十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)

最終更新日:2010/01/05

巣ごもり歳末(09.12.29)

寒さを突き抜けるように晴れ上がって
まばゆいばかりの山並みの手前の屋根には
壊れた瓦を修繕しているような人影が動く。

あらかた煤払いも大掃除も済ませてしまい
滑り落ちた背戸の屋根雪の掘り起こし作業や
後手に回った雪囲い作業をあざ笑う好天続き。

寝起きの枕元のiPodラジオのAM受信が駄目で
半月いじっても直らず見切りを付け新品に買い
替えたら捨てないでとばかりにAMが鳴り出す。

とりあえずバッテリーが干上がってしまった
iPod用のドックに使ってこれまで聞いてきた
落語や講演集のセクションのシャッフル再生。

雲間に月が浮かんだ夕暮れにヨメと二人
近所の寿司屋で忘年会代わりのひととき
鰤トロや春の山菜の天婦羅で冬を一足飛び。

浮かぶ年の瀬を見失ったみたいな商いで
いっこうに正月気分にならないねなどと
カウンターの向うへ相槌を打ったりして。

今年の一冊(09.12.25)

ことしの日めくりが一桁になった晴れ間に
初滑りならぬ街中散歩がてらに年中無休だった
CD&LPショップを訪ねたら定休日でがっかり。

市内に引っ越してきた1972年頃に廃線に
なったはずの路面電車の環状線が装いも新たに
復活しピカピカの新車両が中心街を走りはじめ。

往年の賑わいを仕舞い忘れてしまったような
再開路線沿いの商店のなかには開通に合わせ
リニューアルしたお店も見かけられたみたい。

試験運転で何度か見かけた黒い車両はどこ
灰色と白い満員の車両が交互に通り過ぎる
街筋で正月休みを楽しむ酒肴や漫画本など。

白・灰・黒グラデーションの三車両をデジカメで
写せなかったが帰って読み終えた『ヘヴン』には
「いじめ」を汲み上げた生死のグラデーションが。

田舎に引揚げてきて小・中と絶え間なく
続いていた辛さを誰にも打ち明けないで
持ちこたえてきた受け皿に出会えようとは!

双六散歩(09.12.22)

なんだかシーズンが前倒されたみたいに
いささか疲れた雪かき作業も一段落して
つかのま雲間から積雪を溶かす陽射し。

全面滑走が可能みたいなスキー場開きに
老々介護事情もあったり遠のくばかりの
ゲレンデ往復を確保する算段もしないと。

融雪道路を繋げるようにたどりながら
ショッピングカートを引いたりすると
いつもの倍ぐらい遠回りの散歩時間に。

家に帰り着く頃にあたたまってきた
身体の勢いで落ちた屋根雪の山崩しも
暖冬を見越して雪囲いをサボったつけ。

中学の女子バド部活につきあった夕暮れの
通学路は融雪散水から見放されたまま
馬の背のように凍りはじめ歩きにくく。

不安定を繋ぎ止めたみたいな歩き方で
たどったりする道筋が現れては消える
雪の散歩道にどんな上がりが隠れるか。

からだに降る雪(09.12.18)

眠りを覚ますような“鰤起こし”数発に続いて
12月の降り始めにしては半端じゃない雪景色に
とりあえず前庭に井戸水を融雪散水してみたり。

どうせ暖冬だからと背戸の雪囲いなど
まだまだとたかをくくっていたりして
老後の生活設計みたいに先延ばしのまま。

同じ1年でも10歳以前と60歳以後とでは
生きてきた年月に占める割合が違い過ぎて
月日の経過がまるで別物扱いの眺めになる。

若いころはとかく細かくこだわり過ぎたり
歳を食うほどに何でも大雑把に済ませたり
ほんとうは心身の曲線は逆じゃないのか?

日々のあちこち跳ね返ってくるボールを
受けとめ打ち返すスペースを見つけだし
しなやかな身体捌きで深く送り込めるか。

空きを作って受けたパスを蹴り込むには
牡丹雪が粉雪に変わるように老体時計の
文字盤を細かく分割し続けるようにして。

スーパー・トラ・ブル(09.12.15)

薮から棒に虎の下ねたスキャンダル
薄日さす雲間からのぞく山裾あたり
雪に隠れそうな薮を突つきまわして。

思ってもいなかったお宅の息子や娘が
万引きやフーゾクやってますよなんて
寝耳に水をぶっかけられた親の気持ち。

まともな生き方がよくわからないから
虚弱な育ちを引きずった頼りなさ故か
えてしてスーパースターに弱いのかも。

あたりに石を投げればところかまわず
ニュースにもならない不倫スキャンダル
その手の詮索など見たくも聞きたくもない。

金と人脈からなる場と規模こそ違うが
一般人だって愛人欠乏症どころか色魔も
変態もスーパースターに負けず劣らず。

父虎をなくした時の小虎のめげぶりに
有り余る才能を持たされグレることも
無駄なこともやりすごした筋肉と骨骼が。

普通のフッチャン(09.12.11)

昨日も教室の教卓のスタンドマイクは
壊れたまま放置されていたが遠い席から
聴こえませんなんて言われなくて済んだ。

いつの間にかマイクを支点のよう喋って
いたかもしれない紋切型からすこしでも
自在になれたりする話し方にに近づけるか。

なんだか幽体離脱してもぬけの殻みたいな
お袋を介護ベッドに寝かせてヨメと久しぶり
駅前界隈に出かければLED電飾が忘年会模様。

違うのはバドミントンの腕前だけの酒席で
打ち交わされるさまざまな話題に巻き込まれ
先日の内藤対亀田戦の高視聴率って何なの!?

タイトルマッチ的な内容としてはおそらく
今年度ナンバー1のベストセラー小説と同じ
レベルだったといってもよさそうなものだが。

どこにも支点を作らず消し去るのが普通なら
たかがシャトルコックを打ち返すにしたって
手首や肘や肩そのほか支点をどこかにしがち。

野菜便り(09.12.08)

昨日の庭樹の雪吊り作業ついでに背戸で
2本残っていた枯れ木が伐り倒されたら
狭い空き地に田舎から運んだ木々の想いが。

田舎から引っ越しついでに運んだ庭樹の
おまけみたいに柿やイチジクの木など移り
住んだ敷地の片隅が野鳥の餌場になったことも。

今さら何か木を植える気にもならないし
陽当たりの悪さを口実にしたみたいに
畑にしてみようかという意気込みもない。

いつも歳暮れめがけ米や野菜そのほか
送り続けてくれた叔父さんが亡くなり
途絶えた定期便を引き継いだみたいに、

亡き夫から引き継いだ造園業を営む傍ら
ご夫人が育てた野菜を箱にどっさりと
作業にやってきた職人の車で届けられ。

珍しい大根の調理や味付けのメモまで
添えてあったりして毛筆の手紙に香を
匂わせた叔父さんの野菜便りの生き写し。

喉越しに(09.12.04)

寒暖不揃い当たり外れの授業日和だが
週一回とはいえ短大キャンパス往復は
ヨメが言うほど当人にとって遠くない。

何事かに縛られがちな日々の切れ切れ
居場所を移す以外の何ものにも属さない
やり過ごしがまたとない息抜きになったり。

壊れそうだった授業用マイクへの対処が
無視されたようで昨日はとうとう地声で
2コマ喋ったせいかビールが待ち遠しく。

マイクを通した時とそうでないときの
しゃべる距離感の微妙な違いは肉声を
増幅する装置に頼る身体の如何にあるか。

物語を紡ぎ出したがる頭や脳みその外へ
「ウルトラミラクルラブストーリー」は
はみ出したみたいで台詞が半分も判らない。

直に話すときとそうでないときの間の
置き方というか沈黙の響き具合が違い
あらぬ方向へ語り口が脱線しそうに。

手帖スケッチ(09.12.01)

窓の外は秋晴れそれとも冬晴れ
外出に何を着るか戸惑いそうで
朝空に薄化粧の雪山がくっきり。

今年も付かず離れず家に寄り添い
季節を数えたカレンダーみたいに
庭木の紅葉が色鮮やかに落ちはじめ。

暖房室外機の風が微かに揺らす
植木職人の雪吊りを待つ枝葉に
遠い雪害の記憶が書き込まれて。

豪雪時の屋根の雪下ろしや除雪作業など
机の引き出しの奥深くしまい込まれたまま
読み返されることもない手帖のどこかに。

この夏をかぎりに退部した子らの
中学卒業時に何を贈ろうか迷ったが
来年4月はじまりの手帖がよさそう。

寝る前に読みさしの本を開いては
まだ書かれていないことどもを夢に
どんな朝が迎えられるかくりかえす。

亀とゾンビ(09.11.27)

夕暮れを飾る星と月の眺めを遮るように
積み木みたいな家が近所に建ち並びはじめ
ローンに縛られる窮屈な暮らし向きの影が。

元わが家のペットだった2匹の亀がゆったり
のんびり生きながらえている姿に見とれた
おふくろが通院している病院の裏庭の眺め。

サーチエンジンでどれだけインフルエンザが
調べられているかを指標にした集計データで
その流行の傾向を視覚化して予測している。

10年も過ぎれば修繕が必要になる建材で
35年返済金利3%で3千万円で建てたら
1千8百万円を超える利子を払うなんて。

応募していたことも忘れていたBRD映画が
届いたもんだから音漏れリスニングルームで
久しぶりの大音量で迫力映像を堪能できた。

グーグル検索窓で“近所”にスペースを入れると
組み合わせ検索語群の1番目が“トラブル 相談”で
2番目が“騒音”となって住宅ゾンビはボロ儲け。

不定期便(09.11.24)

いつのまにやら辺りに家が建て込んだり
大きな樹々が伐られたりして2階の窓近くで
いろんな小鳥が眺められる楽しみも半減した。

たまにやってきたのに双眼鏡で近づけるが
デジカメで撮ろうとする前に飛び去って
もう二度とやってこないという繰り返し。

先週木曜の解禁日にヨメが買ってきた
新酒ワインを二人で空けた翌日の夕方に
その続編を楽しませる2本のお届けもの。

寒さめがけ壊れた居間の空調暖房じゃないが
季節の変わり目の不定期便みたいな体調不良も
おさまったようでなんとなくおかしくなったり。

体調不良でリタイアしてこのかた晩秋の
定期便みたいに心身をぬくもらせてくれる
新酒ワインを贈られ続けて季節の食卓も豊か。

重度要介護者がかろうじて食べ持ちこたえ
逮捕された容疑者が絶食2週間を続けたり
人はなぜ飲食の繰り返しを保存し続けるか。

人見知り(09.11.20)

枯れ葉を払い落とした街路樹の幹や枝に
LED電飾コードを張り巡らす作業車や
市内電車の軌道増設工事でバスが渋滞。

乗り継ぎ待ち時間につまみ食いした
本を2冊ばかり買った紙袋を開けたら
書店員が綴ったような読書感想文が。

新刊そっちのけ車内で隅から隅まで読んだ
といってもA4裏表にガリ版刷りもどきで
「新聞」を名のったミニコミ書評の24号一枚。

本を立ち読みしたり買うのもネットだし
書評そのほかも画面で斜め読みばかりだが
時には地べたの本屋ならではの読む感触も。

かって働いていた大学図書館窓口で司書に
なりたい相談を持ちかけられた女子学生の
その後を思わせる御仁がリタイアし同業に?

挨拶がてらに確かめられるかどうだか
時間講師を終えて帰るバスが同じだが
時を超えた他人のそら似みたいなもの。

捨てる方便(09.11.17)

いよいよ薄ら寒く愚図つきがちな北陸の天気を
つかの間忘れさせてくれたテレビ映像といえば
「事業仕分け」と「WBOウェルター級タイトルマッチ」。

「国立女性教育会館」をめぐって理事長と国会議員が
女性がらみの迫力を前面にいまいちかみ合っていない
やりとりのカットが各局のニュース番組で繰り返され。

まるで法廷ドラマまがいの見せ場に仕立てられ
かっこよかろうがえげつなかろうがいずれにしろ
何を捨てるか捨てないか話の本筋から逸れ過ぎる。

コレクションの廃棄でくすぶりがちな図書館では
女性職員が多かっただけに時として事が揉めたら
あのぎすぎす畳み掛ける切り口上には恐れ入った。

何を外注するか図書館業務のアウトソーシングでも
組織的に核となるような卓越性を築けてないようでは
自力開発も他力導入も連携も話しの成立ちようがない。

家族三代で暮らしたりすれば老いのかたち比べで
それまで積み重ねてきた日々の暮らしの軌道から
要介護者となって人間を超えた人間のありようへ。

失せもの探し(09.11.13)

頼まれ仕事みたいに相手を続けてきた
近所の中学の女子バド部活動なんだが
インフルエンザ対策でまるで休部状態。

週一出かけてる短大の動向はどうだか
昨日の授業や演習をやった教室では
2年の履修学生の半分近くが欠席に。

閑散とした図書館でここんとこわが家で
探しあぐねていた著者の本を50頁あまり
読み進めたりしてようやく落ち着いたが。

愛聴してきたスウェーデンのピアノトリオを
無性に聴きたいのにCDラックやPC内から
とっておきの1枚がまるで蒸発したみたい。

中古屋盤でも手に入ればどうにかなるが
携帯音楽端末にも入れてなかったなんて
聴けないとなるとますます気になるようで。

つまんない積み重ねで営む家庭生活の襞で
立ち向かわされたりする出来事や難事など
あるがままにすんなり受けとめ方をうかがう。

引込線(09.11.10)

急に寒くなった月初めを通り過ぎたら
ふと深夜に見上げた半月が妙に赤っぽく
後戻りしたみたいに暖かい昼の照り返し。

眠りを持て余した久しぶりのゾンビ映画も
あの「デッドシリーズ」の脇道に逸れたようで
ふらふら画面酔いしそうなカメラワークに惑う。

6年ほど前にフランスで亡くなった黒人女性が
1960年代のステージで唄った素晴らしいライブを
BS放送で見てしまったらなぜかE.T.を連想しそうに。

その昔贔屓にしていたジャズ・ミュージシャンの
訃報に接し往年のアルバムを迷わず取り出せるのに
先月末に亡くなった著者の本がまだ見つからない。

考え事は苦手だがどうしようもなくなったら
いろんな補助線を頼りに前に進むというより
どこかへ引き込まれるように後ろを向いたまま。

夏休みに訪れては昔話をせがんで飽きさせなかった
祖母が死んじゃったのを偲ぶみたいにそれと前後して
死去した民俗学創始者の本を手にしてまだ読みきれない。

紅葉散策(09.11.06)

週1回バスで往復する車窓をかすめて
路線沿いの公園で桜とイチョウ並木に
挟まれた路を散策する人が秋色に映え。

今朝は井戸水の温もりで目覚めたように
聴き慣れたスピーカーがよく響き渡って
どこまでも抜けてゆくような空の高み。

雪化粧が際立ってきた山並みの谷筋から
降りる俯瞰視線と生活視線はどのあたり
交叉点をデジカメに自転車で探せないか。

善くも悪くも絡み合った縄目にかかって
身動きままならぬ心身を解きほぐすよう
自問自答する風を聴き分け声のする方へ。

わさび醤油で食べ慣れたヒラメの刺身も
わさび塩にしたら安物の白ワインまでが
旨くなってしまうような塩梅のよさまで。

生まれ落ちた血のつながりは泡に薄まり
手だてを献血しようにも身の置き所まで
探しあぐねて枯れ葉のように舞い落ちる。

秋冷浮遊(09.11.03)

降ったり照ったり寒暖日替わり模様を
窓越しに深呼吸するみたいにデジカメに
撮ってスライドで音楽を背景に眺めたら。

B社のSPはどんな音源でもそこそこ鳴らし
J社の2種はJazzやR&Bにもってこいだが
自然な響きはK氏の紙筒SPやBX社のSPかな。

納戸に眠っていた管球アンプに繋がれた
SPスイッチャーをSPセットのセレクターに
流用したらときたまの接触不良がもどかしい。

乗り心地のいい自転車で遠出をしていて
予期せぬ砂利道に出てしまったみたいに
せっかくの映像&音響散歩も途切れがち。

インドアシーズンを前にリタイアしてから
2度目の事務用椅子のバージョンアップで
読み書き算盤ならぬキーボード作業向けに。

心身を空中の一点から吊られたみたいに
座り心地も聴き心地もどこか季節めぐり
決まったようで定まらぬ解放感に縛られ。

紅葉座椅子(09.10.30)

ポカポカ陽気の昨日の午後の後期教室では
2コマとも履修学生全員出席で座持ち良く
近所の小・中学校じゃ学級や学年閉鎖など。

先週末のスポ少バドで子供らが少なかったり
今週は中学1年の部活が取り止めになったり
お袋の予防接種ついでに自分も済ませてきた。

リタイアしてから健康診断はサボりがちだし
風邪はよくひくほうだったがインフルエンザの
予防接種なんてはじめてのことじゃなかろうか。

病名辞典に載っていない〈老い〉のように
人それぞれの風邪のひき方もさまざまあって
十人十色の身体生理的な整え方じゃないのか。

長かった職場生活でいろんな椅子とつきあい
それぞれの座り心地がどうだったかなんて
違和感を払拭してくれそうな椅子はあるか。

朝から晩まで座り続けながら何事かをやって
身体になんの変調もきたさない椅子かどうか
つかの間座っただけではどうにもわからない。

見れども見えず(09.10.27)

まだ朝暗い雲間から洩れた陽射しを
かき消すように強い雨脚が駆け抜け
遥か秋模様を見渡せた窓が閉ざされ。

秋晴れ続きの先週半ばの情報機器の
2回目の授業で履修学生が10名近く
少なくなった訳がなんとなくわかった。

司書課程の選択科目である授業科目を
どう勘違いしたのか課程選択してない
女子学生がまとまって履修届に書いた。

目の前にあるお手拭きを手にできず
居室とトイレの区別がおかしなことも
お袋の認知障碍がどうなることやら。

シャワートイレの押しボタンも字が
読めているのに今どれを押すべきか
決めなきゃならない注意力に途切れ。

ボケも痴呆も何と云おうと見えにくく
いずれ誰しも介護する者される者へと
辿る家族の関わりや金銭面の自立から。

ペア糸紡ぎ(09.10.23)

剪定作業をやってもらったばかりの
庭樹にもう蜘蛛の巣がいく張りも
秋の陽射しに枯れ葉を干しはじめ。

夏場の餌が足りなかったのか今年の
ジョロウグモはどうも小ぶりのようで
なぜか脚の本数が足りないのが目立つ。

6本脚はいいけど8本脚はどうも
なんて云う虫ファンもいるようだが
蜘蛛の番には相性なんてあるのか。

わが家のあちこちの部屋にそれぞれ
新旧散らばって鳴らしたりしている
ペア・スピーカーをどう離し置くか。

好きな音楽に落語や講演そのほか
聴き込むうちに聴き手にとっての
距離感が決まるように二人並んで。

たいがいの異性とやっていけそうな
スタンスからこの人とならではまで
どう絆が育まれるかやってみないと。

秋夕冠雪(09.10.20)

庭の日だまりで草抜きなんかすると
羽音もなくすり寄ってくる蚊のように
響く還暦過ぎのミュージシャンの自死。

090909日を狙ったみたいに発売された
ビートルズのリマススターCDを1枚聴き
愛聴盤LPとの響きの違いに戸惑ったみたい。

今どき見慣れた秋山冠雪風景をデジカメで
撮り直して眺めたような素晴らしさだが
暮らしに染み込ませてきた聴き込み感は薄れ。

見つけたばかりの青空文庫のビューワの
見栄えと使い勝手のよさに嵌ってしまい
読み忘れた本をディスプレイで読み直し。

山肌を彩る紅葉と積雪のグラデーションを
滑り降りる夕陽の輝きを追いかけるうちに
苅田のあぜ道を踏み迷ったようによろけ。

聴き古したCDに読み捨てた本など
いつの間にか積もった物悲しさを捨て
去るためにも新しい物を見聞きしなきゃ。

ぶら日和(09.10.16)

午前のラジオからブルーハーツの「青空」が
流れてきたりする二日続きの秋晴れに誘われ
昨日の行き帰りは広角デジカメ片手に道草を。

背中を丸めるようにホテルとお城がお辞儀を
返し合う通りに面したビルの壁面ガラス張りが
向かい側のビルの姿形を写し交わしたりして。

望遠でファインダーを覗いた時のように
自分の立ち位置が定まらないふらふら感も
どこか浮遊の仕方に違いがあるようなのだ。

紫外線が強いがほっこりしてサングラスや
帽子や行き先の乗り継ぎ待ちをうっかり忘れ
このままずっとぶらぶらしつづけられそう。

信号待ちより歩道橋を渡った後期授業の場で
まっすぐ空に伸びる大きなポプラを行司に
キャンパスで向き合う校舎が寡黙に仕切る。

台風18号による休講で一週間出遅れた教室で
挨拶を交わした例年より10名近く増えている
今年度の司書課程履修生から男子学生が消え。

居ながら散策(09.10.13)

窓際に陽射しが入り込まなくなって
秋の連休中の晴れ間を惜しむように
庭の日だまりへ観葉植物の鉢を出し入れ。

歩けなくなってしまったお袋の部屋から
居ながら日光浴のひとときが遠ざかり
車椅子で日向の散歩などできそうにない。

片付けもののさなかにまるっきり忘れた
遠い過去の書き散らしが出てきたりして
自分を通り過ぎた他人の思索跡に出会う。

小さな文字が読みづらくなり電子辞書を
使い始めたら手当たり頁次第の言葉散策に
とってかわる数ある収録辞書の一括検索。

日頃見慣れた壷みたいなものもデジカメで
写し取って眺めたりすると違った散歩道を
見つけたみたいな脇道をたどる心地よさが。

何度も崩し慣れたジグソーパズルみたいな
ミステリー番組を楽しみながら久しぶりに
ヨメが1本見つけたシングルモルトに酔う。

籠り日(09.10.09)

鎖の雨樋が強風で煽られないよう
紐で縛り鉢植えを取込み停電に備え
風呂に水をためた後はやり過ごすだけ。

叩きつける豪雨で洗われたみたいな
窓ガラスの外側で新しい汚れが乾き
窓ふき作業代わりに眼鏡を磨いたが。

昨日はヘビー級の台風18号の来襲で
後期授業の初日が休講になってしまい
録り置きしてあった映画をヨメと二人で。

「闇の子供たち」と「ヤング@ハート」を両手に
大人社会の食いものにされるタイの子どもらと
米人年金生活者のロック・コーラス隊に揺さぶられ。

減り続ける子どもらや学生は休みでも
増えも減りもしない就労者は働き続け
増える高齢者のデイサービスは休まず。

動きの止まった雲間から朝の陽射しが
それと分からぬ雨で濡れた屋根を照らし
揺さぶりつづけられた庭木の滴を輝かせ。

壊しモード(09.10.06)

10月に入ってなんとなく助走モードで
いささか狭苦しくなった書斎の片付け
ついでに白黒テレビの解体にはまった。

40年ほど前の囲炉裏のある茶の間から
持ってきただけに木製キャビネット内は
埃の絨毯で内装を施されたみたいな汚れ。

今時のパソコンみたいに特殊な工具など
持ち合わせなくともねじ回しとペンチと
ノコギリでちょっとした木製棚に様変わり。

中年にさしかかった女性のカムバックぶり
ジャズピアニストやテニスプレーヤーの姿を
映し出していた先週末のテレビ番組で再確認。

ブランク前の自分に何かを足したり引いたり
余分なものを付け加えるどころか過不足なく
今ある自分のすべてを出した見応え聴き応え。

それにしても楽屋裏でどんな助走を重ね
自らのよけいなものをそぎ落としながら
解体トレーニングに励んできたことだろう。

案山子ログ(09.10.02)

いつも手元の双眼鏡で飛来を確認して
いそいでデジカメに持ち替えたとたん
窓の向かいの電線に白鶺鴒の姿はない。

いったん手を休めたキーボードだが
ここんとこ妙にミスタッチが多くなり
機器のへたりかそれとも手が衰えたか。

秋雨前線の上下に従う日替わり空模様に
連動したみたいに気分が浮き沈みなんて
いささか老化の秋にさしかかったみたい。

3人4脚で営む老老介護家庭の日々は
幼児性も成人性も脱ぎすてたみたいに
主客は入力と出力が間遠になるばかり。

検索サイトの入力窓にキーワードを投げ
とりあえず飛び去った小鳥をめぐって
捕獲された画面をスクロールした先は。

飛べなくなった鳥はどう食いつなぐ
早稲も晩稲も田んぼの案山子の影で
老いを啄む鳥の若さが飛び去ったり。

鳩に水(09.09.29)

農繁期の作業の一段落を待ってたみたい
昨夜来の久しぶりの雨が止んだ曇天から
失速したパラグライダーが回り降りる?

窓の外を高くどんな鳥が飛び去ったか
見上げた空には影も鳴き声ひとつ響かず
抜け羽一枚ゆるりゆるり着地先を探して。

物心ついた頃に祖父から飲まされた酒は
倶利伽藍山へ軍を進める木曽義仲を清水へ
導いた鳩の言伝えを銘柄にした「鳩清水」。

ぬるっとした湯のみ茶碗の口あたり
酒蔵が健在であれば誕生したばかりの
新内閣名に便乗して商売できそうだが。

晩酌から日本酒ラベルが無くなり昔を
飲み直せなくとも呼び名は酒屋の隣で
神社の名水としていまも流れていそう。

馴染んだスポーツで汗を流すように
パンにワインのひとときが流れたり
切らしたらスコッチかジントニックで。

月とブランコ(09.09.25)

虫の音を聞きながら寝る前に一章ずつ
ページをめくった『1Q84』読了感は
NHK特番「桂枝雀の世界」で忘れそう。

村上春樹が1984年に焦点を絞り込み
語りはじめた座布団に敷かれたメモに
「オウム神仙の会」2月14日に誕生。

地下鉄サリン事件関連インタビュー
『アンダーグラウンド』では掴めない
「オウム」的なるものとは何だろう?

リビングに取り外し忘れたみたいな
1995年の一枚ものカレンダーだが
1/17と3/20の日付はいつ消せるか。

教団のリーダー像や認知症の父親像に
追いつけない肉付きの主人公の男女を
繋ぐ赤い糸は解けず結び直せない不毛。

さて1Q84と1984を行ったり来たり
「リトル・ピープル」が正体不明のまま
紡ぎだす「空気さなぎ」は二つの月の間。

連休交歓(09.09.22)

アウトドア日和が続いた連休前半は
こうるさい蝉にかわって頼りなげな
トンボが窓の外にやってくるように。

揺れる光ファイバーの引き込み線に
ガソリン切れの複葉機がしがみつく
よれよれの手足が語る秘められた来歴。

敬老の日ぐらいはしゃんとできたら
大型連休並みの休日ディサービスを
わが家で肩代わりできない悩ましさ。

そんなお袋介護の陣中見舞いみたい
甥が咋春来の連れ合いと一緒に顔を
見せてくれるなんて嬉しいじゃない。

相撲中継テレビ画面を横切っては
曾祖父にどやされたり食事中に頭に
手をやっては婆さんに咎められたり。

田舎の実家での忘れられない話など
聞いた後はリスニングルームに移って
CDとDVDで「火焔太鼓」の親子競演。

寄り道(09.09.18)

秋の午後の日差しが明るい屋内を
あちこち寝転んで天井を見上げたり
狭い庭の小さなわが家を見下げたり。

季節の変わり目ごとに身体に
届けられるシグナルに遅れて
眼と手をつなぐ体感が揺らぐ。

何やってんのと目ざとく立ち寄る
小学校帰りの顔見知りの女の子に
広角カメラを向けたら戯けてみせ。

このレンズだとどんなふうに写るか
節電でいつも薄暗い短大の廊下の壁に
掲げられた高村光太郎の「秋の祈り」。

まだ見えてこないものをあぶりだす
漫画家というより彫刻家みたいな
こだわりが締め切りのバーを超え。

井上雄彦の「バガボンド」を描く
筆が白い紙を一刀の下に彫りこむ
圧倒的なテレビ番組に引き込まれ。

眺めと音と(09.09.15)

先週半ばあたりから朝晩めっきり涼しく
日中はキーボード作業もほっぽり出して
窓の外へ抜け出したくなるような日和も。

デジカメ散策に持ち出すレンズも遠近広角と
近眼に老眼が加わったあたりから手元用や
室内用そのほかメガネ持ちの二の舞みたいに。

歩き慣れ何の変哲もない眺めもレンズ次第か
日頃聞き慣れた洋楽曲などようやくDVDで見た
「ウオッチメン」に挿入されたら違って聴こえ。

アルペンスタジアムでイチローが打席で響かせた
打球音の彼方から跳ね返って来たみたいに聞こえる
MLB9年連続200本安打達成までのバットスイング。

昨夕は急な下痢で体調がおかしくなり夕飯や
物音が障るくらい萎えてしばらく寝込んでから
ようやく食べられたお粥と梅干しのうまいこと。

なんだか小津映画「お茶漬の味」が見たいくらい
回復してきたようだが小さい頃に田舎の秋の祭礼の
余興で見たはずの小津映画はちっとも想い出せない。

風の出入り(09.09.11)

風通しよく2階の窓を開ければ
爽やかな陽射しの空高く鱗雲が
ゆったり秋の稜線を跨いでいる。

見れば畳や床置きの物を片付けたり
高いところの掃除も済ませるように
疲れ知らずの掃除ロボットが後押し。

中3部員が抜けてしまって1年生だけの
秋の部活の初日に帰宅前の先輩3年生らが
中弛み気味の部活に喝を入れにやってきた。

彼女らが2年の中頃からの部活指導で
怒鳴ることもし(でき)ないコーチの
駄目さ加減を判ってくれてのことだろう。

あれこれ準備したりしている後期授業でも
冴えない講師ぶりを教室で晒すしかないが
そんな駄目さを短大生の心意気が埋め合わせ。

アフリカ勢と奏でるベラ・フレックの新作に
小躍りしたりテレビで見た餡かけ素麺みたいな
奇妙な組み合わせがもたらす並外れた風向き。

天下無用の秋(09.09.08)

夏場に走りを忘れたみたいにへたった
タイヤを膨らまそうにも空気入れの
調子が悪くて走り出す前につまずく。

第4コーナーを回ってゴールが見えだし
よもやの途中棄権みたいにリタイアしたが
当時の体調不良を癒してくれた迎秋気分。

わが人生の眺めが違った寝起きの味わいに
先を越されたヨメのリタイア気分もわかり
仕事半ばで逝った同僚ともわかちあえたら。

リハビリをかね平日の市街を走り抜け
9.11直後の川原にサイクリング車を横たえ
晴れて天下無用の身の置き場を襲う鉄砲水。

身辺を片付けたり部屋の模様替えついでの
暦代テレビの下敷きになっていたLE8Tだが
まるでエッジのへたりを感じさせない音色に。

高卒を迎え踏み迷い荒みきっていた頃だった
ちっぽけな植林の一部を売り払った金をお袋に
ねだったりして名器を手にできた山林の今は?

中間色(09.09.04)

かんかん照りの夏とはほど遠かったのに
背戸の日除け風よけみたいな二本の一つが
枯れかかってきたのは剪定のし過ぎだろうか。

株分けして増えた鉢の観葉植物などを
そろそろ玄関や部屋に取り込んだみたいに
買い替えた大画面のテレビやパソコンが馴染む。

近所の量販店で高画質録画機器を物色したが
秋の新製品発売が待受けていて目移りしがち
働き者のお掃除ロボットも更新機種が出そう。

嗜好性と実用性の兼ね備えかたが独特で
なんとなくはまってしまう家電製品には
ありふれた日常の家事がくすぐられそう。

豆腐も油揚げも好きなのだが厚揚げだけは
どうにもいただけないみたいな方がいても
ちっともおかしくない味気なさが残りそう。

まだまだ素麺や蕎麦もおいしくいたけるが
冷酒やビールじゃなく色あいや泡それぞれ
カジュアルなワインとの相性もよくなって。

見きり分別(09.09.01)

夏場に入ってからお袋のディサービスを
週3回に増やしてみたが様子は相変わらず
現状維持どころかむしろQOLは下降気味に。

ゲームが出来ないと階下からヨメに呼ばれ
デュアルOSノートPCのアップグレードで
起動OSの選択設定が変わったのに気づいた。

一昨日の衆院選で政権交代の運びになり
勝ったからといってばか騒ぎも似合わず
ひたむきな姿勢がどのような流れを生むか。

大多数の国民生活が一等多難な情勢で
入れ替わった政権政党の前途多難など
たかが知れているというべきだろうに。

いかにマイナーチェンジだとしても
政治の屋台骨の座の入れ替えを選んだ
人々の暮らしがアップデートされなきゃ。

お袋が戻る前に二人でサイクリングに
出かける心づもりもお天気しだいだが
野菜や果物も受粉する昆虫の働き知らず。

雲と昆虫(09.08.28)

8月も終りの午後の静けさはどこか
置き忘れたままの宿題が何だったか
夏休みの幕引きの影に隠れ鬼ごっこ。

食べ慣れた素麺が夏の身体に美味く
下手物狂いの爺さんの料理が手招き
おじさんの鮎のかおりは何処か遠く。

ジョニ・ミッチェルのライブDVDや
ジャンゴ・ラインハルトのCDを聴き
触れようのない夏の素肌の響きが抜け。

うろ覚えの夏休みの味と香りなど
レンズを新調したカメラで昔歩いた
山間の眺めを写し直したようなもの。

雪渓の端っこで伏流水の音がして
目が覚めたら足下に虫が這い回り
傾く空高く雲は消え下界は見えない。

どう季節を生きてか生かされてか
夏の身体の内外へ向かう接点から
紡ぎだされる感触をたよりに動く。

おもしろ半分(09.08.25)

短パンで出歩けば脛に照り返し
先週の真夏日続きも地べたのみ
見上げる空の雲はすでに秋模様。

掃除ロボットを試した2階の和室
涼しい夜の窓を開け放したままに
床につけば虫の音が眠りのBGM。

山の神からどう見られているか
掃除の手抜きをしていないはずの
二間続きの和室からよくもこんなに。

小一時間あまり動き回ったあとの
掃除ロボットが掻き集めたごみが
半端じゃなく実用性が過ぎてないか。

夏休みも残り少なくなって部活に
顔を出さない子どもらもちらほら
少ない人数でも楽しく練習に励む。

あれこれ身体の使い方を工夫して
掃除をやったりしてきた面白さも
肩代わりロボットを眺め肩すかし。

夏場の助っ人(09.08.21)

日照り続きで庭に蝶や蛾が出没しはじめ
八重桜そのほか生い茂った広葉樹の虫食いを
見逃さず殺虫剤を撒き柄長鋏で巣玉の枝切り。

昨日の猛暑を冷ますような雨模様に
庭の散水の手間が省けていいのだが
狭い庭の草抜きが追いつかなくてね。

夏は畳に布団を敷いて寝るようになって
快適なのはいいのだが部屋が埃っぽくなり
そろそろお掃除ロボットで遊んでみたい。

人型ロボット玩具を操ったりしていると
日々の介護を手伝ってくれたらいいのに
なんて思わないが草抜きはやってほしい。

伸びた草を感知して抜くのは駄目でも
自動草刈り走行をやってくれるだけで
薮蚊との不毛なやり取りから免れそう。

ときには作業や運動で絞るような汗を
翌日に飲み干す泡や麺類の美味さ加減も
部屋の除湿や掃除しだいでかなり違う。

ひと夏を越す(09.08.18)

お盆過ぎの残暑お見舞いみたいな
晴れ間にバスと電車で往復約百キロの
墓参りでようやく夏を越した気分に。

引き揚げ住み着いた村の共同墓地の
てっぺんで落ち葉と倒木に埋もれず
倒れず昔ながらの墓石も縮んだみたい。

田舎暮らしで飼ってた猫や家禽など
死んだときの小さなお墓のことなど
どこにも跡形無く忘れ去られてしまい。

いろんな家畜が言葉を交わしあっても
飼い主とはまったくチンプンカンプン
お盆前にDVDで見直した『ベイブ』。

職域や地域がそうであるように家庭も
年長者の厄介者扱いだけでおさまらず
生者そのものからも縁遠い暮らしぶり。

風が強くて蝋燭や線香に火がつかず
ちらほら無縁仏や引っ越した墓あと
死者を敬う心の行き場が途絶えそう。

居座りお盆(09.08.14)

今週半ばの暑い晴れ間に背戸の草抜き
指先に触った茗荷を次々にもぎとって
田舎仕込みの夏のかおりにたちかえる。

お袋の物忘れを助長したかもしれないが
夏の食材に合わせ生でも煮ても焼いても
うまいが酢漬けにした茗荷寿司もうまい。

デイサービスもお盆休みということで
田舎に残してきた墓参りも途切れそう
叔父さんの四十九日も出かけられない。

寝る前に一章だけ本を読むひとときに
ヨメが読み切るまでお預けにしていた
ベストセラー小説がぴったりじゃないか。

いつのまにやら要介護家族のケアで
何をするにも数時間をめどに外出そのほか
行動範囲が塗り替えられてきたようだが。

甲子園なんて夢のまた夢だった母校が
雨天順延された1回戦であっさり負け
野球部の応援募金も宙ぶらりんのまま。

夏霧の朝に(09.08.11)

朝霧のなかから濃い夏が立ち上がり
畑で齧ったもぎ立てのトマトの味を
思い出させるような懐かしい霧の朝。

部活の朝練コーチ二日目の道すがら
いつも見かける蜘蛛の巣やヒマワリや
垂れはじめた稲穂までが違って見える。

寝覚めの朝ラジオで聞きかじった台風や
地震のニュースも聞こえていないような
中学校のテニスコートやグラウンドの喧噪。

体育館を一緒に使うことの多いバスケや
バレーボールほかハンドボールなどの女子
部員らに比べバド部員らはなぜか小さめ。

部活の種目選びに自らの育ち具合に合わせ
羽根つきが向いているかもしれないなどと
思ったのかどうか聞いたことはないのだが。

かって暑中稽古や寒稽古に励めた僕は
中学のクラスで2番目に小さかったから
背を伸ばしたくて剣道部に入ったのでは。

  • 計算知識エンジンWolfram|Alphaへのインタビュー(InfoQ Japan) http://www.infoq.com/jp/news/2009/08/Interview-Wolfram-Alpha
  • クラウド・コンピューティング:「持たずに使う」コンピューター資源(ITpro) http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090731/334895/
  • パソコンでGPS活用(PCオンライン) http://pc.nikkeibp.co.jp/article/NPC/20080228/295003/
  • 国内ブロードバンドトラフィック総量が1Tbpsを突破(INTERNET Watch) http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20090806_307543.html
  • 慌てる前に親子で読もう! 夏休み宿題特集2009前編(INTERNET Watch) http://internet.watch.impress.co.jp/docs/link/20090807_307548.html
  • 消し忘れ(09.08.07)

    なんだか今週はじめの北陸の梅雨明け宣言を疑う
    空模様続きもおそらく月末政権交代選挙までだろうが
    だからといって一気に見違える状況も見込めない。

    今年はアウトドアで夏を楽しむなんてほど遠く
    除湿の効いた部屋でハイビジョンの紀行番組やら
    あいまにさまざまなメディアで音楽や映画など。

    ずいぶん使い古した割にS/N比が悪くないのか
    それとも耳が年のせいでくたびれたか衰えたか
    翌日に気づくオーディオ装置の電源切り忘れ。

    オン/オフを感じさせない快適除湿も止め忘れ
    待ってた追試課題やレポートの郵便物より先に
    甲子園の夏便りみたいな募金勧誘便が届いたが。

    甲子園初出場を決めた母校の対戦相手が決まり
    双方の県予選での勝ち上がりの差が違いすぎてて
    せめて初出場校同士の対戦だったらよかったのに。

    マタイ伝の福音書を再現して見せた「奇跡の丘」を
    リマスター版DVDでじっくり見直したばかりだが
    たった一度しかありえない奇跡のあとの復活とは?

    逸らさない夏に(09.08.04)

    夏らしい日和に恵まれないうちにもう8月
    どんよりとして蝉の声も静かで弱々しく響き
    留守電をとればドブ板選挙事務所のだみ声。

    ヨメの誕生日もすっかり通り過ぎた7月末
    近所の寿司屋を訪れ二人の胃袋と懐の塩梅を
    逸らさないつもながらのもてなしに舌を巻く。

    カウンターや小上がりだけじゃなく2階の
    座敷まで賑わっていてジャーナリズムが煽る
    不況などどこ吹く風というのも居心地の良さ。

    100年に一度だろうがなんだろうが戦後の
    貧乏をくぐり抜けて育ったせいか不況風に
    びくびくするような暮らし向きに縁もなく。

    多少なりとも打てるようになった夏休み
    部活の子どもらが身につけ始めた基本わざ
    ひとつひとつを点とし線でつなぐ動きを。

    まともなこと正しいことなどの蚊帳の外へ
    追い出されたあげくの虚弱な夏を越すように
    富山空襲の記憶を呼び覚ました朔日の花火。

    響け校歌(09.07.31)

    冷夏と疑いたくなるような7月の終わり
    よくない天気まわりを忘れさせるように
    想い出すこともなかった校歌が流れた。

    県予選を接戦で勝ち上がりシード校の
    壁もなんのその尻上がりにゲーム終盤を
    脅威の粘りで甲子園の初切符を手中に。

    かって立教時代の長嶋選手が訪れて
    どんな指導をしたのか知る由もないが
    母校の野球部が凝縮して見せてくれた。

    汗と涙の入り交じった逆転だけじゃない
    高校野球漫画をグランドで描いたような
    準決勝の戦いぶりでもう十分だったが。

    ひぐちアサ『おおきく振りかぶって』の
    単行本化を追っかけ読みする先の展開が
    どうなるか比較したくなるような決勝戦。

    昨年度の県チャンピオン校といえども
    日替わり全員野球の意気込みと勢いに
    受けにまわったときの脆さがでたのか。

    夏へ抜け駆け(09.07.28)

    梅雨が明けないうちに始まった夏休み部活の
    練習時間は昼をまたいだり朝早くからだったり
    午後の暑苦しい時間帯だったり週によって違う。

    3名で持ちこたえてきた3年生が引退して
    中学で初めてシャトルを打つ感触に戸惑う
    女の子らを引っ張る部活の2年生がいない。

    そろそろ土からはい出す蝉のように
    見よう見まねから脱皮するにはまず
    身にまとった癖みたいな型を破らねば。

    円や曲線が描けない幼児が鉛筆で殴り書き
    したみたいな縄文土器の線書き模様が実は
    その前の編み籠をコピーしたものらしいのだ。

    思いっきり真似をしまくったつもりでも
    身に付くものなんてからっきし残らない
    了見の狭い若気の行ったり来たりの頃合い。

    さまざまな手かせ足かせがあってこその
    自由奔放な醍醐味をどこまで泳ぎきれるか
    籠を編むように夏場の練習を抜け出て秋へ。

    眩しい影(09.07.24)

    路線バスで濁流渦巻く一級河川の橋上や
    水っぽい緑の丘陵を抜ける市内の往復で
    前期授業もどうやら一段落というところ。

    数年前とは違ってこの頃の学生さんは
    授業中もそうだけど期末演習や筆記が
    静か過ぎて教室で間を持て余しそうに。

    バス停からの帰り路で二羽のツバメが高く
    低く厚い雲でできたビブラフォンを打ち
    追いかけ夕暮れの風がハーモニカで伴奏。

    このところ庭に小鳥の影を見かけないが
    例年のように蜘蛛が網を張ることもなく
    葉っぱに虫食い痕もほとんどなさそう。

    職人が切り詰めすぎた紫陽花は咲かず
    なぜか半夏生のたたずまいも薄らいで
    やけに目立ってきた雑草の煩わしさが。

    素足にサンダルの虫さされも少なく
    蝶や夏場の昆虫の走りもまだまだで
    狭い庭の生態系もどことなく窮屈そう。

    日食の遠吠え(09.07.21)

    どんよりと澱んだ曇天をひっくり返すように
    明日の日食が見られるかどうかわからないが
    子どもの頃の田舎での日食体験が忘れられない。

    田畑をとりまく天地草木のただならぬ気配を
    嗅ぎ取ったみたいな近所の飼い犬らの甲高い
    遠吠えによりいっそう胸騒ぎをかき立てられ。

    行動範囲が広がるようになってスキー帰りに
    雪崩と擦れ違ったり夏山縦走で動きがとれない
    悪天候に遭遇した怖さは喉元過ぎれば忘れそう。

    婆さんの怖い昔語りに心躍らせたり長じて
    ホラー&ファンタジーものを見たり読んだり
    異様な空気感を感じさせる作品を好んだり。

    ひょっとして物心がつく前にとっくに
    得体の知れない怖さに出会っているか
    よくわからないってのが出生の核心に。

    上手い下手や唄っている歌詞にかかわりなく
    あるタイプの女性ボーカルを好んで聴くのも
    いつの頃からか訳が分からない不思議さの一つ。

    葉裏の手書き(09.07.17)

    ここ数日の暑さが嘘みたいな朝の雲行き
    深夜から朝方までつづいた雷鳴に眠りを
    ひっくり返されたような野良猫の鳴き声。

    2コマばかり喋ったりした後でバスに
    揺られながら聴くiPodは言葉を遠ざけ
    つかの間切り忘れさせてくれるようだ。

    授業のように言葉じゃなくシャトルと
    ラケットと身体捌きで会話を交わせた
    部活の3年生は受験という言葉の世界へ。

    挨拶だけで嬉しいのにおまけを手渡され
    彼女らが生きる世界をひっくり返したら
    どのような老女問題が顔をのぞかせるか。

    それと見定めがたい季節の受け渡しに
    挟み込まれた栞のような宮城賢の訃報が
    届いたばかりの印刷物の付録からこぼれ。

    〈生きることの価値は平穏無事を希う心の
    持続にあります。〉と「病後の風信」後も
    書くことを続けておられたようだったが。

    梅雨明け前に(09.07.14)

    梅雨明けのニュースも聞こえはじめた
    晴れ間に介護タクシーを予約したのに
    帰りが付添い1人用で溢れてしまった。

    お袋とヨメが乗った車をサイクリング車で
    追いかけてくればよかったのに歩いて帰る
    徒歩モードのハンディナビの熱さに夏気配。

    中学校の放課後にあわせるように出かける
    午後の体育館も日に日に蒸し暑くなるから
    バド部活の女の子らの水分補給が欠かせない。

    両下肢のむくみがどうにも治らないので
    利尿剤を増やすことになってしまったが
    お袋が脱水症状にならないような毎日を。

    医師が言うカリウム不足にならないよう
    生野菜がバリバリ食えるような歳じゃなし
    毎日の献立はヨメの手腕に任すしかない。

    7月の降雨で庭の水やりはほどほでいいが
    高齢化とともに日に日に植物性が表立って
    動けなくなる年寄りの水際立つたたずまい。

    梅雨の別れ(09.07.10)

    久しぶりに梅雨空が晴れ上がって
    雲が切れてきた山のあたりから鷺が
    眩しく羽ばたきながら黙々と飛び去る。

    週明けに見舞ったばかりの叔父さんの
    訃報が週末に届いて要介護認定の格上げが
    届いたばかりのお袋はただただ泣くばかり。

    敗戦直前に引き揚げてきた母子家庭で育った
    虚弱息子にとってなにかにつけ叔父さんは
    かけがえのない存在として忘れられない。

    通夜や葬儀に出かけようにもデイサービスや
    ショートスティも急には頼めずネット頼りの
    弔電そのほかあれこれ不義理もしょうがない。

    老けてますますそっくりになったじゃないか
    病床に起きあがって両手をついて支えながら
    語ってくれた親父の記憶が僕にはまったくない。

    かけがえのない死がさまざまな生を引き寄せ
    梅雨をめがけ株分けした観葉植物の根付きが
    どうなることやら葉っぱに触ったりしている。

    週明けコマ送り(09.07.07)

    梅雨の雲間からのぞく色濃い夏山の窓が開き
    叔父さんからもらった用具で登りはじめたり
    滑り降りたりしはじめた頃の遠く淡い情景が。

    80歳になって転ばないようノルディックに
    切り替えたなんて叔父さんの電話の語り口が
    隣街へ見舞いに出かける電車で揺られて消えて。

    退屈で痩せ細った手足をさすって見せたり
    身体を縛ったチューブやコードが外れたら
    すぐにも畠仕事や野良仕事をやりだしそう。

    帰りの電車が来るまでに熱い立ち食いもよし
    バス乗り継ぎ合間に図書館利用カードを作り
    ディサービスからお袋が戻るまでに用を済ませ。

    先週末に昨年暮れの吉本さんのインタビューや
    ローリング・ストーンズのライブ映画のDVDで
    力強いひとときを旅したような確かな名残も。

    休んでほどなく出かけた週明けの部活から
    3年生が抜けて1年生ばかりの新米練習を
    励ますように豪雨が体育館の屋根を叩いて。

    どっこい(09.07.03)

    近所の荒れ庭が整地され無断借地から
    追い立てられたみたいに雉わが家の庭へ
    ご挨拶程度にしておいてほしいものだが。

    甲高い鳴き声で何か告げたいことでも
    空き家と見まがう独居老人の敷地内に
    いつからどうやって棲みついていたか。

    まあものの考えなどは深まったりしても
    座としての身体が二進も三進も立ち行けず
    ますますどうやって老いるか仕方がない。

    空き地のシーソーの端っこから歩いてきて
    真ん中あたりでふわりと浮いたような半夏生
    季節の片隅の庭の眺めが今年はどうしたことか。

    どうにもリタイア後の土俵が見つからない
    当座のデカダンスに伴うものも足りなくなり
    何もかも底をついてからが勝負といえるか。

    どっちつかずの空模様を見極めたように
    庭の虫などを啄みにやってくる小鳥らの
    バーズアイを確かめようもなくデジカメに。


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