(1)福島泰樹発言批判
・吉本隆明「火の秋の物語」
「火の秋の物語」は詩集『転位のための十篇』の巻頭に置かれた、屈指の作品である。
火の秋の物語
ーあるユウラシヤ人にー
ユウジン その未知なひと
いまは秋でくらくもえてゐる風景がある
きみのむねの鼓動がそれをしつてゐるであらうとしんずる根拠がある
きみは廃人の眼をしてユウラシヤの文明をよこぎる
きみはいたるところで銃床を土につけてたちどまる
きみは敗れさるかもしれない兵士たちのひとりだ
じつにきみのあしおとは昏いではないか
きみのせおつてゐる風景は苛酷ではないか
空をよぎるのは候鳥のたぐひではない
舗路(ペイヴメント)をあゆむのはにんげんばかりではない
ユウジン きみはソドムの地の最後のひととして
あらゆる風景をみつづけなければならない
そしてゴモラの地の不幸を記憶しなければならない
きみの眼がみたものをきみの女にうませねばならない
きみの死がきみに安息をもたらすことはたしかだが
それはくらい告知でわたしを傷つけるであらう
告知はそれをうけとる者のかはからいつも無限の重荷である
この重荷をすてさるために
くろずんだ運河のほとりや
かつこうのわるいビルデイングのうら路を
わたしがあゆんでゐると仮定せよ
その季節は秋である
くらくもえてゐる風景のなかにきた秋である
わたしは愛のかけらすらなくしてしまつた
それでもやはり左右の足を交互にふんであゆまねばならないか
ユウジン きみはこたえよ
こう廃した土地で悲惨な死をうけとるまへにきみはこたへよ
世界はやがておろかな賭けごとのをはつた賭博場のやうに
焼けただれてしづかになる
きみはおろかであると信じたことのために死ぬであらう
きみの眼はちひさないばらにひつかかつてかはく
きみの眼は太陽とそのひかりを拒否しつづける
きみの眼はけつして眠らない
ユウジン これはわたしの火の秋の物語である
この詩について、『いま、吉本隆明を問う 生誕100年祭記録集』第2部において、福島泰樹は《このユウジンというユウラシヤ人の名が、天皇裕仁の音読みであることを後で知りました》と述べている。この糞坊主は他人の噂(風聞)を受け売りしているだけだ。じぶんで確かめもしないで。
愚かにもほどがある。この観念の感染症も徒党左翼の〈病〉のひとつだ。むろん、一篇の詩をどう読もうと、どう解釈しようと勝手だ。しかし、〈作者〉も〈作品〉も無視して、出鱈目な曲解をふれまわるのはデマの流布でしかない。《きみはいたるところで銃床を土につけてたちどまる/きみは敗れさるかもしれない兵士たちのひとりだ》と詠われているのだ。最大戦犯の昭和天皇とどうやったら重なるというのだ。「裕仁」は戦場にあったこともなければ、兵士でもない。
この風評の出処は『現代詩手帖』2003年10月号の大岡信のアンケート回答もそのひとつかもしれない。
大岡信曰く《『転位のための十篇』(昭和二十八年刊)の諸詩篇はすべてに吉本隆明の詩作品の〈入門篇〉で同時に〈完結篇〉でもあるような相貌をそなえているように思います。ただし、〈完結篇〉と見えて実際は〈入門篇〉にすぎないという未完性をたっぷり持っていて、別の言い方をすれば、ほうぼうで破れている。詩自体がアイロニーの塊りである。といった性質のものです。そして所々に閃めく断言命題の悲愴な感傷性の魅力。
一篇だけ選ぶなら、「火の秋の物語 ムあるユウラシヤ人に」かなあ。この詩だって、全部が全部〈わかる〉詩とは到底言えない。吉本さんは謎めいた固有名詞や状況を投げ出すように語る名人だ。第一、この詩の最初の一行からして、謎々遊びである。「ユウジン その未知なひと」
ユウジンという名は、どんな人物を表わしているのか。何ひとつ明らかにはされない。この詩が初めて人々の眼にふれた当時、これを取りあげて、「あのユウジンて人物は、誰を指しているのかね」と興味を示した人がいた。「あれは英語名前かね。それとも日本名前だろうか。ほら、天皇の」。何人もの同座していた人びとが、この推測に対して、「まさかあ」と言いながらも、「あるいはねえ」と付け加えずにはいられなかったことを、私はいまだに忘れない。
吉本さん自身がこれの謎ときをしているのかどうか、私は不勉強でまだ知らない。》と。「折々のうた」の評論家の鑑賞力はこの程度のものなのだ。《最初の一行からして、謎々遊び》と評するのだから。
そしてその後、大岡信は「吉本隆明は私の疑問に答えていない」などと偉そうなことを言った。こんなことに答える必要はどこにもない。何様のつもりなのだ。この難癖は、大岡信の対抗意識とコンプレックスの露出にすぎない。
吉本隆明は昭和天皇について、江藤淳との対談「現代文学の倫理」で次のように言っている。
《江藤さん。プライベートにはときどき口にしますけれど、公けにあんまり口にはしないんですが、ぼくは「あの人」より先には死にたくねえ、「あの人」より先には死なんぞ、と思っているわけですよ。それはぼくら戦中派の何か怨念みたいなもので、思っているんです。》
そんな吉本隆明が、悲痛な連帯の詩である「火の秋の物語」で、「天皇裕仁」に呼びかけるはずがないのだ。
わたしは「火の秋の物語」を何度も繰り返し読んでいる。そして、肝心の「ユウジン」はずっと「ユウラシヤ人」の略表現と思ってきた。また、この詩を戦争の死者への鎮魂と理解すれば、「ユウジン」は〈死者の影〉を意味する。
(2)高橋順一発言批判
・吉本隆明『全南島論』(作品社)
早稲田大学名誉教授の高橋順一は《吉本さんの『全南島論』という本があります。この本は、安藤さんが吉本さんの南島に関わる全論考をまとめ解説を書かれた仕事ですが、私はこの仕事に強い衝撃を受けました。》(『いま、吉本隆明を問う 生誕100年祭記録集』第1部)と言っている。これは高橋順一の洞察力の乏しい、表面的な認識を端的に現わしている。安藤礼二は版元(作品社)に頼まれて「解説」文を書いただけだ。
『全南島論』を編集したのは齋藤愼爾だ。それは奥付に「編集協力 斎藤愼爾」と明記されている。齋藤さんから相談があり、わたしは「色の重層」(『心的現象論』の別稿)や「縦断する「白」」(『柳田国男論』のT)などの追加(収録)を助言した。それであの本は出来上がったのだ。
こんな〈無知な誤解〉や〈知的馴れ合い〉が通用すると思っているところに、こいつらの腐敗は露呈している。
(2025年6月)