十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)

最終更新日:2002/07/01

6月の終わりに(02.06.28)

6月も終わりということでW杯サッカー月間もクライマックスだけど
リアルタイムでテレビ観戦してきた出場各国代表イレブンの歴戦の跡が
なんだか2ラウンド制のボクシングのように回想されたりするのも
今週初めにテレビで凄いWBC世界フェザー級タイトルマッチを観たからかな。

ラスベガス、MGMグランドガーデンの現地時間で6月22日に行われた
エリック・モラレス対マルコ・アントニオ・バレラの試合を観た後は
どうやって気持ちを静めればいいのかなかなか寝つかれなかったが
めったにないけど素晴らしいコンサートの後にもそんなことがあったようだ。

オーディオ装置から音が出なくなったりモニターテレビが映らなかったり
これまでちょっとした不具合でいや〜な思いをしてきたが数日前にはじめて
インターネットが使えなくなってなんともパソコンがつまらなくなり
NTTやプロバイダーに電話しまくって障害を切り分け試してもTAが復旧しない。

仕事じゃあるまいしネットワークなんか使えなくたってどうってことない
なんてヨメには口で言いながら手の方はモデム接続の応急処置を施したけど
これじゃLANにつないだヨメのマシンがただの箱に成り下がったようで
やっぱりこの際思いきってブロードバンド環境でつなぎ直す潮時としよう。

洗濯物が気持ち良く乾いてゆくような梅雨の晴れ間の今日は待ちに待った
富山で3度目になる綾戸智絵ライブがぼくの誕生日の最高のプレゼントになりそう、
私事がこぼれそうなところで読んだ車谷長吉「贋世捨人」(『新潮』7月号)の「私」が
「女の存在理由は、一つしかない。男に押し倒されて、股を開くことである。
ほかに何があろう。男に酒の酌をしてやれば、男が喜ぶぐらいのことだろう。」
と書ききっていたのが男の季節の半夏生を締めくくったように響いたところで今年も後半へ。

ちょっとした手習いのきっかけ(02.06.25)

なんだか梅雨寒な一日はジャズギターを聴きながらデジカメ写真を整理して取捨した
常願寺川遊歩道で撮った画像を「十字路からの眺め」に組み込めるよう
編集作業をしててもなんか大事なことを忘れたようでしようがなかったけど
ここんとこ日曜(6/23)はバドミントン大会への参加があったり
夜は二本立てで映画を観たりして電子楽器(ギター)を触り忘れていた。

ギターといえば1960年代も半ば辞めようか続けようか迷っていた
二つ目の職場の大学の図書館や学部の同年輩に誘われうしろで刻んだ
リズムも定まらずほどなくバンドが解散となりやがてメンバーも
学外へ転職したり交通事故や病気で亡くなったりで独り取り残され
手元に残ったリズムギターは弾くことも棄てることもなかったのだ。

この期に及んで気まぐれみたいに電子楽器(ギター)を注文したら
なんか妙に手に染まってきて忘れていたコードやリズムがもどかしく難しく、
そのうちラケットを振り回したり自転車を漕いだりできなくなっても
両手の指だけは動くようにしておいて愉しめるようになっていたいね。

結婚する前だったけどはじめてのボーナスをはたいてヒッコリーだったか
合板のスキーを買って3シーズンほど通いつめたけど駄目なものは駄目、
上達の楽しさが分からず運よく現れた買い手に処分するしかなかったのに
四十過ぎから妻子の伴走みたいに滑り直してみたら止まらなくなってしまった。

バドミントンにしたって痔疾や腰痛のリハビリに迫られたりしなかったら
とても三十代半ばからシャトルコックを追いかけたりすることもなかったはずだが、
ちょっとした行き違いや躓きがあってその後に予想もできず思いもしない
展開を生きることになる十代から二十代のこととなるとふり返りたくもない。

所帯事以外はなんだか歳不相応な手習い事始めの最たるものはパソコンかな
今だから中年コンピュータ音痴に業務のシステム化を押し付けた図書課長にお礼が言えたり、
家財は少なくゴミはためず甚だしいしがらみも薄く今日がサイコーで十分だから
数回の引っ越しを経て取っときだったヒビの入ったギターもようやく棄てられそう。

Hard Work Pays off.(02.06.20)

今週の富山地方は梅雨時とは思えない日和の毎日で
用事ついでの市内サイクリングで季節の食を味わいたくて
訪れた清水町の蕎麦処の久しぶりの食感に上等の天麩羅と冷酒の
嬉しいコンビネーションがこの夏の喉ごしの第一弾かな!?

でも火曜日(6/18)はお袋が不調だったし午後から夜にかけ
日韓イレブンが揃って初のワールドカップ決勝トーナメントの
一回戦をそれぞれトルコとイタリア相手に戦う姿も観なきゃということで
おとなしく家でPC作業や読書や楽器をいじりながらキックオフ待ち。

快適な高屋敷の空模様とは違って宮城スタジアムは雨降る重苦しさで
立ち上がりに一瞬の集中力を欠いた日本のディフェンスが1点を奪われ
はやばやと守りに入ったトルコと同点を争うこともなく敗れ去っても
ピッチに倒れ込んで動けないような日本選手の姿ひとつない虚ろさだけが残った。

もはや見慣れた日本のここ一番という試合で勝つ力を持ち合わせない
k−1をはじめとした日本の格闘家が外国の格闘家を相手に戦って
いかような試合展開を見せようとも結局は圧倒されてしまうのと同じだ。

どんな種目だってリーグ戦を抜け決勝トーナメントを勝ち抜く形式だと
あたかもリーグ戦でいろんな集中力を培うような一戦一戦を積み重ね
誰にも優る戦う意識の深さと広がりを闘志として持続できないことには
とてもとても決勝トーナメントを制するような戦いを挑み続けられない。

ちょっとした都合で後半からしかテレビ観戦できなかったけど
1点先にとったイタリア代表相手にねばる韓国代表はほんとうにすさまじくて、
今大会でも注目すべき戦う魂を見せてくれたアイルランドの上をいったようで
手に汗を握ったアイルランド対スペイン(6/16)のPK戦の轍を踏むことなく
守りに入った相手を攻めまくってゴールデンゴールをモノにしてしまった。

「チャンスをつくったし攻撃はよかった。でも負けたのは
何かが足りないということでしょう。いい経験をした」と
冷静に振り返った中田(英)選手が指摘した「 何か」こそ
韓国の戦うイレブンが身をもって示しその後押しをしたサポーターが
内に秘めていたからイタリアに追いつき延長勝ちできたに違いない。

青も赤もボールは丸い(02.06.17)

金曜日(6/14)の雨上がりに「アクセスポイント案内」更新作業の手を休め
水槽の魚がいつも見事な近所の病院にお袋の薬をもらいに出向いた待合室でも
サッカーのワールドカップ日本対チュニジア戦の開始時間が話題になってて、

予想に反したというか思わぬ日本代表の快進撃が青々とした元気を振りかざし
いろんなところに伝わって日本をウエーブした熱気が長居陸上競技場に届いたのか
「ニッポンサイコー!」の試合結果となって実を結び津々浦々にこだましたようだ。

その5時間後には仁川文鶴競技場のスタンドが赤々と燃え上がるように揺れ
日韓共催国の代表が肩を並べて2002ワールドカップサッカー決勝トーナメント進出!
なんてこれから先はおまけというか精いっぱい愉快な一生のお祭りみたいになってきたよ。

ちょうど半月前だったかヨメと待ち合わせた近所のすし屋で若旦那に予想を聞かれ
とにかく勝ち点を残す試合展開でひとつでも勝てたらと答えた大ハズレが心地よくて、
それにしても若さというか一戦ごとに力をつけてく日本代表の成長ぶりが頼もしく
いよいよ本戦で青くそして赤く染まったボールがどう転がるか目が離せませんね。

5月末から午後の3時半、6時半そして8時半のキックオフをBSデジタル番組で
追っかけたりしてるうちに2週間が過ぎたけど日頃覗いているアメリカ発信の
インターネット・リソースのメーリングリストではワールドカップサッカーの
かけらも話題になってないけどアメリカ代表も手堅く勝ち上がってきている。

特にサッカーなどは国際的な地勢図のギャップを際立たせるようで面白いけど
ことさら新聞やテレビで物語性を報じられることの薄い日本代表選手達は
たまたまサッカーに秀でたスポーツの優等生みたいに戦う楽しさを強調していて
まるで彼らの試合は走っているときがすべての自転車のように爽快だ。

梅雨入り時の散歩のリズムは(02.06.13)

後ろ隣のアジサイが今年も見事ネというヨメの感嘆に
紫陽花は雨降りだともっと艶やかなのにと応えたりしてたら、
高屋敷もいっきに梅雨入り(6/11)してしまい夜になっても蒸し暑く
傘をひろげ出かけた体育館で練習を楽しむ前に集中力も途切れがちだった。

職場で当番のない昼休みに体育館に通いラケットを振ってたら
年甲斐もなく馬鹿のひとつ覚えだねとよくからかわれたりしたけど、
中高年になってはじめて知る身体の目覚めなんて言い草はそこそこ
生きてそこまで実際にやった人にしか分からない類いのひとつだろう。

出されるゴミの中味とならんで家付きの庭の感じも住人を表していて
それも歩きなが覗いた速さと自転車でサッと通り過ぎたのとでは、
撫で方も触れ具合も違うようだけど暮らしぶりが庭いじりにも滲んで
家庭菜園なども含めれば犬猫に負けない植物との交情が伺われる。

見るからに門扉や塀や車庫などやたら立派なのに庭の草木が
妙に窮屈そうに根づいているようで花付きもしっくりしないのは
どうしてなんてそれこそ家の営みで描いたショートフィルムみたいで
そこに住む人と付き合いたくはないがおのずから漂う佇まいが気になる。

なかなか点が入らず退屈きわまりないサッカーや「ジャズを踏み外したような
悪声」の綾戸“おばはん”のボーカルのどこがいいという声がするのもごもっとも、
それぞれ自分の背中に見合うものしか背負えないから本など読まず知識などなくたって
いっこうに生きていくのに差し支えないからほとんどどうだっていいこと
それよりなにより見たり聞いたりしてもしなくてもなんにも“ない”という
“こと”そのもののありかたにただただ驚いてばかりもいられない。

流れの中で出会う偶然に取り憑く術を持ち合わせないかぎり
漂う器はいつまでたっても空っぽのままで沈むこともないけど
取り逃がしたり取り込み過ぎたりしたらしたで世渡りが難しく迷いに迷った
雨の散歩から帰って『なるほどの対話』ぐらいじゃ濡れたこころも乾きにくく、

先週の木曜だったか「はなまるカフェ」でヒグチカナコという女が
住まいの近くでも出かける距離と場所によってそれぞれお化粧が
していく本人にしか分からないように違うんですと語ってたけど
なんだか庭の草花が着物を着て出かけるコトバを聞いたみたいだった。

寄せたり引いたり歓びの湧きどころ(02.06.10)

真夏日が続いたりして暑さを口にするようになってきて
常願寺川水系の井戸水を凍らせたジントニックで彩る
ローカルな季節がハイレベルなサッカーと共に一ヶ月も
続いたらその後はいったいどうなっちゃうんだろう?

日韓開催国の両イレブンがご贔屓なのはあたりまえだろうけど
富山市内でキャンプを張っているクロアチアの勝敗なども気になったりして
土曜の晩の家族団らんから横流れで対イタリア戦(6/8)逆転勝利にわきあがったり
わが家で片言しゃべり始めたマー君や騒がないお袋の無関心と好対照をなしている。

はやばやとサウジアラビアの敗退が決まったアジア代表のもうひとつ
中国チームの対ブラジル戦(6/8)も地上波局放映カメラの寄せ過ぎの画面と
衛星放送放映カメラの引き気味の画面とでは同じ負けゲームでも違って見え
これじゃ大衆も懐具合を工面しハイビジョンテレビを買いに走ったりする訳だネ。

職域や地域や新聞紙上でも物事や人との自在な距離をまともに保てない
残念でどうしようもない人たちがずいぶん目立っている昨今だからこそ
ジタバタしながら押したり引いたり疎にして密なる柔らかな眼でキャッチできる
様々な人たちのふくよかな獲得視線の存在を感じさせる画像を眺めたくなるのだ。

日曜(6/9)昼に観たWBC・IBF世界ヘビー級タイトルマッチで
王者“レノックス・ルイス”にあっさり倒されたマイク・タイソンに
おすそ分けしたいくらい夜の対ロシア戦に勝った日本代表は気合が入り
もらった熱気を冷まそうと全仏オープンテニス男子単決勝を観ながら
手に入れたばかりの電子ギターをいじったりなんかしてしまった。

全仏女子単決勝を争ったヴィーナス姉妹は負けた姉が持ち込んだ
カメラで勝った妹の写真を撮りまくって笑いこけた場面で
「テニスは楽しみに過ぎない。家族は、スポーツを超えて一生続く」
というウイリアムス親父さんの考えがしっかり映しだされたようだけど
いささかそれも保ち難いご時世だからこそ目立たず地道に営み育まれた
家族に恵まれるほど愉しく嬉しい場所の深さと広がりは他じゃ得られない。

ズッコケ笑いっぱなしの“ゲーム”展開(02.06.06)

いくらテレビ観戦だといっても午後から夜にかけて
サッカーの三本立てなんかやったりした翌日(6/3)は外出、
といいいながらまたサッカー三昧をやってしまった。

といっても売れ残った入場券を入手してスタジアムへ
じゃなくサイクリングの出がけに映画館で金を払い
ネットの前評判に誘われた一本「少林サッカー」にぶっ飛んだ。

非武装中立国のコスタリカ戦は完敗だけどこれからのサッカーは中国の完勝もんだね!
この映画を観たサッカー少年&少女たちがゴールキーパー志願に
全員転向してもしょうがないくらい文句なしのハチャメチャ振り
それでいてサッカーはフォワードとキーパーでやるもんだという
誰にも分かるツボを押さえてどこどこまでもどこまでも走って飛んで。

前半から後半へ何もかも壊しに壊してサッカーボールだけが壊れない!
あっという間に見終わって明るくなっても壊れに壊れまくった
笑いでウェイブする観客が皆無だったというのがここんとこ
まとめて読んでハマッている“しりあがり寿”漫画風にいえば
子どもを作らないセックスみたいな鍛え方をした筋肉が
生死をかけた武道で鍛え上げた筋肉に勝てるわけがないのだ。

MLBでも引退した大リーガーの内部告発によれば筋肉増強剤など
ドーピングが野放しみたいけどいろんなスポーツの先端における病の日常化が
すべてを笑い飛ばすパワー全開のサッカー映画をもたらしたともいえるだろう。

たまたま一緒に見終わった子連れの母が大切な記念みたいに
パンフレットとサッカーグッズを買い与えている姿に
「少林サッカー」が日韓共催サッカー・ワールドカップに負けない
サポーターを得たとオレはいっておきたいんだけどどうだろう、
サッカーの本場である南米やヨーロッパでの興業成績が見物だね。

「少林イレブンに負けない戦術はあるだろうか」などなど
どうしようもなく迷走した自転車で自宅近くのお店に辿り着き
咽喉を潤したりしながら夫婦共々思い出し笑いが止まらなかったよ。

日本プロ野球も試合を休んだ火曜日(6/4)に娘夫婦もハイビジョン画面で
W杯開催国イレブンの戦い振りを一緒に見とどけようとわが家を訪ねたのに
ちょっとした都合で日本対ベルギー戦の前半と韓国対ポーランド戦の後半しか
観なかったけどどことなく不安定な日本の守備陣形そして2点目を入れた後も
しっかり押している韓国の攻撃陣形がもたらすハラハラ感こそサッカー初戦の味!

凄かったのはドイツ対アイルランド戦(6/5)というかアイルランドの執念の同点ゴール!
ゴールキーパーが体に当てたんだけど跳ね返ってポストの内側に当たって入ったみたい、
それも3分のロスタイムも2分過ぎてからの同点なんだからワールドカップは怖いなぁ〜。

日々をつないでパス回し(02.06.02)

いや〜始まりましたね第17回サッカー・ワールドカップ!
期待のジャパン・イレブンに選ばれた富山出身Jリーガーも活躍し
とにかく勝ち点を残せる1次リーグの戦いぶりを楽しみたいよ。

夜遅くまでローランギャロス(仏)の全仏テニス放映につきあい
ボルチモア(米)の大リーグ野球の試合運びを睨み朝食の腹ごなし、
夕食後にはソウル(韓国)でのW杯サッカーの開幕試合と続き
静かな梅雨入り前の高屋敷のひなびたリスニングルームで受信する
海外からのテレビ中継でわが家の暇つぶしもどうやら国際的だね。

月曜の休刊日も休まないでW杯サッカーの新聞報道が続き
パチンコ屋がW杯期間中は新台入れ替えをやらないそうで
日本の天候の具合もなんだか例年以上にフィーバーしていて
さぞお隣で共催している韓国も盛り上がっていることだろう。

息抜きに画面をテレビからパソコンに部屋替えしたりして
「隆明網(リュウメイ・ウェブ)」の吉本氏著作リスト更新作業や
アレコレ疲れた眼を休める緑の散歩に出れば目に付いた本日の収穫に
持ち帰った白ワインは冷やし綾戸“唄うおばはん”智絵『マイ・ライフ』と
中沢“考える人”新一『緑の資本論』の新刊2冊をテレビ観戦のお供に、

イッキ読みした綾戸本の言葉が終わっている日付、2001年9月11日から
始まっている中沢本を読みつなげる言葉の出会いの偶然はどうか?

唄えないし考えない観客席で寝転がっているような自分には
唄うアメリカに憧れ胸や咽喉の病や結婚の破綻を生きてなお
あの「阪神大震災」をくぐり抜けて唄う子連れ“おばはん”や
忘れもしない「9.11崩壊する高層タワービルの映像」を見届けて
言葉を紡いで考える宗教&哲学者から届く唄声や文体が柔らかく、

この世に生まれて死んでいくこと以外はすべて不確かで
すれ違うばかりだからこそ元気で持って生まれた得意技を
実力で出し続ければいつかどこかで受けてもらえたり
時と処を間違えたような幻のゴールに狂うしかなかったり
ここしばらく素晴らしい“瞬間”を見届けるテレビ画面に釘付けになりそう。

人生の目鼻立ち(02.05.30)

窓を開ければ風がすべすべして気持ちのいい今日この頃
高さが1mしか違わない毛勝(2,414m)と釜谷(2,415m)の
峰に挟まれた山肌で日に日に薄らぐ残雪の模様を
ズームを利かせたデジカメで再現して眺めたら
まるでコマ撮りしたロールシャッハ・テストもどきで面白い。

昨夏の退職した夕方に訪ねてくれたのにすれ違いで
会えなかったKさんからの花束&ワインをはじめ
グラスが乾き花は枯れても様々な想いで写したデジカメ画像が
過ぎ越した日々を彩るデジタル・アルバムで甦る。

集っているのか小学校のは知らないが中学校のは一度だけ
高校のにも出てないし今はない夜間短大の同窓の催しにも
顔を出したことがない「同窓会出不精」の見本みたいけど
職種の縁による国公私立大図書館職員の筑波長期研修後の
年一回の同窓会だけは何故かほとんど欠かしたことがない。

まるで市民参加型の出来レースマラソン大会みたいに
生涯の稼ぎが計算できてしまうような勤めを黙々と終え
やがて足腰立てずくたばる満期退職者像をなめたらあかん、
そんな生活はバカバカしいだなんてそれこそ真っ赤な嘘だった。

もしそんなふうに暮らせたらそれこそ価値ある一生!
39キロ地点で脱落せざるを得なかった自分もそうだけど
だれしも学校を出て就職して働きそのうち結婚して
簡単に定年退職できるほど世の中は甘くないというか
そんなふうにおあつらえ向きに生きられないからこそ
大なり小なりそんな価値ある生き方からの逸脱を避けられない。

大学図書館の現役と満期卒業者が入り交じった二十回目の集い
昨夏の立山での長研同窓会のスナップからピックアップし
忘れたころに書き込まれる同窓会のメーリングリストの要望で
当サイトの「十字路からの眺め」に掲げた裏地の感想として。

W杯前にサッカー疲れ(02.05.27)

先週は雨が降らず庭木の病虫害駆除に好都合だったけど
泰山木や椿の落葉をきれいにしたら雑草が目立ってきて、
高屋敷界隈から眺める山脈の細い残雪に緑が映えていいね
だなんて言ってないで庭の草でもむしったらという声がする。

W杯開幕を飾るテストあるいは親善試合がめじろ押しの日曜(5/26)
クロアチア代表のレギュラー(前半)と控え(後半)が富山選抜
「富山ドリームス」相手にそれぞれ2点を挙げたけど本番に向け
どんな戦術を隠し持っているのかテレビ中継からは分からなかったが、

先発出場(後半27分交代)した娘の仲良しミセスの旦那(DF)や
10番に招待されフル出場のラモス選手(MF)の動きに気を取られたせいか
実際に競技場で楽しんできた娘以上に妙な疲れが残ったようだけど、
来県する前に富山選抜みんなの顔と名前を覚えてきたラモス選手が温かく
選抜チームのそれぞれに声をかけていた裏話を聞いてチョットほぐれた。

寝る前に見たテレビ番組「情熱大陸」(5/26)で唄っていた
元ちとせの姿に芸能プロや音楽産業界の仕組みからは出てこない
凛とした声の育ちと奄美大島の島唄育ち独特の響きが溢れていて、
真似事じゃない鍛え方で技術と力を磨き上げつつあるスポーツ選手を
久しぶりに見かけたようでとてもすっきりと眠りに軟着陸できたようだ。

MLB中継でもぼちぼち新人が活躍しはじめているけど今夜から放映される
全仏テニスだって若手プロの頑張りがない限り盛り上がらないよね、
なんだかんだ云ったってW杯サッカーに一喜一憂できる一ヶ月が目前に!

久しぶりの運動感が愉しい(02.05.23)

あらら2階の窓から眺めていた大きな樹が切り倒され
真向かいに昨秋から造成された1区画の基礎工事が始まり
いつ見ても飽きない野鳥がすっかり影を潜めてしまった。

週の初め仕事社会が動き始めた時刻に電話のベル
懲りない金儲け勧誘電話の類いじゃなくて
来月のバドミントン大会へのお誘いで良かったが
この頃はスポ少の子供たちやママさん相手だけ
とても試合どころじゃないが怪我しないよう練習あるのみ。

やおら半年ぶりにお隣の校下の練習日(5/21)に出かけ
相変わらず三十代から五十代のメンバーに混じれば
ひねもすパソコン疲れからの脱力感がたまらない。

見上げたり見下ろしたり感覚も忙しい若さからも遠のき
まあまあ額面通りの動きにおさまる冷ややかさが手放せず
運動の後も強烈な酒やこってりした料理はもうゴメンかな、
シャワーを浴びヴァン・モリソンやビョークのような
どこか小泉八雲に通じる芯を感じさせる唄ものを肴に
グラスを揺らしていたらWOWOW JAZZ LIVEが始まった。

20才ぐらい若手のジャズマンと見事なアコースティック
トリオ演奏をやってのけるチック・コリアのピアノは
スポーツに見られるような年の差なんかまったく感じさせず、
イタリアそしてフランスから頭角を現したピアノ・トリオ
アントニオ・ファラオやジャンーミッシェル・ピルク等の
若手の演奏にいささか飽きていた耳に安心して響く心地よさ。

マイナーながらも百年を超えるジャズの盛衰を聴き漁って
何故か流行り廃りの波を越えてきた三人で奏でるスタイル、
三者三様の音による絡み具合いには動きの魅力が輝き
70の年輪を経たモーズ・アリソンの弾き語りで元気はつらつ。

女と男のまたとない時(02.05.20)

どうやら戻った体調と自転車日和に誘われ
あちこち走ったり幾つか店をひやかしついでに、
五月の風に開け放しの郊外書店に入って直ぐ
平台の一冊に泣く女のカバー写真が見え
手にした写真集の置き場所に困ってしまった。

三角関係の「うそ」と「ほんとう」の深みを
浮いたり沈んだりするしかない女として
わたしの影を写し取ったモノクロ写真も
わたしのこころを書き綴った文章も
神に近づいたり獣になったりできる男と女、

もてたことなくふられてばかりは男の領分、
もててもててふってばかりは女の領分、
生涯の最高の契機がものを考える機会を与え
ますます人を好きになったり憎んだり
恋をしたり性を営んだあげく家を維持したり、

中原中也と小林秀雄の間で男を選びきれない女優
長谷川泰子が潔癖症を演ずるしかなかったように、
婚約者や三十年連れ添った妻をそれぞれ
棄てざるを得なかった二人の男の間でゆらゆら
ひたすら泣くしかなかった写真家の「わたし」は
『たまもの』を産む三年を過ごす以外になかった。

三者による文殊の知恵はどこまでも「あなた」と
「わたし」の閉ざされた世界と相いれないように
性からこぼれおちる私を受け入れる千石“おっちゃん”剛賢、
一冊の写真集に凝縮し拡散した三角関係映画のワンカット(170頁)
みたいな「イエスの方舟」の一枚が指し示した着地点へ、

その時第一等に感じたもの以外は投げ捨ててしまえる
どこまでも無執着でしごく普通なこころの憧れが聞こえ、
読み見終わってからもあちこち部屋から部屋へ持ち歩いたら
めずらしくうちのヨメまでがイッキ読みする手応えだった。

飛び入りゴメン!(02.05.16)

狭い庭先の光と影に具合よく庭石菖も映えて
毎朝でかけて帰るまでの間に見せていた可憐な姿に
晩春から初夏へのその日暮らしで改めて気づいたが
いったいいつごろからこんなに増えたのだろう?

引っ越して数年は草花はなくツツジその他の
庭木を夜中によく失敬され新たに植えたら
それも盗られたりしたので塀で囲んだり、
夜に鍵もかけない田舎風暮らしとおさらばした。

前庭もなくカーブした県道に面していた埴生の
田舎屋敷でおっかなかったのは盗っ人より車、
3才から28才までの25年間でお向さん(納屋)にも
両隣にも車が飛び入りしてもわが家の裏庭を潰し
家屋を後退させる金策が立たず道路に面して
寝起きする生活からどうやら抜け出せたのだが。

修羅の家庭なんてことがまだよく解らなかったころ
村外れで瓦工場を営む家のおかみさんが転がり込み
泣きの涙で寝起きさせていたけこともあったりしたけど
貧乏暮らしの祖父やお袋にどうしてあんな余裕が?

弱気で腰が引け剥き出しのエゴにしがみつくしかない
昨今の暮らしからはもうあんな真似はとてもできず、
駆け込み寺に飛び入る窮鳥を見殺して平然としている。

高屋敷に移り住んで以来あたりはいつも静かだけど
迷惑訪問以外に悪徳商法電話に勧誘メールも加わる賑やかさ、
住む先々で習い覚えた平均律のようにこころは濁ってやまない。

ヒモの響きが好き(02.05.13)

床屋に行かなくなってかれこれ30年近いかな
(だからといって長髪でも禿げでもないよ、念のため)
今でも昔みたいにラジオの音が流れているのだろうか?

老若男女を問わず理容師との近すぎる距離を
我慢しながらあちこち店を変えていた先々で
チョキチョキ耳元のハサミの音をかき消すような
程よい音量でラジオのスピーカーが鳴っていた。

ひとり稼ぎに出ているヨメに整髪もおまかせで
ヒモ?みたいにひっそり静かな暮らしだからか
職場では気にもならなかったパソコンの唸りだが、
わが家では冷却ファン無しパソコンを使っていたら
ハードディスクの回転音が邪魔になってしょうがない。

ハサミならぬパソコンを使いながら響かせているのはジャズ
CDやLP手当たり次第のようでヒモ付き楽器の出番が多く
(ぼくにとってピアノは弦じゃなく、打楽器だけど)
とりわけ人生半ばでギターをはじめヒモの響きにハマッた。

ハイドンがいまいちつまらないのは彼がビオラの使い方が下手だから
というのが山下ピアノ弾きと茂木オーボエ吹きとの対談にあったけど、

発売されるCDどれもがビックリ綾戸”おばはん”を聴けば
またも一皮むけた『My Life』とりわけ7曲目の「慕情」なんか
ルンバで誘っておいてもうビオラをこんな風に響かせるなんて
はじめてのとんでもないかくし味にキーボードを打つ手もミスタッチ。

〈老い〉つ追われつ(02.05.09)

週一午前の運動後のいくつかの昼食処の中でも
お気に入りの店に入ったら柱に活けたおだまきが
清楚に美しくひとしきりご婦人方の話題になったが
ぼくを含めて十数人の誰もその名の由来を知らず。

30〜50代の家庭の主婦十数人とのひととき
三題話の一つ目はわが子そして姑に続いてなぜか
旦那の話は無しでテレビをめぐっていろいろ、
おそらく三つ目には夫婦のやりとりがあるはず
だが表立った会話にならず仄めかすぐらいか。

なんと通学・通勤を足して40年以上も持ち歩いた
定期乗車券を1度も亡くしたことが無かったように
不思議と家では仕事の話をしてこなかったから
仕事を辞めても夫婦の会話に違和感が無く
アレコレ何だかんだと日々移行して途切れない。

連休中に何冊か手にした本の中に対談本が2冊、
一方は「向老期」を迎えた二人が身体で語りあい
他方は「向老期」を前にした二人が言葉で語りあう
ともに〈老い〉つ追われ(何から?)つ抗老期?

子どもとして生まれて「ある」はお母さんと一緒に
思春期を抜け何かを「する」大人になる誰かと一緒に
やがて迎えた老いの「ある」日は介護と一緒に
まだまだ語られていないことがいっぱいあるようで、
ここでもやっぱり父は所在なさそうに居場所を探している。

散歩さまざま(02.05.06)

暖かかった4月に立山連峰の雪解けがひときわ進んだようで
残雪が描く見事な切り紙細工のパノラマ模様が水田に浮かび、
この連休に2才になるマー君にせがまれ晴れ間に繰り返した
ゆきあたりばったりの散歩の眺めも捨てたもんじゃない。

130cm30kgというのが中学2年在籍時の我がサイズで
剣道を始めたりしたが虚弱児&栄養不良育ちを脱却できず、
やがて授かった娘も小さめで食が細いのは生命力が弱かったのか?

サービス残業がまだ慢性化してなかった1970年代後半
毎夕6時前に帰り晴れていれば娘と散歩に出かけ、
近所で十字路に出くわすたびジャンケンで行先を選んでいたら
だんだん家から遠くなるばかりで帰りがずいぶん遅れたり
かえって疲れすぎた娘の夕食が進まなかったりした。

なにがスロー・ライフへようこそなのかよく分からないけど
テレビの特集番組(NHK総合5/1)で紹介された内外の様々な散歩模様に比べ
近くで見かけるのはほとんど犬の散歩かリハビリのウオーキング、
万歩計で測るような散歩日和をやり過ごすいま・ここの乗り心地。

微熱少女だった頃の娘を総合病院で診てもらった時のこと、
やおら取り出した本の標準値に及ばない体型をあげつらい
特殊学級を云々し始めた医師に抗弁を重ね連れ帰った娘も
人並みに成長し今じゃ二児の母にならんとしている。

誰よりもわが子の育ちぶりを見つめてきた親の判断を無視する
とんだ「標準」もあったもんだけどこれも偽らざる現実、
人それぞれの散歩道に出会うであろう「標識」に書き込まれる
その時々の正常と異常の境界のなんとあいまいなことか。

情けは人のためならず(02.05.02)

ブレーキ修繕ついでに調整してもらったサイクリング車が見事に
乗り心地が良くなったからあなたのも連休前に見てもらっておいたら、
チューンナップ済みの2台並んで連休三日目(4/29)の午後に街を走れば
なるほど人気の少ないいたち川沿いを下りレコードショップまでの
走りが20年近く乗り回したチャリンコにしてはとても爽やか。

店内で2年ぶり筋金入りマイルスファンに出会い話も弾み
聞けば買いそこなった一枚がどうしても手に入らなさそう、
ぼくがクルト・ワイルのLPを探しているのを知ってか知らずか
これどう!?とヨメがひょいと差し出したCDを手に取ったら
なんとオランダのクルト・ワイル作品集の新譜に出会えた。

雨になった翌日(4/30)は吉本氏の「毎日新聞」東京版連載記事の
郵便が届くのを待って「隆明網」の更新作業を終えたらもう夕方、
晴れている甲子園の試合開始まで昨日話題になったマイルス盤が
おおまかに並べた納戸の四千枚の中にきっとあったはずと探し始めれば
あれあれ自分が探していたLPに巡り合うなんてどういうこと!?

『Mack The Knife and other Berlin Theater Songs of Kurt Weill』を
まだ聴いていないとこの頁(4/15付)で話したりしたけど
『マック・ザ・ナイフ/セクステット・オブ・オーケストラUSA』名義で
1973年に買って聴いた国内盤の原題を失念していたというわけだが、
肝心の『マイルス・イン・ベルリン』が見つからずどうしたことか。

使い込んだサイクリング車を持ち込んだ近所の自転車屋で
こんなにいい状態で乗りこなした逸品は数十万円で売れるぜ!
だなんてしっかり調整してくれたおやじさんもよくいうよ、
その昔ミヤタの「カリフォルニアロード」とは名ばかりで
ランドナータイプしか車種を選べなかったけどよくぞ買わせ
ここまで丈夫で飽きない乗り心地を保証してくれたもんだ。

サーチエンジンで調べたら数少ない「仲間」も現役で
どこか他所で走っていそうだったけど発売当時は
「雨が降ったら雲の切れ間まで走ればいいさ」というのが
カタログキャッチコピーだったなんて今じゃチンプンカンプン、
どこかで見た言葉は忘れてもいつか聴いた音だけはよく覚えているようだ。

出かけない連休の始まりに(02.04.29)

これまで連休に遠出したことなど一度もなかったのに
珍しく三世代そろって出かける準備などしていたら
よんどころない事情が持ち上がってすべてキャンセル。

寒からず暑からず年に一度の家族的な行楽日和、
というよりどうしても稲作農作業日和気分がいまだに
抜けきらないのも足を洗った三反百姓の名残だろうか。

先の見えない景気後退に歩を合わせるように
わが家の周りから遠ざかっていく田んぼの彼方、
年月の向こうで消えかかっている古びた田植えの感触が
甦るように聴くものの身体を揺さぶる綾戸智絵の
5月発売新譜が届けばまるで岡本かの子の視覚で
触れていくような動きの文体みたいな唄声が響いてくる。

新緑を輝かせながら枯れ葉を振るい落としている椎木のように
自己記録を更新してロンドンの街をひたすら駆け抜けた
屈託のない土佐礼子(三井住友海上)の走りを見ていたら
午後から自転車で市内を抜け富山湾まで走りたくなった。

去年の連休は近所の家電量販店でPCを漁ってみたり
Linux開発者リーナス・トーバルズの翻訳書
『それが僕には楽しかったから』を読んだりしながら
5万円を切るPCにLinuxを組み込んだりしてみたが
Lanカードが認識できずじまいで終わったのだった。

飛び込み際の運(02.04.25)

連休前の穏やかな日和には山菜取りもお似合いだろうけど
田舎住まいの頃に八百屋に売って小遣い稼ぎまでやったせいか、
誘われたって行きたくないから家にいてMLBの球運を映したり
窓から風を入れあれこれ片づけものそのほか”〜ながら”作業。

独特な弧を描いて富山県営球場のバックスクリーンに
飛び込んだ王選手の本塁打(対広島戦大石?投手)に
劣らず美しいイチロー選手の3塁打のつるべ打ち、
そして見事なバックホームの球筋に感心したりしながら
乱雑にたまったCDやビデオなどを片づけていたら
ガタンと音がして何やら黒いものが飛び込む窓際。

初夏に向かう図書館の窓際にも予期せぬ飛び込みが!?
小さいハクセキレイから大きいキジやヤマドリなどが命がけ、
閉まった窓に体当たりの後始末もボールなんかだったら
弁償にまで事が及んでも窓際の利用者が無事で運がよかった。

携わった窓口業務で驚いた飛び込みのひとつは強運の学生さん!
土曜の深夜にバイクで図書館前の階段を駆け上がった勢いで
玄関左横の畳より大きな強化1枚ガラスを突き抜け、
ぶつかったロッカーをクッション代わりに壊しながら
滑った床を傷つけカウンター近くの柱への激突は免れ
Tシャツ1枚にヘルメットなしでかすり傷で済んだなんて。

夜が明け雨も上がってとりあえず自転車で駆けつけ
日曜開館に支障がないか確認作業や掃除を済ませたら、
おそらく十数万円の弁償で済むなんて飛び込んだ学生さんの
一生分の運がこれで飛び散ったんじゃないかと気づかわれた。

床に落ちた飾り物がカラカラ転がったわが家の
窓の外へと運を見極める間もなく黒い影が消え
庭の緑の陰を走り抜けたのはどうやら猫のようだった。

通り抜ける風に(02.04.22)

好ゲームが続いたMLBマリナーズ×レンジャース第3戦中継を見届けついでに
土曜の夜に愉しんだ綾戸智絵ライブ(WOWOW4/20放映)のビデオを見直し
2階に上がったら毛勝や釜谷の山の骨格がやけにくっきり残雪を際立たせ、

開け放った窓から風とともに鳥の声や家を建てている音が通り抜けたり
静かに乾いてく午前のひとときはコーヒーの香りにピアノやギターの
トリオ演奏を絡ませては積ん読の山に分け入ったりするわが家のたたずまい。

若書きの設計図を11枚もしたためそれぞれ棟梁が見積もってくれた
いきさつから妥協の一軒家の住み心地は決して悪くはなかったけど
できれば家を建てる前の春夏秋冬をその場で過ごしてみること、
そうすればきっと生老病死をめぐる暮らしの入れ物として
わが家のあり方にもっと近づけた建て方ができたのではなかったか。

唯一の取りえは木造にしておいたから増改築の折々に
住んでみて気づいたことを多少なりとも手直しできたぐらいだろうか、
昨年あたりから近所の宅地造成が賑やかになってきているが
総2階でファッション性豊かな建て売りと注文住宅の外観に負けない
家の向きや間取りから取り残された大事なものがあるんじゃないか。

子育てと一緒で大切なことほどやり直しが効かないから
仕事にかまけ見逃したり聴きのがしたりしてきた表現作品などを
探し求めたりどうでもいいような後ろ向きの愉しみ方もいいけど、
そろそろくたびれたサイクリング車をチューンナップするように
どこかで〈現実〉と握手するような無駄な積み重ねもしていたい。

喉ごしも切り替わりそう(02.04.18)

こんなに暑さ寒さのチャンネルを争う四月ともなれば
熱燗からビールの切り替えに戸惑う晩酌かな、
な〜んてことはすっかり忘却の花びらみたいだけど
夕食後の一杯はスコッチかジントニックかで迷ったり、

飲み友達みたいなヨメが見つけてきた半球状のグラスから
氷で引き締めたスペイサイド産の香りが立ち上れば
初夏に向け祖父さんに連れられ辿った山の下草刈り、
遠い遠い森林浴みたいな情景が薫ってきたりするのだ。

明治11年生まれの祖父さんの場合は百歳の一週間手前で
畳の上の大往生だったけど毎日日本酒一本やりの量が減って
やがてコップ半分になりそして一升瓶がそのまま手付かずに。

あんな真似はとてもできそうにないけど遅ればせながら
ある日赤ワインとの相性の良さに体が目覚めたみたいで、
一杯だけじゃほんとうに美味いかどうか分からないくらい
老いらくの恋に狂う境地にはほど遠い体力不足気味だが、

なにごとも支払っただけしか味わえないとは言え
人も世も底に溜まった澱もとても飲み尽くせないから
せめてボトルぐらいは空にしてこそ見つかった味わいの日々、

ひょっとしたら究極の酒の呑み心地みたいな手前で
とりあえずふらふらしながらも一緒に未知なるボトルを
傾けあったりしてくれる家族と今月の記念日に乾杯を!

時には当たり外れもいいネ(02.04.15)

遠くの山並みの麓の雪化粧が消えていくのにあわせて
日一日と庭の新芽もそよ風に揺らめいているようだ。

一週間ほど前に某サイトを覗いて知ったY氏の新聞連載開始情報!
電話をかけソッコーで購読紙を掲載紙に切り替えた夕方に届いた
紙面のどこにもお目当ての署名記事は載っておらず読めないというお粗末。

全国紙といえども紙面構成が全国均一ではないなんて
合点承知の介での”はやとちり”の赴くまま毎朝開く紙面から
どこか違う記事の趣が漂いこれまでの購読紙と読み比べてみたり、
かって祖父さんが愛読していた頃とは違っていてあたりまえ
とにかく紙面のほとんどが記者の署名入り記事で埋まっている。

「私、負けへん:容疑の5少年告訴」(4/12付)における
先輩から呼び出され性暴力を受けた中1女子を扱った記事など
署名記事ならではの踏み込みを見せその翌日にもフォロー記事が、
女子スピードスケート三宮選手の引退についてはどうだろう
二人の記者が違った目線から写真入りの囲み記事を捧げていて
読んだご当人もファンもきっと納得の新聞報道となったことだろう。

「あなたの天井は、わたしの床」なんて歌もあったけど
「真実」も「事実」も人の数だけあったほうがいいではないか、
「白」か「黒」ばっかりで中間のグラデーションがまったく
掬えないというか抜け落ちてしまったような昨今の
飽き飽きするほかない三面記事報道には食傷気味だったから。

大正生まれのお袋の「老い」と一緒に暮らしたりしていると
クルト・ワイルの楽曲なんかがしっくり響いてくるようで、
新旧特集アルバムを聴き比べたりまだ手にしたことのない
『Mack The Knife and other Berlin Theater Songs of Kurt Weill』
を思い浮かべたりしているところへ新たな命の知らせが届いたばかり。

「阪神」半疑(02.04.11)

近くを走る草島線にはもうハナミズキが艶やかに咲き揃ってるが
「パンドラの匣」ならぬ新年度のフタが開いた途端、
メガバンクみずほ銀行のシステム障害なんかが長引き
ちょっとした社会の不整脈みたいな金融不安報道だ。

UFJの場合はシステムが三和も東海も同じメーカーで
サービスも東海が三和にあわせ早めに復旧できたのに、
第一勧業(F社)富士(I社)興銀(H社)という
三行ばらばらメーカーのシステム統合だったからか?

各社とびきり優秀な開発スタッフやSEで固めた
病院や銀行のシステムサポートがうらやましいくらい
大学図書館の業務システムの不具合やトラブルに泣かされたけど、
まるで決済システムが使い物にならず他行への乗り換えも
ままならないなんてクリビッテンギョウなんというお粗末!

設計の行き届いた移行プログラムと完ぺきなデータ移行を済ませ
しっかりと行き届いたテスト稼働で動作確認さえしておけば
なにも国会くんだりまででかけピンボケ答弁を曝してまで、
こうまであちこち次から次へとひきもきらず後を絶たない
かっての「識者」たちの情けない実態を知らずにすんだのに。

誰だったか「春に三日の日和なし」なんていうけど
春雨に煙る日は買ったばかりの児童誘拐モノミステリーも手放せず
MLBマリナーズ×エンジェルス初戦(4/9BS1)を観戦すれば、
古巣相手に入れ込むあまりのボークなどものともしない長谷川投手が
「先発」の粘りを受け継ぐ頭脳投球で「押さえ」にきっちりつないだり
開幕躍進中の阪神タイガースに劣らぬ気迫の野球も面白くなってきた。

「反省しないことと、あした何があるかを考えない・・・」(02.04.08)

↑これは「笑っていいとも!」5000回記念のタモリの発言、
この後に「・・・刹那主義が大切。スタッフが苦労して、
タレントが楽する番組が一番いい番組です」と続けたのが
なんとも笑える"先週のお言葉"として忘れられないのだが。

放映日はいつだったかテレフォンショッキング出演中の
大竹まことがおそらく『幸福論』の吉本隆明をネタに振ってみせたが、
まるで聞こえなかったようにやり過ごしたタモリの芸というか
長寿番組を持ちこたえる「知」に対する放棄の姿勢があった。

乱れ咲きの春に浮かれ踊れぬ見猿言わ猿聞か猿もどき
何かを棒にふってまで手にした"学歴"なるもの
その有効期限も社会の入り口でもはや怪しくなるばかり、
後生大事に振りかざせど労働現場じゃモノの役に立たず
処世の柔軟さを邪魔立てするだけでいかにも窮屈そう、
知識や学歴は放棄してこそ意義有りで抱え込むものじゃない。

公立学校完全週5日制なるものが目指す「ゆとり教育」も
悪くないけどいっそのこと週の半分を休みにしたら、
とにかく怠けたい奴にしろ何事かやりたい奴にしろ
どっちつかずにしろ誰もが徹底した「ゆとり」に向き合えようか。

学業より重要な労働日だって土曜が隔週休みになり
やがて完全週休2日制になったときはどうだったか?
「ゆとり」どころかかえって制約が増えて縛られただけ、
いろんな垣根を取り払ってこそやりたいことが見えたり
勉強や仕事以外の事なども余裕のよっちゃんでやれる。

図書館なんぞが加担してまで生涯学習なんぞ
人生を墓場まで学校化するだけの馬鹿げたこと、
いい年して近所づきあいや家族や老人とも
まともに付き合えないおかしなつまらない輩が
「時間」を持て余すばかりじゃ貴重なセンスも途絶えるよ。

何がどうして狂い咲き?(02.04.05)

体育館で子供たちやご婦人相手に汗を流したりしていると
もう春を通り過ぎてしまったみたいだけど一歩外に出れば
例年は3〜5月と咲き進む花々が一時に揃うご乱調ぶり。

昨春に小泉・眞紀子の両輪を咲かせた高支持率スタート政権も
半年後の同時多発テロ事件で日本国籍の犠牲者に対する責任を
真っ先に言明&追及できず米国のお追従に終始するばかり、
それでも「聖域なき改革」の矛先には期待が持てた。

はじめて官僚社会の象徴に戦いを挑んだ紅一点は

この世で一等頭がいいと信じ込んでいる役人ほど始末が悪く
一般大衆を馬鹿にするだけで実情を理解しようとせず
事あるごと醜く硬直した自己保身しか辿れないご乱行を
しっかり見抜いた覚悟で国民にさらけ出そうとして、

「この現実社会で、味方は自分と家族、
あとはみんな敵ばかり。」と言ってのけた。

いつもどこかで何かがおかしくどこまで正常かを見極め
ちゃんとした調律師の資質を花咲かせることなく
党内抵抗勢力と官僚首脳の外部圧力のハサミで
斬って捨てた後の祭りに森羅万象のテンポも狂ったか。

不良債権処理オンリーで新しい不況対策などどこ吹く風の
のほほん顔からどんな切実さを読み取ればいいのやら、
リストラで解雇されもう1年になるあの非常勤の華はどこで
どのように滅びゆく日本の春を迎えているだろうか。

桜前線通過中(02.04.02)

抜けんばかりにピーカンの4月1日は自転車で市内の花巡り、
平日の昼前なのに磯部堤から松川沿いに城址公園あたりまで
細く曲がる遊歩道は花見客で賑わい自転車も転がせない。

人事異動の春ともなれば富山へ初赴任の課長あたりを
晴れた日に案内したこともある市役所の70m展望台に登れば
競うように咲き揃った市内の名所を立山連峰が見下ろし、
ヨメの自転車のブレーキがおかしくなった布瀬町あたりから
辿ってきた呼吸をゆるやかに漂わせる花道が俯瞰できる。

めっきり足腰衰えたお袋を娘の車で花見に連れ出したのが
花曇りの3月30日だったけど富山で月を跨いで花見なんて
これからどんな前線が今年の日本を通過していくのか、
休憩がてらに郊外書店でその幾編かを見かけた中原中也賞
受賞詩集『びるま』(日和聡子)の視線の動かし方
言葉の選び方に不意をつかれるような心地よい面白さ。

人影もまばらないたち川沿いを走れば渇きに空腹も覚え
昼下がりのデリカテッセン経由で仕上げは自宅の茶の間、
ビールを浴び目っけ物イタリア赤ワインに漂う間も無く
新湊ナインは選抜2回戦の9回表で尽誠ナインのしぶとさに散った。

花見の伴奏みたいに不見転でロシアのギタリストのCDを買ったが
ソ連が散りゆく前に吹き込まれた快演にこれやり過ぎじゃないの
なんて相方から声が飛んできたりまるで夜桜見物気分になった。

ホコリっぽい春先の誇り(02.03.29)

夕食後の劇場中継(三谷幸喜作・演出)で笑ってから
真夜中までサッカー中継(日本×ポーランド)を追いかけ
朝から選抜高校野球(新湊×愛工大名電)で目を覚まされ、
なんて事をやったもんだからどうやらテレビ疲れ気味だが
何となく春の立ち上がりに先取点をもらったような気分だ。

過日春のモデルが出揃ったパソコンショップで
まるで卓上ランプみたいに自在に画面の角度や
高さが変えられる半球形のパソコンを試せたが、
なんとその翌日に2万円も値上げになってしまい
更新を見送らざるを得ず、してやられた感だけが残った。

家の前に雉のつがいが例年の雄姿を見せてくれているが
今朝は雄が2羽になり睨みあったりしているところへ
どこからか猫がやって来て狙いを定め襲いかかったが
事も無げに追い払った2羽の毅然とした動きが素晴らしい。

金をめぐるトラブル報道のあだ花が散り急ぐように
叩かれてはホコリまみれの単独者であれ組織ぐるみであれ、
事に当たっての当事者の誇りの行方が気になるが
いったい彼らは大衆の視線以外の何を恐れているのか?

猫と車(02.03.26)

どこから家に入ったか先日から小さなネズミが横行しはじめ
3匹ばかり退治したところで田舎時代の拾い猫"チビ”を想い
柿の木に登って抱いている写真を探せど探せど見つからない。

忘れもしない家の前でチビが車に轢き逃げされた時なんか
猫嫌いだった祖父さんも涙ながらにお経をあげたくらい、
まさに働きはじめた頃の"失恋”以上の"別れ”となったようだ。

比べるのもなんだけど週末ごとに娘と一緒にやってくる
2才間近なマー君に負けないくらい家族と馴染む猫なんて、
この世に2匹と居るはずもなくとうとう猫を飼えなくなった。

アルバム交じりの本の山積み中ほどに娘の置き土産の一冊
沢野ひとし+カレンダー『21世紀まで』の数字の羅列を見ていて、
富大前横断歩道半ばで過去が一瞬に弾けるように右折乗用車に
はね飛ばされ"チビ”の後を追いそうになった一瞬の出来事が
1969年6月28日(土曜)の誕生日だったことが判明したが
家中が嘆き悲しんだ"チビ”の命日はどの頁からも推量できない。

幸い1ヶ月余りの打撲ですんで後遺症も免れたようだけど
"チビ”の交通事故死だけは今にしていえば「PTSD」ばりの
自動車免許証取得「障害」として残ったのかもしれない。

10年ほど前に飼い猫が轢かれて死んだ場所に近づくと
息苦しくなったり倒れていた所を歩くこともできなくなる
ある漫画家のエッセイを読むまでは気づかなかったのだが、
これまで「たまたま車に縁がなかっただけ」で通してきた
免許を取らない理由があることをひた隠しにしてきたみたいだ。

先ごろの北日本新聞社ホール『蝶の舌』上映を見逃してしまい
発売されたばかりのDVDを買ってきて観たばかりだけど
少年の「心的外傷後ストレス障害」になりそうな老先生との交流が
スペイン内乱前夜の揺れ動く村人と自然を背景に息づまる呼吸を響かせていた。

最近、何が良かった?(02.03.22)

なんだか昨年の暮れから追っかけ気分の映画だったけど
黄砂まみれの車も走り回る馬鹿陽気の3月に出かければ
さびれつつある目抜き通りから入ってびっくりするくらい、
上映館内の改装ぶりに負けない出来栄えの2時間が面白く
まるで歌や踊りのないミュージカル仕立てに極まった。

ドギツク赤裸々で残酷きわまりないあるがままの大衆像や
いくぶんかは理想的にしか描けないそれぞれの大衆像から
しっかり距離を置いて綴られる下町界隈を彩る人物模様が
主人公"アメリ”の日々の振る舞いによって織りあげられたり
あっけなく崩れたりいま・ここのいのちに触れるほど
精彩を放つエピソードが語られるわけじゃないのに
見終わったところから地続きに過ぎた挿話もこぼれそう。

小学生のころ初めて観た映画「オズの魔法使い」から
読み出したら止まらなかった少女コミックも途切れがち、
太宰治の『女生徒』から生身の女までの距離にドキドキしたり
貧乏物語に飽きるくらいファンタジー&ホラーに狂ってみたり、

中学生で最初のボーイフレンドを家に連れてきて以来
娘は必ずといっていいほど彼氏を家族にひきあわせ
何人かはバドミントンやスキーまで一緒に楽しんだけど
不意に男と一緒になりたい告白パンチをもろに食らい
本命だけは分からなかったという迂闊さ加減にあきれたが、

この頃はわけもわからんドイツ語やポーランド語で歌ったりする
欧州あたりのジャズCDも手に入ってとてもしっくり聞こえ
しょうがないくらいあちこち目立つ癒し系なんてくそ食らえだ。

近くそして遠い春(02.03.18)

今年の春一番(3/15)は夜に入って物凄い雷雨のおまけ付き、
データを加えるべき「日本国内の大学図書館関係個人文庫」の
更新作業をしながら立山山麓ゲレンデの溶け具合が気になったり、
北から下ってほぼ関西圏まで私大図書館文庫データを追加できました。

そういえば土曜(3/16)の雷鳥バレーは関西ナンバーの駐車が目立ち
雨で叩かれたにしては昼前までの上部ゲレンデは快適でしたが、
電車+バス+1日券=5,500円ポッキリで今年も楽しませてもらえた
富山地鉄のスキークーポンの存続を願って我ら夫婦の“シーズン”終了、

“打ち上げ”気分で立ち寄った地元の寿司屋付き合いは
スキー歴より長いけど暮らしのちょっとした物事との出会いから、
かけがえのない歓びに恵まれたりする裏にはとんでもない持続の
目立たないエネルギーなんかが隠されているようです。

雑誌を買いに出かけた近くの本屋でふと手にした写真集、
チェルノブイリ近くの小さな村の人たちが汲み上げる
小さな泉がなぜか放射能にも汚染されず“百年の泉”と名付けられ
そこに生まれ住み続ける無言の意志がじわ〜っと溢れてきて
立ち見からしばししゃがみ込んで見惚れてしまった。

好いもの見つけた気分で帰れば庭先には緑が萌え花開き
さっき見たばかりの遠い頁の向こうにはどんな春が訪れているか、
遙か彼方で今日も自然と人とが交わる持続の姿へ誘い出す
写真家の力量が観る者の眼を新しい季節へと旅立たせてくれる。

道草もいいかな(02.03.14)

さあ滑ろうとしたら履き慣れたスキー靴がひび割れ、
洗濯に取りかかろうとひねったカランがポロッともげ、
洗面台の水漏れ手当中に給水管がクシャッと折れてしまい、
背戸の雪囲いを外すのを待って穴のあいた雨樋を修理、
あれこれ“経年疲労”が目立ってきた家まわりにも蕗の薹。

メインゲレンデを外れ迂回路の木陰のアイスバーンから
日差しが照り返すシャーベット斜面へ抜け出てみたり、
普段は通らない道を探る自転車散策の土地鑑が狂ったり、
ゲーム前の基本練習をたっぷり相方ともども汗を倍増させたり、
窓越しに眺めるのと出かけていくのとではずいぶん
やり方や通り抜け方が違ってきてしまうのも春先だから。

保育所のお昼寝のように気持ちいい昼下がり
桜の頃に死にたいと詠った西行の夢見から、
またも愛聴盤をターンテーブルに載せるように
古びて黄色くなった漱石の『門』を開く。

とうとう底をついてしまった“春闘”の向こう側へ、
あまりに見直さなきゃならん事柄がありふれすぎて
ごまかしや内部告発による波紋も届かない底の澱み。

君と一緒にイルカの呼吸で潜って行けば
此処は何処ぞの処女雪滑走の季節の変わり目、
流れに花が似合うように人には道草が欠かせない。

春めいて休止符(02.03.11)

この週末は春山みたいだったゲレンデスキーに
スポ少バドミントンの子どもたちとのお別れ会、
引き続き父母の方々との懇親会と出てばかり。

月曜は反動みたいに引きこもってテレビっ子
ムネオ議員証人喚問中継画面に聞き入ったら、
足したり引いたりの咬み合わないやりとりで
食えない味付けの午前の2時間が煮え切らない。

“春風”のような午後に自転車をこぎ出し
目映いばかりの山の眺めが開けた道をゆったり、
トイレ休憩で本屋に寄ったついでに立ち読み
シャトルコックを打ち返すように出会う言葉はありやなしや

心地よい疲れのあとは何と言っても音楽に酒、
聴きたいCDが見つかった勢いで覗いた酒屋に
なんと初恋のスペイサイド産“ヴァルベニ”が!
手頃な赤ワインも見つかり財布もペダルも軽い軽い。

☆本日の収穫☆
全国不登校新聞社編『この人が語る「不登校」』(講談社)
山岸俊男『心でっかちな日本人』(日本経済新聞社)
杉田宏樹『ヨーロッパのJAZZレーベル』(河出書房新社)
清水玲子『秘密トップ・シークレット1』(白泉社)
リチャード・ボナ/シーンズ・フロム・マイ・ライフ(SMEレコード)
菊地雅章トリオ/ON THE MOVE(ユニバーサルミュージック)
キース・ジャレット・トリオ/インサイド・アウト(ユニバーサルミュージック)
仲宗根かほる/パパはマンボがお好き(エムアンドアイカンパニー)

情報源も模様替え(02.03.08)

さまざまな別れと始まりが動き出す季節がめぐってきたけど
木の芽時を迎えて体調の崩れにやられたりしないよう、
自分の身体の癖を振り返りながら2歳を迎えるマー君用に
組み立てた三輪車の彩りも春を呼んでるようです。

負け癖の染み込んだチームカラーがまるでリセットされたような
試合運びだった対巨人オープン戦(BS日テレ3/7)のタイガースの勝ちっぷり!
どうダメ虎の皮を脱がせたか開幕戦の星野監督采配も楽しみになってきた。

「笑っていいとも!」(BBT3/7)で見かけたゲストが良かったので
インターネットで調べたら「彼女」が書き込んでる日記が読めたり、
ちょっと関心の赴くところまずインターネットを使ってしまう。

なかなかライブに巡り会えないボブ・デイランや綾戸智絵だけど
ネットでいつどこで何をどんな順に歌っているかを追っかけられるし、
ネットのライブ情報では確かめられなかったが雑誌情報にあった
富山県民会館(6/28)の綾戸節満載のステージが待ち遠しい。

これはいかんな〜と思ったりはしないけど一昔前だったら
関心を持ったジャンルから手頃な雑誌を見つけ1年だけ買うとか
その道の先達が身近にいたら見よう見まねでその技を盗んだり
なんてやり方があたりまえだったけどどうも違ってしまったみたい。

図書1冊あたりの書架保存コストがインターネットで調べられず
参考までに試算するしかなかったことがあったんですけど
1本40円以上とバカ高い盗難防止用タトルテープ費用込みで
固定書架で千円を超え集密書架だと五百円前後というデータを
誰かがインターネットに書き込まない限り情報をシェアできない。

現役司書業務も様変わりした頃の日曜試作品の名残もあったり
“またのお越しを”なんて言えた柄じゃないホームページだけど、
「情報探索デスク」のメンテナンスを半年ぶりにやってみたら
リンク切れやリンク先が移動したアドレスが結構あって
その手直しや新規リソースを追加をした使い心地を試している。

パソコンもインターネットも無かった半世紀前には小矢部市の
埴生で“お宝埋蔵”の噂話を小さな胸に秘め裏山を遊び回ったが、
今日になって小判や金貨がザクザク出てきたニュースを知って
浦沢直樹の冒険マンガ『20世紀少年』を読むような面白気分だ。

そろそろ退屈してません?(02.03.04)

そろそろ庭木の雪吊りや背戸の雪囲なんかもはずしたいくらい
あたたかい土曜(3/2)の昼前に近所のお店で待ち合わせ、
扉が開き「お待たせしました」とあかるい笑顔で迎えられたのは
昨秋の開店からランチが数回にディナーはまだ一回きりだけど
ご近所での繁盛を眺めていたいお気に入りの伊太飯やさん。

昨夏に退職した際に印鑑を預けた後任係長からメールをもらい
真っ先に浮かんだお店でワインを添えランチをご一緒する
こぢんまりとした相席に落ち着けばその後の職場話の枝葉が伸び、
“そろそろ退屈していらっしゃいませんか”と刈り込まれたときは
前菜を口に運ぶ手がとまってしまうくらい戸惑ってしまった。

帰り際にいただいた鉢花とお菓子をテーブルに書斎でくつろいで
その場で巧く返せなかったもどかしさをふりかえってみようか。

確かに腱鞘炎や膝など身体の故障や体調も不良な毎日には退屈したが
やがて通院から解放され毎日の8時間が思いのままになってからは
いろいろ助けられ我が手で“引退”という名の老後の線が引けて、
これまで知らなかった原点に目覚めるような感触から起き出す毎日に
初めて知った暮らしが単純になり定住の重たさの影や形も薄らぐ歓び。

印鑑と一緒にお別れ昼食会後のスナップ写真もいただいたけど
三枚ともやつれ生気が失せた退職日の自分の姿にあきれ果て、
退職前後の心身の不調や落ち込みからの心身の回復ぶりも
とにかく仕事を辞めてこその今日この頃でとても嬉しい。

家と職場を行ったり来たりする定住にあぐらをかいて
いろんなフットワークも衰えてきた自らの暮らしぶりに
ケリをつけさせてくれた契機の不思議にハッとさせられ、
自在な生活行動の見通しが曇りがちだった瞼も洗われるようで
すっきりした毎日に退屈どころかちょっとしたいい気分だ。

昨年の9月はボブ・ディラン4年ぶりの新譜“Love And Theft”が聴けて
身体も若返るようだったけど冬の散策で見つけたそのライブ盤みたいな
“Bob Dylan Spokane 2001”2枚組CDを聴けば春に向け血も騒ぎだす。

小6の頃から稼ぎ始めた毎日で社会的な約束事を熟知しつつ
そんな枠組みのらち外にいる方が楽だと気づかされた資質に
たどりついた自覚的な生活感を繋ぐべき<老い>も近いけど、
いつも身近に胃袋やこころをぐっと掴んでくれるものが欠かせず
たまたま黒田硫黄のマンガ『茄子』を読んでフムフム感じたり
掴みだせる目標なんてまったくないけどいつも何かしていたいのさ。

「売上高85%減」消費者パワー(02.02.28)

とうとうソルトレークの日本選手団からは
手を叩くような輝きもなんにも伝わってこなかったし、
日曜日(2/24)のオープン戦で巨人が近鉄相手に
とんでもなく打ちまくっていたけどなんかパッとしない。

オリンピックのVTR放映か国会中継かどっちにしようか見迷って
むなしいあくびを噛み殺し迎えた週末に雪印食品“解散”のニュース。

うち続く企業の“倒産”だったら再建の見込みもなきにしもあらずだが
これまで馴染みの薄かった企業の“解散”にはちょっと立ち止まった。

牛肉偽装事件が売り上げの落ち込みを招くことは承知のうえの一ヶ月で
雪印食品立て直しどころか事業継続そのものが粉々になってしまった。

一社に的を絞って束になった消費者がひとたび不買に走れば、
上場企業だろうがアッという間に潰され4月末に巷の藻屑と消える。

政財界は「異例の事態に発展」しただけと見なしているようだが
ここまで消費者大衆がもてるパワーに目覚めていなかっただけ。

食うため以上に働いてる消費者大衆が財布の紐を
かたくかたく数ヶ月に渡ってしめてしまえば、
企業の一つ二つどころか政財界の存続自体が危うい。

戦後の経済社会が登りつめた高度消費資本主義社会の前面に押し出され
経済システムを動かす舞台装置の命脈を左右する究極の消費の選択性を
しっかり握らされた大衆の姿がひときわ鮮やかだった2月の終わり。

昨日発売のパット・メセニーの新作『スピーキング・オブ・ナウ』の響きと
あいかわらず見事なコマ割りと吹き出しのリズムが素晴らしい漫画、
高野文子の新刊『黄色い本:ジャック・チボーという名の友人』のページに
ゆったり入り込めば気分はもう春のようで部屋も衣替えしたような感触が嬉しい。

『ドキュメント吉本隆明』第1巻の宅配便を待って見下ろす
雨上がりの庭先に雉や尾長がたむろしていて賑やかなひととき、
2月分の「隆明網(リュウメイ・ウェブ)」更新作業の手もとまってしまう。

今どきのDIY(02.02.25)

近頃そんなに嫌なら見たり気にかけたりしなきゃいいのに
つまんで丸めてゴミのようにポイしたくなることありませんか。

わざわざ人気の少ないスキー場へ遊びに通ったりしていても
ちっちゃな子ども相手に怒鳴り散らしているまだ若い親たちに
耳をふさぐどころか見聞きしたくない姿を見せつけられるし、

家にいても耳目に入ってくるS木M男衆院議員の今どきの姿や態度はまさに
「Donaru(怒鳴る)」「Ibaru(威張る)」「Yobitsukeru(呼びつける)」の合わせ技、
通った職場をはじめ娑婆のあらゆる場面で身に覚えのある裏DIY指標のようでウンザリ。

確か校内暴力や家庭内暴力が急増してきた1980年に転勤になって
真新しい医薬大図書館のスタッフルームのテーブルに置かれていた
いかにも手製の三角筒に書かれたD(o) I(t ) Y(ourself)を見ても
なんのことやらでちっとも新しい職場の心意気に気づかない僕を
新緑のキャンパスへ案内がてら昼休みの散歩に連れ出し
あれは日曜大工の標語のもじりですよとさりげなく教えてくれた
英語も堪能でサービスの機転が利いた女性スタッフはその後どうしているだろうか。

まだ開館して日も浅く「利用者を手ぶらで帰すな」がその時の
窓口サービスの合言葉でそのためのDIYだったんだけど
気がついたのはサービス現場での失敗をいくつか重ねてから、
10年あまり頑張ったインサービストレーニングも立ち消えになる前に
いつの間にかテーブルの上からDIYが消えてなくなっていた。

何処に係替えになろうとも利用対応レベルを高めるDIYにはほど遠く
そんな職場内外をめぐって人に対するDIYだけは勢いがあったが
その場の風向きに合わせ木偶の坊のようにわが身をゆだねてよしとするだけ、
ほとんどがいっさい何も考えないから何もしないまま居座っても
好ましいとされるような場面も日常の処し方として大ありだが
分かりません出来ませんの一点張りで何処までやり過ごせるか。

どのようにも出会うその場その場で自分のすべては成り行き任せ
いっそどこ吹く風の楽だ楽だア〜楽だに跨ってしまえば
知らぬ存ぜぬでやってきました「タナボタ」砂漠をはるばると

ねぇ20日の男子ショートトラック競技のブッラドバリー選手の勝負運だけど
あんな“タナボタ金”の英語方言は“That's a gold windfall.”でいいんかい?
かってDIYを教えてくれた懐かしい女性スタッフに尋ねてみたい気もする。

おやじごころに響くひとコマ(02.02.22)

ここんとこ家にいるときはテレビはソルトレーク2002一色みたいで
晴れた昨日(2/21)なんかゲレンデに出かけていてもやっぱり
コーヒータイムはテレビの近くに座ってにわかオリンピックおたく、
帰りは近所でまたも寄り道して春のはしりも味わえた鮨盤をはさんで
女子フィギュアスケートの新星サラ・ヒューズが話題になったり、

まだ終わってはいないソルトレークから伝えられる日本の
選手達の動勢やインタビューにはまだワクワクさせてもらえないが、
日本のアニメ映画「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)が
世界三大映画祭の一つの第52回ベルリン国際映画祭でみごと
最優秀作品賞に当たる金熊賞を獲ったニュースにはこころ揺らいだ。

ちょうど半年前の夏休みの子ども連れで満員の映画館の懐かしさ
きっと誰かが通ったことのある暗闇に描いて描いて描き込まれたような
八百万の神の館に紛れ込んだ女の子の冒険譚をみ返したくなったり、
あの身に覚えのある幼童性のリズムにいつの間にかはまり込んで
まるっきり普段は忘れている自分の中の幼児性が立ち上がってきたり
あれを超えておやじごころをわくわくさせてくれた映画はまだ観ていない。

宮崎アニメの「ハイジ」の頃から「もののけ姫」の手前までだったか
とにかくアニメや漫画については負うた子にたすけられた形だったが、
娘いわく“お父さんたのむからバスの中だけはマンガ読むのやめてね”
そんなダメも押されたりしたわが家の娯楽を綴った風景の向こうにも
家族と時を共にした一連の宮崎映画が句読点のように息づいている。

ひところ幼児性への挽歌みたいに読みふけった「少女マンガ」だったら
あれこれ日常の煩雑さからおさらばしてみる“消去”のコマ割り遠近感がたまらず、
DVDでみ直す宮崎作品に溢れる名付けようのない“過剰”は何と言おう
ひょっとしたらおやじが忘れてしまった“童話”のひとコマに架け渡そうとして
その日暮らしを駆け巡るせつない影の震えのようなものなのかもしれない。

If Dreams Came True(02.02.19)

「雨水」に雪が降りしきる高屋敷の午前の明るさは
どこかでフェルメールの画集が開かれたような静けさ、

これ以上ないといったゲレンデ日和に恵まれた
土曜(2/16)の日中の疲れを癒すように夕食後は
20時よりオンエアされたBS朝日のジャズ番組を楽しめたが、
めったに耳にしたことのない五十嵐および鈴木両女性ボーカルに
寺井尚子のバイオリンと国府弘子のピアノが加わった
日本女性4人による男抜きジャズセッションは感慨深かった。

いくつになっても“女”は苦手の最右翼だけど
今どきジャズシーンに限らず男より女の生きの良さが目立っている、
いつだって“性”を意識して取捨選択しているわけじゃないのに
ここのところ観聴きするもの演じるもの読むものすべて女勝りのようだ。

なんだか漫画が恋しくネットで探し求めた坂口尚の
『バージョン』、『あっかんべェ一休』や『石の花』を読めば
いい作品には男も女も作者の性はいっさい関わりなしなんだけど、
こと現実では通り過ぎた職場の性にまつわってひっかかっているのが
21年前の夏の筑波での全国中堅大学図書館職員長期研修の終幕でのハプニング。

ここからはオフレコでという了解で始まった全体ミーティングの場に
飛び出したテーマが「(年季の入った)女性職員が(若手)男性職員をダメにする」で、
そんなことぐらいでダメになる奴ははじめっから図書館職員はやれない・・・
そのくらいのことも言えない僕は結構真面目な現職男女の発言に聞き入るばかり・・・
終点が待てず途中下車した今なお女性優位の職場の謎として保存しておくしかない。

敗戦の年に引き揚げ3年住んで通いだした田舎の小学校そして中学校を通して
とにかく余所者ということでことごとく虐められること多い日々だったが、
ときおり目立たぬようやさしく手をさしのべてくれたのはほとんどが女だったし
小学時代のわが家の家計まで心配してくれた同級生も駐在さんの娘だった。

いつどんな出会いと別れをを生きようとも性にまつわる花は
時分の花や一方の花を愛でられたらそれで良しとしなければなるまい、
できれば女も男もほんとうの花を秘めた性として舞うことがあれば上出来か?

ひとたび職場で男や女の身体生理や趣味性だけを盾に行動されたら
そ知らぬ顔で打つ手打つ手がその場の短絡連鎖のドツボにはまるばかり
なすべき仕事はもつれことの次第も善し悪しを超えどんな性もいずれ退散、
心底怖かったのは余儀なく遭遇した男女変わらぬ生身の“人”が演じる諸行無常!
ならぬ堪忍するが堪忍のような他者失調症に追い込む性悪に巡り会えば
誰だって対人恐怖症の季節が過ぎゆくのを待つしかない。

きみがある人に気持ちや言葉が通じないと思っているように
相手もそう思っているに違いないと気づくことがあっても
もうやり直しはきかないから黙ってやり過ごすだけ
どこまでも愛は乏しく情も薄くましてこころからの言葉など・・・

物語があるわけでもなく劇的なことが起こるわけでもない
そんな毎日のページに描き込まれるのはその時々に弾け散る誰もが生きる歓び、
金さえあればどんな快楽や楽しみも約束されたような今日この頃
生きる支えとなるような理想も未来のイメージもまだ見つかっていないから。

ネットサーフィンに飽きたらとにかく1件検索ゲーム(02.02.14)

風邪がひどいときは何もかもかもだけど
とりわけパソコンを立ち上げるのがおっくうになる。
画面から飛び出す磁気に上半身が過敏になるからかもしれないから
何らかのプロテクターを工夫してみればいいのだけど、
直ってしまえば一日相対していても大丈夫だからまだ試したことはない。

以前というか色んなゲームにハマッタ頃だとまずそれで肩を慣らしてから
勢いをつけてパソコンを使いこなせたけど今じゃゲームにも見放され、
これはというゲームを見つけても機敏な反射や根気が続かなくなってきて
どうもスポーツで気分を変えたいのをゲームで代用しようとするみたいで
風呂を使えないから入浴シーンのあるビデオ映画を眺めているようなことになる。

常時接続になってからだがお気に入りの検索サイトを使った
どうしようもない気分直しゲームをしていることがよくある。
レファレンスツールとしていろんな検索サイトを見つけては試した
図書館勤めの頃から一つだけ使い続けているサイトの検索フォームに
普通名詞をキーワードに二つ三つ放り込んでは検索ボタンをクリックしている。

検索結果が1件だけという結果が表示されたら終わりのゲームだけど
幸か不幸かそんな巡りあわせはなかなかやってきてくれそうにない、
数日前も2件という検索結果に当たったりしたけど日を改め同じ言葉で
またやったら何件に増えているか誰にも分からない宇宙みたいに広がる
インターネットにひとり向きあう逆ロシアン・ルーレット感覚がすてがたい。

そのとき思いついた検索語というかキーワードを弾のようにパソコンに込め
電脳宇宙の網の目から1件を見つけ出すリアルタイムゲームなどといったら
とんでもない風邪ひきオタクに聞こえそうだけどそんなことはない。

ご近所の肉屋さんから買った牛肉が柔らかく焼き上がったところで
飲み続けたらきっとまともな性格が約束されるようなアラ探しの出来ない
上質赤ワインから溢れ出す申し分のない時間にひたってみたり、
とりあえず上等な飲食補給で風邪による衰えからの回復をはかったり
とにかく医者や薬に金を使わずに景況の好転も願ったりしているのだ。

いくつになっても語彙が乏しい自前の検索力だが時にエッチ系の言葉を
いくつか組み合わせると案外いい結果が出たりするところを見ると、
なんでもありでとどまるところのない電脳春画網の膨張に比べりゃ
そんな画像をキャッチしてくれる電脳言葉の網はまだまだ発展途上だね。

日本育ちの「天使(エンゼル)が水夫たち(マリナーズ)の一員」になった球筋(02.02.12)

付かず離れず義理チョコ仕立てのバレンタインデーとは
すっきり縁がなくなったけど2月の風邪が性懲りもなくやってきて
ただでさえ乏しくなったやる気をとことん奪ってしまう。

自転車散策中の信号待ちで急におかしくなったり
大型書店でいくつか本を手にしていたら立ちくらみしたもんだから、
急いでレジで精算し店内の喫茶コーナーでどうやら持ち直したり
今どきの書店サービスに助けられた恰好でわが家に軟着陸。

肩のこらない本と飲み物を携えソファに不時着すれば
おりよく始まったソルトレーク2002冬季五輪ハイビジョン放送、
テレビ画面だと現場の選手が放つ気迫や迫力に満ちた臨場感が
丸ごと遮断されてしまうけど男子滑降競技が映し出されたときだけは
思わず起きあがって見入ってしまう物凄いレース画面に鼻水もとまった。

アルペン競技だと前半のタイムロスを後半で取り返すこともあり得るけど
スピードスケートにそんなことはまったくと言っていいほどあり得ない。
常人では持ちこたえきれないバランスを凝縮して爆発させる緊張感だけは
日本の風邪をこじらせたような経済事情をもろにかぶったテレビ観戦者にも
しっかり伝わって怠く投げやりな気分がつかのま落ち着いてきたようで、

これまでテレビでそのピッチングを拝見する機会の少なかった
現役大リーガー長谷川滋利投手が本に綴った“アメリカン・ドリーム”を読んだら
彼が目指しそして生きつつあるアメリカ家族暮らしそのものをどう野球と繋げていくか、
“生活野球”とでも言うべき知恵を自らのピッチング術に集約させていく姿勢が
真っ当な世間話のように語られていて地味だけど得難い元気をもらったようだ。

オリックス・ブルーウェーブでの彼の通算防御率3・33から僕は予想もできなかったが、
97年からエンゼルスに5年間在籍し主に中継ぎを務め
2001年は46試合で5勝6敗0セーブで防御率4・04
通算では287試合に投げて30勝28敗16セーブで防御率3・87
という実績を見るにつけ渡米前に彼の姿を球場で見られなかったことが悔やまれる。

今オフに中継ぎ専門のパニアグアをロッキーズに放出したマリナーズが後任に
長谷川投手を獲得したから今シーズンはテレビ中継が増えそうでMLB開幕が楽しみ、
いいかげん世のなか成るようにしか成らない投げやり気分から抜け出せなくても
せめて観るだけはしっかりやっておけということぐらいしか浮かばず今日はこれまで。

春めいた日溜まりスクラップ(02.02.08)

水曜日(2/6)は午前定例のバドミントンをキャンセルしてまで
立山山麓へ滑りにに出かけたら春は暦の上だけじゃなく小学校から
高校まで10校以上のスキー実習の子ども達で賑わうゲレンデにも溢れていた。

妙な転び方をして怪我などしないようエキスパート・コース以外は
ゆきとどいた圧雪が施されていたけどビスタクワッドで乗り合わせた
若きパトロール隊員が“たのむ起きて、起きろ、起きろ!”と呟く
視線の先を追ったらチャンピオンコースにペシャンコ姿の子ども!

陽春たなびく山岳と温く霞んで見える富山湾に囲まれた平野はあまりに狭く
肩書きや身につけるモノに車や履き物に家屋といった器を取り払えば
下界の津々浦々に蔓延の“雪印流”はいかにも現在の陽炎のようで、
家庭や地域や職域をはじめ社会の隅々に“賞味期限切れ”現象の春爛漫。

ゆきあたりばったりその日暮らしのおかげか午後の滑りはじめのリフト乗り場で
ひょっこりシルバー・シーズン券で滑走を愉しむバドミントンの大先輩に出会い
どうやら午前の疲れが脚にきはじめた時間帯に恰好のペース配分をしてもらえたけど、
こんなクタクタ夫婦二人でもあの年まで愉しめるかどうかは自信がないから
なんでもかんでもやりたいうちやれるうちの毎日こそが華なのだ。

なんだか筆力衰えた両村上のようで生きのいい吉本ばななの新作にも出会えない昨今
再び春めいてきたジャズだとピアノやギターなど輸入盤を探せば欧州の新作CDも耳新しいが、
数日前の二口界隈の散策で探し当てた輸入CD6枚組ボックスセットを聴けば
きわめて私的な音楽遍歴が後ろ向きに掘り起こされる“驚き”の現在進行形!
今日も108曲のアメリカ黒人音楽のスクラップから弾けるミュージック・パワーで
数々の初聴きシーンが編集されたプライベート・フィルムが封切られる。

「どんな音?とにかく聴いてみて。          
究極のグッド・タイム・ルーツ・ミュージックだから。」
“オル・ダラ”を聴いて書き留めておいたピーター・バラカンのスクラップも浮かんでくるし、

忘れていた新学期のスタートみたいに読んだ川上健一の青春小説『翼はいつまでも』が
おとといの爽やかなゲレンデをともに滑ったスキー実習生達の若さの現在を際だたせながら
柔らかい春風とともにページをめくる野球&音楽漫画みたいに一気に通り抜けていく。

やさしく夕方の風で磨いたように西空がきれいなバス停で降りた通りすがり
空腹が二人の歩みを鈍らせたお店の前でお袋にピッチを済ませ、
馴染みの鮨盤が混まぬうちに座り込めばなんと先ほど若旦那夫婦の
小学生の息子がまっ黒になってスキー学習からご帰還とのこと。

もっと顔を上げ麓を眺めるようにしたら怖くないよ
そんなにスキー板ばかり見下ろしても何も落ちてないぞ
自転車に乗って車輪ばかり見てるようなバカはやめるんだ
前を見てしっかり足の裏でこぐように歩けばもっと愉しくなるぞ!
雪質がしまっていた午前のゲレンデで行き交わしていたら声をかけられたのに、

その時々に感じてやってきた行為に終わりはやってこないけど
いろんな日々のスクラップが忘れてしまった潮時のように
やがてはさまざまなこれからを約束したりしなかったりしている。

とんだ見込み違い(02.02.05)

これ以上は望めないくらい快晴だった金曜(2/1)の昼間はおいしい散歩
しばしフリースタイルの公開練習に見とれたりした土曜(2/2)の立山山麓ゲレンデ散歩
日曜にはやってきて食べそして遊びほうけるマー君と散歩したりすると、

幼児が身近な事柄を歓ぶ姿なんかあるべき老後の生き方の見本というか
お手本にして取っておきたいくらいだけど孫の成長とともに忘れてしまいそう、
昼ご飯を食べながら動かなくなったマー君の昼寝の間にテレビ観戦した
ラグビー日本選手権(2/3)のサントリー対神戸製鋼戦は期待に違わぬ面白さだったけど
立春の朝からのスーパーボウル(2/4)中継は昼飯が手につかないくらい痺れまくった。

200近くもあるといわれるサインプレーに精通しているわけでもなく
贔屓のチームができるくらいいろんな試合の中継も観てきた訳じゃないのに
アメリカンフットボールほど作戦とリプレイの面白さを堪能できるひと時はない、
下馬評や自分なりの予想をものの見事に裏切ったとびきりのゲーム展開とくれば
悪くはないはずのハーフ・タイム・ショーのU2ライブも上の空に響くばかり。

堅い守りから絵に描いたような反撃で前半をリードしたペイトリオッツだったけど
今シーズン最高の攻撃力を誇ったラムズは第4クオーターに大反撃して1TDを返し
終了1分30秒前にQBワーナーからWRプロールへの26ヤードTDパスを通し
17−17の同点になったときはこれでオーバータイムと早合点したのが間違いの元。

足元のおぼつかないお袋の台所姿にちょっと手を貸した隙に劇的な幕切れ、
ゲーム時間の支配が巧いペイトリオッツが再びラムズ陣に攻めこんだ残り7秒
最後のプレーでキッカーのビナティアエリが48ヤードのFGを決めるという
なんとなんとなんと決定的な最高の場面を見逃してしまったではないか!
もう悔しくて悔しくて夜の再放送なんか観てやらないけどビデオだけは録っておこうか、

すべからく何事もレギュラータイムで決着をつける基本技から
あたかも人生に延長戦は無いといわんばかりの結末まで、
お金で時間と距離を稼ぎだすゲームプランニングばりの人生模様の幕切れ。

Don't get me wrong!(02.01.31)

まさかまさかで呆気にとられたのは
テレビ高視聴率を保っていた小泉純一郎内閣パワーの
供給源だったカンバン目玉の一つをいきなり取っ払っちゃったこと、
戦後日本政治の常識たる“三バン”揃ってこそ渡る党派の波風を前に
失って気づかされる戦後初めてのカンバンを棄ててしまえば
手垢まみれのジバンとカバンだけでどう政策を捌けるのか。

見るともなしにワイドショーをつけはなす朝から
「隆明網(リュウメイ・ウェブ)」編集作業に取りかかろうか、
たぶん更新を終える頃は日脚も延びてきた1月も終わりそう。

またかという感想が先立ってやり過ごしそうになったのに
東村山市のホームレス暴行死事件の引き金みたいに
市内の図書館でのホームレスと中学生達との
トラブル報道にたまたま引きとめられた恰好だけど、

暑さ寒さの時節柄はとりわけいろんな入館者に彩られ
図書館利用規則に明言された利用範囲も逸脱しがちで
日頃に倍して注意仕事に多才な気配り館員もいるはず。

図書館の資料利用者と当面の入館利用者という
ありそうな構図からいざこざを起こすなら外でやれば
そんな場当たり的な回避以外の役回りを誰に求められようか、
ともに入館者だったホームレスと中学生達との対立がきっかけで
館外暴力へとエスカレートするなんてとても関知できない。

司書たるモノ経験を積めば積むほど
図書館の仕事はうまくこなせるだろうが
共有すべき暗黙の利用態度が当てに出来なくなった
入館者対応作業だけはそうはいかず年ごとに、
ホームレス入館者に忙殺されそうな都市部の図書館員もいるし
終夜開館に居座ってしまう利用者に困る地方の図書館員もいる。

中学生達の割り込みといえば覚えがないこともない、
土曜の午後のスポ少バドミントンコーチを一人でやってた体育館で
やってきたスキンヘッドを交えた中学生グループのいきなりバスケの気配に
子ども達が怯えてコートを取られないうちに飛んでいって
何をいったか忘れたがとにかくボスらしき中学生にやめてくれるように話した。

閲覧室の見回りも仕事のうちだった頃の僕の対処といえば、
効果てきめんの利用者への注意みたいな難しいことはないから
きれそうな感じの利用者とは差しで相対しないこと、
できれば第三の利用者にも聞いてもらえるような情況で
間違った行為を正す距離感を相手に取らせるよう手短に
いろいろ工夫し繰り返しても利用者の拒む目線だけが残ったようだ。
検索端末の不正利用を日課にしていた留学生の場合など
イエローカードの連発を勝手にレッドカードに切り替えてしまったようで
ひょっとしたら国際交流に反した事になったかもしれないな。

隅っこの雪明かりから(02.01.28)

ほどよく降り積もった雪の反射が混じった日射が柔らかい日々には
20年ほど前に建て増しした納戸の2階の狭い部屋の東の隅っこ
庇のある窓越しに縁側や母屋の屋根に積もった雪面が照り返す光線で
年を越してパソコンのまわりに積もりに積もった本など
あれこれ新しいページをめくりBGMに耳をゆだねながらの書物散策日和

正月新譜ではAkiko Grace/from NewYorkがいい!
今も書棚の本をどかして置いたボーズのウェーブレディオCDから
3曲目の映画ダンサー・イン・ザ・ダークのテーマ曲I've Seen It Allが流れる

生き続ければやってくる老化みたいにすべてに順調などあり得ないけど
ここんとこ風邪をこじらせ気味で電話もやっとだった娘の身過ぎ世過ぎや
数日前の朝なんか身動きもままならなかった階下のお袋の老化の階段など
あれこれ思いめぐらしたりする隅っこの居心地にはまってしまったりするから
冬場に週一の定番となっている氷点下のゲレンデや冷え込んだ体育館に出かけ
ひとまず身体を解き放してみるようなアウトドア・インドア感が手放せない

どんよりした雪空でも快晴気分みたいなのがフツーな日々のスポーツ中継
降りしきる雪上のNFLプレーオフとなったレイダース×ペイトリオッツ戦!!
冬場のテレビ観戦の愉しみといえばアメリカンフットボールや
グランドスラムの幕開けとなる真夏の全豪オープンテニスからも目が離せず
スピーディなジャズ・クインテット演奏みたいなNBLのバスケ中継なども
雪が積もったり溶けたりの高屋敷の片隅から眺められて退屈はしてないけど
2月のテレビのソルトレーク冬季五輪中継にどれくらい夢中になれるだろう

食いつなぐのが精一杯で個室など考えられなかった埴生の
田舎屋住まいの東向きの縁側の一隅を仕切り
出かける当てもない晴れた昼には遠く聳える立山連峰に登りたくなったり
夜ともなればいろんな植物や昆虫をスケッチして標本を整理したりで
そんな隅っこからやがて性に目覚め異数の世界へ飛びたつ前は
一晩で組み立てた鉱石ラジオだけが唯一の飛び道具だった

大学図書館の勤め場所をいくつか変わってみても閲覧室だけは
なぜか決まって端っこのあたりから利用者で埋まっていったもんだ
愛聴盤みたいに手元に置きたくなるような一冊
『小説作法』の中でスティーヴン・キングが書いていたけど
何はともあれ机は部屋の隅っこが一等いい
いいも悪いもとにかく事にぶつかりなんとかせざるを得ないときは
なぜ隅っこなのか自分に言って聞かせるしかない

すべてから隔たってみる隅っこにはなかなか入りがたしという訳でもないが
そこでやっぱり聴きたくなるのがルーツミュージックの響きとリズム
今なら「オー!ブラザー」のサントラみたいなアメリカン・ルーツ・ミューッジックか
オル・ダラやリチャード・ボナのようなアフリカン・ルーツ・ミューッジックだね
いつか聴きたくなるような日本のルーツ・ミューッジックはどんな隅っこから響いてくるのだろう

音にまつわる些細ないきさつ(02.01.24)

たぶん十代の曲がり角のいわゆる思春期でその人なりに
生涯に関わる友人や好みの音楽の原型みたいなものが定まってしまう、
かってギターのうまい友人が中年にさしかかった休日の朝など
大音響で浴びるロックがたまらないなどともらしたことがあった。

広いだけが取り柄の隙間だらけの田舎屋で数少ないジャズLPを
響かせてはその虜になっていた少年の日々のとある夕暮れ時、
たぶんわが家の前を仕事で往来するうちに耳にしていたのであろう
見知らぬ若い勤め人が一緒に聴かせて欲しいと上がり込んできたりしたが
こんなに好きな人がいるからにはきっと大嫌いな奴らもいるのが世の習わし。

20代も後半の新築時に見よう見まねでリスニングルームを作ったりしたら
当時働いていた工学専門図書室の2階の音響工学科のベースも弾く学生さんが
寒い冬に訪れ周波数ごとの残響測定なんかをやってくれたこともあったけど、
まだまだ映画や音楽が輝いていた1970年代のわが家の狭いその部屋を
いかにいろんな人たちが通り過ぎていったかもすっかり忘れてしまい、
好きなミュージシャンや楽器についての語らいを覚えていて
そのうちまた聴きに来たいといってくれた何人かはもうこの世にいない。

ジャズ不作の1980年代のある期間のことででもう時効だから言っちゃうけど
勤務先の医薬系専門図書館の閉館案内アナウンスのBGMに
大好きだったビル・エバンスの珠玉のピアノソロを使ってしまったら、
とくに図書館を遅くまで利用する女子学生がこれいいわねと囁いたり
イギリス女性の英語教師には音源のレファレンスを迫られたりで
イギリスに帰った(かどうかは知らないが)今も聴いているだろうか。

仕事と本とジャズにまつわる拙文が載った図書館報を目にした
薬学部の先生にジャズ入門の手ほどきを乞われたときなど
どんな資料を渡したり自宅でどんなレコードを鳴らしてあげたか
面映ゆさが先に立ったりして細かいことは思い出せないけど、
その後東北の大学へ転勤された休日にはどんなジャズを楽しんでおられるかな。

ジャズがまた面白くなってきた1990年代の半ばだったか
富大本館の時間外開館要員の一人だった英文学専攻の学生さんには
ジャンゴ・ラインハルトのギターやセロニアス・モンクのピアノなど
ちょっとコピーしてあげたけどもっと聴きたかったら訪ねておいでよ、
なんなら音楽好きの教え子と一緒でもいいんじゃないかな
何と言ったって中学生の頃はいろんな出会いの場がその子の生涯を決めるかも。

お茶におやつちょっと小腹が空いたら夜食みたいにLPやCDを回し続ける冬の家暮らし
ひょいと耳にした古い録音なんかたった数分の演奏に雷のように打たれたり、
たまたま図書館勤務の最後となった閲覧業務を1年ご一緒した働き者の新人さんみたいに
シフティング作業の合間にまるで音楽聴くことダメ子さんですと話してくれた表情とともに
今日も聴いた端から音楽はどんどん消えてしまって二度と戻ってこない。

滑っても滑らなくても(02.01.21)

大寒に入ったというのに雨足が強く
ときおり飛来する尾長から滴もしたたり落ちて
何もかも洗い流すように家並みも滲んで見えるなんて
これじゃ山の雪も溶けてしまいそう、
絶好のスキー日和に恵まれ大学センター試験日は
夫婦ともに都合良く1年ぶりに雷鳥バレースキー場に足を運んだ。

いつも荷物を置かせてもらい食事休憩もとったりしている
2階に上がり込む間もなくお店のお姉さんから弾んだ声がかかったりして
二人ともまだまだくたばるわけにはいかないねと苦笑いしながらウオームアップ、
それにしても人影まばらスケスケのゲレンデ風景は一週間前の志賀高原と同じだけど
滑り心地はまるで舗装道路から砂利道に変わったみたい、
ゴンドラ山頂駅から極楽坂スキー場の尾根伝いに国体コースへ抜け降りた一本目で
もう麓の休憩所で売ってるはずの氷見の地ビールの飲み心地が覚まされてしまった。

陰影豊かに聳える山岳から狭い富山平野を跨いで広がる海へと滑空するように
浮遊できる散歩心地のスキー場の眺望は志賀にも蔵王にもない立山山麓だけのもの、
身体も温まりパノラマコースの眺望と滑りを愉しんだところで昼飯に戻ったら
冬場のマストアイテムになっているモツラーメンを運んでくれお店の女将さんいわく
過ぎた三連休なんか駐車場がちょっと賑わったようだけど店はヒマでヒマで、
窓の外を見上げれば澄んだ空をパラグライダーがゆったり舞い続けて眩しいくらいだ。

零度以下でべたつかない雪質に2シーズン目のカービング・ターンをいろいろ愉しめた
午後の滑りもほどほどにひきあげチキンのチャーハンをつまみに喉を潤せば
ストーブを囲んで団欒する若いスキー客はインターネット談義の真っ最中、
本場のアメリカじゃユーザーが1億を超えお隣の韓国では国民の半分近くが使っているみたいだが
流行も終わった日本では日常生活の場にインターネットが定着するかどうかの正念場なのだろうか。

われら夫婦で貸切状態の立山駅行きバスのわずかな時間が暖かく眠りに落ちそうな午後3時過ぎ
寒いから乗ったらと改札を通された2両編成の電車内は誰の眼にもとまらず、
ちょうど飲み加減に冷えた白ワインのコルクを抜けば喉ごしも豊かで
香りも大窓小窓三の窓と剣岳の稜線を滑っているようなフィニッシュが待ち受け
やがて常願寺川を渡る鉄橋の響きにうたた寝気分も遠ざかってしまった。

初物の素晴らしさ(02.01.17)

すでに10年を超えた二家族による志賀高原スキーツアーですが
まだ正月気分も残る1月の第2週の宿泊を確保してくれた
知人家族と一緒の志賀高原で最高の初滑りを愉しみ
家庭の事情や娑婆の何もかも下界に置き忘れてました

初日の焼額ゲレンデがカービングスキーでちょっと賑やか
2日目が昼下がりまでガスったほかは雪にも会わず
閑散としたゲレンデをほぼ3日間でおよそ100キロ近くも滑ったろうか
近年のワンシーズン200キロ以上もなんとかクリアできそう
びっくりするくらい好天の3日目なんか終日くっきり後立山連峰越しに
日頃は縁がない後ろ姿を遠望できた立山の麓のゲレンデに通う前に
とにかく遅れてやってきたスキー漬け連休疲れを抜かなきゃならない
どうしようもない中高年スポーツ疲れ夫婦なんてお笑い種だね

熊の湯のレストハウスのシェフなんか雪焼けでまっ黒だったが
待ち時間ができるくらいリフトが混んでくれないと僕らのような
中高年スキーヤーはついつい滑りすぎて困ってしまうのですよ
ツアー中日の午後の疲れも横手山頂ヒュッテのパンとワインで持ち直し
5キロも続く雪質見事な斜面の感触を堪能できたけど
お袋を娘夫婦のマンションに預けたまま冷えきったわが家に
無事帰り着いた晩など夕飯をこしらえる気力も持ち合わせず
ヨメはんが電話して確かめたご近所の鮨盤に座れてホント良かった

お店の皆さんと年はじめの挨拶もそこそこにスキー談義の花びら
同行家族の小学生の力みも抜けてきた素晴らしいスピードバランスに
スキーを体得しつつある子どもの最初の喜びが溢れていた姿を目の当たりにし
やってみて出来つつある嬉しさを素直に表現するのが上達の秘訣などと
話すうち焼き物に出された見たこともないビッグな“はたはた”にびっくり
大粒のお腹の子なんか箸でつまむと納豆のように糸を引き
ちっとも珍しくない魚なのになんだか初物のようで
「はたはたのうた」で室生犀星がうたったのはいったいどんな“はたはた”などと
いささか酔いもまわってわが家が懐かしくなったようだった

初物といえば初滑りから帰った翌日に
暮れに注文しておいた輸入CDの半数が入った電話を受け
レコードショップで引き取りついでに見つけた
新人ピアニストのジャズアルバムを買って帰って聴けば
これぞ「処女作の見本」というべき出来栄えも瑞々しい
達成感に溢れたピアノトリオ演奏を引き当てたみたいで
たちまち持て余し気味の筋肉疲労も揉みほぐされたみたいでご機嫌な気分だ

身を乗りだした映画(02.01.11)

年はじめの心地よい運動で身体をほぐした勢いで
仲間に入れてもらっているリクレーションクラブの新年会に混ぜてもらい
黒一点としての座持ちなんか気にならない居心地よさ

ほどよいコース料理の食卓を飾ったりする映画の感想なんか
ほんとうにヒトさまざまというか聞いてて飽きない
味覚と同じように映画でも老若男女は話題に事欠かない

ところで松の内に自宅で出会った映画が二本
まず「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(TV放映)の
ハンディカムによる描写が禍々しく吐き気を催すような
視力を失いつつある寡婦セルマの金属加工工場仕事と
病が遺伝した息子の将来にこころ砕きながら
素人劇団の『サウンド・オブ・ミュージック』に精を出す日常に
弾けんばかりのミュージカル・シーンが割ってはいり
もう列車で歌い踊る場面なんか内臓も叫びだしそう

数少ない手元に置いておきたい映画(LD&DVD)に加わったばかりの
「初恋のきた道」ではモノクロで描く別れの現在から回想される
この世のものとも思えぬ少女と青年の出会いがとてもカラフル
言葉で表せぬ想いをひたすら料理に込めて渡すべく乙女がひたむきに走る姿に
青年教師の帰りを待ち続ける乙女の眼差しの外側をゆったり流れゆく寒村の風景に
胸も高鳴り涙をひきとめる体壁もろともゆるんでしまいそう

鏡開きに雨を含んだ霧が重く暗く朝の10時を過ぎても街灯が点いたまま雷鳴が響き
ひとときの映画から抜け出せばどうしようもないくらい制度やシステムが綻んでいて
若さも老いもそれぞれに生き往くことは嬉しく儚くどんなに辛くあっても
いかなる愚かな道にもやってくるいのちの糧はありやなしや

20数名で貸し切ったお店の昼下がりの駐車場に出れば
雪もやみ来客の車に降り積もった雪を払い落としていたシェフやウェイトレス
みんなの今年の運勢も聞かずめでたく散会してはや数日が過ぎ
さあお次は週末に予定の志賀高原で初滑りが愉しめればいい

正月の内と外で(02.01.08)

知ってました、お正月様は大晦日の日没とともにやってきたり
まぁ確かめようもないことついでにもうひとつ
松の内を家でおとなしくしていることをうちづらといったりすることも。
そういえば田舎でお正月を繰り返していた幼い記憶では
よく12月30日までに大掃除や餅つきを済ませてしまい
なんだか大晦日はぼんやりやり過ごしたり
一睡もしないで除夜の鐘の後で初詣に行ったりしてたみたい。

定年前に仕事を辞めて迎えた正月だとうちづらもそとづらもないようで
まるでゆったりのんびりで自家製ピント外れのお餅入り七草粥もどきをいただき
お袋の頼みで初外出の近所の医院の待合室はスリッパも足りないくらい
電話しておいた薬をもらうまでたまたまポケットの本を読み進んだ。

お疲れさまです、よろしくお願いしますなどのそとづらは遠ざかったのに
休みめがけて本やDVDをまとめ買いするうちづらだけはまだ残ってた。
口説き、入学、就職、結婚、新築、浮気(不倫)なんてのはたぶん
その人それぞれの勢いでやれちゃうところもあるから、
うちづらもそとづらもへちまもあるもんねだろうけど、
破産や離婚も離職も当面したときはその人なりに勢いが失せているのに
無い気力を振り絞ってでもとにかく抜け切らなきゃなにも始まらない、
せっかく身軽になれたからにはサラリーマン期のへんな癖など脱皮しなきゃ、
この際ながなが染み込んだそとづらもうちずらもひっくりかえすように
しきりに手足を使えばどこへ抜けられるかがさしあたっての成り行き。

それからじゃなくてこれからのつん読みたいな本やCDの雑居ビルもどきで
ライスボールや高校サッカーやラグビーに一喜一憂しながらの
さしあたっての正月雑感とでもしておこうか。

年を越した大切なもの(02.01.04)

雪が降り積もった新年2日目のわが家は
数少ない親戚恒例の初顔合わせでにぎやか
昼前から深夜までお酒のたすきリレーでつなぐ
近年はとくに娘や姪に授かった幼いいのちがめでたさの主役

お互いの元気を健やかな暮らしを持ち酔った喜び
ワインや吟醸酒やスコッチウィスキーの空き風船に
Let's make it a good year!をしっかり吹き込み
めいっぱい膨らまし流行の胡散臭い「正義」なんぞ吹き飛ばせ

予期せぬ雪で客足を奪われ売り上げが落ち込んだり
ままならぬ外国人労働者の仕事ぶりに困惑したり
のほほん顔の隣人にどこまでも振り回されっぱなしでも
どこか手の届くところにかすかに良いこともあるはず

たまたま手近で年を越した本から拾えば
それぞれが受験勉強期であるはずの

地方っぽい女子高生(加藤千恵さん)には
<ついてない びっくりするほど ついてない ほんとにあるの? あたしにあした>
いともかんたんに唱ってのけるまっすぐな若さがあったし

街っぽい女子高生(綿矢りささん)には
風俗チャットネタで小学生と女子高生を絡ませ

「順調。チャットのコツ、分かってきた。あんたがはじめに教えてくれたように、やっ
ぱ会話のリズムとか画面に文字を乗せるタイミングとかが一番大事だね。特にチャッ
トセックスするときにはね。長い文を作ろうとせず、きゃっとか、ああんとかそういう
短い返事をどれだけテンポよく画面に乗せるか、そこがミソだな。」(77-78ページ)

な〜んて
スッキリ読ませる小説にまで「インストール」できる若い文体のしなやかさがあった

今ここを生きる大切なものを手放さずそれぞれが年を越したさまざまな場所が眩しい

馬に乗り換える(02.01.01)

あけましておめでとうございます。
気がつけば高屋敷に移り住んで30回目のお正月を迎えました。
家族揃ってとっておきの白ワインとおせち料理で新年を祝い
余韻を愉しむようにキーボードを叩いて12月分の吉本書誌を整理し
「隆明網(リュウメイ・ウェブ)」の更新作業を済ませました。

馬に乗り換える

裸馬で駆け抜けた
少年の未知を

竹馬ですっくと立った
少女が見つめ

やがて駿馬が追いかける

いろんな駒を象った地名
いつか馬の合う奴そうでない人名

どんな馬の骨になろうとも

あの少年の手綱さばき
ひときわ輝く少女の眸に

仔馬のごとき
野次馬となって


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「十字路で立ち話(あるいはワッツニュー)」kyoshi@tym.fitweb.or.jp