『鬼滅の刃』考 ―安倍銃撃をめぐって

松岡祥男

 おまえ、まったく知識もないくせに、よく『詩歌の呼び声』(論創社)や『ことばの力 うたの心』(幻戯書房)などの編集ができるな。
 それは吉本隆明の著作を細大漏らさず読んでいるからだよ。
 短歌の世界なんて無縁で、なにも知らないだろ。お花(華道)やお茶(茶道)の世界と同じで、お師匠さんが添削する結社の世界だ。野良猫同然のおまえとは隔絶している。
 でもさ、日本の詩ということでいえば、どうしても視野に入ってくるよ。歌は万葉集、俳句は芭蕉、それじゃ済まないからね。
 文学なんかに関心のない人を想定すると、年代にもよるだろうが、石川啄木の《はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る》とか、俵万智の《「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日》くらいじゃないのか。短歌が届いているのは。
 そういうことは決めつけない方がいいような気がするな。むかし暴走族の兄チャンたちが熱中してたマンガが、あだち充『みゆき』だったりしたからね。あれ一本で『少年ビッグコミック』はもっていたんだ。ヤンキーは「アウトローもの」を好むなんて思ったら、見当を外すよ。だけど、素養がないというのはつらいね。おれ、『野性時代』の巻末アンケートの「月を見て一言」という問いに、吉本さんが《月天心貧しき街を通りけり》と答えていて、本人の作と思ったからね。それで『詩歌の呼び声』の「解題」にそう書いていたけれど、土壇場になって与謝蕪村の句と判り、慌ててその部分を削除したよ。
 だから、柄に合わないことはやらない方がいいんだ。
 いや、そのことを自覚していれば、慎重になる面もあるさ。よく知らないから、引用の歌を原典にあたり、確認作業を怠らないように心がけるからね。例えば「岡井隆の近業について」に横光利一の《河の石青みどろ濃く雷来る》という俳句が出てくるんだけど、『「芸術言語論」への覚書』では「河の水」になっていたけど、これは吉本さんの記憶違いで、調べたら「河の石」だった。
 思い入れがない分、冷静で客観的に接することもできるかもしれないな。  勉強にはなったね。いまさら、この齢になってという思いもあるけど、新たな開眼というのは悪くないよ。『資料集』に「吉本隆明歳時記」の初出を収録する際、図書館で長塚節の歌集を借りてきて読んだけど、結構いいじゃんと思ったからね。《明るけど障子は楮の紙うすみ透りて寒し霰ふる日は》なんて、子どもの頃、夜中に起きて、障子越しの月あかりをたよりに厠へ立ち、障子を開けると、冷気が侵入してくるんだ。そんな少年時をまざまざと思い出した。岡井隆なら《灰黄の枝をひろぐる林みゆ亡びんとする愛恋ひとつ》、寺山修司なら《マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや》。
 その調子でいけば、福島泰樹は《死ぬるなら炎上の首都さもなくば暴飲暴食暴走の果て》となるだろうな。
 『ことばの力 うたの心』についていうと、あれは「短歌論集」となっているけれど、ほんとうは〈歌人論〉として編集したものだ。だから、「歌集『おほうなはら』について」などは対象としなかった。なぜなら、昭和天皇も黒田寛一も〈歌人〉ではないからだ。
 そういうなら、おまえの歌人の〈定義〉を示さないとな。
 別に難しいことじゃないよ。要するに、歌人や詩人というのは、詩や歌(ひいては文学)に軸足をかけた存在を指すんだよ。もし「短歌論集」として編んでいたら、当然昭和天皇や黒田寛一の歌に言及したものも、「短歌命数論」なども収録しないといけない。この本の成立経緯をいえば、おれは当初、発表年代順に歌人論を並べ、歌人との対話も全部収録する計画だった。例外的に含まれていたのは、短歌の集まりの講演「詩的な喩の問題」だ。
 なるほど。
 これに対して、版元の意向は社の創業者である辺見じゅんを除いて、対談は全部除外したいということだった。そこで、おれは構想を練り直した。巻頭に「三種の詩器」を新たに持ってきて、歌人論は生誕順にすることにした。長塚節から俵万智へいたるように。そして、結びに「詩的な喩の問題」を持ってくることにしたんだ。
 まあ、いろんなアドバイスに基づいて、考え直すことは悪いことじゃない。
 自信のある人は別かもしれないけど、おれみたいな素人は、誰かの協力を仰がないといろいろと至らない面があるからね。そういうやりとりを経て、初校のゲラが出た。それをみると、その方が売れると判断したのか、寺山修司との対談が復活していた。おれの方も「折口の詩」は詩作品を扱ったものなので外していたけれど、やっぱり歌人論で折口信夫を落とすわけにはいかないと思い、収録するように追加提案したんだ。おれなりに力を注いだ結果があの本だ。それと帯の「ぼくは短歌に執着している、つくらないけれども、読むことに執着している。」という、寺山修司との対話の中のことばは、本の性格をよく表している。あれは版元のセンスによるものだ。
 事情は分かった。ところで、今年の夏も暑いよな。
 エアコンなしでは生活できない。それでも先日、台所の椅子に坐っていたのに、目まいの感じがした。手の甲の皮膚を引っ張ると、なかなか元に戻らなかった。水分を補給し、じっとしていたら治まった。
 熱中症だろうな。
 うん。安倍銃撃は驚いた。誰も巻き添えにすることなく、確実に仕留めたことは凄い。
 わしは手製の武器から連想し、『鬼滅の刃』を思い浮かべ、「不死川玄弥 上弦の鬼を退治す」と思ったな。「民主主義を守れ」とこぞって嘘を言っているが、森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会など、一切責任を取ることなく、居直り続ける〈鬼〉の所業に対して、法も民意も届かなかった。この国にほんとうの民主主義など存在しない。小沢一郎が言ったように、これは「政治の驕りが招いたもの」だ。
 おそらく彼には彼の事情があり、〈鬼殺〉の決意を固めたに違いない。
 不死川玄弥は親父が図体のでかいろくでなしで、子どもを殴り、母親はいつも子どもたちを小さな体で庇っていた。その挙句、父親は人から恨まれ刺されて死んだ。兄の実弥は「家族は俺たち二人で守ろう。親父は刺されて死んじまった」「これからは俺とお前でお袋と弟たちを守るんだ。いいな?」と玄弥にいう。ところがある夜、「母ちゃん戻ってこないね 大丈夫かな」「大丈夫だって兄ちゃんが捜しに行ってくれてるから」ときょうだいで話していたら、戸を強く叩く音がして、母親と思って開けると、瞬時に弟や妹は襲われ、玄弥は獣、野犬、いや狼とおもう。そこへ実弥が飛び込んできて、「玄弥、逃げろ」といい、その得体の知れない化け物を屋外へ担ぎ出すんだ。玄弥が医者を呼びに外に出ると、実弥がナタで母親を切り殺していた。玄弥は「母ちゃん」「何で母ちゃんを殺したんだよ」「人殺し!」と叫ぶ。兄は黙って立ち去る。後で気がつくと、家族を襲ったのは鬼になった(された)母親だった。じぶんたちを守るために鬼を退治した兄を非難した自責の念から、玄弥の凄惨な道ははじまっている。
 伝えられている情報に拠れば、山上徹也は統一教会の被害者だ。統一教会は岸信介が日本に呼び込んでいる。独裁体制にあった南朝鮮とあまり交流のない段階に、政治的に利用できると考え、教祖の文鮮明を招いたんだ。一九六四年、日本において正式の宗教団体と認められた。そして、一九六八年四月には勝共連合を作った。笹川良一などの後押しを受けたものだ。さらに母体である統一教会は霊感商法などによって、多くの人々を食いものにしてきた。「あなたの主人の霊魂は天国に行けず、さまよっている」などとひとの心の弱さにつけこみ、財産をまきあげる手口だ。安倍晋三(岸三代目)に対しても多額の政治献金と選挙支援の見返りに、その活動の保証を得ていた。安倍の方もビデオメッセージを送り、機関誌の表紙に六回も登場しているんだ。三代にわたる密接なつながりは歴然としている。そして、この幾層にもガードされた壁によって、統一教会の被害に遭った人たちの殆どは泣き寝入りしてきたんだ。
 安倍晋三の数々の悪行のうち、その上位にくるのは政府の機密費を大幅に増やし、使途不明の予算を増大したことだ。これは主権在民という憲法の理念に背反するものであって、政治権力による闇の拡大といっていい。これも政治権力の暴走の要因をなすことは確実だ。そんな安倍の意向を汲んで、森友の籠池夫婦は不当にも長期にわたって拘留された。そんな政治的忖度が横行する世の中なのだ。
 安倍晋三が海外で評判がいいのは、事あるごとに、飛行機に乗って外国へ遁走したからだ。専用機の機上は側近で固められ、どんな相談をしても、外部に漏れる心配はない。その回数は、歴代の首相では断トツだ。当然、外国を訪れるには手ぶらというわけにはいかない。つねに税金を使って「経済援助」などの手土産を持参した。露骨な武器の爆買いで潤ったトランプ元大統領の賞賛がその象徴だ。
 今度の選挙結果を持ち出すまでもなく、もう選挙によるこの国の改革は難しいだろう。そういう意味でいえば、オール与党化と政治家の支配力に対する、安倍銃撃は「国民をなめるな」という明確なメッセージじゃないのか。自己意志の発現でしか共同幻想に対抗することができないという状況に、わたしたちは追い込まれているんだ。それだけ政治支配と利害関係の岩盤は強固で、それに加えて、NHKを先頭に統一教会との関係を伏せて、ぼかすように世論操作している。これも政府の指示だ。
 「国葬」「勲章授与」などの葬送イベントがつづくだろう。それが絶対的大勢を占めるだろう。おれのような考えは異端で少数派ということになるだろう。でも、おれはそうは思っていない。支配・被支配という構図に還元すれば、その否認の意志において、永続的であり、潜在的多数派なのだ。それはひとびとが日々暮らしていること自体が政治や法の規定を越えているからだ。
 おまえはテロ行為を肯定するのか。
 しない。山上徹也は不可避的にそこまで追い込まれたんだ。おれはその〈不可避性〉ということを、誰がなんと言おうと尊重する。本質的にいって、殺人は自己抹殺でもある。だから、どんなに批判を持ち、くたばれと思っていても、そいつと刺し違えるつもりはない。なぜなら、そんな奴よりも、じぶんや家族がはるかに大切だからだ。
 それは〈人間的尊厳〉の問題だな。いずれにしても、死は類的本質への同化ということだから。巷間で言われているように、「一人殺せば殺人、千人殺せば英雄」ということでいうなら、戦争における殺戮はほぼ全面的に共同意思(幻想)に従属する。だから武勲の将軍の銅像が建立されるんだ。これが自己と共同性との〈逆立ち〉の究極的な現れといえる。これを切断し、解消することが人類の理想の方位であることは、いまさら言うまでもないことだ。
 岸信介は戦前・戦中の大陸における阿片をめぐる暗躍でA級戦犯に指定された。占領軍の方針転換によって公職追放が解除され、日米安保条約を結ぶ際には総理大臣になっていた。「反共」という政治利害で一致した岸らが統一教会を日本に導き入れたんだ。また佐藤栄作(岸二代目)は造船疑惑で議員辞職になりそうになった時、指揮権が発動されて免罪になっている。そして、ベトナム戦争においてはアメリカ支援に力を注いだ。ベトナムの人々の惨殺に加担したんだ。アメリカ軍による絨毯爆撃は、太平洋戦争末期のB29による空襲の延長線上の戦術だ。その後押しをした佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞した。この時ノーベル賞なんて所詮、主催国の政治的思惑による国際的イベントのひとつにすぎないと思うようになった。沖縄返還におけるアメリカとの密約ひとつ取っても、佐藤栄作がいかに国民を欺いてきたかは歴史的事実が示す通りだ。
 安倍晋三が死んで、もっとも喜んでいるのはその後釜を狙っている連中じゃないのか。まだ通夜も葬儀も終わっていない段階に、衆議院の山口県選挙区の補欠選挙の日程が発表されたようにな。
 高校時代に生徒会の役員の停学処分に反対するビラを街中で配ったりしていたんだけど、勝共連合の連中と遭遇することが何度もあったね。やっていることは同じでも、考えや立場はものすごく離れていたから、トラブルになることはなかった。勝共連合は女性が多かったね。話をしたこともあるよ。信ずればどこまでもという感じで、「共産主義は間違っている」の一点張りだった。観念的な刷り込みによる妄想に近い。足が地面についていないと思ったけど、どういう教唆に基づいているのかは知らないし、興味もなかった。おれたちは学校の制服制度に異議を唱え私服登校を決行したり、学園祭でバンドの出演の舞台を作るように学校側と粘り強く交渉したり、反戦デモに参加したりして処分された、三人の友達を守ることが目的だったからね。全く発想の基盤が違っていた。
 吉本隆明は世界基督教統一神霊協会の教典である『原理講論』を次のように批判している。

 『原理講論』のいうところでは、「ヨハネの黙示録」の七章二〜四には、ひとりの天使が生きた神の刻印をもって、太陽の出る東の方角から上ってきて、十四万四千人に刻印が押されると記してある。イエス・キリストの再臨が東の方の国々にあることは、はっきり示されている。この東方の国というのは韓国・日本・中国の三つのことだ。日本は過去に韓国を属領化して、韓国のキリスト教を過酷に迫害した。また中国は共産主義の国になった。この二つの国はどれもサタン側の国家だ。したがってイエス・キリストが再臨する東方とは韓国のほかにはない。韓国がイエス・キリスト再臨の国になれば、韓国の民族が第三のイスラエル選民だということになる。第一の選民は旧約のアブラハムの子孫のイスラエル人だった。第二の選民はイスラエル選民から異端として追われて復活したイエス・キリストを信仰するキリスト教徒たちだ。だが第三のイスラエル選民はキリスト教から迫害され異端視された韓国の民衆だ。そしてそのためには「四十日サタン分立基台」を立てなくてはならない。この「四」の数字にあたる年数(四十年)、サタン側の国家である日本から属領にされて苦難を受けた韓国国民と国家には第三のイスラエル選民としての資格が具わっている。韓国はかくして神のもっとも寵愛する第一線であるとともに、三八度線を境にしてサタンの国と接している第一線でもあることになる。韓国にイエス・キリストが再臨することは、仏教では弥勒仏、儒教では真人、天道教では崔水雲、「鄭鑑録」では正道令があらわれるというように、宗教によってそれぞれ違う形で伝承されてきた。それらはイエス・キリストの再臨である文鮮明の出現を宗派の言葉で予言したものだといえる。そして文鮮明を教組とする統一教会は、これら韓国のたくさんの宗教はもちろんのこと、世界中の宗教をとりあつめて統一する課題をになっている。そのばあい韓国語が神に選ばれた世界共通語になる。
 何という夜郎自大な馬鹿話だ。阿呆らしくて聞いていられないと誰しもおもうに違いない。それが常人の神経というものだろう。だが思い込みや信じ込みの世界にとっぷり浸ってしまえば、夜郎自大話ほど強固な内閉の壁をつくりやすい。それが、人倫の世界なのだ。つい半世紀まえまで、日本国や日本人は八紘一宇などという阿呆なスローガンに浸り込んでいた。

                         (吉本隆明『消費のなかの芸』)

 現在の日韓の政治摩擦を持ち出すまでもなく、とうてい安倍晋三の政治信条や思惑とは相容れないものだ。なぜなら、この教義によるならば「日本はサタン側の国家」と規定されているからだ。
 それでも政治的に利用できると判断すれば、無節操にも〈結託〉する。それが安倍晋三の本性であり、「カネと権力のため」ならなんでもやってきたことの証明だ。「韓国語が神に選ばれた世界共通語」なんていう妄言を信者以外の誰が受け容れるというんだ。死んでなお、鬼の始祖・鬼舞辻無惨のように思っているかもしれない。「しつこい」「身内が殺されたから何だと言うのか」「自分は幸運だったと思い元の生活を続ければ済むこと」「何も難しく考える必要はない」「雨が風が山の噴火が大地の揺れがどれだけ人を殺そうとも天変地異に復讐しようという者はいない」「いつまでもそんなことに拘っていないで日銭を稼いで静かに暮らせば良いだろう」「殆どの人間がそうしている」「なぜお前たちはそうしない?」と。この驕慢がろくでもない最期を招いたのさ。
 そうだな。『鬼滅の刃』第一三巻の表紙は不死川玄弥だ。そこに描かれた銃が、山上徹也の使用した手製の銃と似ていたから、それで玄弥に准えたんだ。子どもの頃、手作りの銃が流行ったことがある。村の多くのガキどもが競って作った。もちろん、わしも作った。木切れや生木を台座に、それをくりぬいて、そこに傘の中棒(筒)を切断し、芯に埋め込み、銃身にした。撃鉄は釘を叩いて細工し使った。市販の紙火薬をほぐして、銃身に詰め、弾はなにを使ったか忘れてしまったけれど。紙火薬を点火に用い、引き金を引くと、輪ゴムで縛った撃鉄で紙火薬が破裂し、それで発火する仕組みだった。出来上がった物を持ち寄り、みんなで板の標的めがけて発砲していた。わしは手先が不器用で良い感じの物にならなかったが、下の家のヨシモリが作ったのがもっとも性能が良く、小鳥を撃ち落としたこともある。危ない遊びだけど、流行りというのは恐ろしいもので、たぶん学校中に広がっていたはずだ。ところがある日、学校から全校生徒に危険な遊びは止めるように通達があった。手作りの銃が暴発して指を飛ばした生徒が現れたからだ。それはとても生々しく、みんな怖ろしくなり止めた。
 流行は過ぎてしまえば、誰も見向きもしない。この頃、将棋や花札も覚えた。山や川の猟の仕方なんか学校は教えてくれない。村の仲間による伝承から全部学んだんだ。
 子どもの世界は奇妙だ。独自の価値観が流通する。忍者なんて存在しないのに、リアルにそうなれると思い込むことだってあるからな。もぐらみたいに地にもぐったり、猿のように跳躍し、木から木へと飛び移ることができると。わしは世界陸上をみて思ったが、もともと競歩という競技は不自然な歩行で、あんなもの止めた方がいい。現実的にいっても、なにか身の危険が迫ったら、みんな走って逃げるんだ。それを三分間しか持たないウルトラマンや電線を引きずっているエヴァンゲリオンの世界じゃあるまいし、歩き方に制約を設けるなんてデカダンスだ。それと走り高跳びは限界競技とおもった。自身の身長プラス何十センチしか跳べないんだ。殆ど競技としての伸びしろはない。
 でも、鮮やかな助走や跳躍、バーをクリアする姿は美しいよ。
 『鬼滅の刃』の時代設定は大正。主人公の竈門炭治郎は山に住み、炭焼きを生業に、母と五人のきょうだいと暮らしている。ある年の瀬、雪の積もった中、町へ炭を売りに山を下りる。炭治郎は町でも人気者で、炭売りのついでに、町の人たちの手伝いをしたりする。それで日の暮れになり、帰途に就くが途中で三郎爺さんに呼び留められ、夜になると人食い鬼が出る。危ないから泊まってゆけ、朝早く起きて帰ればいいと言われ、その通りにする。雪の道を家に帰ると、母も弟も妹も殺されていた。ただ一人生き残った妹の禰豆子は鬼にされている。これが物語の発端だ。「なんでこんなことになったんだ」という思いを胸に、炭治郎は禰豆子を人間に戻すため出立する。〈動機〉は炭治郎も玄弥も、そして山上徹也も同じだ。
 吾峠呼世晴は白土三平『サスケ』や横山光輝『伊賀の影丸』などのマンガのおもしろさを正しく継承している。なによりも人物造形がしっかりしていて、それぞれが魅力的だ。『鬼滅の刃』の原型である、デビュー作「過狩り狩り」に登場する珠世と愈史郎はそのベースといえる。炭治郎が行動を共にする善逸や伊之助との関係とは違って、玄弥と炭治郎とはとてもいい距離の、ふつうに話が通じる友情表現になっている。炭治郎は炭焼きの子だから、火加減に精通していて、米を炊くのや、魚を焼くのが上手い。純真な真面目タイプに設定されていて、その分世間知らずの田舎者そのものだ。小学低学年に受けたことが大きい。この年代を魅了することができたら、言うことなしだ。
 『ガロ』の「カムイ伝」だって、最初は小学生がおもしろいと言い出したんだ。こどもが幼稚だと思ったら大間違いだ。その理解(察知)能力は本能に基づくからだ。後付けの屁理屈など上塗りのメッキにすぎないぜ。
 まあね、なんでもリアルタイムで立ち会うのがいちばんだ。プロ野球の試合にしたって一投一打を実況で見るのと、スポーツニュースで結果を知るのとでは比較にならない。マンガだって同じさ。連載につきあっていた読者は、無惨を倒し、長い死闘に終止符が打たれたと思ったら、炭治郎が鬼になる。吃驚仰天したはずだ。前にも言ったことがあるけど、萩尾望都『マージナル』や村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』にはまっていた時、発売日に雑誌を購入してきて、読み終えると、すぐその続きが読みたくなった。あれが連載の醍醐味だ。吉本ばなな『TUGUMI』の場合をいえば、一回目「お化けのポスト」は少女たちの心の交流と背景をなす風景を描き、天才的な感じがした。けれど二回目はそれほどでもなかった。出来に波があって、ハラハラしながら読んだ。
 しかし、マンガをはじめ〈表現〉というのは〈普遍性〉があるからな。本になってから読んでも遜色なく、その内実をたどることができる。カフカの『変身』を読めば、当時のドイツでユダヤ人家族がどういう状況におかれていたかは如実に伝わってくる。そして、そこに醜い虫に変身したグレーゴル・ザムザがいるように感じることだってできるんだ。もっと深く入れば、グレーゴル本人の体感異常も追認できるかもしれない。そこはスポーツとは違う。結果の分かった野球の録画を見る気がしないようにな。
 それが表現の強みだ。作者の吾峠はデビュー作のあとがきで「着物を着た吸血鬼というものはあまり見ないような気がしたので明治・大正時代あたりで和風のドラキュラを描こうとした」と言っている。つまり、珠世を描きたかったんだ。この系列の最高傑作は萩尾望都の『ポーの一族』だ。
 手塚治虫の『バンパイヤ』もおもしろかったような記憶があるが、子どもの頃、読んだきりだからな。

 幼稚園の頃、TVアニメの『鉄腕アトム』が放映されたのは衝撃でした。同時期に『鉄人28号』も始まり、幼稚園に続き小学校では“アトム派”と“鉄人派”に分かれていました。特に男子には“鉄人派”が多かったのですが(操縦機奪われるとすぐに裏切るのにね)、私はアトムに心奪われました。“初恋”と言ってもいいでしょう。だってアトムって、エロいと思いません?両親によると、恥ずかしくてマトモに見ていられず、柱の陰から見ていたそうです。アトムが胸のふたを開けて、「あ…エネルギーが切れそう」と、バタッと倒れちゃうとこなんて、鼻血が出そうになりました(あれ?私だけか?)。
 このエロスとタナトスは、手塚治虫特有のものだと思います。

         (「ハルノ宵子への良い質問・悪い質問」『吉本隆明全集』「月報29」)

 そうか、おれはもちろん「鉄人派」だった。あの当時の月刊『少年』でいえば、ほんとうは白土三平の「サスケ」派だった。白土三平は増刊号に発表された短編を含めて、おれの心を魅了した。貸本屋で飛び飛びに読んだ『忍者武芸帳』とともに。いま振り返ると、影丸の妹・明美の存在が『忍者武芸帳』を根底で支えている。明美の化性的性格、作者によればその時々の瞬間を本能的な感じのままに反射的に行動し変化することを指す。その生き生きした振舞いは、作者の意図を越えた作品的達成といっていい。アトムの胸のふたのことでいえば、『魔神ガロン』のガロンの胸にピックが出入りするところが〈もののあわれ〉というか、無意識に訴えてくるものがあったような気がする。
 心の底に遺っているもの。それが実際の体験であろうと、風景であろうと、マンガであろうと、文学作品であろうと、差異はない。
 岸防衛大臣を筆頭に、安倍晋三の態度を踏襲し、「統一教会」の協力を得てなにが悪いと居直り始めている。目先の欲得に目がくらみ、相手がどんな考えを持ち、どんなことをやっているかなど眼中にない。風向きが変われば、プーチン(ロシア)とだって手を組むに決まっている。それが無知で無節操な、日本の政治家の実態だ。
猫 だが、どんなことをやっても、あの卑怯な「上弦の肆・半天狗」が生き返ることはない。地獄へ堕ちたのさ。
 それなら、おれは玄弥たちに懐かしい詩を捧げよう。

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……

               (中原中也「汚れつちまつた悲しみに……」)
                             (2022年8月1日)

              『風のたより』第26号(2022年10月発行)掲載


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「『鬼滅の刃』考 ―安倍銃撃をめぐって 松岡祥男」 ファイル作成:2023.03.10 最終更新日:2023.03.11