月日 2006.11.11 区分 講演 キーワード 表現 注記等 1966年5月14日と7月2日の2回にわたって行われた講演録。
刊行形態 Book Section 著者 吉本隆明 刊行年月 0611 標題 遠山啓――西日のあたる教場の記憶 掲載誌(紙・書)名 文化としての数学 叢書名 光文社文庫 出版社 光文社 出版地 東京 掲載頁 235-247 区分 追悼文 見出し・語録 「厳密にいえばそれは敗戦後の数カ月であったかもしれないが、確かに国家が権力を喪失した混沌の時期 が存在していた。わたしは母親と土地の農家から借りたわずかばかりの畠を耕しながら、何がおこるかわ からないその何かを、ただじっと待っていたとおもう。またどこからくるかわからない確かな指示を、そ れが何であれ望んでいた。けれども私が何度でも確認したいとおもうのは、この無権力的な混乱の時期に、 わたしたちは何かをおこすことも何かの指示をうけとることもなかったということである。つまりは左右 をとわずすべてどんな勢力も諸個人も、何の構想力も力ももっていなかった。このことは無条件降伏であ ったか否かという法制上の論議の以前に、はっきりさせておかなくてはならない。また誰がどう弁解しよ うと無権力の、いいかえればどんな勢力や諸個人が何をしてもいい真空状態は確実にあったにもかかわら ず、どんな勢力も諸個人もその可能性を〈視る〉ことも、また空洞を〈発見〉することさえもできなかっ たのである。」 注記等 『追悼私記』(ちくま文庫・2000年8月筑摩書房刊)より転載。 初出:「海」1979年11月 原題・遠山啓さんのこと
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0611 標題 日時計篇 I 叢書名 吉本隆明詩全集2:1950 出版社 思潮社 出版地 東京 区分 詩集 見出し・語録 日時計篇 I 視えざる血行のごとくある「日時計」――吉本隆明ノート 吉増剛造 解題 別冊 吉本隆明年譜[1](高橋義忠編) 注記等 ISBN4-7837-2347-8
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0611 標題 定本詩集 叢書名 吉本隆明詩全集5:1946-1968 出版社 思潮社 出版地 東京 区分 詩集 見出し・語録 固有時との対話 1952 転位のための十篇 1953 定本詩集(I、IV、V) I 1946〜1952 IV 1983〜1957 V 1959〜1968 「佃渡し」まで――吉本隆明「定本詩集」について 北側 透 別冊 吉本隆明年譜[2](高橋義忠編) 注記等 ISBN4-7837-2350-8
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0612 標題 ひきこもれ:ひとりの時間をもつということ 叢書名 だいわ文庫 出版社 大和書房 出版地 東京 区分 インタビュー キーワード ひきこもり/不登校/いじめ 見出し・語録 はじめに 第1章 若者たちよ、ひきこもれ――コミュニケーション能力を過大視するな 時間をこま切れにされたら、人は何ものにもなることができない 世の中に出ることはいいことか/一人で過ごす時間が「価値」を生み出す 「引き出し症候群」の素人はおっかない ひきこもることは問題ではない/他人とのつながり方は、それぞれでいい ひきこもることで育つ「第二の言語」 自分に通じる言語を持つということ/他人に伝えるのは二の次でいい 内臓に響くような心の具合はひきこもらないと直らない 大勢の人と交わることは必要か/「暗いこと」はコンプレックスにはならない 「孤独」をとことんつきつめてその上でやっていく 「正常」の範囲を狭めてしまうから、つらくなる/ひきこもりを直す必要はあるのか 社交下手でも恋愛においてハンデはない 夏目漱石の「行人」にみる恋愛心理/ひきこもりは恋愛において不利か/「食べさせても らえる」環境からの自立 第2章 不登校について考える――「偽の厳粛さ」を子供は見抜く ひきこもりも不登校も病的な状態ではない 「気質的ひきこもり」の区別/問題視しすぎるから、不登校に追い込まれる 「偽の厳粛さ」に耐えられない子供が不登校になる 教室に流れていた嘘っぱちの空気/子どもを苦しめているものの正体 教師が生徒と向き合おうとするから生徒は迷惑する 「余計なこと」はしない方がいい/今の学校が子どもに身につけるもの 不登校の人たちだけでかたまってしまうのはよくない 一般社会と自分を区切らないほうがいい/フリースクールについて思うこと 子ども自身も、自分に対して寛大になってしまっている面がある 安易に許容された子ども達/目先の利く人間にならないほうがいい 学校なんかに期待する親は大きな間違いを犯している 学校の勉強さえしていればいいのか/親は自分が学生だったころを忘れている 第3章 子どものいじめ、そして死について――「傷ついた親」が「傷つく子ども」をつくる いじめる子どもと、いじめられる子どもどちらも心が傷ついている 子どもの心の傷の原因はなにか/母親だけが悪いわけではない いじめている子どもを叱っても何の解決にもならない 強いから、いじめるのではない/いじめられる側の心理 子どもの自殺は親の代理死である 子どもはなぜ、死を選ぶのか/親から子への自殺願望の転移 大人になってから親の代理死としての自殺をした三島由紀夫 三島由紀夫さんは「傷ついた子ども」だった/世界的な作家といわれるよりも 自然死するには生命力がいるから老人たちは体を鍛える 強固な意志を貫いた江藤淳の死/自然死するのは簡単ではない 死ぬ時にはすでに「死」は本人のものでなくなっている どの時点をもって「人の死」とするのか/死を自分で支配することはできない 第4章 ぼくもひきこもりだった――きらめく才能よりも、持続する力が大事 ひきこもっていることがマイナスにならない職業がいつか見つかる ひきこもりの環境と弱点/10年持続することの意味/頭のいい人と競り合わなくていい ひきこもり性だったから物を書き始めた 自分なりの手法を求めて/自分から近づいていく努力 ぼくが見つけた孤独の処方箋は「銭湯」と「神社のお祭り」 引っ込み思案な気質をもてあますとき/大勢の中にいる孤独に安堵する 世の中に対する自分なりのビジョンをもつ 社会に関わる必要なないのか/文学の本質は変わっていない/戦後、考えを修正したところ ぼくが沈黙したくない理由 敗戦後、なぜ文学者たちは沈黙したのか/考えていることは、答えないわけにはいかない 第五章 ひきこもりから社会が見える――ぼくがいま考えていること 君が代もインターナショナルも死ぬまで二度と歌わない ワールドカップで思ったこと/ぼくには歌う歌がない 戦争で死んだ日本人を歴史から抹殺してはいけない 日本の侵略戦争について思うこと/経験したことを白紙に戻すことはできない 9・11から見えてくる戦後という時代に横たわる断層 「同時多発テロ」について思うこと/今の若者たちに言いたいこと ぼくが、あらゆる市民運動を信用しない理由 開かれているようでいて、閉じている集団/方向は自分で決めるべきではないか 老いるということを長い間誤解していた それは、ある日突然やってくる/憂鬱の軌道に入らないために あとがき 注記等 構成―梯 久美子 ISBN4-479-30066-X 2002年12月に大和書房から刊行された元版を文庫化したもの。
刊行形態 Book 著者 吉本隆明 刊行年月 0612 標題 太宰治試論・情況の根源から 叢書名 吉本隆明資料集 61 編集 松岡祥男 出版社 猫々堂 出版地 高知 区分 作家論/講演 キーワード 太宰治/文学論/情況論 見出し・語録 太宰治試論――太宰治の問いかけるもの――(『國文学』1976年5月号)   文学の現在(『而シテ』第5号1976年6月30日発行)   情況の根源から(『乾坤』創刊号1976年8月20日発行) 編集ノート 注記等 装画 ハルノ宵子
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0612 標題 「物書き」よりも「生活者」として 掲載誌(紙・書)名 日経マガジン:日本経済新聞第2部[日経マガジン] 号 27 出版地 東京 掲載頁 18-19 掲載年月日 2006.12.17 区分 インタビュー キーワード 文筆業 見出し・語録 戦後思想の巨人、吉本隆明が、ほぼ半世紀にわたる「物書き」という仕事を振り返った。 「吉本です。ご苦労さまです」 「人に積極的に勧められるような商売ではない」 「いつ起きているかいつ寝ているのか分からない。世間から『ただプラプラしているだけではないか』と言 われればその通りだと言うしかない。それでいて頭だけはいつも休むことはできないで何かに追われている。 しかも、こんなに心身を費やしてやっても、世間的に金がもうかったとは決して言えない」 「そんなもの人が勝手にくっつけているもので、自分の所有物でも何でもない。そんなことは関係ないよ、 自分が考えていることに比べると、名誉や名声なんてものは大して意味のないことだと、なりますね」 「子供のころから技術者になって現場で装置を作ったりするのが理想だった」 「文筆業なんてばからしい商売だよと言ったことはあるが、いい商売だと勧めた覚えはない。文学というも のはこういうものだと僕の方から教えるようなことはしなかった。おやじからは一切構わないというのを方 針にしてきた」 「何とか不自由ないくらいでやっていくことができる。しかし、蓄えはない」 見開き2ページ構成 左に肖像写真 右に自宅の書斎の写真 「自分が書いたものが多くの人を傷つけたり死に追いやったりすることがあるかもしれないという罪業意識 を常に持っている。」 「普通に働く人の生活感情を損なう可能性があるという覚悟と配慮が絶えず必要な特殊な職業」 注記等 特集「書く」ということ インタビュー記事:宮川匡司 photo 三浦和人、写真部・半田裕久(p18) 「THE NIKKEI MAGAZINE」は日本経済新聞朝刊(毎月第3日曜日)に付属するB4変形判(大型サイズ)32 ページフルカラーですが、東京、神奈川、千葉、埼玉の日経新聞宅配購読者限定なので、その他の地域およ び店頭では手に入らないようです。(記事内容は、「NIKKEI goo:日経四紙」サイトで有料購読可能。)
刊行形態 Newspaper Article 著者 吉本隆明 刊行年月 0612 標題 加速する「人間消費社会」:ホリエモン「刺客」亀田選手・・・“寵児”次々使い捨て;目先だけの “空騒ぎ” 掲載誌(紙・書)名 東京新聞 出版地 東京 掲載頁 24-25 掲載年月日 2006.12.23 区分 コメント キーワード 情報社会/都市化 見出し・語録 「若い人は持続性や根気のいることが好きでない。『どうせ社会は良くならない』としらけている。文学で も、短距離、瞬間的な作品が大勢を占め、そうでなかった人も引きずられている」 吉本氏は情報社会の進展による「都市化」を指摘する。 「生産から消費までのサイクルはコミュニケーションの発達した大都市ほど短い。いつもそわそわ過ぎてい くのが都市の時間で、その傾向が強まっている」 「文学ではコミュニケーションにならない言葉がたまってくるほど、いい作品ができる。有名とか無名とい うのは見ている人の問題で、当人にはあまり関係ないこと。自分の考えることをやるのが第一。だが、現在 は(目立つことが社会の尺度となるため)好きなこと書くという作業が難しくなってきている」

「吉本隆明2006年著作リスト」/kyoshi@tym.fitweb.or.jp 2007.02.28