十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)
最終更新日:2012/01/03朝のお線香をあげようとしたら
仏壇の引き出しがあいたままで
覗いたら名刺判の古写真が3枚。
懐かしい縁側を背に祖父が杖を
ついている傍らの細い松の木は
引越しの際に移植して今も元気。
家族ともども過ごした部屋など
煤払いなどしたりしているのに
薄らぐどころか年々歳々鮮やか。
掃除ついでに普段は滅多に手に
しないLPレコードを取り出せば
買った頃の事なども響き渡って。
今年も町内に新築家族が加わって
育て育てられる部屋じゃ片手落ち
介護の部屋を待って家は完成する。
煤払いどころか看取ることもない
消息に晒され続けたまま持ち堪え
払えぬ〈隔たり〉ばかりなりけり。
どれくらい履修生が教室に顔を出すか
年内最後の(振替え)授業日をめがけ
厳冬期を前倒したような降雪と寒さが。
バス停への近道の通学路は除雪がなく
遠回りして出かけた路線バスの窓から
そば屋の屋根の雪庇に群がる鳩の姿が。
融雪装置のない歩道の除雪は見られず
ゴミ出しの近道になる私道を除雪する
住人がいなくなれば町内から公徳心も。
冷えきったコンピュータ室を明るくし
教材の準備などしてチャイムを待てば
二桁に満たない座席に温もりが訪れる。
挨拶を交わしたり練習目標も持てずに
名ばかりの中学の部活でも後片付けや
掃除などいつもやっている男子部員が。
光ファイバーの引込線のモール状の
着雪も窓を暗くするようにせり出す
屋根雪も部屋が暖まるうちに千切れ。
はぐれムクドリが凍ったように動かず
薄ら積もった屋根雪が昼近くなっても
融けなくなってくると庭先の融雪準備。
駅前広場にたむろしていた鳩どもが
渡り廊下みたいなアーケード屋根の
両端の梁にびっしり群がっていたり。
さまざまな年代の男女が群れる良さが
高校を出たばかりから頭のはげかかった
学生まで集っていた夜間短大の三年間に。
路線バスの乗り継ぎがうまくいかない
時節柄とはいえ一コマ分の時間をかけ
教室に出かけるのもまんざら悪くない。
問題集だけじゃなく弁当までもらったり
東京でのたった2ヵ月の司書講習の折も
受講生の自宅に泊まりがけでよばれたり。
人前で話したり書いたものを見せたり
気恥ずかしさが避けられない場所へと
入り込んだり出てくるための道中時間。
囲炉裏と火鉢と行火と湯たんぽで
冬をしのいだ田舎の子供のころが
忍ばれる冷たい廊下や縁側の素足。
寒くなると無意識に両足の外側で
歩く癖が抜けなくてまたやってる
なんてお袋の声が谺しそうな仏間。
座りながら足の運動をやらせても
ほとんど歩けなくなった足の爪が
丸くなって両端が指に食い込んで。
五感から脳に伝えられる情報量の
数十万分の一が意識化されるなか
手や足の指をどのように使い分け。
届いたばかりの甲野氏のDVDにも
出てきた“みち山”で戯れるうちに
裏山や川原遊びの足裏感覚が戻る。
路線バスを乗り継ぐ外気温と車内暖房や
乾燥したコンピュータ教室の出入りなど
温度差で鼻や喉がおかしくなりがちだが。
冷たい雨が降るキャンパス内のバス停の
バス待ち学生は乗車口に群がり集まって
先を争うでもなく列ぶでもない姿のまま。
ここ十年余りあいかわらずの眺めの外で
最後に乗り込んで吊り革に手を伸ばした
手を振って席を譲る女子学生を座らせる。
図書館勤めで通っていた1980年代頃の
キャンパス内のバス停だったらまるで
競ったり譲らす列んで乗り込んでいた。
寒い夜の学校開放の小学校の体育館で
バドミントンのネットを張っていたら
わたしを覚えていますかと声かけられ。
高校バドミントン部を引退したての
スポ少OGが練習場所が新しくなった
校下バド班の新顔になってくれようか。
手と顔のどちらをより動かしているか
朝の洗顔が井戸水からお湯になっても
洗面所を使った濡れ具合が左右され。
迎えた朝によって立ち上り具合が違う
線香の煙のような背筋の撓りを支える
骨盤の座りの良さで立てた幼児記憶へ。
脳に届けられた五感はどう意識されて
どのようなパターンに圧縮されたかが
記憶されていないと思いだせないのか。
肩が凝って詰まって滞ったのを感知し
痛みや疼きの身体的一次情報が失せた
状態になって感受する身体的零次情報。
アナログとデジタルとの写真の違いは
同じような風景を眺めれば眺めるほど
圧縮できるかできないかの違いにある。
読みとった中身が違うさまざまな本も
書誌事項を取り出して二次情報化して
目録にしてしまえばどれもこれも同じ。
寒さとともにきつくなるどころか逆に
薄らと積もった屋根雪が消えたように
肩や腰の痛みが跡形無く消えたようだ。
とかくキーボード作業に費やしがちな
窓際机のお伴といえば古びた双眼鏡と
ズームレンズのデジカメで眺めること。
四季折々庭で写したものがほとんどの
デジカメ写真をすべてデスクトップで
シャッフルしてスクリーンセーバーに。
円形の視野から方形になってしまった
ソニーのデジタル双眼鏡の倍率不足を
補ってあまりあるような使い心地よさ。
見たいものにするするピントが合って
光学式みたいにぶれにくい眺めよさが
以前のような頭痛や酔いを遠ざけるか。
視覚を違和感少なく延長したみたいに
動画や静止画で残し何度でも楽しめて
かってのウオークマンみたいな面白さ。
かすかに舞い落ちる楓や銀杏の葉は
そんなに音がしないが欅に吹く風で
舞い落ちる乾いた響きに季節が流れ。
これまでとこれからの時空を撫でて
枝を離れ地面に落ちるまでの一時に
さまざま曲面が現在に散りばめられ。
NHKの「談志が死んだ」追悼番組で
やってくれた「芝浜」を見たりして
わが家のDVDの出番がまた遠のいた。
週末の落語番組を欠かさず録っても
もう聞けなくなった枕話の代わりに
『現代落語論』など引っ張り出して。
手持ちを全部聴き直したって師匠が
声帯切除を拒んでまでいったい誰に
向け語り続けようとしたのだろうか。
デキシーランドジャズみたい饒舌で
誰でもない誰かみたいな誰かに向け
ウッディ・アレンの映画のようにか。
12月に入ったからといって何も
急に人が変わったみたいに寒い
だなんて平年並みを失念したな。
桜と銀杏に挟まれた公園の並木道
週に一度ばかりバス車内から眺め
通りすがりの見ごろを逃したのか。
庭など見ても今年は独り立ちから
逸れたみたいに成熟を拒んだまま
季節をやり過ごしたみたいな紅葉。
体育館で運動する小・中学生にも
教室で授業中のこの頃の学生にも
いつも思い知らされるような眺め。
仲間はずれにならない範囲でしか
頑張れないような持続のメモリに
どこで誰が感受性をコントロール。
十年一昔を吐き出すような岸辺に
ようやく立てたとしてもお節介を
櫂にして贈与の海へ漕ぎ出ないと。
ちと晴れ間に試し撮りをしようにも
にわか腰痛の養生優先の窓際越しに
日ごと濃くなる雪化粧の山肌を数え。
スポ少バドの準備運動で腰が痛くて
前屈できなさそうな男の子の場合は
股関節をたたむように意識させたが。
期末評価中で近所の中学バド部活も
休みでよかったが腰痛を養い始めた
中二の頃の薪割りの手伝いの思い出。
たぶんやり方が拙かったのだろうが
その後のうつむき加減な姿勢なども
骨盤の向きを狂わせることになって。
バランスボードで不安定を呼吸して
思いもよらない腰部に気付きがあり
伸びやかな姿勢を体感できた不思議。
さんざん前屈できない痛みを味わい
慣れ親しんだ小康状態の行き止まり
よもやの後屈しがたい痛みに出会え。
冷たい風雨に出足も鈍りがちな昨日は
アフター5のライブを楽しみに出かけ
Org.+g.+ds.のトリオ演奏で温まる。
数十人のこじんまりとした会場までの
人間を顧みること無く敷き詰められた
市内の紅葉名所の落ち葉が街灯に濡れ。
二度目のギタリストの人相を見間違う
ほど西海岸から東海岸までサーフィン
したみたいにプレイもホットになって。
最初に聴いた近所のライブハウスから
場所を違えてデビュー10年で節目の
セカンドセットに出会えた巡り会わせ。
双眼鏡をやおらデジカメに持ち替えて
好みのミュージシャンの節目の響きを
撮るみたいに眺めた瞬間を録り逃がす。
予備の眼鏡買いを先延ばしするうちに
曇りが出たみたいな使い古し双眼鏡を
デジタルに買い替えた眺めはどうなる。
近所のコンビニで時限付きライブチケットを
受け取りにゆく出足をためらわせた雨も止み
庭で傘干しついでに棒など振り回してみたが。
自転車やスキーなどの右回りと左回りで違う
感じがしていた身体の偏り具合も薄らいだか
抜けたみたいな寝る前の骨盤体操の繰り返し。
今朝も『富士日記』が夫婦の話題になったが
体幹に業務報告を書いては消すような動きの
メモみたいな日記が書けたら面白いだろうに。
いつどこで何をしたぐらいをメモっただけで
毎日なにを食べたかは途切れてしまっている
手帖日記の次年度版にどんな気付きがあるか。
映画で観たワンルーム型移動式住宅の暮らし
向きは土地所有とは違い定住を仕切らないで
公私をひっくり返すように日々を過ごすのか。
釣れない川の土手でひっくり返ったりすると
流れる雲の上からか下からか眺める居場所が
消えてしまう午後を過ごした遠い少年の帰路。
数日前に初冠雪した山並みに立ち止る
歩道橋の真ん中あたりがなんだか街の
新築家屋から消えた縁側の眺めみたい。
虚弱で5歳になってなんとか立てた
夜中の縁側でのおっかなびっくりな
姿勢に間違いでもあったのだろうか。
老いにさしかかった印みたいな痣が
消えるように肩の疼きだけじゃなく
万年雪みたいな痛みもなくなりそう。
起き抜けの持病と化した腰痛からも
解放されそうなくらい首の辺りなど
柔らかくなり後頭への凝りも抜けて。
家族の抜け道として見直したように
縁側を増築してつないだ納戸の上は
書棚を作り付けた書斎の居心地よさ。
古びた建具と柱に隙間ができてきて
安普請のツケが回ってきたようだが
居ながら部屋の外に通じる軒端感が。
つかの間雲の切れ間からのぞいた
山肌の尾根筋あたりを辿ってみる
季節を変えて移ろう朝陽の登り口。
風呂場も冷暖房するようになって
ぬるめ設定で年中変わらぬ湯温に
夏から冬へと湯量を変えてみたり。
銭湯の行き帰りも落ち着かなくて
もらい風呂していた田舎から街の
団地の一軒家に越したばかりの頃。
屋根からすぐ空が広がるばかりで
夕陽が沈むねぐらや月が顔を出す
山の端がどこにも見当たらなくて。
郊外に新築した一軒家に移り住み
数十年を経てリタイアするまでに
月日の数え場所を彷徨ったことも。
積んでは崩す書斎の本の佇まいや
リスニングルームで積み重なった
音響装置に田舎と街の住み心地が。
秋の終わりに催されがちな同窓会を
いつも見送らせてもらっているけど
愉快な授業をやった先生を思いだす。
前日の疲れが残っているようでなく
よくない天気のせいでもなく何故か
場数を踏むほど授業やコーチが嫌に。
我に返ったらとても交信不能としか
思えないのに続けたりしているから
13〜4歳の子どもらがETに見えたり。
お喋りがどう伝わってるか解らない
教室の学生だってクールというより
無反応としかいいようがなさそうで。
老いぼれ体内時計と若い体内時計が
共鳴するような話のネタなんてのは
教科書のどこを探しても見つからず。
まず人としての挨拶がやりとりでき
与えられた当面の目標に向け励んで
より遠くの折り返し点に気付くまで。
リットウという響きを曲線に撓ませ
あたりの木立の枝が露になるように
枯葉が太陽エネルギーに別れを告げ。
さすがに文庫本は並んだりしてない
この頃の図書館の新着案内に新書が
業界の抜け毛みたいに貼付けられて。
ミニ三脚をポータブル三脚に新調し
ひっくり返ったりしないデジカメの
クリアな画像に追いつけない被写体。
デジタルハイビジョン技術を縦横に
使いこなすテレビ番組を当てにして
買い替えたテレビで観ているものは。
ゴジラ映画みたいに座頭市を楽しみ
地べたから薄らいだ故郷の痕跡など
拾い集めるように古い邦画を見直す。
電子書籍に読みたいものがないから
テクノロジーの里山で遊ぶがごとく
土間の埃塗れの文学全集を並べ直す。
惜しみたくなるような秋晴れに浮かぶ
晩秋の山肌に続く山道の上り下りなど
出かければ体調も何とかなりそうだが。
新築成った小学校の体育館で1年ぶり
ネットを挟んだ打球音に躰の衰え方を
補うような打ち方が技となって響いた。
結婚10年で冷めきった夫婦が祖父の
葬儀の帰り動かない車を降り迷った
山道を辿る二人の心身の展開ドラマ。
二人道中にどんな気付きがあったか
一度だけ尾根筋を辿って山小屋まで
ガールフレンドと上り下りしたときに。
行き帰りをショートカットするみたい
“みち山”にほぼ毎日乗っかっていると
無意識に自問自答する体内でやりとり。
絡めとられる澱みや力みを脱ぎ去れば
不安定だからこそ骨盤の締まりも良く
立ちつつある姿勢に呼吸も深くなって。
庭で小動物を追う猫も見かけなくなって
遠く今年一年の幕が下がり始めたように
山肌のグラデーションが聳え立って見え。
高校時代に拾った猫と死別して飼わず嫌い
見かねたヨメが写真集を買ってあげるほど
猫好きだったお袋の晩年にも猫は添わせず。
散歩で出会った猫の写真を撮ってみたり
ネットで気に入った猫の絵を取り込んで
飽きず眺めたりしていた描き手の映画が。
米国生まれ収容所を経た日系二世である
ニューヨークの路上暮らしホームレスの
描いた絵の猫に懐かしいような見覚えが。
老いた日々の身近なかけがえのない慰め
軍国青年の戦後を生きぬいてきつつある
詩人・思想家が愛おしんだ猫との別れも。
孫が落っことして壊れた前足をくっつけ
母の忘れ形見のようにお手をする小さな
猫の置物が部屋の隅っこで別離を惜しむ。
秋の行楽案内には見向きもしない毎日だが
ネットやCDじゃなく生で聴きたいバンドの
来日公演チケット抽選案内に応募しそうに。
路線も空路も道中が乱れやすい2月初め
後期授業の期末評価提出時期に重なるから
北陸地区でのサプライズを待つしかないか。
前期に続いて後期も履修を届け出ていて
教務に確かめたら体調不良らしかったが
未だに教室に姿を見せない空席が鈍色に。
司書資格を手に図書館の狭き門をくぐり
正職員になって同僚から一目置かれても
利用者が認めないことには司書じゃない。
晩秋の山肌に高度を下げる旅客機が映え
娘専用路線バスみたい混み具合の帰路で
行く手に夕陽が反射して中也詩の輝きが。
「町ゝはさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
しかはあれ この魂はいかにとなるか?
うすらぎて 空となるか?」(中原中也)
冬場を迎える雪囲い作業だけじゃなく
自転車やスキーなどのアウトドアほか
災害時などにも使える防護帽子を新調。
冠って遠出どころかこの秋にめでたく
開店10周年を迎えた近所のイタ飯屋に
出かける二人の愉しみも先送りのまま。
月〜水の午後は近所の中学生の部活へ
木曜はバスで市内西部の短大の教室へ
空いている週末の愉しみはわが部屋に。
リタイア後に近所でジャズライブなど
足が運べるようになって期待していた
ライブハウスは店を閉めたままみたい。
使っているPCのOSアップグレードも
手持ちの資料やら教材などを用意する
ソフトなどが動かすどうにもならない。
虚弱児の成れの果てのような体力でも
衰えを受け入れるような躰の使い方に
ようやく気付きがあれば老いも愉しみ。
バス乗り継ぎ待ち合わせに遠くない
公園に入り込んだら地面を啄んだり
じゃれあう鳩の群れが陽射しを浴び。
いっせいに飛び立つ動画を撮ろうと
踏み込んだ足音も無視されてしまい
まるで体育館に群がる中学生みたい。
水音のする池を覗けば餌付けされた
錦鯉が音も無く足元に寄り集まって
何やら質問してくる女子学生のよう。
いまどき体育館や教室を見渡しても
異議申し立てをしなきゃおられない
若者の姿が映り込む気配はなさそう。
「ウオール街を占拠せよ」だなんて
モバイルデモが日本にまで波及する
受け皿世代が生息する余地があるか。
電柱のカラスの頭上じゃトンボが
人気の無い公園の樹上に旅客機が
デジカメ写真に写り込んだりして。
なんだか衣替え時期になると体調が
陽射しを乱す突風に弄ばれたように
おかしくなったりしがちな散歩日和。
市民ランナーで賑わう環水公園を避け
ヨメが知人からもらいうけた整理券で
立ち寄った市民ホールの客席で一休み。
真夏に聴かなくたって身体も和んで
スカを弛めたロックステディそして
レゲエに乗っかる頃に体調が戻った。
スクール・コンサートだとしても
ジャマイカロックスを楽しむのに
あまりにも行儀が良すぎたような。
四十にして惑わずなんていうけど
亀の甲のように身体に張り付いた
様々な枠からどれだけはみ出せる。
五十過ぎたら骨盤を立たせるよう
呼吸できないことには支えなしで
力を使える老齢と擦れ違いそうに。
おふくろの介護に明け暮れた日々の
余興に使い始めた掃除ロボットだが
ひろい部屋だと作業半ばで動かない。
終いかけたノートPCの機種を問い
マックと知ってウィンドウズPCと
どっちがいいですかと学生に訊かれ。
彼女らはUnixのX端末でMosaicを
動かすネットサーフィン初体験や
UnCoverでの初検索の感動に無縁。
面白いのがマックと学生に答えたが
愛嬌があってなにより使って愉しく
風情もあった家電なんてざらにない。
介護に時間を費やすことがなくなり
気分転換にもなる掃除をロボットから
わが身に取り戻したほうがいいのかな。
音もなく近寄って教壇に差し出され
ありがとうと演習課題を受けとれば
スキップする足元に傾く秋の陽射し。
秋晴れに恵まれた連休中日の午前中は
眼鏡の修理がてら郊外の専門店めがけ
久しぶりの寄り道サイクリングが快適。
バスに乗り換え街中のライブ会場では
ブルーグラスの薫りを嗅ぎつけてきた
聴衆のほとんどがジーパンじゃないか。
前日に市内でのライブ情報を知ったが
十数年あまり土曜の朝の定番になった
FM番組で聴いたバンジョー弾きが来富。
主役のバンジョーに絡むキーボードに
ベースとブラッシュ・ワークが刻んで
音合わせもなくいきなりはじまったよ。
アイリッシュ音楽を切り絵細工模様に
ジーンズで決めたカルテットの響きが
ジャズをホームにしてきた耳に馴染む。
開演前に立ち寄った中古レコード店で
探したり尋ねてCDを手に出來なくとも
アリソン・ブラウンのライブに弾けた。
暑かった夏休みも時雨模様で終わり
後期の授業に出かける路線バスの窓に
シャッター銀座が飛び火した眺めが。
渡る橋の上手の中州に群がり降りた
鷺が地蔵のように一斉に西を向けば
カインド・オブ・ブルーがiPodから。
50周年記念限定盤なんてのも出たが
歿後20年になるマイルスをテレビで
追悼していたのが信じられないくらい。
Apple製品を使い込んでいないのに
新製品を発表していたS.ジョブズが
IT業界のM.デイヴィスに見えてきて。
MacBookでWindowsを立ち上げ
毎朝のニュースを開いたりiPadで
遊ぶヨメと出かけたマイルスの生。
中3だった娘がHyperCardで遊んだ
MacPlusや孫と玩具にした動かない
グラファイトMacをどう供養しようか。
なにかと荒れ模様続きだったせいか
朝から晴れ上がった秋空を身体深く
呼吸するかのような立山連峰に初雪。
庭で未遭遇の昆虫を探すあてもなく
接写したナメクジの画像をどれだけ
大きくしたらツチノコ擬きになるか。
コムラサキやムラサキシキブを実の
付きかたで見分けるように気付かず
型にはまってしまった身体を脱いで。
足指で内蔵を掴むように赤ちゃんが
立ち上がって母の懐に抱きついては
まだやってこない他者の影を飲むか。
体癖が隔てる間合いを見計らえたら
幾つになっても叱ってくれたりした
母の小言代わりになるような出会い。
相方や他所の人だけじゃなく自分を
他人のように扱えるようになるほど
身体の動きが抜け出る通り道が伸び。
通勤族じゃない日常を奇麗さっぱり
洗い流すような朝っぱらからの雨で
庭師の手入れが際立った庭に潤いが。
夏場を避けたみたいに遠ざかっていた
近所の寿司屋にヨメが電話予約をして
飲み頃に開栓された白ワインが待つ。
付かず離れず弱ってきた歯や胃袋など
二人の内蔵のはたらき具合を見据えた
カウンター越しの寿司職人のもてなし。
ミュージシャンも内蔵に働きかけるが
お腹いっぱいなんて事にならないから
飽きず新譜を追いかけどこまでも行く。
R.クーダーやB.フリゼールやK.モーに
どこまでも気付きの橋を架けるのが
選書の夢であるような身体の開眼を。
埋め合わせようのないすきま風が響く
思うことと為すことのあいだが開いて
内蔵と体壁がいつの間にか歳をとるか。
秋めいた庭の草をむしり始めたら
剪定にやってきた庭師が草刈機で
年内内作業の余地がないくらいに。
背戸の伸び放題の雑草を引き抜き
生えていた茗荷を摘んでおいたが
庭の虫たちは呆気なく一網打尽か。
トンボが揺らぐ羽根の破れ目で
風に飛ばないよう細脚を絡ませ
光ファイバーの引込線を探って。
ソ連邦が崩壊した時も驚いたが
再実験が予定される光速超えの
ニュートリノの実験結果の公開。
論文をiPadで開いて見ただけで
さっぱりわからないとまどいを
隠すような数の著者にびっくり。
九月は日が短くそして二月は長く
なるせいであっという間に月日が
加速されたみたいに過ぎてしまう。
成人の日と秋分の日の三連休の間も
休まず降り続いた秋雨が止んだのに
山間の温泉プランは立ち消えたか。
涼しくなったのに散歩に出かけず
居間の通りすがりに「みち山」で
道草するのがまるで日課のように。
家に居着きながら過ごす部屋など
何をするかに合わせてあちこちへ
場を使い込むほどに身体が目覚め
先頃亡くなった往年のバド女王が
何度も見切った羽根球に納得せず
試合を中断し測ったラインに誤り。
それほどまでにバド空間へ身体を
溶け込ませてしまうまでの鍛錬を
成し遂げたプレヤーに魅せられて。
五歳過ぎてようやく立ち上がれ
歩きはじめた幼少の身体感覚が
足裏遠く甦ってきそうなこの頃。
未完の映画を繋ぎあわせたような
介護の日々の主役が逝ってしまい
使い込まれた4畳半の切れ切れが。
ゾンビ映画好きだと画面展開を追う
面白さだけじゃなく観ている自分の
反応も合わせて眺めている面白さが。
見終われば何も残らなかったのに
スクリーンからはみだしたような
ゾンビもどきが見え隠れするから。
福島原発事故による放射能汚染物質の
数値や基準値との関わりなどの公表が
あやふやだと花火大会の中止騒ぎにも。
JR北海道社長が社員に宛てた遺書も
公表されて「敬老の日」の肌寒さが
五つの箇条書きにワープロで打たれ。
猛暑日をはさんだ三連休を抜けたら
長袖を引っ張り出さなきゃならない
寒々とした秋雨模様の列車が待受け。
午前を過ごす2階の部屋に差し込んだ
朝の陽射しが遠ざかってしまったのに
そぐわないような残暑が居座ったまま。
愚痴や文句が少ない日常のひび割れか
右肩の疼きを漏らすヨメのぼやきだが
今週はまったく聞かされていないのだ。
長ったらしい名前を「みち山」に縮め
大小半球状に混じってかまぼこ形ほか
木製の支柱を並べ替えて乗っかるだけ。
空模様などにも体内の調子が左右され
身体の節々の痛みなど年相応とばかり
バランスを損った身体姿勢に気付かず。
首筋から肩にかけて凝りが抜け去った
あまりのあっけなさに体内も柔らかく
十数年来の左肩の痛みが失せたように。
裸の王様みたいに着込んでしまったか
いつの間に着せられてしまったような
体壁の歪みに気付かない日々を過ごし。
ぶり返した日中の残暑を冷ますように
中秋の名月がほぼ半年経った被災地と
同じように見上げる足元を明るくして。
たまには身過ぎ世過ぎにかまけないで
あれこれ思いを巡らそうにも切実さが
よく伝わらない見えにくさと判らなさ。
そんな身体を届いたばかりのバランス
ボードに立たせてみれば「快足くん」で
得られなかった初めての心地よさへと。
おっかなびっくり不安な毎日が続く
足下を離れ宙を彷徨うように遠方へ
視線とともに気持ちが運ばれてゆき。
全米オープンテニス男子決勝に合わせ
早起きすれば昨年の惨敗から気持ちも
身体も入れ替えたようなジョコビッチ。
疼いて止まない肩の痛みも薄らいで
ヨメともどもそれぞれの姿勢を育む
700×500cm板上の山歩きの始まり。
花持ちが良くなかった夏場も過ぎて
ヨメが買ってきた仏壇に供える花に
紛れ込んでいたコオロギを庭に放す。
伸び放題の雑草の彼方から英文で
更新作業が滞ってるホームページの
リンク切れへの対処を促すメールが。
刈取りがはじまった田圃で落ち穂を
拾うようなWebページの見直しなど
後回しにしてきたツケも先延ばしに。
引きこもり暮らしでもないけれど
当該期間の国保の給付がないから
市当局の健康優良家庭に指定され。
年度末が請求手続きの締切りだが
さしあたって出かけてみたい温泉も
これといった運動用具もなさそう。
地べたを離れて海をボートで走り
空をグライダーで飛ぶなんてのを
年甲斐もなくやってみたいのだが。
背戸の茗荷ひとつ抜かないうちに
寝起きの井戸水で洗顔する触りや
開け放った窓を抜ける風の心地へ。
慣れ親しんだヨメの手料理なのに
味わいが身体モードの様変わりを
微かに知らせるかのように深まる。
オーディオ機器の電源を切り忘れ
一晩暖められたホームシアターに
フクロウの冒険アニメ映画の名残。
この夏は四十本ぐらい観たなかで
アニメ映画以外で面白かったのは
何だったか憶えていないようだが。
引きこもり青年がこしらえた32の
おたく的ルールを頑固に守りながら
ゾンビ世界をしのぐ「ゾンビランド」。
母親があつらえたレールから外れる
女子高生の身振りや声の響きを映す
「ローラーガールズ・ダイアリー」。
朝晩に虫の声が響くような頃になって
毛虫が桜の葉っぱにたかりだしはじめ
なんだかまだらな夏のおしまい模様に。
モバイル通信の名残みたいに持ち続け
音声通話が聞きとれにくくなってきた
PHSと縁を切りにくくて機種更新など。
素浪人暮らしに携帯電話も要らないが
どうしようもなかった状況での通信に
まとわりつくような来歴だけが残って。
聴けば耳の年齢などどうでもよくなる
上原ひろみとK.バロンの新旧ふたつの
トリオによるライブで8月の幕が降り。
かっての同好の顔ひとつ見かけない
半入りの会場での盛り上がりように
今後もタレントを呼ぶ若さが埋もれ。
猛暑を理由にご無沙汰していた庭の
草むしりを再開するほど涼しくなく
今しばらく明け方の二度寝を貪るか。
継続者が絞られてしまったような部活だが
夏休み中にクリアをしっかり打てるように
なれなかったと1年生部員の言葉が聞こえ。
1時間余りしか体育館が使えない週なら
部員が手分けして準備や後片付けをして
練習に取り組む姿勢が飛距離を残すのに。
先輩後輩の挨拶をはじめ当たりまえの
十四歳前後の気付きといったことなど
往年の僕らほどには単純でないのかも。
先生や親の面に見向きもしないなんて
誰にもあることで動機を見失っただけ
家庭や学校をとりまく関係が様変わり。
いじめも家庭内殺人も自殺願望の因果も
ますます複雑で微細に高度化してしまい
怒鳴れば怒鳴るほど生徒は自発性を損う。
他者に対する問いかけだけが溢れ出し
どうしようもない成り行きを前にして
どんな歯止めも仕掛けも押しつぶされ。
豪雨に出ばなをへし折られないように
外出した界隈が大泣きした後みたいで
デジカメを持ち歩かなかったのが残念。
バットやラケットを握ったらボールや
羽根球を打ち返してみたくなるように
デジカメを持ち歩かないと写真はない。
何が聴きたいかはっきりしていなくて
買い揃えたオーディオ装置に促される
ままに聴き込むうちに愛聴盤も増えて。
高画質大画面のテレビにした部屋では
前月に一緒に見た映画の本数をヨメに
告げられ驚いたりするような映画漬け。
雨上がりの北アルプス連峰を目で聴き
耳で触ったりするように積乱雲が動き
午後の空に山びこが高く谺したようだ。
この夏の川原で見失った言葉の花火を
銀河系の彼方まで追いかけ続けられる
身体は音楽や写真で引き延ばした道具。
先週末からあっけないような涼しさで
暑さの名残をかき立てるような食卓が
適度な運動をやったような汗をかかせ。
山歩きをしなくなって数十年になるが
身体を浮かせる足裏感覚を呼び戻して
墓参りの僅かばかりの山道の行き帰り。
新聞配達を爺婆に代わってもらって
顔を見せた小学5年生の孫は雨風の
日々は歩いたり走ったりしているか。
小・中・高と朝の配達アルバイトで
乗り回した中古部品を組み合わせて
作ってもらって買った自転車の走り。
幾つになっても抜けない夏の想いに
5ヵ月になる被災地の夏との距離が
解けなかった宿題のように取残され。
秋雨もどきで散歩もままならないと
快足くんなる足裏健康器具に立って
ラケットや木刀を振ってみたりして。
道端のムラサキツユクサが涼しく揺れ
連日の断続的な豪雨で暑さが途切れて
朝露に垂れた稲穂を渡る風に秋の気配。
潮が引くように蝉の鳴き声も消え失せ
夏休みも後半に入った部活に顔を出す
生徒らにやや持続の手応えが見え隠れ。
学校内でほとんど頭ごなしの物言いに
晒されつづけてきているからだろうか
腰をひいた防御姿勢が常態になってる。
高校を経てきた新入生と顔をあわせる
最初の教室の微妙な空気感が謎だった
現状を忌避したいがための中庸姿勢も。
新司書課程教育の依頼された科目だが
先延ばししていた書類作りをそろそろ
仕上げないと締め切りの夏が終りそう。
とりあえずなんとかでっちあげないと
そんなことより思いがけない孫二人が
遊びにきてくれた時間がこの夏の贈物。
乾いた庭木に水やりでもというところで
お盆休みに入って午後の雨が定番になり
この夏の散水ホースの出番は先延ばしに。
わが家の井戸水やお花を携えJRを使って
田舎の遠い親戚と入れ替わったみたいに
娘夫婦が掃除をしておいてくれた墓参り。
つくつく法師の初鳴きを耳に坂を下って
待たせたタクシーに乗り込んだ遥か向う
なにもかも覆い隠すような入道雲が輝く。
様変わりようをデジカメ片手に散策など
墓参りの度にかっての遊び慣れた界隈の
暑さに負けてとんぼ返りで夏を折り返す。
狐火を見たりしたこともあった火葬場の
跡形もないざわめきを擦り抜けるように
遊びに農作業に行き来した山道を下れば。
十四日にお墓参りをすませておいてから
明日は家でのんびりと3回戦に進出した
新湊高校の応援を勧める運ちゃんの声が。
掃除ロボットも手が届かない扇風機や
照明器具の埃を吸い取ったりしただけ
庭の草抜きも暑さで中断し伸び放題に。
ねずみを追いかけたりしていたみたい
ヌード写真を隠しておいた畳の下から
つるつるした青大将が鎌首をもたげて。
お盆前が近づく前に畳を天日で干して
家中を大掃除したり夏草を刈り取った
遠い田舎暮らしの習慣の名残はどこに。
お袋がやってくれていた墓掃除も介護の
日々で途絶えたままに引き継ぐことなく
年に一度のお参りついでに済ましている。
夏戸に入れ替えたざしきに寝転がって
縁側の向うに広がる青田を渡ってきた
夏山の便りを読んでくれた少女の弁当。
2ヵ月の司書講習に通った都会の夏が
大教室から枝分かれしたように途切れ
蝋燭立てのようなスカイツリーの夏へ。
前期授業の学生の評価を発送し終え
ようやく夏休みのバカンスに出よう
なんて話にならないわが家の居心地。
4ヵ月時間講師をやったら2ヵ月の
空きがやってくるというパターンで
素浪人気分に舞い戻ってまた出直し。
1週間単位で朝、昼、そして午後と
時間帯がローテーションする近所の
中学校の部活コーチも夏の定番だが。
川釣りに明け暮れた田舎の夏休みに
遡るみたいな昆虫や植物採集少年が
呼吸していた時間が夏のドアを開け。
ヨメともどもリタイア後に何をする
なんて思ってもみなかったあたりで
思いがけぬ事態や介護の歳月が過ぎ。
窓際にやってきて鳴きはじめた蝉が
飛び去ってしまえばいつまで続くか
見えないものとの対話のはじまりが。
夏山の稜線がのぞく沸き立つ雲間から
遠く盛り返してきた暑さに乗っかって
庭の松の幹にも油蝉が群がり八月公演。
マーク・リボーと偽キューバ人たちの
富山ライブに圧倒されたというよりも
野外ライブの音量をクラブハウス内で。
背中を丸めるようにエッジを効かせた
ギターサウンドを響かせるステージが
PAの音圧でモザイク状に歪んでしまう。
80人あまりの若い耳は平気のようだが
ジャズライブ会場に出かけるたび誰だか
見知った顔に出会うなんて事もなくなり。
年とともに何事にも鈍感になるように
見えていただけで狭まる許容の変化を
持て余すような戸惑いをくぐり抜けて。
コンサート後の近場で旨いウイスキーに
運良く耳疲れを癒されてから家に帰れば
寝静まる前に彼らのCDで耳直しなども。
ようやく響きはじめた不揃いの
蝉の鳴き声が静まった夕暮れに
LPの片面を取り替えながら涼む。
垂れはじめた稲穂を揺らす風が問う
今年の作柄から潜む汚染の度合など
曇天に響く朔日花火の音にまぎれて。
もうビール片手に屋根に上らないが
隣家の庭木が気になる二階で待てば
西方の二階屋の間から打ち上がった。
物心がつきはじめた最初の記憶の
燃える富山大空襲の夏の夜空から
3.11が端緒となった世代の空へと。
課題やレポートが届かない学生や
夏休み部活をサボる中学生の影と
擦れ違うしかないように待つだけ。
とりあえず見て真似する姿などを
捉えられればいいのに向き合えず
デジカメを手に庭の薮蚊に食われ。
梅雨の終わりに出戻ったみたいな豪雨で
なんだかおかしげな夏の夜の夢から覚め
夕立の風情など立ち消えになったみたい。
書きなぐったみたいなレポートを手に
学生が「なんだか変な夏」と呟きながら
教卓に並べ置いていった前期最後の教室。
課題やレポートで重くなった鞄を肩に
教室を後にすれば「お疲れさま」の声に
「愉しい夏休みを」と返してさようなら。
とりあえず終えたばかりのつかの間の
安堵感にひたればいいものを司書として
働ける先行きをバスで見かけた履修生に。
巣鴨の夏の2ヶ月の司書講習みたいに
お弁当や問題集などに恵まれた女手の
遠い記憶が山裾にまとわりついて消え。
夏の移ろいを響かせて止まなかった蝉の
鳴き声のバトンタッチで数えた絵日記に
実家の縁側で午睡の風に婆さんの腰巻き。
去年の暑さをどこかに置き忘れて
始まった夏休み部活の行き帰りに
空耳だったみたいな蝉の沈黙が。
剪定を催促するみたいに伸びた
庭木が昆虫を追い払ったような
庭の草むしりも投げ出したまま。
田舎住まいの頃にやったように
庭に草花を絶やさないようにし
仏壇に供えることも引き延ばし。
食卓に並ぶ野菜のあたりはずれ
いまさら空き地で野菜作りなど
堆肥と人糞尿の畑の草と虫取り。
先行きがすぼまるいっぽうでも
黙っていても気心が知れるから
一緒に映画を見たり音楽を聴く。
何となく始めたことが習い性に
この頃は朝の黙祷が少しばかり
無念無想に近づきつつあるのか。
泥濘みたいだった連日の暑さが中休み
テレビに映った台風第6号の予報円が
関東地方を避けたみたいに遠回りして。
ライブに出かけたいミュージシャンの
稀な来日スケジュールなど確かめると
北陸を避けたみたいに表日本公演のみ。
お気に入りギタリストの来県情報に
耳を疑いながらもネットで申し込み
チケットをを手するなんて久しぶり。
食べものの好みを超えた変わりよう
ジャズに的が絞られはじめた頃なら
まったく本命じゃなかったサウンド。
本当に演奏したい楽器があったのか
それより手に職をつけて稼ぐことを
願ったはずなのに横滑りして司書に。
定年手前で場外へ出られたつもりで
本命を読み聴きする気まま暮らしも
思いよらぬ時間講師に逸れ行くまま。
すっかり海から遠ざかってしまって
老齢化する夏を確かめているだけの
海の日を飾った撫子ジャパンの快挙。
ワールドチャンピオンの確率35%は
なにがなんでも耐えて粘ってPK戦まで
持ちこたえられるような試合展開なら。
延長戦もリードした米女子に追いつき
早寝早起き老人が願った通りのPK戦を
控え笑顔で結んだ日本チームの円陣が。
滅多に朝酒なんかしなくなったのに
朝飯を倶利加羅蕎麦にしてもらって
ドイツの隣りのワインでヨメと乾杯。
今期から授業日がきっちり15回取れ
これまでの期末筆記試験をしないで
毎回の演習課題や数回のレポート提出。
週末ごとに読む枚数にも慣れたようで
一回の期末筆記だけじゃ分らなかった
司書を目指す教室が醸す女子力の行方。
白い羽根混じりカラスが飲みに立ち寄った
庭木の影になる下屋根の雨樋の溜まり水が
干上がってしまうように日々の暑さが上乗せされ。
3・11から月日が過ぎるほどに垣間見えた
九電原発やらせメール騒ぎやら汚染牛肉の
ばらまき騒動をよそになでしこJPの快進撃。
日焼けして遊びほうける子どもも見かけず
テレビに映し出される関係者が暑苦しくも
着込んで隠し通さなきゃならないものとは。
じわじわと節電キャンペーンも行き届いて
上着が手放せなかったバス車内や図書館や
教室などの空調もすっかり省エネモードか。
失われた朝夕の涼しさに草むしりもならず
炎天下のお出かけにメッシュのベストなど
ポケットの多い鞄のように身体にまとって。
授業前のウオーミングアップみたいに歩く
書架照明が消されてしまった閲覧室なども
これまでのまばらな利用状況に見合ったか。
いつもより早かった梅雨明けを告げるのに
遅れをとった蝉の代役みたい鳴き残ってる
鶯が地デジ化&節電キャンペーンを震わせ。
今どき庭の八重桜の葉が一枚も毛虫などに
食われていなかったり網を張る蜘蛛の姿も
探さなきゃならないくらいどこかおかしい。
ここ数年で照明も空調も省エネに替えたら
快適な部屋から近所の中学の体育館などの
蒸し暑さへの身体の切換えが難しくなって。
3年先輩が抜けるのを待ってたみたいに
おかしくなってきた部活動に戸惑ってる
1年女子部員にどう練習するか尋ねられ。
聞く耳を持たない後輩の指導に手を焼いた
3年生から私らと一緒にコーチも引退して
などとせっかく入った部員が忘れられそう。
まさか部活が“中二病”と放り出せもせず
囚われるがままの自らの知的な枠組など
打ち破った言葉を話せるまで待てようか。
中学部活でラケットを振りはじめた女生徒に
1年間でできるようになったこととまだまだ
できないこととこれからの目標を書かせたら、
「体力をつける」と異口同音に返ってきたが
2年生で1回戦負けを初体験することができ
3年半ばで2回戦負けに届いたところで満期退部。
1回目の授業がはじまる教室の何処あたりに
座るかで学生の学ぶ姿勢が決まっていそうな
カリキュラムを書き変えたくなりそうな教育。
普及率が高いといわれる富山の公共図書館で
働く職員の非正規率が全国3位となっている
地元の短大に司書課程カリキュラム改訂の波。
先輩に一本釣りされうかうか引き受け続けた
時間講師の潮時なり見計らい時にしようにも
どうやら学校側の続投策にはまってしまった。
先生とかコーチとか学生や生徒から声など
かけられじたばたおろおろするしかなくて
齢を重ねるほどに大人から遠ざかるばかり。
HPへアップロード出來なくなってしまい
契約スペースの容量オーバーへの対処など
思案している窓外を揺らす突然の雷と豪雨。
「風の又三郎」を読んだ記憶までめくられ
四十にして迷わずも五十にして立つ処世など
吹き千切ってしまわねかねない驚天動地が。
数十年前のスポ少の練習で予測のつかない
スマッシュがずば抜けていた男子のバドの
現在のプレースタイルを誰が予想できたか。
朝方の庇にへばりついた大きなバッタを
疑う双眼鏡で覗けば昨日吹き飛んだ葉枝
黙って待てばヨメも騙されしてやったり。
上原ひろみ「Voice」が往路を弾き抜け
R. Newman Songbook V.2の弾き語りが
復路を何処までも辿る響きで跨ぐ乗っ越し。
デジカメに写しとった小枝は濡れたまま
やがて庇の上でからからに乾いた羽根を
バッタのように飛び去る姿は何時になる。
ぼんやりと朝方の空から降りてきた
霧雨の雨脚がやがて太く聞こえだし
つかの間この頃の蒸し暑さを忘れて。
年寄りが知る自然環境の様変わりに
気づけようもない教室の履修学生は
「復興への提言」になにを感じたか。
きのうも授業で尋ねたくなるほどに
ひたすら耳を傾けるこの頃の学生に
話す戸惑いを隠さない先輩に出会う。
図書館と情報がいま・ここで出会う
トピックスに橋を架けるお喋りなど
90分居眠りさせないなんて至難の技。
とっくに世間が消え失せているのに
「世間知らず」だなんて言われても
出会う前にすれ違ってしまっている。
持ち忘れた時に限って連絡しなきゃ
もぬけの殻の電話ボックスみたいに
途方に暮れるより公衆電話のありか。