十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)

最終更新日:2010/07/02

母性(10.06.29)

どうやら梅雨空に行き場を探しあぐね
濡れそぼった1羽の鳩が電線にとまり
両手を合わせた黒いシルエットのよう。

母の納骨を済ませてからは日に一度は
老境にさしかかった頃の祖父みたいに
仏壇に向かうようになってしまったが。

3歳で父を亡くして父性体験が無いが
長男にとって母に死なれるというのは
みずからの無意識の由来を無くすこと。

長女の場合は無意識の由来が父にあり
母は意識の座にとどまりつづけるから
その死に際して無意識の揺らぎ少なく。

敗戦時に一人息子を殉職で失ったうえ
二人目の妻にも先立たれたりしていた
祖父が朝晩のお勤めを始めたのはいつ。

小学生の五、六年の頃だったかそんな
祖父の姿が奇異に思えたりしたのだが
無意識の拠り所を失った父性はどこへ。

騒音夜行(10.06.25)

町内に核家族しか住まわせないような
家が建つ度の作業停電からの避難先を
探し求めて晴れ間の街中をふらふらと。

昼下がりに小火騒ぎのあった中華飯店に
あやうく入りそこなったりしたあげく
池田満寿夫展でスルーした常設展示へ。

探しても入館者が見当たらないくらいで
見慣れた作品がほとんどだったとはいえ
いつもとは違ったみたいな居心地あふれ。

南アのW杯サッカー会場から夜な夜な
地鳴りのように伝わってくるブブゼラの
大合唱からしばし解放されたひととき。

予想とは違いヨーロッパ勢がつぎつぎ
一次リーグから敗退を重ねているのは
ひょっとして彼らの聴覚が狂わされて。

虫の音や風の音を愛でることができる
わがアジア勢にとってチームの戦術の
妨げどころか“騒音”で集中がより高まる。

やらずもなが(10.06.22)

雨が上がった庭先で見かけた飴色の隊列が
道路沿いのアルミフェンス土台のブロックを
這い渡って庭を横切り壁伝いに床下へ行進。

昆虫の屍骸そのほか庭や畑の掃除屋部隊の
進軍をくい止めようと敷地内への入り口から
床下の風抜き窓まで駆除剤を散布しておいた。

蟻の侵入隊列の途切れを翌朝に確かめたら
ブロック上部に這い上がらない蟻の流れが
わが家の塀際を素通りして右隣の敷地へと。

どうも左隣の庭先も素通りしていったい
何所からやってくるのかたしかめないで
行進先を作戦変更させたみたいなことに。

羽蟻の大量発生じゃあるまいし白蟻対策は
やったばかりだからほっとけばよいものを
あまりの大群につい過剰反応したみたい。

通りすがりのご用聞きがクルマを止め
何やってんのと挨拶がわりに声をかけ
なんと応えていいやら苦笑いするだけ。

焼け石伝い(10.06.18)

梅雨の晴れ間の真夏日も昨日限り
曇り空から字幕のような雨が降り
近づく雨音が遠くの風景をぼかす。

この頃は木曜日毎に会社説明会や
入社試験などがあったりして休む
学生の授業漏れをどうしたものか。

中学の部活でも新入生が来たり
来なかったりでシャトルを打つ
基本的な技の習得が不揃いだが。

ものごとを習得するにはそれぞれ
基本的な型を見よう見まねで試し
自分なりの型を身につけなければ。

そんなあたりをじっくりやらねば
型破りも生まれてこないし何にも
身に覚えのない型無しがはびこる。

挨拶を交わしたり日々の仕事や
家事をこなすように学習したり
練習したりする時間はどこかに。

見返れば(10.06.15)

先週末から今週にかけて心躍った快挙
梅雨入りの鬱陶しさもしばし忘れさせた
「はやぶさ」の帰還とW杯緒戦で初勝利。

寝不足の窓際の朝陽よりも輝いて見えた
航行トラブルを拾い読んできたPC画面で
オーストラリアの夜空の大気圏突入中継。

帰り際のミッションにはなかった計らいで
燃え尽きる直前の「はやぶさ」が見納めた
地球は飛び去った頃とはどう違っていたか。

この7年の間に地べたのわが家では母が
老いて介護の途上で死へ帰還してしまい
嫁ぎ先で娘は心身を病んだ末に家族崩壊。

営んできた家やかっての職場だけじゃなく
今も小学校や中学校の体育館や短大の教室で
日々接している子どもから大人への女たち。

母をなくして気づかされた男の無意識の
寝床には女の狂気がやどっているようで
出かけた男の帰還先はどこも女の射程内。

新人プレーヤー登場(10.06.11)

今日だけはW杯サッカー南ア大会開幕よりも
中学春期総体に初出場の女子バド部活選手が
1年間の練習成果をだしきれるか気がかりで。

部活練習の合間にシングルスやダブルスの
ラリーをどう組み立てるかをiPadのアプリで
イメージしたような展開にはならないだろうが。

コート画面でシャトルやプレヤーを指で動かし
子どもらと配球とフォーメーションのプレイを
俯瞰できる手軽さを支える左手に電子端末の重さ。

紀元前アッシリア末期のアッシュルバニパル宮殿で
楔形文字を刻んだ粘土タブレットと日本発売間もない
電子タブレットを両の手で量ってみたくなってきた。

NHK朝ドラの「ゲゲゲの女房」に描かれている
貸本屋時代を母子ともども楽しんだ者にとって
iPadはなんだか電子貸本端末みたいに懐かしい。

生涯をかけて聴き及んだりする楽曲すべてが
iPodに収まってしまったりiPadで読みたい本に
索引が無くとも一字一句を指一本で探し読んだり。

初夏をめくる(10.06.08)

梅雨への扉を忘れさせるような散歩日和に
開店以来夫婦で味わってきた近所のイタ飯店が
日曜だというのに臨時休業で先行きが気になる。

昨年も通りすがりに眺めさせてもらったり
デジカメで撮ったりしていたF宅前のバラが
すっかり様変わりして咲き誇ってびっくり。

医者を辞めたご主人の老後の道楽というより
バラが好きな奥さんが二人の住まいを飾って
散歩ついでの僕らも見ごろになると楽しみで。

田舎に居たときわが家の裏にあって人の目に
とまることもなく祖父が世話していた庭木の
主なものは今も引っ越したわが家の前を飾る。

90歳半ばを過ぎて越してきた祖父は衰えて
植木の世話などとてもだったが仏壇の前で
朝晩のお勤めだけは欠かすことがなかった。

不自由な手で照る日曇る日めくりにめくった
小さな和綴じの仏典に残された指跡をたどる
そんな時が何時かはやってくると分ってても。

うわぁ、面白い(10.06.04)

日焼けや気触れに弱いほうなのだが
夏日の予報に半袖に衣替えして出かけ
帰った夕方から両腕がかゆくなったり。

iPadを触りはじめて1週間になるが
調べたり眺めたり読んだり聴いたり
サクサクしたアクセス感が腕に重い。

とても持ち歩く気にはならないけれど
収集地域偏重甚だしいチラシが読めたり
バドミントンのオンボード展開なども。

PCから解き放たれたハイパーカード!?
まだ世代を重ねない器なりに指1本で
さまざまなコンテンツが閲覧できそう。

図書館などでもっとも扱いにくかったが
パンフレットや小冊子の類などPDF化し
タブレット端末で読めたら利用が便利に。

読みたいものすべてがダウロードなんて
まだまだ先の事だろうがPCで自炊して
作った本など取り込んで読む面白さも。

身も心も(10.06.01)

ようやく五月末の不順な天候から抜けたか
先週末に母の満中陰法要をこじんまりと行い
無事お墓に収まった安堵の思いで六月を迎え。

かって村のわが家から通った中学校に近い
街中の料亭で法事一式やら納骨の送迎バスも
手配できたし配膳混合料理も美味しく頂けて。

お盆の墓参りのたびに見上げたりしていた
稲葉山牧場のブランド牛ステーキが初物で
死者をみおくった悲しみをやわらげる旨さ。

敗戦直前の外地で夫を失い二人の子どもと
命からがら引き揚げてきたお袋が生き抜いた
生涯でどれくらいやけ食いやけ買いできたか。

言う事が効かなくなるばかりで身体と心が
引き裂かれるままにいま・ここを受けとめ
不平不満や愚痴ひとつこぼさずヨメに感謝。

なんとか食べても寝たきり状態の車椅子で
好きだった本のページをめくるのもやっと
いじりはじめたiPadの向うにお袋の指触り。

五月のゾンビ(10.05.28)

どの辺りからやってくる寒気なのだろう
時節外れの重ね着心地がしっくりしない
おかしげな今週の空模様には戸惑うばかり。

岡崎中央図書館のHPアクセス事件報道じゃ
容疑者逮捕が一人歩きするだけで担当館員や
システムベンダーの姿がちっとも見えてこない。

使えば使うほどバカになるとアメリカ大統領に
指摘されたばかりのiPadを求め日本にやってきた
韓国人のお膝元では米軍基地は縮小されているとか。

沖縄での駐留米兵による日本人少女暴行事件
あのとき地域住民から沖縄県民へと広がった
米軍と犠牲を強いる日本政府への二重の抗議。

「普天間基地」を廃止して基地兵員や施設を
本土に移すという日米首脳会談で成った合議は
日米防衛協力指針の「有事」の拡大解釈で反古に。

かの村山首相が言明した自衛隊合憲の道筋が
橋本首相によって「集団自衛権」で舗装され
憲法第九条が無効化された道をたどるゾンビ。

つかずはなれず(10.05.25)

今週は愚図ついた空模様が続きそうで
雑木が生い茂った共同墓地の墓掃除に
行けそうもないが骨納めの日はどうか。

ずいぶん前にヨメとの結婚を機に引越し
同居に同意してくれた祖父に続いて母も
わが家で看取ったような40年近い暮らし。

田舎暮らしの家具やら庭木まで運んだが
その日暮らしにかまけお墓を移す事など
そのうちなんとかと先送りにしたままに。

家族の中心が亡くなって介護も出來ない
隙間を埋めてくれそうにない日常だから
たまたま続けていた事などで気がまぎれ。

10人でやってきた中学のバド部活では
2年生になったら4人になったり卒業した
部員の一人は高校入学で陸上に転部したり。

いまだにつかずはなれずの聴き方だが
シンガーソングライターの草分けみたいな
K.キングとJ.テイラーのデュオ・ライブにはまった!

番で綾取り(10.05.21)

気づけば朝の第一声がキジからカッコウへ
一足先に初夏の響きがやってきたようだが
2階の窓から望遠レンズを向けた先に姿は?

ハイビジョンで見直したヒッチコック映画の
「鳥」は並のホラー映画じゃとても味わえない
“居心地悪さ”に鳥肌が立ってくるような逸品だ。

北大植物園でカラスに襲われた怖さとは無縁の
とりのなん子著『とりぱん』を読みはじめたら
なにやら庭続きの「里山」に入り込んだみたい。

庭先にやってくる小鳥らがめっきり減ってきて
餌場か巣箱でもなんて思いめぐらしもしたけど
ヨメが気に入らないだろうから鳥マンガで補充。

相手を思いやったり添い遂げるそぶりもない
番の野鳥など空き地や川縁で見かけたりして
ずいぶんいい加減なようで見るからにお似合い。

とても家族を営む夫婦のお手本ならずとも
雀の巣作りも受け付けない細かな住宅が建ち並び
空き地の雑草とともに野鳥の巣も追い払われ。

低空接写(10.05.18)

日毎にきつくなる陽射しに影を落とす
緑がますます濃くなってきているのに
庭にやってくる昆虫や小鳥の影が薄い。

2階の窓ガラスに張り付いて動かない
ちっちゃな天道虫をよくよく眺めると
色鮮やかなミニカーみたいに羽ばたき。

アルミサッシの縁の蛾を吹き払ったら
先週末に付き添った子どもの初試合で
練習時の半分も飛ばないシャトルのよう。

小さな毛皮を着込んだ蛾を観るように
週末のBSテレビで集中して放映された
C.イーストウッド映画作品を見直したり。

この頃はあたりに煩いくらいの小雀らも
みかけないようだが中学バド部活へ何しに
やってきたか新入部員に男女差が見え隠れ。

動きを潜めたような庭のモグラの穴を
潰すように歩き回るのも間遠になって
さてどんな音を響かせればいいものやら。

穏便渡し(10.05.14)

朝晩暖房が恋しくなる戻り寒波に
厚着をして外出したらバス暖房が
余計なお世話みたいな効き具合で。

なんとか図書館で働きたいんだけど
どうしようもなくてコネでもなんでも
就職口を紹介してもらえないですか。

昨年の男子学生に続いて今年は女子が
就活中の言葉を授業の終わりをめがけ
投げかけてきたりする時期がめぐって。

現役だった頃の人脈で数名ばかり橋渡し
したようなこともあったけど昨今では
介護がらみでお袋に引き合わせられた人が。

ケアマネや介護士や通院老人内科医から
介護訪問医までとても良くしていただき
とても文句など言えないのだけれども。

被介護者が望んでいたであろうような
介護の日々から看取りの時まで在宅から
医療および介護施設との関わりが難しく。

手探り足探り(10.05.11)

穴掘る音も鳴き声も聴こえたりしない
春先から狭い庭の地べたのあちこちで
迷惑な痕跡を残したりしていたモグラ。

日事のモグラ穴つぶしが途切れたみたいに
読み人知らずの朝刊をお袋の傍に置くことも
居室から洩れ聴こえたラジオもなくなって。

部員が一人もいない学年があってもなんとか
続いている中学のバド部活に新人が40人を超え
4人残った2年生女子部員がどうにか引っ張る。

食べること以外の日常茶飯事が駄目でも
目も耳も達者だし手先もまだ大丈夫だから
読んだり観たり聴いたりパソコンでどうか。

やる気を見せたりしていたお袋だったが
切り抜いた新聞広告にお金を挟んだりして
この本を買って欲しいと呼び止めなくなり。

生きてたら90歳の誕生日に間に合ったかも
発売延期になっていたiPadの予約販売メールに
即反応してしまった触らせたかった手足の行方。

猫にペンギン(10.05.07)

連休明けの目に青葉を際立たせるような
風雨が昨日の残暑を拭い去るようように
激しく窓にあたりガラスの汚れを消すか。

縁側に陽が射さないと床の間に拵えた
祭壇に眠るお袋に明かりが足りないか
気になったりして障子を開けてみたり。

いつ聞いても歳勘定が80歳を過ぎた
あたりで止まったままになったのは
数日間突発したせん妄が治まってから。

老いた身体を構成する三つの側面が
ぶつかり合ったみたいな阿鼻叫喚で
なす術もなくおろおろ抜け出た先へ。

長老猫のような安らぎを呼吸したり
子育てに埋没するペンギンのような
覚束ない足取りで食べ物を漁ったり。

自らの生涯に固有の幕を引くように
生き通してきた姿が植物的になったり
動物的になったり人間的に裏付けされ。

エピソード(10.05.04)

連休中はデイサービスは休みだし頼みの
ショートステイも予約できず入浴そのほか
母の介護疲れで音をあげたはずだったのに。

遠路弔問してくれた甥夫婦とあれこれ
思い出話をかわしたりしたからだろう
穴の空いたような揺らぎで乱れそうに。

3年目の吉本さんの雑誌連載エッセイが
今月も休載で三ヶ月続けて読めなくなると
高齢の身体が大丈夫なのか気になったり。

人それぞれたどる老いの現れの渦中でもがき
遠い近いにかかわらず年寄りがそれなりで
元気でいてくれるだけで日々を生きる糧に。

直近記憶が覚束ない母の検査などを勧めた
介護担当市役所員は中井先生が書いていた
「エピソード記憶」溢れた日々を知るまい。

テレビは要らないからラジオと新聞だけに
どのくらい聴いてどれくらい読んでいたか
「虐待されても家に居りたい」だなんて。

庭の緑に(10.04.30)

永眠することになったその日も庭で
咲き揃っていた古木の八重桜が今朝は
逝った母を追いかけるように散り落ち。

40年ほど前引っ越しに同意してくれた
祖父に連れ添うように移植した庭木らが
芽吹いて住人が二人になったことを告げ。

百歳間近まで疾病もなく誤嚥で咽せたり
苦しまないでわが家の居室で看取ることが
できた祖父は打ち水をした夏の庭が見納め。

庭の手入れどころか家事もままならず
食べる楽しみだけになってしまった母は
喉に詰まっても大丈夫だったのに3度目は。

三人四脚の介護暮らしの日々のやりとりの
積み重ねで祖父をお手本みたいに母の死を
わが家で迎えられたらというのが願い事に。

救急車を呼んだのはいたしかたないとして
なぜ真っ先に往診医に連絡しなかったのか
救急死による警察連絡もなく看取れたのに。

春風漫歩(10.04.27)

朝の陽射しが逃げないうちに春風を入れ
レンタルしていた介護用品をすべて解約し
もぬけの殻になった4畳半の仏間の広さ。

こんなからだで行ったら店の迷惑だから
行くのを憚った馴染みの寿司屋のカレンダーに
眺めていた仏像写真と車椅子の傍にあった本だけ。

朝の目覚めが気になった日々が途切れても
閉め切ってしまうとまだそこに居るようで
あれから庭に面した部屋の戸は開けたまま。

そのほか済まさなきゃならない手続きなど
出かけついでにヨメが買ってきてくれた続刊も
録画したホラー映画などもどこか擦り抜け気味。

昨秋に婆ちゃん子だった甥夫婦が訪ねてきて
置いていってくれたCDのなかになぜかあった
「グレゴリオ聖歌」がしっくり聴けたりして。

3歳で死に別れた父親のことはともかく
よろよろぽっくり母親に死なれてみると
家のどこにいても母屋を無くしたみたい。

寒暖衣替え(10.04.23)

4月も末だというのに“寒”の戻りか
2コマ続きの授業の教室で女子学生が
体調不良になり保健室で休んでもらい。

肌寒い中学の体育館で部活なかばに
体調が良くないという女子中学生の
大事をとって帰らせたりしたことも。

風邪ひとつひかないでこの冬を越えた
お袋の在宅介護暮らしの生活臭まで
線香の匂いで消されるこのごろだが。

いつ訪れるかどんな形でやってくるか
まったくわからない死とは特定の瞬間
などではなくてそこに至る迄の過程に。

なんにもできなくなってしまって
90歳を迎えるなんて目出たくない
なんとか保たれた正気の言葉だった。

お金も使えなくなったら要らんもの
とにかく寝たきりにならず車椅子で
トイレ介助時に甲斐性なしを嘆いて。

再会(10.04.20)

夕飯姿を確かめヨメの声に風呂場から出たあと
救急の手を尽くしてもらったお袋の初七日が
赤飯を食べたがっていた満90歳の誕生日に。

毎朝介護ベッドから車椅子でドアをはずした
トイレへ運び下をきれいにして朝飯だったのに
床の間のお骨に灯明や線香で掌を合わせるだけ。

数時間ごとにトイレ往復の日々になってから
うまくいったりいかなかったりあんないっぱい
お袋と言葉を交えるようになった時間が消え。

「紙パンツで頑張られたんですね」と耳元で
救急処置室へ案内する看護士にささやかれ
おもいあふれへたり込んでしまいそうに。

毎日の献立から一人前が減ったみたいに
ヨメの手からも洗濯物や汚物のゴミ出し
そのほか諸々の手間ひまが取りあげられ。

見るからに外科医らしい救急担当医から
「救命/延命措置」の判断を促されるまま
穏やかな「看取り/看取られる」出会いへ。

急がなくても(10.04.16)

ねがはくは花のしたにて春死なん
そのきさらぎの望月の頃(西行)

春に生まれて春に逝った人を乗せたら
広い道を選ぶように走る霊柩車の急ぎ
自転車で走り慣れた眺めが歪んで流れ

山麓に近い斎場を出たらまばらな雨滴
今春も来れないはずだった城西用水の
桜をこんなかたちで見ることに‥‥‥

おはようにおやすみなさい
いただきますにありがとう
さいごまで家であいさつをかわし

昨夏に高齢の叔父を見舞ってみおくれず
望んでいた家族葬儀で母をみおくった翌日
授業に出かける街の眺めも違ってしまい

リタイア後の体調も回復してきた7年前
頼まれ仕事に出かける朝に再就職だねと
祝金をくれたあの手で背を押されながら

プチ暇つぶし(10.04.09)

咲き揃うまえに花見を済ませた
手持ち無沙汰を持て余すように
PCに取り込んだままの写真整理。

レタッチソフトでつぶしにつぶす
写り込んだままのキズやゴミなど
“気泡緩衝材”のプチプチつぶし気分。

朝方の奇妙な笠雲や雨に濡れて
写した後に千切れ落ちた蜘蛛の巣や
死んじゃった子猫など試しプリント。

作業を中断した夕暮れの郵便受けに
スポ少お別れ会のスナップに写った
小学生からの高校入学の内祝いの品が。

ひと昔前なら饅頭や赤飯だったが
ひと言書き添えられたた紙袋から
春を彩ったみたいなマカロンなど。

生きることに不慣れな年頃の極みへ
なんだか桜前線が北上するみたいに
またたく間に学齢期を駆け上がって。

五分咲き往来(10.04.06)

残雪が霞んで見える山並みを背景に
スキーからサイクリング車に乗り換え
曇り空の川縁を花見の人出に混じって。

介護タクシーで付き添う通院緩和を
ケアマネに勧められるままに四月から
往診してくれる街医者がお袋の部屋へ。

日頃元気だった人が衰えゆく様を
日々目の当りにするストレスなど
家族に対する配慮などもさりげなく。

遠い田舎暮らしの頃だと町医者が
黒いカバンを自転車にくくりつけ
ことあるごと三代の家族を往診に。

川面に映る桜並木を揺らし遊覧船が
通り過ぎる背後から声がしたようで
振り返れば定休日の美容師が母を連れ。

小学校の入学式を済ませた親子連れ
お花見弁当のサラリーマンにまぎれ
デイサービスで訪れた介護老人らも。

走り続けて(10.04.02)

近所の中学校で毎日2時間ばかりの
春休みのバドミントンの部活に毎日
出向いたりしているうちにもう四月。

3分間のランニングもやっとだった
バド新入部員をよろしくとばかりに
咋夏退部した先輩中学生から頼まれ。

短大の司書課程の頼まれ時間講師と
同じでキャリアを持ち合わせてなくとも
その日その場をなんとか活かしたい。

小学校で運動に馴染まなかった子らが
部活で手軽に体力をつけようと思って
バドミントンをやり始めたようだが。

10分間ランニングも平気で走れて
フットワーク練習はなんとかこなし
素振練習となると面白くなさそう。

1年続けて何ができて何ができないか
自分で判断したり今後の目標や感想を
ノック練習の合間にまとめてもらった。

名残り雪(10.03.30)

ぶり返した寒さにまだまだ鍋物も
いけそうだがいまおすすめとなると
“新”のつく野菜類を生かした旬の味わい。

食べ慣れているはずなのにキャベツや
菜の花や新タマネギや新じゃがなどで
古びた食器や食卓にも新しい季節感が。

おはようございますとおやすみなさいを
いつものいただきますとごちそうさまで
受け渡し続けられる家族の階段を上り下り。

賽の目食からミキサー食へと食材の形が
崩れ去るように人は人によって生かされる
いまここを見失ったみたいにあやふやに。

この冬にまとめ読みしたマンガのひとつ
安倍夜郎『深夜食堂』を噛めば噛むほど
さまざまな味わいのページがめくられる。

家庭内の日常食みたいなメニューの味が
しょっぱくなったりどのようにでもなる
人と食材とを繋ぎ止める食欲模様の裏表。

雲上の珍事(10.03.26)

春休み中の近所の中学の女子バド部活の
朝練の出ばなをくじくような雪模様にも
めげない風邪気味の子どもを早退させた。

あり得ないとタカをくくっていたのに
グーグルが中国からの撤退のニュースは
四月バカの前倒しということではなさそう。

当方には両者の先行きなんて関係ないけど
一企業にとって中国市場は無視できないが
グーグルのない消費市場ってのもうそ寒い。

Telnet版からWeb版に移行して足踏みする
OPACの賞味期限切れにつけ込んだみたいに
公共図書館の本を調べる「カーリル」が現れ。

中国や東欧からの留学生の図書館だけでなく
館内でのネット利用のマナーに手を焼いたが
注意すると片言の日本語で必死に訴えてきた。

グーグルと中国の諍いで改めてネット社会で
デファクトスタンダードみたいになっている
グーグルがない世界が浮き彫りにされたみたい。

問と答え(10.03.23)

恨めしい気分でスキー板を片づけたりしながら
やり過ごした変わりやすい3月の天気を凝縮した
三連休のお楽しみの目玉はBSの「志の輔らくご」。

スキーやバドミントンは中年からはまったが
こと落語やジャズとなると十代の曲がり角で
出会ってなんとなく耳から離れないお楽しみ。

TVで第82回選抜高校野球の球音が聞こえはじめ
5年目になるという「志の輔らくごin PARCO」に
甲子園球場の張り替えられた芝のような眩しさが。

まさかの初戦敗退した高校野球部監督が応えず
仏頂面が試合直後のインタビュー画面で流され
その後にとんでもない発言をして謝罪したとか。

「なぜ別れなきゃならないのか判らない」から
答えられないように「なぜ負けてしまったのか」
答えられない問いかけに出会ったらどうするか。

まだ答えが見つかっていない問いを切り分け
じゃぁどうしたらいいかを自問自答するしか
ない面白さが落語を聴くことや運動することに。

フロア作業(10.03.19)

久しぶりに晴れあがっても寒いので
サイクリングに出かけたりしないで
書棚の整理などで手足を使いたくなる。

年度末の仕事のひとつで書庫や閲覧室の
書架作業を繰り返してて一息つけたのが
利用者からなんだかんだと尋ねられたこと。

図書館のシステムを担当していた頃だったら
メールやら電話での利用問い合わせがしばしば
デスクワークを中断されたみたいで煩わしく。

春闘のニュースを見かけたりすると
長かった給料生活者の間に払い続けた
組合費のことが引っかかってきたり。

かって図書館分会の臨職組合員から無駄金で
もったいないと組合脱退が相次いだりしたが
今なんで共済の退職見舞金と払戻金の通知など。

古びた家の修繕費にもならないはした金でも
晴れたら動画を撮りに出かけたり雨の日には
電子書籍を読む道具あたりを手にできないか。

春へ走る(10.03.16)

一日ともたない三月の晴れ間を読んで
世話になっている庭木職人がやってきて
雪吊りが外された庭を吹き抜け家鳴り風。

吹き千切られそうに揺れる梅輪が呟く
慣れない下の世話の一コマの吹き出し
感情に走るから実の娘の世話にならぬ。

甲斐性が無くできないと嘆くお袋の
どうにもならない老いのダイヤ改正で
日々どこに居着いているのかも不案内。

部屋を出るとき切り忘れた室内暖房で
夜間の気温低下でしょんぼりしていた
サイネリアが生き生きと花開きはじめ。

ヨメが用意した食事やおやつを目前にし
ようやく姿勢を保ち直そうとしはじめる
お袋の部屋だと常温暖房の花置き場だが。

食以外に関心が向かなくなってしまって
部屋において眺めた花の名前の響きが
“シネラリア”と聞こえることもなさそう。

壁と迂回路(10.03.12)

お袋が介護サービスに出向いた間に
滑り納めしたい気分で窓の外を見れば
三月の雪が融けた屋根に黄砂の汚れ。

今の時間帯じゃ北向きの壁もまだ日陰だが
迂回路もバリバリに凍っていてさぞ足裏が
くすぐったくなる滑り心地を楽しめるはず。

夫婦ともども急斜面やコブを避けるよう
迂回するだけのシーズンを過ごす回数が
少なくても足腰立つうちは滑り続けたい。

日々を繋ぐ山あり谷ありいやおうなく
差しかかった岐路で迷いに迷ううちに
なぜか急斜面やコブしか見えなくなって。

三世代で住む家を新築した二十代後半に
何枚か図面を書き直したりしながら介護を
考慮した内装にはまったく思いいたらず。

若い頃は遠くが見えず目先ばかりに囚われ
老いを生きるほどにますます愉しむ範囲が
狭まってしまう斜面を滑る視界を広くして。

花音(10.03.09)

庭木ひとつひとつの来歴が薄らいだように
いつの間にやらわが家の庭から無くなった
沈丁花や梅の木が隣近所の庭先で花々しい。

まるで不協和音を奏でるような連日の
空模様に操られたみたいな体調で出かけ
途中でおかしくなって立ち往生しそうに。

タクシーで懇談会場にたどり着きひと休み
顔見知りの方とようやく挨拶を交わしたり
隣席者の問いかけにもしどろもどろで答え。

司書課程の講師に加わったばかりの方から
講義をどういうふうにやればいいでしょう
とっさに尋ねられてもなんとも言えなくて。

図書館が集める文献その他の目録を作り
分類して利用できるようにするのに要る
主題的な知識の庭を耕し花が咲けば実も。

必要なものごとが探しやすく見つけやすい
ブライアン・イーノの待ち合わせ響きが
アナログの大地を覆うドットの雲間から。

開かない扉(10.03.05)

せっかく月初めに手配してもらった
お袋のショート・ステイの三日間とも
生憎の天気でスキーにも出かけられず。

HDに録り置きしておいた映画のひとつ
太鼓を叩く移民青年と老いぼれ教授との
出会いと別れのリズムの余韻にひたった。

手でそっと打つ裸足で踏んだ孤独な扉
原題の「the Visitor」よりも邦題にした
「扉をたたく人」がぴったりな出来映え。

昨春から中学女子バド部活の門を叩き
ようやくペアを組んで試合を楽しめる
練習にさしかかってきた子らの目標は?

対外試合の主力メンバーになっていて
小学生からやっているクラブの子らは
とにかく勝ち上がることを目的にして。

勝てることを条件にして練習するのが
放課後の体育館での活動だけで終わって
しまうかもしれない子らのやりかた。

世話の焼け具合(10.03.02)

冬場に入って参加人数が少なくなった
中学女子バド部活のメンバーの一人が
ドクターストップで退部してしまった。

地域のスポ少バドミントン活動では
父母会の役割を引き受けたくない親の
都合で退団するような子どもらの姿が。

創部した監督に誘われ日曜は朝6時半から
練習をやっていた昭和59年頃の名簿に
4年から6年生まで50名を越える名前が。

コート2〜3面は女の子らでいっぱい
男の子らはもっぱらコートとコートの
あいだにネットを張って打ち合っていた。

当時は渉外から世話まで監督の手腕で
対外試合も頑張るようになった子らを
会場で眺め喜ぶ親の姿も見かけられず。

その昔祖父の介護をやったりしていた
お袋の介護もしなきゃならなくなると
乳飲み子の頃に焼かせた世話のお返し。

なにがフツー?(10.02.26)

冬の好天が日ごとに春を通り越し
まるで初夏みたいな陽気になって
連れ添った左肩の痛みも融けたか?

痛みを鎮めるリハビリみたいに
中学の部活で買った竹刀や木刀を
振っても六十肩の凝りは消えない。

長いこと両手を離して持つのを
疑うこともなくやってきたのに
くっつけた握り方もあったんだ。

中学の郡体レベルの試合に出て
鍔迫り合いみたいなもみあいで
何度か場外に押しだされて負け。

身長130センチで体重30キロの
中学生でもこの持ち方で竹刀を
使いこなせたらあんなことには!

みずからの虚弱性に徹底できず
誰もが離した持ち方をしていて
それ以外にあると疑えなかった。

冬晴れ(10.02.23)

三日続きの晴れ間に庭師が訪れ
庭木に散布した防虫剤の臭いが
日陰の薄汚れた雪に染みついて。

山麓のスキー場まで出かけなくとも
閑古鳥は市内のデパートに舞い降り
今月の月例景況判断などどこ吹く風。

かといって近所に2軒もある家電の
量販店が催事場を設けて百貨店以上の
催し物を競うなんてありそうもない。

かって田舎町の賑わいに紛れ込んだまま
祖父さんに手を引かれみたいに孫に手を
握られたスキー場の雪も春一番で融けた。

午後の暖房が要らなくなった小部屋で
M.アンドラーデのセカンドアルバムは
初物の発泡ワインの栓を抜いた美味さ。

寒い晩のバド練習でもらって帰って
オーブンの中で口を開いた生ガキの
口あたりのいい塩梅を思い出しながら。

今週のテレビから(10.02.19)

今週に入って日々のラジオは聴かず
バンクーバー冬季五輪中継TV画面が
わが家のBGVみたいなことになって。

地上波よりBSの放映種目が多いが
日本人選手が出ない種目もきっちり
放映してくれたらもっと楽しめそう。

女子滑降番組後のニュースで藤田まことの
急逝を知らされ「はぐれ刑事純情派」や「剣客商売」など
茶の間で馴染んだテレビの友の一人を亡くしたみたい。

スノボ男子ハーフパイプ競技への参加姿勢を
ファッションで表してクレームをつけられた
国母選手は演技で“業界”の“いちゃもん”を越え。

競技中のスノーボーダーがグラブをした手で
しなやかにボードを掴んだりするとなんで
あんなに空中姿勢が安定して見えるのだろう。

着衣の着こなしだけじゃなく身に合わせた
道具を扱う指使いがブレの少ない身体捌きで
これまでにない力を発揮するようなことにも。

冬越え(10.02.16)

株分けして鉢が増えた観葉植物がしっかり
立てなくなったみたいにお袋の脚力が衰え
車椅子移乗やつかまり立ちもおぼつかない。

蔓延ったカビ土を取り除き葉や茎が色褪せ
弱っていくままに黙って眺めていられるが
上手くできない親には叱咤激励を飛ばしがち。

老い方も人さまざまに見てきたようでも
百歳目前でピンピンコロリみたいな祖父を
物差しにして無い物ねだりをしているか。

部活でコーチをしていた近所の中学生宅を
探し訪ねて日常豊かな物腰のお婆さんに
応対されたりして夕暮れの寒さも遠のく。

4月はじまりの手帖を卒業記念に贈って
まだ老若を知らない頁にどのような沈黙で
綴られた言葉が書き込まれたりするだろう。

不意に庭にやってきた冬の数羽の小鳥を
撮り損なわなかったタイミングの良さも
老いの震えでぶれたみたいにピンぼけに。

“キンシャサ”の響き(10.02.12)

デイサービス送迎の邪魔にならないよう
朝方に積もった雪をちょっとどかしていたら
忘れていた腰痛が呼び覚まされたみたいなことに。

最近聴きはじめた「STAFF BENDA BILILI」の
CD1枚に凝り固まった体がほぐされジャケットの
改造バイクに乗ったミュージシャン姿も気になって。

彼らが根城とする動物園があるキンシャサと云えば
忘れもしないモハメッド・アリがジョージ・フォアマンから
1974年にヘビー級のタイトルを奪い返した場所ではないか。

CDジャケットやブックレッとなどの説明によれば
小児麻痺で下半身不随の年配者や親に捨てられた
ストリートチルドレンなどからなるボーカルバンド。

キューバと西アフリカが混ざり合った響きから
どんな内容を歌い上げているのか何度聴いても
判らないからついつい聴き返すしかないのだが。

ふと握りを放棄したグリップで打ち返すみたいに
見た目の向う側にあるものが見えるようになれば
ほんとうの障碍は身体的というよりこころの中も。

爺婆ゲレンデ(10.02.09)

起き抜けから愚図ついた空模様のように
身体がカッタルイのはようやく出かけた
昨日の今シーズン初滑りの名残だろうか。

おふくろが嫌がらずショートステイに行った
晴れ間のゲレンデは年寄りばかりだなんて
スキー実習の付添いの先生が言ってたらしい。

神通川の土手から滑りはじめ60歳を迎え
転んで怪我でもしたらみっともないからと
スキーをやめたタクシー運転手に送迎され。

いい歳をして何やってるみたいな嫌みなく
夫婦一緒なのが長続きの秘訣とばかりに
スキー場の入口に車を横付け背中も軽く。

休憩所に入ればここでも年寄り二人のお出ましと
歓迎の言葉を浴びせてきたパラグライダーとスキーの
同好者らは今年定年退職したばかりの新人らしい。

体力の衰えからか力みも抜けてきたようだが
技の上達に必要な持続力が乏しくなったようで
滑っては問いかけ休んでは答える山びこ滑りに。

お楽しみ冬ごもり(10.02.05)

冬場の目覚めがいつもよりしーんと
におう静かさの深まりでどれくらい
降り積もったか起きる前にわかる。

まるで1月に出戻ったみたいな積雪で
玄関先の融雪放水を再開したみたいな
閉じこもり気分で映画やマンガ漬けに。

「クレしん」の劇場版「嵐を呼ぶモーレツ!
オトナ帝国の逆襲」は観損なっていたのを
悔しがらせる出来映えの子/大人アニメだ。

毎日が日曜日みたいな暮らし向きの
暇つぶしで何を見聞きしてきたかより
何を見逃してきたかも確かめないと。

タイトルそのまんまな「愛のむきだし」は
長尺作品を超越した面白さにはまってしまい
要介護同居者の世話時間も忘れてしまいそう。

無意識に営み積み重ねてきた家族関係からの
逃避行を面白可笑しく解体して観せてくれた
2本に「宇宙戦争」も加えてよさそうだった。

電子モグラたたき(10.02.02)

例年になく庭に積もった雪も1月いっぱい
モグラにしてはいささか早すぎるようだが
雪融け跡の地べたを這ったような盛り上がり。

家のあちこちに積もった本やLPやCDやLDや
ビデオテープなど跡形無く消えた庭雪みたいに
一掃できないから置き場所を分散させただけ。

「青空文庫」の新着情報の中から手当たり次第に
縦書き表示できるテキストビュワーで大きな
画面の頁をめくり読めて老眼に都合が良くなり。

難しい言葉が使われている実例を見るのに
電子辞書などにあたる前に言葉を“”で囲み
site:www.aozora.gr.jpとしてググって調べ。

iPodにはまんまとしてやられてしまったが
電話嫌いでiPhoneには見向きもしないのに
iPadとなるとなんとなく反応してしまいそう。

見聞きしたいコンテンツのほとんどに間に合う
なんてことにでもなれば部屋にモノを増やさず
家のどこでも無線LANで使ってみたい逸品だが。

筋隈模様(10.01.29)

寒波が去ってしまえば例年にない暖かさ
晴れれば山裾を彩る稜線の陰影がくっきり
午後の散歩を立ち止まらせたりするのだが。

上手くやれたためしがくとも解放感だけで
まだ期末のとりまとめ作業が残っていても
後期授業が終わってしまえば春休み気分に。

NHKのSONGSでM.ジャクソンを観てたら
同日発売されたBRDの予約忘れに気がつき
翌日を待って近所の家電量販店で買い求め。

注目していた「コンシェルジュ」をヨメに
大人買いしてもらって読み進めながら絵も
だんだんよくなって行く手応えにはまって。

かって図書館の窓口サービスをやってても
こんがらがった接遇というか接客というか
しどろもどろ模様が今だに色濃く忘れない。

ゲレンデの雪が溶けないうちになんとか
おふくろのショートステイ日が晴れてくれ
しばし浅く深く大きく小さくシュプールを。

梅便り(10.01.26)

居間のテーブルのコップに梅枝があって
通販で買った梅干しに添えてあったらしく
これでよりいっそうおいしくいただけそう。

車椅子からの移乗もおぼつかなくなった
おふくろの目にもとまったようだがかって
自家製の梅干しを漬けたことなど忘れたか。

スポ少バドの子どもらの大会の付添いで
寒い体育館へ持参した弁当を食べて何だか
物足りなかったのは梅干し切れだったから。

コート内に梅の小枝のつぼみがふくらみ
まさに花開きはじめた動きでシャトルを
打ち返す小学生もいたりして見とれたが。

上手いとか強いということだけじゃなく
身体の使い方やラケット捌きの柔らかさ
滑らかさにまだまだ上達の華が開きそう。

勝ち負けにこだわるあまり試合そのもに
集中できず競り合いに弱い子どもらには
目の前にたたれてどんな花言葉を贈れば?

匂う言葉(10.01.22)

郵便受けで凍えたメール便を取りだし
暖かい部屋で封を開いたら微かに泳ぐ
冬の匂いの頁をめくったような手触り。

雨の中を出かけ帰る頃は霙まじりで
後期最後の授業を終えて帰宅し寒い
玄関で鞄を開けたら教室のぬくもり。

司書として就職のあてがなさそうだが
図書館仕事にぴったりみたいな学生の
匂いが隠されていそうなこともあって。

とてもそんな人物写真は写せないが
せめて四季折々の景物が匂いあふれる
そんな写し方ができないものだろうか。

身過ぎ世過ぎの片隅でひょっとしたら
居ても立ってもいられないほどなのに
ちっとも動きがない動画を眺めながら。

ぴったり響くアフレコの言葉をさがす
鼻腔に太古の魚を泳がせ遠い記憶から
呼び覚まされた匂いの形を聴き寄せて。

ゆとりの踊り場(10.01.19)

もの言えば唇も寒い晴れ間の繰り言か
テレビCMで「続きはウェブで」なんて
視聴者のネット接続環境への丸投げ広告。

開設間もない地元スポ少バドHPが日頃の
活動報告や連絡や相談などに役立つほどに
まだまだ届かない当地域ネット利用状況。

予定される体育館建てかえで今後の練習場所を
どうするかスポ少バドの父母らの臨時総会で
ジプシー練習体制維持の連絡網が取沙汰され。

集中とリラックスを同時に維持できる幅が
それぞれの内部に広げられるようになれば
人も組織ももっと余裕がもてそうなのだが。

携帯もネットも普及していないアフリカ大陸で
バンジョー片手にいろんな地元ミュージシャンと
コミュニケーションしまくったCDにぞっこん。

録音現場の模様をドキュメンタリーに仕上げた
DVDを見たらまたCDが聴きたくなりCDを聴けば
またDVDが見たくなるという仕掛けに踊らされ。

発声練習(10.01.15)

この冬三度目の寒波で終日氷点下の昨日は
懐炉のようにiPodの響きをひっそり着込み
渋滞のエアポケッットみたいなバス車内に。

オンライン雑誌の一記事を読むように
アルバム作品としてのLPやCDをバラし
収録曲の一部だけを買ったり聴いたり。

白身魚の刺身をワサビ醤油ではなく
小皿に散らした塩でひと撫ですると
ジグソーパズルのようにはまりそう。

見覚え聞き覚えのある映画や音楽の
忘れていたシーンやフレーズがまるで
はじめてのようによみがえる心地よさ。

夜明けを知らせる鳥のいない冬場の朝は
目覚めの床をぬるくしたりゆるくしたり
ラジオ体操のようなAM放送がもごもご。

グラスワインの温もりが抜けないうち
滑り落ちた屋根雪が囲いを這い上がり
庇に届く前に崩しはじめる雪の止み間。

筒抜け座興(10.01.12)

平成も20年を越えるあたりから
昭和暮らしの欠片みたいにひとつ
またひとつと家電が壊れはじめて。

部屋の片隅や机の上に捨て忘れた
みたいに放置されたパソコンでは
パソコン通信からブログあたりまで。

流行のツイッターはどうしようか
なんて思ったこともないくらいに
解らないから手も足も出そうにない。

ネットのコミュニケーションツールは
手足を延長した家電技術とは違うようで
身体性を隔離する技術のための技術みたい。

人と人の関わりを媒介する道具なのに
家庭や社会生活を営むうえでどうしても
抱えこまざる得ない自分が見えにくい。

井戸の外と繋がっているようでその実
水面に映し出されたおのれの面影に似せ
あらかじめ見ようとした情報を着込んで。

抜け道(10.01.08)

松の内に授業が始まったキャンパスの
運休バス停にうっかり立ってしまって
もの言いたげな目配せに導かれるまま。

路地を左右に折れ駐車場を抜けたら
路線バス停がすぐそこだったなんて
学生の後を歩いてはじめてわかった。

外れっぱなし降雪予報に備えた完全武装が
邪魔になったみたいにマイクは声を通さず
教材表示用のビデオ切り替え装置も駄目で。

メインのケーブルをノートPCに繋いで
なんとか切り抜けられたが集中と分散を
繰り返すコンピュータの歴史話をし忘れ。

みんなと一緒に雪かき仕事を始めたのに
判を押したみたいに独り取り残されて
雪道の夢と現実をめぐって踏み迷う。

鞄を後ろ手に斜に構えて利き手を前に
降雪渋滞の着膨れバス車内を後から前へ
開いて閉じた抜け道を泳ぎ抜けてきた。

新しい雨(10.01.05)

夜回り当番で真新しい拍子木を打ったら
大晦日に降り積もった雪に吸い取られて
手に刺さった古い拍子木の棘が抜けたか。

新年に備えた酒肴やおせち料理を平らげ
引っ越してきて以来続いた年賀の集いも
散開になってひっそり静かな正月三ヶ日。

子をもうけたばかりの働き盛りに羨ましい
なんて言われたりする年金生活者は表向き
いつの間にか老々介護家庭の余力のなさが。

お正月のもてなしからヨメは解放されたが
届いた年賀状に返信賀状を準備しようにも
なぜかハガキ印刷だけが紙送り不良になる。

とりわけ冬は雪だけじゃなく空気中には
様々なリズムやコトバが漂い出すようで
お正月特番のテレビから音楽番組を選ぶ。

冬ごもりを溶かすようなコトバの雨みたい
水滴で曇った窓を拭う度に違って見えるぞ
北川朱実『電話ボックスに降る雨』の景色。


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