十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)

最終更新日:2003/01/02

百触は一言に如かず(02.12.30)

9ヶ月ぶりの年の瀬の初滑り(12/28)だったのになんだか1本目はきつくて
どうして年相応にバランスよく力まず滑らかにシーズンを再開できないのだろう
などと脚を休めたら前夜のNHKニュース10のスポーツコーナーを思い出したけど
桑田投手が60歳になっても1イニングぐらい投げてみたいなんて語っていたが彼の
復活を支えた武術家と有働由美子アナとのやりとりは「百見は一触に如かず」だったね。

MLBではひょいひょい無造作に投げて好成績を保つ息の長い投手を見かけるが
今シーズンもそこそこ実績を残した野茂と桑田両投手のピッチングを隔てたのは
投げる前に「ねじり」、「うねり」そして「ため」を使うか使わないかだったようで
テレビで観る両者の投球フォームの違いはアメリカと日本とマウンドを取り換えたみたいだった。

体にモノをいわせるみたいに表現しているようでただ型にはめ込んだり
体を自由自在に扱っているようなのにただの無茶苦茶だったりして
男女を問わず子どもやご老体でもしっかり使いこなせる技が見事なのは
体で表現できるまでに使い手の体内で極意の文体を紡ぐ言葉が生きているからか。

どんなことでも十年以上続ければ体の奥からこれだ!と叫ぶ日がやって来て
あきれるくらい同じことを繰り返した誰もが出会う一声で体得したみたいに
不意にこれまでできなかったことが不思議なくらい易々とこなせたりするから
あれやこれやの常識にとらわれないでやりたいことをまず持続する以外にない。

初めての森で木の声を聴きながらうんうん登って尾根から見渡せる眺めを前に
そこまで実際に辿ってきた人の内側から木霊のように溢れだすみたいだけど
そんな上達者の姿や言葉をいくつかの分野で今年も見かけることができたようだ。

「高屋敷の十字路」を訪れていただいた皆さん、サイト内の文庫案内や隆明網に
本年もご指示やご配慮をいただいた方々、いろいろご支援ありがとうございました。

鵜の目、鷹の目、高次化の目(02.12.26)

二番目の赤ちゃんができたばかりの娘夫婦を交えた昨晩の
温かいわが家の忘年会から明けたら柔らかい雪で真っ白
まったく今年の春夏秋冬はすべて前倒しで切り替わったね。

季節感といえば食した魚の獲れ方も無茶苦茶だったみたいで
馴染みの寿司屋や魚屋のご主人だけじゃなく半月ばかり前に聞いた
年季の入った漁師夫婦の語り口からも十二分に窺えたりしたよ。

ときおりMLで配信されるクリッピング情報を覗いたりしてたら
「世界経済の潮流 2002年 秋」なんてのが目に留まったもんだから
なんとなく「産業構造(GDP構成比)2000年」からテーブルにしたのが
これ、

次数\国名 アメリカ カナダ 中 国 韓 国 台 湾 香 港 ユーロ圏 ロシア連邦 日 本
1次産業 1.4 2.3 15.2 4.9 1.9 0.1 2.4 7 1.3
2次産業 21.6 26.6 51.1 45.9 30.9 14.2 28.1 38 27.9
3次産業 77.1 71.1 33.6 49.2 67.2 85.7 69.5 56 70.8
なんだけど、

この細々と残った日本の1次産業に含まれた漁業のハイテク化も凄いみたい
なんでも数千万円で建造した漁船の価格と同じくらいの金を魚群探知装置にはたいて
それでもなお獲れたり獲れなかったりシステムの操作ミスで探知データの蓄積が
時化た海の藻屑みたいに消えたみたいで慌てふためいたり新たな気苦労もありそうだ。

産業規模が小さくなればなったでその内部での作業の高次化の進行も激しい
現場の様相ってのはどうやら息つく暇も無い現在の象徴のようだけど
まぁこれも後戻りのできない社会の段階の一つとして渡らざるを得ないのかな。

構造的に眺めないことには世の中で身動きが保てないような事柄みたいに
図書館サービスの現場にいた頃から文献(資料)の次数というかその高次化の
現状を具体的に把握していたい傾向から抜けきれないのは職業病もどきだろうか。

今月14日にH2Aロケットで打ち上げられた環境観測技術衛星「みどり2号」には
海水温や海水の色を見るセンサー類も積んでいてそのデータから暖水や冷水の塊や
プランクトンの分布を分析して魚群が移動する帯状の流れ「魚道」探しに活用されるとか。

宇宙からの「目」で漁場を探すみたいに文献次数を選り分け資料を求める「探索窓」があったらいいな。

暮れの風邪からの抜け方(02.12.23)

今年も押し詰まって息切れした訳でもないだろうにとうとう風邪でダウン
3連休初日の午後の体育館(スポ少バドミントン)で寒気に負けたみたいなのに
夕食後もアメリカ版カラオケ映画「デュエット」(TV)や「AKIRA」(DVD)で夜更かししてしまい
翌日は乳・幼児二人を引き連れた娘の訪問から部屋を隔てるように寝込んでしまった。

ときおり壁越しに幼児の足音や乳児の気配を感じながらうつらうつらしがち
風邪薬と一緒にヨメが置いてってくれた新刊本の入ったバッグから一冊を開いたら
浅い眠りを掻き回すような夢見を覚ましてくれのは「ジュネーブ忙中日記」なる
その日その日の行為を書き留めた緒方貞子という人の「仕事」の積み重ね方だったよ。

まず自分と徹底的に折り合いをつけられなかったら到底何かを為すこと
それも他の為に成す事なんて思いもよらない難事業を自然体でこなせるなんて
見ただけ眺めただけでもこちらの背筋をシャンとさせてくれるような存在感があるね。

どうやら起き出せるようになり皆と囲んだ食卓で娘が今年はいいことばかり
なんて言ってのけたけどなるほど良いことも悪いことも糾う縄のごとしで
秋にリストラされたのにどこ吹く風みたいな追い風も感じられるようになったのかな。

連休中だとネットワークパソコンを休んでも平日みたいに未読メール(ML)がたまらず
いいんだけどたまのネットワーク開店休業状態なのに新規導入OS用手持ちプリンタのドライバが
これまでインストールエラーで未更新なのが気になり数日前のOSアップデートの公開で
ひょっとしたらと思うと居ても立ってもおられず寝床を抜け出し試したらすんなり動きLANで
使い回すめども立ち新規プリンタのオンライン注文を風邪で忘れていたのがもっけの幸い。

連休最後もほどほどのお天気だけどスキーどころかマー君との散歩も止めてひたすら食べ
そして水分(アルコール?)補給にいそしんでいるのになかなかスッキリしないのも
まだ芯まで食い尽くしていないというかどこか使い道の分からない風邪の後遺症だろうか?

足踏みしてちゃ繋げない(02.12.19)

先週に降った「天からの手紙」(中谷宇吉郎『雪』)も平野部では溶け
いくつか郊外店を自転車で散策がてらの気ままな暇つぶしの途中で
ほぼ1年ぶり山中千尋のセカンドアルバムを見つけて買ったんだけど
元旦から大晦日へかけ上達している自分の1年がすべてとテレビで聞いた
タイガー・ウッズの言葉を演奏したみたいに「When October Goes」が響いた。

今年の練習も今週で終わる二夜連続のバドミントンから帰って聴いたからか
足腰の筋肉疲労まで揉み解すような温もりへ流れ込むワイン味のように抜けが良く
多分150回は超えたリハビリ半分のボクのバドミントン通いの締めくくりを飾ったね。

歳が一ケタの小学生の相手や高校生や家庭婦人に60代前半のベテランまでそれぞれ
ほぼ週に一回巡りで幅広くダブルスを楽しませてもらったけど事ほど上達に関しては
まことに難しいというかしかるべき時と所を得て基礎や基本をたたき込んだ人さえも
寄る年波もあろうけどいったん崩れてしまえば見るも哀れな為体になりかねない。

スポーツなんかだとそれぞれ技の現状が体の外に現れ誰の目にもそれと分かるが
知恵を育てるモノの見方や心の働かせ方などは皮膚の下に隠れ上達の具合も見えにくいから
とかく友人なんてのも青春の若さの賜だろうし老けるほどに肩書きや資産で着膨れ手応えも鈍りがち。

ここんとこ自前の「日本国内の大学図書館関係個人文庫」寄りのメールを頂いてて
大学図書館の情報サービス係に配置替えになった頃に取り掛かり始め公開した現役時には
定年退職までに更新のけじめがつけばいいやなんて脇が甘かった構えの後遺症がふっ切れず
大学図書館の組織顔も照会に役立つ肩書きとも無縁になった場所での更新への切り替えに
遅ればせながら気づかされるとともに「ネットに公開する」怖さも忘れちゃならない。

貸出冊数しか頭にない図書館みたいな片側一方通行サイトに固まらないよう鍛えるには
ありきたりじゃない何かが必要なんだろうけど大阪の某公共図書館の地下書庫内作業に
3輪自転車を発想したような問いの立て方がまずできないことにはどんな手がかり足がかりも浮かばない。

“かごめ”と“通りゃんせ”の間で(02.12.16)

ワールドカップに迫るような視聴率だったそうだけどKー1グランプリ2002
準々決勝のアーネスト・ホースト対ボブ・サップ戦は興行的には成功でしょうが
ベテランとルーキーの戦いとしてはどうだかな〜の展開に見えたのだけど
その後の決勝トーナメントの成り行きはまさか主催者の脱税とは関係ないよね。

Kー1放映の数日後にテレビで観た白黒映画「街の野獣」が見応えあって
プロレスの興行で一獲千金を目論んだチンピラ山師が裏町に呑まれるように破滅する姿は
石井館長というよりリングスを旗揚げして10年後に散った前田日明みたいにかっこいい。

原作は見ず知らずの作者の短編のようだったけどよくぞ見逃さなかった後味が良くて
その前に観た濡れ手に粟みたいなタナボタ金をめぐる思惑がらみで殺す側に嵌まりこみ
身動きが取れなくなる『シンプル・プラン』の緊迫感と迫力を欠いた映画化とは大違い。

題名からしてホラー映画?みたいな「ゴーストワールド」がとんでもなく青春してて
例えばかって岡崎京子の漫画にビックリしたみたいな思春期特有の“あてどなさ”を
老人が乗って街を出るバスに象徴させたような展開がエンドマークの後まで飽きさせず
とにかくボクの場合は観たり聴いたり読んだりして「人さらい」に遭ったみたいに
見知らぬどこかへ連れ出してくれないことには持続できず投げ出すしかないからな〜。

1970年代前半に職場の内外でなぜか心を病んだ若い男女らとのちょっとしたやりとりで
とても瞳が澄んでいて元気そうなのにどこかへ拉致されたような気持ちの動かし方が
触れない壁のように立ちはだかったけど連日マスコミが取り沙汰している現実の「拉致」も
誰かが日朝の歴史的現実や農村から都市への人口流出という社会的現実からも見つめているはず。

あいにく野暮用で絶好のスキー場開きに恵まれた日曜(12/15)のゲレンデに縁がなく
残念ながら年内の初滑りが先延ばしになったけど流星群の晩に二人の“忘年会”を楽しめたよ。

雪の名前は(02.12.12)

今週は一転して雪景色モードに切り替わってしまったけど
はるばる能登の北端から娘婿のご両親が赤ちゃんの誕生を祝いに
雪道を運転して来られ久しぶりにわが家で酒&肴のフルコース。

久しぶりに会った父方の爺さん婆さん以上にマー君はどうも
出し抜けの降雪やボクが名付け親になってしまった妹の存在が
ことのほか気になるそぶりで通園の都合で母子共々マンションへ
帰ってしまって程好く慣れ親しんだ幼子の温もりがなんだか懐かしいよ。

窓越しに降る雪を眺めていてもひとひらひとひらに名前が舞うみたいで
娘が産んだ女の子を名付けた思いもよらない手ごたえだけはしっかり残って
数十年ぶりにグラント・グリーンを4枚セットのCDで聴き直しながら
窓の外の雪吊りに降る雪や背戸にし残した雪囲いなど雪にちなむ風花便り。

鰤起しを地でいくみたいに娘婿が捌いた鰤刺しのボリュームに
ビックリする間も無く山廃仕込みの“田酒”の肴にペロリと消えたり
牡丹雪が消えるみたいに上物のにぎり寿司が妙にワインと合ったね。

探せば雨や風の名前の本もあるようでそれぞれ422と382語も
集めているようだけど雪の名前を集めた本は見つからないようだが
雪見酒を食らって細雪に小雪に粉雪そして綿雪など新雪から根雪へと
べた雪みたいに並べても消雪装置でどか雪はどうやら昔のことみたい。

雪まくりから締雪、粗目雪、斑雪、沫雪、垂雪、筒雪、雪の華も街の外へ
雪時雨も吹雪も地吹雪と一緒に雪紐で縛って雪代に雪消の雪汁に雪形も
遠い雪明りの雪起しの記憶の雪洞を抜け雪女が消えたあたりの雪崩の跡で
初冠雪のように戯れた雪庇から雪渓の残雪となって雪下しの手ごたえももう薄い。

いつかどこかで響き合う(02.12.09)

よっぽど評判の良い産院だからだろうけど今どき出産ラッシュなんて凄いな
安産直後の娘から日に何通か届いた携帯メールに居心地の良さがありあり
後が一杯で予定より早く退院することになってしまって良かったのかどうか。

モバイルが持ち込み禁止でも携帯OKだとメールのやり取りが手軽だけど
高屋敷の爺婆宅であずかっているマー君には“写メール”が似合うのかな
身内の色んな暮らしの場面でもどこでもメールが何かと便利なご時世だね。

赤ちゃんの誕生にぴったりみたいな若々しい歓びに溢れたジャズCDが素晴らしく
まったく知らなかった1970年ブダペスト生まれのピアニストの才能の開花が
遠く高屋敷のリスニングルームに響いたりするのも社会主義国家体制が壊れた
1989年10月23日以降のハンガリーの様変わりの余波みたいなもんだろうか。

ベルリンの壁崩壊1年後の1990年の中欧の都で交差する若者のエピソードを
ドキュメンタリー・タッチで描いた「カフェ・ブダペスト」をDVDで観た時も
変革直後の無秩序や無軌道に右往左往しながらボーダーレスな夏の一瞬が吹き抜けた。

ラブラブ真っ最中の現在進行形カップルにはどんな恋愛小説もお呼びじゃないが
短い生涯で忘れられない同時代の出来事の伏流水みたいなエネルギーを秘めたような
演奏や映画に出会えたりするってのもとりあえず元気に生きてこられたおかげだね。

近隣や遠くの外交や内政の時事問題の断片を垣間見るにつけても気になるのは
あまりにも「国家」に捕われ過ぎの絶対視の行き過ぎで身動きできず固まるゾンビども
忘れていないなら敗戦直後の日本の無政府状態をちゃんと生き延びた大衆の生き様を
今によみがえらせるように「最後の宗教」を開いていく幻の作品はどこで生まれているか?

名付けて未だ見ぬ海へ(02.12.05)

晴れと雨のお天気マークを交互にスタンプしたみたいなお天気めぐり
あいにく火曜日(12/3)は常願寺川を蜃気楼が現れた海沿いへと行かず
腕の立つ画家が描いたような北アルプス連峰の眺めが二人のサイクリングのお伴。

家を出たらまずは腹ごしらえで吸い込まれるようにいつものお店で
相変わらず美味いスパゲティ・セットのランチに白ワインだったけど
なんか一味違うと思ったらいつもワインを選んでくれてたフロア係がお休み。

半分はあの人が魅力で来てたのにとヨメはポロッと漏らしたりしたが
あの笑顔にくるまれたサービスの味わいが行きつけの他の店でも評判だったり
居なくて初めて分かるまたとない人柄の娘を育んだ家庭なんてお手本みたい。

小春日和の郊外から市内へと出産間近な娘の産院を確かめるように
ペダルを踏んだりした訳でもないがその日の夜中に電話があってほどなく
なんとなんと明け方には娘から安産した様子の電話が追っかけ入って一安心。

携帯電話も使っていい産院だったので早速産後の元気な娘の声を聞いたりしたら
旦那の休日にぜひぜひ生まれてとお腹の子に話しかけていたらその通りに運び
娘婿もおそらくびっくり顔の息子のマー君も立ち会った後は眠りに沈み込んだろう。

ちょうど出漁中だった珠洲のご両親には前から名前をなどと言ってもらえ
ほどよく考えついたのをプリントして渡してあったのに娘夫婦は決めたみたいで
思いもしないおまけまでできたけど結婚して姓が変わったりしたらどうかな?

昼ご飯のお茶代わりにグラスに飲み残しの白ワインを注いだりしたら
お袋から「それ祝杯かね」と声をかけられたけど案外そんな歓びに乾杯!
いつものことだけど新生児とそのお母さんで溢れる病院を訪ねるたびにゆったり眠くなる。

小さな家族の風景(02.12.02)

早々と来年の手帳を新調したりしていた自分のリセット感も
可笑しくない12月になって膨らんだ娘の二番目のお腹が大変そうで
そろそろ産まれて母子ともに取り巻きもスッキリしたい頃合いだ。

好天の日曜(12/1)は近所の小学校の体育館でバドミントンのブロック大会があり
久しぶりのペアでダブルスの試合を楽しんでいたら散歩がてらヨメに手を引かれ
ニコニコ顔でやって来たマー君は普段とは違うゲーム中のボクをまるで他人扱い。

二人目の対面が間近いからか何となく落ち着かないのも娘あってのことで
それにしたってヨメとの二人の関わりがどこまでも反映されてのことだし
愛おしさなんてのもどこか遠隔化されるみたいに転写されていく感じなんだね。

巷で歌われていたような流行みたいな手放しの可愛さなんて
ウソ臭くて聴いちゃいられない爺さん婆さんもきっといるよ。

子を授かるってのはほっとけば閉じるしかない夫婦にまるで予期しない
とっておきの風穴が開けられるようでそうこうするうちに子供が大きくなり
細々とした事など忘れかけているところへ届いたりするのが初孫の便りだったり。

毎月自作しているカレンダーに2歳を過ぎたマー君の画像が毎回登場しがち
きっちり線で計れない距離みたいな感触をどこまでしっかり写し取れたか
確かめるみたいに本年最後の一枚を壁に留めた茶の間でそっと眺めたりしている。

今は〈老い〉と対になる一歩手前で〈健康〉を撒き散らしている幼い肖像に
どこかまんざらじゃないフワフワしていて真っ平らじゃない奥行きをウロウロ
どこか子どもを産めない男のエアポケットみたな時間を滑っているみたいだな。

無意識との居合抜き(02.11.28)

日曜日(11/24)に校下のバドミントン大会があって頼まれ審判をやってて
数試合こなしたところでゲーム中のスコアのカウントがおかしくなりそうな体調に、
そんなときに限って試合がもつれファイナルもセッティングで長引いて参ったよ。

勤務先の図書館を案内している最中に呼吸がおかしくプッツンしそうになったり
閲覧室での掃除などやシェルフリーディング中に意識が定かでなくなったことも
また利用者や学生さんの前で文献&情報検索のお喋りでも一瞬頭が真っ白になったり
チョット思い起こしただけでも色んな場面があったけどあれって何だろうね?

まったく思いもよらない行動の突拍子加減に我ながらしばしばあきれ返ることも
見ず知らずの本やCDやDVDから手招きされたみたいに衝動買いに走ったのも
ちっとも自由奔放や自由判断じゃなく間違いなくその時々の無意識のなせる業だろう。

とある日の仕事中に連れ添ったタガが外れ脱皮したみたいに五感がスッキリ目覚め
出し抜けに環界に触れ味わうみたいな前向きのリフレッシュ感が例えようもなくて
叫びだしたいくらいに込み上げてきたりしたのもどうやら無意識の露頭だったみたい。

おそらく乳胎児期の母の無意識との出会いが人それぞれの無意識の形成に
どうしようもなく関わっているんだろうけど誰しも確とは見届けられないのに
選びようのない関わり具合が後々まで個々の生き様の根っ子を決定してしまっている。

様々な場面で人それぞれ意のままでありたくとも蒙古斑みたいな無意識の手の内で
どうやら孫悟空みたいにただただ躍らされているような事態にどう立ち向かえるか
僅かに残された通路の抜け具合の出来不出来が大きくその人の無意識の今を左右しそう。

出会った境遇や生き延びる生涯をとてもゲームになぞらえたりは出来ないけど
脱力と集中そして呼吸のバランスが良いフットワークでラリーを組み立て
ゲームをプレイするなんてこともそのプレイヤーそれぞれの楽屋裏の無意識の劇と切り離せない。

晴雨の飛び石伝いに(02.11.25)

早かった初雪のあとは雨降りが多かった11月も下旬になったら
時おりの洗濯日和で一息つけるが前半の降水量は半端じゃなく
あれが雪だったらとても暖冬などとは言ってられなかったね。

第3木曜のボジョレー・ヌーボー解禁日前に海の荒れも治まったところで
品数とり揃った活きのいいネタが手に入り娘婿が腕を振るった“握り”が食卓に
まるで初物のようにワインを引き立ててくれ小春日和みたいに寿司の日が暮れた。

何処の家にも隠し伝えられているような“わが家”の決まり事みたいな
ちょっとした習わしが家族の和みや元気の源になったりするんじゃないかな、
色んな浮き沈みを伴う道筋にとっておきの季節の雑事が保存されている家庭がいい。

習俗の中の行事や祭式も捨てがたいというか日常の生活では欠かせないようで
誰もが生涯で体験するに違いない危機や停滞を何とかくぐり抜け立ち直ったりできる
いつの間にか習い覚えたような治癒力なんかも習俗を営む無意識の行為にあるんじゃない。

事あるたび何だかんだと萎縮し自粛体制にはまりこみがちな姿勢とは逆に
縮みそうな気分を派手に解き放つような年中行事なんかもやれるってことが大切で
そんな背中を見て育った子供や部下が修羅場でも崩れない力を身につけるんだろうね。

一人じゃ生きていけないからこそ社会にむりやり引っ張り出される前に徹底的に
ひきこもれるだけひきこもれるじぶんの時間を呼吸しながらどれだけ潜れたかで
自問自答できる自分を育てたり他者との風通しも間違いないようにできるかが決まるよ。

子育て真っ最中の母親みたいに時間を細切れにされてからだともう遅いから
どうしようもなく持て余すくらい一人で掘った井戸に隠った気配も見せず
黙って我が子に見せられる背中なんてどんどん遠ざかってもう後の祭りってとこかな。

図んで書に入る館の虫(02.11.21)

降って沸いたような穏やかな日和も三日と持たなかったけど昨春に新築開館した
隣町の公共図書館長にお会いでき話のあと丁寧に館内を案内してもらったり
元図書館勤めの寝た子を起こすような秋の午後になんだかリフレッシュされたよ。

テレビが取り上げた絵画(複製)貸出サービス報道画面に映った館内の様子から
そのたたずまいなどが気を惹いたけど思いがけず館長さんから手紙をいただき
あっという間に行き届いた設計の館内と実際のサービスを見られた事の次第にびっくり。

左ひざや右ひじに首の後ろや左肩など関節のしびれや痛みも薄らいだとはいえ
ヨメにも言われてサイクリングは駄目よで久しぶりのバスと徒歩が爽やかで
着いたらまず外観を巡ったがエントランスからカウンターが見えない奥行きがいい感じ。

東西に広がる館内を一望できる小振りのカウンター視線の切れ味もよさそうだし
北側2階の透明な壁越しに古い受入図書が並ぶ閉架書庫が見える工夫もあったり
東に面した飲食や携帯電話OKのテラスから立山連峰が一望できるおまけつき。

一日千冊に近い返却処理を含めた日常業務も7人の職員と外注やボランティアで
夜間開館や移動図書館サービスにネットワーク端末サービスまでこなしていて
蔵書の貸出や相互貸借だけじゃなく情報基盤としての図書館サービスの窓口もあったよ。

始めたばかりの図書館に持ち込まれた不要本のリサイクルサービが大当たり
読売の地方版でも紹介されたばかりだけど好評な様子を目の当たりにしたりすると
県民一人当たりの図書購入冊数が日本一少ないとされる世評に頷く人もいるかも。

工場の現場作業でケガをして本の訪問販売への転職者の古い話だったかな
買う買わないにかかわらずお隣の石川県民だと話だけでも聴いてくれるのに
本といっただけでそっぽを向いて門を閉ざす富山の人が多いと聞かされた。

図書館の普及やその利用について県民性を云々するような意味合いは知らないし
二度と図書館で働くことはないから仕事関連資料も処分して随分身軽になれたのに
職歴絡みで不意に呼び起こされたりするようなことがあってボクの図書館の虫も蠢いた。

遠くて近い静けさに(02.11.18)

どこかで静かな青空を期待しているような今日この頃なのかな
昨日の日曜(11/17)みたいにたまに晴れ上がったりすると
用事があってもなくてもデジカメをポケットに出歩いたりしがち。

まだ口笛も吹けないしスキップもできないのに目が離せないマー君が一緒だと
なるべく車が入ってこないような道を探し歩くことになる高屋敷界隈からは
かって同じように出歩きたがった娘と楽しんだ気ままな散歩道も遠のいたようだ。

家を出てマンション住まいの娘は日差しが明るいわが家の昼風呂を
久しぶりに使ったりして感激の様子だけど在宅素浪人の僕なんかは
以前は休日にしか味わえなかったわが家を取り巻く静けさが毎日のBGMだね。

数少ないお気に入りのお店でもたいてい有線(?)が鳴っているし
ここんとこ「鬱」などを売り物にした“病本”が目立つような郊外書店をはじめ
行く先々でBGMというより長居をさせないような騒音に遭遇できる。

ともすれば目障り耳障りな出来事が不協和音みたいに溢れていた職域から
いわゆる「不祥事」が垂れ流されたりしている様子が聞こえてきたり
何処にいてもまとわりついてくるような澱んで濁った響きは暮らしのノイズだろうか。

長いショールが車軸に巻き付いて首の骨を折った映画のイサドラ・ダンカンも
流行の“長いマフラー”がバギー車の歯車に巻き込まれ窒息した仙台の娘さんも
それぞれの時代を呼吸しそれぞれの沈黙に行き着いたかそれとも旅立ったというべきか。

ひと事だけじゃなく事物でも傷ついたりつけられたりして学んだりもする人の世だが
何もしないでじっとしている沈黙を包み込むようにやって来る契機などもあるようだ。

景況の引き出し(02.11.14)

頻発する「ブリ起こし」や季節外れの黄砂現象に驚いてもいられず
一ヶ月あまり寒さを前倒したような11月の気候にも慣れたのか
暖かい部屋で活きのいいカニや脂ののった魚が食卓を飾ったり、
通い慣れた寿司屋でのアルコール度43パーセントを誇示するような
あるいは発泡性が物珍しい日本酒の“初物”が冬の旬を引き立てたり。

ご近所では家電量販店やファミレスやその他色んな郊外店の看板が賑やかだが
地元住民の目立たないご愛顧があっての風呂(鉱泉)屋やパン屋さんに
お好み焼き&焼きそば屋にラーメン屋にきときとの魚屋やイタ飯屋ぐらいかな
その時々の散歩圏内にそれぞれ美味さで生き延びているお店があるってのは嬉しいね。

誰にも分かるデータで示す失業率や個人消費の動向だと「経済」音痴にも分かるけど
言い回しばかりで実態がぼやけたような景気判断報道にはいつも戸惑うばかり。

1年ぶりに下方修正の11月景気判断による局面が「腰折れ」の現実味を増したとか
延びが急速に鈍化した輸出数量が前月から「弱含んでいる」に変わったり
生産についての持ち直しの動きが「さらに緩やかになっている」とする見方も
国内卸売物価が「横ばい」から「弱含み」に変更しなきゃならない判断も
個人消費が「横ばいで推移するなかで、一部に底堅さもみられる」との根拠も
ああ言ったりこう言ったり言ってみただけのようで小学生にも分かる説明が欲しいよ。

なんだか混ぜっ返すのもむなしいけど忘れもしない十数年前の日米構造協議の際に
まるでCTスキャンにかけたみたいに日本経済の腸までえぐり出して見せたあの
当時のアメリカ並の分析力をタイムリーに発揮できる人は何処で何をしているんだろう。

事あるごと報道場面に顔を見せ話してくれるいわゆる「専門家」のモノの言い方も
「環境は厳しさを増しており、最終需要が下押しされる懸念が強まっている」みたいな
国内景気の先行きを云々するのと同じような響きしか持ち合わせていないのは何故?

出不精な日和のパッチワーク(02.11.11)

朝っぱらから妙に明るかったりするとそれだけで気分がいいみたいし
外せなかった出勤に縛られていた頃には思ってもみなかったことなんだが
あれこれ暮らし向きがどう変わろうと睡眠時間だけは一向に変わらない。

ヨメや娘と『海馬:脳は疲れない』(糸井重里・池谷裕二対談本)を回し読み
なんとなくこぼれた感想の一つは眠るのにも体力や気力が大きくかかわっていて
ただの眠りみたいなものは何処にもなくてその人その時々の眠りを生きている。

とりあえず十を超えるチャンネルが受信できるのに面白番組が見つからず
録画ビデオで『未来世紀ブラジル』の見るたびに違う面白さにはまってしまい
ネットで調べたら大作や話題作から外れた映画だとまだDVDにもなっていなかった。

たまたまロック歌手ルー・リード(LD)のバックでやっていたのを耳にしてから
その歌いっぷりが忘れられないんだが美空ひばりに勝るとも劣らない老バラード歌手が大阪
そして東京と歌い始めているけどおそらく日本じゃ最後のステージになるんだろうか。

攻略指南が役立たなかった腹いせに関係会社の男を勾引かして金を振り込ませたり
車から捜査資料を盗られた警察官や部活引率中の教師のパチンコが話題になったり
手を洗ってしまって感触も忘れたけどパチンコ玉の弾かれ具合も以前とは軌道が違ってきたのか。

面白かったワールド・シリーズの後だったから余計に日本シリーズをつまらなく
感じたんだろうけど野手の人選が素晴らしい日米野球が今年の締めくくりになりそう
三打席とも直球を使わないでボンズを三振させてしまった上原の投球(術)にたまげたよ。

臨月を迎えた娘の食欲を飾るようにわが家の食卓でステーキと赤ワインを囲んだ後は
寺島靖国編集の選曲が素晴らしい「Jazz Bar 2002」でリスニングルームを満たし
腹ごなしに嵐山光三郎の『文人暴食』(マガジンハウス)をつまみ食いしたりで夜もふける。

忘れられない語りの味わい(02.11.07)

早過ぎた寒気の来襲に風邪気味だが川原や山麓の紅葉狩り気分もそこそこ
溶けだすような晴れ間で久しぶりに眺める山々が眩しいくらいに輝いてるけど、
寒くなる前にしっかりこれを済ませできたらあれもしたい目論見もどこかへ
すっかり置き忘れたかしまい忘れたみたいに氷雨の日々は講演CDを聞いたよ。

トレッドミルやエアロバイクをやってみたこともあったがなんか馴染めなくて
余暇の醍醐味である無為がなんか違うというか不自然に過ごしてる感じかな、
そこまで無理して体を動かすより本を読んだり音楽を聴いたりも駄目って時だと
身も心も空っぽにして手ぶらで人の話を聞くってのにはまったりするんだけど。

小さかった頃から馴染んだ落語も昨秋のBS-i「古今亭志ん朝追悼特別番組」で
『愛宕山』『刀屋』『文七元結』なんかを最後にさっぱり耳にしてないようで、
いつの間にかテレビから落語番組が消えてしまった埋め合わせじゃないんだが
十数年前だけど読みついできた著者の講演に数回出かけたら全てを録音で聴きたくなった。

若さの行きがかりみたいに坂田昌一や西脇順三郎など手当たり次第だったが
たまたま会場に足を運んだ平野謙や中村光夫なども含めすべて一回きりの講演通い、
眠る前に落語(CD)を欠かせないとか小林秀雄の講演(カセットブック)が日常の音楽代わりなんて
まるで他人事の物珍しさだったのに昨秋から刊行中の吉本隆明の講演CDにはまるとは。

目にした新刊を必ず買わせてしまうような数少ない物書きの病みつきになる文体とか
どれだけ聴いても聴くたびに響きが違うみたいに五体にしみ込む講演があったりすると
悪天候のさ中に自分の資質に合った全身運動をしたみたいに爽快感で一杯になったり
目や耳を使って文字や言葉で運動するってのも悪くないよな〜のオタク気分だね。

そうそう母方の婆さんが語ってくれた寝物語は幾つになっても忘れられないようで
何度聴いても飽きなかったし亡くなってから読んだ柳田国男が採集した「物語」には
婆さんが繰り返し聴かせてくれた昔語りの全てのパターンが隠されていて泣きそうになった。

連休の切れ切れに(02.11.04)

せっかくの三連休も秋はどこへ行ったとばかりに冷たい雨に降りこめられ
気ままにアウトドアを楽しむってこともないままに家でキリタンポ鍋やら
安価でうまい白ワイン(ルイ.ラトゥー)を句読点にしたような日々で、
散歩に出られずミニ・カーだけじゃなく珍しく“小枝ちゃん”なんかで
一人遊びするマー君を眺めたりすると「軒遊び」(柳田国男)からの抜け方が気になる。

暗黙の申し送り事項だった国体の開催県優勝が先の高知国体で途絶えたり
日本プロ野球界の双六みたいに「読売巨人軍」ででき上がっちゃって終わる
見飽きた常道現象に縛られた選手気質をゴジラ松井選手がようやく破ったり
ささいな“なんだかな〜”だったけど旧態からの脱皮の姿がいいんじゃない。

一見馬鹿馬鹿しそうに見えたこの夏のアザラシのタマちゃん騒動だって
その庶民の心がこの秋の田中さんノーベル化学賞受賞フィーバーの何処かに
しっかり引き継がれているようで出現先まで出かけていって見届けてしまう
行為の先に何だか言葉じゃ言えない教科書からはみ出した広がりがあるのかな。

相変わらず「秋の叙勲」の季節だけどあれって政治家や公務員のマスターベーション!?
名前リストを見る気にもならないけどいったい誰が誰を顕彰しての制度なんだろう、
売り上げから税金をもらっておきながら区域内での喫煙は駄目よの千代田区はバカみたい
いつものことだけどできの悪い独り芝居みたいな秋の定期公演にはうんざりしませんか。

好みや嗜好に過ぎないものを政治で縛ろうなんてどんな脳みその仕業なんだろう
家の中でもできないことを公に持ち出したような阿呆らしい出来事もあるもんだが
いっそのこと禁酒を担ぎ出そうかなどとたくらんでいる地域もあったら面白いよね。

“ぐうたら”と“だらだら”に挟まれた温もり(02.10.31)

珍しいみたいに晴れ上がった窓の東の山々がすっかり冬化粧じゃないか!
雪化粧をした紅葉を眺めるサイクリングもいいけど短パン半そではもう駄目で
今年も後2ヶ月となるとなんだか衣食住揃い踏みで冬支度気分になりませんか。

急に寒くなったここ数日は居室を移るたびに暖房器具の掃除やテスト運転や
噛み合わせの悪さが気になっていた開き戸のカギを取り換えてすきま風を防いだり
サボっていた「情報探索デスク 」の更新などチマチマした屋内作業も悪くない。

日常の立ち居振る舞いがままならないお袋のお使いで時々訪ねる医院の待合室
夏には涼しげに見えた立派な水槽の魚たちもぬくぬくと暖かそうで見飽きない
いつも応対が良い窓口の女性の話では老人医療制度もちょっと変わったようだ。

ゆきあたりばったり十代のアルバイトの数々も駆け出しで終わった会計事務所勤めも
いささか長すぎた大学図書館勤めも終わってみれば今更振り返ることもないようで
どうやって手を抜くかうまくサボるためにとりあえず一生懸命やるしかないってこと
状況がどう変われこれがあったからここまでに続くこれからもやっていくしかない。

小遣い稼ぎに余念のなかった中学生の頭の隅っこで座り込んだり渦巻いたり
自分はなぜいま・ここにこうしているんだろうというワケノワカラナサから
どうやって抜け出せたか今もってわからないようでどっかで引きずっている
いくつになっても噛み合わせの悪さ折り合いのつかなさが当たり前の味わい

「サザエさん」と「ぐうたらママ」のあいだをいったりきたりしてるみたい
二紙取っている「新聞」もここ一年は読むのも面倒になってきたようだけど
いっそのことやめてしまってオンラインで読む時間という手もあるようだし
今日やれることを明日に延ばさず頭を空っぽにして眠って迎える朝の温もりがいい。

“天使”や“ライオン”と戦う“巨人”の姿から(02.10.28)

昨日今日とめっきり寒くなって雲間からのぞく立山連峰の谷筋がチョット白かったり
身近では湯豆腐やおでんや豚汁そして好きな方には熱燗が季節感を際立たせたり
お昼ともなるとパスタの湯気に室温の赤ワインなんかがことのほか映える昼下がり。

海の向こうのワールド・シリーズはこんな野球もあるんだと言わんばかりに
よもやの展開を見せながらアナハイムの“天使”がロスの“巨人”に勝ってしまい、
土曜(10/26)から始まった日本シリーズは所沢の“ライオン”が東京の“巨人”に2連敗で
西武野球の牙と爪が本拠地でどこまで巨人野球の足場を崩せるかが見どころだろうか。

日曜(10/27)は娘の資格試験の受験日で預かったやんちゃ盛りのマー君相手に寒さも忘れ
時流に流される建築業界の末端で今月限りリストラ退職する娘はSOHO絡みの
スキルチェックのテストをパスして時給にしたら割のあわぬPC作業もやってみたり
稼ぎのスタイルも変えていかざるを得ないだろうけどその心はやっぱりフリーターかな。

生活基盤の先行き不安定な今となってはその時々の家族構成や年齢に見合った
相応の住み処を取っ換え引っ換えレンタルする選択肢が好まれ実行されるように
稼ぎ方も日の丸や大企業の傘の下を当てにしない3〜5年限りのその場仕事を繋げ
その時々さしあたってそれぞれ家族のQOLが維持できればいいんだけどな〜。

球場にはいろんな「天使」がいても外に出てしまえば神も仏もないように
隔離された「ライオン」は吠えることはできても叫びたいビジョンがない
スーパースターを抱える「巨人」は勝っても負けても本当に眠れるのだろうか。

どっかから無差別狙撃銃弾が届くような気配がまったくないとは言いきれないにしても
さしあたって映画やコンサートに出かけても人質にされたりする気遣いなしで
気ままに暮らせる毎日があったりするって事が掛け値なしに嬉しくていいじゃないか。

  • MedHist("A guide to history of medicine resources on the Internet. MedHist offers free access to a searchable catalogue of Internet sites and resources covering the history of medicine.") http://www.medhist.ac.uk/
  • サラリーマンスタイル・ドットコム http://www.salaryman-style.com/
  • The DRC (Diversity Resources Center) Database http://edpsychserver.ed.vt.edu/diversity/index.cfm
  • スピードクッキング http://www.speedcooking.jp/
  • Timelines of British History(A comprehensive guide to British History.) http://britannia.com/history/timelines.html
  • 柳田国男の会 http://homepage1.nifty.com/yanagita/
  • 柳田国男研究文献データベース http://www.kisc.meiji.ac.jp/~gotosemi/page3.htm
  • US Historical Documents("A Chronology of US Historical Documents.") http://www.law.ou.edu/hist/
  • たまご博物館(ニワトリのたまごである鶏卵に関する情報サイト) http://village.infoweb.ne.jp/~takakis/
  • 国見弥一の部屋 http://homepage2.nifty.com/kunimi-yaichi/
  • OurDocuments("OurDocuments.gov. Featuring 100 milestone documents of American history from the National Archives. Includes images of original primary source documents, lesson plans, teacher and student competitions, and educational resources.") http://www.ourdocuments.gov/
  • 盆栽屋.com(盆栽の品定めや手入れの仕方からその裏話まで) http://homepage2.nifty.com/miyamotoen/
  • 二度目はどうか?(02.10.24)

    午年のやじ馬心をくすぐるように目にとまったカネとセックスをめぐる秋の出来事、
    夏の事件を再生したみたいな「同一信金になぜ強盗 甘く見た?防犯体制」と
    二度目の春を求める男「1340人から4000万稼ぐ バイアグラ無許可販売」。

    物欲も性欲も初めの満たされ方で「柳の下のドジョウ」の狙い方も違ってくるのか
    同じヤマは二度足を踏まず非市販薬なら医者の処方せん頼みという正攻法をはずし
    ローカルの信金を甘く舐めたか老いて回春剤に頼る男の性のしゅう恥の深読みか。

    精米を家業としていた作業場から米を盗まれたことがあったけど
    一度に持ち出せなかった叺を数日後に再び盗みに入ったところを
    待ちかまえた駐在さんが捕らえてみれば同じ村のあんちゃんの出来心から
    盗んだ米を売って遊興費にしたりした売春防止法施行前の単独犯だった。

    道路わきに書かれた「バイ○グラ」の広告など目もくれない若い男女ならばこそ
    夜間開館の翌朝には使用済みゴム製品やティッシュで汚された閲覧室トイレ掃除に
    時として手を焼いた閲覧業務の一コマもあったようにオスとメスの確認に恥など要らぬ。

    歳とともセックスの歓びも手続きが複雑な買い手あっての売り手の闇商売だが
    おいしさが巡ってくる二度目の性の春の味わいもなぜかしゅう恥を忍んでこそ、
    コンドーさんとセットで市販すればなどと平気でいってのける輩にはまだまだ
    二度目のよさがどんな具合なのかその先を深める男と女の歓びに届かぬもどかしさ。

    何一つとして元に戻らぬのが老いの立ち行く先々の姿だから
    今日やれたように明日はできないからこそ二回目が格別なんだろうか、
    自分にとって良い映画や音楽は二回目で極まるようで落ち目に違いない
    スキーやバドミントンにしたって二度目の今の方が断然面白いというか
    再開したばかりのギターにしたってここんとこ数ヶ月は毎日のように触ってる。

    持ち家や結婚となると二度目に縁がない自分には何とも言いようがない井戸の蛙でいい
    な〜んて一度くらいはカッコつけたりしないうちにどうでもよくなってしまったみたい、
    しょっちゅう顔を見せてるのに未知の二回り目みたいに家計や子育てと出産に精を出す
    娘夫婦の姿なんかに見とれたりできることが無知で世間知らずなわが家の二度目の秋味。

    これは楽しみになってきた(02.10.21)

    日曜(10/20)の朝から始まったワールド・シリーズのBS実況中継に後ろ髪を
    引かれながらスポ少バドミントンの今年のバーベキュウ会場になった山あいの地で
    眺められるはずの秋景色も雲間の向こうへ退く肌寒さに炭火おこしがありがたい。

    それでも半そで短パン姿でフリスビーなどに興じるスポ少の子供らと遊ぶと
    小柄なエンゼルスの遊撃手のプレー姿に少年の輝きを感じさせられるみたいな
    無垢の元気さに触れるような温かさもちょっぴり湧いてくるいい一時だった。

    帰宅早々雨が落ちてこないうちにマー君との散歩とワイン選びを一緒に済ませ
    録画でその後の試合展開を観ながら子どもたちと父母のスナップ写真の整理だが
    60人を超えた参加者が手軽に見られる機会を作るにはインターネットに限る、
    ということで暗い画像は明るく手直しして秋口にレンタルしたファイルサーバに
    送っておいてWebアルバムにするのは簡単でもそのURLを知らせるのが大変かな。

    ADSL常時接続で画像のやりとりも便利だけど先週火曜夕方のつむじ風みたいな雷雨で
    切れまくったりするとまったく使い物にならずよけいに腹立たしくなったりして、
    こんなんでまさかの時の通信手段の役に立つんかいなと悪態の一つもつきたいが
    地域のIT講習会後の応用編みたいに町内会の連絡網に使われたりしてるんだろうか。

    さて一点差ゲームで星を分けあったワールド・シリーズの今後の行方がますます面白そう、
    カリフォルニアに本拠地を持つチーム同士でワールド・チャンピオンシップを争うなんて
    いかにもアメリカ的な構図を嫌う人もいるかもしれないけどエジソン・フィールドなんか
    甲子園球場に優るとも劣らない雰囲気でひょっとしたら熱狂ぶりではどこにも負けないかも。

    風呂場の大掃除からレジャーまで何をやっても好都合だった秋日和も一段落したみたいに
    北陸のパッとしない週間天気予報をひっくり返すようなわが家のワールド・シリーズ週間となりそう。

    秋を通過する二色の手触り(02.10.18)

    出かけた人の話ではどこもかしこも人出で一杯だったようだけど
    連休出不精の扉を叩くみたいに旧知のご近所の住人が十数年ぶり、
    大学生になった長女や人馴れした犬をおともに冷やしたワインまで
    携えて訪れてくれたりして居ながらにして秋の午後を寛いだ気分。

    物静かに愛嬌を振り撒いたりひっそりソファに寝そべっては
    まるでみんなと一緒に団欒を楽しむ姿は生きたロボットみたい、
    なぜか犬が苦手のヨメや預かっていたマー君が触って平気というか
    野生臭さがまったく抜け落ちた安心感がペットの距離感なんだね。

    前夜の運動の筋肉痛が残っていたけどとてもサイクリング日和に
    したいような天気に誘われかけたところへ娘夫婦からの電話で
    誘い出された行先は高い秋空が広がる山あいのいい動物園だった、
    というのも水族館や植物園の肌触りも味わえる新しさがあったのさ。

    開園三年目にしては動物臭さが薄いのに動植物との距離感が良いのか、
    平日なのに家族(子ども)連れやカップルが居心地よさそうに散策し
    団体さんの幼稚園児達が馴染んでいる様子からも居心地の良さがありあり、
    体内に隠し持つ動物と植物の二つの系に無意識で触っているみたいだった。

    “ヘッドライト横浜”をキャッチフレーズにベイスターズを引き受けた
    山下新監督が「頭では猫のように動こうとして像のように動いた」なんて言ったように、
    人の心は動物系か植物系いずれでも動くかのようで最近の拉致被害者を取り巻く映像に
    そっと涙を誘われたりするのもかっての中国残留孤児の映像以来かもしれないな。

    心配事は“ダンス”だけ?(02.10.14)

    なぜかテレビで観るアメリカの野球場にはいわくいいがたい魅力を感じる
    ということでBS放送中のMLBのチャンピオンシップシリーズをBGVに
    ここんとこ午前中はほとんどリスニングルームで古いパソコンに残っている
    吉本著作書誌の遡及データのテレビ観ながら処理作業も捗っていいけど
    手の腱鞘炎は治ったのに首筋のしこりや痛みが持病みたいに抜けなくて困ってる。

    アメリカンリーグの優勝を争うツインズ対エンジェルス第4戦にはびっくり
    突っ込んできたセンターが捕球しそこなった打球がフィールドにめり込んだら
    カバーしていたライトがさっと掴み出し素早く内野に返球していたけけど
    あの柔らかさががボールパークのフツーの作りだったとは知らなかったな〜。

    何ごとにつけ自らの環境や資質に基づく感性をフツーだと思い込んだら百年目、
    島津製作所の「ソフトレーザー脱着法」の開発者の報償金は1万1千円とかで
    日亜化学を辞めた「青色発光ダイオード」の開発者の報奨金は2万円だったとか
    ま、どうでもいいことだけどその先ががあまりにも対照的なのは何でだろう?

    ひょっとして「青色発光ダイオード」が年間500億円の売上増をもたらしてて
    「ソフトレーザー脱着法」は年間5億円の売り上げという両社の金額の差なんだろうか
    前者の特許権をめぐり企業と開発者でいずれのものかを争う訴訟になったりしたのは、
    ベラボウな額を競うプロスポーツ選手の年俸みたいでどこまでがフツーなんだろうね。

    12月の授賞式でのダンスが心配と語ったりしている「ソフトレーザー脱着法」の
    開発者と企業の間では報償金の増額や5階級特進の「出世」が取り沙汰されてて
    ここでも寝耳に水みたいなトクベツとフツーの扱いをめぐって押したり引いたり
    ジョーシキからはみ出しながらどちらの腹の虫も収まるところに辿り着くのかな。

    秋の頁をめくるように(02.10.10)

    毎週火・水曜と二夜続きの体育館(小学校)通いにも肌寒さ
    しばらく前までは暑いからくっつかないでなんていってたのに
    もう肌をよせあい手足をくっつけいい気持ちで眠れるよ。

    深まる秋といえば温泉みたいな旅の気分に誘われた出来心に浮かれ
    借家住まいから共稼ぎ通勤バスの中で二人ともその気になっちゃって
    駅前の公衆電話から互いに相手の職場にウソも方便の連絡を入れ
    山里の温泉へ解き放たれたような日帰りの旅を楽しんだこともあった。

    先週ご近所の寿司屋さんで飛騨の天然鰻を焼いてもらったら懐かしい味、
    過ぎし春にたまたま知り合いの家庭の小学生の娘さんが飛ばした風船が
    飛騨で旅館をやっていたお婆さんに届いたいきさつのおこぼれから
    地物の松茸料理など家族ぐるみで味わった古い秋の旅のおもてなしも偲ばれる。

    降って湧いたようなお出かけを地で行くことから遠ざかったみたいに
    読み始めた村上春樹の『海辺のカフカ』はA面B面を交互に聴くような頁仕立て
    手軽に文体で旅を味わうなら柳田国男の紀行文か岡本かの子の小説だろうか
    秋の日の一人旅を読むとすれば中原中也の詩をひもとく午後がいいだろうね。

    昨夕からかけめぐっている地元出身者のノーベル化学賞受賞ニュースも
    一民間会社における「エンジニア」にとって不意の出来事のようなのに
    いろんな「関係者」ばかりがやたら入れ込んじゃっているみたいだけど
    しばらくはこれぞ富山市民にとって最高の秋味が漂うのはいいんだが
    これまでの富山は田舎みたいなイメージが変な具合に消えて欲しくないな〜。

    まさかの色合い(02.10.07)

    秋たけなわにしてはどこか蒸し暑さが居残っているようだけど
    家の障子を張り替えたりしたら部屋の陰影もくっきりすっきり
    明るさを増したようで居心地の色合いもどこか深まったようだ。

    校下の住民運動会からアジア大会までスポーツの秋も海の向こうでは
    初戦の逆転負けにもめげず“くたばれヤンキース!”を地でいく3連勝で
    2002年米大リーグ地区シリーズを勝ち上がってア・リーグ優勝を争うことになった
    エンゼルスの主将が「まさかこんな結果になるとは夢にも思わなかった」と言ったように
    ひょっとしたらもしかしてを実現したこれぞ大番狂わせの試合展開には熱くなったよ。

    行楽に備えたわけじゃないがタイヤを新調したサイクリング車で
    久しぶり地面に食らいついた走りのよさに思い出し悔やまれたのは
    もっと前にタイヤを交換しておけば去年のスリップ転倒のケガも防げたのに
    まだ大丈夫とばかりに滑ってコケたまさかに思い至らなかった愚かさ。

    食欲の秋の午後の走りの締めに馴染みの暖簾をくぐれば
    どこかのテレビ・クルーが撮影の真っ最中で気が引けそうになったり、
    走り疲れに勝る咽の渇きと空腹に背を圧されるように寿司盤に座ったら
    某デジタルテレビ局の食番組の取材とかも邪魔にならず寛げてよかったが、

    聞き及んだノーギャラに近い地元テレビ局の食番組の作り方にはあきれたというか
    まさかかっての左翼活動の発想と寸分も違わない無節操が生き残っているなんて、
    機関誌に依頼した原稿料を払わなかったり講演料をピンハネするのが当然のように
    その道で稼いでいるプロに出演してもらいながら食材や拘束時間の無視が当たり前。

    大風呂敷を広げるように貧しい暮らしからの脱却や豊かな生活を掲げながら
    まっさきに自らの組織の活動にかかわる人たちを裏切るような冷たい秋風は
    いつか来た道だけじゃなく今日もどこかでさまざまな組織を巻き込んでは
    まさかの坂を吹き上げ吹き下ろし人心を千路に乱す野ざらし紀行じゃないか。

    昨秋のワールドシリーズでヤンキースを倒して王者になったダイアモンドバックスも
    ナ・リーグ地区シリーズでカージナルス相手によもやの3戦全敗で敗退の憂き目に、
    ってことは今年も予想のつかない色合いで展開するワールドシリーズが楽しめそう!

    匿名に技あり?(02.10.03)

    ひょっとして“ノトノダイク”という当てこすりをご存知かな?
    ベテランボクサーが各ラウンドの終了間際に判で押したように見せる攻勢みたいに
    とにかく時間潰しを心がけ午後4時頃からやおら格好をつけ仕事を終えたり
    どこぞのサラリーマンの場合なんかそのまんまダラダラ残業に突入ってのもあったり。

    相変わらずリストラや55歳定年首切りなんかが横行するからか
    知合い業者とつるんだ求職活動証明で失業保険金をせしめたり
    金になる噂を聞いて札幌や狭山の西友へ偽装客となって
    圧しかけては偽装肉購入者に対する返金を横取りするのも
    さもしい貧者の知恵というより偽装には偽装で応える開き直り。

    さまざまな商慣行のひとつとしてあばき出された食肉偽装叩き
    過剰反応で縮こまった西友には地元のお客様しか見えていなかったのか、
    自己申告が通用する地域の顔のむこうに匿名の顔なしどもがいつも蠢いて
    場所さえ違えばその地域の顔と匿名の顔がいとも簡単に入れ替わることが。

    ここぞとばかり「清貧の思想」を持ち出したりして紙切れの上で
    犬の遠吠えを繰り返す識者も暗黙の商慣行にまみれた経営者も
    それぞれの場でやっぱり匿名に胡座をかいて顔はピンボケなんだよ。

    公の場での「スカートの中の撮影」に合法判決を聞いて喜びいさん
    ワシントン州へデジカメ片手に出かけパチパチ写している男性も
    撮られたスカートの女性のプライバシーもすべて匿名に付され
    盗った盗られたですったもんだの私小説の場合とはずいぶん違うね。

    役を待っている役者のように(02.09.30)

    最初の出会は大型計算機センター内でどんなコンピュータを見たんだったろう?
    そんなことも忘れかけた頃、職場にオフコンが入って業務システムの子守役など、
    更新を重ねるうちにワークステーションからパソコンへとダウンサイジングしたが
    いずれも女心のように中は見えない読めないで意のままに扱うなど見果てぬ夢だった。

    高校入学前の娘にせがまれ、大枚はたいてわが家にやってきたMacPlusにワォー!
    見たまま触った直感で動いてくれるコンピュータとの易しい出会いにびっくり
    文字でも絵でも音でも切ったり貼ったり最初の驚きが凄かっただけのことだが
    娘ともども遊んだHyperCardでリンクする面白さがやがてパソコンを飛び出し
    今じゃインターネット上を駆け巡るようになってもコンピュータは謎の役者みたい。

    自前のホームページで「高屋敷の十字路にようこそ」とテロップを流してるけど
    訪れたあなたのこともサイトを維持しているぼくのこともコンピュータは知らない、
    クライアントやサーバーの命じるままにただただ処理を実行し続けるき・も・ちは
    どんなものかたとえば注文の来ないシェフや作家に近いということはないよね。

    マニュアル本もまともに読まず困ったらパソコン通信やインターネットが頼り
    それにしても使いこなすまでの手続きがフツーの人にはとてつもなく面倒くさいし
    オタクにとってもこんなに世話の焼ける代物がパソコン以外にあるだろうか?
    電脳文房具とかデジタルハブとか呼べば呼ぶほど遠ざかってしまう光と影。

    停電やトラブルで使えなかったりネットワークが繋がらなくて仕事にならず
    ぼんやり途方にくれるしかない舞台裏で一息ついていたのはいったい誰だった?
    ほんとうの出番は与えられるもんじゃなく作るしかないということも知らずに
    ドッグイヤーで駆け抜ける傍道で別人28号みたいなパワーユーザーも眺めた。

    電脳海洋を泳ぎ続けるマグロみたいなコンピュータの目指すところは何なのか
    ドラえもんのどこでもドアみたいなネットワークから何でも端末化までなの?
    暮らしの中に情報個室を出現させたところへ今どきどの世代よりお金と時間が
    自由になる高齢者層がどんな風に知恵や体験を生かせるかというのも見物だね。

    さり気ない持続に拍手を(02.09.26)

    中秋の名月の名残がいいもんだから夜の外出など
    行き帰りがスローペースになって体の方もすっかり
    秋の呼吸で飲食や見聞きする楽しみを満喫気味だね。

    この夏の定番みたいに聴いたジャマイカのギタリストの
    輸入CDがやっと届いて季節外れのジャマイカン・リズムで
    よしもとばなな(改名したようだ)の最新書き下ろし小説に
    よくできた寓話を読むようにしっかりはまり込めたんだな。

    そのうちアイザック・B・シンガーの短編『シーダとクジーバ』
    みたいな域に達しそうな期待を抱かせて嬉しくなったよ。

    出たばかりの村上春樹『海辺のカフカ』にも手が出そうなくらい
    浮き沈みを繰り返す物語を紡ぎ出す作家の力が上向いた時というか
    時代の“旬”と向き合った「作品」に出会えたりする満足感は
    当たってみなきゃ分からないだけにあれこれ漁らずにはいられない。

    図書館仕事の傍ら家ではレコードを400枚以上、映画を300本以上
    そして本を100冊以上、一年で見聴き読みこなしたりしたこともあったけど
    気が付けばそんなこともあったなという時代が過ぎたというだけだ。

    さぞ暇を持て余していることだろうといかにも怪訝な顔をされたり
    さぞいい時間を過ごしているんだろうねとうらやましい顔をされたり
    ここ一年はほぼこの二色の言葉をかけてもらったのがほとんどだったが
    これでいいも退屈からもほど遠くどっちつかずで中途半端なんだな〜。

    ベテランだろうが新人だろうがいいなと思える作品にはきまって
    その作家にしかない“はじまったばかり”が隠し味になっていて
    いつも新しい持続力を維持する目立たない力技に脱帽するしかない。

    秋の目線で(02.09.23)

    祭日で保育園がお休みのマー君を預かったらさっそく散歩に
    稲刈りの終わった田んぼを抜け住宅街に近づくと木犀が香り
    歩いたり手押し車に乗ったり低く弾むような幼児の視線は休まない。

    全く縁がないとはいえテレビに映ったりするとついつい見てしまう
    ゴルフに感じるのは俯瞰映像で距離を制御する三次元の触覚みたいな
    プレーヤーの視線の力なんていうと笑われそうだけどやっぱり
    寸分の狂いのないプレーをコントロールしている目の力が凄いね。

    大金持ちどころか小金持にもなれなかったけどメガネ持ちというか
    いつも手元と遠くと遠近両用の三つは常備というか手放せなくて
    古びた双眼鏡や使い慣れたデジカメは裸眼の素晴らしさの代用みたい、
    携帯GPSで位置や速度を知り気圧や高度や方位を示す腕時計を身に付け
    移動しながら目の届かないところを確認できたりするのも面白いよ。

    映画のスタートレックで見た視力を失った人でも見える眼鏡みたいな
    スグレモノが使えたら鈍った勘も少しは働くようになるだろうかなどと
    思ったりするのも歯に次いで目の衰えも隠せなくなったと言うことだ。

    図書館の薄暗い閉架書庫や夜の閲覧室でのシフティング作業など
    困ったことに疲れる以前に図書のラベルや雑誌の背文字が判読しにくく
    とくに書架の最下段や最上段の配架作業は見えないイライラばかり
    どんなメガネを使っても解消することのない職場の秋の始まりだったよ。

    ようやくリハビリ状態を抜け出せたスポーツでも上達どころか
    相変わらず凡ミスを繰り返すばかりなのも基礎体力はもちろん
    そもそも動体視力が駄目になってきていうことをきかないのだろう。

    それにしてもね〜(02.09.19)

    それにしてもあんまりだよね、日本人拉致問題についてはず〜っと
    「ありもしない問題は議論されるべきでない」と言い張ってきたのが
    180度でんぐり返ってまたまた無辜の方々の犠牲が明らかになった。

    日本人同士のカップルだけが生存していて、残りの方々だけが病気や
    災害で亡くなるなんてあり得ないことでとても信じられませんよ、
    「拉致は一部特殊機関のメンバーが英雄主義に染まって誤った
    行動に出たことで、私が承知してからは止めさせ責任者を処分した」
    と伝えられたが嘘八百もいいとこ、事を明らかにする誠実さもない。

    太平洋戦争では半島から90万人が強制的に日本に連行され
    未だに行方知れずの人も多いと聞くが、だからといって
    帳消しにされるような事柄ではないから、日本政府はきちんと
    責任と賠償を要求しないことには何事も始まらないだろうね。

    かたやアメリカの操り人形を演じ一方はアメリカの脅威に怯えながらも
    日帰りデートをした二人のボスにはそれぞれ政治的な思惑が絡むようで
    読んでみた『日朝平壌宣言全文』の「2002年10月中」が唐突に目を引き
    「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題」として
    握手を交わした姿はあまりにも無惨と言うか醜悪で目も当てられないよ。

    ところで昨日(9/18)だったか、国立国会図書館から「高屋敷の十字路」に置いている
    「日本国内の大学図書館関係個人文庫」を「Dnavi」にリンクしたいメールが、
    ってことは、彼等から見ると「吉本隆明著作刊行リスト」はデータベースじゃないのか
    まっ、リンクするしないはそれぞれの勝手というのがインターネットの掟だからな。

    この秋の距離感はどうか(02.09.16)

    秋景色は一足先にテレビからということで、『北の国から』や
    「エーちゃん」のライブなどにえらい時の流れを感じたりもしたが
    どちらもWBA・WBC世界S.ウェルター級王座統一を争った
    オスカー・デラ・ホーヤとフェルナンド・バルガスとの戦いほどには
    胸に来るものが薄いなどと言うとファンの方々から怒られそうだね。

    たとえば「寅さん」や「釣りバカ」は一本で十分ということで
    いま・ここに根ざした新しさに感動したくてもなかなかなんだが、
    13日の金曜の晩に映画『13日の金曜日』の旧作を二本ばかり
    見直したらジェイソンの殺戮劇もとっくに現実に追い越された感じ。

    三連休の中日は朝の掃除を済ませ素肌に風みたいな自転車散策で
    吉本隆明『僕なら言うぞ!』(1999年9月青春出版社)の文庫化新刊を
    調べたら著者の「文庫化によせて」の増補以外に副題の「世紀末ニッポンの
    正しい眺め方、つきあい方」が「こんなニッポンとの正しいつきあい方」に。

    捉えどころのない生き様の一つでもある老人あるいは高齢者は何歳から?
    新聞報道に75歳以上が一千万人を超え、総人口の7パーセント強とあったけど
    「こんなニッポン」の内側の一面でもある超高齢化社会の切実さについて
    しっかりとした物言いがどこからも聞こえてこないような気がしませんか。

    図書館で働いた実感の一つとして本好きと読書好きは確かに違うけど
    まだ書かれていない本や表現を待っている内容に憧れる内実は似ていて
    親と子の(家族)関係や人と人との(社会)関係が不健康(病)になっただけ
    どこかで言葉と生活実感のバランスを探し続けているんじゃないだろうか。

    秋への抜け殻(02.09.12)

    やっとというかかなり秋らしくなってきたけど季節の変わり目には
    なぜか模様替えをしたくなってきたりしませんか、部屋とか着るものとか。

    新首相官邸を覗けたりインターネットがいきなりもたらす異次元の出会いで
    身近でやったねーというのが、かって専門図書館と総合図書館にまたがって
    一緒に働いたことのあるお方から映画ファンサイトを開設しましたという
    なんとも秋らしい便りにはちょっとびっくり、だって自称パソコン音痴だった
    かの女性司書はさぞこの夏にいろんな汗をしぼって電脳ライフに模様替えだね。

    どこまでいじり倒せるかどうかここんとこ触り始めた新マックOSも
    素人の感触としてはすっかりユニックスに模様替えしてるじゃないか、
    今じゃテレビ番組でも誰が整形美人か当てっこしているようにいよいよ
    身体のパーツの模様替えも大っぴらにさらけだすようになってきたようだ。

    在宅パソコン作業休憩なんかでインターネットラジオをBGMに流し、
    ヨメが出してくれたコーヒーを飲みながら、遠くで活躍している
    退職女性図書館員の電脳パステル画廊を訪れたりできるまでに
    日常の交遊具合も職場での私用メールみたいに様変わりしているよ。

    あやふやな内面みたいな感触がゼロに近くて良いも悪いも開けっぴろげな
    電脳広場の散歩が実生活を変えたり模様替えなんてことはあり得ないのに
    DSL接続加入が月に30万件も増え続けるような通信スタイルの様変わりに
    遅れるみたいにして様々なコンテンツの芽生えもサイバー砂漠へと続く。

    いきなりSOHO用のパソコンを見繕ってくれろなどと娘の車で
    家電ショップに連れ出されたりしてもてんこ盛りの機能に戸惑うだけ
    基本仕様と値段を確認してマシンを持ち帰った庭で踏んづけた蝉の抜け殻の音。

    これからのペース配分(02.09.09)

    市内の校下対抗バドミントン大会の地元参加メンバーの頭数合わせに引っ張り出され
    しかたなく日曜の夜に周辺機器のドライバーやOSのアップデートをやったりして
    LANケーブルでつないだ一階と二階のパソコンでデータファイルやプリンターを共有し
    これまでのパソコン資源を意のままに使い回す今週からの目論見はどうやら外れそう。

    ネットから落としてきた最新のファームウェアをインストールし動作確認してから
    システムのアップデートをやったのにいざとなったらちっとも動かなかったり
    いい加減面倒くさくなってこなくもないが一旦取りかかると引き下がれないのだ。

    体育文化センターで偶然出会ったバドミントン馴染みは昨夏の僕の退職を知って
    スポーツを楽しめるまで回復した毎日をどうやって過ごしているか不思議そう、
    だったけどどんな状況に置かれたって時間を持て余すなんてことはないだろうし
    気分はフリーターみたいになってから考えさせられたことの一つはペース配分かな。

    大学図書館の司書として打率3割を維持できていたかどうか心もとないけど
    あんなやり方で仕事をしたりそんな風にしか人と関われなかったりこんな酒の飲み方では
    きっと間違いなく心身を壊すだろうということだけは体の節々で思い知らされた
    というか現場にいるときはどうあがいても本当のペース配分が掴めなかったようだ。

    いつもやり足りないかやり過ぎてしまうかたちでしか物事と出会えなかったのも
    しかもそんな形で人を巻き添えにせざるを得なかったというのもその通りなんだが
    年を重ねれば重ねるほど必要になってくるのはそれまでに培ってきたというか
    その人その人なりに身についた自然治癒力みたいなペース配分の持続だろうね。

    目から鱗の書見台?(02.09.05)

    女の姿が開かれる魅力はうなじと腰と膕にありなんていうと
    面食いじゃないみたいだけどことパソコンには機能美を追求、
    ということでわが家にも17インチワイド液晶画面がやってきた。

    まな板のど真ん中にピッカピカの折り畳みナイフを突き刺し
    ふっくらした鏡もちの中心に杭のように立てた姿に近いかな、
    デスクトップのキーボードと同じくらいの幅の薄いモニター画面が
    気ままに指先一つで自在にその高さと角度が変えられるようになってて
    使い手が姿勢良く真正面から見られるなんてほんとうに初めてのことだ。

    遠近両用眼鏡が欠かせない僕なんかにとって好都合の体勢が決まると
    ディスプレイで丸い筐体や自在アームが丸ごと隠れてしまうから
    高次映像を味わった筑波万博の富士通全天周ドーム体験には劣るけど
    宙に浮かぶ電子書見台みたいでまるでこれが当たり前みたいな使い心地!

    注文したオンラインストアではまだ千台も売れていなかったようだけど
    左手と後ろに明るい窓のある部屋で昼夜とも画面の映り込みに煩わされず
    使い続けられるデスクトップパソコンは業界久々のクリーンヒットだよ、
    どれくらいの人々が重要性を認めるかわからないけどおそらく職場の
    とくに老眼が始まったような中高年の作業効率が間違いなく上がるデザインだね。

    文句のない画面の高さと角度を買ったまではいいが添付されていた
    車好きが喜びそうな“ジャグヮー”という名の新OSをインストールしたら
    使い慣れた作業環境がすんなり移行&構築できず四苦八苦するはめに
    売れていない機種とは言えインターネットをかけずり回ればなんとか
    お役立ちサイトがみつかってなんとかホームページの更新作業にこぎ着けた。

    あれからもう1年(02.09.02)

    お盆も過ぎ九月になればという涼しさへの期待とは裏腹に
    昨日の日曜日(9/1)は富山市が38.3℃で全国1番だったなんて
    近くに住んでて一度も出かけたことのない“おわら風の盆”も
    さぞ汗だくだったろうけど有名という病気に罹った一地方の
    町興し行事の悲哀みたいなものも10月開催に移せば薄らぐかも。

    酷暑をものともせず地元の小学校の体育館を閉めきって
    スポ少の子どもたちの夏休み最後のバドミントン大会も
    第七地区内の組織活動が下火で残った2団体による校下対抗みたい
    だけどかっては見向きもされなかった父母の参観が特筆される。

    「9.11テロ事件」以降ますます頭数が大多数を占めるというだけなのに
    それで正しいとされるような風潮が強まったような世間的病状判断からは
    健康なんてどこにもないようでかろうじて三才未満の子どもに
    それも奇跡みたいな家庭環境に恵まれた場合にしか宿っていないのでは?

    文庫本になった『ペイ・フォワード』を買いそびれているうちに
    その映画化作品をテレビで観てしまったけど主人公のトレバー少年が
    他者から受けた親切を次の三人へ渡すというアイデアは善意の押し売り
    というヒューマニズムの変形じゃなく贈与の新しい形としてなら可能かも。

    至近距離だとお前なんか生みたくなかったとか、誰も生んでくれと頼んだ
    覚えはないなどと嘯いてもおられようけど、代々重なったあげくの果てに
    我が事のためだけに関係のない他者を巻き添えにして平然と生き延び
    しかも事の理由をすべてそう仕向けたとする相手のせいにして省みない。

    このほど中川原〜天正寺間が開通した草島線に限らず市内の道路は
    どこもまだまだ安全に自転車では走れないようだけどお盆の間も
    ゴミ収集を休まなかった市の行政なんかは飲食業を営む人だけじゃなく
    家庭の味でもてなした主婦達にとってもこの夏だけで終わってほしくない
    クリーン・ヒットのお手本としていろんな現場の次打者がペイ・フォワード!

    水際立っていた輝き(02.08.29)

    夏が戻ってきたのか二夜連続で体育館通いなどやったら
    まさしく年寄りの冷や水に近い気怠さが張り付いたようで
    適度な塩っ気と水気が生き返るように美味いんだよね。

    近々見たもの聴いものがみずみずしく万華鏡みたいにワヤワヤー

    立山連峰がそびえる東の眺めと違って高屋敷界隈から見る
    普段は何の変哲もない夕方の西の空に途轍もない雲と光のファンタジー!
    先週のスポ少バドミントン(8/24)コーチの帰りがけだったんだけど
    手伝ってくれてるヨメともども眺め続けられるよう回り道しながら歩いたよ。

    あとで娘に聞いたらチチローの講演を聞きに行っていて見逃し
    僕はといえば二度とない好機にデジカメを持ち合わせていなくて、
    山歩きしていたころは鞍部を滑る滝雲など珍しくもなかったけど
    身近な平地であんな自然の光景に出くわすとは思いもよらなかった。

    暮らしの手応えがおぼつかなくなってきたのはいつごろから?
    アフガンの空爆孤児が水を売って生計をたてている様がテレビに!
    日本で水がガソリンと同じような値段で売られるようになってから
    世の中のモノの見方考え方を組み替えないことには生活実感も薄らぐ。

    この夏の贈り物が消えた空の下あたりで縄文遺跡の発掘が盛んだったのも
    どうしようもなく天皇制やいろんな伝統などもろもろの根拠が揺らいできて
    確かさが失われ現在や未来がどことなく不安でしょうがなくなってきてるから。

    どこかフェスティバル気分で(02.08.26)

    8月も終わりに近くなりテレビでフジロックフェスティバルや
    東京ジャズ2002など長時間ライブ番組などでついつい夜更かし
    録画再生してまで楽しめばなんだかこの夏の締めくくりみたいで
    若い元ちとせや円熟したオマーラのボーカルを聴けば夏バテ無用!

    さわやかな日曜(8/25)の午後にスキーをチューンナップに運んだついでに
    かってはライブ・アンダー・ザ・スカイで盛り上がったこともある
    太閤山ランドを抜け娘の車でクロスランドおやべまで一走りすれば
    ヘリコプターが飛び回っていて家族連れやカップルの人出もそこそこ。

    散居村の一角で名前負けしてるような奥行きも広がりもない
    レジャーランドの遊覧飛行に時間切れで振られてよかったくらい、
    100m昇ったタワーの眺望も戸惑うくらいにのっぺりしていて
    敗戦後の四半世紀を過ごしたあたりもなかなか掘り起こせなかったよ。

    フェスティバルに飛来した機種も異なるヘリコプターを見下ろせば
    まるで採集した昆虫を展示したような懐かしさで芝生も染まりそう、
    どこかブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのキューバ音楽みたいに
    着古したのに古びない響きで包み込むように陽が傾きはじめていた。

    で、撮り帰ったデジカメ画像で目立ったのは物珍しさに腰掛けたまま
    ヘリコプターみたいに脚を開き気味でまるであどけなさとだらしなさを
    行ったり来たりしているみたいな風情は年齢に関わりないということかな。

    変わらぬ変わり目(02.08.22)

    遮光された体育館で流した汗もシャワーですっきり
    外に出たとたんあまりの風当たりのよさに立ち止まり
    見上げる青天井をどこまでもカラッとした風が雲を運び
    足を踏みだせばクタッときそうな夏の飢餓感が切ない。

    ちょっと強めの風に庭の木瓜が2〜3輪狂い咲いて揺れ
    あたりを一巡りすればスイスイ赤とんぼも飛んでいて
    夕方ともなれば庭の至る所に細い蜘蛛が網を広げ探し物?
    全く文句のつけようのない日々の一時がやって来たね!

    夏の終わりのセンチメンタルな子供の気分が甦るようで
    あと数時間で楽しい旅行が終わってしまうような
    このままそのままでどこへも帰りたくないような
    それでいて取り立てて言うことのない一瞬の満足感。

    大人になってからも忘れてしまったようで忘れられない
    これでひと夏の出来事でも加わった日にゃ、たまんナイス
    やたら強盗殺人事件の類いだけが目立ったこの夏の裏側だから
    それこそいろんな夏がさまざまに生きられているんだよね!

    色は違っていてもそれぞれひと夏の絵日記が閉じられる感触などは
    幾つになっても変わりゆく同じものみたいな暮らしの句読点じゃないか。

    この夏の穴場は?(02.08.19)

    チョット早く目覚めた朝などついつい大リーグ中継で
    のんびりヤンキース対マリナーズ戦を楽しんでいたら
    かって広島カープのユニフォームを着たことのある
    ヤンキースのソリアーノ2塁手が見事な30号ホームランを打って
    なんと“サーティ・サーティ”の仲間入りを実現したよ!

    さすがのマリナーズのイチローも先を越されちゃったけど
    「どこまで進化するか分からない」とトーリー監督の評価も手放し
    遠くから見ている日本の野球ファンにとってソリアーノ選手の活躍は
    お盆休みの多摩川に現れたアザラシの「タマちゃん」みたいだ。

    多摩川べりで通常より高値でアイスキャンデーを売りまくった
    おじさんパワーも俊足、長打力のあるアベレージヒッター級で
    間違いなく商魂は30盗塁プラス30ホームランの総合力だね。

    時としてテレビが見せる“夏休みの自由研究”みたいな面白さの
    向こうへ出かけるとしたら“不祥事”続きのUSJが空いてていい
    だろうけど子連れで出向くには孫が幼すぎて無駄足もいいところ、
    三才前の子供の好奇心なんてホント掴み所が無くてただ眺めるだけ。

    足腰もおぼつかないよれよれのお袋も一緒に楽しめるような
    行楽は今までやったどんな幹事よりも難しくて旅行案内は見るだけ、
    頼まれるがままに買ってきた万華鏡を組立てのぞき込む三角錐や
    四角錐の穴の宙に浮かぶ多面体に吸いこまれるような浮遊感で遊ぶ。

    腰痛も忘れる平和なお盆(02.08.16)

    いい加減クーラー暮らしにも飽き飽きでもないけど
    お盆休みで閑散とした午前の県総合体育館でほのぼの
    バドミントンを楽しんでいたらチョット腰痛気味になったが
    そのまま予定通り午後はお袋を家に残して墓参りに出かけた。

    チャイルドシートとお腹にも子連れで墓参りドライバーを
    やってくれた娘の車の助手席でぼくは腰痛も紛れたけど
    往きの途中で忙しく動くワイパーが役立たないような
    県西部での局地的集中豪雨に見舞われたときは正直言って
    こりゃ小高い山の上にある墓への往復は決死の覚悟が要るかも、
    だったけど着いてみればカラカラに乾いておまけにどこかの
    誰かが落葉一つないくらいきれいに掃除してくれたみたい。

    お墓だけ残して県東部へ引っ越して30年になるのに
    わが家のことを気にかけてくれているこころに出会えて
    目を閉じ四方八方深く広く無言で手を合わせるばかり、
    一度も国政選挙に出かけた事がないようなものぐさだけど
    これまで杖をつくような足の怪我や腰痛にもめげず
    なぜか墓参りだけは欠かしてこなかったのはなぜだろう。

    10キロの幼児を抱えたわずかな昇り降りだったのに
    腰痛を持ち越した翌日に老後を楽しむ姉夫婦が訪れ
    子育て真っ最中の姪夫婦も交えたわが家での団欒に
    主役がすっかり娘や孫の世代に代わってしまっている
    戦後57回目の8月15日を元気に過ごせて言うことなし。

    彼女が辞めた風景(02.08.12)

    今年の夏は地元中学出身の甲子園球児を激励する横断幕が人通りも
    まばらな近くの道路で2枚も揺れたりしていて高校野球に興味も湧くけど、
    賭け金を張ったりしていた“職場の夏”みたいに熱くはなれないね。

    賭けゴルフは縁がなかったけど賭けマージャンは職場の外まで、
    酒も煙草(今じゃ吸い飽きた)も未成年から嗜んであたりまえ
    職場の温泉慰安旅行じゃ童貞の筆下ろしの手配も幹事の仕事だった。

    金品の付け届けだって必要に応じて世の人並みに為ざるを得ない
    必要悪からだれしも免れないからとにかく暗黙の了解を逸脱しない
    範囲内でというのが政治の舞台では有効じゃなくなったのだろうか。

    裏金の動きのないところに政治的な集団行為が成り立たないことは
    国民一般が積み重ねてきた生活習慣がはっきり語り下ろしているのに
    マスメディア業界人だけは雲か霞を食っていないと出来ないような
    “利権”にからむ賄賂や“公設秘書給与”流用疑惑報道を繰り返すばかり。

    外務大臣として“政界の内幕”の手前まで肉薄して僕なんかの蒙を啓かせ
    どこまでも“戦後的”精神年齢を疑いたくなるような泥仕合しか“演出”できない
    政財界とマスコミの癒着した構造に目を向け暗々裡に突っ張って見せてくれた。

    そこそこ冴を見せていた辻元清美議員が辞職に追い込まれたのとは
    違った道を見いだせるほど田中眞紀子議員にとっても政界は甘くなく、
    日本の政治家なら大なり小なり「お前だってそうじゃないか」程度の
    常識的な行為が議員辞職に結びついてしまう幕引き劇がなんとも興ざめ。

    しがない不良中年風情がぼやいたところでどうしようもないから
    近所の馴染みの暖簾をくぐって暑気払いを愉しめば二人のグラスが
    出色の白ワインとの出会いで満たされトリフのソースで食べる
    初物の秋刀魚の松茸添えとの相性もピッタリですっかりご機嫌に!

    幾つになっても新鮮な食の出会いが展開するみたいにこの夏は耳にする
    日本人バンド・ミュージシャンの新譜が素晴らしくて町内の納涼祭や
    富山祭りに出かけなくとも先月の「エゴ・ラッピン」に引き続き今月の
    「クレイジー・ケン・バンド」でわが家の夏もいささか乗りがいいかも。

    残暑お見舞いもうしあげます。(02.08.08)

    ぼくはちっとも知らなかったけど、国民総背番号制システムみたいな
    記事を今年の1月にパソコン雑誌で読んで、ナニ?コレ!だったが
    この8月以降は国民すべてに11ケタの個人番号が付与され通知され
    国家や自治体の役人が勝手に私たちの情報を操作しちゃうみたいで
    こんなんで大丈夫なのかどうか、この情報が流出したら大変ですよ。

    これまでも勤務先の個人データが市場に出回ったりしてとんでもなく
    薮から棒に不都合や迷惑に困り果てた事例があとをたたないように、
    このごろは件数と内容がまとまった個人情報データベースを売りますよ
    などといった電子メールが送り付けられたりするまでになってきている。

    何処から何処へ行こうとしているのか皆目見当もつかない今だから
    誰も見ていなけりゃ何をやったっていいじゃないかもあるけど
    自分だけは見ていられるんだからその場その場で事の善し悪し
    やるべき事や言うべきことを外さず逸らさない場当たりが肝心だね。

    連日35度を超える暑さになってようやく山沿いの雲間にすっきり
    夏の着物を脱ぎはじめた山肌を眺めたりしながら日中は部屋で
    しこしこ「アクセスポイント案内」のリンクチェック作業ついでに
    立ち話ページの昨年分のアクセスポイントから大方を移行したりで
    運動不足気味の体を連夜に渡って小学校の体育館に運んだりしている。

    そろそろお盆休みで今年も帰省ラッシュが繰り返されるだろうけど
    あの故郷帰巣本能とでもいうべき夏の大移動で暮らしの芯をほぐしたり
    気心の知れた暑気払いを愉しんだりとにかく夏バテしないよう乗りきりましょう。

    この夏のエロスは(02.08.05)

    「三度の飯より」とか「寝食を忘れて」なんて縁遠い今日この頃
    キャベツの名産地で4食続いたキャベツを残さず食べてしまったけど
    どんな対象であれ食わず嫌いを脱皮できるなんて滅多に無いから
    自分を含めて一所に立ち止まらない人様の物事との関わり具合の
    様変わりの様子などを見聞できたりすると無償の歓びを味わえるね。

    こう暑いと涼しい部屋にこもって音楽や映画や読書など
    手軽な2次体験による暇つぶしで時を過ごしがちになってきて
    時には様々な現場の暑苦しい人間関係を離れれば食も進むし
    長岡の大花火だってインターネット中継で音も色も愉しめたよ。

    インターネット・リソースを利用した図書館のレファレンスで
    多々ある日記や生活記録やHめいたサイトなんかゴミ扱いしていたけど
    毎日がサンデーとなった気ままな今になってみて見聞したりすると
    新聞の家庭欄じゃ拾えないような手応えにぶつかったりする。

    ヤケドしたことの無い人生はつまんないけどそれなりに固まっちまえば
    なおさらどうしようもないから変わり映えのしない風鈴の窓際や
    ひたすら蝉の声しかしない田舎の釣り場から逃げ出したくなったり
    素敵で奇麗だなと思わせられた相手もたかだか離れ業に過ぎなかったり。

    犬も食わない理念が勝った嫌らしさもなく毛ほどの娑婆っ気もない
    出会えただけで嬉しくなるようなつげ義春マンガはポルノチックだったが
    本屋から出戻ったミュージシャン早川義夫のとにかく聞かせる筆使いを見つけ
    晶文社のサイトでの連載を追っかけるうちにこのほど増量編集本で読み直し
    素直さなんかを売り物にしないエッセイから滲み出るエロスもこの夏に似合っていた。

    二人の8月に入る(02.08.02)

    ばっさり散髪といっても頭じゃなく庭木を剪定してもらったら
    狭いながらも見た目もすっきり風通しも良くなったようで
    百歳を越える松なんか若返ったようだけどほとんどの庭木が
    自分より年上だというのに茂り過ぎててチョット気になってた。

    山歩きをしていた頃は四、五日間の夏山から下山した後なんか
    体が軽く飯も美味くなったようで夏バテに縁がなかったけど
    腰痛持ちの今じゃ庭作業もおぼつかなくて腰に負担の少ない
    夜間のバドミントンや昼の自転車ぐらいが夏の汗かきだね。

    月末の「隆明網(リュウメイ・ウエブ)」更新作業の合間に
    自転車を転がせば探していたウイリー・ジョーンズ三世の
    今どき本格的にスイングしているCDが見つかって暑さも忘れ
    先月限りで定年退職したヨメとも30数年越しにどうやら完全同居。

    手紙をいっぱいやりとりしたり会う都合に手間ひまかかるし
    いっそのこと一緒になってみてもなんと共稼ぎの長かったこと
    若さをすっかり通り過ぎてやっと大好きな漱石の『門』に描かれた
    宗助と御米の時間に手が届くことはないだろうけど近づいた気分だ。

    近くのショッピングモール内の取扱店から連絡があったAVディスク
    「ランディ・ニューマン/小さな犯罪者」を引き取りに二人して出かけ
    ついでに自転車の向きを変えたお気に入り伊太飯屋さんでランチタイム、
    冷やした前菜の朝獲れキジエビに熱いカラスミのパスタにぴったりの白ワインが涼しい。

    暑く高くトンボがえり(02.07.30)

    乗り物はたばこを吸わなくなってから禁煙車両がほとんど
    といっても今回みたいに旅行日直前に切符を買ったりすると
    禁煙車両の座席が先に売れてしまってるからヘビースモーカーに
    挟まれたりして煙草トンネルを乗り継いだようなJRの道行き。

    暑い夏こそ高原の温泉でもないけどたまたま訪れた日が
    日頃クーラー要らずの避暑地がこの夏最高の暑さだった
    なんて洒落にもなんないけどお湯も湯あたりしそうに
    熱くてたまんないからどこか露天風呂ヘ逃げ出したくなってしまう。

    白根火山と浅間を結ぶハイウエーも暑さでへたっていたようだけど
    同窓会の宿だったペンションのご主人の楽しそうな仕事ぶり、
    いらっしゃいと声をかけられたファーストコンタクトでたちまち
    和んでしまったのも過疎地リゾートの元気印の味わいならでは。

    幼いころから唄や教科書で知ってた景観に出会ったみたいだが
    数珠つなぎの観光客の数より白根山頂の湯釜を浮遊するトンボ、
    火口湖の感触を伝えるみたいに帽子やサングラスにまとわりついたり
    孵化した軽飛行機のようにスナップ写真に写り込んでしまっていた。

    例年の志賀高原スキーで半年前に山頂から滑り降りたばかりの
    横手山がすぐそこに見えたのにJRで辿った夏の草津は遠く暑くて、
    21回目の図書館職員研修同期生の同窓会も上の空だったみたいだが
    バスツアーで高原のトンボのように眺めたシロウツギやヤナギランが色鮮やか。

    言葉も海図も独りの瓶の中に(02.07.25)

    毎度のことだけど梅雨の蓋が開いて日常が熱く浮いてきたようだ
    いつだって燃えるような恋の季節は暑さではなく熱さが似合うのだが
    人生の季節の時々の様変わりを生りきるような航海もあるんだね。

    サントリー・ミュージアムになにげなく飾ってあった初代マーメイド号の
    小ささが新鮮で23歳の時は「快挙」か「暴挙」かで大騒ぎになっていたけど
    63歳の「太平洋ひとりぼっち」はワールドカップ・サッカーでかき消され
    堀江さんのヨットから更新される航海記録がインターネットで細々と届き、

    6月26日 JST10時       
    北緯 42度08分          
    西経 156度21分         
    天気: くもり 西の風 風力 2   
    (サンフランシスコまでの海図が    
    二枚に成りました)          

    6月28日 JST10時       
    北緯 42度20分          
    西経 152度16分         
    天気: くもり 北西の風 風力 3  
    (村上のぶえさんの著書        
    元気の出てくる言葉たちを読んでいます)

    テレビに張り付く様なサッカー観戦の一方で追っかけた「ひとりぼっち」の海図から
    「衆院政倫審」の田中眞紀子議員を取り巻くやりとりの実況中継や報道の垂れ流しまで
    40年前に比べて海の汚れが甚だしかったと上陸後の堀江さんは記者に語ったが
    どうしようもなく虚職な奴らに汚染された暮らしの海原に大不況の風が吹き荒れ
    中高年の生活苦自殺が毎年最悪を更新しているのに戦後的ボケ症状が深まるばかり。

    1962年の高度経済成長まっただ中だった夏に94日間を費やし
    底知れぬ不況が渦巻いているこの夏に67日間を費やした
    堀江さん2度目のヨットによる太平洋単独横断は40年の歳月をも超え
    たった独りのこころの傾きでかきわけるように追いかける風が吹いている。

    食から耳に抜けた夏の定番(02.7.22)

    蝉の声がすっかり夏休みモードに入ったみたいだけど
    高屋敷の上空は梅雨明けから取り残されたような空模様、
    これで夏全開だったら土用のウナギももっといけたのに
    といっても養殖モノばかりで野生の白焼きは二度と食していないな。

    季節の食い物にもいろいろあるけどどれも食材そのもので勝負!
    という単純明快さが味わいの原点に立ち返らせてくれるようで
    鮎の塩焼き一つでも神通川か庄川か宮川か獲れた川が味の違い、
    そんなスローフードを昔は自前で今は近所のお店で味わってきた。

    田舎に住んでたころは米も野菜も地産地消そのまんまだったから
    やがて富山市郊外に移り住んだ時は「農」と「食」の距離感が
    圧倒的になってきて美味いとか不味いとかが自然な感じじゃなく
    今じゃ死語となったエンゲル係数の枠内での味覚に加工されたみたいだった。

    食料自給率40パーセントの日本でBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)に続き
    ことさら食品の偽装表示や無許可添加物に品質保持期限切れという商慣行叩きの
    矛先がこのごろ輸入健康食品による相次ぐ健康被害に向かっているのも
    「食生活の不安」そのものが健康で自然な夏から遠ざかってしまい
    いつの間にか「不安な食生活」という病みたいな“つけ”を支払わされている。

    ゆきあたりばったりいい加減なやり方で台所から賄ってくれているヨメが
    日本の夏の耳の定番は「サザン」か「チューブ」でしょうと言うもんで
    見つけてきたばかりのCD「アーネスト・ラングリン/ガッチャ!」を聴かせれば
    これぞ納涼決定盤格付けでわが家の新しい夏のBGMが誕生してしまった。

    オー!“待つ”違い(02.07.18)

    在職中の昼飯はほとんどが“愛妻弁当”だったせいでもないだろうけど
    いまだに行列をなして待って食べるということに馴染めないんだな〜
    自分には待って食べるほどのものが無いなんてしたり顔には縁が無いし
    欠食児童の成れの果てじゃないけど空腹を満たす手順としてどこかおかしい。

    最初に体験したインターネットは図書館業務のネットワークサービス導入がらみ
    勤務先でキャンパスLAN経由のいわゆる専用線接続の速さが初体験だったわけ、
    まあ自宅では以前からパソコン通信の遅さに慣らされていてニフティから
    プロバイダのダイアルアップIP接続に乗り換えたときはそれなりに満足だったね。

    ところが情報へのアクセスなんて頭の餌にもなんないけどいつの間にか
    WWWによる画像や音声表示で待たされるのが嫌になったみたいでフレッツISDNも
    1年チョットでおさらばしてこのたびブロードバンドにつなげてみたんだけど
    三輪車から自転車に乗り換えたようでとても情報の高速道路とはいえないよ。

    でも朝の7時から使えるとプロバイダが連絡してきたADSL回線接続開始日は
    早く目覚めたり時節がら雷によるルーター型ADSLモデム障害も気になったりで
    朝飯前に接続動作確認だけは済ませた午前のひとときをブロードバンドで
    ショートフィルムやアニメなどこれまで敬遠していたサイト巡りに費やした。

    確かに表示待ち時間は薄らいだようだけどサクサク快適この上なしでもなくて
    測定サイトで当方の回線使用環境を設定し測定結果を見たら1.5Mbps未満で
    フレッツADSL 8Mbpsとしては少し遅いんじゃないとプロバイダのサポートに
    メールで問い合わせたりしたけどNTT収容局から2キロ以上ではこんなもんか?

    それでもフレッツISDN接続時に58分かかっていた「アクセスポイント案内」の
    800ポイント以上はある自動リンクチェック作業が36分に短縮されたみたいだし
    夏季キャンペーンで3ヶ月分の接続料は無料サービスということでもあり常時接続で
    ふたたびヨメのPCも同時にネットサーフィンできるようになってホントよかったよ。

    インターネットはユーザーが自ら出向いて探さないと情報を得られないわけで
    求めるものを入手しようとする意志の持続を許容する範囲内では待てるけど
    学食や社食や出張先やレジャーでも三度の食事習慣みたいに慣らされている
    空腹を満たそうとする自然な意志の持続が“待たされる”でいったん遮断される
    ということで頭の情報ネタといい胃袋の餌といいそれぞれ“待つ”に違いないかな?!

    仕事に出ていようが家で昼寝していようが感じる“速さ”はきっと現在の境界にあって
    とりわけ通信なんかの速さは暮らしを取り囲む産業と消費の多様な速さそのもののようで
    われわれの気づきの速さだけが“待つ”という形の不安にさらされているといいたいな。

    転石から納涼幻覚まで(02.07.15)

    梅雨明け前に次々と都市を襲う台風がやって来て渦巻く雲間から
    むっくりのぞく高山はまるでビルの最上階で目覚めたような幻覚。

    近所では台風一過の夏空に大工さんの金槌の音が吸いこまれ
    どこか遠く空飛ぶ爆音が聞こえたりすると川釣り三昧の幼年の夏や
    思春〜青春期を彩った夏山歩きの女や畑仕事や水やりの手伝いだったり
    夏の小遣い稼ぎの古綿打ち直しアルバイトなど夏のいろんな匂いがする。

    残雪が糸屑みたいに霞む立山連峰が何処からでも望める富山市内を
    いずれの方向へか自転車で走りだせば小一時間もかからないうちに
    東は常願寺川に西は神通川を渡って呉羽丘陵にぶつかるし
    南へ市外を登れば立山山麓で北はすいすい富山湾で行き止まる。

    市役所の展望台は富山市民の生活視線が錯綜する眺めを提供するけど
    リメイクされたE.T.みたいに高度化した産業社会の獲得視線で見下ろせば
    海岸線を基底に二本の河川で仕切られ雲海に届くビルが立ち上がっていて
    高層化した各エリアをつなぐエレベーターみたいに自転車で走り回る。

    この世で胎・乳児期の母との出会いこそかけがえのない春のはじまりだが
    それぞれ思春期前期の夏の扉の開かれ具合で赤い糸の結び目に狂おしく
    縄文期から現在までの暮らしぶりを自在に昇り降りイメージする衛星の眼から
    河川敷に吊られた蚊帳のように立ち上がった高層ビルに畳み込まれる博物誌まで。

    急速な情報化による異次元の出会いが援助交際へのアクセスだったり
    もしかしてセクハラでしか異性とかかわれないようなことになったり
    正常と異常の変り身が激しくて境界値を割り出すこともままならぬくらい
    下世話事が噴出している倫理の秋が目立つ幻想の床が描く存在の間取りを夢見る。

    どのように〈若さ〉から遠ざかるか(02.07.11)

    昨日(7/10)は朝から台風6号による雨もひどいしBS放送で中継している
    メジャーリーグ・オールスター戦も面白そうで出かけたくないのを振り切り
    いつもの体育館に着いてみれば大も小もアリーナは利用者で賑わっていて
    家庭婦人に交じって汗をかいている数少ない同類や高齢者に目が留まったりする。

    若気の至りなんてのも人それぞれの自然性の発露というか流れに乗るだけ
    とにかく有り余る生命力の発現だからなりゆきまかせでいいんだろうけど
    高齢化社会では出世や贅沢といった一時の自然過程の往路が〈死〉への帰路をあぶりだすから
    どこかで普段の仕事と暮らし向きからはみ出すような動きや運動もやっておくべきかな。

    日本の現状では〈老い〉の渦中にあるお袋みたいな高齢者には十分な老齢年金が
    第2子を孕んだ娘みたいなすべての妊婦には十分な給料と育児休暇があるわけないから
    さしあたって孫の子守をしながら体育館に通う婆さんみたいに老齢化に対する
    反自然を生きるというかほっといてもはまる〈老い〉の軌道に逆らう姿勢が目立つのかな。

    週1回だった運動を夏場に入って週3、4回に増やしてみたら疲れ以上に
    自転車やスキーでの転倒に因る左膝や右肩の怪我のリハビリになったみたいで
    痛みもなくフットワークやラリーをこなせるまでに回復できたから言えるんだけど
    整体や病院に通ったりするより適度な運動の持続がいい場合もあるってことだね。

    加齢の極みは快食・快眠・快便を維持できるだけの生命力をどうやって保持するか
    なるったけ他に頼らないよう経済力を含めた〈若さ〉への反発力をバネとするだけ
    万人にとって〈老い〉は我が事だけど〈死〉だけは余所事ってのが僕の老人問題かな。

    夏が来れば(02.07.08)

    7月の初めに梅雨のタガが外れたような集中豪雨があって
    高屋敷界隈はカエルの合唱やホタルを見聞することもなく
    造成地に雨後のキノコみたいにボコボコ住宅が新築されていたり
    今日も窓の外ではクレーン車が夏空を突き上げゆったり弧を描き
    暑さにめげずひょいひょいしなやかに動くとび職の姿が眩しい。

    一汗かいた後など冷たい麺がご馳走だけど夏をめぐるたびに
    たしか角張っててソウメンと一線を画していたヒヤムギの食感は何処へ?
    今となってはソウメンとヒヤムギの違いも分からないくらい
    夏の風物も姿形を変えているようだけど夏休みのとっておきの感触、
    たとえば早朝に訪れた裏山で繁殖したカブトムシが出てくる樹は枯れそうもないし
    宿題の追い込みとともにやがてまた集団で何かをやらされるというか
    とにかく学校的なものへの嫌悪感から今だに抜けきれないでいるみたい。

    学校を抜けたときや仕事を辞めたときなど生きてきてこんな歓びがあるなんて
    思いもよらなかったというかまさにこれぞ人生の夏って感じだったね、
    だから学期も会計年度も秋に始まり夏に終わるのであればいいというか
    人生の節目節目の歓び方というか振幅も倍加するに違いないだろうな。

    いずれも夏の出来事だけど古いところでは富山の空襲(1945年)の夜景が
    そして十年一昔だけどソ連の解体(1991年)がまるで私的事件簿に書き込まれているようで
    めぐり来る夏を超えて何かを考えたりする地図の座標というか限界みたいけど
    アガリの来ない双六みたいな夏の地勢図を思いっ切りサイクリングで駆け抜けてみたい。

    通り過ぎれば無駄話(02.07.04)

    サンポ、サンポと小さな手をめいっぱい広げて駆け寄ってきたりするから
    梅雨の晴れ間にマー君と散歩をすれば茄子畑が一雨ごとに見事に花開いているけど
    親の意見といっしょで一つも無駄がないなんてありゃ嘘というか作り話
    毎朝見回って無駄な花付きを見つけしだい摘み取っているに違いない。

    女子学生をもつお母さんから娘が司書の資格を取って図書館で働きたがっている
    などと話しかけられりしたもんだから現役の頃の我が身の振り方というか
    図書館勤めも第四コーナーを曲がった向こうに定年が見え隠れしはじめて考えた
    起業プラン“シルバー・コンサルティング”のことを思いだしてしまった。

    専門性の薄い司書といえども現場で満期卒業すれば物事の分類・索引のやり方や
    ちょっとした調べものの仕方や参考文献の作成など身体を使わずとも手と頭で
    お役に立てることもあるだろうからその人それぞれの現場を勤めあげた定年退職者が
    退職金の一部と知恵を持ち寄り立ち上げた会社を舞台にそれぞれが培ってきたアイデアを売る。

    なんてのが骨子だったけど身体の不都合やら何やらで起案者がリタイアの憂き目に
    今年の春先に久しぶりにお昼をご一緒した現場で頑張っている熟練図書館員から
    辞めるの早すぎたんじゃないなどと言われたけど当時の状態で居座り続けたら
    間違いなく今の自分ではない病者か廃者の姿を曝しいろんな迷惑をばらまくことに・・・。

    散歩から帰って汗びっしょりの2歳児とシャワーや風呂を使えば“じいちゃんも
    イッショイッショ”などとほざいてコチトラの珍ポコを握々してくすぐったいのも
    今のうちだけ気がつけば女を孕ましたり様々な男を演じて親元を離れていく
    まだ見ぬ花の咲き具合を邪魔するようなことだけは茄子(無し)にしておきたい。

    4月16日付け「産経新聞」に船橋市西図書館で問題となった蔵書廃棄リストが載り
    ずさんというかお粗末さを臭わせる司書の廃棄作業例として報道されていたようだけど
    先行き不透明な現在を照り返すみたいに設置母体が違っていても金脈と人脈が薄く
    行政的手腕も持ちあわせず何より人材が乏しい図書館界で働こうとする若い人もいるんだね。

    おしまいの夜はマティニで(02.07.01)

    今朝(7/1)の新聞スポーツ欄はブラジル相手に決勝戦で負けゴールポストに
    背と頭をあずけた姿勢のドイツのGKオリバー・カーンの写真が印象深く
    大運動会の後みたいにW杯サッカーとともに6月には忘れがたいことが、

    そんな歳でもないのに時には心身の制御がおかしくなるというか
    午前は何ともなかったのに出かけるのは止したほうがいいかなみたいな
    体調になったところへ知人が車で迎えにきてくれるはヨメからは
    残業になったから夕食は抜きで開演前に待ちあわせたいなどと言ってきたり
    そんなこんなで富山県民会館での綾戸智絵ライブ(6/28)に出かけてしまった。

    うっかり足元がふらついたりひっくりかえらないよう気をしっかり
    会場を埋め尽くした拍手とともに綾戸智絵がぼくの誕生日(6/28)を祝って
    唄ってくれるなんてサイコー!とばかりに勝手な思い込みに耽っていたら
    綾戸節ともいうべき話芸で綴る「人間の証明」から「スローダンサー」まで
    ピアノソロそしてデュオやトリオで唄う2時間がまたとない治癒になったみたい。

    ネットの噂では綾戸ファンには医療関係者が多いらしいということだけど
    横浜国際総合競技場を圧倒したブラジルとドイツのサポーターの数の違いみたいに
    県民会館の綾戸ライブ会場が年齢幅も広く女でいっぱいで男は数えるくらいで
    こんなところにも口コミで広がった綾戸ミュージックの隠された魅力が窺えそうだ。

    おかげさまで不調も治まり車で送るという知人の好意を辞し
    仕事を辞めてからもそこだけは足を運んでいたお店のドアを押したら
    なんと今夜で閉店ということであゝいい時に立ち寄れたとヨメと首肯くしかなく
    客足が引きも切らず長居は無用とマティニ一杯ずつでおいとましてきた。

    図書館員稼業の後ろ1/3をオリジナルを含めいろんなカクテルで
    憩うことができたのも喜寿近くまで客のもてなしに心こめた女店主のおかげ
    などと言いながらその名前も知らず店主の入院以来独り店を切り回してきた
    これまた心優しい店主の姪ごさんに教えてもらい二人の胸にしっかり刻んで帰ってきた。


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