おれのパンク・ロック

             [『風のたより』第23号2021年8月発行掲載]
松岡祥男

松 北海道の東出隆という人が「北海道横超忌」の軌跡を綴った『わが心の吉本隆明さんと共に』という冊子を送ってくれた。それを読んで、さまざまなことを思った。東出さんは北海道で吉本さんの命日に因んで、「北海道横超忌」を始めた人だ。

猫 「横超忌」というのは、最初、東京で月村敏行が言い出しっぺになり、神山睦美、齋藤愼爾、高橋忠義、脇地炯らが始めたんだよな。それで齋藤さんが「横超忌」と命名したんだ。この命名には、前川藤一が「横超」という日本酒の銘柄を作っていたことが大きく影響している。もちろん、『最後の親鸞』に由来したものだ。

松 一方、北海道の方は三回忌に開催され、それ以降、道内のいろんな人が集まり、活発な活動を続けてきたようだ。高橋秀明などが中心になり、北川透、瀬尾育生、加藤典洋などの講演会を「横超忌」として毎年のように開催している。東出さんの冊子にはその模様が詳細に記されている。

猫 おまえ、この顔ぶれからして、快く思っていなかったんじゃないか。

松 そんなことはないよ。確かに『漏刻』時代の坂井信夫・築山登美夫とのケンカにはじまり、北川透、瀬尾育生、高橋秀明、陶山幾朗、成田昭男など旧『あんかるわ』の面々とは対立しているけれど、だからといって、この動きを否定するつもりはないからね。この中には『吉本隆明資料集』を支援してくれた人たちもいるんだ。

猫 そんなことを言うと、高橋秀明にまた、松岡ってのは「ラーメン屋のおやじ」みたいだって言われるぜ。

松 ハハハ、あれは嬉しかったね。「ラーメン屋のおやじ」のなにが悪い。おいしいラーメンを安く提供して、お客さんに喜んでもらい、商売繁盛なら申し分ないじゃないか。だけど、いいラーメン屋の足下にも及ばなかったよ。仕方のないことだったけれど、『資料集』は頒価が高かった。直接購読者は消費税無し・送料無料にして努力したけれど、少ない年金でやりくりしている人などは購入できなかったとおもう。自己資金がないから恐怖の自転車操業で、とにかく最後までやり遂げることを目指していたからね。

猫 北川透がこういうものはタダで配布すべきみたいなことを言っただろう。バカなことを言うんじゃねえよ。粗末な自家発行物とはいえ、資料蒐集、入力、校正、印刷、製本、発送の、それぞれに労力と費用が掛かる。大学に職を得て、偉くなり、『あんかるわ』時代、じぶんが苦労したことなんかすっかり忘れてるんだ。貧乏人の成り上がりは、そういう陥穽に陥り易い。大学教授になってからの北川透は横暴で、一緒に仕事をしていても、他人の意見を聞かないし、入れようともしない、それで泣かされた人もいると聞いたことがあるぜ。おまえも気をつけるんだな。

松 大丈夫だよ、おれ、偉くなることなんかないから。おれは『吉本隆明資料集』を座談会の発言者や『試行』の復刻版の執筆者や国会図書館は別として、誰にも寄贈していない。それは身銭を切って購入してくれた読者に失礼だからだ。この方針を全一九一集の発行終了まで貫いた。

猫 東出さんの本には、築山登美夫の追悼文もあるな。築山登美夫については言うべきことがあるだろ。

松 むかし山口県の西村光則と『漏刻』の坂井信夫や築山が言い争いになって、多勢に無勢の孤立した西村を見かねて、介入したんだ、そしたら、いつのまにか坂井対松岡という展開になってしまった。あの時、築山は坂井信夫の窮地に助け舟を出すことなく黙った。ところが、おれの北川透批判に関連して、高橋秀明がおれの発言に反発して、『快傑ハリマオ』を粉砕するとヒステリックに喚いた時、築山はその尻馬に乗って、『雷電』三号(「微茫録二〇一一」)でおれのことを書いた。この日和見野郎は、おれの本を読んだことも、『吉本隆明資料集』をろくに見たこともないと言っているくせに、平然と言及している。これは表現者として〈致命的な行為〉だ。世間の噂や仲間内の風評に惑わされることなく、じぶんで読んで判断するのが〈言論の基本〉というものだ。それなのに、築山は愚劣にも予断と偏見の〈憶測〉を並べている。こんなもの、デマゴギーに等しく、この男は最低の屑文章を公表することによって、完全に「糞野郎」に転落したのだ。

猫 まあ、そう急ぐな。おまえが「北川透徹底批判」で、高橋秀明のことにふれたのは一箇所で、数行にすぎない。しかし、その中の「高橋秀明なんか相手にする気はないし」というくだりを、じぶんを蔑ろにしたものと受け取ったんだ。それで逆上した。それが誤解だとしても、おまえが先に持ち出したんだから、当然、彼にはコメントする権利がある。だから、高橋の過剰な反発に対して、おまえは反論しなかった。それで「あいこ」と思っているからだ。

松 まあね。

猫 また『快傑ハリマオ』の主宰者の根石吉久と高橋のやりとりについては、具体的には知らない。おまえの発言で、根石さんに〈とばっちり〉が及んだことは確かだ。それでも、根石さんは詳しいことはなにも言わなかったし、おまえも聞かなかった。客観的にいえば、これは〈雑誌発行者〉と〈寄稿者〉のトラブルだ。おまえの一文とは明らかに〈位相〉が異なる。これを区別できないことが、高橋の被害意識に基づく混乱のひとつだ。何もかも一緒くたにして、敵意をつのらせ、「松岡・根石非難」を言いふらすのは勝手だが、あまり関わりのない人にまで〈同意〉を強要するようになったら、人格崩壊のはじまりだ。

松 おれのせいで、根石さんはいろいろ嫌なおもいをしたとおもう。

猫 そうだな。〈ことばのケンカ〉はそれぞれに深く傷つく。しかし、築山登美夫は違う。こいつはじぶんは安全な場所に身をおき、他人の争いを横目にみて、嘘と曲解の〈身贔屓〉を得々と書き連ねているだけだ。こういう破廉恥漢は、じぶんに火の粉が降りかかりそうになると逃げる。だが、もう遅い。どこに隠れようと、「微茫録二〇一一」は客観的証拠として遺っている。この中の吉本隆明の「松岡宛書簡」の矮小化ひとつとっても、築山の浅ましい〈本性〉は丸見えなのだ。これは「書簡」と対照すれば、誰でも分かることだ。一方、坂井信夫は『漏刻』の一件をいまだに根に持っていて、十年以上前になるけれど、突然、はがきを寄越しただろ。

松 《西村光則はどうしていますか。あなたは大器晩成でしょうか。まさか「少年」という小さな詩集で終わりということはないでしょうね》みたいなことが書いてあった。これに対して【うるせえ、おれには「少年」なんていう詩集は無い。「大器」も「晩成」も関係ねえ、おれの売りはパンクなんだ。莫迦!】なんて、言い返したりせず、あの一件を反芻した文章が掲載された『快傑ハリマオ』第二号を黙って送った。

猫 ところが、二〇一九年にまたしても、坂井信夫から《すでにお忘れでしょうが、『漏刻』の築山が亡くなりました。ところで小生は大兄が吉本隆明論をひそかに書きつづけていると信じているのです。あれほどの言説を吐いているからには当然でしょう。こちらも先がありません。はやく刊行してください。期待しております。では。》(全文)という、はがきが届いたんだよな。

松 ああ。これに対する応答はこうさ。【築山登美夫氏が亡くなったことは知っております。彼が北海道の高橋秀明らと一緒に『雷電』という雑誌を出していたことも、また『吉本隆明質疑応答集』(論創社)の校閲と解説をやられていて、志半ばで病に倒れたことも知っています。貴方のことでいえば、随分以前のことになりますが、小熊秀雄賞を受賞されたことも知っていますし、いろんな詩誌に詩作品を発表されていることも知っております。送られてくる雑誌に貴方の作品や批評文が掲載されていた時は一応目を通しておりました。そして、貴方が近年眼を悪くされたということも、そのことにふれた人がいて、読みました。貴方や築山氏とケンカしたのは三〇年以上前のことです。貴方があの一件をいまだに根に持ち、恨んでいることはよく分かりました。しかし、貴方はじぶんのおもいに蹲っているだけで、なにも見ていないような気がしました。ほんとうはわたしのことなどどうでもいいことです。でも、貴方がこだわっていますのでお答えいたします。貴方は《大兄が吉本隆明論をひそかに書きつづけていると信じている》と言われています。わたしは二〇〇〇年三月から『吉本隆明資料集』(単行本未収録の著作から談話までを網羅することを目指したもの)を自家発行してきました。これが紛れもないわたしの〈吉本隆明論〉だと思っております。そして、『意識としてのアジア』(深夜叢書社)『アジアの終焉』(大和書房)『論註日記』(學藝書林)『物語の森』(ミッドナイト・プレス)『哀愁のストーカー』(ボーダーインク)『猫々堂主人』(ボーダーインク)の六冊の公刊された著書もあります。もっと吉本隆明さんとの関連で記しますと、深夜叢書社の『吉本隆明インタビュー集成』(1〜3巻・別巻1)というシリーズを編集しています。講談社文芸文庫の『吉本隆明対談選』を編集し「解説」を執筆しましたし、『完本 情況への発言』(洋泉社)の「解説」も書きました。その他にも、雑誌『情況』の「吉本隆明追悼号」の編集などいろいろあるのですが、いちいち挙げても煩雑で意味がないでしょう。そんなことはインターネットで検索すれば、すぐに出てきます。著書については「松岡祥男」で、『吉本隆明資料集』については「高屋敷の十字路 隆明網」や京都「三月書房」を検索したら、立ちどころに判明します。さらにいえば《ひそかに》でなく、沖縄の『脈』に「吉本隆明さんのこと」を現在連載中です。それは毎回二〇〜四〇枚で、二〇回目になっています。それらを「見てください」などという気は全くありません。わたしは貴方と違って「神」も「天国」も信じておりません。死んだら終わりだと思っています。ただ、貴方が盲目的に怨恨を抱いているとおもうと、不憫に思えました。お互い《先が》ないかもしれませんが、悔いのないよう生きてください】これでおしまいだ。

猫 坂井信夫なんて知らないかもしれないんで、ちゃんと紹介しておくぜ。坂井信夫は一九四一年生まれ。おまえより十歳年上で、敬虔なキリスト教徒だ。若い時から詩を書き、『影の年代記』をはじめ何冊も詩集があり、詩の同人誌が流通する界隈ではよく知られた存在だ。築山登美夫は一九四九年大阪生まれ、早稲田大学卒業。早い時期に宮下和夫の弓立社から詩集を出している。講談社勤務後、宮下和夫と一緒に『吉本隆明質疑応答集』を手掛けた。全七巻のこのシリーズは築山の逝去によって第三巻で中断した。画期的な企画なのだが、残念なことに第一巻「宗教」の二つの質疑応答において部分的脱落があった。それは「良寛詩の思想」と「喩としての聖書」だ。このミスは宮下の杜撰な編集が主な原因だが、築山も手元の音源のみに依拠し、触手を伸ばして、必要な資料を参照しなかったからだ。

松 〈盲目〉という点では、坂井信夫も築山登美夫も変わりはしない。おれは違う。築山の場合でいえば、奈良の安田有が発行していた『coto』に築山が寄稿していて、目を通していた。また大阪の『BIDS』からの流れの『雷電』も時に応じて読んでいた。さすがに追いかけてまではやらないけれど、じぶんの視野に入ってくる限りで、その動向はみていたさ。おれはどんなに悪態をついても、相手の言説には注意を払っている。それが最低限の礼儀と思っているからだ。高橋から成田昭男にいたる連中のダメなところは、肝心なことを回避しているところだ。@〈北川透と瀬尾育生の抗議と松岡の対応〉、A〈吉本隆明の北川透の抗議を不当とする意思表明〉、B〈北川透の革共同両派の内ゲバに関連して、その「停止の提言」に吉本隆明も加わっていたという出鱈目な発言〉などを、真正面に据えて、「じぶんはこう思う」とはっきり言うべきなんだ。それを明確にせず、いくら北川透を擁護したって無駄なのだ。

猫 だから、徒党的になる。

松 おれは誰の応援も同調も求めはしない。全部、一人で引き受けてきた。それがこいつらとの〈決定的な差異〉と思っているよ。

猫 おまえは、築山の発言に対して即座に対応しなかったよな。

松 ああ。おれの〈敵〉はあくまでも北川透だ。北川透が〈非〉を認めないかぎり、妥協することも和解することもありえない。しかし、それに付随した動きにいちいち反応してたら、際限なくひろがり、収拾がつかなくなる。憂さ晴らしに、こうして言い返すことはあっても、マジでやりあうつもりはないさ。

猫 要するに、みずからの発言と行為の責任を取らない北川透の〈卑怯な態度〉がこの延焼の元凶だ。北川透はいまのじぶんに都合の悪いことは隠匿している。それは『現代詩手帖』二〇一五年二月号に発表された「北川透自筆年譜」をみれば一目瞭然だ。先の@Bはもとより、日本共産党に入党したことなど、どこにも書かれていないからな。

松 どんな立場にあっても、トータルな観点とオープンな姿勢は不可欠だ。築山の『質疑応答集』の仕事は校正のプロらしく丁寧だったけれど、その徒党的な排他性が露呈したのが脱落ミスだ。これは「喩としての聖書」の質疑応答が収録された『吉本隆明資料集』第一五八集と新潟の太田修の出版した『良寛異論』を見て確認すれば、未然に防ぐことができたものだ。これは築山が〈他者の営為〉に対する敬意や配慮を欠いていたことの必然的な帰結なのだ。

猫 おまえ、いまごろ「粗探し」をやって、故人を貶していると思われるのは心外だから、事の経緯をちゃんと言っておけよ。

松 ああ、おれは第一巻が刊行された直後に疎漏に気がついて、すぐに指摘した。改訂されることを願って。そしたら、宮下和夫から返事がきて、「うっかりミス」という返答だった。これには唖然とした。宮下和夫は一九六六年の『自立の思想的拠点』を皮切りに、講演を中心として吉本隆明の本をずっと作ってきた。それがこんなことを言うとは思わなかった。

猫 確かに宮下和夫は長い間、吉本隆明に伴走してきた。だけど、一九九〇年代のある時期に完全に切れている。宮下和夫が『吉本隆明全講演ライブ集』の刊行に着手した時、春秋社の小関直が「どうして宮下さんは吉本隆明に戻ってきたんだろう」と言ったと伝え聞いたくらいだ。

松 それ以降の『「反原発」異論』にしても、『〈未収録〉講演集』にしても、宿沢あぐりの援助なくして成り立たなかったものだ。宿沢さんが資料を提供し、適切なアドバイスをして支えたからだ。だけど、宮下和夫は一九九〇年代の〈空白〉と〈断絶〉を埋めることはできなかったような気がする。それは「うっかりミス」という言い訳に表れているとおもう。ミスはどんな仕事にもつきものだ。だから、それ自体を責めるつもりは全くない。『吉本隆明資料集』にも間違いはあるからね。おれは〈筆者〉と〈読者〉に申し訳ないと思っているよ。そこから言っても、宮下和夫の「吉本隆明さん没後の企画」(『飢餓陣営』五一号)なんて手前勝手の典型だ。これは築山の《吉本氏は「吉本資料集」での吉本氏以外の人の発言は、すべて「引用」とみなして、》などという、吉本隆明の「書簡」の歪曲と通底している。

猫 でもな、『風のたより』二二号で、沖縄の上原昭則君が「松岡さん」は「なんで、ひとの悪口ばかり書くの?」って、そして「読む人は悪口の部分だけはちゃんと覚えているものなのです」と言ってただろ、これは正しい指摘だ。

松 おれ、他に〈芸〉ないからなあ。でも、東出さんたちの北海道横超忌の「空中分解」はほんとうに残念に思っているよ。


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「おれのパンク・ロック 松岡祥男」 ファイル作成:2021.10.11 最終更新日:2021.10.11