十字路からの発言

十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)

最終更新日:2004/01/02

いま・ここの変わり目(03.12.30)

昼間と夜とで居場所の心地が入れ替わるような
わが家の書斎とリスニングルーム以外の掃除や
年越しの食材の買い物などを二人でこなしたり。

絶好のスキー日和からほど遠い空模様を窓から眺め
あれこれやりながら残り少ない2003年もここまで
いち日一日溶かし込むように過ごせた風景も遠ざかる。

浅草・浅草寺境内で通りかかった人を呼び止めお寺の
壁を背にした写真を30余年も撮り続けている写真家が
「情熱大陸」で紹介されていてちょっと見とれたかな。

まあ人それぞれいろんな時間の潰し方をやりながら
寿命というか生涯をまっとうするしかないんだろうけど
あんなふうに行きずりの人物写真の撮り方ってのがあったんだ。

お正月めがけ子連れ娘がやってきてお節料理作ってくれたり
家族ともども高齢化の橋を渡る一方では幼子二人がすくすく
2年目の年を無事迎えられるみたいなことが暮らしの両輪だね。

原稿依頼を“オファーが何本”というような小説家が現れたり
文学もすっかりビジネスに成り上がってしまったというのが
今年ビックリしたことのひとつだったといっておきたいな。

「高屋敷の十字路」を見てもらったりメールをいただいたり
おかげで更新作業の励みになりましたが皆さまよいお年を!

立ちションしたくなるような一日(03.12.26)

あんまりペットという飼い方じゃなかったけど
鶏、鳩、メダカ、ザリガニ、雀、金魚などなど
猫なんかとくに死んじゃった時がやりきれない。

ミシシッピアカミミガメぐらいかな生き別れは
通称“ミドリガメ”があんなに大きくなるなんて
2匹とも自分らより長生きしたら誰が面倒見る
なんてことでペットショップに引き取ってもらった。

性別もわからなかったカメの消息が気になったり
そして数日前に届いた会報の物故者の欄や人伝てに
職場などで見知った方々のおもいがけない死の訪れなど。

気がつけばキーボードでデータ打ち込みに明け暮れたり
思いがけず冬場の引きこもりモードの殻を打ち破るみたいに
縁側からサイクリング車を引きずり出す日和がまたとない。

ペットはもうごめんだし人付き合いもちょっと一服かな
“冬のソナタ”の再放送などまともに見ちゃおれないが
パソコンで何かしながら画面を流しておくくらいがいい。

モグラの黒焼にマムシの粉や酒からイナゴの煎ったのや
ミミズやらなにやら得体のしれない数々を虚弱児の頃に
祖父さんに食わされたりした年の暮れを思い出したよ。

今年の味暦をしめくくる(03.12.23)

やっぱり雪が積もるようになると体育館の寒さも違う
もう気分は冬休みの日曜の朝を愉しんでいたところへ
今年も欠員が出た地区バドミントン大会に呼び出されたり。

でもそのおかげで観戦に来たヨメに誘われたみたいに
ちょっと生ビールでお昼でもと立ち寄った鮨盤の若旦那に
つい赤ワインを頼んでしまい昼飯に腕を振るってもらえた。

家庭料理に負けないというか勝る外食なんてざらに無い
なんて思うようになっているけどありあわせの食材をかき集め
やっつけただけみたいな食事がことのほか美味くて忘れない。

幾つになっても祖母や祖父が食わせてくれた味わいが
不思議なくらい消えないというか思い出されたりするが
今じゃヨメや娘の料理の味わいが重なって嬉しくなるね。

たまたま引っ越してきた近所で出前をとったのが
縁になって鮨盤にも座るようになったんだろうが
大旦那そして若旦那の手腕を30年この方味わえるなんて。

それなりに食の遍歴なんてたかが知れているに違いないし
聴いた後から消えてしまう音楽みたいにはかなくはないが
考える手のキャッチボールみたいに料理の味わいは伝わる。

走って跳んで投げて踊って(03.12.19)

な〜んて孫バカ話の書き出しみたいんだけど
昨日(12/18)都内で発表されたソニーの
小型2足歩行ロボット“キュリオ”の動きにびっくり。

3分足らずの動画ニュース画面をデスクトップに
出しっぱなしにしてキーボード作業の合間に再生したり
どうやら腰に負担のかからないバランスの妙が見飽きない。

ボールを投げたりするところなんかを繰り返し見てると
昨シーズンのマウンドに立っていた桑田投手のピッチングや
再放送で見たばかりの甲野武道家の手裏剣打ちの姿が鮮やか。

倒れそうで倒れないというか転びそうで転ばない
そんな危うさ脆さそのものを力にして動きながら
安定感を生み出しているようなのがたまんない魅力だ。

いまにもつんのめったりそっくり返ったりしそうな
不安定感を溶かし込むような滑らかさが今だからこそ
できなきゃならない身体操法に見えるから不思議だね。

とかく身の回りの環境ばかりに気を取られがちだけど
第2の自然みたいな自分の身体そのものとどうやって
向き合ってきたかが老いに向かう体力や気力を左右しそう。

身体を体感する(03.12.16)

つかの間の日差しを浴びながら裏の雪囲いを済ませたり
いつもの庭師が残っていた庭木の雪吊をやってくれたら
待ってたみたいにうっすらだが初雪が積もったじゃないか。

昨夕近所の公園で小二女児がナイフで襲われ
今夕に小学校の体育館で緊急集会があるらしく
朝一の電話が鳴って今夜の定例練習は取り止めに。

いきなり背後から襲われとっさに右に逃げたのか
左耳に数センチの切り傷を負ったということだが
遊びながらも身体の捌き方ができるように育たないとね。

やり慣れた雪囲いに取り掛かかるといつの間にか
決まったように右から左へと作業を進めてしまい
図書館の書架の本や雑誌が並ぶ左から右へと
動きながら配架点検作業をあたりまえにやってたのに
時間外開館終了時に各階の見回りはいつも左回りだった。

どんなに習熟したように見えてもやっぱり
いざという時左へ逃げて倒れながら止まってみたり
なんとなく自転車やスキーの左回りと右回りが違うのは
その人の利き足や利き手以上に利き目がものを言うのか?

ときおり風邪をひいたりすると左右の鼻の通りが
抜けの善し悪しで交互に交代しているみたいなのに
利き目は右利きか左利きかで決まっているみたい。

左利きのマー君がつかまり立ち歩きした時はどうだったか
ようやく伝い歩きするようになった右利きミーちゃんの場合
後戻りすることなく丸テーブルを左回りにつかまり歩きするだけ。

いったい右投げ左打ちのラケット競技者がいるかどうか
利き目で動体視力を発揮するとしたら右投げ左打ちこそ
左右どちらの投球も見極めやすいってなことにならないか。

“出す出さない”じゃないだろう(03.12.12)

それとなく断片的にかいま見させられる報道番組出演者が
イラク戦後復興なんていってるけど敗戦時の日本人とは違って
まるで示し合わせたように“テロリスト”呼ばわりされながらも
ゲリラみたいなイラク人によるアメリカ軍への抵抗が続いてるのに
無造作に自衛隊を派遣するのはアメリカ軍の支援になるんじゃないか。

その理由の一つに国際協調だとかなんとか言われてみたって
現実にイラクに派兵している国の頭数にしたって国連加盟国の
2割にも満たないんだから派遣しないほうがより“国際的”だろうに。

当初はイラクの大量破壊兵器の摘発からその脅威の解除を掲げ
それが怪しくなったらイラクの民主化を大義名分にしてみたり
今こそアメリカの軍事進攻の取り止めが“テロ”への有効な対処じゃないのか。

イラク住民のアメリカ軍への抵抗は誰が見たってレジスタンスだろう
それを本当にやめさせたいのなら日本の自衛隊の出る幕は無いというか
アメリカ国民がブッシュ政権のイラク侵攻にどう対処するかにかかっている。

イラク戦争がいつどこでどのように終結したというにしろ
イラクの復興を担うべきはイラク国民であって日本の自衛隊じゃない
派遣される隊員(とその家族)にどのような大義名分を与えうるか
そろそろ小泉(政権)の命運が左右される年の暮れになったようだ。

“オトナ語”から“インコ詩人”までの散歩(03.12.09)

古びかけた増築部分の手直し作業が終わった
とたんに天候も冬場モードに切り替わった
というかこれで北陸の12月がやってきたかな。

業界用語に縁が薄かった図書館の片隅にいても
やりとりのあったシステム業界の人との関わりで
染まりそうになった『オトナ語の謎』を読んだり。

中学から高校にかけてどんな見方をしてたんだろう?
今月が生誕100年ということでテレビの特番で観る
小津映画はまるで金太郎飴が溶けるような味がする。

CDやDVDで自分なりの好みを聴き続けているが
映画となるとひそかに好きな作品を探しだしたり
そんな観方をしなくなってほとんどTV番組まかせ。

イラクから戻された外交官2名の合同葬の報道で
なにやら用意された言葉に感極まったみたいに絶句して
どこまでも自分の言葉を見失っている“要人”のうそ寒さ。

屋根も外装もぴかぴかになった作業部屋の
片付けが中途半端なままの書架をながめたら
おりおり手にした詩集が孤立したみたいに残っていて。

近所にペットショップができたりして気になってたもんだから
晴れ間にマー君との散歩で立ち寄ったインコがグレイゾーンだなんて
梅雨時に印象深かったインコ“アイドル”詩人の新刊を買ったりした。

赤い三角形(03.12.05)

足場が撤去されすっきり窓際の眺め
それにしても北アルプスは薄化粧のまま
この様子じゃ立山山麓の年内の初滑りは無理だね。

ミーちゃんが元気に満一歳を迎えた昨晩は
珠洲の実家からの宅配便を開け娘婿が腕をふるい
赤く熱い茹であがりに刺し身や甲羅焼きまで旬のカニ。

夫婦仲というか親戚筋を含め大切なのは
とにかく男女とも健康であってこそ長続き
できるような金がないとどうにもならない
絆を持ちこたえる似た者気質に違いない。

縁あって二人を結びつけた赤い糸の真ん中が
結婚を重しに垂れ下がって三角形になる家庭という
生活の安全ピンは健康とお金と思いやりの三点で留まりそう。

子どもや孫がいろんな扉をたたいたり
赤い三角形が切り取っている今日の風景はどれも
いくつになっても忘れない好奇心が窓を開けたり
いつでも赤い糸の組み合せの数だけ違っていそう。

引き分けられない光景(03.12.02)

未年の師走の入りということでもないだろうけど
寒さを置き忘れたような11月の徒花みたいな
“アイドルの証券化”やS社の扶養&住宅手当取り止め。

諸手当に縁が無くなってもアイドルは買えるか?
みんなの顔がある方向しか向かないような季節風が
強くなるほどにそれぞれの“慰安”も“戦い”も厳しいものに。

アイドルは創られるんじゃなくて買われることに
そして給与体系から住まいや家族関係が消えたり
どうやら“人買い”に“ロボット化”が年末の売りか!

すべてを優先席にしたらいったいどこに座ったり
立ったりすればいいのかな〜んてことはどうでも
見えない分からない目的地に向かってひた走るだけ。

イラクで銃撃された日本の外交官と現地の運転手が
車を走らせていたのはいったいどんな地域だったのか
政府が自衛隊を派遣する“非戦闘地域”ってのはどこに?

“引き分け”の導入が今年のJリーグを手に汗を握らせる
成り行きにしたようにプラスマイナスゼロになるような
目先だけの負け方や勝ち方が見え隠れする光景が居心地。

寝ぼけ眼で(03.11.28)

そうかそうか公選法はホームページによる
選挙運動を禁止してたんだよね、な〜んて
いかにも今ごろになって間の抜けた言い草だが。

選挙期間中に政党がホームページを更新したり
マニフェストをHTMLやPDFで掲載したり
いったいあれはどうなのか全く訳が分からない。

指導的立場のお方の右往左往失敗の象徴みたいに
あのバブルがはじけ何もかもうまくいかなくなった
原因をほとんど個人消費が伸びない市場に求めたり。

リハウスなぞ思いも寄らず変わりやすい空模様を見上げ
増築部分の外回りの改修や補修をやってもらってるけど
こと自分の容器みたいな身体の手入れとなるとどうだろう。

ソフトボール投げ記録の低下が体力の低下だなんて
何をどう食べどのように遊びながら育ってきたかが
その後の身体の捌き具合のキャスティングボートじゃないか。

親やその子らがコマ回しやメンコをやったりしなくなったら
肘を入れてから抜く投げ方や打ち方ができなくてあたりまえ
教えないと6年になってもスマッシュが打てない子どもになる。

隠れんぼみたいな写真(03.11.25)

振替休日は南極の日食中継で目が覚めたせいか
穏やかな午前の散歩の立山連峰の眺めの向こう側で
白い大地に黒い太陽が隠されているような感じ。

まあ視聴料を取るだけあってNHKも準備万端というか
すごい中継をやったというか視聴率が高くて金さえ儲かれば
よさげな民放番組の仕込み具合はどうなのかも気になったね。

高屋敷界隈からあちこち自転車散策では眺められない
珍しい景観を観たくなったら手軽にインターネットで
訪れる日めくりのような写真サイトもいいけど人っ気が薄い。

先ごろトイレ休憩で立ち寄った郊外の書店で手にした眺めは
作家がペンをカメラに持ち替え東京の今の風景を集めたり
写真家が東京の狭い部屋ばかりを撮りまくったりした写真集。

どちらもどこを観ても人っ子一人写っていないのだけど
行き交う人や寝起きしている人の確かな視線が呼吸している
といっても心霊写真なんかじゃないオール・カラー文庫本。

どこかアリソン・クラウス+ユニオン・ステーションの
歌と演奏に向き合ううちにいつの間にか感極まってくる
そんな奥行きと広がりがに紛れ込むような“写真”のひと時。

フツーとあたりまえの間に(03.11.21)

家の増築部分も古びて屋根や外装の手直し
ということで足場が組み上げられなんとも
バランスが悪くなった窓からの眺めみたい。

ありがたいのは吉本著作や文庫情報のお知らせメールかな
公開しているWebページの利用問い合わせはしょうがないとしても
はた迷惑この上ないスパムメールの氾濫はいかがなものか。

追っかけたくなるような秋のテレビの連ドラが見つからず
見返しても愉しめる「木更津キャッツアイ」の再放送の時間帯に
渋滞で間に合わなかったと思ったらヨメが録画してくれていたり。

アップデートしたワープロソフトのアホらしくなるバグで
仕上げ間近な講義ノートのファイルサイズがバカでかくなり
使いものにならず棄ててしまってから修正モジュールのお知らせが。

例のごとく娘婿一家と赤ワイン新酒でワイワイしていたら
ひょっこりひょうたん島みたいなお方が「ボージョレ・ヌーボー」を手に
訪れるなんてその場限りの世渡り具合にも思いがけない“再会”があるね。

「非常勤」に金が払えないということで図書館を追い出された人のその後も
ときおり就職活動で欠席届を出してくる司書課程の学生のこれからも
どうやら0でもない1でもないその間のどこかに落ち着くしかないみたい。

心身の停留所で(03.11.18)

夕陽を浴びたりしたらとりあえず振り返るのが
秋も深まる高屋敷界隈の散歩のだいご味などと
言ってみたくなるような山々の眺めも久しぶり。

数年前カービングスキーに乗り換えたみたいに
捻ったり力んだり無駄な溜めを無くすように
立ったり座ったり振り向いたりできると腰が楽。

姿勢が固まらず崩れかかったような立ち居振る舞い
まるで竹馬に乗ってるみたいに体躯が動かせると
無意識の構えがバラバラに解きほぐされるようだ。

ただでさえ乏しい身体能力が衰えそうになって
なおさらふ抜けたように肩や腰を持ちこたえて
無い力を使いこなせるようにしなきゃならない。

疲れず腰が痛まない身体の捌き方で家事をこなし
その上に運動が愉しめたりして元気になれるし
意識せずに体幹が無造作に緩んだ心地の伸びやかさ。

ある型を極めそこから抜け出したジャム・バンドの
変幻自在な演奏なんかをテーマ音楽のように聴いたり
物事をばらばらに解きほぐす文体を追い求めたり。

見忘れたような感触の夕暮れに(03.11.14)

今週に入って寒いというかやっと11月らしい日和で
いつも暖房を使いはじめる頃によみがえる感触は
“二人乗り”といってもカーとかボートじゃなくて
いろんな人とのある時あるところでの自転車感覚。

ガキの頃から近所の遊び仲間とか肉親の誰かであったり
同性から異性へと両輪を回して渡った橋の向こうでは
どうやらヨメや幼ない娘と乗り心地を確かめあったり。

ふと巷で中・高生の二人乗りを見かけたりするみたいに
中上健次原作の『邪淫』を長谷川和彦が映画化した
「青春の殺人者」を見返したりしているような世相の噛み応え。

たまたま授業でコンピュータの歴史に及んだりすると
下手に説明するよりまだ見ていないドキュメンタリー映画
「Mauchly: The Computer and the Skateboard」を
学生たちと一緒に見れたらどんなにいいだろうと思ったり。

二度と二人乗りなんかできなくなったお袋の姿から
物心もつきはじめたマー君を背負ったスキーの滑りまで
まだまだどこか新しい二人乗り感覚があるんじゃないか
一人走る夕暮れのアスファルト並木道をカラカラ落ち葉も舞い上がる。

痛みも包む鼻歌まじり(03.11.11)

起き伏しに連なる事柄をすべてヨメに頼る
なんて事を回避できて何よりだが週末に孫らが
すりすりしてくると腰をかばって引いちゃうね。

こんな時しつこい腰の痛みも紛らわせてくれた
アジア野球選手権やワールドカップ女子バレーの
テレビ中継やスリリングな映画が鎮痛剤もどきになるな。

自民前職全員当選を保った富山の選挙だが比例区で
民主党の若手衆議院議員が復活当選した一方では
孫になりすます「オレオレ詐欺」を働く若者も目立ってる。

どっかでさまざまな若者を受け止める受け皿というか
世間的なゆとりや社会的なすき間がすっかり薄らいだのか
よっぽどの才能や特技を持ち合わせないとやりにくいのかなぁ。

CDを追っかけ聴きしている山中千尋や上原ひろみに
2作目も素晴らしい松永貴志らの若手ピアニストの隣に
17才女子高生矢野沙織のアルトサックスCDが並んだよ。

女子バレーであれ何であれともかく青春まっただなかで
打ち込んできた何かが開花する姿が見聞できたりすると
一服の清涼剤みたいに馴染むひととき痛みも忘れてる。

どうって事ない繰り返し(03.11.07)

持病みたいな腰痛といっても日常生活に支障を
きたすなんてのは数年おきだったのになぜか
今年は夏に続いてこの秋も近所の接骨医へ通うことに。

朝一で電話を入れ休むなんて事もできない授業を
クローンを準備してやらせるわけにもいかないし
バスの乗り降りも教室への階段もなんとかクリアー
させてくれた指圧とマッサージがありがたいね。

こう出歩くこともままならないと2003総選挙を
飾るマニフェストやらをまだ手に取ってもいないが
どうも静かすぎるのは浮動層が醒めているのか無関心なのか?

“畳とOSは新しいほうがいい”ってのはほんとうかも
発売日にソッコーで入れ替えてみてから毎日なんらかの
発見があったりするってのは前のバージョンの駄目だしかな。

身体ならぬ母屋の外装や水周りのリフォームは済んで
そろそろ建て増し部分にも手を入れなきゃならなくなった
今日この頃“この虫があればこそ今のあなたがあるのです”。

新しい音楽広場に出たような綾戸智絵の新譜を聴きながら
たまたま「コンピュータの名著・古典100冊」ガイド本を
パラパラ見てたら手元にあるのは僅か数冊それも縦書きばかり。

あり余るほど足りない(03.11.04)

温かくて穏やかな三連休を締めくくったのが
ナビスコ杯の決勝を争った浦和対鹿島戦と
ワールドカップ女子バレー日本対韓国戦とはいかず
なんと福岡ダイエーホークスの主砲小久保選手が
無償で巨人へ移籍会見での中内オーナーの涙顔と
まるで他人事みたいな当の本人の仏頂面の並びだった。

連休初日に大阪府河内長野市で起きた家族殺傷事件が
“男子学生と女子高生二人による10代カップルの暴走”
みたいな言われ方で片づけられそうな構図そのものが
事件の詳細が分からないだけ余計に寒々としてしまう。

天然マグロを看板に売っていたのを食べた人から
これは蓄養マグロだと見破られてからペコペコするなんて
ウナギだって喰えば天然と養殖の違いは誰だって分かるはず。

もし分からないとしてもそれはそれぞれの家庭の味だから
何といっても第六感も含めた人それぞれの氏より育ち
ほぼ衣食住で表現されるコミュニケーションの仕方は
とくに乳・胎児期そして思春期という二つの節目に
持ち合わせた男女身体生理能力で無茶・無駄・苦悩を含む
諸行をいかように引き受けたか通り抜けたかの再現じゃないのか。

おおよそ家庭の良き人が必ずしも良き職業人でなかったり
あるいはその逆であったり有りそうで掴み所のない“内心”は何処に?

片づけモノの合間に(03.10.31)

暑すぎたり寒すぎたりだけじゃなく小春日和もあったかな
この10月のお天気はホークスが優勝を決めた日本シリーズの
第7戦最終回に飛び出したタイガース広沢代打ホームランみたいだった。

昨日は昼下がりの日差しがまぶしいコンピュータ教室で
眠くなる授業をするコツがどうやらわかってきただろうか
いやいや何回やったってその時々をいかに共有できるかだな。

帰りがけにピッチが鳴ってヨメと待ち合わせた鮨盤で
初物のニュージランド産ワインの白にぴったりだった
コンソメのゼリーとニンジンのムースにウニのトッピング。

アマゾンの全文検索サービス開始で本の売り上げはどうなるか
売れる本と売れない本の格差がますます広がるだけじゃないか
立ち読みで済んでしまう本しか書けない物書きの立場はどうか。

テレビの視聴率や新聞の発行部数のからくり操作のほかにも
まだまだ世にも明るみにだされていないことだらけだろうが
とっくに不要なものを置いておくようなスペースが娑婆にある。

どうやら会話はできるけどお話にもならないなんて
お手軽生涯教育を積み重ねたって社会勉強になるわけじゃなし
おっぽり出されたりいつどんなときでもちゃんと喋れないと。

思いはいつも過去にありがちだからいつでも出てけるように
取っておかなきゃならない思わせぶりそのものを棄て続ける。

この秋を点描する人影(03.10.28)

高屋敷界隈から出歩ける地べたのお店より
品揃えが良くて送料もかからずすばやく届くから
いつの間にかオンラインショッピングで済ませがち。

なんて事をやっていると“よそ見”の良さを失いがち
書店で雑誌や新刊をブラウジングする手からこぼれ
新たな気づきを見逃してたのを後になって教えられたり。

週一で練習相手をしている子どもたちの上達具合も
スポ少バドミントン新人戦などに出かけコートサイドから
声をかけたりしてみないことには確かめられないしね。

海を隔て同時進行で愉しめたポストシリーズの展開だが
日本では左腕投手がすべてホームゲームの勝敗を分け
147と181それぞれ試合数は違うがフル出場を果たし
これぞプロのダイエー城島捕手とヤンキース松井野手の姿。

米プロバスケットボール界に出向いて日本人初のNBA開幕登録を
目指していた田臥勇太選手がデンバー・ナゲッツに解雇された後姿や
自民党を離党して再び政界に出向く田中真紀子前外相の立ち姿など
この秋の人物往来にも人それぞれさまざまな影が行き来していて。

動くときは動き寝るときは寝るってのがフットワークの基本だろうが
OSが“ウィンテル系”は98のままなのに“果物系”を“ジャガー”から
それも発売日に“パンサー”変えても“それなにさ?”というだけのことだ。

図書館の窓口からとは違って見える教室の学生さん相手に
先週の演習でOPACでは本や雑誌の“立ち読み”はできないよ
なんて話したら米国オンライン書店アマゾンがやっちゃったよ!

てはじめに12万タイトルあわせた3300万ページ以上を横断して
本文を調べたり全文が読めたりするなんてたまげるじゃないか
これから先どうなるか日本アマゾンが真似するって事はないだろうね。

日々をつなぐ調子の行方(03.10.24)

夜来の雨もあがってふと見れば山々はすっかり雪化粧
来年の日記や手帳やカレンダーが書店を飾り
ちょっとした日和に戸外に誘い出されそうな
ところへワールドシリーズ第5戦で4番松井だって!

二十歳のカブレラが4番を打ってるマーリンズに
合わせたようにヤンキースもルーキーが4番を打つ
思いがけない展開になった相星の行方から目が離せない。

日本シリーズも甲子園に舞台が移って2連敗した
ホークス相手に連夜のサヨナラ勝ちで盛り上がる
タイガースだけどあんな形でしか勝てないとなると?

日々の暮らしでもちょっとしたリズムやきっかけを
いつも引き寄せられるような体調が保たれているかどうか
歳とともにある日ある時思いがけない不調で転びそうに。

大の医者嫌い病院嫌いだった祖父は60代を過ぎる頃から
なんだか10年に1度は寝込んだりするようなことを繰り返し
なんと90代後半の引っ越しにもめげずに大往生したんだった。

あわやという場面でも最後にものを言うのはやっぱり
それまでに培われてきた無意識の働きなんだろうか
鍛えようも無い成り行き任せのように見えても運があるのか。

初のワールドシリーズ4番のバットは良く振れていたがノーヒット
海のこちらでは第5戦からのタイガース打線がホークスの斉藤右腕そして
杉内左腕から繰り出されるボールをどのように攻略できるか見物だね。

愉しみの通り道(0310.21)

スポ少バドミントンの子どもたちや
お母さんやお父さんそして監督コーチと
写っていたりいなかったりのバーベキュー。

そんな画像の整理などしながら観戦した
海の向こうMLBワールドシリーズ第2戦の
初回2アウト1,3塁ノー・スリーから放った
ゴジラの打球は育ち盛りの子供のように伸びて。

場所も同じだった前年のバーベキュー画像を
今年のものに更新したらホームページで子どもらが
1年を経て愉しむ姿がホームランボールのようだ。

前夜の日本シリーズ第2戦の阪神タイガースとは大違い
ニューヨークヤンキースの勝ちっぷりを見とどけ昼食後の
散歩に出ればうっすら冠雪の紅葉の山並みに呼ばれたみたい。

歩きからサイクリング車に乗り換えヨメと午後の市内散策へ
あちこち寄り道のぞいた道端ではリチャード・ボナの新譜を手に
陽も傾きはじめ喉も渇いてくる帰り道で道草すれば
ビールサーバの子守をしていた娘が嫁に行って瓶ビールのみ。

薄暗くなる前に帰ってシャワーを浴びているうちに
娘婿が珠洲から訪れたご両親が携えた獲れたての魚を造って
せっかく届けてくれたのにたまたま19時から寄合いがあったり。

ここんとこお気に入りギタリストの中古CDをネットで見かけ
早速オンラインショッピングしたのに未だにナシのつぶてで
しびれをきらし出品者のアドレスにメールしたらイギリスから発送済み。

まあ狭いようで広く広いようで深い秋を漂うような船便で
小さな愉しみを待つのも悪くないかなといったところ。

その場の手応えから(03.10.17)

10月から木曜は早めにお昼を済ませてお出かけ
朝から見ていたMLB中継に後ろ髪を引かれたのが
マーリンズ対カブスのリーグ優勝を決めるゲーム展開。

今年のデビジョンそしてポストシリーズは
なんだか見るたびに予想外のゲーム展開が多く
早起きまでするようなにわか野球ファンも愉しい。

第6戦なんか3点取られ7回まで手も足も出なかった
マーリンズが8回表に一挙8得点でひっくり返すなんて。

それも一死二塁でカスティーヨが左翼フェンス付近に
ファウル飛球を打ち上げ捕球体勢に入ったアルー左翼手より
一瞬早く地元カブスファンの男性が手づかみしてしまった。

アルーの手はグラブをたたきつけ生き返ったカスティーヨが
動揺したピッチャーの手から四球を奪い取った一、二塁から
1点入った後のバッターの打球が守りの手をはじき飛ばして
塁が埋まった直後に打席に立った大スランプ選手の手から同点打。

地元カブスの優勝もファウル飛球も手で掴みたかったファンの
“ワンプレー”から沸きかえっていた球場もシーンとしてしまい
何度も画面に映し出されたカブスファンの手は目の辺りを拭い
やがて球場職員の手に促されるようにスタンドから消えてしまった。

“左翼手がファウル飛球を取りに来ている手が見えなくて
思わず手を出してボールを取り損なってしまった”という
ようなカブスファンの手になる言葉が第7戦の中継画面に。

ということは勝敗の分け目を見に球場に行かなかったか
行けなかったあのカブスファンはテレビ中継を見つめるだけ
ボールパークを彩ったさまざまな手を采配しているのはどんな手?

当たり外れな日々(03.10.14)

う〜んやっぱりパソコンの調子がイマイチ
あたりまえにやっていたことができにくく
LANにつないだ旧マシンを動かし急場しのぎ。

レスポンスも悪く次々とアプリがコケはじめた
主マシンのリストア作業を始めたところで
“ハードディスク障害で使い物にならないかも”だなんて。

何とか再インストールがうまくいって動いてはいるが
どことなく不安定でやり場のない心もとなさがともなう
使い心地に何となくパソコン離れを促されたようだね。

お役立ちソフトを探し当てたサイトで“休肝日に加え
休網日も必要”というプログラマの言葉を見かけたが
ぼくのネットワークPCなんか暇つぶしの道具だよ。

キーボード疲れをほぐすように本や紙切れの片づけなど
数回の引っ越しなどで無くしたか?と思っていた雑誌や本が
見つかって30年前に引き戻されたような埃っぽさまでも。

家に残った古本にはその頃の孤独な影が漂ったり
古雑誌なんかは今になって当時を映す時代写真めいた
手触りから遠い記憶のハードディスクもカラカラ回りだす。

踏み迷う人生の秋景色(03.10.10)

今週はほんとうに秋だな〜の日和が続き
体育館帰りの夜空に月と火星が並んで輝き
午後の授業帰りのバスからは立山連峰の紅葉が。

年を喰ってから新しく何かをやることになったり
いささか慣れ親しんだスポーツをやり続けたり
どちらもますます力の入れ具合がむずかしくなる。

まるで何でだろうねって部分がついてまわるから
それを見逃さずやり過ごさないようにしないと
ついつい入れ込みすぎたり手を抜きすぎたり。

これまでみたいに流れに乗ってみたいな
うまいわけにはいかなくなるってことが
だんだん分かってきたということだろうね。

半日に二コマの授業にことのほか疲れたり
一年余り使い込んだパソコンがトラブったら
復旧の道筋に迷って無駄な積み重ねをしていたり。

今朝も娘に結婚記念日のメールを出そうとして
ファインダーがおかしいのかソフトが立ち上がらず
だったら花&カードか祝電にでもすればいいものを。

“人がやってることだから自分にできないわけがない”
中日ドラゴンズの落合新監督の言葉に嘘はないだろうが
人のやることにはいつも若さとか老いがついてまわるよ。

暑苦しさから温もりへ色使い(03.10.07)

今年は夏場からずいぶん遅れた庭木の剪定になり
見慣れた庭も金木犀の薫りも例年になく際立って
あちこちの窓を開け放ったりして感触を愉しめる。

花火も響く運動会日和の爽やかな休日が明け
久しぶりに隣県に住む姉夫婦が訪れたりして
ヨメは手料理に来合わせた娘はケーキ作りに
相変わらずビックリするような腕を振るったり。

白から赤へワインのコルク栓を抜いてみたり
幼子に食べさせたり風呂を一緒につかったり
ひょっとして良寛の境地のかけらに蹴躓いてみたい。

確かローリー・アンダーソンの作品にあった
みたいなトーク・ノーマルってことがどんどん
気づけばどこまでも幼児化しているって事かもね。

だったら新しいノーマルが育っているか
どこかやわらかい雑草に寝転がったりして
手にしたことの無い体験に憧れるでもなし。

諸悪の根源でもないマイ・ホーム主義から
離散したところでそれぞれのマイ・ホームが
時を刻むような散歩がゴキゲンなひとときも。

“ツキ”が変われば(2003.10.03)

あれあれ司書科目ってこんなに人気があったっけ
みたいに後期初日のコンピュータ室に集まる人数に
男子学生の姿まであってマイクの準備も確認したり。

聞けば2年生と1年生に単位互換科目履修生もいる
ということで学籍番号の下3桁によるログイン名が
ダブってバッティングしないように配慮しなきゃ。

集めた出席カードでグループ分けして番号を割り振り
これでいいかなというところで1年生に読みがまったく同じ
学生が名乗り出る珍しい一幕も加わって時間が押したみたい。

気づいたらもう終了時間で初回から中途半端ななりゆきに
本日はこれまでと片付けたところでマイクのスイッチが
入っていなかったという駄目押しまであって言うことなし。

10分休んだ次の4限目の時間配分がうまくいかったのも
前日(10/1)に朝一トイレから戻って床から起きられず
久し振りの不調からどうやら立ち直れた翌日だったからか?

おまけに余裕を持って家を出たのにバスが遅れてきたり
狭っ苦しい道路工事やら渋滞でやたら運行が遅れ遅れの
バスの乗り継ぎにやきもきさせられたりしたからかな。

すっかり秋めいたキャンパスで週の半日を費やし
傾く秋空が美しい帰りのバスで初日の疲れを覚えながら
“若さ”だけがもつ未定形な響きの名残に“老い”を感じたり。

『スラムダンク』の著者をして「漫画を超えた」と言わしめた
田臥勇太バスケットボーラーがスーツ姿で夜のトーク番組に現れ
どこから見ても若いアーチストの“顔”で喋っていたな〜。

いつから刻んでどこへ(03.09.30)

いつも決まって6時ちょっと前に目覚めやおら
手を伸ばし枕元のラテカセ(テレビとラジオと
カセットが視聴できる骨董品)のスイッチ・オン。

毎朝のお出かけから遠ざかって久しいのに
身体にしみ込んだサラリーマン時計だけが
いつまでも取り残されくすぶっているようだ。

ひと働きして朝シャワーに朝いちビールだなんて
もはや思いもよらない9月の終わりの窓を開ければ
ほのかな挨拶みたいにキンモクセイの薫りが漂う。

シーズン途中に4人も監督をすげ替える茶番で
濁ったプロ野球なんかほっといて仲間と一緒に汗して
下手なりにスポーツをやってたほうが酒も食事も美味い。

食欲より読書の秋だなんて馬鹿な中毒もありそうだけど
遠く離れて見えてきた十勝沖地震の災害状況などから
その昔近くを流れる常願寺川の氾濫による9千人の被災まで。

遠く揺れた福井の大地震が幼い記憶に刻まれた6.28から
今朝も夢うつつ耳にするニュースの繰り返しで日常に
立ち戻ったりしていられるってのが何事かじゃないか。

前は何をやっていた?(03.09.26)

運動会の厳選デジカメ写真をメールに添付して送ったら
娘からそのうちの1枚を50kb以下で再送頼むだなんて
いったい何年パソコンを使っているのと思ったりしたな。

ちょっと使い方を覚えたハイパーカードで文字や絵を
音までつけたりして見栄えがいいスタックを作ったり
工夫してパソコンを愉しんでいた頃の娘はどうなったんだろう。

昨日久し振りにママさんバドミントンに顔を出したら
ファイルの操作や画面印刷などちょっとした使い方が話題に
高機能が謳い文句のパソコンを前にどうも受け身な感じ。

道理でラケットスイングやフットワークにテニスをやった
痕跡が邪魔になったりしてシャトルによるラリーにもっと
緩急をつけたりコースを打ち分ける工夫や愉しみ方が見えない。

両手と片手の違いはあるけどヒョッとするとゴルフ経験者は
シャトルを遠く近く正確にコントロールできたりしないだろうか
昔剣道をやったことのある自分はちっともプラスじゃなかったが。

何かスポーツやパソコンの使い方そのほかいろんな情報を
手軽に入手できたり職場やサークルに属さない人たちが頼れる
そんな公共図書館の間口と奥行きと広がりはいつ整うのだろうか。

余暇時間の使い方こそがその人の個性みたいなことになって
前にやっていたりしたことをどうこれから何をやるかにつなぐか
ちょっとはゴキゲンで情報化社会に暮らす愉しさも満喫できないとね。

つい気になったこと(03.09.23)

どうやら暑さ寒さも“悲願”までを地で行ったような
衣替えで続投をつづける第2次小泉連立改造内閣だが
さてこれからどんなリニューアルを実行?

阪神タイガース優勝の日に甲子園球場の外野深く
広島カープの朝山右翼手の頭を超えて転がっていった
記念となる赤星中堅手のさよならヒットは誰が拾ったか。

日曜の夕空を跨いだ二重の虹を2階の窓越しに
3才半のマー君に見せたら“窓を捨てて”と言い
開けた窓の外の網戸に“それも捨てて”だなんて。

これ以上ないくらい晴れ上がった昨日の朝から夕まで
台風15号の置き土産でもないだろうに風が吹き荒れ
ボロボロに千切れそうなクモの巣にしがみつく庭の主を、

双眼鏡で観察したりするにわかインドア派になって
来月からの後期授業教材の仕上げを急いでみたら
大学図書館の現場で叩き上げただけの素人っぽさが。

ずいぶんご無沙汰している実家の叔父さんから
どっさり野菜や新米が届くような秋がめぐって
夜は毛布か布団か昼は長そでか半そでどちらがいいか。

何か別なものに(03.09.19)

500メートル四方に飲み屋がひしめきあっていた
桜木町界隈そのほか馴染みの赤提灯からもすっかり
足が遠のいてしまい仕事を辞めたあとも時おり飲みに
寄ったりしていた駅前のお気に入りに代わる店は見つからない。

妙齢のママにマティ二そのほかカクテルの
ひと時を愉しませてもらったりしていたが
捨てがたい魅力を響かせカラオケ代わりみたいに
置いてあったジュークボックスはいまごろどうしている?

今は無い高岡の工学部分館へ通っていたころ
帰りがけに高岡駅ビル2階のゲームコーナーで待っていた
手垢のついたピンボールマシンはどうなったんだろう?

万博やテーマパークへ出かけたりする前は
年中行事みたいに家中そろった温泉宿なんかで
なんと両方のマシンを一晩で愉しめたこともあったり
いつの間にかわが家の歴代のパソコンにはきまって
ジュークボックスやピンボールのソフトが紛れ込んでる。

人それぞれトラブルに巻き込まれたり苦境に立たされ
どんなにもがき足掻いても抜け出しにくかったり
やがて自分も相手もまな板にのせる場が見つかればしめたもの。

たまたま出会った映画や小説なんかにチラッとでも
ジュークボックスやピンボールマシンがさりげなく
見えたりしただけでその作品が気持ち良く収まるなんてね!

とかく過ぎ去ってしまったものにとって代わる
そんな何かが見つかったり見つからなかったり
いつの間にか既に別なところを歩きつつあったりして。 昔も今も“大人”は凄い(03.09.16)

日本海を北上した台風14号のフェーン現象なのか
3連休初日の土曜の猛暑も喉元を過ぎたようだが
インターネット中継で聴いた斯界の長老たちの語り口が
見聞きしたことのない夜と朝の境界でふと目覚め
まだ覚えのない胎児のように丸めた身体に響いている。

日帰りはともかく老いた家族を残して出かけにくい
ところへ“ほぼ日”5周年記念講演会のストリーミングで
PCから流れるご老人それぞれの小さな映像とコトバが
老いの身体と言葉をめぐるようにわが家の書斎に届いたよ。

5人合わせて378歳でおおよそ430分にも及ぶライブが
じぶんの小ささといかに子どもに過ぎないかを際立たせ
どこまでも親より先に死んじゃいけないことの臨場感に溢れ。

少しは涼しくなった翌日曜はマー君の幼稚園の運動会で
親・子・孫が目立たず交錯する風景に紛れ込む居心地へと
ゆったり合流できたりするとお弁当を囲むお昼も格別だね。

誰もが免れないそれぞれの本流からの外れ方や流され方に
気づかされたり思い知らされた事柄が紛れ込んできたり
いつの間にかとんでもない支流で流されたり泳いだりしていて。

3連休が終わる敬老の日の月曜夜になってやっとというか
ようやくついに阪神タイガースがリーグ優勝にこぎ着け
やるべきことをきちっとやった取りこぼしの少ない
今シーズンの戦いぶりがあって18年ぶりの秋を手にした。

本には足がある(03.09.12)

「(田中審議官宅に)爆弾が仕掛けられたが、
当たり前の話だと思う。いるかいないか分からない
ミスターXとわたしは交渉したなんて、向こう
(北朝鮮)の言いなりになっている」なんて言い草は

アメリカは“同時多発テロ”を呼び寄せて当たり前だ
と一部で言われたりしていた2年前の9-11を
思い起こさせ、一人ひとりにとって当たり前の
叡知や情操が今どこにあるのか確かめたくなる。

書架の整理整頓が日常業務の一つだった頃だが
便所や閲覧室の窓の外や学部校舎や学生寮のほか
近隣の図書館など唖然とするようなところから
見つかった所在不明本を定位置に戻した安堵感。

ふと読み返したり聴き返したり観返したり
したくなったときにすぐに見つからないもどかしさ
なぜか置いた(と思った)ところに無いのだ。

とりあえず必要なものなど手元足下に山積みかな
見切ったり見切られたりしたものから棚に詰め込み
後は思い立ったときすぐ手にできればいいのだが。

お目当てと違った先の探し物が今になって
と言う事になりがちなのはなんでだろう?
区切りをつけしまったのが手元近くにあったり
いつの間にか床から棚そして物置と遠くなったり。

本それぞれへの切実感と置き場所が崩れたり
つながりが切れたりしながら読み手の居場所も
視力や聴力とともにいつの間にか疎かになりがち。

一聴惚れの秋に(03.09.09)

“ウィークエンド・メランコリー”はもちろん
“ブルー・マンデー”とも縁が切れて久しいのに
たまに子連れ娘がやって来ない日曜日なんか
あったりするともう月曜みたいな感じだね。

土曜朝のFMで耳にしたスライド&リード・ギターの響き
手元の「ギタリスト名鑑」になくメモを頼りにネットで
探した新人ギタリストのリーダー作3枚すべて聴きたいな。

ソッコー注文した輸入在庫CD2枚が翌日曜昼前に届き
孫の居ぬ間の食後に愉しむがずが不意に何でこうなるの!
プリンターエラーのせいでドライバをダウンロードし直し
設定を何度やり直しても駄目でネットワーク共有に戻したり。

夕方ともなるとZONEで田臥選手の“NBA挑戦”を見てて
200メートルの末續選手もそうだけど肩の力の抜け具合が凄く
肌の色や民族でレッテルを貼ったよう見方のどうしようもなさを
音楽畑でもどんどんぶっ壊していく若さが聴ける今日この頃。

人それぞれどこで何を生業にしようともついて回る居心地の良さ悪さ
ゲイ専門の公立高校がこの9月にマンハッタンで開設ってことを
同性愛や性同一障害で悩んでいる人たちはどう眺め受け取るだろうか。

ひとまず身の処し方の自在さみたいな未来を響かせるギターを耳に
ブルースからジャズそしてロックに今じゃワールドみたいな響きも。

“食”へと抜けた散歩の味(03.09.05)

昨日今日と南下した大陸の高気圧が
開け放した2階の窓を爽やかに抜ける
作業部屋から散歩に誘い出された夕暮れ。

歩けば左肩のコリがわき腹に下り
ゆっくり赤とんぼと擦れ違ったり
立ち寄った本屋で買った雑誌がひんやり。

駐車場を抜ける裏道から近道へ久し振り
大っきなサンマが出されたらどうしよう
な〜んて二人が交わした気遣いも無駄に。

テレビで見た京の夏のグルメ番組など
他愛の無い食にまつわる話もつきず
時間外の銀行でしっかり“入金”を確かめてから
近くの暖簾をくぐれば水槽に見事な魚影。

薫製に仕込んだサンマの切り身と男爵の
野菜サラダ風味にボルドーの辛口ワインで
散歩を助走に秋の食感に軟着陸できた。

一つひとつ切り身を松茸と一緒に焼いて
梅風味で食べる鱧が初めての美味しさ
それにしても骨がひと筋も口に触らないなんて。

これも“初物”かなと出された酢の物が
なんと艶やかでまったりした白子だったなんて
まるで夏、秋、冬と“旬”の散歩をしたみたい。

近く遠く夏の終わりの眺めから(03.09.02)

パッとしない空模様の先週末の日中は
スポ少バドミントンの子どもたちの
久し振りの練習や地域の大会につき合い
夜はマラソン中継画面に写り込むパリの街並みに
飽きず見とれたりしていたらもう9月。

そういえばバブルがはじける前だったかな
今じゃ跡形も無い同人誌仲間による話の接ぎ穂に
出かけるとしたらパリだろうなんてことも。

山手線の内側ぐらいの広さに展開する
景観を走り抜けるマラソンランナーより
追いかけるカメラが切り取る背景がいい
なんて思わせた中継は他にあったろうか。

観光地は別として国内のマラソン中継画面で
走路に沿い長時間映し出される街並みといえば
まるで判でも押したか金太郎飴じゃなかろうか。

佐賀の飯所で昼酒を飲み車窓を眺めるうち
ここはどこ富山を走っているんじゃないの、
みたいな夏が行く先々で多かったようでも
たまに異空間にきたような時の流れを感じ
ふと立ち止まったりした土地のことは忘れない。

冷夏にもかかわらず日焼けした子どもたちが
未熟な基本技と少ない練習量を補うように
考え考えゲームを作って勝ち上がった姿も。

まるで忍者みたいに(03.08.29)

バドミントンで顔見知りの子らの中にも
国立競技場(陸上の全国小学生交流大会)で走ったり
火星大接近に備えて立山に登ったのがいたりして
身近な話題にも事欠かなかった夏休みももう終わり。

夏バテじゃなく夏風邪気味のまま汗を絞って
体育館から帰った8/27の晩は南の空が曇っていたので
NASAハッブル宇宙望遠鏡で撮った火星を眺めたよ。

でも、地球に約6万年ぶりの大接近と言われたってね〜

おかげで寝不足気味なパリ世界陸上のTV中継だけど
まるで水面をヒタヒタと滑るような末続選手の走り!
江戸時代の庶民は走ることができなかったというのが
どうやってここまで走れるようになったのだろうね。

スポーツや格闘技その他なんであれ世界を舞台に
本番を競ってあんなふうに力を出せるなんてびっくり、

いまだに自主も主体もなく思惑だけでがんじがらめになって
どうしようもないほどへっぴり腰におさまりかえるしかない
飽きるほど見慣れた風景をあっさり突き破ってしまうなんて。

一人ひとりがそれぞれ力を蓄え結果を発揮できる
未知への接近を見かけたようで決勝が楽しみだね。

この夏の締め括りに(03.08.26)

この夏の甲子園を締め括るにふさわしい
決勝戦の展開が面白く終わって感動し、
BS-hiにチャンネルを変えたところで
昨夏から続く東京ジャズ2003にはまった。

過ぎた夏空のようにパッとしなかった
私的な夏の音楽シーンをひっくり返され
先週末の午後と夜中はライブ中継漬けに。

2時間おきに飲んでるんじゃないの!
などと授乳子育て中の娘に笑われたが
2日続きで中継と録画合せて14時間あまり。

もし中止になってなかったら関西辺りで
図書館職員長期研修同窓会のはずだったが
わが家のリスニングルームで居ながらにして
気も晴れ上がる愉快で楽しい味の素スタジアム風景!

そりゃそうだよね、ユッスー・ンドゥールの歌から
リチャード・ボナがベースを弾く渡辺香津美ギター・トリオ
今一番ライブを聴きたかった松永貴志ピアノ・トリオ
テナー吹きの自己模倣から抜け出したジョシュア・レッドマンや
昨夏からヴァイオリン・ジャズの進境著しい寺井尚子のユニット。

ここんとこ最も聴きたかったミュージシャンたちの
フルコースが食う寝る遊ぶ付きで味わえたなんてのもいいし
できたら2日券で現場に一緒に出かけたかったヨメが
買い物ついでに探してくれた渡辺香津美トリオの新譜CDもよく響く。

ひと夏の綱渡り(03.08.22)

ひところは夏の定番だった斑尾その他の
ジャズライブに出かけた気力も置き忘れてしまい
連夜のFUJI ROCK FESTIVAL'03の
テレビ放映にグラス片手につき合うなんてこともない。

有名校が敗退していく甲子園の夏に気を取られるうち
ふと気がつけば阪神タイガースが夏の定番にはまったり
お盆の虫の音をかき消すように夏の暑さが戻ってきたが。

財務省方針が“年金支給開始67歳に=25年度以降”だなんて
サラリーマンの65歳定年制のめどすら立ってないのに
退職後をどうやって稼ぎ続けていくかが見えてこないな。

お盆休みめがけいろんなウィルス攻撃が目立った
インターネットで40歳以上に高齢者の利用が伸びている
報道が目についたがまだまだマスメディアにはほど遠いよ。

目先のこともよくわからないのに次の時代だなんて
チャンチャラ可笑しいだろうけど何処かにそんな芽が
なんて手探りしたりしないとやっていけない今日この頃じゃないか。

残り少ない戻り夏の夕暮れの散歩もなにやら薄味めいて
やっぱり年に一度は浸っておきたい盛夏の余韻も響いてこない。

読書の合間に掲示板(03.08.19)

晴れ間の墓参りや雨の外出をしたり
孫二人の相手の合間合間に本を手に
“晴耕雨読”みたいなお盆を過ごした。

上下各700ページを超える滝村新刊本と
1811ページ重さ2Kgを超える吉本全詩集の
目次を眺めあちこち読み進める涼しい終戦記念日。

10冊ぐらいの滝村本はほとんど手元にあるから
ここにきて新しく読むのはどうかなだったけど
買ってよかった面白さに2チャンネルの板まで。

本を読むのもいいけどタイムリーな掲示板で
その本のスレッドが読めたりするってのが
一人っきりの作業に風穴を開けられる感じ。

しょせん生きてく上で読んだり聴いたりなんて
どうでもいいことの代表格みたいな無為が捨てがたく
いつの間にか生活の一部みたいになってしまって。

といってもその人の全著作なり全作品を
すべて読み聴きしたなんて数えるほど
5本の指にも満たないからたいしたことないよ。

目立たない在野の優れた大家もそうだけど
大学を定年退職したその道に秀でた人を含め
各界の話を寺子屋みたいに聞かせて欲しいな。

開き直った集中力(03.08.15)

今年のお盆は肌寒いしょぼくれ雨模様で
甲子園の高校野球8日目は雨天順延になったが
7日目の地元富商のびっくりするような初戦突破!

地区大会の決勝戦を見に行って一高の
勝利を確信して途中で帰ったところが
なんとひっくり返されて富商が県代表だなんて。

数日前の夜に乗せてもらった富タクの
ドライバーが語ってくれたりしたように
逆転負けした一高バッテリーも力強かったが。

甲子園も驚く逆転勝ちを演じた“富商野球”は
富山市民球場で一回死んで開き直ったのか
あっけにとられるような守りと攻めをやった。

久し振りに登板(8/12)した桑田投手の見事な野球術!!
とっくに山場を超えてしまったペナントレースのせいか
ここしばらく甲子園から届く好カードから目が離せないね。

かろうじてよみがえった蝉の声もか細いようだし
どこか夏も終わったような涼しさにまぎれ
届いたばかりのCDを回せば読書がはかどる。

打てば響く夕涼み(03.08.12)

お盆前にようやく訪れた真夏気分に
不意に水を差すようなような台風10号で
しだいに北上する予報圏内からの被害報道。

土曜(8/9)昼の予定がキャンセルになったのに
高屋敷界隈からは立山連峰の影が見え隠れし
日本列島中央部を暴風雨圏が斜めに切り上げ
富山あたりを通過していったなんて嘘みたい。

スッキリ見渡せた翌日曜(8/10)の夕暮れには
西武×巨人戦(イースタンリーグ)の球音が飛び交う
久し振りアルペンスタジアムの外野ベンチで夕涼み。

両軍のシートノックから試合終了まで
とても持つまいと連れてったマー君(3歳)も
腕を振るったヨメの弁当がよかったのか
何が気に入ったのか観戦を盛り上げっぱなし。

ここしばらく二人とも“ライブ”の類いに縁がなく
どうやら“臨場感”に飢えていたということかな、
球場遠くから響く花火大会の音に弾けるように
クーラバッグから取り出す喉越しの涼も心地よい。

9回表が始まる前に球場の外へ出たところで
“マーちゃんとお弁当持ってまた来ようね”
だなんて、言われたヨメもまんざらじゃなさそう。

夏こそ快適に(03.08.08)

南から雨台風10号が近づくなか
窓の外の暑さを突き抜け山肌くっきりの
北アルプス連峰の高さが静かなシルエット。

夏のBGVみたいな第85回全国高校野球の
テレビ中継画面に割り込む東北地震ニュースに
朝からキーボードを叩いていた手も一休み。

ひと足遅かった暑さに慣れないうちに
この夏が過ぎてしまいそうなのに
なんだか海や山が遠のき同窓会も中止に。

手軽な運動で思いっきり夏の夜を遊べば
近づいた雷鳴とともに体育館が闇に落ち
明るくなる前の点灯までの待ち時間に沈む。

歳ほどにいったん休んでも身体が冷めず
ウオーミングアップも楽な夏の運動は
息切れしないようどう持ちこたえるかだね。

歳を重ねるだけ心身の維持というか
メンテナンスに暇を費やすようになるから
やり過ぎいないよう休み休み繰り返すこと。

忘れちゃならないのが終わった後の
疲労感でべったり流され休まないよう
日頃も手足を動かし頭を使って疲労物質を
燃やし続ける春夏秋冬を過ごす暮らし方。

この夏の読み物に(03.08.05)

先週までクーラーなんかいらないなんて
感じていたのが嘘のような8月第2週はじめ
4ヶ月ぶりにママさんバドミントンへ。

低調な校下バドミントン活動とは大違い
顔馴染みだけじゃなく新しく若いママさんや
夏休みの娘や息子までがコートを賑わす。

体育館へのヨメの誘いがマッサージみたいに
効いたのか左肩や腰の痛みまでがほぐれ
ほど良い汗の絞り具合が楽しめる夏の再来。

こんな夏に響かせるCDの定番が無くとも
よくぞ出た滝村隆一著『国家論大綱』上下巻と
予約済み『吉本隆明全詩集』で十分愉しめそう。

亡くなった三浦つとむの著作も含めて
出張先その他の図書館の書庫で彼らの
著作のそろい具合が気になったことも。

その昔に配置替えになった工学部分館で
学生用図書に吉本隆明全著作集(勁草書房)が
全巻並ぶように手回ししたこともあったんだが。

そんなことをして「民青」にやられたりして
などと心配して分館事務室にやってきたりした
全共闘学生のその後のことなども浮かんで消えて。

やらせじゃないよね(03.08.01)

ほんとうに梅雨明けしたんだろうか
などと疑いながらももう8月入り。

イラク特措法を成立させた政府が
自衛隊派遣先をめぐって米側と
どんなやりとりをしているのか。

MLBのスイッチヒッターが1試合で
両打席連続して満塁ホームランを放った
なんてニュースに巡り合うなんてことも。

対阪神戦16連敗していた横浜が
後半戦最初のカードを勝ち越して
どうやら7月の終わりにけじめ。

お昼の「笑っていいとも!」の日替わりゲストが
テレフォンショッキングを締め括るコーナーで
日替わり観覧女性百人から1人を引き出す質問を
7月24日からなんと8連続で8月1日に繋いだ。

そうそう今朝早くトイレに起きたヨメが
物音凄くぶっ倒れたりしたもんだから
ドキッとして助け起こした感触がまだ抜けない。

この夏空の塩梅は(03.07.29)

どうもパッとしない北陸の梅雨明けだけど
約6万年ぶりに地球に大接近で南中する
火星を肉眼で見られるってのがいいかな。

先週末土曜定番の“おめざ”FM番組の
スイッチを入れたら東北地震のニュース、
宮城連続地震だなんて日に三度もやられちゃ
それこそ寝ても起きてもたまんないよね。

春から2度目の歯の治療が片付いたヨメと
歩いて腰痛の治り具合を確かめるみたいに
久し振り近所の鮨盤に出かけて愉しめた。

酢物に揚物そしてめん類がいいというより
夏の料理こそ塩味が大事と思わされたのが
冷製パスタに一夜塩したトマトの美味しさ。

温かいホタテのムースをスプーンで刺したら
色鮮やかにオマルエビのソースがあふれ出し
口に含んだ塩加減とともに白ワインが引き立つ。

寿司屋の看板のほかにもう一枚掲げたら
なんて言ってみたくなるおもてなしが嬉しい
一時を過ごしまだ早い南の空を見上げて帰った。

ちょっとした面白さ(03.07.25)

昨晩も「世界水泳」を見てしまったけど
とくに個人メドレーなんか格別というか
水泳ってこんなに面白かったの!?って感じ。

泳げないものが言うのもなんだけど
平泳ぎなんかほんとうに難しそうだが
バランスとリズムに溢れた泳ぎは速いね。

司書課程の2コマもどうやら前半をターン
後半の2コマに向け教えること学ぶことに
どうやって面白さを見つけるかが宿題だな。

図書館勤めが長続きしたのもどこかで
これはもうちょっとやってみたい何かが
飛び石伝いに与えられたりしたことが大きい。

まずいろいろ調べそしてまとめた結果を
当事者とそうでない人の両方にわかるように
編集できないと“情報サービス”は勤まらないかな。

学生が出してきたレポートや筆記内容などから
思いがけない手応えが嬉しい機会をもらったが
やっぱり採点なんて性に合わずとにかく大変だよ。

身近な起き伏しから(03.07.22)

さて今度の腰痛は治りもいいようで
梅雨明け前の連休に子連れ娘が訪ねてくれ
マー君と散歩したり、ミーちゃんに
“高い高い”をして笑いをとったりできた。

痛くて尻が拭けなくなったりしても
ウオッシュレットさえあれば大丈夫
ということで腰痛持ちや痔主には
無くてはならない暮らしの必需品がイイネ!

草むしりや掃除や運動なんかもってのほか
とばかりにソファにひっくり返って
今年前半の収穫本やCDで暇つぶし
飽きたらお気に入りチェアに座りキーボード叩き。

新たな個人文庫の案内メールをもらったり
それで背中を押されたみたいにあちこち調べ
大学図書館の個人文庫情報の追加作業など。

3年前に縁が切れた埃っぽい書庫整理作業も
どうしようもなかった腱鞘炎や腰の痛みも
すっかり忘れてしまったのに旧制高校時代の
個人文庫を並べた勢いで収集した大学図書館の
文庫情報を公開したのがここまで続いている。

それにしても時折いただく文庫に関する
お知らせやお尋ねメールがなかったら
持続もおぼつかないと想う今日この頃
暑さ寒さも半端じゃなかった書庫作業仲間は今どんな夏を?

靴下も穿けない(03.07.18)

木曜4限の目録演習の最終授業の
出がけに右足の靴下がなかなか穿けない。

火曜の晩のいつものバドミントンで
腰痛持ちがぎっくり腰になったみたい。

わが人生で養ってきた腰痛や痔疾の
リハビリと冬場のスキーのための
運動中にまた痛めるなんて笑えるね。

おかげで再発中だった肩の痛みが
感じとれないようでちょっと可笑しい。

いつもだったらひたすら腰湯や
湿布で自然治癒に頼るんだけど
とにかく授業に穴は開けられない
ということで近所の接骨院で
何とか歩けるようにしてもらった。

司書課程はほとんど女子学生ばかり
元気を分けてもらえるのはいいけど
フロッピーディスクに保存してきた
目録の演習成果の出力間際に至って
なんと丸ごと消えてしまったなんて。

あ〜、彼女の成績をどうやってつけようか?

夏に向かう鳥肌(03.07.15)

田畑の作物の出来具合にも響くかな
先週末からなんだかうそ寒いばかりの
世相感を地で行くようなお天気巡りだ。

先月の改正著作権法の成立に続き今月は
国立大学法人法案とその関連法案が可決成立、
戦後の腐敗と形骸化を繰り返し演出してきた
高等教育の護送船団がこれで換骨奪胎できるのか?

初体験の非常勤講師作業も前期が終わり
とりあえず一息ついて何故か想い出される
春先の民間ラジオトーク番組で詩人の
荒川洋治が早稲田の待遇の悪さをぼやき
13年続けた非常勤を辞めたと言ったこと。

どのような場所から誰に向かって
何をどうのように語れるかだって、
サイバラ漫画『ぼくんち』全1巻本を買い
たった2頁見開きギャグでフツーを見直したよ。

今日も窓から吹き込む冷たい胸騒ぎが
老いの季節の階段を登ったり降りたり
どこかで三角関係の井戸を掘り当てている。

逃げ場はどこに(03.07.11)

見終わった時はさほどでもなかったのに
戸板に縛りつけられたようにおろおろ
うろつく姿がイラン〜イラク国境の
岩肌むき出しの風景とともに焼付いた。

爆撃で学校を失った教師が黒板をしょって
難民状態の老人や子どもたちに同行するように
生徒を探して歩くが誰もまともに相手にしない。

1984年のイラン・イラク戦争の頃のことかな
クルド人達がイラクの毒ガス(サリン?)で虐殺され
生き延びた人たちがイランに難民として逃げてきた。

互いに黒板に泥を塗って爆撃や銃撃の気配から隠れ
少年たちは四つん這いで羊の群れに紛れ
老人たちも四つん這いで逃げ惑うしかない。

戸板代わりに歩けない老人を運んだり
黒板の一部がケガをした子の脚の副木になり
読み書き算盤以上に役立ったといえるのか。

戦禍から遠のいたように見える国内じゃ
異性へと関心が向かう直前の中学1年生の
同性愛的傾向が同年配に対象を得られず
幼稚園児に的を絞ったあげくの惨事に。

親は親なり子は子なりにそして第三者は
それなりにけっして相通じえないのが
あたりまえとなっているところでは
背負い込んだ重さに逃げ場も見つからない。

“*”な日もある(03.07.08)

ゴミ出し際に郵便受けにCDを見つけ
今朝のおめざにマダガスカル生まれ
デガリーのギターの響きが届いたばかり。

ここんとこずーっと古きよき映画がすべて
でもなかったけどBSの名画劇場漁りを
中断するみたいに*のついた映画を見た。

検索式の説明で“米印”とか“アスタリスク”とか
“前方一致”とか言ったりしてた“*”印がついた
野球映画というかホームラン記録の裏話。

1961年に61本のホームランを打った
ロジャー・マリスの記録から“*”が消され
そして彼の人生に何かが加わったのか?

仕事を辞めてから一度も野球場(といっても
年に数回のロードゲーム)に足を運んでいなくて
テレビでMLBや阪神タイガースの中継を見るだけ。

右中間のやや後方に双眼鏡を手に陣取って
両チームの練習やブルペンの様子を見たり
やがて試合が始まって遠からず近からずから
面白いヤジが飛び出したりして言うこと無し。

午後の人生の一時の居場所としても
目立たず騒がずそれでいてまたとない
逢い引きにも家庭サービスにも似合うかな。

古い映画を見続けて(03.07.04)

西から東へ急ぎ足の雲行きで
ざわつく風に家鳴りがしたり
よろめくように鳥が飛んだり。

身体をほぐすみたいに掃除や片付け
気分もさっぱりデスクトップの模様替え
平日の朝や夕方にBSで観る古い洋画など。

戦前戦中の都市の姿にその国の余力というか
それぞれ産業の発展段階の違いが映し出され
各国の消費社会化の先行具合が気になったり。

第3次産業就業人口が過半数を超えたのは
アメリカが1939年
イギリスが1969年
フランスが1972年
日本は1973年
西ドイツは1981年

それ以外にもさまざまな発展段階の国々が
ひしめく世界はちっとも平板じゃないのに
ついつい単一なモノの見方をしてしまいがち。

さて、僕らは今どんなステージにいるのやら?

節穴の眺め(03.07.01)

縁側のカーテン越しに半夏生がゆらり
梅雨の半ばを綴じ合わせる影のありか
迷いに迷って世間知らずの礼儀知らず。

往くがまま成すがままにまかせて
ばかりもいられないというところで
踏みとどまればどんな姿勢になるか。

竹を割ったような性格を真っ二つに
したら訳のワカラナサが生えてきて
追い出されるようにはみ出したかな。

とんだ巻き添えなどと言わぬが花で
ともに居場所となるとんだつま弾き
語りに墜ちれば翔ぶ夢見の続きが。

嫌なら何時でもやめられるってのが
何処かに無いと長続きしないという
境目の1996年のIT革命はどうなった?

道路建設投資額と通信投資額の比率が
その国のGNPの伸び率に関係してた
だなんて感心している場合じゃないけど!

右左上へ下へと往還する通過点の眺め。


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