ニャンニャン裏通り(その2)

松岡祥男

      4 吉本詩にはじまる雑話 [二〇一〇年二月]

 ある人に、吉本隆明の詩「緑の聖餐」で、『聖家族』第三号(昭和二四年五月発行)に発表された「初出形」と、その後『吉本隆明詩集』(書肆ユリイカ版昭和三三年一月刊行・その後思潮社版)に収録された「詩集版」とがあるが、先入見なしに読んで、どちらがいいか聞かせてほしいと言われたんだ。
 おまえは久しく詩は書いていないし、もともと詩について、つまみ食いぐらいで、ちっとも研鑚を積んでいないだろ。駆け出しが途中棄権したみたいなもんだ。そんなんで判断つくのかよ。
 おれもそう思ったよ。

    緑の聖餐

 よるべない緑の氾濫の底に
 身を横へて臥つてゐるわたし!
 窓辺からいろいろな形をした
 わたしの陰翳がたち去つてゆく
 不具の魂をたずさへて
 深い季節の香りに充ちた
 甍のうへ野のうへなどを
 夢のやうに漂ひながらノノ

 〈もういい はなしておくれ!〉
 愛する者たちに
 寂しい断絶を名告つて
 生贄の山羊のやうに気弱く
 緑のはてを漂浪するノノ

 やがて
 遙か水べの匂ひにちかく
 緑の底に触れあふ音楽を聴きながら
 しづかな風の聖餐を考へてゐる

 わたしの陰翳たち!

  (『聖家族』初出・勁草書房「定本詩集」より)

 それで、
 わかった、待て。もうひとつはこっちが読む。その方が判りやすいからな。

    緑の聖餐

 よるべない緑の氾濫の底に
 身をよこたへて臥つてゐるわたし!
 窓辺からいろいろな形をした
 わたしの陰翳がたち去つてゆく

 不具の魂をたずさへて
 ふかい季節の香りにみちた
 薨のうへ野のうへなどを
 夢のやうに漂ひながらムム

 〈もういい はなしておくれ〉
 愛する者たちに
 さびしい断絶を名告つて
 生贄の仔羊のやうに気弱く
 緑のはてを漂浪するノノ

 やがて
 遙か水べの匂ひにちかく
 緑の底に触れあふ音楽を聴きながら
 しづかな風の聖餐をかんがへてゐる
 わたしの陰翳たち

  (『吉本隆明詩集』より)

 おれは読んで、すぐに「初出形」の方がいいとおもった。ひとつは、「陰翳」に「かげ」とルビがついていることだ。一見なんでもないようだが、ルビがあると、言葉(詩)の流れがスムーズになる。もうひとつ決定的だと思えたのは、最終行の「わたしの陰翳(かげ)たち!」という一行が、行アキで独立していることだ。それによって、最終の一行は、それまでの言葉のすべてを受けて、屹立している。これが「詩集版」のように、最後の連の末尾にあると、この一行はそこに吸収されてしまうだろう。また「!」(感嘆符)の省略も、この結びの一行の強い印象を薄めているとおもう。
 そうだな。じぶんのさまざまな心の陰影が分離してゆき、その遊離の位置から、水辺の環境や、そこでの暮らしへの愛着を詠っている。ひそかな断絶と孤独な愛執の詩だ。その感じは初めの方がより伝わってくる。しかし、ソネット形式ということでいえば、異論が出るかもしれないな。
 一般的に、時間をかければ製品は良くなるとされているだろう。マルクスも労働時間が芸術価値を決定すると、どこかでちょこっと言っているみたいだけど。校正を例にとれば、二回より三回、三回よりもノノという具合に、手間と時間をかければ、確実に誤植は減り、正確さは増す。この話で言っても、「詩集版」の「薨」はたぶん「甍」の誤植だと思うんだけど、何度か見直しているうちに、その相違に気付いたからね。著作でも、批評作品を考えれば、推敲を重ね、手を入れれば、おおむね良くなるとおもう。しかし、詩の場合は、そうとは言えない面があるような気がするね。それは、最初に書いたときの表現意識と、改稿(手入れ時期)の意識は違っているからだ。独りで世界に立ち向かっているような〈初発〉の表現意識を再構成することは難しいし、また集中度も異なるはずだ。だから、詩の場合は、手を加えたものがいいとは限らない気がする。じぶんのことで言えば、おれは「同行衆通信」を活字化するために、中古の和文タイプライターを購入したんだ。いまから思うと、どうしてそんなにやる気になったんだろうと思うんだけど、どうも吉本さんが高知へ来て講演した時に会って、囲む会を開いたことが、何かやる気になる大きな刺戟だったような気がする。それでタイプライターを漫然とつついても、ちっとも習熟しない。そこで何か目標を設定してやれば、少しは上達するかもしれないと考えた。それで、じぶんの詩集をつくることにしたんだ。その打ち込みの際に、じぶんの詩に手を入れた。鎌倉諄誠さんが、その詩集(「ある手記」)の解説を書いてくれたうえに、印刷と製本もやってくれたんだけど、鎌倉さんがそのとき「まっちゃん、直したものより初めの方がいいよ」と指摘してくれたんだ。それで、おれは元に戻した。そういうことは、自分ではなかなか判断がつかないね。
 適切な例じゃないが、わしのように次の手しか考えていないヘボでも、他人のやっている将棋を側で見ていると、いまの一手はまずいとか判るじゃないか。実際に対局するとまるっきり歯が立たない奴同士がやっているのでも。客観的な視線の優位性ってのはあるんじゃないか。ついでに言うと、将棋の高校全国大会に沖縄の代表で出場したことがある上原昭則君に、まぐれ勝ちしたことがある。彼は沖縄から高知の短大へ来ていたんだけど、高知で負けたのはその時が二回目だと言っていた、椿事だよな。
 そういえば、和文タイプの文字盤や予備の活字に無い字が出てくると、よく活字を買いに行ったな。そうやって一字一字補充してたんだ。こんな話はいまでは、いにしえの昔語りだよね。
 そうだな、ガリ版からパソコンまでの印刷関連の変遷を身をもって体験してきたことになるな。
 ガリ版は中学の新聞部のとき知った、高校のときはアジビラを作るのに専らガリ版の世話になったね。活版はちょっとアルバイトで行ったことのあるゴム印屋が版型を活字で組んでいた。写植は就職した印刷屋の社名が「四国写植」だったから、そこでっていうことになる。それから会社は電算写植を導入し、最後にはマックになった。自分も和文タイプからワープロ、パソコンと変わったんだけど、全部中古だからね。義弟が調達してきてくれるんで、助かってるよ。
 おまえが新聞部、笑うぜ。
 事情があったんだよ。当時の大杉中学校は統合中学で、合併された他の中学校の連中は汽車通学だった。それで国鉄の運行時間に合わせて、登下校の時間が決定されていたんだ。それで統合の条件として父兄が要求したのは、近い者と遠い者との格差が無いようにしろというものだったらしい。それで補習なんて禁止だし、またダイヤ変更で下校の列車の時刻まで時間があくことがあると、その待ち時間をクラブ活動に充てていた。そこで全員、クラブ活動を強制されたんだ。それでおれは、なんにもやりたくないから、仕方なく新聞部にしたんだ。それで、クラスの中に文才のある奴がいて、自分らの学級新聞に書いてもらったんだ。彼は在日朝鮮人差別に抗議して、銃をぶっ放して立て籠もり記者会見をやった金嬉老をカッコいい、犯罪に憧れる者もいるだろうとか、音楽の教師のフルートはすばらしくサマになってたとか書いた。それ読んだ担任が泡噴いて、部員全員が呼ばれて説教をくらったこともあったな。あいつも卒業してどこか県外へ就職したんだが、その後どうしているか知らないけどね。世間は、教育はいいことだと思っている。それで、学級の人数が多いと、一人一人に教育が行き届かないなんて言ってるけど、生徒の側から言えば、冗談じゃないよ。娑婆と同じで、クラスの人数が多いと人の〈影〉に隠れることもできるし、目立ちたいと思ったら、他者をかきわけて自己顕示すればいい。それを先公にマンツーマンみたいにやられたら、生徒は逃げ場が無くなって、毎日毎日がきついぜ。そうなると、心の中しか逃げ場はない。で、実際教室から逃亡するかもしれないし、学校自体を忌避することになる。もっと極端な場合を考えれば、回復不可能な病気に落ち込むことにもなりかねない。こういうことはトータルな視野を持って、ほどほどにした方がいいのさ。だいたい、人間に対する基礎認識が狂っているんだ。
 印刷関連機器の発達で、たしかに便利で楽になったな。加筆や削除も簡単にできるし、じぶんでは書けない漢字も表示してくれるからな。読めても書けない字がたくさんあるぜ。ところで、根石さんがおまえのことを「ネットを拒否してる」って言ってるけど、ほんとうか?
 そんなことはないよ。金が無いこともあるが、それ以上に面倒臭いからだよ。第一にネットに接続してブログを開設したりして、変なことを書き込まれたりしたら、気分が悪いし、おまけに匿名なんかでやられると、その不愉快さをもって行くところがたぶん無いとおもう。それにいつもの調子で、思うさま書いたりしたら、それこそ集中攻撃を受けて、炎上ということにもなりかねない。おれ、そんなに精神が図太くないんで、そんなの御免だ。三浦春馬主役の「サムライ・ハイスクール」の乗りでいくと、匿名なんて「おのれ、奸物!」、名を名告れ、その陰険な心根が「口惜しゅうてならぬ」、尋常に勝負しろ、出てこい、なんて思っても、遥かな闇に向かって吠えているようなものだろう。それでも気分を一新できるならいいが、胸のうちにひきこんでこだわることになる。これは非常に精神衛生上よろしくない。そう思うから、やらないだけだよ。とうぜん、そんなの要らざる心配で、おまえがブログやったって、誰も見に来きやしないよって声もあるだろうけどね。それでおれは必要なときは、友人のところや公共施設で見ることにしてるんだ。でも図書館なんか無料なんだけど、有害情報なんていって情報が制限されている。
 有害か、この世に有害でないことなんてあるのかね。すべては両義的で、有害即ち存在意義ってことじゃねえのか。そこでいえば、無害なんて無価値と同じだ。アホじゃねえの。最近、出版物が荒れてきているのは、製作時間をできるだけ短縮し、経費をケチり、編集の手間をなるべく省き、生産性を高めようとしているからだ。その結果、出版界は粗製濫造の様相を呈しているぜ。世間で、一流出版社とか良心的出版社とか言われているところの文庫本だって、あんまり信用できないな。例えば、批評作品などの場合でいうと、その中で引用された文章の出典に当たって校正するなんてことは、ほとんどやっていないような気がする。それで、筆者が引用部分を書き写すときに、間違えていても、そのままになってしまう。もっとひどい場合は、原典との対照もしないのに、校正者が勝手に字句を自己判断で直して、変えてしまうこともあるんじゃないのか。たとえばアンデルセンの童話「みにくいアヒルの子」って、あるだろ。あれでネコがアヒルに、背を丸くしたり、火花を散らしたりできるかって言うところがあるんだけど、その「火花」が「花火」になっているケースがあった。ふつうに文脈をたどれば「花火」になるはずがないのに、この頃の頭の良い連中は、知識はあっても、体験が乏しいし、常識や叡智に欠けるところがあるからな。それで厚かましくも、校正者や編集者の本分を逸脱して、勝手な手入れや訂正をやるケースも増えているようだ。この場合も単なる誤植じゃない気がするぜ。だってよ、初出も単行本も原作通り「火花」となってんだからな。ネコが「花火」散らしたら、それこそ、うちのタマがタマヤ! って空に舞ってしまうぜ。校正っていうのは、著者の原稿や、印刷屋の活字化の際の誤植や誤字を正確に訂正するのが仕事だろ。それを忘れて、余計なことをやるのが自分の能力と錯覚する傾向になってんじゃないのか。それで、どういうことになるかというと、ふつう雑誌に発表され、単行本になり、そして文庫本になれば、それだけ段階を踏んでいるから、誤植や間違いが減って当然だろう、それだけ労働力が累積されたことになるんだから。ところが、逆に質が落てるなんていう、価値法則に反する事態にまでなっている。
 そんなこと言われたら、きついよ。おれ、校正、適性欠いていて、どうしても頭で読んでしまうからね。それに、知識も能力も無いからなあ。そんなことを言い出したら、キリがないよ。先の「緑の聖餐」のことでも、勁草書房の『吉本隆明全著作集』第一巻「定本詩集」の「解題」で、川上春雄さんは「あたらしい刊本の作品を収録するのが原則ではあるが、ここでは形式上より完成度の高い初出誌を収録した」と断り、そのうえで『吉本隆明詩集』のものを参考資料として掲げている。ところが、この川上さんの編集を踏襲した思潮社の『吉本隆明全詩集』と『吉本隆明詩全集』第五巻「定本詩集」のいずれの「解題」も、この経緯を省略し、一言も触れていない。こんな杜撰な編集姿勢がまかり通っている。それでも「詩」の出版社かよ、思潮社なんて信用できないってことになるのさ。同じように言えばね。
 わかった。ところで、民主党の鳩山政権は、内閣の口裏が合わないところがいいな。
 うん。首相と各閣僚の発言や意見がそれぞれ微妙に食い違ったりして、マスコミや野党に転落した自民党なんか、足並みが揃っていないと攻撃材料にしようとしているが、ただの一人の大衆の立場からすれば、その方がいいぜ。口裏合わせや一糸乱れぬ意思統一なんて、面白くないし、ろくでもないこになりそうで、気持ちが悪い。以前、柄谷行人一派が湾岸戦争で「声明」を出した時なんか「個の意志を尊重する」っていう、その言い方まで口が揃っていた。だから、その建て前だけの嘘はすぐにわかった。それだけで、こいつら文学者失格だと思ったね。もっといえば、もっとも個別的であるべき表現者が寄り集まって「声明」を出すこと自体が錯誤なんだ。なんでもそうだけど、言いたいことがあれば、じぶんが書けばいい。また機会をとらえて自由に発言すればいいだけのことだ。こいつら、中東戦争まで文壇政治に使いやがったんだ。
 各省庁の予算要求に対して、「事業仕切り」ということで〈公開〉のやりとりを始めただろう。あれは画期的だ。こんなことはいままで無かった。だいたい、こういうやりとりは、各省庁と政府との間で、まあそこをなんとかとか、これはまあ泣いてもらいましょうってな具合に、関係者間の取引がなされ、その間の過程はほとんど判らないまま決定されてきた。それの過程がオープン化されたんだ。これは絶対にいいぜ。もちろん、その決定に不服や異議があれば、どんどん声を挙げればいい。それで最終決定は政府がやればいいだろう。で、仕切りの過程は知ろうと思えば、誰でもたどることができるから、その決定が妥当なものかはそれぞれが判断できる。また、面白かったのは、慌てた東大や京大とかの大学の学長が共同で抗議声明を出しただろう。それ自体はいいが、その言い草を聞いていると、庶民の側からすれば、この連中がいままでいかに特権を享受してきたか、丸見えだったぜ。甘たれるんじゃないぜ。官僚は学閥で固められているから、そのルートの「顔」や「恩」や「相互利害」の上で、われわれの予算を削るだって、君達は分というものを知りたまえ、国の将来は私達の肩にかかっているのだ、それを考慮しないなら、こちらにも考えがある、なんて言って、そんなのがたぶん通用してきたんだ。これで、そうは容易くはいかなくなったんだ。そりゃ、目先の結果や見込みだけを考えて、未来への投資を怠ると、そのツケがまわってくる惧れはじゅうぶんあるから、なんでも算盤勘定では済まないことも確かだけどな。
 それだけでも、政権交代の意義はあったということだよね。
 ああ。しかし、状況に逆行するものもあるぜ。国民新党の亀井金融相なんて、郵政民営化見直しを売り文句にしているが、郵政は民営化した方がいいんだ。貯金や郵便物を同じ場所で一緒にやっていたのを、無理に仕切りを設けて別々したりするのは変だ。しかし、国の持ち株を売却することも、資産を適性化することも必要なはずだ。だいたい、通信や貯金などの現状を考えてみろよ、郵政のやっていることなんか時代遅れの障害でしかないぜ。事業自体を分割することは要らないが、図体を小さくして小回りがきくように国鉄みたいに、地域分割すればいいんだ。
 そうだね。おれ、最近、郵便局が封筒とか便箋とかの販売を始めたから、値段を聞いてみた。ところが、びっくりするほど高かった。市販のものはもとより、百円ショップなんかと較べると、話にもならない。これが官僚的な発想の貧困を如実に物語っていると思ったね。こんなんで、それの販売のノルマなんかを上から課せられたら、職員は泣くぜ。格別いい商品でもないものを、わざわざ高い金を出して誰が買うというんだ。郵便局の店舗数を考えると、本気で売る気があれば、安くていい物を仕入れることができるはずだ、納入業者だっておおきな販路だからね。上部官僚の思いつきで、こういう関連のものも一応扱っていますということにしたに過ぎないのさ。だけど、窓口なんか以前に較べたら、格段に丁寧で親切になった。昔は切手買いに行って、「記念切手はありませんか」と言ったら、露骨におまえみたいな一見の客に売るものは無いっていう態度を取ったからね。それで「ゆうメール」なんかも、一部開封していないといけないとか、やれ、通信文は入っていないかなど、小うるさいことをいい、おれ、全面開封させられたこともあるよ。客を客と思っていなかったんだ。受けつけてやっている、荷物を届けてやる、有難く思え、こちらは親方日の丸なんだって調子だった。それだけでも、官はダメだ。
 民主党はまだ、権力に染まりきっていないからな。だから、とにかく閣僚がフットワーク良く動いているだろ。前原国交相は群馬のダムにすぐ視察に行ったし、岡田外相は基地問題で沖縄に飛んだり。自民党政権時代の閣僚なんて、関係機関任せで、与えられた答弁を読み上げてただけだ。それで、自分は考えもしなければ、ろくに打ち合わせもしないから、その字句すらまっとうに読めなかったんだ。しかし、前原の日本航空を国の管理下に置くというのは、反動だ。日本航空が大赤字で経営破綻するってんで、アメリカの航空会社と提携するとかって話が持ち上がった。そうしたいのなら、そうさせればいいんだ。仮に日本航空が潰れたからといって、海外との往来が出来なくなるわけじゃないし、多少は不便になるかもしれないが、その補充はいくらでもきくはずだ。それを国が介入して、国民の税金を注ぎ込んで赤字を補填するなんて、ふざけた話だ。それでも経営再建される保証はどこにもないぜ。
 おれ、東京と往き来するときに、よく飛行機を使っていたんだけど、全日空やその他の航空会社に較べたら、日本航空って、もともと官製だったせいかもしれないけど、ひどかったぜ。機種が旧型のボロということもあったが、機内のメンテナンスが行き届いていないせいだと思うけど、煤けた感じだった。おれ、これ、ちょっとやばいんじゃないか、ひょっとしたら墜落するかもしれないという思いが、一瞬かすめたくらいだ。
 くどいようだが、国営なんかより民営の方が、経営からサービスまで健全であるってことは歴史的に実証済みだぜ。福知山線脱線事故をめぐるJR関西の事故調査委員会への度し難い工作ひとつ取ってもな。あれが国有体質の残存のあらわれだ。だから、そんなことに、税金使うな。国に縋れば、なんとかなるなんて思っている日本航空現経営陣なんか無能に決まっている。ここまで大赤字にしたんだ、倒産したって泣き事をいう資格は無いし、自力で再建の方途を、資本提携でも関連企業との合併でもいいが、模索させればいいだけのことだ。国が口出し手出しする必要はないぜ。
 おれは別段、時事的話題が好きなわけじゃない。しかし、小説より社会の動きや事件の方が切実だし、物語の起伏も富んでいるからね。飛行機の話なんか、もうすることがないかもしれないから言うと、以前は機内に喫煙席があったんだけど、それは廃止されて、全面禁煙になった。それはいいよ。数時間我慢すればいいんだから。で、喫煙席が無くなって、どの席でも同じということになったんだけど、こっちは乗るまえにタバコ存分に吸ってるだろ、それで衣服や身体に染みついている。おれ、一度、若いネエちゃんの横になったんだ。すると、そのネエちゃん、もろに嫌な顔して、臭くてたまらないという感じだった。おれは悪いと思ったけど、満席状態だからどうしようもなかった。だから、喫煙者用の席は残すべきだ。そういうことは少し考えればわかることだ。全面禁煙にして顧客サービスの向上を考えているというなら、そういうことも配慮した方がいいのさ。
 おまえな、前にも言ったけど、柄にもなく話が提言めいてくると、つまらないぜ。
 そのネエちゃんが気の毒だっただけだよ。
 テレビのCMで、NTTドコモかなにかのやつで、鉄人28号が出てくるのがあるだろう。映画の『20世紀少年』の都心にロボットが現われたシーンを模倣したやつ。正太郎少年の操縦機の代わりに青年がノート・パソコンを持っているんだが、あれに出てくる鉄人28号のリアルさというのは、横山光輝の原作から、こちらが空想して描いた鉄人28号の極限のような気がして、おおっと思ったな。
 迫力があるね。いろんな技術を駆使しているんだろうけど、『20世紀少年』のあの場面っていうのは、もともと『鉄人28号』からヒントを得たものだと思う。だから、あのCMは元に戻したものとも言えるね。
 子供の頃、原作を読み喜んで育ったものとしては、とうとう、ここまで来たんだと思わせるものがあったな。そうでない者に、この実現性や達成感は伝えがたいし、「別に」とか「何が」って思われるかもしれないが、それでも、これでなにか一つのサイクルがじぶんの中で完結したような気がしたぜ。
 さらば、わが思い入れの漫画の時代ってことだね。『ウルトラマン』に熱中した世代でいっても、大人になってウルトラマンの背中にファスナーがあることに気づいても、じぶんのなかのウルトラマンの像が崩れるわけじゃないからね。
 雑誌『情況』に集ったブント同窓会の連中や全共闘おじさんが、資料による捏造物たる、小熊英二の『1968』を懐かしがって喜んでいるだろう。そうすると、これはこの世代の思想と精神の老化と頽廃を物語る象徴のような気がするだろう。若松孝二の連合赤軍の映画を持ち上げて、さも重大な問題提起があるように言うのと同じで。そんなことより、じぶんの老後でも考えたらどうなんだ。
 若松孝二の作品は、それ以前の連合赤軍を扱った映画と較べると遙かに優れたものだ。しかし、当時の状況的な必然や闘争的な側面よりも、森恒夫や永田洋子などの〈軌跡〉と〈内面〉を掬いあげるような作品でなければ〈現在性〉はない。通じるか通じないかは問題じゃないと思う。それは提言めいてくると、くだらないというのと同じさ。たとえば宮崎駿監督のアニメが大ヒットし、それで宮崎駿論が大流行しただろう。それで、ちょっと覗いてみたら、これが屁理屈をこねまわしたものばかりなんだ。おまえら、嬉しがって浮かれるのもいいが、大概のところにして置けよな、ってなるよ。ただの観客として言わせてもらえば、宮崎作品なんて『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』までで、あとは二番煎じ、自己模倣の連続でちっともいいものじゃない。もっと、きびしくいえば、ほんとうに論じられる質を持っているのは『風の谷のナウシカ』だけさ。宮崎なんて、彼の固有の嗜好性と、エコロジストのよくあるパターンと、良識的な左翼思想のミックスだ。おれは、義弟二人にしきりに『ナウシカ』と『ラピュタ』を薦められた。それでビデオを借りて初めて見た。そしたら、良かった。手塚治虫なんかの製作したテレビ・アニメに較べたら、格段にストーリーや背景の描写の描き込みが丁寧で、労力も費用もかけていることがすぐ判った。また面白いし、魅力的だった。それから見るようになったんだけど、作を重ねるごとに、だんだんつまらなくなり、もうどうしようもない、見るも無惨というくらいにダメになってしまった。それとは裏腹に、宮崎監督は世間的にはどんどん大御所になって行ったんだけどね。
 宮崎駿は『風の谷のナウシカ』の原作のマンガ作品に尽きるんじゃないか。それ以上の作品はないと思うな。
 まあね。で、おかしいのは、あれほどおれに薦めた二人は『魔女の宅急便』あたりを境に、ひとことも宮崎作品の話はしなくなった。いまや、宮崎アニメを見てるかどうかも定かじゃない。アニメでもマンガでも、小説や詩でもそうだろうけど、ほんとうに好きなやつってのは正直だと思うな。余計な予備知識は要らないし、世俗的な評価に左右されることもない。じぶんが面白いとおもえば、いいものだし、つまらないとおもえば、相手にしなくなる。まあ、おれたちにしても、それが基本ということだよね。ご大層な理屈をくっつけて虚妄なる飾りつけをやりたがるのは、遅れて来た知的な連中の悪癖のひとつさ。
 亡くなった奥村眞さんのことを少し話したらどうだ。
 奥村さんは「同行衆通信」時代からずっとおれたちのやっていることにつきあってくれていた。『吉本隆明資料集』に挿入している「猫々だより」にも三回も執筆してくれたよ。毎回、いろんな人に原稿依頼するようにしているんだけど、断られるケースもある。そうなると、紙面が空白になりかねない。そんなときに奥村さんに無理を言って短期日で書いてもらったんだ。これは、どういう経緯だったか忘れたけど、奥村さんはあの粗末な「同行衆通信」をきれいにファイルしてくれていて、萩尾望都の『マージナル』の一コマを「同行衆通信」の表紙に使ったことがあるんだけど、それをファイルの表にされていた。「愛のほかはぜんぶくれると言った!」というやつだ。うれしかったね。
 おまえ、泊めてもらっているだろう。
 うん。一九九二年の春だったと思う。どういう成り行きでそうなったのか、上京する前に連絡してお会いできませんかとじぶんから言ったような気がするんだけど、定かじゃない。おれ、奥村さんの住んでいた阿佐ヶ谷界隈、なぜか好きだったんだ。安部慎一の「美代子阿佐ヶ谷気分」や永島慎二の「若者たち」の影響かもしれないけど、「若者たち」に出てくる「ポエム」という喫茶店のマスターはたしか高知の出身だったはずだ。その近くにあった「吐夢」という店は、隣村の一年先輩の秋山さんが学生アルバイトしていて、そこにはよく行った。蓋のような戸を開けて、梯子を使って地下へ降りる狭い穴倉だったけどね。一時川崎にいた時なんか、川崎からわざわざ阿佐ヶ谷まで飲みに行っていたからね。あの辺の屋台もよかったよ。奥村さんとどこで落ち合ったかも憶えていないけど、奥村さんのアパートに行った。奥村さんのところには水槽があって、本がきちんと本棚に納まっていて、なにを話したかは記憶の彼方だ。
 なんにも憶えてねえじゃないか。
 奥村さんがおれに腕相撲をやろうと言い出して、奥さんに窘められたのは憶えている。それから、翌朝帰りがけに厄除けのお守りをくれた。おれは「お守り」なんてとそのときは思ったんだけど、でも「厄」とか「お守り」っていうのは、人々の長い間の経験や深い祈念に培われたものだということが、身に沁みるようになって、奥村さんの厚意のありかを痛感した。そこからだね、ほんとうに奥村さんという人が、じぶんにとって大きくなっていったのは。あのアパートの家主になったのは、大家が遺産相続でもめたらしくて、財産分けが面倒だから、店子の奥村さんに買ってくれないかと相談してきたらしい。それで買ったと聞いた。お母さんが亡くなり、お父さんも亡くなり、奥村さんはそうとう堪えていたとおもう。おれも母が死んで、親がいなくなったんだけど、そうすると、〈生きている〉ことの支えを失った気がした。奥村さんのお父さんは高齢だったみたいだけど、これで存外忙しいんだと言われたとか、お父さんが亡くなったとき、奥村さんは出歩いていて、葬儀に間に合わなかったこと、その後近くのスナックかなんかで飲んでいたら、その店の人に「あなた、奥村さんでしょう」と言われたとか、お父さんに似ていたんだろうね、それで声をかけられたみたいだ。おれ、悪いことに、原稿頼む時しか奥村さんと話す機会を持たなかった気がする。でも、そのとき話したことは頭のどこかに埋蔵されているはずだ。奥村さんはマメな人だったから、購読費の振り込みの際にはメッセージがあった。それを掘り出せば、もう少し奥村さんのこと、言えるような気はするんだけど。
ニャンニャン裏通り[二〇一〇年六月]


     5 「荒野のイエス」にあやかって [二〇一〇年六月]

     (1)

 「快傑ハリマオ」三号の根石さんの道中記は、おもしろかったな。冒険へ誘うソニーの馬鹿ナビによる恐怖の和歌山の山越えや、「女房は仙人ではないかもしれないが、浮き世離れが突拍子もない。天からパンが降ってくると思っている。天から降ってきたパンがお店に並んでいるのだと思っている。それを買うお金も天から降ってくると思っている。知識としては、パンはパン屋が作るのだと知っている。だけど、知っているだけだ。本当は天から降ってくると思っている」なんて、書いてるからな。
 〈ポエジー〉だよね、これは。詩として書かれたものにポエジーは無くて、そうじゃないところに、ポエジーがあることが多いね。
 しかし、よくこんなことを書けるな、だいじょうぶなんだろうか。古いけど吉田秋生の『ハナコ月記』でいけば、機嫌を損ねると、たちまち「もうご飯作ってあげない!」とか、「当分、口は利かない!」と宣告されて、実力行使に直面するような気がする。わしなんか、こんなこと、思っていても、恐ろしくて云えないし、まして、書くことなんか間違ってもできないぜ。
 こんなこと云っただけで、「わたくしはそんなに厳しくありませんわ。そうでなかったら、あなたなんかと一緒にいるわけありませんわ」なんて、云われかねないね。だから、根石さんのは、笑いながら読んで基本的にご馳走様でいいんじゃないか。だって、山越えでも、「ヘッドライトに浮かび上がるのは、太い杉の幹だけだ。こわいね、こわいねと女房が言う。この女は人の平常心を失わせることは平気である」と言っても、そのあとには「こわいね、こわいねと女房はもう言わないが、こわいね、こわいねと今度は俺が思ってしまう」と受けているからね。これはフォローというより、ひとりでに〈相聞〉になっているからね。結局、それだけ仲が良いってことだ。浮き世離れの話だって、根石せいさんは、香長平野のほぼ真ん中の日章生まれの、お医者のお嬢さんだよ。そのうえ路面電車の現在の東の終着駅の後免駅から、高知でいちばん優秀とされる中学校に通っていたというんだから、千曲川の魚と戯れていた吉久さんとは、それは違うよ。
 そこはこうだな、

    「荒野のイエス」

  さて、イエスは
  御霊によって荒野に導かれた。
  悪魔にテストされる為である。
  そして四〇日四〇夜、断食をし、
  そののち空腹になられた。
  そこは不毛の岩山である。
  食うものは何もない。
  すると試みる者がきて言った。
 「もしあなたが神の子であるなら
  これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」
  イエスは答えて言われた。
 「人はパンのみにて
  生くるにあらず」

(川原泉『笑う大天使』からの引用。原作では「パン」は「アジのひらき」になっている)

 そして、イエスみたいに「サタンよ、退け!」と云わずに、せいさんは「パンはとうちゃんから降ってくる」といえばいいんだ。
 まあ、下手なことを云うと、藪蛇ってこともあるからね。
 夫婦の仲って、微妙なところがあるな、たしかに。一般的に、妻なら妻がじぶんの親兄弟の悪口を云うだろう、うっかり、それにつられて悪口を言ったりしたら、もう大変、気を悪くすること請け合いだ。じぶんが身内のことを言う分にはいいが、他人が言うと不愉快なんだ。そういう時は「おまえはそう言うけど、良い所もあるよ」といって置くのが無難ってことだ。高知の路面電車は「土電(とでん=土佐電気鉄道の略)と呼ばれているんだが、昔は東は安芸市まで通じていた。小学校の春の遠足が、その途中の芸西村の住吉海岸が定番になっていて、その時に乗ったな。しかし、国鉄の路線が作られるということで、後免ム安芸線は廃止されたんだよな。せいさんのふるさとはこういう所だ。

  高知県で平野といえば、中央部の香長平野しかない。その名は香美、長岡の両郡に流域がまたがっていることに由来するが、物部川の下流に形成されたこの香長平野では、古く弥生時代から稲作が営まれてきたことが、遺跡によって知られている。
  北は四国山脈が連なり、南は黒潮の流れる太平洋に開いていて、年平均気温は一六度と温暖で、無霜期間が三月下旬から十一月下旬まで約八か月と長く、年間二千数百ミリと降水量にも恵まれている。そして、藩政時代から野中兼山により物部川山田堰などの灌漑水利も整備され、県の一大穀倉地帯となってきた。
  その中心にある長岡郡後免町の地名は、藩政時代、香長平野の新田開発、市場町形成促進のための課役・租税免除の優遇措置の意味をもつ「御免」に由来している。

   (『聞き書 高知の食事』)

 チンチン電車が後免まで開通したのは明治四四年。稲の二期作地帯だった。
 おれ、七人兄弟の末っ子なんだけど、兄弟でもそれぞれのポジションによって、いろいろあるよね。おれんとこは、一番上が兄で、その次が姉で、あとは全部男だ。長兄とは二十くらい年齢差があって、子供の時の記憶はないね。一緒に暮らしたのは、兄が家を継いでからだ。長男って独特だよね。まあ、親だって子供をつくるのは初めてだから、緊張するだろうし、喜びもやっぱり大きいだろうし。育てるのだって当然初体験ってことだから、それが影響しないはずがない。それに昔だから家の跡継ぎということになるから、そのプレッシャーもあるんだろうな。だから、一家の長としての責任みたいなものを背負っていたような気がするな。おれの兄なんかでも、おれのアパートを探して訪ねてきたり、おれが新聞に連載を開始した時も、わざわざお祝いをもって来たからね。おれの書くものなんかに全く関心なかっただろうに。そんな心配りは、おれにはまるっきり無いよ。おれなんか皆が集まった席では、何も言わないし、末っ子だから順番も廻ってこないから気楽さ。その兄が相談なしに断乎として実行したのは、墓の移設だ。村がだんだん過疎化し、寂れていくので、このままゆけば、墓のあるところまで行けなくなると判断したんだ。それで家の近くの農道に近いところへ移した。それを事前に、みなに相談すると、モメかねない。だから、じぶんの独断でやった。それは正しい判断だった。いま帰っても元の墓の場所は、杉林が地崩れしたり、草や木が茂って、仕分ける者がいなかったら、到底行けないからね。裏山なんか昔の道の痕跡を見つけるのも難しい有様だ。
 兄弟が多いといいな。ケンカもやったけど、どこかで頼りにしているって感じで。じぶんの領分や繋がりみたいなものも、ひとりでに身につくからな。それで人間関係の原型みたいなものを無意識的に深く修得する。これは社会へ出た時にものを言うな。一人っ子って、そういうことは体験的にわからないような気がする。親の愛を一身に受けて育つからだ。で、長男ってのも、最初はそうなんだろうが、次が生まれると、自分だけが独占していた親の情愛が分散してしまう。そこに、兄弟間の葛藤の根があるような気がするな。それにこだわり、いつまでも引きずっているものもいるんじゃないか。
 姉というのも独特だよね。ヘーゲルだったと思うけど、姉というのは〈人類の姉〉っていう意味合いをもっていると言ってたような気がするけど。母が亡くなって、なんとなく姉が、母の代わりって感じがしないでもないからね。この間、姉が「弟は体が弱いから」と妻に云ったとのことだ、宜しく頼みますって意味なんだろうけど。おれはガキの頃よく寝込んでいたし、じぶんではわからないし、親も言わなかったけど、ほんとうは小さい時に患っているんじゃないかとおもう。もちろん、当時は医者にかかるなんてことは、よほどの大ケガか、瀕死の病気にならなければありえないから、たぶん、そのまま放置して育ったんじゃないかな。タッちゃんという飲み友達がいて、一緒に働いていた時、彼に体を揉んでもらったことがあるんだ。彼は自衛隊に入隊していた時に、整体の手ほどきを受けていて、手慣れたものだった。彼が云うには「松岡さんは重い病気をしていますね。凝りがあって、背骨が曲がっていますから」って言った。それを聞いた時、そうなのかと思った。彼はおれと同様に落ちこぼれで、お人好し。だから、ゆるい感じがして侮られていたんだけど、おれはひとの〈能力〉ってのはさまざまなんだと痛切に思ったね。
 それで、おまえが小学校へ行くのを一年遅らしたんだ。歯槽膿漏で歯抜けのおっさんとなった、今となっちゃあ、そんなこと、どうでもいいことだけどな。それに、歯だって遺伝的要素が強いからな。
 うん、おれと同じように、おやじと長兄はよくなかったね。あとの者はまだ好い方だ。兄弟でも違う。歯医者のあたり、はずれも激しいよね。けっこういろんな歯医者に行ったけど、あんまり良いところはなかったね。若い時だったけど、虫歯の治療してもらったんだけど、神経を取らずにかぶせたものだから、寝る時に痛んで、眠れない状態になったこともある。しかし、ヤブの報いで、おれが行ったところでも、四軒くらいは潰れている。ヤブによる不適切な治療の影響ってのは、確実に残るから、つらいものがあるよ。すべてがそのせいだとは決して言わないけど。
 どうしようもないな。
 おれはじぶんがこんなことをやってるのは、酒好きで世話やきの父親の影響かなと思っていたんだけど、それはどうも違った。母が年老いて、それまでそんな話したことないのに、「太宰治は小説が上手。『女学生』というのを読んだことがある」と云った。びっくりしたよ。母から太宰治の名が出るなんて夢にも思ったことはなかったからね。ほんとうは母のことも、父のことも、親として以外は、何も知らないんじゃないかと思ったね。おれ、本が出たら、一応皆に渡しているんだけど、どうもいちばん熱心に読んでいたのは母だ。
 おまえ、こんな話、してていいのか。
 どんな話したっていいのさ。根石さんがダメって言わないかぎりは。根石さんが誘ってくれたお蔭で、「同行衆通信」「風のたより」以来、なんの制限もなく好きなことが書けることになった。その時よりもいいことは、原稿段階で根石さんが目を通してくれることだ。それで脱字や間違いを指摘してくれるから、ものすごく助かっているよ。それでも間違いはあるけどね。前に鎌倉諄誠さんのことを言ったんだけど、その中で鎌倉さんが中学を卒業して集団就職した先を「近江綿糸」と書いた。そしたら、東京・小金井の人から便りがあって、「近江絹糸」の間違いじゃないですかと、ありがたいことに指摘してくれたんだ。おれにとって「綿」と「絹」を間違えたのは恥だ。だいたい、「綿」とはなんのゆかりも無いけど、「絹」は家が養蚕をやっていたから、縁が深い。毎年、母は五月頃と九月頃蚕を飼っていた、「春蚕(はるこ)」「秋蚕(あきこ)」って言ってね。大切な現金収入源だった。それで役立たずのおれも、桑を摘んだり、蚕に桑を与えたり、糞の始末を手伝ったり、蚕が糸を吐きだし上蔟の時は、一所懸命手伝った。茅葺きの家だったんだけど、その一室の畳を上げ、蚕室にして、蚕棚を作る。それで幼虫の時、寒いと蚕がよく育たないので、炭や練炭を焚いて部屋を暖めていた。その火の番もおれらの仕事だった。ハチノスから繭を取り出したり、繭のけばを取る作業もいよいよ最終という感じで楽しかったな。
 その時代にくらべても、今の世の中はひどくなっているな。近所のばあさんが立ち話をしていて、それが聞こえてきたんだが、「むかし、ふつうに働いていればなんとか食えた。でも、いまは違う」と。小泉内閣のやった「構造改革」なんかで、社会構造は破壊された。「規制緩和」の名目で特別な物以外はどこでも売るようになった。それで安く販売されるようになって、良くなった面もあるが、小さな商店は潰れてしまった。またタバコの話になってしまうが、タバコは専売でタバコ屋が売っていた。それで店番のばあさんがいて、その売上が生活の足しになっていたはずだ。ところが、タバコは安売りをやっていないのに、どこでも売れるようになったから、軒並みタバコ屋は廃業に追い込まれた。そうすると、もうばあさんの仕事は無いし、少しの稼ぎもなくなったんだ。それは生活の張りも奪っている。それは「構造改革」も必要な面はあるさ。しかし、その転換の方向性を示し、それに代わる社会基盤を整備しないといけないのに、そんなことはやりはしない。国家財政の立て直しや企業の収益で全体的にGNPが維持されれば、問題ないと考えてるんだ。
 しかし、もう元には戻らない。社会はゆとりを失い、殺伐としてきて、当然、凶悪犯罪や娑婆苦による自殺は増えてゆく。その責任は、第一に政治にあるんだ。竹中平蔵なんて政治経済的犯罪者として告発されてしかるべきだよ。社会経済は頭脳ゲームじゃないんだ。こいつや小泉を筆頭にする政治屋にとっては、社会のそれぞれの層における日常的現実や生活実感なんか想像の外にあって、それが考慮されることはない。むろん、日本共産党みたいに反米と大資本悪玉説を唱えていれば、自分たちの党派的立場は保証されると考え、それで自己満足しているのも、共犯だ。「政治とカネ」なんて言ってる場合かよ。金銭のことでいえば、始めから可能性の殆ど無い夏のオリンピックを誘致しようとして、その音頭をとり、一五〇億も無駄金を使った石原東京都知事の方が、はるかに犯罪的だよ。こいつは、いつも大統領気取りで偉そうなことをいい旗を振るが、その責任を取ったことがないんだ。東京銀行のことでも自分が言い出しっぺのくせに、銀行幹部に赤字の責任をなすりつけて平気だ。だから、こいつに「将たる器」があるとは、誰も本心では思ってないさ。民主党鳩山政権も、選挙で掲げた政策マニフェストからどんどん後退しているけどね。
 そうだな。それは沖縄の基地移設問題は、アメリカとの力関係や日米安保条約もあるし、これまでの政府の交渉経緯もあるから、難しいと思うが、在日外国人の選挙権なんか、すぐに認めて参政権を与えるべきなのに、亀井という愚物を筆頭とする国民新党の時代遅れの排外主義に屈服して見送ってしまった。全くだらしないことになっているな。民主党への期待はしぼみ、社会は萎縮する一方だ。例えば、年末にはいろんな企業や商店が自社のカレンダーや手帳を作って、得意先に配っていただろう。それで、わしらみたいなものでも、暮れには翌年用のカレンダーや手帳を手に入れることができた。ところが、近年はそんなものは余計な経費とみなして削り、どんどん姿を消している。ケチ臭い世の中になり、仕事は減り、金が循環しないから、社会はますます貧血化してゆくんだ。じぶんたちでじぶんたちの首を絞めるように。ところで、浅川マキが死んだな。
 おれ、ファンだった。七〇年代にはよく聞いた。アルバムも『浅川マキの世界』『浅川マキU』『MAKI LIVE』『灯ともし頃』『流れを渡る』はいまも持っている。もっともレコード・プレーヤーが壊れてからは聴いていないけどね。もう十年以上になるはずだ。
 さまにならねえな、聴くのがいちばんの追悼だというのに。
 仕方ないよ、CD、買おうと思ったけど、無かったからね。「夜が明けたら」や「少年」、ロッド・スチュワートの曲をカバーした「オールド・レインコート」やデイヴ・グルースィンの「ガソリン・アレイ」とか好きだね。

 夕暮れの風が ほほをなぜる
 いつもの店に行くのさ
 仲のいい友達も 少しは出来て
 そう捨てたもんじゃない 
    (「少年」)

 凍りつくような風が 足許を吹き抜けて行くけど
 ウェザー・コートは少しぼろでも
 とにかく汽車に乗ろう
 今 すぐ ここを発つのさ おいらは決めたのさ
 ガソリン・アレイの細い路地に
 ミルク配達の奴が
 やって来る夜明け前までに おいらは着く筈さ 
 (「ガソリン・アレイ」)

 おまえはかつて荒れ狂う河の
 激流に身ぶるいしただろうか
 そそぐように降る雨の中
 旅をした事が あっただろうか
 旅をした事が あっただろうか

 おまえはおいらのような男と
 連れだって雪の積った墓場を
 見た事があっただろうか
 そうさ 人生 甘くはないさ
 そうさ 人生 甘くはないさ

 だけどおいらは ここ迄来たのさ
 古いレインコート肩に
 どんな時でもこれさえあれば
 何も怖れる事はないさ
 何も怖れる事はないさ
   (「オールド・レインコート」)

 繰り返し聞いているから口ずさむことができる。おれ、カラオケ、全然駄目なんだけど、人前じゃなくて、酔っぱらって自転車で歌いながら走るのはいいな。あと、バイクでぶっ飛ばす時は自然と歌が出るよ。ライブにも、おれとしては最も行ったと思う。高知で「徹夜コンサート」があった時も行った。
 高知大学の全共闘のメンバーが、大学の学園祭の際に、ロックやフォークのコンサートを企画してやった、三上寛のライブだとか。そのグループは卒業後、リクルートの創業者の江副みたいに、そのままそれを仕事とするようになったんだ。それで、既成の歌謡関係は、もとよりそういう筋の興行会社が仕切っているので、手がけることはできない。だから、アングラ系のミュージシャンのコンサートをメインにすえて、イヴェント稼業を始めた。その関係で浅川マキやURC系のコンサートが高知でよくあったんだ。いまでは、その業界の四国一というところになっているけどな。
 その意味ではラッキーだったね。そうじゃなかったら、浅川マキのライブを聴く機会なんか、ほとんどなかっただろうから。それで、なにがいちばん好きなアルバムかといえば、やっぱり一九七一年一二月三〇日・三一日の「浅川マキin新宿紀伊国屋ホール」のライブを収録した『MAKI LIVE』だ。寺山修司が作詞を手がけてるし、その影響が強いね。寺山修司は同郷の太宰治をほんとうによく咀嚼し消化したうえで、じぶんの世界を構築している。あの当時のさまざまなジャンルの交錯するなかで生れたものも多くあるね。おれ、真崎守のマンガって全然いいとは思わないけど、その真崎守の「死春記」を浅川マキは歌にした。そうすると、独自の作品になったからね。
 その典型は、あがた森魚の「赤色エレジー」だ。あの林静一の名作をみごとな歌にした。浅川マキは結局「朝日楼」(「朝日のあたる家」)みたいなところだろうな。中島みゆきが出てきた時、あまり心動かされなかったのは、浅川マキに親しんでいたからだ。

     (2)

 宿沢あぐりさんが、朝日新聞出版が刊行した、吉本隆明『老いの超え方』の一部を削除することになったと、自社のPR誌で「告知」していると知らせてくれた。それで、おれも、その「告知」の掲載された『一冊の本』という冊子を入手した。

  弊社で刊行しました吉本隆明著「老いの超え方」の文中に差別につながる不適切な表現がありました。
    単行本(2006年5月刊)174ページから175ページ、文庫本(2009年8月刊)199ページから200ページの「ムム楽しい知識ですかノ」から「関心を持ちますね。」までを削除します。文庫本は、該当部分を削除した新装版を出版します。
     朝日新聞出版


 これがその全文だ。これは、じぶんの来し方からして、黙ってやり過ごすわけにはいかない。そこで、宿沢さんのファックスを受けて、次の一文を書いた。

    ファックス、受け取りました。ご連絡ありがとうございます。
  どういう経緯でこういうことになったのかわかりませんが、わたしはその経緯を追及する気はありません。
  しかし、吉本さんの思想と文筆のモチーフを考えればあり得ないことと思います。それは「情況への発言」(『「情況への発言」全集成』全三巻・洋泉社新書MC)ひとつをたどっても、この出版社の処置が不当であることは明瞭だと思います。(また、わたしは『「情況への発言」全集成2』の解説で、この削除部分に関連する事柄について、じぶんの見解をのべています。)
  わたしは、あらゆる思想とその表現は自由だと考えています。また、その思想や表現に対する批判も反批判も自由です。それが言論に関する〈原則〉だと思っています。つまり、個人が何を考えようと、何を言おうと、また、どんなことを表現しようと、勝手(恣意的)です。それを抑圧するものは、すべて弾圧と統制の〈支配〉につながっていると断じることに、なんの躊躇も覚えません。
  部落解放同盟は近年、「部落解放」から「人権擁護」へ、方針を転換しました。しかし、その内実はほとんど変わっていません。相変わらず、「差別」的表現の摘発や「言葉」狩りをやっています。 それが個々別々に責任をもって批判を行使するのなら、おおいにやっていいと思います。しかし、彼らは組織的に圧力をかけ集団的に糾弾することを止めません。どんな場合でも、共同的に個人やその表現を攻撃することは、集団リンチであり、人権抑圧であり、組織的暴力の以外ではありません。それの究極のかたちが旧ソビエトの収容所群島です。「人権擁護」を標榜する運動組織が、実際は言論統制や表現の自由の制約を実践していることになります。この錯誤は歴史のアイロニーというしかありません。そこにどんな「社会的な倫理」を密輸入しようと、それは主観性を共同性にすりかえる欺瞞であり、それが正当化されることはないものと考えます。そんな悲劇や倒錯が、痛切に繰り返されてきたのが〈歴史的現実〉だとしてもです。
  人間の〈ほんとうの自由〉を目指すことが本質的な思想の姿であり、わたしたちが文芸みたいなものを求めるのは、人間の〈無限の可能性〉を希求するからではないでしょうか。

   (「猫々だより」第八九号)

 これがおれの基本的な考えだ。
 その後、長岡義幸「吉本隆明氏の著書に差別表現との抗議が」という記事が、月刊雑誌『創』二〇一〇年三月号に掲載されたな。
 うん、それを読んで、おれとしては、もっと言っておくべきだと思ったんだ。
 まあ、急ぐな。まず、削除部分をきちんと掲げるべきだ。

 ーー楽しい知識ですか。
 吉本 楽しい知識か、引っ掛かる知識かですね(笑)。今も特殊部落問題というのがあるでしょう、うかうかと話題にしていいかげんなことを言うと引っ掛かってしまいますが、僕は引っ掛かったこともあります。今はほとんどそういうことはありませんが、日常的に何となく違うグループを作っているみたいにやっていた。差別されていると言いますか、でも大金持ちやえらい人もたくさんいます。そういうのをいいかげんに言うと怒られてしまう。僕は、映画の座談会みたいなのをやっていて、「映画というのはちょっと特殊部落だからな」と言ったら、「吉本はこういうふうに言った」みたいに、九州のほうのあの人たちの新聞にでかでかと出て、驚いたことがあります。
  山窩の人は別にそういうことはありませんが、三角寛の研究は正確かどうか。例えば、反正天皇というのがいて、履中・反正と覚えていますが、その前が仁徳天皇です。その反正天皇というのは、山窩の人たちにマムシ天皇と呼ばれていて、マムシは農家に害をなすので捕れという命を下したと言われています。そういうのが面白くて分からない、確定的なことがないということに関心を持ちますね。

   (吉本隆明『老いの超え方』)

 まず最初に、この発言のどこが「差別につながる不適切な表現」なんだ。それをはっきり指摘したうえで、自社の見解を公表して「削除」することに決定したと「告知」しなければならないはずだ。それをしないかぎり「告知」自体が意味をなさない。また「削除」という処置も是認されるはずがないんだ。ところが、具体的なことは一言も書かれていない。ふざけるんじゃねえ。こんなやり方が罷り通っていること自体が、〈言論の頽廃〉だ。削除の理由を明示せずに、こんな処置に及ぶことは、読者に対する愚弄であり、人倫に対する冒涜だといっていい。
 そう急くなって。長岡義幸の一文は、予想していたよりもましだった。もちろん、問題の核心は回避しているし、無難なところでまとめて、判断停止しているがな。でも、意図的な曲解やデマゴギーまがいの印象づけをやっているところはないぜ。その意味では、この手の記事としては、悪くないと思ったな。それから、この『老いの超え方』という本自体、「老い」ということをメイン・テーマにしたものだ。そこでいえば、この部分ってのは、余談のひとつで、どうしても必要ってものじゃない。だから、著者(吉本隆明)は、バカな連中の版元や図書館への抗議や組織的な圧力を受けて、「良識」の仮面をかぶった事勿れ主義の版元から、その対応の打診をうけ、今回の処理を容認したのかもしれない。著者は八五歳の高齢で、糖尿病の持病があり、目は殆ど見えないし、日々の立ち振る舞いも不自由しているから、こんな煩雑で、不毛なやりとりに関わる体力はないとおもう。だから、勝手にしろということにしたんじゃないかな。わしはそう推測するな。だけど、そんなことを斟酌しろとは言わない。じぶんは、ほんとうはそういうことがなによりも〈大切〉だと思っていても、だ。
 経験的に言っても、いかれたイデオロギー患者や「人権運動」かぶれの狂信者には、何を言っても通用しないぜ。他人の話を聞きはしないし、相手の言うことを理解する気は毛頭ないから、なにひとつとして、まっとうに通じはしないんだ。先験的に自分たちは正しく、相手は悪だと思い込んでいるんだからな。ほとんど病気だ。こんなの相手にしても、底なしの消耗があるだけだ。
 そうかもしれないけど、部落解放同盟(それに追従する連中)の抗議と、朝日新聞出版の対応は批判されてしかるべきだ。そもそも言葉に「差別語」なんてものはない。人間の意識と無意識の表出のひとつが言語なんだ。その言語はソシュールが言うように、もともと示差的なものだ。ソシュールは言っている。

  語もまた何か相似ざる物、即ち観念と交換されることができ、その上、何か同じ性質の物、即ち他の語と比較されることができる。それゆえ語の価値は、それがなにがしかの概念と「交換」されうること、いひかへればなにがしかの意義をもつことを認証しただけでは、定まるものではない。なほ進んでそれを相似た価値と、即ちそれと対立するやうな他の語と比較しなくてはならぬ。それの内容は、それの外にあるものと協力によつてのみ真に決定される。体系の一部をなすとき、それは只に意義をつけるのみならず、又とりわけ価値を具へる。    (ソシュール『言語学原論』)

 簡単にいえば、言葉はすべて〈差別的な性質〉をもつということだ。そうでなければ、語と語との差異は発生しないし、概念も構成されないから、言語そのものが成立しないともいえる。これはマルクスの『資本論』の(交換)価値論の示唆をうけて、言語の発生に迫ったものだ。そして、その言語の表現は、自己表出性と指示表出性をもち、それはわかりやすくいえば、自己表出(感動詞・たとえば「オギャー」という産声のような)から指示表出(名詞・たとえば「亡骸」というような)までの表出構造をなし、その自己表出と指示表出がまじわる表現の意識の相乗空間が、時間の流れにそって変化してゆくインテグレーションによって、言語表現の価値は確定されるというところまでは、それこそ吉本隆明が解明したことだ。だから、〈言語の本質〉からいえば、最初から「差別につながる」言葉なんてものは無い。初手から誤っているのは、部落解放同盟(とその賛同者)や朝日新聞出版の方だ。
 連中がむきになっている「特殊部落」という言葉だってな、明治維新によって成立した薩長を主体とする明治政府が、士農工商の身分制を廃止し、四民平等とした。そこから、いわゆる近代の文明開化が始まったといえる。しかし、いわゆる「エタ」「非人」は除外した。まず、その差別的な封建遺制を温存させた明治政府の政策自体が、「部落差別」の近代的な差別の制度的根拠なんだ。だから部落解放運動は、そういう意味では、日本の政治権力の批判を第一にするしかない。それで、当初は「新平民」とか言っていたらしいのを「特殊部落」と言い換えるようになったとのことだ。その後「同和地区」だとか、「被差別部落」だとか、いろいろ言われているが、その時代と時期における社会的命名や呼称の間に、本質的な差異なんかあるはずがない。また、実際の差別の所在を呼称(指示言語)などにもとめるなんて、本末転倒もいいところだ。時の権力がその用語を流布するようにしたから、その言葉は「差別的」だなんて理屈が通るものか。もともと、そんな問題じゃないんだ。部落解放同盟が「特殊部落」という言葉を、共同主観的に「差別的な用語」と指定し、それの摘発を運動の手段にすると、それを鵜呑みにして、追従し、その語彙が使われていると「差別的な表現」とみなすようになった。愚劣の極みだ。そんなの、部落解放同盟だろうと、明治政府だろうと同じじゃないか。それで、その字句に対して、岡っぴき下っぴきを演じるやつらがごまんといるんだ。『老いの超え方』でいえば、二〇〇六年五月に刊行されたものを三年後に問題視するところにも、それは現れているぜ。わしは無知な偏見に囚われた者をそんなに批判する気はしない。じぶんも愚かで無知だからな。しかし、無知な独断を、運動方針として振り回す組織は断固否定されるべきだとおもう。
 おれはここで、じぶんの立場をはっきり表明しておくよ。おれは若い時、部落解放運動に関わりを持っていた。一緒に闘って、警察に逮捕されたこともある。その関係もあって、高知県の部落解放運動の実体について、ある程度分かっている。そして、その中で知り合った人たちもいるよ。おれは初めから「部落」に対して、差別も偏見も持っていないつもりさ。また職場の同僚として、同じ釜の飯を食ってきた。そして、ふつうにつきあってきた。だから、おれは「部落」なんてものは一日も早く消滅することを願っているし、また「部落差別」が不当であると心底思っている。そこでのシンパシイは失ったことはない。それと、部落解放同盟という組織がやっていることや言っていることに、賛同するかどうかは別のことだ。それはじぶんが労働者で、資本主義社会の階級的な支配に対して批判的な立場をとり、それをモチーフとしていても、労働運動や労働組合の連合組織を支持するかどうかは別問題なのと同じだ。おれが今、こういうふうに部落解放同盟を批判しても、つきあいのあった人たちは、おれが反差別の意志を放棄したとは決して思わないはずだ。組織の幹部連中とふつうの地区住民との乖離や断絶は激しいし、完全に分離している面もある。それも労働組合で活動しているメンバーと、ふつうの労働者の思いとが違うのと同じさ。
 それはそうだ。ところで、おまえが「猫々だより」に書いたことは、個人主義的な感じがするぜ。おまえも、社会的な差別が現に存在することは、前提として認識しているはずだ。資本家と労働者との階級分裂や、労働者の内部でも正社員と派遣社員の格差が動かし難くリードしていることもな。また、この社会で「表現の自由」なんてものが実現されたことは無いという現実も、骨身に沁みて知っているはずだ。そこでいえば、おまえの発言は、表面的な感じがしたな。
 補足するとすれば、おれの発言の基底になっていることを言えばいいだけのことさ。

  原理的にだけいえば、ある個体の自己幻想は、その個体が生活している社会の共同幻想にたいして〈逆立〉するはずである。しかしこの〈逆立〉の形式は、けっしてあらわな眼にみえる形であらわれるとかぎっていない。むしろある個体にとって共同幻想は、自己幻想に〈同調〉するものにみえる。またべつの個体にとって共同幻想は〈欠如〉として了解されたりする。またべつの個体にとっては、共同幻想は〈虚偽〉としても感じられる。
  ここで〈共同幻想〉というのはどんなけれん味も含んでいない。だから〈共同幻想〉をひとびとが、現代的に社会主義的な〈国家〉と解しても、資本主義的な〈国家〉と解しても、反体制的な組織の共同体と解しても、小さなサークルの共同性と解してもまったく自由であり、自己幻想にたいして共同幻想が〈逆立〉するという原理はかわらない。またこの〈逆立〉がさまざまなかたちであらわれるのもかわらないのである。
  ここでもうすこしつきつめてみる。ほんとうは〈逆立〉するはずの個体の自己幻想と、共同社会の共同幻想の関係が〈同調〉するみたいな仮象であらわれたとする。
  すぐわかるように、個体の自己幻想に社会の共同幻想が〈同調〉として感ぜられるためには、共同幻想が自己幻想にさきだった先験性だということが、自己幻想のなかで信じられていなければならない。いいかえれば、かれは、じぶんが共同幻想から直接うみだされたものだと信じていなければならない。けれどこれははっきりと矛盾である。かれの〈生誕〉に直接あずかっているのは〈父〉と〈母〉である。そしてかれの自己幻想の形成に第一次的にあずかっているのは、少なくとも成年までは〈父〉と〈母〉との対幻想の共同性(家族)である。またかれの自己幻想なくして、かれにとって共同幻想は存在しえない。だが極限のかたちでの恒常民と極限のかたちでの世襲君主を想定すれば、かれ自己幻想は共同幻想と〈同調〉している仮象をもてるはずである。民俗的な幻想行為であるあらゆる祭儀が、支配者の規範力の賦活行為を意味する祭儀になぞらえられるとすればそのためである。
  ところで、現実に生活している個人は、大なり小なり自己幻想と共同幻想の矛盾として存在している。ある個体の自己幻想にとって共同幻想が〈欠如〉や〈虚偽〉として感じられるとすれば、その〈欠如〉や〈虚偽〉は〈逆立〉へむかう過程の構造をさしている。だから本質的には〈逆立〉の仮象以外のものではない。

   (吉本隆明『共同幻想論』「祭儀論」)

 この思想的原理は「部落問題」をも貫徹する。未開の原始段階の共同体の内部矛盾を疎外するかたちで、差別的な排除が発生し、それがトーテム(信仰)の分岐となり、さらに種族間の対立や忌避などへ発展したものだとすれば、その差別は、もっとも婚姻による縁戚関係のうえに顕著に露呈するといえるだろう。また、それが宗教的習俗的に継承・存続してきたものだとしても、人間の類的存在性と個の実存との関係は、ここで吉本隆明が展開しているように〈逆立〉するものだ。つまり「部落」という共同幻想が、歴史的現実や地域的日常を強力に支配していたとしても、そこにたまたま生まれた個(何某)の存在とは、逆立ちするものなのだ。ここで言われていることは、「部落差別」を造成している、封建的な差別制度の残存である地域的習俗や因習的な意識を、その根底で分離・解放するものだ。つまり、「部落民」という規定は外在的で、社会習俗の共同の幻想の一形態であり、そこへ個を収奪しようとするものということだ。もっと、具体的にあっさりいうと、例えば、おれと職場の同僚でダチだったジュン坊は、「部落民」などである前に、おれより、ちょっと過保護に育てられた、ひ弱なやつということだ。そんな彼を苛める者は許せないし、ましてや「部落民」などという差別観念によって疎外することをおれは黙認しない。実際は無力で何もできないかもしれないが、庇って立つことはできる。これがおれの流儀であり、それがまた友達ということだ。
   その吉本隆明の発想の根底には、カール・マルクスの類と個の根源的な弁証法的認識があるとおもうな。

  人間の普遍性は実践的にはまさに、(一)直接的生活手段である自然についても、また(二)彼の生活活動の材料、対象、道具である自然についても、全自然を彼の非有機的肉体とするという、その普遍性のなかにあらわれる。

  死は、個人にたいする類の冷酷な勝利のようにみえ、またそれらの統一に矛盾するようにみえる。
しかし、特定の個人とは、たんに一つの限定された類的存在にすぎず、そのようなものとして死ぬべきものである。

   (カール・マルクス『経済学と哲学とにかんする手稿』)

 むろん、吉本と部落解放同盟とのトラブルの端緒となった、吉本の「三番目の劇まで」というエッセイは、吉本の主著のひとつである『共同幻想論』を踏まえたものだ。そこで書かれていることの〈内容〉も、吉本の思想の〈本意〉も全く理解することなく、もともと言語には禁忌(タブー)とすべきものなどないにもかかわらず、その当時、部落解放同盟の機関紙『解放新聞』(一九七〇年九月二五日号)で「吉本はこの文章のなかで、実に十三回も〈特殊部落〉を乱発している」などといい、糾弾キャンペーンを張った。この党派的な排撃は粉砕されるべきなのだ。その背後にある、政治的意図と時代的背景については、おまえが触れたことがあるので、ここでは蒸し返さない。長岡義幸の執筆した記事に登場する誰一人として、その問題の所在と真相を理解しているものはいない。それぞれにニュアンスや立場の違いはあっても、体制に迎合か、大勢に従属かは知らないが、みんな世俗的通念や時流の波に同調した通俗的な見解にすぎない。発言するのなら、わがこととして、じぶんに引き寄せて考えろ。そこからしか、なにも始まりはしないのだ。この態度が、トータルな視点もなしに、その語彙があると「差別につながる」だの「不適切な表現」などと騒ぎたてて襲いかかることを、容認しているのだ。また、そんな条件反射のようなマインド・コントロールされた思考の病理的な意識は問わないとしても、その言語観は、現在の〈法〉支配のもとでの〈実証(記号)主義的〉言語観と通底しているんだ。例えば小説作品で、何ページ目何行から何行目までに卑猥な表現があるから、この書物は「猥褻文書」であると指定し発禁処分にするのと同じで、不当で反動的なものだ。何が「猥褻」だ。木の股から生まれた人間がいるなら、お目にかかってみたいものだ。ひとには〈性〉の芽生えもあれば、サカリもつく、それが人間の〈自然性〉なのだ。ところが、作品の全体性や作者のモチーフなど無視し、作品の〈構成〉という要素も、作品の底を流れる時代の無意識も度外視して、その字句や部分的な表現で判断するという、およそ文芸というものも、人間の存在構造も理解しない〈機能主義〉的な言語観にすぎない。これが現在の社会をリードする言語理論だといっていい。そこでいえば、文学作品という言語表現と社会的現実とは無関係なんてことはない。社会的現実の方がより切実で大切だというのなら、なおさら、その〈トータル性〉は尊重されてしかるべきなのだ。
 まあ、以前はあたりまえのように「外人(ガイジン)」と言ってきたし、ごくふつうに使われていた。それがどうしてかは知らないが、近年「外国人」と言わないといけないという用語規制が幅をきかせるようになった。戦前なんか「毛唐」と呼んでいたらしく、それは戦後も残っていた。もちろん、戦争で敗北した関係もあって、その言葉の意味合いは敵対的侮蔑的なものから、劣等感の裏返しとしての負け犬の遠吠えの意味合いに転じたと思うけどね。いずれにしろ「鬼畜」米英や「毛唐」なんて言い方は決して良いとは言えない。しかし、その言葉は歴史的に一般的に使用(流布)していたものだ。それが時代とともに変わることはいいが、それをわざわざ遡って、〈書き換え〉たり、〈削除〉したり、〈焚書〉にしたりするようなことになったら、それこそ歴史の改竄であり、過去の偽造だ。どんな差別的偏見であろうが、誤謬であろうが、あらゆる表現はそのまま残されるべきなのだ。そのうえで、それをトータルに止揚すべきなのだ。だから、今度のことでも、抗議した個人も、部落解放同盟も、そして、削除した朝日新聞出版も、根本的に間違っている。批判するのなら、一対一(タイマン)で、吉本隆明の思想を全面的に批判すればいい。それができるなら、やったらいいんだ。そうなれば、思想と存在の全質量をかけた対決となり、有意義なものになるだろう。
 吉本隆明の『共同幻想論』や『柳田国男論』や『アジア的ということ』などをじぶんの真正面にすえて、さしで取っ組んで、全体的に対象化する格闘をやればいい。そうすれば、組織や運動の共同性の陰に隠れて、抗議や難癖をつけることなんか、虚しい行為だと立ちどころにわかるはずだ。しかし、朝日新聞なんて、いまだに平野謙の「政治と文学」理論のレベルに止まっている。さらに長岡の記事に拠れば、今回のことでも「部落解放同盟中央本部によると、朝日新聞出版には抗議としてではなく、申し入れはしたとのこと」とある。これこそ、部落解放同盟の歴史的犯罪性を物語るものだ。いつも、最終責任を回避することにおいて一貫しているといっていい。われわれは「申し入れをした」だけであり、削除や回収という実質処置は出版社の判断であり、それについて、われわれは何も関与していないし、そのことに責任を負う必要はないという、言い逃れの典型だ。この組織体質は、戦前の部落解放同盟の前身である水平社時代から現在まで変わらないものだ。太平洋戦争において、水平社は戦争翼賛の一翼を担い、戦争推進の尖兵と化したのは歴史的事実だ。そして、戦後になっても、一度もそのことを自己批判したことはない。現在まで頬被りをつづけている。そんなことは、日本ファシズムに強制された過去のことだと強弁するかもしれないが、しかし、「言葉狩り」や差別事件糾弾の過程において、相手を呼び出し、倫理的恫喝を加え、集団で吊るしあげ、職場から追放したり、自殺へ追いこんだりしてきた事実は、消去することはできはしない。ひどい場合は、家へ右翼の街頭宣伝のように押しかけ、「差別者は許さない」などとがなりたて、脅迫したあげくに「差別者の家」などという立て看板を打ち立てたりした、威圧的暴力やリンチ行為を糊塗することはできはしないのだ。また、自治体や教育委員会に圧力をかけて、左遷や解雇に追い込んできた。そんな場合でも、われわれは差別について「申し入れした」だけで、処分を下したのは行政当局であり、その結果についてはなにも関与していないなど、ぬけぬけと言い、口を拭ってきたのだ。この姑息な責任回避こそ、この運動の本性を語るものだ。そこでは、われわれはそれだけ歴史的に差別され、虐げられてきたなどという自己正当化は通用しない。そうであるなら、なおさら、そういう人権抑圧や迫害行為は許さないという立場を基本にして、運動を全社会的に開いてゆくことが要請されることは論をまたない。そうでなければ、隠微な憎悪と報復の応酬の連鎖に陥るだけだ。要するに、わしの言いたいことは、やったことには最低限〈責任〉を持て、ということだ。それは左翼も部落解放同盟も大新聞社も関係ない。それは出版社や図書館に抗議した連中も同様だ。そうでなければ、ますます腐敗していくだけだ。朝日新聞出版も、削除で一件落着などと思ったら、大間違いだ。おまえらが言論活動に関わるかぎり、本質的な解明と本源的な解決を目指すことは責務なのだ。だいたい、この連中はすぐに「影響」などというが、そんなもの、主体の位相のすり替えであり、問題の副次性への転嫁にすぎない。
 おれは夜間高校時代に、いまも部落解放運動をやっている友人に誘われて、「高知部落解放研究会」というのを作った。当時の全共闘運動と連動する形で、政治的な闘争にも加わったけれど、仲間といろんな地区をまわって、年寄りの話を聞いたりした。それで地域の実態が分かったし、地区から学校に通っている同年代の者とも友達になった。あの頃はおれも溌剌としていたような気がするな。それから、原発燃料最終処分問題でもめた、高知県の東端の東洋町の誘致反対運動を経て、今はそこの町長になっているホタロウ(沢山保太郎)さんと知り合った。彼は当時、狭山差別裁判糾弾を掲げた浦和地裁占拠闘争で逮捕され、仮保釈で郷里に帰っていたんだ。家に泊まりに行ったこともある。彼は滅茶苦茶な騒動屋の側面もあって、おれたちのメンバーがいろいろ悩んでノイローゼになり、病院に入院した。ところが、ホタロウさんは唐突に同志を奪還するために、その病院へデモをかけようと言い出した。何を言い出すんだと驚いているうちに、ビラまで作った。それで、いよいよ実行という前に、いくらなんでもそれはできないでしょう、入院している仲間は、不眠症みたいになっていて、それでじぶんで病院へ行ったんだから、それはやめましょうといって、なんとか押し止めたこともあったね。やがて彼は大阪へ出て、全国部落研連合の議長になった。その後の軌跡についてはおれが語る必要はないと思う。彼は彼の道を通って、現在は町長だ。
 時は流れた。
 おれはじぶんの来歴について、なにも隠すことはないと思ってる。結局、高校を中退して、宿毛湾原油基地反対闘争で現地に入り、漁師の手伝いをしたあと、そこを引き揚げてきた。その時のメンバーの殆どは、おれと一緒で大学をやめたりしたんで、職をさがす必要があった。それでみんなで市役所の清掃課の試験を受けたんだ。当然、みんな落ちた。しかし、おれは試験願書と実際に試験を受けたときには、住所を転々としていて変わっていた。そこで試験会場で、合否の連絡住所を告げた。ところが、その伝達がうまく行ってなかったらしく、おれだけ不合格の通知がこなかった。そうしているうちに、市役所の職員がやってきて、来月から「臨時で採用することになりました」と言った。要するに事務的ミスをカバーするために、実質合格ということになったんだ。清掃課の仕事はそれまでもアルバイトでやったことがあった。屎尿取りとゴミ収集だ。その両方をやったんだけど、その職場には「部落」の人が多かった。それで仕事仲間ということで、いろんな人とのつきあいが始まった。これは活動している時よりも、好悪がはっきりしていて、ウマの合わないやつもいれば、人の好い親切な先輩もいた。ジュン坊も、そのときの同僚だ。彼は清掃車の運転手で、おれは収集係だった。でも、ジュン坊は運転が下手で、一度なんか集めたゴミを焼却炉に捨てたあと、バックにギアを入れてしまい、車ごと焼却炉に転落したこともあったよ。どんくさいところが、じぶんと似ていて、仲良くなったんだ。それで、彼の家に誕生日に、妻と二人で招かれたこともある。大きな家で、いっぱいご馳走になった。おれはなんの芸もないんで、酔っ払って岡林信康の「流れ者」を歌ったら、音痴で聞けたもんじゃなかっただろうけど、うんと喜んでくれた。まあ、その他の人でも世話になった顔は思い浮かぶよ。差別されているから同情するなんて気持ちは全然なかったし、だいたい、そんな余裕のある立場にもとから居なかったからね。それで対等の関係だと思っていたが、どちらかという面倒見てもらったのは、こっちの方さ。
 そこでいえばな、部落解放同盟の果してきた役割というのは大きいと思う。就職活動の支援や、生活保護のための予算獲得や、地域改良の推進など、どれをとっても、住民にとっては経済的支援につながる重大な貢献だったんじゃないか。
 それはそうだと思うよ。おれはそういう面での部落解放同盟の運動について、世間で言われているような「同和利権」だの「逆差別」だのといった、つまらない口出しをする気は全くないよ。そんな金銭の絡む事柄は、各都道府県やそれぞれの市町村が予算編成し、行政が決定することだ。そんなの、おれなんかの与り知らないことさ。その行政への要求や交渉過程の裏にも、糾弾闘争や「言葉狩り」と同じような運動の暗黒面が伴っているだろうがね。おれはその後、建築労働者として働いてきたんだけど、その仕事の関係で、いろんな地区の同和対策事業に一現場労働者として関わってきた。その位置から見聞したことや体験したことで、地区の実際についていえることはいっぱいあるさ。しかし、そんなことは殆ど相対的なことで、あえて言う必要はないと思っているよ。誰であろうが、少しでも生活が豊かになり、いい暮らしをすることは理想の方位だからね。ただ、この「同和対策事業」で、古い集落はどんどん壊されていった。おれはそれは基本的にいいことだと思っている。中上健次の描くところの「路地」なんてものは、この段階でほぼ消滅したんだ。
 そうだな、〈部落の解体〉をまっこうから描こうとしたのが、中上健次の『地の果て 至上の時』だ。しかし、残念ながら小説としては失敗作だった。ほんとうに「部落」の現実を直視しようとしたのは、作家では『岬』や『紀州』をはじめとする中上健次だけのような気がする。他のやつのは、どこかに共同利害(党派性)が潜在しているような気がするぜ。中上健次は芥川賞を受賞し、作家としての地位を獲得した。その中上がその後、もっとも欲しいと思ったのは谷崎潤一郎賞だった。谷崎を尊敬していたからだ。それで、作品がその候補にのぼった。しかし、選考委員の一人が中上の受賞に強硬に反対した。それは作品の評価というより、中上の出自を忌避したからだ。むろん、そんなことは利口だから、おくびにも出しはしない。中上はそれをじゅうぶん承知していて、口惜しくは思っただろうが、泣き言を言っても始まらない。そうならば、もう実力で突破するしかないと思ったにちがいないぜ。賞なんてものは所詮、世間的な飾りつけ、あるいは登りの後押しにすぎない、作品の〈価値〉はそれを越えるものだからな。
 素朴実感主義の観点からいえば、「部落差別」っていうのは、封建時代の身分制を制度的な基盤として培われた差別意識と地域性にあるよね。どこそこは「同和地区」だという具合に。だけど、この地域改良によって大きく地域の様相は変容した。また住民の中にも、そこから離れた者も多いね。だから、おれの昔の職場の同僚でも、新興住宅地に家を購入して、別の所に住んでいる人がかなりいるよ。思わぬ所で偶然会ってびっくりしたことが何度もあった。「お元気ですか」と声をかけると、「おお、マツオカか。元気にやってるぜ。おまえこそ元気か。あいかわらず痩せてるな、もっと飯食って、体力つけないと駄目だぞ」なんて応えてくれたりしてね。別に逃げ出したわけじゃなく、経済的事情が許せば、快適な場所に引っ越すという、あたりまえのことさ。そうなると、くだらない偏見の眼差しなんか届かないからね。おれは、みんながそうすべきなどとは思わないけど、そうしたい人はそうしたらいい。そうなると、もう部落解放同盟なんか全然、当てにも頼りにもしてないからね。われの生活はわれが守るって感じで。これは〈地域性〉と〈同胞意識〉の拡散というよりも、地縁と血縁との〈未分化〉という、地域共同体の編成に内在する〈未開性〉の最後の温床に、止めを刺すものだ。これが、いわば「部落」の終焉じゃないのか。
 まあな、彼らの経済的水準は決して低くないよな。差別によって虐げられて、貧困にあえいでいる、なんてイメージは過去のものだ。だから、部落解放同盟も「部落解放」なんていっても、自分たちの地盤にすら通用しなくなったんで、「人権擁護」というふうに表看板を替えたんじゃねえのか。それに、地区外との婚姻率だって、とうに五〇%を超えているからな。その段階で、地域問題としての「部落問題」は基本的には超克されたといえるぜ。運動主義者や同和利権にしがみついた連中は、絶対に認めないだろうがな。依然として「部落差別」は根深くある、その偏見と差別に苦しむ人々は大勢いるんだと、言い張るだろうがね。そんなの、客観的な統計データを出せば、一目瞭然のはずだ。
 関係ないよね。おれ、高知部落研で活動していた時、地区の子でかわいい娘がいたよ。おれは馬鹿だから、運動には色恋沙汰はご法度と禁欲的に思っていたから、そんな女の子から好意を寄せられても、恰好つけて遠ざけていた。でも、後になって思い返すと、「しまった」と後悔したよ。あのとき、つかまえていたら、なんてね。よほどの差別主義者や、いまだに家柄だの血筋だのと考えているものは別かもしれないが、この高度資本主義社会で、そんなことにこだわる人間は完全に少数派になったんだ。
 それが実感だな。だが、地域差はあるからな。吉本隆明が「アジア的ということ」の中で、奈良時代の地域による階層構成の差異を図表化しているんだが、それによると、京都や山城といった当時の中央ほど階層は分化していて、そこから遠隔の地ほど階層は単層化している。例えば、陸奥だと住民の全部が「平民」だ。だから、現在でも、京都や大阪といった関西地方、つまり、大和朝廷(天皇制)の政治的あるいは宗教的権力の中心に近いところは、階層分化は多層になっていて、その階層間の対立や反目も根強く残存している気がするぜ。だから、わしらの地元とは多少事情が異なるかもしれないな。まあ、国家が死滅しないかぎり階級支配が存続するように、天皇制が解体しないかぎり「差別」も消滅しないかもしれないがな。
 うん。ここで、おれは駄目押しをしておくよ。「特殊部落」という言葉の使用が「差別につながる」なんてことはない。例えば、田中優子の『カムイ伝講義』には「エタ」とか「非人」とかという言葉はいっぱい出てくる。それに対して、部落解放同盟も人権擁護団体も「差別につながる」とは言いはしない。それは、田中優子は反差別の立場に立った大学教授だからいいんだと、この連中は言うかもしれない。しかし、そんな〈立場〉によって、使われた用語を〈選別〉することはできないことだ。常識的に言ったって、田中優子はよくて、おれは駄目なんてことはないはずだ。たとえ、おれが無知で無学であってもね。そんなことができると思っているのは、出鱈目な「社会主義リアリズム論」や愚劣な「主題主義」だけだ。それこそ、政治的あるいは社会的な利害に基づく、〈作為〉の持ち込みであり、不当な越権なのだ。もっと露骨にいえば、「部落」出身者(被差別な身内)は、体験的な被害に根ざしているから、どういう使い方をしてもよくて、そうでない場合は、たとえ反差別的な志向を持っていようと、「問題がある」とみなしてきたんだ。この恐るべき倒錯と横暴の餌食にされて、糾弾(吊るし上げ)を受けた詩人もいるのだ。そんなことがほんとうは許されるはずがない。おれは繰り返し言っておく。ある言葉(語彙)を「差別語」などと決めつける権利は、誰にも、何処にも、与えられていない!
 『世界の名著』の中の、マリノフスキーの未開社会を研究した古典的著作を「差別につながる不適切な表現」があるなんていって、抗議する動きがあったけれど、こうなってくると完全に末期的症状だ。日本の『古事記』や『万葉集』や『源氏物語』に、今日の人権意識に照らして「差別につながる不適切な表現」があれば、その個所を〈書き換え〉たり、〈削除〉したり、〈伏字〉にしたりしてみろ。日本列島の〈文化〉も、人類の〈歴史〉も、世界の〈文明〉もあった話じゃなくなるぜ。それは〈現在〉に対しても同じなのだ。

  壺装束などという姿で、女房の卑しからぬ様子のものや、また尼などの世に背いて出家したはずのものなども、倒れて転びそうになりながら、見物に出ているのも、いつもなら「なんてことだ、ああ見ぐるしい」とみえるのだが、今日は道理ともおもわれ、口を歪めて髪を着物のなかに挿し込んだ卑しい者たちが、手をもんで額にあてながら源氏をお見あげしているのも、興ぶかくみられる。みるからにぶざまな賤の男まで、じぶんの顔がどうなっているのかも知らないで笑いくずれている。どうしたって、源氏の君が目におとめになるはずもない、つまらぬ受領の女などさえ、精いっぱいの贅をつくした車などに乗り、とくに念入りに衣裳をえらび、心をこめて化粧したに相違ないのが、さまざまに興趣ある見ものであった。
   (『源氏物語』「葵」吉本隆明訳)

『源氏物語』には、こういう侮蔑的な描写はいたるところにあるぜ。この身分差別や閉鎖的な感性による偏見も含めて『源氏物語』は、世界文学の中でも確かな位置をもつような古典的名作じゃないのか。
 うん。「華麗なる宮廷絵巻」という俗説を越えて、夜這いや、地位をかさにきたご無体な懸想や、近親相姦まがいの行いでいっぱいだからね。それで川原泉のマンガでいけば、『源氏物語』の光源氏の振舞いは、次のような結論になる。

 ‥‥だから 光源氏とゆー人は 女の人の迷惑も考えず やみくもに本能のまま 行動し 知的ブレーキのあまり利かない性格か 或はブレーキ自体が 存在しない質(たち)であり いわゆる「歩く煩悩様」の典型的な例だと思われます。(更科柚子)

 ‥‥ゆえに 光源氏とゆー人は 性的衝動の赴くまま 他を顧みる事無く 自らの欲望を 満足させなければ気が済まない ミーイズムの人であり このよーなタイプは さしずめ「性衝動人」と申せましょう。(司城史緒)

 ‥‥つまり 光源氏とゆー人は 独りよがりの悩みで 周囲の人々を不幸に 巻き込むだけでなく さらにその執着心と多情さで 不幸を拡大させるとゆー得意技が パターン化された 「増殖ワラジムシ」であると言える。(斎木和音)
   (川原泉『笑う大天使』)

 これ、いいよね。たとえおれも、こんな宿題のレポートを提出したマンガの中の三人娘も、初歩的な諭しである折口信夫の「日本の創意」を読んだだけで「なるほど」となるとしても。こういう愉快なセンスは、すぐにクレームをつける神経症のやつらには皆無だからね。ただほんとうのことをいえば、ここで川原泉が指摘した、光源氏の色好みや性格悲劇を描き切ったところが『源氏物語』の〈根源性〉だ。
 去年、「部落差別をなくする運動」強調旬間に県などの主催する講演会があって、近世史が専門の法政大学教授田中優子が講演している。その紹介記事が新聞に載っていた。それによると、

 「皮革製品を作らせる職人集団を武士階級が囲い込んだことが被差別集団の源泉」とした上で、牛馬の死骸を扱う職業への偏見が差別意識を拡大させたとし、「徳川綱吉の生類憐みの令がさらに偏見を広げた可能性がある」と解説した。
  また「気付かないうちに百姓と被差別民が憎しみ合うなどの構造が生まれた。現代でも階級や格差など背後に隠れた仕組みが見えにくくなっており、そうした現実に目を向けなければならない」と指摘した。

   (『高知新聞』二〇〇九年七月一六日記事)

 なんか、ものを言う気が失せるよね。この大学の先生に、まず「本気で言っているんですか」と聞かないと、話は始まらないような気がする。こんな立派な先生を呼んで、こんな気休めの講演で、満足している部落解放同盟高知県連の方々も、立派なものだ。おれも田中教授の『カムイ伝講義』、買って持っているんだけど、少し読んだだけで、読む気がしなくなり、そのままにしてある。だから、いまはなにも言わないことにするけど、高校生の時、地区をまわって聞いた古老の話と何も変わりはしないよ。その方が身に滲んだ体験から出たものだから、ずっと含蓄に富んでいたような気がするけどね。だいたい、この連中は、白土三平の『カムイ伝』は差別に抗する人々を描いたマンガだからと持ち上げ、他方では平田弘史の『血だるま剣法』を「差別、偏見のマンガ」として、糾弾対象にして発売禁止・廃棄処分にさせた。平田のマンガだって、差別を憎悪し、異様ともいえる凄まじいパッションを描いた迫力ある作品だ。それはおれからみても、おかしいと思えるところはあるけど、差別的な作品じゃないよ。
 こんなもので、二一世紀の日本で啓蒙活動になると思っているんだ。呆れて開いた口が塞がらないぜ。ここは田中優子と同じところに言及した、吉本隆明の『柳田国男論』からの引用で締め括るのがいちばんだな。

  予が見解を以てすれば我国に畜産の盛ならざりし原因は大略左の数点に在るなるべし、第一には上古肉を食ひ皮を衣るの習慣が十分に盛ならざりしことなり、而して其理由は又気候の温和にして他の衣服の原料も早くより発見され、山禽野獣の肉は或程度までの需要を充し、魚介も亦豊に植物性の食料はた多かりしことに在るなるべし、第二には仏教の影響なり、此宗教が熱帯の天竺より起り殺生を戒め清浄淡泊の生活を勧めしことは更に家畜の必要を滅却せしならん、第三には人口の数に比較して利用せらるる土地の面積狭きに失し、農業に動物を使役するの機会少かりしことなり、第四には肥料として夙に人糞の施用せられしことなり、此第四の原因は或は又前三者の結果なりとも言ふを得べし、兎に角人の排泄物を以て肥培の用に供せしは久しき以前よりの習慣にして、之を以て西洋に於ける家畜飼養の手段に代へ、自然に養力循環の理法に合せしなり、
   (柳田国男『農政学』「総論」 第二章 農業の特性並に日本農業の現状)

 この引用につづいて、こう記している。

  わたしは日本に牧畜の発達がなかった理由と、牛馬の解体が賤業視されたいわれのない根拠を、これほどはっきりと説明した例をほかに知らない。柳田は農業経済史家としても、同時期にかんがえられないほどの水準にあった。ここには農が宗教生活と交錯し、習俗や禁忌と交錯し、部族の差異を閉じた共同体の差異として永続化する契機と交錯し、農の共同体と非農的な職種の共同体とが相互に反撥しつつ、禁忌を挿んで対立する契機と交錯する場面が柳田によって潜在的に想定されている。
   (吉本隆明『柳田国男論』)


      6 二番煎じの話 [二〇一〇年一一月]

 根石さんに、初めて会ったのは一九九二年の元旦だったよな。
 うん。せいさんが実家に里帰りしていて、根石さんも一緒に来ていた。それで訪ねてくれたんだ。たしか上町五丁目の電停まで家の人に車で送ってもらって、おれがそこまで迎えに行った。土産に酒を貰ったよ。根石さんは結構緊張していたな。
 それはそうさ、訪ねる方は緊張するものだ。おまえのことだ、そのとき、何を話したか、なにも覚えていないだろう。
 覚えてない。それから交流が始まったんだけど、おれ、根石さんの自作の家が完成したら、長野へ行くって約束してるんだけど、その約束をいまだに果していない。ぐずぐずしているうちに、どんどん時間が過ぎて、あまり身軽に動けない感じになってきたんで、ヤバイなと思ってるよ。
 嘘つきの証拠だ。わしはこの間、川村寛さんちで、ネットのグーグルの俯瞰映像を見せてもらったから、鋳物師屋の根石家の位置とその周辺の感じは分かった。千曲川が流れていて、それで出来たとおぼしき平野があり、その後方に山があって、だいたいその平野の中間あたりだな。武田信玄と上杉謙信の合戦の繰り返された川中島に近いんじゃないか。おまえ、実際に会うまえに、根石さんのことを知ったのはいつだ。
 それは岡山の加藤健次さんが『防虫ダンス』という雑誌を始めて、それに何か書いてくれって言ってきたんだよ。そのとき、おれは関心の中心が詩にあって、詩の時評みたいなのをやってみたいと思っていた。だから、引き受けたんだ。全国で発行されている詩の同人誌を一応見てみたいってのもあったし、自分で書いている奴って、一般的に他人の書いたものってあまり読まない傾向があるだろう、とくにおれみたいな学校が嫌いで、本を読むのも得意じゃないものはね。それに加えて、ややもすると、地元にひきこもり、視野が狭窄してしまいがちだからね。世間は広いと判っていても、おれみたいなこだわるタイプは、どうしてもじぶんのやってきたこと、つまり左翼的な思考と視野の枠に収まってしまう。その殻を破りたいっていうこともあって、加藤さんの誘いに乗ったんだ。
 おまえ、加藤さんに頭があがらないだろう。世話になっておきながら、礼のひとつもしていない。
 うん、加藤さんは凄かった。いろんな詩人に原稿依頼し、集まった原稿を自分で全部ワープロ入力して、ゲラ出しして、校閲してもらっていた。経済的にも労力的にもたいへんだったにちがいないよ。詩の時評は何回やったかな、じぶんのところに送られてきたものと、それから加藤さんのところに送られたきたものをみて、やったんだ。加藤さんがまとめて送ってくれたからね。その中に根石さんが発行していた『月刊へるにあ』って雑誌があって、それが面白かったんで、時評で言及したのが最初だとおもう。それに対して根石さんが雑誌で言い返してきた。それからだね。
 おまえの話は大雑把だからな。『防虫ダンス』は一九八七年四月創刊、季刊で、おまえが「詩時評」を始めたのは、第二号(一九八七年七月発行)からだ。それで第八号(一九八九年二月)で終刊している。おまえの連載は七回だな。
 『防虫ダンス』の時評の発言に対して、鈴木志郎康と佐々木幹郎から抗議の手紙が届いたことは覚えているよ。鈴木志郎康の抗議は、鈴木が新日本文学会が運営していた「詩の教室」の講師をやっていることに触れたのに対して、鈴木は自分は「新日本文学会の会員ではない」と言ってきた。佐々木幹郎のは、革命的共産主義者同盟全国委員会(いわゆる中核派)の大阪の反戦高協の創設メンバーらしい、一種の恫喝だったような気がするが、もう覚えていないね。おれ、詩人ってやつは、〈余計な親切〉がお好きなんだと思ったよ。
 「有名詩人」からの抗議は名誉なことだ。その手紙は蔵ってあるか。
 どこかへ放り込んであるはずだ。でも、掘り出す気はないね。もう全部時効だよ、加藤さんへの不義理ってこと以外はね。おれは基本的に、同人誌に発表されたものとはいえ〈公表された発言〉に対して、〈私信〉の形での抗議は認めないね。それぞれ発言の場があるはずだから、間違いを正したり、気にいらなければ、公然と叩けばいいんだ。まあ、自分はメジャーだから、おれのようなマイナーの駆け出しを相手にしたら沽券に関わると思ったのかもしれないが、そうだったら黙っていればいい、泡沫とみなしてね。
 それで、おまえは根石さんのファンになったというわけだ。
 根石さんには『みだらターザン』(一九八二年四月刊)という、わりと端正な詩集もある。

    みだらターザン

 ターザン風邪ひいて下品下品咳した
 タカコちゃんトコロテン食べながら馬走らせた
 ターザンちゃんあたいを攫ってどこかそこらで皮剥いで!
 さんざんわめいてころころころげて馬ふんづけた
 馬怪我してわんわん泣いた馬すわりこんだあぐらかいた
 ターザン下品下品咳した
 タカコちゃん別の角度から馬責めた
 馬にゃあにゃあ笑った
 タカコちゃんたちまち禿げあがり尻から卵産んだ
 ターザン舐めたターザン舐めたぴちぴち音した
 タカコちゃん血の毛なくなったターザン舐めた
 タカコちゃん血の毛なくなった馬の毛ふえた
 馬ぴよぴよ喋った
 ギッタラバッタラして馬ぴよぴよ喋った
 きもちよい亜熱帯高気圧のごむまりごむまり
 おっとここらは毒の多い
 ターザン馬の尻に棒入れた
 馬ぴょんぴょん跳ねた踊った輝いた死んだ
 タカコちゃんにっこり
 しなしなした
 したのほうもした
 ああいタカコちゃんわるい娘わるい生娘下品下品
 積乱雲砕けて牛猪突した頭さげてぺこぺこ走りくる
 ターザン高く飛びあがりマントひらりとさせた近代
 またまたまたタカコちゃんは好きな道をえらぶ
 牛に正面衝突をのぞみかたく抱きついた
 牛死んだ
 タカコちゃん牛の皮剥いた白い脂が流れた
 どきどきターザンを見て
 あたいにもしてというのだ


 全十三篇で、これが表題作だ。この詩集は豆本だから小さい。それで紛れ込んでしまうといけないんで、本棚の定位置に置いてあったんだ。だけど、おれ、意味もなく本棚いじるの、好きなんだ。図書館の勤務だとか本屋の店員なら、けっこう性に合ってるような気がする。だけど、本棚をつついたときに、どこへ置いたか、判らなくなった。探しても見つからない。どうしようと思って、何ヶ月もして妻に聞いたら、「あなたは、カセット・テープ類と一緒に二階へもって行ったわ」と言われた。それで見つかった。
 まあ、リスが木の実を蔵い込んで忘れるみたいなもんだな。それに、何か思いついても、三歩歩けば忘れるクチだからな。だいたい、整理能力が欠如してるよ。資料や手紙をそこらへんに突っ込んでおいて、必要なものがあると、やみくもに混ぜくりかえすから、余計に煩雑になって、収拾がつかなくなる。そんなんじゃ、おまえが『吉本隆明資料集』を出してるの、集めた著作や対談や談話などの収拾がつかないんで、まとめているだけじゃないかと思われかねないぜ。わしは『みだらターザン』のなかでは、「町をぬけて」という詩がいちばん好きだな。

     町をぬけて

 町には女が歩いていて
 私はそれが気がかりだった
 女にはいろいろがついているので裸体ではなく
 はだしではなく
 犯されて死んで片足だけみつかった
 そのもとの体に似ていて
 まだ犯されてはいなくて死んではいなくて

 私は下を向いて歩いていて
 夏の太陽だから首を撃ってきて
 影は私の影だがくっきりと重くて
 歩いてくる女の影がそれに重なるときに
 何かが死んでゆくのだった
 やっと目をあげると
 町はぐるぐるとめまいしていて
 いつでもそこにあるのだった
 みずすまし
 みずすまし
 狂うみずすましの影が水底で正円を描き

 町はぐるぐるとめまいしていて
 町には女が歩いていて
 私はそれが心配だった
 ふくらはぎやももはむきだしで
 むきだしの脚に即してさかのぼれば
 そこには私が思う穴が閉じていると思えば
 それもやはりむきだしで
 心配だった

 町をぬけると
 女のいない草っぱらに
 太陽がひとつしたたり
 私の莫大な影が
 うすら青い手と脚をつかんで
 背後にひどく伸びていった


 こういうのが、ほんとの抒情詩だ。根石さんは一九五一年八月生まれで、おれは同じ年の一二月だ。
 「私は下を向いて歩いていて/夏の太陽だから首を撃ってきて/影は私の影だがくっきりと重くて」というところがじぶんと似てるなと思ったぜ。根石さんは、この詩のように鬱屈を抱えていて、一見慮外者にみえても、ほんとうは真摯で不器用なんだ。フロイトに言わせれば、子どもはみんな変態性欲の傾向を普遍的に孕んでいるから、それがエロス的に解放されていれば、わりと顔をあげて女性と接することができるんじゃないか。むかしは『罪と罰』のラスコーリニコフみたいに、孤独に暗く心を閉ざして、世界への敵意を抱いているのがカッコイイと思っていたが、どうも歳をとると、柔和な人のうちに偉大さは宿るんじゃないかと思うようになったな。日常的なことでいえば、いまは職場で女の肩や尻を触ったりしたら、それこそセクハラだって大騒ぎになるんだろうが、ひとむかし前はそんなの日常の挨拶がわりみたいなところがあったからな。でも、そんなこと、出来ないものは出来っこない。高校の時、好きな女の子がいて、つきあっていたんだが、触れることなんかできなかった。ところが、同じクラスの男が手相を見てやるなんて言って、彼女の手を取った。わしは「この野郎!」と思った。しかし、そういうことは、出来ない者からすると、その隔絶って絶対的だからな。夏目漱石の小説の三四郎にしても、『行人』の一郎や二郎にしても、そんな感じがするな。作者の漱石自体がきっとそうなんだ。『三四郎』の冒頭で汽車で一緒になった女と同宿することになり、なにごともなく別れるだろう。そのとき、女が「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」って言うだろう、あれだ。
 詩の業界は凋落の一途だ。その象徴が思潮社が始めた「鮎川信夫賞」さ。詩集部門が谷川俊太郎、詩論部門が瀬尾育生と稲川方人、特別賞が粟津則雄。この顔ぶれだ。出版社も選考委員も受賞者も、これでみっともないと思わないのかな。お仲間の盥回し、自社宣伝の猿芝居。こんなものになんの意義もないよ。賞をやるんだったら、無名の新鋭にやればいいんだ。本人の励みになるし、詩の世界への新風にもなるかもしれないからね。
 村上春樹の『1Q84』の第三巻(BOOK3)が出たな。
 読んだよ。いよいよアホらしいことになったよ。別に青豆が「引き金にあてた指に力を入れた」しかし、力を入れただけで拳銃の引き金を引いたわけじゃなかった、というダマシに腹をたてているわけじゃないさ。この程度のごまかしやはぐらかしに怒っていた日には、白土三平のマンガなんかつきあえっこないからね。ただ、この第三巻目で、こけおどしの通俗小説だということが完全に実証された。そして、村上春樹は、なんのことはないエンターテイメントにすぎないということになったんだ。
 『1Q84』は、もう一冊出るかもしれないぜ。なにしろ一から三で、四月から一二月までだからな。一月から三月までのやつが。
 そんなことは知ったことか。勝手にすればいい。
 ただ、怒ってるだけじゃ話にならないぜ。ちゃんとその理由を言わないとな。
 どこを取り上げても同じことさ。ある作家が第三巻の全部がエピローグだと言っていたけど、その通りだと思う。でも、おれとしてはそれでは済まない。第一に、この小説に出てくる「さきがけ」という宗教団体は、誰がどう読んでもオウム真理教だ。それで村上春樹は、地下鉄サリン事件の被害者にインタビューした『アンダーグラウンド』というノンフィクションを建て前とする本も出している。その村上春樹が「さきがけ」の山梨の教団施設に大きな焼却炉があり、そこで内部粛清者や外部から拉致した者を焼却し、灰にしてきたと書いている。そういう殺人と死体遺棄は自明の前提として、この作品のなかで語られているんだ。

  牛河は山梨の山奥に「さきがけ」本部を訪れたことが二度あり、そのときに裏手の雑木林の中に設置された特大の焼却炉も目にしていた。ゴミや廃棄物を焼くためのものだが、かなりの高温で処理するため、人間の死体を放り込んでもあとには骨ひとつ残らない。何人かの死体が実際にそこに放り込まれたことを彼は知っていた。
  (村上春樹『1Q84』(BOOK3)第1章)

 一部で、そういうふうに報道されたけど立件されたわけではない。ふつうなら、誰かがオウム真理教をモデルにしてストーリーを作り、その中にこれと同じような展開があったとしても、所詮フィクション(作り話)で済むかもしれない。しかし、村上春樹の場合は、いきがかり上そうはいかない。村上春樹は、作家としてサリン事件の被害者にインタビューし、オウム真理教の幹部の取材もやり、事件に大きくコミットし、それを重要な対象としながら、その組織や宗教性と真向かうことなく、問題の核心を回避したうえで、風聞や根拠のない推測をさも〈既成事実〉であるがごとく、作品のうえで扱い、読者に流布しているといえる。そうやって、村上春樹はオウム真理教と地下鉄サリン事件を〈ミステリー〉に仕立てあげたんだ。でも、あれは〈ミステリー〉じゃない。
 警察が警察庁長官狙撃事件の犯人を逮捕することができず、時効が成立した際に、法を無視して、犯人を特定することはできなかったが、オウム真理教の犯行に間違いないという異例のコメントを発表した。これはどう考えたって、特定団体にたいする予断と偏見に基づく〈不当な擦りつけ〉だ。だいたい、狙撃された国松長官は、じぶんたちのトップだろ。その犯人を逮捕できないことは、職務遂行能力が問われるはずだ。それなのに国家の組織が、こんなことを〈公然〉と言っている。オウム真理教の後身であるアレフが抗議するのは当然だ。こんな〈無法〉の越権が許されるはずがない。村上春樹が作品上でやっていることも、それと〈同列〉だ。
 そうだね。高知市の前市長松尾徹人は、オウム真理教の信者の高知市への転入は認めないという市の条例を議会へ提案し、全会一致で採択された。この「市条例」は、「思想と信仰の自由」や「居住権」を保証した「日本国憲法」に反するものであり、「基本的人権」を侵害する明らかな〈憲法違反〉だ。ところが、オウム真理教ということで、誰一人反対するものはなかった。保守派から「破防法」対象団体になっている共産党まで、みんな賛成したんだ。おれは頭にきた。しかし、こんなことに、すぐ声を挙げる立場にないし、実際、行動を起こすのは億劫だ。仮にそれを押し切って、異を唱えたとしても、このファッショ決議がくつがえることはないだろう。そのうえ、オウム真理教の信者や擁護者とみなされる。それも厄介なことだ。おれは、オウム真理教の出家主義に反対だし、やったことも否定する。麻原彰晃の考えにも共鳴しない。そうであっても、この条例が不当なものであることは明白だ。まあ、こんな条例は所詮、運用上は空文にすぎない面もある。なぜなら、転入者の一人一人を「オウム真理教」の信者であるかないか、その都度〈査証〉しなければならないからだ。そんなことを「市役所」がやるとは思えないし、それをやれば、今度はその場面で〈問題化)するはずだ。そういうふうに、おれは自己了解をつけたけれど、ちっとも、すっきりしたわけじゃない。
 あれは官僚あがりの松尾の、反オウムの社会時流に迎合した思いつきだ。だってよ、高知でオウム真理教をめぐってトラブルがあったわけではないからな。
 村上春樹は、イスラエルくんだりまで行って文学賞を受賞した際に、じぶんは「作家」だと広言した。そうだったら、作品が作家の主戦場のはずだ。そこでの格闘を放棄したら、作家としておしまいじゃないのか。これは単なる失敗作や駄作ということではないよ。村上春樹の作家性の崩壊だ。少なくとも『風の歌を聴け』から始まり、自ら築きあげてきた作家の〈本質性〉を台無しにしたようなもんだ。第三巻では「青豆」「天吾」の章に加えて、「牛河」の章が導入されている。これによって、本人は「第三人称」的視点にしたなんて言っているみたいだが、より作品の〈通俗化〉が進行したのさ。だいたい、大売れの国際的「大作家」と自他ともに認めているんだろうが、そのため担当編集者すら作品の〈欠陥〉について、適切なアドバイスもできないようになっているような気がするよ。たとえば「牛河」の章で、天吾の住むビルの一階の一室を牛河が借りて、天吾の動向を探っていて、牛河にも空に月が二つ浮んでいるのが見えだしたせいで、その月を見ているうちに、反対に青豆に尾行され、牛河の行動と居場所が青豆に知れるところとなる。そして、青豆の連絡によって、タマルが牛河の部屋に侵入し、牛河を殺害する。ところが、この第二五章は牛河が〈主格〉だから、当然牛河にとって、タマルは未知の存在だ。それで、最初は「男」というふうに記述しているのに、その章の途中で「男」と記述していたのが「タマル」というふうにすりかわっている。むろん、その場面で「男」が名告るところも、牛河が「男」を「タマル」と認識するところもない。

 (第二五章の書き出し)
 「それほど簡単には死なない」と男の声が背後で言った。まるで牛河の気持ちを読み取ったみたいに。「意識をいったん落としただけだ。あとほんの少しというところまでは行ったが」
  聞き覚えのない声だった。


 (「男」が「タマル」に変わるところ)
 「リーダー殺害の一件はおたくが仕組んだのか?」と牛河は言った。
  男はそれには答えなかった。しかしその無言の回答が決して否定的なものではないことを、牛河は理解した。
 「私をどうするつもりだ?」と牛河は言った。
 「どうしたものかな。実をいうとまだ決めてないんだ。これからゆっくり考える。すべてはあんたの出方次第だ」とタマルは言った。

  (村上春樹『1Q84』(BOOK3)第二五章)

 こんな初歩的な混乱が放置されている。
 それこそ通俗化の象徴的なあらわれだな。〈作者〉も〈語り手〉も〈登場人物〉も任意に入れ替わるという。
 おれはこの作品に本気で立ち向かおうと思い、言ってきた。しかし、こうなると、全部徒労のような気がした。たとえば、天吾の母親が父親ではないかもしれない男とセックスをしている場面が、天吾の幼少期の記憶として残っており、それがトラウマのように天吾の心に疑念の影を落としていることになっている。しかし、子が〈父〉と〈母〉の声を聞き分けられるようになるのは、三木成夫などの究明によれば、胎児の時期だということになっている。そこからすれば、この天吾のこだわり方、つまり作者の認識と設定はおかしいことになる。だけど、そんな上等な文句をつけるレベルにないということだ。好きだった作家がずっこけてしまったという失望ももちろんあるが、それ以上に「偉くなる」ってことは、実は怖ろしいことなんだと思ったね。
 まあ、こんな作品を否定できないようでは、日本の文芸に未来はないな。
 青豆が首都高速道路の非常階段を下りることから、「1Q84」の世界が開け、青豆と天吾が手に手を取って、非常階段を昇り、その世界から出てゆく。めでたし、めでたしの「純愛ストーリー」って具合にしているが、二人の愛が血ぬられたものであるように、この作品はペテン的な作為に充ちている。それはオウム真理教のことだけじゃない。柳屋敷の老婦人が、嫁いだ娘がその夫の性的暴力によって無惨な扱いをうけたことを憎むことは当然だ。そのうえで、その娘の夫に報復することもありうる。また同じように性的暴力を行使している存在を憎悪することも一般に可能だ。だけど、個人的な愛憎を拡大できるのはそこまでじゃないのか。それを社会性へ発展させると、そこに〈間接性〉が入ってくることは避け難いことだ。つまり社会運動や保護活動という拡散した形式になることは必然だといっていい。しかし、作品の中で老婦人や青豆がやったことは違う。それなのに、老婦人は老いによって、憎しみが薄れるとともに、虚しさが侵入するようになり、手を引くようになってゆく。こんな富と力に依存した〈特権的横暴〉が許容されるはずがないんだ。それはこの世界は欲望や利害などに基づいて、戦争やテロや陰謀や暴力が現実を支配していて、その人類が営々と築いてきた〈歴史の全体性〉から誰も逃れることはできないとしても、その打ち消しや克服がわれわれの方位であり、希望するところじゃないのか。オウム真理教の極悪非道の所業を断罪するというのなら、その真実を捉えなければならないはずだ。それと同様に、老婦人も青豆も無傷でいいはずがない。まして、村上春樹は『アンダーグラウンド』という「正義」という名のもとのボランティア活動に手を染めてるんだ。こんなもので、その消去になるはずがない。
 そうムキになるな。小説の読み方を間違えているって言われるぜ。『ノルウェイの森』より、その原型である「螢」のほうがいいに決まっているが、そうであっても、別に悪い作品じゃない。抒情的なメロディや、ワタナベと直子が散歩するシーンのなんでもないような雰囲気や、全体的なトーンが、作品を支えているんだ。
 おれも『1Q84』なんかより、『ノルウェイの森』や短篇、旅行記『遠い太鼓』のほうが好きだ。しかし、村上春樹本人はたぶん『1Q84』が最も良い作品と思っている。むかしの村上は、「螢」の中だったとおもうけど、いつも本を読んでいるから、他人から物書きになるつもりなんだと見られていた、でも、じぶんはそんなものになりたいとは思っていないし、なににもなりたくなかった、と作中で書いていた。そんな初心みたいなものから、遠く隔たってしまったのさ。いまではきっと自分はノーベル文学賞に値する作家だと思ってるんじゃないか。まあ、『1Q84』より木村紺の『からん』(一〜四)の方が楽しいからね。

 大石萌「のォ 百 今日ォーはなんや 仰ォー山 修学旅行生居るのォ やったらくそ 制服 目ェつきよるわい」
 吉見百「受験生の子ォらやんか 今日 私立の合格発表やさかい うちの学校もノノ って萌 あんたまた昼間からお酒なん飲んでからに」
 大石萌「ええけ百! 世の中にはな! ノンアルコールビールゆうのんがあるんじゃ」
 吉見百「スーパードライのノンアルコールなんあるかいな 見つかってもしらんえ? いや さぶ 見てる方が凍えるわ 風邪やらひいてもしらんしね」
大石萌「うお! ごっつい尿意来たで!」
  (木村紺『からん』)


 高校三年の柔道部主将が、昼間からビールかっくらってる図だ。不良もいいところなのに、明るい。これが落ちこぼれの野郎どもだったら、窓ガラスを叩き割ったり、先公を殴ったりするところだが、そんな愚行はしない。望月女学院の柔道部の面々は、学校ではじゅうぶん反抗的で異端なのだが、単細胞じゃないね。だいいち登場人物はきちんと描きわけられていて、活き活きしてる。その点『1Q84』は、青豆も天吾も歪んでいるし、ふかえりを除く登場人物も暗く陰湿だ。その世界も擬制的だ。第三巻で、生彩を放っているのは、天吾の父親が入院している病院の看護婦たちだけだ。
 しかし、こんな話は虚しいな。おかげで、わしらの話も二番煎じだ。
 おれもそう思うよ。でも、それはある面、仕方ないよ。こんな話は、話題の対象の善し悪しに左右されるところもあるからね。いいものについて言うと、話はひとりでに弾み、盛りあがるけど、つまらない事を話題にすると、浮かない感じになり、しだいに萎んでゆくさ。しかし、この躓き方はどこかで日本社会の壊れ方と通じているかもしれない。

  ヨドバシカメラの下請けの配送業者さんがやってきて、冷蔵庫も洗濯機も階段の幅がどうだ、カウンターがどうのこうので入らないと言っている。成田さんがすかさず「手伝ってやるよ、カウンターを越えて運べばいいんだろ、男五人いたら簡単だ」とかっこよく言う。しかし先方は「お客さんに手伝ってもらうことはできない、だから、カウンターの手前に置くから、自分でやれ、こっちの人手は貸せない」などと言っている。
  自分がせっかく運んできた冷蔵庫が、目の前で人手が足りないことによって、お客さんが落っことしたりして、たとえば壊れても、仕方ない、そうなったら責任は客にあるから問題が起きない、というわけだ。
  ヨドバシの人に「あほじゃないか?」と文句を言ったら、「こちらではなんとも、業者さんの会社の責任でして」などと言っている。いやな世の中だね?、分業にしちゃってるから責任のたらいまわし、まあ、それにつけこむ客もいるからってか。
  そして増員なら今から手配するから三時間待てとか言っている。意味なく炎天下の三時間、外においてある冷蔵庫と洗濯機。男手が意味なく五人、その場でぶらぶらしている。
  ほんとにばかみたいな世の中になっちまったノノ。

   (よしもとばなな『大人の水ぼうそう』「8月4日」)

 それで結局、冷蔵庫はカウンターの前まで運ばれて、そこから旦那と友人二人が入れるが、配送の者はそれをじっと見てるだけ。この酸鼻な光景がすべてを物語っている。これが現在の〈高度管理社会〉の実際なのだ。
 わしは、怠惰で小心で非力の役立たずだが、そんなわしでも、こんなことぐらいは、どうすればいいか自主的な判断がつくし、すぐ実行できるとおもう。そして、場合によっては責任を取るくらいの気概は持ってるぜ。この調子でいくと、たぶん路上に人が倒れていても、警察官じゃないから助け起こす義務はない、だから素通りしてもいいと思うんだろうな。
 凄いことになってるね。だいたい、こどもは〈遊び〉が仕事だろう。ところが、近年は馬鹿のひとつ覚えのように寄って集って「勉強だ、勉強だ」といい、夏休みも補習登校で、休みは盆時期くらいになっているらしい。それで一生懸命勉強させて、せっせとこんな世の中を作っているんだ。人類の歴史を考えたって、文字を発明するまで恐ろしいような時間を過ごしている。また教育なんて制度化されるまでに、親が伝え教えたり、生活の中で学ぶことを、人類はやって来ているんだ。学校での勉強なんかよりも、遊びの中にずっと大切なことがあることは自明だったのが、すっかり逆転してしまったんだ。テストの点数なんかに一憂一喜しているなんて、人間のスケールが小さくなったことの証明さ。
 まあ、唯脳主義のご時勢だからな。頭がいいことが偉いことだと思ってる。『現代思想』や『道の手帖』などに登場する、大学の研究者の谷川雁論や吉本隆明論を読むと、「ほんとにばかみたいな世の中になっちまったノノ」とおもうものな、異論や批判以前に。中には「言語労働者」と自称するド阿呆までいる始末だ。
 おれはたとえば、深夜にひとり徘徊していて、人も車も通ってないのに、横断歩道の赤信号で立ちどまって、信号が青に変わるのを待つとしても、それはそいつだけのことで、交通法規に呪われた愚か者なんて言う気はないし、好きにすればいいことさ。また、学校の試験で少女が試験問題を前に、一問一問順番に解いてゆく。ところが難問があって、解けずにつかえてしまう。ふつうなら当然、その問題は飛ばして、次の問題にとりかかるはずだ。ところが、その少女は、その問題を飛ばすことができないで、とうとう泣き出してしまう。これは彼女の資質の悲劇を語っていて、本人的には困ったことだけど、べつに悪いこととは言えない。だけど、冷蔵庫と洗濯機を運んできて、それをどうしたらいいかも判断がつかないのは、〈愚劣〉以外のなにものでもない。この場合、会社の規則や作業上のマニュアルを遵守しながら、実際上は業務と責任放棄の図だ。
 会社の言いなり、トラブル恐怖症、責任回避。そりゃ、会社に勤めていると、そこの就業ルールと社風に従って、職務人間とならないと仕方がない面は確実にある。だけど、それでも自己判断の余地はあるし、応用や機転を必要とする場面はいつでも控えているぜ。与えられたノルマであっても、それをやっている最中はその規定を越えるのが、労働(人間の対象的行為)の本質だぜ。ところで、おまえ、まだ話を続けるつもりなのか?
 ああ、おれは毎回、四百字詰原稿用紙に換算して五〇枚分を一応の目標にしているんだ。乗ろうが乗るまいが、言いたいことがあろうがなかろうが、やるからにはそうしたいと思ってる。
 分かった。NHKの大河ドラマ『龍馬伝』のことだが、あれはストーリーは粗っぽいが、ハンドカメラを駆使して、迫力あるドラマに仕立てている。
 不満もあるけど、とにかく見てるよ。まあ、第一に坂本龍馬と岩崎弥太郎とは、長崎にいた時代に交流があっただけで、あのドラマみたいに若い頃から地元でつきあいがあったわけじゃない。
 ガキの頃から、「郷土の英雄」ってことで、耳タコで、嫌になり、坂本龍馬のことなんか、ほとんど知らないぜ。
 この井口町って、ご当地って感じなんだ。歩いて三分くらいの丘の上には、坂本家の墓があるからね。龍馬の父・坂本八平直足、母・幸、兄・権平直方、二姉・栄、三姉・乙女とかが眠っている。

  龍馬の兄である坂本権平は、文化十一(一八一四)年生まれである。嘉永四(一八五一)年に、父・八平が病弱を理由に家督を譲りたいと藩庁へ願い出て、父の跡目を継いだ。権平は龍馬より二十一歳も年長であり、当時まだ十七歳の龍馬にとって、兄は父親的存在であった。

  文久三(一八六三)年一月に、権平は臨時御用で京都へ行き、同年十月まで滞在する。このころ龍馬は、勝海舟塾に参加して神戸海軍操練所をつくるために働いていた。同年に、海舟の尽力により脱藩罪を赦免されて京都へ赴き、兄と面会することができた。
  さらに、慶応三(一八六七)年に長崎で海援隊を組織した折、権平の養子となった坂本清次郎(権平の娘・春猪の夫)が、脱藩して参加した。龍馬は、坂本家に災いが及ぶことを恐れて、藩の重役・後藤象二郎に相談し、「兄さんの家ニハきずハ付まいと申事なり、安心仕候」と、乙女姉さんに手紙で連絡している。

   (広谷喜十郎「高知市歴史散歩」三〇九話)

 それで、武市瑞山(半平太)率いる土佐勤皇党の結成の遠因となった、上士と下士の刃傷事件、いわゆる「井口事件」が門前で起こった「井口村・永福寺」は、歩いて一分とかからない。つまり、おれんとこから、江の口川へ出て、ちょっと西へ行くと永福寺があり、そこから山手の坂を登ると坂本家の墓があり、その坂を越えて少し行った、JRの福井踏切の手前に、土佐勤皇党のナンバー2だった平井収二郎の生家跡の碑がある。まあ、坂本家跡、つまり龍馬の生誕地だって自転車で二、三分だ。
 そんなことをいうなら、坂の方へ行かずにちょっと歩くと、自由民権運動の植木枝盛生誕地の碑もあるぜ。
 この『龍馬伝』は、ハンドカメラを使って、臨場感あるアップ映像を作り、視野を狭窄することで集中度を高めているんだが、それはそのまま、このドラマを〈演劇〉的にしている。極端な場合は〈密室劇〉だ。つまり、時代背景も、出てくる風景も、街並みも、みんな舞台の書割なんだ。その典型が、岩崎弥太郎は高知県東部の安芸生まれで、そこで暮している。龍馬は高知のお城下だ。かなり離れている。ところが、このドラマでは、まるで近隣に住んでいて、しょっちゅう行き来があったみたいに作っている。これはこのドラマの〈特質〉からきているんだ。まあ、龍馬の初恋の人に設定された平井加尾(収二郎の妹)が、安芸の弥太郎の塾に通って行くなんて、出来っこない。往復で日が暮れるよ。ドラマなんだから、史実や地域性に忠実じゃないなんて、野暮なことは言いたくないが、それにしても遣り過ぎと思うところはいっぱいあるね。
 観光客を呼ぶには好都合なんで、みんな、ヨイショだからな。
 ドラマでいいと思ったのは、行き違いばかりだった龍馬と加尾の二人が、京都で想いが成就して、束の間の同棲みたいになったところへ、土佐勤皇党の鉄砲玉になっている岡田以蔵が訪ねて来て、三人で酒を飲んで、まるで〈人生の休日〉を楽しむみたいな場面があった。あれはよかったな。それから、坂本家の食事シーンも悪くないね。その反対に、岩崎家の場面はひどすぎる。あんな極貧であるはずがない。百姓の小作人じゃないんだから。
 大河ドラマのお蔭で、岡田以蔵の命日には、初めて墓前祭が催されたからな。人斬り以蔵ってことで、斬首刑だし、その墓も竹薮の中に見捨てられたようにあったのが、俄然脚光を浴びた。その模様をテレビで見てたら、岡山から駆けつけた女の子などもいて、以蔵を演じている役者(佐藤健)の追っかけをやるところを、勘違いして、馳せ参じてるという感じだったな。愉快なことだけど。
 後藤象二郎は、藩主の山内家の掛川時代からの家老の家柄だ。それが吉田東洋が龍馬に目をかけるのを妬んで、弥太郎を使って龍馬に毒を盛ろうとするわけがないよ。後藤家は土佐藩の重鎮だ。下士の龍馬とは藩における地位が隔絶している、にもかかわらず、このドラマの脚本は、人物の距離を短絡させ、極端に都合よく〈誇張〉しているんだ。おれは権平に同情的だね。簡単にいえば、龍馬はやりたいことをやったことになるけど、それを地元で引き受けるのは大変だったはずだ。家を守り、一族郎党を庇いながら、支援したんだろうからね。いわば、縁の下の力持ちだ。
 岩崎弥太郎が安芸の出で、三菱財閥の創始者だといっても、弥太郎は地元なんか顧みることはなかった。その証拠に、高知には三菱銀行の支店すら無いぜ。
 あと、テレビではNHKの朝ドラの『ゲゲゲの女房』を見てるよ。これはおれにとって馴染の世界だ。水木しげるのマンガは読んでいるし。水木しげるのマンガといえば、『ゲゲゲの鬼太郎』ってことになるんだろうけど、おれは貸本時代の『鬼太郎夜話』がいいな。あの頃のやつでは、鬼太郎はほとんど活躍しない。ねずみ男とかニセ鬼太郎の方が魅力的だ。短篇では、メジャーになる前の『忍法秘話』や『ガロ』に画いたものがいい。「空のサイフ」とか「剣豪とぼたもち」みたいな社会諷刺ものが。
 世の中は変わるとしても、まさか、ゴミ箱漁り、金や食い物をめぐって、ねずみ男とあさましい争いをやっていた鬼太郎が、こんな世間の「ヒーロー」になるとは、さすがに想像しなかったぜ。手塚治虫は、「鬼太郎」シリーズを「ナンバー1病」の対抗意識から事情も知らずに、「盗作」呼ばわりした。水木しげるは、それをマンガで諷刺しただけで、取り合わなかったぜ。
 ドラマの中で、会ったことのある青林堂の長井勝一さんや高野慎三さんや、一時水木しげるの手伝いをやっていたつげ義春さんが、どう描かれるかという興味もあるし、会ったことはなくても、マンガや本で既知になっている人物も多いからね。アシスタント時代の池上遼一とか、東考社の桜井昌一とか。まあ、そんなことより、それぞれの家族の設定や描き方、また時代の雰囲気や流れみたいなものがよく出ていて、見ていて飽きない。水木しげるは、戦争の南方戦線で片腕無くしていて、不自由なはずなんだけど、傷痍兵であることも身体の障害も振り回すことはない。そんな素振りはマンガの中でも、その他のところでも見せないからね。その根本には、本人の資質ということもあるだろうが、戦記物の「白い旗」にみられるような戦争体験の自己消化の仕方にあるような気がするね。
 ドラマの中では、両家の親のやりとりがおもしろいな。布美枝の親である飯田家の大杉漣と古手川裕子の夫婦、茂の親である村井家の風間杜夫と竹下景子の夫婦。ところで、鳩山退陣、菅内閣誕生、参議院選挙の民主党の敗北などについて、何か言うことあるか。
 鳩山由紀夫はよくやったとおもう。それは沖縄の普天間基地移設問題の見通しと読みが甘くて、それが退陣の引き金になったんだけど、でも、なんとかしようとしたし、どうにもならないことを正直に表明していた。その意味では、国民にちゃんと顔を向けていたとおもう。
 沖縄の基地問題は結局、自民党時代の日米合意へ逆戻りしてしまった。期待を持たせただけで、なんにも出来なかった。だから、地元が怒るのは当然だ。そして、民主党政権を批判し、抗議や撤去運動をつづけるべきで、政府の事情なんか斟酌する必要は少しもない。それが〈大衆という立場〉だ。
 それに原則的に異論はないんだけど、でも、アメリカの極東戦略や日米安保条約を考えると、日米安保条約廃棄、米軍基地即時全面撤去なんていったら、それこそアメリカの第七艦隊が押し寄せてくるかもしれないよ。共産党や社民党や新左翼の連中みたいに口先だけなら、誰にでも言える。でも、実質そこにもっていくことは、とても困難なことだ。

  第2次世界大戦に負けた日本が、勝った米国との間で結んだのが日米安全保障(安保)条約です。最初の安保条約は一九五二年、米国による日本占領が終わった時に始まり、六〇年に改定されました。今年六月二三日で、改定された条約の効果が生じて五〇年となりました。
  安保条約の中心は、米国が日本やその周りの地域を守る代わりに、日本は米国に対して基地を提供するということです。
  日本は戦争の反省から憲法で戦力を持たないと決めたため、米国に防衛をたよることになりました。一方、米国は日本に多くの米軍基地を確保して、アジアや世界ににらみをきかせられるようになったのです。

     (「日米安保条約五〇年」『高知新聞』二〇一〇年六月二四日から)

 まず、この政治構図を打破するしかないんだ。だから、鳩山は東アジア共同体の構築と言っていたんだとおもう。
 しかしな、わしが実家に帰っていて、畑の間の山道を歩いていたら、突然、猛烈な爆音で山が轟くような感じがして、びっくりしたことがある。機影はどこにも見えない。いったい、何事かと思ったら、米軍の予行演習の戦闘機が、水不足になった時にいつも話題にのぼる嶺北の早明浦ダムを標的に見立てて、攻撃訓練をやっている爆音だ。岩国基地を飛び立ち、低空飛行で吉野川水系を遡っているんだろうが、もの凄い。たった一機が裏山を飛行しているだけで、こんな有様だ。だから、沖縄の基地被害は、較べものにならないとおもうぜ。なにしろ、日本にある米軍基地の七割以上が沖縄に集中しているんだからな。高知県はこの飛行訓練に対して、再三中止するよう申し入れしているが、米軍はもとより、政府も取り合いはしない。これが実状だ。
 うん。
 菅直人についてはどうだ。
 あの男は、鳩山政権の時は、国会で居眠りをこいていて、なんにもしないで、自分の出番を待っていたんだ。それで鳩山政権の座礁についても、なんら痛切に感じてはいない。寝ぼけたまま首相の座についたものだから、国家財政の立て直しなどといい、消費税を上げるなどと、選挙前に口走った。それが選挙結果に出た。だいたい、市民運動あがりということは、要するに、成り上がり〈政治官僚〉ってことだろ。だから、八月六日の広島の平和祈念の催しで、「核の抑止力は必要だ」と公言したんだ。なにが「抑止力」だ。アメリカやロシアや中国などが核兵器を保有していることが、〈脅威〉であり、その軍事的〈抑圧〉が、一面では抑止力にもなるというだけのことだ。つまり、それらの国家は〈世界覇権〉と〈権力支配〉のために核兵器を保有していることは歴然としている。それが政治的現実だ。核兵器を持たないものは、はじめからそんなものを使用することはないし、その抑止力も必要としないのだ。だから、持たないものは、その政治的支配力を突き崩すためにも、核兵器の廃絶を志向するしかない。ところが、菅はそんなことも分からず、自分の発言に対する批判や反発への言訳を重ねたあげくに〈核物質〉そのものが悪だと言い出す始末だ。つまり、どうしようもない市民主義の誤謬の権化ということさ。


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「ニャンニャン裏通り(その2) 松岡祥男」 ファイル作成:2024.01.09 最終更新日:2024.01.16