【ニャンニャン裏通り・出前版】@「怪傑ハリマオ」

猫々堂(高知市)から『吉本隆明資料集』A5判(各冊約90頁直接頒布1000円、約200頁の第28集は2000円、第29〜34集1200円、第35集〜1250円、40集のみ1300円)が第41集まで刊行済み。引き続き42集より「初出・補遺篇」刊行中。
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目 次
ニャンニャン裏通り・出前版(1)松岡祥男(「快傑ハリマオ」創刊号 2009.7.15)
ニャンニャン裏通り・出前版(2)松岡祥男(「快傑ハリマオ」2号 2009.11.12)
ニャンニャン裏通り・出前版(3)松岡祥男(「快傑ハリマオ」3号 2010.2.5)
ニャンニャン裏通り・出前版(4)松岡祥男(「快傑ハリマオ」4号 2010.6.15)
ニャンニャン裏通り・出前版(5)松岡祥男(「快傑ハリマオ」5号 2010.11.1)
北川透徹底批判ほか(ニャンニャン裏通り・出前版6)松岡祥男(「快傑ハリマオ」6号 2011.2.20)
北川透の〈頽廃〉ほか(ニャンニャン裏通り・出前版7)松岡祥男(「快傑ハリマオ」7号 2011.6.10)
読捨ニャンニャン日録 松岡祥男(「快傑ハリマオ」8号 2011.12.20)
「反原発」は正義か?読捨ニャンニャン日録2 松岡祥男(「快傑ハリマオ」9号 2012.7.20)

ニャンニャン裏通り・出前版(1)松岡祥男(「快傑ハリマオ」創刊号 2009.7.15)

(1)

 長野の根石さんから何か書けと云われて、すぐに「やってみます」と答えたんだけど、ほんとうに書けるかどうか。
 安請け合いするからだ。
 うん。業務的だったら書けるけど、あらたまって書くとなると、どうしても助走がいるんだよね。それで、その助走の過程では、やたらと用事をつくって、庭の木を伐ったり、草を引いたり、本を片づけたり、いろいろな雑用をやって、その気になるのを待つ感じだね。
 まるで作家センセイみたいじゃないか。
 やっぱり怠け癖がついているんだろうな。依頼がないと何もしないからね。それで、狭い庭なんだけど、金木犀、ヤツデ、山吹、桃、椿、柿、楓、南天、月桂樹、雪やなぎ、沈丁花、それに枇杷まで所狭しと植わっている。普段はほとんど手入れなんかしないんだけど、こういう時になると、にわかにがんばるのさ。
 どうでもいいけど、わしらはいまもさまざまな迷妄に取り囲まれている。その制約からちっとも自由じゃないぜ。また、この謎蒙を打ち破ることは難しい。けど、これを社会風景のひとつとみることも、それを批判することもできる。最近の政治的な動きでいえば、民主党の代表だった小沢一郎が政治資金をめぐる「不正」ということで、辞任した。まあ、小沢はそれを認めたわけじゃない、政治情勢的に退いただけだ。云うまでもないが、国家が発生した段階から、「政治とカネ」、その運用と活動のための資金ということはつきまとっている。税金だってそうだ。戦国時代ならそこら辺りの村を襲って略奪してだろうし、貢物という形をとった時もあるだろう、また、郷党が供出する場合もあるだろうな。今回の場合、小沢の公設秘書が逮捕されて、あたかも「不正」がなされたかのごとく喧伝されたが、小沢はその圧力に抗してよく頑張ったな。
 だいたい、マスコミから世間までそうだけど、嫌疑や容疑の段階からすぐに、被疑者は犯罪者であるがごとくみなすからね。ひどいものさ。政治資金についての現行法に照らせば、小沢に落ち度があったとも、逸脱があるともいえないと思ったな。それなのに、他党やマスコミは「充分な説明がなされていない」などと批判してた。バカ!政治活動資金をめぐって明確に答えられるものなど誰一人としているはずがないよ。だから、下手に口を開けば墓穴を掘るに決まっているさ。労組からの政治献金はよくて、企業献金は悪いなどということはないのさ。また、資金なしに活動することは誰も不可能さ。そうだろ。生活するにしたって、金が無けりゃたちまち干上がるよ。
 霞を食って生きてる仙人ならともかくな。
 おれは、この小沢降ろしは周到に準備されていたような印象を持ったね。ゼネコン内部ではB級の西松建設、おれは昔建築現場で働いていたから、西松建設の現場で仕事をしたことが何回もある。一現場労働者というところからでも、その工事内容や現場環境などから、その建築屋がどんなレベルか実感的にわかるよ。
 逆の滑稽なケースもあったな。ゼネコンナンバー1の鹿島建設の高知営業所が売り上げを伸ばすために、パチンコ屋だの、モーテルだのに手を出して、手痛い目にあったのを目の当りにしたこともあるよ。常識的にいって、こんな仕事は地元の顔利きの仲介や、あるいは日頃施主と付き合いのある地元業者がやる仕事だろ。馬鹿な営業がそんなものに手を出して、仕事を取ったあげくに、やれ設計変更だ、やれここが気に入らないなどとクレームをつけられて、工事は大混乱。工程は滅茶苦茶になって、工期は遅れるし、現場は泥沼化した。出入り業者のおれらも大変さ。それで、何をやっているかといえば、会議、会議の連続だ。バカじゃねえのって思ったね。それでとうとう高松の四国支社から幹部が派遣されたんだけど、結局大赤字になり、現場責任者は小笠原へ飛ばされた。まあ、小笠原行きってことは、実質辞めろってことだろうが、関係者はみんな左遷されたね。それでも、大手は金があるから、潰れるようなことはないけどよ。ダムやトンネル工事みたいなでっかい公共工事となると、資金力からいっても技術力からいっても、大手ゼネコンじゃないと、担えっこない。それでなんとなく棲み分けができてったんだ。それを越権するからこういうことになるのさ。いまは知らないけどね。なにしろ、防衛大臣も歴任した現役議員を擁する高知の有力建築屋が倒産したくらいだから、小泉内閣の構造改革路線は凄まじいものだ。公共工事が極端に減ったんで、潰れた土建屋は数知れずさ。商店街が軒並みシャッターを降ろしたようにね。そして、これだけ人々に犠牲を強いて国家の赤字解消を目論んだ小泉改革は、それにつづいた無能の安倍、福田の政権投げ捨て、アホの麻生まできて、元の木阿弥の旧態の政治構造に舞い戻ってしまった。結局、何も変わらず、泣きをみたのは社会の側だけって寸法さ。
 話をもどすと、まず西松建設の海外での利益のプール分の秘密裡の持ち込みが摘発された。そんなことはどこでもやっていることじゃねえのか。それで西松=不正ゼネコンというイメージが流布されて、その敷設のうえに、今度は西松の政治団体の政治資金の提供が問題にされたのさ。それで小沢の秘書だけ逮捕されて、同じように西松から献金を受けていた自民党の議員はお咎め無しだからね。これを穿っていけば、その政治意図と隠れた小沢降ろしの黒幕の所在が浮かびあがるかもしれない。でも、おれは自民党も民主党もその他の政党も大差ないと思っているから、そんなことはどうでもいい。ただ、こんな茶番で大衆を騙すな、といいたいだけさ。
 「定額給付金」だって、そうだな。莫大な経費を使って、集めた「税金」をばらまいただけだ。まあ、それでも、国連の同意も支持もない、一方的な言いがかりのアメリカの「ブッシュの侵略戦争」に加担して、イラクのサマワに自衛隊を派兵し、無意味に「税金」を水のようにオリエントの砂漠に撒いたよりはましかもしれないけどよ。田中眞紀子の言によれば、一日一億円ってんだから、半端じゃないぜ。
 おれ、派兵にあたっての自衛隊中堅幹部の決意表明をテレビで見たよ。「イラクの曙のために寄与します」ってね。なにが「曙」だ。何もわかっちゃいねえ。イラクの固有性も、歴史の段階性も、自分たちがどういうふうに動かされているかも、なにも判らず、何も知らず、命令に従っているだけだ。なにが「寄与」だ。憲法違反のうえに、無益に金を使ってアメリカに追従し、駐留しただけだ。
 でもな、その本質が命令で動くだけの殿中女中だとしても、実際の現場では誤作動を超えて、意志的に振舞うからな。街頭デモで対峙した時の機動隊がそうであったように、憎しみをもって行動するぜ。やつらは指揮者の命令を逸脱して暴走することだってある。デモ隊へのリンチ暴行、ただの通りすがりの市民にだって暴行を加えていたからな。本来はしがない公務員でも、残虐な集団意志はいつでも付随しているぜ。また組織のキツイ上下支配の鬱屈の転嫁、その憂さ晴らす側面もあるからな。だから兵士だって、状況が切迫してくれば、平気で民衆に発砲するさ。ましてや馴染みのほとんどない中東で、反アメリカ反政府のゲリラ兵士や自爆テロ要員とイラクの市民の区別なんかつくはずがない。だから、サマワで呑気に土木作業の真似事をして済んだのは、一面からいえば、良かったのさ。これはあくまでも派兵した政府の政治責任の問題だ。
 「世界同時不況」とかいって、自動車産業を筆頭に「派遣」労働者や期間社員の首切りが続いているけど、これももともと小泉内閣の「規制緩和」と称した「派遣」業種の無原則的な拡大が、労働基準法を骨抜きにして、企業が自分たちの都合でいつでも解雇できるようにしたのが大きな原因だ。政党からマスコミに至るまで、表面的な同情のふりをするが、肝心なことは言わない。おれが聞いた話では、ある自動車メーカーは「派遣」労働者に一日の賃金を二万二千円くらい出していたらしい。ところが、間の斡旋した「派遣会社」がピンはねして、実際に働いている労働者が受け取る日当は八千円だそうだ。その八千円から食費から宿泊費までの経費を差引かれると、手取りは微々たるものさ。「派遣会社」は一人の労働者から一日に一万四千円もピンはねしているんだ。そんなことは、マスコミから労組の連合体である巨大な「連合」なんか何も言わないだろ。もちろん、大企業は「派遣会社」を間にはさむことによって、雇用責任を免れるうえに、労働保障など負担も要らないし、労務管理も楽だし、どんな職場支配をやっても、労働者との直接的な雇用関係は無いからストライキをはじめとする抵抗も起らない。それに、正規社員と「派遣」や臨時社員の待遇の格差は、労働者の分断にも繋がっているからね。おれは階級闘争至上主義じゃないけど、これを完全なブルジョワジーの階級意志の貫徹と言わずに何をそう言うんだ。
 ところがその一方で、「連合」なんか失業者を救済するために、とかいって街頭カンパを集めたりしている。わしもそうだったから知っているが、左翼も労組も集めたカンパを何に使ったか、どこで活用したか、そんな収支報告なんてやったためしはない。全く恣意的に扱って平気なんだ。民営化が足踏みしている郵便局の労組なんか、日本郵政が新規採用を現業部門では全くといっていいほどしない状態を容認し、ノルマの過重に対しても、企業防衛という名目に屈服して、いいなりだ。そのうえ、採用に向けての取り組みなど一切やっていないのに、臨時職員をただ組合費を調達するために労組に勧誘している。期限がくれば、臨時職員はお払い箱だ。組合は組合費をとっただけで、その還元も餞別も、「ありがとう」の一言もありはしねえ。まるで詐欺じゃないか。組合に加入して組合費を払うくらいなら、貯金した方がずっといいぜ。巨大労組の連合体は巨額の運動資金をプールしているくせに、それを一般労働者のために活用することなんか考えもしない。その殆どが政治(選挙)資金に流れているだけだ。「政治とカネ」の問題なんていうのなら、このシステムだって、ふざけた遣り口じゃないのか。そのくせ、臨時の電話相談など開設して、さも問題に取り組んでいますってポーズをつくっているだけだ。
 この亀裂や矛盾や対立を隠蔽する安寧構図も考えずに、柄谷行人みたいな左翼くずれのインテリは、「世界=共和国」なんて言ってる。バカの骨頂としか言いようがないよ。もうひとつ、愚の骨頂の裁判員制度なんかやめろ。こんなことまでアメリカ(陪審員制度)の真似をする謂れなはいよ。アメリカ人と日本人はあきらかにその精神性は違う。それを無視して、こんな制度を作りやがって。一般大衆の八割近くが嫌がっているんだ。日本人は事無かれ主義の引っ込み思案が習癖かもしれないが、その美質だって当然あるんだ。おのれに関わりのない事件を裁くなんてできないし、やりたくないに決まってんだ。それでその裁判の秘密を守る義務だって一生ついてまわることになっている。冗談じゃないよ。少なくとも裁判員になることを拒否する権利は絶対に認めるべきなんだ。国家の人権拘束じゃねえか。国家が人間の上にあるんじゃない。国家はこれまでの歴史の展開と人々の思い込みによって出来上がっているだけさ。そんな国家に、これ以上拘束されるのも、義務を負わされるのも、ご免だぜ。
 そうだな。深夜、泥酔して公園で裸になって喚いていたSMAPの草薙(こいつ、あまり好きじゃないけど)のことにしても、あんなもの、諭して家に帰せばいいだけだろ、誰に危害を加えたわけでもないんだから。それを逮捕したうえに、家宅捜査までやった。明らかに越権の不当捜査だ。ところが、テレビのコメンテーターは、あれで釈放が早くなってよかったなんて言ってた。人間の自由や権利、法の位置づけについて、おまえらは考え直した方がいい。腐った口から悪臭を放つまえに。それにしても、もっと楽しい話しはないのかよ。
 会津の友人がマンガの本をたくさん貸してくれたんで、それを読んでいるよ。島田虎之介の『ラスト・ワルツ』とか、石川雅之の『もやしもん』とか、いがらしみきお『かむろば村へ』などだ。でも、『もやしもん』を真似ていえば、もう少しかもしてから、これらには触れたい。
 マンガのことでいえば、わしなんか月刊漫画誌から週刊誌に転換する頃に、読者になったような気がする。もちろん、貸本も読んだけど。まあ、なんといっても、『少年』だろうな。「鉄腕アトム」はあまり好きじゃなかったけど、「鉄人28号」や「サスケ」だな。それと白土三平のいまは『忍法秘話』にまとめられている短編が良かった。「寄生木」や「くぐつ返し」や「無名」などだ。「寄生木」は秘剣岩砕きという相手を刀を折って切り倒す話しなんだが、なんのことはない、コンビを組んでいる忍者が相手のところに忍び込んで、剣に細工をして、刀が折れるように仕組む、それが秘剣の秘密だ。こども心にこの細工のからくりが面白く、いまでも記憶に残っている。「くぐつ返し」は人をあやつることが白土の主題なんだろうが、赤目の観世音という女の忍者が麻薬を使って、中毒にして操る話しなんだが、けし畑が印象的だった。「無名」は白土作品では珍しく人を殺すことが主な展開ではなくて、長屋を舞台に観世音と不動の二人組と新堂の小太郎の駆け引きが作品の魅力だ。縁側に寝ころんで熱中して読んだな。まあ、兄や友達と夢中になってやったヘボ将棋と同じだ。でもよ、近年なんだか知らないが、大学の先生みたいなのがマンガの「学会」を作ったと聞いてるけど、マジかよと思うぜ。わしもマンガ好きだし、それに映画や文学作品と同じように語りたいところもある。でもな、研究の対象にするほど倒錯する気はないな。大学の連中は文学の当為を持ち込むだけでは飽き足らず、マンガにまでそんなものを持ち込もうとしている。だいたい「政治と文学」という主題の設定が破産しているというのに、その焼き直しでしかない「政治とマンガ」グループもあれば、高尚ぶって表層文化的に扱う四方田犬彦みたいな連中までいる始末だ。
 なあに、儲かるからさ。日本のマンガ文化は世界に輸出できる外貨を稼げる産業だって言ってるよ。高知だって、「マンガ甲子園」を毎年開催しているし、「横山隆一記念館」だって市が作っているぐらいだ。地場産業ってわけさ。でも、これに関わっている天下りの関係者がマンガを好きとも、読んでいるとも到底思えないね。まあ、こちらも素寒貧。小説も映画もマンガも見ずに、もっぱらテレビの世話になっている貧乏人の典型だけどね。やるんだったら、徹底的にやれってことさ。世界認識から沈黙まで包み込むようにね。
 しかし、文学だってちっとも上等じゃないぜ。高知文学学校だの高知ペンクラブだのというのがあって、偉い文教族あがりの方々が集まってやっている。もちろん、おまえなんか忌み嫌われていて、お仲間に入れてもらえないだろうがな。それで、ちょっと書いたものを覗いてみると、これが凄まじい。あなた方が文学なら私は金輪際文学ではありません。もし、こちらが妄想してるものが文芸だとしたら、あなた方は百万年やっても文芸には到達しないでしょうってぐらいのものだ。
 まあ、どんな言い方したっていいんだけど、文学もマンガも映画もテレビドラマも、そのままで何かと思っちゃいけない。それがほんとうに作品になっているかどうかだよ。初心ってことも含めてね。


 中学生の頃、両親が田舎に行き、私一人で東京に居た時のこと。ある夜、ムラムラと鰻重が食べたくなった。出前を取ろうか‥‥‥一人で取って食べても、何かつまんないなあ‥‥‥そうだ、近所に有名な鰻屋があったっけ、あの店は出前をしないから食べたことはないが、いつも前を通ると、いい匂いがしてくる、行ってみよう、高そうだけど。しかし、板塀に囲まれた高級そうな店だから、普段着で行くわけにはいかない。早速よそ行きに着替え、母の赤い口紅を塗り、おしろいを顔にはたき、せいいっぱい大人に見えるよう身繕いして出かけた。
 鰻屋の玄関を入ると、和服姿の仲居さんが出てきたので、もう緊張してしまった。「ご予約は?」と聞かれ、「してないんですけど、近くに住んでて‥‥‥ええと‥‥‥」「おひとりですか?」「はあ‥‥‥」「では、どうぞ」トントンと目の前の階段を仲居さんが上がっていくので、慌てて後をついていく。滑って転びそうにピカピカな廊下の先、小さな座敷に通された。ふかふかの座布団の上で、かしこまって待っていると、うっとりするような蒲焼きのいい匂いが、階段の下から立ち上がってくる。(来て良かった‥‥‥)。また仲居さんがやってきて、メニューを差し出した。ありったけのお小遣いを財布に入れてきたので、思い切って高いのを注文。それから、お茶を啜りながら待ったが、なかなか鰻は出来てこなかった。(中略)
 待ちくたびれ、忘れられちゃったのではないかと心配しはじめたころ、やっと鰻がやってきた。塗りのきれいな、高そうな重箱だ。「お嬢さん、何年生?鰻がお好きなんですねえ。今度はご家族の方もご一緒に」などと話しかけてくる仲居さんが下がるのを待ち、緊張しながら蓋を開ける。出前で食べていたのと同じ外見だった。が、一口食べて(ああ来て良かった)、体がとろけそうにおいしかった。
 私が一人で高い外食を食べた初体験である。その鰻屋には、あれから一度も行ったことがない。高いので。
(武田花「高い、高い、初体験」)


 これを読むと、鰻が食いたくなるからね。これが食欲をそそる、文芸ってものだと思ってるよ、おれは。

(2009.5.25)



(2)

 村上春樹の『1Q84』を読んだそうだな。
 うん、おもしろかったよ。
 おまえ、村上春樹は『やがて哀しき外国語』あたりから『アンダーグラウンド』を頂点として、かなり批判的じゃなかったのか。
 そうだよ。だから、今度の『1Q84』についてもきっちりしたことを言う必要があるなと思ったんだ。おれは、彼の国際的な評価の高まりや爆発的な売れ行きなんて、基本的には関係ないよ。そんな外在性は、加藤典洋みたいな中庸を知るご立派な批評家や、たわけた大学教授のご高説や文壇の風見鶏の無難な俗評にまかせればいいんだ。こっちは読んだ率直な感想を基に真っ向から言いたいだけさ。なんでもそうだろうけど、映画やコンサートにしても、その時はスクリーンの中へのめり込み、あるいはのりにのりまくっていても、一旦醒めて、反芻したり、反省的な姿勢に入ると、批判的になってくる。これが批評行為のもつ陥穽さ。この作用に無自覚な連中が多すぎるよ。
 ジョージ・オーウェルの『1984年』という未来小説に対して、『1Q84』という近未来小説ということらしいな。
 おれもジョージ・オーウェルの『1984年』は読んだことがあるよ。でも、内容は殆ど忘れてしまっている。スターリン主義体制を痛烈に批判したものという記憶しか残っていないね。それで本棚の奥で埃をかぶっていた文庫本を取り出してみると、「生い茂る栗の木の下で/俺はお前を売り、お前は俺を売った、/奴らはあそこに横たわり、俺たちはここに横たわる/生い茂る栗の木の下で。」という章句に、鉛筆で印がしてあった。どうしてかは、読み返さないと全く判らない始末さ。
 そんなんじゃ、なにを読んでも無益ってことじゃないのか。
 ほっとけ、なにもかも全部憶えていたりしたら、頭がパンクするよ。忘れるものは忘れてしまうものさ。
 しかし、人間の脳はそこらへんのコンピューターなんか較べものにならないくらいの容量があるといわれているから、たんにお前の頭がおんぼろで、記憶力が悪いということだな。ジョージ・オーウェルの『1984年』は1940年代の末期に脱稿ということだから、三五年くらいの未来を描いたことになる。一方、村上春樹のほんの発行が今年(2009年)だから、二五年前の日本を描いたことになるぜ。ジョージ・オーウェルは社会主義国家の悪夢を描き、その暗黒を告発した。そして、その官僚支配の国家体制は民衆によって否認されて、ソビエト連邦は瓦解した。その意味では、予見と批判は的中したってことだ。まあ、スペイン内戦における社会主義勢力の欺瞞性、一国社会主義の弊害を目の当りにしたジョージ・オーウェルの痛切な体験の産物だ。そこで行くと『1Q84』ってのは、わしらの実際に生きた現実だ。
 村上春樹というのは、水泳の北島やハンマー投げの室伏みたいに、トレーニングを積んでいると思うよ。これは小説を書くうえでは決定的なことのように思えるね。それは作家稼業のプロは、みんな書く作業というのはやっているだろうが、たぶん村上春樹のやり方は違うような気がする。他の作家がじぶんの作品のために勉強したり参考にしたりしているとすれば、村上春樹というのは、世界文学の水準を想定したうえで、まさしく鍛錬しているんじゃないのかな。
 だが、それが文芸の核心をなすわけじゃない。太宰治みたいに、いつも生きるか死ぬかの懸崖で、作品は一見破れかぶれみたいにみえるけど、ほんとうは作品と執筆行為の距離をきっちり測っていて、そのうえで、読者に我が事のように思わせる魅力を発揮した。文芸とはそういうものじゃないのか。
 おれはジョージ・オーウェルというより、作風はまるで違うが高橋和己の『邪宗門』を思い出したよ。『1Q84』は、「青豆」の章と「天吾」の章が交互に展開する、村上春樹得意のパラレル・ワールドになっている。青豆はスポーツクラブのインストラクター、裏の稼業は必殺仕置人。天吾は塾の数学講師で、小説を書いている。この二人が主人公だ。それで、青豆と天吾は小学校の同級生で、青豆の家は「証人会」(エホバの証人のことらしい)の信者で、休日には宗教的な勧誘に連れ歩かれ、一方、天吾の方も父親がNHKの集金人でその手伝いに連れ廻される。そういう設定だ。
 お前がこの話をするってんで、わしも一応読んだんだが、野暮なことをいえば、出だしの2頁目で「ヤナーチェック」に関連して、「1926年には大正天皇が崩御し、年号が昭和に変わった。日本でも暗い嫌な時代がそろそろ始まろうとしていた。モダニズムとデモクラシーの短い間奏曲が終わり、ファシズムが幅をきかせるようになる」ってあるだろう。そうするといきなり、引っかかるわけだ。おのれがどこかに帰属せざるを得ないとするなら、これは通説をなぞっているだけだろ、戦後民主主義風に。これは、わしや村上春樹の親が生きた時代のことだ。言うならば、じぶんと〈血のつながった歴史〉だ。で、「ファシズム」って言ったって、そんなもの、一般定義でしかない。日本の「ファシズム」というのは特異で、丸山真男のファシズムの規定は笊でそこから抜け落ちるものが多すぎるぜ。天皇制だって絡むし、農本主義だって基盤をなしていて、それはヘーゲルのいう歴史概念としての〈アジア〉、その専制形態でもあったということだ。これはいまだ未決着の問題だ。べつに思想論文じゃないんで、そんなことはいいってことだろうが、この作家のポジションってことでいえば、そこに立ち位置が象徴されているような気がするぜ。だってよ、当時支配的だったに違いないように〈日本でもいよいよ鬼畜米英を駆逐する大日本帝国によるアジアの曙の時代が幕を開けようとしていた〉って言うことだって、できるんだ。つまり、いくらでも置き換えがきく、内在性の乏しい歴史認識にすぎないってことだ。
 いきなり、こだわるね。「歴史はスポーツとならんで、青豆が愛好するもののひとつだった」というので、さしあたっていいんじゃないか。「スポーツ」と同じってことでさ。青豆はアイスピックみたいなものを相手の首すじに刺すことで殺害するプロなんだけど、この暗殺の対象というのが、女性に暴行を加えたり、女性を虐待したりするものだということになっている。またスポーツクラブでも女性の護身術として、金蹴りを専門に指導していたこともある。そりゃあ、男は股間を蹴りあげられたら、悲鳴も挙げられないくらいのダメージを受けるさ。そういう設定自体、村上春樹がフェミニストだからというよりも、むしろ女性を味方につけようとする作家的計算が働いているような気がするな。でも、女は弱いものだっていうのは嘘だからね。継母がその典型のように、女の体質的狭量や陰湿さは凄いからね。おれも畏怖しながら、女性は尊重するにかぎると思っているさ。だから、必殺仕置人のスポンサーである「柳屋敷」の老婦人や青豆の考え方というのは一方的だと思うよ。それで老婦人の用心棒のゲイの男タマルが云うように、そんなことには切りがない。まして、第三者が手を下す権利なんかどこにもありはしないのさ。たとえ客観的に非道の極みを尽していて、大手を振って社会に罷り通っていても、天罰を下すことはテロ行為でしかない。作者はイスラム原理主義に嫌悪をもっているらしいけれど、青豆たちもどんな理屈をつけようと、そこではテロに通底しているよ。おれは仇討ちや道連れには否定的じゃないし、本人が報復するならいいと思う。しかし、第三者が被害者を保護して守ることと、加害者を始末することはまったく別次元のことだ。そこには何の正当性も発生しない。だから、人類はそれを共同的に疎外して法を産出したんじゃないのか。たとえ、それがほんとうは逆立ちするものだとしてもね。まあ、テレビの「必殺仕置人」が溜飲がさがっておもしろいように、ストーリーとしてはべつにケチをつける気はないけどね。
 そこでは、世界がねじれて1984年が「1Q84」になり、空に月が二つ浮んでいても、何の不思議もないってことになるな。
 まあね。一方、天吾の方は小説家を目指しているけど、まだデビューしていない。それで匿名の記事を書いたり、小説の新人賞の応募作の下読みなどをやっている。その下読みで、ふかえりという少女の書いた「空気さなぎ」という作品に出会い、そこに優れたものを見出し、それを最終候補作に残すように、小松(安原顯をモデルにする)という編集者に進言するが、逆に、小松から「空気さなぎ」に天吾が手を加えて、世の中に出そうともちかけられるんだ。その過程で当然、原作者のふかえりという十七歳の少女と接触することになる。それによって、もうひとつの世界への通路が開かれるといっていい。つまり、月が二つ浮んでいる世界ということになるね。ふかえりは、新左翼の毛沢東派(共産同ML派?)のメンバーの指導者格の大学教授が父親だ。その父親深田保(新島淳良がモデルとおぼしき)らは、1960年代末期の大学闘争が敗北した後、タカシマ塾(ヤマギシ会をモデルとする)に入り、山梨県の山奥でコミューン生活を始め、そのノウハウを習得していく。しかし、もともと革命を目指していたグループだから、そこに解消することはなくタカシマ塾から離脱し、独自のコミューン「さきがけ」を作る。そして、有機農法などが時代風潮にマッチし、自営コミューンは順調に発展していく。しかし、ここでも武闘派「あけぼの」が「さきがけ」から分裂し、「あけぼの」は住民とのトラブルで警察が介入した際に、第二のあさま山荘ともいうべき銃撃戦を展開して、壊滅する。その後、残った「さきがけ」はいつの間にか宗教団体に変貌をとげたというのが筋書きだ。ふかえりは、そこで世話していた山羊を死なせてしまい、懲罰で土蔵に閉じ込められたあと、父親の友人戎野を頼って、コミューンを脱出する。言うまでもなく、この宗教コミューンはオウム真理教だ。
 ふかえりの書いた小説「空気さなぎ」は、「さきがけ」のことを書いた小説ということになっているな。ふかえりは読字障害があり、自分では書くことも読むことも難しい。そこで、ふかえりが語ったことを戎野の娘(アザミ)が書き取り、新人賞に応募したものだな。それを天吾が表現的に補い、世に売り出して、世間を欺き、一泡噴かせてやろうとする、アクの強い小松の業界的鬱屈と、「さきがけ」の内部にあって連絡の取れなくなったふかえりの両親の動向を、外部からゆさぶりをかけて探ろうとする戎野の思惑が合致して、画策は進行する。そして、天吾の加筆した「空気さなぎ」は大ベスト・セラーになるという展開だ。まあ、新左翼→ヤマギシ会→農業コミューン→第二のあさま山荘事件→オーム真理教というコースは実際とは違うが、社会状況的には判り易い図式にはちがいないな。
 天吾の父親はNHK集金人なんだが、天吾は当然それを嫌っている。もちろん、おれも好きじゃない。やつらは突然押し掛けてきて、まるで泥棒を詰るように脅迫するからね。おれの死んだ兄なんか、真面目人間だからちゃんと払っていた。ところが、胃潰瘍で入院した。兄は独身だったから入院中は受信料を払えなかった。そして、退院して静養していると、集金人のおばさんがやってきて、団地の二階に住んでいた兄に、「マツオカさん、NHKです。受信料を払ってください」と下から大声で、連呼したそうだ。この無礼な態度に兄は怒り、支払いを拒否することになった。やることがひどすぎるよ。たぶん、このおばさんは相手が不払いに転じたと職業病的に勘違いして、卑劣な行動に出たんだ。でも、どんな職業に就くかというのは、それぞれの事情だから、本人のせいにはできない一面があるからね。だいたい、NHKという存在自体が矛盾の本体なんだ。やつらは「公共放送」という呪縛から逃れることができないんだ。それが諸悪の根源だ。ご立派な建前に見えて、なんことはない、政府の言いなりだ。だいたい予算設定から国会の承認を必要としているし、郵政大臣の管轄の下にある。そんなものが公正な報道なんかできっこないよ。建前に固執するほどおかしくなってくるのさ。昔は大本営発表、今はNHKの御用報道だ。郵便局に次いで民営化されるべきなのはNHKさ。これが普通の民放と同じメディアになって誰が困るというんだ。こんなもの一般大衆は必要としていないんだから。受信料なんてただちに廃止しろ。まあ、天吾も青豆も家を出て、早い時期から自活するようになっている。それは両方が家の抱えているもの忌避したからだ。天吾にとって、ふかえりは自己環境からの脱出という意味では、体験を共有していることになるね。
 そこだが、同級生の青豆と天吾の二人は、家庭の事情により学校では孤立している。それでも天吾は図体がでかく、おまけに頭が良いということでクラスで一目置かれているが、青豆は孤独な少女だ。で、理科の実験でへまをやった青豆を天吾が庇う。それが唯一の契機となって、ある日、一人でいた天吾のところへ青豆がやってきて、黙って天吾の手を強く握り、そして、しばらくして離れて行った。それが二人の決定的な邂逅であり、この物語の核心にあるものということになっているぜ。でも、これはロマンチズムだよな。わしもそういう傾向があるけれど、そのシーンを生涯温めているっていうの、わからないわけじゃないぜ、でも、それが永遠の執着を形成するというのは、どうなのかな。二人は最後まで実際に出会うことはないがな。それを心の聖域として囲いながら、家を出た天吾は柔道、青豆はソフトボールに、その後の青春を打ち込んだことになってて、それらは日常の雑事のごとく、なぜか精神に深く食い込むことなく、現在の、青豆の男漁り、天吾の人妻(安田恭子)との週一の不倫へ続いているわけだ。
 うん。「柳屋敷」の老婦人が夫の暴力から逃れてきた女性たちを匿う施設へ、つばさという少女がまわってくる。この少女は性的な虐待によって子宮が破壊されていて、その行為をなしたのは、「さきがけ」のリーダーによるものだということが、老婦人から青豆に伝えられる。そして、そのリーダーを抹殺するように依頼されるという運びだ。こんな非人道的な行為をなすものは生かして置けないという論法さ。でも、宗教的祭儀において、神に幼子を捧げることは未開・原始時代では当り前にやられてきたことじゃないのか。土俗レベルでも人身御供はなされてきた、たとえば新しい橋を作る時はその橋の元に人柱を埋めるという具合に。もちろん、それは時代が下ると、土偶で代行されたり、祓い清めによって済まされるようになってきたんじゃないのか。それに、巫女なんてものは神に仕える者として、そういう役割も担ってきたことは歴史的事実だ。それで時代や場面を極端に飛躍させれば、それこそ、イスラエルの一方的なパレスチナのガザ地区への空爆や砲撃によって、少女も少年もなく殺傷されているのは、いまの現実だ。そういうふうに考えれば、このリーダーのやったとされる行為が、特別のひとでなしの鬼畜生の所業ということにはならない。「さきがけ」が宗派なら、老婦人やそれに加担する青豆の共同意志も宗派的だ。どこにも義はないよ。近代ヒューマニズムやフェミニズムが絶対というなら別だけどね。
 まあな。で、ここがいちばんのポイントだろうが、要するに、大事なめくらの山羊を死なせてしまったふかえりが、お仕置きで土蔵に幽閉されていたところ、山羊の口から七人のリトル・ピープルなるものが出てきて、ほうほうと囃しながら「空気さなぎ」なるものを造り出す。その「空気さなぎ」から、ふかえりのドウタが誕生する。ドウタはふかえりの分身であり、リトル・ピープルのいわば通路だ。作品でいえば、ドウタはパシヴァ(知覚するもの)であり、リーダーはレシヴァ(受けとるもの)ということだ。それによって、リーダーはリトル・ピープルの代理人となる。この神話構造(お伽話)はユング的だな。そして、その密教的な秘技のひとつに、未成熟の少女(ドウタ)との性行為が位置するという案配になっている。このメカニズムはよく判らない。読者はこのメカニズムのミステリアスで巧妙な暗号の解読をつづけるしかない。何度か出てくる作品の決めセリフでは「説明しないとわからないということは、説明してもわからないということだ」というのが、この作者のセオリーらしいからな。
 そうならよ、おれらの話というのは、批評なんてものじゃないね。物語の完結性をところどころ開いてることになるよ。それが作品との対話になってれば、まずは申し分ないってことさ。偉い、偏屈な作家にメッセージを届けようとも、そんなものが届くとも思っていないさ。
 ふかえりは深田絵里子がフルネームだ。そうすると、リーダーこと父親は深田保ということになるな。しかし、戎野の語る深田の像と「さきがけ」の禍々しいリーダーの像、誰が読んでも麻原彰晃とは、あまりイメージとして結びつかない。断絶があるぜ。まあ、ふかえりから、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイみたいな姿を恣意的に思い描くこともできる。そんな愉しみ方も、わしはぜんぜん否定しないけどな。それに、ふかえりとその分身(ドウタ)というのは、クローンの綾波と似ているからな。
 いよいよ物語はクライマックスを迎える。青豆がリーダーを抹殺しに出掛ける。ここは圧倒的な迫力で迫ってくる。いちばんの場面だ。それで、リーダーには教団のボディ・ガードがついているんだが、老婦人の自衛隊あがりの用心棒タマルによれば、それなりの腕はもっているが、所詮アマチュアということだ。それで殺害の目的をもって接触することが露見した場合、捕まってリンチを受けて殺されることを避けるため、青豆は自害用にタマルに頼んで手に入れた小型拳銃をバッグに忍ばせて行くことになる。そこで当然ボディ・チェックがあるんだが、青豆は生理用品などでそれを隠している。相手がプロなら、そんなもの一発で見破るはずだ。ところが、この目くらましにひっかかる。ここが作者の「さきがけ」という教団、すなわちオウム真理教という組織の脆弱さをついたところだ。国家を転覆しようとする陰謀に比して、その組織体制はそれほどのものではないことをよく暗示した、スリルあるシーンだといっていい。そして、なんといっても、青豆とリーダーとの対峙は圧巻だ。
 そうなると、わしらの話も終局だな。ずばり言うなら、この『1Q84』で圧倒的に魅力的な人物は、青豆でも天吾でもない。ふかえりとリーダーだ。そして、人間としてもっとも存在感のあるのは、NHK集金人であった天吾の父親(実は天吾の実の父親ではないということになるのだが)だ。天吾は聡明で謙虚な構えをしていても、ほんとうは傲慢なんだ。それは「さきがけ」の懐柔の手先としてやってくる牛河に対する嫌悪の表出に現れているような気がする。歪んだ鏡に映ったみたいにな。これは天吾の属する比較的優位な社会的ポジションが、醸し出した偏見じゃないのか。普通に考えれば、牛河にも愛すべき妻子があり、かけがえのない友人もいるかもしれない。それでも、牛河みたいな存在を醜悪とみなし蔑視することはできる。そんなことは自由だ。誰だって、相容れない相手も事もあるからだ。しかし同時に、始末の悪いガキどもが、ホームレスを襲うのと同じものを孕んでいる事も否めないはずだ。もっといえば、わしならわしが天吾や青豆の居る場所に出たとすれば、同じように映るはずだ。これは自己卑下でもなんでもない。いい気になるな。この作品に陰影あるリアリティを与えているのは、施設に隠棲した父親を天吾が訪れた時の、そこでのやりとりだ。天吾はとうてい、その人間性において、おやじに及ばない。それは作品がひとりでに物語っていることだ。青豆だって、ほんとうは排他的で、じぶんの逆境(被虐性)をいつの間にか横柄な加虐性に転嫁しているところがあるぜ。一時男漁りの相棒になる、婦人警官の中野あゆみというのがいるだろ、そのあゆみの心の傷を発散させようとする向日的な姿勢と較べると、青豆ははるかに屈折し、陰惨な影を曵いているな。天吾と青豆の十歳の時の出来事は心の救済の幻影というよりも、じつは過去の呪いの深さを象徴しているとも言えるぜ。フロイト的にいえば、無意識の荒れた青豆の人殺しの〈業〉と、天吾の性的対象を特定することができない倒錯的な〈資質〉の引き寄せの構造だ。それを陳腐にも「愛」などといい、「愛がなければ、すべてはただの安物芝居にすぎない」と俗受けするように安っぽく結んでいる。しかし、作者がどう誤摩化そうとも、この内実がリトル・ピープルなる架空の表象よりも、より邪なものを内包していることは確実だ。そして、それがまた〈人間ということ〉だ、とわしは思う。
 青豆はリーダーを抹殺する。それはリーダーの意向だ。リーダーは、青豆らの計画をすべてお見通しで、尋常でない能力を持ち合わせている。リトル・ピープルの逆襲と教団組織のシステム化された自己運動をリーダーをしても押し留めることはできなくなっている。共同性(組織)とはそういうものだ。ふかえりの小説が世間に出ることにより、「さきがけ」に過去の組織の軌跡も含めて疑惑のまなざしが注がれ、さらに、その異教性が知れるところとなり、捜査の手が教団の施設に入ることになったからだ。また、ふかえりと天吾のペアは、リーダーの言によればリトル・ピープルの対抗存在をなしているゆえだ。リーダーはそれらすべて見通したうえで、死を望んでいるのだ。ためらう青豆に対してリーダーは、天吾の助命と引き換えにおれを殺せという。その交換条件をのんで、青豆は目的を達成する。「心から一歩も外に出ないものごとなんて、この世には存在しない」とリーダーがいうように、言語の表現の内部には何も隠されてあるものなど無い。つねにすべては提出されている、表層的にも深層的にも。そうだろ、村上さん。フー、あらすじをたどるのも、結構きついな。
 まあ、そう言うな。リーダーが少女たちと性的に交わった、というより宗教儀式を実践したように、天吾もふかえりと交わる(ふかえりは、これを「オハライ」という)。これで、青豆や老婦人の抹殺根拠は完全に溶解してしまったといっていいぜ。べつにリーダーの行為は、変態性欲でも少女虐待でもないことになったんだ。
 青豆は、この世界への入り口となった首都高速道路の非常階段を目指すが、すでに入口(出口)が塞がれていることを知り、口に銃を突っ込み引き金を引く。まあ、これが結末ということになるんだろうね。最初に入口へ導いたタクシー運転手というのは、これまた謎の存在ということになるね。
 それでは、この『1Q84』という作品の意図とは何なんだ?
 それは簡単さ。要するに、作者はあの地下鉄サリン事件を無かったことにしたかったのさ。それでリーダーすなわち麻原彰晃を殺害するというストーリーを作り上げた。そして、その根元にあるのはリトル・ピープルなるものだ。これが何の暗喩なのか、どんな寓意なのか、いかなる集合的無意識の生成なのか、説明は要らない。それは読んだ読者が察知すればいいというのが、作者のスタンスだ。だから、青豆がリーダーを殺害しようとしている時、また天吾とふかえりが交わっている時、リトル・ピープルのなせる業で、稲光のない雷鳴が轟き、雨が降り、あの地下鉄丸ノ内線や日比谷線などが水没するというふうにしているのさ。
 そうだとすると、この『1Q84』という小説は、結局、あの『アンダーグラウンド』の中の「目じるしのない悪夢」を作品化したということじゃないのか。
 そうだよ。あれの小説化だ。それで、ふかえりやリーダーを魅力的な存在として描きだしたことは、あの地点からあきらかに歩を進めているといえる。しかし、あいかわらず、問題の核心にある宗教性ということに関しては、「目じるしのない悪夢」では『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に出てくるやみくろに、ここではかっての「TVピープル」の変形リトル・ピープル(小人)に置き換えただけだ。それにすべてを吸収させる仕組みになっているよ。つまり、そこへの踏み込みは回避されているんだ。ただ、そんなことは誰も、いまだ解明していない。オウム真理教だって、麻原彰晃だって、依然として不気味な闇をさまよっているのを、ただ世俗的に処罰し、社会的に隠蔽しようとしているだけだからね。だから、あれがこの作品の生みの親だ。そして、ひとつの示唆の方法として、この作品はある。その点でもこれを認めないわけにはいかないね。
 だがよ、村上春樹は「目じるしのない悪夢」の中で、オウム事件に関して異論を呈した者を「大方は世論の袋叩き」にあったといい、「それらの論の多くは少なくとも部分的には正論であったが、場合によっては言い方がいくぶん偉そうで啓蒙的だった」と批判した。その、名前も挙げずに批判した事件当時の吉本隆明らの思想の地平に、つまり〈どちら側でもない〉場所へ、ここで到達したということじゃないのか。
 そうだと思うよ。ただ最初の歴史認識の安易さは、作品全体を決定づけてるよ。でも、惹き込まれて寝食を忘れるように読んだ。おかげでほんとに少し体調を崩したくらいだ。こんなに熱中して読んだのは久しぶりだ。そのうえ、おれみたいな社会の落ちこぼれにも、こんなことを言わせるだけの者があるってことさ。『羊をめぐる冒険』に較べると、のびやかさに欠けるけどね。(2009年6月22日脱稿)

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ニャンニャン裏通り・出前版(2)松岡祥男(「快傑ハリマオ」2号 2009.11.12)

「怪傑ハリマオ」2号 2009年11月12日発行 発行人/根石吉久 版下/村田靖彦 絵/根石千代 定価/ひと財産 長野県千曲市鋳物師屋642−3 電話090-4181-5912
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ニャンニャン裏通り・出前版(3)松岡祥男(「快傑ハリマオ」3号 2010.2.5)

「怪傑ハリマオ」3号 2010年2月5日発行 発行人・根石吉久/版下制作・村田靖彦/絵・根石千代 定価/一財産 長野県千曲市鋳物師屋642−3 電話090-4181-5912
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ニャンニャン裏通り・出前版(4)松岡祥男(「快傑ハリマオ」4号 2010.6.15)

「怪傑ハリマオ」4号 2010年6月15日発行 発行人・根石吉久/版下制作・村田靖彦/絵・根石千代 定価/一財産 長野県千曲市鋳物師屋642−3 電話090-4181-5912
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ニャンニャン裏通り・出前版(5)松岡祥男(「快傑ハリマオ」5号 2010.11.1)

「怪傑ハリマオ」5号 2010年11月1日発行 発行人・根石吉久/版下制作・村田靖彦/絵・根石千代 定価/一財産 長野県千曲市鋳物師屋642−3 電話090-4181-5912
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北川透徹底批判ほか(ニャンニャン裏通り・出前版6)松岡祥男(「快傑ハリマオ」6号 2011.2.20)

「怪傑ハリマオ」6号 2011年2月20日発行 発行人・根石吉久/版下制作・村田靖彦/絵・根石千代 定価/一財産 長野県千曲市鋳物師屋642−3 電話090-4181-5912
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北川透の〈頽廃〉ほか(ニャンニャン裏通り・出前版7)松岡祥男(「快傑ハリマオ」7号 2011.6.10)

   〈1〉
 行きがかり上、黙っているわけにはいかないんで、また北川透のことになるんだ。
 仕方がねえな。
 おれは、北川透が〈呆けた〉というのなら、とやかく言っても、〈無効〉だと思うんだ。でも、そうじゃないなら、これは放っておくことができないとおもう。北川透は『現代詩手帖』2010年11月号の、北川透・藤井貞和・細見和之の「いま詩的六〇年代を問うということ」という鼎談で、1970年代前半の新左翼間の殺し合いの内ゲバに関連した「革共同両派への提言」に、吉本隆明も名前を連ねたというデタラメな放言をやっている。その発言に対して、読者から雑誌編集部宛に抗議があり、その指摘を受けて、北川透は『現代詩手帖』2011年1月号に「「詩的60年代」訂正と補論」という一文を発表している。ところが、これが座談会の放言の上をいく、ひどい〈嘘〉と〈すっとぼけ〉のオン・パレードだ。
 底無しの〈頽廃〉ということだな。まず、そのデタラメな放言から行こうじゃねえか。

 北川 書記長の本多延嘉が殺されるでしょう。
 藤井 以前は別名で哲学者だった。私はその人からあれを読め、これを読めと言われたりしたけど、その人が殺される。六〇年代の前半で地獄の底でいろいろめぐり合った若 き哲学者たちが、ある日新聞を見たら党派争いで殺されている。七〇年代じたいが次々に内ゲバの血の海に沈んでいったのです。だから地獄の先のさらにもっとひどい状況が七〇年代前半だったんです。それは北川さんと共有しているはずです。
 北川 内ゲバ停止の、知識人の声明が出るじゃない。埴谷雄高から吉本隆明まで名前連ねて。ぼくにも誘いがあったんですよ。それを準備している人から、署名に加わってくれと電話がかかってきた。ぼくは拒否したんです。冗談じゃないよって。これだけたくさんの人間を殺しているんだから、あんたたちは党派を解体すべきなのであって、内ゲバを停止してそれで生き残ろうなんて、虫のいいことを考えるなって言ったんです。
 藤井 まったくその通りです。
 北川 そのことはちょうど、谷川俊太郎さんの詩集『定義』が出て、それについてぼくが「現代詩手帖」に書いているときだった。ぼくはその電話のことをそのまま録音のようにして埋め込んだんです。『定義』論のなかに、彼らが何をぼくに要求したかを書き留めているわけね。これはもう本当に許せないし、それに黒田喜夫から吉本隆明まで賛成しちゃうっていうのはいったいどういうことなんだろうか、とそのとき思ったわけ。
                   (「いま詩的六〇年代を問うということ」)


 ここで、いちばん〈重要〉なのは、いま(2010年)、こんなことを言っていることだ。
 あの時代を生きてきた者が、よくこんなデタラメが言えるな。ここまでくれば、もう病気だね。
 そうだな。
 ここで問題になっている「内ゲバの停止の、知識人の声明」は、1975年だとおもう。百歩ゆずって、その当時、北川透がその「声明」がどういうもので、誰が呼びかけ人になっていたかを知らなかったとしても、また、それに吉本隆明が名前を連ねていたと錯覚していたとしても、北川透はその後、角川書店刊行の『鑑賞日本現代文学』というシリーズの、『埴谷雄高・吉本隆明』(1982年9月刊行)の巻の「吉本隆明」を担当しているんだ。ちなみに「埴谷雄高」は磯田光一の担当だ。その二つが、一冊の本として刊行されている。その際北川透は、吉本作品の鑑賞・研究とともに、「吉本隆明年譜」も手がけている。北川透が「そのとき思った」としても、この仕事の過程で当然、吉本隆明がそんなものに名前を連ねていなかったことは分かるはずだし、また、分からないというのはおかしいだろう、ごくふつうに考えても。
 おまえも親切だな。もっと、事は簡単じゃねえか。埴谷雄高が幻の大作「死霊」の第5章を長い長い中断の果てに『群像』1975年7月号に発表し、大きな話題になった。それを受けて、埴谷雄高と吉本隆明の対談「意識 革命 宇宙」が行われ、『文藝』1975年9月号に掲載されている。この対談は同年9月に単行本としても刊行された。これも注目を集め、よく読まれている。その対談のなかで、この新左翼間の内ゲバが話題になり、吉本隆明ははっきりと、あの「内ゲバ」を批判し、じぶんは発起人になることを拒否したと明言しているんだ。北川透がその当時、あの対談に目を通していないなんてことは、あり得ないことじゃないのか。北川透が二人から遠い存在で、この対談に関心を持ったなかったというのなら別だが、そんなことは常識的に考えられないだろう。だってよ、吉本隆明の主宰していた『試行』の1960年代の後半には、岐阜の岡田書店の広告として北川透の詩集にもスペースが割かれているんだし、埴谷雄高は北川透の主宰した『あんかるわ』の第84号(終刊号・1990年12月発行)に寄稿しているんだ。だから、わしは『現代詩手帖』2010年11月号の北川透の発言を読んで、気が狂ったのかとおもったぜ。
 しかし、北川透の「「詩的60年代」訂正と補論」は、もっと凄まじいよ。のっけからこうだからね。

  虚を衝かれる思いがありました。
  昨年の本誌十一月号の特集は、「詩的60年代はどこにあるのか」でした。その際の鼎談で、話題になったことの一つに、新左翼諸党派の内ゲバ停止に関する知識人の声明があります。これに関して、わたしは《埴谷雄高から吉本隆明まで名前を連ねて》とか、《それに黒田喜夫から吉本隆明まで賛成しちゃうっていうのはいったいどういうことなんだろうか》と述べています。その後、これについて、読者の一人から、「北川氏の発 言への疑問」という意見が、編集部に寄せられました。その主旨を言えば、吉本隆明は一度も内ゲバ停止の署名をしていないはずである。もし、北川の誤解であれば、すみやかに訂正すべきだ、というものでした。「詩的60年代」の討議に、七〇年代半ばの内ゲバの問題が出ることに、わたしはまったく備えを欠いていました。でも、本来、対談とか鼎談では、思いもよらぬ発言が出てくること自体に、この種の企画の面白味があると言えます。それに「詩的60年代」のテーマだからこそ、話題になる不可避性があったのかも知れません。ただ、編集部からの知らせに、虚を衝かれる思いがあり、いささかあわてたのは、これについて、わたしの発言の根拠が、自分の記憶の中にしかなかったからです。先に結論を述べて置けば、わたしの記憶の間違いは、多分、揺るがぬところです。多分、というのは、三十五年前にわたしが読んだかもしれない〈声明?〉のようなものを、わたしは何一つ保存してないので、調査に限界があるからです。
                  (北川透「「詩的60年代」訂正と補論」)


    「虚を衝かれる思い」だって、なにを〈とぼけた〉ことを言ってるんだ。北川透は、いったい、じぶんがどんなことをやったのか、ほんとうに分かっているのか? いいか、あんたは、間違った発言で、〈他者〉の思想と軌跡を傷つけたんだ。で、読者の指摘を受けた段階で、真っ先にやるべきことは、その当時の吉本隆明(や埴谷雄高、黒田喜夫)の著作や発言に当たることだ。そうすれば、たちどころに、その間違いはわかることだ。「意識 革命 宇宙」は、北川透の文章も載録されている齊藤愼爾編『埴谷雄高・吉本隆明の世界』(朝日出版社)という本にも再録されているから、手元にあるはずだ。そして、真摯に相手に〈謝罪〉することだ。それが〈発言を訂正する〉ということなのだ。ところが、北川透は「わたしの発言の根拠は、自分の記憶の中にしかなかった」といい、「調査に限界がある」などと、嘘ばっかり言ってる。雑誌の〈舞台〉で、見えない読者に向けて挨拶を送り、自己弁解の〈欺瞞劇〉を演じてるだけじゃないか。
「虚を衝かれる思いがありました」か、いいね、これ、流行するかもしれない。何かじぶんに〈非〉があった場合は、このセリフに限るね。
 さらに、北川透は書いているぜ。

  それでも自分で可能な限り調べ、また思潮社や複数の友人に依頼し、結局、それらしい〈声明〉は、一九七五年六月二十七日の日付けをもつ「革共同両派への提言」しかないな、と思うに至りました。〈埴谷雄高〉が署名者であることは、後にあげるわたしの文章からも、この「提言」のなかの事実からも間違いはありません。もう一つ、確言で きるのは、思想性のレベルにおいてです。この場合、〈埴谷雄高〉の思想はいかにも発 起人たりうるものです。〈吉本隆明〉については、自立思想の立ち位置を想定すれば、ありえないと考えるべきでした。また、当時の〈黒田喜夫〉の党派性は、この「提言」の党派性と相反しているので、これもあり得ないことでした。そもそも、人を中傷したり、根拠のない批判にさらしたりする怖れのある重要なことは、ただ、記憶だけに基づいて発言せず、出来るだけ客観的な資料に依拠すべきです。鼎談という場で、その用意がわたしにできていませんでした。それでも、後でその部分を削除したり、修正したりできるはずで、それをしなかったのは、そこにわたしの思い込みの強さがあったのでしょう。
  わたしは編集部に、わたしの発言が、事実に反していたことが突きとめられた段階で、簡単な訂正(発言部分の撤回)とお詫びの文章を書きましょう、と伝えました。(中略) ともかく、〈一読者〉から疑問が出なければ、わたしは間違いに気付かなかったのですから、有り難いことでした。ただ、わたしがなぜ、そのような恥ずかしい思い違いをしたのか、今の所、よく分かりません。今後も、無意識の領域も含めて、よく考えてみた い、と思います。
                    (北川透「「詩的60年代」訂正と補論」)


 よく、これほど〈破廉恥〉なことが言えるものだ。当時の状況を知らないものが読むと、さも良心的な態度と映るかも知れないが、その時代を必死にくぐってきた者には、この詐欺的ポーズは透けてみえるはずだ。また、かつての『あんかるわ』の読者や、それなりに古くから北川透の著作につきあってきた者は、だませはしないさ。第一に「簡単な訂正(発言部分の撤回)とお詫びの文章を書きましょう」というのが、ふざけはてた発言だ。傲慢な大手新聞社や、かつての『噂の真相』なみの態度じゃないか。『噂の真相』は、それこそ埴谷雄高の葬儀に吉本隆明は焼香に行かなかったと、雑誌のグラビア頁を使って、こんな下品な(葬儀に参列しようがしまいが、そんなことは、人さまざまでいいことだ)ことを大々的に書きたてて、卑劣な人格攻撃をやった。しかし、吉本隆明は身体の不自由をおして葬儀に参列していた。松本健一がその姿を見掛け、焼香するのを手伝ったとのことだ。『噂の真相』はその後、この虚報行為の破綻をうけて、次の号の欄外に「一行の訂正」を載せた。それで終わりだ。こんな性根の腐り切った連中のデマゴギーを取り上げること自体に、おれは羞恥を覚えるが、ここでの北川透の姿勢は『噂の真相』と同列だと言っても、決して過言ではない。「簡単な訂正」、このセリフひとつとっても、〈人間性〉を舐めているとしか思えないからだ。
 「恥ずかしい思い違い」、「無意識の領域も含めて、よく考えてみたい」、どこから、こんな言葉が出てくるんだ。ここに北川透の〈頽廃〉は象徴されている。なんか精神の汚物を見せられているようで、わしはこんなもの、批判したって仕方がないような気がしてきたぜ。こんなもの、相手にするのはご免だから、やめたと言いたくなってきた。
 わかるけど、こういうデタラメなことを言ったり、デマゴギーを流布する奴というのは、すぐに態度を翻し、居直るケースが圧倒的に多いんだ。北川透が谷川雁に対して居直ったようにね。こういう事柄については、言わないのなら、一切言わない。言うなら、徹底的に仮借なく言うべきだ。甘い態度は禁物だよ。そうでないと、相手の雰囲気に染まり、その次元へ引きずり込まれかねないからね。
 おう、おまえの出した話題に乗ったんだ、言うべきことは断乎として言おう。
 先の鼎談の発言の続きを引用すると、こうなんだ。

 藤井 それは北川さんが六〇年代終わりから七〇年代にかけてそういう空気を呼吸した ということであって、私から言わせれば、ノンセクト・ラディカルの論理を北川さんが承認したことになると思う。北川さんが党派のほうに行くのか、ノンセクト・ラディカルに戻ってくるのかという、岐路だったとは思う。
 北川 党派には行ってないです、一度も。
                    (「いま詩的六〇年代を問うということ」)


 藤井貞和の発言を受けて、「党派には行ってないです、一度も」と応えているが、確かに六〇年代終わりからは「党派には行ってない」。しかし、「一度も」というと、北川透は党派に属したことはない、ということになるよね。
 「一度も」というと、おかしな話になるな。北川透は日本共産党への入党体験があるぜ。北川透は『伝統と現代』第46号の月村敏行との往復書簡の中でその日本共産党体験について、「わたしの学生党員としての生活は、《革命にあらず移動なり》の実践の場、学習の場だったということです。そして、それは六十年安保闘争に逢着するまで基本的に続いたと言えます」(北川透「最も圧力のかかる場所」)と、自分で書いているんだ。
 おれはここで、履歴詐称なんて、くだらないことを言いたいわけじゃない。おれは北川透の「自立思想の立ち位置を想定すれば」などという、まるでおのれに関係のない、ただの思想風俗のように見なした、ペテン的口吻にこだわっているんだ。北川透は「六十年安保闘争に逢着するまで」と言っているように、安保闘争に主体的に関わり、体験しているはずだ。だったら、吉本隆明が六〇年反安保闘争をどう闘ったかも痛切に知っているはずだ。
 そうだ。吉本隆明は全学連主流派を支持し、樺美智子が殺された1960年6月15日には国会に突入したデモ隊の中にいて、警察隊の攻撃で敗走し、逮捕されている。また、「6月行動委員会」のメンバーとして行動をともにした義兄は、警官隊の襲撃で頭部を警棒で殴打され、倒れ込んだところを踏まれ、警察病院に搬送されたが、昏睡状態で生死の境をさまよっていた。この時、北川透がどこにいたかは知らない。しかし、北川透にしても、松下昇にしても、菅谷規矩雄にしても、それを体験的に共有しうる立場にいたことは間違いはずだ。黒澤さんは、当夜の記憶は消えてしまっていて、幾度かその時の足取りを辿ったけれど、記憶を取り戻すことができないと言っている。覚えているのは、警察病院で意識がもどってからで、見舞いにきた妹さんをはじめとする人々の姿からだとも。
 六〇年反安保闘争は敗北し、その闘いを主導した共産主義者同盟(ブント)も崩壊した。ここからが、北川透のデタラメな放言に深刻にからんでくるといっていい。敗北後、全学連主流派の幹部の多くは、黒田寛一や本多延嘉らの革命的共産主義者同盟の批判に屈服し、革共同へ転身する者が続出した。この敗北処理こそ吉本隆明にとって、戦争体験とともに重要な思想体験だったといえる。吉本隆明は書いている。

  六〇年安保闘争の終息のあと、真向うから襲ってきたのは、政治運動の退潮と解体と変質の過程であった。この闘争を主導的に闘った共産主義者同盟は、この退潮の過程で、分裂をはじめ、分裂闘争の進行してゆくなかで、その主要な部分は、革共同に転身し吸収されていった。(中略)
  当時、共産主義者同盟の同伴者というように公然とみなされていたのは、たぶん清水幾太郎とわたしではなかったかと推測される。わたしは、組織的な責任も明白にせずに、革共同に転身し、吸収されてゆくかれらの指導部に、甚だ面白からぬ感情を抱いていた。おまけに、同伴者とみなされて上半身は〈もの書き〉として処遇されていたわたしには、被害感覚もふくめて、ジャーナリズムの上での攻撃が集中されてきたため、この面白からぬ感情は、いわば増幅される一方であった。公開された攻撃を引きうけるべきものは、もちろん革共同に転身したかれらの指導部でなければならない。しかし、かれらは逆に攻撃するものとして登場してきたのである。内心では、これほど馬鹿らしい話はないとおもいながら、それを口に出す余裕もなく、まったくの不信感に打ち砕かれそうになりながら、ただ、言葉だけの反撃にすぎない空しい反撃を繰返した。この過程で、わたしは、頼るな、何でも自分でやれ、自分ができないことは、他者にまたできないと思い定めよ、という考え方を少しずつ形成していったとおもう。
  わたしは、もっとも激烈な組織的攻撃を集中した革命的共産主義者同盟(黒田寛一議長)と、かれらの批判に屈して、無責任にも下部組織を放置して雪崩れ込んだ、共産主義者同盟の指導部(名前を挙げて象徴させると森茂、清水丈夫、唐牛健太郎、陶山健一、北小路敏、等)を、絶対に許せぬとして応戦した。おなじように、構造改革派系統からは香内三郎などを筆頭とし、文学の分野では、「新日本文学会」によって組織的な攻撃が、集中された。名前を挙げて象徴させれば、野間宏、武井昭夫、花田清輝などである。わたしは、これに対しても激しく応戦した。
                     (吉本隆明「「SECT6」について」)


 これが北川透が「思想性のレベルにおいて」だとか「自立思想の立ち位置を想定すれば」だとか、〈他人の空〉のように言っていることの、吉本隆明における〈内実〉なのだ。それを北川透が知らぬはずがない。なぜなら、この敗北を大きな契機として、吉本隆明は谷川雁、村上一郎とともに『試行』を創刊したのだし、北川透も浮海啓らとともに『あんかるわ』に拠ったはずだからだ。
 そうだな。その後、革命的共産主義者同盟は分裂する。立花隆の『中核vs革マル』によれば「第三次分裂」だ。この分裂で、革マル派は黒田寛一や森茂(松崎明)、中核派は本多延嘉や清水丈夫、北小路敏らの両派に分かれた。その両派が七〇年安保闘争を経て、七〇年代に殺し合いの党派闘争に突入した。この組織的にも思想的にも末期的な症状に対して、吉本隆明が〈無批判〉であるはずがない。まして、その「革共同両派への提言」に、調停役として発起人に名前を連ねるはずがないことは、明瞭だ。  どこから考えても、吉本隆明がこの両派の延命に加担するはずがないよ。先の引用でも「絶対に許せぬ」と言っているんだ。「情況への発言」でも、そういうことを書いている。吉本隆明は、この連中と〈思想のデスマッチ〉をやってもいいと思ってきたはずだ。
 北川透は「後でその部分を削除したり、修正したりできるはずで、それをしなかったのは、そこにわたしの思い込みの強さがあったのでしょう」と書いているが、いったい、その北川透の「思い込み」とは何なんだ。そのうえ、北川透は「調査に限界がある」などと言っているが、大嘘だ。一九七〇年代のことだぜ、そんなものに「調査に限界」などあるはずがないじゃないか。埴谷雄高は『内ゲバの論理』(1974年11月刊行)という編著を先行するかたちで三一新書として出している。そして、「革共同両派への提言」は1975年6月27日付で、発起人は埴谷雄高、秋山清、井上光晴、色川大吉、久野収など十二名だ。しかし、これは拒否されたため、7月19日に「革共同両派への再提言」が出されている。この「提言」は、埴谷雄高の起草だということだ。いずれも『早稲田大学新聞』と『現代の眼』に掲載されたらしいな。先の埴谷・吉本の対談日は7月4日、この動きの真最中だ。
 北川透は「それでも、自分で可能な限り調べ、また思潮社や複数の友人に依頼し」なんて、書いてるけど、唖然とするよ。自宅であぐらをかいて、それらしいものはないかと思ってるだけじゃないか。「この場合、〈埴谷雄高〉の思想はいかにも発起人たりうるものです」と言っているんだから、図書館へ出かけて『埴谷雄高全集』(講談社)の「年譜」にあたるとか、また、インターネットの「検索」でも、それくらいことは出てくるかもしれないよ。
 まあな。ここまでのところで、60年反安保闘争やその後の情況について、その当時わしらはガキの洟垂れで、実際にその時代を知らないということがあるな。
 うん。そう言われる可能性はあるね。この内ゲバがおれにとって、いかに痛切だったを言えばいいとおもう。おれが社会状況や学生運動に関心を持ちはじめたのは、1969年だ。それで何もわからぬまま、そういう場面に接触するようになったんだけど、当時の四国の学生運動は、高知は中核派、愛媛はブント、徳島は社青同解放派、香川は日共民青が主導権を握っていたとおもう。それで、地元が中核系ということで、当然おれもその流れの中に入っていった。のちに『同行衆』や『同行衆通信』で師事することになった鎌倉諄誠はマル労同の同盟員だったはずだ。それで、市内に「前進社」の「高知支局」を開設していて、鎌倉さんはそこに詰めていた。おれは日共と反日共の区別がやっとつくぐらいで、新左翼の党派なんて、まるで区別がつかなかった。だから、七〇年安保闘争の6月15日の代々木公園の集会では中核系の全国部落研連合の隊列に加わっている。
 鎌倉さんが日共を除名されてから、ノンセクトで活動していたのに、中核派になったことについては、どうしてなんだという人もいたな。  おれなんか、その経緯も事情もわからないし、そういうことには無頓着だった。それでも、しだいに中核派の方針や活動に疑問を持つようになったのも確かだ。それを何度か鎌倉さんに言ったこともある。鎌倉さんはわりと擁護的だった。でも、70年11月に鎌倉さんは中核派と決別した。それもあって、高知大学をはじめとする新左翼系の学生運動は中核系とノンセクトに分かれたような気がする。でも、デモなんかは一緒にやっていたね。そうこうするうちに、連合赤軍のあさま山荘の闘いやその内部粛清が表面に出た。それとともに、セクト間の内ゲバもだんだんエスカレートしてきたんだ。最初は集会なんかで衝突する程度だった。高知でも、民青とのゲバルトがあり、日本共産党は地区の労働者党員を動員し、彼等は学生とは社会経験が格段に違うから、迫力(実力)が違っていたとおもう。そのときの衝突で、日共に片目を潰された者もいる。おれ(たち)はそのとき、高知県西部の宿毛湾の原油基地反対運動で現地入りしていたんで、その場にはいなかった。おれらがいたら、民コロなんかにやられはしないと言い合っていたが、実際やったら、反対にやられて、半殺しにされていたかもしれない。
 要するに、内ゲバは熾烈になり、個別テロに転換するとともに、地方にも波及してきたということだな。
 そうだ。それで本多延嘉が殺された時は、高知の活動家たちは、中核派のメンバーでない者までが「おのれ、革マル!」と憤激していたくらいだからね。おれはもう、この段階になると、〈どっちもどっちだ〉と思うようになっていたね。
 始めの頃は、圧倒的に革マル優位だったんじゃないか。
 そんな気がする。で、書記長の本多が殺された(1975年3月?)あたりから、中核派も死に物狂いになって反撃に出た。まあ、そんなことはジャーナリストの立花隆にまかせておけばいい。そんなこと、知ってたって、なんの価値もないさ。ただ、北川透が言っている「革共同両派への提言」の動きというのは、中核派の本格的な反攻にびびった革マル派が、埴谷雄高に縋りついたものだ。埴谷雄高は戦前日本共産党時代からの〈からみ〉と〈流れ〉から、もともと革マル支持者だったからね。黒田寛一が参議院選挙に出馬した時も、後援会会長をやっている。だから、革マルの内ゲバ「一方的停止宣言」と連動した、知識人を使った政治的懐柔策動のひとつさ。
 そんなこと、どっちにしたって、くだらねえことだ。
 そうなんだけど、ひとつだけ、どうしても、言って置いた方がいいことがある。幸いにして高知には目立った革マル派の活動家はいなかったから、実際の流血の内ゲバはなかった。高校時代、おれたちが学校側と対峙していた時、わりと近いところにいたKという男が、自分は大学に進学したいんで、きみたちとは一緒にやれないといった。それはいい。ところが、こいつが東京の大学でいっぱしの活動家(本人に言わせれば革命家)になって、中核派のオルグとして、別名を名告って(いつ姓が替ったんだ、馬鹿たれ)、おれのところに来たんだ。そいつは脅しになると思ったのだろうが、「革マルの活動家の部屋にはドストエフスキー全集が並んでいた」というんだ。要するに、革マルの活動家を殲滅に行ったことをほのめかしたんだろうが、冗談じゃねえ、おまえみたいな日和見野郎の脅しに屈するとでも思っているのか、舐めんな、おれたちはおれたちの闘いを自力でやり切ったんだ。いまさら、おまえにも、中核派にも、なんの用もない。それできっぱり、お帰り願った。しかし、そんなおれでも、いまだに「革マル」という表象が、強迫観念のように明け方の寝床で浮かぶんだ。
 そうとう、呪われているな。
 それは、おれの資質もあるだろうけど、連合赤軍のリンチ粛清よりも、はるかに内ゲバの殺し合いの陰惨な影が〈心的外傷〉になっていて、いまだに払拭できないんだ。実際、「革マル」を見たのは、大集会やテレビのニュース映像での、あのヘルメット集団だけだ。具体的に「革マル」と直面したことは一度もない。それでも、こうなんだからね。嫌になっちゃうよ。で、埴谷雄高の革マル派擁護の「停止」の動きに影響を被った者もいるよ。おれの知っている埴谷雄高とつきあいのあった、ある「編集者」が、豊島区の中核派の拠点に、あの「提言」を届けたと聞いた。鉄パイプで殴られるかもしれないと覚悟して行ったらしい。その「提言の書面」を受け取るかどうかを決定するまで、戦国時代の敵方への使者みたいに留め置かれたとのことだ。
 いわゆる「千早城」だな、いまは移転してるらしいが。戦国時代なら、その「和睦」の使者というのは、殺されて晒し首になるか、あるいは、手打ちということで歓待をうけるか、どちらかの図柄になるんだろうな。
 だから、おれにとって、「60年代」は無縁じゃないさ。60年代からの新左翼と学生運動の最終的な〈末路〉が、あの内ゲバなんだ。戦争世代の小山俊一はこう言っている。

  武井健人(本多延嘉―引用者注)が殺された(ラジオで知った)夜、酔ってねた。だれも自分に似合った死しか死ねない。(それにしても、これはなんとばかげた、むざんな死か。)今このくにで革命家たらんとする人間が死ねる死がこんな死でしかないか、そうらしい、それにしても革命を志したあげくがこんな死に行きつくとは、こんな人殺しをして一生背負いこむとは、それしかなかったとは、なんとばかげたことか、あわれな連中か、といった思いが(今さら)始末つかなくて悪く酔った。私は武井を知っている。いい青年だった。合掌、とかきたいがやめる。それはしらじらしい。思い出すこと、をかくのもやめにする。夜ねる前に安ウイスキーを少しばかり楽しんでのむ。それが三月十四日以後、のむと必ず武井(たち)のこと殺し合いのことが頭にきて気がめいって悪酔するので、当分のむのをやめた。ばかなはなしだ。
  一昨年、唐牛健太郎が森恒夫の独房での自殺について「あれはあれでいいんだ」といった(新聞記者のインタビュー)というのを知って、おどろいて感動した。森は浮ばれたなと感じた。(中略)
 ――しかしどんな唐牛も、武井(たち)の死には「あれはあれでいいんだ」とはいうまい。武井(たち)が浮ばれるどんな言葉もあるまいと思う。
                          (小山俊一『プソイド通信』)


 そして、ソビエト連邦の崩壊で、「共産党神話」も、学生運動も、根底的に〈霧散〉したといっていい。それが〈歴史の審判〉であり、〈世界史〉的現実なのだ。
 ここで、北川透にトドメを刺しておく。「擬制の終焉」や「思想的弁護論」を持ち出すまでもなく、吉本隆明が「革共同両派への提言」に連なるはずがない。従って、北川透の発言は「人を中傷し」「根拠のない批判にさらした」ものであり、その訂正文も、どこからどう考えても、「鼎談という場で」「わたしはまったく備えを欠いていました」だの「その用意がわたしにできていませんでした」だのという見苦しい言訳のまったく〈通用〉しない、信じ難いカマトトの〈嘘〉の上塗りでしかないということだ。
 北川透先生は偉くなったもので「60年代初頭、反安保闘争後の混沌のなかで、息急き切って詩の自由の論理を掲げた北川透。以来ぬきんでた透徹度と強靭な思想性をもって、詩の最前線で積み重ねられた批評の鋭さ深さは、今日まで半世紀をつらぬく。その質量ともに〈現代詩論〉の最も高い稜線をかたちづくる」という謳い文句のもと、「北川透〈現代詩論〉集成」(全7巻)が思潮社から刊行されるそうだ。 その中の一巻が「吉本隆明の詩と思想」だそうだ。
 そんなことは、勝手にすればいいことだけどな。わし、中学の頃、ミシマという数学の教師によくぶん殴られた。「マツオカ、今度はもっと離れたところから殴るからな、そうすると、もっと遠心力で勢いがつくぞ」なんて言われてな。口が切れたことも、鼻血が流れたこともある。そのミシマ(別に三島由紀夫にひっかけているわけじゃない)って教師は、旧帝国海軍あがりで、自慢話をよくしていた。海軍の試験があって、「防衛とはなにか」という問題で、いっぱい書いたけれど、しかし、「防衛とは攻撃である」という肝心な点を正解できなかったんで、あとは完璧だったんだけど、「50点」しかもらえなかったと、失敗談として語って聞かせた。「ふん、戦争を回避するのがいちばんの防衛さ、ミシマ先生」よ、と今ならなるんだけど、それよりも、あの「鉄拳教育」にキレずによく耐えたとおもう。それだけでも、中学生のじぶんを誉めてやりたいぜ。そのどうでもいい自慢話でいくと、北川透の「吉本隆明論」なんてものは、継続的に言及してきたというのに、この有様なんだから、もう「半分」以上は意味がねえってことだ。
 おれ、この鼎談は面白かったけどね。たとえば「ぼくは若い頃から嫌いな文学者がいて、夏目漱石と宮沢賢治と高村光太郎が大嫌いだったんですよ」なんていう、北川透の発言はおもしろかったね。
 「大嫌い」ねえ……、これはほんとうは好き嫌いの問題というよりも、文学(感性)と思想(認識)の根源的な差異という気がするな。これを深読みすれば、おのずと北川透の「思い込みの強さ」とやらの〈正体〉もわかるというものだ。それはともかく、それなら、北川透はいったい誰が好きなんだろうな。北村透谷から始まるとして、いまは「谷川俊太郎さん」ってことになるのかね。
 それから、「月村敏行と会ったときに、ミシェル・フーコーというのは俺たちの理論のバックグラウンドにしていい批評家だと、それなのに柄谷行人にとられてしまった」と月村敏行が云ったなんて話、笑っちゃったよ。
 「俺たちの理論のバックグラウンド」ねえ……。
 だけど、松下昇や菅谷規矩雄について言っていることはひどい。まあ、それについては、松下昇や菅谷規矩雄と関わりのあった人が問題にすればいいことで、おれなんかが口出すことじゃないさ。ただ、一点だけ言うと、

 彼の詩的思想の表現「六甲」や「包囲」を公にするために、今から見れば幼い小説や、中途半端な研究論文も含めて編集し、『松下昇表現集』(一九七一年一月)として刊行しました。
                    (北川透「「詩的60年代」訂正と補論」)


 こう書いている。これは、おれみたいな者が見ても、おかしい気がする。「公にするために」ってどういう意味だ。松下昇の「六甲」も「包囲」も、『試行』に発表されたものだ。未発表の草稿じゃない。その初出誌は『あんかるわ』よりも、たぶんその「別冊」よりも、発行部数は多かったはずだ。わたし(北川透)はあなた(松下昇)のために、こんなことまでやってあげましたと言い、全部、自分の功績(手柄)にしているだけじゃないか。それに、言い方が〈逆〉だ。「今から見れば幼い小説」なんて、同時代を生きてきた者のいうことか。その時代、プロレタリア文学や社会主義リアリズム理論が主流を占めるなか、その限界を突破しようとして、彼なりに〈悪戦〉したっていうのが、心ある同行者というものじゃないのか。「今から見れば」なんて、最低の言い草だ。我こそは「60年代」及び「60年代詩」を代表する存在であるがごとく『現在詩手帖』のお座敷で振舞っているが、その実、そんなものはすっかり〈清算〉してしまっていることの、これが自己証明さ。それに松下昇も、菅谷規矩雄も、故人だ。つまり、反論することも、抗弁することもできない。そんな〈死者〉に対して、よくこんなことばかり、言えるものだ。
 まあ、明治維新でいっても、坂本龍馬も高杉晋作も、志半ばで倒れた。明治政府ができて大久保利通あたりが「勝ち組」として残った。それでわが春という感じだったと思うが、結局暗殺されている。わしは、大久保利通なんかよりも、はるかに坂本龍馬や高杉晋作の方が好きだけどな。
 そこはこうさ。

 おれたちの革命は七月か十二月か
 鈴蘭の露したたる道は静かに禿げあがり
 継ぎのあたった家々のうえで
 青く澄んだ空は恐ろしい眼のようだ

 鐘が一つ鳴ったら おれたちは降りてゆこう
 ひるまの星がのぞく土壁のなか
 肌色の風にふかれた恋人の
 年へた漬物の香に膝をつくために

 革命とは何だ 瑕のあるとびきりの黄昏
 やつらの耳に入った小さな黄金虫
 はや労働者の骨が眠る彼方に
 ちょっぴり氷蜜のようにあらわれた夕立だ

 仙人掌の鉢やめじろの籠をけちらして
 空はあんなに焼け……
 おれたちはなおも死神の真白な唾で
 悲しい方言を門毎に書きちらす

 ぎ な の こ る が ふ の よ か と
 (残った奴が運のいい奴)
                (谷川雁「革命」)


 わしは〈成り上がり物語〉なんかに、なんの興味もない。その三味の音の響くところで浮かれていればいいんだ。北川透も藤井貞和も、学界や詩壇で、それなりの地位を獲得し、「偉い」のかもしれないが、図に乗るんじゃないぜ。オウム真理教が「宗教団体」であるように、革マル派も中核派もどんなに愚劣であっても、歴然たる「政治党派」だ。それを単なる「殺人集団」とみなし、切り捨てることができると思ったら、大間違いだ。そういうふうにいうなら、どの「宗教団体」も「政治組織」(民主党・自民党から共産党までの公党も含めて)も、狂気と暴力(権力)を〈内在〉させている。それには例外はない。ここでの、北川透の松下昇に対する発言だって、見方によれば、言葉の〈ゲバルト〉であり、その様相は時間的断層を孕んだ〈内ゲバ〉と言えないことはないんだ。そういうことに自分は無縁で、超越していると思うこと自体が〈傲慢〉なのだ。この思い上がりが北川透の〈頽廃〉の根だとおもう。
 「菊屋まつり」をめぐるトラブル(1987年)以降、北川透の書いたもので、もっとも印象に残っているのは、出水市の岡田哲也の編集していた『Q』という雑誌に載った「わが心象の駅」だ。なかでも「Q駅異情」は、『あんかわる』の発行の裏側もみえる良いものだった。おれは北川透の奮闘を尊重しているし、もとから対立意識をもっていたわけじゃない。だって最初から否定的だったら、『あんかるわ』を直接購読するわけがないだろう。さらに揺り戻し的なことをいえば、「鮎川信夫賞」と違って「中原中也賞」の選考(他の選考委員とともに)は、適確に有望な新しい詩人とその詩集を選び出してきたと思っている。その目配りを侮ったことはない。また『白鯨』みたいな詩誌と『あんかるわ』とは、その持続性においても、労力と実績においても、比べものにならないものだ。北川透の詩について言うと、幼稚なおれは、1970年代の前半に現代詩文庫版の『北川透詩集』を買って読んだけれど、片桐ユズルと似たようなものだと思った。その後、その表現地平は越えていったとおもう。それで気になって再度購入したけれど、やっぱり、あまりいいとは思わないんで、手元に無い。雑誌に載っていれば、目を通すことはあったけどね。おさらばだ。

     〈2)

 根石さんに、そろそろ「根石吉久全詩集」もしくは「定本根石吉久詩集」みたいなのを作りましょうと、もちかけたんだけど、あまり進まないんだ。
 自分のものというのは、積極的になれないんじゃないか。おまえだって、猫々堂で自分のものを出す気なんか無いだろう。
 うん。新たに書いたものなら、ひょっとしたらあるかもしれないけど、既に発表したものをまとめて、自分で出す気は全くないね。そういうものは、〈他者の手〉を通ったほうがいいとおもう。根石さんのだって、基本的には周りのものが協力して進めればいいとおもっているよ。
 こんな話を持ち出していいのか。
 実現へもっていくためには、言ったほうがいいと思ったんだ。それで「詩集」としてまとめられたものは、おれの手元にもあるんだけど、雑誌に発表されたきりになっているものは、読んでいないから読みたいし、それが根石さんのところにあるかどうかも、わからない。だから、根石さんの作品の載った雑誌を持っている人に、コピーでいいから、ここで提供をお願いしたい。
 そうだな、昔からつきあいのある人は別だろうけど、「快傑ハリマオ」の読者の多くは、根石さんの『人形のつめ』という詩集も、『みだらターザン』も読んでいないだろうからな。
 おれ、『人形のつめ』の中の「書店で礼服のくるまれて銀色に」は力作だとおもう。これが根石さんの代表作かというと、それは違うだろうけど。

    書店で礼服にくるまれて銀色に

 レヂの横からひびが走りはじめている
 店の呼吸が静かになる
 雑誌に目をもどしたが目のすみでその人は三十センチ上下して
 ぐにゃぐにゃ上下してぐにゃぐにゃ上下して
 来て
 私の右に立つ
 すると私がぐにゃぐにゃと上下しそうだ
 すると私が差別するのだ
 右半身は黒いケロイド
 毛がはえてくるのだ

   私は詩の雑誌を開いていた
 活字は黒いコロイド
 もう読めない
 隣の人の雑誌が見えた
 銀色の赤の原色の薔薇の花か極彩の星か黒い文字「SMコレクター」

   ここはどこか
 女体が見える
 縄がくいこんでくびれた女体
 私は「現代詩手帖」のペーヂを変える
 そこに開く深紅の女陰
 毛がはえてきてぼろぼろこぼれる

 奪われているんだ
 ボードレエルの兄貴よ
 「性交は民衆の抒情」であって
 しかもなお奪われているんだ
 もぬけのからなんだ
 おお美しいおもちゃ
 だから正確に「にせ絵」を買いにくるんだ
 やわらかい女体
 「幸福」がひきつるのをくいこむ縄に読みたいんだ
 馬鹿やろう
 心をぎらぎらにしてしまうんだ
 (復讐のように)

 私は雑誌を棚へもどす
 背が痛みだす
 「芸術生活」
 「大学への数学」
 「浮世絵」
 「医学部進学」

 あと三十分で友人の結婚式が始まる

 (また
  たかさごや
  また
  つるとかめ)
 行こうと思ったときびっこの人も歩き出した
 握られている雑誌もぐにゃぐにゃと上下した
 早く行きたいだろう
 ひとりになりたいだろう
 呉服店をひっくりかえしたような色彩の氾濫の中で苦痛に歪む女の顔に目をこらす
  惨めな写真のカラーでそれだけのことはやれる

 レヂを離れていちどぐにゃぐにゃと大きく沈み
 転んだ
 砂のあるコンクリートに雑誌が飛んだ
 ひるがえるひるがえる数々の女体
 転んでいた
 立ちあがろうと必死で
 コンクリートの床を転んでいた

 笑った
 私は 笑った
 助け起こしたのは私だが 口を閉じていると
 肋骨の中で何度も笑いが暴発するのだ
 ひとりの部屋に
 ペーヂをめくる独裁が
 その 私 が
 今日はみじめであるだろう
 それゆえに
 銀色に銀色に
 さらに銀色に光り出すもの

 礼服を着て町を歩いた


 まあ、「ある日の根石吉久」だね。自他ともにかなり抉っているとおもう。こういうふうに抉ることもなく、ヒューマニズムをふりまく奴ばかりが、この世間にはあふれているからね。その分、偽善的ということだ。むかし、パン屋で働いていた時、クリスマスケーキ作りの手伝いの女子大生が四人アルバイトに来た。この人たちとの交流について書いたことがあるんだけど、ある時、その中の一人が真剣な顔をして「松岡くん、わたしは人種差別は良くないと思っているけど、でも、わたしは黒人の人とは一緒になれない」と言った。おれはガキだったから、なにを言っているのか、よくわからなかった。でも、そんなことは、人それぞれでいいんじゃないですかと答えた。いまから思えば、あのにきびの多い彼女は、性の問題が切実になっていて、本気でそんなことを考えたんだとおもう。当時四国の高知なんかで黒人を見かけることなんかなかったからね。それで、実際に接触すると、これが逞しくてカッコイイなんてことになり、反対に惚れかねないとおもう。それが〈性〉というものだ。
 要するに〈バージン〉ってことだろう。

【ここまで書いてあったところへ、根石さんから電話がかかってきた。わたしは近所のスーパーマーケットに夕飯の買物に行って、帰ってきたところだった。
根石さん 松岡さんところは、津波は大丈夫ですか?
おれ えっ? ……ウチに津波が来るとすれば、たぶん高知市街は全滅のはずです。なにかあったんですか。
根石さん 外に出てみれば……。
おれ いま買物から帰ってきたところです。別に変った様子はなかったですけど? 津波って、どれくらいなんですか?
根石さん 10メートル。
おれ 10メートルっ! 震源はどこですか?
根石さん 茨城。
おれ わかりました。テレビを見てみます。ご連絡、ありがとうございました。
 電話がかかってきたのは、3月11日午後4時ごろだったとおもう。わたしは、地震のことも、津波のことも、まったく知らなかった。テレビを見て仰天した。………】
                             (2011・3・13)



「怪傑ハリマオ」7号 2011年6月10日発行 発行人・根石吉久/版下制作・村田靖彦/絵・鳥山明  長野県千曲市鋳物師屋642−3 電話090-4181-5912
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読捨ニャンニャン日録 松岡祥男(「快傑ハリマオ」8号 2011.12.20)

「怪傑ハリマオ」8号 2011年12月20日発行 発行人・根石吉久/版下制作・村田靖彦/絵・根石千代  長野県千曲市鋳物師屋642−3 電話090-4181-5912
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「反原発」は正義か?読捨ニャンニャン日録2 松岡祥男(「快傑ハリマオ」9号 2012.7.20)

「怪傑ハリマオ」9号 2012年7月20日発行 発行人・根石吉久/版下制作・村田靖彦/絵・根石千代  長野県千曲市鋳物師屋642−3 電話090-4181-5912
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「ニャンニャン裏通り・出前版」松岡祥男@「怪傑ハリマオ」  ファイル作成:2010.03.13 最終更新日:2012.10.29