この本は吉本隆明の半世紀にわたる、岡井隆(一九二八〜二〇二〇)に関する論考・講演・推薦文と対話を集成したものである。
その初出一覧を掲げるとともに、必要最小限のコメントを付すことにした。底本は『吉本隆明全集』(晶文社)をはじめ最新の刊本に拠った。その記述は必要な場合を除き省略した。
●対談
@定型・非定型の現在と未来(『週刊読書人』一九七八年一一月六日・一三日号)
A賢治・短詩型・南島論(『現代詩手帖』一九九〇年一月号)
B日本語の遺伝子をめぐって(『現代詩手帖』一九九六年八月号)
『岡井隆コレクション8』(思潮社・一九九六年八月刊)に「解説」として収録されたが、「初出」と部分的に相違がある。本書は最新刊を優先するという方針のもと、岡井隆『吉本隆明を読む日』(思潮社・二〇〇二年二月刊)を底本に用いた。
●論考・講演・推薦文
@前衛的な問題(『短歌研究』一九五七年五月号)
A定型と非定型(『短歌研究』一九五七年六月号)
B番犬の尻尾(『短歌研究』一九五七年八月号)
『吉本隆明全集4』の間宮幹彦の解題によれば、「政治と文学 昭和史と短歌・第五集」の総題のもと、「論争 政治と文学と前衛の課題」として、「前衛的な問題」と一緒に、岡井隆「定型という生きものム吉本隆明に応える」が掲載された。これはもともと企画されたものでなく、編集部が吉本隆明に原稿依頼し、その原稿を岡井隆に見せて、反論を求め、同時掲載した。そのため、いきなり論争になったのである。これは言うまでもなく編集部の言論上のルール破りが原因である。
そして、岡井隆は「二十日鼠と野良犬ム再び吉本隆明に応える」(『短歌研究』一九五七年七月号)、「吉本理論への数箇の註」(『短歌研究』一九六一年九月号)を発表している。それらは岡井隆『海への手紙』(白玉書房・一九六二年刊)や『韻律とモチーフ』(大和書房・一九七七年四月刊)などに収録された。
この論争については金子兜太、寺山修司、岩田正、塚本邦雄などが言及している。
C短歌的表現の問題(『短歌研究』一九六〇年二月号)
D短歌的喩の展開(『短歌研究』一九六〇年一一月号)
吉本隆明は論争を踏まえ、「短歌命数論」「三種の詩器」を経て、さらに短歌的表現の核心を解明するためにCDの論考を書いた。これらは推敲のうえ、『言語にとって美とはなにか』の「第V章 1短歌的表現 3短歌的喩」に組み込まれている。
E岡井隆歌集『土地よ、痛みを負え』を読んで(『未来』一一二号一九六一年五月発行)
F回路としての〈自然〉(『月刊エディター』一九七八年三月号)
連載「歳時記」の最終回(第一二回)「春 回路としての〈自然〉」として発表され、 『吉本隆明歳時記』(日本エディタースクール出版部)に収録された。その際「春の章 諸歌人」と改題された。本書は初出表題を採用した。青春期に過ごした山形県米沢に対する愛着を短歌作品に寄せて綴ったもの。
G個の想像力と世界への架橋(『現代短歌シンポジウム・全記録』(雁書館・一九八三年九月刊所収)
一九八二年一一月一三日の82現代短歌シンポジウム実行委員会主催「82現代短歌シ ンポジウムin東京」における講演。会場は東京千代田区・一ツ橋講堂。
H現存する最大の長距離ランナー(『岡井隆全歌集』思潮社・内容見本一九八七年八月)
I一行の物語と普遍的メタファー(『現代詩手帖』一九八七年一二月号)
一九八七年一〇月三日の『岡井隆全歌集T・U』出版記念会における講演。原題「言語表現とマス・イメージ」で、会場は東京新宿区・日本出版クラブ会館。
Jわたしの岡井隆コレクション(『岡井隆コレクション』思潮社・内容見本一九九四年七月)
K『神の仕事場』をめぐって(『岡井隆歌集『神の仕事場』を読む』(砂子屋書房・一九九六年一〇月刊所収)
一九九五年六月一四日砂子屋書房企画、「岡井隆『神の仕事場」を読む」会の講演。会場は東京新宿区・日本出版クラブ会館。
L『神の仕事場』と『獻身』(『短歌研究』一九九五年七月号)
「写生の物語」の第四回として発表された。ここで吉本隆明は岡井隆作品と塚本邦雄作品を意図的に入れ替えている。これに対して『短歌研究』八月号に「吉本隆明氏の連載(前月号)に応えて」という両氏の反論が掲載された。吉本隆明は二人の歌人を挑発することによって、論議の活性化を図ったものと思われる。
M『神の仕事場』の特性(『短歌研究』一九九六年六月号)
N岡井隆(『毎日新聞』二〇〇二年六月二日・九日)
「吉本隆明が読む 現代日本の詩歌」の第九回第一〇回として発表された。聞き手ならびに文章構成は大井浩一。
O高次の短歌的表現(『岡井隆全歌集』思潮社・内容見本二〇〇五年一〇月)
P岡井隆の近業について(『現代詩手帖』二〇〇七年六月号)
吉本隆明の本格的な短歌(和歌)論は、『源実朝』『初期歌謡論』『西行論』『写生の物語』があり、近代以降に限定しても長塚節、斎藤茂吉、石川啄木、近藤芳美、村上一郎、前登志夫、岸上大作、寺山修司、佐佐木幸綱、福島泰樹、辺見じゅん、俵万智などの歌人・歌集論もある。
著書の詩歌に対する関心は根源的で、現代詩は言うに及ばず、短歌、俳句(名前を挙げれば西東三鬼・齋藤愼爾・角川春樹・西川徹郎・夏石番矢ら)、歌曲(「日本のナショナリズム」の唱歌や童謡の考察をはじめ美空ひばり・中島みゆき・忌野清志郎・遠藤ミチロウ・宇多田ヒカルら)までにわたり、折に触れて言及している。それは次の現状認識に根拠をおいている。
現在、日本の詩には、俳句、短歌、現代詩の三種が共存している。江戸期にも俳句、短歌、漢詩が共存していた。中世には、連歌と短歌とが共存していた。古代には、短歌と長歌とが共存していた。しかし、現在、俳句、短歌、現代詩が共存しているとおなじような意味で、日本の詩形が種々に共存していたということは、明治以前にはなかった。少くとも、明治以前においては、短歌、俳句、連歌、長歌の形式的な差異は、詩の形式上の差異と、そこから派生する詩意識上の差異として理解しうるものであった。しかし、現在の、現代詩と、俳句、短歌の相違は、形式上の差異や、定型、非定型の差異としては論じられない断層がある。
(吉本隆明「三種の詩器」)
吉本隆明はこの断層と隔絶の止揚を目指し、〈普遍的なポエジー〉を希求してやまなかったのである。
その点は岡井隆も変わりはしない、さまざまな試みはそれを物語っている。また吉本隆明への関心も、最初の論争文に止まらず、『吉本隆明を読む日』をはじめ多くの論考を執筆しており、それは晩年まで継続された。
詩人と歌人の違いはあっても、実作はもとより、社会的見識と人格的叡智においても、まさに両雄並び立つという様相を呈していたのである。そして、なによりも激しい応酬にはじまりながら、反目や対立へいたることなく、相互に尊重し、良きライバルとしてあったことはきわめて稀なケースといえるだろう。
吉本隆明の遺した短歌は次の四首である。
紫陽花のはなのひとつら手にとりて越の立山われゆかんとす
手をとりてつげたきこともありにしを山河も人もわかれてきにけり
しんしんと蒼きが四方にひろごりぬそのはてにこそ懈惰はさびし
さびしけれどその名は言はじ山に来てひかれる峡の雪をし見るも
(吉本隆明『初期ノート』より・一九四五年作)
これと一緒に、「異人」という詩の「(序曲)」《ひたすらに異神をおいてゆくときにあとふりかえれわがおもう人》を挙げた人もいる。
わたしは岡井隆の逝去に際し、追悼の意を籠めて、この本を編んだ。
これは吉本さんが存命であったなら、本書の刊行を躊躇なく許諾されただろうというおもいに基づくものである。
(2021年8月10日刊)