聞き手 公文一二・松岡祥男・山田和・鎌倉諄誠・橋村幸良・高松源一郎・中村哲明・上野一彦・埴野謙二・金廣志・古浜光広ほか
公文(司会) 吉本さんは高知へ高知市立中央公民館の夏季大学の講師として来られたんですけれど、それが私共の会に出ていただくということで、公民館の方にも了解を得て寛大な処置をしていただき感謝しております。それから、ふだん本とか講演録とかを読んでいるわけですけども、吉本さんにどうしても直接お会いしてお話をお伺いしたいというようなことを考えて、それでこういう会をもったわけですけど、こういうことが一生に一度あるかどうか(笑)、こういうチャンスは滅多にないとおもって、松岡祥男君に清水の舞台から飛び降りるつもりで手紙を出してもらったわけです。それで吉本さんが快諾して下さってこういう会がもてたわけです。
それで一応「試行」購読者の一部ということで、私などは余り熱心な読者ではないので太い顔はできないんですが、まあ松岡君とかふだん吉本さんの著作を読んでる人と、それから高知のまだみぬ吉本さんの読者とか、こういう会でお会いできるんじゃないかとおもって、それでこういう会をもったわけです。それで会の進め方としてはですね、少数の人数でひとつの議論を煮詰めて吉本さんにお伺いするということはやってなくて、もう個人個人が吉本さんにお会いして直接お伺いしたいという切実さみたいなとこで成り立つんだとおもいます。そこのところで一応私共が考えたのはてんでバラバラに聞いても話がまとまらないのではいけないので、一応予定しているのは昨日の講演なんかをとっかかりにして文学論の問題を最初にやってみようということで、最近の著作でいえば『悲劇の解読』とかになるとおもいますけど、そこから入ってゆこうと考えております。それでその後思想論といいますか、主著でいいますと『共同幻想論』とか『心的現象論』とか、最近の『世界認識の方法』とかで扱われていることをやって、三番目ぐらいに情況論というかそういうことを考えています。最後に時間があれば吉本論というか、吉本さんについて聞きたいことがあるというのであれば、それで。
しかし、ぶっつけ本番ですのでこういうふうにうまくゆくかわからないのですが、そういう流れを考えていますので発言するとき、だいたい自分で判断してもらって言ってもらえればよいとおもいます。それで発言するとき、名前ぐらい自己紹介してもらってやれば。それでは昨日の講演についてから入ってゆきたいとおもいます。質問とか発言があれば、誰でもお願いしたいとおもいます。
松岡 昨日の講演で時間がたりなかったんじゃないかという感じがしたんですが、たとえば梶井基次郎には具体的にふれられなかったんですが。
吉本 いや、いいたいことの大筋は一応いえたようにおもっているんです。話をするつもりでふれられなかったのはほとんど無いのです。ただリルケの『ドゥイノの悲歌』という詩を自分で解読したわりと有名な書簡があり、そのなかで昨日の講演の主題に即していえば、リルケが「生の肯定」と「死の肯定」というふたつのことの領域の中に自分の目指している主題があるんだ、という意味合いのことをいっているところがあります。それがある意味でリルケの古典主義的な考え方であるし、またある意味では古典時代、あるいは古典古代時代以前の人間の考え方にたいして、近代的なところから、リルケがそれを肯定するという意味をもっているんじゃないか。そんなことをちょっといいたかったです。それはふれられませんでした。
梶井基次郎に堀辰雄と違うところがあるとしますと、梶井基次郎は〈死〉というよりも〈病い〉という概念、認識が昨日のテーマでいえば、かれの文学作品でとても大きな重さを占めている、そこのところが堀辰雄と少し違うんじゃないか。そんなことをいいたいとおもってたんです。でもおおよそのところはいえたようにおもいます。それ以上のこと、こうなんだという解決点みたいなことは、自分でもいう力がありません。ただ疑問といいますか、問題が提出できればもうそれでいいんだというぐらいのところです。だからほとんどいったとおもうんです。
小松 講演の中で、古典と近代もしくは現代の小説に大別されて、古典の時代というのは作家というか主体がわからないんだということをいわれたわけですね。ところが近代の小説については主体がわかるんだ、現代の小説というのは主体の確実性というものがわからなくなっているんだ、とおっしゃられたとおもうんですが、当然古典の世界でいえば主体というものが確立する必要もなかったんじゃないか、共同体の意志というのが即個体の意志なんだというふうにいえるとおもうんですね。ところが近代の小説になると梶井にしろ非常に西欧の近代の影響というのが大きいとおもうんですが、そのとき主体というのが個人概念の成立してきた時期とみあっているんじゃないかということがいえるとおもうんですね。じゃ現代はどうなのかといったときにその個人概念、たとえばデカルトの「我思う故に我在り」という意見があるとすれば「我思う」ということも「故に我在り」ということもわからないし、いわばその「我」ということがわからなくなっちゃっているんだ、というふうに吉本さんがいわれたとおもうんですね。そのときにぼくなんかもたとえば浮海啓さんの小説とか矢島輝夫さんの小説を読むと非常にそういうことが切実な印象として受けてくるんですね。じゃそうするとなぜ主体というのがわからなくなってきたんだということが非常に引っ掛かるわけなんです。その主体がわからなくなってきたということが古典世界のような共同体=個体としてわからなくなってきたというふうにはとても捉えきれないんじゃないか、一応主体性というのが確立した以上はもうそういう捉え方はまずいんじゃないかという感じがするんですが、その辺はどうお考えになっていますか。
吉本 ぼくもそうおもうんです。つまり古代以前に個人としての作家がないということの意味は、共同体の共同幻想がそれを〈代置〉しているということがありますね。ですから、たとえば個人の生き死にについてもそうで、氏族共同体なら氏族共同体のある一員が死んでしまう。その人の霊は何処かへ行ってて、こんどはその霊が女の人にとりついて女の人が妊娠して子供が産まれる。そうすると人の霊は必ず同じ氏族のメンバー(成員)のところにとりつくことになっていて、その霊がとりついて産まれたのだから、その赤ん坊の名前に同じ氏族に属する死んだ人の名前をつける。そうすると個人の死といいますか、死は肉体的にも主観的にも個人の死なんですけども、しかしそれでも、本当の意味で個人の死というのはなくて共同体がそれを補ってしまう。生き死にでさえも古代以前では共同体が補ってしまう。現在ほんとうの〈私〉があるのかという問題が提起される場合、個人の孤独とか孤立とかいうことが前提になっています。だから、そこのところでなお前提になっている孤独なる個人、孤独なる私という、その〈私〉自身がほんとうの〈私〉といえるのかということが疑わしくなったことは、何かが〈代置〉する、たとえば共同体がそれを〈肩代り〉してくれるとかんがえるわけにはゆかなくなったわけですね。そういう復帰とか回帰はもう不可能だということは、まずほんとの意味では前提だとおもうんです。そこでさまざまな問題が出てくるのではないでしょうか。そのことを復古主義的に解こうとする人もいるのかもしれない。ですけれども、少なくともぼくなんかはそういう考え方はとれないのです。共同体が個の代置をできるというような考え方はもはやはるか遠くに行っちゃってて成り立たない。しかし、じゃ何が代置するのかということがすこぶるわからなくなっている。それがいまの情況じゃないかなとおもうんです。
何故そんなことになっちゃったかも、いちばんかんがえやすい層でいえばどれも簡単なことのようにおもうんです。つまり経済社会的に日本も世界の先進的な国家だと考えられるところにいったとすれば、大衆意識みたいなものが、よくいわれるように自分を中産層の階層にあるという意識にほとんど入りこんでしまっている。これが多分先進的な社会での大きな特徴だとおもうんです。そうすると大多数が中産的というか中間的な社会経済的な層に入り込んでいると自らおもっている社会では、もはや個人の、私の〈個性〉というようなものを想定することがなかなかできなくなっちゃっているんじゃないか。これはとてもかんがえやすい理由づけで、もっとたくさんのことがある気がするんです。わからないことがたくさんあるような。何故ほんとの〈私〉とか〈個性〉とかがわかりにくくなった、怪しくなったかということの中に、もっとたくさんのかんがえるべきことがありそうです。だからそのこと自体がとても大きな問題なんじゃないでしょうか。それは復古的には回復できないとおもいますけどね。
小松 いまいわれたことは非常によくわかるような気がするんです。主体性が個性がわからないんだよ、といわれた場合に学生運動なり全共闘運動のなかでよくいわれたことというのは、労働の中での置換可能性というか個人の置き換えの可能性なんだよ、ということがかなり語られたわけなんですね。当然その個体性が個体性として認められるいわゆる近代の社会のなかでは、個人の労働というのが手作業なり、そういうものとしていわば個性の発現としてあったんじゃないか。ところが現在はその個性の発現としての労働が無くなったんじゃないか、そういう面から一面捉えられるようにおもうんですけれども。どうもそれだけではぼくの場合は納得できないなというのが非常に強い感じがありまして、そこをお伺いしたいとおもうんですけど。
吉本 なるほど、ぼくもその点のことで感じていることがあるんです。つまり現在の日本の大都市みたいなところの何が主たる大規模な産業であるか、大規模な影響を与えている産業であるか。その場合に、以前たとえば二〇年前だったら、鉄鋼みたいに重工業だとか重化学工業、そこから裾野があって、産業的に高度な大きな流れを占めている。そこの動向がさまざまな社会全体の問題になるんだとかんがえられていた。それが少し変わってきているんじゃないかとおもってるところがあるんです。どういったらいいんでしょうか。わりに情報産業的なものの支配が都市の社会経済構成の中でとても大きな重さを占めつつあるようにおもうんです。それが都市の主な動きをリードしている動向になっている。そういう変わり方、つまり生産とか手触りのある物をつくっているものの産業の大規模化ということの上に、何か眼に見えないものの産業化、産業の大規模化みたいなもののウエートがとても大きくなってきている。少なくとも巨大都市ではそうだ、ということのなかに、何かがあるんじゃないでしょうか。これをどう理解すればいいのかということがなかなかうまくわからないです。あまりあなたのおっしゃることにたいして、こうだという見識がないんですね。むしろぼくのほうが意見を聞きたいということです。
小松 『最後の場所』という雑誌の「都市に関するノート」のなかで先程出た金融資本とかの集中度というのが非常に高くなっているということを展開されていたとおもうんです。そういうふうに変わってきているんだというふうに理解してよろしいでしょうか。
吉本 ぼくはそう変わってきているんだとおもっているわけです。
小松 それから最後のほうで、都市に金融なりなんなりが集中化することによって個人の感性がスラム化しているんじゃないかということをおっしゃられていたんですから、そのことがいわば個体というものがどうもわからなくなってきている原因になっているんじゃないかというふうに先程の吉本さんのご意見を理解してよろしいでしょうか。
吉本 それはとてもわかりやすいところでひとつ、そういうことがあるんじゃないかとおもっているんです。しかし、そういうふうに結びつけてしまうとわかりやすすぎます。そこが不満なんですがね(笑)。たしかにひとつはそうなんじゃないか、しかしもっと違う、いろんなことをかんがえなくちゃ駄目だよ、という感じを自分でもっているんです。それは資本主義の質が少しずつ眼に見えないところで変わっていきつつあることの、あるひとつの兆候なんじゃないかというふうに目星はつけるんですが、それをどう理解したらいいかよくわからないです。
山田 いまの「内向の世代」という人たちについて、けっこう肯定的に書かれたことを読んだことがありますが、そういういまの文学者たちの問題と昨日の個体の問題とはどう繋がるかということを。
吉本 ぼくはいまのいちばん若い人たちというのは「外向の世代」なんじゃないか(笑)とおもうんです。それ以前に小田切秀雄さんなんかが名づけたときの〈内向〉という意味は、社会性がないとか社会的関心がないとかベトナム戦争に関心がないとか、そういう社会のさまざまな問題にたいして関心がないという意味で〈内向性〉というふうに名づけたんだとおもいます。関心が直接文学表現の中に出てこないから関心がないわけでもないから、「内向の世代」で内向だからいけないということはないでしょう、というようなこといったような気はするんです。ただその「内向の世代」というのは、自己にたいして対自的になる世代ということでしょうから、つまりほんとに対自的に対面しうる自己というのはほんとの意味であるのか、ということを「内向の世代」といわれている人たちは無意識のうちに、問うている。どんどん内向的にいったら、ちょうどラッキョウの皮をむくのと同じで、なかになんにも無くなっちゃったというのが「内向の世代」のような気がするんです。そうすると内向してゆく意図とかモチーフの中には、少なくとも真の〈私〉はあるのかという疑問にたいして、自分のなかの外向的なものは排除してゆこうという意志があって、そのことは肯定されるべきだとおもわれるわけです。ただ多分「内向の世代」の人たちがそういう意味で探っていって、自己はあるか、あるいは取り出すに価する自己というのはほんとにあるか、というような排除の仕方をしていったらば、ついにラッキョウの皮むくみたいに何にも無くなっちゃうとおもうんです。そういう意味からは「内向の世代」というのはちょっと否定的にいうより仕方ないんじゃないでしょうか。そのやり方だったらなんにも残らないよということは多分やんない前からわかっている気がするんですね。自己というもの、主体というものに疑問をもっていて何かそこに怪しげとおもわれるものを排除してゆこうという過程が〈内向〉でしょうから、そのモチーフは危なくなっています。すべてが外向へ外向へいきつつあることへの感受性としてはそのモチーフは正当なんじゃないか。ぼくはそうおもったんです。ただ秋山駿さんは典型的にそうだとおもうんですが、ああいう内向の仕方でいきますと、なんにも残らないんじゃないか。確実な自己とか主体というのはほんとはない。そんなふうにぼく自身はおもっています。つまり内向の仕方ということにとても大きな問題があるんじゃないかな。少なくともぼくだったらああいう内向の仕方はしない、無効だ、でも内向するということ自体のモチーフは多分有効なんで、いいんだ、こうする以外に無いんだということでしょう。
そうすると〈死〉は、内向の仕方としてはいちばん極端な仕方で、必ずしも架空な、サルトルがいう意味で無意味だとはぼく自身はおもっていないんです。年くったせいかもしれませんがね。サルトルのいうような意味で、つまり死なんてのはいずれにしろ偶然事実で、こんなものは問題にしてもしようがないよ、というふうにはぼく自身は考えてないんです。内向するという明瞭で極限のひとつの主題として〈死〉を、たとえばモーリス・ブランショみたいな批評家が盛んに問題にするでしょ。そのことのなかには意味があるんだ、現代的な意味があるに違いないとぼくはおもっていますね。
親鸞という人をやって少し書いたりしたもんだから、結局は中世の浄土思想はことごとく〈死〉なんですよ。こいつをどうするんだという以外何も無いぐらいです。ぼくらが名前なんかわからないようなさまざまの浄土系の小さな思想家がいましてね、そういうなかにはすごい人がいるわけです。ラディカリズムという意味ではすごい人がいて、もっぱら死だ、もっぱら死ぬこと以外に何も目的なんか無いと言い切って、それを実践して何処か人のいない野っ原かなんかに行って、何にも食べないで飢えて死んじゃうわけです。ぼくらが知っているような思想家でも、一遍みたいな人は結局生きながら死に近づく以外に方法はない、そうするといちばんいけないのは何か物をもっていることだとか、家をもってることだとか、妻子をもっていることだとか、全部いけないことになります。無一物、無執着、定住しては駄目だということで放浪するわけです。そうすることでかろうじて死と生が一致するとみなします。浄土系の人たちが〈死〉というときは、死すなわち浄土ですから、つまり生きながら浄土を実現する、少なくとも自分のなかに実現するにはそれ以外にないと考える。一遍なんかはそのとおり放浪するわけです。極端なことをする、そんなすごみからいえば一遍なんかよりももっとすごい生き方の人はいっぱいいるんですよ。死以外にちょっとでも生きているやつは駄目だ、だから死以外にない。それで山のなかに入っちゃって、自分を飢えさせて死んじゃう。そうすることで必ず浄土に転生するとかんがえる。そういう人はいっぱいいるわけで、すさまじい限りなんですね。それにたいして親鸞は全然そうじゃない、それらを全部否定してしまうわけですよ。実践的ラディカリズムみたいなもので思想の問題、人間の存在のしかたを解こうというのは駄目なんだとかんがえるわけです。浄土はいいところに決まっているんだけど、浄土にあまり行きたくないってのは、故郷が懐かしいのと同じなんだ。だから尽きるべき現世の縁が尽きたらそのとき浄土へ行けばいいんだといいます。極端にいいますと、それでは何もしないことと同じじゃないかということに逆説的になるわけです。それをラディカリズムが解くというふうな考え方をとらなかったんです。そのかわり理念としては解くわけです。親鸞はものすごくよく解いている。当時は宗教ですから、死を信ずるとか、浄土を信ずるとかいう位置とか意味とかはどういうことか。それは仏教でいうと涅槃とか寂滅とか無とかいうことでしょう。涅槃に到る、涅槃であるところの仏の悟りとかいうようなものと、それから生きることの中間に死があるんだ、中間にあるそのことが死を信ずることだ、そのことが浄土を信ずることだと位置づけています。中間というのは教義的には色々なことがあるんです。仏教用語で正定聚というのは中間なんだ、けっして悟りでもないし即浄土でもないし、もちろんなんでもないってことでもない、それが死を信ずること浄土を信ずることの意味なんだ、という理論的な位置づけを親鸞はやります。生と死の中間の位置はなにかといえば、死自体が現前したときには、一挙に涅槃に行くことができる場所だと位置づけます。しかし自力っていいますか、自分を信じることで修行して浄土を信ずるようになった人たちは、死が現前したときにそんなに簡単に浄土には行けないんだと親鸞はいいます。行ったってほんとの浄土には行けない、浄土宗でいう真仏土へは行けなくて化仏土へは行ける。ところが他力でそういう中間的な正定聚の位置を獲得したものは死が現前したときには一挙に浄土へ行く。そういう教理を確立するわけです。ぼくなんかが〈死〉に関心を抱いたのは親鸞をやっていることがあるとおもいます。解明するに価するとおもって執着してきただけなんですけど。
山田 戦争体験以降、戦後文学が内向の問題をどうとらえていったかをかんがえれば、文学表現の側として表現の構成とか表現の秩序とかいう問題にたいし、『言語にとって美とはなにか』の中で書いてますけど、そういう問題はまた別なんだ、いわゆる思想としてそういうものを戦後文学は余りもっていなかったとか余り展開しなかったというふうになるんですか。
吉本 それよりじぶんでは『共同幻想論』と文学表現論をある仕方で結びつけるみたいなモチーフなんです。戦後文学の批判とか肯定とかいう意味から出てくるんじゃなくて、ぼく自身の欲求から出てくるわけなんです。
松岡 吉本さんは日本の作家の中で夏目漱石を非常に評価しているとおもうんです。『野性時代』の巻末のアンケートで、小説の書き出しでは『野分』の書き出しがいちばん印象にのこっていると書いていたんですが、「白井道也は文学者である」というのですけど、『野分』の中で書かれている文学者の在り方っていうのを、吉本さんはわりと好きなんじゃないかなみたいな、その辺はどうですか。
吉本 『野分』は作品としてはよくない作品なんじゃないかとおもうんです。ただあのなかにほんとに知識をつきつめてゆくと、どうしても社会の秩序から逸れてしまうんだ、という漱石の悲哀みたいなものが、作品が流している感覚的なムードとしてあるとおもうんです。その場合、知識っていうものが、どういう立場の知識であるか、どういう立場の知識が社会から逸れていって、どういう立場の知識が社会の秩序を肯定してそのまま社会の秩序と同じようになってゆくか、そんな立場の違いで知識の在り方が違っちゃうという考え方ではなくて、知識っていうのは、どんな人がどういう立場でどうしようと、ほんとに追求してゆくと必ず社会の秩序から逸れてしまうんだ、外れたところに追い込まれてゆくんだ、そういう漱石の感じ方があってそのことが好きです。それが『野分』の中によく流れています。漱石を好きだとおもい読みだした大きなきっかけのひとつだったとおもいます。別にどういう立場というものじゃないというそういう感じをもったし、それは漱石自身がもっていたということがあって、それで好きだったですけどねえ。
松岡 三部作というものがあるわけですけど、その前の『三四郎』というのがぼくなんかいいとおもうんですけど、あまり取り上げられなくて、『三四郎』についてはどうおもいますか。
吉本 ぼくもいいとおもいます。いいというよりも好きだといったほうがいいのではないかとおもいます。それじゃ何がいいんだといわれると幾つかあるわけです。そのひとつは描かれた女性の気がします、女性というものの扱われ方がいいなというふうにおもいますね。美禰子、ものすごくいいなというふうにおもいます。あの扱われ方以上の女性の扱い方は漱石は作品の中でそれほどしてないんじゃないかとおもいます。質の違う女性の扱い方はしているわけです。つまり三部作もそうですけど、三角関係みたいなものを設定してゆく、テーマ、モチーフとして設定してゆく中での女性の扱われ方とちょっと質が違うわけですよ。それはまた別のことなんでしょうけど、少なくともエロス的というか、恋愛的な感情の中でいちばん良くできるんじゃないかな、それがいいとおもうんですね。
松岡 それで『國文學』(一九七九年五月号)で佐藤泰正さんと対談されてですね、佐藤さんはあのなかで『門』はたいくつだといっているんですけど、ぼくなんかいつ読んでも身につまされるというか、ひっそりした二人のくらしぶりに。『門』というのはまさしく生きてる作品という感じがするわけです。吉本さんはどうなんでしょうか。対談でもいわれてはいますけど。
吉本 ぼくも好きですねえ。女性の扱われ方、ひっそりして、無口で柔軟なような御米ですか、そういう生活の仕方をしているわけです。そこのなかでひとつ波紋がおこるようになるところで、宗助が鎌倉の禅寺へ行くわけです。その動揺の仕方っていうのの根柢、あなたは身につまされるからおわかりだとおもうんですけど、その場合に女性を、友達の相手であった女性を奪ってしまったことの罪の意識みたいものが見え隠れにあるんでしょうけれども、それがひっそりした生活ということを成り立たせているんでしょう。その際の動揺というものはまったく自分が女性を奪ってしまった、そうすると女性のほうからすれば、それは奪われてしまった、自分がそうしてしまったというところでかんがえられる女性の在り方が、同時にまたまったく同じ根拠から奪われるかもしれないという動揺と不安の根拠になるとおもうんです。そのことがとてもしっかりととらえられているんじゃないでしょうか。漱石には一貫してあるようにおもうんですが、女性っていうものは、二人の男性に同じように挟まれたとき、自分を決定することはできないんじゃないかっていう疑念が漱石にあるようにおもうんです。その疑念は何処から出てくるかっていうと、自分が友人と一緒だった女性を奪ってしまったという行為自体から出てきます。その循環の仕方が罪ということの内容なんだとおもうんです。そのことが主人公の動揺の仕方、禅寺へ行ってそれでも治まらない。しかし漱石は、近所へ来るかもしれない昔の男性が来ないことになったというところで作品自体を収めているわけです。その収め方は自然だなあというふうにおもいます。しかしそれは偶然でもあるわけですから、来たらどうするんだ、来たらどうなるんだといったら、また精神の地獄っていうものが始まるかもしれないんです。そのことを漱石は作品の中では回避してますよね。偶然来なくなったという事で作品として解決しちゃってるわけだから。その回避は多分、そこで回避じゃなくても地獄は来るでしょうけど、その地獄に別に新しい地獄っていうのは無いんじゃないかなっていうふうにかんがえれば、その解決の仕方はいいし、自然なような気がするんです。そのことはとてもよく描かれているんじゃないでしょうか。
松岡 それでですね、漱石の作品を読んでいるとそうなんですけども、まあ夫婦生活みたいなものは徹底的に修羅場であるというのが前提になっている。それでまあ漱石だったら三角関係みたいなところで象徴的にとり出したとおもうんです。漱石に関しては実証的にいろんな観察がやられているわけなんですけども、けど別に三角関係から汲まなくても生活というのは修羅場であるということはあるんじゃないか。それで漱石ってのはいつも女性に到達しないという感じがするわけです。常に行為として到達できないという感じがして、あるいは気持ちとしてもそんな感じがあります。なんか膜で隔たって、女性は不可解なもんだという感じで。不可解だまではゆくわけですけども、そこまで行ったら引き返すみたいな印象があるんですけども。それで特にそれが出たのが『道草』じゃないかと。
吉本 そうもおもえますね。あの、『道草』でその問題を正面切って提出したわけです。あなたがおっしゃる修羅場という意味は、漱石が『道草』で描いたところと多分違って、もっとエロス的な生々しさといいますか、そういうものをふくめた修羅場みたいなものじゃないかなとおもうんですけども。漱石はそういう意味では、とことんまで問題にふれていないとおもいます。すくなくとも直接的にはなっていないようにおもうんです。だけれども、ぼくは『道草』というのは漱石のなかでも、一、二を争ういい作品とおもえるんです。それは何故かというと、やはり男とか女とか、夫婦とか家族、あるいは家庭でもいいんですけども、そのことの本質まで、いわゆる私小説的な〈事実〉の次元を越えて本質のところまでちゃんと描き切っている。別な意味ではそこまでつきつめ得てしまっていることが、作品を優れたものにしているんじゃないかとおもうんです。現在の意味でいうエロス的な生々しさ、エロス的な地獄で、葛藤があるみたいな生々しさは漱石の『道草』にはないですよね。ないというのはひとつは時代で、それが無くても成り立ちうる男女間の社会習慣みたいなものがあって、その時代のなかで描いたということは確かですからね。漱石自体がそこで引っこんじゃってるというか、あきらめちゃってるというんでしょうか。漱石の奥さんの『漱石の思い出』という本を読むと、これはまたすさまじいですからねえ。エロス的な意味ですさまじいという事はひとつも出てこないですが、しかしそうじゃない夫婦生活の次元でまったく精神的にもすさまじい。つまりうちの亭主は気狂いだと言い切ってるわけだし、また経済的なさまざまな問題についても、かなり言い切っていてすさまじいものです。すさまじい夫婦だなあと感ずるから実際的にもすさまじかったとおもいますね。ただ時代はいまと違うからエロス的になってないですね。あなたのおっしゃる意味の生々しさのことじゃないとおもいます。
松岡 『道草』のなかで養父ですかね、お金をせびりに来るとこがあるわけでしょう、それが家族生活全体に、精神的にもかげりをおよぼすわけで、それでもそういう関係を断ち切れない、断ち切ろうとはしていない、つまり拒否できない、受け身なわけでしょう、それは奥さんとの関係でも首尾一貫という感じがするわけです。ところがぼくなんかの場合でいくともっとめちゃくちゃになるとおもうんです。もう来るなとか感情的に走ってしまうところがある。夫婦の関係でもお前やかましい引っ込んでろとやっちゃうんじゃないかとおもうんです。漱石はいつも受け身の姿勢をくずさなかった。『道草』のなかでは一貫している感じがするわけです。けどすごく孤独だなあという感じがするわけです。
吉本 そういうこともかかわりますね。途中で止めなかった知識人だったとおもいますね。ただあなたのおっしゃる意味で、受け身だったということ自体は、漱石のひとつの〈資質〉なんじゃないでしょうか。ぼくは間接的にそうじゃないかなとおもうことがあって、何が間接的かっていうと、ぼくは食欲ってことから、そうおもうようになったことがあって、あっそうかと感じたんです。食欲ってのはみんな同じだといわないけど万人共通で、美味いものが眼前に出されれば、誰でも食べたいとおもうし、食べるし、また美味いものを喰いてえなぁっておもうと、そうするってことについて、ほとんど万人共通なんじゃないか、程度の差はあっても万人共通なんじゃないかっておもっていました。ぼくは数年前に食い物を制限しろって医者にいわれて、いざ実行しようとおもってしかけた途端に気がついたことは、食欲の大部分は渇望ム飢渇感で、この飢渇感は麻薬中毒とかアルコール中毒の飢渇感とさして変わりない飢渇感だってことにはじめて気がつきました。そうするとこの飢渇感の大小は、多分人によって違うんじゃないかとはじめて気がついたわけです。つまり誰でもおれと同じように美味いものは喰いたいとおもうし、眼の前にあったら喰おうとおもうし、どこそこの何が喰いたいなぁと空想すると、それが浮かんでくるということは、誰でもあまり変わりないんじゃないかくらいに考えていたけど、自分がそうなったら大部分が飢渇感だということに気がついたんです。その場合の、ぼくのやり方の駄目なところがでてきます。飢渇感に耐える方法は、同じようにきついことをもうひとつやれば、その飢渇感が軽減されるのではないかという発想をもつわけです。いっしょにそのときタバコを止めたわけです。タバコはそれまでもずいぶん止めようとおもっては駄目で、ということがありましたけど、止めたら相殺されるに違いないとおもったわけです。それで止めようとおもって、やっぱりきついですが、しかし喰いものの量の制限に較べたら、タバコを止める際の飢渇感というのはぼくにとっては取るに足りなかったです。それでぼくはびっくりして食欲というのは万人共通かつ自然なるものだとおもってたけど、そうじゃなくてほとんど大部分が精神的な飢渇感じゃないかと気づいたわけです。ぼくはそのときはじめて気づいた。性欲というものは万人共通だというのはそうじゃないんじゃないか(笑)。つまり性欲というかエロス的な欲望は、もう精神的な飢渇感に違いない、そうすると僕はそんなでもないな(爆笑)というふうに、つまり、その秩序において性欲ムエロス的な欲望にたいする時代的な習慣というか不文律の抑止力がありますけど、それを除いても漱石のエロス的な〈資質〉は、飢渇感でどうしようもないという資質じゃなかったんじゃないでしょうか。ぼくはそうおもいました。
公文 漱石の話題が出ていますので、他の人であれば‥‥‥。
鎌倉 『共同幻想論』のなかで漱石にふれた部分で、漱石の悲劇は時代の社会と家族の関係のなかにあったというふうに書かれていたとおもうんですが、そこのところを話していただければ。
吉本 これもさまざまな問題があって、簡単にいってしまうとよくないことなんだけど、わかりやすいところだけ先にいいます。漱石はしばしば追跡妄想と監視妄想というのがあるんです。たとえば、ぼく、漱石の家が在ったところの近所に住んでましたから、漱石が住んでたとこに、漱石邸跡という碑が建ってます。そこからすぐ傍に郁文館という学校があるんです。そこの学生がそこら辺りに下宿しているんです。漱石の家の庭から見えるわけです。そうすると追跡妄想とか監視妄想にかられた時期には、窓から学生の姿が下宿しているから見え隠れするわけです。それがいつも自分を監視している、自分のことを嘲り笑っているというふうに漱石は妄想する。そして妄想がこうじてくると怒鳴って、そんなこといったって俺は知ってるぞ、みたいことを大きな声で怒鳴ったりするんですね。漱石には追跡妄想、一般的には被害妄想なんですけど、監視妄想というのが極度にあらわれるときがあるんです。これは今風の言葉でいいますとね、要するにパラノイアの発現ですよ。
このパラノイアはジャック・ラカンという人が、人間の存在の仕方としてとてもよく追究しています。パラノイアにおける追跡してくるとか監視しているとおもう相手は、フロイトが精密で見事な考察をしてますけど、必ず信頼したことのある同性なんですよ、つまり男性なんですよ。そういうことはフロイトがはじめて気がついて、フロイトはいまでいえば古典的な考えで、いわばパターンがとてもはっきりしていて、同性愛的な資質をもっている人の、ある限界を越えた向こう側にパラノイア的な被害妄想とか監視妄想あるいは追跡妄想が起こる。それにはまず例外がないとフロイトはかんがえていたんです。多分事実としてもそうなんですよ。だけれども、そう簡単でないのはどんな男性あるいは女性でも同性愛的要素はありますから、どこからそれを決めつけてゆくかということは明瞭じゃないということがあります。パターンとしては正しいので。フロイトは事実としてもそれ以外のことはないといい切ってますね。しかもそこでもってパラノイア的な妄想、つまり追跡妄想とか被害妄想の相手は必ず男性だということを。それをもう少し本質的につきつめてゆきますと、それは自分なんですよ、監視しているのは自分の対象化されたイメージなんです。漱石の場合もそうです。
これは漱石的な妄想じゃなくて現代的な妄想でもいいんです。ぼくなんか体験して知ってる人ならば、たとえば何処かへ行くと必ず刑事がつけてくるんだ、喫茶店で話していると必ずどこかにいるんだ。そして本当にいるときもあるんです(爆笑)。本当のところからその妄想ははじまったに違いないんです。しかしあきらかに妄想であって、そしてこんどはタクシーに乗ると、運転手がマイクロホンで本署と連絡してるというわけです。そうじゃなくてタクシー会社と連絡しているわけです。そういうふうになってゆく妄想の契機はふたつあって、ひとつはとても卑近な原因です。しかし卑近なきっかけがすべてのきっかけかというとそうじゃなくて、もっと以前にあるんです。それは多分に資質的なものなんです。そして資質を支配しているのは、エロス的な意味でいえば同性愛的な資質だ、その同性愛的な資質が必ず、監視している、追跡している人になるわけです。しかしもっと本質的につきつめてゆけば、それは自己自身なんですよ。つまり自己自身が自分にたいして〈鏡〉のような関係にあるという以外のことを指していないわけです。それはわかりやすい説明です。そんなことをいったらみもふたもなくなっちゃう。
そうしといて、そうした資質はどうして生じたのかといいますと、現在の精神医学的な言い方でいえば、母親との関係なんです。しかもその関係はどこで生じたのかというと、一義的な原因は母親の胎内にいたときに生じているんですよ。胎内にいたときから胎外に出て数ヵ月か半年ぐらいの乳児の間に、それは生じるというふうにかんがえられているわけです。つまりお腹の中にいるときと、生まれて数ヵ月の赤ん坊の間にそれが形成されたとすれば、御当人にはもちろん責任が無いわけです。その時期は自分で排便することも食糧をとって食べることもできない。生まれて二、三ヵ月と母親の胎内にいたときには自立的な生存の仕方は何もできないわけです。その乳児、嬰児にとって母親とは、男の乳児であろうと女の乳児であろうと、男性なんです。つまり自分はあくまでも受け身なんです。食べさせてもらったり、排便してもらったり、乳を飲むってことも母親からしてもらうわけです、父親からしてもらわない。その時に、胎内における胎児、それと胎外に出たときの乳児にとっては、母親ってのは男性なんです。自分は女性なんです。そこのところに固着された問題が、第一義的にその人のエロス的資質を決定するというふうにかんがえられています。そうならば運命と同じじゃないかということになるわけです。エロス的資質には明らかに運命と同じところがあるんです。ふつう人々はそう理解しないかもしれないけど、本質的につきつめてゆくと運命と同じくらい決定的なことだということがあるんです。そうしますと問題は何かということです。要するに人間というのは生まれたときに決定されるというふうにかんがえたら、しかも自分が知らないときに第一義的に資質が決定されたんだというふうにかんがえたら、運命になっちゃうわけです。
しかし生きるっていうことは多分、そこで与えられたかもしれない資質を乗り越えることが、生きるっていうことになるとおもいます。もしそれが妄想みたいな、あるいは同性愛がこうじてなんとか、病理とかんがえられる領域に入り込んだとしたら、それは専門の精神科のお医者さんはどうすることもできないじゃないか、あるいはいい加減じゃないか、インチキしているんじゃないか、というふうにいえてしまうわけですけど、それを乗り越えてゆくことが生きることなんだから、それは本人にしかできないんで、それを端から専門的に援助できることが精神科のお医者さんの役割だというふうにおもいますね。だけれども相当決定的なんですよ、少なくともフロイト系統の考え方を採るなら、そういうふうにおもわれます。そのことと、追跡妄想とか被害妄想をとる卑近な例、事実があるんですよ。そうしたきっかけというのは生々しく現実的な今的な原因があるんですよ。しかしそれで終わりかというとそうじゃないとおもいます。その資質というのは生まれる前後に一義的に決められてしまって、そのことはかなり大きなウエートで重要視しなきゃならないとおもいます。しかしそれがすべてと考えるならば決定論になってしまう、人間の運命なんて決まっちゃっている、その人の資質は生まれる前後に決まっちゃってるんだ。直しようがない変えようがないことになってしまう。しかしそれを乗り越えてゆくことが生きるということだという内面の葛藤は、各人だれも心の深くに秘めているんだとおもいます。それは重要だとおもいます。
漱石の場合でもあるんじゃないでしょうか。つまり俗っぽい意味じゃなくて、同性愛的な自己愛的な、エロスに関して自己対象的な資質があるんだとかんがえることは、とてもわかりやすいです。でもそうだというところでいえば、漱石の精神分析についての本があるわけです。つまりその類いになってしまいます。それはただわかりやすい心の略図を、ちょっと描いてみたという程度の意味しかないので、つまりいってみれば、それでない、それでなくあろうとしたこと自体が、漱石であるといえるわけです。だから略図を描いて打ち消すことが生きることであり、漱石の生涯だったとみてゆけばさまざまなことがかんがえられるわけでしょう。わかりやすいひとつの略図、線を引いてみるという意味ではそういうことがエロス的な領域、対幻想にとても強かったんではないでしょうか。奥さんの『漱石の思い出』を読んでみると書いてありますけどね、追跡妄想で奇矯な振舞をした時期のことがちゃんと出てきます。漱石のその資質は強かったんではないでしょうか。一般的に生まれる前後に母親が冷たくするでしょ、そういうふうにした母親というのは、大抵息子が意識してきたとき、青春期になってくるときにそれを裏返すわけです。息子を可愛がるし、息子も母親依存性になるわけですけどね。母親がネコ可愛がりに可愛がったから、その人、その男が女性的になったというのはそうじゃないんだ、生まれる前後のとき、冷たかったんです。これはいかんというので代償するというふうになっているとおもいますけどね。大凡の線を引くという意味で、大なり小なり人はそうなんでしょうけど、漱石はそうとう強いという意味であったんじゃないでしょうか。
鎌倉 さっき出た『門』の作品でもやっぱりそういういわれたみたいな問題を感じますか。
吉本 いやぼくは。それはこうじゃないでしょうか。ひとつは文明史的な意味だし、ひとつはエロス的な資質の意味だというふうに線を引くなら、そういう二重の線が引けるんじゃないかとおもいます。つまり漱石が知識を途中で止めないでつきつめていったということが、時代環境ム社会環境が漱石に何をもたらしてしまったのかという意味が大きくもうひとつあって、大雑把な線とエロス的な資質の線というふたつの線が二重に引けるんじゃないかとぼく自身はかんがえてますけど。でもそれはただの線ですから、そうだといえば漱石がわかったということになるわけじゃなくて、むしろその線を漱石がどれだけ越えようとしたのか、ということのなかに漱石があるわけでしょう。ぼくは線としてはその二重の線があるとおもいます。漱石は留学してロンドンの下宿に引きこもって神経衰弱になったといううわさがとぶわけですね。留学してもスイスイ朗らかに知識を吸収して、意気揚々とかえってくる人もいるし、神経衰弱になってかえってくる人もいる、両方とも一所懸命勉強したんでしょうけど、漱石みたいに打ちのめされて帰ってくる人もいるみたいなことのなかには、知識のはらんでいる、知識がある環境、時代のなかでどういう目に遇うかという問題の根柢があるようにおもいます。漱石はある意味でとても典型的ではないでしょうか。
鎌倉 漱石の場合の知識のそれで、さっきいわれたみたいなことと佐藤さんとの対談で、西欧近代的なというカッコがついていますけど、知識を獲得していくとどんどん冷たくなっていくんじゃないか、というふうにいわれていることと、それからシモーヌ・ヴェイユを問題にされた講演のなかで、知識ってのはそれ自体でひとつの救済であるというふうなことをいっているわけですけど、そこの関係というか、うまく飲み込みきれないということがあるんですけど、何かいっていただければ。
吉本 漱石のなかには、知識はやっぱり目にみえない富なんだという感じ方はないとおもいます。積み重ねるとどうしようもなく社会の枠から外れていっちゃうという感じ方があっても、知識ということそれ自体が目にみえない富で、知識を蓄積してもってることは、それ自体富をもってるのと同じことなんだという感じ方は、ロシアのマルクス主義が権力を獲得していった以降、ロシアのマルクス主義との大なり小なりの葛藤のなかで獲得されていった概念なんじゃないかなとおもうんです。だからヴェイユなんかそれを一所懸命やっているわけで、つまりこの富をどうやって処理したら自分はプロレタリアートみたいになれるのか、自分の富を捨ててったら精神のプロレタリアートみたいになれるかどうかということで身を処していったんだとおもいます。だけどそんなふうに、どうやったらこの富を捨てられるかってかんがえるその考えが、また知識であり、知識の体系を増やすだけですから、それは自己矛盾にしかならないですね。しかしその自己矛盾は自己矛盾として感じないでよい。つまり知識ってのは捨てればいいんだ、現実のプロレタリアートというものにたいして、それをいつでも捨てればいいんだっていうふうにロシアのマルクス主義は概念をつくっていったとおもうんです。レーニンがそれをつくっていったとおもうんです。それは、いい加減なところで知識の問題を処理しちゃったから、そういうところでほんとの意味でその問題をかんがえてゆけば、そう簡単ではない。ヴェイユなんかその問題をどういうふうに対処したらいいかおもいわずらったんじゃないでしょうか。漱石が時代性として、知識についてかんがえたあるいは蓄積していった過程は、知識は富なんだという概念を形成させる要素は無かったようにおもいます。もっと後からその概念は出てきたんじゃないでしょうか。その概念をつくったのはロシアのマルクス主義だってぼくはおもいますね。
ロシアのマルクス主義は何故それをつくっちゃったかということはあるとおもうんですよ。もちろんマルクスのパリ・コミューンについての考察から出てきたもんなんですけど、ある過渡的な時期は、国家というものを、いわゆる普通民族国家、近代国家っていうものを解体させてゆく過程を象徴する国家としてのコミューン型国家というものが必ずあるんだとマルクスは考えました。コミューン型の国家のときにマルクスはプロレタリアの独裁ということは不可避だという言い方をしてるとおもうんですよ。そのことがレーニンにおける受け取り方のなかに、知識の問題にたいするひとつの問題が出てきたんだとおもいます。つまり普通の民族国家が開かれて壊れていって、コミューン型の国家を経て国家が解体されてゆく、その過程のところのプロレタリア独裁というふうにかんがえた場合の、そのときの文化とか知識というのはどうなるんだ、ということだとおもうんです。それからその段階は、どういう持続性、つまり期間でかんがえられているんだということにたいするレーニンの受け取り方に問題があります。それがひとつです。それからそのときの知識のあり方、つまり人類が近代国家あるいは資本主義社会まで蓄積してきた知識、知識の蓄積を体現している個人でも、あるいは階層でもいいわけですが、それはその時期にどうなるんだというとき、レーニンはすこぶる簡単にそういう奴はちょっとプロレタリア独裁に奉仕しろ、知識ってのはプロレタリアの将来に向かっていつでもろくでもなく、それにたいして保守的になってしまうのだから改める以外にないんだとレーニンはあっさりいっちゃってる。だから知識は目にみえない富だという概念と同時に、知識は罪だという概念の両方が一緒に融合して出てきてしまう。そういうことがあります。ぼくの理解の仕方ではそうではないんではないか、知識は富であることと、知識は知識の課題を追うということと、それから知識は目にみえないけれども同時にそれは元には戻れないんだ、という問題があるとおもいます。そこはレーニンはあっさりとやっちゃってますね。そこが知識にたいするさまざまな軋みを与えた。それから以後に、ヴェイユのような知識は富であってそれをどうやって処理するんだという問題がうまれたんじゃないでしょうか。漱石は時代的にいって多少重なるわけですが、ほとんど漱石にその問題は波紋を与えていないです。そこじゃないかという気がします。
橋村 知識との関係で、『最後の親鸞』のなかで〈知の放棄〉というか、〈非知〉というかたちで提起されています。親鸞が最後にいたった、救済というか浄土へ自分自身をかけてしまうときの知の放棄、そのときの関係について、ちょっとお話していただければ。
高松 それから知識ってのは、これは〈自然過程〉なんだというかたちで展開されて、その意味だとか罪だとかいうものがくずれて、〈大衆の原像〉ということをだされて、知識人の集団としての政治集団、前衛との関連をかんがえてゆかないとこれはまずいことになるぞという場合のですね、知識っていうのは自然過程だという場合と、富だという場合がどう絡んでくるのか。なんか非常に富だといった場合にはいままでの累積された人類の射程の幅を長くとってそのなかで累積するといっても、そういうとこに知識人がいて、情況といいますか、そういうものと外れているような気がするんですが。
吉本 そう受け取られなくても、知識を獲得せざるを得ない個々の人間の問題とかんがえて下さってもいいわけです。つまり歴史的なものだとかんがえなくてもいいとおもいます。知識を獲得してゆくのは多分自然過程だ、獲得されてゆくのはそれを拒否しようとしまいと、大なり小なりその人に獲得されていっちゃうんだ、それが歴史的にも時代的にも情況的にもそうだし、また個人にとっては、個人がその中に置かれている情況自体が、絶えず知識を獲得することを個人に強いる。それは極めて自然な過程であって、意識的に拒否したければ意識的に拒否する以外にない。ただ自然過程のなかに意味がみつけられないとすれば、無知が知識を獲得することは自然過程なんで、それは〈非知〉に還流してゆくことが意識的な意味のある課題になるんじゃないか、ということです。親鸞自身は、自分の生き方とか処し方としては〈非知〉に徹してゆく生き方をしたわけです。それじゃ知識の問題はどうしたんだということです。親鸞が少なくとも生存中は主著である『教行信証』は公刊されていない。浄土真宗の教団のなかでも流布されていないんです。だから親鸞の主著というのはもっぱら死んでから初めて公開されたというんで、親鸞が生きているうちには『教行信証』という浄土教の理念を体系的に整備して集大成したものがあるかないかというのは、人にはわかるようには存在してないんです。だから知識の問題について何もなかったかといったらとんでもないことです。少なくとも浄土教は三〜四世紀に天親という人の『浄土論』というのから始まるわけですけど、それから日本でいえば、源信とか法然に受け継がれた浄土教の理念なるものはほとんど網羅的に整合、整備しちゃって、そして体系づけるということを公刊しなかった。でも仕事として、そういうことはしてるわけです。そういう知識の問題は、一方ではほかの信仰の問題とか思想の問題というのとごちゃ混ぜにすることなく、誰よりもそれを集大成してやってるわけです。だけれども公刊はしてないですね。親鸞が生きてるときに、周りにいる人たちが知っていたものは書簡とか、法然の弟子で親鸞の先輩筋にあたる人たちがいるわけですけど、その人たちが書いたものの註釈を弟子たちに配ったりしたんですけども、そういうもののなかに表れている考え方しか親鸞が生きているときに弟子たちは知っていないというふうに、しかしそんなことしかしなかったのかといったら、誰よりもしているわけです。法然などに比べても問題にならないくらい網羅的にやっちゃっているわけです。ただ絶対に人はわからなかった、公開しなかったという形でやっちゃっているんですけども。親鸞というのは知識にたいしてそういう処理の仕方をして、それから知識を獲得しながら知識じゃないものに徹するということはどういうことなんだということについては、法然の文字どおりの弟子で無知愚鈍の身に自分をしてしまうというより、ただ〈非知〉になるのです。生きてるうちにはそういうやり方で処理しているとおもいますね。知識の処理の仕方のひとつの典型はそういう親鸞の中にあったとおもいます。知識は富であり、また罪であるか、という大なり小なりロシアのマルクス主義が与えた波紋にたいして、それは罪なんだという考え方、罪であってかつ知識をもつ者はもたない者に比べると、絶えず動揺してろくなことは仕出かさんのだという言われ方にたいして、その影響圏から脱して、さてどういうのがもっともいい考え方か、という問題が現在かなりはっきりとした形で眼の前に置かれているってのがいまの情況じゃないでしょうか。
天田 『最後の親鸞』のとこで、同じような形で関わってくるんですけど、〈不可避性の構造〉というような形で、現実のいろいろの中心のない世界に風穴をあけたんじゃないかというようなことを書いてたんですけど、そこのところをもうちょっと話して頂けますか。
吉本 もう少し具体的におねがいします。
天田 あの知の放棄っていうんですかね、非知っていう形で問題にする場合に、たとえば弟子が人を千人殺すというような話が出てきますね。そこで現実の契機があれば殺せるんだけど、それがなければ人を殺すことはできないんだというような親鸞が答え方をしてたとおもうんですけど、そういうことから現実というものはそういう不可避性の契機でもって、人間の行為ってのは動いているんだ、というようなことを展開されていましたね。それといまいった非知というのが絡んでくるとおもうんだけれども、吉本さんがいう不可避性の構造とか、その不可避性という問題をもっと展開してほしいというような。
吉本 どこからどういうふうにゆきましょうか。親鸞じゃなく、レーニンがたとえばプロレタリア階級プロレタリア独裁というのを考えて、それにたいして、どう知識をレーニン自体が処理したかかんがえてゆけばわかりやすいです。プロレタリア階級が少なくとも知識にはいたらぬもの、無知であるものとすれば、それの頭脳になるということが、レーニンのいう知識の処理法だったとおもうんですよ。レーニン自体は知識の処理法というものをそう考えた。そしてプロレタリアの前衛になることだ、それは知識が富であり罪であるということから救済される唯一のやり方で、それ以外のやり方では知識は必ず富貴を守り悪を為すんだ、それ程すっきりならないのならプロレタリア階級の利害にたいして随伴することだ、少なくともそれに対して異論をたてたりしないことが知識の処理の法だっていうふうに考えたとおもいます。ところで、その知識の処理の仕方というのは妥当だったのか、正当だったのかという問題をいわば軸にして、プロレタリアートの前衛なんだ、頭脳なんだという部分だけが権力を獲得した後に官僚として権力の中枢に集まってしまって、頭脳と肉体の部分、手足の部分か知りませんけども、それとがまったく分離した。少なくとも同一の線では結べないことになってしまったとおもうんです。コミューン型の国家に対してロシアのアジア的な社会は、農村にいちばんでている共同体の構造としてはとてつもなく頭脳と肉体の分離をうながしてしまったとおもいます。レーニンがロシアにおけるアジア的な構造というものを無きに等しいものだ、ロシアもまた発達している資本主義国家だというところでのみ問題をとらえたところがひとつと、それから知識はどういうのが正当なのかといった場合に、プロレタリアートの前衛あるいは頭脳として機能する時がもっとも知識として正当なんだというふうにいった、そのふたつの知識の処理法のなかに問題があったとぼく自身はかんがえてます。
それで、マルクスがパリ・コミューンの分析を通して導き出したコミューン型の国家の条件というのは、とても簡単な要素から成り立っていて、ひとつは国家を武力的にあるいは抑圧機関として支えている軍隊とか警察とかそういうようなものを解体することだ。もうひとつはコミューン型国家における国家官僚の給料は、普通の国家官僚でない人の給料を上回ってはいけないということです。上回れば必ず官僚公務員になりたくなるから。なりたくなればそこに反国家的国家としてのコミューン型国家が成り立たない。元の官僚的な民族国家ができあがってしまうからです。公務員官僚であるかぎりその給料はそうでない人の給料を上回ってはいけない、という原則がひとつ。それからもうひとつは、官僚公務員はリコール制だ、つまり選挙制であると同時にやっぱりいつでもリコールできる、解任できるものでなきゃいけない、つまり固定化されたものであってはいけない。一旦任命したらいつまでたっても勤務してるんじゃなくて、何か不都合があれば直接選挙で多数決で解任することができる。そういうふうにしておかないと駄目だというイメージだけだとおもうんですね。
それだけのことをレーニンはしそこなったわけです。何故しそこなったのかという原因は、いまいいましたふたつだとおもうんです。ひとつは知識というもののほんとの在り方はプロレタリアートの前衛であるべきだといったときに、もう原因があったということがひとつ。レーニンがロシアのアジア型の社会構成をうまく考慮にいれられなかった。後は要するに原則はわかっているのに、実行しなかったことだとおもいますね。つまり官吏の給料というのはそうでない人の給料を上回ってはいけないということをロシアは実行しなかったんですよ。レーニンも理念としてはそう述べてるけれど、ちっともうまく実行できなかった。軍隊・警察を解体しなきゃいけないというのも、官僚をリコール制にするということもうまく実行できなかった。ことごとく原理はわかっているのに実行していない。原則というのは、近代国家あるいは民族的な国家はどうすれば国家じゃない反国家的になるかという原則はとても簡単なんです。すでにマルクスのとこで、わかりきっていることなのに、たぶん実行しきれなかった。たぶん知識についてもレーニン的な構想のなかに、あるいはレーニン以降のロシアの構想の中に、ぼくは問題があるとおもいます。アジア型の国家の問題ということをいまここで抜きにして、レーニン的知識の処理法、レーニンが知識の処理法として正当だとかんがえた、その考え方の影響はさまざまなところでいままで消えずにきたわけです。その問題は少しそういう眼鏡から離れて改めて眼前に見直すところにきていることが、ひとつ大きな問題なんじゃないか。知識がそうでないものを場所的に包み込むとか、そういうことはそれほどの意味がない、ただ知識を獲得すること自体が〈非知〉を包括することと同じなんだという獲得の仕方が、もし実現が可能で、その方途がありうれば、ひとつの方法じゃないでしょうか。具体的に知識をもつ者が知識をもたない人の課題をよくよく省みてどうするかということ、つまりその問題を事実的に解消してはいけなくて、知識を獲得すること自体が包括していくことで本質的なんじゃないかというふうにかんがえてきたわけです。
中村 質問があるんですが、その前に休憩をもらえないでしょうか。
公文 そうですね、一挙に本質的な問題がでましたから。
ーー 休憩 ーー
中村 少し前の『週刊読書人』で田川建三『イエスという男』の書評で〈反逆は内向する〉とお書きになったわけですが、内向の仕方によってはラッキョウの皮むきのように何も残らないじゃないか、そうすると私たちのやってきた反逆というものは敗けがこんでいまして、ラッキョウの皮むきじゃないが、徹底してやっていけば人間の固有性ってのは棒杭にすぎないじゃないか、棒杭のように突っ立っているにすぎないじゃないか、それは敗けのこみ方の反映にすぎないじゃないか、棒杭というのは死のメタファー、象徴であるわけですが、首を長くして永遠みたいな遠い所をみなくたっていいという考え方もありますけど、一緒どうしようもないところがあるわけですね。それで吉本さんがいわれる内向の仕方には別のやり方があるんじゃないか、その核はどれくらいの広さをもってあるのかをうかがいたいのですが。
吉本 それは大問題すぎて応える能力がないんですが、田川さんの『イエスという男』という本の書評で「反逆は内向する」ってタイトルをつけたのはぼくかどうかわかりませんが、ぼくは文章のなかで使っているのは、そういうこととはちょっと違って、新約聖書に象徴される原始キリスト教が、はじめて人間世界に精神の〈内向〉という概念を教えたものだ、提出したものだと理解しているものです。そういう意味で〈内向〉という言葉を使ったわけです。田川さんの『イエスという男』にでてくるイエス像は〈内向〉なき反逆者の像に近いものだから、そうじゃないんじゃないか、〈内向〉の仕方ということをはじめて人間の歴史にもたらしたという意味を新約聖書から抜いちゃったら、あんまり意味がないんじゃないか、そういう意味で〈内向〉という言葉を使っているわけです。〈内向〉ってことに大きな価値を認めるから〈内向〉という概念に固執するわけではないんです。ただもっと消極的な意味で他にしようがないじゃないか、受け身な感じ方を含めて〈内向〉っていう概念にあんまり積極性があるとか、いまの情況にたいして適応性があるというふうに積極的にいっているわけではないんです。問題が大きすぎてぼくには解く能力がないというのが本音のところですけどね。
中村 『遊』という雑誌があるんですが、御存知でしょうか。知的スノビズムっていいますか。
吉本 『遊』って、遊ぶっていう、知っています。
中村 『エピステーメー』なんかを読んでおられるから御存知じゃないかと。それなんかは自分を知的存在とみているわけですね。たとえば小林秀雄もそうなんですね、人間の本質存在というのは知的存在であるというわけでしょう。そうすると普通の現実というのは仮構とみられるわけですね、力関係からいうと。自分の知的な快感原則といいますか、宇宙を優越するみたいなそういう意図、マルクスなんてのは普遍的な現実的な生活に帰っていくことが本当はいいんだというわけですね、ヘーゲルだったら絶対理性のほうへ自己意識を止揚していくものがいいんだというわけです。『遊』っていう考え方は反自立反体系なぞと標榜しているわけですが、知的存在は遊べばいいんだ、現実的な生活はみんなやっているから置いといていいんだ、自分は知的なモザイクをはるみたいにやっていけばいいんだという形でやるわけでしょう、かなり誘惑的な問題をはらんでいるとおもうんですね。私だって生活なんかもう犬にでも食われろとおもっているわけです。できるならばね。実際はできないんだけども。生活のほうは観念なんかいらねえよというわけですよ、そういうあり方は一種の無知そのものじゃないか、遊派のノンシャランとした文体に足ばらいをかけたいというようなことを企画しているんですが、コツなり(笑)。たぶんそれはニーチェからの系流だとおもうんですけど、歴史の現実の前にマルクス社会主義者もキリスト教も蒼ざめているだけじゃないかというわけですね。『遊』なんてのは精神的な孫に当たるわけですね、不肖の孫かもしれませんが。私は主観的覚悟性ではいつでも左翼反対派でありたいとねがっているんですよ。ニーチェの言葉を借りれば、否、否、みたび否、というふうにいつまでも吐いていたい、主観的な覚悟性といわれれば、それまでですが、足ばらいをかけるとかギャフンといわせるとか、なんかないでしょうか。
吉本 『遊』って雑誌の中身がそんなに遊んでいるようには思えないんですね。ただ、あなたのいまおっしゃった考え方にたいして僕がどうおもうかといいますと、それはいいんじゃないですか(笑)。
中村 そういえば、すべての思想は趣味にすぎないんだという言い方に近くなるんですけどね。
吉本 そうじゃなくて、いいんじゃないですかということ。いいんじゃないですかというのと、でも俺、あんまり遊ぶのは得意じゃないからな、というところで保留がつくんですね。ぼくがたとえば自分の考え方を大まじめにギリギリつめていったら、あなたのおっしゃる考え方と、抹殺するかされるかになるもののなかに属さないとおもうんです。いいじゃないですか、どういったらいいのか、それはいいじゃないですかっていうふうにぼく自身はおもいますね。わりにそれはいいじゃないですかというふうにいえるのは現実に数が多いとおもえるんですけど、よくよく突きつめていくと、それはいいじゃないですかというのは少ないから、あなたがいったような考え方は貴重な存在だというふうにはおもいますね。さて、それ以上は‥‥‥。
上野 ちょっといいですか。『世界認識の方法』のなかで、吉本さんが若い連中の感覚的な革命といいますか、あれはインターナショナルな契機をもっているんだ、これは現代資本主義の新しい構造をシンボライズしているんじゃないか、こういうことをおっしゃったんですけど、その場合、若い連中の感覚的な基盤をもったインターナショナルな横の拡がりは民族国家にたいする闘いの根拠になりうるのか。ぼくなんかは風俗にすぎないんじゃないかっていう気がちらっとしたんですけど。
吉本 ぼくも闘いの根拠になるっていうふうにならないってことが、いいところじゃないかという気がします。風俗ってことをもっとつめれば、ガードを固めていてもなおするすると侵入しちゃうものとしての普遍性みたいなもの、そういうところがいいところじゃないか。それが闘いの根拠になりうるかというふうに問われてしまったときには、どこか違う次元に問題が移っちゃっているとぼくはおもっています。
上野 民族国家が強固になっていって枠組が瓦解する様子が一向にみえてこない、むしろ事態は逆に進行する、吉本さんがインターナショナルな階級形成の契機は全然みえない、いまは何もないんだとおっしゃられておられて、非常に前途は暗いなあ、めげてしまって、若い連中のあれってのは非常に違和感があって、なんぼのもんじゃという気がずっとしているわけです。吉本さんはそういうところにすっと目を移されるというか、非常に感受性をずっと保持されておられるので、そこではいつも脱帽して目からうろこが落ちる感じがしているんです。
吉本 ぼくはいまの言(げん)でいいじゃないか、いいじゃないかという感じなんです。それ以上になって、お前も適応しろっていわれてもなかなか適応できないですから。いいじゃないかというところで、ひとりでに浸透してくる力ってあるとおもうんです。階級形成ができないっていうことと、国家の枠組が壊れないということの原因は、原則的には簡単なわけで、コミューン型国家志向ってものが可能なのかということが、真剣に問われなくちゃいけないという問題と、それから現実の世界にコミューン型国家形態をとっているのが、つまり国家が少なくとも国家が壊れてしまう萌しがみえる形態をとっている国家がどこにもないからだ、というとても単純なことに帰するとおもいます。それから階級形成が成立するためには、〈階級消滅〉のイメージがないといけませんや。それから権力っていうものは〈権力の死〉っていうものを勘定にいれる課題をもっているんだけれども、それをもてない永続性、永久性があるように錯覚している権力ばっかりしかないからだめなんだということになるとおもうんです。階級ってものは階級の死っていうイメージがなければ階級形成できるわけがないのです。それがどこにもないから民族国家の枠が壊れるわけがない。
さっき、あなたが風俗じゃないかといわれたことをもっと限定しますと、資本主義的な風俗じゃないか、もっと限定しますと先進的資本主義圏の風俗じゃないかということなんですよ。それだけがなんとなく普遍性がある、風俗としての普遍性があるということしかない。先進的資本主義とはいったいなんなんだ、そのことがとても重要なんだとおもいますね。むしろ後進的国家、民族国家形態をとりながら理念としてマルクス主義をもつとはどういうことになっているのかということも切実な問題で、別な意味でもうひとつの問題は、風俗としてインターナショナルなものをふりまくだけのものをもってる先進的資本主義はどうなっているんだ、先進とはどういうことになっているんだということのイメージを明瞭にすることが必要であるとおもいます。それはいまの世界だったらイギリスであり、アメリカであり、注目に価するとおもいますね。その資本主義がインターナショナルなものを風俗や感覚としてなら少なくともふりまくだけの力をもっている。そのことは何を意味するのか、資本主義自体の死滅過程を意味しているのか、あるいは自然史的な部分、経済社会構成という意味での死滅過程にはいりつつあるのか、あるいはそうじゃないのかということを、明瞭に把握する必要があるんじゃないか、それは重要なんじゃないかとぼくにはおもえますね。そこからしかインターナショナルなものは出てこない、階級形成はでてこない気がしますから、ほんとの意味での階級形成っていうのは、階級の死滅のイメージをもたない理念で形成するのはとても難しい気がしますね。先進的なところではその問題が風俗として資本主義の死、風俗のイメージが死のイメージなのか、それともそうじゃないのか、そうとうはっきりさせる課題をもっているんじゃないかな、ぼくはそうおもいます。ただいかんせんぼくは分析をするには、経済的な分析がなによりも最初に問題なんですけど、ぼくなんかにとても手におえる問題じゃないんです。そこはやっぱり問題にしなければいけないとおもいますね。
埴野 いまのところに関連して伺いたいんですけど、「いいじゃないですか」という意味なんですけど、先進的な資本主義の先進性といいますか、そのことを考えなくちゃいけないという意味でおっしゃっているだけなんでしょうか。
吉本 その意味ももちろんあります。ぼく自身の課題でいえば、少なくとも社会的な思想、政治的な思想というものが強いる緊張性、分裂性、別な言葉でいえば自己欺瞞性にたいして、そういうものを解体したいという欲求がぼく自身にあって、そのことも含まれています。いいじゃないか、そういうのいいじゃないですかというなかには、たえず自分にたいしてそれを突きつけていないと自分が一種のリゴリズムになっていくっていう危うさがあります。ぼくが戦争中そうでしたからね。自分に警戒心をもっていて、何かすごく大まじめなことをかんがえると、いつもこれはちょっとおかしいんじゃないかと自分でおもうんですけど、そういう警戒心も含まれています。
埴野 もうちょっといいですか、うまいお尋ねの仕方ができないですけど、六〇年の直後ですね、たしか『擬制の終焉』だったとおもいますが、そこで安保闘争の総括をお書きになったところで、真正民主の定着ですか、戦後大衆の意識の変容みたいなことを扱っていらっしゃいまして、その辺のところと、いま問題にされていました風俗としていいじゃないか、その風俗ですね、その辺が二〇年前にお考えになっておられた動向みたいなものと現在の時点との関係といいますか、予想通りだなというふうなことをちょっとお話しいただければ。
吉本 私的原理の優位というような問題、これをたとえば戦後民主主義がひとりでに植え付けた概念なんだというその次元で、まじめなそういう次元でかんがえると、風俗的にも情況的にもとても危なくなっているというのがぼくの考え方なんです。たとえば具体的に福田恆存という人が、戦後の初めには進歩的な文学のアンチテーゼとして、九九匹を生かすために一匹を死なせてもいいのだろうかって、九九匹を生かすのが善ならば一匹が死んでも仕方がないんだろうかという意味で、戦後進歩的な文学にたいしてアンチテーゼを出したとおもうんですね。福田さんがもっていた近代文学の概念から体験的に得てきたその言い方が、いまの福田さんではそうじゃなくなって、国家のほうがはるかに大きくなっちゃって、国家が無くてなんで人間があるんだ、そういうふうに変わってきていますね。私的原則あるいは私的利害の優位という概念が危なくなってきている、九九人が進歩的方向へ行ったって自分は嫌だよってふうにいっていた人が、国家というもの無くしてどうして個人なんか人間の概念がありうるんだというふうにまで変わってきている。それだけの変化にたいして福田さん自身はそれほど自覚的でないとおもうんです。そこが必然的なところで、それが恐いといえば恐い移り変わりの仕方なんです。それは個々の文学者のなかでも危なくなってきているとぼくは理解しています。
風俗として世界的な普遍があるみたいな風俗の感性は、先進的な資本主義の部分から流れてきていて、なかなかいいじゃないかとぼくはいいました。それは私的原理の、いまの次元に直しまして私的利害の優位ということとつながるかどうか、風俗としてつながっているんですが、〈自由〉としてつながっているのではなく〈恣意〉としてつながっているので、まじめにいえば、福田さん的な国家無くしてどうして風俗があり得るんだというところに移動するかどうかについては、まったく保留がないように理解しています。その次元では別にいいじゃないかとおもっているわけではないんです。恣意性ってのはいいじゃないか、リゴリズムにたいしていいじゃないかという意味でいってるんで、それがどうなるかって次元では、生まじめな概念で私的原理の優位につながるかはまったく未知数だとぼくは理解しています。
埴野 先程、「いいじゃないか」といわれたときに、誤解した意味じゃなくて、いまいわれた言葉でいうと、自由性みたいなものにかなり可能性みたいなものを含めていわれたとおもったんですけど。
吉本 逆の意味では自由な原理の最後の砦に、風俗自体がなりうるかもしれないという可能性もあるとおもいます。それは両面で、最後の砦がそこかもしれないので、みんなまじめなことをいいだして国家無くしてとか、よその国の何とかが攻めてきたら、ひっぱたかれたらひっぱたき返すくらいのことはどうせ敗けるに決まっていても当たり前のことじゃないか、そんなふうに段々なってきたとき、ええじゃないかということで、最後にそういう人たちががんばるのかもしれないようにおもいます。他の人はがんばれなくなって、みんなまじめになっちゃって、その人たちだけががんばっていたということになるかもしれない可能性をあのなかにぼくはみたいとおもいます。そうじゃなくて、オウって合意してその人たちは国家無くしてってところに一挙に行っちゃう可能性ももちろんもっている、そこはまったく未知数だとぼくはおもっています。
松岡 『伝統と現代』五二号で編集部のインタビューに答えてですね、大衆の感性があるいは意識が変容した、それはとらえにくい問題だといってて、『戦後詩史論』の「修辞的な現在」をお書きになったわけですけども、ぼくはそれを情況論、大衆の変容の問題という感じで読んだわけです。先程の「いいじゃないか」と当然つながっていくわけですけども、「修辞的な現在」は大衆の意識の変容みたいなことについてのひとつの思想的な決着であり、脱出口がないという感じがするわけです。それで大衆意識の変容みたいなことに道をみつけるとすれば、日本の戦後をきっちりと評価することにたぶんいきつくとおもいます。
『福島泰樹歌集』の解説で書いているわけですが「戦後において現実の権力と深層の権力とを二重に透視できない闘争は無効であったし、いまも無効であることは論ずるまでもないことだ」「戦後はブルジョワ的にもプロレタリア的にも錯誤されてきた。また現代的にも反現代的にも錯誤されてきた。わたしたちは切断すべきものに執着し、貌を背けるべきものに貌を向けることで、無限の喪失を唱いつづけたのである。けれどほんとうは喪失し切断すべきものを唱うべきではなかった。ただまだまったく未明のもの、暗がりのなかに視えぬものが獲得できないことだけが問題であった」と、これは戦後にたいする評価だとおもうんです。戦後の総体みたいなものと「修辞的な現在」以後の社会意識の変容みたいなものをどうおもわれているのか、ぜひききたいですけど。
吉本 それを受け身ではなく自分の変容の過程の必然性としてかんがえてみるんですよ。考えてみて、戦後の当初に受け入れられなかったものをひとりでに受け容れちゃっている、無意識のうちに風俗の感覚としてそうとう程度受け容れちゃってる、自分が受け容れたものはなんだろう、そういう問題意識がひとつあります。たとえば「修辞的な現在」の中でもそういうことを言ったとおもうんです。たとえば服装ひとつでもいいですけども、昔、戦争中までならば陸軍の軍人とか兵隊さんなんかが上着の下に着てたシャツがあります。どこからみても取柄がないとおもわれたシャツがいま、とてもカッコいい人たちが、特に女のひとが着てると、カッコいいでしょう。戦後すぐの自分だったら、ちょっと目くじらを立てる、なんだこれはってところなんですが、なかなかいいじゃないかって受け容れちゃってる。カッコいいじゃないか、自分のなかで不可視的に変わっちゃってる、その変わっちゃってる要素っていったいなんだろう。そんな問題意識がひとつありますね。
もうひとつ、もっと理念的なことでいえば、敗戦後にガタリとどん底の意識まで行って、それの奪回過程でマルクス主義の〈世界性〉が自分のなかで大きなウエートを占めていて、それが拠り所であり、また葛藤の対象であった、いったいそれはなんだったんだ、それ自体を問題にするところに自分が追い込まれてきた、そうするとあのなかでも書きましたが、おれはおつりだけでしかこれからは生きられないという体験的意識があるわけです。おつりを、マルクス主義を拠り所にし、かつ懐疑をもち、葛藤してきた過程で、もしつり銭がひとつもあげられなかったら、おれはアウトなんだ、つり銭があるとすれば、これからはつり銭でしかやっていけないし、闘うこともできないよという意識が体験的にあるわけです。そのことはいったいなんなんだという問いがまた自分にあるわけです。そのことを風俗感覚的なところから、理念的なところから、両方からはっきりさせる、そういう過程の中に自分の戦後にたいする風俗なんてのの評価の仕方が成立するとかんがえているわけです。
それにたいして、これからはいいことをしていればいいんだ、いいことだけしていれば、多くのマルクス主義の影響を受けた人たちですね、マルクス主義者の人たちが撤退する、退化している気がするんですね。いいことをやればいいって、公害問題をやろうじゃないか、誰がかんがえても公害反対はいいことじゃないか、誰がかんがえても公害は悪い。確かめて確からしくおもえることをやろうじゃないか、ソ連がアフガニスタンにはいっていこうがいくまいが、そんなことは関係なく、これはいいことだってはいっていく。あるいは差別問題にはいっていく。誰がかんがえたって差別が存在することはけしからん、これはだめなんだ、誰がかんがえたってそうなんだからというところへ撤退してゆく。すると、そこに固執している人はこれは撤退してんじゃないと主観的にはかんがえている。それは違う見方からすれば撤退している。〈理念の世界性〉を問わないで済むようなおつりのあげ方に、ぼくはとても疑問をもってるわけです。自分をそこに移行させることに警戒的です。みすみすいいこととわかっていても警戒的だ、つり銭ということと自分の変質しちゃってるその問題、そのことをかんがえることを通じてしか戦後の問題をかんがえることはできないじゃないかというふうに、集約的にいえばそういうところでいちばん握りしめているわけです。それ以外にないなあ、この仕方がいいかどうか、ばからしいことはやめたっていったほうがいいのかもしれないって気もします。そこはちっともこれ以外にないというふうに自己主張する気はないんです。自分の中心課題ってふうにおもってやっていこうとおもってるんですけどね。
金 吉本さんは戦争体験をなさっていますし、またここにいる何人かは七〇年安保闘争とかそういうようなことを経験してきているわけです。今日は八月一六日ですが、戦争が終わった云々があるわけですが、戦争体験の風化とか、六〇年安保は昔のことだよって、そういうような意識は確かにあるとおもうんですけど、私なんかおもうには吉本さんの体験にしろ、戦争体験にしろ、いろんな人の体験にしろ、島尾敏雄さんのようなのにしろ、ぼく等は町のおばあちゃんの古い戦争の話なんかを聞くことがあるわけです。一般的には特殊な体験だとおもわれている気がするわけです。みんな戦争を体験した、それは確かに間違いないんだけども、それぞれは個人的な特殊な体験をしているという意識もあるとおもうんです。それで私なんかも切実に感じることがあるんですけど、吉本さんも私どももたぶんあったとおもうんだけれども、ぼく自身に切実な体験があったとしたら、どうもそれはみなが同じような意識をもったという感じもするんです。ところが、六〇年安保をやってきた、七〇年安保をやってきた、戦争を体験した、それはもう過ぎたことだ、それはバカなことだったとか、まったく他の所へもっていって、それは私たちがやったんじゃない、他の者がやったことで、私たちはただの犠牲者だとか、そういう感じ方がぼくはわりと支配的なような気がするわけです。そうすると、私なんかがおもいますのは、そういう自己体験というものは、どこかで社会というものと間尺を測って普遍化できるものがあるんじゃないかとかんがえるわけです。ところが実際には、そういうのは幻想だよって打ち破られていくところがあるわけですけど。体験というもの、共通の体験そういうものはひとつの普遍的な意義として何らかの形でねりあげる、提出できるものなんでしょうか。疑問をいろいろもっているわけです。
吉本 それはぼく自身も疑問をもつわけです。つまり体験というのは、体験として普遍性をつくりあげることは、体験に固執することでできるような気がするんですが、体験にたいして無であるとか、つまり体験しなかったとか、その体験に反対であるという人、そういう部分まで包括できる原理まで体験を高めて、もってゆくことは不可能なんじゃないかとぼくはおもっています。体験というものに固執することで、できるだけ普遍化する限界は、ひとりでにあって、それは体験的普遍性までは普遍化できるけれども、非体験、反体験というのまで包括する原理を体験から導くことははじめから不可能です。
だから、戦争はもう二度とごめんだとぼくもおもっていますが、戦争はごめんだということを体験者が集まって主張している、その次元での主張の仕方に、そんなに効力があったり意味があったりするとはおもってないんです。だからそういうところはちょっと、ぼくらの同じ年代の安田武さんなんか一所懸命そのことを話していますけど、ぼくはその次元では賛成じゃない。つまり、ぼくだってごめんだとおもっているのだから、それはぼくのなかでは生きているとおもいますね。だけど、なかで生きているのをいったん外へもっていったら、そんなに意味がない、同じ体験のあった人には意味をもたせることができるけれど、それ以上の人には意味をもたせられるはずがないのだから、あまりその事として外に出したって、社会的な自己主張にはならないとおもう。そんなに関心がないという後の年代からの見解もありうるわけで、それでいいじゃないかとおもっています。無関心というか知ったことじゃないという、それはいいですよとおもっていますけどね。
中村 そうすると、随分前でしたかね、戦争を露出させるという考え方ですね、それも少しばかりは紛失したということでしょうか。
吉本 「戦争を露出させる」って、平岡正明がいったんです(爆笑)。
中村 ああ、そうなんですか。
吉本 〈戦争が露出してきた〉という言い方をぼくがしたら、おれは戦争を露出させるといったんです(笑)。遊んでいるわけです。
金 さっきのをちょっと続けたいですけど、吉本さんの体験されてきた戦争体験には個々の体験があるというだけなんでしょうか。それとも共通に戦争という形で触れるようなものとか、戦争なり何なりのなかでふくまれる社会と往復というものはあり得ないことになりましょうか。
吉本 いや、ぼくは体験的普遍性というところまでは、なんとかつくりあげられないかと、それ自体について、ぼくはそれを表現してきたようにおもうんです。それはあくまで体験的普遍性ってものであって、その望外に射程外にあるものに通用するってのははじめから持てないできたわけですね。でも個人的な体験をなんとか体験的普遍化できるかということなら、ぼくは戦争のことも、戦後のことも、少しコミットした六〇年安保のことについても、そのことはできるだけ自分で試みてきたんです。そんなものは、そんなことは知ったことじゃないって部分までに、普遍性があるとかんがえていないですけどね。
小松 いまの話とくい違って申しわけないですが、戦後大衆意識の変容ということでつながるかなってことで、私の場合、家族というものがどうもやり切れないなあ、とらわれてるという感じがあるわけで、やり切れないなあってのは女房と一緒にいるのがやり切れないというんじゃなくて、卑近な例を出しますと、私の甥が非行をやりましておまわりさんに補導された、補導員がいうには家庭の問題なんだとしつこくいうわけです。ぼくは家庭の問題もありますが家庭の問題だといったらそこで終わってしまうのではないか。私の場合、最近厚生省と法務省の調査資料を読んだんですが、そのなかで特徴的に気がついたのは恋愛結婚が増えている、結婚後何が大事かという質問をした場合、愛情、思いやりとかが多く、離婚の原因も性格不一致、夫の浮気となっていまして、一方に経済的なものがあるとすれば、一方に意志的なものがある、それでくっついたり離れたりしている、その辺をぼくは自然的な時間あるいは家族的な時間があるとすれば、それを社会的時間が浸蝕してきたというように考え処理してきたとおもいます。そこで家庭に問題があるとは一方的にはいえないじゃないか、その辺についてのお考えをおうかがいしたくて。
吉本 ぼくが家庭っていいますか、家族ということでいちばん自分が問題にしているのは自己矛盾ということなんですよ。家庭ム家族について言葉を費やしていって理念づけていった場合におこる自己矛盾というのをどうやって処理したらいいのかな、家庭ム家族の問題ではぼくはそういうひっかかり方をしているわけです。
だから、あなたの、あっさり簡単にいって〈非行〉なんてないという言い方がひとつあるとおもうんですね。もうひとつ、あらゆる子供の〈非行〉ってのは結局夫婦の問題だ、もっといえば、夫婦のエロス的問題だといってしまうと終わりになっちゃう。子供の〈非行〉はポリさんは家庭の問題っていう、ぼくも家庭の問題で、もっと極端にそれは夫婦の問題なんだよっていう言い方がひとつあるとおもう。それでいえちゃってる。それから、非行、非行って、非行なんてねえんだからしようがない、それがもうひとつの言い方です。
そういうふうにいうのはいいですけど、おまえの家はどうなんだといわれると、足元から絶えず崩壊にさらされている。夫婦の間で、子供と自分との関係で、子供対母親の関係で崩壊にさらされている。あまり偉そうなことをいうと、自分が足元からくずれていくことになりそうな感じがしてる。そのことの自己矛盾ってことはいちばん自分がひっかかっている。あなたのいう意味のことでなら、極端にいえば、いまのふたつでいいんじゃないでしょうか。さて、おまえ偉そうなことをいうが、おまえの家はどうなってるんだといわれると、すこぶる危なっかしくて、辛うじてするりするりとすりぬけて日々が過ぎていく。どこをつついても本格的につついたら全部崩壊だ、絶えずそういうポイントをいくつももっているとかんがえています。理念としていうなら、その問題はかなりはっきりしているとぼくはおもっている。ぼくを中心とする家族の現在について、中心的なことは自己矛盾ですね。そこのところになぜしぼるんだ、そういうことがぼくにとっては中心的な関心になっているとおもうんです。
小松 質問が悪かったですが、たまたま非行の問題だっただけであって、家庭ってのは何なのかってぼくはひっかかってて。いちばん最初にひっかかったのは東京で学生運動をやっていたころ、家族が問題なんだよという形で家族をまず処理しなけりゃいけない。帰ってみると、田舎へ帰って就職もしているんですが、自分の女房や子供のところへいくと安らいじゃう、そういう一面をもっている。その一面を処理しなけりゃだめなんだよってのが背景にありまして、家庭ってのはすごく問題なんだと、家庭自体が危機なんじゃないか、その処理の仕方を私の場合は自然的な時間が社会的な時間、制度的な時間に非常に浸蝕されてきているとかんがえたわけです。
吉本 なるほど。その考え方でよろしいじゃないですか。ただ、ぼくだったら、家庭にいると安らいじゃう、それでいいんじゃないですか。ぼく自身は家族ってものをそう理解しているわけです。安らいじゃっているようにみえながら、いたるところに穴ぼこが空いている。その穴ぼこの危機感は、どのひとつの穴ぼこをとってきても、全崩壊にさらされるみたいなもんでしょう。ぼくは切実にかんがえているつもりですけどね。理念的にあれこれいえば、家族ってものの本質はエロス的な問題、だから男と女の、夫婦といってもいいわけですが、それが本質的な問題で、それ以外の関係はそこから派生する、そういう考え方をとってきたわけです。社会的な時間のことは、あなたのおっしゃる意味ではいろんなところからくるんじゃないでしょうか。経済的要因だったり、男女の関係で女性が目覚めつつある過程にあり、しかも完全に目覚めきっていないという過渡的な形の問題であるとか、そうとう多様な問題がひっからまってくるんじゃないでしょうか。
小松 女性が目覚めてないって、吉本さんが鮎川信夫さんとの対談のなかでいわれてた、社会のなかに女性が登場して日が浅いんだろう、男は降りたいとおもっているのに女性の場合は登りたい登りたいと。その辺の意味と理解してよろしいんでしょうか。
吉本 そうだとおもいます。ほんとうに登っちゃえばいいとおもいます。いいってことは、家庭とか家とかと質の違う問題にかわっていくようにおもいます。
松岡 『現代思想』の「対幻想とは何か」というインタビューだったとおもうんですけど、性の問題には倫理ははいらない、倫理の問題は絶対はいらないんだとあったとおもうんですけど、大庭みな子さんとの対談で、「徹底的に否定したあとのかえりに、ナルシスムやセンチメンタルなものを包括できないということは、他者を包括できないことだ」といっておられて、継ぎ足しになるわけですけど、『悲劇の解読』のなかで太宰治について書いておられるわけですけど、太宰の女性関係の問題があるわけですね。それには直接ふれていないけれど、ぼくなんかすぐ性の問題を倫理の問題とからませてしまうとこがある。ぼくなんかもてないけども、もてる人はいろいろやるわけでしょう、やっぱり倫理的に反発を感じるわけで、一方で指をくわえてるみたいな(笑)その辺の問題、性の問題に倫理はからまないということと、否定したかえりに他者を包括するということを、もう少しくわしくうかがえれば。
吉本 ぼくももてる人はうらやましいとおもいます。それは倫理の問題じゃないと理解しています。倫理的な反発みたいなところにはいかない、たとえばあなたと同じで、畜生うまいことやってやがるとおもったりすることはありますけど、それは倫理的なことではなく、うらやましいことにすぎない(笑)。ぼくは性の問題のなかに〈資質〉の問題ははいってくるかもしれないけど、倫理の問題ははいってこない。これはかなり実感的にそうおもっています。その種のことにたいして倫理的な反発みたいなものを感じたことはないんですね。
それにもかかわらず、やっぱりエンゲルスがいうように一夫一婦制っていうのは人類の究極的な理想であることには違いないでしょう。そうならないのはエンゲルスの言い方では社会のせいだ、資本主義のせいだといっていますけど、ぼくはそういう言い方で、性の問題が理解できないんだとかんがえて〈対幻想〉っていう概念が、社会性ってものと別の次元に、それ自体として存在しうる領域の問題なんだとかんがえていったとおもいます。だから、すこしも倫理的ではなく、むしろ人間の自然性の問題なんだ、自然性ってことは生理性の意味じゃなくて、人間が共同体というものを国家としてつくってしまった以降じゃなくて、以前のことをかんがえれば、以前の問題としてならば、社会の問題、性の問題ってのは社会の問題になるんだけれども、人間が共同性ム共同体を国家として形成してしまった以降の問題としては、即座に社会の問題なんだというふうには解き得ないとかんがえてきました。個人からみられた性の問題は、倫理的な反発として出てくることにたいしてはとても警戒的だというようにぼく自身はかんがえました。
鎌倉 昨夜の講演のなかでいわれたことですけど、ハイデッガーとかサルトルの死の考え方については、ちょっとやっぱり違和感があることをはっきりいわれたんですけど、そのあとの堀辰雄の死についての考え方、それについては、いわば〈中性〉的なとらえ方をしてるといわれたとおもいます。その場合の堀辰雄の中性的な対し方については、なじめるというふうにお考えでしょうか。
吉本 堀辰雄の文学の質をとても優れたものにしている要素は、中性的なところに死の問題、もちろん生の問題ももっていけているところです。ぼくは死の問題につきすぎている、死の問題にどういうふうにあるべきなんだろうかという明瞭なイメージをもっていないですが、少なくともサルトルのように〈事実性〉として偶然なんだとかんがえてすっきりするかといえばそうでもない。それからハイデッガーの考え方は多くの宗教的な思想がつかまえようとしたつかまえ方に類似したもので、根本的には似た捉え方です。同じように堀辰雄の作品のなかにある死の観念は、死につきすぎている。うまくイメージはとれるんですけど、つきすぎているようにおもえる。死が日常性のなかにいつでも存在していなければならないとしたら、その存在の仕方はもう少しとりまぎれている、まったく存在しないでもないのだが、もう少し遠いどこかに、死はなくちゃならないんじゃないか。だから、つきすぎているんじゃないか。堀辰雄には理由があって、その当時は死に至る病気だったからです。病気を生き死にしたんだから、そのためにつきすぎているのは当然なんだといえるわけです。
それからもうひとつ、ぼくの現状で〈私の死〉と〈私でない死〉という狭間に、あるいはふたつの二重性のなかになにか〈死の位置〉があって、それをどうするか、どう理解していくかが問題なんです。だから思想的な原則がどこかにある気がするんです。古代以前にできあがってしまった思想というもの、東洋でも仏教とか儒教とかそういう思想でも、それからヒンズー教の思想でも、西洋のギリシャ=ローマ的な思想でも、ひとつの〈完結性〉をもってて、その完結性の度合が強ければ強いほど、またよくできあがっていればいるほど、言い換えれば偉大であればあるほど、近代以降の歴史のなかで必然的に出てきた課題には、とても閉鎖的になり、迷蒙さが固執されてしまう。完成度の高い古代思想であればあるほど、近代以降の展開に対しては迷蒙さとして現れてくる要素が強大だという原則がある気がします。
それを迷蒙さととらえてしまえばそれですむのかはとても大きな問題でしょう。古代思想の死についての考え方は立派な思想なんだけども、近代以降では一種の迷蒙さとみえることは当然です。迷蒙さとしてじゃない見方がありうるか。それから古代での生死の思想は、うんと厳密に区切ってしまいますと、古代以前の原始時代と古代にいたるまでのアジア的な時代に形成された思想になりますが、それは一種の〈輪廻〉思想で、人は死ぬことができない、「個人」は死ぬことができない、「私」は死ぬことができない、仮に「私」の肉体が死んだとしても、共同体が補ってしまう。そうすると「私」はいつまでも死ぬことができない。繰り返し繰り返し生き返すっていう思想が、古代以前にどこでも形成されているわけです。それに対してどっかでその循環、「個人」が死ぬことができないっていう古代以前に出来上がった循環に抗して、人間が死に切っちゃうことができるんだっていう思想は無いんだろうか。そんなところで、古代思想はそれぞれの解決の仕方をしているとおもうんです。たとえば仏教なら輪廻思想を終わらせることができる、ある収斂の仕方をすると、大涅槃に到達するんだ。そこでは生まれ変わらなくてもいいんだ。そこが究極的なユートピアなんだってことを言います。そういう考え方はうまく出来て完成されているから、迷蒙としてみえるひとつの必然的な見方と、それを迷蒙としてじゃなくみえる見え方、あるいは見方は成り立ち得ないかっていうようなところで、〈死の位置〉みたいなものをかんがえたいとおもっています。そこのところで解きたいんだってかんがえるわけです。だから、そういう意味では堀辰雄の作品のなかに出てくる死はつきすぎているという理解の仕方がとれます。死について、それはなんなんだ、どうなんだって、言い切れるものはまだもっていないですね。
藤安 狭間の中でかんがえるといわれたんですけど、死について古代思想についていわれましたけど、共同幻想性を死について追放しなければいけないみたいなことを『共同幻想論』で書かれてあったと思いますが、そういうことといまのことは関連しますでしょうか。
吉本 はい、関連するとおもいます。『共同幻想論』のなかでは、個人幻想を共同幻想がおおいつくした状態を〈死〉ってかんがえるんだという言い方をしているとおもいます。そこから少しその問題を具象的に、かつ文学論的に出していきたいということなんです。
なぜ固執するのかといわれると、齢くったからじゃないかなっていう感じがするんです。ごく自然に死についての関心が濃くなってくるわけですよ。それは自然な意味でそうなんです。だいたい齢くうこと自体は、死が切実にかすめるみたいな感じです。人間の生涯で、死が切実にかすめるときは二度あるわけです。初めは青年時代に死が切実に生涯をかすめるわけですね。その青年の時のかすめ方をなんとかかんとか切り抜けながらだんだんやってくるわけです。齢くった時には死が青年の時と同じように切実にかすめてくる。そのかすめ方は青年の時と逆なんですね。逆な方向からかすめてきて切実になってきて、それにたいしてわっさもっさいろいろやらないと、どうも話にならないところがあります。そんなところがモチーフになっているんじゃないでしょうか。
日本の人ってのは、昔の仏教の宗教家は、いずれも古代思想あるいは古代以前にできあがった思想の範囲内でやってるんですね。仏教の坊さんなんかはそのなかに自分を置いて、死の考え方を祖述するという意味のところでそうとうやっちゃってる。そうじゃなくて近代以降の考え方でなんだってことについては、日本の人はあまりやらないですね。ところが、ハイデッガーやサルトルは典型なんですけども、あっちの人はとことんやっちゃっています。かなり若いときに、ハイデッガーなんか三六、七の時にやっちゃってる。徹底的にやっちゃうんですね。そういうところがなんとなくひっかかるとこで、それでいて、ちょうど青年時代と同じように、しかし逆の方向から死の問題がかなり切実なこととしてかすめてくるとおもいますね。そのことがきっと入っているんだとおもってるんです。
藤安 脈絡のない質問なんですけど、埴谷雄高さんと対談された時、〈横超〉ですか、横にとんで浄土へ行く、中世の。それでいえば、日本の近代以降の新しい死についての考え方をもった文学者、思想家は日本にはいないというふうに、埴谷さんも好敵手をさがすっていう形で、埴谷さんをみつけられたところがありますけど、その人でも最終的には中世の祖述の範囲内にはいった形で中世的なものに先祖返りですか、ということで、死についての考え方が思想家のキイポイントだっていわれてますがね、現在のところでは吉本さんがみられた範囲ではおられないとおもわれているでしょうか。
吉本 埴谷さんっていう人は『死霊』っていう大長編を、まだ終わっておられないわけです。そのことに固執してやっておられるようにおもいます。そのこと自体がテーマなんだってくらいに、あの長編でやっておられるんじゃないでしょうか。それだけ正面切ってというのはそんなに見当たらないんじゃないでしょうか。
藤安 その辺はぼくとレベルがちがうんですけど、その人でも吉本さんからみられると最後のところで、完結できるのかどうかって疑問みたいなものをもたれている、穿った見方をすると。
吉本 それとはちがってね、理念として、論理としてちょっとやりたいんだっていうのが、ぼくのモチーフなんですけどね。
藤安 『最後の親鸞』で無知じゃなくて非知に軟着陸するという、そういうところは先程の死の考え方で、無知って、ぼくの考えでは先祖返りして死に、無知っていうのは死につながっていく。そういうところに先祖返りしないで、非知っていう新しい概念ですね。そういうところに軟着陸していく、知の課題ですが、そういう思想体系なり知の処理の仕方ですね、非知というところに軟着陸するべきだとうかがったわけですけど、先程の話と昨日の講演とつながっているとおもってよろしいでしょうか。
吉本 昨日のモチーフはね、文学作品の構造ってものと、〈死〉ってものを極限とする人間の在り方の間には大きな関連があるんじゃないかっていうことをね、文学論として、文学についての考え方としてかんがえたいというモチーフなんです。知識自体のあり方ってことは、また自ずから違う次元の問題なんだとかんがえていますね。
公文 六時までの予定をしてて、あと半時間ほどしかないので、まだ発言してない方、どうしてもこれだけは聞いておきたいという方もいるとおもいますので、一人ひとつ質問をまとめて聞くくらいの時間しかないんじゃないかとおもいます。これだけは聞いておきたいということで、残りの時間を使いたいとおもいます。
古浜 〈アジア的〉ということで、これを突き詰めていくと情況へいきつくんだとおっしゃっていたとおもいます。そのアジア的のなかで、アジア的な特質になにか、悪いっていいますか、止揚しなければならない問題があるといわれております。現代具体的にどういうふうな問題なのかというふうなことを少しお話していただければ。
吉本 ぼくの関心でいえば、現代マルクス主義の問題はスターリン主義の問題なんだとかんがえてきたわけです。それこそ現代のさまざまな情況も含めてかんがえていって、ぼくの考え方はだんだん煮詰まってきた段階です。これはマルクスの思想のアジア的な受け容れ方の問題なんだ、それが現代のマルクス主義の問題なんだ、そういう問題のたて方でかんがえてきたとおもうわけです。それぞれ違うんですが、包括的な問題の構造は〈アジア的な構造〉のなかにあって、それはマルクスがすこし考えたみたいなことよりももっと切実な意味で、さまざまな問題をはらんじゃったことが解けないじゃないのかな。自分の問題意識をそういうふうに引っ張ってきたようにおもいます。
これはさまざまな考え方があって、マルクス主義というよりもマルクスの思想自体のなかに、あらゆる現代ひっちゃかめっちゃかにでてきている問題全部の萌芽があるんだという考え方の人ももちろんいるわけです。そういう考え方はヨーロッパでは強いわけだとおもうし、また日本でもそれは強いってことがあるとおもいます。マルクス主義ってのは科学的な形態をとった一つの信仰の問題として考えようとしている人もいるとおもいます。ぼくはマルクスのアジア的な受け容れ方の問題が現代のマルクス主義の問題なんだってところで、現代の問題に接近してゆく手がかりをつかもうとかんがえています。マルクス自体が少なくとも具体的な政治過程、あるいは社会過程がどうなっていくかってことに言及している範囲では、マルクスはそんなにたくさんアジア的な社会構成あるいは共同体の構成が、農村にたくさん残っているところで、どんな問題が生じるか査証してるわけではないんです。マルクスのしていることは、とても発達した当時のイギリスの資本主義がどういうふうに移ってゆくか、移ってゆくにつれて民族国家、近代国家ってのはどういうふうに壊れていくか、もっぱらそこでしか考察しなかったですから、そこが現代の問題なんじゃないか、ぼくはそこが切実な問題となっているとおもっているわけで、現代マルクス主義の問題をぬきにして、そこのところじゃなくて、日本の社会はどうなっているんだといえば、たぶん感覚の構造とか思考の仕方の構造のなかにより多くアジア的な構造が残っている。社会経済構成のなかではその構造は徐々に消滅しつつあるというのが現状なんじゃないかなっておもいます。ただ社会構成として消滅しつつあれば、思想的あるいは感覚的に消滅するかといえば、なかなかそうはいかない。それが現在の日本の問題じゃないかと理解しています。それはヨーロッパにだって保守的な人はいるし、信仰をもっている人はいるわけです。そのことと、しかし、ヨーロッパの優れた文学者とか知識人が信仰をもっている、信仰の思想をもっている人はたくさんいるわけですけど、しかし日本におけるように、優れた大知識人であればあるほど天皇信仰みたいなふうにいっちゃう。たとえば小林秀雄さんでも江藤淳さんなんかもそうですけど、そういうことはヨーロッパではあり得ないんじゃないかとおもうんです。つまり天皇信仰みたいなものの信仰の仕方は、宗教だから信じてるっていうふうにはいえないので、これは一種の制度的な像としての天皇の在り方に収斂していっちゃう。こんなことはヨーロッパでは少なくともあり得ないんじゃないか、でも日本では大インテリっていうのは、大抵そういうところにいってしまう。だからアジア的っていう概念をもっと突き詰めていかなくちゃいけないってことが日本ではありうるようにかんがえているわけです。だから現代のアジア的っていう問題は、そんなところに切実な問題があるんじゃないかとかんがえています。現代におけるアジアとか、過去におけるロシアのマルクス主義の問題は、アジア的な構造の問題として理解すべきなんじゃないかっていう問題意識を持っているということだとおもいます。
鎌倉 ぼくとしては二つほどまだ聞きたかったことがあるんですけど、ひとつはマルクスの『資本主義的生産に先行する諸形態』のなかの所有論、〈所有〉ということ、あのなかでは共同体的所有と私的所有、それから個人的所有というような言葉が使われているとおもうんですけど、そのマルクスの所有っていうことで、マルクスの考えていること、本来、所有はどう考えておられるかということと、もうひとつは、これは吉本さんの書かれたものを読む時に、前提としては頭の問題があるんですけど、いつも思考が躓くというか、臍を噛むみたいな感じがもたれ残ってくる。どうもそこのところで根柢的に腹に納まらない問題があるなって、いつもどんなものを読んでもたいがい残ってくる。それは例えていえば、今度の『世界認識の方法』の中でいわれてる、〈商品は商品の自己表現である〉というふうなことで、ぼくにすうっとはいらない。あるいは『言語にとって美とはなにか』でいえば、言語の自己表現というふうなことがどうもすっとはいらないというようなことじゃないのかなというふうな、まとめていえば、そういうことになるんじゃないかなという感じがあるんですけど、そういうことについて少し言っていただけたらとおもいますけど。
吉本 なるほど、〈所有〉っていう概念からみたユートピア、理想的形態なんですけども、アジア的あるいは古代的な、もっと前のエンゲルスの言い方では原始的な所有の仕方、アジア的古代的あるいは原始的な共同体的所有の在り方ってものが、なんらかの意味で、現代でもマルクスの考え方に即して、それが再編成される、甦生される基盤がありうるとすれば、ぼく自身はとても単純なことだとかんがえています。それは共同体的所有が善でもなければ、私的所有が善でもなくて、私的な個人にとって共同体的所有であるほうがより宜しいって部分についてだけ共同体所有があれば、古代あるいは原始的な共同体所有の仕方がモデルになりうる。つまり、個々の人々にとって、そのほうが利益である限りにおいて古代の共同体所有、あるいは古代以前の共同体所有がモデルとして蘇りうる根拠があるんだとかんがえているわけです。それで、そうでない部分については私的な所有が存在しなければならないというふうにおもっています。私的な所有よりも共同体的所有のほうが個々人にとって有益だってことについてだけ共同体所有のモデル、つまり、過去のモデルは形を変えた理想型として再現される余地があるとおもいます。それが原則で、それ以外の〈所有〉についての原則はないってかんがえています。
だから、一般的に日本にだって、たくさん正統マルクス主義的な原則をもった政党はあるわけでしょうが、権力を行使していいからどうするかっていったら、みんな生産手段の国有化をするに決まっていますよ(笑)。でもぼくはそうじゃないとおもいます。単純かつ明瞭な原則があって、たとえば農村にとって農機具を共同体でもって購入したほうが、個々のメンバーにとって利益であるなら共同体所有とすべきで、個々のメンバーにとって利益でない部分については私的所有にすべきだというのはとても明瞭な原則です。それ以外の原則はない。その原則のなかで、古代的アジア的あるいは原始的な共同体所有がモデルとして形態がどうあったか、現在でもどう残存しているのかってことがはじめて問題となりうると、ぼくは原則的に理解するわけです。それ以外に普遍的な原則はあり得ないとぼくはおもいますね。
あっ、そうか。ちがうことなんですけど、いま言いましたことと同じように考えてくださって、個々のメンバーにとって利益であるっていう原則のもとでだけと同じような意味で、〈自己表出〉とか〈自己表現〉とかの概念が要り用なんじゃないか。言葉の表現について要り用なんじゃないかな、あるいは商品の価値規定みたいなもののなかでそれが要り用なんじゃないかな。ひっからめていえば、そういうことと同じことのような気がするんですけど。それが無くなっちゃうと、僕らしくなくなっちゃう(笑)。
『言語にとって美とはなにか』をやってたときにね、ヨーロッパでいえば、ソシュール以降の言語学的な考え方の体系があるわけです。そのつくり方の根っこにある共通の基盤は『資本論』だとおもうんですよ。つまりソシュールはもちろんですけど、ローマン・ヤコブソンでもそうです。言語学的系をつくっていく場合に、モデルの骨組となったのは、『資本論』をはじめ経済学の概念だとおもうんです。それでとくに『資本論』の第一巻といいましょうか、はじめの部分だと、それが骨格になっていると理解しているわけです。だから、ソシュールの言語学の問題は広い意味での、広義のマルクス主義も問題なんだとぼくは見通しています。つまり現代言語学ってものはどこから根をもってきたかっていえば、みんな『資本論』、まれには近代経済学なんですよ。『資本論』の体系のつくり方から〈系〉のつくり方を学んでるってのがぼくの理解の仕方なんです。ぼくはもっぱらそうなんです。ぼくも『言語にとって美とはなにか』をつくっていったとき、〈貨幣〉とか〈商品〉のような価値物の振舞い方を〈言語〉の振舞い方になぞらえたのです。それでこんなことを較べたら漫画になってしまうわけですが、まるでレベルと規模と緻密度が違うので比較にもならんのですが、そういう意味ではなく、共通の地点だけ取り出していけば『資本論』なんです。『資本論』のたとえば〈商品〉のもつ使用価値と交換価値がどうやって生まれていくのかというような問題の骨格のとり方と、言語あるいは言語体でも言語素でもいいわけですけども、そういうものがどういうふうな価値概念と交通概念でも流通概念でも、どう成り立っていくのかっていうのが考え方の根っこにあります。現代言語学の根柢にあるのはみんなそうだから、ぜんぶ広義のマルクス主義の問題、そういえばマルクスの問題です。ソシュールの言語学、一般言語学、ヤコブソンの体系になるってふうに理解しています。
『言語にとって美とはなにか』の場合もそうです。問題はこうなってしまいましてね。どこでマルクスが〈商品〉って概念をつくってきたかという問題と、商品のさまざまな〈価値形態〉の在り方というような問題、商品の在り方の問題についての体系ですけども、そういうものと、〈言語〉ってものはどこで違うか。『資本論』のはじめのところで分岐してしまうか、どこから離れてしまうかっていうことが、それぞれの言語理論の違いどころです。ぼく自身もどこでマルクスの〈商品概念〉や〈価値概念〉とわかれていくのか、ぼくなりにかんがえました。そのなかで〈自己表出〉っていう概念がでてきたわけです。自己表出という概念は、ちゃんと検討してくださるとわかるとおもうんですが、二重二段に考えられていて、〈言語〉という概念、〈言語表現〉という概念、それから〈自己表出〉という概念と、〈文字〉っていうものを媒介として表現された、つまり〈書かれた言葉〉っていうものと、二重二段に分けて使っているわけです。そういうところで、マルクスの商品という概念とどこで分岐してゆくか、言葉っていう概念をどこで分岐させてゆくのかかんがえたところから、自己表出っていう概念をつくったようにおもうんです。逆に自分の自己表出の場合、言語表現といった場合と、書かれたる、つまり書き言葉、文字によって書かれたる言語表現と、二重二段にかんがえなくちゃならないことをやって、そうだなっておもっていることから、逆に振り返って、今度は商品という概念をみると、自分が『言語にとって美とはなにか』でやったことは、言葉のオートマチズムにみえるけれども、商品って概念についていえば、〈商品〉という概念と、〈商品は商品の自己表現〉なんだという概念と、その二つをかんがえることと同じことをしたとおもいます。
言語についてのさまざまな考え方のなかに、共通の合意とか、共通の提示とか、共通の概念のとり方は、いまのところないんだとおもうんです。強い者が勝ち、偉い人が勝ちみたいなもんで、ソシュールって人が偉いから、ソシュールの言語概念が世界中に流布されるというだけです。それ自体に普遍性があるってわけではなにもないんだとおもいます。誰がどういってもいいんだってくらい隙がある段階だとおもいます。気にくわないところはあまりに科学的処理じみて、文学なんかとくにそうですけど、気にくわないところをどういう概念につくっていくかということが、じぶんの場合問題になったようにおもいます。そのなかで自己表出っていう概念を二様に、あるいは二重二段に考えなくちゃいけないって、だから書き言葉っていう問題が出現したってことは、それ以降の言葉の歴史の問題を、ちょうど社会的な変遷史でいえば、国家っていうようなものが成立した歴史と、その以前の歴史とは分けてかんがえなくちゃいけないというのと同じくらいの意味をもちます。文字によって書かれてしまった以降の文学と、それ以前にあったかもしれない文学との問題はちょっと質が違うんだっていうふうにかんがえないとだめなんじゃないかとおもうわけです。
松岡 時間が過ぎましたので、最後に、今後の吉本さんのお仕事の予定をお聞きして、この会を終わりたいとおもいます。
吉本 う〜ん(笑)、なんか予定というか、したいことはあるんですけどねえ。なかなか現状でいえば、したいことの以前の段階で彷徨しているというか、あっちこっちうろうろしているっていうこと、それが正直な現状なんです。頭の中では『共同幻想論』を展開したいんだ。展開するについては少し重層化した、『共同幻想論』を重層化したところでしたいんだということがあるんですけど、なかなかとっかかれないんで、うろうろしているのが現状です。さしあたって頭にあるイメージでいえることはそれくらいなんですけどね、さて予定通りいけるかどうか全然わからないですけどね。そんなところなんです。さしあたって、明日帰ったらどうするんだっていうようにあるんですけどね(笑)、スケジュールがたまってて。
公文 残念ながらいろいろ聞きたいこともあろうとおもいますけど、今日はこれで終わります。
▼『同行衆通信』第24号(1986年2月)〜第28号(1987年2月)掲載