その後の山本哲士

松岡祥男

 ご無沙汰しております。
 その後、山本哲士たちの『吉本隆明全集』第30巻リコールというバカ騒ぎがどうなったかといいますと、彼らは破廉恥にも、じぶんたちの〈やった〉ことや〈言った〉ことの責任を一切取らず、この動きに関連するインターネット上の文章を全部消去しました。
 これによって、山本哲士は名実ともに〈亡霊〉と化したのです。
 そして、怨霊のように自身の「ブログ」で恨み事を綴っています。
 最近も、間宮幹彦のことを罵っていました。
 間宮幹彦は小関直(春秋社編集者)とともに、ずっと『試行』の校正を手伝ってきたのです。また吉本ばなな『人生のこつあれこれ2013』(新潮文庫)にも記されているように、彼の全集の編成を著者自身が評価し、喜んでいたのです。
 もっといえば、山本哲士は吉本隆明の著作をめぼしいものしか読んでおらず、それに比して、間宮幹彦は初出の殆どを入手し、読み込んでいます。それに文学音痴の山本哲士に『全集』1〜3の初期の詩を理解することも、まっとうに扱うことも難しいでしょう。実力の差は歴然としています。
 書名改竄という言い掛かりにはじまり、刊行物のリコール・新編集体制の要求を掲げ、署名を呼び掛けたことの自己批判は一言もないのです。
 〈わたしが間違っていました。ごめんなさい〉という器量がないから、グダグダ言い訳し、誤魔化そうとするのです。これがインテリの悪癖のひとつで、きっと胸がインキン癬なのでしょう。
 さらに、2007年に刊行された『心的現象論』は「偽書」であると言い出しました。仮にご乱心・山本哲士の言う通りだとしても、世間はこの弁明を納得しないでしょう。なぜなら、この計画は山本哲士が印刷所に持ち掛けたものであり、それなくして、こんな不始末は起こり得ないからです。要するに、すべての原因は山本哲士自身にあることは誰がみたってはっきりしているのです。
 確たる証拠も残っています。

うちの店ではいまのところ販売予定はありませんが本日発売らしいです
〇吉本隆明著『心的現象論』 発行=文化科学高等研究院(EHESC)出版局
   机上愛蔵版=ハードカバー 布製 特上箱入 B5判750頁 50000円(税込) 限定300部
 普及版=ソフトカバー A5判920頁 20000円(税込)
 *たいへん高価な本ですが、吉本氏本人による加筆修正および「まえがき」や「あとがき」などは無いといううわさです。現在刊行中で残り2冊ですべて揃う「猫々堂版」ですと、同内容が半額以下で読めますから、〈吉本〉本の完全コレクションを目指される方以外には無用かと思われます。それと筑摩書房が編纂中で、いつの日にかは刊行されるであろう「吉本隆明全集」に収録されることが確実ですから、そちらを購入ご予定の方はお待ちになるほうが無難かと思います。
 *ご参考までに「[本]のメルマガ【vol.286】2007年5月25日発行」に掲載された、発行者のメッセージを転載しておきます。
 それにしても先の「イイチコ」でもそうでしたが、なぜ「猫々堂版」を無視しているのかがやや納得できません。
    (京都・三月書房「〈吉本隆明〉本 新刊のお知らせ」2007/05/31)


 要するに、最初から党派的なのです。エゴと亜流思考のブレンドによる独善と排他、それが山本哲士の思想的体質といえるでしょう。
 この『心的現象論』の刊行は、いろんな人の「年譜」や「書誌」にも記載されています。早い順でいけば、

(1)吉田惠吉「吉本隆明 2007年著作リスト」(インターネット「高屋敷の十字路 隆明網」2007年6月23日記述)
(2)高橋忠義「吉本隆明年譜F」(『吉本隆明詩全集1』思潮社2008年6月25日刊・栞)
(3)宿沢あぐり「吉本隆明著書年表」(『現代思想』青土社2008年8月臨時増刊号「吉本隆明 肯定の思想」)

となります。
 山本哲士は《アクションとは、過程です。行為です。記録に残すことが主眼ではない。そしてとても微妙でデリケートです。いろんな関係性や価値や作用が、日ごとに変わります》(「山本哲士ブログ」2023年2月1日)などと言って、なりふり構わず責任を回避しようとしていますが、吉本隆明のいったい何を読んできたというのでしょう。
 吉本隆明は「前世代の詩人たち」(1955年)を皮切りに、戦争責任論を展開しました。それは壷井繁治や岡本潤といった詩人たちが戦時中、戦争に加担する作品を書き、戦意を煽ってきたのに、敗戦後は態度を翻し、じぶんは「戦争に抵抗した」などという虚偽を並べたうえ、日本共産党と結託し、他者の戦争責任を追及するという犯罪的な行動に出たのです。吉本隆明はその豹変と欺瞞性を徹底的に批判しました。
 山本哲士の言うことが通用するなら、「戦争責任論」も「転向論」もはじめから成立しません。もっといえば、〈思想〉も〈文学〉もあった話ではないのです。
 それは誰だって間違えることはあります。その誤りを誤魔化すことなく、認め、克服することが大切であると、吉本隆明は痛切に指摘したのです。

戦争権力がアジアの各地にもたらしたものは、「乱殺と麻薬攻勢」(東京裁判)であり、同胞の隊伍は、数おおくの拷問、凌辱、掠奪、破壊に従事した。このとき、詩人たちはあざむかれたのであろうか。断じてそうではない。同胞の隊伍がアジアの各地にもたらした残虐行為と、現代詩人が、日本の現代詩に、美辞と麗句を武器としてもたらした言葉の残虐行為とは、絶対におなじものである。その根がおなじ日本的庶民意識のなかの残忍さ、非人間さに発しているばかりでなく、残忍さの比重においてもおなじものだ。詩人たちもまた、日本の歴史を凌辱し、乱殺し、コトバの麻薬をもって痴呆状態におとしいれたのである。戦後、これらの現代詩人たちが、じぶんの傷あとを、汚辱を凝視し、そこから脱出しようとする内部の闘いによって詩意識をふかめる道をえらばず、あるいは他の戦争責任を追及することで自己の挫折をいんぺいし、あるいは一時の出来ごころのようにけろりとして、ふたたび手なれた職人的技法とオプティミズムをはんらんさせたとき、かれらは、自ら日本現代詩の汚辱の歴史をそそぐべき役割を放棄したのである。
                           (吉本隆明『高村光太郎』)

 まったく、山本哲士たちのどこが〈吉本隆明研究会〉なのでしょう。山本哲士は《Webの特質は載せたり消したり自在》だと居直っていますが、これは吉本隆明の言語論に根本的に背反するものです。吉本思想の基礎である『言語にとって美とはなにか』は〈表現は主体を指定する〉とはっきり言い切っています。
 また『ハイ・イメージ論U』の「拡張論」をちゃんと読んでいれば、ソシュールとの差異は分かるはずです。それなのに「所記(シニフィエ)」「能記(シニフィアン)」という概念を振り回して、悦に入るのは滑稽です。
 いずれにしても、山本哲士は『教育の森』1981年9月号のインタビューから始まった吉本隆明との交流も、本人のいうところの「研究」著書も、Web文章と同様、みんな〈反古〉にしたのです。  以上が、その後のなりゆきであります。さすがに、ここまで無責任で、これほどブザマとは思っていませんでした。
 では、また。
         (2023年6月9日)


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「その後の山本哲士 松岡祥男」 ファイル作成:2023.06.16 最終更新日:2023.06.17