十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)

最終更新日:2008/01/01

歳末の形見(07.12.28)

今年の好天気を締めくくったみいな昨日は
午前いっぱいかけて2階和室の襖がなんとか
閉まるよう調整したり大掃除を済ませたばかり。

午後の日差しに輝く雪山のデジカメ散策へと
自転車を繰り出した通り道の傍らで家の窓を
磨いたりしている年寄りを見かけもしたが。

三十数年前に新築して引っ越してきた2階を白寿に
手の届きそうだった祖父にせまがれおんぶして見せたり
ある晩には売り払った田舎屋に帰りたいと迫られもした。

壁の煤払いをしていてヨメが指さした柱に
2階の畳をめくって床板には見つからなかった
白蟻の痕跡らしきものが残っていてがっくり。

床下と1階の駆除作業だけでよかったかどうか
2階も畳を入れ替え障子を張り替え床の間には
祖父さんが遺していった掛け軸や骨董など置こうか。

両肩が凝らず緩んだ抜けのいい心地よさ
あれこれ作業や片づけ物をするする身体が
滞ったり詰まったりせずにはかどるようだ。

師走の脱皮(07.12.25)

気分はもう冬休みなのに体調がふらついたり
街中に出かけあちこち出入りする寒暖の差が
どうにも身体に良くないようで困ったもんだ。

滞りがちな台所の排水パイプをすっきり
抜けるよう住まいのメンテナンスなど
どうにか片づけらながらなんとか持ち直す。

歳をとるほどに心身ともに年相応とは
どういうことか分からなくなるようだが
人それぞれ全うすべき寿命があるようでも
祖父の老化現象は急カーブを描いて逝ったな。

自力で美容院へ行けなくなったおふくろは
ヨメに髪を整えてもらったらすぐ風呂を
使えるよう暖房や湯の準備をしていた息子の
目の前であっさり下着まで脱いでしまったり。

テレビで見かけた伊勢エビの脱皮の瞬間を
録画するみたいに焼きついてしまった母の姿に
細くて襟首は剃れないと言うヨメの言葉が重なる。

ほどほどに(07.12.21)

冬場に向かう北陸のうんざりするような
空模様に促されたみたいに雪囲いを済まし
ついでに排水溝のヘドロや根っこの除去も。

コンピュータ教室での担当授業で履修外の
女子学生が頼み込んでくるPC利用を許すと
僕の話が聞こえにくいと履修生から苦情が。

何事も流れに逆らわず滞らせないような
プラスマイナスゼロとなる立ちどころを
探り当て続ける偶有性の日々に浮き沈む。

いいこと悪いことをほどほどに縫い合わせて
雨の街路を彩る発光ダイオードの列に今日も
100人の自殺者数が紛れ込む日本の歳末だが。

自分の銀行口座の預金金利が17年前の率に
迫っていることをヨメから教えられたって
どうせ預ける金もないからどうでもいいこと。

無知じゃない生きて分からぬこともあり
なるようにしかならないと朝のラジオから
若い娘が歌う植木節がこぼれ落ちてきた。

潤い肩肘張らず(07.12.18)

朝に布団を抜け出すのがだんだん遅くなったり
デジカメ散歩もさっぱりで家の中をうろうろ
持て余し気味の暇を充たす“ブレラン”最終版!

ヨメはDVDと同時に宅配でどっさり届いた
叔父さんからの野菜にこれで天気の悪い日々の
買い物も当分楽になったようで嬉しそうだったが
LDでも版を違えて何回も見てきたSF映画の
どこがそんなにといった様子で先に寝てしまった。

原作となった小説の他にもディック作品を探し
今はないサンリオ文庫など買いあさって読んだが
何が書いてあったかすっかり忘れたようでも
とりわけ『ヴァリス』には共振した読後感が。

そういえば村上春樹『羊をめぐる冒険』でも
似たような読み方を愉しめたような気がするが
生活視線の余白を少なくしたみたいに軽くても
身体を浮遊させてくれるような濃さがとっておき。

幼くして虚弱に出会ったように現在の身体性に
共鳴してくるような図柄に時おり出会えたらいい。

他人の振り見て(07.12.14)

寒くなってくると参加者も底を突きがち
校下のバドミントン練習日に初心者が
何人も現れたが今度はどれだけ続くかな。

おそらく隣の団地に家を建て住み着き
子どもらが小学校に通うようになった
若いお父さんやお母さんらが誘いあってか。

どこにでもいる経験者に後れを取りながら
基本技やラリーの組み立て方をゲームで
愉しめるようになるまで続けばいいのに。

人それぞれ心身の使い方を身につけた
座が固くて角張っていたり柔らかくて
丸かったりさまざまに形作られてしまう。

形がさまざまなのは仕方がないとしても
真ん中にあるべき芯そのものが縁の方へ
偏ったままだと練習が愉しくなくなりがち。

男と女のかかわり合いにしたってどんなに
重なり合わないような形をしていようとも
芯のありどころがよければ相性は保てそう。

愉しみも肩代わり(07.12.11)

使い馴染んだオーディオ装置の調子が
おかしくなったりすると何となく日々の
愉しみのひとつが心もとなく響くようだ。

時節柄日中なのに茶の間がが薄暗かったり
よちよち歩きのおふくろが通りすがりに
食事時を間違えてガックリさせられることも。

年暮れを控えあれこれ片付けてて見つかった
オーディオ機器のトラブルシューティングも
役立たずスイッチ類をいじったり配線の確認など。

とりあえずハンドパワーが働いたみたいに
リスニングルームの音の座りがよくなって
何もなかったみたいにまた響きはじめたが。

LPジャケットを手にレコード演奏を愉しむ
なんてことができなくなってもPC画面上でCDの
アルバムのアートワークをシャッフルしながら聴ける。

定年になってしまえばあれこれ縁が切れ
ひとまず悠々自適に落ち着ける訳もなく
空虚な空騒ぎに取り違えそうな忙しさも。

12月のぬくもり(07.12.07)

やり残したままの片づけだけじゃなく
掃除などもいつもより時間をかけたり
そんな暇つぶしも余儀ないお天気続き。

いつの間にやら柱や鴨居や敷居に微妙な
反りがきてふすまが開け閉めしにくかったり
どうしようもない隙間が世間の風通し模様。

ふってわいたような穏やかな日和に街を抜け
師走のキャンパスに出かけ午後の2コマが終った
ところで3階の教室の窓の外はすっかり夕暮れ。

今日一日を何もなかったように燃やし尽くし
西空の端っこに気づいて眺める誰彼問わずに
すべて受けとめた重みで傾き消えゆく夕日が。

沈みきった後に残ったぬくもりを懐に
三々五々教室を後にする人影が薄れ行き
とっぷり暮れた街路樹を電飾が飾りはじめ。

慣れない眼鏡に掛け替えたような気恥ずかしさ
散り散りの煩悩を敷き詰めたような街路でも
なにが恋しくて故郷の道みたいに行きつ戻りつ。

終れない(07.12.04)

ここんとこちょっとした暇つぶしみたい
コケたノートPCのリカバリー作業だが
消去エラーかインストールエラーの繰り返し。

かってPCを立ち上げたらまずゲームから
みたいにはまって一度だけほとんど使えそうに
なってからどこでダメになるかを見届けるだけ。

グリップを握りしめ強く打ち当てようと
腕が固まってラケットを振り抜けない子らの
指の当て方に注意したら少しは打ち返せるか。

中原中也に入れあげてた頃に書きたかった
歩行と諦視あるいは諦念といったテーマを
書ききれなかったことなど思い返したり。

馬齢を重ねながらどれだけのことを諦め
続けられるかってことも忘れたみたいに
意のままに心身の流れを呼吸できないか。

ほっとけばほっとくだけ型にはまってしまい
抜け出せなくならないよういつも出し抜き
止め続けなきゃならない心身の修復の難しさ。

繋がり具合(07.11.30)

ネットワーク機器の更新ランプの点滅に
気づいてPCから更新を指示した途端に
インターネット接続エラーになったが。

どこかへしまいわすれた「取説」が見つからず
しばらく使えなくたってどうってことないのに
なぜこんなことぐらいであせったりしたんだろう。

新調した今どきのノートPCを使い始めたら
使い古したデスクトップPCの使い勝手に
何となく苛ついていた訳が分かったようだ。

世事万端から引き込み線暮らしのテンポに
いつの間にか慣れ親しんだようでもどこかで
産業社会が刻む速さに無縁じゃいられない。

ささくれ立つばかりでなんら新しいかかわりが
できそうもない現状へのいらだちもつのるから
いっそう結果だけ求めて過程を避ける迷子にも。

身体が急ぐだけで頭が回らないなんて
ことになってくるとやろうとすることと
なすことの距離が広がりいろんなことが。

晩秋の河川敷(07.11.27)

寒気が去って好天に恵まれた三連休は
スポ少バドミントンの子どもらの練習や
校下のバドミントン大会の審判などの三日間。

今年は試合数が少なくて昼前に体育館を出て
またとないサイクリング日和に近くの川原まで
土手沿いの道はガソリンの値上がりもどこ吹く風。

子育て真っ最中か卒業してしまったような
夫婦らが寛ぎ戯れる芝生の広がりを高く低く
カラスが魚群のように飛び回ったかと思うと
近くの電線に嘴を揃えてびっしり並んだり
青空に映える晩秋の紅葉の行楽団体のよう。

聳え立つ連峰の麓の紅葉から真っ白な稜線へ
伸び広がるパノラマのグラーデーションを背景に
風を切りモトクロス親子のバイク音が川面に届く。

家事と育児でつなぎ合わされたぬくもりが
見えないパッチワークのように河川敷で遊ぶ
あちこちの人たちの動きをあたたかく彩る。

日溜まり散歩(07.11.23)

休日の子供らの朝練につきあえるような
体調を確かめるみたいに朝日の当たりが
よさそうな道を辿って寒々とした体育館へ。

ストレッチそのほか準備運動を終えた
低学年の男の子や女の子が手の冷たさを
競うように握手したり頬を触ったりしてくる。

力んだりひねったり床を蹴ったりしないで
膝を抜くようなステップを試みさせたり
両腕交差半回転などで遊びながら温まる。

幼いうちから筋力や敏捷性に頼らない
自分の身体とのつきあい方を学べたら
少子高齢化社会が生きやすくなるかも。

わが家の白蟻被害対応から床板や畳に
障子の張り替えまでを何とかできても
覚え歪んだ身のほど知らずはどうなる。

家族が長生きしてくれたりしてはじめて
人は変わりうるものだと信じられるようで
まだまだよくわからない老人は侮れない。

寒さ早すぎ(07.11.20)

庭の雪吊りがいつもより早かったのを
見越したみたいに先週末から寒くなって
せっかく持ち直した体調も戸惑ったかな。

山小屋経営者からの伝え聞きによれば
今年はがめ虫が家の中にまで入り込んで
いないようで大雪にならないってことだ。

部屋を温かくして家族で囲む鍋料理など
いっそうおいしてくれる新酒のワインを
子連れで届けてくれた元同僚の元気な笑顔。

引きこもりじみたリタイア後の成り行き任せに
思いがけない風穴が開いたように通り過ぎる
暑さ寒さはどこからでもやってくるようだ。

壊れたノートPCの修理だがメーカーに送ったら
べらぼうな費用を取られるということで近所の家電
販売店で五分の一の費用でやってもらったのだが‥‥‥。

もう自力で外出できないおふくろの眼鏡を
掃除がてらにヨメが持参して新調を頼んだら
ピッタリ合うものをと店員がわが家を探し訪ね。

枯れ葉舞う頃になって(07.11.16)

雪吊りが終わったばかりの庭木の向こう
うっすらと遠のいて見える毛勝三山も
気がつけば真っ白に化粧済みじゃないか。

枯れ葉がつむじを巻くビル街を抜け
路線バスを降りたらにわかに時雨模様で
傘を持たない女子学生に次々追い抜かれ。

壊れたノートPCを最新に買い替えたら
ブロードバンドにしてあった使い心地に
気づいたみたいに心身の様変わり具合も。

バドミントンの練習仲間から非力なりの
身体の使い方を生かしたシャトル捌きが
出来ていると言われたりしているのだが。

ここ数年悩ませられた過換気体質から
いつの間にか抜け出せたような日常に
毎日の骨盤体操や呼吸法が役立っているか。

何かとよりどころがあいまいになりがち
いま・ここの身体性だけが頼りみたいで
いつの間にか違うところを歩きつつある。

転んでも怪我しない杖(07.11.14)

まだ冷え込むというほどではないがめっきり
寒くなって何かとおふくろの動きも鈍りがち
ドアを手前に引いて仰向けに尻餅をついたり。

ぶつかる前に人形のガラスケースなど
怪我しないよう片づけたりしているのだが
危なくない転び方や受け身もできないと。

授業の準備や本番に使い込んでしがない
時間講師の秘書もどきノートPCが
突然コケて困っていたらお袋のサポートが。

息子が母親を養うのが当たり前になってて
いつもは生活費の心配などかけらもないのに
壊れたら買うしかないと気前のいいこと。

夏に給湯器が壊れたときもポケットマネーを
出してくれたついでに風呂場の暖房/乾燥も付け足し
冬場の年寄り向けにしたら入浴を面倒がらないように。

大正生まれの気質なのかどうかわからないが
とかくあれこれ思い巡らしてでき損なう前に
五感を廻らし身体で考えないと知恵は働かない。

立冬の眺め(07.11.09)

ようやく秋らしい日和に恵まれ立冬も過ぎたが
今週は浦和のACL決勝第1戦や中日のAS緒戦に
自民・民主党首会談などすったもんだが見どころ。

週一往復している路線バスの窓から見かける
紅葉の見ごろにバスから降りて立ち寄ったら
子供を遊ばせる母や初老のカップルもチラホラ。

ギンナンを拾い集めているおばさんやカメラ
片手にふらふらしているおじさんらの中には
とても近所とは思えない服装のひともいたり。

銀杏と桜の並木の間でノートPC鞄をぶら下げ
いったりきたりしている途中下車の男にしたって
彼らの目にはけっこう怪しげに見えたかもしれない。

舞い落ちる枯葉の動きから何故かラケットで
打ち返すグリップの握り具合というか指一本の
当て所の違いで身体の力の伝わり方の違いが。

なぜ正八角形を押し潰した握りになったのか
よくわからないが小さな公園で紅葉のひと時を
愉しんでいるおじさんやおばさんが握るものとは。

内外を眺める座(07.11.06)

数年前にリタイアして年金生活にはまっても
税金だけはしつこく追いかけを止めないから
先行きどころかいまここの家計が落ち着かない。

原油価格が高騰し始めた頃から予想されていた
あれこれ諸物価の値上がりが将棋倒しに押し寄せ
冬場を前に現役の頃とは違った寒暖の差が際立つ。

Google地図サービスでは解像度がよくなかった
地元界隈の写真がいつの間にやら入れ替わってて
空からくっきり生活圏を眺められるようになった。

デジカメ写真のアルバム・サイトとも連動し始め
アップロードした写真を撮った場所の地図に位置づけ
航空写真に切り換えて眺めることもできるじゃないか。

衛星からの普遍視線と生活視線を交差させながら
眺めた記録を一目瞭然にマップ化できるようだが
さまざまな動きの座としての身体の内側も見たいもの。

指で握ったラケットのグリップを手首でヒョイと
ラケットを返してシャトルを拾いあげた途端に腰痛で
動けなくなったりする身体操作時の体内ネットワーク作用。

思わずできたら(07.11.02)

バドミントンのダブルス作戦のひとつ
“魔女狩り”なんてのはアタマ言葉だが
身に覚えのある人は頷くこともあるかな
あの痛みを“魔女の一撃”と言うなんて
腑に落ちるカラダ言葉のひとつみたい。

なんで泳げもしないのスキューバダイビングを
やったり免許もなく持ってもいない車の運転など
身に覚えのないことが夢見られるのはなぜだろう。

そりゃ虚弱児でビンボーだったからだが
ひょっとして言葉は心身のどちらかといえば
身体寄りの行為だからできもしない夢を見るのか。

勝ちたかったり負けたくない言葉で尻を叩く
ハードトレーニングの内幕は閉ざされていても
亀さん一家のボクシング顛末として見え隠れ。

誰を相手に何をどのように話の成り立つ場を
探すみたいに四六時中いったいどれだけの
ケータイのボタンが“プチプチ”押されているか。

ちっとも分からなくても気でなぞれたり
体感できて生じた感触が確かな動きとなって
心身が共鳴する言葉がよどみなく溢れればいい。

体内から身振り手振り(07.10.30)

インドアとアウトドア日和の様変わりようで
書架を移したまま床や踊り場に放ったらかした
本の散らかり具合をデジカメで写してみたり。

日曜の河川敷の秋景色を土手から眺めながら
サイクリングを愉しみついでにに水墨美術館で
思いがけない北斎の版画や絵本が眺められたり
広い庭の一角で舞楽の(たぶん)左舞に出会えた。

それにしても廃線になって久しいのに
射水線の終着駅だった「新富山」よりも
停留所名を「水墨美術館前」にして宣伝したら。

曇り空の窓際近くにびっくりするくらい
シジュウカラやヒヨドリなどもやってきて
枝から枝へ直線的な動きに見とれることも。

(水は/たくさんに/割れてるんだ。)
(冷たさや/濃さや/動く向きの違う/塊がある。)
              
(塊に乗って/滑るんだよ。)
              
(お前は/力も/ヒレも/ないんだから。)
[五十嵐大介『海獣の子供2』]

胎内記憶を呼び覚ますような身動きから始めたい。

出がけ帰りがけ(07.10.26))

張り替えた障子の影が美しい
昨日までの秋日和はどこへやら
午後から雷雨になったりすると
肩が痛んだり体調にまで響きそう。

庭師が入って雑草もなくなると
残り少なくなった苔が濡れても
乾いても美しく映えるようだ。

もうおふくろが庭の草むしりを
やってたころのような春夏秋冬
緑のじゅうたんにはもどらない。

出がけに途中下車して街なかや
公園をぶらぶらしたり目についた
苔模様をデジカメで写してみたり。

まめに庭の草むしりをやらなきゃ
庭木の下をうめつくす雑草の影で
苔の感触もまだらに禿げてしまう。

帰りがけにヨメと約束していた
寿司屋の前のバス停を降り損ね
家に着いてから夕べの歩き直し。

不断の仕事着(07.10.23)

東に聳える毛勝三山の谷筋が白く
真新しく香る畳部屋を歩く素足が
シャキシャキと新雪を歩くようだ。

先週末から畳20枚の入れ替えに
庭木の剪定と二つの職人仕事で
くたびれかかったわが家が息づく。

床板も張り直して畳がふわつかない
日常に戻れたがシロアリ退治作業の
残渣が臭わなかったらもっといいのに。

タイル張りや畳の上だけじゃなく
茣蓙や蓆の上に布団をひいたりして
ベッドではわからない寝心地が身体に。

小説の創作と翻訳をやり通している
人気作家の両輪を動かし続けているのが
とにかく走り続けることの維持みたい。

どのような乳胎児期を通り抜けたか
掘り起こせない思春期を過ぎてからだと
人それぞれ家事の着こなしが暮らしの秩序に。

身の置き所々(07.10.19)

珍しくスーツに革靴の昨日の出がけに
着替えた身体の肌触りを溶かし込む
刷毛で撫でたような雨が降ったりして。

季節の陽射しと車両やバスの運行方向に
あわせて左右どの窓側に座ったりするか
その時々の身体まかせの動きがほどよい。

窓側か壁側かどちらでもない真ん中辺りの
前よりか後ろよりあるいはどっちつかずで
教卓に遠くも近くもない座席に集中もせず。

座席指定などしていないコンピュータ教室は
入学年度によって新入生の散らばりぐあいが
違うだけでなく向き合い具合もその都度違う。

名前を呼ぶと返事が返ってくる出席確認を
ログインしている履修生の集約画面でやれたり
便利かもしれないが気合いの通わぬ味気なさも。

ひとそれぞれ思いのまま何処へ向かうにしろ
いつも走り続けられるとはかぎらない走行車線や
追い越し車線を見いだす手足は身心を追い越せない。

気配を細かに呼吸する(07.10.16)

これまで羽蟻を見かけたことはなかったのに
床下を調べてもらったらやっぱり白蟻被害に
当たってしまって業者に退治してもらうしかない。

田舎屋住まいの中学生の頃だったけど
初夏に開け放った座敷でボンヤリしてたら
鴨居辺りから雲霞のように湧き出す気配が。

どこか畳を替えたくなってきたりするってのは
暮らしを営んでいる身体のなせる技みたいに
家のどこかに臭うような妙な気配を感受するから。

数年前に体調不良で仕事を辞めた頃だと
身体のことだけでなく家屋や庭木の状態にも
どことなく気が働かない空洞にはまっていたかな。

中学のクラブ活動の剣道の顧問はいつもいつも
練習の前後に胡座を組んだお腹のところで重ねた
両掌の親指を付かず離れず数分の瞑想をさせた。

確か7段の先生だったけど教えてもらった
肝心の剣道の技はちっとも覚えていないのに
あの時の呼吸の感触だけはいまだに忘れない。

住み慣れて(07.10.12)

先月9月がとにかく暑かったせいで
平年並の10月が妙によそよそしいが
金木犀がゆく先々で懐かしく匂い立つ。

寒さに向かうご老体をいたわるみたいに
風呂場に暖房/乾燥機を取り付けたり
くたびれいたんだ畳の入れ替えなども。

家の外装はほぼ全面手直ししてきがた
とても土台や内装までは手がまわりかね
生活用水や水まわりの修繕と維持だけだね。

入れ替える畳の縁などを見た畳職人は
二間とおして壁や床の間や天井の飾り縁などに
合わせた三十数年前の職人仕事に感心しきり。

抜けそうな床板みたいに身心のバランスを
崩したり崩されたりしがちな今日この頃だから
住む身体と頭のあそびが愉しめる場を保てないと。

結婚する前に17回ばかり引っ越したヨメも
おふくろも大きな患いもなくやってこれたのも
引っ越し住み着いた土地と相性が良かったから。

いいじゃない(07.10.09)

体育の日の三連休はコーチをしている
スボ少バドミントンの市の団体戦にも
地元住民運動会にも顔を出さずじまい。

昨日の午前の練習に出かけたら監督から
にこにこ顔で大会プログラムを見せられ
決勝戦まで勝ち上がった子どもらにビックリ。

課題の上級生の伸び悩みをどうしたものか
なんとかダブルスの試合らしくなってきた
下級生の練習の経過として励みになればいい。

今年も叔父さんから秋の収穫が宅配され
ヨメの手料理で食卓に並べられたりすると
戦後の農地改革で解体された家族のその後が。

兄弟姉妹一人暮らしや夫婦暮らしさまざまだが
それなりに元気な80代を過ごしつつある日々の
かけがえのなさが届けられたみたいな味わいも。

功成り遂げたみたいなシンガーソングライター
ジョニ・ミッチェルの久しぶりの新譜みたいに
人それぞれかかわりの中で輝ける一時を生きて。

場違いな(07.10.05)

涼しくなってきたのにあわせたみたい
サイクリング車を引っ張り出す合間に
庭の草をむしったりしても腰は痛まないか。

後期授業のはじまりに“出頭”するのも5回目
だというの“場違いな”感じは消えそうにないが
毎年違う新入生との出会いに引っ張られてきた。

村の用水や川掃除から草刈りや雪かきなど
共同作業に父親代わりで仕方なく引っ張り
出されたりしていた頃の再演でもなかろうに。

体力は衰えても箒やスコップを今のほうが
巧く使えるだろうし腰痛や腱鞘炎にならない
身のこなしができるようになったかもしれない。

嫌な草むしりも股関節を畳むようにゴミ袋を
股の間に両手の中指と薬指と親指に挟まった
庭の雑草を掴み取るようにやるといいみたい。

子は親を裏切り親となって子に裏切られてこそ
大人として一人前になる師弟関係に気づけようが
何ごとも下手は下手だからこそその上達具合を
それなりに味わうことができようというもの。

老いつ追われつ(07.10.02)

列島をワイパーした秋雨前線で
暑かった9月とともにはかない
時間講師の夏休みも終わった。

なにかと記録ずくめで評価されがち
ペナントレースを制覇した日ハム野球の
細かな攻守のバランスは数字から見えない。

近くにあるようでよく分からない死と
同じようにどれだけ近づいたようでも
老いるということもよく分からないが、

投手やボクサーや舞踏家だけじゃなく
執刀にとりかかる外科医や演奏をはじめる
音楽家などの構える姿勢が似かよって見え。

気づきが遅れてしかやってこないことに
気づくことが老いのはじまりだとしたら
追いつけない動きの遅れを取り戻せないまま、

なお衰えながら動ける姿勢を導けるよう
わが四肢と体躯の操作法を手探りしながら
しかとつかまえにくい体感だけが頼りか。

振り子とアーム(07.09.28)

“中秋の名月=満月”じゃないのを知ったのは
いつ頃の事だったか定かじゃなかったのだが
ヨメは9/25の夜空を見上げて気づいたようだ。

壮年と老年にさしかかった夫婦の二組しか
顔を出さなくなった隣の校下のバドミントンの
クラブ練習の行き帰りが恰好の月見散歩になった。

二人とも基礎体力は落ちる一方で練習相手にも
ほど遠いが同好者に遊んでもらえるのを愉しむだけ
胴体を振り子のように動かし手足をアームのように。

ちっとも上達しないデジイチのシャッターを
押す呼吸が決まらないのももどかしいままだが
あらゆる場面で構えない構えができるだろうか。

両の掌を空に向けて月の満ち欠けの
影を写しとるようにように両足裏を
地軸から浮かせた動きを脱ぎ捨てる。

二日後(9/27)に満月を眺められたような
気づきがやってくる自然な日常性を座にまとい
時として身心は異常性にも対処を迫られたり。

もっと遠くへ(07.09.25)

この夏の暑さをずるずる引きずったような
秋分の日の翌日の午後はものすごい雷雨があったり
面白くなってきたプロ野球BS中継も途切れがち。

しっかり寝たようでも春先みたいにどことなく
眠り足りないのは時節柄か年取ったせいなのか
みずからの容れ物としての身体やそれをとりまく
さまざまな関わりとの対話から何が見つかるか。

あちこちくたびれが目立つ市街の再開発ビル7階に
紀伊國屋書店がオープンして覗いたりしたせいか
地元の大学図書館に勤めはじめて間もなくだが
その頃市内にあった営業支所からのスカウトや
その後の営業マンとの交友なども思いだされた。

裸足で歩きたいような色調のフローリングで
ゆったりしてて図書館学のコーナーも設けられ
まあまあの品揃えの吉本隆明著作のなかでは
新刊の『よせやぃ。』が平積みされていた。

雑談会メンバーとのインタビュー本とあるが
てんでんばらばらな吉本読者とこんなにも見事な
情況をめぐる対話が吉本邸で繰り広げられていたんだ。

“ちくしょう”(07.09.21)

何かをやろうとしたりそうしたくなかったり
いずれの場合にも共通する大事なことってのは
なんの構えもなくとりあえずゆるんでいること。

学んできたことややってきたことを無きものに
ひたすらみずからの低さから生じるあそびから
動きを読み書き算盤できれば申し分ないのだが。

だれしも良いところから悪いところまであり
自分がもっともどうしようもないところから
とりあえずいつも動き始めるしかなかろう。

スワローズの古田監督が辞任記者会見で
涙で声をつまらせながら漏らした一言の
支えようのない悔しがりようがテレビに。

声にならない想いのありったけを体内に
分散させたままどこにも支点をつくらず
吐き出すような動きそのものがみなぎる。

解き放たれた秋のアンテナのように
打ちっ放しの空をどこまでも高く遠く
消えゆくままに届けばそれでいいのだ。

休み明け(07.09.18)

取り立てて何をやったわけでもないのに
気の通りが良くないような重苦しい眺めに
敬老の日3連休の猛暑疲れが残ったかな。

高齢になったおふくろが下に降りた二階の
居住提供も10ヶ月足らずで空き部屋になり
痛んだ畳みや雨に濡れた障子のシミが臭う。

さまざまな生活意識に病が加わったりして
ひとつ屋根の下でそれぞれの日常性が崩れ
共倒れになりそうになる危うさは尽きない。

派閥を束ねた元官房長官と残った幹事長で
自民党総裁の椅子を争う衆目の集め方だが
本気でやるなら数を頼らずひとりでこっそりと。

退屈で欠伸が愉しい日常は長続きせず
人それぞれの思案で隔たる日々が重なり
思い描いた普通の暮らしからの逸脱ばかり。

田舎住まいの土間からむしろやござへ
そして畳へと足裏の感触がふと辿らせる
日本家屋や和室の記憶が交差する向こうへ。

にもかかわらず(07.09.14)

ここ連日お向かいさんの住宅新築に伴う
井戸掘りの地響きが鳴り止みそうになく
平穏そうな上っ面の下で伏流する混とんが
あちこちで噴出しながら交錯する軋みのよう。

47年前に国内の反対デモを無視して日米
安保条約の改定を断行したあげくに辞職した
首相の孫もやはり日米関係の維持が間接的な
原因の一つとなっての突然の辞意表明だったか。

戦後を歩んできたそれぞれの歴史を忘れようにも
近隣だけじゃなく発展途上国の姿にほかならぬ
みずからが歩き辿った道の眺めが隠されているのに。

名手イチローがまさかの落球をしたり
オシム・ジャパンが強豪スイス相手に逆転勝ち
それにしてもラグビーワールドカップで日本が
フィジーに31ー35で負けた試合がとても残念。

かって娘がそして孫らが玩具にしたりしていた
納戸の中古ピアノが縁側から秋空に吊り上げられ
リモコンクレーントラックで運び出された空白。

夏枯れに雨が(07.09.11)

見えない老境を綴りつつあるおふくろと
やがてその予備軍みたいな夫婦が一つ屋根で
ひっそり新聞を読んだりテレビで映画を観たり。

夜毎の雨が残暑をふき取ってしまいに
剥き出しの肌寒さに震えそうになって
目覚めたりしたところで秋晴れの朝が。

家庭の幸福だとか不幸だとしか言えない
倫理がらみの季節はとっくにすぎてしまって
家族の問題は生涯から瞬間にすり替えられようとも、

幼少年期から青春期そして青年期へと
子どもから親へ問題の橋を架け渡して
なんとか身体だけでも渡らせるしかない。

社会的にか家族的にか個人的にか
三つどもえのどこかに足がかりを求める
トレードオフの危なっかしさも幸不幸に。

とにかく焦らず騒がず知らん振りでも
裏で考えながら大筋を踏み外さないよう
手枷足枷ならぬ身体の矢印を生きる方向へ。

つまみおろす(07.09.07)

夏場の書斎の除湿を頼むポンコツクーラーも
おしゃかになりそうだったけどよく食べて眠り
なんとか独りで動いて夏を越したおふくろだが
珍しく大根をおろしはじめてすぐに代われと言う。

手で握りしめた力でこするよりも肩を落とし
中指と薬指とおやゆびではさむようにして
骨盤をゆするように大根を動かせばいいのに。

中教審が中学校の体育で武道やダンスを必修に
なんてニュースに鼻を摘まれた戦後教育の場は
ますます風通しが悪くなる一方じゃなかろうか。

中学時代に使った竹刀や木刀を後生大事に
時おり振ったりしているけど刀を抜いで
元の鞘にどうやって収めるか予想もできない。

小・中学生のわが子にスポーツをさせたいあまり
親が面倒を見過ぎて駄目になったのを見てきたから
いまだに教え過ぎる親やコーチの姿が気になってしまう。

夏の定番のひとつのサザンだけど録画しておいた
桑田佳祐NHKスペシャルライブを観たりすると
彼の歌が人生で出会うあれもこれも葬り去るように響く。

不安な季節に(07.09.04)

過ぎれば先週末の数日も残暑の中のオアシスのよう
とりわけ日曜の晩にテレビ(NHK-hi)放映された
「パオの物語」がヴェトナム山岳地帯の自然に囲まれ
民族衣装をまとい家父長制を営むモン族の家で子を
産めない母とそのために連れてこられ娘を産んで
町に消えた母との間で揺れ動く娘心のあわれが胸打った。

その場限りの売り言葉に買い言葉をどれだけ
交わせばお互い分かりあえるかやればやるほど
ささくれ立って荒れはてた破れ畳で猫が死ぬ。

春先からの吉本隆明講演データのWebページへの
とりまとめが一段落してみて読んで分からなかった
難しさも聴けばなんだか分かったような気にもなれるが
それにしても空に消えてしまった氏の未聴の言葉の彼方は遠い。

いつかどこかでさまざまの境遇を抱えたまま
出会った男女がただ愉しそうなだけの家庭を共に
日常として生きられればそれで十分だろうに。

それぞれ居着くことによってしか喋れない内蔵を抱え
動き回ることでなんとか聴きだせる筋肉を着込み
さて骨格をどこへどうやって動かし相渡り合えようか。

夏の終わりの(07.08.31)

もう見ることもないだろうと思っていた
小1のマー君や妹のミーちゃんが僕ら夫婦を
すっかり爺ちゃん&婆ちゃん扱いしてくれた
月初めの暑さが嘘みたいに遠ざかったようだ。

ちぎれてしまった家族関係を血のつながりで
補おうとするかのように何らかの異常性が加担し
いま・ここを歪めてしか了解できない狂った関係づけを
強要された心の不眠に向きあう術とはいったいどのようなもの。

婚姻でどの姓を名乗ろうが夫婦別姓だろうがお好み次第でも
相容れないときは共倒れにならないようそれぞれの日常を営むしかない
家族や血筋がもつれこんがらがる大事とはどのようなものか。

“生きてゆくために 何をすればいいかなんて
ぼくの父さんだって きっとわかっちゃいないのに
さんざん欲ばって ぼくがたどりついたのは
どっかで聞いたような、サルマネのコンセプト”

十年前にスガシカオがヒットチャートをかけぬけはじめ
朝早い通勤・通学バスに並んで座った頃の高校生の娘と父の
ひそひそ話がが再現されたみたいに響いた季節の変わり目。

内なる沈黙宇宙(07.08.28)

朝からの雷鳴まじりの雨上りを見計らい
「人体の不思議展」@富山市民プラザに出かけ
ほどほどの人混みで1時間を超える沈黙の遊泳!

スポ少バドミントンのブロック大会があった
夏休み最後の蒸し風呂みたいな体育館での
火照った身体が跡形もなくクールダウンされそう。

「本物」を「プラストミック」処理したという
人体標本の展示を見ているうちに身体内に隠された
植物性と動物性が顕にされたみたいな無言の迫力が。

春からバドミントンをはじめた1年坊主が
とにかく真っ直ぐ打ち返すクリヤーだけで
シングルスゲームを二つ勝ったなんてことも。

名前も人相もない人体の予期しない美しさから
さまざまな関係を呼吸しつつある身体の生々しさまで
日々置き去りにするようにしか毎日が送られないとしたら。

この夏に注意して見たスポ少バド大会や交流戦だが
大部分を占める子どもらの上達ぶりそのものの低下は
長寿社会になっても成熟できない老人の鏡じゃないのか。

投げる球がない(07.08.24)

暦のごとく“処暑”日和に恵まれた昨日の午前は
貸出期限切れの図書を返しにバスで富短キャンパスへ
後期授業の準備に役立ちそうな本や読み物を物色し
ヨメと帰路で予定していた「人体の不思議展」は見送った。

全国高校野球選手権決勝で広陵4点リードの8回裏1死満塁に
カウント1ー3から佐賀北・井手選手が見送ったストレートの判定に
広陵・野村ー小林バッテリーが見せた表情としぐさが忘れられない。

押し出し四球の1点に続いた佐賀北・副島選手の
逆転満塁ホームランを讃えた高野連の試合後の講評から
桂球審に代表された判定にかかわる言葉は一言も聞けなかった。

ど真ん中に投げるしかなくなったバッテリーは審判の横暴を
野放しにしたままの高野連なんてもはや信じてないだろうが
バックネット裏の観客にあの低めの全力投球はどう見えたか。

球審から見放されたバッテリーは孤立した夫婦みたい
係累を頼ることなく子どもらからもあてにされないよう
あたりまえのキャッチボールをつみかさねるしかないだろう。

帰りがけに乗った路線バスの自動ドアが閉まらなくなり
運転手は直そうと試すだけで乗客に事情説明するでなく乗客の
誰一人として文句ひとつ言わない日本的美徳に乗り合わせた。

普通の暑さは?(07.08.21)

先週金曜の晩ににちょっと雨が降ったりして
どうにか普通の暑さを取り戻せそうだったのに2階の
窓辺に差しこむ朝日の傾き加減を無視した残暑の焼き印
遠ざかった田舎暮らしのお盆過ぎの朝晩の涼が普通だったのに。

夏巡業をすっぽかして里帰り中のサッカーに
興じていた横綱朝青龍に相撲協会が記者会見など
事前に人前で人間として話させることなく一方的な
「自宅軟禁」処分を課すのが相撲界の“普通”なのか。

生まれ落ちる前後数年を母親の庇護に頼りっきり
ふらふらしがちな体内時計をどうやって合わせるか
まるっきり受身でしか始まらなかった普通の始まり。

なにやら不自然な就学期を接ぎ木された孫は
真夏の通り魔みたいに祖父を殺して逃走できる
どんな普通列車に乗り合わせることができるか。

夏の日盛りだけ動かせばよかったクーラーも
昼夜の区別もない運転があたりまえみたいだが
日の入りをまって家のまわりの打ち水がやめられず
寝苦しい闇夜のカラスみたいな散歩はしたくない。

お盆の浮力(07.08.17)

この夏も風邪をひいたり下痢をしたり
それぞれの体質としか思えないような
季節的な体調の整え方を見かけたけど
過呼吸なんてのは身体のどんな調整になるのか。

散歩の通りすがりに成長ぶりを誇る
日よけの下のジャンボ・カボチャの
ドテッと横たわった姿を夏空に浮かべ。

日盛りを避けるように早めに出かけた
田舎の裏山のお墓の周りを誰かがきれいに
三十数年ご無沙汰の故郷が浮力になったり。

都会では中学生がホームレスをゴミみたいに
燃やそうとするみたいに戦争の招来によって
「現実」をひっくり返したがるフリーターも。

供え物の蓮の花を浮かべた鉢物が目立つなかで
お参りが途絶えた無縁仏の姿もチラホラしてきた
墓山からのわが家の墓の引っ越しをどうしたものか
そんな思いも夏場に往復する遠出の墓参りで浮かぶように。

昼前に帰ってお盆の暇つぶしみたいにインターネットで
馴染の音楽アーカイブで見つけたライブ音源をCDに焼けば
夕べにはD.トラックス・バンドに加わったS.テデスキの
ボーカルとギターがB.レイットばりの名演を披露してくれた。

寄せて引いて(07.08.14)

連日の猛暑に山麓や海辺へサイクリングどころか
朝夕の散歩にも出かけないで甲子園球児の熱戦を
追いかけたりしている運動不足な今日この頃だが。

お盆の里帰りを背景に家庭内で身心のかかわりが
ずたずたにされ身体性が剥き出しになったような
出来事や事件のニュースがいっそう目につくようだ。

戦後の暮らしの中で良きにつけ悪しきにつけ家庭や
職域や地域に根付いていた枠組みや箍といったものも
近代化とともに枯れ果てそれに変わるものが育たない。

世俗的な処世も薄まり金の力にも頼れないまま
手ぶらで事にあたらなきゃならないとしたら相手と
実力行使ができない距離に遠ざかるか近づくしかない。

強うそうなカマキリを見つけては闘わせたりした
かっての夏休みの惨劇が季節を選ばず庭を飛び越し
解体した茶の間を舞台に見なきゃならなくなるとは。

昆虫が擬態で目眩しするような「公安9課」の活躍が
面白いアニメのボックスセットを見返したりすると
残暑の彼方へ逃げ水のように“もののあわれ”が消える。

アブラカダブラ蝉(07.08.10)

立秋も過ぎ陽射しも傾いてきたのに
暑さの峠がなかなか越えられない午後は
庭の桜や松の古木を響かせるように蝉が群がり
地中にひきこもっていた手記を蝉殻に残し
失ったコトバの深みに炎天下で共鳴するだけ。

ギブアップした草むしりをいいことに
伸び放題の雑草と庭木の共存はどうか
親子の殺し合いのような庭の蜘蛛の共食い。

昆虫採集するまでもなくガラクタみたいに
デジカメでPCに溜め込んで眺めたり
あれこれパッチワークみたいに並べ替え。

とりあえず年金生活者へ脱皮したのに
あいかわらずの落ち着きのなさというか
気のバランスの乱れでHVも慢性化するか?

ストレスを溜めるなといってくれた
医者の言葉を聞き流すしかないような
陽が陰った頃合いに井戸水をたっぷり
庭に打ち水すれば束の間の涼が吹き抜け。

夏の帽子探し(07.08.07)

夏場に体内の他人に出会うみたいに
体調がおかしくなって集中を欠きながら
放置した書類やコピー等の処分など。

〈溺れた友を見放し
塾に向かう中学生の切り換え
鮮やかに常願寺川の夏を越えて(78/7/22)〉

30年ほど前にワープロで打ち出した
紙切れがいくつか出てきたりすると
遥か遠い自分の影が通り過ぎたようだ。

暮らしの関係の過疎化に縛られたままだと
アジアの目なし帽を被らされ身内をたらい回し
いつも履物を間違えてばかりで互いに出会えそうにない。

虚弱児のくせに頭の鉢だけは大きく
合うものが無くて帽子嫌いになったが
川釣りや山歩きやスキーには欠かせない。

裸足より履き心地の良い靴なんて
見たことも触ったこともないけどいつも
被っていたくなるような帽子はあった。

どんな線を辿って(07.08.03)

台風5号を引き連れた梅雨明けの暑苦しさに
原油高騰に合わせたみたい温度計も上がりっぱなし
昼寝にも読書にも身が入らなかった昨日の昼下がり。

縁側から階段でつないだ離れの書斎の引き戸が開き
見知らぬ男の子が顔をのぞかせお邪魔しますだなんて
先月退院した娘を訪ねてきた女友達の息子を招き入れ
本とパソコンしかないよというと“ほんとだ”と返された。

気ままな昼下がりのひと時を分断されてしまったが
たまたま目についた青いLANケーブルに導かれるよう
辿ってきた男の子は里帰り中の孫と同じ小学1年生。

おそらく若い母親の大部分は子どもらから
ずたずたにされる時間をつぎはぎしながら
みずからをやりくりするしかないことだろう。

今どき親は子どもの時間を分断しないように
夫は妻の時間を分断しないようにだなんて
思いやりに先立つ家族の一体感はどこへやら。

一線を引き忘れて飲酒運転に走ったり
夏巡業をボイコットしたスポーツ選手や
選挙民が出した審判カードの色も分からず
アイムソーリーを繰り返す政治家の夏姿が。

なんとか間が合う(07.07.31)

もう7月も終わりだというのに朝晩が涼しく
夏本番は何処へ行ったみたいな週明けだが
担当科目の採点データFDを返信用封筒に入れ

ポストに放り込んでから簡易書留手続きの
窓口処理忘れに気づいたりする夏休みボケ
休日を選んだみたいに給湯器が故障したり

水洗トイレがおかしくなったりするたびに
なんとか家の中だけかろうじて動けるような
老人でも使えるようなたらいや簡易トイレなど

急場しのぎは思うだけでなかなか準備できず
わが家の新築時に井戸を掘ったがその後に
水道も使えるように水枯れに備えてきたが

近所で道路の融雪装置が稼働しても水脈が保たれ
枯れて衰えゆく身体の可動領域を保ちつづけるには
静止画を動画として見るような動体視力がないと

思いがけず1年半ぶりに孫らと再会したり
教務課に届けたファイルが暗号化されていて
読めない電話があって印刷データで再送したり。

梅雨明けしたみたいな午後の夏空(07.07.27)

街中じゃあちこちクレーンがにょきにょき
ビル建設が目立ってて郊外のわが家の辺りだと
住宅やアパートの新築が盛んで午前中は作業停電。

PCが使えず前期司書科目の採点作業も
中断せざるを得ないから学生が自ら考えたテーマで
図書館で調べ物をしてまとめたレポートを見返す。

それぞれ身近な図書館で当たりをつけただけの
中間レポートから調べ方の目鼻がついてきた期末には
パスファインダーのひな形ができ上がったりする。

一昔前のスポ少バド環境だと基礎的なストロークも
打ち分けられなかった小学3年生が練習を積み重ね
6年生の市の大会で3〜4回戦まで勝ち上がることも。

調べものの部屋のドアの開け方が分かってくると
次はどのドアの向こうに続き部屋があるか見当がつき
やがて見たこともなかった窓からの眺めを手に入れたり。

身体の未知の感覚を開くようにいろんな頁を紐解き
見掛け倒しじゃない初心者の上達を楽しむ姿を時と
所を変え引きずり出された教室の中で見られるとは。

小手先じゃどうにもならない(07.07.24)

久しぶりに日の出散策したらとても爽やかだったが
先週土曜の湿っぽい体育館で夏休みに入った子どもらに
バドミントンのノックをはじめたらいつもやってきた
打ち方を忘れたみたいに利き腕を振り上げきれない。

他のコーチもそれぞれ子どもらの相手をしているし
基礎的なストロークを打ち分けるレベルに達しない
今どきの上級生だと昔のように代わってもらえもせず。

どうやら手先の痺れと震えでラケットのアンダースイングが
ままならないままなんとか腰と股関節で振り抜くようにして
子どもが手渡しするシャトルをネットの向こうへ打ち終えた。

今のような季節は過換気になりやすいのかもしれないけど
手足が冷たく呼吸は浅く胸も窮屈になってきちんと打てないのは
全身を使わず小手先だけで飛ばそうとしてきたツケが払えてないから。

翌日曜は他校下の子どもらとの交歓試合ということで
持参したバッグからデジカメを取り出し写そうとしたら
望遠を標準に付け替えてなくてなんとも暗い写真ばかりに。

無事試合も終わり暗幕を引いて明るくなった体育館で
とにかく勝つことがすべてみたいな相手チームの年配コーチの
話しぶりがスポーツ少年団向け手あかのついた薄汚い幕引き。

よっぽど勝ち負けだでしか見きわめられないような
人生を生き通してきた人ばかりが子どもらのスポーツに
かかわっているわけでもないだろうにとかく学校や家庭で
居場所を見失いがちな子どもらでも笑顔で楽しめるひと時を。

練習で汗を流したわけでもないのにぐったり疲れて帰り
届いたばかりの面影ラッキーホールのシングルCD+DVD
「パチンコやってる間に産まれて間もない娘を車の中で死なせた・・・夏」や
旧譜に聴き入っていいるうちにすっかり不調も持ち直せてラッキー!

言葉の誘蛾灯(07.07.20)

ぐずついた毎日に昨日のような夏空が
一枚加わっただけで身体も夏仕立てへと
切り替わっていく肌触りが際立つ月影。

一昨晩の西空の雲間に低く輝いた赤い
クレーターの位置を昨晩は見逃してしまい
玄関灯の壁に留まった小さな蛾の模様を写した。

巨大テント内に舞う蝶の群れを見上げたり
水田の誘蛾灯の下に張られた水に浮かんだ
大小さまざまな蛾の模様が夏の記憶を呼び寄せ。

風まかせでひらひらゆくえ定まらぬ蝶や
はたはたとあてど無さが頼りの蛾の軌跡が
蜘蛛の巣に搦め捕られた姿が夏の宿題だった。

学生が司書資格を取ったって就職のあてなんかない
図書館現場がらみの発言をネットで覗いたりすると
まだ実名も名乗れないような物言いのレベルなのか。

雲を掴むようなブログに代表されるネットの
書き込みがいつになったらその匿名性をかなぐり捨て
戦後を脱皮してほんとうの言葉を獲得するのか。

休日の街飾り(07.07.17)

連休の台風の雨風だけじゃなく地震の揺れも
立山連峰が吸い取ってくれたんじゃないかって
新聞記事にあったのも頷けそうな梅雨明け前の空。

たまたま昨日の朝10時過ぎは高速バスに揺られ
午後の大きな余震も路線バスの中だったりして
携帯のネットニュースを見るまで知らなかったのだが。

近所を巡る路線バスの間引き運行とは逆に
高速バスの増便が繁盛ぶりを物語っていて
その主役はやっぱりおばさん消費パワーかな。

地元の街中から隣県の街中まで直行できて
千円払っておつりと500円の商品券をくれたら
おじさんだってJR離れしたくなるかもしれない。

久しぶりの美術館歩きと散歩で腹も減り
ビル食堂街のラーメン屋に入ったら映画で見た
「下妻物語」から出てきたような二人連れと隣り合わせ。

親に金を出させて今どきの中学生もやるじゃないか
彼女らはれっきとした社会人だよとヨメがこっそり
身銭を切り休日を飾ってパーフェクトなロリータファッション!

響き溢れ(07.07.13)

今どきの空模様に左右されたみたいに
フットワークも湿りがちで隣県開催中の
「うめめ:ここは石川県の部屋 梅佳代写真展」を見逃しそう。

馴染はないけど写真界の「サラダ記念日」みたいに
なにがなんだか分かんないけど今が旬とは何か
撮り損なわないよう追っかける視線が面白くて。

むずかしいことだろうけどその時々の自分の
根拠を見つけ自己模倣の落とし穴にはまらない
表現者はその生き難さゆえに見るものを動かす。

ピート・シガー・セッションバンド演奏で
ルーツ・ミュージックへの本卦還りを楽しませた
B.スプリングスティーンのダブリン・ライブ!!

還暦をすぎた大御所に成り果てることなく
過ぎ去りしを忘れずこの先を見つめて歌う
B.ディランはとても耳だけじゃ聴ききれない。

その時その場で行き交う人々それぞれの
いま・ここが響きあい共鳴するような拍手喝采から
群がる蛍が明滅を共に一斉に樹木を輝かせるまでに。

自在な回り道(07.07.10)

辺りの宅地化が進み人も車も増えたのに
田んぼを買って家を建て住み着いた時から
狭く入り組んだ家庭事情は大して変わらない。

あちこち散歩や自転車散策をしてきたのに
梅雨の晴れ間の夕方の散歩ルートを外れてみて
はじめて周回万歩コースに行き当たったなんて。

人脈とか調べものとかのネットワークも
とかく固定したルートを頼りがちだけど
予想もしない手応えは違うルートから?

結婚とか就職のような人生の大ごとから
立ったり座ったり歩いたり曲がったりを
どうするかみたいな些細な気づきまでが
拡散するルートからもたらされるようだ。

トレーニングのメニューにも入ってない
簡単な気づきと身体使いで力が出るように
あさっての方角からの口利きで働いたり。

ひと処に住み着く慣れも違和もそのままに
柔らかく居着かない身心のネットワークが
崩れ果てたように主人のいない廃屋の姿が。

毛虫の露払い(07.07.06)

あちこちで家族と家庭の事情がらみ事件だが
それぞれの表向きが持ちこたえられなくなって
表沙汰になるまでの裏の受皿が日々割れ果てたか。

別々の用事で夫婦一緒に出かけたバスに
ヨメと一回りも二回りも年配の知り合いが
乗り合わせて干支の同窓会みたいな話しぶり。

ともに亭主に先立たれ車を乗り回さない
一人暮らしをささえる歩きの豊かさで
路地裏を次から次へと一筆書きして見せる。

年季の入った周りに合わせ過ぎない
がさつさが乗り合いバスのひとときを
かけがえのないものとして走り抜け。

梅雨の晴れ間にカメラを庭に持ちだせば
またもや虫食いだらけの庭木の葉っぱが目につき
やおら殺虫剤を撒けばポトポト毛虫の雨あられに。

どうにも避けたり逃れられない日々の
待ち受け画面を人知れずささえているそんな
かかわり合いを探すようにファインダーを覗く。

からだは東にこころは西に(07.07.03)

西隣の住宅建築騒音が一段落する間もなく
東隣からものべつ幕無しひっきりなしに響くが
せめて土・日ぐらいは休む配慮も皆無みたい。

在宅生活者にもまして勤め人の休日がうるさく
たまったもんじゃなかろうがあれこれ算段して
不完全燃焼の給湯器を取り換えるのとは訳が違う。

越してきた当時はあたりまえに光っていた蛍が
消えたように隣近所の暮らしをそれぞれ保つような
つきあいネットワークも様変わりするしかなかろう。

おそらくいろんな苦情が持ち込まれているから
工事現場近くの住宅に駐車中の車にダスト・カバーを
かけてまわったりしているのだろうが過剰演技じゃないか。

よき親よき子どもによき上司によき部下から医者と患者まで
家庭や地域や職域だけじゃなくあらゆる場面の立ち回りが
どうにも被害者と加害者みたいな役回りになってしまいがち?

静止あるいは飛んできた物体を打ち返すのに肘の
抜きと手首の返しが大事などと散々言われたりするけど
それに必要な股関節の使い方に気づくまでが面白い。


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