十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)
最終更新日:2009/07/03週末のスポ少で鼻血を流す子らがいたり
先週までの真夏日続きからいつも通りの
北陸の梅雨の普段着に着替えた山々の眺め。
夏山の到来を告げるように残雪の少ない
谷筋が雲間に見え隠れしたかとおもうと
どんよりした雲間の向うへ遠ざかったり。
娘から贈られたフラワー・アレンジメントの
色合いがかっての山歩きで眺めた花々を偲ばせ
雲海の上ヘ抜けて辿った稜線の眺めへと誘われ。
夏山が青春のルート66だったのはほんの暫く
下山すれば踏み迷うばかり人生の方向音痴に
ナット・キング・コールが大人っぽく聴こえ。
仕事を辞めてから聴くボブ・ディラン3枚目の
新譜を毎日のように流しながら人生の伴侶とは
ブルースのことなどとあらためて思い知らされ。
スポ少OB&OGあがりのコーチが男女5名も
先週の土曜の午後の体育館をはやめに後にし
ヨメと出かけたら樹齢60年の畑の白ワインが。
借家から新築へ使い回した後は1階から2階へ
部屋をたらい回しで使い込んだエアコンを取り
替えたら梅雨時の書斎の片付けや掃除が快適に。
田舎暮らしから引っ越してきた白黒テレビに
負けず劣らず40年以上持ちこたえたみたいに
サイクリング車も30年を超えて頑張っていて
GPSナビを取付けまだどれくらい走れようか。
家屋やオーディオアンプのように修繕していない
古いドイツ製のターンテーブルもしっかり回るし
お供のイギリス製アームも滑らかにLPを再生する。
家庭生活用具だけじゃなくそれらを使う家族も
手入れとメンテナンスさえしっかりしていれば
大崩れすることなくなんとか持ちこたえられそう。
父親による幼児虐待を背負わされた生き難さか
「スリラー25周年記念アルバム」発売から数ヶ月
後を追ったみたいなマイケル・ジャクソンの急死。
知人からもらった野菜をヨメが料理してくれ
とりわけ短冊に切ったズッキーニの塩揉みや
胡麻和えなどに初物をいただくようなおいしさ。
いよいよ梅雨も本格的になってきた夜来の雷雨で
テレビアンテナがショートし番組途中で水をさされ
画面の指示で仕方なく見たマニュアルのわかりにくさ。
低気圧がのさばると肩が疼いたり体調もどうやら
乗り手が馬の走りを妨げないようなレース展開で
季節と歩調を合わせ日々をくぐり抜けにくくなる。
デイ・サービスのお迎えの車に車椅子のお袋を
乗り込ませていて大粒の雨が降ってきたとたん
乗り合わせたご老人たちが手を叩いて唄いだし。
スポ少バドミントンにいた頃に緩急打ち分けが
できなかった子が中学ではじめた陸上部をやめて
バド部活で打てばきつすぎる握力が邪魔になり。
スムーズにラケットを振り抜かせなくしている
グリップや肘の抜きや身体の動かし方そのほか
覚えてしまった癖をどうやったら脱げるだろう。
コンピュータ目録の演習での操作画面みたいに
その場面で必要のないお邪魔虫コマンドがあれば
うっかり押してしまって間違える落とし穴になる。
二羽の郭公が謀をめぐらしていそうな
明け方のさえずりが聞こえてきたりする
安堵を邪魔するような雉の声がうるさい。
物心ついてから年代ごとに心ならずも
避けられなかった仲違いを繰り返した
誰彼に再会しても和解できるかどうか。
そんなに熱心なファンではなかったのに
E.クラプトンととS.ウィンウッドが再会し
M.S.G.で演奏したライブDVDの聴き心地。
ブルースに目覚めロンドンで出会った
二人の天才少年を別れさせたのが音楽
であったとしたら再会させたのも音楽。
還暦を過ぎた同窓会から洩れ聞こえる
孫か患いかそれでなかったら自慢話の
類いにわざわざ足を運ぶ暇があったら。
晴れ間にあたりを自転車でぶらぶらし
ファインダーを覗けば夾竹桃が枝一杯
狂ったような静けさで花を数えていた。
雨もオタマジャクシも降らない空梅雨に
歩きや自転車の散策に携帯するiPodや
デジカメに加えハンディ・ナビが面白い。
往きと帰りで運転手が違っていたり
近所の道路事情に詳しくなさそうな
介護タクシー同乗時にも役立つたり。
わざとルート表示と違う小路を歩いて
ルート変更させたりなんかしていると
新築住宅に咲きそろうバラの花壇など。
さすがに画面に出ない隠れ知ったような
抜け道で群生するドクダミの花に出会い
はるかかなたの田舎暮らしが想い出され。
げんのしょうことならぶ幼少の匂いを
デジカメで写すに写せないもどかしさ
でもバラの花よりデジカメに残したい。
やり残した毒にも薬にもなりそうもない
ガキが生きるやりたい放題を描いた映画
「ジャーマン+雨」が叫んで唄っている。
おととい北陸の梅雨入り宣言が出たばかり
弁当忘れても傘を忘れるなが反古みたいに
もう中休みかよと言いたくなるような晴れ。
空に向かってさやがつく豆がおいしくなり
箸でするっと皮を剥がせる按配が素晴らしい
鉢巻き剥きをしたジャガイモを煮っ転がす。
ほとんどやっつけ仕事みたいなヨメの手から
繰り出される日替わりメニューで食いつなぐ
食卓に顔を並べるお袋の復帰の日々はまだか。
目覚ましラジオで母と同い年の森光子が語った
テレビに出ていた頃に指名され3時間半も
インタビューした田中角栄は気配りの人よ。
長岡での吉本さんの講演会に3度ばかり
出かけたおりなど地元出身の田中角栄を
悪くいう雰囲気など会場では見当たらず。
体育の授業もバドミントンならいいのに
この春から中学の部活で始めて3ヶ月の
彼女らには先輩の休めの声も届かなそう。
出かけて何かしたいというほどでもないのに
当たり損ないみたいな日和で消化不良になり
前倒したみたいな夏バテ気味な身体の使い心地。
8畳間ならハイビジョン画面は50インチ前後
デスクトップPC画面は20インチ以上欲しいが
まず椅子と机と画面の高さの三拍子が揃わないと。
大画面でOSが新しく性能も良くなったのに
これまで使ってきた外付FDドライブなどの
周辺機器との相性が駄目になる見込み違い。
春からバドミントを始めた中学女子部員だと
ダブルスゲームなどで打ち損ないが適度に
混じったりして練習を面白くしてくれるが。
誕生から墓場まで家族がたどる生活場面を
思い描いて家を構えようとするのはいいが
どこが思い違いかその場に居合わせないと。
30前で結婚して家を建て子まで授かりゃ
稼ぐほかに人生もうやることなどないよな
かって頷いた同僚の言葉におまけがあった。
なんだか梅雨の走りのような空模様から
いったい何が溢れてくるのかあいまいで
たたずむ庭木のそよぎに見えない風向き。
市春期総体へ5人が準備しなきゃならない
中学女子バド部活に実戦経験豊富な女性の
教育実習生がラケット持参で顔を出したり。
ここんところ音信も間遠になってる娘から
知らなかった吉本・笠原両氏の対談DVDの
手配をしておいたから確認してねの知らせ。
車いすを自力で動かすこともできないお袋の
居室のドアが開いててトイレの手摺の位置が
変わったりさては夜中に這って往復したか。
印刷汚れがひどくなって買い替えたプリンタで
ヨメの知り合いが撮った庭の花写真の試し刷り
映り込んでいた見事な陽射しにしばし見とれ。
気づけばまだ作っていない6月のカレンダーに
夏に向かう日々のしおりかアクセントのような
老若さまざまな女性の影が織りなすふち飾りが。
立ち上がらなくなったデスクトップPCの
更新ついでに大画面にしたら作業しやすいが
窓際の眺めも初夏の照り返しも遮られて。
好天に恵まれた山王祭りへ足が遠のく一方で
夕方の散歩がてらに近所の寿司盤に座ったり
おふくろの診察に介護タクシーを呼んだり。
寿司屋で居合わせた元レスラーの解体屋さん
元ボクサーの親父さんから鼻が立派過ぎるから
ボクシングに向いていないと駄目だしされて。
地区大会レベルだと力で勝ち上がれたけど
それ以上はセンスがないものには届かない
全国レベルで勝ったり負けたりの世界が。
喧嘩や格闘技に身体を張ってきた人に
受けと攻めではどっちがより難しいか
聞きたかったことをぶっつけるチャンス。
なんといっても攻めそのものが難しく
とりわけ受けから攻めへどう変わるか
勇気がいる練習方法までは聞き逃した。
雉の鳴き声を合図に燕が飛び交う昼下がり
引っ張り出し眺め直したCDやLDや本など
聴き直したり読み返す気になりそうもない。
空に緑が爽やかな日和も寝不足気味で眩しく
不調で買い替えたプリンタの無線設定など
あれこれもたつきメリハリのないこのごろ。
いつも深くなったり浅くなったり繰り返される
眠りが分断されてしまう日々が続いたりすると
四六時中ががおかしな具合で体調も狂いがち。
いつでも夜のベッドの時間は深く浅くなんて
亡くなって間もない忌野清志郎がステージで
おかしな人形を抱えた歌いっぷりが偲ばれる。
乳幼児が母の庇護を当たり前にしてきた未来を
繰り返し取り戻すように老後の下々の世話を焼けば
清志郎はエロティックに“高齢化社会”を歌い上げ。
アントン・フィグが叩くブッカー・T&MG’sを
バックに若く成熟して亡くなったO・レディングと
山崎まさよしの間あたりの奥にしまっておこうか。
新調した3台目のGPSナビを試しがてら
サイクリングするにはちょっと寝不足で
部屋で読んだり聴いたり片付けものなど。
傾いた箱からロボット玩具とマニュアルが
遊んでくれと言わんばかりにはみ出したが
あれば掃除ロボットや介護ロボットも試したい。
本やLPやCDのたぐいがいつの間にやら
書斎から溢れたみたいに階段の下に並び
物置や2階の押し入れへと置き場所を広げ。
めったに弾いたり吹いたりしない楽器も
忘れた頃の掃除すらしてもらえないのに
部屋の置き場所だけがときどき変わるか。
画面がグレーからブルーに変わるだけ
立ち上がれない使い古し机上PCめがけ
呪文みたいにコマンドを打ち込んだり。
聴くことと弾くことの手や耳の違いも
読むことと書くことの人称の違いなど
あってないようなバランスに立ち続け。
温泉宿のマッサージチェアを試したみたいに
業者がおふくろ向けにセッティングしてくれた
介護用ベッドが腰痛持ちにもなかなか心地よい。
身体に合わせた杖がたよりからあっというまに
車いすプラス介助者が杖代わりの様変わりようで
ベテランケアマネージャーも飛んできてくれたが。
起きたり掴まったり向きを変えたり座ったり
長いことかかって身体の癖になってしまった
倒れまいとする体捌きを見極めた介助が肝心。
コンピューターによる目録作成演習にしたって
主流じゃなくなったカード目録を学習したのと
そうでない学生とでは理解のしかたに違いが。
分かりよさと分からなさのバランスがほどよい
そんな教材が場その場でしっかり思いついたり
見つかればいいのだがなかなかうまくいかない。
排尿が止まってデイサービス先から病院送りの
電話連絡が授業帰りのバス車内へ届いた時など
身近な介助ネットワークの網の目に乗っけられ。
関西地区で新型インフルエンザの感染拡大と
その対応措置が急がれているようだが地元の
定期健康診断会場では予防案内ビラ一枚無し。
息を吸ってためて吐くだけの肺検診は受けたが
バリウムによる胃検診のスルーはもと痔主の故に
なんとか飲めても出すのが苦痛になったりしがち。
先だっても老母が夕食を喉に詰めて大ごとに
かろうじて救急車の世話にならずにおさまったが
入れることも出すこともどうにもならないつらさ。
老若男女問わず体調が変わりやすい季節なのか
トイレのドアを外したり小回り車椅子のレンタルなど
日々これ入り口から出口へ事をスムーズに運ばなきゃ。
いろんな洗剤を試したりなんかした風呂掃除も
とにかく使ったらお湯や水で洗って拭いてから
あとは風呂場乾燥機まかせでいつもピカピカに。
毎日使うシェイバーの水洗いも面倒くさいし
小型クリーナーで吸い取ってみたり掃除ブラシだと
静かで悪くないがブロワーで吹き飛ばす手があった。
気持ち悪がって庭の草むしりを切り上げた
ヨメの言葉の先に雉の雌か山鳥かわからない
抜け羽がツツジの植え込みの間にこんもり。
鳥の亡がらどころか血のあとひとつない
薄気味悪さが五月の風で飛び散らないよう
拾い集めても羽ペンにも詰め物にもならない。
猫や蛇などのたぐいと争ったような物音など
庭に面した部屋で座りっぱなしの母が聞いたか
それとも庭先で出し抜けに脱毛症になったか。
ふとした入り口からあらぬ出口へさまよう
男や女の完結できない変身譚の手触りが
田口ランディ著『蠅男』に読めたようで。
たぶん今日で十年になるホームページ更新で
いったいどれだけの誤字脱字をそのままにし
見直すこともなくほったらかしてきたことか。
とっくに戦後のひもじい暮らしからおさらば
なのに人の細胞は今だ刷り込まれ飢餓モード
メタボとダイエットの輪から抜けられようか。
五月晴れにしては暑過ぎ風も生暖かい
日曜日のBCリーグ野球観戦で焼けた
両腕のヒリヒリ感がようやく治まった。
球場までの行き帰りの自転車散策で
花菖蒲のたぐいが目につくようだが
まるでいずれがアヤメかカキツバタ。
端午の節句に風呂に入れたりする
蒲の穂みたいな花が咲くのは何か
幅広歩道を並走しながらの珍問答。
3年目の地元球団の主催ゲームだが
2千人足らずのスタンドから溢れる
熱気が街中の野球場界隈に届くまで。
30年近く関わってきたスポ少バドで
歴代監督やコーチや子ども連なりが
三代をめぐるようになってきている。
家庭の姿もさまざまに営まれようが
やはり三代からなる家族構成に生誕と
死を包み込んだほんものの存在感が。
バス停向かいの公園の樹木の梢あたり
空気が暖かいのと冷たいのとせめぎあい
慌ただしい乗り継ぎを休める座席の眺め。
連休に読み残した本は鞄に入りきらず
入手したCDは聴き込んだ馴染み具合で
棚置きか持ち歩きになるかが決まりそう。
小学校1年の担任の先生から本をもらい
何よりも読むことが好きになってしまった
よぼよぼを嘆くおふくろにまだ初語りネタ。
半年前に米国のボクサーを8RTKOで破り引退を
決心させたのに続いて英国のボクサーファイターを
いきなり倒したアジアのボクサーの立ち姿が際立つ。
息子より信用できると頼りにしているヨメに
小さくなった背丈に合わせて買ってもらった
杖にすがるおふくろの危なっかしい歩きぶり。
一つ屋根の下で時には溢れる問わず語り
さて何を食べたか今日はなんの日だか
わからなくなったようでもふとした折に。
中古DVDで見た映画「ハプニング」の“緑”が
わが家の狭い庭で風にうねる新緑と遥か彼方で
繋がって“新緑の毒素”のざわめきが聞こえそう。
連休中の小中学生のスポ少や部活の相手は
若い監督・コーチや顧問の先生におまかせで
自宅でヨメと世界卓球2009中継にはまってる。
週めぐりでむきあっている幼い少女らと
家庭を営めなくなった老女らとはどこで
どんなふうに円環を描いているのだろう。
待ってたのは老後の悠々自適などじゃなく
やんちゃな孫らを風呂に入れたりしてたが
この頃はお袋の入浴介助などもやらないと。
人それぞれの出自に責任はなかろうが
母の胎内から産みの苦しみを共有した
無意識に向き合わされるのが拠り所か。
定年退職後を生きる身体の近接空間が
性的関わりを失ってどのような軌跡を
辿ることになるのか皆目見当がつかない。
過日ご無沙汰していた近所のイタ飯屋で
久しぶりに昼のエネルギー補給してから
爽やか陽気に誘われ二人でペダルも軽く。
街中や車が行き交う道路はおっかなく
なんとなく信号がなくて人気の少ない
川筋の道へといつのまにか出てしまう。
郊外の道路を素っ飛ばせたかっての
サイクリング気分から追いやられて
自転車散歩か散策に落ち着いたかな。
水辺の写真を撮って土手をあがったら
ヨメと談笑していた年季の入った走り手と
あれこれ自転車談義を交わし川面に浮かべ。
擦り切れたサドルや破けた手袋が語り
走り終わりの一杯を愉しみに走り出すのを
見送る二人は走る前に白ワインをあけてきた。
ロンドンや能登半島まで出かけなくても
富山の外へ通じていない川筋の道を選べば
車にであうことも少なく思いっきり走れる。
小屋根を覗き込むように剪定された
椎木の縮れた若葉と捻れた枯れ葉が
さわやかな陽射しにさらさらと揺れ。
新学期に入った中学の女子バド部活には
小学生の頃からクラブに入ってそこそこ
できて当たり前とそうでない初心者が。
始まったばかりの前期授業の2回目を
終えたところで質問じゃないと前置き
どうやって司書になったか尋ねられ。
いまの君らには考えれないだろうけど
まるで研修出張扱いみたいに職場から
東京へ大学の夏期司書講習に出された。
60年代の暑かった夏の2ヶ月間だが
そこそこ単位を落とさないよう夜には
ジャズ喫茶そのほか行き当たりばったり。
もっとしっかりその場で勉強しておけば
なんて野暮なことは今さら芽じゃないが
多感な一時期の東京暮らしも悪くない。
たまたま酔っぱらった人気若者タレントが
公園で裸になって騒いだ憂さ晴らしぐらいで
マスコミが騒いだり警察が家宅捜査するか。
まともな生活者の地域や職域での履歴を
ちょっとでもひもとけば酒にまつわる
武勇伝から破廉恥業まで枚挙できそう。
杓子定規の壁に阻まれた流れのままに
澱みで自らの首を絞めるような泳ぎで
そのまま家に帰らずガス抜きしてから。
全国区でドサ回りし続ける上司の手癖と
配属されるさまざまな部下の足癖の間で
事を運べるのが仕事ができるということ。
中学女子の部活に顔を出せば新入りの
指導をめぐって課外活動で続ける子らと
部外クラブでやっている子らがぎくしゃく。
ちょうど顧問の先生方も居合わせたのに
その場から抜け何をどうするまでもなく
居残った部員とシャトルを打ち合う響き。
新タマや新ジャガなどのおいしさに
コシアブラなどの山菜が加わったり
古びた食卓が生き生きとしなやかに。
白寿で逝ったじいさんとは違うけど
米寿をクリアしたおふくろの場合も
軽くなった体重を追い越す食べ盛り。
若かりし頃の好き嫌いなどどこ吹く風
ヨメともども食べ過ぎにならないよう
水気不足にならないよう気配りの日々。
何やら足りないものを補い蓄えたり
力になるエネルギーが湧いて出るなど
テレビの健康食品CMなどくそくらえ。
狭まりゆく一方の身体の行動範囲を
失いがたい本能の食べることで広げ
体内の体壁による蠕動運動を繰り返す。
さて片付け食いになったりこぼしたり
入れたら出さなきゃならない食事にも
体内ルートにおける情報交換の愉しみ。
市内バスのお出かけ定期が使える歳に
満開の梨畑を見下ろせる高架の往復で
ふと人生の行き帰りを眺めたかのよう。
リタイアによっていったん切れかかった
社会生活に引きずり込まれたのでもなく
よりが戻ったというわけでもないのだが。
週一で授業に出かけるのになじめなかった
かっての感覚が薄らいで新学期が始まれば
授業日があってあたりまえみたいなことに。
街中を2本杖で闊歩する身障者の姿が
わが母の老人問題にかぶさったようで
杖の長さは家族や社会の共同性に届かず。
社会復帰どころか自身への回復の目処も
おぼつかない日々の向うから射し込んで
まとわりつく死を避けるように逃げ隠れ。
初来訪で迷いやすいわが家への道筋でも
ケアマネージャーや市の介護認定職員は
どんなに迷おうともどうにかたどりつく。
曇天に鶯の鳴き声がしっとり響き合い
夏日を挟んだりした2週間ぶりの雨に
花から新緑へと視線を流されたみたい。
新学期になって何の連絡もなく近所の
中学の女子バド部活に時間を割かない
つもりでいたら顧問から急な電話連絡。
リタイアした年金生活者のすべてが
時間を持て余しているような応対を
されるのが当たり前に慣れてしまい。
社会的文化的生活基盤を消費と生産に
どこまでも場面分割され続けた現場を
離れたからといって現役は終わらない。
生きのいいライブを楽しませてくれた
ジャズシンガーがツアーから引退して
老母の介護に勤しむインタビュー記事。
介護や支援サービスになんの不満も
抱かなかったのにそうしたくなって
できるだけ母の存在に人間的に添う。
柔らかい陽射しと風に揺り動かされ
もう目立ってきた庭の雑草に混じって
白や黄や青い花のトリオが春を奏でる。
歩行がおぼつかなくなり4年あまりも
家に閉じこもりきりだったおふくろも
どうやらデイサービスに誘い出されて。
新学期が始まってるが来週から担当する
司書科目の授業曜日が短大行事でつぶれたり
果たして何回確保できるかが気になる頃に。
今期も4年生学部の科目履修生がいるが
2年で卒業する学生さんはどこでも何でも
できるかぎりキャンパスで過ごす時間を!
女が10にいれば3〜4人は結婚対象かな
夏期司書講習大部屋教室の片隅で交わした
肩身の狭い男子受講生の40年ほど前の会話。
卒業後の出会いの選球眼を磨く前に
何がストライクゾーンにやってくるか
キャンパスだけでしか出来ない間合いが。
朝ごとに東の稜線を北上する陽光が
2階の窓辺の観葉植物を照らす時節に
冬の埃を払って部屋の模様替え済ませ。
サイクリング車2台の空気圧を高め
市内の川沿いの桜並木を北へ走って
糸電話が運河を跨ぐ環水公園で花見。
穴蔵のような田舎の子供部屋の障子に
板戸の節穴越しに射し込む光りと影が
やがて映画へと誘う導きの糸のように。
幼稚園や老人ホームからやってきた
はしゃぎ声と沈黙を縫い合わせて泳ぐ
水辺にはりめぐらした鯉のぼりの群れ。
埃まみれの録画ビデオの記憶が薄れ
並べ直すLDとDVDの虹の輝きの向うへ
ひょっとして母の胎内記憶が甦るか。
ゴミ一つない芝生を駆け回る子どもを
追いかける母の手から飛び去るように
水面すれすれに滑る水鳥が影と鬼ごっこ。
絶好の花見日和の週末に春休みの
中学部活最終日のおつきあいが終わり
待っていたヨメとの遅い昼食が美味い。
仕事をリタイアしたころは昼食後の
昼寝でなんとか1日を過ごしたのに
今じゃなんとか連日の運動がこなせる。
とにかく女子部員3人で練習していて
ジュニアクラブでやってる同級生らが
ラケット持参でやってくると大助かり。
帰りがけに見かけた花の写真を写しに
午後の散歩に出たらここ2週間あまり
バタバタしていたような身体の疲れが。
DVDで見た黒ずくめの男二人と素っ裸の主人公との
サウナでの絡みが絶品の「イースタン・プロミス」や
生誕70年記念DVDセットの枝雀高座で元気をもらった。
大きなテレビでハイビジョン画像もいいが
まだ作っていなかった4月のカレンダーに
ピッタリの写真が撮れていたらもっといい。
まだ冷たい風と温かい陽射しがせめぎあう
晴れ間を選ぶようにMFカメラ館の写真展や
おふくろの介護認定検診で病院へ付き添ったり。
写真集でみていた以上に石川直樹の作品が
人間の生涯がたどる行動範囲の地縁の端へ
連れ出されたみたいな気持ちよさが残った。
桜より前にあちこちでるモクレンが咲きそろい
ここ数年閉じこもったみたいなおふくろだが
デイ・サービスなどでお花見でもできようか。
1枚の屋久島の樹木写真を指差すヨメに
写り込んだ光りの輪が何かと聞かれたが
フレアかゴーストかうまく答えられない。
五角形になっているから写したカメラの
絞りの前のレンズの枚数が5枚というのが
いかにもミステリードラマ好きの聞きかじり。
カメラ片手に関西方面へ一人旅に出かけ
撮り貯まったアルバムを取り出してきて
眺めたりすることも絶えた老母のこの頃。
今朝もうっすら雪が積もったりして
咲き始めた庭の花など薄ら寒そうで
いざ写真展へ遠出する気分もしぼんだ。
それでも朝/昼/午後と時間帯が変わる
春休みの子どもらの部活はなるべく出かけ
下手も上手も一緒に練習メニューを工夫。
悪天候にもめげず自転車でやってきて
放課後の練習時より集中できそうだが
部員それぞれの力を試す場が見込めない。
運動も風呂も控えようやく頭の傷が癒えた
ヨメと近所の散歩で久しぶり寄り道しようと
なじみの寿司屋にふられその先で新規開拓。
数年前に廃業した居酒屋のたたずまいが
跡形もなく店内にBGMが流れBGVの彩り
客の影がなく年寄り夫婦も邪魔にはなるまい。
ワイン1本におすすめのキッシュやグラタンほか
若夫婦の手作りをおいしくいただいてサービスの
シャーベットにマティニを頼んだらオリーブ無しが。
なんだか滑り納めもしないうちにスキー用具を
片付けてしまったような暖冬だったがスーパーは
景況底冷えで月次売り上げが1兆円を割ったとか。
アメリカのベースボールを追いかけてきた
日本野球が昨日のWBC準決勝でMLB選手を
集めたアメリカチームに9対4で勝ち切った。
その後で地デジ対応に買い替えたばかりの
わが家のテレビが映らなくなってしまって
今朝のWBC対韓国決勝戦中継はおあずけ?
ヨメの朝一電話でやってきた電気屋の目で
老朽化したBSアンテナやブースターそのほか
駄目を出されてくたびれたモニターTVも更新。
アメリカ野球の段階を超えた先の決勝が
よくまとまった韓国チームとアジア的な
レベルで雌雄を決する展開になるなんて。
モニター機器やアンテナ取り替え工事が済む前に
アジア対決試合の決着がついてしまうかもしれないが
とりあえず残っていたアナログポータブルテレビで。
なんと春分の日を前に夏日を過ごした
火照りを冷ますような雨音に混じって
聞いたこともないような鳥の鳴き声が。
梅の花もすっかり散ってしまった隣近所に
目を凝らしてもそれらしき姿はどこにもなく
ファインダーの先には尾長やムクドリばかり。
鶯も鳴き損なうような寒暖の狂い咲きを
知ってか知らずか居所の暖房を止めたのに
スイッチを入れ続けて汗ばむ老母の仕種。
前頭の怪我の回復も順調なヨメと楽しんだ
WBC第2ラウンドの日本対キューバ復活戦で
もらった先取点は霧によるセンターの落球か。
野焼きで死傷者のニュースもさめないのに
昨夜は介護士が1人だった老人ホームやほぼ
空き家だった商店街が焼け落ちてしまったり。
そのうち列車を楽しみながら出かけたいもの
ノートPCをGPS端末に地図ソフトを試しながら
テレビのWBC対韓国順位決定戦中継に釘付け。
夜が明けないみたいな暗い空が光って
雷鳴が近づき霰まじりの雨がやんだら
猫の目のような朝の陽射しが忍び寄り。
あちこちで合格不合格や人事異動など
さまざまな内示を暗示する春雷もどき
昨朝は片付け中の雪囲い柱がヨメの頭に。
救急かタクシーかどっちを呼ぼうか
血が止まって自転車で近所の病院へ
無帽な準備や後片付けに落とし穴が。
乗り物の乗降口でたむろし他を顧みない
高校生や短大生の姿を日頃見るにつけても
あれじゃ面接に行ったら秒察ではじかれそう。
個を際立たせる競争にかまけて己を生かす
恊働の面白みを身につける家庭や学校や地域の
場を失い続けてカフェ難民相互に貧乏共有は?
異動先で先延ばしにされて溜まった片付け仕事も
臨職や派遣の雪かき仕事の達人の協力があってこそ
なのにその気にさせる上司は入れ替わる度に痩せ細り。
雪吊りを外されたばかりの庭木が
強風に煽られ黄色く薄汚れた屋根を
洗い流す雨がそろそろやってきそう。
たまのスキーやサイクリングもままならず
平日の午後にする界隈の散歩で目にした
家電量販店やホームセンターなどの賑わい。
暮らしを揺さぶる不況もどこ吹く風まかせ
慌て騒ぐような生活力の無駄遣いなどせず
じっとやり過ごすだけが年度末の手だてか。
体育館や教室に集う子らや学生の顔ぶれがどう
違ってももたつく準備や後片付けはそのままに
とっかかりの悪さで全員が足を引っ張りあう。
買い替えたテレビや携帯音楽プレーヤーに
標準でくっついてくるスピーカーやイヤホンを
それなりの製品に取り替えた時の鳴りの良さ。
さまざまなモジュールが組み合わさって
立ち上がったシステムが稼働するほどに
ソリューションとしての風通しの悪さも。
生きて死にゆくこと自体が抱え込んでしまう
起こってしまった不都合や障碍が日常を揺すり
舞い上がり澱むゴミが立ち位置の俯瞰を曇らせ。
買ってすぐのデジカメに写り込んでたゴミが
目玉機能のダストリムーバーでもなかなか落ちず
ネット通販おすすめグッズでようやくスッキリ。
身体の延長みたいに使う道具の不都合だと
その気になって手を加えればどうにでもなるが
心身の関わりが抱え込まざるをえない不如意が。
よそから声がかかるようになってそれぞれ
拓かれた道を歩む達人の姿から学ぼうにも
自らの立ち位置を俯瞰できる素人はどこに。
新入団員の子らを前に道具を身体の延長に
ラケットスポーツを楽しむ手ほどきはじめ
どう腕を振ってあてて飛ばすかが悩ましい。
腕力のある子は力が邪魔をし非力な子だと
力みがよけいな妨げになったりするように
為にする大人の思い込みが間違いのはじまり。
朝っぱらか家鳴りがするくらい南風が
吹き荒れて曇り空の裾をめくれば白黒が
はっきりしすぎる山麓がやたら近く見え。
立ち上げたPC画面には授業料未納生徒だけじゃなく
図書館本未返却学生相手に卒業証書を担保にとった
督促まがいの脅迫めいたヘッドラインニュースが。
大麻所持が取りざたされたキャンパスの外だと
逮捕されたミュージシャンのCDは出荷停止だが
同容疑の作家の作品などは販売停止になっていない。
海外の優れたミュージシャンのヤク容疑で
聴きたいCDが手に入らないなんて事はなく
今じゃiPodに入りきらないくらい聴き漁った。
著作権をたてにネットでの立ち読みなどで
作品の売れ行きを占う作家団体の思惑なんて
事の本質を見失って枝葉末節に躍らされたか。
ちゃんとした教育やしっかりした内容の本や
すばらしい歌や演奏ををどこかで心待つ身に
見当外れの対応やくだらない作品など要らない。
おかげさまで授業に遅れたり穴をあけたり
なんてこともなくやってこれたのに昨夕は
学科の“教育懇談会”なる会合に遅れる羽目に。
中学行事で2週間ばかり休んでいた部活への
久しぶりの顔出しを早めに切り上げ近所のバス停で
待ちぼうけを食らわされ急いでタクシーに鞍替え。
間に合いそうにないとこぼすドライバーが
GPS無線で会場の電話番号を問い合わせてくれ
遅刻連絡を入れてタクシー業界の不況話を拝聴。
なんとか乾杯に間に合ったが年々目減りしている
学科の参加者にいまいち盛り上がりが乏しいようで
時間講師にはどうにも会を重ねる趣旨が見えてこない。
司書課程の卒業生3名が地元の図書館で働くことに
不況話に花が咲く会場で耳にしたいい就職ニュースで
ほっこりした気分になれただけでも出かけた甲斐が。
数年前に時間講師を受けるよう橋渡しをされた
先生と駅で別れてタクシーで素っ飛んで帰れば見事に
拳がかみ合ったディアス対マルケス戦の放映にぴったり。
納棺師を描いた映画のアカデミー賞受賞が
アメリカ初の「黒人」大統領の誕生に続き
人種や職種に関わる蔑視をやわらげるかも。
とかく容れ物としての家屋や冠婚葬祭に
力こぶが入りがちな生活史を刻みながらも
できるだけ死者に関わる生者から遠ざかる。
見たり触ってみたりするなんてもってのほか
たまたま身内の仏様が横たわっている部屋に
わが子が入ろうものなら親の血相も変わりそう。
生き延びるためならどんな事でもやりかねず
病態の巣に逃げ込むことなど知らぬ存ぜぬで
どこまで人や事物から踏み外さないで関われるか。
幼いころ何度か見届けた葬列が行き着いた
村はずれのさんまいで焼き裂けた棺桶から
炎をかきわけ立ち上がった人肌が焼け崩れ。
DVDが出たばかりの夫婦映画「ぐるりのこと。」で
死体から逃げ出すように生き延びようとする
ウジ虫の挿話が観覧者の立ち位置を照らし出す。
先週末の黄砂で薄汚れた瓦屋根が
週明けの雨で洗い流されたように
閉じこもり感のない冬も終わりか。
リタイア以来めったにひかなくなった
風邪にやられた先週半ばからだらだら
身体を惰性で動かしているような日々。
2/13(金)の金沢公演には行けなかった
ジェフ・ベックのロンドンでのライブが
テレビで楽しめた間は風邪も抜けたようで。
女子アナの「あなたが永遠だと思うのは何でしょう?」に
映画のプロモーションで来た男優がインタビューに応じ
「生まれたっていうことと死ぬってこと」としか答えない。
人生のあっち側とこっち側を通わせて
冷たくなった身体の扱いを描いた映画が
受賞したオスカー像の重さは人の片腕ほど。
そんな腕一本をどうやって振り抜くか
手本の振りと我が身の振りとの違いに
戸惑った新入りの子らと身体で話せるか。
あてにならない昨今の天気予報や政治家の
ぶざまな受け答えにうんざりしていたところに
村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチの一部が。
イスラエル訪問につきまとうさまざまな勘ぐりより
“本当のこと”を書く小説家としての沈黙によりそい
当地で見聞きし触れた感触をたよりに話すことに。
『アンダーグラウンド』をのぞくほとんどの作品に
まるで音楽を奏でるような出来不出来におかまいなく
コンサート会場でしか味わえない文体のライブ感が。
黙ってたっている樹々それぞれの動きがどうなのか
森の動きで語らせることができれば枝葉のことなど
幹は与り知らぬばかりか風の囁きに花も咲かせよう。
山のように立ちはだかる幻想の壁にとりかこまれ
システムにぶつかって飛散した割れた卵の殻に
書き込まれた言葉の裏に黙する失われた命の糸。
行き詰まって強さや正しさも見失いそうになり
脆さと弱さをずる賢さで継ぎ接ぎするしかない
所在なさを鼓舞する本当のような嘘を聴きたい。
先週末のバカ陽気を消し込んだように
空が真っ白に衣替えした屋根に映えて
庭の積雪が眩しい真冬日をデジカメに。
久しぶりに雪降りしきる昨日の天空を見上げ
ふと身体がどこまでも持ち上げられるような
感触を置き忘れていた心当たりにくるまれ。
ネットで探し読めば川沿いのサイクリングで
疲れ土手にひっくり返って見上げた昼空の星
「橋流水不流」の響きが露伴の『観画談』に。
一気に様変わりした寒さに騙されたか
自転車のハンドル操作を誤ったみたいに
注ぎたてのコーヒーがひっくりかえって。
予期せぬ禍福で凍った氷柱がぶら下がる
軒先に庇護されたようにひよ鳥がとまって
あたりを眺め終わったように飛び去るが。
小指と薬指でラケットグリップをひっかけ
残りの指でラケットハンドルを操作しながら
股関節で羽根球を打った響きがこだまし。
住み慣れた厳しい寒さを見失ったみたいに
朝っぱらから春一番に間違えそうな南風が
家鳴りするくらい吹き荒れる2月半ばに。
久しぶりの新雪に恵まれた滑りが嬉しかった
昨日のスキー場で話しかけられたスキーヤーは
還暦の手習いから15年目のワクワク感が溢れて。
中国で通った小学校の凍ったグランドでの
スケートがやがてスキーへ憧れを育んでか
定年退職を機会にようやく滑りはじめたとか。
なぜか共に滑る僕ら夫婦が羨ましそうだったが
タバコを一服しながら降りてくるのを待っていたヨメを
今じゃ追いかけるまでいろんなシーズンの積み重ねが。
箸休めに美味しい凍らせた甘酢漬け茗荷を
つまんだりしながら窓の外にふと見かけた
杖なしで消えていく後姿にスケーターの面影。
中高年になればなるほど我武者らになれず
滑る前に見た『ザ・フォール:落下の王国』に
身体捌きや技を高める面白さに気づけたか?
先週末から隣の庭の梅がほころびはじめ
週明けのわが家の庭木に消毒剤が撒かれ
石灰と硫黄の混じった臭いが艶消しじゃ。
手元作業用に取り替えようとはずした
メガネのサングラス用レンズをはめる
リベットが削り落とされたように無い。
数日前にバドミントンをやっていたとき
右後方からパートナーが打ったシャトルが
前に出た僕のメガネを擦って相手コートへ。
降雪予報にも裏切られっぱなしのこの頃
散歩にはちょっと遠すぎる急な用事など
しまい込んだサイクリング車のお出まし。
持ち込んだ郊外店のスタッフもびっくり
レンズやツルにひびどころか傷ひとつなく
東京での修理を済ませ中一日で手元に戻った。
さて無償で素早い対応に喜べるのも今度だけ
とにかくメガネなしでは暮らせないわけだから
これからは代替品を常備するようにしないとね。
なんとも雪が少ない浮ついたような冬だから
あれよあれよと庭木にうぐいすらしき鳥影を
見かけたりしているうちに2月も立春が過ぎ。
西のほうでは梅や初鳴きが見聞きされてるが
この年度末を控えた正規・非正規雇用労働者を
待ち構えているどうしようもない話題も聞こえ。
企業側の要請に政府の雇用政策を接ぎ木した
労働者派遣法が定められ1980年代半ばから
派遣労働職種の専門性の箍が外されはじめたが。
戦後早くから製造現場や建設現場への派遣が
事実上の雇用不安や中間搾取を先取りしてて
1990年代末に派遣職種が公然と自由化され。
低賃金労働力による人件費の削減と労働力の
流動化を押し進めいつでも解雇できる労働力に
立ち続けた企業経営の破綻のつけを誰が払うか。
「じゃあ、私にはなにがあるのか?/私はなんで生きてるの?/誰も私から奪えないものってなに?
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
舌がある 顎もある/首も おっぱいも/ハートも ソウルも/背骨も セックスも」
聴き慣れたニーナ・シモンが無年金の頃にとりわけ身体に響いた。
空模様が周期的に変わるようになって
公言通り部活への顔出しをサボってでも
ようやく週一でスキーが楽しめるように。
板を担いでバスと電車でよく行けるね
とても真似できないよと揶揄されたり
今じゃ夫婦してリフト券がシルバーに。
とても持て余すような金も暇もないのだが
変わりゆく同じものみたいな斜面が求める
立ち位置をそらさない身体捌きの感触が。
板やブーツなど身体にまとわりつかせて
運べば重くも軽くもない余暇を過ごせる
人それぞれの姿勢が身についたりしそう。
踏ん張らないで持ちこたえられるよう
力の抜きどころ収めどころを探りあて
残りそうな疲れや痛みを消し込む技へ。
さも沈黙を消し込むような呼吸になれば
少しは手の冷えや足の冷たさから免れたり
痛んだりする肩のこりがうすらぐことも。
じっと待っていたみたいに1月も末になって
ようやく二日続きのスキー日和のひとときを
楽しんだ翌日はいつもの北陸の冬空に逆戻り。
立山山麓から能登半島の端っこまで見え
1月ならではの眺望に反して3月並みの
少ない雪がのぞかせるのは不況の地肌か。
なじみの小屋のお気に入りメニューを頼んだら
今シーズンから困ったことに水が出なくなって
もらい水で先週金曜からようやく開店したとか。
いつものビーフカレーやコーヒーが美味しく
素朴なラーメンに生ビールで喉を潤したりできる
シーズンを保証するだけの積雪がもたらされるか。
練習をさぼって滑りを楽しむバドミントンの
大先輩にも出会えたりスキー実習の子どもらを
避け損なう年季の入ったスキーヤーの転ぶ姿も。
助手席にかみさんが座ったたらがっくりでも
スポーツカーにわくわくするタレントみたい
電車とバスでスキー場に通う年配者も見かけ。
微妙に外れがちな天気予報みたいに
冬場の閉じこもり感も薄らぐばかり
アマガエル前線もおかしくなったとか。
まるでカエルのつらにしょんべんみたいに
リストラ発表をする地元企業のトップが
地元テレビ画面でふんぞり返ってみたり。
後期の演習や授業が終わった一服感から
はみ出してくる教え学ぶことの解らなさ
尻切れ蜻蛉な期末評価を終わらせないと。
そのうち短大学生が底をつきお払い箱に
あてがはずれるくらい地元の進学需要に
食い込み続ける要素があるということか。
さしあたってどこかへ抜け出せるような
あてもなにもいっこうにみつからないが
吹きだまりの外側にひょっとして何かが。
休まず遅れず働かずは過ぎた昔のこと
練習そのほか熱心にやり続けることが
駄目さ加減の確認に終わったとしても。
数日前の朝にテレビで見聞きしたはずなのに
オバマ新大統領の就任演説がネットで流れ
記念コンサートの歌唱をラジオが追いかけ。
身近であり得なかったようなことを見定めたり
あれこれ考えたりするよすがのひとつとして
物心がつきだした敗戦後の貧乏暇なし暮らし。
今じゃ貧困層の子が富裕層の子をいじめ返し
為政者に後期や前期などとくくられれがちな
年長者らがくぐり抜けてきた貧困社会との違い。
コンピュータ処理に業務を移行し始めた頃は
追いつかないデータ入力などを外注に出したが
やがては図書館業務そのものを派遣に丸投げ。
そのまま派遣業界そのものが立ち行かなくなり
そんな職場環境に誰がしたのか問わず語りに
あちこちでほころびだした不況に揺らぐ暮らし。
何も起こらずに過ごせる一日のありがたさが
どのようなものか味わえる暮らしをめぐって
いつまで経っても繰り返される半人前の日々。
北陸の冬場モードが身体に定着したとはいえ
寒暖の差が激しいこの頃は運動の際なども
風邪を引かないよう着衣に気配りしないと。
育ち盛りだと病気がきっかけみたいに
頑健になったりするようだが年寄りは
対照的に弱くなりがちでどうしたものか。
所定の部活時間を見計らって出かけたら
進路選別にさしかかった中学生らが集って
カルタ大会で待たされたが悪い気はしない。
親戚が訪れた年賀の集いで興じたりした
百人一首もいつの間にかわが家から消え
花札などもどこかへしまい忘れたようだ。
ようやくデジタルハイビジョンテレビで
地球の四季を写した「アース」を見たが
付加価値を得る以上に生きて在る大切さを。
ヨメが揃えた桜餅とお茶のひとときに響く
フィリップス時代のニーナ・シモンCDセットが
ひときわ心や身体に残る凝りをほぐしてくれる。
屋根雪下ろしするほど積もらなくても
軒端で凍った雪が小屋根にドシンと落ちて
壁に取付けた無線LANがトラブることも。
凍結道路はセラミック底のブーツが滑らないが
飛び過ぎる融雪装置の散水をよけたりしてて
排水溝の蓋など濡れた金属の上で転びそうに。
例年のごとく歩道の除雪には手が回らず
すれ違った車に融雪水の飛沫をかけられ
暖冬とはいっても歩行者の雪害はつきない。
コラムニストが週刊誌の連載コラムで
同じ版元のベストセラー書き手を批判したら
直ちに降ろされた著作権事情のようなもの。
二人で晴れ間に近所の散歩に出た先で
寒さしのぎみたいに家電量販店を素見したり
持ち帰った映画DVD再生にもどかしい部屋暖房。
朝は凍てつき日中も気温が上がらず
一仕事を終えて夕方に帰り着いたら
温かい部屋にスープ料理や赤ワインが。
ようやく平野部にもまとまった雪が
いまやなじみが薄くなった雪かきも
融雪装置が肩代わりしているかな。
雪が積もる前に収穫した野菜や米に
手紙を添え送ってくれた叔父は高齢になり
リフトスキーからノルディックに乗り換え。
小学校の体育館の汚れ具合といい
更衣室もない中学校の部活環境など
見て見ぬふりで先送りされ続けるか。
効率と成果に追いまくられるような
仕事のやり方から刃こぼれしがちで
捌ききれない事案が雪だるまのよう。
起きだした大人が登校前の通学路を
雪かきした後から子どもが歩いていく
光景を偲ばせる地域や職域の地図は?
稼ぎに追いつく貧乏なしでやってきた
貧困の構図が書き換えられてしまって
追い越されてしまった倫理の彼方から。
わが家に近づく中市(旧登山口)あたりから
眼前にひときわせりあがってくる
冬場の山々の眺めも今日は雲の彼方。
昨夕ヨメと久しぶり待ち合わせた
近所の寿司屋でもやはり富山に住んでて
良かったと思わせる立山連峰が話題に。
寿司盤の僅かな勾配に距離感がぴったり
はまったような塩梅で頂いたイカ刺しに
ピンクの粉のようなヒマラヤの塩味が。
数億年前の造山運動以前の古地中海が
岩塩に閉じ込められ舌先に届くまでの
距離にさまざまな飲食の出会いの物語。
正月特番の収録直後にさんまが無言で
コップいっぱい飲み干す様に見とれたり
MHKテレビで女子アナが番組内で味わった
究極のコンソメスープに言葉なく涙したり。
予想以上のできばえの鍋料理を客に出し
泣かれて戸惑ったご主人の一期一会話も。
今年も年明け初滑りとは縁がなく
相手をするうち正月気分も抜けた
近所の中学女子バド部活が運動初め。
休憩時もノック用シャトルを並べ
床に描いた文字を携帯で写したり
賀状やテレビが部員3人の話題に。
CMや番組を見る限りテレビ業界も
元気がなくなってきたみたいだが
NHKで見た立川談志の芸が凄かった。
昨年3月の10時間特番の焼き直し
おまけに深夜の放送時間だったから
録画して見たがやはり圧倒された。
じんわり体幹の奥深く響くように
揺り動かされたのがNHKーETVの
吉本隆明語る〜沈黙から芸術まで〜。
分野を異にして一回りほど違う
ご老体からほとばしる日本語の
すべてが分かったとはいえないが。
届いた賀状には返信を用意したのに
散歩がてらの初詣も見送ったような
降るでもなく晴れるでもない年明け。
夢見は五臓六腑のどこかに障りが
初夢は何だったか見たかどうかも
覚えてないくらい酒が弱くなって。
あんたらご夫婦よそ者じゃないの
歳末の買い物に出た街中でのお昼時
居酒屋のカウンターで声をかけられ。
富山もんに仲のいい夫婦はいない
力説して止まない老婦人の語りに
あてられたみたいにめまいがしたり。
茶碗酒を飲み隣に居合わせた僕ら夫婦に
豚の柳川や白子の天ぷらをわけてくれたり
どうやらデパートで暮れの買い物ついでか。
正月三が日はFMやテレビを傍らに
飲み屋でいじられた続きみたいに
二人でだらだら飲んだり食べたり。