十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)

最終更新日:2008/07/01

かっ飛びタイム(08.06.27)

舞妓ファンをめぐるギャグとコントで綴って
道楽を乗り回す映画(DVD)を観たりすると
野球拳どろこか運動不足を解消する愉快さが。

身体との共鳴はそれぞれどのように
たとえば手風琴と自鳴琴の違いなどは
耳目がそれぞれどう出会ってきたかに。

下手なコーチが下手を相手に何が面白い
なんて言い草に関わらず心身を細かくする
無言の自然との向き合いを取り逃がすな。

暗くなった農道を思いっきり飛ばし
通り抜け駐車場には人目がないから
ぐるぐるコーナリングで隅々乗り回し。

スポーツ中継観戦中にそう遠くない
本屋のお取り寄せ雑誌が届いた知らせに
雨も上がって自転車お出かけタイム。

専門的な雑誌の最新号にに載ってる
いくつか読んでみたい記事があっても
行きつけ図書館に無くコピーも頼めず。

株分け(08.06.24)

晴れ間の多かった6月前半の午前は
窓際の老人みたいに朝日の当たる
2階の窓辺に観葉植物を置いてみた。

なんだか陸に上がった昆布みたい
狭い鉢をそっと押し広げるように
脇から新しい緑が背伸びしはじめ。

迷わずさっと小さいうちに抜いて
そこらに転がっていた適当な鉢に
移植した2枚葉がどうなることやら。

元株の姿形とのあまりにも大きな
違いを黙って確かめる成長の姿に
繰り返される暗黙の対話が揺らぎ。

買い物帰りにパンクした古自転車を
引きずりながら有り得べき日常から
引き抜かれたように帰宅することに。

近所で言葉を交わした古株は逝って
週一訪れる体育館や教室で会う子らや
学生から新しく株分けされることも。

梅雨の調べ(08.06.20)

わが家や近所の紫陽花が咲きそろい
ようやく梅雨の仲間入りで湿っぽく
どこか管楽器を抜ける響きが似合う。

雨の日に矢野沙織クインテットの
“砂とスカート”がイヤホンから流れ
海辺の乾いた湿り気で開いた傘のよう。

男の子育てには縁がなかったのだが
久しぶりに男子学生が抜けてしまった
担当授業の教室はなんとなく単色っぽい。

同性婚が認められカップルが抱きあう
海外ニュース画面からはじき出されて
ますます難しくなる異性と関わる物語。

身の丈に縛られた生活視線でうろうろ
さ迷う姿を見下ろせる視線をどうやって
獲得してきたか調べることが俯瞰の次元に。

南こうせつとかぐや姫の「神田川」や
さだまさしの「関白宣言」をどこでどう
口ずさんできたか6月の雨に濡れた耳に。

虫喰い穴ぼこ(08.06.17)

西日本では梅雨前線による大雨が
東北には地形も崩れる大地震の被害が
その間で北陸は梅雨を忘れる天気続き。

日常生活の切り口には様々な穴が
無数に開いているのに蓋をしたり
落ち込んだり心身を拭きとる言葉。

風呂場は使う度に掃除できても
トイレやサイクリング車となると
汚れが目立たないうちにできるか。

やったりやらなかったり気ままな
日常の穴ぼこだらけに飛び込むか
塞いでしまうかそれともほっとくか。

生殖器を舐めるように花を写し
庭に這いだす蜘蛛や虫も少ない
夕風が吹き抜ける庭の草むしり。

手あかで汚れるくらいボディと
レンズが手に馴染んだようでも
どこかすり抜けてしまう残像が。

ビンボー傘に降る雨(08.06.13)

昼前に素足で庭をうろうろ虫刺され
昨日はキャンパスの行き帰りの空と
緑がひときわ爽やかで空梅雨みたい。

授業を休む学生らの司書職に縁がない
畑違いの就職活動の現状など資格免状を
与えている当局のボスは知らないふり。

学生の理工系離れをいいことに国外進出の
IT企業が中国政府の国策に乗せられたのか
技術者を現地調達して日本国内の若者を排除。

書店は新刊棚が「格差社会」や「貧困」の積ん読
だけじゃなく大宰に続いて小林多喜二の「蟹工船」や
ドストエフスキーの長編が売れているそうじゃないか。

秋葉のホコ天の殺傷事件の続報が次から次へ
耳目に触れる数が増えても事の焦点はぼやけ
新しく開いた貧乏の傘の裏に隠されていそう。

遠ざかる救急車のサイレンが合図みたい
屋根を濡らす雨にテレビで見たばかりの
開いた傘の裏で広がる青空に浮かぶ雲。

身が入りにくいか(08.06.10)

夜明けとともに起き暗くなったら寝る
近所に出没する雉みたいなその日暮らし
できたら真似ようにも身体が許さない。

先週土曜日はいつもより早く起きだし
スポ少のバドミントン交流戦に参加する
子どもらにつきあったら寝起きがよくない。

待ってるのが退屈とこぼす男の子は
練習にも集中できないのがそのまんま
試合に反映したみたいなスコアに。

敗者戦を待ちながら話してくれたのは
身体を使うことに集中しろといっても
勉強なら1時間位だがゲームなら一晩でも。

だったらバドミントンも手足を身体の翼に
羽を操るゲームみたいに数十分は集中できたか
二戦目はすんなり勝って三戦目はまたボロ負け。

試合中の子どもらにああしろこうしろ
監督やコーチだけでなく親まで口を開き過ぎ
子どもなりの持続を分断しない流れも途切れる。

軒端の着こなし(08.06.06)

ちょっとした外出にシャツだけじゃ
何となく心もとないようでベストの
小物入れに折り畳み傘も入らないか。

なんだか梅雨の晴れ間みたいに
抜けきらない空模様の庭で見かける
猫や雉にデジカメを向けても素知らぬ顔。

苔を下に寝そべったりブロック塀に
止まってひとしきり鋭く鳴いたりして
いつの間にかどこかへ消えてしまう。

民家の建ち姿も様変わりしてしまい
ツバメが飛びははじめたというのに
いったいどこで巣作りしているのか。

家屋を上手に着こなしたような庭を
見かけたりすると住んでる人が世間を
隔てるクッションにしているみたいだ。

庭をつぶして車庫にするなどしても
シャッターを開け放し孵った雛を狙い
蛇の一匹や二匹どこからでも現れる。

人獣流れ節(08.06.03)

6月の富山市街散歩は山王さんの祭り
というか縁日の賑わいからはじまり
デジカメを向けるすき間もない露店界隈。

わが家の庭では縁側の雪よけ用に
重ね置いた用済みの洗い張り板から
ちっちゃな蟻の大群が溢れるごとく。

めくった板の両面を埋め尽くす微動に
いつも庭木職人がやってくれている
春の薬剤散布の盲点を突かれたみたい。

中学生になったスポ少バドミントンの
子どもらに出会って挨拶されたりして
言葉を交わし行き違ってからとまどう。

中島みゆきがただ一度なりたいと唄った
狼になりたい若者は男か女いずれだったか
ひとり子どもから大人へのグレイゾーンで。

人それぞれ踏み外して分かる立ち位置に
ひとり立ちできるかどうかも分からない
行く手に自分にしか聞こえない歌声など。

木の葉隠れ(08.05.30)

あざやかに萌え揺らいだ木々など
ひと雨ごとにフツーの緑に染まって
すき間からカッコーの鳴き声が響く。

落ち着き払って托卵などしやがって
この“人でなし”などと言うまでもなく
鳥獣のなせる仕業がまかり通る季節に。

ビンボーで多感な青春を持て余した
昭和30年代に殺人事件が多発したが
今じゃ事件数は減って極端な様変わり。

婆さんの昔語りから童話や小説へと
読み聞きしてきた変身譚を忘れても
胎生がはらむ獣から人へのマッピング。

人間としての架橋を孕みようもなく
何も聞こえず届かず凶器も及ばない
互いを隔てながら共に生きるよすが。

気づけばこの世でどんな橋を渡った
とにかく生き延びるためにあれこれ
どこから何まで人間として問えるか。

5月の既視感(08.05.27)

満艦飾になったのや丸坊主のままも
今年は極端な庭のツツジの茂みだが
花付き具合は吹き抜ける風も知らない。

母の日に娘から生きる意味を問われ
産んだ母親は娘の涙を涙で流しつつ
共に溺れることもならない五月雨に。

ビル街を背景に噴水広場の吹き上がり
写した写真のバックに窓拭き作業姿や
アップで撮った草花に写り込む昆虫が。

安物ワインだからといって階段の下に
転がしておくよりワインセラーに寝かし
飲み頃を見計らって栓を抜いてみたら。

読み疲れ本の隙間に埋め込むように置いた
パソコンミュージック用スピーカでiPodの
講演音源をシャッフルすれば書架が喋りだす。

夕暮れ散歩買い大型家電店からHDは消え
白か黒かもはっきりしないいい加減な
二大政党傾向なんてほっとくしかない。

花咲く緑に(08.05.23)

若葉の網戸越しに風が爽やかな2階の
窓際に観葉植物の鉢を置き知人宅の庭の
開花模様を撮ったヨメのデジカメ写真印刷。

ディスプレイで見る写りの良し悪しに
関わらない画像情報が写真にくっついた
データから写した動機はうかがい知れない。

心身で感じるしかない情報はICTじゃ
読めも聞き取れもしないからと知ってて
つい可視・可読調べだけでどうなるものか。

自分を殺したい関連キーワードを
入力した検索サイトが返す一覧画面の
冒頭には「自殺予防サイト」の表示が。

自分との関わりから異性を含めて
世間まであの手この手の間に合わせばかり
情報探索で調べられない過換情報症候群。

どんなささいな関わりであろうと
なんとか開くように変えていけば
不可知情報のメタデータが花開くか。

リセットできない(08.05.20)

寝起きのラジオで“火山‥‥休止”と
聞こえたのが「サザンが活動休止」なんて
アジアの風水害や地震災害報道とゴッチャに。

地区センターでの健診もさぼった
風邪をひきなおしたみたいな週明け
庭の緑も吹き千切れそうな荒れ模様。

元気な時は家族の鼻摘み者を演じがち
祖父は医療費がタダだろうが大の医者嫌い
健康診断や生命保険などどこ吹く風だった。

飲む打つ買うを地で行ったようだが
身請けした嫁が亡くなり先立たれた
息子の嫁や孫のヨメとの同居暮らし。

老いて好々爺に成り果せわが家の
畳の上で遺してくれた自然死の沈黙が
語り明かす事もなかった個の生涯を描く。

メモったり記録を調べたりノートに
まとめたりする作業も紙に触ることなく
やれたりする身体相互の浸透性や馴染みは?

黙って引き直す(08.05.16))

五月晴れの見本みたいな日和にそっと
足を引っ張られ背中を押されたり昨日は
風邪がぶり返し冴えない教室への往復。

年取るほどに気分は体調に左右されそう
自分自身だけでなく家庭の事情に引きずられ
世の中のことなども晴れ間が見つけ難くなる。

昼間の仕事に引き続き夜学で恋のまね事など
組合運動じゃ収まらず街頭の反権力デモへ
寝に帰るだけの家は諍い事で荒れたことも。

人が関わる場の違いをどう読み込むか
情報とはメディアに接する時間体験としたら
その有り様の違いが錯綜しもつれるばかり。

遺伝子情報は誰の個人情報なのだろう
週末婚なら熟年離婚を先取りして裏返すか
散歩は起伏も無くのっぺらぼうな逆立ち時空へ。

流動し浮遊する足場を均質化するスイッチが
物語を捻り潰しテレビのチャンネルをいきなり
四季の風物の眺めなどから遠くへ変えてしまう。

五月雨裏表(08.05.13)

廃屋の荒れ地が宅地造成され
追い出された雉が里山へ戻れず
近くの家主のいない庭地に出入り。

自らに悪いことはすべて他者の所為に
曖昧な健常者かどうかにかかわらず
人々はいかように幸せ不幸せを生きる?

いずれも似たような庭木や草花が
小雨に濡れ萌える若葉の裏にひそむ
過ぎし田植え時期の肌寒さが遠ざかる。

育った結果を誰の所為にもしない
物心ついて手伝わされた田畑の
野菜や山の植林の出来の良し悪し。

雨上がりの四畳半の障子を開け差し込む
日差しが朝の散歩がわりのおふくろが
畳焼けを気遣う裏側で親子間の殺伐化。

近親間だけじゃなく地域や職域までも
つかみ所が無くなるばかりの生活感に
裏打ちされた日めくりカレンダーの破れ目。


ご意見・感想:kyoshi@tym.fitweb.or.jp

「高屋敷の十字路」に戻る