十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)

最終更新日:2007/01/02

暮れの見もの聴きもの(06.12.29)

年の瀬の午後(12/24)を駆け抜けるように
ひとときを波打たせてくれたディープインパクトの
ラストランをテレビで見たあとは何も手つかず。

そんな夕食後にテレビ放映された日本人の
ジャズライブが薄味だった耳直しみたいに
初聴きしたのがカレン・ドルトンの復刻CD。

かってLDで見たルー・リードのバックコーラスが
きっかけで聴くようになったジミー・スコットとの
出会いを思い出させたりする歌い手の1枚じゃないか!

二人の聴き比べはまたのお楽しみとしてイブは
クリスマス特番のつまみ食いに飽きそうになったが
「謎のホームページ サラリーマンNEO 冬のスペシャル拡大版」で眠気が失せた。

コントやギャグや体操などで世相だけじゃなく
メディアリテラシーや脳科学の流行の学者まで
引っ張り出しいじり倒して見せたNHKの凄腕。

民放が真似られないようなバラエティ番組だったら
モンティ・パイソンなどレンタルしなくたっていいし
NHKならではのコメディで立派に視聴料も取れそう。

そのうちベスト盤を買いたいと思ったりしていて
ラジオでの出会いが古くさくそして新しいぶっ飛びやろう
桁外れに凄いジェームズ・ブラウンが亡くなっただなんて。

柔らかな回路(06.12.26)

先週半ばに今年最後の授業に出かけた折り
学科長から来年度もよろしくと更新のお願い
頼まれて足掛け4年でこの先どうしようか
あれこれふり返ったりするのも時節柄か。

淡いサングラスを今年から使いはじめたのも
いつも授業で使うノートPC画面だけじゃなく
二十歳前の教室の若さが眩しくなったのだろうか。

授業前のマナーモードに夕食は近所のお店で
ヨメからの連絡を弾みに2コマやっつけ
帰りのバス渋滞が気にならないようiPodで
聴いた今年のピアノトリオ演奏CDだが
ヘルゲ・リエンの新作が直木賞モノだとしたら
芥川賞モノ演奏はブラッド・メルドーの新作か。

有線のジャズが心地よい鮨盤で味わった
ひと足早い春モノメニューでビックリさせ
クリスマスプレゼントだといって若旦那が
開栓した27年モノのボトルを当てろだなんて
冗談ではない立ち上がりはまったく未知のもの
その先は草原に横になって風に触れたみたいだった。

ゆっくり空けたボトルをもらって帰れば
飾った部屋に自然への通路の名残が香り
漂ってきそうな質感がいざなう出入り口も。

“毒”後の良薬(06.12.22)

一昨日の朝からの見事な「冬晴れ」もその日限り
冬以外では「秋晴れ」はあっても「夏晴れ」とか
「春晴れ」なんて聞いたこともなさそうだが。

面白げにヨメが読み終えてた『名もなき毒』の中で
宮部みゆきが描いた「原田(ゲンダ)いずみ」が
遺憾なく発揮していた疫病神ぶりが彼女の出生の
どのあたりに由来したのか書き込んで欲しかった。

いつの間にやら女の職場と化した図書館現場を
通り抜けるうちに出会った何人かの人物像を
重ね合わせられたら「いずみ」の毒気に負けず
劣らずな秘密が彼女らの幼少期の家庭にありそう。

自分らの子育てが良かったか悪かったか
成人したあたりから家庭だけじゃ収まらない
要素も加わったりして今さら何とも言えない。

乳胎児期から物心つくまでの第1幕に始まって
思春期をどう抜け出られるかまでが第2幕か
家庭と仕事の行ったり来りで明け暮れした
第3幕が閉じたあたりから未知の第4幕へと。

ただ第1幕から4幕まで切り替わるそれぞれの
幕間で人知れず仕込まれた毒に彩られたりする
楽屋裏から表舞台まで人生の四季折々の晴れ間も。

何が「普通」か(06.12.19)

いつも目にする山岳地帯はもう真っ白になって
ふと足裏から滑る感触が立ち上がりそうなのに
スキー場開きした斜面あたりはまだまだみたい。

全国的なノロウイルス感染にやられただけじゃなく
年末商戦を向かえたカキ業者が風評被害にあったり
世の中は勝手な出来具合で動いていくみたいな
どうにもならずなんとも出来ないことばかりが。

どうせひとつの現実しか生きられないからといって
にっちもさっちもいかない時こそ偶然の出会いを
探し続ける多様性を保つ生活者の全体性は閉ざせない。

なにがあってもおかしくないご時世で
どのような事柄に立ち至ろうともどこかで
心体は手つかずの働きを隠していそうだから。

ヨメと二人で全集本を2階から下に運んだ手触り
日々の暮らしの掴み所が揺らいできた1970年代の
はじめに入ってなんとか所帯を営んできた折々に
読み返した中の一冊漱石の『門』の崖下の家の息苦しさ。

今日この頃の平均的な蓄えの統計的眺めだと何かと
稼ぎを閉ざされてもとりあえず1年は食いつなげそう
そんな夫婦像にはお互いが生き死にかなわぬ不自由さも。

窓際の眺め(06.12.15)

新聞記事検索演習の問題をやっていた学生が
Web教材のリンクサイトで共同通信配信の記事が
調べられないといってきたけど先月まで無料で使えた
“シーサーくん”が12月から有料検索に衣替えしてたんだ。

なにせインターネットが出回りはじめたころは
朝日の記事もただで検索できたくらいなんだから
その後は有料囲い込みコースが待ち受けているわけ。

とはいえ金脈・人脈に無縁の頼まれ「非常勤講師」には
無料で使えたネット検索教材がまた一つなくなった
ということでだからどうした打つ手なしでいいのだが。

かろうじて国立大学は図書館職員枠を持ちこたえて
いるようだけど私大ではなくなったようなご時世で
図書館就職の見込みが立たない司書課程の学生と
「図書館学」界に無縁の元図書館員くずれが向き合っている“教室”!

アジア的“ディスコミュニケーション”が骨身に
しみわたっていてよそからの借り物ではない日本の
商的取引では古くから接待や談合や根回しが欠かせなかった。

60年代の大学図書館の窓口で知りあった学生と
赤提灯へ飲みに行ったり70年代初頭に配置替えになった
分館の図書委員会が決める学生用図書に『吉本隆明全著作集』を
潜り込ませたら民青にいじめられてないかと全共闘系学生がやってきたことも。

80年代に転勤になった医薬学系大学図書館では
あれこれ利用学生とのやり取りがあったり卒業時には
着飾って事務室に押しかけてきたりその後も何かと総合図書館で
接した学生らと教室で相対してる学生らの「像」の違いはどこから?

冬支度でも(06.12.12)

昨日みたいに穏やかな陽射しの日和だと
とにかく散歩かサイクリングが一番だが
何をするのもお天気次第みたいなことに。

立ち寄ったホームセンターで除雪用具や
融雪用品を見たりしていると記憶に余る
除雪作業の手応えといえば二度の豪雪かな。

たぶん体力も気力も衰えつつある今のほうが
ガムシャラにならず疲れすぎず足腰や腕っ節に
なんとか負担の少ない道具の使い方が出来そう。

竹や木や鉄でできた刀を振ったりする以外は
全集本や大型本と使い古したパソコンなどの
物置になっていた2階の二部屋を暮らせる場に。

持ち上げて抱えたり袋でぶら下げ運んだり
そのときどきの姿勢の体内感を無意識に
確かめるように日常そのものを愉しめたら。

家は容れ物とはいうものの幼くしては親と
長じては異性との出会いに失敗せざるを得ない
場としてそれぞれ組合せに見合った悲喜劇の舞台に。

裏か表か逆さまに(06.12.08)

屋根雪が積もる前の背戸の雪囲いだが
上下や裏表を間違えたりはしないけど
庇に立てかける柱や金網入り波板の木枠の
順番や位置表示が風化して読取りにくい。

見慣れた地図も逆さにひっくり返すと
なんだか違った世界へ旅立てそうな
富山名物じゃないけど“さかさ地図”。

この「環日本海諸国図」と1914(大正3)年の
「海陸軍用・極東全図」や1941(昭和16)年の
「大東亜共栄圏地図」を見比べた人が語っている。

「いま、憲法がとても軽く扱われています。
憲法と現実との矛盾があれば、いとも簡単に憲法のせいにされてしまう。
日本国憲法には、この国の過去を踏まえながら未来を見通した様々なメッセージが包み込まれています。
それを再発見し、読み解くことは、この国の将来のためにとても大切なことだと思います。」(水島朝穂)

1934(昭和9)年の「東亜太平洋地図」が記した
「非常時国防一覧」から現行憲法の誕生に至った
産湯がどのようなものであったか辿り直せないか?

日本の戦後を生きこれから生まれくる子どもや
孫らにどのような産湯を使わせてやりたいのか!

落とすも拾うも(06.12.05)

うっかりでもなくひょいとでまかせみたいに
先日も教室で喋ってて、いろいろある通信の歴史で
コンピュータによる通信は“ディープインパクト”の走り
じゃないけど最後尾から飛びだしてきて先頭に‥‥
なんて馬鹿げたたとえ話をやらかしてしまった。

前にもコンピュータ目録作業演習でだったか
本や雑誌その他の書誌的なコントロールあれこれに
かかわって振り回されるうちに白髪のお爺さんに‥‥
と脱線しかかってムニャムニャ喋り濁したことが。

ながいこと図書館で働き何を培ってきたのやら
毎回いま・ここで何をどう取り上げて喋ろうか
取りこぼしたところは学生さんの自学自習まかせ。

野山の一本の木が育つのにいったいどれくらい
犠牲になって枯れていった植物を数えることに
遠目にはほどほど内に入りて相うちとけようにも
疎遠をもってよしとすべきご時世でも夫婦模様は?

あちらこちら思いださずに忘れずになんとかやって
日々の合間にさりげなく配慮を分けあったりしながら。

師走のタテカン(06.12.01)

紙の新聞はとっくにやめちゃったし書斎の
アナログテレビも駄目になってパソンコンで
新聞や地上波放送を見たりしていると地デジ
放送が全国47都道府県に拡大だなんて一般大衆に
余計な出費を強いることになりかねないじゃない。

まだ光ファイバーが普及していなかったり
電波が届き難い地域への配慮も必要だろうが
新たにアンテナや受像機を買い替えなくとも
家庭にあるネットワークパソコンでブロード
バンド受信できれば手軽で安上がりだろうに
放送と通信で著作権の扱いが異なるにしたって。

リタイアした職場の前を週に一度ばかり往復してると
とにかく弱者切り捨て小泉行革のお先棒を担ぐしかない
末端官僚にカネがないからと首を切られた部下のその後など
学校も家庭も日々過ぎるというより追いつめられているのかも
かろうじて学祭になるとチラホラする「立て看」も普段はどこに。

本屋に入れば新書棚の太田・中沢著『憲法九条を世界遺産に』の
タイトルからして年を越えるタテカンのようだし喧伝された
「格差社会」にはタカアンドトシじゃないけど“欧米化!”のタテカンでも。

日々割れる(06.11.28)

寒々と晴れ上がった土曜(11/25)の朝のFMで
心待ちしていたライ・クーダー特集を聴けば聴くほどに
インでもアウトでも呼び寄せられる彼のギターの響き。

陽射しが上向く窓の外の椎木の梢に小鳥が
胸から腹に延びるネクタイの幅が違うオスやメスが
どれが番かも分からないくらい庭木や向かいの電線に。

手もと用メガネを双眼鏡に換えればシジュウカラの嘴に虫が
丸い視界の外へ消えた動きを裸眼で追いかけられず
急ぎ遠近メガネにかけかえたときはどこかへ飛び去ったあと。

紅葉を横ぎり色あざやかに動悸が通りすぎ
家並の遥か向こうに浮き上がらんばかりに白く
輝く山々の静けさに抱きとめられた眺めに、

36年前の11月25日に結婚した仲間がいたんだけど
二人とも敬愛していた思想詩人の誕生日だと知ってて
挙式したのかどうか確かめないうちにひび割れてしまったが。

割腹自殺した文学者に驚かされた日でもあったよね
などとよもやま話のゆきがかりかどうかしらないが
鯛の刺し身まで並べたヨメと白ワインで乾杯なども。

どのようにでも(06.11.24)

さて晴れ渡ったらまずサイクリングみたいな
冬前のつかの間の日々の繋ぎ方をしていて夏場に
飽きずキーボード作業のお伴にストリーミングした
ミュージシャンのアルバムを見つけて買ったら
抱き合わせDVDの一発録り録音セッション風景に
季節を過ぎて文通相手に対面したような懐かしさが。

ピアノトリオCDをかけてくれた店主が
”わたしにはピアノがわからない”だなんて
淹れてもらったコーヒーを美味しく頂いたように
聴く耳があれば古いとか新しいにかかわらず愉しめる。

大なり小なりさまざまな歴史に取り囲まれ
その間をふらふらいったりきたり仲立ちする
遺伝子や言葉や風俗習慣が染み込んだ身体の
運動性そのものを聴き分けるように生きること。

教え教えられて分かるとか分からないとか
しょせん影響なんて絵空事の遥か彼方へ遠ざかり
見いだされた高次の自然に心と身体でどう働きかけよう。

縁がうすくなった金魚すくいからスーパーボール
すくいに引き継がれている何ものかが幾つになっても
遊び遊べることのなかに隠されていて呼吸も楽になったり。

枯れ葉舞い上げ(06.11.21)

いよいよソックスで足元を温めだした日曜の午後
冷たい雨足が駆け抜けた東京国際女子マラソンの
テレビ画面を届いたばかりのDVD画面に切り替えれば
ジェームス・テイラーと彼を取り巻いた素晴らしい
ゲストらによるパフォーマンスにいつのまにか温もる。

久しぶりに晴れた土曜はスポ少バドミントンの
子どもらの試合を見がてらの紅葉サイクリングじゃなく
JRで鉄道ファンでもないのに今月限り廃線になる
神岡鉄道の往復と神通峡の紅葉を眺めに出かけた。

弁当も買わないで乗った一両編成の高山線は
始発から乗客が多く猪谷で連絡良く乗り継げた
二両編成の神岡鉄道になるともっと混みあって
なんとか走り出したところで本日は温泉の団体客の
予約乗車がある14時過ぎの帰りの列車に積み残しが
出るかもしれないなんて車内放送に無言で“おいおい”!

だったら老いた母を家に残して夫婦で温泉一泊
なんて洒落込むわけにもいかず現地調達した昼飯も
そこそこ午後の陽射しが閉ざされ風が冷たくなった
ホームに並ぶ列に付けばヨメはコーヒーをテイクアウト。

止まっている車両の前顔と横顔しかデジカメに
収められなかったけど沿線の雑木やススキを揺らし
枯れ葉を舞い上げ通り過ぎていく走りの後ろ姿は
川面を吹く風に震えて映る紅葉のざわめきとともに。

変わり目や境目が(06.11.17)

バスの車窓から濡れ黄葉の街路樹を眺めたり晴れ間に
雪吊りの終わった庭掃除をやったり秋の終わりと
冬の入り口を行き来するボージョレ・ヌーボーの味わい。

世界バレーの日本女子の試合とNFLの好ゲームの
チャンネルを切り替えたりしているとどうしても
アメフトに傾いてしまうのはゲーム空間と選手の数の違い。

“ニッポン”コールはサッカーなどでもお馴染だけど
そもそもいつから「日本」という名称が使われだしたか
先だって亡くなられた歴史学者の本に説明があったり
新着雑誌を拾い読みしきれずコピーしたりするうち
図書館に傘を忘れたり授業後にノートPCを置き去りしそうに。

男子選手も率いたことのある女子バレー監督が
はなまるカフェのお喋りで女の統率が難しいというより
楽しんでいる様子だったが花を枯らさない水やりも。

かって働いた図書館の職場もいつまでやるのか
司書課程の教室もスポ少バドミントンも女だらけ
接するバランス目盛りは猫の目のように読み取り難い。

見渡せば(06.11.14)

先週末からめっきり寒くなって山雪も
そろそろ500mあたりまで下りてきそうで
町内を散歩するご老人もなんだか寒そう。

450戸ぐらいの町内で75歳を超える住人が
114人と最近の会報に載っていたようだけど
お袋以外のご老人のことはほとんど知らない。

だいたいどの家にどのような年配者がいるか
幼いのに何となく見当がついていた田舎暮らしの
頃の生活感覚とはずいぶん違ってしまっている。

老いて死と向きあうように生きていた姿が
実像として遠ざかる一方でいじめを苦に
生と死を切り替える小中学生があちこちに。

数少なくなってきた集団登下校する近所の
子どもらを見かけても誰がどの家に住んでるか
ほとんど分からなくなってきてしまっている。

学校の成績や就職先を詮索されたり年ごろに
なったら縁談まで持ち込まれ持て余した風土は薄れ
もの心つくまでの起き上がり小法師はどこへ?

その場限りか場当たりか(06.11.10)

どれほど読めているかどうか分からないけど
日頃から手にしたりしている著書の作者二人を
テレビで見かける機会に今週は恵まれたのだが。

NHKや民放で折口信夫へのこだわり方の話しぶりや
古武術を介護に活かす身のこなし方など見聞できたが
まったく分野の違う二人の柔らかさが似かよっていて、

芸術人類学者の喉仏の柔らかな動きに見とれ
技を試し息ひとつ乱れない古武術探究者の所作など
それぞれ肩の力が抜けきった声が響く話しぶり。

たいがい企画・制作とか編集・刊行の手続きを経て
読者や視聴者に「読みたいもの」や「見たいもの」など
届く仕組みになっている現場そのものが荒れているんでは?

道場に出向いた水曜担当レギュラーが体験取材して
いい形で持ち帰った術もスタジオのレギユラー
10年男女タレントの杜撰でお粗末な技でぶち壊し
がっかりしてビデオ出演していた古武術探究者の
ホームページを覗いたら当該番組の出演料を断って
もうテレビは出ないなんて事の成り行きがうかがえ。

追っかけ著作リストみたいなことを続けていたら
とんでもない編集・担当が紛れこんだりするのか
どうしようもない著者の扱われようが見え見えで
勝手に原稿が弄られたり発言内容がずたずたにされた痕跡も。

老い支度(06.11.07)

近所の行きつけのお店の秋の味を楽しんだり
晴れ上がった秋空のサイクリングや夕暮れの
散歩も立冬めがけたみたいな寒気で遠のきそう。

どうにも近くの美容院や郵便局への歩きもおぼつかない
お袋の散歩代わりに車椅子じゃどうしようもないなど夫婦で
話しながら散歩ついでにヒーターと台車を買い載せ帰ったことも。

体の筋肉の2/3は足腰だろうからとにかく
お袋がペンギン歩きみたいなことになるまえに
近所を散歩して欲しいと二人で話し合ったりしながら。

自分の足で庭に出たり杖をついて近所の散歩など
幼児と同じで老人も本人がしたがらないことを
押しつけるとぎくしゃくして間が悪くなるだけ。

朝のテレビの介護番組で武術研究家が椅子から
立たせたり歩かせたり座らせたりさせられる相手も
やっている自分も互いに負担にならず楽そうにやっていた。

手癖足癖みたいになった気持ちの持ち方に居座らず
僻むことなく気心が通いあう老いの場を保ち続けながら
お互いが自然な老い方をまっとうできる道はまだまだ。

授業の合間に(06.11.03)

数年前に「情報」が高等学校の必須科目に
なったからといって「情報機器論」を履修する
学生の雰囲気がちょっと違ったという気はしない。

家庭から社会への橋渡しをする通過儀礼みたいな
学校の通り抜け方をした者にとって“いじめ”は
学校教育につきまとう厄介種として耐えるしかない。

小学校から中学校へ“いじめ”持ち上がりだったら
せめて高校は誰それの影の及ばないところを探し
新たな級友や先生との出会いを作ることもできよう。

早くから家族でも親戚でも町内や学校でも
とにかく年齢や性別にこだわらない誰かと
かけがえのない愛憎を酌み交わしておくことだ。

いじめたりいじめられたり黙って傍観したり
三つどもえの構図がとかく集団の裏につきもの
揺りかごから墓場まで抜けられないとしたら
その場その場に応じて打たれ強く生きるしかない。

“きもい”から相手をするなとか“うざい”から
苦手だとか子どもらや学生がいろいろ言ってる
あれこれすべて“可愛い”と働いている人たちもいる。

秋のはじっこから(06.10.31)

10月も20日過ぎとなると山や川原など
紅葉に向かいがちな目線を変えて岩瀬浜へ
海と空をくっきり分け富山湾の秋が延びる。

いつもの常願寺川沿いのサイクリングじゃなく
自宅からバスで富山駅北口に出たところで
初乗りしたポートラムも土曜の午後の混み具合。

乗り合わせた高校生の肩に高岡南高校で発覚し日本の
あちこち飛び火した“必須科目単位未履修”の補習の負担が
どうしようもない学級崩壊”に続く“教育破壊”もとどまることなし。

砂浜に若いカップルというより子連れ夫婦そのほか
海辺のまばらな釣り人や波間のウィンドサーファーの肩や
背を揉み解すように秋風が吹き抜けやがて陽射しが傾いて。

浜からぶらぶら引き返し造り酒屋のワインセラーを
のぞき見し横のそば屋に入ろうにももう閉まっていて
週末や休日を楽しめるテント広場や屋台村のひと時はどこに。

競輪帰りの小父さんやギャルに混じり路面電車の
窓から色づいた西空を眺めながら帰る乗り心地から
吐き出された駅ビルで二人の喉を潤しバス時間待ち。

素敵なリメイク!(06.10.27)

何となくリメイク物の良さについてでも
書くつもりでPCに向かったつもりなのに
キーボードで違うことを叩き出すことに。

勝つというより負けない落合中日ドラゴンズ野球も
5試合で8点じゃヒルマン日ハムの繋ぐ野球に勝てない
よもやの日本シリーズの展開でSHINJOが最後の打席に。

谷繁捕手の“泣くなよ真っ直ぐ投げるから”に
思い切った空振りで応えていたなんてまるで
野球少年漫画の1ページをめくったみたいだった。

レギュラーシーズンを勝ち抜きプレーオフを
勝ち取るうちに短期決戦の戦い方を身につけた
日ハムに対して中日のセリーグを勝った勢いはどこへ!

44年ぶりと52年ぶりどちらが日本一になるか
似たような実力チームの戦いだったのにやはり
1998年のパリーグ優勝を逃したシリーズを最後に
引退した日ハム相手に監督として半世紀を超え
中日の優勝をリメイクするプレッシャーも?

マービン・ゲイの名盤“ワッツ・ゴーイング・オン”を
35年ぶりにゲスト・ボーカルを迎えてリメイクした
ダーティ・ダズン・ブラスバンドやビリー・ホリデーが
いまを歌っているみたいなマデリン・ペルーの新譜を聴きながら。

練習の合間に(06.10.24)

よそ様の車で眺める空き地の雑草を仕分ける
ススキやセイタカアワダチソウに川原を埋めた
コスモスなどサイクリングとは違った秋の眺め。

快晴に恵まれたスポ少バドミントン恒例の
日曜バーベキュが始まるまで動物巡りの散歩など
デジカメを向けたらキリンが顔を寄せ
猿山では去年母猿べったり小猿がひとり柿食う。

バードハウスで小鳥の飛び方の違いで種類が
見わけられるか試そうにもなんだか建物が狭すぎ
あきらめて出たところにお迎えで会場へ急いだ。

二人ともお父さん方と監督が囲むテーブルへ
焼き鳥には発泡酒だけじゃなく飲んだことのない
“ホッピー”なんて選択肢もあっていいんじゃない。

週2で体育館に集ってくるこの頃の子どもらは
基本練習に集中したり怠けたりそのどちらにも
積極性が足りなさそうに見えたりしていたのに
帰ってまだお父さんと打ちたがる子がいたとは。

普段から言われている“心・技・体”というより
〈技・体・心〉みたいに身体を技化する心の座を
体に見つめ直す子どもや高齢者の運動のし方も。

「愛」と切断(06.10.20)

名前を「ヒュウマ」にしましたと言うのを
まるで“親父の快挙”みたいに受けとったのは
医学図書館の朝の事務室じゃなかったか。

26年前のことなど思い起こさせる彼の息子の
「遺作」が掲載された雑誌をようやく手にし
〈鬱病〉療養中だった〈生活者〉と「アパシー」を
書いた〈作者〉と作品に登場する〈私〉を
読み違えないようにページをめくる難しさが。

序章では私の変調が身体的なのか心的なのか
はっきりせず分からないままどこまでも感覚や
感情の退行が続いて極まった非存在の井戸から
汲み上げられてとどまらない「自殺願望」とは。

自然ー観念現象をたどった伝記的短章では
〈私は・身体として・いま・ここに・ある〉
人間の現存性を支える根拠が実在性の次元で
身体が客観的にあるにもかかわらず〈ある〉と
感じられなかったり否定的な〈ない〉に傾くばかり。

「人生相談」を試みたり「怒り」をぶっつけ
「彼女」への「遺書」みたいに綴ったあとで
「カッパ」問答でおどけ「被告問答」に擬し
「老婆のひょっこり話」を挟んで「便所の落書き」
などと自作解説までやってのけるためらいと動機。

私と社会の〈いま・ここ〉を繋ぐ扉をめぐって
自己存在から〈関係〉として引き剥がされるように
分離せざるを得ない自己がしきりに「ピキー」と叫ぶ。

貧乏ゆすりや痙攣を繰り返す身体とそれを
止めようと思えば止められる身体をつなぐ
私の座がどこまでも過去へ遡ってしまうのだ。

生きることから逸脱する問答を繰り返し
厭世との和解の仕方を求めて「普通」の
生き難さを嘆くしかない欺瞞の石はどこに。

祖母のように「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と
呟いてみた私が愉快な気持ちで言葉にした
とたんに「出会い」も「愛」も「神様」も
すべてが過去にさかのぼった追憶みたいに
「今日、僕は死んだ」現在にしか戻れない。

継がれた家業(06.10.17)

夏場に共同通信配信吉本隆明談話記事の
ローカル版掲載を見張ったりしていただいた
近所の図書館の司書から届いたメールに添え書き。

エレベータ事故で亡くなられた吉本さんの
弟さんの建築事務所の最後の下宿人だった
学生が司書のご子息で管理人だったのが弟さんの
嫁さんの妹さんということで吉本さんやばななさんの
話をいろいろ聞かされてもさほど関心がなさそう。

彫刻の才能もあって優れた建築家だった
一家の大黒柱を失ってさぞ大変なことに
吉本年譜や伝記を読んだりしていても遠い
出来事だったのに知人の逸話メールがきっかけ
グーグルの検索や地図サービスで調べてみたら
すぐ「吉本建築」の場所も眺められ家業を継いだ
一級建築士の次男の「作品」画像が見られるじゃない。

貧乏人に金を貸し続けてノーベル賞もいいけど
地元で都市生活が愉しくなるよう暮らしを配慮し
住むひとの懐具合に合わせた仕事ぶりがいいね。

そのうちに(06.10.13)

昨晩見たテレビのインタビュー番組に出演した
編集者が”文学は毒だ”みたいなことを言ったが
ミサイルに続いて核爆発があり猟奇事件が続発し
不正や格差に満ちた世の中を何とかする力はあるか。

数年前に手にした『吉本隆明全詩集』で新しくなった
年譜を読んだり雑誌の特集記事や伝記本を参照したり
いっこうにはかどらないPC内の吉本年譜データ見直し。

当方の「隆明ウェブ」年譜に疑義ありメールごもっとも
さしあたってご指摘いただいた1945〜57年あたりから
とりあえず改定作業を年譜ページ更新に反映させよう。

小熊英二著『〈民主〉と〈愛国〉』における吉本隆明の
扱い方に身勝手さを読み取られた読者もいるのに
当方掲載年譜データがあやふやじゃとても話にならない。

ぼちぼち年譜データを部分的に見直しながらも
更新をほったらかしてきたツケを払うにはとにかく
作業し終わった部分データの積み重ね更新しかない。

吉本年譜だけじゃなく書誌データにも実情にあわない
誤りや不備や見落としがあってサイト訪問者がガックリする
回数を少なくするにはそのうちに更新なんて言ってられない。

語りが通った道(06.10.10)

この頃毎週見てしまうテレビドラマはどれも
切れ味良い編集で構成が面白い海外ものばかり
毎回挿入されるヒット曲で味付け“迷宮”ドラマなど
エンディングに流れた調べのルーツを探すことも。

たぶん最初に聴いたのは小学校の
理科室でおそらく“ナトコ”の映写機が
映しだしたミュージカル映画の終わり近く。

カバーレコードを引っ張り出し名演や
名唱にひたるなんてこともなくなって
PCでデジタル化してiPodに入れようか。

その前にやりはじめたのは70枚を超えた
直接購読中の講演CDを気に入ったのから
iTunesに取り込みもっと手軽に聴けるように。

昔語りを繰り返し聞かせてくれた実家の
お婆さんが元気だった頃にできるだけ多く
録音しておいたらいつだって聞き返せたかな。

囲炉裏端でいろいろ食べさせてくれた
手料理の味わいなども口にしたくなったり
忘れた思いが身体のどこからか響く語り口が。

  • Featured Working Group: Web Services and Practices http://www.niso.org/committees/Services/Services_story.html
  • NISO Issues “Best Practices for Designing Web Services in the Library Context” http://www.niso.org/news/releases/pr-WebServices-9-06.html
  • 地方自治情報管理概要[地方公共団体における行政情報化の推進状況調査(平成18年4月1日現在)等の取りまとめ結果] http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/060928_5.html
  • Advanced Papyrological Information System http://www.columbia.edu/cu/lweb/projects/digital/apis/
  • 国内ISPの保有IPアドレス、Yahoo! BBが2,309万9,268個でトップ(INTERNET Watch) http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/09/29/13454.html
  • 新しいインターネットライフについて 調査結果(千趣会) http://www.kuratama.jp/report_live/036/live036.htm
  • Teoria(Music appreciation can take many forms, and certainly gaining a basic understanding of how music is composed and subsequently analyzed and performed can provide years of enjoyment and edification.) [Macromedia Flash Player] http://www.teoria.com/
  • フィーバーはなぜ生まれたのか・Web2.0の背景を知る(PConline) http://pc.nikkeibp.co.jp/article/NPC/20060825/246436/
  • Maps of War(Who has controlled the Middle East over the course of history? Pretty much everyone. Egyptians, Turks, Jews, Romans, Arabs, Greeks, Persians, Europeans...the list goes on. Who will control the Middle East today? That is a much bigger question.) http://www.mapsofwar.com/
  • 発展途上地域地図目録:アジア経済研究所所蔵 http://opac.ide.go.jp/map/
  • THE VISUAL DICTIONARY http://thevisualdictionary.net/
  • レコードを簡単にCD化、TEAC「GF-350」:自己完結型音楽録再装置というあり方(AV Watch 『小寺信良の Electric Zooma!』第271回) http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20060906/zooma271.htm
  • はみ出し具合(06.10.06)

    4コマ受け持っている授業の時間割当で
    たまたま後期の司書課程の1年生から
    ほぼ1年半のおつきあいが始まることに。

    昨日の初日に履修生は30名を割り込んでて
    60席前後のコンピュータ教室のそれぞれ
    どこに座るか散らばりようがちょっと違った。

    もう四半世紀を超えて入れ替わってきた
    校下のスポ少バドミントンの子どもらも
    とりあえず今ここでしっかりやって
    みずから楽しむってことができにくそう。

    老いてからもやりたいスポーツだなんて
    4位のスキー&スノボだが存続が決まった
    ゲレンデを今シーズンから滑りはじめたい。

    自分で食べてゆけるだけ稼げれば
    それでよしとする居場所から傾いて
    今ここの関心に揺れ動く転がりよう。

    14位のバドミントともなると夜間の
    体育館への足の運びも少なくなって
    下半身の動きを触覚のように柔軟に。

    庭がすっきり(06.10.03)

    大した庭でもないのに十数年前に遠いところ
    むりやり世話を押しつけたみたいだったのに
    生前は拙宅を訪れるのを楽しんでおられたなんて。

    ご主人の遺志を継がれた奥様のお便りから
    ほどなく今年の剪定作業に引き続くお世話も
    続けてもらえ庭の木々に代わってお礼いっぱい。

    ひと夏の茂りがすっきり落とされた
    見通しの下に盛り上がったモグラ穴を
    サンダルで踏みつぶせば定年後に庭仕事を
    営業しながら病を養生された老後の立ち姿が。

    一緒に越してきた庭木を眺めたりしていた四畳半で
    まるで古木のように死んでいった祖父のことや
    今はその部屋で寝起きしているお袋のことも。

    庭の樹齢を含めたらわが家の平均年齢は
    すごく高齢化して僕ら夫婦はもっとも若い
    なんてことになりそうなくらいなのだが。

    カラダを剪定したり接ぎ木するみたいに
    クローン人間を描いた小説や映画の後は
    とりわけ庭木ごと引っ越した嬉しさが。

    行き当たりバッタリ(06.09.29)

    もともと田んぼだらけだったところを買って
    家を建てた近所に事務所や賃貸マンションが
    出来上がる頃合いに作業停電の半日がやってくる。

    出歩けないお袋が水洗トイレを使えるよう
    準備をしておいて僕ら夫婦はふらりと出かけ
    全集を読み終えていない折口信夫に中沢新一が
    こだわっているNHKテキストやここんとこ
    こだわっているピアノトリオe.s.t.とBrad
    Mehldauの輸入新譜CDを探し求めたあと
    デパ地下で食品を見つくろいながらひま潰し。

    夫婦なんて番の動物の一種として見たら
    テレビドラマや映画や小説などに描かれた
    なんでもありの姿形のすき間からこぼれたり
    どうしようもなく溢れてしまう本質がありそう。

    何がなんでもその気になったりむちゃくちゃ
    傷つけあったりそれでいて番にしか見えない
    失敗や希望を隠し持ち続けるしかない日々も。

    とにかく続けなきゃいろんな目に遭えないし
    動物実験の容れ物としてくつろげる家も築数十年に。

    何を誰がどんな風に(06.09.26)

    まともに読めずなか味で判断できないのか
    その作者の氏素性や性別や肩書きだけを頼りに
    表現そのものを素通りする知らぬ顔の半兵衛面が。

    時間差で無理心中した未成年の実名や
    顔写真報道を隠したり利用者に見せない
    措置をした図書館の行為が表現する行き先。

    公判のどこかで自らの宗教思想を明確に
    なんら開示することなく死刑が確定した教祖の
    宗教理解を示す主要著作を辿るに乏しい所蔵状況。

    どうにも感動のあまり楽屋にまでおしかけたり
    しなきゃよかったミュージシャンがいたり
    もっと話したくて後ろ髪を引かれたことも。

    固有の生涯を辿るしかない表現者の一人が
    どのような顔つきの作者となってこしらえた
    作品に何を登場させたかはそれぞれ別々にしないと。

    著者の胡散臭さが取り沙汰された『リトル・トリー』も
    誰が何人で書いているのか「きっこの日記」なんかも
    リアリズムの外側でちゃんと読めるように書かれている。

    座右の抜け殻(06.09.22)

    数年前に歯の治療に通ってた時にはじめて
    “かかと磨き”してくださいねと言われ“エッ?”
    だったけど今じゃ“つま先磨き”もやっている。

    ネットを介した図書館の本や雑誌の所蔵調べで
    “OPAC”が浸透したみたいに今じゃ“レファ本”が
    新書のタイトルになるまでに“参考図書”の品数も増え。

    どうでもいいことばかりがどんどん膨らみ
    本当に知りたいことを原典に探し求めたり
    ひとり静かに心体に聞き耳を立てることも。

    ポスト小泉政権力と人脈ファッションショウを
    テレビで追いかけたりして午後の陽射しが
    傾いて行くように勢力図の衣替えが演じられ。

    これからどう変わって行くかはそれぞれが
    日頃の座右に何を追い求め続けていくのか
    毎日のそれぞれの有り様の総和に懸かっている。

    晴れた秋空の下に出かけたりしながら
    庭師を失った庭の金木犀が匂って窓から
    部屋へと抜けるような居住まいに落ち着く。

    老いに幼年の揺らぎ(06.09.19)

    さまざまな連休中のニュースの隙間から
    山本昌投手の熟年ノーヒットノーランや
    イチロー外野手のMLB6年連続200本安打など。

    古武術や合気の著作を読んだりすると
    その道を極め続け引退や定年に無縁の
    心体技を繰り出し続けた達人の生涯が。

    自転車の女子高生が無謀運転にぶっつけられ
    頭からフロントガラスを突き破って乗用車内へ
    突っ込んだのにほとんど無傷で放置されたとか。

    幼少の頃の柔らかさを手放さず
    不安定さも見失うことなく老年まで
    体内感覚を研ぎ澄まし続けるなんて。

    まるですり抜けるように一枚の板ガラスを
    突き破り何ごともなかったように歩き去った
    老婆の無意識のパワーなんてのもあったみたい。

    気力は擦れ違い行き当たりばったり
    引きこもった勢いで生命の糸がほぐれ
    弛みようのない不安定に分散して震え。

    秋雲に映る影(06.09.15)

    ひんやりした夕暮時の不意の電話に
    ともなう急な訪れが夜を長いものに
    寝返りも打てない放棄の姿勢に浮く。

    「離婚」にいたる「協議」の傍らで
    事にあたって「その都度」話し合い
    子どもに会える道だけは保ちたいと。

    その後もさらに当事者が思うように
    話して分かりあえることがないまま
    噛み合わない思惑で仕切られ隔てられ。

    授かった子どもの「養育費」と「面接交流」を
    どうするか別れた双方が出会ったときのように
    他者を交えず自律して話し合えそうにもない。

    家族にも社会にも自らに対しても
    それぞれできるだけ勝手で気ままで
    どこまでも振る舞い続けたいのに
    三方向が交わる立ち位置がもつれ
    絡みあってどうにも解きほぐせない。

    何よりもすこやかに育って生きていけるよう
    子どもらのいま・ここから事にあたるしかない。

    身崩し枠抜け(06.09.12)

    かって手にした退職金をどこから嗅ぎつけたか
    あの手この手のマネー絡み勧誘電話が小うるさく
    とにかくいまだに留守電設定が便利な世の風情。

    インターネット事始めにその便利さにびっくり
    電子メールも今じゃ連日のスパムメール攻めを
    一網打尽にしてしまう迷惑フォルダ設定が要る。

    ひとつ事あれば何がなんでもカネと世間体しだい
    そんな家風が渦巻く主流に煽られ小突かれながら
    争ったり諍いにならないよう言葉を捨て間を隔て。

    身の置き所も不確かなことになればとりあえず
    煎餅布団に身を投げだし横たわり死んだみたいに
    ピクピクして筋肉も内蔵も骨もグニャグニャする。

    もう後に引けないところから母の羊水に
    いったん溶けたみたいに体内から目覚めの
    ざわめきが湧きあがってくる日々の鍛えを。

    際限がない幸や不幸にとどまることなく
    これ以上ない不安定な立ち方ができれば
    おのずからゆったり構えるぐらいのことも。

    ドラエモン・アイテムのスタート・ボタン(06.09.08)

    季節の変わり目の不安定な空模様を
    一夜で区切った朝の陽射しが眩しく
    立ち上げたデスクトップで空中漫歩。

    短大から後期授業の時間割が届く前に
    情報検索演習Web教材探索デスクそのほか
    Webページの更新そっちのけで地図遊び。

    Goggles:The Google Maps flight sim
    デフォルト・メニューに飽きたら地元遊泳しかない
    ということで高屋敷界隈を設定しようにも動いてくれない。

    さてサテライトマップの解像度もイマイチだが
    隣県の[金沢市上空から北陸遊覧]で東に向かえば
    遥か高くわが家を見下ろし中部山岳地帯を飛び迷う。

    “ドコデモドア”が幼少期の秘密の基地へ導いたり
    “タケコプター”みたいに憧れ出ずるドラエモンの
    心のアイテムみたいにグーグル・マップは遊ばせてくれる。

    飛びたい街の画像にズームインした位置をブラウザの
    キャッシュから探し出しGoggles!のURLに埋め込むだけ
    お次は[京都上空遊覧]で京都タワーからくっきりすっきり
    北に飛んで見れば市役所辺りで三月書房も見つかりそう。

    虫の居所(06.09.05)

    わが家の真向かいに2階建て事務所が建って
    どうやら風当たりも弱まったようだが
    吹いてくるまぎれもない秋の気配が伝わる。

    買い取った田んぼを宅地造成して売る前に
    6メータ道路にしなきゃということで
    わが家の前の側溝に蓋をしてくれた業者が
    買ってくれる住人が良き人であることを
    願うばかりなんですけどねと語ってくれた。

    空き地にぼちぼち2階建て住宅が建ちはじめ
    見かけた小鳥もやってこなくなっただけじゃなく
    なんだか庭の昆虫や雑草も少なくなったようだ。

    玄関灯に群がる虫を食べてくれるやもりも
    ほとんどみかけなかったし庭木に網を張る
    蜘蛛もあんまり立派な姿は見かけられず
    アメシロだけがいつもの食い荒らしぶり。

    夏場にヨメ専用PCがとにかく固まるばかり
    あれこれ触れど使い物にならず棄てる前に
    ウィルス対策ソフトを引っこ抜いてみたら
    サクサク動くようになるなんていったい
    どこにどんな虫が巣くっていたのやら。

    越したかった夏(06.09.01)

    ようやくエアコンなしでPCが使え
    庭を抜ける風に開け放した窓から
    近所で屋根を葺く響きが通り抜け。

    お盆が過ぎてから庭木の剪定に来ますから
    じゃあおねがいしますと言葉を交わしたまま
    庭師の訃報を知ってか知らぬか庭の老木が揺れ。

    兜虫捕り帰りに酒気帯びドライバーに追突され
    橋の上から車ごと海に落ち3人の子どもを失った
    若い夫婦や祖父さんの心豊かな対応がテレビに。

    人それぞれさまざまな現実的制約を抱え込み
    土地の風俗習慣に搦め捕られながらもどこかで
    超え行こうとする生き様がかけがえがないのも
    病理的な時の流れに溺れずおおらかに生きたいから。

    今年も寝苦しい寝室を避けドライシフトにした
    リスニングルームに布団を持ち込んだ夏の夜も
    二人で持て余すようなモニターテレビの下敷きに
    なんて事を気にしながらもやり過ごしたようだ。

    おめざにカラダ話(06.08.29)

    ここんとこウィークデーの朝起きが遅れがち
    7時過ぎの「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」が面白く
    寝惚けた身体を力まずに起こしてくれるようだ。

    「またまたカラダのお話で」とかなんとか
    抜けの良い語り口でその道の達人のコトバを
    引いては身体操法のあれこれについてのお喋りが
    寝そべった耳からすんなり入り込んでくる。

    フォークバンドに始まりテレビドラマや映画や
    舞台そのほか身体で表現する芸能界を生きる
    心身のさばき方にどのような感触を得たのだろう。

    見るたび瞬時に対応できるさんまの話芸や
    昼の長寿番組を持ちこたえるタモリの話芸も
    楽屋裏のいかなる身の処し方で保たれているか。

    さまざまな動きの座としての心体がどこかで
    コロンブスの卵みたいな立ち方を体得すれば
    より柔軟な動きで対応できる場が広がることに。

    家族の誰かの足腰が覚束なくなったり
    自分もそんなことになるのが避けられない
    もう空っぽとしかいいようがなくなっても
    そこから吐いたり吸ったり心体が欲しがる動きが。

    本と人と(06.08.25)

    なんだか処暑も過ぎたのにサイクリングには
    まだ暑過ぎやしないかいということで娘の車で
    本や雑誌を返しに出かけた短大の図書館は空っぽ
    でも周りは駐車スペースも見つからない有り様。

    1960年代に勤め始めた大学図書館の窓口から
    それこそいつも本と一緒にいる女子学生の
    一人や二人は探さなくても目についたのに。

    1970年代前半の夏休みの工学部分館だって
    窓は開け放たれていても利用者が途絶えた
    なんて記憶はあれこれめくり返せそうにない。

    1980年代の医学薬学系図書館の窓口では
    本や雑誌とともにとある利用の姿は多くとも
    いつもそばに本がという人は見つけ難かった。

    開館時間で仕切られた図書館内の人気の
    あるなしの落差にはすっかり慣れていたはず
    なのに冷房も掃除も行き届いた閲覧机にも
    書架の間にもまったく人影がない静けさ。

    いつも本とともにある人は溢れることなく
    どこかにいつも本といる人が隠れていたり。

    綾取りする夏姿(06.08.22)

    ノートPCに組み込んだテレビで楽しんだ
    ’06夏の甲子園観戦も終わった夜はBS番組の
    「シリーズ日本の名峰:北アルプス」に見入った。

    10代の終わりからの10年間で訪れた山々の映像に
    稜線を歩いた足触りから3点支持から4点支持へと
    岩稜の上り下りの感触で強ばった姿勢も解されそう。

    水やりする庭で見かける蝉とカマキリの
    疲れを感じさせない動きに再試合となった
    決勝戦を投げきった両校エースの姿をかさね。

    50歳を超えた男でないと大人じゃない
    トーク番組で二十歳前の女優がさらっと
    言ってのけホスト役の年配タレントが微笑む。

    アメリカの議会図書館ではデジタル時代に
    対応する気のないない職員に早期退職を
    勧奨していたことがこのほどわかったとか。

    目立ってきた庭木の枝枯れ具合や
    熱風の跡を辿ったりしたくなる夏疲れに
    晩の献立をどうしようか何が食べたい?

    今日も雷雨が?(06.08.18)

    初日から嫌になるくらい真夏日で
    ベタ塗りの8月も来週には夏休みも打ち止め
    昨日は午後に西空からやってきた雷鳴が
    通り過ぎる前にとにかくPC&TVを
    中断してでも電源を抜きたくなる雷雨に。

    晴れた午前にふらりと娘が近況を届ければ
    心療内科の抗うつ薬が減らされたことより
    フルタイムの仕事が1週間だけできたり
    家事をこなせることの方がよっぽどいい。

    この頃になってまとめ買いした「ハチクロ」が
    “セミ爆弾”を蹴飛ばしていた頃を思い起こさせ
    炊き立ての新米ご飯みたいにうまい少女の文体も。

    この夏に近所の平積み台で見つけた一冊
    華恵著『本を読むわたし』を手に雲行きの
    わからない甲子園の帝京×智辯和歌山ナインの
    準々決勝戦の中継をPCからラジオに切り替え
    追いかければ本を取り落としそうな展開に。

    生きることはゲームじゃないけどとかく
    注目されがちな壮年に居着かず幼年の
    立ち上がりと老年の衰えの向きを見比べたり。

    お盆の渋滞模様(06.08.15)

    購読ML配信も迷惑メールも渋滞していて
    昨朝の首都圏大停電のニュースを見たとき
    数日前の英国航空機未遂テロの事が浮かんだ。

    JRとタクシーを使うと半日がかりになる
    田舎に置いてきた墓へのお参りも今年は
    娘が13日に都合した車で往復2時間あまり。

    ここ数年は車を降りてわが家の墓石を
    探すように雑木山を上り下りするのも
    倒木に邪魔されながら薮漕ぎしている。

    戻り際に墓掃除に精を出す地元夫婦と
    挨拶を交わせばなんとも遠い知り合い
    聞くところ地元じゃ墓山の手入れも滞った。

    今朝のテレビのワイドショーが追いかけ回す
    引き際の小泉靖国参拝劇場は還暦を過ぎてなお
    渋滞きわまりない戦後の欠片じゃなかろうか。

    田舎暮らしの子どもの頃は戦争体験を
    語ってくれた男らの姿に“異国の丘”が重なり
    今日この頃は“虹の彼方に”がこだますのも
    沈黙のリズムで聴かせるUA×菊地成孔の一曲。

    軒端の友(06.08.11)

    散歩にならない近さの郵便局の往復で汗ばみ
    半端じゃない暑さ続きの毎日に夕立もなく
    西日が沈む頃は庭木の水やりが欠かせない。

    田舎暮らしの地縁から引っこ抜かれるように97歳で
    市街地への引っ越しに同意した祖父は移植した庭木の
    手入れというよりただ眺め暮らした日々が3年あまり。

    春夏秋冬庭の手入れは近く遠く職人まかせで
    かって共働き夫婦の手を煩わせず猛暑の夏の水やりなど
    一手に引き受けたお袋に代わって出番が回ってきたよ。

    家族それぞれ通り過ぎたほぼ10年ごとの坂道の上り下り
    引っ越す前に70代での1年半あまりの寝込みから起きた
    晩年の祖父みたいに80代半ばのお袋も持ち直したか。

    高齢生活者の知恵で老人式をやって新たに長寿社会を
    迎えるなんてことにでもならないと成熟もままならず
    どう老成すればいいのかますます覚束なくなりそう。

    田舎暮らしの軒遊びといえばままごとより
    まず蜘蛛の観察だったからうっかり放水で
    蜘蛛の巣を破らないようにノズルを使い分け。

    泡立つ居場所(06.08.08)

    週末プロ野球テレビ観戦中に飲み残した赤ワインの
    空気抜き栓をしたところでうっかり床に落っことし
    無傷で拾いあげたビンの中味の泡立った瞬間が凄い。

    画面ではソフトバンク対ロッテ戦が2対2の延長に入り
    K遊撃手がヒットで一塁に出たところで交代した相手
    投手の投球練習に合わせ盗塁のタイミングを計っていた。

    遠い中近東情勢も殴り殺しあいになっているようだが
    近い石油価格の高騰が夏の暮らしをいっそう暑苦しく
    第3次オイルショックなんてことになるのだろうか?

    先週半ばWBAライトフライ級タイトル戦を判定勝ち
    亀田親子を取り巻く不評の来し方行く末も見物だが
    どこかプロレス興業の二番煎じみたいな持って行き方は
    浪速の拳の生き様をさらけ出すボクシングを見せてくれた
    辰吉丈一郎元WBCバンタム級王者親子には似合わない。

    スポ少バドミントンの子どもらの父母が時には
    ゲーム中のわが子以上に熱くなって喚き散らせば
    コーチはコートサイドで居場所がなくなってしまう。

    夏の膕(06.08.04)

    ただとかひたすらなんて言えないが
    しっかり歩けばなんとかなりそうな
    山登りも腰痛持ちになってから縁遠い。

    昨シーズンで途絶えた立山山麓の
    スキー場の存続がどうやら決まって
    真夏日続きの日々に涼しいニュースだ。

    蒸し風呂みたいな夜間開放の体育館で
    ヨメとバドミントンの基礎打ちなど続けば
    少しは冬場を楽しむ体力維持に役立つかな。

    そろそろ庭木に水をやる前に陽射しが
    陰った前庭のコンクリートに打ち水など
    その両側で伸び放題の雑草を何とかしなきゃ。

    裸足か素足で歩けばいいものを
    生足で迫られたりすると逃げ腰に
    どうやら前期の採点票も片づいた。

    変わりゆく同じものを生きる心体を
    自在に探すような夏休みを繰り返し
    いつの間にやら違った場所を歩いている。

    夏の戸口で(06.08.01)

    梅雨明けを待ってたみたいに蝉が
    鳴きだし新たな家庭生活に印をつけた
    お知らせメールが娘から届いた八月の始まり。

    お袋が足腰よぼよぼの八十半ばになって
    近所の美容院へ行くのは嬉しいんだけど
    よりによって月曜(7/31)定休日に出かけなくても。

    そんな日の午後は珍しく作業停電ということで戸外へ
    夏休み興行の映画館は敬遠し美術館や図書館も休みだし
    市街を流れる川沿いにヨメとサイクリングで汗かきに。

    ペダルを休め涼みがてらのショッピングでブラジルの
    若手ギタリストのCD見つけたり見直したい映画の
    廉価版DVDもゲットできおやつは焼き肉に生ビール。

    サンタを疑いはじめた子供らが機関車“北極号”の
    車両に乗り合わせたCGアニメ映画を場違いな
    夏場に見たりすると遠く“敗戦”の車窓に富山大空襲が。

    迎えた夏の定盤のひとつみたいにUA×菊地成孔の
    「Cure Jazz」にも聴き入ったりしているけど
    いったい何をどう癒そうというのだろうか?

    “夢”残な抜け道(06.07.28)

    久しく甲子園富山地区予選を見に行ってないが
    テレビで観た準決勝はシード校を破って勝ち上がった
    ノーシード対戦と順当に勝ち上がったシード校同士の試合。

    曇ったようなスコットランドの風景をバックに
    口の悪い母を連れ息子を聴覚障害にしてしまった
    暴力亭主から逃げ回って転々とする主婦の気働き。

    生活感が違い過ぎる洋画といっても「Dearフランキー」の
    9歳の息子ともなると大人のやることに気付くだけじゃなく
    自分をとりまく思惑のすべてを見通してしまっているのだ。

    ローンを抱えた共働き主婦がリストラされ
    パートでしのぐうち育児も家事もできない
    うつ関係で崩れるしかない現実もあったり。

    いずれ夢の落とし所もないくらい仕方ないことに
    それでも自分か異性か社会のどれかに託すしかない
    ひょっとした出来事が待ち受けていたりするから。

    いつの間にやら違う野っ原を歩いていたり
    尾根筋を迷い南北逆に斜面を下ってしまい
    夏の川筋を辿ったら人里に行き着くようなことも。

    製氷皿の氷(06.07.25)

    雨上がりの風が吹き込んでくる窓の向こう
    夏山シーズンを迎えた北アルプスは麓を残し
    包み込む雲海を突き上げる連峰の影はどこに。

    先週半ばにアッサリ解散した欽チャン球団が
    どうやら復活したようだけど私財で始めたアマチュア
    チームだから地元やファンあっての再生じゃないか。

    やり続けてきた何かにケリをつけなきゃとか
    ここで出処進退をどうするかということなど
    その場であれこれ考え過ぎてどうなることやら。

    どうせなるようにしかならないにしても
    氷を取りだすのに製氷皿を捻り過ぎたら
    砕けたりバリが残ったり型崩ればかりに。

    くたばりそこないへばりにへばったところで
    さてどのように捨て置かれるかだけじゃなく
    まだ潰しが利くかどうかやってみなきゃわからん。

    どうしようもない雨の日はぐにゅぐにゅしないよう
    屋内を閉めきって部屋をドライシフトしながら
    呼吸のすべてを歌い尽くすUA&K.N.バンドの新譜を聴き
    60年代“若者”ボブ・ディランのドキュメンタリーにはまった。

    逆巻く川面に(06.07.21)

    空梅雨気味だった6月から一転して
    明けそうな気配もない7月の梅雨は
    激しくしつこくて各地で土砂災害が。

    昨日の前期最後の授業の行き帰り
    路線バスの外の普段の神通川から
    想像できないような様変わりよう。

    期末演習課題を仕上げる間際のところで
    目録演習システムがフリーズしちゃった
    学生はやり直しもできず途方に暮れたが。

    立ち上げまもないチーム所属のお笑い
    タレントの不祥事を受けて新生球団を
    無くしてしまったような対処の仕方も。

    2科目分の期末筆記と演習の解答用紙で
    重くなったカバンを担ぎバスに乗ったら
    なんだか呼吸がおかしくHVにはまりそうに。

    とにかく身体も呼吸も緩めるように保ち紙袋も
    使わないでやり過ごし治まったが試験中の学生を
    ビックリさせるような教室でならなくてよかった。

    ケーキの味わい(06.07.18)

    呼び出された救急担当医から致死量に近いと言われ
    肝臓毒性の加療時間が経過した娘からの連絡で
    かけつけ当直医に“不良患者親子”を演じ退院の運びに。

    今回も命を救ってもらっといて言わせてもらえば
    とりあえず当面の応急処置はやらざるを得ないが
    そんな事態に立ち至った患者は見放す総合病院体質。

    “問題児”扱いして姨捨山みたいに突き放しておいて
    知らぬ存ぜぬでは済むようなことではないだろうに
    事の本質だけは診ざる聞かざる言わざるなんだから。

    どうせいまに死ぬしかない命なんだから
    とにかく自然死を生きるしかないだろう
    家族で交わした会話も届かない暗闇が怖い。

    うつ病主婦となって家族解体だけじゃすまず
    あれこれまとわりついた出来事にもケリをつけ
    今回の退院先が実家じゃないってのが何ごとかだが。

    快気祝いでもあるまい持参ケーキをみんなで食べ
    わが家に放ったらかしてあった炊事用具そのほか
    持ち帰り食べさせたい相手がいたって事の方が大事。

    “すいか”の季節(06.07.14)

    さてヨメに届いたフラワー・アレンジメントを
    しおれさせてしまいそうなうっとおしい日々だが
    かけがえのない贈り主が入院加療中で応えてやれない。

    他者とも関わり仕事や家事も少しはこなせるように
    ここ数ヶ月なんとか持ちこたえてきたようだが
    思いつめ楽になりたくて死に急ぐようなことにも。

    数年前の夏まで何がどうだったか思い返したり
    あてどなさを紛らわせるみたいに再放送も見逃した
    夏の風物をタイトルにしたテレビ・ドラマをDVDで見直す。

    寝起きを共にする屋根の下にいろんな女たち
    てんでんばらばらのようでさまざまに行き交う様が
    細かいところは忘れていても感触の良さがひとしお。

    詰めに入った前期の教室での質問のされ方に
    手を上げて問いかけられる事がほとんどなく
    気がつけば教卓に歩み寄って尋ねる女子学生ばかり。

    授業最終日に期末試験をやることにしてたら
    数少ない男子学生の一人がそっとやってきて
    就職活動で欠席を認めざるを得ない成り行きに。

    咲きはじめた花鉢(06.07.11)

    本番を迎えた蒸し暑さの彼方では
    夏山の装いが際立ってきた立山連峰の
    谷筋の残雪から湧き上がる雲の眺め。

    2006ドイツW杯サッカー大会も決勝の
    ジダンの“頭突き”レッドカードで終わって
    “感じ悪”な寝不足続きから抜け出せた。

    作秋の花盛りを思い出させるみたいに
    ここまでなんとか持ち越した鉢植えが
    ついに一輪に続いて咲き誇りそうな勢い。

    埃を払ったりフィルターの掃除を済ませ
    今年も動いたエアコンでカラッとしてきた
    部屋でジャズを響かせながら前期末の問題作り。

    コツコツ知識を積み上げることによって
    知の体系に分け入るような学習の仕方も
    成り立たなくなった今はどんなやり方が。

    ズレを繰り返すだけやり直せないままに
    抜き差しできず選びようがない心体で
    いかに我が身を操り現実に相渉らせるか。

    眠気と雑音(06.07.07)

    夜も明けやらぬドイツ対イタリアのサッカー中継
    画面に北隣のお国からとんでもない打ち上げ花火の
    連射を知らせる字幕スーパーが流れ眠気覚ましに。

    連夜のウィンブルドンテニス観戦も重なり
    気ままな在宅暮らしもなんだか寝不足気味で
    フランス対ポルトガル戦は寝だめして授業へ。

    自信をなくした気象庁がいつどんな梅雨明けを
    宣言するのか聞き耳を立てたってしょうがない
    この頃の天気予報だが何となく黙って見てしまう。

    ひょんなことから預かってしまった“ペット”に
    しかたなく餌や水をやっても下の世話はまだまだ
    だが何となく眺めてちょっかいを出してみたり。

    年金生活者でもいいというので保証人になって
    相手方が住宅地図を頼りに尋ねてきたらしいが
    おふくろが応対したら名刺を残して帰ったようだ。

    身持ちが悪い札付きの生活者に見えても構わない
    中傷か嫌がらせか住民を名乗る横しま電話主など
    とりあえず電話を留守電モードで静かになったよ。

    夏場に向かう風景(06.07.04)

    7月に入ると縁側を行き来するたびに
    ひっそり目立つ半夏生が今年はなぜか
    化粧もせずに花はどうなったのだろう。

    この春に駐車スペースにした庭先から
    消えたはずの庭石菖の小さな花もちらほら
    一日を開いたり閉じたり生き残ったようだ。

    専門図書館で働きながら何気ない目線で
    軽く綴られていたブログを久しぶりに
    覗いてみたら書き手の異動で終わっていたり。

    W杯サッカー2006ドイツ大会にかける意気込みが
    しっかり語られていたnakata.netのHide's Mailには
    「“人生とは旅であり、旅とは人生である” 2006.07.03
    〜1985年12月1日 - 2006年6月22日〜」と現役引退表明が。

    職場の中間管理職や専門のメディアを取っ払って
    同業者やファンなど読もうとしてくれる人たちに
    直に語りかけるブログやホームページへのアクセス感!

    専門職で何十冊本を書いたってちっとも力にならない
    といってS県政界に打って出た某私大教授が知事当選とか
    人それぞれ描いた筋書きのさまざまな夏に向けての響き方が。


    ご意見・感想:kyoshi@tym.fitweb.or.jp

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