十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)

最終更新日:2006/07/04

行けず戻れず(06.06.30)

雨らしい雨が降らなかった6月の終わりに
やってきた暑さを冷ますような雨模様で
一息ついた庭の緑が涼しい風を送り込む。

W杯サッカーの中休みにテレビ観戦した
プロ野球の対戦カードがホームでの連勝と
アウェイでの連敗記録を伸ばす試合結果に。

手始めに親をないがしろにすることから
そのうちコーチや先生を小馬鹿にし足りず
職場の同僚や先輩後輩を見下し世事万端まで。

地元と敵地をいったりきたりして戦いの
決着をつけるやりかたがどこまで人間らしい
感性の遠隔対称性に根ざしたものなのだろうか。

Webというホームも様変わってブログという
アウェイでのインプットとアウトプットの様相に
触手を伸ばし遠隔対称性に繰り込んでみないと。

どこまでインプットしたものをアウトプット
できるかホームとアウェイ双方でボクシングの
タイトルマッチの決着をつけるってのはどうだろう。

空梅雨の晴れ間で(06.06.27)

二人の心と身体が“協力”してやってしまった
そんな後始末を離婚協議書に委ねてみたって
なんだか馬鹿げた成り行きに戸惑ったり憤ったりすることも。

男と取り交わしたその都度協議だなんてタダの紙切れ
会わせられないと言われて女が子どもに誕生プレゼントを
贈ったら男の女親から電話でどのように言い返されたのか。

あれこれ睡眠障害もぶりかえしうつが治癒するよう
なんとか自活しはじめたのもつかの間に崩れたが
音沙汰は途切れず娘からドライブに誘い出された。

その昔一日をかけ新穂高温泉を経て飛騨乗越しで
眺めた槍の穂先を雲の中に想い描くうちにヨメや
娘らを乗せたロープウェイは無言の緑を滑空する。

この冬に5メートルを越えた残雪が湿地に柔らかく
見頃のミズバショウが群生する傍らで蕗の薹に
紛れ込んで行き場を失ったキヌガサソウが揺れ。

過ぎし山歩きの話に花開く老女らの傍らで
遅めの昼食のテーブルを囲んだ腹ごなしみたいに
ダケカンバやカラマツを散策し露天風呂に浮かぶ。

ネットで図書館ネタ拾い(06.06.23)

早起きして応援した侍ジャパンはフットワークについで
ボディワークもシュート力も前半ロスタイムで消耗したか
後半にはブラジルの多彩な攻めをしのぐ力も残ってなかった。

身近な図書館を利用して答える課題を出したら
近所の市立図書館の外壁が剥がれ落ちて使えず
どうしましょうと学生さんに問われてもね〜!?

図書館トピックを拾いはじめて1年以上ほぼ毎日
ネタがつきないグーグルの記事アラートサービスだが
トラストサーチが全国紙と地方紙の壁を壊しちゃったな。

そのほか提供しているサービスのすべてをタダにする
コロンブスのタマゴみたいな検索と広告のドッキング
による情報流通の網の目がもたらしたビジネスモデルとは。

図書館の情報サービスの現場にいた頃はどこまで
たかがサーチエンジンによる検索結果の上位ランキングに
入ることの経済的位置づけを読み取れていただろうか。

グーグルニュース日本版のスタート時に自社記事への
リンクお断りを掲げた某大手新聞のニュースサイトが
ブログを取り込みはじめたりネットニュースも鵜の目鷹の目。

折り返す眺めから(06.06.20)

それにしても“柳沢のアッチャン”どうしてあそこで
右足のアウトサイドでパスなんかになっちゃうわけ
なんで左のインに軽く合わせたシュートを打たないの。

遠く豪雨土砂災害で難儀しているところや
近くじゃ梅雨入り即中休みみたいな空模様など
間で夏の扉の開き具合が人それぞれの佇む影に。

長岡の太田さんが書いた『叔父の思想:吉本隆明論』(修羅出版部)を
取り寄せページを開けば“伯父さん”や“小父さん”とは違った出会いや
“叔母さん”をめぐる独特な関わりとの違いも行間に読み取れ面白そう。

弓立社から届いた『吉本隆明全講演ライブ集13』(CD)の添付冊子で
読者層が50代に限られ主要紙に広告を打っても売れないと嘆く宮下社主の
コトバに促され国立国会図書館の総合目録ネットワークシステムで調べたところ
国内の公共図書館では所蔵が見つからず図書館への売り込みがまったくなさそう。

1000館を超える大学図書館系の総合目録ネットワークシステムでも調べたが
これまで既刊各巻の1〜6冊ぐらいしか買われてなさそうじゃないか
図書館それぞれの利用者リクエストで選書の網の目にひっかけさせなきゃ。

ちなみに高知の松岡さんが継続刊行している『吉本隆明資料集』(猫々堂)だと
いまのところ公共図書館および大学図書館それぞれ1館が所蔵しているだけ
それも56集まで出ているのに中途半端な購入で止まってしまっているみたいだ。

吉本さんが出してた雑誌の初期号が散佚して古本屋ネットでようやく見つけたが
さてほんとうに読みたいもの聴きたいものは図書館やインターネットなどとも
別ルートで人生半ばの感性の身銭を払ってでも一人で探し続けるしかないかな。

赤勝て青も勝て!(06.06.16)

一昨日は早起きしたのにブラジルがクロアチアを
大量得点で叩きつぶすなんてのは夢だったけど
オーストラリア戦ではぜひ実現してもらいたいもの。

ひょっとしてブラジルがジーコ監督のことを
おもんばかって日本に大敗してくれるかも?!なんて
期待できないからとにかくクロアチアに勝つしかない。

韓国はトーゴ戦で逆転してロスタイムに得た
ゴール前のフリーキックを攻めないどころか
自陣で回して時間を稼ぎブーイング勝ちだった。

梅雨入り前の市内で数年前に40年近い営業を
閉じたジャズ店が再開店したりする一方で
山開きが残雪のため遅れ山小屋が開けないとか。

みんなで見たり聴いたり登ったり騒いだり
なんてことからいつの間にやら遠ざかったが
一緒に楽しんだ人たちとのあれこれは忘れがたい。

テレビで韓国のサポーターが赤く燃え上がったのに
侍ジャパンが青ざめているようじゃどうしようもない
くじけずひと足早い夏祭りみたいに盛り上げるしかない。

ものぐさ見聞道具箱(06.06.13)

テレビが駄目になったり新聞が届かなくても
どうでもよくてほったらかしたりしてるのに
PCとネットワークの場合はそうでもなさそう。

OSはまだしもソフトのバージョンアップを
怠りがちでクーポン券が送られてきたりして
ようやく入手したのにまだインストールしてない。

昨晩は判で押したような日本サッカーの幕切れ
まだワールドカップで勝ったことのなかった
オーストラリア代表に勝ちきれず守りきれず。

監督が就任1年に満たないのと4年も手塩に
かけたイレブンの技術力に違いはなさそう
だったのにゲーム終盤の展開に大きな差が。

WCグループFの残り試合の放映をどこでも
見られるようにノートPC専用TVチューナーや
携帯アンテナを用意するようなこともやったり。

暮らしの風通しに大道具は据え置きたくないがPCに
ネットワーク機器を継ぎ足したりリソースを切り替えたり
試しつつネット上で見聞を広める塾みたいなサイトも道具に。

網の目の裏表(06.06.09)

学術論文の捏造や実験データの改竄と違い
盗作まがいの絵画は誰が見たって一目瞭然
権威を誇るレフェリー制度もあてにならない。

お昼のお笑いテレビ番組のリレー出演コーナーで
ゲストが自らの出番で当てが外れた観覧者を尋ねて
1/100を狙ったら1割がボタンを押していた。

テレビを賑わしているお笑いタレントの
今どきの評価としてはまあいいほうだろうが
一般大衆の感性を掴み損なったコンビがぶざま。

学生が読みたがる本は学生用図書になるし
ビジネスマンが読むすべてがビジネス書に
なるとしても読む人が内容を保証しない。

いつの間にやらはまったアマゾンの仕組みだが
顧客データのシステム処理によるお勧めなんかで
ときおり掘り出し物が見聞きできたりすることも。

リアルに出入りしているお店や図書館でも
おいそれとは見つからない無数のマイナーな
在庫や蔵書などの組織化もグーグルの狙いかな。

チョイ読みOPAC(06.06.06)

6月に入って好天続きで始まったお向かいの
事務所新築基礎工事がたけなわで騒音がすごく
わが家で何かをじっくりなんてとてもできそうにない。

食料など日々の買い物はヨメにおまかせだし
サイクリングでどっかへ逃げ出すのも億劫で
図書館から借り出した本の中味のスキャンなど。

読んで手元に置きたい古典全集収録文献を返す前に
とにかく補注や原文などひっくるめてPDFにコピーで
日中を過ごせばうるさいのもさほど気にならず夕方に。

かってシステム業者と勤務先図書館のOPACの構築中に
若い担当SEと図書や雑誌の書誌や所蔵だけじゃなくて
蔵書の中味もチラッとでも見れないものかと話したことも。

今じゃオンラインの本屋の立ち読みだけじゃなく
検索ポータルサイトによる図書館の蔵書の中味検索が
外国だけじゃなく国内もターゲットにしているらしいが?

まず貸出冊数の伸びが第一の公共図書館のOPACあたりが
蔵書の一部分をオンラインで見せて読みたい人を誘い出し
全文が読める貸出増加につなげるなんて動きがありやなしや。

行きつ戻りつ(06.06.03)

リタイアしてはまった二度寝の心地よさだが
枕元で使い慣れたラテカセがくたびれ果て
衣替えみたいにすんなり新機種に乗り換えたら
FM・AMラジオの他にiPodも目覚めのBGMに。

なんとか自活できそうかなというところで
うつに揺り戻されたみたいに体調を崩しひとまず
わが家に戻った娘の枕元にそっと置いてみたり。

先月初めにモト旦那やその親から電話で子を
めぐり散々言われたことが尾を引いたみたいに
じわじわ心体的パニックを引き寄せてしまったのか。

何がどうなったのか聞こうとしない耳と
見ようとしない目でくっつきあった家族が
吐き出すBGMは聞き流しやり過ごすしかない。

脳動脈瘤の術前術後もめげずに活動し続け
ネットのBGMみたいに自作アルバムを公開する
ニール・ヤングの“生命力”が遠く響いてきたり。

経済的な自立も目指しながら病も治す
なんてそうたやすくできることじゃないが
出会う雑音をBGMに休み休みやるしかない。

ネットで見て聴いて!(06.05.29)

毎週土曜の朝のお楽しみ番組のDJから
メールで教えてもらった動画サイトで聴けた
ウクレレプレーヤーの演奏が心体に響いた。

人知れず野外の通りすがりで思いがけず
なんとジョージ・ハリソン追悼ライブに
ありついたみたいなひとときの素晴らしさ。

この頃は番組紹介CDで好きになったものも
オンラインショッピングでダウンロードして
お皿をコレクションしないで聴けていいし、

お出かけ先の学内LAN端末から登録を済ませた
サイトライセンス個人IDでアクセスできる資料だと
自宅からコピーの手間要らずで読み放せていいのだが、

便利さの中で忘れていたビックリするような
出会いの驚きが今はやりの動画投稿サイトに
隠されているようで今しばし探索が止まらない。

何度かBSライブ番組で聴いた彼の演奏のうまさを超えた
パフォーマンスを紹介してもらったお礼メールに添えたURLで
好みのギタリストの若きステージ映像もDJのPCに届いたかな。

庭でひま潰し(06.05.26)

掃除とか身体操法の一人稽古みたいな
年がら年中できる息抜きとは一味違う
割り箸で庭木の毛虫取りなんてどうだ。

つまもうとすると糸を引いてスーッと
逃げ落ちるから底に殺虫液を満たした
厚手のビニール袋で受けとめるだけ。

とにかく一匹一匹潰さなくていいし
あとは逃げないよう袋の口を縛っておくだけ
動かなくなったら液を抜いてゴミに出す。

小鳥が餌にしてくれたらいいのだが
久しぶりにわが家の前の空き宅地の区画で
新築工事がはじまって寄りつかない。

移植した木瓜の根付きが悪かったのか
少ししか伸びていない若葉の枝ぶりを
まるで狙ったみたいに毛虫がよってたかった。

八重桜の葉っぱにも虫食い跡がちらほら
脚立を持ってきて殺虫剤を撒くなんて
どうも虫の好かないやり方もしないと。

できることできないこと(06.05.23)

真夏日で週が明けた翌日は梅雨もどき
連休に山間部の花と緑のドライブに誘われた後は
サイクリングしたくなるような五月晴れもなく。

掃除と洗濯と洗い物ができるようになって
嬉しいメールがうつ回復期の娘から届いたが
わが家じゃカーテンを洗濯したら寸足らずに。

とっくに足腰定かじゃないがなんとか一人で
お風呂に入っている間に腰痛を気遣いながら
お袋の部屋の掃除をさりげなく済ませたり。

身体の自由が駄目になってくるほどに
それを補うみたいに妄想が働くみたいだけど
老いてますますその日暮らしの宿命論者に。

自閉は社会的自己とのうつは自己自身との
それぞれ関係のズレを余儀なくされた姿が
伝えられる「事例」や「症例」に見え隠れ。

結果だけを見てあれこれあげつらうばかり
食べるか出かけるネタで痩せ細るテレビ番組に
飽きればネットで楽しむビデオ検索が面白い。

開かれた姿勢で(06.05.19)

日頃の養生のおかげか夜間開放の体育館で
バドミントンの基本技の相手をしたり
簡単なゲームを愉しめるまでになったが、

2コマ続きで教卓のイスに腰掛けたまま
授業用PCを操作しながらおしゃべりを
やったりすると腰の痛みがぶり返すようだ。

眠ったまま泳ぎ続ける魚だったら
寝起きの腰痛はないかもしれないが
寝返りの連続技で熟睡なんてできっこない。

プチセップだったか半身がブドウの木という
バッカスの子孫みたいに椅子に座り続けて
飲んだり食べたりPC操作なんてのもよくない。

インターネットに番組を流す商売が通信網の
“ただ乗り”か否かの意見公募で各社に交じって
コメントしている合衆国政府の姿勢が際立つ。

日本政府のコメントが見当たらないのは
政府に対する庶民のアジア的な姿勢というか
山川草木すべてに国家がただ乗りしてきたから。

やれやれ(06.05.16)

若年の頃からの腰痛との付き合いだが
ぎっくり腰に見舞われやすい若葉の季節
というのが定番になってきたのだろうか。

週末の体育館でシューズを履き替え立とうとして
急な腰痛に身動きならず車で家に送ってもらって
とにかく凝り固まった腰部を解きほぐすように
できるだけ普段の骨盤体操を繰り返してみたり
一所で同じ姿勢を避け杖に頼らずそろそろ動いた。

書誌入力をするために手にした吉本老体論では
なんと腰が痛い要素の半分は精神的なものだから
抗うつ剤を飲んだら治ったというのが初耳だった。

自活しているうつ治療中の娘が顔を出したり
接骨院へ送迎しようかなどと電話をくれたが
服用薬を分けてもらって試すという手もあったな。

足腰が立たないということにでもならない限り
自宅で自力で自然治癒するように養生したい
という姿勢が手放せないというのが当面の老化対応。

百歳の手前で身動きならなくなった祖父さんを
介護したお袋の行動範囲もわが家の1階だけに
狭まった今日この頃とはいえ先のことはともかく
施設にあずけ泊まりがけ外出なんてできそうにない。

あるがままなすがまま(06.05.12)

路線バスから見る街路樹や梨畑の花も終わり
久しぶりに出かけたキャンパス内のバス停を飾った
藤棚も散りはじめ夕日にひときわ色あせて見え。

茂りはじめた庭木の陰で根を張ってしまい
じいさんの置き土産みたいな欅の盆栽の
鉢を割ったりしないと取り出せなくなっていた。

人や物事との関わりみたいに時を経て
からみあったりもつれてしまったものを
ときほぐすなんてことはとてもできそうにない。

あんなことこんなこと過ぎてしまったのに
無意識の鎧のように着込んでしまっていて
いざ脱ぎ捨てようとするととんでもないことが。

よそ目には確かな答えがあるように見えたり
ガイド付きの山道を上り下りるような暮らしも
いったん事が起これば踏み迷って崖っぷちに。

世事をめぐるなにもかもがあぶなっかしいが
ともかく支払った高額医療費が戻ってきたり
この頃はたちまち殺しあう人事に法や国家は?

心体の躾け方(06.05.09)

風もないのに雨上がりの庭木の
新緑を揺らして鴬が枝から枝へ
姿をくらましたら蝶が空へ逃げ。

連休中もリタイアできない世迷い事に
紛れたみたいに見損なった高阪剛格闘家の
引退試合をなんとか動画サイトで探したり。

こどもの亀田兄弟はともかくデラ・ホーヤが
マヨルガに挑戦したボクシングにも感動できたが
前へ前へハントと闘った高阪選手の姿には熱くなった。

無料放映の頃から見てきた某BS放送だったか
旗揚げした格闘番組で彼がリング上でとりわけ
寝技に入った攻守で見せた受けと返し技の連なり。

いつもは週一のスポ少バド練習だったのに
連休後半の三日間の朝練で相手になったりした
5年生の新人にはめきめき基本ができる姿も。

自己や異性や共同性に囲まれともすれば
強張って固まるか緩みっぱなしに崩れがちな
自らの体内感覚を頼りに心体を操る動作技法を。

お粗末ピンボケ風景(06.05.05)

目についた某新聞記事のあまりの阿呆らしさ
全国33都道府県の72の街頭で尋ねたんだとさ
ボードにシールで通行人に憲法九条改正の賛否を。

大学の先生やら弁護士らがとりまとめた結果では
投票総数が約2万8千で賛成が約12%になり
反対が約77%で残りが「分からない」だった。

「民意は九条改正を求めていないことがはっきりした。
政治家も九条を守ることで世界平和に貢献して欲しい。」
おまけに「結果」を首相や衆参両院の議長に郵送するそうな。

やっつけ事務局のずさんな企画に踊らされ実施した
市民団体や学生に加え調査の実証性や集計の妥当性を
検証できないメディアが名誉教授のコメントを鵜呑み記事に。

読んだ「護憲派」も戸惑うような集約の仕方に
敗戦直前に引揚げ住みついた村落で母子家庭が
あらぬ噂に小突きまわされいじめられた構図が。

ご当地に移り住んで数十年になるわが家にも
地元住民を名乗る夜郎自大の中傷電話があったり
食えないネタを後生大事にご注進の輩は跡を絶たぬ。

「高屋敷の十字路」って何?(06.05.02)

夜来の雷雨に足止めを食らったみたいな
連休中日の肌寒い八十八夜の手すさびみたいに
GoogleマップAPIを試して地図の埋め込みなど。

APIキーが欲しくてサインアップした入力欄で
登録するサイトのURLに地図を埋め込むページ名まで
うっかり続けてしまいエラー解消に一汗かいたり。

これでOKのはずがご当地地図がなぜか空白表示に・・・
ほぼカット&ペーストするだけの簡単なスクリプトだし
文字コードの指定もネットで調べたとおりやったのに
よくよく眺めたら緯度と経度をあべこべに入力していた。

サイクリングに出かけなくとも自宅付近から道筋を
試走するみたいにぐりぐりスクロールし切り替えた
黒部湖などの衛星画像が高解像度だともっといいのに。

かっての司書教諭講習や今やってる授業などで
Web教材に使ってたら「高屋敷の十字路」って何?
みたいな顔されたけどこれでそんな質問はなくなるかな。

通い慣れたお気に入りスポットなどマーカー表示は
するまでもないけど居ながらにして住み慣れた界隈を起点に
見下ろすメタ表示の高次化から獲得視線の高度化まで。

明るい陽射しが(06.04.28)

昼前の空いた市内バスに乗ったりして
たまたま女性ドライバーだったりすると
あまりにも馬鹿丁寧な運転に眠りこけそう。

いつもの路線バスの乗り継ぎに走らされ息を切らし
たどり着いたコンピュータ教室でコンピュータ目録の
演習教材に使いたかった動画サイトが今年も利用できない。

どこか学内LANの外でダウンロードして持ち込めば
というネットワーク管理者のお言葉であっさり片づけられ
著作権保護コンテンツのオンライン利用なんてどこ吹く風。

明るい陽射しに揺らめきはじめた庭の新緑のように
ようやくうつから脱皮の姿勢が目覚ましい娘が言いだし
建て替えられる体育館で最後のバドミントンで汗したり。

どう転んでもおかしくないくらい追いつめられた姿はどこへ
枯れかかった鉢植えが運良く平成の豪雪をしのげたみたい
やってきた春風に誘われルームメイトとのアパート暮らしも。

ただいま社会復帰のリハビリ中の札がゆらゆら
娘が不在でもわが家の空気が和んできたようで
連休にサイクリングから帰って愉しむワインの手配など。

とりあえずの感想(06.04.25)

熟睡できるだけじゃなく肩凝りに
つらなる腕の痛みや痺れが薄らいだり
耳や眼までがすっきり抜けもよさそう。

ということで倍音浴CD寄りの響きに
引きずられたみたいなCDのまとめ買い
歌ものアコースティック演奏の聴き比べなど。

倍音がらみのCDだと心体から身体まで
どこにどのように響いて器官が感じている
感覚のどこからが「異常」でどこまでが「正常」なの?

“五月病”を疑ってた娘が閉じこめられたうつで
生活空間からどこまでも退いていく感覚器官に加え
自分らしい日常の腹の底からの表現が妨げられてしまった
うつ症状の数々を経て自活できるま付かず離れず接したり。

器質的な障害部分は薬物療法に頼っていても
そうじゃない日常の心身の状態そのものまで
考えなしに「病気」だからと片づけないこと。

「異常」と「健常」のどちらかに振り分けたり
心因性の原因に踏み込めないのを誤魔化さないで
あるがままの出会いで始める暮らしがとりあえず。

昨日と明日に挟まれて(06.04.21)

数日前の黄砂に煙った花見サイクリングの
眺めをかき消さんばかりのその後の空模様で
今朝からは雷雨にまぎれて霰も叩きつけたり。

結婚による身過ぎ世過ぎのしがらみを
どう果たしてきたかだけじゃなく民事上の
義務との折り合いをどうするかまで・・・。

税金に年金に保険といえばヨメと入っていた
生命保険の掛け金もこの先の支払いが負担で
とりあえず組み換え先細るように見直したが。

うつで主婦業そのほかが駄目になってしまい
離婚せざるを得なかった娘なんかの場合だと
残ったローンや子どもの養育費が上乗せされ。

とりあえずわが家でニート状態で治癒を待つ
思惑から見事に外れたみたいなこの頃の姿は
寝起きの場から生活費を紡ぐ場など家の外へ。

なんとか自力で歩もうとする娘の気働きは
この前までたび重ねた自死の試みに前後した
閉鎖病棟の入退院の繰り返しからはやってこない。

出会い付きあい別れの日々(06.04.18)

日々垂れ流すラジオやテレビ番組も衣替え
バサッと打ち切られずにホッとしたものから
ようやく終わってすっきりセイセイしたものも。

平日昼前のゲストを迎えたFMトーク番組などとくに
前もってろくな下調べもできていなかったかため録りの
パーソナリティが交代したらどうにか聴けるように。

リタイア前から聴いているAM「話題のアンテナ」だが
火曜日のゲストの下調べというか準備が面白かったり
担当男女アナ二人の相づちだけで聞き飽きない番組も。

録画で何度か愉しんでるスガシカオのバンドだって
うしろにひかえたドラマーがビシッと心地よいくらい
ライブにおける洞察を働かせた構想力で叩いているよ。

日々のオンエアに飽きたときなど20数年前の
DJ番組のカセットテープが面白く聴けるのも
しっかりした仕込みを隠し持った味わいというべきか。

模様替えといえば十数万キロ走った娘の車だが
新車に履き替えられたら前庭の塀や玄関のアプローチの
リフォームのしがいがあったということになるのだが。

人事も異動の季節だが(06.04.15)

市内のあちこち今年の桜は足並みそろえて
やって来たようでどうやら美しさも横並び
一人娘の運転で東西に旧市内を走り抜けながら
うつがひどかった頃の心体が掛ける発信音を受けた
PHSを置き忘れられるまでになったことに気づいた。

寝ていて着信音に起こされ耳に当てたら
お父さん今度は本当に死ねたよだなんて
そっと娘の部屋まで様子を見に行ったことも。

どうやら第3次産業で働く人たちにバツイチを
見かけやすいのにしたってうつや引きこもりや
自殺者など職業病みたいなものではないか。

よほどせっぱつまったりすればするほどに
もうなるようにしかならないということで
ちゃらんぽらんになるべきなんだろうけど。

どんなふうになってもそれで終わらず
また何かがはじまらざるを得ないから苦しみ
何事にも続きがあることが救いになったり。

処世がらみの人事異動じゃないけど離婚できたり
出戻って仕事や運動を始めた娘が二人目の子どもみたい
いま在る場所からあれこれ知恵を働かせながら
どれだけ足元から遠くまで歩き続けられるか。

雉と花便り(06.04.11)

コケが生えてた塀がブロックからアルミフェンスに
コンクリートで打ち広げた玄関のアプローチから
車が出入りしたりするようになったせいかどうか。

朝方に鴬や雉の鳴き声が響いてくる季節がきても
いっこうにわが家の庭にやって来る気配がなさそう
電話じゃ旧知から来訪打診やその後の消息を問う声など。

今年度限り定年目前の男にはとにかく満期卒業すること
某大学図書館の階を隔てて働いていたときのように
どさ回りの上司に楯突いたり事を荒立てるなと。

ヒラから部長までスキーで集った赤倉の宿で
笑ってたすき掛け人事はともかく図書系管理職の
7割がおかしな奴ばかりと言ってのけた課長は何処に。

リタイアしてみてはじめて学生時代のように
偏らないものの見方ができ難くなってしまいがちな
労働現場でアレコレ関わった事の隠された一面も。

客人に接するまでに回復した娘がいただいてきた
見事な冷凍雉肉と椎茸を使ったヨメのやっつけ料理で
金賞ワインもおいしく飲めたり花見気分もすぐそこに。

治癒の岸辺で(06.04.07)

お宅の玄関までのコンクリートを歩いて大丈夫?
やってきた宅配のおじさんが電話をかけてきたり
とっくに立入禁止テープも外れ駐車だってOKなのに。

マンション耐震偽装問題の元建築士の奥さんが
自宅近くのマンションの7階から飛び降りてしまい
葬儀の喪主が実家のお父さんだったということだが。

巷で自閉とかうつとか呼ばれる症状をどこまで
器質的な障害として片づけられていいものなのか
身近から遠くまで見え隠れする有り様の元は心因では。

娘の子どもにはお母さんは病気だからといっても
本音のところではとても病気とは見なせないくらい
一緒に暮らせばいったい心身のどこがどうなのだろう。

食べたり排泄みたいな動作が億劫だったり
子育てや家事ができなくなったからといって
世事との接し方も十人十色の一つじゃないか。

あることに固執するあまり物事の順序の入れ替えが
できなくなったりするのにしたって心と身体がズレたり
停滞の一時期だからやがて豊かに流れたりすることも。

節目の書き割り(06.04.04)

司書課程の授業を受け持って4年目になる
短大から送られてきた時間割や学年歴をスケジュールに
打ち込んだりWeb教材を更新したり新年度明け。

2年間で卒業に必要な科目をこなしながら
選択とはいえやり直しのできない司書科目を
取りこぼさない短大生もやるじゃないか。

田舎の小中学校時代に山菜を採って売ったり家内工業の
アルバイトで稼いだりした小僧が税務会計事務所でモノを
作ったり売ったりしなくとも金をもらえやがて司書に転職。

完走できずリタイアした大学図書館の担当業務を
引き継がれた司書の方もたぶん先月で満期卒業のはず
筑波での長期研修同窓生の定年退職者は誰だったろう。

産業構造が高次化を遂げいやおうなく日本の
戦後社会の時間割も書き換えられ追いまくられ通し
生産時間と消費時間の組み換え地点へ不時着したみたい。

第3次産業で働く人々が大多数になった世の中で
定年後の生活時間に切り替わる中から何が見える
老後を迎える未知の科目に選択も必須もなさそう。

遺書を棄てられたような(06.03.31)

花冷えでもなく寒に戻ったような座りの悪い
後日談めいた置き土産が読者の前に差し出された
故カリスマ編集者による有名作家の生原稿流出報道。

ネットでサンプル画像を見たような記憶があるけど
一時はのっぴきならないようにかかわりあってたような
作家と編集者の世界でもこういうことがありなんだ。

本になって著者のもとを離れた作品の自筆原稿は
書き終えた作家の手と作者の頭を往来した時空の証し
遺書のようなものなのに勝手に売り飛ばされるなんて。

双方にいかなる確執があったかわからないが
身を削るような手作業の結果を破り棄てたような
仕打ちは作家の妻や編集者の遺族らにどう及んだか。

時には読者が生きている現実に目配せを行き届かせ
それぞれ個性的な文体で追っかけさせ読ませてくれた
一時期があっただけにとんでもないバランスの悪さが。

どうしようもない身のほど知らずに成り上がったりしたら
とっておきのぎこちなさや居心地の悪さも気づかなくなり
初心を忘れ居直った生き様や死に様に居着いてしまうことも。

情報は漏れコトバは途絶え(06.03.28)

たぶん創刊号からだったと思うけど
定期購読していた詩の雑誌が休刊になったり
西武池袋店内の詩集専門店も4月で店じまいとか。

国内のいろんな詩人のコトバの発着場みたいで
都内に出た際の立ち読みスポットの一つだったのに
詩書が文学書流通の閉塞状況の先べんをつけたか。

ネットワークPCとファイル共有ソフトとウィルスが
普及したお茶の間だと居ながらにして“個人情報”そのほか
“防衛情報”や“捜査情報”などもダウンロードできてしまうことに。

私有PCから第三者の情報流出が頻繁になり
範囲が特定できないくらい広く急速に拡散したら
もう回収できないようなことにならざるをえないから
そんなネットワークそのものを隔離することもできない。

詩人のコトバが流通しにくくなっても
スガシカオや一青窈のような詞人の歌を
聴けるからまだまだ捨てたもんじゃない。

別れた子どもに会いたくなった娘に頼まれ
先週末の晴れた午後に350キロも同乗した帰り道で
言葉を失ったみたいに海辺の僻地の星空に見とれた。

庭木も枯れるまで(06.03.23)

とにかく娘と一緒に出戻ったオヤジ車を止めるのに
ブロック塀を壊し玄関前の庭木も退けて掘り返され
わが家の庭にやってきた春の息吹もなんだか乱れそう。

30年以上前の田舎からの引っ越しに同意した
97歳の祖父と一緒に運んできた庭木だからこそ
移しどころを思案してから引っこ抜いてもらったり。

新居の2階を見たがった祖父をオンブして
階段を上り下りした3年後に立ちあった御臨終が
四畳半の畳の上で迎えた自然死の姿じゃなかったか。

とかく誕生と死にばかりに視線が滞りがちだが
やたら打擲されたいっぽうでゲテモノの類いから
祝い料理まで食わせてくれた祖父の味も忘れられない。

慢性の凝りも後頭部から肩を抜け骨盤のあたりまで
響きで揉み解されるようにあったかく呼吸もゆったり
数枚になった倍音浴CDで肩の痛みまで治まりそう。

いまここへきて身体とどう向き合い続けられるか
第二の自然とも言うべきわが庭を維持する身体操法で
体内の動物系を保って自らの植物系を露出させられるか。

負けて勝つ(06.03.20)

この冬はウィンタースポーツに縁がなかったし
トリノ・オリンピックじゃ冬枯れ姿が侘びしかった
ジャパンの姿もWBCの日韓三番勝負では一味違った。

場違いな季節にテレビの野球観戦に一生懸命になれたのも
“何でも一番”のアメリカ神話が野球であっさり崩れたり
ONで語られる日本野球もいずれが率いるかで違ったから。

もう一つの準決勝でキューバに負けたドミニカ共和国出の
大リーガーが4番を打った米国チームの2次リーグ敗退に
ミソをつけたピンボケ審判のプレーぶりもなにがなんだか。

現役日本人大リーガーのWBC参戦ジャパンチームへの
出所進退の決め方にもそれぞれプロとしての立ち姿が
垣間見えた中でこれまでにない姿勢の一選手が際立った。

兵役免除とかで勝ち上がった野球チームから何が学べるか
ラグビー日本選手権準々決勝で社会人トップリーグ上位の
トヨタに勝って泣いた早稲田は東芝府中と戦う前に負けていた。

成り行きで勝てるうちはいいがなぜ負けなかったか
どうして勝てなかったかを見せつけた東芝府中とNECが
6−6で引き分けた決勝戦がこの冬に咲いた日本ラグビーの華。

“現役”を過ぎても(06.03.17)

大学図書館勤めしていた頃のとある利用者から
思いがけないメールをいただいたり過ぎし
その時々の渦中の係わりを見直させられたり。

小学校の高学年から小遣い稼ぎにいろんな
アルバイトに手を染めながら義務教育を通過し
育英資金で高校を出て勤めた税理事務所も出勤拒否。

取得していた税務職員資格がなぜか不採用になり
あてがわれた一般職のなかの大学職員の面接へ
こちらから図書館を選んだのか勧められたのか?

徒弟仕事に慣れた頃に図書館出入りの会社から
スカウトされそうになったが虚弱体質のなせるわざ
とりあえず38歳まで勤続できたら儲け物じゃないか。

なぜ結婚というか生涯の伴侶ができたりしたのか
自分一人じゃどうにもならないいろんな絡まり具合が
加担したり昇級試験を受けたりとにかく仕事を続けさせた。

40年近く大学図書館で司書をまっとうできたかどうか?
もはや過ぎてしまえばそんなことなどどうでもいいこと
年金が頼りの今日この頃も家族4人暮らしの維持が何より。

この冬場を挟んだ2冊(06.03.14)

モノ心が付く前に父親と死に別れたりしたことのある
男がとかく陥りやすいのかどうか母親の姿を見てたら
女に関心があるのに結婚に踏み切れない自分に戸惑った。

それでも人並みに結婚できたり子も授かったり
ヨメ以外の女にこころ引かれたなんてこともなく
お袋や死んだ祖父のほかヨメの親父が同居人だったことも。

いまだに妻や娘に向きあう父性がしっかりせず
由緒の定まらない年金生活者のこの冬の暮らしの
外側からは石関善治郎『吉本隆明の東京』の
内側からは吉本隆明『家族のゆくえ』の
ふた色の家族像が差し込み交差する温もりが。

思い立ったらすぐ離れられ必要ならいつでも戻れる
そんな家族の場を営み続けるほどに大切になる絆も
個と性と社会の3本の綱を独り身で渡らなきゃならないから。

実社会の手応えを掴み損ないそうな1970年代に入り
田舎住まいの宅地や田畑を売り払ったカネで郊外の土地を買い
家を建て結婚生活を始めた20代の終わり頃からようやく人心地が。

落ちこぼれ共稼ぎ夫婦でも子どもの成長や生活規模に
合わせた増改築ができたのも戦後日本の産業社会のおかげ
そろそろ老体に向かう身体の容れ物としてのリフォームも。

沈黙を浴びて(06.03.10)

ぼんやり霞んで見える山並みから
雪吊りが取り外されたばかりの庭まで
じわりじわりと春が忍び寄ってきている。

中年から始めたスキーシーズンのほとんど
ヨメと一緒に通い続けた立山山麓のゲレンデが
今シーズン一度も滑らないうちに閉じてしまうことに。

泣きたくないのに涙がとまらないことなど
あったりして冬場の暮らしのデコボコ斜面にオロオロ
晴れた山麓から海の眺めへ滑り降りることもなく。

数カ月前までどうやって死ぬかで身体を痛め
今じゃまるで健康オタクみたいな様相を示し
笑いとばしたりしている姿を見せることも。

家族でもありこころを病んだ患者でもあり
医療制度の消費者として何をどう分かちあうか
生きようとする力と生きて欲しいと願う力が交わるところ。

買ったばかりの「倍音浴」CDが響けば
これまで聴いたインド音楽やチベットの読経とは違い
まるで朝まで一直線の眠りがやってきたりする。

心身の庭にも(06.03.07)

啓蟄前の日曜がサイクリング日和で
背戸の雪囲いを外し天日干しの間に
引っ張り出し磨いた2台で試し乗り。

娘が発作的な薬の一気のみをたび重ねたり
父母は酒瓶を空にしても寝つけなかったような
時期も経てきた今日この頃も抗うつ薬のおかげ。

今年の冬のわが家の庭に訪れたのは
暮らしを襲った異常気象や天候不順みたいで
予期せず日常生活のどこかで何かが起こったり。

超スローペースのお袋には負けるが
なにごとも今はユックリズムの娘や
やたら買い物や料理が手早いヨメと
食卓を囲んだり共生する暮らし向き。

灯油の値上がりや高額医療費など気にせず
老いさらばえてもこんな感じで三度の食事を
みんなで愉しめるような施設に入るのもいいかも。

“うつ”で自らの生活を表現できにくくなって太り
腰痛も出てきた娘はダイエットを取り入れたり
年相応に目もくたびれてきた父はメガネの新調など。

爺婆バカ画像の数々(06.03.04)

なんとかわが家の前庭に駐車スペースを
ということでネットでリフォーム・サイトに
書き込んだら数社から問い合わせがあったり。

塀に挟まれた門扉に続く玄関前のアプローチを写した
撮り溜めデジカメ画像で現状を添付しようと探せど
夫が休日仕事で母子家庭みたいな娘と孫らの過ぎし姿ばかり。

何となく孫らを写した画像を手当たりしだいに集め
PCでスライド再生して眺めた午前のひとときの想い
あちこちくっついて行った爺婆じゃ父親の場所は埋まらない。

娘から母親に変貌しなきゃならない大変さは
いやおうなしの子育てに待ったなしの母性を背負わされ
専業主婦でさえどうやって子から親への変わり身を遂げられよう。

どう母親として産んだ子どもにかかわるかだけじゃなく
家族の根っことして続く夫婦の営みも変わらず維持する
人間としての力の保ちにくさはいったい何に由来するのか。

起こってしまった家族の問題は夫婦と親子の
関係を軸に血縁間のとりまきに帰着するしかなく
離婚沙汰はしかたがないが裁判沙汰などとんでもない。

空振りもいいかな(06.03.01)

2月末日のお昼頃にマンションから県外へ引っ越すから
その前に一目でいいからマー君やミーちゃんの顔が見たくなり
当日朝早く予約治療を受ける娘と一緒にバスで出かけたのに。

病院を出てマンションへ会いに出かけるまでもなく
引っ越し作業が前倒しになって出発したトラックを追いかけ
手伝いに訪れた別れた娘婿の両親が住む実家へ走りだしたあと。

かかってきた電話内容に3人とも拍子抜け
涙の別れみたいなことにならなくてよかったかも
処方薬の待ち時間に気を取り直すみたいにお茶など。

“うつ”病で家事や育児がまるでダメになるまで
乳幼児期の二人の面倒を見きっていた娘の姿から
子どもらの無意識の壁の心強さを頼りにするしかない。

なんとか起き上がって離婚協議書も取り交わし
フリーターらしく娘が働きに出かけられる日々が
過ごせるようなっただけでも上出来じゃないか。

結婚する前に娘が乗り回していたオヤジ車が
先方の実家から戻ってどうやら娘の足代わりに
さてその駐車スペースを前庭内にでも作らないと。

治療も治癒も(06.02.25)

わが家の前庭に差しこむ柔らかい陽射しが
昨年12月からの残雪を日陰へと追いやり
カウンセリングや面接に出かける娘の足下にも。

“うつ”の治療と残ったローンのいたばさみ
気にするなと言っても求人広告が目につき
履歴書の送付先から面接を求められたら断ったり。

時間単価の高い派遣仕事の面接に出かけ
“手伝いに行ってきます”とメールをよこし
1時間ほど業務をやってから帰ったことなど。

主治医の面談もなく総合病院を退院になり
家に帰った夜に服毒しそうになってとりあげた
処方薬を袋ごと腹巻き代わりに抱くしかなかったとき
包丁を掴んで“薬を返して”と迫られ揉み合って夜中まで。

父と演じたような出来事が離婚するしかなかった
夫との間では起こりようもなかったのではなかろうか
そんな娘が外からどう治療し内からいかに治癒しはじめるか?

総合病院のマニュアルどおりの病棟での看護では
個々の患者に即した治療と治癒との使い分けも
心もとなくこうなったら本人の自然治癒力が頼りだ。

ゴメンネとありがとう(06.02.22)

解毒と身体管理の看護のおかげで
娘に透析が必要なんてことにならず
肝臓のγGTP値が様子見ながら退院。

集中治療室から保護室に運ばれたり
常用していた抗うつ剤が与えられず
錯乱状態でかけてきたPHSが耳に刺さった。

低酸素症による後遺症が危ぶまれる身体に
風邪薬を一瓶ぶち込んだって死ねないし
日本は未開地じゃないから断食も貫徹できない。

娘のおかげであちこちの閉鎖病棟の
内側が覗けたりどうしようもないのや
鋭い短編小説みたいな話も耳にしたり。

さまざまな患者の数だけ向きあう家族の
見えない姿がそれぞれの背後にうごめくなかに
わが家に帰った娘とリタイアした両親との同居も。

付き添わずともカウンセリングにひとり出かけ
帰ってきて身辺周りをそっと片づける姿がいとしく
“家庭の幸福は諸悪の根源”と書いた作家の声も聞こえて。

演習モードの週末(06.02.20)

成績を提出し終わった後期の演習授業が
これまでにない結果になりそうで困った
というか準備してぶっつけ本番みたいな
教室を履修生と創りだすのはむずかしそう。

3日間の外泊の翌晩に退院したばかりの娘が
行きたがった外来受診にヨメと付き添ったら
油断もスキもありゃしない成り行きで緊急入院に。

娘がカウンセリングしてもらっている
医師が書かれたパンフレットを読んだり
“うつ”を生きる家族との暮らしを話しあったり。

久しぶりに土曜のスポ少バドミントンの
コーチに出かけたら羽根を打ちたいのに
引っ込み思案な男の子を相手に教えられ。

「それでもコメントが多すぎるようですね」
日曜の午前に娘の経過そのほか電話面談してくれた
主治医を前に娘とのやりとりを再現したらいい演習に。

もうからだを傷つけたりこころを乱さないよう
家族の間で育むひとりひとりの時間を偏見なく
できるだけ共有できるように生きたいものだ。

外出が外泊に(06.02.14)

先週末の誕生日を自宅で過ごしたいと言ったら
主治医が2泊3日の外泊にしてくれたと知らせてきた娘を
ヨメとまるで何もなかったようにハッピー・バースデーの迎えに。

3人でお茶と雑談をし先月に娘が出たばかりのマンションへ
タクシーで直行しロビーに運び出された花嫁道具を横目に
用意してあった転売書類に本人記名や捺印を済ませたらお昼に。

今月いっぱいで実家の方へ引き払う運びになった
別れた夫や二人の子どもとのお別れ会でもないけど
お寿司の出前にみんなで小さなテーブルを囲んだり。

願ったのにとても子らと一晩も過ごせそうにないと
その場を辞した娘もわが家に帰り着くまでに立ち寄った
銭湯やペットショップの賑わいや混雑ぶりには耐えられたが。

外泊中日に見たいと言いだし一緒に出かけた長尺映画も
外食にしたいといった昼食も楽しそうに過ごせたようだが
夕暮れには事故に巻き込まれて死にたいやら障害者年金で生きたいやら。

外泊の2晩とも親娘3人で川になって寝たのだが
病棟に戻る日の明け方近く娘が別れた夫に託した
5歳と3歳の兄妹そろって家出した夢を見てしまった。

ままならぬ流れも(06.02.10)

その日によって予想もつかないこころのありよう
世の中の動きなんかそっちのけみたいに待機したり
テレホンカードも消耗する病棟の娘が話したい相手は?

“女性とうつ”をライブ特集した先月のNHK・ETVを
たまたま途中まで親娘3人で見たりなんかしてもしなくても
“うつ病主婦”が家族の内外でどのような世間の目線に曝されるか。

自殺未遂後の入院時の娘を見舞ってくれた“うつ”女性は
なかなか籍を抜いてもらえずやむなく万引きまでして
前科と引き換えにようやく離婚にこぎつけられたとか。

すれ違いの家庭生活がもたらすストレスにどこまで娘は
耐えられたか打たれ強さ弱ささまざまな出来事や想いを
遺書に書き残したまま二人の子だけは夫に託したのに。

男女の合意からの夫婦生活が千差万別の愛憎でもつれ果て
双方の実家が鉢合わせしたって破綻した原因や責任など
カネやら世間体やら当座の処世などせり出す壁の下敷きに。

やり直しなんてない事態からそれぞれの暮らしの
方途を探る以外に手だてもないところから一歩でも
前に進むこころを持ち続けるほかにどんな道がある。

あせらずゆっくり(06.02.07)

1週間前から閉鎖病棟で療養している娘が
電話で話したがったり会いたがったり差し入れ
そのほか入院先の行き帰りのバス乗り換えにも要領が。

面会帰りのバス乗り換え待ち合わせ時間潰しに
平積みされていた佐藤優『国家の罠』を買ってみたり
ネット社会から拘置所へ閉ざされた男はこの本を読んだか?

あれやこれやでそれどころじゃなかった1月の半ばに
昨年暮れに契約していた「光プレミアム」接続工事が片づき
さすがにデータ転送はADSL接続の比じゃないがWebがもたつく。

“幸せにしますから結婚させてください”
娘が引き合わせた男の「ことば」を受け
ヨメともども二人の門出を願ったのが8年前。

気づいた頃には家事や育児に仕事の
すべてだけじゃなく治療用の薬剤の
自己管理までおぼつかないことに。

もうこれから先どのような家庭生活も望めなくなって
別れたからには一方は父子家庭の足場をしっかり築き
片方は病を引き受けながら日常生活が営める日々を。

なんとか途切れないように(06.02.03)

ここんとこ当サイトそれぞれのページの更新も
覚束ないようなことになってしまっているけど
とりあえずできる範囲内でつないでいくしかない。

どうにか授業も終えレポートの評価や
補講で実施した期末試験の採点そのほか
近日中に仕上げきちんと報告を済ませよう。

このページの先月の雑書きを見て電話や
メールでご配慮いただくなどお心遣いに接し
ヨメともどもこころから感謝しております。

鬱的な関係づけの世界を引き受けざるを
得なくなった娘のケアにかかわれることで
何でもありの日々を何とか更新しないと。

出たり入ったり昨年11月から4度目の入院をし
おととい二日目の明け方だったか捨てわすれていた
睡眠薬を見つけてとっさに全部飲んでヤクは4度目に。

お正月の自殺(アナ未遂)による3度目の入院から
強制退院となりわが家から通院療養していた
10日間は眠れない夜を幾晩も過ごして今日ここに。

いのちをつなぐ手だて(06.01.24)

先のことはともかくよくもまぁ〜
今日ここまでいろいろあったのに
後遺症そのほかまだ何がどうなるか
わからないが生きて娘が家に帰ってきた。

どうにもこうにもならなくなってしまった
娘夫婦と子どもだからこそなんとかそれぞれ
協議離婚後の道を新たに歩みださないことには。

一晩も車で一酸化炭素にさらされ担ぎ込まれ
担当してくれた精神科医だけじゃなく以前から
娘が世話になっていた精神科医も若くて所帯持ち。

二人の医者の言葉を先週末に聞くこともできたが
その前に僕ら夫婦の腹は決まってしまっていて
これまでもこれからもホッとしたり散々な日々も。

死後のことはどうとでもなれとしか言いようがなく
もし天国や地獄があるとしたらどこまで行っても
この世に生きている人々の苦楽のなかにしかあるまい。

まだまだ鬱で自然な日常がままならなくとも
それぞれが今日を生き延び明日につなぐ手だて
あれやこれやの苦労をしないと自然死にはなれない。

寒中に雪解け(06.01.17)

厳冬からいきなりひっくりかえって
先週末は暖かい雨で雪解け濃霧がたちこめ
今シーズンはまだ一度も出かけていない
地鉄立山線が雪崩で不通なんてことも。

大雪に見舞われた独り暮らし高齢者宅に
不審な雪かき業者が出没とのことだが新雪を
踏みにじった悪徳商法の跡の消え行く先が。

落ちた屋根雪で窓が壊れないよう
除雪に励んだ背戸の地べたも見えたが
さすがに蕗の薹はまだ匂いもしない。

雪の重みから解き放たれたのに
くたびれ果てた建具のゆがみか
家事室が出入り不能になったり。

あれこれ思いめぐらし励んできたのに
家事や育児に仕事など日々の営みから
締め出されてしまったこころの行方は?

予約購読していたことも忘れかけていた
『風のたより』が2年ぶりで17号が届き
「鎌倉諄誠追悼特集」を手にひっそりうつむく。

雪の止み間に(06.01.13)

1月も2週目に入って決まりごとをこなし
約束事も違えない暮らし向きに乗っかって
浮き沈みしながら溶けかかった雪道を歩く。

雪吊りが傾いた庭木の雪も滑り落ちはじめ
しばし寒気もゆるむ鬱々とした時空から
解き放たれる日々がやって来ることを。

なにかと行き来できていたはずのこころが
いつの間にか遠ざかったままどうすればいい
とらえどころのない異邦人のようなたたずまい。

やって来ない昨日と届かない明日に挟まれ
日常を生きる序列から見放されたように
閉ざされたところでいま・ここに宙吊られ。

いまどこにいるのいないのわたしかくれんぼ
どこか内閉しているようでも自閉していない
ひたすらあることにとらわれこだわりめぐる。

自分と社会との間に架け渡された橋の行き来で
ことさら自分に忠実に振る舞おうとする限りは
誰だってとてつもなくズレた領域に投げ出されそう。

寒い日を繋いで(06.01.10)

もうどうしようもない事態を待つしかなかったのに
一命をとりとめただけじゃなくかけてきた電話で声に触れ
よこしたメールを読み後遺症の様子も会って話せたり。

離れ屋根から滑り落ちた雪で埋まった
背戸の窓が割れないよう掘り起こしたり
凍結して転びそうな朝のゴミ出しや郵便の投函。

オンラインで確かめた予約刊行物の発刊案内から
1週間余り待って問い合わせメールを出したところ
年末の社屋移転などが重なり直接購読者への発送も渋滞。

当の出版社主宰ご夫妻が過労で倒れられたなんて
知る由もなかったが何で催促なんかしたんだろう
これまで待つこともそんなに苦手ではなかったのに。

読んだり観たり聴いたりすることも薄らぎがち
正月スポーツ中継テレビ画面にくつろぎながら
何気に人の命の量について思いめぐらしたり。

人として生まれ、所帯を持ち、子を育て、そして
老いてゆく、そんなフツーの暮らし向きを何よりも
大切に考えながらやってきたことだしこれからもまた。

九死に一生(06.01.06)

3日に届いた年賀状など見たいからと言って
泊まりに帰ったはずのマンションの部屋に
遅い仕事から帰るひとを待つ書き置きが。

夜を凍らせたPHSの知らせに息も途切れ
車ごといなくなってしまった奈落の闇へ
空しいコールを繰り返すたび手先も冷たく。

調書に記す実家を出たときの服装など
電話をヨメに代わってもらう手も震えだし
見えない常用薬袋のほか何の手がかりも無し。

玄関灯が照らす新雪に入ってきた足跡を見つけ
なぜか戻った形跡がないのを二人で確かめあい
ひっそり孫っチイを起こさないよう家捜しも。

今にも戻るんじゃないかオロオロ居間を
暖めたり玄関の窓を開け閉めしても車の
音もせずあれこれトホホに乱れるだけ。

白々と明るんできた今こそとコールしたら
手応えがあるも繋がらず切ったとたん運よく
マンションで待ち受けた救急搬送連絡がPHSに!

年を越したアンコール(06.01.03)

暮れにNHKテレビが見せた郵政公社の
年賀状の仕分け作業のシミュレーションは
トヨタ方式とかで秒単位でチェックしていた。

あんなにしてまでと思わないでもないけど
今年も届いたりすると元気で新年を迎えられた
合図みたいに戌年の図柄に託して返信したり
2日恒例の年賀の席で親戚に手渡してみたり。

大晦日も元旦も絶好のスキー日和だったのに
不都合で行けないとなると冬場の暮らしこそ
インドアとアウトドアの切り替えが大切に思える。

ちょっとした読み残しや聴き漏らしなど
なんとなく2005年を振り返ったみたいに
年末ぎりぎりにオンライン注文をしてみたり。

お金を払わなくても耳に届いたヒット曲だった
ビーチボーイズのベスト盤ともなると1曲60円で
30曲もリクエストできるCDが手に入るなんて。

新しいところではマデリン・ペルーの1枚が
大向こうを狙ったりしない出来栄えのアルバムで
作り込みの素晴らしさについアンコールしたくなる。


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