週 刊「本のチョットのお喋り」by K. Yoshida

富山シティ・FMのサタデー・シティ・ナビのブックレビュー(19980905〜19990403)のコーナーでオンエアされた書評です。
原稿を読んでくれたパーソナリティの方々に感謝!



第1話=19980905〈猫にも読ませたい〉『詩に踏まれた猫』清水哲男著、出窓社、1998年
 漱石の「猫」って何種の猫なの? 朔太郎の「猫」はどうして青いんだろう? 日本 文学の名作・詩に登場するネコを暗闇の中からじっと見つめる詩人の眼光は鋭い。 ネコ好き書斎派人間へ贈る、読みごたえたっぷりの辛口猫論。
 というキャッチコピーといっしょに、清水哲男(しみず・てつお)著『詩に踏まれ た猫』(出窓社、1998年2月発行、本体1500円)を紹介しましょう。
 できたばかりの出版社からの処女出版、ということばかりではないでしょうが、 文体、装丁、造本すべてがしっかりしています。書店の一角を飾っているいわゆる 「ペット本」というジャンルに収まらない、既成の「猫本」の枠を踏み外している、よ うに見えて猫そのものはしっかりと言葉でつかんで手放しません。
 お互いが猫好き、あるいはどちらか一方だけ、という組み合わせをめぐってさま ざまなカップルの猫に関わる微妙な現実があるでしょうが、そういうきわどいと ころにもさりげなく詩人としての著者の眼が及んでいます。
 猫に一目おいているような、身近なそれも異性の相手に、思わずプレゼントさせ てしまう読み応えがあって、ひょっとしたら家猫のようにもらい、もらわれしたり して大切に読み継がれる一冊となるかもしれません。
 それにしても、人間にこんな本まで書かせてしまう猫という存在は奇妙というか 凄いというかなんとも言葉だけじゃ汲み尽くせませんね。
【著者紹介】 1938年東京都生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。詩人、評論家、DJ。75年詩集 「水甕座の水」でH氏賞受賞。美術・映画など幅広い分野で著述活動。「緑の小函」 等著書多数。

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第2話=19980912〈お笑いベストナイン〉『笑う二人―語る名人、聞く達人』高田文夫著者代表、中央公論社、1998年
 伊東四朗、三木のり平、イッセー尾形、萩本欽一、谷啓、春風亭小朝、青島幸男、 三宅祐司、立川談志、お笑い仕掛け人の高田文夫(たかだ・ふみお)が選んだ「現在 の東京の喜劇界・落語界」の「我がベストナイン」の方々との対談集、というよりゲ ストの「語る名人」九人それぞれと「聞く達人」高田文夫によるまたとないとっとき の組み合わせの舞台が『笑うふたり―語る名人、聞く達人』(高田文夫著者代表、 中央公論社、本体1500円、1998年6月発行)として一本に編集された紙上トー クショウとして紹介したい一冊です。といっても語り下しではなく、もともとは 『プレジデント』という雑誌に「高田文夫の東京笑芸大学・喜劇人講座」として 1997年5月号から1998年1月号に連載された内容に筆を加えたもののよ うですが。
 暇つぶしに入った本屋の書棚で見つけ、うまい書名の付け方と微妙にマッチした カバーの絵に誘われ、久しぶりの衝動買い本となりました。
 あのビートたけしが、この本では、装丁作家としての腕を奮ってくれているのが 嬉しいですね。カバー画の「笑う面々」を見ているだけで、にんまりとした声のない 笑いが伝わってきます。
 そしてページをめくるとはじまる、Its’ show time.
 日本の「お笑い」の世界を生きてきた「ふたり」の顔合わせそれぞれによる「対談」、 「対話」、「会話」、「二人のお喋り」といった言葉ではとてもすくいきれない、それ こそ「語る名人、聞く達人」二人による当意即妙、絶妙のやり取りをただただ、ひ たすら楽しめます。
【著者紹介】 1948年東京都生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒業。塚田茂氏に弟子入り後、 ラジオ、テレビの構成を担当。『ビートたけしのオールナイトニッポン』、 『オレたちひょうきん族』などの数々のヒット番組を生む。その一方で、83年 立川談志の立川流に入門。立川藤志楼として真打をはる。著書に『やなか高田 堂』ほか多数。現在、ニッポン放送で月曜から金曜まで毎日『ラジオビバリー昼 ズ』のパーソナリティをつとめ、98年で丸10周年を迎える。

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第3話=19980919〈幾つになっても口説いていたい〉『女神礼賛―僕の女性革命』田村隆一著、廣済堂出版、1998年
 『女神礼讃―ぼくの女性革命』田村隆一(たむら・りゅういち)著(広済堂出版、  本体1429円、1998年5月発行)を哀悼をこめて紹介しましょう。
 日本の数少ない第一級のそれも現役の詩人である田村隆一が昨年『週刊読売』 (読売新聞社発行)誌上で若い読者向けに「女」と「男」をめぐって一年かけて語り 明かした、江戸前ミスター・タムラ節満載の一冊です。
 魅力あふれる素敵な小話を聴くような「語り口」の文体は読み手を最後まで飽き させません。男と女をめぐってさまざまに言葉の橋を架け渡してみせる詩人の 手つきの切れ味のよさはどこからきているのでしょう。
 「船底から世界を見た詩人」というタイトルで、詩人の金子光晴とかみさんの森 三千代とのヨーロッパ道行きを旅行記の最高傑作として取り上げた一編がある のですが、詩人田村隆一の遺作となった詩集『1999』(集英社、1998年 5月発行)に同じく彼らのアジア貧乏旅行を支えた詩人金子光晴の春画作成販 売という行為に触発されて発表した「春画」という詩作品がありました。
 たまたまこの二つを読み比べて感じることは、田村隆一のエッセイの言葉も 詩の言葉も、いずれも時代を生きる詩人の生きたコトバで満たされていたとし か言いようがないのです。これは今時、言葉に生き尽くした人の後ろ姿として 見過ごすことのできない、凄いことだったんではないでしょうか。
 戦後の日本の社会を常に現役の一詩人として何よりも言葉のエネルギーを活 かし続けてきた著者の生活力の源泉の一つとして、愛飲しつづけたスコッチウイ スキーのように、「女」もまたとっておきの活力を与えられる存在だったことは間 違いないでしょう。
 なんだか過去形の紹介になってしまいましたが、そうなんです、先月8月の終 わり、著者は享年75歳で亡くなったのです。
 この本でわたしたちに、
「男には女性ってものがわからない。謎だね。で、わからないからこそ頭をめぐら し、こんなふうに語ったりするわけだ。」 というように語り始め、
 「さて、長いこといろんな話をしてきたが、それも今日で終わりだ。ずいぶん 女性のことを話したが、結局ぼくには女性のことはわからない。わからないか ら女神様なのさ。」
と、さりげなく言い残したまま。
【著者紹介】 1923年東京都生まれ。明治大学卒業。敗戦後、詩の雑誌『荒地』創刊に参加し た後、『四千の日と夜』を発表するなど、戦後現代詩を代表する詩人として活躍。 著書に「腐敗性物質」「奴隷の歓び」など。ミステリーの翻訳も手掛ける。
詩集『1999』田村隆一(たむら・りゅういち)著、集英社、本体2800円、1998.05

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第4話=19980926〈異次元をつなぐ道具〉『インターネットII―次世代への扉』(岩波新書赤版571)村井純著、岩波書店、1998年
 「料理の鉄人」というとほとんどの人たちが「ああ、あのテレビ番組」とうなずくでしょうが、では「検索の鉄人」というとどれくらいの人がピンとくるでしょうか。
 今年の夏にその第二回大会が行われたのですが、群馬県の26歳の公務員岩崎美岐さんが見事に優勝賞金100万円を獲得されたようです。
 次々と出題される難問・奇問の答えをネットワークにつながれたパソコンを使って制限時間内に調べあげ、正解を次々と探し当て積み重ね18,700人にも及んだ参加者の頂点に立たれたということですが、このクイズ番組の舞台となっているのが、この数年来、爆発的に急成長を遂げている「インターネット」なのです。
 新聞、テレビ、雑誌などで見かけない日はないといっていい「インターネット」ってよく分からないけどこんな使われ方もしているのですね。
 第2回検索の鉄人決戦大会の問題がどんなものかインターネットで実際に覗いて見ることもできます。「goo」(グー)という名前のサーチエンジン(検索エンジンともいう)というものを使ってさまざまな問題の答えが引き出された様子が伺えますね。
 図書館へ行かなくともインターネットが使えれば、学校の宿題や、ゼミの課題レポート作成や、プロジェクトの企画資料収集そのほかいろんな調べものをこなせそうですが、調べるということに加えて「インターネット」でこんな事ができてどんな事ができず、あるいはしてはいけないのか、興味が湧いてきますね!
 インターネットを使った面白いイベントを前置きにして始める本の紹介ということで、小難しいコンピュータ用語を知らなくても読める村井純(むらい・じゅん)著『インターネットII―次世代への扉』(岩波新書赤版571)をひもといてみましょう。同じ著者による3年前の『インターネット』(岩波新書赤版416)の続編ということですが、別に前著を読んでなくてもこれだけで現在の「インターネット」についての重要なポイントを把握できます。
 その世界じゃムラジュンとも呼ばれ、知る人ぞ知る著者の語り口はとても明解。
 まず、これまでのインターネットで、
教育の現場を含めて「なにができたのか」から始まり、
インターネットは、
「どのようにできているのか」
を説明し、
「ビジネスとインターネット」
の現状と、その可能性を探り、
インターネットでは、
「何がいけないのか」
「何を守るのか」
と、その社会的問題を指摘し、
最後に、インターネットの
「新しい展開」を見通し、
「すべてのために」ということで、
しめくくってあります。
 日本のインターネット界を引っ張ってきた草分け的コンピュータ科学者の中心的人物でもある著者による小冊子ということで、コンパクトな啓蒙書に終らない現場にいる人間でないと書けない面白さも味わえます。
「検索の鉄人」はおろか「サーチエンジン」というコトバもでてこない大局的な観点から書かれているので、これまで新聞、週刊誌、テレビなどで見聞きした断片的なインターネットについての知識をつなぎあわせ、生き返らせてくれる効果も期待できます。
 「すべてのために」と著者が力こぶを入れている「インターネット」がわれわれのものになったときのことに思いをめぐらしてみるのもいいかも知れません。
【著者紹介】1955年東京生まれ。慶応大学環境情報学部助教授。WIDEプロジェクト代表。日本UNIXユーザー会会長。

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第5話=19981003〈耳からこころに抜ける〉『言葉のラジオ』荒川洋治著、竹村出版、1996年
 いい本を見つけるのはなかなかむずかしいし、いい女(男)を見つけるのともちょっと訳が違う。といってもそれぞれ場数を踏めるものなら、どちらも数をこなしてこそ、よりよい出逢いに恵まれる可能性が高くなるとだけは言えますね。
 いずれもこれは!と感じたら、まず声をかけるとか手にとってみることから、言葉による出逢いが始まります。その先、本と異性とではつきあい方がまるで違ったものになるわけですが、出合頭の決め手となるのは言葉、書かれた言葉と話し言葉の違いはありますが、やっぱり言葉じゃないでしょうか。
 立ち読みかそれともレジへ持って行くか、ある異性との距離をどのくらいにすべきか、それぞれ踏ん切りを迫られたとき、そこでは言葉の書かれ方や話され方が見極められているのかもしれません。
 しょせん自分だけというか、自分の方しか見ようとしない言葉にとどまっているだけなら、その本は立ち読みするまでもない紙くずに過ぎず、その異性は見えない距離に追いやられてしまうでしょう。
 まず自分をくぐらせること、それもどれくらい言葉に深さと強さしなやかさを持たせられているかが肝心なのでしょうが、そので突き抜け具合によっておのずと言葉が響く範囲、読み手聞き手にどれくらい届くかが決まってしまいます。
 何がどのように書かれ、語られようがいっこうにかまわないのだけど、どこかに届いているようなふりをしている書き言葉、誰かに届いている気にしてしまう見せかけの話し言葉に惑わされることが少なければ少ないほど、紙のうえでも実生活でもより豊かな言葉による出逢いが待ち受けているのかもしれません。
 朝の通勤時間帯のラジオ番組での話し言葉を日本の多くのドライバーの耳に届かせただけでなく、その内容を書き言葉にまとめあげて出版し、リスナーに買わせてしまった本を紹介しようとしているのですが、お聴きの感度良好のあなたなら、どんな書名の本かもう見当がついていらっしゃるかもしれませんね。
 『言葉のラジオ』(竹村出版、定価1,500円、1996年4月発行)という、このほんの成り立ちにふさわしい書名がピッタリな一冊を眺めてみましょう。
 カバーのイラストの羽が生えたマイクが小さくジャンプしていて、そのマイクスタンドの影が楕円形に小さく描かれています。その下は帯(腰巻き広告ともいいます)に隠されていて見えません。帯の背にあたるところは縦書きで、
 「人気ラジオ番組から生まれた、温かい本」と白抜き文字が語りかけています。
 帯の表側では、

 「耳をすませて(書き下ろし)読んでごらん。」と大きな字で語りかけ、
 その上では、二行にわたって、
 「TBS系列〈日本全国8時です〉の
 人気ラジオ番組が“活字”になりました!」
 とリスナーに訴えかけ、その下では、
 「きっと言葉が見えてくる、詩人・荒川洋治の世界」
 との一行で番組のパーソナリティを紹介し、

 帯の裏には、

 「この本は、ラジオみたいなものである。
  何かをしながらでも、
  聴くことができるからもしれないからだ。
  言葉たちの声がきこえるように、
  少しずつ、静かに、書いていこう。」
 という言葉で、この本にかけた著者の姿勢がしるされています。
   インターネットで荒川洋治を調べたら、この本の発行日から一カ月ちょっと後、1996年5月29日付けのデータが見つかりました。
詩人。文芸評論家。早稲田大学講師。
1949年、福井県三国町生まれ。早大卒。26歳のとき、
“詩壇の芥川賞”といわれるH氏賞を受賞、文筆生活に入る。
文芸評論、作詞、風俗ルポなど多方面で活動する一方、
詩書出版・紫陽社を創立、この20年多くの詩人を育てた。
1992年、三菱信託銀行のテレビ・コマーシャルに出演。
またラジオ番組では、ニッポン放送<テレホン人生相談>の司会、
TBSラジオ系列<日本全国8時です!>のコメンテーター(火曜朝8時)
として出演中。
著書に『現代詩文庫・荒川洋治詩集』(思潮社)、
評論集『言葉のラジオ』(竹村出版)『ロマンのページ
にパーキング』(毎日新聞社)など、40冊。
1992年から、産経新聞に文芸時評を連載。
1996年より、朝日新聞書評委員。
 というのが著者のプロフィールです。
 読み始めるまえに何となくこの本の帯を外し、カバー画のマイクスタンドの影の下にあたるところ、帯の裏に隠れていた小さな横文字、
 Radio Talk about Words
by Yoji Arakawa
 とある二行を読み取ったとき、なんだか自分の指でこの本のスイッチを入れたような気にさせられましたね。ここまででピーンときたらそれからは、文庫本じゃないからポケット・ラジオじゃないけど、携帯ラジオのように持ち歩いて、聴きたいように読むしかないのです。誰にも邪魔されず、一人ひそかに、言葉よ言葉とハミングしながら読んで聴かせるしかないのです。あなたのなかの言葉の「詩人」に。
 ということで、目次や本文に触れないままで、今回のブックレビューを終わらなければなりません。
 だって、『言葉のラジオ』というからには、自分でスイッチを入れなければ何にも言葉は聞こえてこないでしょう。
 でもねー、どんなにすばらしい書き言葉に溢れた本でも、かけがえのない異性との語らいには勝てませんよ。
 ということは、アベックからカップルに言葉は変わっても、相手のこころに言葉で灯をともすことのむつかしさ、大切さはそう簡単には変わるもんじゃないといえないでしょうか。

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第6話=19981017〈読書する女と図書館と〉『やっぱり本は面白い』安原 顕著、ジャパン・ミックス、1997年
 秋の週末のひとときを読書で!と意気込んでいるあなた、今でも最初の本との出合いを覚えていらっしゃいますか。これまでどれくらいの本を読んできたか数えられますか。
 「読書の秋」がめぐってくると決まって思い出す女子学生の出来事があります。30年あまり昔のことですが、とにかくよく図書館の本を借りて読む女(ひと)でした。判で押したように3日に一度は入学した大学図書館の閲覧カウンターに姿を現すのです。閲覧カードの貸出記録が誰よりも早くいっぱいになる大学生で、チョットでも顔を見せないことがあると、病気なのかなと気になったくらいでした。
 とある日曜の午前に耳にしたラジオの殺人事件のニュース、高岡で暴漢に殺されたのはなんとその読書好きの女子学生だったと知ったときの驚き。
 そのとき唐突に感じたものです。あんな風にもの静かに読みあさった本の量と質は一体何処へいってしまったのだろう。そしてあの娘はなぜあんなにしてまで読んだのだろうか、と。  その後も事件の犯人は挙がらず、その時感じた「人はなぜ読むか」という問いも未解決のままです。
 可哀想な読書する女子学生の3倍も生き長らえてしまった今でも、読むことの気恥ずかしさうしろめたさがくっついて離れません。何にたいして、誰に向けて、と聞かれたらどう答えたらいいのでしょう。
 「渡る世間に本などいらぬ」と孫を叱る明治11年生まれだった祖父さんの目を盗んで、それこそ夜なんか電灯を風呂敷で覆ったりして本を手にしたことが読むことの原点みたいになっている者もいるのですから。
 それ以来、彼にとっての読むことの節目というか変化の引き金は、結婚による妻子との生活以外になかったようです。独身のときと、世帯を持ったときとではまるで読みごたえが様変わりしてしまう本の存在がこのことを教えてくれたのでしょう。
 世間に足を踏み入れはじめた思春期の頃、本を求めて読むことのひそかな楽しみ、面白さをどこか奥深いところで引っ張ってくれていたのは異性をめぐる言葉によって母との物語を解体させてしまうことであり、結婚をし父親となってからはとにかく創造をかたどる言葉によって男としての不在を強いられ続けることに読むことの力点が移ってしまっています。幾つになっても、どんなに生活が変わっても、母のお腹をこの世のはじまりとせざるを得なかった時期をそれぞれが根源のように背負わざるを得ないことから逃れられないといってもいいし、強いられるといってもいいことからやってくる本を読む姿勢といったものがこの世にはあるのかも知れません。
 生まれ落ち、生き長らえてあることにどのようにこころがのっかっているかによって、それぞれの読むこと、言葉に対する感受性はずいぶん違ったものになってしまいます。
 本を読む姿をいっさい家族に見せることなく死んでいった祖父さんは孫に、本を読むこと、言葉による知識を身につけることへの処世術を語ってくれていたようです。
 面白ければ、読むなといっても読むだろうけど、言葉による知識などどうしたって腹の足しにもならないよと。
 読む読まないなどつまらないことはどうでもいいから、とにかく面白いものを見せて読ませてくれよ!という押しの一手でだいたい1996年の秋から1997年の夏にかけて読んだ内外の新刊本や見聞きした事柄について書いた文章をまとめたのが、自称スーパーエディター安原顕(やすはら・けん、通称ヤスケン)の『やっぱり本は面白い』(ジャパン・ミックス発行、本体1600円)です。70点あまりの新刊書をはじめ、CD、コンサート、映画、テレビ、舞台そして世相に向けて放った言葉のパンチがぎっしりつまった書評集といっていいでしょう。本書が10冊目とあとがきに書いてありますが、いずれも見つけたらついつい買って読ませてしまう歯切れの良さ躍動する文体の魅力にあふれ、どのページからもめりはりの効いたジャズを聴くようなここちよさを感じさせる語りのリズムが響いてきます。
 竹内書店の『パイデイア』の編集を皮切りに、中央公論社の『海』や『マリ・クレール』そしてメタローグの『リテレール』といった長い雑誌編集の仕事で培われた、すばらしい表現や面白い作品を世評を当てにせず探し当てるカンのよさは相変わらず抜群です。文壇の芥川賞、直木賞くそ食らえ、まず面白くないことには何も始まらない。二つ三つ評価しても、次作が駄目だったらくそみそに叩いてぶった切る。ということで、村上春樹のことなどかけらも出てきません。地域でも、職域でも、ジャーナリズムでもとにかく右に倣えの腐りきった風景しか見かけることができなくなって久しいのに、だれかれにおもねることなく、権威に臆することもなく存分に書きたいことをまっすぐにぶっつけた文章をお金を出して買って読めるということはまことに痛快で面白く嬉しいことじゃないでしょうか。
 現在の日本の作家の作品だけじゃ食い足りず、国外の作品を取り上げた書評ではアメリカなどの現代作家の面白い創作を掘り当てています。とりわけ著者自らが学研でプロデュースしたM.ヴェンチュラ『動物園 世界の終わる場所』などは五十を過ぎた男女をも夢中にさせてしまう三角関係を軸にしたラブストーリーの傑作といってよいでしょう。
 文壇書評の仲間褒めとは一線を画して国内の面白い本を持ち上げておいて読者にその本を書店で手にとらせたり、翻訳小説の紹介にとどまることなく読者を読みたい気にさせ、書評に取り上げた本を買わせてしまうスーパーエディター・ヤスケンの筆力が、あの誰よりも本を読むことが好きだった天国の女子学生にもしとどくことがあったら、と思わせるくらい本好きをますます読むことの面白さへと引き込んでしまう力のこもった書評集、安原顕『やっぱり本は面白い』をこの秋のあなたの読書の道しるべとしてみてはいかがでしょうか。
【著者紹介】 1939年東京都生まれ。早稲田大学文学部仏文科中退。「パイデイア」、「海」、「マリ・クレール」「リテレール」等の副編集長、編集長を経て、1997年4月からフリーに。著書に「なぜ作家なのか」、「まだ死ねずにいる文学のために」、「カルチャー・スクラップ」、「ふざけんな!」、「しつこく ふざけんな!」、「本など読むな バカになる」、「現在形の読書」、「ぜんぶ、本の話」、「ふざけんな人生 回想の50年・60年代」、「本を読むバカ 読まぬバカ」などがある。

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第7話=19981024〈駄洒落のようにちぎって〉『こんどはことばの展覧会だ』水戸芸術館現代美術センター企画、黒沢 伸/イチハラヒロコ監修、三修社、1994年
 10月に入った日曜の晴れた朝、眠気を覚ます花火の音は住民運動会の合図。小学生からおじいちゃんおばあちゃんまで、高くなる日差しとともに校下のグランドは徐々ににぎわい、いつのまにか町内対抗競技に歓声と拍手がわき、日ごろ馴染みの薄い住民たちが集い運動で競う姿は、まるで普段の暮らしぶりに埋もれたそれぞれの運動エネルギーが開花するひとときの展覧会のようです。
 身体的なストレスを解消させるのが運動だとしたら、こころのストレスを解消させるのは何なのでしょう。それはきっといつのまにか凝り固まったこころの筋肉を運動させることではないでしょうか。
 「どっからでもかかってこんかい。」と胸にプリントされたもらい物のTシャツを着たばっかりに、丸の内線の車内で「覚悟できてんだろうな、えっ」と酔っぱらいのサラリーマンにからまれた御仁がいたそうです。
 それぞれが勝手に持ち寄ったことばに思いっきり運動会をさせること。そうすれば会場に居合わせたこころはどのような動きを見せるだろうか。
 ランゲージアーティストのイチハラヒロコと水戸芸術館の呼びかけにこたえて、赤ちゃんからおじいちゃんまで、全国から寄せられた873本の作品を完全収録した『こんどはことばの展覧会だ』(企画:水戸芸術館現代美術センター 監修:黒沢伸 イチハラヒロコ、三修社発行、本体1553円)という本があります。
 「これらは、1994年の夏に、茨城県水戸市にある水戸芸術館現代美術センターとランゲージアーティスト、イチハラヒロコとの共同企画として、一般公募形式により開催されたワークショップ『こんどはことばの展覧会だ』への応募作品です。本書はそのドキュメント・カタログにあたります。年齢不問、テーマは問わず、ひとり1点かぎり、日本語なら30文字以内、英語なら12words以内というルールで全国より集まった873点のすべてを収録しました。1歳〜74歳に及ぶ873人の作者と水戸芸術館による企画との出会いが、どのようなものであったかは定かではありません。」(はじめに)とあるのがことばの運動会のグランドだったようです。
 たぶん、大きなパネルに印刷して展示された会場と本とでは、おなじことばを読んでもこころの筋肉の動きは違ったかもしれませんが、手当たり次第に「作品」を幾つか紹介するだけじゃなく自前の(コメント)もアドリブでつけてみましょう   。
 「愛や恋より 大切かもね くされ縁だね」
 (愛だの恋だののなれの果てがくされ縁だったりして。)
 「来ない人を待つ展覧会」
 (絵空事が人生さ。)
 「青田の中の母を呼ぶときまって答えるのは父の声であった」
 (これぞ夫唱婦随。)
 「君がいて 僕がいて 愛はない」
 (相手がいるのにぜいたく言うな。)
 「冗談は寝顔だけにして。」
 (起きた顔を見たら死んじゃうよ。)
 「あーア明日は会社た。」
 (仕事はサボるためにあるのだ。)
 「B型かて せつないんやで― たまには」
 (悔しかったら血液型変えてみな。)
 「嘘ついていい なんて 知らなかった」
 (そのうちほっといても嘘しかいえなくなるさ。)
 「特急電車で家出」
 (だったらスペースシャトルで帰れるかい。)
 「お茶請の心」
 (袖の下の心ってのもあるみたい。)
 「ウキャウキャウッキー ウキャキャウキャ」
 (あんたいったい幾つなの。)
 「赤い糸より 青い糸」
 (それバーの品定めかい。)
 ”TAKE IT EASY!”
 (Don't be that way!)
 「においのない恋愛 近頃ふえています」
 (カップルとアベックの違いみたいなもんさ。)
 「雪のうえで ふて寝」
 (氷のうえでたぬき寝入り)
 「マラカス みたいな 奴だった」
 (リズムが刻めりゃ一人前さ。)
 「つぎはぎな人」
 (おはぎが好きだったろ。)
 「凍った ペンギンが目覚める 夢をみた。」
 (ペンギンニストはもう眠らない。)
 「うわ――――――――――――――――ん」
 (おしま――――――――――――――――い。)
 ということで、ことばの二人三脚みたいになってしまいましたが、読んだら響くことばの運動会ってのもまんざら捨てたものではない、と思いませんか。
 ことばを紡ぎ出すこととことばの作品を読みきることとはまるで違うように見えますが、ほんとうはどちらも根は一緒、こころの筋肉によるかけっこみたいなものです。

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第8話=19981031〈ゼニ・カネの勝負なら〉『土壇場の経済学』青木雄二・宮崎 学著、南風社、1998年
 赤ん坊が生まれるときの産婦人科や、仏さんになったときの葬儀屋に次いで生活を 営んでいく上で利用しているものはなんだと思いますか。
 いわゆるクレ・サラ(クレジット・サラ金)や、さまざまなローンのたぐいですね。
 これまでに発行されたクレジットカードの発行枚数が二億数千万枚というから、成 人一人当たり数枚のカードを持っていることになります。今の日本人はクレ・サラからだけでも七十五兆円も借金しているというから、国民一人当たり六十万円のお金を借りていることになりますね。
 これは子供の人口も含めての計算だから、実際にお金を借りている人間に限れば、 この額はもっと大きくなります。ところが、この金額には、銀行や住宅金融公庫などから借りている住宅ローン、教育ローン、車のローンなどは含まれていません。しかし、これだって間違いなく借金ですよね。
 前から眺めて世界一の貯蓄大国といわれている日本の後ろ姿が、気がついたら「借 金しているのが普通」という暮らしぶりになってしまっています。
 自己破産者が年間七万人、いつそうなるかわからない多重債務者の数は百五十万人 を超えているとも言われている日本の借金地獄の現実に負けないように生き抜く、と いうかひとつ間違うととんでもないことになりかねないゼニ・カネの危なっかしい橋 をどうやってたくましく渡っていくかという汗や涙の匂いのする経済の現場の話が 『土壇場の経済学』(南風社発行、本体価格1500円)にいっぱい詰まっています。
 グリコ・森永事件の「キツネ目の男」として捜査対象となったり、『突破者』 (とっぱもの)という自伝本で人気を得た宮崎学(みやざき・まなぶ)と、金融業の 実態を生々しく描いた漫画『ナニワ金融道』をヒットさせた青木雄二(あおき・ゆう じ)の二人が、銀行や街(マチ)金などの血も涙もない実体を暴くだけでなく、彼らに対してどのように知恵を働かせ、負けないように対処するかを明るくそして面白く 書き起こしてくれています。
 それぞれの分担執筆範囲について青木雄二がまえがきで、
 「ただ、共著である以上、二人の一応の役割分担も必要となる。そこで、資本主義 システムの本質やその本当の仕組み、といった総論的なことについては僕が担当し、 僕なりの考えを示すことにした。同時に、金を貸し借りすることや会社に勤めること などの本当の意味も僕流に説き、これらをめぐる間題への対処法も紹介することにし た。
 宮崎氏は、今の日本人に降りかかっている諸間題に対する対抗策や逆襲法といった 実践面をもっばら担当し、エピソードなどを織りまぜながら過激、かつ具体的にタフ な生き残り法を紹介することにした。」と説明しています。
 大蔵省が頭脳で銀行が手足となってきた日本の統制金融システムの破綻を見抜き、 ゼニ・カネに躓き転ぶ人間模様に彩られた経済の裏側や最近の金融業界の実態を語っ てまったく暗さを感じさせないところが読んでて気持ちよく、また国とか会社をまっ たく当てにしていないスタンスで書かれているところがとてもスッキリしています。
 マスコミがあおり立て気味の不景気風に左右されず、ジャーナリズムが先導する不 況ムードに動ずることなく、しっかり個人消費の動向に目を据えて二人の著者が論を 進めている姿勢はなかなか好感が持てます。
 官庁エコノミストの講演会や、大学の経済学の授業なんかではとても味わうことの できない手応えのある一冊といえましょう。
◎著者の経歴  青木雄二  1945年京都府生まれ。岡山県の工業高校卒業後、神戸市の電 鉄、岡山県内の市役所勤務後、大阪でキャバレー、パチンコや店員、すし屋職人 見習いなど水商売を中心に30以上の職業を転々とする。デザイン会社を8年間経 営していたが、倒産し、漫画雑誌の懸賞金を目的に投稿した「50億円の約束手 形」が新人賞に入賞。金融業の裏の世界を描いた「ナニワ金融道」の連載が90年 からスタートして、ベストセラーとなる。一生食うに困らない金が入り、今の肩 書きは元漫画家。
 宮崎 学  青木氏と同じ45年に、同じ京都で生まれる。父親は京都伏見一帯 を縄張りにしていたヤクザの組長。高校生時代に共産党に入党し、早稲田大学に 進学後、東大闘争などで武闘を繰り広げる。稼業の解体屋を継ぐが、企業恐喝容 疑などで逮捕・検挙の経験も。倒産後上京して地上げなどを稼業とし、グリコ・ 森永事件では犯人の「キツネ目の男」に擬せられたこともある。自らの生い立ち を描いた「突破者」がベストセラーとなり、文筆、評論稼業を続けている。

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第9話=19981107〈人生の節目で〉『僕ならこう考える―こころを癒す5つのヒント』吉本隆明著、青春出版社、1997年
 来春に受験や就職を控え、どことなく心落ち着かない毎日をお過ごしの方もいらっしゃると思いますが、たとえば就職先選びの相談をもちかけた相手から「環境で選べばいいよ」とあっさり言ってもらえたらとてもほっとしますね。
 環境と社屋が第一という就職の決め方は、まるで住宅選びにそっくりです。本当にしたいことが分からないけどとにかく誰もがやってるから後をついていくというような就職活動の場合、「長くいてもいいな」という気にさせてくれる会社の居心地とまわりの環境で選びなさいと答えているのが、吉本隆明の『僕ならこう考える―こころを癒す5つのヒント』(青春出版社発行、本体価格1400円)です。
 「どうしたら面白く生きる自分になれるだろうか−人生の次の一歩がラクになる考え方、動き方の結晶。“戦後思想界の巨人”が初めて語った異色の書!」 というのが、キャッチフレーズです。
 著者については、年配のかたにはヨシモト・リュウメイというイメージで、お若いかたには吉本ばななの父ということで有名かもしれません。
 帯には「人間関係、仕事、恋愛、コンプレックス、自分・・・―大事なことの考え方、見つけかた―」とありますが、ふだん何気なくやり過ごしているようだけど、職場で、家で、けっこう左右されたりしている、一見やさしそうで難しい事柄について分かり易くていねいに考え、日常のどこにでも転がっていそうで、まともに答えるには冷や汗がでそうな事柄についても、いわゆる日本の知識人の一人としてではなく、戦後一貫して物を書いてきた一人の生活者としての知恵というか、叡智を働かせて答えている姿勢に、まるで普段着で相対しているような余裕のある読み心地を愉しめます。
 もともとは、青春出版社の中村富美枝さん、中山圭子さんの二人があらかじめ考えられた質問事項があって、それにその場で吉本隆明が即答するという形で、この本の原型がつくられたようです。
 サブタイトルにある「5つのヒント」そのものがこの本の大きな柱というか、質問事項とそれに対する答えの分け方になっています。
 「若いうちの遊びはスネをかじってでもしろ」というフレーズで「自分」の行方を見通し、私は誰か、私は何かを問う、第一章。
 「プロポーズの覚悟、離婚の覚悟」という形で「恋愛」の行方を見極め、感情と欲望の考え方を学ぶ、第二章。
 「苦手は避けて通れ」という態度で「社会」の行方にストレートに当たりをつけ、出来るだけ自由を生きるにはどうすればいいか、は第三章で。
 「僕が死ぬまえに出逢いたいもの」を手がかりに「真理」の行方が、どのように幸福になるために必要かを追求する、第四章。
 「良い顔になる老い方、自由になる老い方」ということから「生命」の行方に思いを巡らし、どのように安らぎの哲学へ至るか、へ向き合う第5章。
 以上の5つがおおよその構成ですが、思わずはっとするような答えを出してくる著者はもちろん、きめ細やかな質問を用意された中村、中山のご両人ににも拍手を差し上げたい出来栄えの問答集となっています。
 何を偉そうに、という反感を呼ぶこともなく、何をいまさら、というつまらなさに閉じこもらず、軽くてのびのびしていて、重さを感じさせずに読む人を、いつのまにかどこか新しいところへ連れ出してくれる、考えることの好きな人に心やさしい一 冊といえましょう。
著者略歴
 1924年、東京生まれ。詩人、文芸評論家。米沢高等工業を経て、1947年東京工大電気工学科卒。いくつかの会社に就職、組合活動・失職を繰り返した後、1957年より特許事務所に勤務。この間、詩人、評論家として活動を始める。60年安保闘争では全学連主流派とともに闘い、翌1961年より雑誌『試行』を創刊。文学論『言語にとって美とはなにか』(1965年)、社会論『共同幻想論』(1968年)、人間論『心的幻想論序説』(1971年)などの著作を生み出し、学園紛争時には著作集がバイブル視された。ほかに『「反核」異論』(1982年)、『マス・イメージ論』(1984年)、辺見庸との対談『夜と女と毛沢東』(1997年)など著作多数。 1996年には『学校・宗教・家族の病理』を定価のない非再版本として販売した。また詩集として『固有時との対話』(1952年)、『転位のための十篇』(1953年荒地新人賞)などがある。1997年『試行』が終刊。

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第10話=19981114〈語り下しそして描かれた〉『音楽のつつまし願い』中沢新一・山本容子著、筑摩書房、1998年
 例年、11月ともなると街のあちこちでさまざまな文化展、コンサート、色とりどりの展示会が盛んです。この秋、まだ一度も展覧会や音楽会に顔を出していない方々でも手軽に、絵と、音楽(論)と、物語を一緒に楽しめる1冊を紹介しましょう。
 『音楽のつつましい願い』、中沢新一(なかざわ・しんいち)著、山本容子(やまもと・ようこ)著、筑摩書房発行、本体2200円がそれです。
 物語を読むこと、版画を観ること、そして音楽を聴くことの素晴らしさがいっぺんに味わえ、装丁も含めてとても見事な出来栄えのこの本が誕生したいきさつについてインターネットで調べたら、こんなのが見つかりました。
 1997年10月、東京の下町・錦糸町駅前に、新しいビル群が立ち、その中心に大ホール、すみだトリフォニーホールがオープンした。新日本フィルが根拠地とすることになったこの新しい音楽の殿堂には山本容子の版画レリーフ、船越桂の彫刻、横尾忠 則の壁画、粟辻博の壁画、日比野克彦のオブジェなど、現代作家に依頼したアート作 品がふんだんに配置された。
山本容子の壁画レリーフは小ホールのホワイエに配置された。ほんのりとピンクのサンドストーンに線刻されたのは12人の作曲家たち。その12人の作曲家たちは、ベートーベンでもモーツァルトでもない、いずれもどちらかといえばマイナーな作曲家たちです。つつましい音楽家たちなのです。
今回の新作として、この壁画の原画となった版画全14点(壁画以外に2点追加)を販売致します。そしてこの作曲家のストーリーを中沢新一が書き、山本容子の原画を使って、「音楽のつつましい願い」(筑摩書房)という本が同時期に刊行されています。
ということですが、「すみだトリフォニーホール」まで出かけたことがない者でも、富山でこの本を手にすることによって、これから何かが始まる前奏曲を聴くような手ごたえを感じることができますね。
 「しずかに歌い出され消えていくもの」で始まる帯の言葉を読んだら、その「帯」を外したくなります。山本容子の作品を浮き彫りにあしらったカバーのデザインと質感がとてもいいのです。次に「カバー」を外すと、その山本容子の作品が印刷されたハードカバーが姿をあらわします。
 本書で楽しめる作曲家の版画と物語は、コダーイ・ゾルターン、エルネスト・ショーソン、アレクサンドル・ボロディン、アラム・ハチャトウリアン、山田耕筰、レオシュ・ヤナーチェク、フレデリック・ディーリアス、 ガブリエル・フォーレ、カルロス・チャベス、ミカロユス・チュルリョーニス、そしてフーゴー・ヴォルフの11人を対象としています。
 作品を聴いたことはおろか、名前も見聞きしたことのない作曲家が多いからといって後込みしたら、めったにお目にかかることのできない「音楽書」を聴き逃すことになります。これらのマイナーな11人の作曲家をネタに、誰も真似ることのできないお話をこしらえあげた中沢新一についてですが、かって彼を東大の教師として招こうという声があがったとき、「中沢新一の著書はアカデミックではない。従って東大教師としては不的確」ということで排斥運動をおこしたとんちんかんな大学教師たちがいたという逸話が残されているくらいですから、その著者が手腕を発揮した11編が面白くなかろうはずはありません。音楽を生み出す志にうながされ、「音楽のすばらしさを讃える前奏曲のような性格をもった作品を書き続けた、11人のつつましい作曲家たち。彼らが音楽にかけたつつましい願いと無限の愛情を、11の物語のなかに描き出」すことに見事に成功しています。
 ひょっとしたら、あまりにも「物語」が気に入ってしまって、その作曲家の作品を聴こうとする読者が現れるかもしれない一冊になるかもしれませんし、贈り物にしたくてついつい買い込んでしまう何冊になるかもしれない、そんな逸話もついてまわりそうなのが『音楽のつつましい願い』という本です。
【著者紹介】 〈中沢新一〉1950年山梨県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士過程終了。現在、中央大学教授。宗教学専攻。著書に「ポケットの中の野生」ほか。
〈山本容子〉1952年埼玉県生まれ。京都私立芸術大学西洋画専攻科終了。版画家。著書に「おこちゃん」「女、女」ほか。

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第11話=19981121〈ことばの座布団みーつけた〉『ことわざの力―この共生への知恵づくり』村瀬学著、洋泉社、1997年
 好き嫌いは別として、日本人であれば必ずと言っていいほど、その一つや二つは口にすることがあるものは何でしょう。
 たくあん、ぬかづけなどの食べ物のたぐいじゃないですよ。さて何でしょう?
 なになに、言わぬが花、だなんて、実例で答えるなんて凄いじゃないですか。
ということで、『ことわざの力―この共生への知恵づくり』 村瀬学(むらせ・まなぶ)著 洋泉社発行 本体価格2000円の紹介です。
 結婚式のスピーチや、式典の祝辞や、職場の訓示などで、気の利いた言い回しとして使われたりすることがあるせいか、これまでに辞書の形をとった「ことわざ」の本は何冊も出版されていますね。
 この本の著者は「石に花咲く」に「ことわざ」について考える手がかりを見つけだし、庶民の暮らしの中からどのようにしてさまざまな「ことわざ」が使われるようになったかを考え、実利的、実用的以外に「ことわざ」のさまざまな側面を掘り起こしてとても興味深く読ませてくれます。
 もともと「中世」に広がったとみなされている「ことわざ」がなぜ今になって見直されようとしているのかということがあるかもしれませんね。
 それについては、米ソ二大国支配の時代が終わり、再び世界が「たくさんの国」に分かれて、新たな争いと共存を求めだすような時代に入ってきているからである、と著者は「あとがき」で説明してくれています。
 「新しい中世」がはじまってきていると感じられる現在をイデオロギー的に統一するのではなく、さまざまな生活の場から見直す共存の発想があるのではないか。そういう考え方はいつの時代でもあり得るのではないか、ということでそのサンプルとして「ことわざ」に注目し、「ことわざ」を読み解き、一つの発想法としてとりまとめ、「ことわざ」の新しい見方を展開してみせる著者の文体はやさしくそしてあざやかで、どのページをめくっても言い古された「ことわざ」とのフレッシュでユニークな再会を楽しむことができます。
 「目次」を開いてみただけでも、その面白さが伝わってきそうです。
  「いろいろな花の咲き方」ということで、植物をめぐることわざで「人生のめぐり」が一覧できます。
  親子にまつわることわざでは「同一からの旅立ち」の世界が展開され、はっとさせられます。
 動物にまつわることわざの世界では「力のめぐり」に唖然とします。
 身体にまつわることわざからは「情報のめぐり」が導き出されています。
 衣・食・住など人間の生活を視野に入れたことわざでは、「粉飾のめぐり」、「侵犯のめぐり」、そして「安全のめぐり」といった生活のひだに潜むさまざまな局面が抉り出されます。
 ということで、1030のことわざがテーマ別に分類されているだけでなく、ことわざの思考法を読み解いていく心地よさとともに、日本語のニュアンス豊かな世界にいつのまにか誘い込まれてしまう読み物としても優れた出来栄えになっています。
 もちろん、検索に便利な索引付きで辞書的な使い方ももちろんできますよ。
 暮らしの中の知恵というか暮らしの中の言葉について日頃から「考える」クセを身につけ大事にしたいという心がけている人にとっては座右の一冊となるかもしれません。
【著者紹介】 1949年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。現在、同志社女子大学生活科学部教授。著書に「初期心的現象の世界」、「理解のおくれの本質」、「新しいキルケゴール」など。

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第12話=19981128〈流れ者が通り抜けた〉『漂流街』馳 星周著、徳間書店、1998年
 今年の夏に、国内の携帯電話とPHSの保有台数が4千万を超えたそうですが、国民の3人に1台という普及率の裏には、さまざまな使われ方が隠されているでしょうね。
 ニューメディアとしてのこの携帯電話を小説の小道具として見事に使いこなしている『漂流街 』(ヒョウリュウガイ)、馳星周(はせ・せいしゅう)著、徳間書店発行、本体価格1700円、を紹介しましょう。
 帯の表紙側のキャッチフレーズには「怒りと焦燥をみちづれに、暗黒小説が疾走する。奪った、金とヤク。逃げた。殺した。追われている-警察に、中国人に、ヤクザに。日系ブラジル人マーリオのたったひとりの闘い。」とありますが、都会の裏の世界をなりわいとしている主人公が、怪しげな中国マフィアやしたたかでしぶとい日本のやくざ、そしてひとすじなわじゃいかないうさんくささに包まれたガイコクジンといった背景を持たされた、ひとくせもふたくせもある登場人物それぞれとのせっぱつまったやりとりや虚々実々のかけひきにどうしても欠かせない小道具となっているのが携帯電話なのです。
 主人公のマーリオ(日本名は佐伯広志)が衝動的に手を染めた金がらみの殺人から目論むことになるヤマのなりゆき、そのヤマに絡んでくる登場人物の描写の巧みなこと、最後まで飽きさせない場面展開、どれをとっても申し分がなく、ふやけきった日常への反歌としてのアウトローの世界を描いて、通俗的な勧善懲悪のレベルを突き抜けてみせてくれた、まことに痛快というか、爽快な一冊といえましょう。 2段組、454ページ(原稿にして約1200枚)のハードカバーですが、もたれたりつっかえたりすることのない歯切れのいい文体で書かれているので、すばらしい編集で仕上げられて映像が切り替わる映画感覚のノリで楽しめますね。 裏表紙の帯には、著者のデビュー作と読み比べた中条省平のコメント「『漂流街』の深い絶望に比べれば、『不夜城』の暴力はまるでメルヘンだった。」に連ねて、「鮮烈な非情!炸裂する暴力!行くべき場所などどこにもない。だれにも頼れない。おれはひとりだ。おれにはなにもない。だれかれかまわずぶちのめしたい。おれはなぜおれだ。魂の暗黒 絶対的な孤独を描ききった傑作」と持ち上げた宣伝用の言葉が印刷されています。
 これから読もうとする人のために、あらすじをバラさないで、この本の面白さを伝えるのはなかなか難しいですね。  おそらく読み終えた誰もが、このキャッチコピーが嘘じゃなかったというか、ともすればセックス描写を織り込んだだけの荒唐無稽で薄っぺらで陳腐なタッチの劇画ストーリーか、いわゆる純文学と称したひとりよがりの蛸壺小説が氾濫する出版界にあって、著者が自らの現実感覚をバネに、作者としての力強い情念を見失うことなく作品に昇華させ、都市の巷のデートクラブの用心棒がたどる彫りの深い物語として表現してみせた力量と、並みの作家には真似のできない孤立した人物像を描き出した手腕に脱帽するでしょう。
 主人公の荒れすさんだ無意識世界を形作ったと思われる悲惨なブラジルでの幼少期の生活をちらりと間接話法で盛り込みながら、東京にやってきてからの主人公のその後を、主人公の内面をインサイドストーリーとして陰影と強弱のある下地としながら、ハラハラドキドキで展開するミステリー仕立ての小説として一気に読ませてくれる立体的な筋立てに成功しているのも『漂流街』の優れた魅力の一つになっています。
【著者紹介】 1965年北海道生まれ。出版社勤務を経てフリーに。坂東齢人の名で『本の雑誌』などに書評・文芸評論を発表していた。小説デビュー作「不夜城」で吉川英治文学新人賞を受賞。

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第13話=19981205〈「12歳の子ども」の行方を問う〉『トゥエルブY.O.』福井晴敏著、講談社、1998年
 書店の新刊書の平積み台で見つけた今年の収穫のなかでもずば抜けた1冊となるであろう29歳の新人作家の「スペクタクル・サスペンス」小説、福井晴敏(ふくい・はるとし)著、『トゥエルブY.O.』(トゥエルブ ワイオー)、講談社発行、本体価格1500円を紹介しましょう。
 表紙には、英語で、Twelve Y.O.と大きく印刷してあるので、毛色の変わったウィルス小説かなと思って手にとって見たら、帯の『12(トゥエルブ)―――それは「十二歳の子供」と断罪された日本が、隠し持っていた凶暴な牙。行き場をなくした男たち、女たち、そしてこの国が大人になるための、壮絶な戦いが始まる。』と書かれた言葉に気を惹かれ、続いて帯に『人生の意義を見失い、日々をただ過ごしていただけの自衛官募集員・平貫太郎(たいら・かんたろう)は、かっての命の恩人・東馬修一(とうま・しゅういち)に偶然出会ったことから、想像もつかない日本の地下組織の闇に呑み込まれてゆく。最強のコンピューター・ウィルス「アポトーシスU」と謎の兵器「ウルマ」を使って、米国防総省(ペンタゴン)を相手にたった一人で脅迫劇を仕掛け続ける電子テロリスト・トゥエルブとは何者か。彼の最終的な目的は何なのか?』と印刷された言葉にそそのかされ、この本についての何の予備知識もなく出会えた読者は幸せというか、思わぬ拾い物に膝を叩いて喜ぶに違いない335ページのハードカバーです。
 野戦訓練中の事故で入院中の平(たいら)を東馬(とうま)が見舞い、語りかける次のような言葉があります。
 「何も安保を破棄して、独立した軍隊を作れというんじゃない。ただ自立した一個の大人として、最低限の体裁を整えればそれでいい。人に頼るのではなく、自分で情報を取り、自分で考え、自分で決める。過去に迷惑をかけた相手には率直に詫び、卑屈になることなく、対等の人格として他者とつきあう。それだけのことだ。だがアメリカやソビエト、企業の利権代表者しかいない国会には、それができない。共有するモラルも伝統もなく、経済を唯一の価値観にしている国民には、自分の代表を選出する能力もないというわけだ」
 すさまじい戦闘や、アクションシーンのあいまに、さもあたりまえのことのように語られるせりふがとてもカッコよく響いてきて、とにかくスッキリとした辛口の読書を思いっきり楽しめます。
主人公に絡む女、理沙(りさ)や夏生由梨(なつきゆり)といった登場人物もとても魅力的で恋愛小説の好きな女性読者にも見逃せない一冊となるでしょう。
 たまたま見かけた書評雑誌で、著者のインタビュー記事に「映画が好きで映画の仕事に就けたらとおもっていたんです。でも、日本ではハリウッド級の映画を作ることは難しい。それで、小説だったら紙と鉛筆さえあればいいわけですから、こっちで好きなことを書けばいいと思ったんです」という執筆の動機を語った言葉がありましたが、それをものの見事にすばらしい作品で実現してしまうパワーを持った若者の出現に驚くとともに心から喜びたいですね。
 本作品が江戸川乱歩賞の第44回受賞作となったのもなるほどと肯けますが、今後の著者が生み出す作品世界を期待させる、『トゥエルブY.O.』(トゥエルブ ワイオー)の魅力にひたってみてはいかがでしょうか。
【著者紹介】  1968年東京都生まれ。私立千葉商科大学中退。1997年、初めて応募した作品「川の深さは」が第43回江戸川乱歩賞の最終候補作品となり、その並々ならぬ資質が選考会で大きな話題を呼ぶ。現在、警備会社に勤務。

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第14話=19981212〈第一人者が語った〉『ニッポン政治の解体学』滝村隆一著、時事通信社、1996年
 日本では、「政治の話」以上に人気のないものは見出せないと言われていますが、1990年代の日本の政治を統一的に誰にも分かり易く説得力のある文体で解き明かした『ニッポン政治の解体学 』(ニッポン セイジ ノ カイタイガク)、滝村隆一(たきむら・りゅういち)著、時事通信社発行、本体価格2136円、というちょっと他には見出せないとびきりの政治の一般書の紹介です。
 「日本は経済は一流だが政治は三流」といわれてきましたが、第3次産業の成長によって産業構造が変動したため、とくにバブル崩壊以後はその経済も一般大衆の財布の紐の締まり具合で一流の座も揺らぐだけでなく、大衆が握っている消費需要の動向次第では、三流といわれる政治の座も危うい状況になりつつありますよね。
 この三流と断定されてきた根拠は、野党のだらしなさや不甲斐なさはさておいて、戦後の政権政党自民党の醜い権力闘争と金権腐敗体質を生み出す日本独自の派閥政治にあり、ということで繰り返し非難され糾弾されてきています。
 本書のずば抜けた面白さは、第1部「派閥政治終焉の軌跡」がいわゆる通り一遍の派閥一般論ではなく、自民党の派閥とは何かを、個々の政治的人間が日常的に繰り返している、政治的諸関係のドラマのなかにひそむ、政治家を根本から規定する政治的な組織・制度を、まるでCTスキャンにかけたかのようにあぶりだしているのを読み始めたら直ぐに分かります。
 自民党が選挙に勝つ条件を供給するのに欠くことのできない、親分―子分関係の形成と”三バン”供給という車の両輪ともいうべきシステムをフル稼動させて選挙に勝ち続け、国家意思を規定する立法権を掌握した多数党による代表者を政府(内閣)として転出させ、執行諸機関(執行的権力)をも直接掌握し続けてきた、戦後日本の国家権力の本質を解き明かしてみせるくだりなど思わずぞくぞくしますね。
 ”三バン”とは、いわゆる地盤(ジバン)=絶対確実な支持票を集め得る組織、選挙資金(カバン)=年平均1億5千万円、そして看板(カンバン)=強力な政治的パワーを象徴する社会的地位・肩書きのことですが、1990年春から1994年にかけての、非自民連立政権が崩壊して村山政権が成立するまでの政局を主題としながら、戦後40年近く循環するように再生産され続けた、自民党の派閥体制の解体過程を鮮やかに分析した著者の見事な手腕は、第2部での、日本政治を語るに欠けないアメリカの世界政策の特異性の、冷戦時代の崩壊の前後を含めた国際世界の中での、際立った把握の仕方、第3部における、保守「革命家」小沢一郎が残したもの、彼の著書『日本改造計画』を俎板の上に載せながら、「小沢革命」挫折の歴史的意味…の徹底的な解明、そして第4部において、小沢時代が終焉した1995年から1996年6月までの政局を概観したうえで、日本政治の近代国民国家としての完成を強くさまたげている、我が国固有の〈アジア的〉特質の統一的解体においても、あますところなく発揮されていて最後まで飽きさせません。
 主に各種マスコミの政治記者や政治小説家の手によって政治家個人に焦点を当てたいわゆる実録ものや、日頃書斎に閉じこもっている政治学者の手になる政治制度中心の解説本には指も触れない一般読者を振り向かせるだけの手応えをもって、日本の政治を解体してみせた初めての書き下ろし本といえるでしょう。
 一般書の体裁をとっているとはいえ、著者が30年にわたって追求してきた政治理論的な諸成果の大半が注ぎ込まれた『ニッポン政治の解体学 』によって政治の見方・考え方を体得した読者には、日々の新聞や週刊誌に載せられる政治記事の裏の裏まで見通すことがいとも簡単にできてしまうかもしれません。
【著者紹介】 1944年岡山県生まれ。法政大学社会学部卒業。現在まで一貫して権力・国家・政治制度等を世界史の展開の中で把握する理論的作業を続けている。「唯物史観と国家理論」他著書多数。

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第15話=19981219〈ジャズを語る記憶力〉『さよならバードランド―あるジャズ・ミュージシャンの回想』ビル・クロウ著、村上春樹訳、新潮社、1996年
 『バードランドが僕の出身校だ。僕はシアトルのワシントン州立大学でしばらく学んだことがある。でもそこをドロップアウトしてニューヨークに出てきたあとは、バードランドが僕にとってのモダン・ジャズの大学になった。自ら範を垂れて教育してくれる輝かしき教授陣は、世界最高のジャズ・ミュージシャンたちであり、その楽長とでもいうべきはチャーリー・パーカーだった。だいたい「バード」という彼のニックネームから、バードランドの名はつけられたのだから。』という流れるような書き出しではじまる、1950年代、ジャズ黄金時代のニューヨークで活躍したベーシストの自伝的交友録『さよならバードランド―あるジャズ・ミュージシャンの回想』(サヨナラ バードランド)、ビル・クロウ著、村上春樹(むらかみ・はるき)訳、新潮社、本体価格2816円、を紹介しましょう。
 今じゃ映画音楽にとどまらず、テレビのコマーシャルや、有線放送にもジャズが流れるようになってきていますが、モダン・ジャズ隆盛期のスター・プレイヤーを含む数々のエピソードを丹念に拾い集めてくる著者の溢れんばかりの記憶力と、ベースをペンに持ち替えてそれらを表現できる才能は、ジャズ・クラブのライブ演奏とその中継放送や、コンサートやスタジオでの演奏を収めたレコードでしか窺い知れなかった1950年代のニューヨークのジャズシーンを、493ページのハードカバーのなかに生き生きと映し出しています。
 小説家としてデビューする前にジャズ喫茶をやっていたこともあり、本書でも小説作品に通じるあたかも音楽に浸るような翻訳文体の冴えで楽しませてくれている村上春樹は「訳者あとがき」で、ベース・プレーヤーとしての著者について「華麗さ豪放さには欠けるが、ビル・クロウの飾りやおもねりのないインテリジェントでシュアなプレイは多くのミュージシャンに愛され、また信頼された。レコードで聴くかぎり実にソロの少ないいかにもバイプレーヤー的なベーシストであるが、聴き込んでいくと決して職人肌というタイプでもないことがわかる。」という評価の仕方をしていることからもわかりますが、著者のビル・クロウは演奏でも言いたいことがちゃんと言える、自己主張のできるミュージシャンですね。
 ビル・クロウはベースで飯を食うようになるまでに、いろいろ回り道をしたり、名前のとおりそれなりの苦労もあったようですが、いろんな物事に対しての途絶えることのない好奇心とそのずば抜けた記憶力に裏打ちされた文章家としての力量が遺憾無く発揮された本書の魅力のひとつとして、それこそいろんな仲間ともども、何よりもジャズを演奏する喜びが満ち溢れていることがあげられるでしょう。好きで打ち込めるもの、ジャズという音楽に出会い、仲間とともに演奏することによってひとつの時代をしっかり踏みしめて生きることの純粋な喜びそのものですね。本書のページをめくっていくジャズをよく知らない読者の耳にも、これだけはストレートに響くかもしれません。
 マイルスやミンガスといったジャズの巨匠の自伝とか、チャーリー・パーカーやビリー・ホリデーの伝記しか読んだことのない読者だけでなく、これからジャズを聴こうかな、何かいい本でもないかなと探しているお若い方々に特にお勧めしたい一冊です。ちっともジャズを知らなかった人はとにかくジャズが聴きたくなり、ジャズの好きな人はますますジャズが聴きたくなるという、とにかく読者をジャズの虜にしてしまう一冊になるかもしれません。
 なお、本書の舞台となっている「バードランド」はニューヨークの52丁目から44丁目に移転して現在も営業しており、ジョージ・シアリングの「ララバイ・オブ・バードランド」やウェザー・リポートの「バードランド」と言った曲名にまでなっている由緒あるるジャズ・クラブです。
 和田誠の素敵なイラストや、村上春樹によるとても詳しい私的レコード・ガイド、そして主要人名索引もついていてほんといたれりつくせりの本作りの姿勢もいいですね。
【著者紹介】 〈ビル・クロウ〉1927年アメリカ生まれ。50年代前半にベーシストとしてニューヨークのジャズ・シーンに登場。ミュージシャン・ユニオンの代表として活躍するかたわら、雑誌にジャズ評論を発表。
【訳者紹介】 〈村上春樹〉1949年生まれ。小説家。著書に「使いみちのない風景」「ふわふわ」「村上朝日堂夢のサーフシティ」「辺境・近境」「若い読者のための短編小説案内」「ねじまき鳥クロニクル」ほか多数。

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第16話=19981226〈計画犯罪のカードを切る〉『レディ・ジョーカー』高村 薫著、毎日新聞社、1997年
 今週の、そして本年最後にご紹介するのは、昨年の暮れに刊行された『レディ・ジョーカー』上、下、高村薫(たかむら・かおる)著、毎日新聞社発行、本体価格上下各巻1700円です。
 本作品の、キャッチコピーには、
 『「要求は20億。人質は350万klのビールだ。金が支払われない場合、人質は死ぬ。話は以上だ。」 一兆円企業・日之出麦酒を狙った未曽有の企業テロはなぜ起こったか。男たちを呑み込む闇社会の凄絶な営みと暴力を描く。』
 「犯罪の愉楽に発狂する男たちの臓腑。犯罪が犯罪を呼び、増殖し続けるレディ・ジョーカー事件。犯人たちの狂奔とそれを覆う地下金融の腐臭はいつ止むのか。そして合田刑事を待つ驚愕の運命…高村文学の新たな頂点を記す叙事詩。」
と書かれていますが、日之出麦酒社長、犯人、警察官をはじめ、幸福な登場人物が誰一人として見当たらない、まるで出口の見つからない現実の閉塞感を浮き彫りにして見せてくれるような深さをもって読者に迫る「営利誘拐」物のミステリーです。
 未解決に終わった14年前の「グリコ・森永事件」の枠組みを借りて書き上げられた、原稿にして2300枚に及ぶこの長編小説は、高村薫作品の大好きオタクや日本のミステリーファンの枠を超えて、私たちが生きている日本の現実にしっかり向き合った作品を読みたいと願っている読者にとっても忘れることのできない小説作品のひとつとなるかもしれません。
 しっかりしたきめ細やかなストーリー展開、胸打たれるような生きる意味を問う姿勢、手に汗握るスリリングな面白さ、どれをとってもなるほどとうなづける、高村薫レベルの作家としてはあたりまえでしょうが、残りページが少なくなると読み終えてしまうのがもったいなくなってくるような手応えで迫ってくる小説といえましょう。
 上巻のページを開くと、岡村清二という男が書いた古い「怪文書」の引用から始まります。そこには、ずいぶん前に日之出麦酒社員だった男が「部落差別」のために解雇、自殺したと記されていたのです。
 続く一方では、この小説には、競馬好きの五人の仲間が登場します。その一人、トラックの運転手市川の娘は重度の身障者なのですが、市川はいつもその子を車椅子に乗せて競馬場にきているのです。
 あるとき、その娘が初潮を迎え、仲間たちから「レディ」と呼ばれるようになるのですが、これが本書を読み終えた後にその意味について考えさせられることになる読者がいるかもしれない、小説のタイトルの由来なのです。
 その5人の仲間とは、薬局を営む物井(実は岡村清二の弟)、品川署(後に蒲田署)の部長刑事半田、信用金庫職員である高(韓国人)、旋盤工の松戸、それに市川です。
 ビール会社側の人物は、日之出麦酒代表の城山、秘書の野崎、同じく副社長の倉田と白井、取締役杉原(城山の義理の弟)、歯医者の秦野とその妻(実は物井の娘)と息子、秦野の息子の交際相手(実は杉原の娘)、総会屋グループ岡田経友会顧問の田丸、民主党代議士酒田とその秘書青野ということになるでしょうか。
 さらに重要な役で登場している合田雄一郎刑事については、著者の『マークスの山』や『照柿』(てりがき)の読者にはもうお馴染みですね。
 政治がらみの登場人物を除く誰もが、社会的地位や金のあるなしにかかわりなく、仕事や人生に漠然と疑いを抱いたり、もしや違う人生があったのではとのつかの間の想いにとらわれたりしているように読めるのですが、とりわけそうした5人の心がそれぞれの動機にとらわれそしてうながされつつも、ひょっとしたら「もうひとつの人生」もたらすことになるかもしれないある事件を企てることになるのです。
 彼らの目的(犯罪)はいったいどのような展開を見せ、成功するのかしないのか?とりあえず成功したとしたら、それはほんとうに「もうひとつの人生」をもたらすことになるのかならないのか?もしそれぞれの思惑とは違うかたちでもし「生きている実感」が与えられたとしたら、それも「犯罪」の真っ只中で与えられることになったとしたら?
 「人は陰が大事」という諺がありますが、筋立ての面白さに加えて、登場人物それぞれの陰まで見事に描いて読者に語りかける高村薫(たかむら・かおる)の『レディ・ジョーカー』を紹介しました。
【著者紹介】 1953年大阪府生まれ。国際基督教大学卒業。「黄金を抱いて翔べ」で日本推理サスペンス大賞、「リヴィエラを撃て」で日本推理作家協会賞、「マークスの山」で直木賞をそれぞれ受賞。

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第17話=19990102〈ロックで人生を語る〉『ぼくが愛するロック名盤240』(講談社+α文庫)ピーター・バラカン著、講談社、1998年
 あけましておめでとうございます。
 新年早々ご紹介するのは、3年あまりかけて書き下ろされた『ぼくが愛するロック名盤240』(ボク ガ アイスル ロック メイバン ニヒャクヨンジュウ)、ピーター・バラカン著、講談社、本体価格980円、(講談社+α文庫 )です。
 好感のもてる洋楽通として人気のブロード・キャスター、ピーター・バラカンが自らのこころに響いた1960年代から1990年代にかけてのロック作品を厳選。アルバムを自分の手でレコード棚から取り出してくるようなコメントと、それぞれのアルバムにまつわる短い紹介文を加えた完全書き下ろし本。
 文庫本で出されたことはしょうがないとしても、この本はありきたりのタイトルでまったく損をしているよ。担当編集者はなぜ、著者が申し出た「マイ・ジェネレーション」としなかったのだろう。
 日本における洋楽業界のどうしようもない誤ったカタカナ書きにこだわる著者だけあって、選び抜かれたロック・アルバムもさることながら、そのアルバムを日本の読者に向けて語って見せた日本語の文体から、ロックを聴いて育った著者のロンドンにおける青春と来日後の東京における生活の光と影がしっかり伝わってくるというのに。  もしこのタイトルだけ見て、よくあるロックのアルバム・データと通り一遍の解説を集めただけのいわゆるカタログ本の類にみなされ、手にとって見てくれる腕の数が減るようなことがあるとすれば、あまりにも寂しい。
 ひょっとしたら本書の担当編集者に「ザ・フー」が残した名演のひとつ「マイ・ジェネレーション」に込めた著者のひそかな想いが届かなかったのだろうか。
 実現することのなかった著者のタイトルへのこだわりのために、昨年の5月に再発されたベスト・アルバムの歌詞カードに拠る訳をここで聴いてくれているリスナーの皆さんにぜひ伝えておくべきだろう。
 マイ・ジェネレーション

たむろしてるってだけで
みんな俺たちをへこまそうと躍起だ
あいつらのやってる事って凄く冷淡さ
年とる前に死にたいぜ
これが俺たちの世代
俺たちの、ベイビー
消えちまえよ、みんな
俺たちの言うことみんな理解しようとするなよ
大センセーションを起こす気なんかないさ
話そうぜ、俺たちの世代のこと(リフ)
これが俺たちの世代なんだ
俺たちの、ベイビー

 3分そこそこでバッチリ決めた演奏にパンクの心意気が今なお息づいている。これぞ著者がタイトルにしたかった「マイ・ジェネレーション」。時代は変わったが、今もなお生きにくい世の習いは相変わらずというべきか。ロックのこころがわからずして時代を生きる編集者もDJもあったもんじゃない。ただただ取り残され、ひたすら置いてかれてしまうだけ。
 ヴァン・モリソンの作品は「夢やぶれた時代にこそ聴きたい魔法の音楽」、彼の名盤「ムーンダンス」こそ「夢のかけらもなくなった九十年代にも不可欠な音楽だ。」という言葉に、著者が一人のロック好きな生活者として現在という時代に向き合う姿勢を読み取っていいのかもしれない。
 青春時代に出会ってけがえのない音楽となったロック・アルバムの数々を語ることによって、期せずしてロックに目覚めさせてくれた家族や仲間そして仕事の来歴までが、控えめながらページのあちこちにあぶりだされている。そうさせずにはおかないほどの著者の音楽への愛情がこめられたレコードやCDの紹介本なんて、そうざらにあるものではない。
 30年におよぶロック・シーンを、ウサギの耳のように敏感なこころでしっかり聴きとってきたからこそ書けた本です。そして今じゃ子供たちに伝わるまでに育まれたロック魂がいっぱいこもった本書は、これからロックを聴こうとする世代へのお年玉の一冊となるかもしれません。
【著者紹介】  1951年、イギリス・ロンドンに生まれる。ロンドン大学日本語学科を卒業。1974年、来日。シンコー・ミュージック勤務を経て、YMOの海外コーディネーションを担当。ラジオ・テレビの司会のほか、新聞、雑誌などに執筆中。
 著書には、『ラヴソング』(ラヴ ソング) A kiss is just a kiss 、ピーター・バラカン著 山本駿介(やまもと・しゅんすけ)著、求竜堂、本体1922円、『ミュージック捜査線』(ミュージック ソウサセン)、ピーター・バラカン著、新潮社、本体466円、(新潮文庫 )、『魂(ソウル)のゆくえ』(ソウル ノ ユクエ)、ピーター・バラカン著、新潮社、本体427円、(新潮文庫 )などがある。

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第18話=19990109〈人体を見直す〉『ヒトのからだ―生物史的考察』三木成夫著、うぶすな書院、1997年
 お屠蘇気分もほぼ抜けた週末にご紹介するのは『ヒトのからだ―生物史的考察』(ヒト ノ カラダ) 、三木成夫(みき・しげお)著、うぶすな書院、本体価格2200円です。
 もとはといえば1968年に刊行された「原色現代科学大事典・6・人間」の中の1章を単行本化したもので、人体を生命40億年の進化の歴史的産物として捉え、単純なものから複雑なそれへの過程がきわめて解り易く解説されているソフトカバーです。
 飲みすぎや、食べ過ぎそして夜更かしによる風邪引きなど、お正月はとかく体調が気になったりしますね。胸焼けがしたり、胃が重かったり、お腹が張ったり、何らかの自覚があってはじめて臓器や器官に意識が集中したりします。
 一般的にヒトの一生とからだということでは、若いころは見栄えや容貌、中年になるとお腹のたるみや肌のつやの衰え、老年にさしかかるころは生活習慣病をはじめとした病をとおして死と向き合う。
 義務教育時代に見たことのある人体模型によるからだの把握から一歩も踏み出せないままに生きているのがなんとなく物足りないというか、結婚して子どもができてその成長につきあったりしているうち、ひとのからだについてあまりにも無知だったことに気づかされたりもしている。
 大方の日ごろのからだとのつきあいは、だいたいこんなもんでしょうか。
 そうした先入観を洗い流し、ひとのからだについての無知を根本から揺り動かしてしまうわかりやすさと説得力に満ちた本といえば、三木成夫が残したこの『ヒトのからだ―生物史的考察』ということになるでしょう。
 まっさきに驚くのは、胃とか腸とか呼び習わされている臓器の一つ一つがなぜあのような形で、そのようなところにあるのかということを、これしかないという根拠を示して打ち明けられたことなど、これまでにあっただろうかということにつきます。
 もとをただせば、それぞれの臓器は消化する管の壁が膨らんじゃったのだとか、栄養を吸収する機能が強くなったため、溜まり場のように袋の形になったものだとか、進化論的な由緒がヒトのからだに包み込まれた器官それぞれにあることをこんなにわかりやすく説明されたら、読者はヒトのからだについての本当の知識の姿に驚きそして感銘を受けるかもしれませんね。
 生まれてから死ぬまで、自分や他人につきあうということにおいて、誰にとってもヒトのからだについてよく知っておくということ以上に切実な関わりはないかもしれません。植物と動物における栄養―生殖の営み方の違いがやがて植物性器官と動物性器官へと展開するくだりなどを初めて読むと、かって暗記暗記で追いまくられた生物や理科の授業が虚しく情けないものに思えてしょうがなくなる読者もきっといるでしょう。
 なかには、ヒトのからだについてここまで詳しい専門的な知識はいらないという読者もいるかもしれませんが、この本の三木成夫という著者のここまで根本的な考え方の方法に接して損をしたと思う読者はおそらくひとりもいないでしょう。
 ヒトのからだの来歴と成り立ちについて、植物や動物の「からだ」をも包み込んだ上で、生物の全般を見通した発生学と形態学の考え方を緻密に正確に組み合わせたとても見事な達成を読む想いがします。こんな人が日本にもいたんだなという思いでいたく感動させられる本なんてめったに出会えるもんじゃないでしょう。
 わかりやすく読みやすい本ですが、学問はありきたりの知識の拡大なんぞじゃなく、あたりまえのことを根拠づけて見せる創造的な作業であるということを徹底的に体現してくれています。
【著者紹介】 1925年香川県生まれ。東京大学医学部卒業。元東京大学教授・医学博士。著書に「胎児の世界」「生命形態学序説-根原形象とメタモルフォーゼ」など。87年没。
『人間生命の誕生』 三木 成夫/著 ; 築地書館   没後ますます評価の高まる著者の、未だ成書されていない論文、講演録、エッセイなどを、生命論・保健論・人間論・形態論として編んだ、「三木学」のエッセンス。
『内臓のはたらきと子どものこころ』 三木 成夫/著 ; 築地書館   こころの目覚めは、食と性の宇宙リズムである内臓波動をひきおこす。「小宇宙」としての内臓から「こころ」を考えるために。82年刊の増補新装版。〈ソフトカバー〉
『生命形態学序説』 三木 成夫/著 ; うぶすな書 「解剖学」と「形態学」の2つを超えた「三木学」の一端をかいまみせる一冊。生き物の姿の時空を超えた形を、発生後の人間の胎児の成長段階になぞらえ、これまで誰もしえなかった深い洞察を行う。
『海・呼吸・古代形象』 三木 成夫/ ; うぶすな書   解剖学のスペシャリストが贈る、生命の不思議の数々。受胎32日目から一週間の間に胎児がたどる水棲段階から陸棲段階への旅、肺呼吸達成の困難さが、今日私たちに残す影響(精神集中すると呼吸がとまってしまう)など、鋭い視点で進化の痕跡を追う。
『生命形態の自然誌』 第1巻 三木 成夫/著 ; うぶすな書 
『胎児の世界』 三木 成夫/著 ; 中央公論社
『内臓のはたらきと子どものこころ』 三木 成夫/著 ; 築地書館

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第19話=19990116〈ネットワーク上の殺人鬼〉『神の狩人』(講談社文庫)グレッグ・アイルズ著、雨沢泰訳、1998年
 国内でもインターネットのホームページや伝言ダイヤルなど、通信手段の高度化・簡便化を背景とした「事件」が相次いでいますが、今週紹介するのは現代アメリカを舞台にネットワーク上で、発生する猟奇殺人事件の謎を追ったサイコ・スリラー『神の狩人』(カミ ノ カリウド)上、下巻、グレッグ・アイルズ著、雨沢泰(あめざわ・やすし)訳、講談社、本体価格上下各800円、(講談社文庫)です。
 上巻の帯には「インターネットの谷間で獲物を探す男の正体!?オンラインネットワークEROS(エロス)の会員が次々殺される。しかも、特殊な方法で・・・・・。ネット上を自在に動きまわる天才殺人鬼!」というキャッチフレーズ。
 下巻のカバーには、『EROS』サイトで獲物を探す恐怖のモンスターは、鉄壁のはずのFBIのコンピューターにも侵入し「お前は私の敵ではない」と大胆不敵な宣言!システム・オペレーターの“僕”は女性になりすまし殺人鬼に挑む。ネット上で全人格を賭けての両者の会話が行き交う。「羊たちの沈黙」にも匹敵する興奮のスリラー!、という紹介文。
 試しにインターネットでこの作品を調べたら、
「カリン・ホウィートという作家が殺害された。彼女は「EROS」という性をテーマにした高級ネットの会員だった。有名な会員が殺害されたことで「EROS」のシステム・オペレーターのハーパー・コールは「EROS」会員と殺人事件の結びつきに確信を持った。警察に告げた彼の最悪の予想は正解だった。次第に一連の猟奇的連続殺人事件が浮かび上がる。FBIの犯罪分析官レンズ博士が架空の女性を囮にして<ブラフマン>という謎の人物に接近するが…。
相手の姿が見えない、正体が分からない、誰が見ているかわからない。ネットの危険と殺人事件を結びつけた現代的な恐怖。」
という情報にぶつかりました。
 これだけだと、なーんだ数年前に映画化(アンソニー・ホプキンスが患者9人を殺した元精神病医ハニバル・レクター役、ジョディ・フォスターがFBIアカデミーの訓練生クラリス・スターリング役を演じた)されて再び売れた10年ほど昔の傑作、トマス・ハリスのサイコロジカル・スリラーの二番煎じか、そうじゃないとしたらその舞台をネットワーク上に移し変えただけの凡作だろうということで敬遠する読者がいるかもしれませんね。
 だとしたらその人は、密室の端末にモデムをつないでデジタルな感触を頼りにどこまでも手応えのない触手を伸ばしていく未知の体験というか、イっちゃってる殺人者とのきりもみするようなチャット上でのやり取りの凄さを読み逃してしまうことになります。
 これまでにもパソコン通信やインターネットを小道具に使った小説や映画はいくつかありましたが、ネットワーク上の人格の匿名性を武器にしてここまで緊迫したストーリーを展開させてみせた著者の筆力は十分に読者を楽しませてくれるでしょう。
 主人公のハーパー・コールは30代半ばにさしかかろうとする挫折した元ロック・ミュージシャン。企業をリタイアして今じゃ昼は投資家、夜はシステム・オペレーターの二足のわらじをはいた所帯持ち。35歳を目前に控えダウン症の子どもの発症率の高騰を知っている産婦人科の医者でもある妻のドルーは、初産の高齢化を心配して子づくりをしたがっている。子どもが出来てはじめて結婚の階段をのぼりつめたところで新しい扉が開くことになると思いながらも、夫のハーパー・コールはなぜか妻の願いに素直に応じられない。というのも、シスオペをしているネットワークがらみの事件に巻込まれる数ヵ月前、妻の妹のエリンの子どものホリーの実の親について重大な事実をエリン自身から打ち明けられていたのだ。それぞれが結婚にいたる前のシカゴで、エリンとハーパーには「小さな死」を伴うようなつかの間のエロスに燃え尽きた二人だけの秘密があった。
 のっぴきならない場面に立たされた二組の夫婦関係の出口の見つからないきしみ、そんな彼らをとりまくニューオーリンズ育ちの親族や風土とのしがらみに取り憑かれた実名のなまなましい世界と、不気味な連続殺人が匂いはじめたネットワーク上の匿名の世界との狭間で、「EROS」のシステムを仕切る天才プログラマーでもある幼馴染のマイルズ・ターナーとのぬきさしならない腐れ縁に助けられたりしながら、主人公ハーパー・コールと殺人鬼のブラフマンとのエリンや妻をも巻込んだ追いつ追われつの死闘がくりひろげられていく。
 出生の秘密とその後の来歴、自らの人格形成から異端の徒と先端技術の双方を操っての殺人に至る何から何まで桁外れの殺人鬼を追い詰めるニューオーリンズ市警の刑事やFBI特別捜査官たちは、さまざまな動機がうごめく実名の世界と匿名の仮面を張り巡らしたネットの世界に橋をかける狂言回しのような役回りでストーリーに厚みを持たせることに成功しています。
 筋書きの背景となっている「インターネット」に著者が変な幻想を持たせたりしていないので嫌味がなく、上下二巻の長編にもかかわらず、一気に読み進めてしまう面白さです。『羊たちの沈黙』みたいに映画化されるようなことがはたしてあるだろうか、といった興味もわいてくる読者もいることでしょう。

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第20話=19990123〈世紀の大打者〉『野球人』落合博満著、ベースボール・マガジン社、1998年
 日本プロ野球界が生んだ今世紀最後の大打者、落合博満の打席を二度と見られなくなった想いで彩られたこのシーズンオフに、彼独特の4番打者としての絶妙なタイミングの取り方で『野球人』という本が出版されました。きっと不動の4番バッター落合が自らの引き際に打ったホームランボールのように手にしたファンもいることでしょう。
 1998年のシーズンを最後に20年間の現役野球生活にピリオドを打った彼自身のバットがこれまでに打ち立てた数々の記録が達成された球場に運良く居合わせたということなんてことは、日本みたいな都市部を中心としたフランチャイズ・システムではめったに望めませんが、この1冊には最も魅力ある4番バッター「野球人」落合の名勝負、そして彼の野球に対する熱い想いが溢れています。
 引退セレモニーのようなものを耳目にすることはなかったようですが、第1章「落合は引退しない」には、昨年の10月14日の会見の「引退のようなもの」を口にするに至った事の成り行きが淡々と語られています。それにしても、どう転んでも比べようがない西浦克拓との「4番戦争」を演出することしか出来なかった日本ハム首脳陣の手腕が招いたツケは大きかった、というか残念としか言いようがない。4番落合だからこそ常にスタメンにあってダイヤモンドに立ち続けることによってのみ発揮できる、日本ハムでペナントレースを戦う動機と戦意を殺いだだけにとどまらず、手が届いていたはずのまたとない優勝まで取り逃がしてしまうことになった。おそらく1998年のペナントレースを戦って、日本ハムほどファンにストレスを与える野球をやってしまったチームはないでしょう。このような日本ハム(首脳陣)のチーム姿勢は落合の野球観と相容れないものであったということ、そしてプロ野球シーズンをひとつの球団が一丸となって戦い抜くことの難しさと面白さが、この第1章から伝わってきます。
 第2章では、「落合博満 十番勝負」ということで、彼がこれまでの野球人生を振り返り、スラッガーとして日本野球界のトップに登りつめるまでの数々の節目でいかに技を磨き、これでもかと立ちはだかる投手にどのように真っ向勝負を挑んでいったかが披露されていてまことに興味深い。そしてここでも落合の抜群の記憶力に驚かない読者はいないでしょう。
 ロッテに入団して2年目の1980年5月14日、ひょっとしたらあの高商出身の捕手の土肥健二(間違ってたらゴメンナサイ)じゃなかったかな、彼のバットスイングの手首の使い方を盗んで自分のスイングに取り入れ、たまたま二軍戦で対戦することになった一軍の投手佐藤道郎の投球をホームランできたことがスラッガー落合博満誕生の原点になったこと。
 三冠王獲得とロッテから中日へのトレードが落合のプロとしての生き方を決めることになり、左右のポール際への飛球がファールにならず、本当にどんなボールでも、スタンドへ飛び込むようなうち方をマスターしたこと。
 十番勝負での圧巻は、なんといっても「其の四」の1986年11月3日メジャー・リーグ選抜チームとの日米野球、西武球場での第3戦(4番ファースト出場)の第1打席におけるジャック・モリス(当時デトロイト・タイガースで21勝)と勝負した「たったひとつの結果が打撃を狂わせた」ことだ。
 ロッテ時代(1979〜1986)に首位打者5回、三冠王3回というとてつもない記録を打ち立てた彼が、中日時代(1987〜1993)には本塁打王2回、打点王2回ということで、首位打者にはどうしても届かなかったバッティングの狂いが生じたたこと、そしてバットを置くまでその違和感を修正できなかったことが正直に明かされている。
 しかし、この落合のメジャー勝負ともいうべき初体験が、いったん作り上げ完成させてしまったバッティングにはおのずと通用する範囲と限界をともなうという、技術を磨き上げることの奥深さとそれを支える人間の脆さ、そしてそのような野球の技術を培う場としての日米野球の根源的な差異についてまで日本人の野球観を深めることになったことは特筆に価します。
 そのほか、監督・落合の理想のチーム、21世紀の野球界への提言などを語っている本書は読者に、あなたが最も野球を面白く楽しめる場所はどこですかと問いかけているようです。
  【著者紹介】1953年秋田県生まれ。東洋大学中退。79年にドラフト3位でロッテオリオンズに入団。86年中日に移籍後、巨人、日本ハムを経て、98年引退。著書に「勝負の方程式」など。

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第21話=19990130〈思想の言葉のバッテリー〉『世紀末「時代」を読む』滝村隆一、芹沢俊介著、春秋社、1992年
 「世紀末」とか「終末」という言葉がずいぶん巷を賑わしているというか、なんか目につきませんか。書店に行くとそういったたぐいの言葉が溢れているようですが、今日ご紹介するのは売らんかなの駆け込み出版のたぐいではなく、1990年代のはじめに、現在という時代を見つめ直した滝村、芹沢両氏の対談を本にまとめたものです。天安門事件に続いて世界の半分が揺れに揺れた直後、「直面する世界史的激変に、日本はどう対応すべきか」という姿勢で発行された本です。
 「私たちを包み、私たちをむしばんでいるはずの時代の病が何であるかを、探り当て、それを私たちの言葉で明らかにしたいという素朴な欲求に発している」(まえがき)三回に及んだ対談で目前の対決すべき《敵》として現れたのは妖怪のように蔓延っているある特徴的なものの考え方、まさに世紀末という時代の象徴する病を作り出している根源!著者はそれを「機能主義論理と呼ぶのがふさわしい思考の型」として位置付け、いくつかの事例をわかりやすく抉り出してくれています。
 リスナーの皆さんも思い当たることがありませんか。政財界や、さまざまな業界そのほかの組織を牛耳っているいわゆるボス達がやることなすことの「自己の論理に疑いがなさすぎる」こと、なによりも1990年代を象徴する阪神大震災やオウム・地下鉄サリン事件が引き寄せた圧倒的に悲惨な光景に無自覚でありすぎることなど。
 知る人ぞ知る政治理論・思想家である滝村隆一と優れた社会評論家の芹沢俊介の二人に、激変する「時代」のスタジアムで「現在」を迎え撃つ「言葉」のバッテリーを組ませた編集者の手腕も読者から評価されるでしょう。
 これが問題だという議論の対象として各章で「バッターボックス」に迎え入れているのは「さまざまな場面における時代の病いの表現であるとみなし」たあれこれの考え方の「代表選手」ということになります。
 立ち上がりは「激変する世界構造と日米関係」ということで、盛田昭夫・石原慎太郎『「NO」と言える日本』(光文社)、かわぐちかいじ『沈黙の艦隊』(講談社)、そして大前研一『新・国富論』の三つをめぐって、日米関係と軍事・防衛問題、政治と国家と国連、政策論と多国籍企業の問題などが掘り下げられています。ここで気づかされることの一つは、日本じゃ物事を企画立案し動かしていく係長を含めた中間管理層がアメリカや中国における組織には見られないという指摘、これが面白いですね。
 中盤では1991年7月1日のワルシャワ条約機構解体が象徴する、『「社会主義」体制の崩壊とマルクス主義』の空洞化のからくりの組織的な解明から「ソ連クーデター」にからむゴルバチョフの改革の理解へと、当時の新聞やテレビ・ラジオのニュース解説では決して得られなかった、本書ならではの生きた言葉のやり取りが展開されます。これが凄いです!
 締めくくりは「現代思想の陥穽―柄谷行人+岩井克人批判」ということで、柄谷行人と岩井克人の対談『終りなき世界』が俎板に載せられています。それにしても二人とも束にされてここまでコテンパンにやっつけられて、当の二人はその後どんな反論を展開したのか、出来なかったのか、その後の消息が気になる読者もいるでしょう。
 もろもろの現実の事象に対する理解の仕方に認められる「非歴史的な把握」というかたち、そして「政治という枠組み」を徹底して無視するという態度、この二つを否定すべきあれこれの思考の型の典型ということで徹底的に粉砕している本書が提示している原則的な態度から読み取れるのは、未来への展望も絶望も手に入れることは不可能だ、としか言いようのない世紀末「時代」の壁を前にしたわたしたちの立ち姿なのかもしれません。
【著者紹介】 芹沢俊介(せりざわ・しゅんすけ) 1942年、東京に生まれる。1965年上智大学経済学部卒業。現在、文芸・社会評論家。
滝村隆一(たきむら・りゅういち) 1944年、岡山県に生まれる。1970年法政大学社会学部卒業。現在、政治学者。

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第22話=19990206〈目覚めた五七五〉『寒冷前線』吉本和子著、深夜叢書社、1998年
 カルチャーセンターの俳句教室、職場の俳句サークル、地域の俳句仲間、そして新聞や雑誌の俳壇など、その数の多さでは隆盛の様相を呈している俳句業界とは関わりのない地平からとても素晴らしい処女句集が現われましたね。
 「帯」にこんな詩が印刷してあります。

    おかあさんは、おおきな海をかくしていた。

   おかあさんに、
   吉本和子という
   名前があることさえ、
   ぼくは忘れていた。
   なんでも受けとめて、
   なんでも笑い飛ばして
   いるように見える、
   あのおかあさんが、
   こんなにおおきな海を
   かくしていたなんて。
   五七五の韻律の
   窓からだけなら、
   見てもいいですわよ、ですか?

             糸井重里

 吉本隆明の雑誌というか、彼が主宰していた『試行』という雑誌の読者にとっては、37年もの長きに渡ってその雑誌発行に関わる事務を一人で切り盛りしていた「おかあさん」としてスゲーナーとこころひそかにその労をねぎらう気持ちでいたところ、まさに晴天の霹靂とはこんなことをいうのでしょうか。
 戦後日本の第一級の思想家であり庶民吉本隆明の奥方、漫画家のハルノ宵子(吉本多子)そして小説家吉本ばなな(吉本真秀子)の母だけではおさまりがつかない方だったのですね。
 傑物一つところにおさまらず。煩雑をきわめる雑誌事務からの解放がはやくもかくも見事な華を咲かせたよろこびを知人・友人・家族が綴った、小冊子「吉本和子句集『寒冷前線』に寄せて」には二人の娘の素直な驚きと賛辞も載っています。
 姉のハルノ宵子いわく、
 『母はとんでもないことに齢70にして、いきなり”俳句”というオトコから”愛されて”しまったのです。愛されていれば、今自分が持てる2か3の力を10として発揮することができます。愛されている自信が表現に、のびやかさや奔放さを与えます。実際母が俳句を作る様を見たら、プロの俳人の方々は「なめんとんのかわれー」と、ぶつける石を捜しに走り廻る事でしょう。母は空気中から植物から猫どもから貰った素材を、陽性なデカダン、乾いたロマンチシズム、ミステリーマニアの勘などをもってやっつけます。「う〜ん10句位作るのはカンタンなんだけど、なーんか平凡なのよねー。」とかのたまいながら、パズルを楽しむように語句を組み換えて行くのです。と書くと、まるで小手先ででっち上げているかのように思われるかも知れませんが、実はしっかり天空の”ことば”をキャッチして人間の17文字に置換しているのです。(置換のテクニックはまだ未熟かと思いますが)』
 妹の吉本ばなないわく、
 「人を、その見かけやしゃべり方に接しているだけで理解したつもりになってはいけません、と私たちは教わって育つが、三十代になって、しかもこんなに身近な存在からそれを思い知らされるとは人生とは、すごいものだなあ、と母の句を読んで思った。さまざまな感情がうずまいて、涙が出てきた。
 こんな人がいるのだろうか?ここに表されているのは国宝級の純粋さだ。
 たぶん、本人が最も表したいのは老境にさしかかった女性の心の、時には暗く重く沈むある風景なのだろうと察するし、それは実にていねいに表現されている。しかし、なによりも抑えても隠してもあふれでてくるのはこの人の精神の根本の美しさ、自然に対して抱く幼女のような清らかな、新鮮なまなざしだ。それらは憂鬱も不安も絶望も、本人が描こうと決めたものさえもおしのけて、生命の喜びを、この世の美を、そこにあることの幸福を繊細なメロディーで、力強く奏でてしまっている。」
 「おとうちゃん」吉本隆明のことばはこの小冊子にはないのですが、「あとがき」に吉本和子はこんなふうに書き留めています。
 『結婚して間もなく夫から「もし、あなたが表現者を志しているのだったら、別れたほうがいいと思う」といわれた。理由は、一つ家に二人の表現者がいては、家庭が上手く行く筈がないという事であった。驚嘆したけれど夫は既に、二冊の本を自費出版していたし、ちょっと辛どい恋の後でもあったので、友人とも相談し「ま、子育ても表現のうちか」と納得することにした。』
 通俗的な身贔屓や手垢のついた仲間誉めを別にすれば、どんなに優れた人、存在といえども本来的に日常の最も身近な人たち、身内、家族からは正当にというか額面どおりに評価されにくいのがあたりまえでしょう。
 私たち読者はもちろん、その身内を驚かすくらいに吉本和子の処女句集の出来栄えは見事なのです。
 綺麗な化粧箱からそっと取り出し、ページをめくってまず出会う、

  蛇黯く眠りしままに春立ちぬ

 最初の一句がストンとからだに入り込んだら、ああ〜これはいい!なのです。五七五の音数律も、季語の約束事もどうでもいい状態です。

 春の四十八句、夏の四十八句、秋の三十八句、そして冬の六十一句、一読一行詩に心洗われ、潔くみずみずしい感性に出会う読者冥利ここにあり。

  枯れ葉捲き上げ寒冷前線通過中

 書名が採られている著者の人生そのもののような一句です。
 書中の猫の句を読みながら今週のブックレビューを終わりにしましょう。

  現在(いま)だけに命削りて猫さかる

  生き暮れて猫を抱けば猫温し

  逝きし猫家中に在り春の宵

  亡き猫の温もり確かめ春目覚め

  この宙に桜と猫と吾とあり

  病み猫の軒去りゆかず五月雨るる

  暑し猫石を抱きて四肢垂るる

  夏痩せし猫懈き舌水に垂る

  しなやかに子猫ら翔ばす良夜かな

  逝く猫の目を閉じやれば月のぼる

  老猫の目も和みたる小春かな

  寒風に真向かいて猫夜を研ぐ

  病み猫を目の隅に置き賀状書く

  病み猫を抱けば部屋染む冬茜

 

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第23話=19990213〈追いつめられた主婦達の挽歌〉『アウト』桐野夏生著、講談社、1997年
 「弁当工場のパートを勤める平凡な主婦は、なぜ、同僚が殺した夫の死体をバラバラにして埋めたのか。そして、この行為が、17年前に封印された殺人の悪夢を解き放った…。女たちが突っ走る荒涼たる魂の遍路の行きつく果ては。」というのがキャッチフレーズ。
 ミステリーとはいっても、いわゆる「謎解き」の的は「犯人捜し」とは違うストーリー仕立てなんです。今の日本にありふれた庶民の暮らしからはみ出すように起こった「事件」の「背景」に潜む「何か」にチョットつき合ってね、と読者を引き込んでしまうような面白さがあります。  舞台は都内近郊の、車か自転車がないと動きがとれない寂れたニュータウン。  主人公は香取雅子(43歳)という名の主婦。生活費のため深夜業務(午前零時から午前5時半まで)のコンビニ用の弁当工場で働き、高校を退学になってから両親と口もきかなくなってしまった一人息子の伸樹(17歳)、ある時から寝室を別にしてセックスレスになった夫良樹(45歳)との3人暮らし。
 この雅子がなかなかうまく描けていて、20歳くらい若くしてSFの世界で活躍させても、きっと攻殻機動隊隊長の草薙素子(「GOHST IN THE SHELL-攻殻機動隊-」士朗正宗原作、押井守監督作品)に負けないだろうと感じさせるほどの魅力があるんです。
 そんな雅子に弁当工場で働く三人の仲間がいるんですが、それぞれの生き方の癖みたいなものが読ませるのです。
 まず、城之内邦子(自称29歳、実は33歳。)は内縁の夫と別れ、現在は独り暮らし。「ローン地獄」にはまっている見栄っ張りです。
 そして、手先が器用で誰よりも仕事が早いもんだからみんなから「師匠」と一目おかれている吾妻ヨシエ(中学卒、五十代半ばの寡婦。)には、娘が二人がいる。その一人は男を作って家を出て(ヨシエに子供[孫]を押しつけた彼女はそのまま姿をくらます)いる。家には、もう一人の高校生の娘の美紀と、脳梗塞で6年間寝たきりの姑がいて、ヨシエは毎日この姑の下(シモ)の世話をしている。
 もう一人の仲間は山本弥生(山梨の短大卒、34歳、3歳と5歳の男の子を抱えた借家住まい。)といい、夫の健司はバカラ賭博と女に狂って家をないがしろにし、500万円あった貯金もすべて使い果たし、この3カ月は給料も家に入れていない。
 ほかに重要な役柄で男が二人ばかり絡んできます。佐竹光義(43歳)と、雅子が信金のOLをしていた時の顧客で今は零細なローン会社を営んでいる十文字。これは邦子が借金をしている会社の一つなのです。
 佐竹は20年余り昔に、あることで女を虐殺してしまい、7年間の服役後、名前を変えて新宿歌舞伎町でクラブとバカラ賭博の店を開き繁盛している。この隣り合った二つの店に入れ揚げた挙句にクラブのナンバーワン・ホステス安娜(アンナ、日本に来て4年、20歳)をしつこく口説いたりしているのが、なんと山本弥生の夫の健司なのです。金も底をついた健司を、佐竹は軽く痛めつけたうえで二度と店に顔を向けたりするなと脅かしたのです。その晩に帰宅した健司がはらいせとばかりに爆発させた家庭内暴力に、遂にキレて見境がつかなくなった弥生は発作的に夫を彼のベルトで首を締めあげ殺してしまう。
 車を持っていた雅子は、死体処理に困り果てた弥生から相談を持ちかけられ、名づけようのない連帯感から、嫌がるヨシエを50万を餌に強引に引きずり込み、たまたま雅子の家に立ち寄った邦子にも金をちらつかせて手伝わせ、自宅の風呂場で健司の死体を解体し、ゴミ袋に入れて捨てる。
 実際に殺す殺さないは別として似たような話ならどこかの町内に一つや二つは転がっているという読者もいるでしょうが、これはまだ物語の発端でしかなく、ここから大きく舞台が動きとんでもない事件へと話が動いていきます。2段組、447ページに無駄な流れはありません。
 クライマックスに挿入されている、エロスとタナトスの祭壇での饗宴を演ずる佐竹と雅子の暴力的な濡れ場が、二人の無意識部分の見事な描写になっていて読者を唸らせることでしょう。手加減しない著者のパワーと力量が溢れた作品です。
 この小説の書名は、洋画によくある一語のタイトルみたいにピタッと決まってるんじゃないでしょうか。
 野球であれば「ストライク」と「アウト」、だいたい見れば誰にも判ります。ところが人生の「イン」と「アウト」は当の本人にも一生懸命であればあるほどよく判らない。周りの者にはなおさら見当もつかない、というのが今の日本の生きざまではないでしょうか。すべからく人生に王道は無く、それぞれが背負った甲羅に似せて道を外れていかざるを得ず、どのように外れているかを知っている事こそが何事かであると。
 本書の発売(1997年7月)後にそんなことを思わせる「事件」が相次ぎ目に付いたことでも読者にとって印象深い一冊となるでしょう。
【著者紹介】 1951年金沢市生まれ。東京育ち。成蹊大学法学部卒業。会社員を経てフリーのライターになる。93年「顔に降りかかる雨」で第39回江戸川乱歩賞を受賞。

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第24話=19990220〈自分流〉『インターネットを使いこなそう』(岩波ジュニア新書283)中村正三郎編著、岩波書店、1997年
 今年に入って、日本の「インターネットショッピングの利用者、4人に1人は年間5万円以上購入」、「米政府、インターネットショッピングを統計に」とか「インターネットの普及により遠隔教育市場が拡大の兆し」なんてニュースを目にしますが、ブームとしてのインターネットは一段落というか、初期のユーザーの一部がリタイアしていく退潮期にあるようです。
 一時的な流行り廃りを伴いながらも着実に利用者が増えつつあるインターネットで何ができるんだろう、インターネットを始めるにはどうしたらいいんだろう?そんな関心のある方々が最初に出会うのにうってつけの一冊といってよいでしょう。
 中学生からお年寄りまで、やる気はあるけど知識がない読者にとっつきやすくわかりやすくて面白いインターネットの入門書です。わかりやすい概要やそのしくみの解説だけに終わらず、実践的なガイドとして役立つように作られた新書です。
 具体的にインターネットにどんなサービスがあり、どうしたらそれが使えるようになるか、またホームページはどうやってつくればいいのか。日常の道具として使いこなすのに必要な事柄がきっちりと押さえられています。
 コンピュータ関係の本にはやたら難しくてわかりにくかったり、簡単そうなんだけど無味乾燥なだけで書いた人の血が通っていなかったり、素人にはなじめないのが普通だけど、これくらいの入門書が書ける著者となるとチョット気になる読者もいるんじゃないでしょうか。
 かって、「パソコン業界の裏の裏を本音で書き、あげくに世界最大のソフトウェアメーカー・マイクロソフトの逆鱗に触れて連載中止に追い込まれた、『The BASIC』の人気記事「電脳曼陀羅」をまとめて一冊にした」こともあったというのが著者の中村正三郎を有名にしたようです。
 ある程度パソコンを使い込んだ読者であれば、一度は「自分はだまされているのでは」と感じる、「パソコン業界の裏の仕組み」を知り尽くしたプログラマー上がりの著者だからこそこんな入門書を書けるのかも知れません。
 それにしても天下のマイクロソフトに噛みつくなんて凄いじゃないですか。まして「マイクロソフトの暗部を抉り、圧力を受け」たとなるとコンピューター雑誌の物書きとしては生きていけないだろうにに、現在も言い続け書き続けいているところを見ると、著者にはきっと支持者も少なからずいるのでしょうか。
 常に歩みを止めることなく刻々と変化し、成長し、改善されるインターネットを新しいコミュニケーションの道具として位置づけ、そのインターネットの由来や内幕、情報の探し方、接続方法などをわかりやすく説明しようとする著者の姿勢は、ありきたりのテクニカルライターには真似のできない過去の体験に根差しているのかもしれませんね。
 パソコンとスキーはどこか似ています。とにかく最初の出会いが肝心!本書のような出来映えの入門書はインターネットとのまたとない出会いを読者に用意してくれることでしょう。
【著者紹介】 1959年福岡県生まれ。 1981年九州大学工学部電気工学科卒。 1983年九州大学工学部情報工学科修士課程修了。 同年、(株)管理工学研究所に入社。日本語ワープロソフト松シリーズ、日本語入力フロントエンドプロセッサ松茸シリーズなどの開発に従事。1989年より(株)ソフトヴィジョンに勤務。文書交換の中間形式RTFJなど多くのソフトを手がける。情報処理学会、ACM、IEEE各会員。 著書に「電脳騒乱節」(技術評論社)シリーズ、「星降る夜のパソコン情話」シリーズ、「改定新版電脳曼荼羅」、「インターネット・ビギナーズガイド」トレイシー・ラクウェイ著、中村正三郎監訳、トッパン(アジソン ウェスレイ・トッパン情報科学シリーズ67 )などがある。 ASAHIネットにて「星降る夜のパソコン情話」会議室の連載分科会「On The Move」でエッセイを連載中。
ホームページ http://www.asahi-net.or.jp/~ki4s-nkmr/index/html

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第25話=19990227〈魂に触れる〉『リトル・トリー』フォレスト・カーター著、和田穹男訳、藤川秀之挿画、めるくまーる、1991年
 1976年に初版がアメリカで評判になった後、1985年に復刊され、そして日本語訳が1991年から読めるようになって以来、この本にはいろいろと賛辞が寄せられているようです。
 「アメリカで、日本で、
あらゆる層の人々から激賞された
感動のロングセラー」
 「美しい自然のなか、両親を亡くした5歳の少年は祖父母の愛情に包まれてインディアンのライフ・スタイルと精神性を学んでゆく。優しさと痛みとユーモアにあふれたこの物語は、きわめて素朴な語り口ながら、魂の最深部からの共感を呼び覚ましてくれる。」
 「『リトル・トリー』は、いつの時代にも新しい世代の人たちによってくりかえし発見され、読みつがれてゆくべき『ハックルベリー・フィンの冒険』などと肩を並べうるまれな本である。全篇美しく滋味に富んでおり、読者はとてつもないおかしさに笑わせられるかと思うと、痛切な感情にはげしく胸を揺すぶられるにちがいない。……万人の精神に語りかけ、魂の最深部に訴えかける力を持っているのである。」   元・南イリノイ大学法学部長   オクラホマ大学アメリカ・インディアン法律政治研究センター所長   レナード・ストリックランド(チェロキー・インディアン)
 「『リトル・トリー』はチェロキーの編む籠のようだ。自然が恵んでくれた材料で編まれ、デザインはシンプルで力強く、たくさんのものを運べる。この本は「小さな古典」と呼ばれてきたが、私の感じではそれ以上のものだ。……環境、家族の絆、人種差別、人間関係……この本はそのすべての問題について深い関心を寄せている。この本は今の世に求められている。」   『それでもあなたの道を行け』の編者/作家/語り部   ジョセフ・ブルチャック(アベナキ・インディアン)
 21の話を収めたこの作品は、チェロキー・インディアン(アメリカ先住民族)の血筋を受けたリトル・トリーと呼ばれる5歳の少年が、インデアンのおじいさんとおばあさんと一緒に暮らしながら、こころというものについて、鳥や獣や樹木や山々と言葉を交わす感性について、死ぬことの未開的な有様についてなど、いろんなことをどのように身につけていったかを、まるですっかり忘れていたことを読者に思い出させるかのように語りかけてきます。
 第8話で主人公のリトル・トリーがじぶんの秘密の場所を隠しきれずにお祖母さんに打ち明けたとき、お祖母さんはインディアンなら誰でもそんな秘密の場所を持っているんだよと語ったついでに、インディアンのこころというものの見方についてこんなふうに語ってくれます。
 「だれでも二つの心を持っているんだよ。ひとつの心はね、からだの心(ボディ・マインド)、つまりからだがちゃんと生きつづけるようにって、働く心なの。からだを守るためには、家とか食べものとか、いろいろ手に入れなくちゃならないだろう?おとなになったら、お婿さん、お嫁さんを見つけて、子どもをつくらなくちゃならないよね。そういうときに、からだを生かすための心を使わなくちゃならないの。でもね、人間はもうひとつの心を持っているんだ。からだを守ろうとする心とは全然別のものなの。それは、霊の心(スピリット・マインド)なの。いいかい、リトル・トリー、もしもからだを守る心を悪いほうに使って、欲深になったり、ずるいことを考えたり、人を傷つけたり、相手を利用してもうけようとしたりしたら、霊の心(スピリット・マインド)はどんどん縮んでいって、ヒッコリーの実よりも小さくなってしまうんだよ。」
 「霊の心(スピリット・マインド)ってものはね、ちょうど筋肉みたいで、使えば使うほど大きく強くなっていくんだ。どうやって使うかっていうと、ものごとをきちんと理解するのに使うのよ。それしかないの。からだの心(ボディ・マインド)の言うままになって欲深になったりしないこと。そうすれば、ものごとがよーく理解できるようになる。努力すればするほど理解は深くなっていくんだよ。
 いいかい、リトル・トリー、理解というのは愛と同じものなの。でもね、かんちがいする人がよくいるんだ。理解もしていないくせに愛しているふりをする。それじゃなんにもならない。」
 祖父母のインディアンとしての生活感覚とこころのはたらかせ方の世界をその中でそだった少年の眼を通して見事に写し取られています。チェロキー・インディアンの自伝的な体験の描写が、未開のこころの動かし方の世界を現在に鮮やかに映し出してくれています。
 自然や人事との出会いにおいて人のこころがどのような結び目を編み上げ、いかなる節目を描いてきたかをふりかえればふりかえるほど、こころの行く末を考えさせられるように読み進める読者もきっといるんじゃないでしょうか。
 まるで誰も滑ったことのない言葉のゲレンデに読む人それぞれの感性のシュプールを描いていくような感動がいくつもいくつも隠されている一冊といえましょう。
著者 フォレスト・カーター 略歴
1925年、アメリカ、アラバマ州オックスフォードに生まれる。遠くチェロキーインディアンの血を引き、それを誇りにした。高校を卒業後米海軍に服役、除隊後コロラド大学に学んだ。作家として出発したのは48歳。第1作の「テキサスへ」は、クリント・イーストウッド監督・主演により映画化された。「リトル・トリー」は、彼の心の原郷であったインディアンの世界を少年のみずみずしい感覚に託してうたいあげた作品。リトル・トリーは、祖父から授けられた著者のインディアンネーム。わずか4つの作品を残し、1979年に54歳で心臓発作により急死。
4つの作品:「テキサスへ Gone to Texas」(1973年)、「ジョジィ・ウェイルズの復讐の旅 The Vengeance Trail of Josey Wales」(1979年)、「リトル・トリー The Education of Little Tree」(1976年)、「山上のわれを待てWatch for Me on the Mountain」 (1978年)(M)
 『リトル・トリー』(The education of Little Tree)フォレスト・カーター著、和田穹男訳・解説、講談社(講談社ワールドブックス2 )、本体価格1165円は、チェロキーの少年、リトル・トリーの目を通して語られる、優しさと痛みとユーモアに満ちた心に沁みる物語を原文で楽しむための本です。そのための予備知識、エッセンスを翻訳家がナビゲートしています。〈ソフトカバー〉

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第26話=19990306〈金融界のゴジラを操るのは誰?〉『ヘッジファンド―世紀末の妖怪』(文春新書021)浜田和幸著、文藝春秋、1998年
 「ヘッジファンド」とは何でしょう?新聞やテレビ、週刊誌で何となく見聞きしているというリスナーの方も多いでしょう。でも、その正体となるとなかなかよく分からないのでは?
 この新書の帯には、「ヨーロッパで、アジアで、その赴くところ必ず経済的大混乱をひき起こし壊滅的打撃を与えて去る究極の怪物の正体」とあります。
 また、カバーの見返しには、「タイで、香港で、韓国で、次々に通貨戦争を仕掛け、その国の経済に壊滅的打撃を与えて去っていった国際的投機集団・ヘッジファンド。彼らの暗躍で、世界経済は今や累卵の危うきにある。彼らは何を考えているのか。その背後にあるものは何か。また、彼らの暗躍を許した客観条件とは何なのか。資本主義の究極の悪魔の正体に迫る。」などと書いてあります。
 現在の国際金融のシステムが、誰も規制できないヘッジファンドという怪物を生み出したことは紛れの無い事実のようですが、何やら小説や映画で評判のホラーより何倍も怖い気にさせられる読者がいるかも知れませんね。
 ヨーロッパ、アジア、そして日本がこの金融界の化け物に踏みにじられたということなんですが、この化け物は突然のように各国の金融界に上陸しては、一国経済を焼き尽くして去っていくようなんです。山一證券や長銀もその犠牲者だといわれています。
 新聞ではヘッジファンドを「市場動向に関係なく絶対的なリターンを追求し成功報酬を貰うファンド」というように報道していて、数にして3,000〜5,000ファンド、運用資産総額1,700億ドル(24兆円)となるということです。
 ヘッジファンドというものの起こりは、1949年に米国のアルフレッド・ジョーンズ博士が作ったものが最初だったそうで、株式の空売りを利用して絶対利益を追求したファンドであったようです。これを真似て1950年代以降数々のファンドが出現しましたが、そのほとんどが消滅してしまい、現在のファンドの多くは1980年頃アメリカで新たに勃興してきたものだそうです。
 どうもヘッジファンドという妖怪の魅力は相場が上がっても下がっても利益が確保できる点にあるようです。どうやってヘッジするか、その具体的な方法については宇宙ロケットの軌道計算にたとえられています。デリバティブ商品の開発者たちは「ウオール街のロケット・サイエンティスト」といわれるくらいに人気があったようです。
 「ヘッジ」というのは「回避」ということらしく、とにかく損失をなるべく少なくするために、あちこちに投資を分散しておくのだそうです。
 一時マスコミを賑わしたあの「デリバティブ」なんていうのもヘッジファンドの一つの例といってよいでしょう。1994年2月の事でしたか、たった一人の若いトレーダーのデリバティブ取引における判断ミスで英国女王陛下の資産運用も担当していたという創業230年のマーチャント・バンクの名門、ベアリングズ銀行が倒産してしまったというニュースを耳にして、驚いたというより、いったいとうしてそんなことが?という疑問を抱かれたリスナーの方々もきっと多かったことでしょう。その後も、アングロ・ベネチアン銀行、カリフォルニア州オレンジ郡、P&G社、日本酵素、ヤクルトなど、続々とデリバティブ取引に失敗しては、巨額の損失に泣いたり、倒産のうきめにあったりしていたようです。
 小さな元手で大きくもうけるという、誰もが飛びつきそうなうたい文句に、世界有数の投資家、金融機関、中央銀行までが次々と取り込まれていく。そして最後にババを引いた奴がコケる。どうしてこんなことがおこるのか?
 先ごろ(1999年2月)のG7(先進七カ国蔵相・中央銀行総裁会議)でもその対策が話題になっていたようですが、結論はまとまらなかったみたい。
 消費資本主義社会に咲いた毒あるあだ花「ヘッジファンド」の実像に迫った本書は、ありきたりのミステリー&ホラーを束にしてゴミ箱に放り込んでしまうような面白さと迫力に満ちています。
【目次】
序章 世紀末の妖怪
第1章 アジアが墜落した日
第2章 ジョージ・ソロス氏の知られざる過去
第3章 ジキルとハイド
第4章 デリバティブという「ババ抜き」ゲーム
第5章 「自由」の暴走
終章 妖怪の運命

【著者紹介】 浜田 和幸(はまだ・かずゆき)(46) 国際未来学者、国際未来科学研究所代表 昭和28年生まれ、 昭和50年東京外国語大学中国語学科卒業;ジョージ・ワシントン大学政治学博士課程修了。
【経歴】  青山学院大国際政治経済学部講師を経て、昭和63年4月米国のジョージ・タウン大学戦略国際問題研究所(CSIS)主任研究員などを経て、国際コミュニケーション研究所を設立し、同所長。のち国際未来科学研究所代表。CSISパシフィック・フォーラムのアジア研究事業のコンサルタントを兼務。著書に「先進工業国における情報産業の中国に及ぼす影響」「知的未来学入門」「快人エジソン」などがある。

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第27話=19990313〈本物のヘンな男〉『ぼくの哲学』アンディ・ウォーホル著、落石八月月(おちいし・おーがすとむーん)訳、新潮社、1998年
 帯には、「20世紀最高のPOPバイブル!」、「20世紀最高の美意識がここにある!」という誉め言葉とともに、
『マリリン・モンローから毛沢東まで、ミッキーマウスからキャンベルスープ缶まで、現代文明の「聖像」を大胆にサンプリングしてPOP革命を起こした天才アーティストが明かす美、愛、死、成功、ライフスタイル…の「哲学」。』というように書かれています。
 著者のアンディ・ウォーホルや「ポップ・アート」という言葉を知らなくても彼の作品を何かで見かけたことのあるリスナーはきっと少なくないでしょう。
 多くの人々が、それとは知らずに見かけたことがあるというレベルの作品の代表格の一つではないでしょうか。そういえば県立美術館の常設展示品のなかにもアンディ・ウォーホルの作品がいくつかありましたよね。
 本書は、アンディ・ウォーホルの1975年の著書「THE Philosophy of Andy Warhol」を翻訳したものです。
 「目次」を開いてみると、
 「Bとぼく:アンディがアンディ・ウォーホルになるまで」というのがはじめにあって、「スクラップブックのとおり。」というコメントがついています。
 本文の書き出しはこうです、
 「ぼくは目が覚めるとすぐBに電話する。
 Bというのは、暇潰しにつきあってくれる人。
 だれでもいいし、ぼくも名前もないただの人。Bとぼく。」
 ということで、ここからはじまる、
 「1愛(思春期)」、「2愛(初恋)」、「3愛(老いる」)、「4美」、「5有名」、「6働く」、「7時」、「8死」、「9経済」、「10雰囲気」、「11成功」、「12芸術」、「13肩書」、「14ピッカピカ」、そして最後に「15下着パワー」をめぐるBとぼくのやりとりがなかなかユニークというか読む者の思考の関節をほぐしてくれそうです。
 たとえば、「死」については、
 「A ご愁傷さまです。なんだか魔法にかかったみたいで、こんなこと絶対に起こらないと思っていました。」
 「ぼくは死ぬということを信じていない、起こった時にはいないからわからないからだ。死ぬ準備なんかしていないから何も言えない。」
 Bとのやりとりもなく、2ページを費やしてこれだけのことが書かれているだけなんです。
 ところが、「アメリカンスタイルの掃除。」というコメントがつけられた「ピッカピカ」になると、「ぼく」が偏執的なくらいいろんなところにこだわる「B」の掃除のお話につきあう描写が40ページもあって最も多い。
 続いてページが多いのは、「空っぽの空間。屑としてのアート。ピカソの4000枚。ぼくの色のテクニック。ぼくは芸術をやめた。また芸術をはじめた。香水の空間。田舎でのいい生活、ぼくがそれを嫌いな理由。木がマンハッタンで育とうとする。平凡なアメリカのランチルーム。アンディマット。」というコメントがついている「雰囲気」という章。
 ページ数でその後に続く章は、「チェコスロバキア人として育つ。夏休みのバイト。一人ぼっち。悩みを語り合う。人の悩みが伝染る。自分の悩み。ルームメイト。精神科医が電話を返してこなかった。初めてのTV。ぼくの出番。初めてのスーパースター。初めてのテープ。」というコメントがついている「愛(思春期)」、「ぼくのお気に入りの60年代の女の子たちの盛衰記。」というコメントのある「愛(初恋)」、そして「自画像。永遠の美の問題、一時的な美容上の問題、それの解決。清潔な美。普通のかっこよさ。ルックスを保つには。単調さの美。」というコメントで飾られた「美」の章ということになります。
 どの章を読んでも、1960年代を代表する最も有名なアーティストでありグラフィックデザイナーである著者の感性や考え方が、今もなお読者にとって新鮮に響いてくるのではないでしょうか。
 カバーに印刷された戦後のアメリカ文化を体現するスーパースター、銀髪て無機的なアンディ・ウォーホル(1928-1987)の顔写真の裏側で交される「Bとぼく」とのやり取りのすべてがこの本の魅力のすべてといっていいでしょう。今はもう死語となってしまいましたが、アンダーグラウンド芸術のヒーローの自叙伝としても読めます。
 ポップアートを代表する芸術家として美術のみならず、前衛的な映画を数多く製作したり、音楽をプロデュースしたり、有名人へのインタビュー雑誌を創刊するなど幅広い活動と人脈を通じて、1970年代以降はニューヨーク社交界の花形として常に話題の中心にいたたようですが、本書の「Bとぼく」にとってはポップ・アート=空間を埋めるものであり、必要なものは空間だけ、その空間を創り出すには?すべからく何も考えないのが正しくて、一番魅惑的なアートとは、商売に長けていること、人生何もなく、無の無、空の空という事で、アンダーグラウンド時代の終焉を宣言したかったのではないでしょうか。
 ポケットにいろんな話題を隠し持った話し上手な親友と会いたくても会えない時など、手元にこんな本があれば上等の暇潰しをもたらしてくれるのではないでしょうか。
【著者紹介】  1928年ピッツバーグ生まれ。ニューヨークで1950年代にグラフィックデザイナーとして出発した彼は、まもなくアートを志すようになり、1960年代の始めにマリリン・モンロー、プレスリー、コカコーラの壜などの大衆的イメージをシルクスクリーンなどによって機械的に反復した絵画を発表して美術界に衝撃を与え、ポップアートを代表する芸術家となりました。画家、映画制作家。著書に「Pop words」等。1987年没。
生まれ故郷、ピッツバーグに1994年5月に「アンディ・ウォーホル美術館」が開館した。

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第28話=19990320〈アジアから本場への架橋〉『ジャズと生きる』(岩波新書647)穐吉敏子(あきよし としこ)著、岩波書店、1996年
 この本の著者は、日本が世界に誇るジャズ・ピアニスト、作曲家、アレンジャーとして有名な方です。
 帯に印刷された笑顔の写真の隣に「日本の穐吉(あきよし)から世界のアキヨシへ――その波乱に満ちた長い道のり」という言葉が添えられています。
 カバーの見返しには、「満州からの引揚げ後、ジャズ・ピアニストの道を歩みだした少女は、才能と幸運に恵まれて、1956年、憧れの米国留学を果たし、本場ニューヨークで注目を浴びる。だが、立ちはだかる人種や性の壁、そして出産・離婚・・・。作曲・編曲家、ビッグバンド・リーダーとしても国際的に活躍する在米の著者が、波乱に満ちた過去を初めてつづる自伝。」と書かれた紹介文が載っています。
 著者の「あとがき」によれば、今から20年前に岩波新書編集部から自伝の執筆を申し込まれ、5年もあれば書けるだろうぐらいに思っていたのが、17年も歳月がたってしまったようです。
 本書が出版された1996年がちょうど、著者の音楽生活50周年、渡米40周年ということで、まさにジャズと生きた節目の年に約束を果たされたことになります。
 お互いがジャズ・ミュージシャンの夫婦ということで、まず「書く」ための時間と場所の確保が大変だったようです。ニューヨークの知人の留守がちなアパートを使わせてもらうなどして、「執筆は200字詰原稿用紙で1日10枚をめざし、朝8時から、朝昼兼用食事に費やす40分ほどを除いて午後3時半まで続け、その後はピアノの練習に移った。10枚までいかない日のほうが多かったが、ピアノの練習は欠かせないので、遅くも4時には書くのを中止しなければならなかった。そんなわけで、執筆し始めてから脱稿に至るまで、結局6か月近くかかってしまった。」ということです。
 プロのミュージシャンとしての毎日の練習は当然としても、加えて本書の原稿の執筆を自らに課すということはさぞきつかっただろうな、まさに「書く」ということは肉体労働なんだなと納得させられる「あとがき」ですね。
 著者は本文の中で「芸術はわがままで嫉妬心が強く、欲張りである」という言い古された引用に続けて、「子どもも芸術も、ともに100パーセントの関心、献身的な愛情を必要とする。何ごとかを成しとげる人間は一人でいなければならない、ともいうが、凡人の私は家庭を持って、家事・育児・仕事と自分を分けたため、それぞれが曖昧なものとなってしまった。しかし、その犠牲になって一番損害を受けたのは娘だろう。家事と自分の仕事は、やり直しが利く。育児はやり直しが利かない。」と書き残さざるを得なかったようです。
 でもこの本が書かれた事によって、著者の娘の「秋吉満ちる」は一人の生活者としてこの母の「言葉」を受けとめることができるはずです。
 そしてわれわれ読者には、著者がなぜ本書のタイトルを「ジャズに生きる」ではなく「ジャズと生きる」としたかがしっかり伝わってきます。
 著者は自分の仕事と聴衆のかかわりについてこんなふうに語っています。
 「現在この本を執筆中の私は66歳になるが、同年齢の男性のように太ることは控えなければならない。また、頭髪が禿げてはいけない。私の仕事は、自己の最大の努力を尽くしたジャズ音楽を、創作、演奏して他の人たちがそれに共感を持ってくれるように願う、そういうものであるから、外見などはどうでもよいというのがロジックであるが、現実はそうはいかない。もっとも、私の頭が禿げていても横に転んだほうが早いくらい太っていても、皆が聞きに来てくれるほど偉大な音楽を創ればよいのだろうが、クラシック界とは違って現実的にはそう割切れないものがあり、私はできるだけ太らないように心がけている。」
 アメリカで東洋人の女性がジャズミュージシャンとして第一線にとどまるという事の大変さがうかがえますね。
 また、テナーサックスおよびフルートでジャズを演奏する夫のルー・タバキンとのかかわりについて語る中で、「私がジャズを捨てようと思ったとき、捨ててはいけないと言ってくれたのはタバキンだった。私が人間として未熟だったこともあって、マリアーノとの結婚に破れ、そのタバキンに出会うまでいろいろな事があって、私は人間として成長した。その結果私の得た教訓は、人間に一番大切なのは人間同士の愛情である、ということだった。言いわけはいろいろあっても、結果的には仕事を人間同士の愛情よりも前に置いていた私にとって、この信念に辿り着いたことは一生で一番意義のある貴重な成長といえる。この信念に辿り着く過程となった9年近くの、いわば埋もれていた期間は、私にとって大切な時期だったといえる。」というように信念を披瀝しています。ジャズに限らず、何事かを創造しながら、家庭もきりまわしてしまう女性の凄さ懐の深さはいったいどうなっているのでしょう。男は驚くしかありませんね。
 ものを創りだす仕事を続けていく上での人間の身勝手さ、紆余曲折があっての穐吉敏子という人とジャズが見事に奏でられた一冊といえましょう。
  【著者略歴】 TOSHIKO AKIYOSHI (秋吉 敏子)
 1929年、中国東北部(旧満州)の遼陽に生まれる。
渡辺貞夫、日野皓正とともに日本のジャズ草生期から活躍している。1956年にバークリー音楽大学(当時は音楽院)の奨学生として渡米、以後40年間にわたりジャズの本場アメリカを拠点に活動。1973年ロサンジェルスにおいて秋吉敏子=ルー・タバキン・ビッグ・バンドを結成。アメリカのジャズ専門誌ダウンビートの人気投票においてビッグ・バンド部門でつねに首位に選ばれるなど、本国での評価もすこぶ る高い。1970年代にはRCAレーベルから『孤軍』『インサイツ』などビッグ・バンドによる秀作を続々と発表。セールス的にも成功を収めただけでなく、数々の賞を獲得するなど、70年代のジャズ史に残る偉業を残してる。1996年は彼女にとって渡米40周年、音楽生活50周年にあたる記念すべき年となり、再びRCAに戻って意欲作をリリース。自叙伝、写真集も発表された。
1998年、長年の米国における活動が認められ、日本人として初めて「ジャズの殿堂」入りを果たした。
【主な作品】 フォー・シーズンズ(BVCJ-638) 孤軍(BVCJ-7375) ロング・イエロー・ロード(BVCJ-7376) 花魁譚(BVCJ-7377) インサイツ(BVCJ-7378) マーチ・オブ・ザ・タッドボールズ(BVCJ-7379) 塩銀杏(BVCJ-7380) フェアウェル(BVCJ-7381) トシコから愛をこめて(BVCJ-7382) メモワール(BVCJ-7383) 守安祥太郎/秋吉敏子「幻のモカンボ・セッション'54」POCJ-2624-6 ポリド−ル

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第29話=19990327〈悪にはまり込む快感?〉『最悪』奥田英朗著、講談社、1999年
 「比類なき犯罪小説」
『零細工場主と恐喝(カツアゲ)常習者が「人生の敗け組」という運命に唾をはいた。なぜ人は平凡な日常から墜ちていくのか? 犯罪に追いつめられる人間の心理を驚嘆の筆力であますところなく描く1999年の話題作。』
 『その町には幸と不幸の見えない境界線がひかれている。事業拡大を目論んだ鉄工所主・川谷を襲うウラ目ウラ目の不幸の連続。町のチンピラの和也が乗りこんだのは、終わりのない落ちるばかりのジェットコースター。「損する側のままで終わりたくない!」追いつめられた男たちが出会い、1本の導火線に火が点いた。』
 という「帯」の言葉で飾られた2段組ハードカバーで397ページもある『最悪』の中で、どうしようもなく「貧乏籤」を引き当てる登場人物をあげてみると、
 「バブル崩壊」後の不景気をしのぎながら18年間「他人に多くを期待しない」で何とか「川谷鉄工所」を営みつつある川谷信次郎(47歳)とその家族。
 「かもめ銀行・北川崎支店」の窓口で働いている藤崎みどり(22歳)と高校を中退し家出してしまう腹違いの妹の藤崎めぐみ(17歳)とその家族。
 郷里の家をはみ出し、川崎に流れてきてそろそろ1年になる野村和也(20歳)とワル仲間のタカオ。
 ということになるでしょう。
 暮らし向きもそれぞれの生活環境も全く違う彼らがどこでどうクロスし、どのような「最悪」を共有することになるのか、最後まで一気にページをめくらせる面白さがあります。川谷鉄工所の向のマンションに住む太田夫妻そのほか、とにかく幸せな登場人物はただの一人として出てこないのになぜか嫌味はかけらも感じさせません。たぶんこの作品を書いた著者に現在という時代に向き合う明確なイメージがあったからでしょう。
 舞台背景の重要な場面の一つとなっている都市銀行で藤崎みどりが受けたセクハラに対して同僚や上司が事を処理する際のご都合主義や、マンションの住人が町工場を騒音の元凶として排除しようとする市民主義の御旗や、休日の騒音をめぐっての工場主と住民とのやり取りのあいだで右往左往する公務員の事なかれ主義の描き分けにもそのような著者の姿勢がしっかり伺えます。
 帯には「犯罪小説」と宣伝されていますが、ありふれた平凡な現在の様相に向きあおうとする著者の視線なくしては表現できない「犯罪に至る過程を描く小説」といっていいでしょう。どこかで追い詰められてしまっている巷の生活者の現状というか、抜け道のない窮状を見事に描写して読者の共感を呼び込むことに成功した作品といっていいでしょう。
 追い詰められた和也とめぐみが襲撃先の銀行に近づきながら車の中でかわす会話のシーンがあります。
 「日本が大陸だったらいいのにね」めぐみが隣でつぶやいた。
 「どうして?」
 「いっぱい逃げられるから。昨日話した映画だけど、日本じゃ絶対に作れないよね。二日も車で走ったら北海道か九州だもん。その先は海なんだよね。大陸だったら国境を越えて、いつまでも逃げられるんじゃない。」
 「そうだな」
 「名前を変えて、気分を変えて、やり直しがきくじゃない」
 「ああ」
 「日本人が臆病なのはそういう道がないからだろうね。いやなことがあっても、海があるから逃げられないんだよ。だからみんなで固まって我慢してるんだ」
 「ああそうだな」
 「ほんと、大陸だったらいいのにね」
 窮鼠猫をかむようにして、和也とめぐみの二人が引き起こした事件の渦に、ちょうど居合わせた川谷とみどりが引きずり込まれてしまう。理解し合うことも助け合うこともできないかたちでの関わりを強いられた他者との逃避行の果てにどのような現実があるというのか。
 馴れ合いとも妥協とも無縁で、ありきたりの「優しさ」や「癒し」なんかに目もくれず、最後まで突っ走るストーリーをこころゆくまで味わえる一冊です。
 【著者紹介】 1959年岐阜県生まれ。雑誌編集を経て、広告代理店に入社、コピーライターとなる。現在はフリーランスで幅広く活躍。著書に「B型陳情団」がある。

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第30話=19990403〈父を物語る〉『血と骨』梁石日著、幻冬舎、1998年
 本書を手にとって、カバーに描かれた男の挿絵(斎藤隆挿画)をじっと眺めていると、なんか「血」と「骨」が透けて見えるようで凄さを感じさせてくれますね。
 とにかく「空前にして絶後の最高傑作1368枚!」という殺し文句で飾られた帯の言葉の数々をページを開く前の「さわり」として読んでおきましょう。
「おのれ独り――徹底的に孤立した男がいる。愛することを拒み、愛されることを拒み、癒されることのない孤独を抱えて、救いのない生を生きる男。彼こそ人なり。金俊平の凄まじい欲望が、家族と女たちを呑み込み、自らも喰い滅ぼす。極道も震え上がる巨漢と膂力。狂暴、絶倫、酒豪、博徒、吝嗇、猜疑心。実在の父親をモデルにしたひとりの業深き男の激烈な死闘と数奇な運命。」
 「1930年頃、大阪の朝鮮人密集地域の蒲鉾工場・東邦産業で働く金俊平は、その巨漢と狂暴な性格で極道からも恐れられていた。ある日、飛田遊郭の女郎・八重の虜になって錯乱した同僚が、自分の腹を切り裂いて死ぬという騒動が起こる。興味を抱いた金俊平は八重の淫蕩な女体に溺れて身請けするが、逃げられてしまう。自棄になった金俊平は警官隊を叩きのめして東邦産業を馘になり、太平産業へ移る。数ヵ月後、金俊平は飲み屋を経営する子連れで美貌の李英姫を陵辱して強引に結婚するが、かって賭場の争いで半殺しにした極道たちとの大乱闘の末、大阪を離れる。直後、太平産業では朝鮮人労働者の解雇をめぐる激しい労働争議が起こるが、それは太平洋戦争前夜の暗い時代の幕開けに過ぎなかった。」
 いささか堅苦しい帯の紹介文に騙されることなかれ、作品の出来映えは実にすばらしく、韓国二世作家の圧倒的な筆力になぎ倒されるような読書を堪能できます。
 時代は昭和の大不況期1920年代から1980年代までのほぼ60年間、大阪を舞台に狂い咲きそして息絶えたオトコ一匹、当時の日本よりさらにビンボーで同じ朝鮮内でも差別にあっていた済州島から大阪に出稼ぎに来ていた大男こそ悪行に傑出した主人公の金俊平。「読み書き」もできぬその彼の、まるで鉈でぶった切っていくような生きざまを徹底的に余すところなく第一級の小説として描ききった著者の力量にまさにビックリ仰天。
 今じゃ廃刊になっていますが、雑誌『サンサーラ』(徳間書店)の連載(1996年7月号〜1997年4月号)で読んじゃったという読者でも、大幅に著者の手が加わった単行本(1998年2月発行)には改めて腹の底から感動すること間違いなし。
 世に人が成し得る悪行の数々をこれでもかこれでもかと描いてみせた小説や映画はそれこそ掃いて捨てるほどあるでしょう。それでも『血と骨』という小説で「肉」と「魂」を注ぎ込まれた、主人公金俊平の「生きてあること」の「哀しさ」そして「愛しさ」が底をついたところで、読者は人間の「存在」の瞬きみたいなものを感じるかも知れません。
 1929年の大恐慌のあおりで左前になった蒲鉾工場が朝鮮人の労働者全員を解雇した時、もちろん金俊平もその中の一人なんですが、ちょうど李英姫が彼の子を産みます。それが男の子だったもんですから珍しいことに金俊平はその子の名を儒学者に命名してもらうのです。当時の朝鮮人社会では、子どもは男子しか認めておらず、「息子の血は母より、骨は父より受け継ぐ」という家父長制だったからです。
 書名はここから来ており、「血と骨=血族」という視点から、韓国人二世作家梁石日は実在の人物(金俊平のモデルは父親らしい)の生涯に焦点を当てることにより、戦後の日本の作家が書こうとして成し得なかった「全体小説」の傑作を読者にもたらしたといってよいでしょう。
【著者紹介】 1936年大阪府生まれ。29歳の時、事業に失敗し大阪を出奔、各地を放浪の後、東京でタクシー運転手を10年間務める。著書に「タクシー狂躁曲」「夜を賭けて」ほか多数。

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