十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)

最終更新日:2005/07/01

梅雨の軒端に憩う(05.06.28)

なんとなく誕生日は真夏日を予想していたのに
6月も末にようやく梅雨空に切り替わったようで
やっぱり降るべきときの雨に庭木も安らぐようだ。

ぼんやり原っぱに寝そべっていたらふとやってきた
UFOに吸い上げらるようにバースデーケーキが現れ
そんなグリーティングカードが娘から届いたりして、

乗り損ないそうになりながらもどうにか間に合ったようで
なんとかここまでやってきた家族列車の乗り心地はどうやら
アレコレ経過点で滞ったり速くなったりの浮き沈みの繰り返し。

とりわけ働きだす前に誰もが遭遇するかも知れない
さまざまな場面や季節を潜り抜けさせたりする命の糸には
就学前に母の廂から出たり入ったり遊び呆けたひと時が。

とりあえず家出するみたいな距離の取り方ができれば
なんて言ってみたって何もかも後の祭りみたいなことに
なってしまうからこそ幼年を織上げた家庭の軒下が問われる。

行き場を失った少年らの行為が伝えられる一方で
乳幼児から思春期までの一貫教育だなんていったいどんな
家庭の育ち方をしたらそんな考えが出てくるのだろう。

この夏のBGMに(05.06.24)

やってこない梅雨に早過ぎる真夏日が続いたり
週一の出勤途上で目についた伸び放題の雑草がはびこる
城趾の掘割の緑地帯にすっきり手が入ったりして。

コンピュータ目録演習の学生さんが仮名や漢字だけじゃなく
なんとアルファベットもローマ字変換で入力していたりして
英数とかな変換を切り替えないキーボード扱いが目立ったり。

なんか無国籍な感じが教室を吹き抜けたみたいで
キャンパスの行き帰りのiPodから流れたアフリカ音楽
セクバ・バンビーノのシニカンが妙にぴったり響く。

自室の床に積み上げていた本や雑誌の下敷きに
なっていたとも気づかなかった段ボール箱から
とうにあきらめていたサックスのネックが出てきて、

部屋の隅に捨て置いた皮ケースから本体を取りだし
やおら錆びついたネックをはめマウスピースを口に
リードを湿らしたが息も指使いもなんともあがったり。

部屋を空けてるうちにグッタリしてしまった鉢の
植物に水をやったらたちまちシャキッとなるのに
習い事は手放したり中折れするとどうしようもない。

旧友再会(05.06.21)

どうやら日本野球の面白さを掘り起こした
はじめてのセ・パ交流戦も終ったが
NBA'04〜'05ファイナル真っただ中だし
ウィンブルドンのテニス中継も始まって
古いレコードはなかなか聴く暇も無さそう。

ちっとも梅雨らしくない日曜(6/19)の昼下がり
スイカをぶら下げ昔そのままの笑顔でひょっこり訪れ
お互い知ることもなくそれぞれの暮らしに
いそしんだ30年余りをワープしたみたい
いささかくたびれたわが家のリスニングルームで
なんだか若返ったみたいにジャズが響いた。

まだ10年にもならないが街中でかって
行き来した年上や年下のジャズファンに
出逢いわが家で聴かせてと言われてたのに
果たせず二人ともに先立たれてしまった。

20代の終わりに通った夜学でジャズを
きっかけに知りあった頃はまぁ見るからに
身体が弱い方だったのにどちらも大病しないで
生き長らえ持ちこたえさせてくれたさまざまな
エネルギーの一つに音楽を加えていいかも。

暮らしの止まり木(05.06.17)

このごろ明け方に聞こえる目覚ましが雉から
鴬の鳴き声に変わってどっしり構えられない
いかにも不安定な足場加減がそのまま伝わるのに
真っ昼間に見かけるとテレビのアンテナを止まり木に。

自称元競輪選手のギンちゃんと
元ドラッグ・クイーンのハナちゃんと
家出少女のミユキの3人が
クリスマスイブに見つけた捨て子の
親を探しだしたりするホームレスによる
ホームドラマみたいなアニメ映画もあった。

聞けばリストラで仕事を失ったあと縁あって
同じ市内で暮らすことになった高校の同級生から
桜の頃に電話があったかとおもうとジャズにのめり込む
きっかけになった夜間短大の同窓生が伝を辿って
6月の青葉を揺らすようにわが家へ顔を見せてくれそう。

定めがたい生涯の復路の彼方からふと現れては
消え行く往路の歳月の影に何かを見いだしたり
そんな年ごろにさしかかったということだろうか。

本との距離感(05.06.14)

L字に隣り合わせの壁二面を棚板と側板で仕切った作り付けの
書棚に読みっ放して突っ込んだ本がいつの間にやら収まらなくなり
入れ換えや取出しを繰り返す度に本それぞれの置き場所が分かれる。

いつの間にか遠ざかり棚の端っこから部屋の外に消えるもの
なんとなく棚の上か下のどこかに居座り続けるものもあれば
座右って言うほどでもないがいつも手近かに残るものは少ない。

しょっちゅう読み返したりしない詩集や漫画本なのに
書棚からはみ出してもなんとなく追い出す気にならず画集や
写真集ともども買い足した組み立て式の本棚に並べ部屋を狭めたり。

読むことは手の届かないところで書き手と組みあう格闘技めいて
20年近く重量級ボクサーの代名詞だったマイク・タイソンも場外へ
名前が消え行くように手応えのあった本なども階段裏や押入へ。

金太郎飴の切り口みたいな品揃えの郊外書店に足を運んだり
オンライン書店のカバー画像や書評その他を眺めたりするうちに
本とのファーストコンタクトだけじゃなくポイントで衝動買いも。

さまざまな図書館のOPACをよそ目に検索ポータル・サイトの
海外版GやYが図書の目録データだけじゃなく内容の一部まで
見せてくれたりするようになってきたが国内書の手触りはネットの外に。

その手は操り人形(05.06.10)

時の記念日というより「やすんごと」の日といっても
もう通じないし関わりもないところでの暮らし向きに
落ち着いたというより流れ着いたような梅雨待ちの空。

笹の葉の香りに包まれたサバの押し寿司の手触りの彼方に
田植えも終って虫除け前の束の間だけ寝転がっていたような
酒も女も世間知らずなまま羽ばたいていられたなんて日々が。

見かけたコラムの「自殺したくなったら、図書館へ行こう」で
その気になれる程度だったら別にどうって言うこともないんでは
自分にとっての本さえ読めないようなときをどうやってしのげるか。

正午の“ドン”で午前から午後に変わるような着せ替え人形の影が
走り去った抜け殻に訪れる人の澱みも流れもすべて受けとめたり
濾過してくれる場所でページをめくったりする装置があるのかな。

かのIBMがパソコン事業から手を引いたのを受けてのことなのかどうか
あっさりAppleがCPUをPowerPCからIntel製に移行を決定したみたいに
誰もがそれぞれの人生の節目をいとも簡単に乗り換えられるとは限らない。

全産業における就業者人口の比率が第1・2次より第3次産業へと高まって
かっては選ばれし人が背負わされたような心身の病がきつい職業生活の場から
一般の家庭生活の場へと密かに根を広げる大衆化を食い止める術は無さそう。

日々の片付け具合(05.06.07)

ピアノの弾き語りジャズに耳を傾けたり“おばはん”語りに笑ったり
土曜の晩はソロによる綾戸智絵5度目のライブを知人夫婦と楽しみ
翌日曜は久しぶりにバドミントンのクラブ対抗戦でゲームに出たり。

帰りがけに駅北口のホールや体育館に近い娘夫婦の住まいに寄ったら
マー君もミーちゃんも大歓迎で寛ぐどころかあちこち引き回され
娘にそこは入っちゃ駄目と言われた片付け加減がこの頃の様子を語る。

わが家の家具類は地震で下敷きにならないくらい片付いているが
数千を数えるレコードや本となるとどこから手を付けてよいやら
売りにもゴミにも出さず気分転換みたいに動かし模様替えするだけ。

何十年の間に目や耳で整理してきた記憶違いみたいな感触の曖昧さ
手にしたレコードは針を下ろした感触だけじゃなく買った場所まで
思い出せたりするのに本となるとこんなのいつ読んだか中味もさっぱり。

もの覚えも頭の働きもさっぱりの口だからあてにはならないが
視覚より聴覚の方が初源的というか原始的なんじゃなかろうか
目覚めたときや眠りにおちるときの五感の働きからもそんな感じが。

ブルーマンデーとはすっかり縁が切れたようだがブルーでグルーヴィとなると
レイ・チャールズやローリング・ストーンズに捧げた2枚の新着CDが企画倒れじゃなかった
どんな名作や名演といえどもいま・ここの暮らしのリズムに合わないものはしょうがないかな。

セキュリティの網の目(05.06.03)

挑戦者が一発もパンチを出さないまま50秒ほどで試合終了に
今週はじめにテレビで観たWBOヘビー級タイトルマッチで
チャンピオンBが立ち上がりから一方的に挑戦者Gを封じこめた。

先月半ばに不正アクセスを受けたサイトを一時閉鎖するかどうかで
「価格コム」が“様子見”をしてたらクラックされたサーバに
仕込まれたウィルスの被害をさらに広めたなんてほんとうなの?

格闘技じゃあるまいしそんなやり方でセキュリティを保とうなんて
閑古鳥が鳴きそうな同窓会MLがウィルス・メール被害で開店休業中に
追い込まれたりするのも登録メンバーの“様子見”に起因しているかも。

“窓”系から“Unix”系に乗り換えたネットワークPCのOSをバージョンアップし
とあるWebサイトにアクセスしただけでプログラムがダウンロードされてしまい
ハードディスクを探し回って棄てるのにデスクトップ検索が役立つなんてことに!

地べたじゃよってたかって一人暮らし生活者の懐金をむしり取る
あの手この手の勧誘の落とし穴が口を開けて待っているようだし
90才以上が100万人の大台に乗った高齢者向けセキュリティが必要かも。

サイバーテロ対策はボクシングみたいに攻撃が最大の防御にならず
ネットワークの本流じゃないからセキュリティがおろそかみたいに
老人や子どもが社会の網の目からこぼれ落ちるようじゃどうしようもない。

作業日和に(05.05.31)

あちこちでレッサーパンダが立ち上がったなんて
どこかわが子や孫らのそんなときを思い出させられ
戸惑いながらもふと立ちどまったような姿があどけない。

立っていられないほど調子が悪くなったりした時など
倒れ込むように寝てしまえばいいかといえばそうでもなさそう
骨盤のもたせ方呼吸の保ち方で心身の持ちこたえが違ってくる。

誰しも生き長らえることはわれ知らず人体実験をどこかに
隠し持たされたように右往左往したり七転八倒するようなことも
なってみたりやってみなきゃ試したことにならず何とも言えない。

どうにもこうにも仰向けにひっくり返ったらそのまんま
どこまでも墜ち続けて起き上がれなくなってしまいそう
だったらなんとか楽になる傾きの姿勢を探り出せるか。

暑くも寒くもない日和に窓を開け放ち埃をはたいたり
押し入れや書架や納戸に風を通しながらの整理作業にも
かっての図書館書庫内移動作業での身体の捌き具合が甦る。

吹き抜ける風のように全身に分散する力を集めるような
やり方だと腰や関節に余分な負担がかかららず両腕で
本を挟んで上げ下ろししたりするのが面白くなってくる。

それぞれの踏みとどまり方(05.05.27)

まともに生きようとしていたら誰だって
ときには逃げ出したくなるような場面に
さらされるだろうが実行の契機となると‥‥。

1回目の失踪から呼び戻された漫画家が現場復帰し
寒くて死にそうだったホームレス場面を書き出した翌朝に
「…こっちはもっと悲惨でした」と奥方に書き足されていた。

踏み外しようもないほど切羽詰まっちゃったらどうしようもない
アルコールの助けのあるなしに関わらずいずれ逃亡先といえば
精神病棟じゃなかったら塀の中と事が運んだりすることもありがち。

旧日本兵故横井さんや小野田さんの生還から30年以上過ぎた
戦後60年目にフィリピン・ミンダナオ島で二人の生存者が発見され
「自給自戦」でしのいできたほかの仲間も保護を希望しているとか。

「誰にも拘束されずに自由に暮らせる。それがいい」
帰国から1年になる拉致家族の子どもらの暮らしぶりについて
親が語ったように家族が一緒に暮らせるのが一番いいということ。

郵便受けに舞い込んだ「今後も住み続けたいと思いますか」という
「市民意識調査」の問いかけの一つに税金や年金を納め続けてきてものが
感じたりする戸惑いから老後の暮らしまで孤独な五月の風が吹き抜ける。

嬉しい響き(05.05.24)

内外で実績を積み重ねてきているけどそのうちCDを吹き込み
売れるようにならないとねなどとヨメと旧知の尺八奏者の噂をしていたら
ライブで共演したジャズピアニストの新作アルバムで実現したようだ。

まだ聴いちゃいないけど近ごろどこかのライブハウスでカムバックした
忘れられないピアニストの新作CDともども聴いてみたい気がするが
できたら近所のライブハウスなどでさりげなく楽しめるといいのだが。

昨日午後の雷雨が去った晴れ間に二人で出かけたご近所3度目のライブ
北川 潔”Bass Trio”Japan tour featuring 山田穣(as)、吉岡大輔(ds)を聴き
多彩なパンチとフットワークを兼ね備えた中量級のウッド・ベースを堪能。

ワインを飲みセカンドセットでソロによるバラード・メドレーに揺れながら
かって毎週土曜の晩にレコードを抱えてわが家を訪れベースが大好きだった
Iさんなら間違いなくこの場にやってきて僕ら以上に楽しめただろうに‥‥。

ジャズがそれなりの人気があった頃は東京や大阪や名古屋などあちこち
二人でやりくり都合をつけたりして出かけたりしたこともあったのだが
10分足らずの散歩で素晴らしいミュージシャンの全力投球に出会えて幸せ。

客の入りはガラガラだったけどよくぞ買い物がてらにチケットを買い置き
わが家のリスニングルームで聴き慣れた曲からお気に入りをピックアップ
したみたいな演目の心地よさに身体もチューンアップされ抜け切ったみたい。

節目の誤作動(05.05.20)

以前に働いていたことのある大学図書館で念願かない
新館増築できたのはよかったがネットワークや空調そのほか
とりわけ火災報知器の誤作動に泣かされたなんてことが。

救急医に言われた紙袋を外出時に忘れないようになったが
夜間開放の体育館でHVになったときなど厚手のマスクをしたら
両手がふさがらず運動もなんとか続けられるなんてこともわかった。

それなりに長く生きているとさまざまな関わりのなかで
にっちもさっちもいかずストレスのドツボにはまりこんだり
したときなどHVのかけらもなかったのになんで今になって?

対処できればいいようなもののでも週に3回も襲われるなんて
人さまざま丈夫そうじゃない身体だと10年ごとに厄年みたいな
誤作動に見舞われるなんてこともないようであるかもしれず。

最初は何が起こったのか訳がわからず症状が治まったところで言葉に
書き出しいろいろ検索してみたがパニック障害と区別できなさそう
だったのにひょんなことから救急病院での血液検査で特定されてよかったかな。

とにかく昨日の午後の2コマの授業も何ともなく了えられ
行き帰りのお供のiPodから響いてきたジョン・ハイアット唄う
“What Do We Do Now?”の見事な息継ぎに聴き惚れ直したり。

コピー&ペーストも使いよう(05.05.17)

某テレビ局公式ホームページのコラムで他社サイトからの盗用が
簡単にできちゃうのもネットでアレコレ参照しながら原稿を書いたり
学生のレポートがWebページの文章の繋ぎ合わせになるのと似ている。

オリジナルであるべき1次情報の作成現場ではあるまじきことも
コピーカタロギングみたいな2次情報の作成現場ではあたりまえ
書誌データーをコピーできるから共同分担目録作業が図書館を束ねている。

まずシリーズ名と各巻タイトルが書誌の親子関係を結ぶ丼の役目など
カード目録の仕組みを先に習った学生さんに総合目録データベースの
著者名や叢書名などレコード相互の「リンク」作業にどう馴染ませるか。

なんてのも引き受けて3年になった演習科目の感想といえるかどうか
初めての方だからこそわかる説明の仕方があるという気がしているのに
そんなポイントも掴めず最初の頃はやたら詰め込み過ぎて迷わせたかな。

医学部3年の教室へ図書館員が出向いて医学情報の探し方を教えたり
やがて基礎共通科目としての「情報リテラシー」のテキストの一部として
図書館員がOPACをはじめとした図書館利用法を載せてもらったことも。

はたして教育や学習現場での情報収集やレポート作成に役立ったかどうか
よくわからなかったが来年度からいよいよ「情報科」を終了した高校生が
司書課程の教室にも現れるそんな先の授業のことなどどうなるかわからない。

吸い過ぎにご用心(05.05.13)

火曜朝の発作後はなんともなく木曜午後の授業に出かけられ
安堵の思いに浸る間もなく帰りのバスの途中で第2ラウンドが
やってきてなんとか呼吸を緩め痺れる両手を揉み解し駅前終点へ。

タクシー乗り場へも娘のマンショへも辿りつけずどうにか
目についた駅前のビル1階ロビーのベンチにへたり込みながら
なんとか受付嬢に頼んだがビル内で横になれる場所はないという。

やってきた守衛も救急車を呼ぶしかないというような対応で
自力でやり過ごす間もなくやってきたストレッチャーに乗せられ
救急隊員のなすがままになんとか呼吸をゆっくり保つようにするだけ。

搬送先の救急担当医とのやりとりも聞こえてきたりして
やっぱりそうだったかというような症状名だったようで
自宅からそう遠くない総合病院に運び込まれて決定した。

アレコレの処置や検査が終って口と鼻を紙袋で覆われたら
もう幕切れみたいに楽になったところで連絡しておいたヨメが迎えに
担当医の説明にあった原因となるストレスだけは何か見当もつかない。

いい年をして若い人それも女性に多い症状に遭遇するなんて
先ほど自転車散策がてらに病院の支払いを済ませてきたばかりだが
おかげで来週予定していた健康診断を先取りして済ませたようなことに。

木の芽時のハンドパワー(05.05.10)

まるで目覚ましみたいな雷が雨を降らし
濡れた緑のざわつきもおさまった朝方のこと
ふとしたはずみに不調に落ち込み起き上がれない。

手足が冷たくなり身体も強張って震え呼吸しにくくなって
でも前のように意識を失わなかったが回復までの時間も長く
これまで何度も繰り返してきたようにどうやら治まったみたい。

たまたたまMLB中継で松井秀喜とイチローのチーム対決や
野茂と松井稼頭央の投打の対決を見ようと2階から下りてきて
部屋に入ろうとしたところだったからケガしないで済んだかな。

思い起こせば附属病院のある大学図書館に勤めていた頃だったか
なんだか時々おかしなことになってアレコレ診てもらったのに
何も特定できないまま日々の暮らしに紛れ込ませ養生もしていない。

連休にやって来ていた娘と「五月病」の話になってチョットばかり
気になったりしていたがまさか久しぶりに自分がおかしくなるなんて
今回ばかりは伴侶のハンドパワーで身体に温もりが戻り呼吸できるように。

女子マラソンランナーが10年になる男子監督から離れ独立したとか
長続きするのがいいなんてざらにないというのがほんとうだろうが
とりあえず一緒でも夫婦の仲だけはそうとばかりはいえないようだ。

この連休の残響から(05.05.06)

さて連休ということでいつもに増して孫らと過ごすことに
ということにもならなくてサイクリングで遠出をしたが
欽チャン球団と富山ベースボールクラブの試合があるから
魚津までひとっ走りという元気は二人ともなかったようだ。

懐かしのモータウンサウンドをドキュメンタリー仕立てに
たしか昨年のGWに公開されたはずの音楽映画を1年遅れで
それもテレビで録画したのを楽しみながら音の同窓会気分もよし。

思春期が小説と出会って“トカトントン”な深みにはまった頃に
聞こえてきた洋楽が刻む“ンンタ”なバックバンドで刷り込まれた
響きがいつのまにやら懐メロの一つになってしまっていたかな。

どうにも食えないなぁ〜みたいな和製フォークソングだったのに
『バーボン・ストリート・ブルース』の著者の訃報に驚きようも無いが
今こそ彼の「ベスト・ライブ」をただただ聴いてみるしかないだろう。

不祥事だろうが不始末だろうがとりあえず流してしまうしかない
やりきれなさに首まで浸かったままどこまでやり通せられるだろうか
待ち望む夜明けも見失ったようにどこまでも狂おしくひた走るフーガ。

いったい何と呼べばよいのか35年前のエレクトリック・マイルスの
バンド演奏にとてつもないところへ連れ出されたりして驚いたかな。

ほぼお休み(05.05.03)

毎日が連休みたいな暮らしぶりだからゴールデンウィークに
前半も後半も関係ないようだけどなんとなくテンションも下がった
ところでPC3台のOSをバージョンアップしてアレコレいじりはじめた。

どこにいてもオンラインショッピングで楽に発売日に入手できるのに
パチンコ店の新台入れ換えみたいに発売日のストアに長蛇の列ができたり
並んで待って食べたりするとよけいおいしく感じたりするのと似ているかな。

昨秋から気になっていた金沢21世紀美術館に娘の運転で立ち寄れたが
雨模様の連休初日の館内のイベントに人垣が取り巻く混雑ぶりにもかかわらず
開けっ広げで敷居の低い居心地がして街中の息抜き広場みたいで新しかった。

めっきり機会も減ったけど外で飲み食いするにしたってどことなく
生活感が滲み出ていたりすといただけないというか楽しめないのも
おふくろの味なんてのは家や土地柄をはなれると紛い物で白けるばかり。

久しぶりに中途半端な箱物と違ってリピーターになりたいような出会いに
決め手はなんだろうと思わされたりしたがたとえば富山のスキー場みたいに
景観に恵まれていてもリゾート感が乏しく欠けていたりすると廃れるしかない。

フランスに税金を納めフランス語を喋っているのがフランス人というが
税金や国語の有り様がどうなっているのか仏大統領の答の先が読めなくて
さて日本の場合はどうなんだろうなんて休みボケしたようなどうどうめぐり。

日々の仕込み味(05.04.29)

例年のごとく行楽で盛り上がるような予定は何もなかったのに
都合をつけ娘夫婦が子らと隣県の動物園に出かける車には
二人ともほいほい乗ってしまったりする連休のはじまりだが。

お天気しだいサイクリングでどこかへ走るか家で何をするか
そんなことより家族で綴る日々の基本となる快食快眠快便に恵まれ
おまけにこころ動かされたりするには何をどのようにすればいい?

うけない流行らないもてないこともなかった頃のジャズを楽しむのに
いったい何枚レコードが必要かジャズ喫茶(死語)のマスターとの結論は
手元に500枚ぐらいあれば充分だがコレクションのタイトルは固定できない。

一つの詩や小説や舞台や絵そのほかで揺り動かされたりするのにも
さてどのくらいつぎ込めばいいかパチンコみたいなあたりはずれが
時勢が要求してくる授業料みたいなものも払ってカスを見分けなきゃ。

情報化にとりくむいっぽうでどこの図書館も書架や書庫不足に泣いていよう
土を吟味し剪定を仕上げ天候に恵まれた収穫を詰めた樽の保存に心を配る
そんな風にデジタル・アーカイブもどこかで育てられているのだろうか。

誰もが必要なときに入手さえできれば落語でも何でも安心して棄てられよう
雑踏の中の街角ウオッチャーになったみたいな参加感で楽しませてくれる
始まったばかりの連ドラ「タイガー&ドラゴン」の開かれた笑いに声が出ちゃう。

片付かない部屋の窓から(05.04.26)

いつなんどき何が起こるかわからない
こころの底ではそう思っていても驚いたなぁ
昨日の朝に尼崎で起きたJR快速電車の脱線事故。

身内に散髪してもらったらささやかなすっきり感が味わえたり孫どもを
児童館の公園に連れだしたらいい大人が紙飛行機や遊具に夢中になり翌日に
持ち越した筋肉痛をやり過ごすみたいに不幸な事故や悲しい出来事に黙るしかない。

月曜の午後はBGMじゃなく現場の状況を映し出すテレビを点けっ放し
この「立ち話&新着」ページのリソースをいくつか「探索デスク」や
「アクセスポイント集」に振り分けたりしながら中継画面を追いかけてた。

その人の机周りを見ただけで今日は休みか残業を片づけて帰ったかがわかる
そんな仕事のできる人のパソコンのデスクトップがゴチャゴチャだったり
ということでいろんなデスクトップ検索が“売り”なんてことになったのだろうか。

それともどこに何が転がっているか見当もつかないご時世だからこそ
せめて手に馴染んだ抽斗みたいにハードディスクの探し物はまかせなさい
とばかりにOSのバージョンアップの目玉として打ち上げられるようなことに。

身の回りをすっきりしておかないと自然や人為の災害に対応できないが
とりあえず足の踏み場も無く身の置き所に困るようでなければいい
いつの間にか雑然と輝きを増してきた庭の緑のような呼吸と間合いで。

木っ端微塵に(05.04.22)

暖房の境目がはっきりしないような日替り空模様を縫って
自転車散策の途中で木っ端を刻んだ神仏像を眺め歩いたら
どうやって区別したらいいのか分からない妙な気分になった。

山歩きをしていて県境を右へ左へ自在に跨ぐ面白さや
人がつくった境界線というものがとても不可思議な感じ
雲海の下に戻れば人間どうしの境目を突きつけられたり。

引き揚げ者だとか片親だとか学歴があるとかないとか
なぜ車を持ってないのとかあれやこれやのレッテルなど
どうでもいい境目があるようなないような線引きの数々。

そんなもの関係ないと知らんぷりをするうちに季節も変わり
春は新刊本を開くような匂いがして日々が砕かれ開かれる
なんてことも感じたりするから日々の人を愛おしんでみたり。

アレコレ区別し境界を見きわめた結果が差別や優劣を招いたり
境目を引くことはときにはとても困難なことを背負いそうに
なったとしてもだからといって内にも外にも逃げ場は見つからない。

衆を頼んで保護色に隠れてもそれなりの息苦しさがあろう
新緑に飛び込めばそれなりの毒素も飲まなければなるまい
花の季節に逝った人も誕生日を迎えた人も味わいはそれぞれ。

見とおせない春景色(05.04.19)

子ども相手のバドミントンはもう何年になるか数えられないくらい
それに3年目に入った司書課程の学生さん相手の授業も加わったりで
いつの間にか4月から流れだす小川が2本になったような今日この頃。

市内で合流している2本の川沿いの桜並木を走っていたりした先週末に
花吹雪に帽子も飛びそうで自転車をあきらめ市役所の展望台へ上ったが
市町村合併で市の端から端まで見渡すなんてことができなくなった。

川の流域も広がり春霞にかき消された3000メートル級の山々に
こだますように合併市長選/市議選の運動が始まって騒がしくなり
やれ出陣式だ立ち会い演説会だの家の中では電話が鳴りだす。

共同記者会見でスーツ姿の3人に挟まったTシャツ姿がいつもとちがい
ワクワク表明もなんともぎこちなかったのも想定の範囲内だったのだろうか
“敵対的買収”からはじまった春先のL・F攻防ドラマが資本・業務提携で和解に。

プロ野球中継もなんとか一回りほど追っかけおわったところで
ぴったり1勝3敗ペースの新規参入球団の対戦試合に注目したが
ベンチでなんとなく壁の花みたいな監督やコーチの姿が気になった。

教え学ぶ場面でお手上げ状態みたいなことをどうやって打開するか
2度目の登板で失投を3ランホームランされる前の期待の新人投手に
誰かが声をかけるなり間を取るなり自然な手助けがあればよかったのに。

どうでもいいことそうでもないこと(05.04.15)

新聞やテレビによる中国や韓国の反日の報道は過剰反応気味かな
領土問題やら教科書問題そのほか反日行動の契機はさまざまだろうが
領土の線引きなんて歴史的に限定された代物で本質的な問題じゃない。

海底資源や漁業権益にしたって共同で開発して利用したほうが
いずれの国民にとってもより良いことが分かりきっているはず
曖昧な“国益”の追求が双方の国民の幸せに役立った例が歴史のどこに?

どんなかたちであれよその国を戦場に巻き込めば侵略したことになり
いずれが勝っても負けても関係国家間の戦争責任が問われなければならず
明瞭に戦時下になされたさまざまな事柄の責任を償い続けねばなるまい。

今回の中国の反日行動は根拠が薄っぺらで長続きのしようもないし
誰かの権力維持の為だろうから騒ぎ立てずほって置くしかないだろう
国民国家の政治権力を開いていくべき課題は愛国や排外で達成できない。

報道されている程度から見て“暴力”どころか騒動に毛の生えたようなもの
もし中国の国家権力に向けての異議申し立てだったら共感のしようもあろうに
環日本海をめぐってそれぞれ自国の権力に立ち向かえない民衆の鏡とすべきか。

拉致問題と異なり「君が代」を強制する教育官僚の意地悪ぶりに無頓着なように
日本の首相の靖国参拝や常任理事国入りに日本国民はさしたる関心もなさそう
だが外側のアジア各国からはそれぞれの見え方の違いがナショナリズムの温度差に。

春の陽気も中休み(05.04.12)

日本列島の南半分はお花見で賑わった土日だが
お隣中国各地で満開の反日デモのプラカードで
何を訴えていたのかテレビ画面が読めないもどかしさ。

どうせやるなら日本語のプラカードが映し出されるよう
周到に準備したりマスコミによる報道効果を計算に入れたり
できてないようなチグハグな感じを引きずってどうなるのか。

枕もとのテレビが音声だけになったりリスニングルームの
地上波テレビチューナーが駄目になっていまだにそのまんま
インターネットのモデムが壊れたときなどソッコーで対応したのに。

インターネットが無くなっても別に暮らしに困らないのに
テレビが映らないとその分だけ部屋の壁に穴が空いたみたいで
日々の余暇の手触りがどこか違ってしまうのは何故なんだろう。

あってもなくてもどうでもいい加減などっちつかずなところ
花見の雑踏の中に紛れ込んだひとりぼっちの安心感みたいな
心地よさとはまた違った雰囲気が部屋で映っているテレビにあるから。

芝生に舞う風の子みたいな孫まで加わった埃っぽい河川敷公園での
今年の花見はお弁当や飲み物を手から放せない風洞実験みたいで
山麓の川べりあたり二人でやり直そうにも肌寒い天気じゃ家で模様替え。

花と緑の交差点で(05.04.08)

なんと今週半ばにあっさり夏日の暖かさがやってきたとたんに
市内から山麓や海辺へのサイクリング車による距離が縮まったが
チョット風が強かったりするとどちらも二の足を踏んでしまい、

庭に花開いた水仙に誘われペダルを踏んで中央植物園に出かけたら
人気の無さに合わせたみたいに桜並木は開幕前の静けさに溢れてて
なんだか熱帯雨林や果樹室やら雲南やラン温室の見ごろの花巡りに。

今ごろは動物園より植物園が馴染むのも幼い頃の裏山歩きの名残か
園内の散策にあの日あの時の季節感がひょいひょい浅瀬を渡るみたいに
立ちどまった風景にダブったりする植物的な時間の停滞にホッとしたが。

鉢植えのまるで陸に上がった二枚貝から二つに伸びる海藻みたいで
どうやら2000年も生きる砂漠の植物を珍しくデジカメに撮ったのに
もう名前を忘れたけど花の名前となるとますます忘れてしまいそう。

“昨日、今日、明日”という名前のナス科の花なんてのを眺めたり
していた二人とも手首や指の関節がそろそろ痛んできたりしていて
園内の樹木に比べ加齢による衰えが目立つわが家の庭木も話題に。

部屋に花を飾ったりするように時には動物も植物も無化し尽くした
地上の衛星写真画像をあちこち拡大したり縮小したり画面操作しながら
架空の昆虫や植物を見つけ近接撮影を試みるみたいな距離感もたまらない。

うろ覚えの彼方から(05.04.05)

いつも鴬は桜の開花に合わせるようにやってくる
なんてこともないのだろうけどわが家の庭木に
まだやって来てくれないのはどうしてなんだろう。

梅干しを作ったりしていた庭の梅の木も八重桜の
道連れみたいに枯れてしまった後も椿の枝などを
揺らしながら囀ったりしていた見慣れた影はどこに。

年度の変わり目に新学期向けWeb教材や授業ノートの
見直しなんてことをやったりするようになったりして
誰それにも共通する中学時代こそが人生の春めいて見える。

処世や義理人情や利害打算を知らない友情なんてものも
芽生えたりするかも知れないクラスの一人とはどういうわけか
遠いチベットの見知らぬダライラマが話題になったりした。

中卒後にそんな関わりとも疎遠になって周回遅れの果て
でもないけど行きつけの短大の図書館で手にした1冊だが
ラマ・ケツン・サンポ『知恵の遥かな頂』に一つの手応えが。

晴れた夏休みの昼下がりの釣りにひとり飽いたみたいに土手の
草むらにひっくり返った空に星が見えハッとしてから遥か隔たって
この冬に自分の全生涯をささげて意識の探求を続けた魂の記録を読んだ。

春の扉絵から(05.04.01)

小・中・校そのほか春に通り抜け出た学校のことなど
定かでなくなってしまっているのに校舎から眺めた
桜の感触から聴こえてきたりする響きに耳を傾けたり。

娘の誕生祝いにいただいた桜の木が花開くようになって
これからという時にアメシロにやられどうしたものか
なんて困ったあげくにとうとう伐ってしまったことがあった。

高齢で引っ越しに同意してくれたじいさんのペットみたいに
運んもらった庭木のなかの八重桜の古木は何処の誰だかが
庭に入り込んで灯油タンクの底栓を抜いて汚染され枯れてしまった。

たぶん10代の曲がり角だったか気ままな一人旅で姫路城の桜を眺め
四国に渡って金比羅山や栗林公園で眺めたりしているうちに雨模様になり
行くつもりだった小豆島に渡らず桜前線とともに鈍行で引き返したことも。

西行の“願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ”は
いつ何処でどのように出会ったか覚えが無いのに見果てぬ夢みたいで
近くから遠くまで時と所を隔てるように桜には人それぞれの想いが。

いつの間にやら自転車を引きだしては何度もその下を通り過ぎた
あたりに回帰するみたいに出向いたりなんてこともあったりして
憧れ出ずる場所が人知れぬ生涯の花の名所となったりするようだ。

日付とお天気を繋ぐもの(05.03.29)

日記といえば夏休みの宿題しか思い出せないが日誌となると
職場の業務絡みで数えきれないくらい書き綴ったしホームページを
立ち上げさせられ5年ほどアップし続けた“新着案内”にお天気はなかった。

昨年あたりからインターネットを賑わしている“ブログ”なるもの
ひょっとしてWeb創成期の日付のある新着コメントが始まりでは
なんて詮索するよりやってみたらことのほか簡単にできてしまいそう。

さしあたってホームページの更新コメントやキーワードを登録した
検索サイトが知らせてくれる図書館関連ニュースやトピックスなど
ログを残しているだけでアレコレ目論見など持ち合わせていない。

インターネットによる情報探索の現場ではゴミ情報みたいに
毛嫌いされたりしていたウェブログにも更新が待ち遠しいものが
あったりすると追いかけるのがキーボード作業時の格好の息抜きに。

ぼちぼち自館のニュースなどをブログで公開する図書館も現れ
図書館ネタなど担当記者が調べ歩いた記事をネットで拾い読んだら
ブログにまとめあとで図書館記事閲覧履歴として読み直せるように。

いつの間にやら三年目にさしかかろうとしている司書過程の
授業に挟む話題の一つや二つになんてこともないだろうが
ネットの検索サービスを使った結果の閲覧からどんな眺めが。

食感遠望(05.03.25)

陽射し暖かいゴンドラリフトの下を小さなカモシカが朝の散歩に
真っ青な午後にペアリフトを降りた山頂でジェット機が交差したり
サングラスを透し春の光が匂い立った立山山麓スキー場が遠のく。

あちこち滑ったスキー場に美味いものなしなんてどうなんだろう
通いつめた地元でビーフカレーにコーヒーやラーメンに豚汁や煮込など
せっかく食べるんだったらあの小屋でと言いたい看板の味なんてのも。

ここんとこ体育館に出かけるたびにガットが切れたりしてるが
衰える一方のバドミントンやら来シーズンまで名残惜しいスキーなど
老いの入り口で一緒に楽しむ相手がいるってのが食生活と地続きみたい。

一日の暮らしから仕事に費やす8時間がなくなってしまい
ひたすら食うために働いていたのが今じゃおいしく食べたり
そして飲んだりするために運動を続けているようなところも。

家族3人の昼食を終えるのに1時間以上なんてことが
あたりまえみたいなことになってしまって中食はもちろん
外食もほとんどしない引きこもり型の食生活がしっくり。

わが家の味の作り手もおふくろからヨメへと移り変わって
ゆきあたりばったり手を抜いても気は入っている食の毎日で
家族みんなが元気でいられるってのがなんともありがたい。

連休の岸辺で(05.03.22)

春分の日にすっかり花開いた背戸の蕗の薹を探しながら雪囲いを外し
引っ張り出した自転車を試すみたいに2人で郊外や市内をチョット走り回り
昼前にテレビを点けたら福岡から佐賀あたりで大地震のテロップが流れ。

まるで“揺れ”の怖さの未体験ゾーンを狙ったみたいなんて言ってるうち
作り立て炊き込みご飯を電気釜もろとも隣県から運んできた姉夫婦と
娘や孫らも一緒に地震ニュースの追いかけも忘れお昼の食卓を囲んだり。

長いこと顔も会わせていない九州地区の大学図書館研修同窓生は大丈夫か
覗いたインターネットでメチャメチャに資料が散乱した書架の現場写真など
あれこれ後始末が思いやられるくらい図書館も大変なことになってるようだ。

昨日はシーズンを惜しむような快晴の振替休日でゲレンデの賑わいもそこそこ
帰りがけにいつもの食堂の御かみさんにいただいたおはぎを今朝のお茶うけに
食べていたらテレビ画面に玄界島の無人の被災住宅内の作りかけのおはぎが。

滑ったり転んだり腰のiPodが壊れていやしないだろうかなどと気にしながら
空模様には左右されるがいつでも行けるようになって数シーズンになるのに
ここ数年は回数も減る一方でとうとう1シーズン延べ滑走距離200キロ前後かな。

それでも休日ダイヤの電車やバスの乗り継ぎの間の悪さにもめげず帰りは
駅からタクシーに乗り自宅でスキー用具一式を降ろした勢いで2人とも
近所のお店まで運んでもらって“打ち上げ”なんてことはなんとか続いている。

  • Largest Earthquakes in the World Since 1900 http://neic.usgs.gov/neis/eqlists/10maps_world.html
  • 地震情報ーgoo天気(RSS) http://weather.goo.ne.jp/earthquake/index.html
  • Most Destructive Earthquakes in the World http://neic.usgs.gov/neis/eqlists/eqsmosde.html
  • disaster-i.net:豪雨災害と防災情報を研究する http://www.disaster-i.net/
  • 最近の地震リスト by ナマズスキー(最新地震リスト表示モジュール) http://www.guragura.net/eqlist/
  • 「シナイ写本」のディジタル化が大英図書館で開始 http://www.bl.uk/news/2005/pressrelease20050311.html
  • シラク大統領、Google対抗の蔵書オンライン化計画にゴーサイン(IT media News) http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0503/17/news029.html
  • Russia Profile(The availability of high-quality news reporting on the Internet continues to improve, though at times finding reputable sources can still be difficult for certain parts of the world. Russia Profile is one such source, as it is produced by the Independent Media group, which is responsible for publishing The Moscow Times along with a number of other magazines across Russia.) http://www.russiaprofile.org/index.wbp
  • 「日本近代文学」総目次 http://wwwsoc.nii.ac.jp/amjls/mkj_indx.htm
  • 企業サイトユーザビリティランキング2005 調査項目  http://npc.nikkeibp.co.jp/npc/contents/tuika/usability2005/markbook.html
  • The Web Site Idea Generator http://blog.outer-court.com/ideas/
  • サイバー砂漠の漂流物(05.03.18)

    N社員声明に続いてP社員会がFSグループに残りたいなんて言いだしたり
    F社の新作テレビドラマ制作発表の場で主演タレントKがヨイショ発言したり
    朝日夕刊の“LBO”報道でFテレビがミニ北朝鮮・中国的報道管制の殻を破ったり
    その名に違わず“ホリエモン”によってこれからもどんなものが掘り出されれることやら。

    サーチエンジン検索サービスで登録したキーワードに関するニュースや
    Web情報を調べメールで知らせたりしてくれるようになってとりあえず
    「図書館」や「吉本隆明」や「個人文庫」などを試しはじめたところ。

    吉本隆明関連情報を調べてて気づいたんだが某大学図書館WWWサーバに
    残してきた氏の著作リストだけじゃなく当時の作業の手の跡が残ったままの
    未更新Webページも一緒に消してくれたらもっとすっきりしてよかったのに。

    当サイトの「情報探索デスク」も「日本国内の大学図書館関係個人文庫」や
    「日本語版『賃労働と資本』(K.マルクス)書誌解題」など図書館勤めの傍ら
    日曜細工みたいな手遊びが元になって今まで引きずっているようなものばかり。

    僕にとっての個人文庫といえば誰もが柳田国男『遠野物語』で読めるような
    昔語りの数々を寝物語に飽きさせなかったお袋の実家のお婆さんがぴったり
    亡くなってはじめてかけがえのない生きた図書館を失ったことに気づいた。

    どこかで司書が作ったりしているいろんな書誌データを集めたサイトを
    立ち上げられたら面白いんじゃないと話し合ったりしたこともあったかな
    図書館勤め先がJ教育大からY国大になり名前もSからMさんになって公開していた
    吉本隆明・桶谷秀昭・島尾敏雄・古井由吉・埴谷雄高のWebliographyは何処へ?

    またもや雪化粧に(05.03.14)

    先週後半は一気に暖かくなったりして業者が庭の雪吊りを外したのを
    狙ったみたいな降雪が重くならない朝のうちに枝から叩き落とすのも
    やれやれといったところで外してしまったものはどうしようもない。

    どうにか日頃からきちんと剪定してある樹木は風の被害を免れたり
    雪折れしにくいってことが実証されたみたいなここ数年の年老いた
    庭木の様子を見ててもメンテナンスを止めたりしないでよかったよ。

    日本のITとラジオとテレビの経営者による三角関係が見せてくれたかな
    組合の手続もなく声明を出した従業員も加わって会社はいったい誰のものから
    国家とは何かという関わり具合までまるで地続きじゃないかということまで。

    それぞれのホームページをタブブラウザで呼び出し眺め比べたりしてみても
    あれこれメンテナンスの仕方やお化粧具合もとにかく三社三様というより
    今どき主流の第3次産業の顔みたいなWebで社主の意向がうかがえるのはどれ?

    あれだけ世間を騒がせておいてホームページを訪れた一般大衆に伝えたいことが
    ナシのつぶてっていうのも変というかテレビ・ラジオ向けに言ってみただけなの
    それとも視聴者とインターネット利用者とは別人あつかいでいいののだろうか。

    きっかけはテレビでもネット上には事なかれ一本やりの社員声明文以外に探せば学べる情報も
    一般大衆の利益>IT事業+放送事業の利益>国家(法的規制)なる対抗関係で盛り上がり
    機会を見逃さずド素人一般のものの見方や考え方がよほどしっかり間違わないようにしないと。

    思いがけない乗り心地(05.03.11)

    朝のローカルニュースで雪崩で電車が折り返し運転中なんて耳にしたら
    昨日のシャーベットみたいな雪上散歩からの帰りがけの春風の感触みたいに
    乗り慣れた時刻の電車の運転手のマナーやアナウンスがいつもとは違ってた様子が。

    2両編成の最後尾からまばらな乗客みんなのいのちを預かったみたいに確かめ
    車内通路を歩いて運転室へ入る乗務の仕方からしてこれまでになかったこと
    いつもだったらホームをスタスタ歩いてきて運転席に着くやガタンと動かすのに。

    ほどよく加速したり減速したりワンマン電車のその場その場に応じた
    過不足のないアナウンスや応対が行き届いていてぶっきらぼうな地方型とも
    スマートな都市型とも違った運転でいつもとは違う乗り心地で終点まで。

    近所で見かけなくなって随分になるがほんとうに乗り物が好きで好きで
    運転手になりたいといっていた少年が念願かなった電車に乗り合わせたかな
    そんなことをヨメと言い交わしたりしたくなるような忘れられないひと時。

    拾い物の小噺みたいに面白かったのが『タイガー&ドラゴン・三枚起請の回』で
    お正月のテレビ放映時に乗り遅れDVDで見たんだけどヤクザが落語に乗り込んで
    一芸を究めようとする突っ込みかたが見せ場になっていて続きも見てみたくなる。

    音楽好きの映画監督が博物館から資金を引き出して作ったブルース映画7部作の
    2本ばかり衛星放送で楽しんだらほかの5本が気になってこれもDVDで見て
    またとない音楽の旅を味わえたがスティービー・レイ・ボーンの姿が見えないよ。

    春先のスキーリフトの眺め(05.03.08)

    シーズンに1度くらいは能登半島が先っぽまで見えたりしたが
    今シーズンは近いようで遠い立山山麓スキー場の顔になっている
    山と海が見渡せるパノラマ景観の裏では廃止を含めた検討段階に。

    乗り込んだ月曜(2/7)朝のスキー場路線バスの乗客はぼくら
    夫婦だけだったからだろうか運転手はバス停で下ろさず
    ガラガラの駐車場を突っ切ってゲレンデ入口に横付け。

    当日のスキークーポンを買った駅の窓口のお姉さんも
    地鉄電車〜スキーバス時刻表を配慮してくれたりしたが
    もはや県企業局スキー場関係者の営業努力じゃどうにもならない。

    あれこれ巷を賑わしている企業関連ニュースを見てても
    会社の寿命など30年もてばいい方だから県が営んできた
    スキー場が20シーズン以上楽しませてくれて良しとすべきか。

    かってにぎやかでうるさいくらいにゲレンデを賑わせていた
    あの中・高生らはいったいどこへ消えてしまったというのだろう
    北の水平線だけがぼんやり雲がかかってて見渡せなかった。

    施設や出し物を楽しむ遊園地やテーマパークみたいな広場での
    受け身の遊びと違うからか出かけていったみんなが参加したり
    それぞれが身体を使って原っぱを創りだすような遊びの行方は?

    矢のような1冊(05.03.04)

    定期購読で届いた詩の雑誌の封を開けページを繰る
    までもなく今どきのような時代に詩と詩人らはどこで
    どうして棲息しているのかわからなくなってしまいそう。

    あれこれまるでだまされたみたいに大人のふりをして
    舞台に登場しては言葉のボタンをかけ違えたみたいに
    バカ丁寧に取り繕うしかない眺めも切口だけの手際よさ。

    フリーターもパラサイトもニートも負け犬もいったい
    どこにどうやって実在しているのか誰も信じちゃいない
    どこまでも手を変え品を替え目先を狂わされているだけ。

    みぞれ混じりの風に揺れる電線に音符のように
    同じ方向を向いて留まっている子雀の群れを前に
    語りかけ問いかけることなどあろうはずもないから。

    安くていい輸入CDや美味いワインやスコッチが買えるだけ
    円が暴落しないうちにできるだけ愉しんでおかなくっちゃ
    なんとか病気や災害から免れながらボロ家の毎日の薄い底で。

    凹んだり口惜しがったりなるようにしかならないある日に
    人類へ挨拶するみたいに幻の中学生に向け書き放たれた
    矢のような一冊に出逢ったりするなんてこともあったり。

    幼老擦れ違う日々(05.03.01)

    日曜はほとんどLEGO(青いバケツ)のブロック遊びに
    かかりきりのマー君の相手をしたりしていた自分はいったい
    30年前に亡くなったじいさんとは幾つ違いだったんだろう?

    幼かった頃の叔父さんとのかかわりあいも忘れられないが
    なんといってもじいさんになって孫と関わるのもそれぞれ生涯の
    端っこで幼老が逆向きにそれも相手を違え再び遭遇できるめぐりあわせ。

    なぜあれほどほこりっぽい田舎道で擦れ違う老人に気をとられ
    遠ざかる後ろ姿から目を離すことができにくかったのだろう
    春一番が通り過ぎた冬枯れの季節だからこそ届いた記憶みたいに。

    どんどん育っていくものとだんだん衰えていくものとが
    感覚的にウマが合うみたいなことはほかには求められないから
    意外に保育所暮らしのガキと年金暮らしのジジイは相性がいいかも。

    どんな境涯を生きるにせよひとりで生まれひとりで死ぬだろうに
    段落のない世代を生きていて幼児と老齢が二度ばかり交叉したり
    まるでちょっとした句読点を打たれたようなものかもしれない。

    この次ぎ来るまでにキャラクター(トラクター?)作っといて
    息抜きにマー君が言い残した宿題に手を出したりしているうちに
    いつの間にやら時間が過ぎてしまってやりかけの事が中途半端に。

    雪を溶かす温度差から(05.02.25)

    一昨日の春一番で庭の雪もすっかり溶け黄砂かと見紛う屋根の汚れも
    ようやくこの2月に瓦職人の手が空いたのか雪の晴れ間にやってきて
    昨秋の台風23号で壊れたわが家の棟瓦の本格的な修繕作業の名残か。

    ぱっとしない空模様に出足をくじかれたみたいで三日にあげず
    今年はスキーを愉しめないもんだからなんとなく欲求不満みたい
    といっても週に数回は小学校の体育館に出かけ運動不足でもないのだが。

    国内の商用オンライン・ミュージックの国内解禁の気配が見えてこないが
    非営利サイトに300以上アーカイブされているお気に入りライブ・バンドの
    音源を手当たり次第にダウロードして当たり外れのない演奏にはまっている。

    耳目を賑わしているニッポン放送株問題について日本経団連会長が
    「(買収は)時代の流れであり、マスメディアも例外ではない。
    対策を考えて実行していくのは経営者の責任」と語ったとのこと。

    そんな意外なくらいバランスをとったような発言があった翌日に
    フジ側が「新株予約権の発行で買収者の持ち株比率を引き下げる
    “ポイズン・ピル”の日本初の本格的な活用」に打って出た裏地は日本製。

    昨年暮のWeb版ニューヨーク・タイムズのトップ記事扱いが目立っていた
    インターネットによって各国主要図書館の蔵書を閲覧するGoogle計画のやり方に
    フランスがいちゃもんつけたりしているが日本の「敵対的買収」は欧米じゃどう扱われている?

    回転ドアが軋むように(05.02.22)

    ニフティのワープロ・パソコン通信サービスが春を待たずに
    終了なんていうニュースに「NIFTY-Serve」を惜しむみたいな
    雪の日々でもないだろうけど300万人の会員が今じゃ2万人とか。

    あれこれ娘の就職活動を追っかけるみたいに会社情報を調べては
    翌月の課金にびっくりしたりインターネットのドアをこじ開けるように
    自宅から勤務先の図書館システムの稼働チェックするのにtelnetを使ったり。

    1990年代のほとんどは最盛期のパソ通でコンピュータ〜ネットワーク情報を
    仕入れてはその使い方の実際などいろいろキャンパス内の情報センターの先生や
    別人28号みたいなスキルの技官によって当時の“タコ”図書館員も育てられたかな。

    おかげでぼちぼち図書館の壁を越えた情報サービスが庶民一般にも開かれたり
    昨今はIT起業家とテレビ局が放送株をめぐって「転換社債」や「TOB」や「敵対的買収」やら
    「シナジー」に「シームレス」など耳慣れない言葉がお茶の間を賑わしてくれるまでになった。

    昨晩の日テレの「きょうの出来事」なんかH氏の発言を遮るように
    いきなりCMに入り途中でなんと議論を打ち切ってしまうやり方だったが
    日頃から“説明不足の首相”なんて報道している当事者のやることかね。

    インターネットを使って放送やテレビや新聞・雑誌を融合させるとして
    いったい視聴者に何をどのように見せてくれようとしているのだろうか
    視たり聴いたり読んだりしてくれる一般大衆に届かないようじゃ駄目じゃない。

    転がり堕ちる坂の眺め(05.02.18)

    オーストラリアに向かっていた米国の原子力潜水艦「USSサンフランシスコ」号が
    1月8日(米国時間)グアム島近海で海図に載っていない海山に衝突しほぼ即座に停止し
    乗組員1名が死亡し23名が重傷を負ったというが今どきの「海図」ってそんなもんなの?

    便利な音波探知機や人工衛星を使ったスキャニング・システムがあるのに
    どうやら海底の地形が詳しく調べられていなかったということななのか
    それとも測量すべき海底の範囲があまりにも広過ぎて手がつけられなかっただけ。

    シーズン中はスキー日和を選んで滑りにに出かけられるようになって嬉しいが
    おかげで幼稚園から高校までスキー実習中の生徒と教師の有り様を眺めさせられ
    上にいけばいくほどお粗末な現場に居合わせたりするとゲレンデから逃げたくなる。

    ひっくり返りそうに権威にあぐらをかいてじぶんの足じゃ立てず
    生徒と一緒に滑ったり冬山の眺めを散策することもできなくなった
    身のほど知らずがのさばり続けるようじゃ何が起こっても不思議じゃない。

    元生徒が社会復帰のお礼参りみたいなことを学校でしでかす根っこを
    見ようともしない発言が事件のたびに幅を利かせ繰り返されるだけ
    生徒や学生を云々するまえに文科省に次いで大学高校中小の教師を叩けば。

    何が出てくるかわからないけど息もつけないような規則で縛られたり
    見せしめにされたみたいに牛耳られる身の置き所のあてどなさから
    自力で這い上がれるような道筋の一つも見出せないようじゃお先真っ暗。

    腰が引けたNHKラグビー中継(05.02.14)

    12日土曜の朝のNHKニュースで日本ラグビー選手権大会2回戦
    トヨタ自動車対早稲田大学の試合は13日午前2時から録画で放映
    なんていってたけど総合テレビで12日午後2時から生中継したじゃない。

    あいにく用事があって後半最後まで見届けられなかったのだが
    とにかく今期の大学王者早大ラグビーがキックと低いタックルを使い
    トップリーグの4位を相手に善戦していた密集を映さないカメラ・ワーク!

    NHK生放送をドタバタさせた審判が着たジャージーの胸の
    朝日のロゴマークを見てる暇なんてない好ゲームだったのに
    政治家絡みの「番組変更」に関するみっともないバトルの影が過った。

    NHK対朝日新聞に続いて新潮社まで加わり賑やかだった
    顛末のその後はどうやら薮の中に落ち着いてくのだろうが
    注目されたのは内部告発したNプロデューサーの闘いぶり。

    三つ巴だろうがヨツドモエだろうがバトルは多いにやるべし
    とことん全てを明るみに出し尽くすまで徹底的にやるべし
    何たって事実を取り出すにはありったけの手数を踏まないと。

    国民の受信料で成り立っていることの意味を分からせるには
    内部告発したプロデューサーが存在したことは救いだろうが
    NHKの受信料不払いそのほかいかなる方法でも権力へ異議申し立て。

    変声期の彼方で聴く(05.02.11)

    大量の雑誌でアパートの床が抜けて重症の男が
    2時間後に救出されたなんて他人事じゃないよネ
    なんてヨメにからかわれたりしているわが身の回り。

    もうLPは増えそうにないけどiPodに取り込み済み
    CDはもう要らないはずだったのに売る気にならないのは
    しっかり歌えず弾けない者のこだわりでもないだろうに。

    ボーイソプラノとも別れて異性が気になりはじめた
    合図みたいに歌いだしたり何か楽器もやりたくなったり
    そんな切なさに付きまとわれ追いかけられ聴くことに逃げ込む。

    この頃はお気に入りバンドを聴くにしたってインターネットの
    アーカイブスから好きなバンドのライブパフォーマンスを
    追っかけられるようになってCDが増えなくなってきたかな。

    コンサートの私的録音の非営利オンライントレードを
    容認しているアーティストたちの行為はひょっとしたら
    思春期の第2の産声みたいな唱うことへの渇望も織り込み済み?

    ブロードバンドじゃないととてもとてもやってけないが
    ふらりとライブに出かけるみたいに最近の演奏をあれこれ
    気に入ったのをiPodに残しておいて手軽に愉しめていいよ。

    “銀杏”の響き(05.02.08)

    昨日は朝早く空模様を気にしながら出かけたのだが
    4メートル近い積雪の立山山麓は絶好のスキー日和で
    スキー実習の小学生の団体の邪魔にならないよう滑ったり。

    とっくに20シーズンを越えたこの頃はいつも夫婦で
    おなじようなコースを後になり先になりして滑るだけ
    なのに時としてお互いの疲れ具合が違ったり筋肉痛も。

    2枚の板をしっかり踏み続ける姿勢に無理や無駄が
    あったりすると後になって滑りに不調や不具合が生じ
    急に体調までおかしくなって立ち往生なんてことも。

    身体でやるにしろ頭を使うにしたってまず基本から
    ということでがむしゃらに反復練習ばっかりみたいな
    レベルにとどまっていると上達の妨げになるのでは。

    しっかり止まったり曲がったりできない子どもたちが
    十年一日のごとく指導員の後を数珠繋ぎに滑らされている
    定番のゲレンデ風景に唾を吐く若者も見かけられるようになった。

    がんもどきや茶わん蒸しの“銀杏”もそれなりのものだが
    スキーから帰った身体には「銀杏BOYZ」がしっくり響き
    こんなことって「ブルーハーツ」にはまって以来じゃなかろうか。

    場違いな入館者に(05.02.04)

    雪による交通渋滞などを予想して早めに家を出たり
    授業まで間が空いたら足が向くのがキャンパス内の
    図書館というより図書室といいたくなるような場所。

    インターネットにつながったパソコンの画面で眺める
    情報空間はとてつもない展開を見せつつあるというのに
    場としての図書館はどんな風に変わろうとしているのか。

    大学の統廃合や市町村合併の動きの中で図書館が
    どんな模様替えをしつつあるのかよく見えてこない
    というよりその存在自体が薄められつつあるのだろうか。

    どうせやるなら大学図書館と公共図書館をくっつけよう
    なんて館種を越えた地域のたすきがけ運動が持ち上がる
    なんてことにでもなれば新たな場としての図書館の姿が。

    大学図書館の一般公開や公共図書館の相互協力にしたって
    館種の壁を越えたところから実質的に展開できるだろうし
    トラブルメーカーみたいな入館者への対応もしっかりする。

    補講を終えて帰る途中ありそうもない夢想から覚めたみたいに
    駅前でバスを乗り換えたらミーの子守をしてきたヨメと乗り合わせ
    いつもの近所の立ち寄り先で打ち上げやら全快祝いみたいなことに。

    雪に降りこめられ手探り足探り(05.02.01)

    朝から降りしきる雪の中をヨメはミーの子守に出かけ
    こんな日に出かける用事もない果報者は風邪からも抜け
    すっきり気分でアレコレ片づけもこなせるようになった。

    これまで学生に与えた実習・演習課題や期末筆記を整理してて
    インターネットからの丸写しを見かけたりするもんだからこんどは
    期末の筆記問題を学生に見せてインターネットも含めて予習させたり。

    学生が受講した教科の理解を表現してくれればそれでいいのだが
    とにかく学生の誰もが受け入れてくれるような話し方をしないと
    とてもいい教育というよりまともな授業にならないんじゃなかろうか。

    おそらく高卒にとって司書科目全般とりわけ「情報機器論」なんて
    取っつきにくく分かりにくいことこの上ない代物だろうからはじめに
    基本的な事柄を話してから稼働している図書館情報システムを見学させれば、

    というような当初の思いつきを実行できそうな取っ掛かりもなく
    難しそうに質問してきたり答えようとしている学生とのやりとりから
    ひょっとして教科書が難し過ぎたからかなと簡単そうなのに変えてみたり。

    しばらく寝込んだり除雪したりしても腰が痛くなったりしないような
    自身の処し方など工夫次第でどうにかできるようになってくるものだが
    いろんな相手とある事柄について分かり合えるような場を創り出す手だては?

    ちょっと“ライブ”なことも(05.01.28)

    窓の外は絶好のスキー日和でもまだ身体がついていかないもどかしさが
    午前のお茶の時間に昨晩会場で買ったCDを響かせれば癒されるのも
    ライブハウスならではの小沼ようすけギター・トリオの絡み合いの余韻。

    昨日は見渡す家並の向こうで市内バスと並走する立山連峰に
    背を押されるように後期最後の授業もなんとか済ませ
    アレコレ学生に応対したり片づけて教室におさらばできた。

    一度も病欠で休講にしなかった安堵感にひたる間もなく
    歩けば歩くほどいつものフィット感じゃないカバンに
    大急ぎで取って返しドアを透かし見たら教壇にノートPC!

    かなりの学生が残っていたし実習や演習課題成績評価そのほか
    一切合切を覗かれたり噂のネタにされたりしていたら冷や汗もの
    というのも置き忘れや盗難に備えたアカウント設定をしてなかったから。

    短大発最終バスに滑り込み駅前で乗り継ぐ束の間に
    体力維持の飲食を急いで吐きそうになり危ういところで乗り換え
    なんとか間に合い家で待ってたヨメと一緒にすぐ近くのライブハウスへ!

    近所の中学校が学級閉鎖しているインフルエンザだね
    なんて数日前に顔を出した娘に診断されたりしていたが
    中高年へと体質改善する風邪の養生の効用としてはお粗末!

    リセットしたい気分で(05.01.25)

    日曜日(1/23)は立山山麓の三つのスキー場へ
    なんと1万人を超える人出があったそうだけど
    滑るどころか風邪で寝込んでまだ立ち直れない。

    幾シーズンも前の日祭日じゃ当たり前だったのに
    駐車場が終日満車状態だったなんて信じられないが
    休眠していたスキーヤーやスノーボーダーのお出まし?

    週末にわが家で老若が醸し出す賑わいも途切らせ
    何かと世話を焼いてくれる身近な手のおかげで
    一気に回復とはいかないのがなんとも歯がゆい。

    熱や寝汗も出し尽くしたところで足湯を使ったり
    ベッドの傍らのカセットラジオを聴いたりしながら
    身体を内観する先に虚弱だった敗戦後の頃のことまでが。

    外国人が書いた『敗北を抱きしめて』を手にしてみたり
    寝たきりにならないようソファで全豪テニスを見ると
    鼻水が逆流したみたい目やにに邪魔されて続かない。

    いただいた出産内祝いの赤ワインの味もわからず
    骨盤体操で体内のゆがみやしこりはほぐれても
    狂ったみたいな味覚と戻らない食欲への対処法は?

    喉カゼかな?(05.01.21)

    誰だってたまにはあるんじゃない
    どことなく不機嫌というかたちで
    いつのまにかいじめっ子のように。

    ある日ある時なんか魔がさしたみたい
    棒で洟をかむような理詰めの一点張りで
    どうしようもないいじめっ子のように。

    なぜか事あるごとに取りつく島もなく
    ビジネスライクな仮面の隙間から漏れる
    他人行儀を着込んだいじめっ子のように。

    いつのまにやら歪んだり軋んだり
    人と人との寄り集まりの錆び落しが
    間違って裏返されたみたいな落とし穴に。

    ちょっと難しかったと感想をもらされたり
    いつまでたっても分かりやすく話せないと
    ひょっとしてゆるやかにいじめることに。

    どうやら風邪をひいたみたいに喉が痛いはず
    世の中に出る前の人に簡単な言葉で伝えられない
    窮屈さで喉が詰まってしまったのかもしれない。

    予想はずれな年齢に(05.01.18)

    先日のスキー場で居合わせたTさんとも納得しあった
    この冬場の天気予報はあてにならないこといちじるしくて
    今朝みたいに急に晴れても対応できない過疎な交通手段。

    かといって免許を取ろうなんて気はサラサラないのだが
    車社会の足手まといみたいな場面にはまってしまったり
    たぶん夫婦ともども気まずいこともどこかであったはず。

    生まれ変われるとしたら果たして車に乗るだろうか
    40年近く続いた仕事や30年以上続いている結婚生活を
    もう一回やれますかなんて訊かれた時になんて答えたか。

    過ぎてしまえばほとんどどうでもいいことばかりだし
    先のことなんてどうなるか分からないからやっていける
    いまここをどう掘り返してもまっぴらごめんに行き当たる。

    いつの間にか二人足して百何歳だね〜なんて言ったり
    ずぼらでこだわらない年齢の数え方をするようになって
    命の有り様もあり余っているのか足りなくなっているのか。

    新年を飾った生花がしょぼくれたあとに残ったみたいに
    それぞれ行きて帰らぬ曲がり角をそのつど垣間見せながら
    カサブランカが一つ二つと脱皮するように開花してきた。

    いま・ここで愉しむ(05.01.15)

    今週から校下の夜間開放の体育館通いや授業も始まり
    雪の晴れ間を待ちかねたみたいにスキーも愉しめたうえ
    存続を危ぶんでいた地鉄スキークーポンがなんと値下げに。

    “娘を誘拐した”とか“娘の車にぶっつけられた”などと騙る
    学生の親目当ての振り込め詐欺に注意を呼びかけるビラが
    希薄な親子関係をあぶりだすみたいに講師控室に掲げられたり。

    すっかり通い慣れたスキー場のなじみの食堂で居合わせた
    地元の小学校の各学年5〜6名みたいなスキー学級の
    子どもらが雪焼けしていて山の子然とした食べっぷりのいいこと。

    かなり前からリフト券が共通になってRとGの両ゲレンデを
    行き来できてよいのだがあいかわらず圧雪車の善し悪しや
    作業体制の違いも変わっていなくて滑り具合の差は元のまま。

    一杯目のビールみたいな初滑りがもうひとつの冬の到来を
    体力の衰え始めた夫婦にも教えてくれるといったあんばいで
    へばらぬうちに午後の滑りを切り上げのんびり帰りの電車待ち。

    アウトドアの必需品みたいだったiPodもオープンタイプの
    イヤホンを使っているのに雪山の気配をシャットアウトする
    ことになってしまうようでゲレンデではとても使えないよ。

    雪景色を透かし見る(05.01.11)

    昨秋の台風被害で応急処置のままだった棟瓦の修繕を
    日曜日(1/9)になんて電話があったりして雪を心配してたら
    そのとおりになってやってきた瓦職人も仕事にならず。

    連休めがけて集中的になにかをやったりすることが
    なくなってしまったけどちょっとした模様替えとかで
    アレコレ場所を移してみたりちょっとした視線の獲得も。

    Tsumaniの前後の衛星画像で確かめる地形の変化から
    テレビや新聞で報道される被災者の映像にはさまれて
    地球儀を動かしたり張り替えた地図にどんな人影が映る。

    2年連続の“年末ラッキー賞”を皆で分けあえるよう
    ピザをとって食べてみたり今年の運試しとまでは
    いかなくともささやかな乾杯気分で飲み干せたかな。

    キーボードの高さやディスプレイの置き方などなど
    ちょっとした位置の違いで見え方や聞こえ方が変わり
    ああだこうだとやっているうち暖房切れで寒くなった。

    今年の計画どころか数日先のこともはっきりしない
    けれどその日その日の手応えがつながったり外れたり
    いつまでたっても本当の“成人”にはほど遠いままに。

    同じ球を投げ続けて(05.01.07)

    日本酒そのほかとはほとんど縁が切れそうになって
    オンラインショッピングしたカジュアルなワインなど
    当たり外れの味わいがお正月のひとときを刻んだり。

    新年早々のWBC世界S.フライ級タイトルマッチも最後まで
    血統書付きの逸材挑戦者ホセ・ナバーロを倒しにかかった
    叩き上げチャンピオン川嶋勝重の戦いぶりは圧倒的だった。

    ブラッド・メルドーのライブ・イン・トーキョーのCDで
    ジャズ・ピアノの歴史を紡ぎ出すような見事な演奏や
    テレビ録画した「日本の話芸」の落語を合間に挟んだり。

    おなじ映画を観るたびに飽きさせない絵と音とのつなぎから
    共稼ぎ所帯の夫婦の絡み具合なども眺めわたすようなことまで
    アレコレ人がやるようなことはほぼやってきただろうか。

    少子化が取り沙汰されたりしているけど子を何人もうける
    なんてのは庶民のもろもろの判断の拠って来るところから
    親子同士で殺し合うところまで無間地獄を編集するようなもの。

    どんな家を営むにしろ亭主に見合った女房がいるように
    ひとり何事かをなすほどに監督と編集者の役割をかみ合わせ
    どこで切ってどう繋いでいくかで天と地ほどの巡り合わせが。

    処世の立ち振る舞いを操るにしたって身体内のさまざまな力を
    どう組み合わせるかで人それぞれ随分異なった老い方になってきて
    人並みの金太郎飴のような切り口にしたってその刻み方もやや違う。

    「図書館」って何?(05.01.04)

    今年も届いた年賀状への返礼葉書を投函ついでに
    一緒に散歩したマー君へのお年玉じゃないけど
    作ったばかりの紙飛行機を駐車場で飛ばしてみたり。

    娑婆とも音信不通みたいな暮らし向きでいいのだが
    まだくたばっていないというか御陀仏じゃないという
    お印みたいな感じでもらったお方へ返すってのもいいかな。

    紅白の裏番組の合間に『生きていくのに大切な言葉
    吉本隆明74語』をパラパラめくったりしていたらなんと
    ひっかかっていた「図書館問答」の出所がようやく判明。

    対談相手の奄美の公共図書館勤めの頃の島尾敏雄館長が
    あっけにとられ戸惑ったような様子で応えていた初出の
    雑誌を読んだ35年前の印象がよっぽど強かったのだろうか。

    たぶん当時の自分はたまたま配属されてしまった大学内の
    一部局として見做せるからやり過ごせた対談記事だったが
    公共図書館で働いていたら違ったことを考えさせられたかな。

    東京大空襲の三日後に生まれたとかいう還暦女優が年頭の
    インタビュー番組でいまこそ原点から見直すと喋ったようだが
    模範解答が見つからないような問いかけも持続のエネルギーなんだ。


    ご意見・感想:kyoshi@tym.fitweb.or.jp

    「高屋敷の十字路」に戻る