十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)
最終更新日:2009/01/02天井や壁の埃や蜘蛛の巣を払い
お鏡を供えたりしめ飾りを吊るし
それでもやっぱりいつもの取り残し。
手にしたり目についた物をついつい
見聞きしてしまうからいつも先送り
暮れの片付けを持ち越すひと部屋も。
鯖も鰤もカブラ寿司が美味くなり
年末特番の懐かしの歌謡番組を耳に
ひと風呂浴びてしまうようなもの。
映画館で「おくりびと」を観てないが
さそうあきらのコミックで読んだからか
野焼きで棺から起き上がった驚きの人影。
図書館が休館中で書店へ新刊探しに
街中へ出かけて眺めたエコリンクに
賑わいとざわめきが滑る広場の響き。
中沢新一『鳥の仏教』が掌に温かく
気温が下がってきた電線に群がった
鳥団子の囁きに耳をそばだてる歳末。
一昨日で校下のバド・クラブも
短大の授業も冬休みと思いきや
中学女子バド部活は年末年始も。
練習メニューの合間の休憩中に
コートサイドでうずくまる部員の
手元をのぞいたら年賀状の追い込み。
いまある手応えではわかりようもない
上達した感触を自分の中の他人が先取る
俯瞰視線と交叉するところへ届きますように。
どうしようもなくひどい家庭育ちの
悪夢から覚めたらもっときびしい現実が
待ち構えていたりした中学生の姿は遠くへ。
小学生のとき観た「オズの魔法使い」に
中学生になって観た「サムソンとデリラ」に
最近になって観たI.ベルイマンの「蛇の卵」も。
綱渡り芸人が呼吸する命の糸を渡れるか
いつも時代はおあつらえ向きじゃなく
とっておき待ち受け画面は映画的時空に。
昨日の荒れ模様が静まり返って
うっすら雪化粧した朝の屋根を
鴉の群れの影が横切る禍々しさ。
どうにか学期をやり過ごした一服か
帰宅組の学生服とすれちがった夕暮れ
くわえ煙草が様にならない通学路。
経営難で募集停止に追い込まれた
企業経営を教えるLCA大学院大の
学長が中教審の会長だったなんて。
叩き付ける雨風にビニール傘が
壊れても離さないタバコ火が濡れ
煙に巻かれる学びそして働くこと。
退職時の餞別を当面の生活費に
退職金を食いつぶしながら借金も
蓄えもない歳末を抜けて年金暮らし。
とうとう壊れたアナログテレビを
デジタルに買い替えたら大掃除も
済ませていないリビングが明るく。
窓の向こうで山並みが銀紙細工に
放射冷却された朝空に聳え立って
無償に意味を抜かれていく週末。
100万部売ったベストセラー作家が
さぞモテるだろうと合コンに出かけ
誰1人読んでくれていなかったとか。
テレビの時間枠とか新聞紙面の字数に
収まりきらないところで売れてからや
モテたあとの物語がどうなっているの。
ペットが亡くなった喪中挨拶状が
出回るくらい人と人との関わりに
飢えているか満足しきっていそう。
今年のロボット大賞になったみたい
買い慣れた二足歩行ロボットで戯れ
意思にも力みにも頼らない動きに。
相手がいて自分がいる関わり具合に
遠く自分から離れて眺める第三者が
加わる三角関係に追い込まれる余地が。
先週末は生憎の空模様で流星群や
満月を眺めたりするような散歩も
やれなかったり何となく閉塞感が。
昨日は寝起きの西空に朝立ちの月影が
今朝は地表の熱気が天空に抜けきって
東の空に処女雪の山肌が聳え立ったり。
肌寒い夕方の中学校の体育館での部活なども
まずコートの内外をめぐるシャトル置きから
フットワークなど手や足による了解と働きかけ。
進路をめぐる三者面談が気になる年頃に
伸び盛りの手や足で道具の使い方を覚え
関係づけられる領域を確かめる歩き方に。
肚を異性に頭を自分に胸を社会に開き
手と足で消費と生産を繰り返す身体性を
拡張し続ける触覚や嗅覚から聴覚や視線が。
狭苦しい言葉や行為を裏打ちしている
沈黙を読み込んだ言葉に出会えるよう
見聞きし読んで身体作りトレーニング。
遠くでは稲光と雷鳴が近づく雨の印し
どこからかパフユームが響いてきて
夕暮れのキャンパスに落ち葉が舞う。
名前も忘れかけたひとりのSEの面影が
教卓に向かう前の時間つぶしに座った昼時
閲覧室で見かけた見覚えのある後ろ姿よ。
システム更新作業真っ最中の彼が唖然とし
まさか学生相手に図書館システムの話など
当方の思いもよらない成り行きにびっくり。
午後の授業2コマをこなして話し疲れ
駅前の今年の夏に開館した図書館で寛ぎ
待ち合わせたヨメとクラブの忘年会の場へ。
聞けば酒場を開店して6年目を迎えた
六十代半ばのご主人のもてなしぶりで
久しぶり酒を酌み交わす愉しみが溢れ。
にじり寄る子育て働き盛りの中年クラブ員も
老後をどう毎日楽しく食いつぶせるかなんて
答えられる生活設計など持ち合わせていない。
スキーショップに板を引き取りに行けたが
昨日の晴れ間にやってきた庭師が仕上げた
雪吊りの結び目に枝折れしない冬の約束事。
グローブを交えるなんて予想もしなかった
デラホーヤとパッキャオの対戦中継を観て
日曜は雪囲い作業をほったらかし先延ばし。
屋根の雪下ろしどころか雪折れするほどの
積雪予想もできないのに今年も庭の冬支度など
半端じゃなかった豪雪被害の後遺症とも違うな。
先細る暮らし向きの年中行事のひとつか
何かが足されたり引かれたりするでもなく
なんとはなし一年の落とし所を繋ぎ止めて。
最年少一億円ゴルフプレイヤーの物腰も
敬語が使えないボクシング三兄弟があって
ますます際立つようなテレビ的映像バランス。
どんな場面に立たされても今が一番と言い切れるか
“生きてるだけで丸儲け”のベテランお笑いタレントや
“生まれてきたこと”が一番嬉しい幼いタレント映像も。
デジカメで撮り損なった朝焼けが
瞬く間にかき消されて雷雨模様に
街路樹の紅葉も電飾に切り替わる。
あれはいったい何のニコちゃんマーク
火曜(12/2)の南西の空に懸かった
半月に乗っかる金星と木星の輝きに見とれ。
同じ頃に買い物帰りのヨメには半月の下に
二つの星がぶら下がって見えたようだなんて
北半球と南半球に別れて眺めたようなことを。
家に帰ったら昭和歌謡をはじめ61曲を
歌いあげた桑田佳祐ひとり紅白歌合戦の
テレビ中継のステージではじけた笑顔が。
“ジュリー”が還暦になって東京ドーム公演で
80曲を6時間かけて歌いきったそうだが
日常を折り返す祝祭の響きが伝わってきそう。
週半ばに落ちこぼれそうになった体調の晩も
紅葉列島を飛んだ多胡エアフォトグラファーの
NHKハイビジョン特集で食も進んだみたいに。
ひょいとカレンダーをめくればもう
立山連峰が霜月の雲深く錦繍を畳み
暮れる冬化粧の陰影を際立たせて。
はじめての死の感触が今だに手のひらに
なぜか隣家の暖かい火燵に横たわっていた
幼い頃の遊び友達だった女の子の冷たさ。
体育館でスポ少の小学生や部活の中学生らが
そして教室では学生らもその時々の旬の姿で
過ぎ来し方も行く末もわからない沈黙を刻み。
おふくろは80歳も半ばを過ぎてしまえば
何か食べたくなったら食事時になったり
寝たくなったらもう夜という沈黙に紛れ。
在るがままその時々の無意識に流され
怒ったり声を荒げて指導なんかしたがり
ああしろこうしろだなんてお節介焼き。
リタイアしてはじめて後払いされたみたい
遅れてやってきた新婚時間なども平穏無事に
山場の一つや二つ越えてゆければ儲けもの。
普段は滅多に見かけない小鳥などが
天候が崩れる下り坂を見計らったように
いろんな群れに紛れあたりを飛び交う。
晴れ間に庭の草をむしり落ち葉を集め
続けて家の中の階段を上がり下り掃除など
やったはよいがシャワーの後にどっと疲れが。
心身をめぐり調べながら齢を経るには
身の回りから遥か遠く見えない彼方へ
それぞれ辿るべき段階の踏み場が頼り。
物語が紡げない現状から場当たり的に
やるしかないにしても探し物をいきなり
国会図書館で始め事後の出頭が警視庁とは。
水道も電気もネットも断ち切ったり
家財を処分し部屋を空っぽにしても
どこまで即身成仏の筋道が辿れよう。
あたりまえだったことがそうでもない
加齢にともなう衰えに段階なんかなく
ある日突然にやってくるようなものか。
水はけの良くない小学校の運動場脇の
薄汚いプールに飛来した鴨が戯れるように
連休三日とも薄ら寒い体育館に出かけた。
この秋に届いた小学校や中学校の同級会の
お誘いをいつものごとく辞退していたのに
送られてきた参加者の顔ぶれ写真に戸惑う。
見れば見るほど誰が誰やらさっぱり
おふくろより若い恩師の面影もぼんやり
半世紀を遡るレールの向こうが途切れて。
おそらくどこかで出会っても気づくことなく
行き違って赤の他人に紛れるしかなかろうに
同封されてきた当時の復刻文集の名前に覚えが。
ガリ版印刷されたページをめくり返し見れば
雑書きや詩文や寄書きからこぼれ落ちた風景が
日光写真のようにあぶり出されてきたりする。
雇い止めを食らった元仕事仲間が経営者に
転身したその後の順調な姿で訪ねてくれたり
誰彼なく生と死がブレンドされた日常に新酒を。
“めっきり”を通り越すように寒く冷え込んで
初雪の昨日なんか昼に出かけたキャンパスでは
午前中は交通渋滞で開始を繰り下げた短縮授業に。
通常時間に戻ったコンピュータ教室の窓側天井で
点滅したり切れたままの蛍光灯がまだそのままの
寒々とした光景にお喋りが引きずられなかったか。
内側が傷んだウェストポーチを新調したばかり
週末三連休にデジカメ詰めてサイクリングなんて
暖冬予想も外れてあたりまえに乱れる山際の雲行き。
開館前の閲覧室で返却本の配架作業途中で気づいた
蛍光灯の交換時に書架の天井板の上に蔵書が何冊か
利用者の取り置きが紛失本の解除を遅らせたことが。
関節をポキポキ鳴らすようにトニー・フルセラが
皮膚の裏側から温めるようにビリー・ホリディが
響いてくるイヤフォンが寒いバス停で懐炉もどき。
夜明けをまっしぐらに稲光が駆け抜け
目覚めを揺さぶる雷鳴に叩き起こされたか
寝床も広い和室から狭いベッドへ模様替え。
落ち葉公害を配慮したのだろうけど
市内の紅葉をぶった切ったみたいで
剪定された街路樹がなんとも味気ない。
某落語家の響きにも似た文芸評論家の
未発表講演音源CDが付録になっていた
文芸雑誌が近所の本屋の常備から消えたり。
つい身辺がごたごたしたりして遊べず
チューンナップを怠ったりしていたが
ようやくスキーを購入店に持ち込んだ。
自前でやったりしたこともあったのに
週一滑ったのが月一に間が開いたりして
手間ひまかけることも先細ってきたか。
切れたラケットのガット張りも途切れ
家の外装の掃除も縁側以外は手抜きで
使うたびに怠らないのは風呂掃除だけ。
三十数年ぶりにテレビでスタッフ・ライブの
どこまでも無造作にうねる8ビート映像に出会え
初物ウィスキーの香りで馴染んだグラスが目覚め。
出かけた市内の街筋のあちこちで
薬師から毛勝岳へとたどる稜線の
連なりが深まりゆく秋をにじませ。
紅葉狩りを締めくくるような小春日和も
年寄り弱りで歩けなくなった人肌には
天日干しした布団で感じてもらえるか。
テレビで見かけた歩行支援ロボットだが
健常者の障害時だけでなく人が行き着く
老境を歩む心身の季節に届く全天候型は。
寝起きから始まる立ち居振る舞いを
着こなせなくなった身体が狭まった
日常をはみ出す老年の出口は如何に。
昨日みたいに上る満月と沈む夕日に
映える第二の自然に出会ったりする
帰り道がまたとない一日の終わりに。
その時々の身体を整え続けることに
上手いも下手もひっくるめどこそこで
止まらず何事も開いていくしかない。
秋風に舞った紅葉の輝きも一夜明ければ
濡れ落ち葉の艶っぽさとなって落ち着き
行き交う人影に混じり込むように沈んで。
山桜を淘汰したみたいなソメイヨシノが
紅葉した樹々には敵わないみたいに舞った
日本一西武球団の監督と投手の重さと軽さ。
井戸水の蛇口はしばらく出して洗顔を
温もりで目覚めたみたいに数十年あまり
使っていなかったわが家のガス配管暖房。
“オイルショック”の新築時に組み込んで
“金融ショック”の今頃になってようやく
とにかくローンを組まない暮らし向きで。
日本の首相がポロポロ入れ替わろうが
アメリカの大統領に誰がなったとしても
時価総額を追うしかない金融資本絡みで。
放っといても欧米化を追いかける暮らし
噛みしめる進歩の葉っぱの裏にも表にも
支えてきた幹にも制度疲労の虫食い跡が。
やりかけのことも放り出し自転車で
街中の秋の陽射しをふらふらかき分け
帰路を飛ばせば風で帽子も脱げそうに。
結婚前に十年余り続いた山歩きでは
帽子そのほか忘れ物は一度もないのに
繰り返したJRやバス通勤での置き忘れ。
昨日晴れた日中に帽子に鞄で乗り継いだ
がら空き路線バスが眠気を誘う暖かさで
いつもの停留所で降りたら頭がひんやり。
煩わしい遺失物係とのやり取りよりも
とりあえず走り去るバスを追いかけたら
赤信号で止まってくれ降り口扉を叩けた。
青信号に変わる前にご迷惑をすみませんと
急いで降りる背中にこちらこそ気がつかず
申し訳ありませんとおばさん運転手の声が。
乗降客の安全はもちろん手荷物だけじゃなく
被り物まで日頃の気働きを乗せたバスが去り
乗り越しかけた座席のぬくもりが帽子に残る。
住人が去り長らく空き家になっていた中古住宅に
明かりが灯るようになったり廃屋の空き地が
新築で埋まりつつある近所の眺めに移ろいが。
地べたを突き均し並べた石に造って置いた
日本家屋が掘った穴を埋め建てる構造へと
様変わりしてしまった居心地に馴染んだか。
かっては旬の鍋物に熱燗が嬉しくなる時節だが
この頃はリーズナブルなセットワインに混じる
テンポラリーニョやモンテプルチアーノ好みに。
半袖に短パンでワンプレイごとに歓声を上げ
連休の朝練でバドミントンを楽しむ低学年の
子どもらには肌寒さなんてどこ吹く風のよう。
ところが小学生も高学年になり中学生ともなれば
上手い下手を超越した元気な練習風景もどっかへ
置き忘れてきた初心者マークのように懐かしい。
過程を飛び越し結果や成果をあげつらう風潮が
行き詰まってくる一方でギャンブル性も閉ざされ
薄ら笑いにくるまれたような冷ややかさの底から。
雪折れしそうもない街路樹の柳が剪定で
丸坊主にされた町並みが寒々と見えたり
顔を洗う井戸水も手に温かく触るように。
内蔵HDが壊れたノートPCが問題なく
外付け起動ディスクで使えていたのに
数ヶ月で動かなくなったのはどうして。
リコールで問題のHDを製造元へ返品して
中1日置いて軽四が普通車になったみたい
容量が大幅アップされた製品が届いたが。
元通り復元した外付け起動ディスクで
立ち上がらないままなのはひょっとして
壊れた内蔵HDが邪魔をしているのだろうか。
簡単に本体をばらして取り出せるかどうか
おぼつかないが何もそこまでしなくとも
なぜか不完全で扱いにくい代物と縁が切れぬ。
150憶えたネタから30は演じられるが
あとの120はどうなっているのだろうと
脳科学者に尋ねた落語の師匠の笑い顔。
連日乱高下する株価のような雲行きの
隙間からのぞいた毛勝三山の稜線から
谷筋にかけての初冠雪に気づいた週明け。
いつも小屋根の上で網を張ってる蜘蛛が
真ん中から端っこに下りてきて風雨に
震えながら飛ばされないようしがみつく。
日差しが戻るといつの間にか定位置で
景気の回復を待つみたいにじっと待つ
姿がヨメの目にもとまったようなのだ。
年金生活レベル暮らしの雑音みたいに
退職金目当てに連日のように鳴り響いた
マネーゲーム勧誘電話もぴったり止んで。
地上デジタル放送とアナログ放送では
電波の速さは同じでも生番組がズレるように
子どもらの世代とは生活感が食い違う。
戦後の貧乏が当たり前みたいに物心を
つけてもらったおかげで生活レベルを
落とすことなどわけない所帯持ちでも。
昨日は夏日で汗ばむ外出になってしまい
今日は叩きつけるような雨音にかき消され
どんな季節を過ごしているか見失いそう。
バス車内で落とした小銭の分だけ料金を
差し引いてもらう運転手と折り合う姿が
降り立つただ・いまの停留所を通り過ぎ。
自分のいま・ここもあやふやなのだろうが
さまざまな時・所で向き合う人それぞれの
ありのままの姿がどうにも分からなままに。
さてもiPodや携帯やワンセグTV&ラジオなど
愛憎半ば持ち歩く小物を身体から外さないと
教卓に座れないというか向き合えないようで。
その場に邪魔な夾雑物を取り除いたりして
新しい動きができる距離が作れるかどうか
やってみないことにはいま・ここで縛られ。
どうにも不自然な動きになってしまった
外付けHDの扱いを持て余し処分の保留を
解除するように不良品交換案内が届いたり。
週末にバーベキューに群がる子どもらの
食欲につきあって丘陵地のバックヤードから
眺めた紅葉の山々も霞んで見える好天続き。
2階の窓の手すりに干した布団が揺れ
窓際のソーラー・サイクルは疲れ知らず
見上げた空にゆったりマグリットの雲が。
老い縮んだおふくろにはお寿司が秋の
食欲を誘うのかしきりに食べたそうだが
出前を取ったばかりじゃそうはいかない。
親子二代に渡って食材を仕入れる手つきや
日々の仕込みから目の前に並べる心遣いまで
それとなく伝わる近所のお店への出入り。
わが家の外食で当たり前に続けてきたことが
何だかとても得難いことのように思えるのも
遠隔化する生産と消費を蝕む食の汚染のせいか。
儲けることしか知らない会社の胃袋は
満腹知らずのマネーゲームで着膨れし
立ち位置を顧みる隙間を抜けられるか。
紅葉狩りに誘い出されそうな日中の
陽気も朝晩はベストを着込むように
季節の感触と肌触りの隙間に移ろい。
ノートPCと一緒にデジカメそのほか
何を写そうという当てもない重さを
ショルダー鞄で体にまとわりつかせる。
道具や荷物の担ぎ方動かし方は身体を
他人のようにどう用いるか試しながら
体得できても人生の歩み方となると?
乳幼児期から思春期をへて青壮年期へ
申し分なくレッテルを貼られ色分けられ
じっとしていられない端境期に潜む節目。
厄年のように避けられない喜怒哀楽の
通り抜けの積み重ねを我が身の置き所に
いかに上り下りできるるようになるか。
ハンドルのある自転車はままならず
一輪車なら自由自在に走り回れたり
人それぞれの走行距離は測れなくとも。
連休はさぞ紅葉も見頃だろうと立山連峰を
遠望しながら郊外をサイクリングしたり
スポ少バドの子どもらの朝練につきあったり。
前方でペダルを漕いでいたヨメが帰り道の
信号待ちで止まろうとしてひっくり返って
後で聞けば素面で転んでびっくりしたとか。
起こしてやった自転車の背後を追いかけ
昼飯に入った近所の寿司屋のビールで喉を
潤してから白ワインでつまむ握りが秋味に。
遠くじゃ証券会社の破綻に続く金融危機や
国内で無罪確定した日本人が国外の司法で
拉致され“自死”におい込まれる枯れ葉模様も。
アメリカの経済政策に文句を付けていた
経済学者がノーベル賞を受賞したようだが
見事なタイムリー・エラーのようじゃないか。
好物のカレーを作って帰りを待つ奥さんや
研究材料のオワンクラゲを家族で掬ったり
日本のノーベル賞受賞者らの裏方の姿もいい。
例年庭師にお任せの庭木の剪定ついでに
背戸の日よけ風よけみたいな立ち木二本の
枝下しを頼んだらつんつるてんの丸坊主に。
2階和室の照明を新調してもどうってことなく
西側の風呂場やトイレや洗面所を使うたび
何も模様替えしないのに明るく戸惑うような。
ただでさえ狭い庭の見通しや風通しも良く
女郎蜘蛛の巣や虫たちが一掃されてしまい
時折やってくる小鳥らも遠のくような静けさ。
昨年の中島みゆきツアーライブDVDを知り
スポットライトに浮かび上がる彼女の歌声に
人工の明かりから自然採光の旅へと連れ出され。
一緒に生きててくれてありがとうと響いて
しなやかに差し出された両手で隠された闇から
一滴の伏流水がやがてどこかで川のように。
死んじゃった爺さんや婆さんが残してくれた
味わいの流れに浮かべる船に乗り込む人影を
優しく映し出す光がやってくるのはどこから。
春から夏へそして秋へと変わりゆく
節目に呼応したみたいに遭遇しそう
不意の過換気が通り過ぎることも。
じっとやり過ごすより掃除や探し物など
書誌的な確認をしなきゃならない本が
どうにも見つからなくてお手上げに。
手持ちの本などもICチップが埋め込まれ
必要な時に所在と書誌事項が確かめられる
モバイル端末で読めるようにしたいもの。
かって図書館システムに関わったりしたが
売れ筋のマイクロプロセッサを使ったOSと
RDBMSによるOPACは制約がきつすぎないか。
クライアント・サーバー・システムOPACじゃなく
ピア・トウ・ピアなユビキタスOPAC環境を
夢想しながら部員3名の部活練習表を作ったが。
渡された女子中学生がしまいまで読んで
指差した最終行がそんなにおかしいか
日付の後のK.Y.は僕のイニシアルなのに。
初っぱなの授業で持参するケーブルを間違え
ノートPCの教材を外部ディスプレイを使って
見せられないへまをやってしまうなんて。
車窓越しに金木犀が匂う日差しを浴び
後期の授業開始でキャンパスに出かけた
路線バスの座席は高齢者でほぼ満杯に。
外地から引き揚げ住みついた村の往来で
外遊びするようになってからというもの
わけもなく見かける老人らが気がかりで。
家庭の事情にもまれ異性が気になりだし
郷愁の底に沈んでしまったような幼少時の
あの老いへの手触りは何だったのだろう。
散歩の折の本屋で立ち読み定番だった
梅佳代写真集『じいちゃんさま』の中に
その答えがいくつかありそうな気がして。
安全運転で停留所の乗り降りもゆったり
路線バスの乗り継ぎが間に合わなくなって
時間つぶしに駅の本屋でとうとう買った。
気づけば空が高く遠い山肌が近づくように
先週末から朝晩がめっきり冷ややか続きで
温かい食事のうまさがいっそう際立つ季節に。
夕方近くに中学校の体育館に出向くようになり
バドミントン部活の女の子らが汗をかいたまま
風邪引きが気になる自転車の帰り道のほの暗さ。
たまたま街にヨメと出かけた時に昼飯の
前菜のサラダに調理されたこんにゃくが
昔を思い出す新しいうまさだったような。
背を伸ばしたくて中学で剣道を始めた頃に
お祭りや縁日の買い食いでなじんだ定番が
竹串に刺したペラペラのこんにゃく味だった。
バイトした小銭を払って回したルーレットが
示した数の本数を生姜味の味噌だれに突っ込み
店のおばさんがさっと出してくれた今更の湯気。
無頓着だった暮らしのなかの味の記憶など
いつの間にか古典的になってしまっていて
食にまつわる仲間意識も薄まりゆくばかり。
まだ半乾きの草など朝のゴミ出しで
夜来の雨が半袖に冷たくあたった午前中に
予定していたLPGガスボンベ移設作業。
昨秋の給湯器の屋外取付け工事の際はやり過ごし
今ごろ火種から規制範囲内のガスボンベは動かせ
下請け業者の尻拭いを請け負う親ガス会社の仕事ぶり。
雪吊り用支柱や竹竿の置き場所を空けたら
道路に近くなりガス漏れ遮蔽パネルなどの
部材も要らず今後のボンベの入れ替えも楽に。
図書館の事を教えておられるようですがと
今回の作業担当者から切り出されたのが
屋内での点検作業後も終わり玄関の挨拶で。
業務関連資格検定の受験勉強に迫られ
地元の図書館をいくつか訪れたらしいが
どうやら二人の男の子にも使わせたい口ぶり。
四十過ぎになってはじめて図書館に目覚めた
なんとも温かいガス会社の方のお話が聞けたが
いくつになっても自らの未熟性に目覚めていたい。
朝夕めっきり涼しくなるとともに平日は
茂った庭の草むしりの手も抜いていられず
日祭日は子ども相手のバドミントン練習など。
新たに近所の中学校の女子の部活にも
つき合うようになったりしたもんだから
小学生相手の練習方法に頼ってもいられない。
中学から始めた初心者数名に小学生からの
経験者が1人というメンバー構成だったが
顧問の先生の意向がどうにも見えてこない。
今週末に初参加の大会をひかえてなんとか
頭を下げてこられたお母さんにとてもとても
こたえられそうにないがどうにかしないと。
とりあえず子どもらの朝練の場にも誘い
ゲーム運びに必要な練習などやったのだが
大会出場予定の1人が転んで足を挫いた。
ランニングの前の準備運動で股関節を曲げ
前屈した手が床どころか足の甲にも届かず
これからの部活練習の中味も見直さないと。
高曇りの窓の向こうに遠く連山がぼんやり
ゆっくり動く濃淡がDVDで見たばかりの
映画「ミスト」の濃霧の晴れ具合の不可解さ。
動きがトロくなってどうにも使いづらい
デスクトップマシンをノートPCに代えてから
引き出しにしまい込め空っぽの机上に戻った。
傘をさしながら肘だけを回せるように
何も持たずにやったら手首も一緒に回り
無駄な動きが邪魔をする歯痒さに苛立つ。
老境の日々を踏みつつあるおふくろも
思うように身体が動いてくれないので
とかくやることが滞ったり食い違ったり。
ぼんやりしているようで中心だけじゃなく
その周りも一緒に見たほうが的を外さない
距離感を繰り込んだ動きで対応できそう。
横断歩道で車に飛ばされ山で雪崩にあったり
植物園で散策していたら鴉が襲ってきたり
とっさの受身もおぼつかなくならないように。
辺りで早稲の刈り入れもたけなわだった
三連休の敬老の日に米寿のおふくろへ
民生委員の手で賞状と祝金が届いた。
本人はどう思ったかわからないが
老人構成率の高まりを物語る金額を
使おうにももう自力で出かけられない。
ネットショッピングなんてのもあるけど
身体が不自由になるほどに便利に使える
コンピュータなんてまだまだ先のこと。
蔵書の書誌データを取り込んだサーバーに
それぞれの所蔵データーを入力したシステムで
その蔵書点検の際に書棚の棚卸し結果との齟齬が。
書架に並んだ本一冊ごとに外部照合書誌IDと
配架と貸出を参照できる当該図書館所蔵情報を
埋め込んだユビキタスOPACシステムだったら。
市場製品といってもハード的なものとソフト的なものとでは
おそらく生産から消費までの流れが違ってきているだろうが
ただコスト差に頼る儲け追求の優先が様々な破綻の引き金に。
2階の窓際に差し込む朝の日差しが
日ごとに遠のくにつれ身体的な遊び
でもないけどネットで道路の散策へ。
サイクリングを楽しんだルートや
音源がCDで聴けたりまだ未公開の
講演の場所を探りあてマークしたり。
自作サイトをネタに使った講習会で
「高屋敷の十字路」を尋ねられたが
ほんとうは「Y字路」でもよかった。
あちこち道筋にズームインしたりして
Y字路らしきありかが目についたら
航空写真に切り替えても風情までは?
ペダルを踏んで辿りついでにデジカメで
写せたものからマイマップにして見たり
動画にしてストリートビューもよさそう。
幼かった頃の裏山歩きから本格的な山歩き
仕事がらみや私的に出かけたおりおりの町並み
なぜだかひっかかる場所に終着はあるか?
昨日はさわやかな午後に誘われ庭の日陰を選び
草をむしれば夏の虫に混じって秋の虫も飛び出し
学校帰りの顔見知りの子らが声をかけ通り過ぎ。
風呂を浴び微睡めば夏場の手抜きで生い茂った
雑草の残り香に地産地消で食いつなぐしかない
過ぎ去った単色の食卓を飾った飲食のことなどが。
明日なき貧乏所帯だったのに酒好きの祖父は
大してうまくもない地酒をどういうわけか
小学生の頃から湯のみ茶碗に注いでくれたり。
食用米に不正転売された工業米による焼酎が
出回るくらいに胃袋に届くまでの食材の出所や
流れが辿れないくらいかけ離れ見えにくいばかり。
滅多に飲むこともなくなった日本酒と入れ替わって
夫婦で飲み覚えはじめたワインも微妙に好みが別れ
お気に入り品種に酒蔵の畑や収穫年の気候による違いも。
物事の出所と落としどころが曖昧になるほどに
酒も飲み交わせない家庭や地域や職域に得体も知れず
掴みどころのない“構え”が雑草のように蔓延るだけ。
愚図ついていた空模様を横切った晴れ間も
まだ秋空にほど遠いようで窓際の日差しに
ひたすら漕ぎまくるソーラーサイクルの影。
去年定年退職した団塊世代の完全引退者は約2%で
約8割は会社員として今だに働き続けその約9割が
同じ会社で2/3以下の年収で嘱託に収まったらしい。
新調した中近用眼鏡の使い心地と慣れを
試すみたいにあちこち出歩いた本屋の棚の
隅っこで見つけた批評家の講演CDに聞き惚れ。
前に近所の寿司屋の二階であった真打ち披露の
演目が終わってから落語家を囲みうまい弁当を
食べながら聞いた話の方がよっぽど面白かったり。
落語の方はそんなに聞いていない落語家が
書き綴ったエッセイのページをめくるうちに
談志門下の青春私小説を読むような響きも。
何事かを成してやり遂げようとして力むが
決定的な瞬間の直前までいかに弛めておいて
分散した力を集中できるかで結果が決まりそう。
9月を待っていたみたいに庭の鈴虫が
部屋の畳を涼しくするように響きはじめ
間を置かず2代も続く首相の唐突な辞任劇。
8月末集中豪雨だけじゃなくいろんなことが
遠・中・今ところかまわず出し抜けに起こっても
当たり前みたいにやり過ごすしかないご時世に。
辞任会見で記者以上の“客観性”を主張した
与党党首の目にいったい戦後日本の質的転換が
“第二の敗戦期”と呼ばれる現実がどう見えたのか?
遠近用眼鏡の手元視界が狭すぎ手元用眼鏡でも
ぼやけて見えにくくなると首筋が疲れるばかり
中近用眼鏡を買って筋向かいの大型書店で試見。
上り下りもままならず手に取れない本の
背文字が見えたとしても瞬時に映像化され
配信される出来事の後追いにかき消されて。
身近に収縮するか遠くへ拡張するかしがちな
道具を使いこなす身のこなしをバランスよく
保てるように中景が曇らないようはっきりと。
例年に比べて夏の暑さというより
湿気が尋常じゃなく身体にこたえ
桁外れの豪雨が局地被害をもたらす。
我が家のあたりで出くわす虫たちも
めっきり減ったのになぜか蝶だけが
迷走する日々の庭を彩ってくれたり。
ミュンヘンオリンピックのような事件を
北京オリンピックに期待したような声も
正規雇用者のなかから聞こえたようだが。
どこかで「戦争」を声高くいいつのった
昨今の非正規雇用者の物言いを受けてか
たやすく共鳴できることでもあるまいに。
見たこともないような見事な蝶を見かけ
目で追いかけ後をつけデジカメで写そうにも
捕虫網ならぬメッシュの帽子も届かない。
老いた母から引き揚げ当時の話もなくなり
不順な夏を問い返すように敗戦の夏を語った
思想家の今の言葉を新聞や雑誌から拾い集め。
夜更かしが苦手になってしまい
ボクシングは一戦も見ないうちに
2008北京五輪が終わってしまった。
グローブをラケットに持ち替え身体技を
駆使して球や羽を打ちあう格闘技のよう
攻めと受けの競技時空の識知の瞬時の展開。
日頃の基礎練習でなかなか集中できない
スポ少バドの子どもらでもブロック対抗戦で
練習試合以上の力を発揮できたときの満足感。
久しぶりに県西部から訪れた知人によれば
この夏に局地的にフルスイングした豪雨で
山間部にいたる道路が川原のように崩れたまま。
第二の自然災害のように中の下あたりの
生活基盤もずたずたになってきているのでは
地域や職域の四方山話の落とし所に踏み迷う。
それぞれの現状を持ちこたえる線引きも
預け所がないとなればその場でもっとも
困難と判断される難しさに直面することに。
夏空を幹竹割りしたみたいな
豪雨の後の涼しい空の雲行きに
縦から横へとのび広がる季節が。
いつもやかましく庭に訪れる蝉も
この夏は寂しいくらいだったようで
まだ蛾や大きな昆虫も見かけない。
昨晩に見かけた「神様、仏様、上野様」は
北京五輪中継の女子ソフトボール決勝だが
50年前の日本シリーズで稲尾投手の連投が。
同じくアメリカ主導の競技種目だからか
今大会が最後となる野球での星野ジャパンは
戦いぶりの成り行きに微妙な翳りが漂う。
日がなオリンピック観戦の合間をぬって
コピーなどの紙切れや書棚の整理をはじめ
ガラクタや調度品の模様替えまでやったり。
机の向きを変えただけなのに様変わり
カタログショッピングで折り目を付けたら
捨てた以上に物を増やさず居心地は良く。
夏の甲子園が終わっても時差1時間で
北京から2008五輪風が吹いていて
まだまだ夏休みの風聞に事欠かない。
首にかけたメダルの色とその笑顔が
勝って終わったのとそうでないのとでは
金銀銅の表彰台の高さに釣り合わない。
ガキのころ田舎暮らしの折に引き揚げてきた
満州のことや戦争のことを話してくれた人の
「戦争に負けたもんはしようがない」の一言。
いまはもうない小学校の同級会だけじゃなく
中学校の同窓会などへのお誘いの便りの裏に
引き揚げ母子家庭へのイジメの欠片もなく。
今年は田舎に残してきた墓の周りの土が
鉄砲水みたいな夏の雨でえぐられ傾き
花や線香を墓石に立て掛けて手を合わせ。
どのように戦いの終わり方を生きとおしたか
子供心に戦争体験を語った村人の面影が遠のき
銀と銅の表彰台の顔の違いほどにもわからない。
夫を亡くした母に連れられ大陸の半島から
引き揚げてきたのは63年前の何月か
ただ8月の夜空を焦がした夏の記憶が。
あの富山大空襲を魚津で学徒動員中の
吉本隆明さんも眺めていたのを知ったのは
地元の大学図書館に勤め著作を追っかけてから。
お盆前の週刊誌や地元紙に当時の
吉本さんが立山登山の折に称名小屋で
出会った鼠のことや終戦の夏の日のこと。
豪雨を抜け娘夫婦の車で数十キロ
数十年前まで住み暮らした土地へ
年に一度の墓参りの度に幼い記憶も。
昼をまたいだ長丁場の「日本農業論」は
1980年代から90年代への曲がり角の
長岡での吉本講演の夏のひとコマ。
たまたま目にした「ゲラ」で見つけた
長岡講演の開催場所の誤植も正され
「吉本隆明五十度の講演」も届いたばかり。
北京五輪の開会式放映で引っ張り込まれ
見慣れない競技の中継など見入ってしまい
夏テレ定番の高校野球観戦もおろそかに。
佳作「初恋のきた道」しか知らない
映画監督が作り上げたスタジアム映像と
中国選手の髪型やユニフォームとの落差が。
番狂わせの少ないバドミントン競技など
女子準々決勝で中国ペアを相手に戦った
日本女子二組のゲーム展開の違いが好対照。
どう転んでも試合にならない相手には
ラリーの度にシャトルをコート外に打ち返し
とにかくはやく試合を終わらせたりしたことも。
員数合わせで団体戦にかり出された時など
捨てゲームのシングルスやミックスダブルスで
そんなことをやってチームの勝利に貢献したか?
老いた身体に負荷をかけるみたいに
日一日なんとか動き回っては数日寝込む
みたいなことを繰り返して祖父は白寿まで。
のび放題の庭の雑草が熱風に揺れ
暦の「立秋」や「残暑」にこびりつく
「天才バカボン」や「収容所群島」の作者の訃報。
敷居など掃除をこまめにやっていても
足裏に小さな刺が歩行の邪魔をしたり
夜目で抜けずとも朝を待って爪で挟む。
壊れたノートPCに携帯起動ディスクを
外付けして動くようにしたり更新PCで
WinやMacが使えるよう夏の工作気分。
デジカメぶらさげ自転車散策など
日盛りにマイカー族じゃなくとも
比較して見るGSのガソリン価格。
ペットボトルで売られている水が
リッターあたりで比べれば油より
まだ高いのにいまさら気づくなんて。
茹で冷ました茶豆などつまみながら
目前の北京オリンピック中継のTV観戦で
いつどこで水と油の値段の逆転なんて。
昨日までのような真夏日に届かず
高地に引っ越したみたいに階段を
ナンバ歩きで上ったり下りたり。
列車とバスを乗り継いだ麓から
いろんな山に登り始める前だが
祖父に肥え桶を担がされたり。
肥汁が跳ねたりしないよう
空きを多めに桶を揺らさない
歩き方を工夫したみたことも。
その前に道や原っぱでの遊びは
とにかく鼻緒を切らさないよう
身体や足使いを気にするように。
しなきゃならないことというより
やりたいことを見つけたとしても
やり続けて峠に抜けられるかどうか。
海沿いのサイクリングで走り続け
休憩地で乗り込んだ観覧車で感じた
横と縦の速さの違いが暮らしの中に。
庭の井戸水の蛇口に散水ホースを
一回もつながずに8月になるなんて
なんと降雨のめぐり合わせの良いこと。
調べ得た限りでは3/293というのが
吉本講演とのめぐり合わせでしかなく
ほかに音源で聞けたのが47講演ぐらい。
これまで講演録を収集してきた宮下さんから
伝え聞いて「ほぼ日」での吉本講演をお膳立て
だけじゃなく糸井さんは全講演オープンソース化も。
弓立社「ライブ集」やほぼ日「五十度講演」で聴ける
講演開催地をGoogle Mapsであちこち辿りついでに
おおよそ緯度と経度の当たりをつけるデスクトップツアー。
30代後半からおそらく請われるままに準備して
各地に出向かれたた吉本講演の跡の1/5くらいを
辿ってみたに過ぎないが豊かな声と言葉の響きも。
iPodでシャッフルしながら講演追っかけ旅行記代わりに
Google Maps作成サイトに吐き出させたスクリプトから
敗戦の夏の魚津で吉本さんが眺めた海をどう俯瞰できるか。
ここんとこコピー&ペースト事件の
連鎖報道を断ち切ったさんまのお笑い
FNS27時間テレビが元気よかった。
講演パンフレットを見たばかり
中年どころか高齢の吉本さんが
この夏に3時間も喋り通したらしい。
20年近く前の夏に朝の10時から
夕方の5時まで長岡で話されたが
あのときの隆明さんは65歳のはず。
出して一月近くになって請求書類が
そんぐり送り返されるなんてげんなり
社保事務所の窓口はどうなってんだろう。
年寄りの意欲をなくさせるような
仕事ぶりじゃどうしようもないが
年金はたいてでも前向きでいないと。
スーパーでは値上がりにもかかわらず
いろんな食材であれこれ目移りしそうだが
野菜や魚はやっぱり旬のものがいちばん。
暑さのせいか蝉も昆虫も音沙汰なく
連日の夕立のおかげで庭の水やりの
手間が省けていいが草むしりも手抜き。
今週は体育館で汗をかくことが多く
ことのほか鶏肉やトマトなどほど良い
塩梅の手料理がおいしく体調を保つ。
前期の時間講師の仕事も一段落で
週ごとの準備作業の代わりに何を
するでもないつかの間の夏休み気分。
1960年代半ば夏の東京での司書講習より
1980年代はじめ夏の筑波での長期研修が
生活空間と仕事空間との落差が大きく違った。
仕事を辞めてずいぶんたった今だに
あのときの速度感が食い違う夢など
吹っ切れることのないいま・ここが。
ベッドをやめて新しい畳に布団で
寝たり起きたりするうちにPCや
オーディオも部屋から部屋へ連れ。
連休最後の海の日は山沿いの体育館へ
スポ少バドの子どもらの交歓試合と
合同練習につきあって汗まみれに。
小学生相手のシングルス・ゲームで
へばっているOGの中学生に聞いたら
まともな練習もできない部活の様子があわれ。
大会を控えた子どものレシーブが甘く
ダブルスの練習試合で浮いたシャトルを
攻めると“大人げない”と返されたことも。
全国ツアー中に声が出なくなった歌い手が
当日集まった聴衆に謝り歌いだしたら止められ
8割方が払い戻しをせずチケットを持ち帰ったとか。
はじまりから付かず離れず遠くから眺めた
「ほぼ日」や「綾戸智恵」や「ARG」が
この夏に十周年を迎えた肌触りと温度差。
何かのためじゃなくただやりたいからやる
そんなフツーで当たり前のコンテンツが
持続できるのも聞き手や読み手がいるから。
あいにく入社試験と重なって欠席した
学生もいた最後の二コマを期末試験で
締めくくった前期授業を終えて一息。
履修生はまじめにつきあってくれるが
司書系への就職がほど遠いご時世に
むなしい繰り返しをやっているだけ?
喋ったりしていると90分なんて
あっという間だが筆記や演習問題を
やってもらい回収するまでの永いこと。
提出目前に教材のシステムエラーで
仕上げた目録データが消えてしまい
やり直す時間もないときはどうする。
どうなるかわからないからこそ
じっくり向き合える場所がないと
いつまで経っても何も変わらない。
かんかん照りの昨日のキャンパスへの
行き帰りで耳にした“暑い”を洗い流す
豪雨の勢いで値上げの夏を叩き落とせ。
たまに昼下がりの散歩などといって
素見し半分家電量販店で涼んでみたり
行き帰り目にする畑作物の生育がいい。
その昔にサツマイモの蔓や葉っぱまで
今じゃカップ麺やご飯にふりかけで
しのいだりする貧乏の味が変わったか。
裏山で採った山菜で小遣いを稼いだガキが
この頃は高山の山菜や平野の野菜など新鮮な
頂き物をヨメの手で料理してもらったり。
何に飢えているのかはっきりしていた
貧乏もこの頃は何に飢えているのかも
はっきりしないビンボーに底上げされて。
耳をスピーカーに突っ込んだみたいに
機器やらチャンネルを増やしたりするうち
どうやら聴きたくなる動機も見失いそう。
さしあたって何をするでもない食後など
住み慣れた部屋で二人が聴き込んできた
LP数枚を回すだけで音楽紀行が綴られる。
授業より履修生の就活優先だが
地元の入社試験が木曜日に多くて
演習できない学生への対応が悩ましい。
高卒就職だったから夜学の短大で
さぞ勉学に励めたということもなく
うかうかと先生方の話を聞き逃した。
隣県の長岡まで三度ばかり足を運び
吉本農業論の講演を聴いた頃だったか
富山での講演ならぜひ魚津でと夢想したが。
敗戦の日に動員先の日本カーバイトの
工場の広場で天皇の放送を聞きぼう然と
帰った吉本氏と寮のおばさんとのやりとり。
一枚にまとまる話を何枚もめぐりに
めぐって話しているとの吉本評はたぶん
詩人の谷川俊太郎だったような気がする。
あの臨場感の門戸を開いた宮下氏による
弓立社版全講演CDに続きほぼ日糸井氏がCDや
DVDで終わらず全てアーカイブ化するとか。
まるで梅雨明けを急がせるように
夜明けを突き破った雷鳴と豪雨の
名残で身体が起き上がりにくいよ。
細くなった雨足に濡れそぼった
子ツバメらが飛行訓練のひと休み
囀り羽をもそもそ電線を揺らして。
薄陽を運ぶ風が辺りを通り抜け
遠く巻き上げられてゆく雲間から
残雪が細る連山が立ち上がるか。
濡れた庭の茂みから蝶が舞い
明るくなった空から鳥の影が
追いかけるように降りてきたり。
音楽を聴くみたいにボシュの絵が
ある日ある所で命が燃え尽きるよう
瞬く間に織り上げ消えてしまう。
初恋の人ととりまく人たちとの
出会いを織り上げたばななの新作を
またとないワインのように飲み干す。
フェーン現象の昨日から真夏日に
ご老体が居座る四畳半の冷風・除湿器も
すぐ満タンになって止まってしまう。
一寸先のこともわからないから
“今が一番”なんて言ってくれるが華か
歩く事もおぼつかないなすがままで。
わが家に入り浸っていた頃の孫らは
動物性むき出しだったようなのに
高齢のお袋みたいになると植物性が。
転んでも折れたりしないよう気配り
水気を切らさず朝のうちの陽当たり
どこかに向かって伸びたり縮んだり。
空調の効いた教室なのに手に熱い
ノートPCがフリーズし表示不能に
その後はどう喋りだけで伝えられたか。
からかわれていると錯覚してみたい
キャンパスで挨拶してくる学生らの
夏に抜けだしたような脚の伸びしろ。
庭に半夏生の裏表ある立ち姿が
見え隠れするようになる7月の
縁側でプレゼントされた花を写す。
誕生日を栞にやったことといえば
生保の解約とまではいかない見直しや
家計をつなぐ老齢年金請求書類作成など。
見計らい買い物の番外延長みたいに
ヨメが添付書類を取りそろえてくれ
もう共働きようもない値上げの夏に。
老齢にともなう家族内での食い物や酒や
家庭内暴力そのほか中毒の虫が這っても
庭の虫退治とは違うどんな解毒剤が?
しがない地位や名誉に自慢話を求めるうち
浴びた毒が全身にまわりギャンブルや
セックスやスポーツで加齢を飾る徒花に。
あるいは薬物や器物に依存するしかない自損や
他損への岐路で自殺未遂を生きるしかない
処方せんだけじゃなく添付書類の書き損じも。