講演について

松岡祥男

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 九月上旬、『吉本隆明資料集』第一九一集が校了になった。これで完了だ。
 『吉本隆明資料集』の発行にはさまざまな事情が錯綜しているけれど、わたしの動機のひとつは吉本隆明の著作から談話にいたるまでの全てを読みたいということだった。そして、誰でも読めるようにしたいと考えたのである。もともと自己資金が乏しく、ずっと自転車操業だったけれど、負債を背負いこむことも、どこからの援助も受けることはなかった。それだけは誇ってもいいとおもっている。
 すべてを読みたいという願望からすると、現在までに見つかっているもので、未刊のものは論創社が刊行中の講演後の質疑応答をまとめた『質疑応答集』。これは全七巻の予定で、@宗教A思想B人間・農業が刊行されているが、Cイメージ・都市D情況E文学TF文学Uの四巻が残っている。
 それと『吉本隆明〈未収録〉講演集』(筑摩書房)以降に発見された講演だ。それは次の一一講演である。

@「現代文学に何が必要か」(一九六六年一一月)
A「日本文学の現状について」(一九七四年一一月)
B「地獄と人間」(一九七五年九月)
C「民間教育への視座」(一九八八年一月)
D「イメージとしての文学(T)」(一九八八年二月)
E「イメージとしての文学(U)」(一九八八年三月)
F「身体のイメージについて」(一九九〇年九月)
G「現在について」(一九九〇年一二月)
H「バブルのあとに」(一九九二年六月)
I「労働組合について」(一九九四年二月)
J「日本浄土系の思想と意味」(二〇〇七年四月)

 膨大な吉本隆明の作品群のなかでいえば、未刊の「一一講演」も「質疑応答」も落ち穂拾いとみなされるかもしれない。しかし、ひとりの著作家の全貌をたどるとき、これらも欠かすことはできないと、わたしはおもう。
 そのなかの「地獄と人間」についていえば、この講演は朝日カルチャーセンター主催の人間を考えるコース・講座「地獄の思想」のひとつである。これは『最後の親鸞』執筆のさなかにおこなわれたものだ。『最後の親鸞』(春秋社一九七六年一〇月刊)に収録された四つの論稿「最後の親鸞」「和讃」「ある親鸞」「親鸞伝説」の、「和讃」(一九七五年八月)と「ある親鸞」(一九七六年五月)の間に位置している。
 また親鸞および仏教に関する講演でいうと、大谷大学の講演「親鸞について」(一九七三年一一月・『知の岸辺へ』ほかに収録)につづくもので、継続的展開の初期にあたっている。そういう位置の重要性もあるけれど、それ以上に著書の宗教思想に対するモチーフが鮮明に表明された重要なものといえるだろう。

 宗教の発生ということも非常に歴史とともに古いわけなんですけども、宗教というのは、はじめは個人を救済するという意味合いは、まったくはじめの段階ではないんで、現実的な、具体的な宗教では、そういう個人を救済するというところから、宗教の問題はでてこないので、むしろ社会全体とか、古い、たとえば古代の村落なら村落の、共同体なら共同体の全部にとって共通の、すべての、なんていいますかね、宗教的な関心みたいなもの、そういうものだけが宗教というふうに呼ばれていく。
 それにたいして、個々の人間というのは、それをいわば畏れとか、敬いとかいうのが宗教なんですけどね。一面では、それは掟のようであり、法律のようであり、それから罪にたいする罰であったりというようなかたちで、いわば今でいえば宗教とか、国家とかもそうですけど、そういった宗教そのものとか、法律とか、国家とか、今でいうとそういうふうに、さまざまに分化されてしまって、そういうものが古代、原始宗教ではみんな一緒になっているわけです。ある場面で宗教と感じる場合もあれば、ある場面では罪にたいする罰のありかた、つまり法律のめばえみたいな、それを感じる。またちがう場面では同じものを、どういったらいいんでしょう、風俗に非常に近いものに感じる。つまり現代ならば宗教、法律、それからさまざまな現代宗教、国家。現代ではわかれてしまっているものが、古代では同じもので、渾然として同じもので、ある場面、場面によって、それを宗教と感じるか、掟あるいは法律に感じるか、あるいはそれをあたかも国家のように感じるか、つまりそういうことは非常に別々のものではなくて未分化なものである。未分化に個々のメンバーは感じていたということがいえるとおもいます。

                           (吉本隆明「地獄と人間」)

 ここから、源信が『往生要集』に集約した地獄の概念を取り上げ、中世の宗教思想の核心にせまってゆく。
 それは「『源氏』附記」で記しているように「『往生要集』が日本風の仏教にはじめて導入した地獄の概念と、『源氏物語』がはじめて本格的に描き出した男女相聞の世界とは優に拮抗する」、これは『源氏物語』の現代語訳者である「与謝野晶子の『やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君』にもふさわしい」とした、源信と西行と与謝野晶子の地獄をめぐる「葛藤のドラマ」の基礎をなす講演なのだ。
 そして、源信が「もし人が、一切の地獄がもっている苦悩を聞いたら、誰もみなことごとく堪ええないだろう。これを聞いたらすぐに死んでしまうにちがいない」と説いたのに対して、吉本隆明は次のように述べている。

 もちろん実際に読む人が読んだら恐怖心にかられ、強迫観念のとりこになって、悔い改めを脅迫されることになるのは、ほんとであった。愚直で信心ぶかい人びとが恐怖を覚えるのでもなく、指摘された悪業に該当する行為をやったおぼえがあるから、強迫観念をもつのでもなかった。そういう意味でなら、仏教の浄土理念はどんな人間もひとつふたつはかならず思い当るような、ぬかりのない罪の概念をつくりあげ、悪業のうちに数えたのである。ほんとに重要なことは、浄土教が描いている地獄の報いの恐怖が、根源的に嬰児が母胎から離れるときの恐怖や不安に訴えかけるような質をもっていることであった。そして母親からひき離されたり、冷たくされたり、貧困のあまりうち捨てられたりした嬰児のときの記憶に喰い入ってくる強迫性が、地獄理念の本質をなしたのである。浄土門の描く地獄においては、人は不幸な嬰児となって地獄のイメージに思い入れ、恐怖心を喚起される仕組みになっていた。
                             (吉本隆明『西行論』)

 言うまでもなく、これは西行の歌と信仰をとらえたばかりではなく、『源氏物語』の光源氏の性格悲劇を根底で統御したものである。この「葛藤のドラマ」に、吉本隆明もまた、みずからのおもいを投入しているといえるだろう。
 それはそれぞれの生涯をリードするのではないだろうか。わたしは夢にうなされた時、その夢の場面の、無意識の背景に潜在しているものが、生の不安と死の恐怖の元型のような気がする。その日常的な打ち消しと喚起、その繰り返しのうちに、わたし(たち)は時代のなかに生きているのではないか。
 遺された「一一講演」のなかで、もっとものびやかで魅力にあふれたものは「イメージとしての文学(T)(U)」だ。これは『ハイ・イメージ論』のなかの「像としての文学」を踏まえたもので、村上春樹の「螢」と『ノウルェイの森』の比較にはじまり、村上龍『走れ! タカハシ』、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』、太宰治『満願』、大江健三郎『懐かしい年への手紙』、干刈あがた『ウホッホ探検隊』などを取り上げ自在に論じた、吉本隆明の文学論の真骨頂を示すものである。
 わたしは、この「拾遺講演集」が公刊されることを待望する。

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 『吉本隆明〈未収録〉講演集』に添えられた宮下和夫・宿沢あぐり編「吉本隆明全講演リスト」によれば、吉本講演は「「民主主義文学批判」戦後責任の問題をめぐって」(一九五六年一一月二三日)にはじまり、「宮沢さんのこと」(二〇〇九年九月二二日)にいたる三五一本にのぼっている。これにリストに記載されていない、その後発見された前項のACFHIを加えると、三五六講演になる。ただし、録音が発見されていない講演も含まれている。
 このうち、わたしが聞いた講演は地元開催の「文学の原型について」(一九八〇年八月)と「いま、吉本隆明25時」(一九八七年九月)の「都市論Tム都市論から見た天皇制」「文学論ム文学はいま」「都市論Uム日本人はどこから来たか」「究極の左翼性とは何か」のわずか二回、五講演である。
 わたしの印象をいえば、吉本隆明の講演は誰もがいうように、訥々として繰り返しが多く、言葉のうねりのようだ。そして、話の総体がひとつの大きな波のように被さってくる。その際の手ぶり身ぶりがおかしいという人もいるけれど、あれは何度やって慣れない苦手意識の表れかもしれない。しかし、巧まざる発言で会場の大爆笑を誘うことも、「実朝論」で、『ゲゲゲの鬼太郎』のおもしろさの半分は「ねずみ男」の魅力によっているといい、それを公暁になぞらえていた。そんなユーモアやエピソードもまじえている。
 「いま、吉本隆明25時」は二四時間連続の講演と討論の画期的なイベントで、ゲストも吉本隆明が招いた井上英一・大原富枝・前登志夫をはじめ、都はるみや中村座など多彩だった。当時流行の東京・品川の倉庫を会場としたもので、前の方は床に坐り込む設営だった。全体として音楽コンサートや演劇の雰囲気に近かったけれど、吉本講演はわたしには遙かむかしに定時制高校の教壇に立っていたという幻の姿を想像させるものだった。それはこの講演が講義に近い感じだったからかもしれない。
 もちろん、聞く側にも個別性はある。わたしはあまり講演を聞くのが得意ではない。学校の授業につきあっているみたいで、雑念がよぎり、おとなしく席におさまっていることが苦しいからだ。これで話の内容が理解できないとしたら、完全に教室の中の落ちこぼれ少年と同じになる。
 「25時」の後日訪ねた時、「あれ以上の講演(と公開の対談)は声が持たない」と言われた。つまり、体力を消耗し、声がかすれてしまうということだ。「25時」に限らず、三時間以上に及ぶものもあり、そのうえ質疑応答にも応じている。さらにその後の主催者との懇親会などを考えると、体力勝負なのだ。青森県弘前の「太宰治」をめぐるシンポジウム(一九八八年五月)は、体調不良もあり「ほんとうにきつかった」と述懐されていた。倒れる寸前だったのかもしれない。そんなにしてまで務める必要はないとわたしはおもうのだが、他者(読者)と直接向き合うことをなによりも大切にしていたからにちがいない。
 実際的にはそうであっても、講演は基本的に聴衆に語りかけたもので、比較的分かり易い。だから、わたしは講演集にもっとも親しみを持っている。
 共著を除く、講演集を挙げれば次のようになる。

▼『吉本隆明全著作集14』(勁草書房一九七二年・『情況への発言』(徳間書店)を全て収録・二五講演収録)
▼『敗北の構造』(弓立社一九七二年・一八講演収録)
▼『知の岸辺へ』(弓立社一九七六年・一五講演収録)
▼『言葉という思想』(弓立社一九八一年・九講演収録)
▼『隠遁の構造』(修羅出版部一九八五年・三講演収録)→『良寛』(春秋社)
▼『白熱化した言葉』(思潮社一九八六年・五講演収録)
▼『超西欧的まで』(弓立社一九八七年・一一講演収録)
▼『未来の親鸞』(春秋社一九九〇年・五講演収録)
▼『大情況論』(弓立社一九九二年・五講演収録・著作、対談を含む)
▼『愛する作家たち』(コスモの本一九九四年・五講演収録)
▼『親鸞復興』(春秋社一九九五年・六講演収録)
▼『ほんとうの考え・うその考え』(春秋社一九九七年・三講演収録)
▼『詩人・評論家・作家のための言語論』(メタローグ一九九九年・三講演収録)
▼『心とは何か』(弓立社二〇〇一年・六講演収録)
▼『夏目漱石を読む』(筑摩書房二〇〇二年・四講演収録)
▼『人生とは何か』(弓立社二〇〇四年・五講演収録・インタビューを含む)
▼『宮沢賢治の世界』(筑摩書房二〇一二年・一一講演収録)
▼『吉本隆明〈未収録〉講演集』全一二巻(筑摩書房二〇一四〜一五年・一三一講演収録)

 いちばん影響を受けたのは『敗北の構造』だ。詩を別とすれば、これを契機に吉本隆明の読者になったといっても過言ではない。また愛着のあるものを挙げれば、じぶんが企画提案した『宮沢賢治の世界』である。
 『敗北の構造』に関連したことがらで転機になったことがある。当時、弓立社の本は一般的な書店では見かけることはなかった。つまり、簡単に入手することができなかったのである。『敗北の構造』は学生運動の活動家の間で廻し読みされていた。読みたいと思ったわたしは、「後でいいから貸してくれ」と頼んだ。しかし、断わられた。それ以降、わたしは読みたいと思った本はじぶんで手に入れることにした。他人や図書館を当てにせず、身銭を切って購入することに決めたのである。
 一九六〇年代までの講演は主に大学でなされていて、詩をめぐるものを別にすれば、情況論が主たるものだった。それに転機がおとずれる。筑摩総合大学公開講座だ。これを機に、吉本隆明の講演は独立した〈表現行為〉に転じたといえるだろう。「実朝論」(一九六九年六月・二回連続)と「南島論」(一九七〇年九月・二回連続)がその本格化を物語っている。ここからさまざまな依頼に応じて、場所も主題も多様化していったのである。また主催者との関係を軸に継続的になされてもいる。東京YMCAデザイン研究所、文京区立鴎外念本郷図書館、京都・精華大学、新潟・修羅同人、宮崎・一ツ瀬病院、リブロ池袋店、日本近代文学館などで、それぞれに力のこもったものだ。
 三五六講演のうち、一八三講演はインターネット上の『ほぼ日刊イトイ新聞』で無料公開されているけれど、著書に収録される際、推敲して大幅に手を加えたものも少なくない。それは講演集をたどるしかないだろう。
   吉本隆明の講演は、類例のない独自の〈領域〉を形成していて、どの講演からも入ることができるように開かれている。たとえばキルケゴールの特異な恋愛体験に関連して、次のように語っている。

 女性にふられるという体験は、男性にとって、ほんとうは神にちかい珍しい契機なのです。そういう場合に、むしろふった女性のほうは無意識のうちに、いちばん獣にちかいところにあるといえましょう。そこらのところが女性にとってもっとも考えどころなんです。生涯のうちで若くていちばんきれいな時に、たくさんの男性にいい寄られたという体験を、みなさんお持ちかもしれませんが、そういうときがものを考える契機をつかむ時期です。そういうときは、一見逆にみえるかもしれませんが、女性はいちばん獣にちかく、男性の方は神にちかいときです。だから、女性が、逆にそのときじぶんは美しくて神にちかいと考えたら、それ以後の生涯のコースはたいへん狂ってしまうとおもいます。人に好かれ、たいへんもてるという状態の時は、みなさんは逆に警戒した方がよいのです。
                         (吉本隆明「自己とはなにか」)

(吉本隆明さんのこと23 講演について 『脈』第103号2019年11月発行掲載)


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「「ネギ弁当」にはじまる 松岡祥男」 ファイル作成:2023.07.31 最終更新日:2023.08.01