齋藤愼爾さんを悼む

松岡祥男

 二〇二三年三月二八日、齋藤愼爾さんが亡くなった。八三歳だった。
 地元の友人や雑誌仲間を別とすれば、齋藤愼爾さんは吉本隆明さんに次いで、お世話になった人だ。
 まずなによりも、齋藤さんはわたしの最初の本(『意識としてのアジア』深夜叢書社)を出版してくれた。吉本さんの推奨があったとはいえ、地方の無名の著作を刊行することは暴挙なのだ。資金の乏しい弱小出版社、しかも販路は地方・小出版流通センターしかなく、とても弱い。こちらにそれなりの財力や豊富な人脈があるなら、ある程度買い取って捌くこともできたのだが、そんな力はなかった。だから、採算が採れる見込みは殆どないのだ。それでも、出してくれたのである。この恩義を忘れることはないだろう。
 初めてお会いしたのは、上野の「弁慶」という鰻屋で開かれたわたしの出版記念会だった。そこから四〇年近くにわたる交際がはじまったのである。当日、駒込・吉祥寺の隣の吉本家を訪ね、迎えを待つことになっていた。この機会をとらえ、吉本さんに「わたしの本なんか出して大丈夫でしょうか?」と訊ねた。そしたら、笑いながら「あの人たちはお金がある時はあるから」と言われた。それでかなり気が楽になった。
 齋藤さんは器用貧乏だった。句作にはじまり、小説、評論、評伝、そして編集と多岐に跨っていた。しかし、それらがまっとうに評価されたことはなかったような気がする。
 編集でいえば、その実力は二〇二〇年九月刊行の『金子兜太の〈現在〉』(春陽堂書店)ひとつ採っても歴然としている。周到な目配りと重厚な内容は比類なきものだ。誰が手掛けても、これ以上のものは作れないだろう。それは「アベ政治を許さない」という戦中派・金子兜太の迫力ある揮毫に比しても劣るものではない。
 齋藤さんは本年度の「現代俳句大賞」の受賞が決まっていた。また『ひばり伝』(講談社)で芸術選奨文部科学大臣賞、『周五郎伝』(白水社)でやまなし文学賞を受賞している。しかし、そんなものはその生の実質には届きはしない。
 深夜叢書社の実務を担っていた入江巌さんとのやりとりを聞いたことがある。入江さんが「『池田満寿夫全詩集』の時はたいへんでしたね。皮をなめす作業場に行って、本格的な革装本を作りました。覚えています? 歳月とともに、色が濃くなって立派なものになっています」というと、「そうだった。でも、どうやって売っていいか、分からなかった」と応えた。これが齋藤愼爾さんなのだ。
 鎌倉諄誠『センスとしての現在の根拠』『吉本隆明インタビュー集成』をはじめ、吉本隆明『全マンガ論』(小学館クリエイティブ)などは齋藤さんの計らいで実現したものだ。齋藤さんの厚意がなかったら、わたしは意識的にも立場的にもローカルな存在にとどまっていただろう。
 そして二〇二一年、論創社の吉本隆明著『詩歌の呼び声』の推薦文をお願いした。

「異様なる書物の出現!」が正直な感想。あの吉本隆明が半世紀にもわたって岡井隆に関わる論考、講演、対談をされていたということに驚愕した。短歌的表現の核心を衝く著作として近現代短歌史に光芒を放つ遺産となろう。
   (齋藤愼爾 帯文)

 これが最後の交流となった。
 齋藤さん、ほんとうにありがとうございました。
   『風のたより』第28号2023年6月発行掲載


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「齋藤愼爾さんを悼む 松岡祥男」 ファイル作成:2023.11.14 最終更新日:2023.11.14