北川透ー嘘の総仕上げ

松岡祥男

 わたしは、もう北川透とのことは終わったと思っていました。ところが先日、北川透『現代詩論集成』(思潮社・全8巻)の第5巻「吉本隆明論 思想詩人の生涯」の「月報5」に、『あんかるわ』七三号に掲載された北川透による吉本隆明へのインタビューが再録されることになり、それに添えられた「後註ー一九八五年という曲がり角」という文章を読むことになりました。

  わたしが吉本さんにインタビューした八五年は、この年から「試行」が年間一冊刊行になった、いわば区切り目の年だった。ちょうどそのころ、わたしが編集刊行していた「あんかるわ」誌が発行部数を減らし困難を迎えていたので、その危機感から、同じように従来の発行部数を減らしている、「試行」の編集発行者の吉本さんに、この事態をどう受け止めておられるのかを聞きたくて、インタビューを思いついたのだった。その直前の八五年七月に出た「試行」64号の、吉本さんが書いた次の「後記」を読んだこともわたしの気持ちを動かした。
                  (北川透「後註ー一九八五年という曲がり角」)

 これは詐欺的言説です。
 この時の『あんかるわ』七三号の特集は「同人誌を面白くする方法」で、二三名の雑誌発行者に原稿依頼したものです。その企画の二四人目として、吉本隆明に電話インタビューし、「特集」のメインに置いたのであって、ここで言われているような性質のものではありません。
 そもそも『試行』と『あんかるわ』を直接的に対比することが、インチキです。
 発行部数の低下で焦った北川透は、『あんかるわ』をそれまでの自主的な寄稿から「特集」形式に変え、「特集」については原稿依頼するように、編集方針を転換しました。もちろん、原稿料無しです。そんなやり方で一般商業誌に対抗できるはずがありません。その二回目が、この「同人誌」特集でした。
 発行部数の格段の差もありますが、『試行』は最後まで初志(じぶんがもっとも力を注いだものを発表すること、自主的な寄稿で雑誌を継続すること、など)を貫いています。それが決定的な違いです。
 それを頬かぶりして、『試行』六四号の「後記」を引用しています。同じ局面にあったと。しかし、一九八五年は『吉本隆明全集』(晶文社)でいえば二〇・二一・二二巻の時期です。それをみれば、吉本隆明がこの時期、いかに闘っていたか(仕事をしていたか)は一目瞭然です。それを無視して、おのれに都合のいいように使っています。
 こんな嘘をかさねることで、なにをやりたいのかははっきりしています。北川透はじぶんを吉本隆明に拮抗する存在であると見せ掛けたいのです。しかし、どんな策を弄しても、その意に反して、北川透の著作が〈古典〉として遺ることはあり得ないでしょう。
 わたしに言わせれば、この「後註」の時期が北川透の堕落のはじまりであり、この「後註」自体がその総仕上げなのです。
 わたしは念のため、一九八五年の吉本隆明の仕事を確認しておこうと思い、点検作業をやりました。そしたら、北川透の「後註」が事実の捏造であることが判明しました。

吉本隆明一九八五年(昭和六〇年)の著作
 ▼一月
   詩「声の葉」 『現代詩手帖』一月号
   対談「「いま」という無意識の方途」(対談者・磯崎新) 『美術手帖』一月号
   「小林信彦/写真 荒木経惟『私説東京繁昌記』」 『マリ・クレール』一月号
   「谷中・団子坂・駒込吉祥寺」 『トレフル』一月号
   大衆文化・現考「ファッション・ショー論」 『北日本新聞』一月一二日
   『隠遁の構造 ム吉本隆明講演集ム』(修羅出版部)一月一八日刊
   「柳田国男論 第U部 動機・法社会・農」 『國文學 解釈と教材の研究』一月号
   『対幻想ムムn個の性をめぐって』(芹沢俊介) 春秋社一月二五日刊
   対談集『現在における差異』 福武書店一月三〇日刊
 ▼二月
   読者プレゼント「巨人の青春、刻んでただ一つ。手彫りの印鑑」 『鳩よ!』二月号
   「大衆文化現考 クイズ番組論」 『京都新聞』二月一三日
   「柳田国男論 第U部 動機・法社会・農(続)」 『國文學 解釈と教材の研究』二月号
 ▼三月
   鼎談「サブカルチャーと文学」(笠井潔 川村湊) 『文藝』三月号
   鼎談「言葉へ・身体へ・世界へ」(伊藤比呂美 ねじめ正一)『現代詩手帖』三月号
   座談会「光太郎書をめぐって」(疋田寛吉 石川九楊 北川太一)『墨』三月号
   「政治なんてものはないム埴谷雄高への返信」 『海燕』三月号
   「元祖モラトリアム人間」 『青年心理』三月号
   「思い出の劇場 ム海辺の劇場ム」 『P・S・D』第五号三月一日発行
   談話「与謝野晶子「全訳 源氏物語」」 『クロワッサン』三月一〇日号
   大衆文化・現考「テレビCMの変貌」 『北日本新聞』三月一二日
   「柳田国男論 第U部 動機・法社会・農(続々)」『國文學 解釈と教材の研究』三月号
   「北川太一の印象」 『北川太一とその仲間達』(自家版)三月二八日発行
   講演「現在ということ」(山梨県石和)三月三〇日
   推薦文「親鸞理解に不可欠の存在」 石田瑞麿全訳『親鸞全集』(春秋社)内容見本
   ▼四月
   「イヴァン・イリイチ 玉野井芳郎訳『ジェンダー 女と男の世界』」『マリ・クレール四月号
   インタヴュー「大衆社会におけるエクリチュールの運命」(聞き手・西谷修) 『ユリイカ』四月号
   インタビュー「日本国憲法第一条は廃止すべし」(聞き手・稲垣武) 『ボイス』四月特別増刊号
   「柳田国男論 第U部 動機・法社会・農(続々々)」 『國文學 解釈と教材の研究』四月号
 ▼五月
   「重層的な非決定へム埴谷雄高の「苦言」への批判」 『海燕』五月号
   「マルト・ロベール 東宏治訳『カフカのように孤独に』」 『マリ・クレール』五月号
   「季評 大衆文化 科学万博印象記(上)」 『京都新聞』五月九日
   「季評 大衆文化 科学万博印象記(下)」 『京都新聞』五月一〇日
 ▼六月
   対談「フェミニズムと家族の無意識」(上野千鶴子) 『現代思想』六月号
   「岸田秀『幻想の未来』」 『マリ・クレール』六月号
   インタヴュー「現代における言葉のアポリア」(編集部) 『ユリイカ』六月号
   電話による埴谷雄高との論争の「立場の説明」 『サンデー毎日』六月二日号
   「マラソンについて」 『東京タイムズ』六月六日号
   『死の位相学』(潮出版社・「触れられた死」書下し)六月一〇日刊
   『相対幻論』(栗本慎一郎)角川文庫六月一〇日刊
   「異論を介しての「火まつり」」 『キネマ旬報』六月下旬号
   対談「親鸞の〈信〉と〈不信〉」(佐藤正英) 『現代思想』六月増刊号
   「野戦攻城の思想」 『橋川文三著作集』(筑摩書房)内容見本
 ▼七月
   ハイ・イメージ論1「映像の終り」 『海燕』七月号
   「C・G・ユング 野村美紀子訳『変容の象徴』」 『マリ・クレール』七月号
   講演録「現在ということ」 『現代詩手帖』七月号
   「現代電波絡繰試論」 『勉強堂 スタジオボイス別冊』七月一日発行
   「ニューヨーク・ニューヨーク」 『年金と住宅』七月号
   「バラ色の諧調」 『一枚の繪』七月号
   講演「マス・イメージをめぐって」(群馬県前橋市)七月一日
   「佃ことばの喧嘩は職業になりうるか」 『書下ろし大コラム vol・2 個人的意見』小説新潮臨時増刊夏
   講演「アジア的と西欧的」(東京都豊島区)七月一〇日
   『あんかるわ』の特集のための電話インタビューを受ける(聞き手・北川透)七月一二日
   『試行』第六四号(情況への発言 ム中休みの自己増殖ム/心的現象論 ム了解論ム/後記)七月一五日発行
   「文化の現在」/「現在を読む」  『転形』創刊0号七月一六日発行
 ▼八月
   「《ハイ・イメージ論2》映像の終り2」 『海燕』八月号
   対談「全否定の原理と倫理」(鮎川信夫) 『現代詩手帖』八月号
   「中沢新一を真っ芯で。」 『鳩よ!』八月号
   「エーリッヒ・ノイマン 林道義訳『意識の起源史』(上・下)」 『マリ・クレール』八月号
   「季評・大衆文化 映画の話(上) 「乱」の黒沢明」 『京都新聞』八月二二日
   「季評・大衆文化 映画の話(下) SF(X)映画」 『京都新聞』八月二三日
   インタビュー「広告とシステム」 宣伝会議別冊『コピーパワー6』八月二五日発行
   「恐怖・不安・孤独 ム近未来と恐怖映画ム」 『映画芸術』八月合併号
 ▼九月
   「《ハイ・イメージ論》ファッション論1」 『海燕』九月号
   「村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』」 『マリ・クレール』九月号
   取材「〈対幻想〉が拡散するとき、家族の変容をこう読む。」(構成・熊本勲) 『ダイヤモンド・ボックス』九月号
   「すいせんの言葉」 田原克拓著『初期・性格と心の世界』(性格教育センター)九月一日刊
   対談「ハイパー資本主義と日本の中のアジア」(川村湊) 『文藝』九月号
   講演「文芸雑感ムム現代文学の状況にふれつつ」(山口県下関市)九月七日
   講演「経済現象としての現在ムム日本高度資本制論」(福岡県北九州市)九月八日
   帯推薦文 E・M・シオラン著・出口裕弘訳『歴史とユートピア』(紀伊國屋書店)第四刷九月一〇日刊
   『重層的な非決定へ』(大和書房)九月二〇日刊
   電話インタビュー「メタファとしての《クラック》 『試行』の現在と同人誌」(聞き手・北川透)『あんかるわ』第七三号九月二〇日発行
   インタビュー「生き方を決定した敗戦体験と難しい恋愛体験」 『週刊宝石』九月二〇日号
   『源氏物語論 〈新装版〉』(大和書房・別冊付録「わが「源氏」」書下し)九月三〇日刊
 ▼一〇月
   「《ハイ・イメージ論》ファッション論2」 『海燕』一〇月号
   「ジョルジュ・バタイユ 湯浅博雄訳『宗教の理論』」 『マリ・クレール』一〇月号
   「言葉からの触手」「[1]気付き、概念、生命」 『文藝』一〇月号
   インタビュー「言葉が失われた時代」 『THE21』一〇月号
   対談「大衆と感覚がズレてきた」(川崎徹) 『東京タイムズ』一〇月七日?二五日(一五回連載)
   講演「心的現象論をめぐって」(東京都新宿区)一〇月一八日
     講演「都市論」 (慶應義塾大学日吉キャンパス)一〇月二二日
   「遇わなくなってからの清岡卓行」 『清岡卓行全詩集』(思潮社)一〇月二八日刊
   対談集『難かしい話題』(青土社)一〇月三〇日刊
 ▼一一月
   「《ハイ・イメージ論》像としての文学1」 『海燕』一一月号
   「言葉からの触手」「[2]筆記・凝視・病態」 『文藝』一一月号
   講演録「アジア的と西欧的」 『現代詩手帖』一一月号
   「『微熱少年』について」 『波』一一月号
   講演・「本について語る」(東京都中央区)一一月一日
   『詩の読解』(鮎川信夫) 思潮社 新装版 一一月一日刊
   『思想と幻想』(鮎川信夫) 思潮社 新装版 一一月一日刊
   季評・大衆文化「ふたつの出来事(上) 日航機墜落」 『高知新聞』一一月二日
   季評・大衆文化「ふたつの出来事(下) テレビの「やらせ」」 『高知新聞』一一月三日
   対談「正常異常の境目が見えない」(山崎哲) 『東京タイムズ』一一月七日?二八日(一四回連載)
   「松岡祥男について」 松岡祥男著『意識としてのアジア』(深夜叢書社)一一月一五日刊
   『現在の知軸 吉本隆明ヴァリアント』(北宋社・対談「文学者の課題」「宗教の現在的課題」(安達史人)、編集部によるインタビュー初収録)一一月一五日刊
   座談会「メタファとしての現代」(林真理子・栗本慎一郎) 『Harvester』第一八号一一月二五日発行
   鼎談「表現」(村上龍 坂本龍一) 村上龍・坂本龍一著『EV。Cafe 超進化論』(講談社)一一月二八日刊
   対談「TVムなにがおもしろいかがおもしろい」(横沢彪) 『東京タイムズ』一一月二九日?一二月一八日(一五回連載)
   『全否定の原理と倫理』(鮎川信夫) 思潮社一一月三〇日刊
 ▼一二月
   「《ハイ・イメージ論》像としての文学2」 『海燕』一二月号
   「ジャン=ポール・サルトル 海老坂武・石崎晴己・西永良成訳『奇妙な戦争ムム戦中日記』エーリッヒ・ケストナー 高橋健二訳『ケストナーの終戦日記』」 『マリ・クレール』一二月号
   「言葉からの触手」「〔3〕言語・食物・摂取」 『文藝』一二月号
   取材インタビュー「愛って、知で解明できますか?」 『LEE』一二月号
   「阿蘇行」 『旅』一二月号
   『悲劇の解読』(ちくま文庫) 一二月四日刊
   「「黒澤充夫・辞典のための挿画展」のために」 パンフレット『黒澤充夫 英和辞典の挿絵』一二月五日
   「本について」/インタビュー「詩について」(安原顯) 安原顯著『なぜ「作家」なのか』(講談社)一二月七日刊
   「ノン・ジャンル120」 ぼくらはカルチャー探偵団編『読書の快楽』(角川文庫)一二月一〇日刊
   「たったひとつの黄金風景」 『週刊就職情報』一二月一九日号
   詩「活字のある光景」/「詩について」 『ユリイカ』一二月臨時増刊号

 これが『試行』六四号の「後記」で言われている「雑誌刊行の現状はとてもきつく、このきつさは遠巻きにおしよせてくる出版世界の冷却(わたしたちが鉄鋼業界に次ぐと称している)によって、物質的、精神的に圧迫をうけているところからきている」の実際なのです。この年の大きな出来事は、埴谷雄高との論争と鮎川信夫との袂別、『重層的な非決定へ』(初刷一万二千部)の刊行と「ハイ・イメージ論」の連載開始といえるでしょう。
 北川透の吉本隆明への電話インタビューは七月一二日。
 『試行』六四号の発行日は七月一五日。
 仮に『試行』六四号の発行が奥付の日付よりも早かったとしても、北川透がこの「特集」の執筆者に原稿依頼をしたのは六月二五日。吉本隆明へのインタビューの申し込みもその前後と思われます。話の辻褄が全く合いません。
 それでわたしは、『あんかるわ』七三号の北川透による「インタビュー」を読み直しました。
 そしたら、滑稽にも、頭隠して尻隠さずで、

 ・ 『試行』の新しい号(64号)は、もう発行になりましたか。
 吉本 きのうはこんできたんですよ。まだ、郵送したり、書店に届けてないんですが。
  ・ ではもうすぐですね。
      (「メタファとしての《クラック》」『あんかるわ』七三号 ・は北川透)

 とありました。これが動かぬ証拠です。
 頽廃もここまでくれば、絶句するほかありません。
 ここから推して、第5巻の「吉本論」本体も興味深いものがありますが、わたしはもう北川透に関わりたくないという思いが強いです。あまりにも貧しく、不毛だからです。
 北川透が革共同両派への「内ゲバ停止」提言に吉本隆明も加わっていたという出鱈目な発言(『現代詩手帖』二〇一〇年一一月号)の時と同じように、「恥ずかしい思い違い」「無意識の領域も含めて、よく考えてみたい」などと、また見苦しい弁解を繰り返したとしても、通用しません。
 こんな〈虚偽〉を掲載し刊行した〈出版社の責任〉も重い、とわたしは思います。
                             (2022年5月9日)


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「北川透ム嘘の総仕上げ 松岡祥男」 ファイル作成:2022.05.11 最終更新日:2022.05.15