手塚治虫の最終印象

松岡祥男

 少し前のことになるけど、川村寛さんと話していたら、川村さんの知り合いの人が「手塚治虫の代表作は『ブッダ』」と言ったそうだ。それに対して、川村さんは「いや、やっぱり『ブラック・ジャック』でしょう」と言われたとのことだ。そして、おれの意見を求めたんだ。おれは「手塚は断じて『火の鳥』ではなく、『鉄腕アトム』もしくは『ブラック・ジャック』だとおもう」と言った。
 それは最終印象ということだよな。だって、おまえ、手塚のマンガ、手元にないだろう。むかし、読んだきりで。
 家探しすれば『白いパイロット』とか幾つかは見つかるはずだ。『COMIC BOX』の手塚追悼号などの参考資料はあるけどね。白土三平が亡くなったこともあって、あの頃のマンガについて考えることになったんだけど、ちくま文庫で林静一とかつげ忠男や楠勝平の作品集が出ている。殆ど読んでいるものだ。本はあまり買わない。なにしろ読み返すこともないものが溢れているからだ。それで捨てている。
 そう思っても、なかなかうまく行かないだろ。手にすると、これはちょっとなんて思い、躊躇いだしたら決断が鈍る。
 その通りなんだけど、少しずつ捨てている、一気に片づけるんじゃなくてね。ただ小さい文庫本やコミック本は老眼で、だんだんきつくなっているんで、大判のものに買い替える場合もあるよ。
 それじゃ、減ってるのか、増えているのか、分からないじゃないか。
 最近買ったのは『岡田史子作品集』や佐々木マキ『うみべのまち』や萩尾望都『レオくん』と『山へ行く』などだ。そしたら、『うみべのまち』の「あとがき」にこんなことが書いてあった。

「朝日ジャーナル」は私に自由で実験的なマンガを望んでいた。私もその期待に応えていたら、マンガの神様と呼ばれていた人の逆鱗に触れたのである。神様は綜合雑誌に一文を寄せて、私のことを「狂人である」と断じ、「朝日ジャーナルは狂人の作品を載せてはならない。ただちに連載を中止すべきである」と主張したのだった。
                    (佐々木マキ『うみべのまち』「あとがき」)

 こんなことを言われて黙っている必要はない。
 それで、おれは川村さんの協力を得て、手塚治虫の一文を入手した。

 うちの子はまだちいさいのだが、盛んに漫画らしいものを描く。幼児の絵はそれ自体漫画的な感覚のものだが、まあ大抵の場合、意味がわからないので説明を要する。説明をきいても尚更わからないこともある。
 昨年の夏あたりから、朝日ジャーナルに掲載しているSという若い画家の作品が、一部マスコミで取り上げられているが、どうやら学生にちょっとした反響があるそうで、評論家の中にはそれを若い世代の心情を結びつける向きさえある。それによると一般には「わからぬ漫画」で通用しているそうで、ある新聞では、岡本太郎氏はじめ、そうそうたる文化人に、Sの漫画の解釈をしゃべらせていた。
 そんなことをすること自体がまさにモマンガ的モである以上に、なんの価値もないものだが、日本のジャーナリズムや文化人たちはなんと「わからないもの」に好意的であろうかと感心する。当のSはまだプロフェッショナルというには未知数で、本人みずからなにを書こうとしたのかよくわからないといったことを述べている。それを、勝手に、意味ありげな理屈をつけて解説するのは、ジャーナリズムのお手のものかもしれないが実にナンセンスだ。
 なにも「わからぬ漫画」は、Sの発明によるものではない。文春漫画賞の選考の前後には、ばたばたと自費出版の個人作品集が出る。ベテラン、無名とりまぜて、その半分以上が文字通り「わからぬ漫画」集である。
 またデザイナーや純粋美術の方面から、漫画と称して発表されるものも、大半はよくわからない。それを丁寧に漫画界の重鎮たちが推薦文をつけているのもおもしろい。
「むずかしい漫画」というのは、いわゆる共産圏には存在せず、そのハシリは、アメリカのスタインベルグあたりではないかと思われる。彼の「パスポート」という作品集などは、イラストレーションのお遊びのようなものが多く、それも絵が立派だから見られるのだが、一時日本のおとなの漫画に、かれに影響されたらしい難解な作品がかなり出たことがある。
 またこれらの難解漫画は、第二次大戦後の作品で、それ以前には、現在残っている漫画の中にはみあたらない。あったのかもしれないが、霧消してしまっているのだろう。
 ぼくが思うのに、漫画が純粋絵画や装飾から独立してその目的をもった時点で、すでに民衆に「よびかけよう」という姿勢があったはずである。プロパガンダもしくはアッピールの目的で、大衆によびかけるには、よくわかるものを与えなければならないのは常識だ。なぜなら民衆を構成する大部分はコミュニケーションすらもたないてんでんばらばらの人間で、注釈や解説の必要なものでは途端に敬遠してしまうだろう。
 もちろん「わからぬ漫画」も漫画である以上、その存在意義を認めないわけではない。ただ少数の理解者やエリート達に配られるものならば、同人誌や、自費出版の作品集で充分ではないかということだ。
 それがマスコミに載り、「わからぬ漫画」がいやおうなく大衆におしつけられた時、その作品はすでに意義を失っているのである。Sの作品は同人誌的傾向の「ガロ」という雑誌に載っていればよかったのだが、それが発行部数を誇る週刊誌に掲載された時点で、その無意味さがはっきり露呈されたのだ。
(中略)NHKの「あなたのメロディ」で、アマチュアの作詞作曲の応募作品の中に、とびきり個性の強いおもしろいものがあったので、出演してもらおうと思ってNHKが通知を出したら、なんと返事が精神病院からであった。
 さすがに驚いて、ではせめて出演のかわりに、作曲者の写真でもと依頼したら、ものすごい重症患者のポートレートを送ってきたので、ついに不採用になった、というのである。もしこれが知らされずに、そのままNHKで演奏されていたら、批評家は狂人の作品をほめちぎっていたかもしれないのである。
 赤ん坊に絵筆を握らせて作った絵を誰が描いたか知らせずに発表したら、知らぬが仏の文化人の間で熱狂的な理解と賞賛をまきおこすかもしれない。「わからぬ漫画」へわかったような注釈をくっつけた記事を読むたびに、ぼくはふと考えるのである。

            (手塚治虫「わからぬ漫画」『文藝春秋』一九七〇年三月号)

 ひどいな。佐々木マキは手塚の一文に盛っている箇所はあるが、彼は被害者だ。なによりも『文藝春秋』という総合雑誌で、一個の作家(マンガ家)を「S」というふうに言うこと自体が不当であり、侮辱なのだ。「マンガの神様」と自他ともに認める大家から、こんな攻撃を受ければ、誰だって、なんでこんなことを言われなければならないのかと思うだろう。そして、傷ついたに決まっている。
 おれはもっぱら他人の悪口を書いているけど、対象とする相手の発言のもつ〈振り幅〉については、いつも配慮するよう心掛けているつもりだ。ことばは紙の上に字面として平面的に出てくるけど、その内容は現実的だ。それを捉えて、主体に引き寄せないと、野次馬的になってしまう。〈客観的〉ということと〈事実〉(=字義通り)ということは異なるはずだ。
 わしはかねてより、手塚治虫は大江健三郎と並んで「変な人」と思っていた。いわゆるNo.1病。そして、ともにスターリン主義の影響を受けていて、きわめて排他的だ。
 手塚治虫がここで言っていることは、スターリン主義の文化観の丸写しで、スターリンの言語論に依拠したものだ。こんな理論は一面的なもので、多くの誤謬を含んでいることは、もはや自明のことになっている。吉本隆明は『言語にとって美とはなにか』において、その限界性を完全に止揚した。それはプロレタリア文化理論の批判的な検討を経て、なされたものだ。文学の芸術的価値と政治的価値という指導理論の間違いを指摘するとともに、文学が政治に従属するという通念を否定し、その自立性を明確にしていった。そもそも文学やマンガに「政治的価値」などない。マルクスの『資本論』がいうように〈使用価値(すなわち表現価値)〉と〈交換価値(すなわち作品価値)〉があり、それがいかなる場合も貫通する。スターリンはそれを支配政策に都合のいいように矮小化したんだ。
 なにが《漫画が純粋絵画や装飾から独立してその目的をもった時点で、すでに民衆に「よびかけよう」という姿勢があったはずである。プロパガンダもしくはアッピールの目的で、大衆によびかけるには、よくわかるものを与えなければならないのは常識だ》だ。文学もマンガも、政治権力の宣伝や啓蒙の具じゃない。そんなことは手塚だって無意識的に分かっていたはずだ。作品の構想を立て、ペンを握り、愛着のあるキャラクターを描き、ストーリーを展開する過程ではその世界に没頭し、自己実現を目指していたことは確実だからだ。そうでなければ、ヒゲオヤジやロック、ランプやお茶の水博士など魅力的な脇役キャラクターが生まれるはずがないのだ。この手塚の反動性をマンガだからといって免罪するつもりはない。なぜなら、マンガを差別しないからだ。
 手塚治虫はどうして若い可能性の芽を摘もうとするのか、それが不可解だ。佐々木マキはあれだけの実験的な試みをやりながら、自己模倣の形跡は認められない。それが作品に対する真摯さを物語っている。ビートルズの歴史的登場をはじめ、アメリカのヒッピー文化の台頭など世界的な動向のなかから現れたものだ。「うみべのまち」「かなしい まっくす」「ピクルス街異聞」などの優れた作品を生み、「旅の天使」の画像で完成した姿を実現している。世代的な感性の表現であるとともに、神戸という港町の雰囲気と風景を象徴しているといえる。一作に絞れば「セブンティーン」じゃないかな。
 そうでなければ、村上春樹が惹かれるはずがないし、『風の歌を聴け』はその影響をかなり受けている。それは短章を重ねあわせる方法によく表れていて、それぞれが佐々木マキのひとコマひとコマに相当するように〈構成〉されているような気もするからね。
 だいたい、槍玉に挙げられている『朝日ジャーナル』に載った作品は、少しも「わからぬ漫画」ではない。そのひとつ「分類学入門」は、ある人物に対して、捕獲網を持った背番号2の採取者の接近(意味付与)、別の採取者の搦めとり、巻きつく紐(解釈)をナイフで切断し逃れようとするが、集中的な採取攻撃を受け、遂には〈標本〉にされたことを描いている。分類学の、いわゆるフィールド・ワークの方法とその結果を風刺し、主体の平面への封じ込めを批判した作品だ。手塚ははじめから理解の扉を閉ざしている。
 中沢新一がバリ島を訪れて、トランス状態に陥る少女の姿を見て凄いと思ったと、ある対談で語っていたけれど、わしから言わせれば、知的な観光客が誑かされているにすぎない。あの島全体は稲作を中心とした農耕社会で、島の中心部に観光客目当ての見世物小屋が作られていて、そこで常設的に興行がなされているのだろう。それを過剰に意味づけして有難がるのは勝手だが、対象的存在からすれば、滑稽な介入で失笑をかうだろう。アジア的な農村の習俗と生産様式の歴史的段階からみれば、そんなことはたやすく理解できることだ。これも人類学や分類学の陥穽のひとつだな。
 まあ、手塚治虫の『ガロ』系に対する敵対意識は異様なところがあったからね。水木しげるが一九六五年に「テレビくん」で講談社児童漫画賞を受賞した時、手塚は『墓場鬼太郎』を指して「水木しげるは盗作をやっている」と言った。これは事実誤認のデマゴギーだ。水木は兎月書房の『妖奇伝』に「幽霊一家」などの鬼太郎シリーズを画いていたが、原稿料が支払われず、三洋社に移り「鬼太郎夜話」を描いた。ところが兎月書房は別の漫画家を使い、鬼太郎シリーズを続けたんだ。当時の貸本業界ではパクリ、模倣などは当たり前のことで、誰も問題にしなかった。すでに不動の地位を確立していた手塚からすれば、社会の底辺に蠢くなんでもありの下層の世界と映ったのかもしれない。明日の糧が得られないとなれば、死活問題で、かっぱらいでもなんでもやるしかないのだ。手塚だって一九二八年生まれで、大阪大空襲を体験し、敗戦後の疲弊した状況をくぐっているはずだ。

異数の世界へおりてゆく かれは名残り
をしげである
のこされた世界の少女と
ささいな生活の秘密をわかちあはなかつたこと
なほ欲望のひとかけらが
ゆたかなパンの香りや 他人の
へりくだつた敬礼
にかはるときの快感をしらなかつたことに
けれど
その世界と世界との袂れは
簡単だつた くらい魂が焼けただれた
首都の瓦礫のうへで支配者にむかつて
いやいやをし
ぼろぼろな戦災少年が
すばやくかれの財布をかすめとつて逃げた
そのときかれの世界もかすめとられたのである

                     (吉本隆明「異数の世界へおりてゆく」)

 手塚治虫はじぶんの存在を脅かすような人が現われると、その足を引っ張ろうとしてきた。水木しげるは「福の神」で、たかが貧乏絵草紙屋でございという位置から「手塚毛虫斎」と言い、「一番病」では棺桶業界に置き代えて、手塚の所業を風刺した。
 こういうことは、知らないといえば済むことじゃないからな。
 おれが実際に直面したのは、手塚の『W3(ワンダースリー)』の場合だ。これは『少年マガジン』に連載されていた。テレビアニメ化も決定していたと思う。それが突然連載中止になった。そして、しばらくして、少し内容を変えて『少年サンデー』で再開された。子ども心にどうしてだろうと思った。後年、手塚の発言や関係者の証言を知ることができた。それによると、『W3』に続いて『宇宙少年ソラン』が『少年マガジン』で始まった。これを見た手塚は「これはじぶんの作品の盗作である」と主張し、連載を中止したのだ。その理由のひとつは、『W3』は主人公が3匹の動物と組むんだけど、「ソラン」も動物を連れていた。それを盗作といったんだ。バカバカしいことさ。『魔女の宅急便』だってクロネコを伴っている。あのアニメはヤマト運輸の宣伝のために企画されたものだからね。それもパクリとなる。手塚は『鉄人28号』やその他のロボット物もみんな盗作と言ったことがある。〈継承〉ということも、〈発展〉ということも認めない、常識外れのマンガ界の専制君主だよ。
 聞いた話によれば、手塚作品は『鉄腕アトム』を別にすれば、そんなに人気はなく、契約期間が過ぎると、すぐ連載終了になるケースが多かったそうだ。それでまた新作というふうにやっていたと。『W3』にしても、雑誌のうしろ(巻末)の方に掲載されていた。類似作の登場でますます落ちると思い、被害妄想的な理由をつけて、中途で降りたのかもしれないな。
 ライバル意識ということで言うと、白土三平に対しては特別だ。『COMIC BOX』六一号に「1982年のマンガ博覧会」のポスターが載っている。これは手塚が画いたものだ。このポスターにはあらゆるヒット作のマンガのキャラクターが画き込まれている。「フクちゃん」から「バカボンのパパ」まで、『月光仮面』から『ベルサイユのばら』、「つげ義春」から「さいとうたかを」まで、だけど白土三平のキャラクターだけはいない。影丸もサスケもね。
 そういうことでいえば、吉本隆明も『ビッグコミック』連載の『MW(ムウ)』の第9章「殺しのプレリュード」に登場した。その「芳元高生(よしもとたかお)」は、どてらを着た小柄な初老でマンションに一人住まいだ。そして、爆弾テロを容認する「危険思想」の持ち主に設定されている。姑息にも変名にしているが、知る人が見れば立ちどころに分かるものだ。手塚は松本善明をはじめ日本共産党と繋がっていたから、その情報によって、この〈虚像〉をでっち上げ、流布したのだ。ここで手塚は完全にスターリン主義の〈グロテスクな走狗〉と化している。文化全般の布置以外、なんの接点もないにも拘らず、こんな卑劣なことをやったのだ。
 おそらく本を読んだこともなければ、詩人であることも知らないだろうね。それでも、吉本隆明は『追悼私記 完全版』をみれば分かるように手塚を評価した。じぶんの子育てにとって手塚作品はとても大きかったと、感謝のことばを綴っている。また白土三平も決して手塚を悪く言うことはなかった。同じ「代々木」支持であっても、白土はデモ隊に加わり、警官隊との衝突を経験している。それが百姓一揆の描写に投影されていて、観念的迎合の手塚とは違う。
 そうだな。
 だからといって、手塚作品を全否定するつもりはないし、『COM』の意義も認める。例えば岡田史子は最初『ガロ』に投稿している。でも採用されなかった。『ガロ』は白土、水木などの貸本系統のマンガ家を主流にしていて、青春ものには冷淡だった。一方『COM』は永島慎二の存在もあり、アシスタントをやっている人たちの登竜門となった。宮谷一彦・岡田史子・青柳裕介などは『COM』が無ければ、あの時期に世に出ることはできなかっただろう。
 高知市内の井上書店という古本屋の店先に、一冊一〇円か二〇円くらいで『COM』が数冊積まれていて、飛びついて買ったのが最初だよな。
 『COM』はまず永島慎二だった。「青春裁判」や「フーテン」。そして、宮谷一彦。その当時は分からなかったが、彼は革マル派のシンパだった。あの時代の断面を象徴していた。みやわき心太郎、岡田史子、青柳裕介。やっぱり地元在住ということもあり、青柳裕介はかなり読んだ。『火の鳥』をおもしろいと思ったことはない、壮大なテーマに比して、歴史認識が通俗的で空虚だったからだ。それよりも藤子不二雄や石ノ森章太郎などが良かったようにおもう。だけど、『COM』は編集方針を変更した。これは潜在的描き手(投稿者)と読者の集まりだった「ぐら・こん」への背信行為だ。あのオープンな広場の雰囲気が『COM』を支えていた。まあ、手塚が『COM』の「ガロ」化を嫌ったこともあっただろうが、あれで雑誌としてはダメになったんだ。おれは即物的なリアリストだから、ほんとうは佐々木マキの抽象性は苦手で、むしろ岡田史子の暗い内向性に近親感を覚える。
 ただ経営実態はまるで違っていたようだぜ。零細の青林堂は資金がないので残業はしない、すべて予算内で運営した。一方、虫プロは大手出版社と同じ編集体制を採っていて、深夜に印刷所に原稿を入れ、そのままタクシーで帰るというふうにやっていたらしい。『少年サンデー』(小学館)や『少年マガジン』(講談社)とは部数が違う。つまり動くお金の桁、規模がまるで違う。それで高利貸しに手を出したあげく、倒産したのだ。この時、大島弓子は『COM』の姉妹誌『ファニー』に「野イバラ荘園」(三一ページ)を描いている。しかし、倒産によって原稿料は出ず、「パンと水の日々」が続いたとのことだ。次の作品で原稿料が貰えた時、「な、なんとお礼を申しあげてよいやらノノ」と回想していた。その後、『ガロ』も原稿料なしになったけどな。
 佐々木マキはもっと言い返してもいいと思う。手塚治虫は「精神病院に入院しているものは人間ではない」がごとく言っている。これが〈根底的な欠陥〉だ。世の「進歩的文化人」の正体といってもいい。この差別意識こそ解体されるべきなのだ。精神病患者であろうと、身障者であろうと、その表現は〈同等〉に扱われて当然だ。こいつら、社会的弱者は保護され尊重されるべきだと言ったりするが、建前にすぎない。こういう欺瞞的態度というのは、主題主義に汚染された連中、いわゆる「社会派」の倒錯現象のひとつだ。例えば死刑になった永山則夫の稚拙な小説を持ち上げたりするだろう。そうじゃなく、ニュートラルに対するべきなのだ。誰が手掛けたものであっても、作品は作品だ。つまり、殺人者が書いたものだからダメということもないし、精神病患者が作った楽曲だから音楽でないということにもならない。逆に肩入れすることもいらない。両方とも邪道ということさ。それに「難解」ということで退けるなら、あらゆる芸術は成り立たない。絵画も音楽も詩も。
 しかし、そこへ到るまでには、まだまだ遠い道のりがあるような気がするな。わしは以前から、作品は自立したものだと思っている。たとえばフォレスト・カーターの『リトル・トリー』は作者が履歴を詐称していたということで袋叩きになったけど、そんなことで、あの作品を葬り去ることはできないはずだ。あれはアメリカの先住民の世界を描き、人類史のゆたかな初源性をみごとに再現した名作だ。また、吉田満の『戦艦大和ノ最期』でいえば、実際には艦長は「大和」と命運を共にしていなかったとしても、あの作品は迫真の叙事詩なのだ。その真情は朽ちることはない。
 もっとつまらないことでいえば、寺山修司の短歌をコラージュだっていうだろう。短歌は五七五七七、俳句は五七五。この定型の字数の枠の中で詠めば、類似した部分が発生するのは当たり前のことだ。そんなことを問題にすること自体がバカバカしい。和歌の歴史や俳句の膨大な裾野を考えれば、同じような歌いぶりやそっくりそのままの句だって見つかるかもしれない。ひとつの歌や句を語彙や語句に分解し、この箇所は誰それのものに似ているなんて言ったって不毛さ。
 それに吉本隆明『源実朝』が指摘しているように「本歌取り」という伝統もあるんだ。つまり『古今集』なら『古今集』をお手本に、それに倣って作歌するという。歌作りは〈模倣と反復〉を本質とすると考えられているからだ。それじゃ、そんなものは全部無意味かといえば、断じてそうはならない。実朝の歌が優れているように。さらにいえば《一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき》(寺山修司)。この一首はじゅうぶんに完結性を持っている。作者の意志が貫かれているからだ。それが作品の独立性ということだ。
 手塚治虫の話に戻ると、ある漫画賞選考会にふれて、手塚は〈当選作がないなら楳図かずおにでもやったらどうだ〉みたいなことを書いていた。なんで怪奇ものというだけで、見下されなければならないのか。いずれにしても、同業者の風上にもおけないものだ。そんなことをいうなら、『鉄腕アトム』だって設定は暗い。交通事故で息子を亡くした天馬博士が、その代わりにアトムを作った。しかし、ロボットだから成長しない、それで売り飛ばしたところから始まっている。逆にいえば、そこが特徴で苦悩するアトムの発するエロスが、共感と愛着の入口なのだ。それが同時期の他のヒーロー漫画との決定的な差異といえる。
 手塚の功罪のうち、上位にくるのはたくさん仕事を引き受けたら偉い(売れっ子)という風潮を作ったことだ。それよりも原稿料の値上げなどに大御所として取り組むべきだった。それが漫画家の地位向上のうえでも、漫画家の創作の基盤形成のうえでも、重要なはずだ。
 それを無いものねだりというんだ。そんなのだったら、佐々木マキに対して、あんなことを言うはずがない。手塚治虫の所業のうち、〈最大の弊害〉はテレビアニメをめぐる画策だ。当時、東映動画は林静一の『赤色エレジー』にも出てくるように労働争議中だった。そんななか、国産テレビアニメを作るために交渉していた。そこへ手塚が『鉄腕アトム』の激安アニメを持ちかけたのだ。これにテレビ局が飛びつかないはずがない。これがアニメーターの劣悪な地獄の労働条件(環境)を作ったのだ。そして、安易で粗雑なテレビアニメの氾濫にもつながった。これを克服することは難しく、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』の登場まで待たなければならなかった。手塚はアニメにおけるA級戦犯なのだ。まあ、「世の中の母親と違って、わたしの母親は世界一だ」という人だからね。母から生まれなかったら、その人は存在しないはず。誰にとっても、母親はかけがえのない存在だ。それをこんなふうに言うんだから、尋常じゃないよ。
 そうは言ってもな、テレビのアトムには夢中だった。かなり離れたテレビのある家へみんなで行って、見せてもらっていたんだ。「空をこえて ラララ 星のかなた ゆくぞ アトム ジェットのかぎり 心やさしい ラララ 科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム」という、谷川俊太郎作詞の主題歌はいまでも口ずさむことができる。佐々木マキはマンガ雑誌は総て回し読みで、好きなマンガとお菓子が目の前にあって、日にやけた畳に腹這いになる時が、幸せな時間だったと述べている。じぶんの場合だったら、お菓子は買えないから、おやつは「からいも(さつまいも)」だったな。焼いたもの、蒸かしたもの、輪切りにして揚げたもの、煮て干したもの、「からいも」で育ったようなものだ。村のお宮に集まり野球をやったり、公孫樹の落ち葉をマットにプロレスごっこに熱中したり、夏の暑い日茅葺の我が家で昼寝したりした記憶が、いまでも救いになっているような気がする。手塚治虫が亡くなったのは一九八九年、佐々木マキの「あとがき」は二〇一一年。いずれにしても古い話だ。
 そうだけど、おれは手塚治虫の振舞いは引っ掛かっていたからね。『アックス』一四四号に佐々木マキが白土三平の追悼文を書いていて、《白土さんが、『ガロ』の新人たちのことを寸評されたことがあって、私については「よくやっているが、所詮モダニズムに過ぎない。むしろ彼はタブローを描くべきだろう」》と言ったそうで、《この評には、いささかしょんぼりしました》と記していた。佐々木マキにとって、そのモダニズムこそがのびのびと息のつける世界だったからだ。そして、『カムイ伝』よりも『忍者武芸帳』と言っていた。
 そうだろうな。『忍者武芸帳』はいわば黒澤明の『七人の侍』、『カムイ伝』はNHKの大河ドラマみたいなものだからな。ついでにいえば、大島渚の映画『忍者武芸帳』は酷かった。原画を撮影して紙芝居みたいな作り方をしていたが、単なる原作のダイジェストでしかなく、どこにも創意は感じられなかった。
 その点、湯浅政明のアニメ『映像研には手を出すな!』は画期的だった。大童澄瞳の原作を凌駕し、ジブリのアニメのレベルを超えた。宮崎駿が手塚アニメを超えたように。そう安西美行さんに伝えたら、次のような返事が返ってきた。

 アニメ『映像研には手を出すな!』は共感より驚異で、松岡さんが言うようにジブリを超えています。
 吉本さんが、数学の引退した名誉教授が地域の小学校に行って、掛け算割り算とは何であるとか、掛けるとなぜ面積が出るのかとか、足すとか引くってことはどういうことなのかという話を教えれば、算数を嫌いな子なんて一人もいなくなる、と言っていましたが、『映像研には手を出すな!』を見ながらそのことを思いだしました。
 アニメーション制作のあらゆる要素をもれなく取りあげられていて、作品そのものと同時に本格的なアニメーション入門の表現にもなっていて、それはもう驚きの連続でした。
『映像研には手を出すな!』の中で、水崎ツバメの母親が娘の描いたアニメを見て、「あの走り方はツバメだ」とわかるシーンがあります。このシーンはアニメでははじめてのことだとおもいます。
 絵を描く人の所作に、描いた絵はたしかに似ます。描いた顔も、描く人の顔に似ます。または強く関心を寄せる人に似ます。
 はじめて手塚治虫の奥さんを見たとき、手塚治虫の描く女性にそっくりでした。楳図かずおの原稿で女性を見たとき女優の新珠三千代そっくりで、「ファンですか」と聞くと「なぜわかったの」とビックリしていました。
 表現は、客観的に外化されたものでなく、水崎親子のようにマンガやアニメ表現を通して相互浸透のように人と人を結びつけるところが面白いところでもあります。


 おれの感じたことを、ちゃんと言ってくれているとおもった。
 そうだな。おまえだって手塚治虫を「巨匠」と思っているだろう。
 うん。『ナンバー7』あたりから『アドルフに告ぐ』くらいまでは読んでいるよ。プロダクション倒産、借金まみれになった手塚は、引退の花道として用意された『少年チャンピオン』の五回連載の予定の作品に打ち込んだ。それが『ブラック・ジャック』だ。これが起死回生につながった、二四四回もつづいたからね。その魅力の半分は、ピノコの存在に支えられている。この印象から再び手塚のマンガに取りつくことができればいいんだけど、もう余裕はないような気がする。
 それは仕方ねえな。手塚治虫がスターリン主義の片棒を担いだことでいえば、いまだって変わりはしない。日本共産党などが勧進元になって、安倍晋三の「国葬」に反対するデモや署名活動をやっているけれど、同じように反対の意志は持っていても、この動きに同調しない。第一に野党は森友、加計問題などを追及し、安倍内閣を退陣に追い込んだわけじゃない。その無能の〈政治責任〉を頬被りし、上野千鶴子みたいな世渡り上手なスターリン主義の末裔が音頭を執って、大衆を動員しようとしているだけだ。それよりも中国の武漢から発生したコロナ感染は拡大し、死者も感染者も連日過去最多を更新している。それなのに政府は対策を放棄するつもりだ。人々の生命を守るためにも、これに真っ先に取り組むべきなのに、じぶんたちの党利党略しか考えていない。いい加減にしろとはこのことだ。政府がこれまでやってきたことはいったい何だったのだ。そのために潰れた居酒屋や職を失った人々のことを考えれば、自らの方針を明確に打ち出し、政府の対策放棄を追及し、コロナ終息を目指せ。あくまでも政治的主題を優先するというのなら、軍備の増強、戦争体制の構築を真っ向から批判し、対峙すべきだ。それができなければ、政治組織としての存在理由はない。
 NHKの「国際報道」なんて、NATO側の戦時下放送だからね。参戦への呼びかけみたいなものさ。もちろん、民意を無視して「国葬」を閣議決定した政府が横暴で、圧倒的に反動であることは明らかだ。
 この愚かさは決して他人事じゃないぜ。ひとりの人間にできることはたかがしれている。でも、その内部に入れば無尽蔵なのだ。
                            (2022年9月17日)


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「手塚治虫の最終印象 松岡祥男」 ファイル作成:2022.10.02 最終更新日:2022.10.03