吉本隆明の対話

松岡祥男

     (1)

   根柢にあるもの

 この本には、吉本隆明の六つの海外の思想家との対談が収録されている。
 この他に、半ば公開の形でなされたイヴァン・イリイッチとの対談がある。吉本隆明はその対談のことを何度も話題にしているけれど、主催者の事情によるのかは審らかでないが、公共のものとはなっていない。
 海外の思想家との対話について、吉本隆明は「性能のわるい迎撃ミサイル」というふうに、じぶんを形容している。これは歴史の段階や文化の基盤の差異を越えて、相互了解が成立し難い、歴史的な現状を踏まえたものだ。また、言葉の障壁が立ち塞がるので、ほとんど対話の展開に期待が持てないとも述懐している。〈読む〉ことと〈話す〉ことは別だとしても、これは独特の謙遜と含蓄に富んだものといえる。
 なぜなら、吉本隆明は初期の「マチウ書試論」を書くにあたっては、フランス語版の「聖書」を典拠としているし、戦後勤めた会社では染料の開発を担当していて、広く海外の文献を漁り、研究に当たっていた。さらに失業中、鮎川信夫の厚意でエラリー・クイーンの『Yの悲劇』などの下訳もやっているのだ。その後、隔日で勤務した特許事務所では、主にドイツ関係の特許申請を扱っていたことは、夙に知られているからだ。
 むろん、海外からの来訪者とプライベートに交わされた会話は数知れずあるはずだ。末次エリザベートやイヴ=マリ・アリューは言うに及ばす。

 ここに収められた対話の内容や意義については、読者の一人ひとりが考えればいいことなので、わたしは余計な解説や注釈を加えるつもりはない。
 ただ、吉本隆明が海外の思想や文学にどういうふうに向かい合ってきたかについて、少しだけふれておきたい。
 吉本隆明の海外の作家・思想家に関する著書は『書物の解体学』と『言葉の沃野へ 海外篇』、それに『カール・マルクス』と『甦るヴェイユ』、この四冊である。
 それに、重要な「マチウ書試論」「喩としてのマルコ伝」、死の哲学的考察として世界的なレベルにある「触れられた死」、労作「ゲーテの色」や「わがファウスト」など。また、カフカについては随所で言及している。その孤独で、本質的な存在性に強い共感を寄せていたからだ。
 もっと根源的にいえば、ヘーゲルやマルクス、フロイトの徹底的な理解を抜きにして、吉本思想の構築はあり得なかった。それは化学技術者の経験に培われたもので、つねに世界的な水準を視野に入れながら、本格的な研鑽を持続してきたといっていい。『共同幻想論』など三部作を持ち出すまでもなく、『ハイ・イメージ論』の中の「ファッション論」ひとつとっても、それは明らかなのだ。

 吉本隆明は生涯、一度も海外へ出ることはなかった。それは自らの戦争体験に深く根差していることは言うまでもないことだ。近親はもとより、師や多くの同世代、また同胞の死を目の当りにし、その犠牲のうえに〈じぶんの生はある〉という思いは、終生消えることはなかったのだ。そうであっても、若い世代が気軽に国際的な見聞を広め、交流の絆を結ぶことを妨げるような素振りは微塵も見せはしなかった。それは時代の変容に対する明察と、おおらかな許容力を物語っている。しかし、じぶんの世代的固執を誰も理解しないとしても、〈戦争の負債〉とじぶんを切り離すことはなかったのである。
 それが端的に示されたのは、江藤淳との対談「現代の文学の倫理」においてだった。日本の無条件降伏に異論を唱え、貴方にはラジカルさが足りないなどと図に乗って言い募る江藤淳に対して、「江藤さん。プライベートにはときどき口にしますけれど、公けにあんまり口にはしないんですが、ぼくは『あの人』より先には死にたくねえ、『あの人』より先には死なんぞ、と思っているわけですよ。それはぼくら戦中派の何か怨念みたいなもので、思っているんです」と言ったのだ。「あの人」とは言うまでもなく、昭和天皇である。その時、江藤淳は一瞬凍りついたはずだ。

 その吉本さんのひそかな戒律を、わたしなりに考えながら、一度だけ尋ねたことがある。「もし、吉本さんが外国へ行かれるとしたら、どこへ行きたいですか?」と。吉本さんは「行くならオセアニア、ニューギニアの方へ行ってみたいですね。日本人の原郷かもしれないですからね」と言われた。
 吉本さんも、わたしたちと同じように、ほんとうはたくさんの夢を胸中に抱いていたに違いない。
 吉本さんは悲しいまでに「日本のナショナリズム」で書かれたように、「井の外に虚像をもたなければ、井の中にあること自体が、井の外とつながっている」という〈態度〉と〈方法〉を貫徹されたのである。
 その実践のひとつが、ここに集められた海外の思想家との対話にほかならない。

〈註〉 本稿は、吉本隆明『思想的制覇ー海外思想家対談集』の解説として執筆したものです。諸般の事情により刊行が難しいということですので、『蟹の泡』に発表することにしました。
 なお、吉本さんの海外の思想家との対談は次の通りです。
 ▼ローレンス・オルソン「知識人と大衆」『現代思想』一九七七年一〇月号→『吉本隆明全対談集』第一二巻(青土社)
 ▼ミシェル・フーコー「世界認識の方法」『海』一九七八年七月号→『世界認識の方法』(中公文庫)
 ▼ジャン=ピエール・ファイユ「国家と言葉」『海』一九八二年七月号→『「反核」異論』(深夜叢書社)
 ▼フェリックス・ガタリ「善悪を超えた『資本主義』の遊び方」『マリ・クレール』一九八七年四月号→『よろこばしい邂逅』(青土社)
 ▼ジャン・フランソワ・リオタール「スピード時代の芸術」『マリ・クレール』一九八八年九月号→『吉本隆明資料集98』(猫々堂)
 ▼ジャン・ボードリヤール「世紀末を語る」『世紀末を語る』一九九五年六月刊(紀伊國屋書店)

     (『思想的制覇ー海外思想家対談集』(深夜叢書社・未刊)解説→『蟹の泡』第1号2012年10月発行→『吉本隆明さんの笑顔』(猫々堂))

     (2)

   〈対話〉について ー吉本隆明さんのこと(21)

 吉本隆明は、じぶんの〈文筆のモチーフ〉を次のように明確に述べている。

  一九六〇年以後において、わたしの〈書く〉という世界を誘惑したのは、この世界には思想的に解決されていない課題が総体との関連で存在しており、その解決はわたしにとって可能である問題を提起しているようにみえたという契機であった。わたしの〈書く〉という世界は変容し、〈時間〉との格闘に類するものとなった。
        (吉本隆明「なぜ書くか」一九六六年)

 「〈時間〉との格闘」、これは対談やインタビューなど対話においても変わらないといえる。
 それぞれの対話の背後には情況的な背景があり、また思想の展開も伴っている。つまり通時的な流れにおいて、「対話者」は変わっても、持続的な意志は貫かれているのだ。
 わたしは、編集行為の基本は〈著者を尊重する〉ことだとおもう。
 そこからいえば、吉本隆明の遺された対談やインタビューなどの記録を、編者の恣意的な判断で「テーマ別」に編集することは本質的に不当なのだ。
 吉本隆明の対話は、既に『吉本隆明全対談集』(青土社・全一二巻)として、一九八六年までの殆どが編年体(年代順)で刊行されている。これを考慮せずに、それ以降のものを編むことはできないはずである。
 さらにいえば、現在刊行中の『吉本隆明全集』(晶文社)も編年体である。読者という立場から考えて、それから除外された対談やインタビューも『全集』に対応するように作られるのが妥当といえるだろう。
 それに「対談」と「インタビュー」の差異は曖昧だ。『吉本隆明全対談集』においても、「私の文学を語る」(秋山駿)、「私はなぜ批評家になったか」(柄谷行人)、「わが思索のあと」(小潟昭夫)などは、初出段階では「インタビュー」となっていたけれど、「対談」として組み込まれているからだ。それ以降のものをみても、例えば糸井重里、芹沢俊介、笠原芳光などとの対話は、その区別は難しい。
 ゆえに、わたしは『吉本隆明全集』に匹敵する、対談・鼎談・座談会・インタビューの全てを網羅した(1)『吉本隆明全対話集成』が編まれるべきだと考えている。ただ膨大な巻数になるから不可能かもしれない。
 そこで次善の構想をいえば(2)『吉本隆明対談全集』一対一の対談による、山本薩夫との対談(1957年)から吉本ばななとの対談(2010年)まで。
 それも難しい場合は(3)『続・吉本隆明全対談集』(青土社版後=一九八七年以降)となる。その場合も単行本を含む〈全対談〉を対象とすべきなのだ。
 著者が存命であれば、その意向を聴くことも、相談することもできる。いまとなっては『人生とは何か』(弓立社)や『貧困と思想』(青土社)のような編集本は成立しない。本格的な取り組みが求められることは言うまでもないことだ。
 そこで、「吉本隆明全対話リスト」を提示することにした。

   吉本隆明対話リスト

   ●←対談  ▼←鼎談  ★←座談会 
   *←インタビュー(基本的に聞き手の氏名のあるもの、単行本収録のものなどは記載した)
    単行本=太字表記(聞き手の氏名のないもの・対話形式でないものは除外)
    表記様式[表題→(対話者および聞き手)→掲載誌→収録本(代表的なもの)

1956年(昭和31年)
▼映画合評(佐々木基一・花田清輝)『新日本文学」2月号→「吉本隆明資料集2」(猫々堂)【以下「資料集」と略記】
★映画合評「ホーム・ドラマと時代感覚」(佐々木基一・花田清輝・武田泰淳)『新日本文学』3月号→「資料集2
▼映画合評「積極的テーマをどうえがくか」(佐々木基一・武田泰淳)『新日本文学』4月号→「資料集2
▼映画合評「抒情的暗さから暗さの本質へ」(若杉光夫・佐々木基一)『新日本文学』5月号→「資料集2
★映画合評「だらしない反抗」(佐々木基一・梅崎春生・武田泰淳)『新日本文学』6月号→「資料集2
▼作品合評「特殊から普遍へ」(村松剛・秋山清)『現代詩』7月号→「資料集4
▼芸術運動の今日的課題(岡本潤・花田清輝)『現代詩』8月号→「資料集1
★戦争責任を語る(荒正人・小田切秀雄・平野謙・大熊信行・佐々木基一・白井浩二・杉浦明平・武井昭夫・原田義人・本多秋五・村上兵衛)『近代文学』9月号→「資料集4

1957年(昭和32年)
★詩と政治の問題(黒田喜夫・鈴木茂生・関根弘・中野秀人)『新読書』7月27日号→「資料集10
*『地下水道』の意慾(山本薩夫)『映画評論』12月号→『吉本隆明全著作集14』(勁草書房)

1958年(昭和33年)
★映画・文学・批評(奥野健男・清岡卓行・井上光晴)『映画評論』6月号→「資料集3
★詩は誰が理解するか(関根弘・鮎川信夫・秋山清・小田切秀雄・大西巨人・長谷川龍生)『新日本文学』7月号→「資料集10
★短歌・俳句の文学責任(山本健吉・木俣修・加藤楸邨・久保田正文・窪川鶴次郎)『新日本文学』10月号→「資料集10
★国鉄王国をやぶれ(菅原克巳・鈴木喜緑ほか)『国鉄詩人』第46号11月→「資料集45
▼すぎゆく時代の群像(鶴見俊輔・橋川文三)『日本読書新聞』11月24日・12月1日・8日号→「資料集5

1959年(昭和34年)
★批評の誕生(佐伯彰一・篠田一士・荒正人・佐々木基一・竹西寛子・埴谷雄高・針生一郎・日野啓三・平野謙)『近代文学』1月号→「資料集11
*戦争 思想 抵抗(久野収)『週刊読書人』11月30日号→『吉本隆明全対談集1』(青土社)【以下『全対談集』と略記】

1960年(昭和35年)
★戦後文学の批判と確認 平野謙ーその仕事と人間(高見順・久保田正文:佐伯彰一・本多秋五・山室静・佐々木基一・埴谷雄高)『近代文學』1月号・2月号→「資料集11
★“知識人の責任”とはなにか(竹山道雄・平野謙・林健太郎・江藤淳)『自由』2月号→「資料集5
▼トロツキストと云われても ?共産主義者同盟に聴く?(島成郎・葉山岳夫)『中央公論』4月号→「資料集6
▼反スターリニズムの周辺(黒田寛一・対馬忠行)『早稲田大学新聞』4月13日号→「資料集6
★戦後文学の批判と確認 埴谷雄高ーその仕事と人間(伊達信・鶴見俊輔・日野啓三・荒正人・佐々木基一・本多秋五・山室静・平野謙)『近代文學』5月号6月号→「資料集12
★技術者と哲学(奥野健男・安居院猛・佐藤信行)『工業大学新聞』5月20日号→「資料集6
▼前衛党の不在と全学連の悲劇(斎藤一郎・黒田寛一)『一橋新聞』6月30日号→「資料集7
▼“安保闘争”の前進のために その成果と欠陥の総括(日高六郎・武井昭夫)『週刊読書人』7月4日号→「資料集7
★日本の苦悩に目をそらすな(福田定良・近藤芳美・村松剛) 『短歌研究』8月号→「資料集7
★ゼロからの出発(鶴見俊輔・谷川雁・藤田省三)『日本読書新聞』9月5日、12日号→「資料集8
★戦争と革命(三浦つとむ・山田宗睦・南成四・荒正人・埴谷雄高)『近代文學』11月号→「資料集8
★苦悩する左翼 前衛不在の確認(浅田光輝・三浦つとむ・高木宏夫)『論争』第七号12月→「資料集9

1961年(昭和36年)
▼さしあたってこれだけは(関根弘・谷川雁)『現代詩』3月号→「資料集9
*展開への示唆(安東次男)『俳句』4月号→『全対談集1

1962年(昭和37年)
★日本思想史と転向(小田切秀雄・久野収・平野謙・本多秋五・松本三之介・安田武)思想の科学研究会編『共同研究 転向 下巻』4月20日刊→「資料集13
★モダニズムと短歌をめぐって(松本俊夫、塚本邦雄、秋村功、寺山修司)『短歌』5月号→「資料集12
▼「情況」と「行動」・その他」(谷川雁・村上一郎)『試行』第5号7月31日発行→「資料集9
★ユ62年の思想 ー吉本隆明著「擬制の終焉」をめぐって?(竹内好・日高六郎・山田宗睦)『思想の科学』12月号→「資料集9

1963年(昭和38年)
▼知識人の自立の問題(岡本清一・宍戸恭一)『同志社學生新聞』2月17日号→「資料集149
▼宮沢賢治の価値(中村稔・鶴見俊輔)『現代詩手帖』6月号→「資料集15
★サド裁判弁護側証言(石井恭二・埴谷雄高ほか)『サド裁判 上』8月刊→「資料集46
★左翼文學(平野謙・花田清輝・野間宏)『群像』10月号→「資料集1
★戦後思想の断面(小田切秀雄・野間宏・日高六郎・高見順・大江健三郎)『世代63』11月号→「資料集13
▼これだから分かりやすい・分かりにくい(小海永二・トーマス・ゼンダー)『言語生活』12月号→「資料集16

1964年(昭和39年)
▼何を目指すか(田村隆一・鮎川信夫)『現代詩手帖』5月号→「資料集14
▼戦後文学白書(平野謙・磯田光一)『図書新聞』6月27日号→「資料集1
1965年(昭和40年)
★日本人の経験をめぐって(金子光晴・鮎川信夫・谷川雁・谷川俊太郎・大岡信・岩田宏)『現代詩手帖』12月号→「資料集14

1966年(昭和41年)
*文学と思想(江藤淳)『文藝』1月号→『全対談集1

1967年(昭和42年)
*どこに思想の根拠をおくか(鶴見俊輔)『展望』4月号→『全対談集1
*表現論から幻想論へ(久保覚)『ことばの宇宙』6月号→『共同幻想論
*島尾文学の鍵(島尾敏雄)対談日6月27日『どこに思想の根拠をおくか』収録→『全対談集1
*思想の発生する根本的基盤(伊藤勝彦)『対話・思想の発生 ーヒューマニズムを超えてー』11月30日刊→『全対談集1

1968年(昭和43年)
*現代の文学と思想(高橋和巳)『群像』5月号→『全対談集1
*私の文学を語る(秋山駿)『三田文学』8月号→『全対談集1
▼芸術と現代 ーわれわれにとって映画とは何か(石堂淑朗・小川徹)『映画芸術』9月号→「資料集3
*思想と状況(竹内好)『文藝』10月号→『全対談集1

1969年(昭和44年)
*現実と詩の創造(粟津則雄)『現代詩手帖』3月号→『全対談集1
*現代における思想と実践(松原新一)『群像』5月号→『全対談集1

1970年(昭和45年)
*傍系について(島尾敏雄)『海』5月号→『全対談集2
*言語表現としての芸術 ー詩・評論・小説ー(清岡卓行)『群像』6月号→『全対談集2
*文学と思想の原点(江藤淳)『文藝』8月号→『全対談集2
*勝海舟をめぐって(江藤淳)『勝海舟全集14』11月5日刊→『全対談集2
★現代詩100年の総展望(清岡卓行・大岡信・鮎川信夫)『ユリイカ』12月号→「資料集15
★マルクス者とキリスト者の討論1(田川健三・高尾利数・三島康男)『〈止揚シリーズNO1』12月25日刊→『マルクス 読みかえの方法』(深夜叢書社)

1971年(昭和46年)
*私はなぜ批評家になったか(柄谷行人)『三田文学』2月号→『全対談集2
*日本的戦後のジレンマ(磯田光一)『海』7月号→『全対談集2
*都市は変えられるか(磯崎新)『美術手帖』8月号→『全対談集2
*家・隣人・故郷(小川国夫)『文藝』10月号→『全対談集2
★マルクス者とキリスト者の討論2(三島康男・笠原芳光ほか)『止揚シリーズ2』11月→『マルクス 読みかえの方法』(深夜叢書社)
★戦後詩の全体像(鮎川信夫・清岡卓行・大岡信)『ユリイカ』12月号→「資料集16

1972年(昭和47年)
*観念総体の把握へ(編集部)『日本読書新聞』2月21日号→『思想の基準をめぐって』(深夜叢書社)
*下町について(田村隆一)『日本の底流』第2号5月→『全対談集2
★高村光太郎の世界(高田博厚・高階秀爾・北川太一)『ユリイカ』7月号→「資料集17
★詩論とは何か(鮎川信夫・清岡卓行・大岡信)『ユリイカ』12月号→「資料集17

1973年(昭和48年)
*存在への遡行(鮎川信夫)『現代詩手帖』2月号→『全対談集2
*情況への遡行(鮎川信夫)『現代詩手帖』3月号→『全対談集2
★北原白秋の復権(鮎川信夫・大岡信・山本太郎・入沢康夫)『ユリイカ』12月号→「資料集18

1974年(昭和49年)
*詩は行動する(大岡昇平)『文藝』1月号→『全対談集3
*現代社会における創造(大岡昇平)『文藝』3月号→『全対談集3
*たれにもふれえないなにか/ぼくが真実を口にすると‥‥‥(馬場礼子)『ユリイカ』4月号→『全対談集3
*わが思索のあと(小潟昭夫)『三田文学』5月号6月号→『全対談集3
*帰りがけの威力(富岡多恵子)『現代詩手帖』6月号→『全対談集3
*オカルトの底部にあるもの(藤沢敏雄・司会 小川徹)『映画芸術』10・11月号→『全対談集3
*小林秀雄の現在(清岡卓行)『ユリイカ』10月号→『全対談集3
*意志と自然(鮎川信夫)『現代思想』10月号→『全対談集3
*宗教と幻想(小川国夫)『野性時代』11月号→『全対談集3
★座談II(島尾敏雄・高田欣一・佐藤宗太郎・島亨)『文学・石仏・人性』言叢社11月1日刊→「資料集166・168
*性の幻想(大庭みな子)『野性時代』12月号→『全対談集3
▼昭和詩五〇年をどうとらえるか(鮎川信夫・大岡信)『ユリイカ』12月号→「資料集18

1975年(昭和50年)
*透谷の思想と文学(笠原芳光)『近代キリスト教文学全集1』「月報」1月→『全対談集4
*近代的人間とキリスト教(笠原芳光)『教団新報』1月25日号→『全対談集4
*太宰治とその時代(橋川文三)『ユリイカ』3・4合併号→『全対談集4
*歴史と宗教(三浦雅士)『現代思想』4月号→『思想の根源から』(青土社)
*家族とは何か(鮎川信夫)『伝統と現代』5月号→『全対談集4
▼討議近代詩史1 『新体詩抄』とその周辺(鮎川信夫・大岡信)『現代詩手帖』7月号→『討議近代詩史』(思潮社)
*思想の流儀と原則(鶴見俊輔)『展望』8月号→『全対談集4
*古典をどう読んできたか(大岡信)『國文学ー解釈と教材の研究』9月号→『全対談集4
*意識 革命 宇宙(埴谷雄高)『文藝』9月号→『全対談集4
*精神分裂病とはなにか(森山公夫)『現代思想』9月増刊号→『全対談集4
▼討議近代詩史2 明治期の詩の諸問題(鮎川信夫・大岡信)『現代詩手帖』9月号→『討議近代詩史』(思潮社)
*鏡の国と鉾の国(樋口清之)『野性時代』10月増刊号→『全対談集4
*生死・浄土・終末(小川国夫)『伝統と現代』11月号→『全対談集4
▼思索的渇望の世界(埴谷雄高・秋山駿)『海』11月号→『思索的渇望の世界』(中央公論社)
▼討議近代詩史3 大正期 詩の新たな展開(鮎川信夫・大岡信)『現代詩手帖』11月号→『討議近代詩史』(思潮社)
*新約思想をどうとらえるか(八木誠一)『現代思想』12月号→『全対談集4
*批評・言葉・世界(秋山駿)『群像』12月号→『全対談集4

1976年(昭和51年)
▼討議近代詩史4 昭和詩の動向(鮎川信夫・大岡信)『現代詩手帖』1月号→『討議近代詩史』(思潮社)
*対幻想とはなにか(三浦雅士)『現代思想』1月号→『思想の基準をめぐって』(深夜叢書社)
▼短詩型の伝統と現在(寺田透・大岡信)『文学』1月号→「資料集19
*文学における生と死(磯田光一)『週刊読書人』1月5日・12日・19日号→『全対談集5
▼『思索的渇望の世界』(埴谷雄高・秋山駿)中央公論社1月25日刊
*鬼伝承(島尾敏雄)『野性時代』3月増刊号→『全対談集5
*思想と批評の接点(編集部)『日本読書新聞』7月12日号→『思想の基準をめぐって』(深夜叢書社)
*江戸のチャンチキ、三社の祭り(田村隆一)『野性時代』8月号→『全対談集12
▼『討議 近代詩史』(鮎川信夫・大岡信)思潮社8月1日刊
*小林秀雄の批評の原理(饗庭孝男)『理想』10月→『全対談集12
*青年とは何か(編集部)『ポエム』10月号→『思想の基準をめぐって』(深夜叢書社)
*民話・時間・南島(大山麟五郎)『國文學?解釈と教材の研究』11月増刊号→『全対談集5

1977年(昭和52年)
★小林秀雄をめぐって(桶谷秀昭・饗庭孝男・武田友寿・佐藤泰正)『季刊創造』3、4号4月・7月→「資料集20
*知識人と大衆(ローレンス・オルソン)『現代思想』10月号→『全対談集12
★太宰治と聖書(桶谷秀昭・饗庭孝男・武田友寿・佐藤泰正)『季刊創造』5号10月→「資料集21
*平和の中の主戦場(島尾敏雄)『波』10月号→『全対談集5

1978年(昭和53年)
*戦後詩の危機(鮎川信夫)『磁場』第14号4月→『全対談集5
▼詩歌への感応(寺田透・大岡信)『現代詩手帖』4月号→「資料集19
*大衆・知識・思想(林利幸)『伝統と現代』5月号→『思想の基準をめぐって』(深夜叢書社)
*世界認識の方法(ミシェル・フーコー)『海』7月号→『世界認識の方法』(中公文庫)
*戦後詩を読む(鮎川信夫)『現代詩手帖』10月号→『全対談集5
★小林秀雄をめぐって(石関善治郎・山本圭一ほか)『表象』第6号10月10日→「資料集69
*なぜイエスか(田川建三)『現代思想」11月号→『全対談集12
*定型・非定型の現在と未来(岡井隆)『読書人』11月6日・13日号→『全対談集12
*宗教の体験(笠原芳光)共同通信社配信11月→『全対談集12
▼超越性に向かう詩人の方法(鮎川信夫・大岡信)現代詩読本『高村光太郎』12月→「資料集22
*『ダーウィンを超えて』(今西錦司)朝日出版社12月刊→中公文庫・『全対談集5
*歴史・国家・人間(樺山紘一)『中央公論』12月号→『世界認識の方法』(中公文庫)
*詩について(安原顕)『新刊ニュース』12月号→『読書の方法』(光文社文庫)
*宗教について(編集部)『春秋』12月号・1月号→「資料集69

1979年(昭和54年)
*漱石的主題(佐藤泰正)『國文學ー解釈と教材の研究』5月号→『全対談集6
*世界史のなかのアジア(早川幸彦)『中央公論』5月号→『世界認識の方法』(中公文庫)
★表現者にとっての現代(安達史人・荒川健一・神山貞次郎)『写真試論』第一号5月→『大衆としての現在』(北宋社)
*歎異抄の現在性(鮎川信夫)『現代思想』6月号→『全対談集6
*『対談 文学の戦後』(鮎川信夫)講談社10月刊→講談社文芸文庫・『全対談集6
*戦争体験とアジア神聖帝国(小川徹)『映画芸術』12月→『夏を越した映画』(潮出版社)

1980年(昭和55年)
*自己表現としての〈疎外〉(編集部)『中央公論』1月号→『世界認識の方法』(中公文庫)
*肉体・異国・青春(沢木耕太郎)『平凡パンチ』1月14日・21日・28日号→『全対談集6
*三島由紀夫と太宰治(清水昶)『現代詩手帖』3月号→「資料集71
*批評と学問(三浦雅士)『現代思想」4月号→『読書の方法』(光文社文庫)
★吉本隆明の文学とその軌跡(川端要寿・森啓夫ほか)『全作家』5号4月→「資料集21
*批評にとって作品とは何か(蓮實重彦)『海』7月号→『全対談集6
*表現研究は文学研究たりうるか(菅谷規矩雄)『国文学 解釈と鑑賞』8月号→『全対談集6
*〈マルクス〉 読みかえの方法(高橋順一)『週刊読書人』10月13日号→『マルクス 読みかえの方法』(深夜叢書社)
*歌謡の発生をめぐって(藤井貞和)『國文学?解釈と教材の研究』11月号→『全対談集6
*“大小説”の条件(大西巨人)『すばる』12月号→『全対談集6
*戦後の歴史と文学者(鮎川信夫)『現代詩手帖』12月号→『全対談集6

1981年(昭和56年)
*未来国家のキーワード(編集部)『潮』1月号→『マルクス 読みかえの方法』(深夜叢書社)
●「難しい時代」のくぐり方(出口裕弘)『週刊読書人』1月12日号→『都市とエロス』(深夜叢書社)『全対談集12
●死生観と短歌(寺山修司)『短歌現代』3月号→『全対談集7
●最近の映画について(小川徹)『映画芸術』4月→『夏を越した映画』(潮出版社)
●芥川の問いかけるもの(三好行雄)『國文学ー解釈と教材の研究』5月号→『全対談集7
●作家への視点(山田有策)『国文学 解釈と鑑賞』6月号→『全対談集12
●思想の進化と幻想(鮎川信夫)『現代詩手帖』7月号→『全対談集7
●自己表現としての少女マンガ(萩尾望都)『ユリイカ』7月増刊号→『全対談集7
●思想の生理と原理(鮎川信夫)『思想と幻想』7月刊所収→『全対談集7
●表現意識の変容(鈴木志郎康)『現代詩手帖』8月号→『全対談集12
●「子育ちと教育」を語る(山本哲士)『教育の森』9月号→『教育学校思想』(日本エディター スクール出版部)
●共同幻想について(岸田秀)『現代思想』9月号→『全対談集7
*『増補 最後の親鸞』をめぐって(山崎龍明)『春秋』10月号→『〈信〉の構造1』(春秋社)
●科学の普遍性を問う(長崎浩)『中央公論』10月号→『全対談集12
●日本近代詩への視点(安東次男)『ちくま』10月号→『全対談集7
*吉本隆明氏を囲んで(川崎浩繁・横井久ほか)『近代文学散歩特集号』11月→「資料集76
●詩人の戦争責任と意識(鮎川信夫)『現代詩手帖』12月号→『全対談集7

1982年(昭和57年)
●高村光太郎と現代(北川太一)『春秋』1月号→『全対談集12
*〈均質化時代〉の入り口で(小笠原賢二)『週刊読書人』1月11日号→「資料集74
●現代文学の倫理(江藤淳)『海』4月号→『全対談集7
●現代と若者(三浦雅士)『平凡パンチ』4月12日・19日・26日号→『全対談集7』[3回目は省略]『思想の基準をめぐって』[全文]
*「死」体験の意味(高橋康雄)『潮』5月号→『死の位相学』(潮出版社)
●「開かれた国家」の可能性(J・P・ファーユ)『海』7月号→『全対談集7
●仏教者良寛をめぐって(水上勉)『別冊 墨』第1号7月→『全対談集7
●崩壊の検証(鮎川信夫)『現代詩手帖』8月号→『全対談集7
●最近の映画をめぐって(小川徹)『映画芸術』8月号→『夏を越した映画』(潮出版社)
●どうしても話しておきたかった日本のこと(松岡正剛)『遊』9月号→『全対談集7
*問われる戦中派の生き方(高橋康雄)『潮』11月号→『死の位相学』(潮出版社)
*東洋と西洋の生死観(高橋康雄)『潮』12月号→『死の位相学』(潮出版社)

1983年(昭和58年)
●わが思想と親鸞の世界(中村了権)『自分づくりの思想』2月刊→『全対談集8
●アニメーション、いま新しい段階へ(りんたろう)『野性時代』4月号→『全対談集8
*純文学の世界はノお葬式(手塚優子・雨宮慶子)『博物誌』第10号4月→「資料集79
●いま表出するということ(小島信夫)『海燕』5月号→『全対談集8
●歌の祖形ということ(佐佐木幸綱)『國文学ー解釈と教材の研究』5月号→『全対談集8
●素人の時代(大西巨人)『素人の時代』角川書店5月刊所収→『全対談集7
*「銀河鉄道の夜」にみる死後の世界(高橋康雄)『潮』6月号→『死の位相学』(潮出版社)
*わが賢治ー悲劇の解読(牧野立雄)『宮沢賢治3』7月→「資料集80
●『教育 学校 思想』(山本哲士)日本エディタースクール出版部7月刊[一部『教育の森』掲載]→『全対談集8
●カルチャーの瓦礫の中で(遠藤ミチロウ)『MAZAR』9月号→『全対談集8
★現在をつかまえる方法(三枝浩樹・滝耕作・永田和宏・藤森益弘)『82現代短歌シンポジウムin東京・全記録』9月刊→「資料集21
●『相対幻論』(栗本慎一郎)冬樹社10月刊→角川文庫・『全対談集8
●文学と現在(中上健次)『海燕』11月号→『全対談集9
*書斎と茶の間からみたテレビ(日比野研)『テレビマンユニオン』11月号→「資料集151
●詩のラディカリズムの〈現在〉(鮎川信夫)『現代詩手帖』12月号→『全対談集8
*日本仏教の諸問題(山崎龍明)『〈信〉の構造 全仏教論集成』春秋社12月

1984年(昭和59年)
●賢治の言語をめぐって(原子朗)『國文學ー解釈と教材の研究』1月号→『全対談集9
●大衆をどう捉えるか(西部邁)『エコノミスト』2月7日・14日号→『全対談集9
▼内なる風景、外なる風景(村上龍・坂本龍一)『IN・POCKET』3月号→「資料集23
●「精神の体重」を持った恐竜はどこへ行く(寺本英)『Popular Science』3月→『全対談集9
●ロゴスの深海(梅原猛)『歴史と人物』5月号→『全対談集9
*再生もしくは救済物語について(高橋康雄)『潮』5月号→『死の位相学』(潮出版社)
*[性]を語る(芹沢俊介)『平凡パンチ』5月14日号→『対幻想』(春秋社)
●言葉の現在(高橋源一郎)『SAGE』6月号→『全対談集10
*〈死〉が恐怖でなくなるとき(高橋康雄)『潮』6月号→『死の位相学』(潮出版社)
*『霊界日記』から『空像としての世界』まで(高橋康雄)『潮』7月号→『死の位相学』(潮出版社)
●「枠組」の見えてしまった若者たち(川本三郎)『中央公論』10月号→『全対談集9
●現在における差異(古井由吉)『海燕』11月号→『全対談集8
●批評の言葉はどこまで届くか(浦達也)『潮』11月号→『全対談集9
*『大衆としての現在』(安達史人)北宋社11月5日刊
●〈現在〉としての詩(北川透)『現代詩手帖』12月号→『全対談集9
●〈アジア的ということ〉と〈対幻想〉(山本哲士)『性・労働・婚姻の噴流』12月15日刊→『全対談集9
●「見る」ことの関係をめぐって(伊藤俊治)『写真装置』12月→『全対談集9

1985年(昭和60年)
●「いま」という無意識の方途(磯崎新)『美術手帖』1月号→『全対談集10
●『対幻想』(芹沢俊介)春秋社1月25日刊→『全対談集10
▼サブ・カルチャーと文学(笠井潔・川村湊)『文藝』3月号→『不断革命の時代』(河出書房新社)
▼言葉へ・身体へ・世界へ(伊藤比呂美、ねじめ正一)『現代詩手帖』3月号→「資料集23
★光太郎書をめぐって(疋田寛吉・石川九楊・北川太一)『墨』3月号→「資料集22
*大衆社会におけるエクリチュールの運命(西谷修)『ユリイカ』4月号→『世界認識の臨界へ』(深夜叢書社)
*日本国憲法第1条は廃止すべし(稲垣武)『ボイス』4月増刊→「資料集82
●フェミニズムと家族の無意識(上野千鶴子)『現代思想』6月号→『全対談集9
*現代における言葉のアポリア(編集部)『ユリイカ』6月号→『世界認識の臨界へ』(深夜叢書社)
*『死の位相学』(高橋康雄) 潮出版社6月10刊{『潮』7回断続連載}
●親鸞の〈信〉と〈不信〉(佐藤正英)『現代思想』6月増刊号→『全対談集10
●全否定の原理と倫理(鮎川信夫)『現代詩手帖』8月号→『全対談集10
*広告とシステム(編集部)『宣伝会議』別冊「コピーパワー6」8月→「資料集82
●ハイパー資本主義と日本の中のアジア(川村湊)『文藝』9月号→『全対談集10
*メタファとしての《クラック》(北川透)『あんかるわ』第73号9月→「資料集157
●大衆と感覚がズレてきた(川崎徹)『東京タイムズ』10月7日?25日→『全対談集10
●正常異常の境目が見えない(山崎哲)『東京タイムズ』11月7日?28日→『全対談集10
▼メタファとしての現代(林真理子・栗本慎一郎)『はーべすたあ』11月→『恋愛幻論』(角川書店)
●TVー何がおもしろいかがおもしろい(横澤彪)『東京タイムズ』11月29日?12月18日→『全対談集10
▼インタビュー(高橋丁未子・渡辺誠) 『吉本隆明ヴァリアント』北宋社11月15日→「資料集85」 ●文学者の課題(安達史人)『吉本隆明ヴァリアント』北宋社11月→『全対談集10
●宗教の現在的課題(安達史人)『吉本隆明ヴァリアント』北宋社11月→『全対談集10

1986年(昭和61年)
●日本精神の深層(梅原猛)『中央公論』1月号→『全対談集11
●大川いまむかし(小林信彦)『東京人』1月号→『全対談集11
*僕は、失業と転職の権威なんですよ(編集部)『週刊就職情報』1月16日号→「資料集85
●『音楽機械論』(坂本龍一)トレヴァル1月刊→ちくま学芸文庫・『全対談集11
●遊びと精神医学(町沢静夫)『遊びと精神医学』創元社1月刊→『全対談集11
*「理屈のない面白さ」がいま最も過激である。(編集部)『ON and ON』2月号→「資料集85
*愛と倫理をかたる。(山本かずこ)『鳩よ!』2月号→「資料集85
▼『恋愛幻論』(林真理子・栗本慎一郎)角川書店2月20日刊[一部『はーべすたあ』掲載]
●モードのダイナミクス(山本耀司)『ユリイカ』3月号→『全対談集11
●変容する世界像と不断革命(竹田青嗣)『文藝別冊』3月→『全対談集11
*都市の変容・詩の現在(樋口良澄)『現代詩手帖』5月号→『像としての都市』(弓立社)
*文化のパラドックス(小玉武)『季刊サントリー』9月→「資料集88
●『〈知〉のパトグラフィー』(町沢静夫)海鳴社10月刊→『全対談集11
●吉本隆明の現在(芹沢俊介)『新刊展望』11月号→『全対談集12』(増補)
●言葉・映像・都市(菅谷規矩雄)『現代詩手帖』11月号→『全対談集12
●フィクションの殺戮(三上治)『早稲田文学』11月号→『全対談集12
●『都市とエロス』(出口裕弘){1981年の対談も収録〕深夜叢書社11月10日刊→『全対談集12
*都市と詩(正津勉)『東京詩集III』11月30日刊→『世界認識の臨界へ』(深夜叢書社)
●ぼくらが、愛してゆくこと 老いてゆくこと 詩を書くこと(谷川俊太郎)『鳩よ!』12月号→『全対談集12
●『漱石的主題』(佐藤泰正)春秋社12月刊→『全対談集12

1987年(昭和62年)
★現代文学と世界像(島田雅彦・小林恭二・富岡幸一郎)『海燕』1月号→「資料集24
*日常生活のなかからの言語化(福森俊輔)『ナーシング・トゥディ』1月号「資料集178
*吉本隆明氏を囲んで(松岡祥男・鎌倉諄誠・金廣志ほか)『同行衆通信』24〜28号2月?87年2月→『思想の基準をめぐって』(深夜叢書社)
★菊屋まつりフリートーク(瀬尾育生・加藤典洋・竹田青嗣・橋爪大三郎・成田昭男・小浜逸郎・北川透ほか)『菊屋』第34号2月→「資料集25
●善悪を超えた「資本主義」の遊び方(フェリックス・ガタリ)『マリ・クレール』4月号→『よろこばしい邂逅』(青土社)『大情況論』(弓立社)
●『ハイ・イメージ論』をめぐって(笠井潔)『オルガン』第2号4月→『よろこばしい邂逅』(青土社)
●漱石が創った女たち(小川国夫)『國文学?解釈と教材の研究』5月号→「資料集91
*〈アジア的〉ということと現在(藤井東)『宿沢あぐり』1〜5・1月〜6月→『マルクス 読みかえの方法』(深夜叢書社)
●家族の幻像(山崎哲)『新劇』8月号→「資料集91」
●瞬間に成り立つ物語(俵万智)『スタジオボイス』8月号→「資料集91」
▼広告は悩んでる(糸井重里・堤清二)『広告の広告の本』8月→「資料集24
▼歴史としての天皇制(網野善彦・川村湊)『文藝』8月→『〈非知〉へ 〈信〉の構造 対話篇』(春秋社)【以下『対話篇』と略記】
●お茶の時間(糸井重里)『クロワッサン』8月25日号→「資料集91
*科学技術を語る(小浜逸郎・高野幸雄)『ておりあ』第6号10月→『「反原発」異論』(論創社)

1988年(昭和63年)
●僧侶ーそのあり方を問い直す(栗原彬)『仏教』第2号1月→『対話篇
●新共同訳「聖書」を読む(小川国夫)『新潮』2月号→『五つの対話』(新潮社)『対話篇
▼そんな批評でいいのか(中上健次・島田雅彦)『いま、吉本隆明25時』2月→「資料集162
●「批評と無意識」をめぐって(宇野邦一)『いま、吉本隆明25時』2月→「資料集162
●共同体への視点と文学(古橋信孝)『國文学?解釈と教材の研究』3月号→「資料集93
●エロス・死・権力(竹田青嗣)『オルガン』第4号3月→「資料集93
●ことばの力、うたの心(辺見じゅん)『野性時代』4月号→『ことばの力 うたの心』(幻戯書房)
*ミニコミ誌の意義とは何か(岡本雅美)『水情報』5月号→『資料集94
*永遠性と新しさ(編集部)『日本語』6月号→『世界認識の臨界へ』(深夜叢書社)
▼『春秋』300号を振り返って(山折哲雄・芹沢俊介)『春秋』7月号→「資料集25
●消滅にむかう世界のなかで、「現在」を読みとくための読書論(中沢新一)『マリ・クレール』8月号→『読書の方法』(光文社文庫)
●イメージが脳梁を渡る(養老孟司)『哲学』第4号8月→「資料集96
●なぜ太宰治は死なないのか(高橋源一郎)『新潮』9月号→『五つの対話』(新潮社)
●スピード時代の芸術(リオタール)『マリ・クレール』9月号→「資料集98
★いま、なぜ太宰治なのか(菅谷規矩雄・村瀬学・鈴木貞美・長野隆)『吉本隆明[太宰治]を語る』大和書房10月刊
●文学と非文学の倫理(江藤淳)『文藝』11月→『吉本隆明 江藤淳 全対話』(中公文庫)
*現代キリスト教思想の諸問題(笠原芳光)『〈信〉の構造2』春秋社12月刊

1989年(昭和64年・平成元年)
●天皇制とポスト・モダン(笠原芳光)『春秋』1月号→「資料集98
●昭和天皇とその時代(山折哲雄)共同通信社配信1月9日→『大情況論』(弓立社)
*天皇制および日本宗教の諸問題(笠原芳光)『〈信〉の構造3』春秋社1月刊
★それぞれの南島論(赤坂憲雄・上原生男・比嘉政夫・嵩元政秀・渡名喜明・高良勉)『文藝』2月→『琉球弧の喚起力と南島論』(河出書房新社)
●漂泊者の地誌(佐々木幹郎)『國文学ー解釈と教材の研究』6月号→「資料集101
●「未来元型」を求めて(樋口和彦)『プケシー』8号6月2日発行→「資料集122
●時代をどう超えるか(太田省吾)『水の希望』(弓立社)8月→「資料集101
●神々の原像(山折哲雄)『歴史読本』増刊9月→『対話篇
*ロングインタビュー・生活と思想をめぐって(松岡祥男・粟島久憲・倉本修)『而シテ』第20号9月25日→『世界認識の臨界へ』(深夜叢書社)
●テレビはもっと凄いことになる(松岡祥男)『TBS調査情報』10月号→「資料集92
*「ほんとうの詩、うその詩」など(岡田幸文)『詩の新聞ミッドナイト・プレス』第4号10月→「資料集104
●親鸞における悪と善(佐藤正英)『月刊現代』11月号→『対話篇
▼天皇および家族をめぐって[前篇](中上健次・三上治)『すばる』11月号→『解体される場所』(集英社)
●天皇ーその位置を考え直す(山本七平)『仏教 別冊』第2号11月→『対話篇
▼天皇および家族をめぐって[後篇](中上健次・三上治)『すばる』12月号→『解体される場所』(集英社)

1990年(平成2年)
●「とりかえばや物語」の謎(河合隼雄)『新潮』1月号→『五つの対話』(新潮社)
●賢治・短詩型・南島論(岡井隆)『現代詩手帖』1月号→『詩歌の呼び声』(論創社)
*ポエム インタビュー(編集部)『詩芸術』1月号→「資料集105
●加速する変容(栗本慎一郎)『産経新聞』1月1日から12日→「資料集105
●「恋愛小説」の新しい効用(荒俣宏)『マリ・クレール』2月号→『読書の方法』(光文社文庫)
●一九九〇年代の文化(辻井喬)『新潮』3月号→『五つの対話』(新潮社)
●黙示録と現代(芹沢俊介)『歴史読本ワールド』4月号→『対話篇
●熱中TV対談(清野徹)『おしゃべりな天才たち』4月→「資料集107
●都市、時代そして自然(笠原芳光)『正論』4月号→「資料集107
●ポストモダンとは何か(笠原芳光)『正論』5月号→「資料集107
●身体と言語(養老孟司)『新潮』5月号→『五つの対話』(新潮社)
▼宗教と科学の接点を問う(鶴見俊輔・河合隼雄)『潮』5月号→「資料集26
*猫の話そのほかの話(岡田幸文・山本かずこ)『詩の新聞ミッドナイト・プレス』第6号5月〜9回連載)→『なぜ、猫とつきあうのか』(講談社学術文庫)
*社会主義国家体制の崩壊と一般大衆の理念(小阪修平)『オルガン』第9号6月→『マルクス 読みかえの方法』(深夜叢書社)
*世界認識の臨界へ(樋口良澄)『エイティーズ』7月→『世界認識の臨界へ』(深夜叢書社)
*イメージとして都市をとらえる(梓澤登)『積算技術』147号8月→『資料集126
*永遠なる、究極なるもの(編集部)『アーガマ』9月号→「資料集107
●現代における身体のイメージ(中上健次)アスベスト館9月→『資料集187
▼『解体される場所』(中上健次・三上治)集英社9月刊{『すばる』89年11月号・12月号掲載分を含む}
●対幻想の現在〜疎外論の根源(森崎茂)『パラダイスへの道90』9月→『資料集179
●『天皇制の基層』(赤坂憲雄)作品社9月刊→講談社学術文庫
*『ハイ・エディプス論』(島亨)言叢社10月刊
*宮沢賢治は文学者なのか(松岡祥男)『鳩よ!』11月号→「資料集108
●三島由紀夫の思想と行動(西部邁)『文藝春秋』12月号→「資料集109

1991年(平成3年)
●「超近代」という時代(中沢新一)『マリ・クレール』2月号→「資料集110
●俳句表現のアポリア(夏石番矢)『俳句空間』第17号6月15日→「資料集110
*ヴェーユの現代性(稲葉延子)『シモーヌ・ヴェーユ その劇的生涯』(春秋社)6月→「資料集89
▼詩的な喩をめぐって(斎藤すみ子・大野道夫・坂出裕子・彦坂美喜子)『フェスタ・イン・なごや』6月→「資料集27
*「湾岸戦争と詩」について(岡田幸文)『詩の新聞ミッドナイト・プレス10』9月→『資料集104
●『智恵子抄』の愛の真実(辻井喬)『鳩よ!』10月号→「資料集112
●〈感覚〉から〈心〉に入る歌(中島みゆき)『マリ・クレール』11月号→『余裕のない日本を考える』(コスモの本)
●南島歌謡研究の方法と可能性(玉城政美)玉城政美『南島歌謡論』12月→『全南島論』(作品社)

1992年(平成4年)
*消費資本主義の終焉から贈与価値論へ(中田平・石塚雄人)『Filo』15・16・17号2月→『マルクス 読みかえの方法』(深夜叢書社)
●世界観権力の終焉と言語(瀬尾育生)『現代詩手帖』3月号→「資料集112
*成熟と死と生き延びるもの(中條聡)『ア・ハード・デイズ・ナイト』5月号→『世界認識の臨界へ』(深夜叢書社)
●成熟を阻むもの(町沢静夫)町沢静夫『成熟できない若者たち』5月→「資料集114
*資本主義の死に立ち会える思想を(坂本正彦)『抒情文芸』7月→『マルクス 読みかえの方法』(深夜叢書社)
●『書・文字・アジア』(石川九楊)筑摩書房2012年3月刊[7月13日対談終了]
●いま、何を考えるのか(糸井重里)『広告批評』7・8月号→「資料集114
*女性の究極は母性である(平野勝巳)『自由時間』20号8月→『余裕のない日本を考える』(コスモの本)
●漱石的時間の生命力(古井由吉)『新潮』9月号→「資料集116
*ポスト消費社会へ突入した日本(編集部)『消費の見えざる手』9月→『マルクス 読みかえの方法』(深夜叢書社)
●比類のない“物語”の力(四方田犬彦)『新潮』10月号→「資料集116
●90年代の対幻想(橋本一子)『エスクァイア』12月号→「資料集116

1993年(平成5年)
*戦後50年ほど掘りつづけてきた場所(上原隆)『思想の科学』1・2月号→「資料集117
*テレビ論(石塚雄人)『Filo』18号3月→『資料集117
*死の概念の変遷(山折哲雄)『思想としての死の準備』3月→「資料集118
●日本語を遡行する(古田武彦)『「邪馬台国」徹底論争3』4月→「資料集118
●諸悪の根源は民主・平等の思想(安原顕)『図書新聞』5月{安原顕『ふざけんな!』増補}→「資料集123
●『時代の病理』(田原克拓)春秋社5月刊
●精神の起源をめぐって(北山修)『イマーゴ』6月号→『こころから言葉へ』(弘文堂)
●心の病いの時代(古井由吉)『中央公論文芸特集』9月→「資料集123
●ブッダの実在性から究極の宗教的倫理まで(笠原芳光)笠原芳光『宗教の森』9月→「資料集123
▼尾崎豊は殉教者か(尾崎健一・山下悦子)『宝島30』10月号→「資料集26
●「外側の文学」としてのビジネス書(芹沢俊介)芹沢俊介『「ビジネス書」、時代の欲望』10月→「資料集124
★短詩型文学 百年のパラダイム(三枝昂之・夏石番矢・大西泰世)『新潮増刊 短歌 俳句 川柳 一〇一年』10月→「資料集26
●『こころから言葉へ』(北山修)弘文堂11月刊{一部は『イマーゴ』掲載}
*『農業論拾遺』(太田修){10月19日・11月15日収録} 修羅出版部2015年2月刊
*「転向」の解体(笠井潔)『海燕』12月号→『マルクス 読みかえの方法』(深夜叢書社)
*こころの世紀(大西祐資)『京都新聞』12月16・17日→『資料集123
*滝沢克己をめぐって(末次弘)『〈非知〉へ 〈信〉の構造 対話篇』春秋社12月刊

1994年(平成6年)
▼日本人の「思想」の土台(梅原猛・中沢新一)『新潮』1月号→『日本人は思想したか』(新潮文庫)
▼日本人の「思想」の形成(梅原猛・中沢新一)『新潮』3月号→『日本人は思想したか』(新潮文庫)
▼歌と物語による「思想」(梅原猛・中沢新一)『新潮』5月号→『日本人は思想したか』(新潮文庫)
*論争の流儀と決着の仕方(芹沢俊介)『別冊宝島 達人の論争術』5月→「資料集126
●超常現象と宗教の変容(芹沢俊介)『海燕』6月号→『対幻想 新装増補』(春秋社)
▼地下水脈からの日本宗教(梅原猛・中沢新一)『新潮』7月号→『日本人は思想したか』(新潮文庫)
●現代にみる親と子(北村想)『きざし』第4号7月→『資料集161
▼「近代の超克」から「現代の超克」(梅原猛・中沢新一)『新潮』9月号→『日本人は思想したか』(新潮文庫)
●村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」は愚作中の愚作か?(安原顕)『クレア』10月号→「資料集130
*原子力・環境・言葉(編集部)『原子力文化』10月号→『「反原発」異論』(論創社)
*三浦和義、科学の現在、そして、詩のノ(岡田幸文)『詩の新聞ミッドナイト・プレス』第16号10月→「資料集104
★蓮如ーその限界と可能性(山折哲雄・川村邦光ほか)『創造の世界』92号11月→「資料集27
*哲人・吉本隆明の世間と世界を透視する(三上治)『自由時間』12月1日号【以降連載29回・その記述省略】→『世紀末ニュースを解読する』(マガジンハウス)
●ミカド・三島由紀夫・そして小沢一郎の「戦後50年」(猪瀬直樹)『週刊ポスト』12月2日号→「資料集130

1995年(平成7年)
●土俵は舞台、力士は役者(川端要壽)『大相撲』1月号→「資料集130
●「社会的な死」と「自然な死」(養老孟司)『先端人』1月号→「資料集132
●戦後思想史から現代思想史へ(山本哲士)『週刊読書人』1月6日号→「資料集130
●美しき哀愁のアナクロ人間への旅(柳美里)『PANjA』2月号→「資料集132
●『対幻想 平成版』(芹沢俊介)春秋社2月刊
*大衆の原像(脇地炯)脇地炯『違和という自然』3月→「資料集132
*『なぜ、猫とつきあうのか』(岡田幸文・山本かずこ)ミッドナイト・プレス3月刊{連載分に増補}→講談社学術文庫
●食の原点に還って(道場六三郎)『新潮』4月増刊→『食べもの探訪記』(光芒社)
●萬有対談(後藤繁雄)『花椿』5月号→「資料集132
*阪神大震災、いじめ、大江健三郎ノ(岡田幸文)『詩の新聞ミッドナイト・プレス』第17号5月→「資料集104
●世紀末を語る(ボードリヤール)『世紀末を語る』紀伊國屋書店6月
▼『日本人は思想したか』(梅原猛・中沢新一)新潮社6月刊{『新潮』連載}→新潮文庫
●毛沢東が好きになった!(辺見庸)『本の話』7月号→『夜と女と毛沢東』(光文社文庫)
★半世紀後の憲法(加藤典洋・竹田青嗣・橋爪大三郎)『思想の科学』7月号→「資料集27
*「ほんたうの神様」と「科学」(守中高明)『文藝』8月→「資料集135
●戦後を超える思考(加藤典洋)共同通信配信(『山梨日日新聞』8月8日〜12日)→「資料集135
*戦後50年を語る(山本哲士・高橋順一・内田隆三・福井憲彦・森反章夫・谷口江里也)『週刊読書人』8月18日〜2000年9月8日号【225回連載・各部終了時に記載】→『吉本隆明が語る戦後55年』(三交社・全12巻)
●消費資本主義と日本の政治(芹沢俊介)『諸君』9月号→『宗教の最終のすがた』(春秋社)
●終戦50年から8・15を見る(松本健一)『歴史読本』9月号→「資料集135
*オウムの問いかけるもの(弓山達也)『産経新聞』9月5日、7日、11日、13日→『超資本主義』(徳間文庫)
  *「戦後50年」第1部『試行』創刊前後(山本哲士ほか)9回連載 10月13日号
●日本の小説が変わる(石黒達昌)『本の旅人』12月号→「資料集137
●“魔の時間”は何処へ(辺見庸)『サントリークォータリー』冬号12月→『夜と女と毛沢東』(光文社文庫)

1996年(平成8年)
●〈核心対談〉オウム真理教(芹沢俊介)『インタ』第3号1月→『宗教の最終のすがた』(春秋社)
●宗教論争(小川国夫)『文学界』2月号→『宗教論争』(小沢書店)
  *「戦後50年」第2部文学理論をめぐって(山本哲士ほか)15回連載 2月9日号
*『学校・宗教・家族の病理』(藤井東・松岡祥男・伊川龍郎)深夜叢書社3月刊
*『世紀末ニュースを解読する』(三上治)マガジンハウス3月刊{『自由時間』連載}
●小説がここから始まるために(鈴木光司)『野性時代』4月号→「資料集140
●女のこと・セックスのこと(辺見庸)『クレア』4月号→『夜と女と毛沢東』(光文社文庫)
*母型論と大洋論(山本哲士・高橋順一)『iichiko』第39号4月→「資料集140
*未知の普遍的な言語へ(岡田幸文)『詩の新聞ミッドナイト・プレス』第19号5月→「資料集104
*ニュースの読み方(編集部)『ダカーポ』6月5日号→「資料集140
  *「戦後50年」第3部『共同幻想論』の世界(山本哲士ほか)16回連載 6月5日号
*『共同幻想論』を語る(中田たか子・萩野正昭)CDーROM版『吉本隆明「共同幻想論」を語る』7月→「資料集124
●『宗教の最終のすがた』(芹沢俊介)春秋社7月20日刊{『諸君』『インタ』に増補}
●文学の「遺伝子」をめぐって(岡井隆)『現代詩手帖』8月号→『詩歌の呼び声』(論創社)

1997年(平成9年)
●世紀末を解く(見田宗介)『東京新聞』1月3・4・6・7・8・9・10・13日→「資料集141
●『吉本隆明×吉本ばなな』(吉本ばなな・司会 渋谷陽一)ロッキング・オン2月刊
  *「戦後50年」第4部フーコーの衝撃(山本哲士ほか)19回連載 2月21日号
●身体と言語(辺見庸)『文學界』3月号→『夜と女と毛沢東』(光文社文庫)
*〈普遍的なポエジー〉へ向けて(編集部)『図書新聞』3月22日→『資料集141
*戦後価値観をひっくり返したオウムと大震災(芹沢俊介)『週刊エコノミスト』5月6/13日号→「資料集141」
●『夜と女と毛沢東』(辺見庸)文藝春秋6月刊{『本の話』『季刊サントリー』『クレア』『文学界』 掲載に加筆}→光文社文庫
  *「戦後50年」第5部戦中から戦後へ(山本哲士ほか)12回連載 7月11日号
*『新・死の位相学』(高橋康雄)春秋社8月刊{6つのインタビューを増補・▽「アフリカ的」段階における〈死〉▽「一言芳談」と日本中世の死の構え▽消費社会のなかの〈死〉▽〈がん〉医療と告知問題▽高村光太郎の言葉の重さ▽宮沢賢治のもうひとつの視線}
●日本のジャーナリズムを考える(安原顕)『講談社ニュース』9月→「資料集145
  *「戦後50年」第6部政治と文学をめぐって(山本哲士ほか)12回連載 10月17日号
*世紀末吉本亭(田近伸和)『ペントハウス』11月号【以降28回連載・その記述省略】→『超「20世紀論」』(アスキー)

1998年(平成10年)
  *「戦後50年」第7部『心的現象論』の世界(山本哲士ほか)15回連載 2月13日号
●戦後思想の系譜(笠原芳光・進行 鈴木隆之)『木野評論』第29号3月15日→「資料集145
●ニュースキャスターはダメなのばっかりですよ(阿川佐和子)『週刊文春』3月26日号→「資料集145
  *「戦後50年」第8部古典の解読(山本哲士ほか)12回連載 5月8日号
  *「戦後50年」第9部親鸞をめぐって(山本哲士ほか15回連載 9月4日号
  *「戦後50年」第10部資本主義の〈現在〉(山本哲士ほか)11回連載 12月4日号
*吉本隆明、まかないめし。(糸井重里)『ほぼ日刊イトイ新聞』12月25日から16回→「資料集186

1999年(平成11年)
●未来への手がかり(鶴見俊輔)共同通信配信『北日本新聞』1月1日→「資料集147
●不透明な時代から(鶴見俊輔)共同通信配信『北日本新聞』1月5、7、8日→「資料集147
*特殊(木村俊介)木村俊介『奇抜の人』2月→「資料集147
*近代の果て、現在の果て(山折哲雄)『宗教と生活』3月25日→「資料集148
  *「戦後50年」第11部『ハイ・イメージ論』をめぐって(山本哲士ほか)15回連載 4月2日号
●現代における匂いとは何か(平田幸子)『匂いを讀む』 光芒社4月
*米沢時代を大いに語る1(斎藤清一・郷右近厚)『米沢時代の吉本隆明について1』5月→齋藤清一編著『米沢時代の吉本隆明』(梟社)【以下『米沢時代』と略記】
●親鸞、そして死(山折哲雄)アエラMOOK『親鸞がわかる』5月10日→「資料集148
  *「戦後50年」第12部丸山真男について(山本哲士ほか)6回連載 5月28日号
*テレビばっかり観てるぜ!(田近伸和)『サイゾー』6月号→「資料集148
*敗戦の日本人にとっての意味(木谷東男)『草思』8月→「資料集148
  *「戦後50年」第13部〈天皇制〉を考える(山本哲士ほか)13回連載 9月3日号
*私の中の少年(編集部)『児童心理』9月号→「資料集146
*『私の「戦争論」』(田近伸和)ぶんか社9月刊→ちくま文庫
*米沢時代を大いに語る2(斎藤清一)『米沢時代の吉本隆明について2』10月→『米沢時代』
*「大衆の原像」を求めて(鵜飼哲雄)『讀賣新聞』10月6日・7日・8日→「資料集150
*贈与の新しい形(赤坂憲雄)『東北学1』10月25日→「資料集150
*『SIGHT』インタビュー(渋谷陽一)『SIGHT』10月号【以降37回連載・「古典を読む」「時代と向き合う」「自著を語る」の3部】
  *「戦後50年」第14部〈少年期〉について(山本哲士ほか)15回連載 12月17日号
●2000年を前に(加藤典洋)『毎日新聞』12月21日、22日、23日→「資料集150

2000年(平成12年)
*米沢時代を大いに語る3(斎藤清一)『米沢時代の吉本隆明について5』4月→『米沢時代』
  *「戦後50年」第15部クリエイティブな詩(山本哲士ほか)18回連載 5月12日号
*考えるということ(後藤繁雄)『季刊アンフィニッシュド』6月30日→「資料集151
●『だいたいで、いいじゃない』(大塚英志)文藝春秋7月刊→文春文庫
  *「戦後50年」第16部批評とは何か(山本哲士ほか)16回連載 9月8日号
*『超「20世紀論」』上・下(田近伸和)アスキー9月刊{『ペントハウス』連載に増補}
●マルクスはヘーゲルを超えたか(長谷川宏)『思想読本ヘーゲル』10月→「資料集151
●『〈老い〉の現在進行形』(三好春樹)春秋社10月刊
*現在に見る理想社会への道(入澤美時)『小説推理』11月号→「資料集154
*フリーター、パラサイト・シングル、家族(?)『吉本隆明が語る戦後55年(1)』12月→『資料集176

2001年(平成13年)
*つながりを生きる(長野量一)『同朋』1月号、2月号→「資料集154
*日本の歴史ブームについて(?)『吉本隆明が語る戦後55年(2)』2月→『資料集178
*世界金融の現場に訊く(村上信和)『吉本隆明が語る戦後55年(3)』3月→『資料集178
*フーコーと革命を語る(山本哲士)『吉本隆明が語る戦後55年(4)』4月
●『日本近代文学の名作』をめぐって(糸井重里)『毎日新聞』5月14日号→「資料集154
*〈幻想〉と〈意志〉の関係をめぐって(山本哲士)『吉本隆明が語る戦後55年(5)』6月
*どう考えたって僕も閉じこもりです(石井志昴ほか)『不登校新聞』7月→「資料集154
*老い、障害、呆け、死とは?(大高智子)オンライン ブックストア『bk1』7月9日→「資料集156
*小林秀雄の近代批評(山本哲士)『季刊iichiko』夏号7月→「資料集154
*吉本隆明、まかないめし二膳目。(糸井重里)『ほぼ日刊イトイ新聞』7月31日から22回→「資料集187
●「荒地」とその時代(高山文彦)『本の旅人』8月号→「資料集156
●死線を超えて(栗本慎一郎)『産経新聞』8月22日から31日まで→「資料集156
*国家が開かれようとしている(山本哲士)『吉本隆明が語る戦後55年(6)』9月
●世界の窓を開く〈表現〉(奈良美智)『ユリイカ』10月号→「資料集156
*言葉はだれのものか(糸井重里)『ほぼ日刊イトイ新聞』11月26日から→「資料集187

2002年(平成14年)
●存在倫理について(加藤典洋)『群像』1月号→「資料集157
*アメリカ同時多発テロ(山本哲士)『吉本隆明が語る戦後55年(7)』2月→『資料集180
*米沢時代を大いに語る4(斎藤清一・林利幸)『米沢時代の吉本隆明について6』5月→『米沢時代』
*メディアを読み解く技術を培うには(wada kyo)『カフェグローブ』5月17日→「資料集157
*現代スポーツとテロリズムに見る玄人性と素人性(山本哲士)『吉本隆明が語る戦後55年(8)』5月
*国家と言語(山本哲士)『吉本隆明が語る戦後55年別巻 高度資本主義国家』三交社7月
*批評は現在をつらぬけるか(田中和生)『三田文学』第70号8月→「資料集157
*僕のメンタルヘルス(森山公夫)『精神医療』第27号8月→『異形の心的現象』(批評社)
*「政治にカネはつきもの」ゆえに演じられる猿芝居(内田隆三)『吉本隆明が語る戦後55年(9)』8月
▼一郎的な言葉を生きること(小森陽一・石原千秋)『漱石研究』第15号9月→「資料集159
*『超「戦争論」』上・下(田近伸和)アスキー11月刊

  2003年(平成15年)
▼家族・老人・男女・同性愛をめぐって(内田隆三・山本哲士)『吉本隆明が語る戦後55年(10)』3月
*ハンセン病と日本的「聖卑一体」の考え方(山本哲士)『吉本隆明が語る戦後55年(11)』7月
*国民は国家から自由だ(石森洋)共同通信配信(高知新聞8月15日)→「資料集159
*わたしのものではない〈固有〉の場所に(芹沢俊介)『現代詩手帖』9月号→「資料集160
*「遠い自註」に浮かぶ舟(芹沢俊介)『現代詩手帖』10月号→「資料集160
*歴史時間を巨視化してとらえなおす(山本哲士)『吉本隆明が語る戦後55年(12)』11月
●持続あるのみ。やめたら、おしまい(遠藤ミチロウ)遠藤ミチロウ『我自由丸ーガジュマル』12月6日→「資料集160
*〈真の人間的解放〉とはなにか(津森和治)『別冊ニッチ』第1号12月25日→「資料集162

2004年(平成16年)
●心と言葉、そのアルケオロジー(中沢新一)『群像』1月号→「資料集162
★詩と思想の60年(加藤典洋・高橋源一郎・瀬尾育生)『文藝別冊 吉本隆明』2月
*『米沢時代の吉本隆明』(齋藤清一・郷右近厚)梟社 6月刊
*自分だけの「あの味」を求めて(宇田川悟)『サントリークォータリー』第76号9月10日→「資料集162
*散歩者インタビュー(武田憲人)『散歩の達人』11月号→「資料集162
*恋愛は残る、明治の残滓(安部俊廣)『日経ビジネス』11月15日号→「資料集163

2005年(平成17年)
*江藤淳よ、どうしてもっと文学に生きなかったのか(田中和生)『三田文学』冬季号2月→「資料集163
▼思想から(佐藤研・笠原芳光)佐藤研・笠原芳光『イエスとはなにか』(春秋社)2月→「資料集163
*哲学者の食卓(宇田川悟)『一冊の本』3月号→「資料集163
*『「食」を語る』(宇田川悟)朝日新聞出版3月刊→朝日文庫
*『幼年論』(芹沢俊介)彩流社6月刊
▼夏目漱石を語る (笠原芳光・安達純)『森』8号7月→『資料集165
●『時代病』(高岡健)ウェイツ7月刊
▼『子供はぜーんぶわかってる』(尾崎光弘・向井吉人)批評社8月刊
*どう生きる? これからの十年(塚本晋也)『ブッククラブ回』10月→『資料集165
●路地の家に移り住んで(石関善治郎)『週刊読書人』12月9日号→『資料集165

2006年(平成18年)
●宗教を問い直す(笠原芳光)『中外日報』1月3日・7日・12日号→『資料集165
*歴史の「事実」をめぐって(大山誠一)『アリーナ2006』4月→「資料集166
*『還りのことば』(芹沢俊介・菅瀬融爾・今津芳文)雲母社5月刊
*『老いの超え方』(佐藤信也)朝日新聞出版5月刊→朝日文庫【版元の不当な処置による部分的な削除あり】
●文学交歓(奥野健男)『奥野健男の仕事』6月6日→「資料集166
●移行する身体(森繁哉)『舞台評論』第3号6月→「資料集166
●超人間、超言語(中沢新一)『群像』9月号→『資料集168
●『思想とはなにか』(笠原芳光)春秋社10月刊
●『「すべてを引き受ける」という思想』(茂木健一郎)[10月10日収録]光文社2012年6月刊

2007年(平成19年)
*9条と日本の戦後思想(渋谷陽一)『SIGHT』1月【『吉本隆明が最後に遺した三十万字』収録漏れ】→『資料集168
*まだ考え中(高橋純子)『論座』4月号→『資料集169
*考えること忘れた日本人(伊藤暢人)『日経ビジネス』4月号→「資料集169
*身近な平等から始めよう(西井泰之)『朝日新聞』4月28日→「資料集169
*「心的現象論」を書いた思想的契機(山本哲士)『iichiko』94号4月→『資料集169
●左翼、根拠地、そして親鸞(中島岳志)『毎日新聞』5月23日→『資料集169
*〈心的なもの〉の根源へ(山本哲士・高橋順一)『週刊読書人』6月15日号→『資料集169
*『自著を語る』(渋谷陽一)ロッキング・オン6月刊
▼日本語の詩とはなにか(野村喜和夫・城戸朱理)『現代詩手帖』7月号→『資料集168
●日本の家族を蝕む第二の敗戦(内田樹)『中央公論』9月号→『資料集168
*『よせやぃ。』(青木司郎・中井健人ほか)ウェイツ9月刊
*秋山清と〈戦後〉という場所(久保隆)『現代詩手帖』10月号→『資料集171
●僕たちの親鸞体験(糸井重里)『ジッポウ』第3号 10月→『資料集171
*戦後のはじまり(高橋順一)『現代思想』12月増刊→『貧困と思想』(青土社)

2008年(平成20年)
●『最後の親鸞』からはじまりの宗教へ(中沢新一)『中央公論』1月号→『資料集171
*2008年について(糸井重里)『ほぼ日刊イトイ新聞』2月19日から7回→「資料集188
*日本のこども(糸井重里)『ほぼ日』4月28日から12回→「資料集188
*ふたつの目(糸井重里)『ほぼ日刊イトイ新聞』7月7日から12回→「資料集188
●吉本隆明さんと(糸井重里)『吉本隆明の声と言葉。』ほぼ日7月
*肯定と疎外(高橋順一)『現代思想』8月増刊→『貧困と思想』(青土社)
*「無形の蓄積」が重要だということだけノ(浅尾大輔)『論座』9月号→「資料集173
*証言・永瀬清子(白根直子)『現代詩手帖』9月号→「資料集173
*男とは、マザーシップと見つけたり(?)『ユリイカ』9月号→『貧困と思想』(青土社)
*太宰の親密さにいかれちゃった(吉村千彰)『東京人』12月増刊→「資料集173
*テレビと落とし穴と未来と。(糸井重里)『ほぼ日刊イトイ新聞』12月25日から7回→「資料集189
*難しくて易しい問題(高橋順一)『貧困と思想』(青土社)12月
*鶴見俊輔 何をどう言っても安心な人(大日方公男)『道の手帖 鶴見俊輔』12月30日刊→「資料集173

2009年(平成21年)
*文学の芸術性(田中和生)『群像』1月号→「資料集173
●短歌のゆくえ(道浦母都子) {1月19日収録}『最後の贈りもの』潮出版社2015年4月刊
*追悼内村剛介さん(大日方公男)『東京新聞』2月9日夕刊→『さよなら吉本隆明』河出書房新社2012年6月増補→『資料集175
*谷川雁 「原点」と「自立」、「工作者」と「庶民」の違いから(大日方公男) 『道の手帖 谷川雁』3月→『資料集175
*ほんとうの考え(糸井重里)『ほぼ日刊イトイ新聞』4月16日から→「資料集189
*今、死をどう考えますか?(木村俊介)『よい「お葬式」入門』8月→「資料集175
●『増補 異形の心的現象』(森山公夫)批評社9月刊{一部『精神医療』掲載}
*天皇制・共産党・戦後民主主義(大日方公男)『中央公論』10月号→「資料集175

2010年(平成22年)
●「人はなぜ?」を語る(糸井重里)『ブルータス』2月15日号→「資料集175
●〈アジア的なもの〉と民主党政権の現在(中沢新一)『中央公論』4月号→「資料集177
*資本主義の新たな段階と政権交代以後の日本の選択(津森和治)『別冊ニッチ』第2号6月→「資料集177
*85歳の現在(北村肇)『週刊金曜日』6月18日号→「資料集177
*柳田国男から日本、普天間問題まで(橘川俊忠)『神奈川大学評論』第66号7月→「資料集177
*「横超」を飲みながら〈横超〉について考える(菅原則生・前川藤一){7月22日収録} 菅原則生『浄土からの視線』弓立社2014年7月→「資料集183」
*中也詩、賢治詩をめぐって(福島泰樹)『中原中也研究』第15号8月→「資料集179
●書くことと生きることは同じじゃないか(よしもとばなな)『新潮』10月号→「資料集179

2011年(平成23年)
*面倒くさいから寝転んでますが(仲俣暁生)『ことば』3月→「資料集179
*東京にいると、暗いんです(宮川匡司)6月17日→『震災後のことば』→『「反原発」異論』(論創社)
*これから人類は危ない橋をとぼとぼ渡っていくことになる(大日方公夫)『思想としての3・11』6月→『「反原発」異論』(論創社)
*風の変わり目(編集部)『ユリイカ』7月号→『「反原発」異論』(論創社)
*資本主義の新たな経済現象と価値論の射程(津森和治)『別冊ニッチ』第3号7月→「資料集181
*性を語る(辻陽介)『VOBO』7月11日→「資料集179
*科学の後戻りはない(宮川匡司)『日本経済新聞』8月5日→『「反原発」異論』(論創社)
*江藤さんについて(大日方公夫)『江藤淳1960』中央公論新社10月→『吉本隆明 江藤淳 全対話』(中公文庫)
*「反原発」異論(野中ツトム)『撃論』第3号11月→『「反原発」異論
*固有値としての自分のために(菊谷倫彦)『kototoi』1〜3・11月〜 「資料集181
*持続する思考、生きた言葉(編集部)『週刊読書人』12月9日号→「資料集183

2012年(平成24年)
*「反原発」で猿になる(編集部)『週刊新潮』1月5・12日号→『「反原発」異論』(論創社)

   (『脈』第101号(2019年5月発行)掲載を改稿)
追補
1982年
*思想の原型そして座礁体験(池田房雄)『真世界』10月号→未収録
*戦後文学と固有の通路(池田房雄)『真世界』11月号→未収録            (2024年2月宿沢あぐり氏提供)


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「吉本隆明の対話 松岡祥男」 ファイル作成:2023.11.22 最終更新日:2024.02.20