十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)

最終更新日:2003/07/01

晴れ間を縫うように(03.06.27)

晴れ間をみつけ自転車にまたがって
通りすがりに城南公園の県立美術館で
相変わらず雑多な常設展示が久し振り。

企画展示を見てまわって気づいたのが
写真週刊誌「FOCUS」の表紙の
絵で記憶していた画家の作品だった。

立ち寄る地べたの本屋やCDショップじゃ
現物に触れても品揃えがイマイチだから
オンラインショッピングサイトへ買いに走る。

専門家じゃない人が読んだり聴いたりした
感想が読めるってのがなんとも面白く
初物買いの決め手としても十分役立つ。

司書講習そっちのけであちこち遊び歩いた
若かりし頃の夏の東京暮らしの2ヶ月!
みたいなことが若い時にはあったほうがいい。

誰しも好奇心や感受性溢れる頃にこそ
ありとあらゆる情報に出会いお金と時間にも
恵まれるべきなのにそうは問屋が卸さない。

紫露草を想い、桜桃を食べていた6月の記憶。

雲間からの眺め(03.06.24)

先週末から梅雨の中休みみたいで
久し振りに郊外を自転車で走ったり
三輪車のマー君との散歩も楽しめた。

でも体育館での子ども相手の120分や
空調の無い教室で学生さんとの90分が
時節柄以上に蒸し暑かったりするのは何故?

階段を踏み外して捻挫しそこなったり
バスの乗り継ぎでちょっと走ったつもりが
息苦しくなったり衰えの兆候も見つかる。

スキーも自転車も以前のトップスピードが
怖くて出せないというか出なくなったら
肌身離さずだったポケットGPSも電池切れ。

気のせいか戦争が始まったりすると
誤差が数メートルと精度がよくなったようで
のんびり遊んでるのに妙な緊張感もあって。

晴雨に関わり無く衛星の電波をキャッチし
どれだけ居場所をはっきりさせたとしても
どこでも物事のわからなさがついてまわる。

おかしな自転車野郎にピッタリくっつかれ
前を走るヨメのさりげない左折について曲がり
二人で黙ってやり過ごしたりしている晴れ模様。

梅雨の晴れ間で(03.06.20)

台風6号も能登沖で温帯底気圧になり
ざわつく風とおかしな雲行きの眺めが
遠くへ退いていった後のうっとおしさ。

今日から高屋敷を通る路線バス運行が
当地に越してきた頃を思い出すような
とても住民の足とはいえない本数に。

富山駅北口の社会保険事務所あたりだと
晴れ間を選ぶようにいたち川沿いを
気持ち良くペダルを踏む行き帰り。

昨日も短大から帰るバスに乗ってて
ドドンと事故ってるのを見かけたけど
週2回とはいえとても神通川を渡り
呉羽山の向こうへ自転車往復は怖い。

ひとっところに三十年ちょっと住んだって
何も生活が完成するってものじゃない。

なるようにしかなならない何かと
どうにでもなる何かがどのように
家族を営む二人を噛み合わせてきたことか。

疲れをほぐす雨音に(03.06.17)

父の日(6/15)はクラブ対抗の
バドミントンのリーグ戦に参加する
校下のBチームの監督を頼まれてて、

当日の受付でメンバー追加を済ませてから
事前登録済みの1選手が来ないだなんて
しょうがない自分も加えて3ダブルスに。

5部の競技レベルを引き下げたり
参加選手の平均年齢を高めたり
しただけの参加ということだが、

4試合フル出場の疲れだけは
人並みというか1人前以上の
確かさで残っていたみたいだ。

月曜(6/16)午前の講義を終え
路線バスに乗り込んだらグッタリ
運良く座れた席で眠りこけそう。

風来坊みたいな気ままな暮らしでも
当面のやるべきことを済ませるまで
なんだか疲れも出たりしないもんだね。

今だかって乗り合いの交通機関で
席を譲られたりしたことはないけど
まだカラ元気で持ちこたえられるかな。

曇り空の頃に(03.06.13)

数日前から聞こえていたカッコウが
まるで呼び寄せたみたいな梅雨入り。

ホトトギスの托卵が孵ったみたいに
先週までの爽やかな眺めを蹴落とし
雲量がモノをいう風景に山影もない。

少しも自発したり発想したりする力を
働かせないで形だけが求められたり
ざるで水を掬う場面にも慣れてしまって。

人が集まるところ卑小も偉大も絡めて
生じた掃きだめに蠢くゴミもいないと
どうやらこの世の健全さも保たれないが。

それと気づかずに“正義”を振りかざす
みっともなさにぶつかったとしても
やがて現実の波間に漂わせておけば沈む。

島国か列島か、その足を地べたに立たたせ
ひそかに違いを感じとる練習なんかを
もしやれるとしたらやっぱり梅雨時かな。

時の日に響いたもの(03.06.10)

ねえ〜、6月9日は何の日か知ってた?
ばか話の答えみたいに高屋敷住まいの中年
夫婦が聴いていたのはTim Eastonの新作。

日々の出先から戻った二人が眺めれば
今年は花見もサイクリングも山王祭も
いつの間にかやり過ごして紫陽花が色づく。

春から耳にしたCDを聞き直す楽しみ
修理から戻ったパワーアンプをセットし
やっぱり鳴らすのは松永貴志デビューCD。

18枚目ぐらいのジョン・ハイアットも
開け放った窓からそよぐ風のように
聞き慣れたタッチで吹き抜けたかな。

1972年をダイジェストして見せた
坪内祐三著『一九七二―「はじまりの
おわり」と「おわりのはじまり」』と
併せて金廣志著『自慢させてくれ!』を
読み終えた食い足りなさを補うように、

2年半ぶりに届いた『風の便り15〜16号』に
松岡祥男書下ろし「風姿外伝『自慢させてくれ!』
に寄せて」が載ってて読了気分に収まりがついた。

語り尽くせないものにどう折り合いを
つけていくかに人の半生が費やされ
それでも始まりも終わりもしない時の日に。

高屋敷の“ケーン、ケーン”(03.06.06)

田植えも終わり梅雨入り前の爽やかな日和に
ひねもすキジの鳴き声と羽音が響き渡って
今年はいっこうに山へ帰る気配がないみたい。

家の周りから田んぼが消えた空き地の
居心地がいいのか散歩で見かける動きも
どこか人里に慣れ親しんだ様子なのだ。

城趾公園辺りにたむろするカラスだと
エサをもらっている鳩の群れを見つけ
遠巻きからすり寄るように割って入る。

数年先の年金請求書類がやってきても
ちょっとした先のことなんかへ翔べず
予想もつかずただ鳴くだけの鳥みたい。

これから羽ばたく学生さんに相対するうち
図書館の利用説明会と教室での講義とでは
配る資料などに配布と配付の響きに違いが。

久方ぶりライ・クーダがマヌエル・ガルバンと
奏でる“マンボ・シヌエンド”を響かせれば
まるで鳥も人も山へ街へと溶け込むようだ。

若鮎の響き(03.06.03)

路線バスで6月の神通川を往復したら
わが家を建ててくれた大工さんからの
夏の風物だった庄川の鮎もさかのぼる。

5月の発売日から日ごと二人でしきりに
ときには朝晩みたいに鳴らしているのは
高校生ピアニスト松永貴志のデビューCD。

ビル・エバンスやレイ・ブライアントも
好きだったとはいえ一ヶ月も聴き続けたのは
ビートルズの一枚のLPぐらいだったろうか。

数年前の綾戸智絵ジャズボーカルとの出会い
みたいなことはもう二度とないだろうだなんて
ネットの噂で見つけた若鮎に見事に裏切られた。

思ってもみない繋がりから願ったり適ったりで
宮沢章夫『サーチエンジン・システムクラッシュ』を
一気読みするみたいなことも今じゃあたりまえかな。

例年の残雪の山肌を爽やかに揺らし
17歳の“ビューティフル・ラブ”となって
新しい鍵盤が何処までも吹き抜けたよ。

手にしたばかりの吉本和子句集『七耀』の
頁を閉じれば響きあう絵のように耳新し。

風の便りに(03.05.30)

木曜(5/29)は久し振りに早起きして
UEFAチャンピオンズリーグの1点を
めぐる攻防に終始したファイナルゲーム。

PK戦を見終わった疲れをほぐすみたいに
散歩に出た近所の本屋の平積み台で見つけた
小澤浩著『ザ学長:退き口の戦いを終えて』。

先生の新刊を手にしたら一昨年の7月に人文学部に
4年遅れで入学した二人の学生と一緒に富大の
図書館内を案内してまわったことを思いだした。

著者の後を追うように富山医薬大から富大の
図書館に転勤になったのが見つかったときは
そのうち研究室へも顔を出してよと招かれたが。

その後サービス係の補佐員の首切りに遭遇した頃は
渦中の学長として悪戦を強いられていた著者に
会って相談することも憚られ我慢するしかなかった。

当サイトの【以前の〈発言〉の中から】に置いた
「ひとつの反応と見解―カラ超勤問題をめぐって」は
当時お世話になった著者の勧めがあって書けたのだった。

先生のお部屋へ一度も足を運ばないうちに
挨拶もせず退職してしまった僕は新聞などで
その後の事態を追うだけで著者の送別会も縁なし。

一読した感想は著者の思いが関係者に届かなくとも
受験生をもつ親たちが読むようになってくれればいい
何といったって事態の主人公は学生とその親なんだから。

緑の回転木馬(03.05.27)

緑の窓際にも倦怠感が漂う今日この頃だし
そろそろ講義も飽きられたのではなどと
寝不足気味の体調で出かけたら全員出席。

図書館の日常業務だった利用者説明会や
文献検索説明会に加えリカレント教育とか
司書教諭の講習も何度かやらされたけど。

スポ少の子供らに怒鳴ったこともないし
仕掛けられた喧嘩以外は買ってないのに
頼まれたら断りきれない受け身の弱さか。

母と一緒に暮らさずともなんとか女に
父を知らずにいつのまにか男みたいに
見てくれだけのそんな二人が一緒に。

身過ぎ世過ぎの構えを身に付ける場を
あらかじめ失ったまま世間の波風に
さらされどう老いたらいいのか戸惑う。

異和や葛藤や反抗から拒絶といった
生きのびるのにもっとも必要な土壌を
あらかじめ断たれてしまった生き様。

いくら小説や映画をあさっても
描かれた父性になんともいえず
そんなもんかと踊って見せるだけ。

昨夕の東北の地震でさぞ揺すぶられた
大学の図書館や教室を通り過ぎる
若い顔から土の香もとっくに消え。

立ったり座ったり(03.05.23)

身の起き伏しや立ち居振る舞いが
体調不良でおかしくなったりすると
使い慣れた卓袱台が嫌になったり。

ということで居間は椅子とテーブルに
模様替えしてから足腰の負担が軽く
食の居住性がとても良くなった。

家屋は補修を重ねて持たせていても
足腰の衰えたお袋だけじゃなく
我ら夫婦だってあちこちガタついてる。

身体が縮んできたらテーブルと椅子の脚を
一緒に切り詰め間尺を合わせていけばいい
ということで木目丸出しの物を買ったんだが。

家族ともども何とか体調を持ち直し
まだ一度もノコギリを使わないで
やってられるってのが嬉しいじゃないか。

脚が畳めなくなるくらい使い古し
お役ご免になった卓袱台を捨てかね
同じく使い古し捨てかねたPCの置き台に。

ネットワークにつながらなくとも
何とか動くPCみたいなことになっても
とにかく自力で立ったり座ったりしていたい。

つまらなさの中味は(03.05.20)

「酒鬼薔薇聖斗」が出所云々記事を目にし
ひそかにギョッとしたんだけど親子2代が
共作して刷り込まれた性根の行方は何処へ。

人間の皮を被った得体のしれない暴発が
池田小学校で子どもを追い回し命を奪った
言い様の無い手足や頭や臓器の呼吸の由来は。

コマーシャルでぐっと来るのは金鳥だっけ
大声で“お前の話はつまらん”と一喝する
テレビ画面の滝沢・岸部両俳優の座りがいい。

自分のいま・ここからどのような方角へも
さっと飛び散るように響いて消え去った後に
ひそかに“つまらなさ”の残響を噛みしめている。

一年前の“阪神半疑”が嘘のようなタイガースが
巨人相手に投手が投げて打って高校野球みたいな
つまらない勝ち方をした甲子園球場もご愛嬌かな。

つまらなさも面白さも入り交じった元気さがいい
週刊誌を扱う出版社が報道機関になるのかどうか
手直しされた個人情報保護法を巡り取り沙汰され。

『同行衆通信36』(1988年8月)の後記で
「〈夏〉をやらないで年を取るのは嫌だ」と
書いていた鎌倉諄誠さんがこの春に逝去だなんて
一瞬何もかも見失わせてどんな季節へ抜けたのだろう。

なんだか中休み気分(03.05.16)

欧州チャンピオンズリーグの準決勝で
ユベントスがレアル・マドリードを退け
決勝をACミランとイタリア勢同士で争う
展開が面白く梅雨の先走り空に浮き上がる。

依頼された小文も期日前に書き送ったし
今週の担当日が学年行事で休講だったし
ネットで調べた過去3年のデータを加え
参考図書リストをファイルにしてみたり。

職場のX端末からサーバに置いた
“モザイク”を動かしWWWの世界に
はまってかれこれ10年過ぎかな。

手間暇かけても最良がやってこないで
いつまでたっても中途半端にうろうろ
できるってのがひとつの居心地になって。

鼻面を引きずり回されるような出来事に
襟首を捕まれギョッと立ちすくんだり
暮らしの船底を踏み抜いて途方に暮れたり。

そんなことより異性に目覚める手前から
未知の同性との世界に触れた文体を読み
男より女の同性愛のほうが断然面白そう。

問答無用な週に(03.05.13)

なんの予定も無い日は週に1日だけ
みたいなことになってたのに今週は
3日に増えてなんだかゆったり気分。

テレビでヤンキースの松井選手について
まだどんな打者になろうとしてるのか見えない
と語ったマリナーズの長谷川投手の受け答え。

平均寿命が延びたといったってたかだか
独り立ちできる時間なんてほんの一瞬、
むかしの杵柄は使えない持続の鼻歌まじり。

連休に見逃したタイトルマッチの再放送で
昔の名前でしか戦えない歴戦の挑戦者があえなく
引退を見越したチャンピオンに屈するのを見た。

見飽きないラッセンの複製を明るい場所に
掛け替えたら新しいリズムに引き寄せられ
朝・昼・晩といつ聴いてもいい音楽のよう。

スコッチの空き瓶に帆船の模型が似合い
コカコーラの空き瓶には竹トンボを差し
ワインの空き瓶を並べ臼の周りを一周する。

気も変わる空模様(03.05.09)

目に青葉なんて言うけど暑さ寒さを引き立て
冷暖房両使いの日替わりメニューみたいな日和に
田植えだなんてちょっときついんじゃない。

おまけに郊外に住宅団地が伸び広がり
出勤前の朝っぱらに農作業の物音を立てると
苦情の集中砲火を覚悟しないとやってけない。

時候も季節農作業も寒暖に狂いそうだが
農作業者と住人が窓越しに怒鳴りあったり
最初はびっくりした光景も今じゃ日常茶飯。

雨風に打ちのめされた藤棚のバス停から
乗り込む路線バスは若さで立錐の余地も
目のやり場もないくらい居場所が細っていた。

人相の宝庫だった農村はどこかに消え
入れ替わった人相にどう向き合えばいいやら
親と子以上に歳が開いた関わりがましなくらい。

バブルがはじける前だと日本の少女漫画に
匹敵するアメリカのブラットパック映画など
嫁入り前の娘と心ゆくまで楽しめたものだが。

今時のアメリカのギャラップ調査では
イラクの大量破壊兵器の証拠が無くたって
世論の79%が今回の戦争をOKだったなんて。

若さに逃げ込むこともできないほど
感情に流されたり目が覚めることもなく
変わり身だけの七変化で空っぽそのもが魅力。

床下から天井裏へ吹き抜けて(03.05.06)

重症急性呼吸器症候群(SARS)の被害拡大を
防ぐための在宅読書を奨励する中国政府の
推薦図書の96冊のリストを眺めながら連休に入り。

田植えに駆り出されたりしていた田舎暮らしの頃
破れ畳にひっくりかえっていたら羽アリの大群が現れ
今にも家が粉々になりそうな気分が忘れられない。

新緑の季節の裏側にはどこか邪悪な気配というか
一筋縄じゃない生命力の禍々しさが張り付いた
得体のしれない生命の糸が伸び広がっているようだ。

な〜んて、ちょっと連休ボケしちまったかな?

娘や孫に引っ張り出されるみたいに出かけ
山と海と帆船が一望できる遊覧船に揺られたり
家では映画や本や音楽でゆるゆる過ごせたのに。

観たもの、聴いたもの、読んだものみなそれなりに
楽しめたけどなんか食い足りなさが残ったのは
作品の風通しをよくする床下や屋根裏が無いからか。

久し振り2枚組LP“ザ・ベースメント・テープス”(1967録音)で
ボブ・ディラン&ザ・バンドを聴いたら落ち着いた
みたいで上等の赤ワインとともに連休を締め括ったよ。

ふらっと出歩く5月に(03.05.02)

むせかえる新緑の一歩手前でスキップしながら
スキーに明け暮れた残雪の山肌が情事の名残り
みたいにうすぼんやりと溶けかかっているようだ。

アフガニスタンに続くイラクでの戦闘終結を
宣言したブッシュ政権が繰り広げた6週間が
重苦しくカレンダーを揺らしたこの春のナゾ。

山岳と海に挟まれた扇状地をうろちょろすれば
イチローと松井両選手の初顔合わせのMLBも
対巨人戦を負けない阪神の戦いぶりも忘れそう。

働いていた頃の自分に今の自分が養われている?
申告書類にうっかり自分を自分の扶養者に書き
見とがめたヨメに笑いとばされてズッこけたね。

昨日があり明日があるっていうんじゃなく
明後日の方からやってくるかもしれない
そんな何かにリアリティがあるって訳じゃない。

asahi.comのリニューアルか何かでいったん
消えてたジャズ・カフェが帰ってきたりして
街の喫茶通いに取って代わる電脳散歩が癖に。

出かけて帰ってくる場所を探すように
ラウンド無制限の名もないリングで
この先どこまでやれるか誰にも分からない。

木の芽時をそよがせるサウンド(03.04.29)

着てくれる人にみんなあげてなかったりして
残ったスーツとネクタイなんかで教室に通ったり
どうやら木の芽時の不調感も今年は縁が無さそう。

CDで感動したビル・フリゼールと仲間たちの
サントリーホール来日コンサートに行きたいな〜
だったけどあいにく5月1日は目録演習日に重なり
はやくも気ままな暮らしが懐かしい連休の始まり。

遠くからひそかにあこがれていたこともあった
The New Orleans Jazz and Heritage Festival!だが
連休中はインターネットでライブの様子もうかがえる。

地味な映像を素晴らしく響かせた音楽映画との
最初の出会いが“真夏の夜のジャズ”だとしたら
最後の別れが“ラスト・ワルツ”ということになる。

この2本を何歳のいつどこで観たかなんて
定かじゃなくなるほどビデオやLDで見飽きた
はずなのに“ラスト・ワルツ特別編”を買った。

初心忘れるべからず、なんていうけど
初心をいかに持ちこたえて終わらせたか
そんなサウンドが“ザ・バンド”の解散映画。

LD版の不満を埋めて余りあるDVD版に
絵と音のすばらしさ以上の仕掛けがあったり
GWのアウトドア気分にも励みがつきそう。

春雨のアラカルト(03.04.25)

葉桜を通り過ぎれば梨畑でもないけど
春雨に浮かんで匂い立つように見えて
忘れていた果樹の季節を告げられたね。

またもや新書が創刊されなんだか
より取り見取りの百科事典の切り売り
みたいだが図書館の項目はまだまだのよう。

語りから叫びまでジャズボーカルにして
逝ってしまったニーナ・シモンを聴けば
遠くなった二人の姿が夜の奥へ遠ざかる。

語るように書けたらどんなにいいだろう
などと思う前にうまく喋れないことに
あらためて気付かされている今日この頃。

非力な使い手なのにガットが切れたり
張り替えてもらったラケットを使えば
ますます衰えを気付かされ濡れて帰る。

窓の外を見るたびに緑あざやかな
庭木の手応えから週ごとの孫らに
ここんとこ教え子の感触も加わった。

何をやっても一段落するたび元の木阿弥
どうしても初心に返ってしまうから雨降って
地固まるなど幾つになっても縁がないよな。

元気で居てくれる素晴らしさ(03.04.22)

お袋の誕生日は大正一桁代生まれギリギリなんだが
お祖母ちゃん子の娘が贈ってくれた花を眺めながら
極上のお刺し身に白ワインで乾杯するだけなのに
盆や正月を巡り迎えるのとは違うめでたさを味わえる。

雨の朝の交差点を走り抜けるバスの窓から
ふと見かけた小走りの横顔がなんと現役時代に
僕がいた係に派遣されていた司書だったり。

とっさに名前も浮かばない彼女が司書資格を取った
短大からの帰りがけにバッタリ声を交わせたのが
図書館勤めの駆け出しの頃からの大先輩だったり。

雨に降りこめられた日曜の午後はパチンコじゃなくて
リスニングルームで和製ミュージカルっていうのかな
『オケピ』最終日の舞台中継テレビ画面を眺めたんだが。

賭事と同じで宝塚やミュージカルはとにかく
好き嫌いがはっきりしていてとりわけどっちつかず
なんか入り込む余地の無い世界なのにどうしたんだろう。

とにかく歌も曲も振り付けもストーリーもテンポも
見事に中途半端を貫き通していてまるで昨今の
イラク報道のなかに〈戦争〉の姿が不在なように
ミュージカルの影も形も探し出せず退屈しそうで
やたら演じている役者の元気さだけが目立っていた。

野茂投手のMLB100勝達成ニュースが流れた日に
見かけてホッとする姿にあちこちで出会えて嬉しいね。

ホットな春に何を聴く(03.04.18)

市内の東西の端から端まで週2回ばかり
午前と午後に路線バスで乗り継ぎ往復しはじめ
昨日今日と一足飛びの夏日に身体も戸惑いそう。

不定期な自前のWebサイトの更新もやっとなのに
定期的に教室に通って“情報発信”することになったり
チョットだけど世間に引きずり出されたみたいだな。

ネット上でも地上のとある場所でも
その時々の出会いと別れがないまぜに綴られ
思いがけない手応えとなって伝わればいいのだが。

プロジェクトXに登場したTRON番組をチラッと眺め
トップランナーで押尾コータローのギターに見とれたり
気合いの入った人たちのやり方には感じるところ多し。

ここんとこ耳をそそられるような掘り出し物も無く
ネットや路上散歩でなんとなくCDを数枚買ってみたら
なんとJ&BのThe Time 4 Realとビル・フリゼールの
ジ・インターコンチネンタルズの2枚にはまりっぱなし。

今を着流すみたいに崩れずそれでいて居つかない
どこまでも軽くもたれあわないリズムとサウンドが
新しい風信のように届いておじさんも新学期みたいだ。

葉桜の名残を断ち切るツバメかな(03.04.15)

受け持ちの授業時間直前なのに教室にだ〜れも現れなくて
こりゃ初回から総スカンかボイコット、を食らい込もうにも
名も無いオールド・ルーキー相手にありえない話だし。

ヒョッとして1週間前の教室変更が伝わっていないのでは
行ってみたら当初の教室で待ってた学生の誰ひとり知らなかった
ということで全員がコンピュータ教室に移るドタバタスタート。

教室の前でもなし後ろでもなし真ん中あたり
五月雨みたいに横に広がって席を取る姿が
今どきの女子学生だとしたらこりゃ悪くないぞ。

目立たずどちらかといえば無視されるような
楽屋裏からスタートが切れたらありがたいくらい
自惚れも満足も無いからとにかく持続あるのみ。

事前に普通教室を下見したらネットワークが使えず
インターネット端末を使える教室に変えてもらったのも
プリント代わりにWebページを教材にしたかったから。

とにかく情報が溢れかえって考える暇もなくなりそう
だから教えてもらう時間より独りで考える時間こそ
とりわけ大事に持ち続けられたらありがたしってこと。

進行中の「戦争報道」にしたって受け流しにするより
なぜ米・英軍の「遺体報道」が無いのか問いたいね。

とっておきのサイト情報も自らアクセスしないとやってこない
「アクセスポイント案内」収録サイトのURL変更メールに
促されたみたいに半年振り「図書館関連情報」なども更新した。

風まかせの春の宵に(03.04.11)

季節の移り変わりというか年のせいというか
だんだん寝覚めが早くなったといっても今朝みたいな
BS午前2時の松井タイムにはとても間にあわないね。

一昨日はたまたまというかちょうど5時頃に目覚めたら
巡ってきた五回裏のワンナウト満塁のフルカウントで
甘いチェンジアップを待ってスタンドに放り込む
星の下に生まれた野球選手がダイヤモンドを走り抜けた。

新学期が始まって久しぶりにネクタイなんかして
学生さんを前に図書館のサービスや目録の説明をしなきゃ
ということで教材用のWebページを準備したり
同年配がそろそろリタイアに近づく頃にまた働くハメに。

さしあたって暮らしに困っているわけじゃなし
不意に投げられたお願いボールを見逃す手もあったのに
とにかくバットに当って一塁ベースに立ってしまった。

またまたホームベースが遠くなってしまったようで
遠近両用眼鏡なんかも買い替えたりしてまでやるなんて
とりあえず二塁、三塁と見定めながら回を進めるしかない。

図書館で働きながら通っていた夜間部の助教授に
お前は銭にもならないことをよくやるよと笑われた
あの頃の姿からまだまだ抜け出せないようだが
一コマ終えて帰りがけの鮨盤に座れた昨夕の味わいが格別。

動き出した春の一コマ(03.04.08)

今朝は温かくしっとりとしてちょっとざわついてて
わが家の庭でも春蘭そのほか春の花が揺れ動いてる。

昨日(4/7)久しぶりに県の総合体育館に出かけたら
着いた時にはさほどでもなかった駐車場の桜が
昼過ぎには眩しいくらい咲き揃って春も全開って感じ。

昼飯の焼き肉に生ビールがぴったりの陽気だったが
午後の用件が控えてて呑めなくてちょっと残念だった。

用事先の短大近くにお住まいのバド・メンバーの車で
送り届けてもらったキャンパスは女子学生で花盛り
と思ったらチラホラ男子学生も混じった新入生の春だ。

司書の現役中は見たことも触ったこともなかった
目録演習システムのデモと説明を受けた後には
見た目にも春らしい和菓子がお茶請けに控えていたり。

春の夕暮れを運ぶ路線バスに揺られた眠気も
市内に入って松川やいたち川沿いの夜桜前の眺めに
車窓越しに揺り動かされたみたいに覚めてしまった。

駅前の雑踏をどこまでも歩き出したくなるような
あてどない春の意気込みみたいな風に吹かれて。

早起き鳥の目で見ると(03.04.04)

旧郵政事業庁が「日本郵政公社」に変身し
「平成の大合併」のかけ声が聞こえてきたり
もうすぐ「2003年統一地方選挙戦」だね。

わが家では“朝間野球”などと言い交わして
早く目覚めた時のBS大リーグ中継の観戦で
日本からアメリカへ野球転勤した松井選手の
仕事ぶりに眠気を覚ましてもらったりしてるよ。

夜の部の日本野球にはあんまり目が向かないが
桑田投手の初登板の夜はバドミントンの稽古を
サボって昨年来の投球術の使いこなしを確かめた。

タメナイ、ヒネラナイ、ウネラナイ投球といっても
右の膝でタメてるじゃないかという解説者と違って
膝を下げて生じた位置エネルギーを起点に
身体内部を崩すようにして力を腕に振り込んで
手首を起こした指でボールを弾き出してて
どこにも力みがないピッチングに見えたんだ。

枠外のトーシロの見た目だから当てになんないが
「9・15阪神戦、チケット人気のナゾ」なんて
半年先の優勝争いの山場が分かっているみたいな
タイガースファンの読みってのも半端じゃないし
秒読みに入った地元開花宣言なみの確かさだといいね。

地に棹させば霊が出る?(03.04.01)

ちょっと襟を正して新年度という人から
気ままに起きて好き勝手という人まで
何となく気になる土地柄というかお国柄

イギリスへ出かけた女性3人のカントリーバンド
「デキシー・チックス」のメンバーの1人が演奏の合間に
「大統領が同じテキサス出身で恥ずかしい」と言ったら

全米ラジオ局の一部でバンド演奏が放送禁止になり
ルイジアナ州ではCDがトラクターで押し潰され
メンバーは「私は祖国を愛している」と謝ったとか

富山もどちらかというと他所者とか流れ者とか
地域や職域をはじめあらゆる場所で見られていて
どれだけ土地に根付いているかいないか噂になる

田舎に引き揚げてきた自分のようなものだと
小学校入学から中学卒業まで鍛えられ続けたから
地元の高校を避け同級生が通わない進学先で

ようやくイジメとは縁が切れたけど
出生地が国内じゃないということは
どうしようもなく詮索されたりした

〈時間〉という了解作用の認知の違いそのものが
ひとつの世界をあれやこれやの地域に分割している
根源に気づいてもなんら事態は解決しないのだが

手をつないで近所をあちこち地霊探しみたいな散歩をしても
自分をお寺参りに連れていってくれたジジババみたいな
土地にくるまれたような孫との過ごし方なんて思いもよらないよ

軒先の向こうで狂言回し?(03.03.28)

午後の暖房がいらなくなるような日和続きで
軒下の灯油タンクへの補給量に迷ってみたり

メールボックスから定年退職挨拶の花が実を結んだり
反戦と反米のけじめもつかないアメリカ製品不買運動みたいな
風向きまかせの根無し草の市民運動の徒花が散り急いでいる

欲しくて必要なモノの出所や由緒なんかどうでもいい
安くて良いモノを真っ先に買うのがあたりまえじゃないか

外務省に泣きついた「人間の楯」なんてのもあったみたいだが
茶番を演じ間抜けをさらし格好悪くとも命だけは守らなきゃ

独り者であれ夫婦者であれ市民主義者ってのは裸の王様なんだ
見えない気づかないふりをすればするほどフツーから遠ざかる

家庭的になったり所帯じみていく以外に何に肩入れできよう
なのに夜には何やら肌寒くどこから吹き込む不安なすきま風

こっそり庭先に入り込んでは羽音と鳴き声の置き土産
明け方のキジの目覚ましがやって来るようになって
和らいだ朝の寒さの奥から光が匂い立つ時節になったのに

軒先の向こうからぼちぼち花便りだけじゃなく
日常になんか変なものが入り込んでいるからだろうか
連日の選抜高校野球もプロ野球の開幕も百円ショップのノリみたい。

春休みの息抜きに(03.03.25)

今年度最後の三連休最終日はスポ少バドミントンを締めくくる
行事に出て地区センターの2階から春のゲレンデを想ったりしたけど
いつも以上に送る子どもらの呼吸が合ったお別れ会が格別で
娘夫婦と珠洲の実家からの鮮魚を肴に夜中まで呑んだ後なのに爽やか。

しっかりその場の空気を感じ取った送る言葉のリレーが
これまでになく滑らかに運ばれるようになってきて
終わってからの父母との懇親会でも話題になったくらい。

新年度を迎え4月人事の内示が終わる頃はちょうど春休みの息抜き
昼時にインターネットで確かめた第75回アカデミー賞(3/24)の
受賞風景をテレビで見ていたらドキュメンタリー映画賞のステージから
受賞者がスピーチでブッシュ大統領をこきおろして会場は喝采とブーイング。

長編アニメーション映画賞の受賞者の不在ってのもわからなかったが
進行中のイラク攻撃の意味といったことがもっとも分からないね。

持ち直せない失業率に肉体労働と精神労働の境界もぼやけてきて
多発する人心事件の原因も動機も掴めないくらい正常と異常が入り乱れ
価格破壊が示すモノの意味と価値の崩壊の行き着く先はどうなっているのか
利潤と優劣を競う際限のない過剰消費型社会の成り行きそのものなんだろうか。

個人が好き勝手に何をやってもいい自由から
それによって誰かが何かを被るしかない不自由まで
見透かしたように温かい雨を呼吸して庭木が背伸びをする頃だ。

無 題(03.03.21)

全日空チェックインシステムのトラブルで出鼻をくじかれた
行楽客のさえない気分が花粉症のように広がったかな

まるで映画のタイトルのような「48時間」の予告どおり
昨日(3/20)の昼前からほとんどのチャンネルが「本編」に

打ち出されるミサイルや飛び出していく戦闘機やしたり顔で
解説している面々で飾られたメディアのどこに〈戦争〉の報道が?

立山連峰が眩しい三連休初日の高屋敷界隈は
まるで冬休みの名残みたいな静けさでいいよ

人々がほんとうに追いつめられたら自力で戦うしかないから
助けを求められたりしないかぎり誰が出張っても解決しない

憲法第9条を骨抜きにしてきた戦後の日本政府はここへきて
国連をも蔑ろにしてしまって残った手札に頼るしかないのか

誰も止められなかったからといってそれぞれの思いも
いろいろ反対する理由もなくなったわけじゃないから

時には日の底まで下りていって手探りで何かを探したり
はい上がってぼんやり風に吹かれたり疲れたらお酒を飲もう

何もかも使い捨てるみたいにどこまでも追いかけるように
繰り返し繰り返し滑り降りた今シーズンは200キロ行けたかな?

“春”を食して(03.03.17)

雪の下から掘り出したばかりの蕗の薹の天ぷらや
ホタルイカの辛し酢みそ和えに白魚の踊り食いなど
今年はご近所で春先の定番に水ダコの切り身が絶品。

米国などによるイラク攻撃に反対する富山市内での
15日の集会やデモで歌われたかどうかは知らないんだけど
SMAPの「世界に一つだけの花」が市内の某小学校の卒業式の歌に。

毎日のように暖房を繰り返す部屋の花の日持ちが悪く
暖房が届きにくい玄関や洗面所の切り花が咲き揃うような
クールな飢餓感からはいつまでたっても卒業できない。

“のびる”を手に訪れた知人がカービング・スキーの極意を
一頻り語ってくれたけど人それぞれ体得したものと
どこかで触れ合って開花する感触があったりすると心も踊る。

いつの間にか“讃岐”から“稲庭”に“うどん”の好みも変わったようで
いつもの春の窓の開き具合もちょっとだけ違っていたりするから
少しでも日当たりがよく自由に羽ばたける方へ出かけたいな。

誰だって帰ってくる場所はいつも同じようだけど
その時々にあわせて部屋の向きが少しだけ違っていたりすると
かって通り抜けた窓も新しく入れ替わったように眺めも変わる。

春先の間奏曲(03.03.14)

あっという間に過ぎた2月は降雪もほとんど見られず
庭木の害虫の駆除をしてもらい雪吊りはずしも済んで春も近い
今週前半はことのほか山間部が大荒れに吹雪いたようで
3月半ばにして厳冬の晴れ間のような眺めにタイムスリップ!

樹氷もどきの着雪樹木が新雪の深さを測るように斜面に影を落とし
立山山麓のゲレンデを滑る眺めがまるでCGみたいな透明感で迫って
いつものようにガラ空きのスロープも一気に滑り下りられない風情。

もうほんとうに好きで時間とお金がある人しか来なくなったんよね
毎シーズンお世話になっているお店の女将さんが言う通りだが
そんなスキー場の華だったパラグライダーの姿も今じゃ仰げないよ。

当たり前のように目にしていたものもふと変わってしまい
気がつけばいつの間にか違った景色を滑ったり感じるように、

「スキーが自動車だとすると、
スノーボードは単車のようだと思いました。
走り方に幅があって、いろいろな滑り方ができて、
スキーより体が使えるんですよね。」

広告デザイナーの卵からスノーボード界に身を転じた
というより自分にとって“これしかない”出会いを見つけ出した
山岡聡子選手が自分で選んだ滑りで世界に届いた風景も素晴らしい。

引退後の人生はどうか?(03.03.10)

晴れ間から小雪がちらついたり寒暖も目まぐるしい
ざわついた季節の変わり目の胸騒ぎが庭先にも届いて
手触りもいい天然木伸縮式ラックを買い込んだ勢いで
いつの間にやらあれこれ床に溢れたモノを片付けながら
テレビで日米それぞれ野球のオープン戦の見比べが面白い。

立命館大学に合格したエクスポズの大家友和投手が会見で
「引退後の人生の方が長い」ということも言ってたけど
サラリーマンだってその通りというかただ長いだけじゃなく
引退後の方がより幅広く深さも増すんじゃないだろうか。

ナビスコカップの大分トリニータ対京都パープルサンガ戦の報道では
大分の選手がケガをしたので京都の選手がボールを出してゲームを切り
大分の選手が京都Gキーパーにお礼に返そうと蹴ったボールを
パスと思って受けた大分のロドリゴがゴールを決めてしまい
これをアンフェアな得点と思った大分の小林監督が自軍の守備放棄を指示し
京都がなんなくゴールを決めてこれでイーブンにして試合再開にしたとか。

ロドリゴを止めにいかなかった京都はどんなゲームプランで戦っていたのやら!
大分が非難覚悟で得点したのであればなんで献上点なんかでゲームを汚したの?
馬淵監督率いる高知・明徳義塾高校が星稜高校3年生の松井秀喜選手を
5打席続けて敬遠した平成4年夏の甲子園の出来事に負けない後味の悪さだ。

世論調査による7〜8割方アメリカの武力行使反対見解について
「世論にしたがっていると間違うこともあるから」と言うからには
じゃあどのように間違ったりするのか小泉首相のプランを見せてもらいたいよ。

「神は人間の計画を聞いて笑う」(映画『アモーレ・ペロス』に出た台詞)だなんて
やり直すことのできない計画を笑えるような神に誰がどうして出会えるというのか
人生設計も人それぞれだろうけどとにかくどんな場であれ現役続行中に
行く先さまざまな引退後の種がもう蒔かれつつあるのではいないかな。

明暗もおぼろげな日々(03.03.07)

やけにざわついたひな祭りの北陸が春一番だったそうだが
翌日の寒波で平野部にも小雪が舞って冬に出戻り気分で
部屋に閉じこもり春からの新しい仕事の下調べの合間に、

届いたばかりの「詩の雑誌」のページをぱらぱら
“おばさん”直前のハルノ宵子が連載コラムで
「日々デカくなる妻の腹を見て」そして
「産まれ落ちた我が子を見た瞬間」に世の父たるもの
どう感じるかをほぼピッタリ書き当てていましたね。

我が子そして甥や姪ときてとどめが孫みたいだけど
誕生の際の“違和”から伸び広がる距離と幅が己の甲羅に
刻みこまれている“あてどなさ”を際立たせ“親和”や“憎悪”の
独特の奥行きと立体感をそれぞれの家族にもたらしたりする。

たかがスキー遊びにしたって一人で滑ってたゲレンデのお伴も
やがて妻子ともどもからついに孫とも一緒にということで
薄陽さす穏やかな啓蟄のゲレンデにマー君を連れ出したら
ミーちゃんを抱っこして娘も一緒という成り行きが楽しめたよ。

ソリ遊びに飽きてゴンドラに乗りたがった10キロを背負って
3月にしては雪質がいいコースを3キロあまりを滑り降りたりすると
十代の終わりから腰痛が出るまでの10年間の山歩きで担いだ
荷物など比較にならない気疲れも背中から伝わる“はしゃぎ”で帳消しに!

去年からわが家のスポーツ後の愛聴盤に加わったノラ・ジョーンズが
先ごろのジャンル分けも曖昧なグラミーで8冠受賞して騒がれてるようだが
宮崎アニメ“千と千尋の神隠し”現象と同じでマスコミが煽り立てるだけ
内容が人気に堪えられるほどのものじゃないってことがぼやけてきてる。

サラサラと三月に(03.03.03)

気がつけば三月サラサラと弥生の流れに誘われて
『アルゼンチンババア』『バナタイム』『ハゴロモ』の三冊が
それぞれカタカナの感触で手短にスッキリ語りかけてきた
二つと無い人と人が出会い触れ合う場で色づく流れが美しくて
ひと皮むけたばななの新刊の読後は匂う川を遡るワインのよう。

マー君は下痢嘔吐症になるわヨメは歯が駄目になって食べられず
シーズン残り少ないスキーもお休みにしてテレビでスポーツ観戦すれば
ゴジラ松井MLB移籍オープン戦初ホームランが2月を締めくくり
4階級制覇してWBCヘビー級チャンピオンに挑んだロイ・ジョーンズが
ボクシング100年の体重制の壁を破って3月の幕を開けたようだ。

柔らかく動いてお愛想もはじめたミーちゃんもそうだけど
知らず知らずくたびれかけた頃に幼い命の誕生にめぐりあえあたりすると
世の中の見え方も違ってくるようで通り抜けたサラーリーマン社会も
たまに現役の人と話す機会があったりするとまるで夢の続きのようだ。

1枚の原義書を何回も書き直させられたり肩書きが独り歩きしたり
現実のようで現実離れした面白可笑しい独特のハンコがモノをいったり
気を配ったり根を回しても技ありになったり恋愛沙汰から不倫はもちろん
組合運動や運動会や課内旅行やら先輩後輩から立身出世まで揃い踏みだよ。

食べているモノ着ているモノの日常性こそ世間を無事平穏に潜り抜けさせ
生涯の装いが変わることにもなりがちな節目の季節を縫い合わせたり
人それぞれの日常と非日常生活を量らせてくれたりする目安のようだね。

知的アイデアは誰のモノ(03.02.27)

どなたでも思いのままに使えるものが
この世にあるってことは誰にとっても
思いのほか便利で役に立っていいよね。

許可なくして何も始められなかったら
いろんなことをする前に疲れてしまい
生まれるものも出てこなくなってしまう。

誰かが確かに考えぬいて公開したものこそ
どのような転用もまったく自由であるのが
ほんとうの公開者として望むところであろう。

盗んだり真似したりやり続けた結果の寄せ集め
そんな図書館が「引用」の連鎖に見えたりして。

一方的にいろいろしめあげようなんて
「コピー」と「編集」を根絶やしにしたら
ガラクタ文化のゴミの山も片付かないよ。

才気ある〈個〉が生み出した知的なアイデアを
どうやって〈類〉として使い続けられるように
どう保つかというのが「著作権」という制度だ。

考え出されたアイデアを登録しておくのは
それがどんな内容か見ればすぐに分かって
他の人にその考えが伝わりやすいからだ。

独創されたアイデアが公開の場に出た瞬間
たちまち知の炎のように万人の所有に向かい
誰も受け手となることを拒むことはできない。

いつでも元のアイデアにアクセスできるよう
公開されていればどんな使われ方にも関与しない
言論の原理原則を貫く人もいてくれないとね。

自前の脚で立って歩く(03.02.24)

わが家を建てていた時はやたら新築中の家が目についたり
ヨメの妊娠中は不思議にお腹の大きい女が気になったり
街中へ出歩かない在宅不良中年みたいな暮らしでも
娘が二人目を身ごもった時などたまたま時期が重なった
よしもとばななの出産に至る日記を追いかけたりした。

後遺症もあってどうやら難産な自然分娩だったようだけど
出産直前まで食べ尽くす様子はお父さん譲りというか
吉本家の二代目食物中毒ぶりを発揮していて見事なくらい。

アメリカのシカゴやウエストウォリックのナイトクラブの事故や
ニューヨークの石油施設の爆発による犠牲者のニュースに
韓国の大邱(テグ)の地下鉄炎上による犠牲者のニュースなど
生活圏としてはずいぶん遠いのになんとなくきな臭い感じだね。

アメリカの軍事関係者がイラク攻撃の展開を説明するのに使ったのが
「ヒロシマ効果」だったなんて被爆者や戦死者はいまだに死にきれないし
ヨーロッパ諸国はまだしも日本の総理および外相のようにあからさまに
ブッシュ政権支持というか武力行使への加担を促すようなふるまい方は
昨年の12月にあれこれ議論もないままインド洋に出向かせてしまった
海上自衛隊のイージス艦の航跡をもっと先へ延ばそうとしているみたいだ。

いまどこで誰が何をどう話し合って日本の方針を決めつつあるのか
まさか行き当たりばったりということはないだろうけどどうなんだろう?
世論は「武力行使」か「査察継続」の二つと「どっちつかず」みたいだが
この地球上で日本だけが理念として提示し言い続けられる立場に立てたのに。

嬉しいじゃないか、日本の戦後思想の生みの親に孫ができたなんてね〜
そのうちばなな夫妻は日本を離れて男の子を育てるのかもしれないけど。

チョット寂しげなニュース(03.02.20)

平日(2/17月曜)のスキーを満喫して帰って寛ぎながら
ちょこっとメーリング・リストを覗いたりしてたんだけど
「Subject: [webhunter2:0537] news中止のお知らせ」にがっかり!
主催者のchikencho.comサイトも突然の様変わりでびっくり!

確かインターネットの幕開け期の「初代検索の鉄人」で名を覚え
切れ味のいい検索の狩人的サイトの覗き見専門の常連にはほど遠いが
図書館業務の現場にいた頃は検索がらみで随分参考にさせてもらったな〜。

情報を切り取ってくるハサミの使い方がユニークというか
とても際立っていたクリッピング情報を毎日のように届けてもらえ
高屋敷界隈に蟄居しているような居心地もまんざらじゃなかったよ。

パソコン通信しかなかった頃から「掲示板」や「フォーラム」など
インターネットに乗り換えて「ニュース・グループ」や「メーリング・リスト」に「メルマガ」でも
出不精の割にあちこち出歩くみたいに覗いたりしてきているようでも
思わず“ビンゴ”と叫び出したくなるような電脳広場にはなかなか出会えないもんだ。

一方的に恩恵のもらいっぱなしというか利用しっぱなしとうのも
“オープンソース”という精神の目立たない浸透の成果のひとつみたいだが
ネット社会に定着しつつある仁義の裏でも芽生える“御恩報謝”をどう
根づかせたりもらった情報の咀嚼に生かしきるかが宿題になりそうだ。

時の流れとともに新たな読者の目に届きにくくなった著名な思想家の
座談や鼎談記事を収集し「資料集」として刊行してきた編集者に
事前の断りなく「掲載」されたと「抗議文」を送り付けたのが
大学の先生に成り上がったか成り下がった物書きのご仁だったようで
どうやら紙で表現する倫理の拠り所も現実に歩を合わせ確実に退廃していて
物寂しく侘びしげな物書きの消息風景の一コマなども昨秋に見かけたんだけど。

創造的な活動はたいてい何らかの代償をともうという裏面が見えないなんて
ま、人それぞれさまざまなリセットのし方があっていいわけだけど
来し方行く末だけはきちっと見せてもらいたいというか確かめたいね。

素晴らしい立ち上がり(03.02.16)

飛ぶ夢を見なくなってどれくらいになるだろう?
ふと数えたりしてしまうくらい「ピンポン」のタイトルバックは
青春映画の始まりのシーンとして何度観てもいい出来栄えだな〜。

バレンタインには関係ないけどDVDの発売日の2月14日が
待ち遠しくて期待してなかったおまけの特典ディスクも意外に楽しめ
自宅での映画の楽しみ方もすっかり変わってしまったようだね。

画面の大きさ以外に映画館とホームシアターの違いって何だろう?
やっぱり無為の過ごし方の違いが一番大きいというか居心地の違いは
雑踏の延長みたいな赤の他人に紛れ込んだ肌触りのあるなしが決定的かな。

何かいいことないかな〜も無性にどこかへ出かけたくなったりするのも
若さが自然の命の雑踏を求めそこで寛ぎたがっている仕草の現れだろうし
ひきこもりだって飛ぶ場所が見つからないエネルギーが内向するんだろうか。

この頃はライブに足を運ぶこともほとんどなくなったけど
わが家のサラウンドシステムが直って臨場感が楽しめるようになったせいか
晴れ間の散歩で見つけた「渋さ知らず」のライブCDも飛んでるようで
もっともっと“何じゃこりゃ”を爆発させる演奏を聴きたくなったよ。

装置や部屋のおかげで映画や音楽やスポーツまでがホームシアター化して
雑踏の居心地から遠ざかったというかはしごまでした銭湯にまぎれこんで
それぞれの無名を洗い流したような日々の陰影はどこへ行っちゃったんだろう。

そういえば飛ぶ夢と対になってたような墜ちる夢からもすっかり遠のいたようだ。

崩した体を掌のように返す(03.02.13)

二日間以外はスキーかバドミントンに興じた一週間が過ぎたら
疲れ具合を含めた運動時と普段の身のこなし方を思いあぐね
打ち合わせに誘い出された帰りのバス待ち時間に本屋を覗いたら
ホームページを立ち読みしている甲野善紀武術家の新刊本が並んでて
買って帰ったらどれも興味深く読ませてくれて止まらないね。

2月で白寿を迎える三浦敬三スキーヤーの踏み込んだり
身体をひねったり回し込んだりしないで滑走する姿や
ガードされた瞬間膝を抜いて後ろに倒れるみたいにシュートする
NBAオールスター戦出場選手の身のこなしに見とれたり
中学でやった剣道の技を思い返したりしてみても
身体を使うことと操ることには千里の径庭があるみたいだ。

風でふらふらする一本の糸の先の蜘蛛に見とれるうち
やがて定めた空間で見事に身を操って妙技を繰り広げ
ようやく張り上げた網の中心にピタッと収まってしまう。

無理も無駄も感じさせない流れで繰り出される糸も
粘着するのとそうでないのをしっかり使い分けていて
蜘蛛の巣は捕獲と補強がちゃんと組み合わさった仕上がり。

風の通り道と軒下の樹木や電線をたちどころに察知する
蜘蛛のような動きとエネルギーの糸を網の目にして身体や
道具を操ることを夢見るくらい自分の現状のレベルは低いけど
ふとした縁に招かれたのか若い人相手の司書科目の準備をする
思いがけない流れで図書館資料の運用操作法も考え直さなきゃ。

匂い立つ日々(03.02.10)

ふと窓の外を眺めたり買い物や散歩に出てもどことなく感じる
色合いのどこかにまだ春は来てはいないが確かに匂ってきたり
手にした新刊本の頁に「寒冷の中で、いま春は匂っている。」という
文体の花が咲いたりしていて安くてフィニッシュの良い赤ワイン日和だね。

映画館で見逃した「ムーラン・ルージュ」をDVDで観たりしても
美味いエスプレッソみたいなほど良い濃さだけはしっかり愉しめたし
バタ臭い場末のパリに80年代ヒット曲を唄わせた仕上がりが耳に匂った。

いつも山肌を吹いてくる風や刻々と色が変わっていく空を
見上げたりする立山山麓のゲレンデに真っ先に春はやってくる
という中年以来のボクの定番の季節感だともう冬が終わったようだ。

卒業をひかえ色気はまだだけど見違えるほど背丈が伸びた姿を見せた
中学生二人の相手をしたらバドミントンを続けられる高校を選んだとか
ハイクリアの勢いにも若さが匂ってくるようで一花咲かせてもらいたいな。

先月の円形劇場ヘリオス 福野文化創造センターでのまたとないライブを
聴き逃しCDで愉しんでいる吾妻光良&THE SWINGING BOPPERSの笑ってしまう
唄と演奏のB面みたいな響きの向こうへおっさんの熱くいかがわしい匂いも消えたか?

日差しも日一日と長くなる午後に聴くにはちょっとどうかなとヨメが言う
早川義夫のライブ盤に匂う暗さなんか中年だからこその唄い出しがよくて
どこからともなくやって来る春の匂いの消え行く先の泡立つような新緑の陰で微睡みたくなる。

のんびりやろうぜ(03.02.06)

自分の中の老いに気づくというか本当に目覚めるのは
ひょっとして体内の自然性に逆らおうとし始めるからではないか?

2月に入って一日置きにスキーやバドミントンをやっている
この頃の自分が衰えに反抗してるんじゃないかと気づいても
もう年なんだからと鍛えることを廃業しちゃ駄目なんだよね。

万引き少年逃走死亡事故でいったん廃業した書店の
業務再開ニュースの裏側に性懲りもなく見え隠れするのは、
何事も行為の結果からその善し悪しを決めつけながら
どこまでも自分を棚上げにしてしまう市民根性だろうか?

どうせ遊び心なんだろうからケチケチせずに漫画の五冊や十冊
好きにさせられるような心情を庶民はどこかで無くしてきたのだ。

一昨年の夏に身体にガタがきてパッタリ仕事を辞めてから
あちこち痛んだ関節を直し気力が縮まないようとにかく
足腰を鍛えておくというのがボクのリハビリになっている。

なぜやるの?と尋ねられても答えようがないから
他人から見るとマイナスの運動にしかなっていないが
どこまで本気で夢中に遊べるかにかかっているだけだね。

テロや拉致事件から先ごろの米シャトルの空中分解をめぐって
騒々しい世相はいよいよ大げさで浮き足立ってきてるみたいだし
この世でおさまりかえっていられる場所なんてどこにもないから
思いがけず素浪人の在宅暮らしを続ける愉しさもひとしおというか
ヨボヨボのお袋がお茶を点てジャンゴ・ラインハルトが響く午後が過ぎた。

好日の贅沢を楽しむ(03.02.03)

先週みたいな天候では死語に近い冬将軍なんて言葉がチラッと過ったけど
土曜(2/1)の晴れ間を待ってたみたいに20日ぶりに立山山麓へ滑りに出かけたら
あんまり間をあけ過ぎたみたいで午前の一本目がきつく慣れた午後には疲れが出た。

平日とは違い家族連れや団体さんもチラホラのスキー場の賑わいも
雪玉を投げたらゲレンデの“カローラ”みたいな“ロシニョール”の板に
当るなんてバカ話をしながら30分もリフト待ちしていた頃とは大違い。

ジャズLPを飛ばしたらJBLのスピーカーに着陸するみたいだった頃から
鳴らし込んできたオーディオ装置も持ち主同様にあちこちくたびれたようで
とりあえずバランスよく鳴らそうとあれこれつなぎ換え機器をいじって腰にきたが
車を買えるような払いで買ったアンプややスピーカーがあんなに重かったなんて
忘れるくらい年をとったっていうことも滑っている間はまるで気にもならない。

帰る前に雪質のよさそうな男坂のコブ斜面を下ったヨメの後をついていったら
すぐに太ももに張りがきちゃってなんだかだらしない滑りで膝も笑ったみたい
だから急斜面やアイスバーンはもうごめんだしスピーカーに両耳を突っ込む
みたいな音楽の楽しみ方は卒業して部屋のどこにいてもそれなりに聴けたらいいね。

夕方の駅の待合室からふと消えたヨメが手招きするみたいに
呼んできたタクシーでスキー板やバッグをわが家まで運んだら
そのまま近くの鮨盤に直行して春物の旬に赤ワインで疲れが癒せ
好きだったバーボンどころか日本酒の晩酌が途絶えても大丈夫!

ぬるめのお風呂で暖まって一夜明ければほぼ疲れも抜け
日曜ごとに家族が3人増えるみたいで狭いわが家が温もり
お袋の杖代わりの手押し車に乗りたがるマー君を連れ出せば
冬場は車道の除雪の雪捨て場と化した歩道のあまりにひどいこと。

夏場ともなれば家電量販店やファミレスなどのチェーン店の
歩道側に立ち並ぶ旗竿など風があるととりわけ散歩の邪魔で、
醜く乱立する“のぼり”広告こそ平和ボケして自らがやったこと
そしてやらなかったことの責任も果たせなくなった戦後の
日本のいまを象徴してると語った物書きの指摘が鋭かったが。

除雪の行き届いた広い駐車場を抜けたり融雪装置のある裏道など
昨日滑った山麓のゲレンデを遠く望みながらマー君の車を押して帰り
皆で『シュレック』を観はじめ眠りそうなところを娘に小突かれたよ。

幻想の図書館(03.01.30)

アガシとウィリアムズ姉妹の真夏の全豪オープンテニスの2週間に続いて
守備力No.1チームが攻撃力No.1チームを破った第37回NFLスーパーボウル、
衛星テレビで毎年楽しんでいる1月のスポーツイベントも終わってもうすぐ2月。

図書館といっても一昨年やめた職場のことじゃなくて年を越すように読んだ
村上春樹の『海辺のカフカ』の重要な舞台になっていた私設図書館なんだが
小奇麗で趣味的というか個性的なようで何となく貧弱なたたずまいなんだよね。

実際に働いていた図書館のことだといまいる人たちの手腕に頼るしかないし
気にもならないんだけどなんで小説にはめ込まれた図書館のことがときおり
佐伯さんや大島さんといった図書館員の顛末以上にあれこれ気になったんだろう。

主人公の少年その他の登場人物を動かす場として設定された図書館の在りようが
おそらく著者の現実認識を象徴しているといっても間違いないんじゃなかろうか。

引っぱり出した『古代アレクサンドリア図書館』(中公新書)を読み返したり
新たに図書館サービスやコンピュータ通信ネットワークの概説書を手にしたり
長かった図書館勤めから遠く離れたところでどれだけ現場の切実さを思い描けるか!

昨年の秋にやっと国立国会図書館の雑誌記事検索サービスが使えるようになり
今月から文献複写サービスもオンラインで申し込めるようになったみたいで
自宅で文献を調べて読みたい現物のコピーを取り寄せられるってのが現在の様子。

過疎の地から宇宙まで世界視線や普遍視線を行使するみたいに沈黙が読み込め
あらゆる触手を広げられるような時空を目指せる基盤に位置する広場のように
手軽に知のどこでもドアを出入りできる行き先が開けてくるのはいつのことかな。

な〜んて空想していたら「甲村図書館」から借り出したみたいに南アフリカや
チリ生まれの女性作家の小説に見事にはまった活字中毒患者状態も悪くないぞ。

脆くも踏ん張る(03.01.27)

何もセンモンカ的暮らしも3年目に入ったりすると
そこそこ面白いテレビや新聞にも飽きてきたようで
二紙とっていた新聞もとっくに止めてしまったし
テレビも「サトラレ」とか「王様のレストラン」みたいに
平日の夕方の再放送をまとめて見たくらいかな。

よせばいいのについつい目についたMLに登録したりして
未読で溢れそうなメールボックスがゴミ箱に直行なんて
相変わらず愚にもつかないことを繰り返すやじ馬根性のだらしなさを
きっぱり入れ換えるみたいに登録解除したら迷惑メールが増えちゃった。

気が向いた先々でその道の達人と見做せる的が絞れたら
後をついていくというよりひたすら追いかけていたいけど、
誰が何と言おうとひたすら間口は広く詮索しておかないと
これはと納得させられる手応え無しに年を食ってしまいそう。

どんな風に映画化されたかまだ見ちゃいないんだけど
「浅間山荘事件」を最後に世代として〈いま・ここ〉を考え
生きようとする世代は行き詰まったというか散開したまま
現在に至って〈戦中返り〉を呼び込むように風化しているのか?

人の営みも考えも途切れたり固まったりおかしくなったり
こりゃ駄目だと気づいたらすかさずそれに代わるものがないか
無駄を覚悟であれこれ探すうち新しい発見や空振りの空しさから
気づいて見たら新しい広場に迷い込んで歩き回っていたりして。

当てにならない世評なども色眼鏡の違いがあったりして
彼が酷評するくらいだから彼女にバカ受けするんだな〜
それぞれの無意識が拠って立つ場が透けて見えたりする。

相撲人気の最後の砦だった貴乃花が引退を発表していたが願わくば
嫁さんが可愛いい朝青龍と対戦して最後の花道を飾れたらよかったのに。

お後は知らない曲がり角(03.01.23)

ふと十代の曲がり角で何気なくジャズを小耳にはさんで以来
随分になるけど“ジャズの日”ができてたなんて知らなかったよ、
なんでもJanuaryの「JA」に「22」を「ZZ」に見立てて
1月22日になったらしいけどジャズ凋落の響きがするね。

ここんとこの冬空もぱっとしないお天気めぐりで
ゲレンデならぬ体育館がよいで身体をほぐしたり、
気分転換に部屋のかたづけや模様替えに流すのもジャズ
一本槍じゃなく早川義夫やロッド・スチュアートなども。

去年の暮にテレビで見た井上陽水ライブがジャズ風味だったり
ヨメが買い物ついでに手に入れてきたロッド・スチュアートの新譜CDから
大好きなアメリカン・スタンダードを歌いつないだ嬉しさが漂ったり
いかにも音楽的出自が落ち目のミュージシャンがおちいりそうで
新たなファン獲得の狙いもあるからかコクが薄いスウィング感のわりに
なが〜く培ってきた受け皿で下降気味だからこそ出せた良さってものが響いてくる。

あれこれ世評に惑わされることなく愛でるものを自分で見つける
そんなワクワクする楽しさを飽きることなくギリギリまで体現し
言いたい放題を貫いたスーパー・エディター“ヤスケン”安原顕氏の
新しい書き物からジャズや映画や小説の数々を教えてもらってきたが
とうとう氏の訃報(1/20)を知ることになってしまったな〜。

追っかけ気分を楽しませてくれたミュージシャンや物書きが
一人、二人とどんどん自分からいなくなっちゃうと後釜は続かず
もう誰もいないから感性を狭めず見切らずいま・ここでしばし佇むばかり。

老若は身近な楽しみ方から(03.01.20)

あんたら自由にやれなくても自由にやろうとすればいいんじゃない、
先週末から再開したスポ少バドミントンに集まってきた子どもたちの
なかなか思い通りにシャトルを打てない姿をみていて思ったのだ。

いつどこに飛んでくるかわからないものを自在に打ち返す難しさも
レシーブだと相手に合わせるコツさえ体得すれば練習次第で上達するだろうが
自ら打って攻撃を仕掛けるとなるとどれだけ練習しても超えられない壁にぶつかる。

寄る年波とともに身近で些細な歓びに導かれるような生き方が望ましいけど
これからの子どもなんかはとてもとてもそんなわけにはいかないようで
ステップバイステップを飛び越えたような結果を求めて目先の楽しさを忘れがち。

どれだけでも一定方向に重ねられるバドミントンのシャトルコックをヒントに
結晶になったり液晶になったりする「C60」を合成した学者のアイデアみたいに
何とか週1回2時間の3年間でそれぞれ子どもが上達できるきっかけを目指したいな。

「立ち技系はセンスですけど、寝技系は努力なんですよ。
打撃ってなにかが起こる前に仕掛ける技でしょ、
でも、寝技は相手の動きに反応する技なんです。」(T.K.)

総合格闘技に参戦した柔道5輪金メダリストのセコンドについていた
優れた格闘家の言葉を思いだしたけどセンスのないヤツはどうする?
日々の練習にしたって些細な手応えに反応する発見がないと続かない。

どうやら若年も高齢者も運動する意味を見つけにくいのか続かないようだけど
やってみなきゃ判らないことがやった分だけ身体を通り抜けるような領域に
身体をあずけざるをえない時間を保てると暮らしのフットワークもより身軽だが
そんなふうにやりたくてもできなくなって初めて身近で些細な楽しみが大切になってくる。

寒さも眺めを引き立てる(03.01.17)

ゴミ当番の前夜に鍵を開けに出て見上げたら月が天心に
寒さを引き絞るように雲間に浮かんでいて見とれたり、

KRCのバドミントンを早めに切り上げ新年お食事会に
混じったお昼の行く先の男湯ではたった一人で湯あたりするくらい
小雪ちらつく露天風呂から水墨めいた神通峡の眺めに浸りきったり。

切れ味のいいお食事とワインが楽しめそうで泊客用のライブラリーもあって
ギャラリーには現代陶芸や造形品のほかには池田満寿夫の「羊心」なる書が、
もう記憶もおぼろげな春日温泉郷もずいぶん違った雰囲気に生まれ変わっていた。

ただ女風呂は知らないけどテラスもあるまあまあの露天風呂が
対岸から丸見えというのがちょっと気になるかもしれないけど
総合体育館から車のひとっ走りでフレンチ懐石とお湯を楽しめたよ。

湯上がりにお香が漂ってたロビーで寛いでいるとBGMみたいに
冬の水面がゆったりした神通川がとても静かな雪見鏡のようで
それぞれ日変わりする日常の影まで無雑作に洗い流してくれたみたい。

こう寒いとくたびれかけたパワーアンプの保護回路がますます不調で
電源を入れて音が出るまで半日近くかかったりするので困ることしきり
たまたま鈴木清順の「ピストルオペラ」の前半を音無しで見ていたりすると
主演女優の力量不足なんかがどうも気がかりになったりしがちなんだよね。

散歩しようにも歩道の除雪がいいかげんというより車道の除雪の捨て場だし
融雪装置のある居住区域はつまんないので遊び飽きたマー君のあやしついでに
二人してパソコンの前で手当たり次第に彼の好きなものを英語に置き換えながら
サーチエンジンの画像検索で行き当たりばったりのバーチャル散歩を楽しんでいる。

週末はマミムメモ(03.01.14)

週末は晴れたら立山山麓でゲレンデスキーという例年のパターンとも
今シーズンからはお別れということで1週間ぶりに娘が子連れで顔を見せれば
マー君(2才8ヶ月)やミーちゃん(1ヶ月ちょっと)がわが家の連休の主役。

遅れ気味で届いた吉本隆明全講演CD第5巻「農業論」もおちおち聴けず
1987、89、91年と三回続いた最後の講演が未収録みたいで気になったが
間違いなくその会場で編集者もお見かけしたのに不完全なモノを出すなんて!

無垢な乳・幼児と戯れていたら抗議の読者カードを送る気も失せてしまい
全国高校サッカー決勝となった市船橋対国見戦の後半の山場もそっちのけみたいに
しばしミーちゃんの沐浴姿に見とれてしまったりでたわいの無い姿をさらしていると
輝いて見えるマーも、ミーもそれぞれ20年後の成人式などお呼びじゃないって感じだね。

2番目が生まれ生活時間が分断されっぱなしの娘に夕飯ぐらいはゆっくりでもないけど
やんちゃ坊主をリスニングルームに連れ出し「フランダースの犬」の最終回を眺めてから
スウィングこの上ないステファノ・ボラーニ・トリオの演奏に踊り狂うマー君をデジカメに。

男の子も10キロを超えたあたりから相手をしていて持病の首や左肩の痛みがどうしようもなく
先月訪れた義兄から聞き及んだとおり左親指の付け根にカットバンで米粒を一つばかり
貼り付けておいたらあ〜ら不思議、ウソみたいにどうしようもなかった痛みとおさらばでき
先週半ばのスキー帰りに寄った寿司屋でいただいた赤ワインみたいにたまげてしまった。

ムズカシイこと何一つやらずに肉体的苦痛から開放されるなんて思いもよらないところへ
胃腸の不調がやってきてちょっと目も当てられない日々もどうやら幼子らに気が紛れ
みんな寝静まってから松本大洋の漫画『花』を開いたら人が季節と交差する鼓動がどこかから聞こえてきた。

老いの転機はどこから(03.01.10)

体力を持て余し気味なのになんだか内臓の辺りがお疲れのよう
ほどほど食べそして呑んでいたようなのに過食気味になるくらい
長めの正月休み明けに“七草がゆ”ってのが良い案配だったろうけど
今年のわが家は七草以外の菜っ葉が入った“うどん”が胃に優しかった。

ママさんバドミントンで遊んだ翌日は立山山麓でのゲレンデスキーへ
インドアやアウトドアでいつも気になるのは目上と思われる人たちの運動姿
なんだか中毒みたいに気合いの入ったのからおつき合いで仕方なしまで様々
マラソンやトライアスロンなどで亡くなる高齢者ってどうなんだろう?

夏山で歩いたことがある北アルプスの唐松岳や八方尾根でこの冬に
遭難したり亡くなられた方々の年齢も54から68に及んでいたけど
どうやら高齢者が体を鍛える時代に入り込んだという傾向と相まって
新年早々から地元や東京で相次いだ独居お年寄りの焼死が侘びしく遣る瀬無い。

三木武夫記念館で戦争の無残な体験から学び憲法第9条の理念に基づく反戦を訴えて
「今の日本の首相は幼すぎて戦争とは何かわかっていない」と三木睦子さん(85)が言い
マリコ・テラサキ・ミラーさん(70)が「ブッシュ大統領も同じよ」と応じたそうだが
元気に握手を交わす日米のおばあちゃんの新年の物言いは真っ当で清々しく響いた。

60歳を過ぎてしょせん余所事の難民救済事業に邁進した緒方貞子氏の本を読んでも
それこそ大変な現場を抱えて厳しいことはこの上ないがどこか的外れというか
どうあがいても相対的にしか生きられない人間の本質的なあり方から逸れる道行き
事故「死」と隣り合わせのように見えてどこか自然死から遠く手が届きそうにない。

そりゃ残された者にはびっくりだろうけど運動中に亡くなる高齢者もあっぱれ!
なんだかうらやましいくらい大往生に見えるのはどこか自然死を目指す途上で
ばったり果てた得がたいものを感じたりしているみたいなんだけど違うかな。

ひつじ(未)の戯事(03.01.06)

ひつじ(未)を2003匹数えるみたいに粉雪が積もった松の内
孫も増え賑やかな親戚を交えた年賀の集いもあっという間に過ぎ
はやくも電子楽器(ギター)やパソコンに触ったりする日々だね。

よく楽器を玩びながらテレビでスポーツ観戦しがちなんだけど
13対13で迎えたライスボール(1/3)の第3クオーターでは
シーガルズの攻撃の芽をことごとく潰す立命館大学パンサーズの
ディフェンスからの23得点にリズムを刻むコード練習の音も弾んだよ。

今年初めて電源オンしたセカンドマシンがまったく動かずうんざり
持病みたいに悩まされていたハードディスクの不調が修復できないまま
ダメもとで再フォーマットできたのにOSのインストールがコケまくり
仕事みたいに徹夜する根性もなく投げ出したら寝しなにヒントが浮かんだ。

翌朝からOSアップデーターの整合を辿ってどうやら最新バージョンに復帰
ADSLに拠るダウンロードやCDーROMでのインストール作業時間も
お気に入りCDを聴き返し読み残した本を片付けたりできるほど長かったが
ようやく安定した動きで生き返ったPCだが壊れていたディスプレイはそのまま。

使い古しの液晶ディスプレイにつなぎLANのプリンタ共有も元通りに
暮から主力パソコンに移行できなかった吉本著作遡及書誌データなど
目ぼしいものをバックアップし始めたとたんの出来事になってしまい
先延ばしにしがちな普段の備えの悪さを虫の知らせが少しは救ってくれたかな。

そんなこともあって上巻から間を置かず『海辺のカフカ』下巻を読み終えたほか
年末年始はたいした読書もせずに村上春樹の『羊をめぐる冒険』(1982年)から20年の
様変わる目まぐるしさの〈空き地〉みたいな妄想の図書館に出入りしてみたり
今年もきちっとした見通しなんて持てそうにないけどリスクは最小限に
群れない羊の臆病さでリカバリーだけはきちっとやっていくしかなさそうだ。

謹賀新年の手触り(03.01.02)

それぞれ歳の数だけの新しい年の幕開けの繰り返しも
天気予報が外れて明るく穏やかな元旦となったようで
初詣よりもスキーに出かけたくなりそうなのをなだめ
お正月はやっぱり日本酒がうまくて御節にも合うよな。

もう1年以上も仕事社会から引きこもったままなのに
どうしてますかみたいに年賀状がやってきたりするし
新年恒例天皇杯サッカーを見ながら返礼年賀を書いた。

逆転してもキープしない若さが京都サンガの突っ走り
前半に先制した鹿島アントラーズは後半に抜かれたが
あんな好ゲームの後は綾戸智絵と山下洋輔のライブで
ビデオだけどスリリングなやり取りを楽しむしかない。

その時々のボデイに絶妙に響いて跡形もなく消えるから
いつの時代でも自分の体液にぴったりした酒みたいに
新しいミュージシャンの演奏を探し求めたりしていて
関心のおもむくところ飽くこと無しって日々がいいな。

付かず離れず30年通ってる近所の寿司屋から初めて
御節料理を届けてもらったりした今年のお正月だと
なんだか家族みんなで一緒にごちそうになっている
そんな感じの目立たない美味しさもあったりするよ。

正月2日に庭先に積もった朝の雪を払ったりしながら
わが家にやってくる親戚を待ちながら反芻する昨夜の映画は
緑豊かで貧乏な出色のロードムービー「山の郵便配達」
つかのま殺伐とした喧しさから迂回できるっていいな!


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