吉本隆明の『詩学叙説』は、新体詩以前から太平洋戦争期の現代詩までの、詩の歴史を表現の様式の変遷として、体系的かつ構造的に分析したものである。これをトータルに論評することは、残念ながら、私の力量では難しい。このことを最初に言っておかないと、ここから先、何を書こうと、半ば誤魔化しになってしまう。そんな言説が横行している。
ろくに読んでもいない浅はかな批判や、イデオロギー的な利害に基づく中傷が行使されるなか、私は吉本氏の許諾を得て、『吉本隆明資料集』を自家発行している。「鼎談・座談会篇」、雑誌『試行』の復刻版。第42集(二〇〇四年十二月)から「初出・拾遺篇」を始め『文学者の戦争責任』、飯塚書店版の『高村光太郎』、そして『詩学叙説』にも収録された「日本近代詩の源流」の初出「日本現代詩論争史」を復元した。初出では、花田清輝をはじめとするスターリニズムとの激しい応酬があり、それが北村透谷と山路愛山の論争などとクロスしている。歴史的な論争を分析し整理するのが目的ではなく、あくまでも現在的な格闘としてあるという、吉本隆明の基本的な姿勢を物語るものだ。しかし私の方は、すぐに壁にぶちあたった。それは初出と未収録を対象にするという建前から、例えば「詩人論序説」のような単行本としては未刊で、『吉本隆明全著作集』に収録された著作群が立ち塞がったのである。現在では『全著作集』は入手困難だ。これらは重要な論考である。そう思っても、方針を変更するわけにはゆかない。それで仕方なしに、いずれ全集が刊行されるだろうからそれに委ねるしかない、と思うことにした。そんなところへ『詩学叙説』が刊行されたのである。
『詩学叙説』は、一九五〇年代後半及び六〇年代に発表されたものと、二一世紀に突入してからの「詩学叙説」(正・続)から構成されている。まず、驚いたのはこれだけの年代の隔たりがありながら、少しも断絶も違和感もなく、体系的に繋がっていることであった。〈吉本詩学〉というべきものが構想され、それが内在的に持続展開されているのだということに思い到った。
〈吉本詩学〉は雄大である。『初期歌謡論』『西行論』『源実朝』『良寛』『高村光太郎』『宮沢賢治』『戦後詩史論』『写生の物語』といった詩歌や歌人や詩人を、直接論じた著書はもとより、親鸞論には「和讃」の項があり、『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』にも「喩法論」「詩語論」「普遍喩論」などが含まれている。また「日本のナショナリズム」でも唱歌や歌曲を論じている。この重層的な体系を、正面で受けとめ、丹念にたどり、総体として対象化することは、詩歌の未来への道のひとつだといえる。
まずなによりも、詩・短歌・俳句というジャンル分け自体が、本来的には無効である。詩の歴史を明治の新体詩以降に限定し、西欧の詩の模倣を基調とするモダニズムでは、到底、詩の本質に到達することはできない。日本の詩を問題にする限り、その初源への遡行は不可避であり、またそうすることが可能性に繋がることを、吉本隆明ははっきりと射程におさめているのだ。さらにいえば、あらゆる言語表現は、その根底では同じものである。詩を現代詩としてしか考えないような偏狭な思考が、詩の貧困化を呼び込み、全体的な凋落の原因なのだ。吉本隆明は「散文は想像的現実であるが、詩は想像的なもの自体である」とずばり指摘する。その差異を踏まえるならば、梶井基次郎や堀辰雄などの作品も当然詩の領域に入ってくる。ところが、現状にあぐらをかいた現代詩人の一人は、無知にもそれらを詩として解読することを、奇異なものと錯覚する始末である。
「詩学叙説」は七・五調の喪失や象徴詩の問題を扱っているのだが、ここには三木露風の「暗き地平」を富永太郎の詩と取り違えるという、思わぬ〈劇〉も孕まれている。大岡昇平の編集した創元選書版『富永太郎詩集』は広く流布していて、愛読していたものと思われる。その中に露風の「暗き地平」は、「無題」という富永太郎の詩として収録されているとのことだ。吉本隆明は「詩学叙説(正)」執筆前に、『週刊新潮』の「告知板」で、創元社版富永詩集を探している。大岡昇平の編集ミスと、これが〈劇〉の発生の背景といえるだろう。
中原中也や立原道造といった詩人は、文芸が消滅しないかぎり読み継がれるものといえる。しかし、「『四季』派の本質」で摘出されているように、「四季」派の自然感性は伝統意識に同調するものであり、外的な現実が殺到すると脆く崩れ、事変に追従するものでしかなかったのである。それを不問にすることはできない。それは私の中にも深く根をおろしているからだ。
〈吉本詩学〉は、「日本近代詩の源流」の結語で示唆した、透谷の近代意識と鉄幹のナショナリズムの双方を止揚し、詩歌の歴史を通時的に捉え、その基底にある世界史的な現状や液状化する思想情況と、根底的に対峙するものであることは明らかなのだ。
(『現代詩手帖』2006年5月号)